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Michael Hasegawaの聴くだけでゴルフが上手くなるレイディオ。この放送は幕張ゴルフ上達センター、アークゴルフの提供でお送りいたします。
ということで、聴くだけでゴルフが上手くなるレイディオなんですけれども、今僕のですね、ここまでの追い立ちをお話をしているということですね。
学びゼロの可能性ありますが、まあでも私がですね、ゴルフこうやって今があるという話をしていったらですね、なんかこう上達のきっかけがあるかもしれません。
ただですね、まあいろいろ聞かれることもあるので、ちょっとここでレイディオで話していきたいなというふうに思っていて、今はまだ高校生のところで話をしていました。
ゴルフを始めた同期とかね、そんな話もしてきました。
で、今日はですね、Hasegawaさん練習環境をどんどん整えつつある中で、高校2年の夏からゴルフ場でアルバイトキャディをやるというね、ことになるんですけれども、
これがですね、やっぱり僕を大きく変えたというかですね、これまたさらにですね、ゴルフ場で働くというのは皆さんわかると思うんですけど、
キャディ業務というのはものすごい体力も異常だし、メンタルも大変なんですね。
高校生ですからですけど、キャディをやるとですね、ラインを見て曲がるとか曲がらないとかね、あるわけですよ。距離をね、ちゃんと補足をして伝えるとか。
今みたいにさ、レーザーとかないですからね。ちゃんとヤーデジグイから補足してピンまでの距離をちゃんと伝えるみたいなことをやってたわけですよ。
で、あとはラインを読んだり読まなかったりしたりしてですね。
やっぱりね、本当にここはね、この高校時代の時にすごいこの社会経験というのはね、早めに積んどいてよかったなと思うんですけど、
まぁ後にこれが全く生きてないっていうことに、生きなかったっていう話に繋がってしまうんですけどね。
僕はですね、そんなこんなやってきたんですけど、やっぱキャディ業務ってね、めちゃくちゃ辛いんですよ。
で、なんでかっていうと、僕はほら、キャディでお金稼ぐ、まぁそう、ゴルフクラブ買うとかボール買うとかさ、
なんかゴルフにお金かかるからお金稼げるっていうのもまぁいいんだけど、
まぁやっぱり一番は終わった後にラウンドできるっていうのがあるんで、早く出て終わりたいんですよね。
なんで、もう結構ね、本当に遅い時間とかに時間つけられちゃったりするとめちゃくちゃ機嫌悪かったりするんですよ。
で、多分その顔に出てたりしたりしたんでしょうね。たおい態度とか出てたりしたんでしょうね。
めちゃくちゃ怒られて、だからそのなんていうの、キャディマスターとかに呼ばれてるのがめちゃくちゃ怖かったですよ。
この間下見せにあの、全然違うところで会ったんですけど、
まぁ向こうはね、覚えてなかった雰囲気なんで、ちょっと挨拶しちゃって言ってもなんか覚えてない雰囲気だったんで、
そこから先ちょっと話しながらしなかったんですけどね。
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そんなこんなでキャディ業務ってね、やっぱり理不尽なことも起きるわけですよね。
あのー、カップね、右カップいっぱいですとかね、カップ一個分切れますとかなんかやるわけですけど、
切れねえじゃねえかよとかね、なるわけですよ。
もうそれだけ強く打ったら切れないでしょとかね。
もうホクグッと思うんだけど、もう食ってこられてすみませんって言って、
もうこれね、いやもう本当にこれ、世の中だから本当にうちの子供たちとかもキャディアルバイトとかさせたいなと思うんだけど、
だから本当にね、ああいうのは先にやっといた方がいいんじゃないかなって思うんだよね。
まぁまぁそんなこんなでね、キャディの業務を覚えながらどんどん進んでいったわけですよ。
練習したいなっていうことで柴野家から打ったり。
キャディ業務の時とかはさ、これまたインストラクターになった今役立ってるんじゃないかっていうことがあって、
要するに何かっていうと、
だいたいですね、朝お客さんのクラブを確認して、
クラブ本数確認するじゃないですか、本数確認してティーグランドで、
今で言うティーングエリアでお客さんがクラブを持っている持ち姿で、
ああ今日この人スライサーだなとか、この人70代でもあるなとか、
ああこの方まだ150ぐらい打つなっていうのは、
もうなんとなく雰囲気でわかるようになったんですよね。
これ不思議で、ギャディさんやってる方だったらわかってくれると思うんですけど、
これね、多分今のインストラクターになってはですね、
結構このあたりって本当に参考というか、すごい良かったなと思うんですよね。
でね、あとボールなんですよ。
本当にボール問題で最初はもう本当にボールなんか買えないじゃないですか、当然ながら。
当時はツーピースがギリ出てきたぐらいで、
基本はまだマックスフライバラタとかいって、
バラタとか糸巻きの時代ですよ。トップするとボールが割れちゃってたりしたんですよ。
なんで耐久性めっちゃ悪いんですよね。
そんなんでボールなんか買えないんで、ギャディの時にはお客さんがボール曲がって山の中入ると喜んでボール探しに行ったんですよ。
もちろんお客さんのボールも探すんですけど、行くとやっぱりそこにいっぱいボール落っこってるんですよね。
それをしれっとボールを回収してですね、みんなで練習に使うというようなことでですね、
ギャディ業務をですね、本当に効率よく進めるようになってですね。
お金も稼ぎながらボールもゲットし、ボールの仕入れもするという練習環境も整える。
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この最高の環境だったんですけど。
そんな中でですね、ある大学生。
僕は高校でめちゃくちゃ下手だったんですよ。100も切れなかったですまだ。
100切れないのにプロになれちゃってるんですから。すごいですよね。
どんだけ勘違いしてるんだろうと思うんですけど。
みんな大学生の方とかもアルバイトに来てて、めっちゃかっこいい大学生いるなぁとか思って。
今、引っ込みジャンの長谷川じゃない、引っ込みジャンの徹也じゃないわけです、今。
練習所を開拓し始めたあたりで、これで飯を食っていく、この街を出ていくって決めた僕にとってはですね、
もう怖いものなかったんですね。
昔だったら絶対声かけられないと思うんですけど、めっちゃかっこいいお兄さんが2人いて、背も高くて、
なんかシュッとしてるんですよね。
2人でキャリーが終わった後に、練習にラウンドに行こうっていうところだったんで、
声かけて、すみませんけど一緒に回ってもらっていいですかって言ったら、いいよって言ってもらえて、
ラッキーと思って一緒に回させてもらって、
そしたら法政大学のゴルフ部の方でパーって打ったら、僕もめっちゃ飛ぶ方だったんですね。
もちろん一般アマチュアの中でも飛ぶっていうだけの話で、
もう基本僕より飛ぶ人ってあったことがなかったんですよ、その時点で。
そしたら一緒に回ったら感覚的に言うと200ヤードぐらい置いてかれてくる感じ?
もう狙ってるとこが全然違うんですよ。
ドックレックとか右ドックとか言うと全然違うとこ狙ってて、
マジかよとか思って、全然ものが違うんですよ。
で、自分の中で100も切れたことがないんで、
この人たち30代でもしかしたら回るんじゃないかって、
ラウンドできないんだよね。
ラウンドしたら終わった後の練習ラウンドなんで、
18ホール回れないんで、9ホールしか回れないんですよ。
なのでこの方たち30代で回るんじゃないかなと思って、
すいません、30代で回ったことあるんですか?って言ったら、
回ったことあるや。
ちょっと笑われながら何かそんなことやって、当たり前なんですよね。
当たり前に30代どころかアンダーパーで回ってるんですよ。
よくよく後々考えてみると、
その時一緒に回っていただいたのが、
その後ツアーでも優勝したリシード選手だった
井上誠プロっていうプロで、
飛ばし屋のプロだったんですよ。
で、一緒に回させてもらったっていう大学生時代ね。
で、その後深堀さんの後輩には当たるんで、
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井上プロがですね。
だからツアーに入ってからお会いしたんですけど、
僕のことは覚えてなかった雰囲気なんですよね。
なんで、その時の話とかは全く一切しなかったんですけど。
めちゃくちゃ高校生の時にショッキングで、
僕自分が本当に胃の中のカーズで、
俺全然ジャンボさんぐらい、トップんだてぐらいの勢いでいたんですよ。
俺は300ヤードの冒険者だと。
ジェイズメタルを使いね、中古のジェイズメタルを使い、
本当に勝ち上げスイングで、
僕はジャンボさんと同じぐらい飛んでるんだって思ってたら、
自分より感覚値200ヤード先っていう。
リアルに100とかそのぐらい置いてかれてました。
でも感覚的に100ヤード置いてかれるって200ヤードぐらいの感じなわけですよ。
でも本当そこでガーンってきて、
もうふざけんなよ、これもう全然通用しねえじゃんとか思って、
しかも30代で回ってるしとかね、
こっち105歳し、100切ったことないし、みたいな感じで。
でもふとそういうのを見た時に、
同志が湧いてくるんですよね。
でも俺もあいつじゃない、あいつじゃない、あいつじゃない、
今の間違いね、今の間違い。
大学生とかね、その頃にはそのぐらいになってると思うし、
俺は大学なんか行くつもりないからね。
みんなが大学でゴルフやってる間に、
俺はもうそこで研修生になって、
俺、研修生っていう制度知ってるんで。
仕事手伝ってお金稼ぎながら練習できる、
研修生って言うと俺知ってるんで。
授業受けてる間に俺上手くなりますから、
全然問題ないです、ぐらいの感じでやってたんでね。
意気がってましたよ。
それからいろんな人とぶつかり稽古っていうんですかね。
誰か見つけてはね、上手そうな人見つけては、
待ってください、待ってくださいって言って、
嫌だったと思うよ、向こうも。
多分俺めっちゃ下手だったから。
ただ下手だし、
みんな結構優しくやってくれたんで、
本当にその人たちに感謝しないといけないんですけど、
今会ったらみんな何やってんのかなって思いますよね。
だから一緒に回させてもらった方でプロになったのは、
井上さんだけですかね、ゴルフ場では。
いろんなこんなでやってたわけですよ。
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平日はですね、毎日練習場。
朝起きて学校行って、練習場行って、練習場でご飯ごしそうになって、
夜家帰って寝て、朝起きて。
このぐらい平日やって、
土日はキャディがあるときは、
そっちのゴルフ場にアラバイトキャディに行くという風になったんですよね。
そこでですね、僕が初恋をするわけですよ。
うつつを抜かし、これで飯を食っていくと。
これで飯を食って、なんとかって言ってるのに、
急にああいうところで大人の世界に入っていくと、
なんかそういうのもあるんでしょうね。
あそこで初恋をしてですね、
当時キャディさんだった人なんですけど、
新卒で入ったのは18歳くらいの石川さんという方なんですけど、
めちゃくちゃかわいい人で、
なんか初めて話がしたいこの人だと思ったんですよね。
やっぱりそこは今無双状態ですよ、ゴルフにおいても。
負けても200ヤード間隔地で置いてかれても、
スコアで20打負けてもハーフでないですね。
ハーフで20打負けてもね、30打負けてもね、
いや今は俺だけど3年後違うからちげーし、
とか思ってたんですけど、
それ無双状態っていうのはゴルフだけでですね、
気持ち悪い。
女子っていうことになるのはですね、
全くのまだ見えないんですね。
いや話したいけど話せないみたいな感じになっちゃうんですね。
まあまあみなさんもわかると思いますけど。
やっぱりあるわけですよ。
あるわけですよ。
それで当然向こうはもう社会人ですから、
で僕はもう高校2年生とかそんなもんですからね。
向こうからしてみたらガキですよガキ。
で話したいけどなんだかんだその時はね、
キャリー終わった後に練習で一緒に回ってくれる人いなかったから、
自分一人で担ぎでね、こう自分一人で回っててやってたんですけど、
売店に何か売店ってコース売店って昔人がいて、
今ほとんど人がいなくなってますけど、
そこにジュースとか補充にしに来る仕事もあって、
それキャリーさんがやってたりするんですよね。
でそこに司会さんがいたんですよ。
で初めて二人きりだったんですよ。
もうこれチャンスだと。
お疲れ様です、お疲れ様です。
頑張ってるねみたいな話で。
もうなんかこっちはなんかいろいろ喋れないですよね。
じゃあ行ってきますみたいな話になったんですけど。
なんかね、すごいね。
なんていうのかな。
その時になんか向こう、携帯電話が出始めた頃。
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出始めた頃で、しもしもーの大きいやつじゃなくて、
若干もう折りたためるぐらいの携帯が出始めた頃で、
一般の人たちも持てるぐらいの時代だったんですね。
でその石川さんはもう携帯を持ってたんですよ。
いや携帯の番号を教えてほしいですねぐらいの感じで言ったら、
いいよってなったんですよ。
え?って思って。
そんな簡単に?そんな簡単に教えてくれるの?女子って。
ね、と思って。
でもそこで聞いて、
もうそこからそこから湧いてなかった。
そこから4,5ホールはもう完全に身が入りませんよね。
もうそこからもう本当に待って、この電話だって言ってたんですけど、
電話番号をもらってもですね、
当然僕はもう携帯電話なんか持ってないわけですからね。
でましてやね、これね、家の電話からね、
当時ね、家電から携帯電話にかけるなんて言ったらですね、
もう電話代が大変なことになるのは子供でも分かってました。
自分のね、あれでも分かってましたから、
これ電話したらバレるよねっていうのもあったから、
電話番号知ってるのに電話かけらんなかったんです。
まあだからまあそれで多いんだけど、
でもまあなんかよし今日はでも話しかけられたみたいな感じで、
今度毎回ね、もうゴルフ場に行く時にそのまあ練習できるっていうのと、
石川さんに会えるっていうこのモチベーションだけで僕は、
高校3年生までですね、頑張ったっていうかね、
頑張ったっていうのが何なんですけど、
本当にそのピュアな気持ちでありましたよ、本当に。
毎回それ上突いてるよね。
もうちょっと身が入ってない。
もうちょっとちゃんと練習しておかないとと思ってるんだけど、
なんかね、売店にいたらまた今日もいるんじゃないかなと思うけど、
いないよね、そんなタイミングよくね。
本当に奇跡のあれだったから。
でもあの石川さんだけはね、
ちょっとね、不思議っていうか、
今思うとすごい天然な人だったのかもしれないですよね。
まあでもその後ね、これはちょっと高校生編なんでもうそれで終わりなんですけど、
とにかく何もないんですけど、ただお話ができたっていうだけなんですけど、
僕も車の免許をその後18歳に取った時に、
何かね、1回か2回くらいデートしたような記憶がありますけどね、
それ以来も何もないんですけど、
いい思い出なんですよね。
なんかその高校生のモチベーションとして、
なんかこうコース回れるっていうことと石川さんにもしかしたら会えるっていうのがあって、
なんかそういう感じでね、
純粋なのか不純なのかはよく分かりませんけれども、
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そんな高校時代のゴール上の練習でした。
そんなこんなやってるうちにですね、あっという間にですね、
本当に平日練習で、もう本当に休みなくやってましたから、
日曜日はコースにアルバイトに行ってやってたんで、
あっという間に高校3年間が終わろうとしたんですね。
で、進路ってなった時に初めて僕は、
親もね分かってたと思うんだよね、そこまでやってるから。
だから俺はどうしてもプロの世界に行きたかったんで、
就職はしないって決めてたんですよね。
で、なんとかって言った時にまたいろいろひと紋着があって、
どうやって入るとかなんとかも含めて、
なんかですね、そのあたりの、この機論のところですね、
人生の機論でですね、またいろいろな問題が出てくるわけなんですよね。
これはまたちょっと次回話していきたいと思いますので、
次回に続くというのもよろしくお願いします。
そんなわけで今日もいってらっしゃい。