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2024-11-13 41:50

【異分野トーク】ラグビー元日本代表主将 菊谷崇さんに聴く「学び続ける力」【ゲスト:元ラグビー日本代表主将・菊谷崇/元Jリーガー・曽田雄志】[#018]

【異分野トーク】

さまざまなジャンルのゲストをお招きし、その活動や経験から学びのヒントを探っていきます。


<今回の内容>

  • チーム作りのステップは?
  • キャプテンとしてステップアップできたときは?
  • コーチングを学んでよかったこと
  • リスナーにメッセージ

<出演>

桜井陽(NIKKEIリスキリング編集長)

菊谷崇(元ラグビー日本代表主将)

曽田雄志(元Jリーガー)


<メッセージフォーム>

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00:01
聴くNIKKEIリスキリング
はい、こんにちは。NIKKEIリスキリング編集長の桜井洋です。
この番組は、変わりたい組織と成長したいビジネスパーソンをガイドする、
NIKKEIリスキリングに掲載した記事を深掘りしたり、
ビジネスパーソンの学びに役立つ話をお届けしたりするポッドキャスターです。
編集チームのメンバーやゲストの方とちょっと横道にもそれながら、
ビジネスに役立つ楽しいリスキリング情報を提供いたします。
前回に引き続きですね、アスリートやアーティストなど、
異分野で活躍する方を招きして、ビジネスパーソンにとっての
学びのヒントを探る異分野トークシリーズです。
前半に引き続きお話を伺っていくのは、元ラグビー日本代表キャプテン、
岡谷隆さんと、そしてNIKKEIリスキリングコミュニティエディターで、
元Jリーガーの須田裕之さんです。またお二人よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
お願いします。
前半ちょっとリーダーシップのお話も少し、
頭出しとしてしながらだったんですけども、
後半はリーダーシップのあり方のお話と、
あと学び続けるということについて、
この二つをテーマにしてお話をしたいと思うんですけれども、
紹介のところでも、元日本代表キャプテンということで、
日本代表のキャプテンになられたのは何年になりますか?
2008年から2011年のワールドカップまでですね。
20何歳ですか?
28歳とか。
そうですね、89歳。
31、32くらいですよね。
どうでしたか、ご自身。
もともとその前というか、そのチームでは?
高校大学社会人と。
そういうキャプテンは未経験で。
日本代表は2005年からはプレーしてたんですけど、
2008年、ちょうど2007年のワールドカップが終わって、
世代が変わるというタイミングで、
初めてキャプテンに任命されて、
ラグビー初めてのキャプテンをすると。
予感みたいなこととか、周りが見ても、
たぶん次は菊谷さんじゃないのみたいな雰囲気ってあることもあるじゃないですか。
どっちかというとどうなったんですか?
どっちかというとなかったですね。
みんな意外、自分も意外。
僕もキャプテンって言われた時に声を裏返って、
はいって言われた。
っていうくらい意外だったと思います。
怪我人が何人か出ちゃって、
03:02
前7年のワールドカップのキャプテンがいて、
その人もまだプレーできてたんですけど怪我で。
その次キャプテンするだろうなっていう方も、
そのタイミングで怪我で。
そうだったんですね。
そのタイミングでセレクションをするっていうので、
あんまりなかったんですけど、
日本代表のAとBに分かれて、
お互いセレクションマッチをして、
その中でセレクションを見て、
それを踏まえて、
翌週の日本代表のスコットを発表しますという感じの時で。
その時にまず選ばれるかも分かってなかったんですけど、
選手としてもそもそもね。
日本代表に選ばれるか選ばれないかも分からなくて、
そういう立ち位置だったんですよね。
たまたまそのセレクションマッチのキャプテンに選ばれたんですよ。
それはもう勝つか負けるかもあるし、
選ばれるかっていうのは分からなかったんで。
そのまま選ばれて、代表に選ばれて、
代表のキャプテン誰なんだろうなと思ったら、
僕だったみたいな。
完全に意外な。
僕はだいぶ意外でしたね。
ポジションからよく喋ってはいたんですけど、
そういうリーダーシップを持って活動してる人ではなかったので。
どっちかというとアウトローで破天荒な感じの、
自分が活躍すりゃいいやみたいな人で、
そのままキャラをゴリ押ししてたみたいな。
エゴゴリゴリな感じだったんですか?
だいぶそうでしたね。
いわゆるナンバー8というところですから、
まさに公主の要のところですもんね。
要のところです。
サッカーでいうとボランチ的な感じですかね。
エゴゴリゴリというよりも全体、
守りも見ないといけないし、攻めも見ないといけないし、
キャプテン的な立場なのかって勝手に思った。
ラグビーって前半戦でも話しましたけど、
誰でもトライ取れる、点数を取れるスポーツなので、
そういう意味ではどこのポジションがキャプテンにふさわしいとかっていうのはあんまりなくて、
どれだけグランドの中で自分の仕事をする、
話す機会ができたときに誰がシンプルに物事を捉えて、
みんながベクトルを揃えて一歩踏み出せるかっていうことを発言するだけの話なんで、
あんまりそういうポジション柄っていうのはないのかなと思ってますけど、
キャラクター的には一番なかったなと思ってました。
それだけに驚きから?
それが現実になってしまっていて、その日からの変化っていうのはどんな感じだったんでしょうね。
まさに自分が活躍したい、日本代表になりたいっていう思いでプレーしてて、
06:00
急にみんなを統率するというか、キャプテンとして戦闘に立たないといけないっていうイメージになったんで、
これは前年度のキャプテンとかっていうところを真似しても自分の中じゃ絶対真似しきれないなと。
それだけ偉大なキャプテンでもありましたし、背中折って僕もプレーしてたんで、
なったときにちょっとできないから、自分なりのキャプテン像を作りたいなと思って。
アウトロゴキャプテンみたいな。
僕は引っ張られへんから、みんなが動きやすい環境を設定しようとか。
その当時、セレクションマッチが終わった後のすぐの日本代表だったんで、
初めましての人とかも結構いて、世代交代もあって。
名前が呼べる環境を作ろうと思って。ニックネームリストを作って。
ニックネームリスト?
世代も変わるんですよね。大学は4年で住むし、各企業ジムはそれなりにありますけど、
年齢の幅はありますけど、その分みんな一緒に生活する時間も長いんですけど。
アグビーの日本代表ってその当時、集まって行動する時間が2週間。
そのうち週末に1試合ずつテストマッチが組まれてると。
ってなったら2週間しか一緒にいない。
なおかつ練習時間ってその中のどれくらいかっていうと、ほとんど練習時間って少なくなってくるので。
その中でいかにチームとして活動するかってなった時に、
若い子が菊谷さんとかって言うとか、この人なんて呼ぶんやろとかっていうのを、
まず払拭して、まずフランクに喋れる環境を。
だから僕は菊で。菊さんって喋れるように。
紅白で喋りやすいように。
僕らも苗字で呼ぶより、ニックネームで呼んであげたほうが、親和性というか親近感が出るかなというので。
その中で一つのことをやるために、コミュニケーションを取るためのツールとしてニックネームのリストを出して、
その2週間は日本代表として動きましたね。
それぐらいしかやらなかったです。
前のキャプテンの時とは全然ガラッとすると雰囲気っていうのは変わったんですか?
前のキャプテンも終わっていろいろ喋ると、自分ではできないから、
いろんな人をしっかりと役割を分担して、みんなに支えてもらってたんだよっておっしゃってましたけど、
僕からしたら先輩っていうか、同じポジションの人が前のキャプテンだったので、
偉大でこの人についていけば絶対に勝てるし、
この世の人になりたいなと思ってプレイしてたんで、
だからすごい大きな背中に向かって走ってたっていうところしか見てなかったんで、
09:03
そういう意味ではその人のキャプテン像っていうのは僕にはすごく輝くしくて大きかったっていうのはあるので、
だいぶ違いましたと思ってました。
でも見るのとやるのでもやっぱり違うでしょうしね。
ちなみに選手とかも含めて何人ぐらいを、
今までキャプテンをやったことない方がいきなりどれぐらいの人を率いることになったのかなと思って。
基本的にスコットでいくとトータルの人数は50人ぐらいで、スタッフも合わせて65人とかぐらいで動きますけど、
日本代表も予算もあるので基本的には30人ぐらいで常に動き回るという形にはなりますね。
あとは本当に怪我したりとかプレーが良くなかったらもちろん日本代表なので落とされることもあるんで、
随時入れ替わるっていう環境も入れるとやっぱり50人ぐらいがリーダーシップを取る人数の中のメンバーですかね。
最初の2週間でそういうニックネーム、そしてどういうステップでチームを作っていったんでしょうか。
いやなかなか難しかったんですけど、本当にコミュニケーションをチーム内で取りたいなというふうに思ってたんで。
あとは日本代表とはいえラグビーのルールで当時は3年間プレーするとその国の代表になれると。
3年間?
今5年間なんですけど、要は海外挟まらずに日本のチームで日本に滞在しながら日本でプレーするっていうのを3年間やってると。
あと他の国の代表になってないっていうの。この2つがあれば誰でも日本代表になれるんですよ。
ラグビーっていうのはそういうスポーツなんですけど。
なので15人でプレーするんですけど、僕らの時は7人が海外選手っていう感じでしたね。
ニュージーランド、トンガ、フィジー、サモア、特にアイランダの選手たちは多かったんですね。
そういう人たちと一緒にプレーをするので、言語も日本語わからない選手もいるんで、英語を使ったり単語で喋ったり。
そういう人たちが海外の選手だけで夕食のテーブルを一緒にするんじゃなくて、常にそこら辺はみんな一緒にならないと。
常にみんなバラバラな環境で、日本人は日本人で集まらない。
フォワードばっかり集まらない。
フォワードとバックスも海外も日本人と言われる選手たちも集まってみんなでぐちゃぐちゃっとやりながらコミュニケーションとっていきましょうっていうのをちょっとしたルールにしたり。
そうなんですね。
そういうことをちょっとずつ心がけて。
それはなんか自分の中で結構考えてそういうふうにしていったのか。
12:02
例えばですけどね、その表面的なこととか目に見えやすいことだけで言うと、
じゃあ最初ウォーミングアップのジョギングの時自分は先頭に立とうとか、チームが苦しい時こそ自分が声出そうとか、
なんか割とそういう対照的な、対照的って言いますか分かりやすいことで、まずとりあえず自分はリーダーとして行動に移してますっていうような考えとか行動する人も多いのかなと思うんですけど、
さっきのニックネームもそうだし、コミュニケーションが取りやすいような状況を作るみたいなことって割とインフラっていうか根幹っていうかベースだと思うんですよね。
最初からそっちに行けたのがすごいなって思ったんですけど、それはセンスなんですか?
今言われて気づきましたね。
そんな自分がっていう感じでは、選手としてはそういうところはあったかもしれないですけど、
キャプテンっていう肩書きを経てっていう感じですかね。
っていうところはチームとしてっていう部分が多かったですね。
気負ってしまうことってあるじゃないですか、責任と立場を得て、自分が今までのままではいけないって気負いすぎて頑張りすぎようとしてしまう自分がいて、
それによって送るのってその時の自分は必死なんですけど空回りしてしまうことが多々あると思うんですよ。
でやっぱり初期はとにかくうまくいかない、すごくごちゃごちゃしてしまった時期がありましたっていうことの方が普通多いような気がするんですけど、
今みたいにキクちゃんが言ってくれたように、あまり気負いしすぎずっていうんですか、
気負いすぎず、そういう視点でいくっていうのはすごくいいなってもちろん思いますし、
ナチュラルですよね。
ナチュラルです、ナチュラルって言葉は。
沢さんの好きな。
とにかくナチュラルかファンタジーなんですけど。
ファンタジー。
今まさにリーダーになったばっかりの方とか、今後なるであろうという方にとってはその気負い感ってすごく大事なのかなって聞いてて感じましたね。
気負っちゃいますよね。
気負わなかったですか、シンプルに。
どっちかというとグランド外は気負わずに、みんなでチーム作りをするためにどういうアクションを起こせばいいのかなっていうところに取り組めたかなと。
グランドのところは結構気負ってたかもしれないですね。
よりキャプテンとしていいプレーしないといけないとか。
どっちかというと試合の中でどうまとめるかというよりは、まずは自分が試合に出続ける。キャプテンだから試合出るよねみたいな。
いいプレーするよね。キャプテンだから試合の中でサポートしてくれるよねみたいなところに対して結構自分は苦労したというか、そこに対してはプレッシャーを感じながらやってたような気がしますね。
15:15
周りからキャプテンだから試合出れるんだろうねみたいな。自分がどれだけベストなプレーをしてても、それが世間的にどう見られてるのかわかんないしっていうのはあったんで、プレーは頑張ってやってましたね。
本当会社もそうですね、僕自身も。じゃあ編集長だからなんか後ろでこうやってやってればいいんでしょ。取材して場を作って。飲み会はそんなにたくさんやる組織ではないですけど、そんな時は一番バカになってとか。
キャプテンというかリーダーって、抜いてる時はものすごく抜かないといけないし、戦う時は一番先頭で戦わないといけないし。キャプテンって2008年になられてから徐々にご自身でステップアップ、キャプテンとしてステップアップされたのかなと思うんですけど、どうでしょう?段階段階でこの時自分一個キャプテンとして変わっていったなとかそういうのって細かくありますか?
自分の主観でいくと年を追っていくごとによりプレッシャーを感じちゃってた気がしますね。一番初年の2008年のほうが一番自由に。やはりワールドカップに近づくにつれて目標というか目的が、成長でよかったのが勝たなければならないっていう明確な目的が出てくるので。
当時僕ら2011年のワールドカップは2勝しますと。過去ワールドカップで1勝しかしてなかったんですよね。何十年と勝てなかった日本代表が、もちろんテストマッチと言われる国際試合には勝利をしっかりと重ねてたんですけど、ラグビーワールドカップって4年に1度の祭典ではなかなか勝てなかったんで。
その大会に向けて2勝という目標に掲げて、そこに対してプロセスを進んでいく中で、やっぱり難しい。自分たちの伸びしろと、そういうところのギャップっていうものが見えてきたときに、それでも勝つと言わなければならない環境下に。
基本日本代表としてもそうだし、日本代表キャプテンとしても勝てるか分からないとは言えないと。勝てますか。2勝しますっていうところの中で、結局僕ら0勝1負けやったんですけど。勝てなかったんですけど。
そういうところの自分の表現することと、自分の内面のところと、このギャップっていうので、やっぱりそこに成績もそうだし、あとチームに対しても、その中で環境の中で落とされる人もいて、プレーし続ける人もいてっていう中で、自分もプレーし続けてた1人ですけど、そこに自分の中の葛藤はすごくありましたね。
18:23
弱いところって、どこにも見せずにそのまんまワールドカップまで行ったんですかね。
全ての記者さんだったり、インタビューに対して受け答えをすると。なるべくそういうことでラグビーというものをもっと告知したいとか、そういう思いもあったんで。気づいたらもう昼休み終わって昼の練習が始まったりとか、そういうところも結構タフでしたね。
自分の時間を削って、日本代表として、日本代表のキャプテンとして、そういうところにも貢献したいという思いもあったんで。そこら辺の管理というか、対応もなかなか良くてやってるつもりが、だんだん自分の中ではストレスというかプレッシャーに感じたりとかもしてましたね。深刻な話になってます。
いやでも本当にリアルな話だと思いますからね。でもそこをそういう悩みながらというか、自分の中でなかなかもがきながらというか、自分の中のキャプテン像を探しながら、次のステップに入ったかなっていうのは、やっぱりエディーさんとかそういうことなんですか?
そうですね。2011年のワールドカップ終わって、2012年の新しい大戦があって、エディー・ジョーンズさんが来られて。僕、2011年、それこそ本当にそんな11年だったんで、もう本当にもう一つ来てて、ラグビーもあと1年して辞めようと思ってましたし、日本代表に戻るつもりも、戻るつもりというか完全に終わったつもりでいたので。
そしたら電話いただいて、2ヶ月後に戻ってきてほしいと。戻ってきてほしいけど、普通のプレイヤーで戻ってきたら困るんで、これからメニューを課すから、このタイムをクリアしたら戻ってきてみたいな。
メニューって何ですか?
トレーニングメニューです。
人が期待されると答えたくなったりとか、テンションも上がって。
21:02
もう一回トレーニングを自分の中で頑張って、そのタイムもクリアして、もう一回日本代表に戻って。
戻った時に若いチームだったんで、キャプテンしてたということをチームにエッセンスとして経験を伝えてほしい。
というところから、キャプテンっていう自分が重きものを背負ってたというところをどういうふうに伝えていこうかなというところと、
当時ABさんはリーダー、キャプテンというところよりもリーダーグループという一つ役職を一人に背負わすんじゃなくて、
グループとして役割を明確にして、そこにスーパーバイザーという形でメンタルコーチの荒木香里さんという方も入っていただいて、
定期的にそういうみんなでディスカッションする環境をオフィシャルというか、練習という形でリーダーグループもそういうミーティングというものをしっかりと場を作ってくれて。
そういうスーパーバイザー的な方がいてくれて、それにヘッドコーチもそこに関与してくれてるっていうところは、環境は今までなかったので。
それを僕がこう経験したことを伝える環境として、みんなにちょっとずつキャプテンというものを、みんなでリーダーという単語が変わっていく中で、
役割との明確化と今やらないといけない目標設定っていうところの、結果だけじゃない目標設定。
日本代表のあるべき姿って勝つだけじゃないよね。憧れる存在になるっていうのも一つ。
日本代表の大義の中の一つだよねっていうところから、プロセスにすごくフォーカスしたチーム作りができたというところは、
すごくエディさんのヘッドコーチになられてからの役割の中で大きな僕の学びでした。
2011年までは、今お話を伺う限り、結構孤独に…
孤独な部分もありましたね。仲良かったんですけど、キャプテンとしては孤独な部分もありましたね。
そういうのはエディさんは見ていて違う形にしたんですかね。
それも一つあると思いますけど、エディさんのチーム作りがやはり組織に対してどういうチーム作りをするか。
あと短期でチームを作るために何をしなければならないかっていうところの明確なエディさんの学びから、
僕らにそういう環境を提供していただいてたっていう感じはしますね。
会社でもやっぱり孤独なリーダーってたくさんいて、今みたいなお話ってすごく組織作りのヒントになるかなと思うんですよね。
リーダーを孤独にするんじゃなくて、キャプテンじゃなくてリーダー群でみんなで話をして、そこにトップもきちんと関与して。
24:00
これ非常に組織の作り方としてとてもいいなと思って。
それによってどうでしょうね。組織全体ってどう変わっていったんですか。
そうですね。当時グランドナイのリーダー、グランドガイのリーダーがいて、さらに多国籍なんで、それをつなげるためのリーダーがいて、
それを判断するための俗に言うキャプテンという存在もいてリーダーなんですけど。
4人体制で、スーパーバイザーに荒木さんという形で入っていたんですけど、やはり役割が明確なんで。
その役割に対して自分がプレープラス役割っていう意味で。
僕はグランドガイのリーダーだったんで、試合の後絶対に飲み会すると。
それは1時間しかしないと。
ファミリー来てても1時間だけはチームのための練習時間と同様に。
それもエリーさんも見て見られてて、そのウエアもちゃんとチームウエア着ないとダメだとか。
時間が経ったらファミリー呼んでもいいし、出て行ってもいいし、私服に着替えてもいいと。
その時間を大切にしたりとか。
本当使ったものはあった時よりもきれいにするっていう日本人の心を。
ロッカーは絶対にみんなで、自分らで掃除してから帰るとか。
バスのペットボトルは絶対回収、自分らでゴミ残さないとか。
本当当たり前のこと。
荷物自分らで運びますとか。
そういうところを僕は徹底して作っていったりとか。
グランドの中で褒めるっていう作業を、当時五郎丸選手がグランド9のリーダーだったんで、
選手に対してポジティブなアプローチをすると。
ネガティブなアプローチしないよっていうのを常に心がけながらチーム作りをした時に、
やっぱりプロセスに対してみんなが意識するようになりましたね。
プロセスに意識。
勝つっていう。
僕らだから日本代表なんで、勝たないといけない。
勝つために憧れの存在になるっていうワードがもう一つのゴールのターゲット。
意義目標っていうものが憧れる存在っていうものを作り上げたんで。
使ったもの汚かったら憧れないよねとか。
ハードな練習してても、ネガティブなことでお前やれよっていう命令系との声かけしてた時に、
子供たち見てたら憧れないよねとか。
そういう問いかけをしながら憧れの存在になるっていうためのプロセスを常に積み重ねていったかなというふうに思いますね。
いわゆるリスキリングに無理矢理つなげるのもあれですけども、
全然今までと違うこの線路に行ったような感じですね。
そうですね。個人的にはすごく変革な。
27:00
変革ですね。
リスキリングというよりまさに変革ですねこれ。
ダブルゴールっていう概念はいいですよね。
だから結果出したいんですけど、その結果って勝負の場合絶対出せるとも限らないわけで、
それにチャレンジするけども、でもそれに勝てなかったら目標達成できないから全部がダメなのかというと、
そうではなくてそのプロセス、結果が出なくてもここのプロセスの積み重ねができるよねってもう一個のゴールを作ると、
非常に健全になるとかね。ダブルゴールという概念者もあります。コーチングにもありますけども。
それをだから多分エディさんは、ある意味意図的にしてたのかなとはもちろん思いますけど、
それが選手に非常に馴染んだんでしょうね。
プロセスってまさに学びですもんね。
そうですね。
学びそのものですよ。結果ではなくてプロセスだって。
学びの真髄、また真髄が出てきましたけど。
引き続きまた真髄が出てきた。
真髄ですね。
学びっていうキーワードを今ちょっと出しましたけれども、
北谷さん自身エディさんと出会って、ものすごくある種の学びがあったのかなって想像してまして、
今の子供たちへの向き合いとかですね、いろいろ企業研修とか、
今のお仕事につながるような学びって、この頃に何か目があったりするんですか?
そもそもエディさんと出会わなければ、僕多分トヨタ自動車で、
当時もう役職もあって、主任で、家も建ててて、
もうトヨタから出るつもりもなく、
優良企業。
もう超優良企業の中で。
福井高専もバッチリって思ってたんですけど、
エディさんと出会って、そういうプロのコーチっていうのを味わっちゃったんで。
エディさんになりたいとは思わなかったですけど、
ちゃんとコーチングというものを改めて学びたいなと思ったんですよね。
当時トヨタは企業チームだったんで、
OBが監督をしたり、外部から外人のコーチが来るっていうのはなかったんで、
その中から一つ僕は出たいなと。
学びをどっかで得らないと、指導したらだめだなっていうふうに思っちゃって、
そのタイミングでトヨタを辞めて、台車して、
キャノンに入って大学院に行きたいと。
コーチングの勉強をしたいっていうので、
大学院のコーチング学っていうところに先行に入ったんですけど、
そのタイミングでプロになって、
普段プリウスの部品を発注してラグビーしてるのを、
ちょっと携帯を変えて、午前中学校行って、台本からラグビーするっていうのをやりました。
そこはもう一つ大きな、自分の中での重要な局面でしたね。
30:04
見直しリスキリングですよね。
そうですね。
どうでしたか、その学びの結果。
コーチングを学んで、そしてどういう進路になったんですか。
コーチングを学べたことで、自分の指導方針というか、
指導法をちゃんと言語化できるようになりましたね。
自分が学んできたっていうのが、自分の経験値っていうところでいくと、
プレイヤーの経験則で指導するんじゃなくて、
ちゃんと客観的なもののエビデンスだったりっていうものを、
コーチングの中で、自分の中で経験値として得たので、
いろんな人たちに対してあるべき姿っていうところが、
俺がやってたから、俺はこうやってプレイしてたからこうだよっていう、
レールを引いた経験則のコーチではなくて、
本当僕らプレイヤーをしっかり主体的な環境に置くというところの中で、
プレイヤーセンタードコーチングっていうのを勉強してたんですけど、
そのプレイヤーセンタードコーチングって、
プレイヤーに主体性を届けると。
環境を作るっていうのが僕らのコーチングなので、
こういう指導をしましょうってじゃなくて、
学べる環境を設定するっていうところのコーチとして、
勉強できて、そういう環境の中で今もコーチングできてるっていう中では、
子供もそうだし、企業研修もそうだし、年齢問わず、
いろんな人に対してコーチングできるっていうのが一つ、
僕らの強みになったのかなというふうに思いますね。
プレイヤーセンタードって、これまでの北谷さんの中の常識と反対にあるものなんですか?
反対というか、新しかったんじゃないですかね。
コーチングの中でよくあるのは、当時本当に古いと、
高圧的な指導か、主体性と言いながら本人なのか、
ちょうどいいバランスの主体的な環境を設定するっていうのは、
なかなかできてなかったのが日本の文化の、
コーチングの中の文化かなというふうには思ってます。
その中でも、高圧的な指導を受けてると、
どうしてもそれが自分の根底を築いてきてるので、
勉強しないとそのまま高圧的な指導を受け継いじゃうと。
本人の指導をしてると、そのまま同じように自分も、
その本人の指導をずっと受けてきてるので、
自分もコーチングになったときに本人の指導をしてしまう。
こういう状況を学びの中で、
自分の中で正しいコーチングを学び直せたっていうのは大きかったですね。
その中で、コーチが指導するんじゃないよと。
自分で学びを得る環境をコーチが作るっていうのが、
本当のコーチだよねっていうところの一つ。
指導法の中の中を、僕はそれが自分の中ではマッチしてるなというところで、
33:05
アスリートセンタード、プレイヤーセンタードコーチングっていうのを、
今はずっと心がけてやってます。
ガラッと変わったんですね。また変革があったんですね。
良かったですね。本当に。
そうありたかったんでね。
言われたりして育つとか、
何もやってくれへんから自分で頑張って育つとか、
プレイヤー自体もいろんな環境を見てきましたけど、
環境を作るっていうところで学びを提供するっていうのは、
それが一番育つ方法かなというふうには自分の中では思ってます。
菅さんが親になっていることとすごく近しいような気がしました。
物事の捉え方の原理原則はベースあると思うんですけど、
でも対象によってやっぱり全て、その対象年齢によっても、
同じ年齢の中での趣味思考も違いますし、課題も能力も違うので、
その人ときちんと向き合うみたいなことがベースだと思うんですよね。
相手を尊重する、まさに今言ったセンターと通話だと思うんですけど、
そこにやっぱりできる限り早く気づくと、本当に些細な喜びとか、
充実感ということに気づけたりとか、
そういう環境で育まれる子どもとか選手というのは、
やっぱり自分のことをきちんと見てくれてるっていうね、
自覚もしやすいと思いますし、
自主的にそろそろなりやすい環境を作ることもできると思うので、
より楽しくなると思いますしね。
そうするとより上手くなりたいと思うし、
その好循環を作る、最初のベースを、
今菊谷さんに記者に言ってくれましたけど、
作るっていうところに一番重きを置いている、
みたいなの、僕もすごく共感しますし。
それこそリーダーシップっていう感じがしますけどね。
それがリーダーシップなんじゃないかなっていう。
権威型のリーダーですとかね、フォロワー部のリーダーとか、
支えるとか引き上げとかいろいろありますけど、
どちらかというと、本当に普段は何もやっていないようでも、
実は裏でしっかり支える、しっかりベースを作っているみたいな、
そういう種類かもしれないですね。
ただ目立ちづらいし、評価もされづらいことも多いので。
評価は数字でできないんでね。
耐えなきゃいけないと思うんですけど、
でも多分おそらく子供の小さなチャレンジを見逃さないで、
見てあげた時の彼らの表情とか、
ちょっと時間かかったけど、本当に地道にやったことによって、
ベース能力がしっかり上がったところを見た時の喜びみたいなのは、
やっぱりかけがえのないものだと思うので。
ちょっとしっとりしちゃって申し訳ないですけど。
しっとり、今日は終わりましょうか。
最後しっとりといってもいいかなと思いますね。
36:01
じゃあ最後どうしましょうね。
すごい仕事と使命感っていうところに最後一言いただいて、
終わろうかなと思っていたんですけど、
今しっとりしたので、このまましっとり。
でもやっぱりあれですね、最後は熱くいきましょうか。
この流れでいきなり、ちょっと流れがおかしくなっちゃいますね。
揺さぶりも大事ですからね。
ニッケーリスキリングの視聴者の方って、
端的に言って学んで変わりたい。
学んで自分の仕事をもっといいものにしたいっていうふうに思ってらっしゃる方なんですね。
だから実は今の話しっとりいきましたけども、
実はセンターに送ってるかなというふうに思ってます。
そんなニッケーリスキリングの視聴者に、
菊谷さんから熱い、あるいはしっとり、どっちでもいいですけど、
メッセージを一言いただければいいかなと思って、
こうやってみんな頑張ろうっていうところ。
僕、今いろんなことに良くも悪くも手を出して、
いろんなことにチャレンジをして、
そこに必要な学びも自分から取りに行きたいなと思っている、
行動してるんですけど、
その根底にあるのが、ノブリスト・オブリージュっていう言葉で、
使命、やらなければいけないとか、やるとか、
自分のためにじゃなくて、
みんな環境を作るという意味で、
そういう使命感を得て今活動していて、
そういう意味ではスポーツのアスリートの価値とか社会とかっていうところに、
何かしら刺激を入れたり、
この環境設定を今後スポーツのあるべき姿、
アスリートのあるべき姿を追求していきたいなというふうに活動してるんですけど、
それって僕の中ですごく意義があることだと思ってまして、
そこに学びとして必要なこともたくさんいっぱいあって、
そこにいろんなことを成長しながら進んでいこうかなと思ってるんですけど、
それって結局大きな目標のためにやってるっていうものではなく、
ほんとちょっとずつ目先のちょっとしたゴールを目指して、
常に学びを得ようとしてるというところが僕の根底にあるのかなと思うんで、
そういうところを、世の中大きな目標を立てないといけないとか、
それに向かって歩かないといけないとか、
優勝しないといけないとか、そういうことではなく、
自分の目先のことに対して一生懸命できる環境をみんなが作っていくと。
一人で作れなかったらたぶんみんなと2人だったり3人だったり、
39:02
いろんな人と作ることがそういうことにつながると思うんで、
そういうところを一人でやろうとせずに、
チームだったり仲間でゴールを共有して進んでいくというところに対して、
みなさんフォーカスしていただければなと思います。
ありがとうございます。
しっとり系でしたね。
しっとり系話だった。
このリスキリング、日系リスキリング、
ランダムすいません。
ですけども、やっぱりここで学び終えてチャレンジしようかなという気持ちを持っていただいたら
素晴らしいことだと思いますし、
でもそう言っても現実、自分の現状、例えば会社の立ち位置とか、
今の自分の状況を見たらなかなか自分だけじゃ解決できないなって
どこかで思う方もいるのかなと思うんで、
何かしらもうちょっとアクティブに相談コーナーじゃないですけど、
何かあってももしかしたらご要望に応じてですけど、
面白いかもしれないし、
我々も密かに計画している、例えばオフ会みたいなのを直接お会いいただいてっていう機会とか、
ちょっとそういうのもやっていきたいんですよね。
そうですね、本当にみなさんと一緒に考える場に広がっていけばいいかなと思っています。
全くそういうご要望がなければね。
なければね。
寂しいですね。
寂しいですけど、ここの部屋で大きな方々に囲まれながら今後もやっていきたいと思いますけど。
勇気ってやっぱりね、自分だけで振り絞れないこともあると思いますからね。
こういうね、頼もしいこういうアスリーターに背中を押してもらうと、
そりゃいいんじゃないですかね、ドンと。
北谷さん、でもあれですよね、ちょっとずつっていうところが実はすごく僕はすごく響いて、
それってまさにプロセスじゃないですか。
大きな目標をドンと、はいじゃなくてちょっとずつやってるっていうこと自体がすごくプロセスだなと思ったので、
とても勇気づけられた人が多いんじゃないかなと思いますので、
今度もぜひ生の機会とかもあれば。
大会。
大会やりたいですね。
エディターよろしいですか。
僕はちゃんと提案資料出しましたんで。
ありがとうございます。
上層部の方にもしっかり通しました。
日経上層部にもとっております。
では今日は後半ここまでにさせていただきたいと思います。
お相手にキリス・キリング編集長の櫻井洋でした。
今日のゲストは元ラクビー日本代表キャプテンの北谷隆さん。
そしてコミュニティエディター元Jリーガーの曽田佑史さんでした。
どうもありがとうございました。
ありがとうございました。
41:50

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