1. 黙れ!ヤドロク!!
  2. #189 「ノンバイナリー」って..
2024-03-16 27:44

#189 「ノンバイナリー」って何だんねん?

ちょくちょく聞くけど、詳しくは知らん言葉を、調べて・・・ 小難しいから、自分なりに解釈するしかない。

00:06
毎度黙れヤドロクです。お疲れさんでございますな。
元気ですか?元気?えへへへ。
元気じゃない時もありますわな。
生きてたらね、明るいニュースもありゃ、暗いニュースもあるわけでございますから、
やっぱりこうね、それがバランスっていうのもあるんでしょうな。
明るいばっかりではね、明るいっていうのが当たり前になってしまうというようなことでございますからね。
暗いことがあるから明るいことが楽しいというようなことかもありませんな。
ところでですね、ちょっと最近小耳に挟んだ。
小耳に挟んでばっかりやけど、
あのね、ようわからんというかね、
お勉強しましょうやというようなことなんですわ。
何かと言いますと、
ノンバイナリーっていう言葉。
たまに聞くんですよ、おっさんもね。
結局なんやねやろうなと思って。
ちゃんと調べなあかんやん、そういう時はと思ってね。
ほんならね、ちゃんとやっぱ記事が出てありますわ。
ノンバイナリーとは、
セックス。
かっこ、生物学的な性ね。
あのセックスちゃいますね。
あんまり虫もネタ言わへんやけど。
生物学的な性別のことですわね。
ジェンダー。
社会的、文化的な性。
性別と言うんですかね。
性というのが、
この二元論から外れた存在。
識別で、
男でも女でもないこと。
部分的にその要素を持っている。
もしくはどちらの要素も持っていることを意味します。
セックスと書いてあるわけですわ。
どっちでもあるし、どっちでもないというようなことなんでしょうね。
なんかあの、
ジェンダーアイデンティティってね、
性自認という言葉があるみたいですけど、
包括的な総称と書いてますから。
何やろうな、
簡単に言うとどういうことなんという、
思いますけど、
自分は男でもないし女でもないし、
男でもあるし女でもあるという、
間ぐらい、ほんまに、
ほんまの意味で、みたいなことなんですよ。
だからその体の性別はここで一旦もう切り離して考えなあかんと。
心の方の性別で言うと、
もうどっちも持ってますせと。
体がどっちであれと。
他人からどう見られたいかを伝えるための識別史みたいな、
社会的ジェンダーシステムの内外で、
どのように行動しているかみたいな。
自分のジェンダーをどのように理解しているかみたいな。
どういうふうに考えているかみたいなことなんやろうね。
03:01
いろんな先生らがいろんなこと言うてんねんけど、
ノンバイナリーを理解するにはまずシンプルな言葉で考えることから。
ということやろうね。
ジェンダーは心であり、
セックス性別は体のことです。
というとこから考えていきましょうと。
分けて考えやというようなことでしょうな。
私たちが考える男性らしさとか女性らしさの中で、
自分がどこに当てはまるのかということ。
ジェンダーアイデンティティは体と結びつける必要はなく、
コミュニティや社会全体の中で自分がどのように適合しているかを感じることが重要なのです。
言うて書いてあるわ。
どこの議事かよくわからんけど。
そう、なんかそんな風に言うてんねんなあ、言うて。
だいたいだから心と、体の作りと心は別物ですとまず考えましょうというところ。
シンプルにね。
そんな言われたら、まあなるほどなというふうに思うんですよ。
だから自分の気持ちとして持っている性別。
性別っていうのももうだから、
ノンバイナリーの人でもいろんな人がいてるんですよ。
状態としてね細かく言うと、
ここは男ここは女っていうのは人それぞれ多分違うんよ。
男と女の種類も分けてんのも、
個性だと言い出したらそれもまた、
それを男と定義つけてる。
その人が思うに男性と定義つけてる。
その人が思うに女性らしさを定義つけてるとこから分かれていくから、
そりゃ簡単ではないよね。
この辺のノンバイナリーの考え方っていうのは。
だからノンバイナリーと一括りにできるっていう、
簡単に言葉で言っちゃうというようなことよりも、
心と体が別なんやから、
とりあえず体置いときましょうと。
一旦どっちであれ。
男であれ女であれ置いときましょうと。
性別やからこれはどっちかではあるんやと。
たまにそれはそうじゃない方もおられる。
両方持ってるという方もおられるんやろうけど、
一旦置いといて、
自分が心の魂やわなこれね。
その部分で見たときに、
女性的とか男性的とかっていう見方ではなく、
今社会通念上男性的とされてること柄やとしたらこっち。
他の部分は女性的と言われてる部分がある選択性と言われたらこっち。
それが複雑にごちゃっと存在する。
だいたい普通の男性、体も男性、心も男性というのは、
だいたいはなんとなく決められた男性的なところを選択しがち。
これは子供のときから育ってきてるからという部分を含めてね。
ここに悩む方がおられるわけよね。
一部分は納得できんねんと。
別に私もそうやなと思うねんと。
その他の部分がそうではないと言ってる心の部分がストレスになるんやわな、言うたら。
06:06
いろいろ真面目に考えたんやで、おっさん。
わからへんなりに。
でもこんな言うたんもあれやけど、個人的な好みというか、
例えばごっつい筋肉流々の男らしい男の人がいてるとしましょう。
一般的な。
でもこの人はものすごい女性らしい可愛らしいぬいぐるみが好きだんねん。
社会通年上可愛らしいものが好きなのが女性的やというふうに言ってしまえば、
それはこのごっついおっちゃんがぬいぐるみ好きっていうのは、
ものすごくその人の女性的な、社会通年上女性的な部分やねというのが好きやったら、
これももうノンバイナリーやなっていうふうにおっさんは思ったわけよね。
だからこの今おる人類を一人ずつ細かくやっていったら、
心と身体の性別は置いといて、
心の部分で言うたらもうごちゃ混ぜやと思うのよ。
文化背景もあるし、
それを大体なんとなくで分けとかなめんどくさいから分けてるわけやけども、
よりがある人って言いますわね。
身体は男やけど、ものすごく全部女性の社会的通年上女性とされるところに心が寄ってますと。
性的対象も男性やしとかっていう人が、
いわゆる皆さんご存じニューハーフの方々たちだったりになったりするっていう場合があるっていうことでしょ。
だから性別は私は女なんですと。
心は女なんですと。
でも身体は男なんですと。
はっきりしてる場合ね、これね。
だから戸籍を変えて女性になりたいとかっていうふうになるわけやから。
さっきのこのノンバイナリーと言うね。
ごちゃ混ぜなんねんって。
どっちにも寄ってないねんと。
どっちもあんねんというような人らが、
今私たちはノンバイナリーですと。
だから彼とか彼女という呼び方ではない呼び方にしてくれという。
呼び方がどうこうというんじゃないと思うんだよな。
細かく考えたら、こんなもんみんな戸籍やと言ってしまえば終わるようなことやと。
おっさんはね、簡単に言うたら思うし。
要はそれに対してね、
アメリカなんかでもどこでもこれは宗教的なこともあるんやろうけど、
いじめがあったりとか国によってはいろいろ言われてるわな。
言われてるけど。
すっごい究極的なこと言うと、おっさんね、あんま興味ないのよね。
問題に興味がないわけではなくて、
ノンバイナリーの人がそばにおれば、
その人が友達やったりとか家族におったりしたら、
一緒に考えようというふうになるんやけど、
身近に私ノンバイナリーで言ってる人いてへんのですよ。
しゃべる友達に。
09:00
おったらなんか一緒に考えてへんの言われたらそりゃ考えるよ。
自分のことはこうやって呼んで言われたらそうやって呼ぶし、
別にそれ友達であることに何も変わりないから、
普通にそうやって対応する。
言われたとおりにするから言うてややこしいこと言わんとって言うし、
女性やがらとか男性やがらとかあんま関係ないわなと思うし、
知り合いじゃない人が話題ノンバイナリーでね言われたって、
そうでっかー言うて終わると思うんやけど、
たとえば芸能人の人でも何でも影響与える人がそうやったときにいろいろ言うわな。
そらへん興味あるか?と言う。
関係あらへんやん。
大手しゃべるわけでなしっていうね。
生活に関わってるとか、自分の収入にそれこそ仕事に関わってるとかでない限りは、
関係あらへんやんと思うんですよ。
これはなんか冷たいような言い方なんかもわからへんけども、
聞こえようによってはね。
身近におればそれで悩んでんねんって言われたら、
ともかく友達やったらですよ。
そうか、お前と一緒に俺ら考えるわ言うてね。
俺らの間だけでもこういう風にしようやないかという風になっていくわけですよ、
単純に言うたらしいやけど知り合いにもおらんし、
いまんとこ家族にもおらんから、
なんちゅうことあらへん。
勝手にしたらええやんかと冷たい言い方になるかもわからへんけど、
好きにやったらええやんかというようなことちゃいますの。
みんななんで人が私こうだんねんって、
例えば校的なところなんかもわからん、SNSなんか。
そこで言うたときに、
それがSNS上の付き合いであっても、
私校だからこうやって呼んでほしいですと言われたら、
あ、そうでっか、俺らそう呼びますで。
ええんちゃうの、いちいち。
それはなんなんとかそれはどないなって、
いち個人ずつちゃうねんで、
度合いも場所も、
言うたら究極一個ずつちゃうわけよ。
好みみたいなもんが。
だから別に調合金のおもちゃも好きやけど、
ぬいぐるみも好き言うてるみたいなもんで、
こんなん一人一人わからん思ってみんやん。
普通の男女関係でもわからへんのに、
わかるかいな。
それが家族やったり、
友達やったら時間かけてゆっくりわかっていこうと。
こういうときはこうやんねんなとか、
こういうときはこっち選ぶねんなとか。
お前の好きなもんそれやったら、
今度プレゼントにそれ買うわとかね。
そういうこと関わりないと意味はあらへん。
全然知らんどっかのスターがね、
私ノンバイナリーでんねん言うたら、
言う必要あるっていう感じなんですよ。
別に思うとったらえんちゃうの。
例えばファンの人にもノンバイナリーとして扱ってほしいと
言うんやったら言わはったら、
ファンの人はそうやってお手紙書いたりする人もね、
気遣うということはちょっとわからへんけど、
かくんちゃうかなと思うんですよ。
それを考えながらどうなんだろうと思って書くじゃん。
彼女はとかって書き方を表現としてせんとこうとか、
12:03
なんかそういうことやと思うねん。
ファンやったらですよ。
そうやけどファンでもないし、
こういう有名人やんかスターの人とか、
そういう有名人の人って別に彼彼女みたいな言い方せんへんやん。
僕ら言うたらね。
なぜば何々さんよりは何々さんっていう言い方するから。
一個人みたいな言い方するから。
で、ちゃんづけなんか男でも女でもするから一緒やしね。
何が問題になってんだろうなあと思って生活の中で。
案外ね、日本の中でノンバイナリーだというふうなことを発言しても、
何かある?
特にみんなあんまようわからんからちゃうの?結局。
だって個人個人結構ちゃうでって説明に書いてあるやん。
いろいろあるでって書いてあるから、
それがどこに当てはまるとかもないわけやん、言うたら。
間なんか幅広いわけやから。
気にせんでいいんちゃうかなあ、言うてね。
おっさんはもうそんなもんね。
今日本におる、言うたらある程度名の知れた人で、
私ノンバイナリーで言うてる人のこと一人ずついちいち調べたんか?
調べねえと思うねんなあ。
興味あってもね、そこはその人のそこが魅力で、
ええなあ言うてファンか言うたら、またそれもちゃうような気もするしね。
あの人ノンバイナリーやからええねんとかないと思うねんなあ。
本人の心ジェンダーの部分と、
セクシャルですね、体の部分との違いのことを、
本人は悩んでたりとかするから、
打ち明けてみんなに理解してもらおうという活動とか、
発表とかいうのは別に、それはそれで全然しても問題ないと思うし、
ええわなあと思って、そうやってあつこってくださいということでしょう?
それは全然ええと思うんですよ。
そうやけど別に受け取る側が、だから言うて、
それを言うて余計嫌がらせする人も出てきてしまうような気もするのよなあ。
でも言うたら体の性別があるから、
ちょっと前にも話したからトイレの問題だったりとか、
うんのんっていうのも出てくるやんか。
そこはさあ、ある程度やっぱり、
大体が女性男性で分かれてるし、
体の不自由な方用のトイレがあったらそこ使うとかいう考え方もあるやろし、
もうだから俺こないだも言うたんやん。
男性便所を建ってやる便所があるから男性便所になってるけど、
全部個室にしたらええやん言うても、ややこしい。
一応男性女性と分けとくけど、
分けとくけど全部個室にしたらええやん。
ほんなら別にノンバイラリーの人がどっちに入ろうが、
もう気にせんでええやん別にそれやってみんな一緒やから。
そこが平等にしてもええやん。
もうややこしいなあ言うて。
もう小便器ももう何やれん。
あれか、あのトイレのメーカーが困るんか。
15:03
ええやん、そうなんかもしれん。
小便器いう文化がなくなっていくのも寂しいなとは思うよ。
だけど昔なんか駅なんてさ、便器なんかあらへんかったで、
壁にビャーって下に溝あってみたいなようであったで。
だから急になんか白い綺麗な便器に出てきたようなイメージあるで。
公共の場所なんか。
だからもうややこしいから、お金もかかるでしょ。
いちいち三つ作ったらと。
それやったらその三つ分のもう一個は、
体の不自由な方にもうちょっと、
今でも十分綺麗なトイレ作ってくれたあるとこ用意あるけどね、
安全面を配慮したいのもっと研究してやったとおくのあれ。
と思うこともありますわね。
ノンバイナリーとか男や女やとか、
もう言い出したきりないからどっちも全部個室。
ただやっぱり自分が、例えば見た目的にどう見ても、
体が女性型という人。
もう違和感ないという人は、女性便所入ったりし。
どう見てもおっさん。
おっさん言うんだからな。
いう人は、とりあえず男性便所に行くべき。
容姿、見た目で決めるみたいな。
それもコンピューターで判断してくれと。
人が決めたら傷つく人もおるやん。
だからコンピューターが判断して、
今どき賢いAIがあるんやろ。
トイレの前に置いといたらええんやん。
この人は性別的に男性。
そうなったら年がいったら、
おばあちゃんとかが男性で判断されるとき、
失礼やなと思うとこもあるやん。
あるけどな。
なんとなくそれもうまいことできるやろ。
今どきの高度な技術やったらよ、
一応ボタン押すとか言ったん、男性か女性か言うて。
真偽入るみたいなんでもいいや。
漏れそうなときにそんなんやってられへんな。
でもなんか、しゃあないわな。
そこを細かくせなあかんやと、
ある程度それはせなあかんというか。
そこまでトイレをせなあかんか言われたら、
トイレの問題だけはないからね。
ただ心は女性やから。
女風呂に入ったらやっぱり一般の女性はびっくりするし、
そこはいくら心がと言っても、
やっぱり自分の体を改造してから。
だから別に体の整転管手術とか、
ほんまに自分がそう思うんやったら、
あんなもん体めちゃめちゃいらうことやから、
やらしとったらいいやんと思うし、
保険適用にしとったらいいやんと思うんですよ。
後戻りできへんやんってあんなの。
そこまでそんなノリでできへんで、はっきり言うけど。
そんな手術しようか言うてる人。
海外まで行ってこいやん。
海外の病院がそんな信用できへんと言うわけやないよ。
ないけど。
今はね、ちゃんと国が裁判か分からんけど、
認められたらそれができるという、
日本国内でもなってきてるんやろうけど、
審査がやっぱり難しいと言うやんか。
でも後悔先に立たずやわな。
18:02
一瞬は自分は女や思って手術してみたけど、
後でやっとでやっぱり男やったと。
しやけどあんたが選んだ道やから言うので、
えんちゃうかなと思うんですよね。
その類の人しか助けられへんねん。
自分は体は男やけど心は女性やというような人やったり、
体は女性やけど心は男やというような人しか助けられへんけど、
間の人どないすんねんって。
この間の人らはどっちにも行かれへんというわけじゃなくて、
体は関係ないと。
ジェンダーやと心の部分のアイデンティティの問題やと。
それがどっちも持ってんねんというんやったら、
体の性別のことは置いときましょうと。
それはもう体が女性への体やったら女性へのとこへ行けばいい。
体が男やったら一旦男のとこへ行けばいい。
しやけど心はどっちもありますねん。
どっちもあんねんから。
どっちも入ってへんねんほんまはな。
やと思うけど、やっぱりそれは周りの人の迷惑で。
それは社会性やわ。考えてやっとらへん。
そこまで周りも興味ないと思うねんな。
身内におりゃ真剣に考える。
仲間におったら真剣に考えるけど、
人のほうは人ので頑張って過ごしてやと。
しやけど誰かがそれに対して攻撃するようなことあるかね?
わからんねんけど。
アメリカのほうで事件があって、
それによって自殺したのではないかという女子高生がおったんけど、
記事の流れを読んでたらそれとは別なような気がするねんな。
それが原因でいじめられてるという部分とかもあったんかもわからへんけどね。
それがすべてではない。一個の要因がすべてではないということだよな。
いじめとジェンダーの何のお前なりやということは、
関係が全くないわけではないやろけど、
なんか内容を見てたら、うーんというような部分もあったんよ。
それはそれちゃうかというようなね。
喧嘩の理由のこともちょこっと書いてあったけど、笑い声がどうやとか。
関係はあらへんもんね。ノインバイナリーであろうが、
女であろうが男であろうが何にも関係はあらへんやんと思うし、
前日喧嘩になってたみたいなこともあるけど、
それで自殺までいってしまう。
うつ薬みたいなやつをよく飲んでみたいなことになっとるんやけどね。
もともとそういうことで悩んでた、
やったというところがうまいこと変なとこにスイッチ入ってしまったんや
というようなことやと思うね。
要因はないっていう話ではなくて、
もともとそういう悩んでたりとか、
ちょっとそれによって精神がしんどくなってたというようなことはあるにしろ、
それが引き金になったんじゃないか言うけど、
その話だけ聞いてたら別にそれは無関係ちゃうかなというような感じにはちょっと僕は思ったんよね。
記事だけやからほんまはどうかわからへんよ。
大概その辺の話は言ってしまってたのかもわからへんし、周りの人が。
わからへんけども、何となく何が悪いというようなことを、
21:00
ずれた記事の書き方っていうのは、
記事の書き方が下手くそなのかもわからへんけどね、あれは。
そんなふうにおっさんは思うわけでございます。
ノンバイナリーでね。
まあでも自分もやっぱり言うたらよ、
おっさんになってよ、クッキー焼いたりしてるやん。
あれクッキー焼く、お菓子を焼くということがすごく女性的やと言うならば、
こんなん僕もノンバイナリーちゃうの、それで言うたら。
性格上の中だけで、自分は男やと思い込んでるよ、思い込んでるけど、
女性的なことが嫌いか、そんなことあらへんもんね。
好きなこといっぱいあるよ、女性的なことと社会的に言われてることで。
そんなん言い出したらみんなノンバイナリーやんけと。
真っ黒、真っ白じゃないやんけと。
要素的には要件も取る。その割合がどうかというようなことでしょ。
なんぼでも言ってると思うけどな。
結局そこで言うと性的対象というような部分で言うと、
男性とそういう関係になりたいか、女性とそういう関係になりたいかで分けるのが一番。
結局体関係ないって置いといたものの、最終的にどっちやねん。
私どっちでもイケマンネンという、昔からバイセクシャルというような言葉もありますけど、
両党というね、日本でいい言い方しますかね。
それはどっちもイケる人ということはノンバイナリーなんじゃないの、体的にもというふうに。
どっちも愛せるし、どっちも全然イケますよというようなこと。
それがほんまのノンバイナリー、ほんまの豊かな。
嘘はないねんね、こんなのに。
だから性的対象がどっちやって。
もともと性的対象がないという方もおられねん。
これもノンバイナリーに入るらしい。
男性もいいや、女性もいいや、性的なことそのものがいいやという人もいてるから、
10歯ひとからぎにはやっぱりできへんねんと言い出したら、
そんなのは個人個人のもんやから。
他人がとやかく言うものではないという結論に至らへんか、これと。
というふうにおっさんは真面目に考えたわけでございます。
興味があるなしではなくて、ノンバイナリーという言葉がよく出てくるようになったので、
おっさんも調べてみたわけでございますが、
いろんな記事を読んでみた感想というのは、どっちでもええわなという。
自分がそうやって悩んでたらまたそれは違うんですよ、当たり前にね。
家族におれ、仲間におれ、友達におれば、
やっぱり一緒にどういうとこに悩んでてどういうとこにというのは話聞いて、
一緒に考えようかというのになるんですけど、
身近におらんなら別にどういうことあらへんというような話なんですよね。
正直なとこみんなそうちゃうんかなと思うんですよね。
全然無関係な人にね、お前こうやからこうやーって言うて、
ノンバイナリーってのはそうじゃないとかね、
いちいち文句言うてくようなことではないよと。
何でか言ったら、10人おったら10人、100人おったら100人、
みんなノンバイナリーのところは違うわけやから。
その中の種類が、中身がね。
だから赤っぽい人がおれ、白っぽい人がおれ、黒っぽい人がおれって、
色違うわけやんという話ですわな。
ここに終始するんやけどね。
どっかによらさんと物を考えづらいんやろな人間って。
24:01
そりゃそうです。僕もそうですから。
だからまあ人のことは置いとこうよと言うんだけどね。
だんだん他人に興味なくなっていくんちゃうかなと思いますけど、
これはこれかな、それはそれかな、あれはあれかなというふうに
思っておくのが一番ええんやないか。
ただね、何も別に聞いてへんのに、
私ノンバイナリーやねん言うて前に出てきた人にはちょっとわろてまうよね。
そうだっか言うてね。そんなに興味ないよって。
今流行りやからやってんかあんたというようなところもね、
たまに感じることもありますなというようなね。
私もしかしてそうかもしれないって。
もう何と酔って言ってる人いてるわな。
ほんま悪い癖やで、ほんまにね。
私それが一番しっくりくるわ言うてるけどほんまか言うてね。
言う場合もあんねん。
例えば有名歌手ね、綺麗な人やったり歌ううまい人やったりが
私ノンバイナリーです言うたら、私も言うてね。
まあまあ好きにしたらええねんけどね。
そういうふうに見えてしまうというのは悲しいことやなと思うんですよ。
ほんまにそれで長いこと考えて悩んで、
同じ表現したらええやろうと悩んできた人からしたら
アホらしになってしまうわなというふうな結論に至ってるわけでございます。
人からしたらまあ最終的には好きにしながらと。
別におっさんは興味ないですよというようなことでね。
その人とかにね、その人その人の生き方あるわけやから。
というふうに思うわけでございます。
冷たい言い方なんかなあ。
そうやけどそうやと思う。
でも自分の生活圏のね、周りにいる人なんで
理解してほしいという気持ちはわかるから、
そこを一生懸命頑張りなさいよというしかないわけだな。
理解してもらえるように説明するしかないよねと言ってね。
説明したから言うて理解されるとも限らへんよというのも言うとかなあかんしね。
ほんまはお前こうやろうと言うてくるおっさん何歩でもおるわけですよ。
そんな興味ないのにはね。
もうそういうなんちゅんかのいっちょかみ言うんかね。
いちびり言うんかね。
いちびりはどこの業界にもどこに向いてません。
一番悪いな。
いちびり言うのがね、
何にも自分に言われないのにね、
いちびりって聞かんでもいいこと聞いていったりね。
これが一番悪い。
うーんと思いますね。
それを聞いてね、一緒に悩んであげるんやと何もでも聞いたらよろしいけどね。
何にもそんな気にならないのに、
飲めあるでやねん、これでやねんってね。
まあ僕もその気合がいいときあったんかもわかりませんけど、
まあ僕は一生懸命考えるほうではありますけどね、
またね、そんなふうに思うわけでございましてですね。
まあいろんな意見皆さんあると思うんですけど、
それもあなたも正解。
私は私の考え方の正解があってって言うだけのことですからね。
えーそんなわけで、
ノンバイナリー。
覚えましたか皆さんね。
もう僕らの歳になってきたらだんだん新しい言葉が出てきたら、
もう何にもわからん、いちいち調べんなんというようなことになってますね。
27:01
えーまああの、でも細かく読んでいくと、
ああそういうことかというようなことも書いてあるけど、
これがほんまかどうかをまだこれ制させらんかという時代ですから、
えーまあ皆さんぜひね、
1個調べるだけやのうてね、
2個3個4個5個と調べて読んでいって、
自分はどういうそれは考えになるかというのを詰めていくしかない時代に入ってきてはな、
情報は多いんですけどね、
えー自分のキャパシティが狭いから、
自分のわかる範囲の中に収めていくちはなかなか手間な作業ですわ。
ということでございましてね、
本日はノンバイナリーについて、
おっさんが思うことを語りましたというようなことでございます。
お疲れさんでございます。
27:44

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