2024-02-07 44:09

第10話「電車実況・推し・俺の村の話・5秒だけ見えるかつての俺・人生と物語・マルチバース・人間の成長」

第10話「電車実況・推し・俺の村の話・5秒だけ見えるかつての俺・人生と物語・マルチバース・人として生きる!・本が出ない」

今回もあらゆる話題が濃厚です。

サマリー

滝本竜彦のラジオ「人間改革」の第10話では、電車実況やお互いの楽しいこと、ゲームやスキルの成長について話されています。 新幹線の車窓から田舎の抜け出せない人生を見る一瞬と、かつての自分が見える経験について語られています。また、物語や切なさについての考察も行われています。 マルチバースの流行りについて考えています。マルチバースの方向性がエンタメに悪く作用していることが確かである。 スランプによって生じる苦しみが人をスランプに留めると言っていいでしょうか。人生, スランプ

滝本竜彦のラジオ「人間改革」の始まり
はい、始まりました、滝本竜彦のラジオ「人間改革」、やってきました。
今日は朝の8時38分、眠いです。
私たちは北の国に向かう電車の中にいます。
幸い周りに乗客がおらず、我々だけということで、急遽この状態でラジオ「人間改革」をやっていきたいと思います。
この番組は、人間を改革して日々生き生きと自分らしく生きれるようになっていくライフハックをお伝えする番組です。
すごいリアルに、リアルに車内の様子が撮られています。
いつも通り、最近メロンさん、楽しいことありましたか?
楽しいことですか?
結構ありますよ。なんか解像度を上げるとね、意外と楽しいことって色々あって。
例えばですね、ゲームをやっている時とか。
ゲームはドラッグみたいなのがあるので、あまり何かやらない方がいいんじゃないですか。
週一でボクシングジムに行ってたんですよ。
そこに行って、だんだん昔より動けるようになったりするのは楽しいですね。
やっぱりね、スキルが上がるっていうのは楽しいことですよね。
人間が自分の成長とか、何かができることになるっていうのが一番いいなと。
そういうこと以外に楽しいことってなかなかないですよね。
むなしいんですね、他のことって。
そうなんですよ。何か消費するだけの遊びってのはね。
人間の咀嚼とかで言ってる奴は本当にね、ここで俺の悪口をいつも10分くらい続いてカットしなきゃいけなくなる。
泡のように消えてしまうむなしい物なんですよ。
でもやっぱり残り続けて自分の身体に絡まれるものっていうのが一番いいね。
楽しいことと人間の成長
本質的な。なので咀嚼とかやってる人は自己批判してください。
そういうゲームはその日々を楽しむには良いんですけどね。
今流行ってるじゃないですか、なんとか押すみたいな。
押す?
押し勝つみたいな。
ここでね、俺の押し勝つに対する悪口を10分くらい続いてカットされた。
押しがね、分かんないよね。でも俺ね、押し…
押し言いますか?
やっぱり最大の押しは自分ですよ。
そうですね。
自分を押さないで他人を押してる人が多いんじゃないかなって思うんだよね。
それはそうだ。
日本の闇だね。
そうだな。
他人を押してない人いるよな。
自分を押しても押してもなかなか前に行かないんだよ。
それなのに他人を押して押して。
なるほどね。それはそうだわ。
これはね、昭和の古い考えかもしれない。こんなこと言うのは。
俺らのような古い頭の持ち主に分からない何か良いことがあるのかもしれない。
でもね、俺、押しに対する話でしっくり一番来たのがですね、
押しに対比してですね、萌えを配置する。
つまり我々の時代、押しじゃなくて萌えだったじゃないですか。
そうですね。
萌えと押しの違いについて考えるとですね、非常にいろんなことが分かるんですよ。
なんか押しってすごい熱狂的で、
何かこう狂信的な感じがするけど、
萌えってもっとワッとしてて、
萌えって最初がベクトルの矢印がカツンって言ってたか、萌えは。
萌えの方が言ってた気がするんだけど。
なんかでも押しって、
すごい対象が明確にある気がするんですよね。
でも萌えはあるか。
なんかでも萌えってさ、内面から沸き上がる感じだろうな。
もっと普遍的な感じだった。
そんな良いもんだったか。
そんな良いもんだったか。
やばい、萌えが美化されてる今。
萌えってなんかもっとさ、
なんて言うんだろうな。
だいたい可能だった気がするんですよね。
もうちょっと。
なるほど。
なんとか萌えとかだった。
猫耳萌えとかさ。
よりユニバーサル。
でも猫耳は押しってないじゃん。
そうね。
確かにそうかもしれない。
押しっていうのはもっと個人性というか。
なんかそんな感じがするんですよ。
ある種こう人間のパーソナリティっていうか。
そうそうそう。
人格的な感じしない?
すごい個人的なものに結びついてますよね。
萌えって人格的じゃない感じがするんですよね。
萌えはね、もっとイデア的な。
属性な感じがする。
抽象化されたものに対する熱意みたいなものだったかもしれないね。
押しはなんか俺生々しくてさ、
萌えと押しの違い
そこがちょっと俺わかんなくていいかもしれない。
そういう意味では、
萌えのほうがもっと抽象的なものに熱意が向いてたんだけど、
押しは具体的になったから退化してるんだよ。
そうか。想像力を入る余地がない。
抽象的なものに集中すればするほど、
人間の知性とかっていうのは高度な使い方されてるんだけど。
ここで竹下さんの押しディスが始まった。
具体的なものに愛を向けるっていうのはやっぱり劣ってんだよね。
本当にまあいいや。どうせ悪口を。
いやー、押しがね。
そう。
押しね。
そうなんだよね。
なんかでもこの押しと萌えの話って絶対誰か知ってると思うんだけどな。
わかんねぇ。
なんかでも僕が結構文振りよく買ってる
鑑賞マゾー研究会の学生批評判件のところでですね、
萌え研っていうところがあったんですね。
萌え研がそういう話をしてた気がします。
もう老害ですよ、老害。
老害です。
今の流行りは。
さすがに老害です。
萌えはでもね。
昔の萌えは良かったみたいな、完全に老害の言いそうなこと。
なんかね、消費形態も違ってて、
俺この間ですね、日高一巻津水さんっていう漫画読んだんですよ。
これ、婦女子の津水さんって言って。
はいはい。
知ってます?
知らん。
絵を見ると最初に、婦女子の津水さん。
いいよ、スピードが遅くなるからね。
津水さん。
漫画なんですけどね、すごい単純な絵で描かれるですね。
婦女子の津水さんの絵を描いた日常系漫画なんですけど、
すごい人気で、それはいろいろ続いていって、
裸一巻の津水さんという名前でまた別の本が出てるんですけど、
そうするとですね、お仕活をしてるんですよ、津水さん。
で、周りに女の友達がいるんですよ、3、4人。
で、そいつらともダラダラ、ほんとに男子学生みたいな。
休日に家の中に集まって、ダラダラと動画見たり、なんかやったり、
お菓子食べたりして、女4人で過ごすとか、
温泉行ったり、で、友達が、
ハッピーバースデーってサプライズやってくれるんだけど、
そのサプライズの内容がですね、
これプレゼント。津水さんの推しの書くインタビューでは。
それはちょっとなんか昔っぽい、なんか懐かしい雰囲気がある。
でもちょっとすごいじゃないですか、
萌え時代にそんなことやったら。
夢小説みたいなことじゃない?
夢小説か、そうか。
まあいいや、BLとかそういうやつあんま触れないほうがいい。怖いから。
なんかすごいなあと思って、
なんか熱意がさ、こんな熱意あったか。
まあでもそうか、同人誌作るのに近いか。
夢小説、コミュニティみたいなのあるじゃん。
その辺の積み分けもめんどくさいよね。
あんま触れないほうがいい。
動弾拒否とかさ、解釈違いとかさ、めっちゃあるから。
今のね、我々の推しの話は全部無かったことにしてください。
編集面倒なんて一応残しますけど、
僕らが喋ったんじゃなくて、
悪霊みたいなものに取り憑かれて喋ったじゃん。
じゃあ次の話に行きましょう。
いやーでもやっぱ、五車内で撮ると車窓の外に流れていく世界の車窓からみたいな。
窓の一つ一つの向こうに人生があるんやで。
世界の記憶に。
いや俺ね、子供の時に全然関係ない電車の話しましょうよ。
子供の時に電車乗ったのはいつですか?初めて。
初めて乗ったのは、中学生とかになってからか。
いや、小学校、高学年になってからかな。
北海道って確かに乗るイメージないな。
大体車なんですよね。
そうだよね。
そうだね。
北海道って電車に乗る方が移動遅い気もするしね。
珍しい。遅いんだよ実際。
めったに電車来ないし、乗ってもすっごい遅いし。
目的の駅と座標がずれてる感じですよね。
駅から置いたところで車なきゃね。
車なきゃ死んじゃうから寒くて。
その駅のところに民家があるとかあんまりないもんね。
だから結局ね、何年か前に僕のところの電車が廃線になって、
もうないんです、電車なんて。
そうか。うちはまあ兵庫県だったんで、
割と小学校の時に母親がよく実家に遊びに行ってたんで、
大阪の。
それで一緒に乗ってる、思い出すんだけど、
一緒に列車って元高校がこう言ってて、
駅弁を買うんですね。
駅弁を買うとですね、お茶がついてるんですよ。
針金でこうさコップがパカって。
なんかある。
分かるかな。多分検索してほしいんですけど、
コップ付きのキャップがコップになってるような、
お茶とその駅弁を買って、
電車の中で食べながら移動するっていうのは、
すごい楽しかったんですよね。
車窓の流れる景色を見るんですけど、
当時子供の頃の車窓の景色なんて、
つまんないわけですよ、やっぱり。
刺激が少なくて。
だけど今は思い出を欲しげて良かったものになってしまってるんですけど、
なんかそういうのあったなと思って。
これすごい車窓で思い出すのは、
うちの村っていうのはですね、
村なわけですよ、田舎が。
うちの村の北側に田んぼがあってですね、
そこに新幹線が通ってるんですよ。
すごいね。
だから夜中とか寝てると、
若干新幹線の音聞こえるんですよ。
ガタガタじゃないけどシューンみたいな。
ちょっとね。
夜塾に通うようになった時にですね、
真っ暗な田舎道で田んぼをチャリで行ってると、
急に新幹線がワーって行くんですけど、
その時に俺すごい思ってたのが、
毎日俺がね、夜中に寒い中、田んぼを自転車でこうやって行ってる中で、
都会と田舎の交錯
新幹線に乗ってる人たちは一瞬だけ俺の人生を見るんですよ、車窓から。
なんか田舎の子がチャリをして田んぼを行ってる。
彼らは都会に東京とかに行くわけですよ。
それなのに俺はこのひなびた田舎で、
田んぼの中寒い中、こんなことをやって抜け出せない人生みたいなので、
都会の人生と田舎の抜け出せない人生が交錯して、
俺は常に見られる側なんですよ。
エモい。
それをずっと家に帰って、
一瞬過ぎ去っていったあの人たちは今頃、
もう1時間後には東京にいて、
俺はこの田舎でまた眠りについて、
まだ考えてますね。
そう。
長い。結構キープするな。
ずっとそんなことを思ってて、
めっちゃなんか切ない気持ちになってたんですよ。
キープしすぎじゃないですか。
ところがですよ、大人になるとですよ、
その新幹線に俺が乗るんですよ。
そうするとですね、
一瞬、もうその間、
5秒間だけかつての俺が見えるんですよ。
勝手にかつての俺にしちゃって。
そう。
かつての俺が。
人を勝手に。
かつての俺がいるんですよ、そこに。
やだな、勝手に。
かつての俺にされたくない。
かつての俺が見えてですね、
でも俺はもう東京に行く側なんだと。
なんか考え深いんですよ、それがいつも。
なるほどね。
人ってのは常に物事をまっすぐ見れないんだよね。
何かしらの勝手な意味をつけちゃって、
それを通して見てるという。
フィルターを常に人はつけながら、
車窓を眺める時の、
自分のフィルターを通して見てるんだなっていうのが分かるエピソードでした。
かつての自分
そういう時にさ、
松本玲司先生の銀河鉄道3・9がね、
やっぱり俺の時代だとですね、
ちょっと古いものだったんですよ。
運営駅じゃないかと。
あんまりそんなにピンとこなかったんだけど、
それがあってからよく考えると、
3・9とかそういう話じゃないですか。
常に去っていく他の人の、
なんか超切ないなと思って、
見れるようになりました。
すごい初期から感傷マゾ的なフィルターが脳にかかってる。
なんなんそれ。
分かんない。
病気だな。
そのフィルターなければさ、
俺もいつかあれによって東京行くんだなとかさ、
そういう感じになるじゃん。
常にでもなんか、
そういうポジティブなことなかったよ、俺は。
あれには俺は一生乗れないんだなって思ってた。
謝ったフィルターをつけて。
切なかった。
ことから切なさという果実を得られる。
切なさジェネレーターみたいな。
そういうのないですか。
だからなんていうんだったら、
やっぱり夏休みになっても、
親戚が来る側なんですよね、田舎だから。
帰っちゃったときのあの虚しさ。
親戚来て帰るとき泣いて引き止めて、
物語と切なさ
1、2週間帰るのを待たせてもらって、
飽きた頃に帰ってもらったみたいな。
泣くと通る。
泣くと通るんだよ。
嫌だな。
泣くと通るっていう。
泣くと通って飽きたら帰ってもらうみたいな。
泣くと通る。
泣くと通る。
泣くと通るみたいな。
そう、そう。
そうか、そういう悪いね、
メインヘラがリストカットすると
男子がいいこと聞いてくれるから、
リストカットしちゃうみたいな。
そう、だって自然な涙だから。
自然な血ですよ、リストカットも。
邪気のない自然な涙だから。
泣いちゃうよ。
真摯な血ですよ。
まあ、そんなわけで、
そんなに、
あのー俺は、干渉マズ的なやつあんまないの。
そうか。
北海道はなんか干渉マズ多いよね。
あとやっぱ成人になってから俺ね、なんかそういうフィルターをね、外すっていう運動をずっと続けてて。
なんで?こういうフィルターが人生豊かにしてるんじゃん。
例えば俺が使ってる瞑想のテキストだと、それこそ例えば夕日を見て、何を感じるか人それぞれなわけですよ。寂しさを感じるとか。
没落していく死の匂いを感じるみたいな人もいるわけですよ。
本来何の意味もないものに対するネガティブなフィルターを外すっていうのが瞑想の一つの目的なんですよ。
なんでそれを10年ぐらいずっとやってるところがある。
ポジティブを付け替えても別にいいんですか?
なので物事をそのまま見つめるみたいなことを今は大事にしてるな。
だから逆に言うとデメリットもあって、俺の中から感傷マゾ的なものがないんだよ。
昔俺小説書くときとかそういうものを結構大事にしてたと思うんですけど、書けないもんね。
付けましょう、もう一回。
やだよ。
付けましょう。
それを付けるとなんかね、実際エモいものは書けるようになるんだけど、人生が不幸になる。
でもそれすらも思い込みじゃないですか。
それはそうかもしれない。
そうだね。今一瞬間があったけど、そうだね。
次はクキです。
でもね、なんでもかんでもポジティブに捉えればいいし、もんでもないじゃん。
なんか、もっとさ、なんて言うんだろうね。
でも自分がどう捉えたいかだよね、その以前に。
ポジティブな感じっていうのは、無理やりアッパーにするっていうより、ニュートラルにするんですよ、単に。
物事に意味をつけないで単にニュートラルにしておく。
それがある種ポジティブなものの捉え方。自由な状態にしておく。
でも俺さ、フィルターみたいなものってあった方がいいと思ってるけどね。
俺の近くに、いわゆる物語が必要にしないタイプの人たちがいるんですよね。
その人はですね、すごく目的的に人生を生きてて、物語化しないんですよ、すべてを。
だから世の中、こうなったらこうなるっていうパターンみたいなものもある意味物語じゃん。
そういうものがないんだよね、その人たちには。
じゃあどういうふうに生きてるかっていうと、今やらなきゃいけないことがあって、これやらなきゃいけないからそれをやる、以上。
それに対して、もしできなかったらとか、でもこれができたら将来こうなるとか。
全部物語っていうかさ、予測をするじゃん。予測がないんだよね。
だからもう分かんないから、今やるしかなくて。今やって、ダメだったらその時考えるし。
うまくいったらその時考えるし。
とにかく物語化しないんですよね。
でもね、そういう人といるとね、心がパサパサになっていくんですよ。
豊かにならないんですよ。
それは機械的じゃないですか。
っていう経験があったから、俺はやっぱり何でも物語とか生きたいみたいなのを持った方がいいかなと思います。
自分がどういう色で。
もちろんそれはその通りなんだけど、その物語というものがですね、あれですよね。
この駅めっちゃ良くないですか、あれ。あれすごい良くないですか。
何駅ですか、これ。
この駅。これ何駅なの。
物語というものが、下向きの物語になったんだよ。
なるほど。
つまり感傷魔像的な。
感傷魔像。
別れるイコール、エモくて美しいみたいな。
いいものだから。切なさですよ、切なさ。
つまり切ないものイコールいいみたいになったんだよ。
いいね。切ないものいいね。
いいです。切ないものはいいものですよ。
そこがちょっと俺の理解を超えてますね。
本当ですか。
久喜駅。久喜駅いいですね。
自転車置き場みたいなのが旅館みたいな建物があってめっちゃいいなこれ。
今なんかやっぱり都会的な中にああいう古い建物があるとちょっと切なくなる。
切なさ。
俺の切なさってすごい不思議な感情だと思ってるんですよ。
切ないってプラスでもないしマイナスでもない気がするんですよ。
だって切なさを感じてるときに俺別に嫌な感じじゃないんですよそれは。
なんか甘美な痛みみたいな感じがあるんですね。
でもそれっていうのはプラスでもないんですよ。
何かが失われたときに切なさって感じないですか。
プラスじゃないじゃん。何か得られて切ないってないじゃん。
何かが失われたとかもう取り戻せないんだとかさ。
そういうことってあったなとかさ。
何か去ったもの、自分から去ったものが過去であったり。
後ろ向きなんですよちょっと。
でもこれはすごい人間独特なものだと思ってて。
時間によって生じている何かなんですよ切なさって。
時間を持っている生き物って人間しかいないじゃないですか。
だから人間しか切なさを感じない気がしていて。
その切なさっていうのはもう存在しないものに対するレクイエムみたいなものなんですよ。
切なさがどこから生じているのか分かりましたよ。
切なさっていうのは過去が一本に固定されていることから生じるんですよ。
つまり、エアーを思い出してください。
エアーっていうのはエンディングに至るまで過去が一本に固定されてるんですよ。
エンディングでカラス少年少女が旅立ったときに、
あそこで初めて過去が解放されたんですよ。
つまり、過去が一本に固定されてストーリーが固定されているときに生じる感情が切なさなんです。
逆に言うと、過去が一本に固定されなくなれば、
マルチなタイムラインを持った過去が心の中に生じると、切なさが介在する余地がなくなるんです。
生きるからな、また。
そう。
失われないと。一回生みたいなことに対する。
そう。一回生へのもう手が届かないし、もうどうしようもない過去に対する、
っていうか、不完全な燃焼な感情みたいなものが切なさ。
あるね。
でも俺はそれは人間だから感じれるものだと思ってるんですよ。やっぱり一回生っていうのは。
ところが、瞑想をしたりスピリチュアルな何かをやったりすると、
自分の生きてる人生が、タイムラインが一本じゃなくなるんですよ。
マルチバースの流行り
なるほど。でも俺はやっぱり一本でありたいと思って、
先もそう言ってる、お前もこっちの世界に鬼にならないかって。お前も鬼にならないかって。
ところがこれは、マーベル映画を見ればわかる通り、
世界の昇竜であって、
何?マルチバース?
マルチバースみたいな方向に行くのが今の流行りです。
で、マーベルを見ればわかる通り、マルチバースな話をやればやるほど、
切なさが改善しなくなってくるんだよ。
そりゃな。ほんましないよな。
それはエンタメにとっていいことか悪いことかって言うと、今のところ悪く作用してるのは確かです。
だって、マーベル映画の中で一番切ない、こいつが一番いいキャラだって思うのはサノスとかだもんね。
結局サノス、滅びていくサノスが一番偉いし、
こいつが一番背負ってるものがでかいし、覚悟決まってるし、バックボーン切ないじゃん。
俺もNHKにようこそで、真NHKにようこそで、マルチバースをちょっと取り入れたんですよ。
そしたらNHKの切なさみたいなのが一切なくなって、
マーベル映画の切なさ
まあそれはしょうがないんだよ。
なるほど。
これはね、しょうがないんです。
取り入れましょうよ。
いやだって切なさってのは、一本のタイムラインから生まれるものだから。
でもそのマルチバース自体も失われるものだったらいいじゃない?
一旦もう意識がマルチバースに広がったら、もう二度と狭めることはできないんです。
そうか。
可能性を知ってしまったら。
だから、ある意味切なさというものを今、持てる人は、それを手放したらもう切なさは帰ってこないものだから。
大事にした方がいいかもね。
反抗的な意味でね。
そうかな。
俺は切なさをね、持っていたい。人間として一回生を生きていたいですね。
それは俺が非人間の秘密。
でも竹本さんは超人を目指しているから、超人的じゃないですか。
もう超人だから。
ある意味、鬼仏寺無参みたいな。
超人だから。
俺はやっぱりさ、煉獄さんみたいにね、一回生を生きていきたいですね。
煉獄さんはね、確かに俺も煉獄さんが死んだ時は泣きましたよね。
煉獄さんなんですよ。
鬼になればよかったね。
煉獄さん鬼になったら誰も泣かないからさ。
感動しないからさ。
やっぱりならないで、人として生きるっていうのがあります。
じゃあ切なさを持てている人は大事にした方がいい。
そうです。
じゃあ次のトピック。
スランプの克服
今日の目玉トピック。
結局スランプは治ったのか。
私たちはあの。
去年ね、エリーツという雑誌でスランプ特集というものを作りまして、
いろんなスランプからの脱出を探った結果、
みんなエリーツメンバーはスランプを脱出したということだったんですが、
あの後ですね、インタビューをした角田先生がですね、
私スランプじゃなかったわって言った中で、
ただやりたくないことがやりたくないだけだったの。
気づいたということで。
なるほど。
よかったよかった。
滝本さんはスランプから抜け出したとき。
もともと作ってるときにスランプじゃなかったので。
俺も気づいたことがあってですね、
俺もスランプから抜け出したような気がしてたけど、
人生そのものがいろいろ外部的要因によって停滞しているので、
そのいろんな悩みがですね、ノイズのように乗るんですよね。
自分にノイズがあるとですね、
録音機材からノイズが出てると、録音してもしてもノイズ乗るじゃないですか。
自己でフィルターで外さなきゃいけない。
そういう状態なんですけど、しょうがないと。
つまり、スランプはあります。
あるけど、スランプになることでスランプ特集を作ってるから、
それはある意味俺にとっては別に。
ノイズミュージックなの。
ノイズミュージック。
それでいいなと。
さっきの話にもつながるんですけど、
人間として生きて人間として死ぬから。
人間宣言ですね。
そう、人間宣言。
鯛がたきを鯛。
しのびがたきをしのび。
人間として生きる。
これがメロン先生の生きる道であり、
そしてこの放送がやられる頃には、
もうすでに情報が出てると思いますが、
10年も続いたディスクロニアの発表会がやっと出るっていうところで、
予定日を超過しても出ないのは何でだろうと前回みんな思ってたんだろうと思うけど、
アナウンスが出た前提で言うと、
言論さんから発売中止になりました。
何!?
10年間やったんですが。
10年間かけたライフワークがなんと途端場で中止になった。
いろいろな理由とか聞いていい?
理由は既にSNSで言われているかもしれないですけど、
内容的にちょっとこれは出すのが難しいなあ。
発禁処分じゃん。
どうしよう。書き換えたりちょっと動かしたりするって、
出すことはできるかもなみたいな提案はあったんだけど、
俺はもうこのまま出したいなと。
懸悦には屈しないみたいな。
自分で出しても別にいいなと思ったんですよね。
なるほどね。
そういうので自分の作品が何て言うんだろうなあ。
ある意味終わってんすよね、俺の中で10年だから。
10年って長すぎるから、
ここから1から書き直すよりも、
終わらせて新しいことをやった方が絶対いいんですよ。
サクッと終わらせたいので、
自分で出そうかなと思っているんですが、
自分で出すこともできるがちょっとまだ猶予があるから、
興味ある出版社さんで出したいってところがあれば、
募集していますと。
この放送を聞いている出版社の方、
メロンさんの10年がかりの大作。
パッとファイル送るんで読んでください。
すでに原稿は完成しています。
これで出したいという。
情勢本のハードカバーで出したいです。
情勢本のハードカバーで出してくださる出版社の方。
興味がある方は、
お連絡お待ちしております。
答えは今1月でしょ。
もう下旬でしょ。
2月上旬には答え欲しいですね。
もう面倒くさいんで早く作らないと。
文学売りまで売ろうと思っているんです、5月の。
なので5月の分売りに間に合わすためには、
入稿しなきゃいけないから。
3月にはやらなきゃいけないから。
2月上旬までにできればお便り。
だから会社の組織の上司のお伺いをさせて
うんたらかんたらみたいなのは、
もうそんなのは知らん。
その都合は知らん。
これは出すから。
というわけで、
どういった形で出すことになるかはわからないけれど、
今年中に読めるぞということで、
ぜひ素晴らしい中身の詰まった本になっている。
長いよ。
長いと思いますので、
読者の皆さんもう少しだけお待ちして、
メロンさんの本。
同時にね、文売りでは次のエリーズも出るしね。
そうですね。
そうなんです。
ちょっと忙しいですね、上旬は。
というわけで、
結局このように精力的に活動されているということは、
ある意味スランプは治った。
なんかでもさ、
こないだ俺リツイートしたけどさ、
ライターズブロックの話を海外の客本家がしててさ、
ライターズブロックなどというのは
XBOXとかがやりたいがために
みんなが作り出している偽物の山枝。
もう俺たちはやるしかねえんだ。
っていうような話があってさ、
やっぱ海外でもそうなんよな。
まあ僕はやるしかないではできなかったけれどね。
そうか。そういう人もいるな。
れんもとたかしいづめ。でもやるんだよ。
できるの?
でもやるんだよ。
でもやるんだよなんだよね。
できるのかな?
できなかったらもう死ねというしかない。
まあそういうやるからにはやるという方向性もあるけれど、
私的にはですね、もっとある種再現可能な感じで
着実にスランプとかクリエイティブなものの
ブロックみたいなのを取る方法を
私はすでにマスターしています。
伝授してほしい。
これを伝授してほしい方は
レイヤー1号まで。
1時間5万円。
5万円。
安い。
まあ安いもんだと。
5万円ちょっと高いかな。
5万円が今なら1時間1万円。
5万円が1万円すげえ。
たきもとのスランプ解消セッション。
1時間1万円。
通常5万円が今なら1万円で。
ちょっと5万円で
ペトロフレのココロのキャパシティがなかった。
5万円が1万円めちゃくちゃ安いこれは。
ただこれをスランプ解消セッションみたいなやつは
ある程度心をオープンにしないとできないもので
必然的に自分を
それこそ
例えばメロンさんだったら大事にしてる
切なさみたいな
手放されきれなくなっちゃうかもしれない。
それ嫌だな。
それは困ります。
かけなくなっちゃう。
やっぱり人生と結びついてるみたいなものなんです。
スランプってさえ。
人生と結びついてるとか
自分の抱え込んでる
何か大切なものみたいな
思い込みみたいな
ものが
なんかこんからがって
あれやこれやと結びついてたりすることもあるので
何かが
作品を作るタイプじゃなければいいかもしれないですね。
やっぱさ
思うんだけど俺さ
何かを
表裏一体だと思うんですよ。
フィルターみたいなものって。
でもそのフィルターを通して見た人生を
みんな読みたいと思っているんですよ。
小説って。
だからその取っ払って
無になったものって
あまり魅力がないというか
人間くささが冷えてしまって
これは
人間の成長とスランプ
一番よくわかるのは
格闘漫画に現れてる
戦わなくなるよね。
バガボンドを思い出してください。
バガボンドは最初
エゴの力で戦ってめっちゃ強い
ところがある時悟っちゃって
農業を始めるんだよ。
その後なんかね
気が抜けたようになって
そうだよね。
実際漫画もねそこは止まっちゃった。
いやそうだよ。
ワキを思い出してください。
ワキも最初エゴの力で戦ってたんだけど
だんだん悟っちゃって
なんか話がフラットになっちゃった。
そんな感じで
何か極めていくと途中で悟っちゃって
フラットになっちゃう。
重いものを手放して。
ところがね
人間は成長するってそういうことなんですよ。
どっかで昔の大事にしてた面白さを
手放さなきゃいけなくなっちゃう。
例えば
水っての温めると沸騰しちゃう。
沸騰すると水っていうシメっぽいものが
もっと機体のような目に見えないものになっちゃう。
どっかで想定にして
古い形を捨てなきゃいけなくなっちゃう。
これを
の境目に現れるのがスランプなんです。
今までの自分のままでいるか
どっかもっと新しい自分になりたいかってところで
生じる摩擦が人をスランプに留める。
その摩擦によって生じる熱によって
効かされた何かが
その中間地点にいるときに生じる苦しみがスランプだと
言っていいでしょうか。
この変化するかしないかの
もっと手前にいる人はスランプなんてないんですよ。
エゴをどんどん強くする段階だから
どんどんエゴを強くしていって
その人の愛のこだわりを強めていけばいい。
ところが
渋谷洋一か誰かがロッキー音で言ってた言葉で
ロックとは
現実と理想の間に生まれる圧力が鳴らすノイズの音だ
って言ってたのが
すげえかっこいいと思ったんですよ。
現実と理想の間に生まれる圧力が生む
その軋み音なんですよね。
それがつまり
悟りですね。
悟りのタイミングですね。
スランプの意味と前進する方法
軋みを捨てた世界に行くか
軋んでる世界に留まるか
軋みつつそのノイズを奏でるのがロックですよ。
ロックンロールしましょう。
ロックンロール
どこまで俺が言った話が伝わるかわからないですけれど
とにかく一つは
スランプに
というのを
比較に
ない状態にはできるという
しかしスランプによって
保たれてる何かもあるのかもしれない
なんで
スランプ特集
いずれ第二回も作りましょう。
スランプ特集は無限に続くよ。
俺はもうないけど
俺だけがスランプを必ず続ける
だってきついじゃんスランプとかあったら
きついよきついよきついよつらいよ
俺もつらい
つらいが
つらいがそれを生えてこそ
人生
そうするしかないということです。
そうするしかなくなくて
スランプを手放す方法はある?
でも俺の要因じゃないからさ
俺の抱えてる問題は
自分の内部的要因であったりするじゃないですか
まあでもそれをね
消化していくしかないですね
なんか
恐怖が大変な人のエッセイとか読むとさ
マジすごいなと思うよね
なんていうのかな
お札みたいになってるじゃん
なんかこう
世の中に不幸エッセイがいっぱいあるじゃないですか
いろんな大変だっていう
その中には大変さをそのまま出してるものもあるんだけど
なんかその向こうに突き抜けてる人がいて
もう受け入れようみたいな
現代の悟りみたいになってるんですよね
それはすごいなと思う
車窓を見てると
眠くなりますね
今緑の田園風景が車窓の向こうに広がっているんですけど
なんか懐かしいですね
車窓を見ていると
今までの自分の生活とは違う
新しい場所に囲まれていくそんな気持ちがします
朝食べたブロッコリーサンドが胃の中で気持ち悪いですね今
炭酸の飲み物が今飲みたい
しかし車内には売っていない
早く着かないか
ちょっと眠くなってきたんでこの辺で終わりましょう
じゃあ最後にケーキのいい感じで締めたい
ケーキのいい感じで
どうぞ
エリーツの新曲が出来かけてます今
ロックンロール
なんか結構いい気がしますよ
明るめのロックをやろう
そうというわけで
この後もエリーツとかね
みんなの新しい作品とかどんどん作っていくんで
そうだよ
機械の中に
この後も見たり聞いたり読んだりしてください
それではまたね
44:09

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