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2025-01-08 31:42

【異分野トーク】自分の役割の見つけ方【ゲスト:元サッカー日本代表MF・羽生直剛/元Jリーガー・曽田雄志】[#025]

【異分野トーク】

さまざまなジャンルのゲストをお招きし、その活動や経験から学びのヒントを探っていきます。


<今回の内容>

  • 羽生選手の経歴
  • 自分の役割の見つけかた
  • 反骨精神はどこから?
  • 羽生選手の決意

<出演>

桜井陽(NIKKEIリスキリング編集長)

羽生直剛(元サッカー日本代表MF)

曽田雄志(元Jリーガー)


<メッセージフォーム>

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00:00
聴くNIKKEIリスキリング
はい、こんにちは。NIKKEIリスキリング編集長の桜井洋です。
この番組は、変わりたい組織と成長したいビジネスパーソンをガイドする
NIKKEIリスキリングに掲載した記事を深掘りしたり、
ビジネスパーソンの学びに役立つ話をお届けしたりするポッドキャストです。
編集チームのゲストの方と、ちょっと横道もそれながら
ビジネスに役立つ楽しいリスキリング情報を提供いたします。
今回はですね、アスリートの方をお招きして、異分野の方をお招きしてですね、
ビジネスパーソンにとっての学びのヒントを探る異分野トークシリーズです。
一緒にお話を聞いていくのは、元Jリーガーでコミュニティエディターの
曽田裕司さんです。曽田さん、よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
コミュニティエディターの曽田です。よろしくお願いします。
ありがとうございます。
噛んだかな?
噛んで大丈夫です。
そして、本日のゲストです。元作家、日本代表ミッドフィルダーの
羽生直徳さんです。羽生さん、よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
ようこそお越しいただきました。
ありがとうございます。
お二人の関係はとても深いと伺いましたけれども、どんなご関係なんでしょうか。
深からず朝からですね。
深からず汗かくす。
そうですね、私が大学2年生になった時にその大学に入部してきた
筑波大学の後輩の羽生さんですね。
はい、曽田さんの後輩です。
先輩なんですけど、やっぱりいじられキャラを、やっぱり僕も
その後ずっと過ごさせていただきましたね。
いじられキャラっていうか。
後輩かいじられキャラ。
曽田さんが独特すぎて、僕はこういう感じなんで、たまに絡ましてもらったりするんですけど、
マジで独特だったんで。
マジで独特だったの?
今でも独特。
同級生からも言われるし、後輩からもそういうような感じで言われてますね。
ただ、若干自分は孤独感を感じてましたけど。
僕もそうなんですけど、だいたいサッカーで入っていく選手たちも多いんで、
そこの入り方も全然違うんで、曽田さんだけ。
一般で入ってきて、気づいたらサッカーのそのいわば、僕らは全国一位とかなるような大学のサッカー部のトップチームにいる人だったんで、
もうちょっとおかしかったすみません。
いい意味でも悪い意味でも、全然違った人だったっていうか。
全然違った人ですね。
この辺りはね、おいおい、またもう一回やりましょうか。
曽田さん回。
そうですね、裏番組的に。
不公正的に。
ぜひ。
そして本日の主役、羽生直徳さんですけども、簡単に紹介だけさせていただきます。
千葉出身なんですよね。
千葉ラブをすごく至るところで感じます。
授業の内容とかもあとで出てきますけども。
で、筑波大学でその曽田さんと一緒にサッカー部でされてて、で卒業後に2002年ですかね、
03:03
JFユナイテッド、当時市原千葉でしたね。
そうですね、はい。
に入られて、そしてその翌年2003年ですかね、ユーゴスラビア代表を率いた名将、イビチャ・オシム監督が就任されて、
そこでこうなんというか、自身の中のいろいろ変化とかブレイクがあったかなと思いますけど、
2006年ですか7年ですかね、日本代表に行かれて、でJFユナイテッド、そしてFC東京。
またJFで最後活躍されて、で2018年1月に引退され、16年間で500試合。
公式戦がそうって言ってくれてますね、もう数えたことないですけど。
という方でいらっしゃいます。
500試合はなかなか出れないですよね。
500試合ですよ、500試合。
奇跡でしたね。
で前半のですね、お話の大きなテーマは、自分の役割の見つけ方というところを深掘りしたいと思ってます。
キクニックリスキリングの視聴者の方は、リスキリング、学び直しをしたい。
ということは学び直しをして、自分のポジションを少しでも良くしたいとか、
新しい仕事に就きたいとか、いろいろ考えてらっしゃるんですけども、
日々仕事する中で、自分ってどういうポジションでどうやってやっていくのが、
うまく仕事を回せるポジショニングのコツなんだろうと、
結構悩んでる方もいらっしゃって、今ここのポジションにいるけども、
こっちに移りたいからリスキリングしたいとか、結構考えてる方が視聴者の方にいらっしゃるんですね。
勝手にそのいろいろウェブのメディアとかを私が見た中で、
羽生さん自分のこの役割の見つけ方が、きっと抜群にうまい方なんじゃないかと、
勝手に仮説を持っておりますけども、この仮説はいかがでしょうか。
そうですね、ポジショニング。何を話せばいいのかなんですけど、
僕は逆に言うと、サッカー選手で言うと、身長がめちゃくちゃ高いわけでもないですし、
お前サッカー選手になれないって小さい時から言われたし、
もちろんこの人がサッカー上手だなって思う人もたくさんいたし、
その中で自分は何ができるのかっていうところを、何が得意なのかというか、
ところは少なからず意識してました。
なので、例えば戦術理解能力が高いとかって言われてたんですよね。
ってなった時に、この監督がやりたいサッカーは何であり、
自分のプレースタイルをどういう風にはめればポジションを取れるのかみたいなのは、
意識はしてたかもしれないですね。
06:04
今おっしゃったように、なかなか体も大きくないとか、
サッカー選手になれないっていうのは何かあるですか?スピードとか。
そうですね。めちゃくちゃ強さみたいに体が強いわけでもなければ、
持久力っていうか長く走れるっていう能力だけは、ある意味上の方だったかもしれないですけど、
別に技術レベルで言うと、僕が都内都心の世代って、
それこそ1個目に中村俊介さんとかいたり、遠藤ヤットって言われる選手がいたり、
小笠原光雄とか本山とか、1個下に中村健吾とか、
僕がやってるミッドフィールダーって、ある意味天才みたいな人がずっとやってる中で、
なんだろう、自分は、まあそれこそオシムさんの影響が大きいんですけど、
お前なんでそうやって人と比べる必要があるんだみたいな。
お前にはこういうことができる、こういうことができる、こういうことができるみたいなことになって、
要はお前体小さいのはわかるけど、だとしたら90分間体ぶつけられるなみたいな感じに、
言われるような選手だったんです。
でも大前提は、ちっちゃすぎて無理だとか、その能力じゃ無理だとか、
もっと上手いやつがたくさんいるみたいなことをずっと幼少期から言われてたんで、
勝手にそれを逆に言うと自分の中で変なインプットというか、
押しちゃってた面もあるかもしれないですけど、
ベースは普通に考えたらお前届かない、
なったとしてもプロのサッカー選手になったとしても、
3年ぐらいで終わる選手だって言われてました。
その中での逆転の発想ですよね。
これすごい聞きたいんですけど、大学時代一緒にやってらっしゃった曹さんから見ても、
この辺りってどういうふうに。
彼が幼少期の時の話はあまり聞いたことないし分からないんですけど、
でも応援にしてよくある話でもあるのかなと。
やっぱり誰もが経験してないこととか、
パッと見の表面的な情報だけで、
割とそういう思い込みとか決めつけみたいなのってあって、
そういう何気ない言ってる人もいたと思うんですけど、
やっぱり少年の夢を奪ったり、
そういうこともある中、
でも反映はたぶん羽生くんが言われた時の悔しさだと、
やっぱりそうだよなって自分をちょっと変に受け止めて弱くなっちゃう部分から、
どうメンタル的にどこで逆転したのかっていうのはすごく気になりますし、
大学生に入って一緒にやった時は、もちろん筑波でも優勝の選手として来てましたし、
一緒にプレーしても僕よりは当然うまいしプレースタイル違いますけど、
本当にチームにとってすごく重要な選手だったので、
その辺でもすでに逆転のもうマインドになってたのかどうなるかっていうのは、
ぜひ聞いてみたいですよね。
確かにそうですね。
たぶん今日タイトル的には羽生さんの逆転のポジショニング的な、そんなタイトルで。
かっこいいですね。
逆転のポジショニング。
大学時代、どこからさかのぼるとお話しやすいですか。
09:00
高校、大学。
そうです。でも、高校も。
僕は小学校、高学年ぐらいになった時にはサッカー選手、
もともとちっちゃい時から小学校1年生ぐらいはサッカー選手になりたいとは言ってたんですけど、
例えば小学校5、6年生ぐらいになると、
いやどこどこの小のあいつの方がうまいとか、
この中学校でこいつの方がお前より全然うまいとかって言われてたんで、
今その反骨心みたいなところで言うと、
どこで生まれたかっていうのはわかんないですけど、
逆に言うと、あ、なれないんだ、なっても3年なんだって、
例えば初め言われた時に、さっき曽藤さんがおっしゃったように、
あ、俺なれないような人間なんだって思ったんですよね、1回は。
で、その時に、じゃあなれないって決まった時に、後悔だけはしたくないなって思ったんです。
その、なれないっていざ決まった時に、
あの時あれやっとけばよかったとか、あの時手抜いちゃったなとか、
手を持ったら後悔はするなと思ったんで、
だとしたら1日1日を全力で生きようみたいなところにフォーカスしたっていうか、
この全力をどんだけ積み重ねることができたら、
それができればある意味なれなかった時に、
頑張ったって思える、胸張って言える状態の方がいいなって思ってたんで、
そこにこう考え方を、今に持ってったみたいな感じかもしれないです。
今を全力で生きたかを、その1日が終わった時に、
自分に問いただすみたいな、そういうのを、
あ、今日はなんかあそこサボっちゃったなって思った時に、
すごい罪悪感を持つような人間になったのか。
すごいよね、そのカルペディウム、今を生きる精神っていうのは、
それがいつぐらいの?
だからもう慣れないとか、
小学校と中学生ぐらいっていう?
うん、高校とかもそうかな。
早いですよね、そういう、要はなんか人生観っていうか、
自分の人生っていうような捉え方で、
まあ幼少期って特に考えないわけじゃないですか、今なので。
なので俯瞰した上で、その上で今を大事にしなきゃいけないみたいな、
まあある意味、大げさじゃなくて本人の中の決意のようなね、
どこかあったんじゃないですかね。
それは本当、話しながら考えたのは、
確かに大学2年生の時にやっぱもう無理だって一生思ったんです。
もう周りの先輩たちも、
いや分かったハニー、ボール扱い上手いのは分かったけど、
お前もう吹っ飛ばされるだけだから、
そんなボール持つなとかって言われて、
要は体格の差も決まり、
ああもう僕は体大きくならない、
他の選手はでかくて、大きくて、スピードがあって強いとかってなった時に、
ああまあそう言われたとしたら無理かもみたいなとこあったんですけど、
そっから余計に、
じゃあやっぱりまあ全力でやってみようみたいな、
大学の後2,3年しっかりやって、
12:01
答えはその後見てみようじゃないですけど、
そういう感覚には、今の話でいうと大学ぐらいが一番それを強く決意したのかもしれないですね。
大学2年で僕は3年で、
僕もワードの選手になってレギュラーになった年だったんですよね。
そのシーズンはほとんどの試合で勝ってたし、
タイトルも取ったし、
だからなんかハニーがそういう悩みのもとやっていたっていうのは、
その時は僕はあんまり感じてなかったですけど、
ただそのプレースタイルとして、
やっぱり技術高い選手はボールを持ちたいって、
ドリブリで剥がすとかかわすとか言いますけど、
でもそのボールを持ちたいというのは、
でもそのボールを持ちすぎるみたいなことと裏腹でもあるので、
そこから割と叩いてまたもらってとか、
そういうプレーが増えてたんだとすると、
そこからの成長っていうのは、なるほどなって今感じますよね。
さらなる成長が多分あったんだろうなと思うんで。
その強烈なさらなる反骨心、
いろんなものを基づいた強烈な成長があって、
で、プロになれるかどうかっていうのは、
これもまた別の次元の話かなと思うんですけど、
プロにやっぱり2年生がいなきゃなれないんだろうなと思ってて、
3年生で、
そういうことを曽我さんも含めてレギュラーとして試合出させてもらっているときに、
4年生の曽我さんたちの代がプロに行く人たちが結構多かったんです。
それが言葉を選ばずに言うと、
正直この選手も行く、曽我さん違うんですけど、
この選手も行くんだっていうのが僕の中ではなんとなくチラホラいたんです。
この選手もプロになったんだ、この先輩もプロになったんだっていうのを見たときに、
いやだとしたら自分はもう一回行けるんじゃないかみたいな、
もう一回ネジを巻き直したというか、
3年の途中ぐらいから先輩たちの進路が決まってて、
一緒にやってるあの先輩もこうなんだってなったときに、
もう一回自分で最後、掴み取りに行く作業をし始めたっていうのがあったらしいです。
僕たちの年代だけで8人入ったんですよ。
僕はずっと試合出る立場でしたけど、
そうじゃないベンチで途中交代の参加みたいなことが多い人もプロに入ったりしたんですよ。
J2とか。
確かにすごい世代だよなと思って。
ベンチの人がプロに入るなんて普通あんま考えられないじゃないですか。
それぐらいある意味つけば何回かある黄金世代的なタイミングだったと思うんですけど、
チームが強くないと自分の活躍なかなか評価されないこともあると思うんで。
そういう影響を我々世代のメンバーで追い越してたとはそれも知らなかったですね。
すごい思いましたね。
身近な人がこんなに行くんだっていうのはあったんで。
オリンピック理論というか9秒出したらみんな出すみたいな感じなのかもしれないですけど、
目指していいんじゃないかって自分でもう1回思えたのかもしれないですね。
15:01
組織論としてもすごく面白いですよね。
この人が行けたんだったらってそうやって結果って出てきますもんね。
それぐらいやっぱりマインドセットっていうか思い込みっていうかその辺って本当に大事だし、
なので開放する。自分の価値観でやっぱり自分の人生を捉えるみたいな開放ってすごく大事ですよね。
あとはじゃあこの先輩たちがプロになっている人の多くはどこを経由してんだろうって思ったときに、
大学選抜には必ず入っているとか、なんかそういうのを自分なりに分析とまでいかないですけど、
こう考えたときにもう1回ここに入ることは努力しようみたいな、
なんかそこが物差しになるような気がしたんで、もう1回そこの大学の日本代表みたいな立ち位置なんですけど、
そこにはもう1回挑もうと思ってっていう感じかもしれないですね。
だからそのポジショニングね、今日逆転のポジショニングっていうタイトルですけど、
そのポジショニングを得るための何ですかね、指針がすごく明確だったっていうことなんですかね。
それをちゃんとキャッチできた。
そうですね、ポジショニングっていう話がそれでいいのかなとは思うんですけど。
そうだね、多分ポジショニングっていうのはゲームの中でのどう位置ポジションを取るかってことと、
あと今後例えば役割のこととか、自分の与えられた役割に対して自分がどう応えるかとか、
自分の理想像を叶えるためにどう自分が変化していくかっていうことも多分含むとは思うんですよね。
その上での多分そのマインドの部分を今話してくれてるのかなと思うんですけど。
今の言うと変化みたいなところは、僕それこそチームに必要とされているプレイをしたいだけなんで、
例えばドリブラーって言われる選手が、いやお前ドリブルすんなよって言われたら、
嫌だよって言うと思うんですよ、そのプライベートっていうか。
いや俺このプレイスタイルこれでいくよみたいな。
それのドリブルが行ききれない選手は、中途半端なドリブラーみたいな選手は、
たぶん乗機並み消えていくと思うんですよ。行ききれないドリブラーって。
ってなった時に僕はそこまでこれで必ず勝負するみたいなことより、
あるいはいろんなことをいろんなクオリティで出せるみたいなのが、
どのポジションもできるとか、そういうことだったり年代と合わせて自分のパフォーマンスと合わせて
プレイスタイルを変えるとか、なんかそういうのは意識してたかもしれないです。
今持ってるものでどうやってこのチームを勝たせることができるのかとか、
僕が試合に出場できることがどうやったら叶うのかみたいなのは考えてましたね。
会社組織の中でも自分の役割をきちんと認識できるかって、
活躍できるかどうかなんてか、もうコア中のコアのとこなんですけども、
それができてらっしゃったと思うんですよ。
18:00
これ聞いてらっしゃる方、なかなか会社の中でどうやって自分の力を発揮したらいいのかって
分かんなかったりもするんですけど、今の羽生さんのお話からヒントを抽出するとなると、
どのあたりにありますかね。
なんかやっぱり自分がやりたいと思っていて、今できてると思っている役割が
自分が思っているよりも成果が出ていないってことを客観的に知ったりとか、
最初は驚きとか不安とかいろいろ気持ちあると思うんですけど、
それを挽回するためにそこの狂い手を挙げようっていう考えが一つあると思うんですよね。
今やってることの。なんですけど今羽生くんが言ってくれたように、
他のことでも貢献できる可能性はないかとか、
他のもので補填することはできないかみたいな考え方。
これって結構人の考え方って割と固定化されることも多いので、
初めてのことを今からやったってもう遅いとか、
これは間に合わないとか、そんな時間ないとか、
なんかやらない理由が先行することが多いと思うんですけど、
いきなり成果につながらなかったとしても、
例えばほんのちっちゃなことでいいから違う、ちょっとチャレンジをしてみるとか、
例えばサッカーとストロークスを言うと、ドリブルがね、
ボールもらって5回中4回ドリブルしてたのを1回減らそうかなとか、
パス先行にしてみようかなっていうような小さなことでも、
マインドに染み渡ってくるようなことってあると思うので、
組織内でポジション変わるみたいな大胆なことはしづらくても、
自分のマインドにパラレルな感覚を持つみたいなのは、
すごく重要なんじゃないかなと思いますけど。
ちょっとだけアンラーニングっていう言葉がありますけども、
ちょっとだけなんか自分が今まで固執してきたものをスッと捨てれる、
全部捨てちゃう必要はないですけど、
ちょっとスッと捨てれる人って、
本当にリスキリングうまくいくし成長できるんですけども、
なんかそんな感じをすごく受けました。
たぶんその下地があったから、
後々オシムさんと出会って、
あとのポリバレントっていうね、
僕ら誰も知らなかった、そんな言葉あるんだみたいな。
ポリバレント。
まあ複数のポジションをこなすことができる、
非常に別チームにとって必要な選手っていうのを身に付けらしいんですけど。
そうですね、あと10分ぐらいの残りなんですけど、
じゃあオシムさんと出会って、
じゃあ今おっしゃっていたような、
もともと持っていらっしゃった、
学びに対するこの鋭敏な感度とかもあると思うんですけども、
自分の役割の見つけ方っていうのがオシムさんと出会って、
どういうふうに変化してきたかっていうところはいかがでしょう。
今の話もたぶん続くと思うんですけど、
オシムさんってやっぱチームが勝つことから逆算して働いてくれっていう感じなんですよ。
サッカー選手個人事業主の集まりなんで、
ある意味数字で何分出た、何点取った、何アシストしたとかって最初に測られるんですけど、
オシムさん、例えばですけど僕がスタメンで出て、
21:01
後半20分ぐらいに、ハニーまだ走れるのかって言われた時に、
僕は90分で評価されると思ってるんで最初の最初は。
大丈夫ですって言うんですよって言った試合があって、
でその後にオシムさんって明確に自分が相手チームにこの選手を見なさいっていう、
マークするべき人を決めてるんで基本的には。
でその僕がマークすべき選手をその後外してたらベンチで激怒なんすよ。
でお前はまだやれるって言ったから俺扱ったのにやれてないじゃないかって言うんですよ。
でそういうやり取りをした後に呼ばれて、
でなぜお前はその90分出ることにこだわろうとしてるんだって。
20分でお前は一生懸命プレイして新しい選手と交代して、
でその選手がフレッシュな状態で要はハニーからバトンを受け取ってプレイして、
チームとして勝てればそれがいいことなんじゃないのかみたいな。
無理ですっていうのもできませんっていうのもプロだとかって言われるんですよ。
で要はチームの勝利から逆算してくれっていう話と、
じゃあ仮にお前が後半20分で要は交代したからって、
俺はお前への信頼度は変わらないみたいな。
前半からお前がしっかりプレイしてくれてるから全然そんな評価を変えるつもりはないみたいな。
みたいなことを言ってくれた時に、その正直さだったりっていうのをすごい大事にしようと思ったんです。
で要は役割としては前半からチームをリード、最初からのトップスピードでチームを引っ張っていって、
相手を混乱させて、もし後半途中できつくなったんだったら変われと。
それでお前に対する評価俺は変えないかなみたいな。
そういうのを言ってくれる上司だったんで。
何でかつ僕が何点も取る選手はないにせよ、
必ずチームにはポジションを渡して、ほとんど多くの試合を渡してくれて、
なんなら僕って攻撃的なミッドフィールダーっていう攻撃的なミッドフィールド中盤の選手だったんですけど、
この選手にハニオン以外のもっといい選手がいたとしても、どこかで使いたくなる選手だって言ってくれたんです。
違うポジションでも。
だから要は点取るような、ある意味点取ってもおかしくないようなポジションに僕を置いてたんですね、寄与してたんですけど、
ここにもっと点取れてもっとある意味攻撃的な選手がいたとしても、
ハニーはどっかのポジションで違うところでも使いたくなるような選手だって言われたのは、
僕への評価というか、そういう見立てだったと思うんで。
で、なぜならここのチームっていうところが、その時のジェフっていうクラブ勝つことからみんながプレイしてたんで、逆算して。
っていうのが、点取ってない僕を認めてくれてたっていう意味合いと、
24:00
なんか別に全部出なくたっていいし、なんならこのチーム全体の勝利であり、みたいな話をずっとしてくれる人だったんで、
なので、数字とかにとらわれなくて済むっていうか、っていうマネジメントをしてくれた人なんだろうなと思ったんです。
おしむさんのハニーさんへの評価って、ご自身はそういうもんだな、そういう選手だなって自己評価されてたんですか、もともと。
もともとは違かったですよね。
だからサッカー選手、さっきほども話した通りで、何点取って攻撃的な選手はこんぐらいの得点に関わって、
1年で試合何千分のうち何分出たのかとかっていう評価されちゃうんで。
そういうふうに思ってらっしゃったってことですね。
思ってました。ただ、おしむさんが来てからそうじゃないんだっていうのを、
おしむさん、ある意味は後にも先にもおしむさんぐらいなんですけど、
そういう。
そうです、そういう監督っていうのは。っていうのが、要はここのチームがこうありたいっていうところから、
逆算して自分をちゃんと正直に振る舞いなさいみたいな。
みたいなのは、僕も会ってからですし、それが強烈なインパクトだったのかもしれないですね、それで言うと。
だから、自分でその良いポジション、自分にとって良いポジションを自ら探すっていうことももちろんなくはなかったと思うんですけど、
やっぱりこのおしむさんとの出会い、強烈な信頼関係がそこにあって、
それをおしむさんが最初に作ってくれたみたいな。
そのおしむさんの期待に応えたいって気持ちが多分あったと思うんですよね。
おしむさんの個人の気持ちに応えたいって気持ちと、
でもそのおしむさんはチームってことを最も尊重してるから、
おしむさんの気持ちに応えたいってことはチームの気持ちに応えるってことでも多分ほぼ当てはまると思うので、
そうなった時の自分の役割って何だろうみたいな。
本当に非常に有機的な循環的なマインドだったんじゃないですかね、それはね。
本当ですね、自分の役割が何だっていうのは本当に良い上司の中で見つけられたけど、
でも良い上司に当たらなかったりするじゃないですか。
その中でどうやって自分の役割。
多分そうっすよね、僕らで言うと監督が変わったりコロコロ変わった時期も経験しましたけど、
そこで自分がこの監督がどんな選手が本来好きなんだけど、
自分はそれにもし当てはまらなかった時に、
どこだったら貢献できるのかとか、どこのポジションだったらまだチャンスがあるのかみたいなことを考えるっていうことなのかもしれないです。
で、そこで足りないスキルみたいなのがあるんだとしたら、それを上げていくしかないと思うんで、
そこの領域のこのスキルだけは絶対上げようとか、
守備力がないとこのポジションでは使ってないなとかって見えた時には、
27:02
やっぱそこの守備のところはある意味その物差しに乗るぐらい強化しなきゃないわとかって思ったこともあったっすね。
一つは、いいサッカー選手でどの監督になっても出てるっていうのが一つだと思いますし、
自分のもう飛び道具でそこを突き抜けていくのか、ある意味その柔軟性によって、
サッカー理解とかそういうことでポジションを取っていくのかみたいなのが、
ある意味どっちかかなって思ったりもしますけどね。
サッカー理解のほうで勝ち取っていくというほうが、
多くのビジネスパーソンにとっては、そうだよなってやっぱり思うと思うんですけど。
組織の理解をきちんとして、マネージャーとしてですけどね、
例えば社長がこういうふうに言ってるってこっちの方向だと、
それをきちんと理解をしてやれる人間がその中では、もちろん組織の中では活躍できます。
一方でなんていうか、そこにモヤモヤも結構あったりして、
あんまり割り切れなくて、役割を、自分の役割を見つける前に、
どうもこうなんだろうな、やりたいこととは違うなってどっか行っちゃったりとか、
腐っちゃったりだとか、なんかそういうふうになりがちでもあって、ここはそうですね。
サッカー選手とビジネスマンの大きな違いは、サッカー選手は仕事でありますよね、プロなので。
なんですけど好きなことをやっているという大前提があるので、
やっぱり好きなことをやれている仕事を手放したくないし、
やっぱり1年でも長くプロでやりたいと思っている人が多分ほとんどだと思うんですよね。
だけどビジネスマンの方って、そういう方も中にいるかと思いますけれども、
その組織の中で自分の役割があって、それをやらざるを得ないというようなね、
認識を持たれている方もいなくはないと思うんですよね。
そういう方の場合はやっぱり根っこが違うので、
なので何かしら自分にとっての喜びを仕事の中でまず見つけようとするという努力が必要だと思いますよね。
それと結局どうしたいかみたいな話になってくるような、
何を得たくてそこにいるのかとか、
その組織内で働いているのかみたいなことだと思うんですよ、僕も。
例えば僕、引退して2年間FC東京っていうクラブのスカウトっていう、
いい高校生といい大学生を入れるっていう仕事をしたんですけど、
ある意味結論あんまり楽しくはなくて、
時間で評価されるような面もあったんです。
要は9時に来て、夕方までいて、こうやってやってとかっていう仕事をした時に、
全然僕には合わないなと思ったんです。
30:02
その時にやりたくないこととかめっちゃ書き出したんです。
こういう仕事をしたくない、時間にはとらわれたくない、
土日は子供たちといたい、家族といたいとかめっちゃ書き出した時に、
これできる仕事ってなんだろうと思った時に、
自分でやるしかないわみたいに思ったんです。
そっちに選ぶしかない人間なんだまずはっていう。
これが仮に失敗したとしても、それは自分で決めたことだし、
それこそ受け入れようと思って。
っていうので言うと、僕はそこを手放す勇気というか、離れる勇気みたいなのは、
ある意味自分で決めちゃってるのかもしれないですね。
自分にとってのチャレンジみたいなことを。
これ自己理解の話。
これ自己理解の話かと言うと、ちょっと後半、今の。
なんで手放してやりたくないことをこれこれこれって、
それで今これをやってますって話に後半繋がっていくかなと思いますので。
あえてちょっとまだお話ししたいですけど、ここで。
残念ですけれども。
いやすいません話が長くなってきて。
すみません、1週間皆さん待っていただいて、後半聞いていただきたいと思います。
では前半ここまでにさせていただきます。
大分日経理スクリーニング編集長の桜井洋でした。
戸瀬大輔さんと羽生直徳さんにお話しいただきました。
後半もお付き合いいただきます。
ではここまでです。
ありがとうございます。
31:42

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