瀬名さんの挑戦の始まり
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こんにちは、NIKKEIリスキリングMCの桜井洋です。
この番組では、ビジネスに役立つ楽しいリスキリング情報を提供いたします。
今回は、様々なジャンルのゲストから学びのヒントを探る異分野トークシリーズです。
ゲストに、チャレンジャー、モデル、社会活動家、一般社団法人でこぼこもへじ代表の瀬名さんをお迎えしました。
大学1年生の時に、一型糖尿病という病気を発症した瀬名さん。
当初は病気のことを隠すように過ごしていた瀬名さんが、逆境をどうやって自分の強みに変えていったのか、前編ではこの辺りのお話を聞いています。ではどうぞ。
はい、今日のゲストは、チャレンジャー、モデル、社会活動家、一般社団法人でこぼこもへじ代表、星二南の瀬名さんです。
よろしくお願いします。
はい、ちゃんと言えました。
慣れた感じで。
もう覚えましたね。
ありがとうございます。
4つの肩書き。
4つの肩書き、ちょっとごめんなさい多くて。
でもやっぱりそのこの中でね、チャレンジャーというのが一際、なんというかインパクトがあるなと思っております。
入れ込んじゃいました。
チャレンジって、前提に学びがあると思いますし、チャレンジそのものが学びだと思って、
それでニッケーリスキリングの方に、ポッドキャスターの方に、ぜひ初めて名刺交換した時点でね、ぜひ来てくださいって僕言ってました。
言ってくださいました。
チャレンジャーってどういうことだって、すぐに聞いてくださって。
はい、聞きました。
そして視聴者の皆さんもきっとチャレンジャーってどういうことだって思っていると思うので、
簡単にこのチャレンジャーを軸にですね、自己紹介をしていただければなと思います。
ありがとうございます。やっぱりチャレンジャーという肩書き、自分自身も初めて聞く肩書きでもありますし、
自分自身が普段からチャレンジしているベースにもあるんですけど、
私は18歳の時に一型糖尿病という自己免疫疾患を発症して、
でもなかなかその糖尿病という名前がついていることで、いわゆる知っている方ももしかしたら少ないかもしれないんですけど、
本当に小さいお子さんから大人まで本当にどなたが発症してもおかしくない病気で、
どんな病気かというと、自分の体の中でいわゆるインスリンといって血糖値を下げたりするような成分を全く出せなくなってしまう。
そのインスリンを作る工場が壊れてしまう。自分自身の体で壊して一切作れなくなる病気なので、
一般的に皆さんの体が血糖値を、インスリンが食事をしたりとか血糖値の変動に対して自動で行っていることを、
私たちは手動でインスリンを投与したりとか血糖値を管理するみたいなことを手動で行っているという感じになるので、
普段から血糖値管理であったりとかインスリン投与をしながら生活をしています。
その一型糖尿病発症したおかげで、生きることとすごく真正面から向き合う機会になり、
一型糖尿病があっても、どんなそれぞれが持つハンディキャップがあっても挑戦することができる可能性無限大だよということを挑戦を通して、
皆さんに人生のスパイスにしてもらえたら嬉しいなっていう前提でチャレンジャーを名乗りながらいろんな挑戦をしています。
すみません、長くなりました。
チャレンジャーって肩書きっていつ自分で入れたんですか?
でもですね、この後に挑戦の中で出てくるんですけど、とある山に登った後にですね、
自分はこの肩書きチャレンジャーと名乗ってもいいんじゃないかと思って、4年、3年前とかですかね、名乗り始めました。
3年前からチャレンジャーなんですね。
ようやく、ずっとチャレンジはしていたんですけど、そろそろ名乗ってもいいかなという挑戦の大きさ的にも。
じゃあちょっと話をさかのぼって伺っていきたいと思いますけど、さっき18歳で発症したということですよね。
18歳、大学1年生、夏休みの時でした。
どんな状況だったんですか?
そうですね、東日本大震災の復興支援団体に初めて大学に入って所属していて、
その夏休みに実際に東北の方に行ってボランティアをしていた最中に体調を崩しまして、
そのまま病院に行ったら一型糖尿病という診断を受けたという流れです。
結構な衝撃でしたか?
衝撃でしたね。いわゆる発症する前から自分の体に対するいろんな異常があって、
なんかちょっといつもとおかしいなという部分はあったんですけれども、
その一型糖尿病という、そもそも病気を知らなかったので、
医師の方にあなたは一型糖尿病ですと告げられた時に、
まずその病気って治るんですか?治療をしたら治るんですか?というふうに問いかけた記憶がありますね。
どういう回答だったんですか?
そうするとその一型糖尿病は、生涯にわたってインスリン治療をしなければいけない病気なので、
治らない病気ですと。なのでうまく病気と向き合っていく必要があるというふうに告げられた時に、
治療をしても治らないというところに対してすごく絶望感を抱きましたね。
絶望感は抱いて、治療は始まるわけですよね。
その時の心境、どんな状況でした?
でもですね、私自身が中学生高校ってちょっとギャル寄りなギャルマインドで生きてきたので、
ギャルマインド?
はい、いわゆるポジティブシンキング、ポジティブな考えを常に持っていたので、
もちろんその良心の影響もありますけど、悩んでいてもしょうがないと。
じゃあ同じ一型糖尿病の方で活躍されている方であったりとか、
一型糖尿病でどんなことができるのかをまずネットで入院中調べたりとか、
やっぱり一型糖尿病でもプロ野球選手になっている方であったりとか、
スポーツを中心に様々な一型の活躍されている方が世界にも日本にも、
特に男性の方が多かったんですけどいらっしゃったので、
自分もできないことはないんじゃないかと思うようになり、
一生懸命治療と向き合っていた入院生活だった感じですね。
男性ではっておっしゃいましたけど。
やっぱり女性であまり一型でメディアに出られている方が、
その当初、10年前とかは少なくてですね、
やっぱり出産ができるのかとか、
病気を隠す自分からの脱却
いわゆる女性ならではの生理もそうですし、
それぞれのホロモンバランスとかも含めて、
どうやって異性に対して病気のカミングアウトしているのかなとか、
お腹の傷がすごく残るので水着だったりとか、
そういったお腹の傷はみんなどうやってうまく向き合っているのかなとか、
いろんなファッションもそうなんですけど、
私は常にお腹に機械を2つつけているので、
常にポケットにインスリーンポンプンという機械があるんですけど、
その機械を持っていなきゃいけないので、
ワンピースとかスカートみたいな洋服を着て、
その機械をどうやってうまく工夫してファッションを楽しんでいるのかなとか。
確かに。
はい。
確かに男性と女性全然違うんですね。
意外と違うんです。
そうか。
その時に、
これは私がロールモデルになろうっていう風に入院生活でも強く思って、
退院してから明るく大学の中での学職とかで、
普通にインスリーンチューシャーであったりとか血糖値を血を出して測定したりしていると、
やっぱり周りの環境が全く違かったっていうのが、
治療の痛みよりも社会に対する、理解のない社会に対する痛みの方が強かったっていうところが大きかった。
そこから病気を隠すようになりました。
その当初は。
治療を、最初の治療があって、
で、学校に…
退院して、
副学…
夏休み中だったので、
終わってから学校に戻って、
いつも通りの生活と、
そのプラスアルファで治療をしていると、
例えば食事をする前にインスリートイをしなきゃいけなかったりするので、
注射を打ったりだとか、血糖値を測定するみたいな、
医療行為をしていた中で、
やっぱり公共施設だったりになると、
やっぱり人が、
もちろんいろんな人がいらっしゃる中で、
すごくジロジロ見られたりとか、
こそこそっと、
若くても糖尿病ってなっちゃうんだねとか、
痩せてても糖尿病ってなっちゃうのとか、
甘いものをどれだけ食べちゃったの?
なんて言葉をかけられることだったり、
聞こえてくることもすごく多くて、
一型糖尿病っていうのは本当に、
誰がなっても発症してもおかしくない病気なんですけれども、
いわゆる社会一般的な二型糖尿病が、
もう約8割9割を占めているんですね、糖尿病の中での。
本当に糖尿病にもいろんな種類があるんですけど、
糖尿病という名前がついているがゆえに、
そういった理解が多かったので、
隠す方が楽だなっていう方向に行ってしまったんですね、
その当時は。
学食とかで最初は打ったりしてたけど、
やっぱり見られるから隠して。
お手洗いで食事する前にすぐにお手洗いに行って、
血糖値を測って、インスタニオン糖尿して、
またすぐに戻らないと倒れちゃうので、
すぐに戻って食べるっていう生活を、
その半年くらい留学に行く準備をしてた中での、
突然の病気発症だったので、
留学に行くまではお手洗いで、
病気を隠しながら生活してました。
留学にどちらに行ったんですか?
アメリカのオレゴン州に1年間。
オレゴン州、西海岸?
そうです。
北の方?
シアトルの辺り。
いいとこですね。
すっごい素敵なところです。
だいぶ環境違いますね、日本と。
違いますね。
まずそもそも発症して半年で留学に行かせていただけた、
両親も学校もそうですけど、
いろんな反対を押し切って留学に行ったので。
反対はありました?
反対というか、やっぱり行くべきじゃないんじゃないかというか、
治療に慣れてなかったので、
そもそも血糖値というか、
インスリン投与って糖質量だったりとか、
今の血糖値をうまく計算して、
カーボカウントって言うんですけど、
計算をして投与するんですね。
その投与が間違うと過度な低血糖になったりだとか、
高血糖症状が続くと合併症になるリスクもあるので、
やっぱりちゃんと治療ができていない状態。
いない状態ではなかったんですけど、
日本食とアメリカの食事って糖質量が全く違うので。
なるほど。
それってほとんどの方知らないと思うので、
食事の前の何分ぐらい前にどういうことをするのかってちょっと説明してもらっていいですか?
お薬によっても効き目の時間が違うんですけど、
基本的には食事をする前に、
まずは自分の体の今の血糖値を指先に針を指して血を出して、
スキャンして血糖値を確認します。
それが高いのか低いのかで、
インスリンの量も変わってくる。
血糖値をうまくコントロールしていくためのインスリン量なので、
まずは自分の今の血糖値を確認する。
その後にこれから何を食べるのかの食事の糖質量を、
いわゆる例えば糖質10gに対して1単位、1カーボン、1単位を体に打つので、
例えばおにぎりが、最近のおにぎりは40gもないぐらいちっちゃめになってるんですけど、コンビニのね。
コンビニのおにぎりを例えば1つ食べるとなったら、
病気と複雑な日常
40gの糖質量が裏に書かれていたら、4単位のインスリンを体に打たなきゃいけない。
でもその時に自分自身の血糖値が高かったら、少し何単位多く打たなきゃいけない。
低かったら、あまりその量で打ってしまうと低血糖になっちゃうので。
抑えすぎちゃうから。
前後に運動するとかしないとかも全部考えながら打ちます。
複雑。めちゃくちゃ複雑じゃないですか。
すいません、皆さんも今頭を悩ませて。
聞いてるのが複雑なんじゃなくて、オペレーションがすごい複雑なことをやってらっしゃるなっていう意味の複雑ですよ。
それをだから食事1日3日。
間食ももちろん食べれるんですね。何でも食べていいんですけど、その分ちゃんとそのインスリンを投与しろという。
みんなの自動を手動という感じですね。
自動手動ですよね。そっかそっか。
さっきおっしゃったように日本食とアメリカの食全然違うから。
3倍ぐらいだと思います。
心配な声は出ますよね。それは出るわって感じ。だけど行って。
はい、行きました。
いろんな方にちゃんと承諾していただいて、全て自己責任で、もし万が一何かあっても自己責任でというちゃんと契約書も自分で作って、
それもサインしていただいて、留学に行きましたね。
もうチャレンジャーですね。
もしかしたらその時から。
その時点は完全にチャレンジャー。
片足突っ込んでるかもしれないです。
そこでどうなんでしょうね。アメリカに行って、いろいろ病気だとか、あるいはご自身、自分自身、あるいは社会とかに対する物の見方ってどういうふうに変わっていったのかって教えていただきたくて。
病気を発症する前は逆に自分自身は、いわゆるマジョリティ、特に周りと変わったみんなと同じように生活をしていたので、
病気になってから初めて、いわゆるマイノリティ側、少数派として社会的な少数派に今なっているんだなと、生きづらさを感じている。
今まで病気になる前は生きづらさを感じたことっていうのはほとんどなかったので、
いわゆる病気だけじゃないですけど、環境一つでこんなに自分が生きづらさを感じることってあるんだなというふうに感じましたね。
病気でマイノリティの側になって、アメリカに行くとまたマイノリティになりません?
むしろアメリカに行ったときに、例えばですけど、同性カップルがいたりだとか、店員さんが本当に顔から全身タトゥーだらけの方がいらっしゃったりとか、
本当に多種多様にいろんな方々がいて、むしろ何て言うんですかね、何も個性を持ってない人の方がマイノリティに感じているんじゃないかというぐらい、
自分の個性の強い方が多かったので、ある留学行ったときにアメリカ人のお友達が飲酒に投与していると、
それってあなたの個性じゃないかって一言言ってくれた方がいて、そこでようやくこれって私の個性なんだなと、隠す必要がないというふうにマインドチェンジしたのがアメリカの1年間でしたね。
- アメリカ社会に日本人が行くってことは、マイノリティじゃないですか。
- そうですね。
- なんだけど、逆にそのマイノリティではなくて、いろんなその多種多様な人々ばかりなんで、マイノリティじゃなくなったっていう。
- そうなんですよ。
- その転換すごいですね。
- むしろ本当に同じ日本人の方でも、自分の強みがないで悩んでいる子もいましたし、逆にそのマイノリティが一瞬でこの多数派、マジョリティに変わるんだなっていうのは感じましたね。
- だから誰しもがその個性があるのが前提だから、それやっぱりどうですか、その日本にいる時はそれはなかなか感じれなかった。
- そうですね。それこそですけど、幼少期思い返すと団体行動がね、私あんま得意じゃなかったりしたので、やっぱりみんなと同じ行動をしない子供に対して怒られたりだとか、病気なんじゃないかとか。
やっぱりそのみんなと一緒じゃなきゃいけないという教育を自分自身が受けてきた感覚がやっぱりあったので、
なんていうんですかね、とにかくこう周りと違うことをしちゃいけないみたいな、いう感覚は日本は少なからずあるんじゃないかなとは思いますね。
- でもそうじゃないっていうことがすごく、それはあなたの個性じゃないかってなかなかライフチェンジングな言葉だったわけですね。
- いや本当ですね。で、あとは向こうは教育の中でタイプ1、1型なのか2型、タイプ2の投入病なのかをちゃんと理解してる人も結構多くてですね。
やっぱり向こうはタイプ2、2型投入病、いわゆる遺伝だとか生活習慣から来る投入病が発症が多いので、
ちゃんとタイプ1とタイプ2があること、1型と2型があることを理解してる方が国民的にも多い感覚がありました。
なので理解がある環境はこれだけ心地いいんだなっていうのをすごく感じました。
アメリカ留学と新たな視点
- なるほどね。理解がある環境がとても心地いい。それはその認識で多分自己認識とか社会の認識がだいぶガラッと変わったと思うんですけど、
その目でまた日本に戻って1年間戻ってきてどうでした?
- いやもう違和感でしかなかったですね。でも自分自身がやっぱりそこでマインドチェンジして、
このマインドを少しでも同じ1型だけじゃなく日本人の方にも広まっていったらもっと生きやすいのになっていうところで、
自分は隠すことをやめ、病気を隠すことをやめて、むしろ伝える側としてっていう方向転換になりましたね。
- 伝える側っていうところですけどね。いろんなことされてたんですよね。大学1年生の発祥をする前とか、モデルとかいろいろ人の前に出る、発表する仕事をしてたってこと?
- そうですね。ちょっとギャルの延長線上で雑誌に例えば載ったり。
- あんまりよくその辺り僕知らない。
- そういった過去があって。もちろん恥じてはないんですけど、でも表に出ることは好きでしたね。
何か大物になりたいみたいな子供の頃から。なんか戦隊ものが好きだったりとか。
- 戦隊ものとギャル。面白いんですね。
- あと父が人を助ける仕事をしていたので、より身近に人を助けるってすごくかっこいいなっていうのを子供ながらに感じていたかな。正義感がすごい強い子供だったなとは思います。
- そうですね。ご自身のキャリアという面ですけど、帰ってきて伝える側になろう、いろいろ伝えていこうと思ったって。
それってある種職業感の芽生えのような気がして。
どうですか?それをお仕事にしていこうという感覚だったのか、もうちょっとふわっといろいろまずは発信しようと思ったのか?
そのあたりってどんな感覚でした?
- それこそですけど、留学から帰国して就職活動だったりとか進んでいく中で、もちろん就職活動もちゃんとしたんですね。
インターンとかも受けたりしたんですけど、ずっと自分自身の中でやっぱりこの一型糖尿病に対する理解の少なさを少しでもやっぱり広げていきたいと。
そのために自分ができることは何だろうと。就職して、いわゆるOLとしてお仕事をしながら伝えられる手段があるのかとか。
いろんな選択を考えた中で、やっぱり芸能活動、メディア、マスメディアだったり、いろんなメディアを通して自分自身が活動していく中で、
一型糖尿病という病気の理解を増やすことが、一番ある種手っ取り早いって言ったらあれですけど、一番近い選択だなと思ったんですよね。
なのでやっぱり親としては保険料が高かったりするので就職してほしいという声もありましたけど、やっぱり一型になってから人生ほんと一度きりだなと。
やっぱりインシュリン治療のおかげで自分の命をつなげられているので、やっぱり悔いのない選択をしたいというところで、期限をつけて就職せずに大学卒業後、いわゆる芸能活動の方に進んだといった流れですね。
その流れって、例えば大学1年生の春とか、大学入る時ってまたいろいろ将来のことを考えるじゃないですか。
その時とどれくらい違いますか。
全く。
全く違う。
360度一周。
ごめんなさい、180度一周しちゃいましたね。
180度違います。
それこそですけど、留学に行きたかったきっかけも高校生の時で、やっぱり英語を話す環境下で仕事がしたいとか。
やっぱりあっちのオープンマインドがすごく憧れだったので、そういった英語を使える仕事を見つけて就職したいというふうに考えて大学に入って留学っていう流れだったので。
なるほどなるほど。
1年生の時は海外絡みの何か仕事ができればってふわっと思ってて、で帰ってきて病気もあって、そして留学して帰ってきて、カッコたるものになったっていう感じですね。
そうですね。
一型になってから大きく変わったっていうところですね。
なるほどな。
逆境を力に変える
これすごいいろんなヒントがあるなと思うんですよ。
これ聞いてくださってる皆さん、大体ビジネスパーソナルの皆さんが多くて、自分のキャリアについて悩んでいたりだとか、あるいは学びですよね。
学んでどうやってキャリアを作っていくかとか、そういったところに関心のあるリスナーさんなんですよね。
なのでそういった方々にすごくヒントが詰まってるなと思って、逆境とか弱さとかマイナスと思われてるものをどうやって自分の中でキャリア人生にプラスに変換していくかっていうところのヒントがすごく詰まってるなと思って。
このあたりはどうなんでしょうね。どれぐらい意図的にこの逆境、一型糖尿病があるからある種弱さがあるからこれを強みに変えていくんだっていう感覚ってどれぐらいありましたか。
そうですね。やっぱり一型糖尿病に関係なく皆さんにもそれぞれの悩みであったりとか、いろんな障壁が生きていく上であると思うんですね。
自分自身が弱みと感じているものって本当に考え方一つで、実はそれすごく強みであったりとかむしろ長所だったりする可能性も実はあって、私であればたまたま一型糖尿病突然発症して、でも本当に365日24時間血糖値のことを常に考えているんですね。
どちらかというと皆さんよりもより健康意識が強かったりだとか、健康に対するいわゆる血糖値をずっと考えているというところも誰よりも健康である自信が私はあって。
なのでそういった部分で栄養士さんとかいろんな変換の仕方がある。ある種その弱みに対しての理解がより深いと思うんですよね。
たとえばコミュニケーションが苦手だっていう人ってたくさんいるじゃないですか。
一般的にはコミュニケーションが苦手だとコミュ障って言われたりだとか、マイナスに捉えられるじゃないですか。でもそれって本当にただのマイナスですかっていうところって多分あると思うんですよね。
もしくはコミュ障であったら逆にコミュニケーションをしている時間ができないので、その分他に掘り下げられる時間があるので私はそっちをやりますっていう風に何か調査を深くやるとかもっと内面を掘るとかあるいは本当にたくさんの文章を書くとか。
マイナスをいくらでもポジティブに変換できるじゃないですか。セナさんはそれをやってきてると思うんですよね。だから変換の仕方ってきっとそれぞれなんだろうけど、なんだろう重要なの?マインド?ギャルマインド?なんだろう?
でも本当に考え方一つ変えるだけで人生は大きく変わっていくっていうところはすごく自分が体験したものでもありますし、何て言うんですかね。私よく言うんですけど、私もともと行動力全然ないんですね。
逆境を強みに変える意義
みんなもちろんあるって言ってくるんですけど、実は行動力は全く昔からなくて、ただ行動力がないならばどうやってその行動力を起こしていけるかを考えたときに、まずはその実際にアクションを、例えば一般社団法人を起業したいとなったときに、その法人を実際に起業されている方は直接お話を聞きに行って、それでも自分によりそこで聞いて終わるのではなく、
その次にどうやったら自分が立ち上げるまでにアクションをできるかの、考えるだけじゃ結局考えで終わってしまうことが多いので、周りを巻き込む。自分が公言してこんなことをやりたいんだよね。こういう法人立ち上げたいんだよねって周りを巻き込むことで、周りも協力してくれるし、周りも後押しをしてくれるんです。
そういえばあの法人って立ち上げたの?とか。そのときにようやく自分自身で立ち上げたいってずっと言ってたのに何もやっていないと。やっぱりそうやらざるを得ないなっていう環境づくりを自分で作っていくとか、本当環境一つで強みも弱みも変わっていくなっていうのは本当に感じるので、
もし今の皆さんのそれぞれのうまくいかないなとか障壁に感じているものに対して、一個環境を変えるだけで、それが強みとして考えられるマインドに持っていける一つの手段でもあるかなと思います。
なのでポイントは環境を変えたり、あとはこうなんて言うんですかね。私は環境を変えることで、より今までネガティブに思ってたことがポジティブに感じたりとか。
とにかくやってみないと知れないって趣味もそうですけど、趣味がないっていう人ほど多分アクション起こしていない。やってみないと趣味って合うか分からないですし。
なのでまずはやっぱりやってみること、とか知ってみること、学ぶことから進んでいくなとは感じますね。すいませんまとまらず。
せやなさんは公表する、発表する、公にするっていうところがすごく根っこにあるなって今聞いてて思って。
言ってみると、自分に行動力がないんだったら言ってみる。で、そうすると周りも動くので、それによって自分も動かされるっていうのを。
なんかすごくあれじゃないですか、体験的に分かってんじゃないですか。
いつもそれをやってますね。自分が行動力がないなりに自分の中での行動力を出せる仕組みというか。
発表して公表するとだんだん環境も変わってくるし、そうすると自分も動けるようになるしという、これがあれですね。
チャレンジャーモデル、社会活動家、一般社団法人、デコボコモヘジ代表、星見南野せやなさん流の仕事術の一つ。
そうかもしれないです。
な気がしました。
自分で悩んでても、やっぱり人にそれを伝えないと悩んでないのと同じになってしまって、自分の中で感覚があって。
なので、もちろん悩むことは大事なんですけど、それをどう周りを巻き込んで助けてもらったりとか、逆に自分も助ける立場にもなりますし、やっぱり話してもらわないと
コミュニケーションという、対話するものだけじゃないと思うんですけど、でもやっぱり私は人間は一人で生きていけないと思っているので、たくさんの人を巻き込む必要はないんですけど、一人でも何か信頼できる人に相談してみたりとか、自分自身で留めるのはもったいないなと思っちゃいます。
後半多分この辺りも繋がってきますね。
発信の重要性と環境作り
この辺りの話をね。
ありがとうございました。
時間ですって出てた。
すぐ熱量が高くなってしまって。
出てたので、このままの熱量で後半もいきたいと思います。
今回前半ここまでにさせていただきます。
ポッドキャストの詳細欄にメッセージフォームのリンクがありますので、番組への感想ですとか、あとは呼んでほしいゲストなどメッセージをお待ちしております。
それではまた次回お会いいたしましょう。
お相手は日経リスキリングMCの櫻井陽人。
セナでした。ありがとうございます。
ありがとうございました。
ランチタイムを学びの時間に、ウェブメディア日経リスキリングでは、平日のランチタイムに無料のウェビナーリスキリングカフェを毎月開催しています。
11月14日金曜日のリスキリングカフェのテーマは、自分の本当の強みを仕事で生かす方法、ストレングスファインダーで資質を知ろうです。
ゲストはストレングスファインダー認定コンサルタントの中村太一さんです。
多くのビジネスパーソンが受信するストレングスファインダーは、米ギャラップ社が開発した自分の資質を明らかにするツールです。
中村さんによれば、自分の本当の強みだけでなく、チームビルディングにも活用できます。
当日はストレングスファインダーを仕事に100%活用するための方法を解説してもらいます。
開催日時は11月14日12時5分から12時55分。参加申し込みは11月12日午後5時までです。
詳細は日経リスキリングのウェブページをご確認ください。皆様のご参加をお待ちしております。