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はい、それでは引き続き、本日のゲスト Momoさんのお話、後半戦入っていきたいと思います。 Momoさんよろしくお願いしまーす。
お願いしまーす。
ここまでですね、Momoさんのキャリアのお話聞いてきましたと。
手術部での経験と転職の考え
で、どんな話だったかというと、ある種偶然ですね、看護師という仕事に出会い、しかしそれが実は転職なんじゃないかというか、自分にとってすごくいい仕事なんじゃないかというところに気がつき、そのまま看護師を目指されると。
で、実際看護師になって働き始めて、自分が一番やりたかった科ですよね、小児科、小児の病院でかつ外科というところの科に入って楽しく働いていましたと。
なんだけれども突然、病院の経営方針の変更ですかね、の煽りを受けて、突然全く意味もしない部署移動、手術部への移動になった。
そしてこの手術部、嫌で嫌でした、変わったなかったんだと、その話をここまで聞いてきましたと。
で、ここからこの手術部でMomoさんがどう変化していく、もしくはどう獲得していくのかというお話を聞いていきたいと思いますので、よろしくお願いします。
お願いします。
はい、というわけで、まあ何でしょうね、オリエンテーションを練るほど嫌だった手術部なわけですけれども、
この後、最終的に、まず最終的な結論からお伺いすると、手術部は最終的にはどういう気持ち、で、まあその後転職するわけですけれども、転職する直前はどういう気持ちで手術部で働いていたというか、その辺りはいかがですか。
手術部は、まあ最初ぐらい嫌かって言われるとそんな嫌じゃなかったんですけど、
でもやっぱり責任が重いというのがすごく大きくて、自分の一歩間違えたことが誰かの死につながっているっていうプレッシャーが長く続けるのは難しいなって思ったんですよね。
こっちの精神がすごくすり減っていて、これあと20年続けられないって思って。
なんで、まあ好きか嫌いかって言われるとちょっと難しいんですけど、まあちょっと長く、長い目では見られないなっていうのが思ったところですね。
手術をする以上命を左右するっていうことですよね。結構じゃあそういう重たい手術というか、手術に思いも何もないかなとは思うんですけれども、
例えば想像すると骨折ぐらいだったらそこまでなのかなとか素人考えですけれども、あるんですけれども、それだけではなくても生き死にに関わってしまうような重たい手術等々も実際目の当たりにしてということなんですかね。
そうですね、もう最後1、2年ぐらいは移植医療をメインで携わっていたので、生体管移植だったりとか、あとは心臓移植のチームナースとして動いていたので、かなり自分の責任というのはすごく大きかったですね。
それすごい話だなと思うんですけれども、心臓移植っていうとジーム・バティスターの栄光っていう本があって、それがどうしてもですね、思い浮かんでしまうんですけれども、それの小2番というか。
そもそも日本であるにはあると思っていたんですけれども、実際にその現場にいた人の話はほとんど聞けないなと思っているんですけど、話せる範囲でというところは当然ありつつも、もう本当に心臓移植が必要なお子さんの手術を担当する、その手術の場にいらっしゃるナースさんとして働かれていたということなんですね。
はい、そういうことですね。
それって確かにおっしゃる通りめちゃめちゃ責任が重いというか。
はい。
ただ一方で、これ完全に素人考えなのでこの後教えていただきたいんですけれども、手術をするのは先生じゃないですか。
そうするとこう全責任は先生に言えるようなイメージにもなるんですね。
はい。
ただ実際はそうじゃないんだと思うんですけど、その手術という中で看護師さんが担う責任というか、それってどういったものになるんですか。
心臓移植とか移植医療の中ではやっぱりチームとして動くので、もちろん責任はすべて執刀医にあるので、最終責任はその責任者と言われるのは執刀医なんですけど、
一応麻酔科医とか機械をいじってくれる臨床工学技師とかも含めてナースも含めて全員で一チームとして動くので、もちろん先生と一緒に準備するんですけど、
例えば自分が準備したものが足りないとか、何かを落としてしまったとか、人間だらしもオットットみたいなことってあるじゃないですか。
でもそのオットットのことが誰かを殺す可能性があるんですよ、言うたら。
本当にそういう現場なんで、やっぱり自分のミスっていうのはすごく大きくて、先生がもちろんどうにかはしてくれることがほとんどなんですけど、その中でも一緒に携わってるっていうのは重いですね。
エアレスミスみたいなものがそのまま命に直結してしまうというか、オットットっていう話もあったと思うんですけど、オフィスであればね、髪が足りないとか、リンクが切らしちゃったとか、大したことにはならないと思うんですけれども、
それが特にももさんが携わられていた手術では大きな問題になってしまうというか。
なるほど、それはかなり精神を削られますね。
本当に、なんで8時間働いたらほぼぐったりみたいな感じで、なかなかその後に何かするっていうのは厳しいみたいな状況ではあったんですけど。
そうですよね、8時間、手術が8時間というわけではないかなと思うんですが、ただその中で手術があって、その時間、例えばそれが3時間とか4時間とかの間はずっと張り詰めてるわけですね。
そうですね。
なるほど、これってお話を聞くと、何でしょうね、この擦り切れてしまうというか、疲れてしまうというか、続けられないと思う看護師さん、他にもたくさんいらっしゃるんじゃないかなと思うんですが、実際はどうなんですか、それを続けられる方もいらっしゃる一点は?ってことなんですかね。
看護師さんになる人って、すごく義務の精神が強い方が多かったりとか、正義感が強い方がすごく多くて、何かを与えられているということにすごく達成感を感じる人がすごい多いんですよね。
なので、自分が擦り減ってでも、この子が助かるならいいって思う人すごく多いんですよ。
だけど、ちょっとノリと勢いで看護師になった私には、ちょっとあまりにもハードルが高かったというか、もちろんやってるときはそこの場所に所属してるし、責任があるし、自分の名前が記録に残るので、中途半端なことはできないので、もちろん死ぬ気で勉強してそこの場に立ちますけど、
でも、若いときは勉強したかったからこの場所に来たけど、長い目で見られるかっていうと、難しいなっていうのが現実でしたね。
ある種、使命感の違いというか、これって言い悪い話じゃないと思っていて、多分、人それぞれ何に使命感を感じるのかが違う話だと思うんですね。
その時にその手術に携わるっていうこと自体に人生をかけられる人も当然いる。
でも、そうじゃない人も当然いる中で、ももさんはそうじゃないかというか、当然やってるときには使命感があったけれども、じゃあ一生それが、なんでしょうね、てんめいとしてやれるかっていうとそうじゃなかったりとか思うんですかね。
なるほど、ありがとうございます。じゃあもう本当に厳しい環境、多分お話を聞く中でもかなり、看護師さんの中では序列はないとは思いますけれども、
ただ責任の重さで言うと最も重たいところの一つにはいらっしゃった、そういった経験をされた後にここを一生続けるのは難しいという話だったと思いますけれども、
病院以外の働き方を知る
であればじゃあちょっと別のところに行こうというところで、次に障害児保育の保育士さんではないですね、看護師さん、保育園の看護師さん、好きな看護師さんっていうのを選ばれるってことなんですかね。
はい。
ありがとうございます。これってここからだいぶチェンジは激しいと思うんですね。
つまりは一番厳しいところにいらっしゃったとは思うので、ここから同じ看護師の枠組みでまた外科に戻るだとか、別の病院のまた違うところに行く、そういった選択肢もあったかなと思うんですが、
そうではなくてここを選ばれた、障害児保育を選ばれたというのは何か理由はあったりするんですか。
転職を考えるときに最初は病院の転職を考えたんですよ。この病院じゃなくてもいいかな。
例えば総合病院の症人だとか、症人病院だったとしても別の地域、東京じゃない地域になればもう少し落ち着いている場所もあるかなっていうのを探したんですけど、
結局同じというか、病院という組織に入ったら、しかも手術部で心臓移植まで経験した経歴がついてしまっている自分には、きっと転職しても手術部っていう配属先がきっと待っていそうと思って、
これは選べないので、やっぱり誰かに雇われる以上、自分で選択できることではない。
なので結局環境は変えられないなって思って。
病院以外ってどんな働き方があるんだろうって思ったときに、看護学校ってそれを教えてくれないんですよ。
看護学校は95%ぐらいの確率で病院にみんなが就職するので、病院以外の選択肢知らないまま病院の看護師さんになるんです。
だからいざ辞めたいって思ったときに、他に何あるんだろうっていうところで、まず分からない知らないっていうので、その間準備する期間が1年ぐらいあって、
いろんな働き方を見てみたいなって思ったときに、最初にもちょっとお話出てきたんですけど、看護師のオンラインサロンっていうのに出会って、
そこにはもう病院の外で活躍している看護師さんがたくさん所属されていて、そこがいわゆる看護師図鑑じゃないけどこんな働き方もあるんだ。
例えば有名なところで言ったら訪問看護とか、あとは施設の看護師さんとか、企業の看護師さんとか、いろいろあるんですけど、
あと美容外科とか、病院ですけどもうちょっとジャンルの違う。いろんな働き方を見たときに、みんながどうやって転職を考えたかっていうところにも出会ったんですよ。
障害児保育の保育園での看護師としての選択
その時に自分を掘り下げている人が多かったんですね。自分って何がしたかったっけとか、どういうビジョンを持って何がしたい、本当に何が好きだったかみたいな。
自分を知るっていうところを結構やっている人が多くて、私そういうのやったことないなって思って、結局何が好きだったのかとか、何がしたかったんだろう、何で看護師になったんだろうみたいなところに全部掘り下げたときに、
子供が好きで商人の看護師さんになったのに、手術部って、いわゆる来たら5分とかで寝ちゃうんで麻酔かけて、ほぼ子供とコミュニケーション取る時間ないんですよ。
だから全然面白くなかったんだって思って、子供と関わる時間が短くて、自分がやれている、自分の看護が良し悪しがわかりにくい。
自分のコミュニケーションで良いこともたくさんあると思うんですけど、5分とかのコミュニケーションだから、自分が良かったのか悪かったのかが評価しにくいんですよね。
だから手術部の面白さみたいなところがあんまり発展しなかったんだなっていうのに気づいて、子供と関わる時間を長く持てる場所を探すようになって、そこから保育園っていう場所。
保育園にも通常保育園の看護師さんっていう働き方と、私の今いる障害児保育園っていう働き方。
あとは施設、児童発達とかの施設。あと訪問看護ももちろん時間的にコミュニケーション取る時間はあると思うんですけど。
いろいろある中で、そうだ私幼稚園の先生になりたかったんだったって思って、保育園っていう選択肢にして。
通常保育園と障害児保育園は、障害児保育園の方がもちろん今まで勉強してきた医療行為が役に立つっていうのもあれだったんですけど、ぶっちゃけ言えば金銭的なものが大きいです。
お金がやっぱり医療資格を持って医療行為に行える看護師を雇うってなってくると、やっぱり障害児保育園の方がお給料はいいので、自分の生活水準の問題ももちろん皆さんあると思うので、
そこはあまり下げられないっていうところを考えると、障害児保育園というところに至ったっていう感じですね。
看護師としての経歴
なるほどですね。そういう意味だと、モモさんは看護師さんとしてはある意味でかなり強い経歴を持ってしまった。意図せず。
ある種手術という領域で、恐らく最高峰のところにいらっしゃった。病院的にも最高峰ですし、最も難しい手術に携わっていた。
そうなると、もう経歴が強すぎて、その経歴ならっていうことになってしまいますね。
ただ、やれる?恐らくお話を聞く限り、相当それに勉強されてやられていたんじゃないかなと思うんですけれども、
それを一生やれるかっていうと、そういう自分の天命はそこにないということがあった。
それを理解してしまったがゆえに、病院はもう選べなくなってしまったってことなんですね。
その中からオンラインサロンという話がありましたけれどもに出会って、
少し自己理解のプロセスが挟まり、最終的には保育にたどり着くところで、
それもお話が何でしょうね、ここで循環するんだというのがすごく見えてきたなと思うんですが、
もともとは子供が好きっていうところで、看護師とセットですごくいいってお話から、
うよ曲折あって、多分おそらくそれを忘れている時期もあったのかなと想像するんですけど、
そこに戻ってこれたっていう話なんですかね。
そうです。
そういう意味で言うと、戻ってきて、いざ障害児保育働かれて、どうでした?
仕事に行きたくないという感覚が全くなくなったっていうのが幸せなことですね。
仕事に行きたくないという感覚はもうない?
はい、ないですね。
大体、社会人になると仕事辞めたいとか、仕事行きたくない、どうやってサボろうみたいなのを考えている人たくさんいると思うんですけど、
仕事に行きたくないという感覚はほとんどないですね。朝早いぐらいかな。
ちょっと保育園なんで朝は若干早いんでね、朝早いは若干思ってるんですけど、
でもそれ以外はほとんどないです。業務的に出て行きたくないとかないですね。
毎日どんな顔して子供が来るのかなとか、今日はどんなお話ししてくれるかなって思うと全然面白いですね。
それはすごい素敵だなと思いつつ。
ただ仕事として保育士さんではないんですよね。看護師さんではあるっていうところで、
これって職種の違いというか、やることが違うのか、それともかなり混じってるのかっていうと、どういった形なんですか?
かなり混じってますね。保育業務にはナースは入っていってる感じなので、
例えばうちで言うと人工呼吸器のついてるお子さんとか、
寝たきりと言われるお子さん、自分で座ったり立ったりはできないというお子さんが結構いるので、
やっぱりそういうお子さんには看護師がついて一緒に保育するという感じなんで、
全然私の毎日の業務の中に公園に行って一緒にお散歩したりとか、
10キロ前後くらいだったら全然背負って滑り台一緒に滑ったりとか、
自分で登ったりできる子は自分で登ってもらえますけど、寝たきりの子はできない。
でもだからといって優遇で遊ばないというわけではないので、
全然担いで大きい優遇滑ったりとか、
あと制作とか、いわゆる一般の保育園でやることは一緒に入ってやるっていう感じなんで、
もう本当に半分ぐらい保育園の先生って感じで、
ただやってる内容が医療機器を取り扱うのと、
あとお弁当とかが口から食べれる子の方が少ないので、
なのでお弁当は持ってきてもらうんですけど、いわゆるミキサー食だったりペースト食と呼ばれるような、
液状になっているものを医療とか軽管栄養と言われるものから注入したり、
ただみんなと一緒に座っていただきますってしたりは同じなんで、
そういったところで私たちの医療行為っていうのを行うっていう感じですね。
そうなんですね。ほとんど保育士さんなんだけれども、
子どもたちがそれこそ医療行為が必要な子どもたちだからこそ、その専門知識が必要で、
それを同時にやるというか、形なんですね。
じゃあもう、ももさんにとっては最高の環境というか、
子どもと関われる最高の環境だからこそ、
仕事が来るじゃないというか、行きたくない。
行きたくないとは思わないというのはそういうことなんだろうなと。
そういうふうに思いますね。なるほど。
フィットネスインストラクターへの転身
じゃあそういう意味だともう今の仕事が楽しいという状況かなと思うんですけれども、
これに合わせてフィットネスのインストラクターをやられていますよねと。
これはまた全く別の文明的には出てこない話のような気がするんですけれども、
どういうきっかけでこれは出てきたんですか。
これちょっと話だいぶ遡っちゃうんですけど、
ゴリゴリの手術室で働いていたんですが、
非常に勉強が必要で、かなり勉強時間だったり、
心も体も疲弊するような場所にいて、
今思えば自分でもちょっとおかしいと思うんですけど、
この手術部と同時に私はアメリカンフットボールのチアリーダーを現役で行うっていう、
スポーツのアスリートでもあったんですね。
なので、ちょっと様子がおかしいような働き方をしていたんですが、
病院の看護師さんをしながら自分も現役のアスリートとしての生活をしていて、
休日はほとんど練習に充てたりとか、
毎日が重たい手術じゃないので、
重たい手術じゃない日はトレーニングに行ったりっていう生活をしていて、
そこでチアリーダーに最初オーディションで受かった年に、
コーチに最初にまず痩せないと立たせられませんって言われて、
ダイエットの目的で始めたのが格闘技。
で、自分が痩せたから自分もインストラクターになってみたっていう感じですね。
いやちょっとこれ、急にまたすごい話出てきたなと思うんですけど。
そうなんですよ。私、かなりいろんな方向が。
そうですね。いろんな方向というか、
そのもともと大変な手術部にいらっしゃった時に、
なぜか元気なアスリートも並行させるという、
予測がおかしいということもありましたけど、だいぶ様子がおかしいですね。
そうですね。みんなに24時間で生きているのかを聞かれたっていう感じですね。
そうですよね。
僕も全く同じことを思ってですね、
どうやって生きていたんだろうなって。
どうやってきたんですかね。
すごいですね。
それは全然やれたというか、やれたんですよね。
手術部がどうしても土日のお休みが多いんですね。
他の看護師さんと比べて。
病棟でやっぱり2年間経験してきて、
手術部に移動してから土日のお休みが多くなって、
これは何かやらないともったいないという気持ちに駆られ、
勉強が忙しすぎるんだから勉強しろという話。
でも1年間勉強したんです。
1年間ひたすら勉強と手術だけに向き合ったんですけど、
2年目になって、少しだけ、ほんのちょっとだけ、
何かできるかもっていう気持ちになって、
そこからオーディションを受けに行ったという感じですね。
そのバイタリティーがすごいなと思いました。
そもそも1年間手術と勉強だけに向き合うっていうのも、
かなり相当だなと、そもそも思うんですね。
やっぱり、週9、5日と言いますか、
普通の会社員は皆さん2日休んでるので、
そこまで詰め込む人ってなかなかいらっしゃらないと思うんですけど、
モンプさんはそれにしっかりと向き合った上で、
2年目以降当然、それだけやれば余裕ができてきてと。
その余裕を趣味に当てるのではなく、
さらに高みを目指すと言いますか、
アスリートになってみようと、ということだったんですね。
はい。
これ、ちょっと聞きたい話がありすぎて、
僕ですね、今ちょっと混乱してるんですけれども。
これだからまとまらないんですね、私は。
いや、全然。
そういうのと、でもちょっと興味の、何でしょうね、
一番興味、聞きたいことを聞きましょうかね、
感情に備えにしたがって。
いや、アスリートを目指したいというか、
何かできるかも、でもおそらく話を聞く限り、
かなり小さな隙間だったと思うんですけれども、
その中でもアスリートというか、
なんでしょうね、ある種プロですよね、それって。
のチェアリーディングを目指したいと思ったのは、
それは何がモチベーションになってたんですかね。
自分がそういう感覚になったのって、
やっぱり看護師になって、
姿勢感を目の当たりにしたっていうのが、
すごく大きいかなって思っていて。
もちろん病院に就職したし、日本一の病院なので、
まあ、そう甘くはなかったし、
子どもが好きでなりましたけど、
失う命もたくさんあったので、
助けられなかったお子さんもたくさんいるんですよね。
やっぱりそういうお子さんたちを目の前で見てきて、
自分五体満足に生まれて、
何の障害もなく育ってきて、
今与えられている20代っていう時間で、
土日休み増えた。
うわ、なんかやらないともったいないって思って。
その自分の20代っていう時間は今しかなかったし、
やっぱりそこの時間をどうやって自分の中で過ごせるかって、
ほんと自分次第だなって思ったんですよね。
与えられた時間の大切さ
でもそれはやっぱり子どもたちが教えてくれたっていうか、
子どもたちとやっぱり触れ合ってきて感じたことで。
結構時間がもったいないって思うことたくさんあるんですけど、
やっぱり与えられた時間が短かった。
余命宣告されて、やっぱり亡くなったっていう、
目の前で見て、
自分はここの時間があるとか、
ここに隙間ができたとか、
やっぱりそういうのがもったいないって感じたりとか、
先生に言われてすごく納得した言葉があって、
自分の生きてる今が、
あの子が生きたかった明日かもしれないって言われて、
本当に時間もったいないなって思ったんですよ。
なので自分のやりたいことに全力で、
やれるだけ全力投球するべきだなって思って、
土日休みになった、何かしたいなって思ったときに、
自分の叶えたかった夢って他になかったっけって思ったんですよ。
やりたかったこと、叶えたかったこと。
これが、私高校でチアリーリーグ部だったんですけど、
チアリーダーとして東京ドームでパフォーマンスしてみたいって、
多分全国のチアリーダーが一回思うことだと思うんですけど、
チアっていう競技を始めてみて、
東京ドームに立ってみたいっていうのがあったんですよね。
そういえば、それ考えてなかったって思って、
チアリーダーっていう、プロっていうか、
チアリーダーのプロのリーグは今、
バスケが今プロ化したんで、
プロのチアリーダーですけど、
あとプロ野球がプロのチアリーダーですけど、
あまりプロの世界ってないんですけど、
アスリートとしてやっていける中で、
どういう世界があって、
今の仕事と何が組み合わせが良くて、
どういうところならできるのかな、
自分の現役生活っていうのができるのかなっていうのを調べて、
アメリカンフットボールっていうのに出会って、
アメフトのチアは元々観光学校の時にちょっとだけやってたんですけど、
それとはまたちょっと違うジャンルっていう、
アメフトのチアもちょっと種類があるので、
ちょっと違うジャンルっていう感じで、
そこのオーディションを受けて決めたっていう感じ。
なるほど。
そういう意味だと、時間の価値というか、
何でしょうね、
与えられている時間に対する考え方というのが、
ももさんがいらっしゃった環境だと、
ラトというか、何でしょうね、
目の当たりにしてきたものによって、
だいぶ重みが違ってきたというか、
それはそうですよね。
僕らが普通に想像する、
何でしょうね、余命戦国みたいなものって、
やっぱり現実感は欠いていて、
そこにリアルはそんなにないんですけれども、
それをほぼ毎日のように目の当たりにする、
そういう環境に置かれていてということなんですよね。
なるほど。
そして、ではその時間を徹底的に生きようということで、
アメリカンフットボールのチェア、リーダーを目指す、
そして実際になってしまうということなんですね。
いや、ちょっとどうしよう、
あれですね、僕のこの時間の使い方が大丈夫なのかしらというような、
聞いている皆さんがちょっとですね、
身につかされるような話になってしまったんですけれども、
なるほど、いやーちょっとですね、
いい話すぎて、
いやーちょっと働く僕が始めて本当によかったなって思うんですけれども、
いやーその、なるほど、
じゃあ実際チェアリーディングのそこのアスリートになられて、
夢はちなみに叶ったんですか、東京ドーム。
チアリーディングからフィットネスインストラクターへ
はい、5回ぐらい叶いました。
おー、じゃあもうしっかりと夢を叶えてと。
そうですね。
すごいですね。
で、そこからその経験を生かしてフィットネスのインストラクターを始めるということなんですね。
うんうん。
いや、じゃあもうすべてが繋がって今と、
うん。
という形で、これじゃああれですね、
障害児保育のマカオクサルケアの看護師さんと、
フィットネスインストラクターと両方とももうやりたくてやってるというか、
楽しくて仕方ない仕事ということにはなってるんですかね。
うん。
なるほど、ありがとうございます。
ちなみになんですけれども、
フィットネスインストラクター、
これシェアリーディングから入っているお話だったので、
それこそ前半の冒頭の話に戻りますけれども、
音楽系というか、そういうフィットネスに入ることも可能だったんじゃないかなと思うんですけど、
そうではなくてマーシャル系というお話、格闘技、戦えるというところに入ったのは何か特別な意味とかあったんですか。
単純に自分に結果が出たというのが一番大きくて、
高校生の時から少し太っていて、
今考えれば高校生の時に太っていた原因は明らかなんですけど、
そこからずっと太ってたんですよね。
アメリカンフットボールのチェアリーダーって、NFLとかご存知の方はわかると思うんですけど、結構水着みたいなユニフォームを着るんですね。
お腹が出ているセパレートタイプといって、胸の部分とお腹周りの部分しか覆われていないという感じで、
結構お腹が出てたり胸が結構がっつり空いてたりというのが結構主流なので、
体のラインは結構綺麗じゃないといけないんですけど、
高校生から結構太っていたので、やっぱり痩せなきゃと思って。
最初はいろいろ食べているものが悪いと思って、
いろいろ食べ物を制限したりというのをやったんですけど、全然痩せなくて。
食べるのを絞るのは私には向いていないと思って、食べるの好きだし。
じゃあどうすればいいかというと、運動するしかないってなって。
たまたま雑誌の裏の1、2枚とかによく出ているモデルさんとかがキックボクシングをやったりっていうのがあって、
タレントさんとかモデルさんが結構キックボクシングやってるのを何例か見たんですよね。
お腹痩せとかヒップアップとか書いてあって、そうなんだって思って。
私思い立ったらすぐ行くタイプなんで、そうかって思って格闘技ジムにポンって行って、
多分あまりいないと思うんですよ、女の子でポンって格闘技ジムに行く人。
結構珍しいタイプだと思うんですけど。
普通まずフィットネスクラブに行くと思うんですけど、
まず格闘技ジムに行って痩せようって思って入ったんですけど、
最初続けるのが難しかったんですよ。
病院の業務が忙しかったっていうのもあるし、通うのが難しかったんですけど、
そこからこのリズムに合わせて行うボクサーサイズっていうのに出会って、
それが楽しくて、やっぱりダンス出身だから、曲に合わせて格闘技やるっていうのがめちゃくちゃ楽しくて、
そして格闘技だから消費カロリーがすごく高いんで、
そこから自動的に1年ぐらいかけてギュッて痩せて、
やっぱり自分の体に効果が出たってすごく自分が納得してるじゃないですか。
だからこれを誰かに伝えられるようになったらもっといいなと思って、
資格を所有したっていう感じですね。
障害児のためのダンス教室を作る
自分の体で効果が出た、だから伝えたいっていうのは、
本当にシンプルですけど強いですよね。
実体験を伴って伝えられるっていうことの強さ、本当にあるなと思っていて、
いやー、ただそこが、その実感を得るまでは結構偶然だったというのがまた面白いなと思いつつ。
あとですね。
ありがとうございます。
本当にいい話の連続で、これ聞いてる人もすごいですね、
力をもらえてるんじゃないかなと思うんですけれども、
これは本当に最後の方の質問として、今後ですね、やりたいこととして、
冒頭、ダンス、チアっていうお話もあったと思うんですけれども、
今後どういうふうなお仕事をしていきたいというか、どういうふうにしていきたいというか、
そういった今の思っている展望とかあれば教えていただけますか。
これから考えているビジョンっていうのが一応あるんですけど、
今これから考えているビジョンは、
障害を持っている、今障害児保育園という場所に来てくださるお子さんたちみたいに、
先天性疾患だったりとかを抱えているお子さんたちが、
通える習い事の場所を作りたくて、
中でも自分がやれることっていうので、チアだったりダンスだったりを、
障害児向けに教えていくっていうのが今後のビジョンです。
先ほどもちょっとお話ししたんですけど、
やっぱり自分の与えられた時間の中で、やりたいことで埋めていきたいっていうのがあって、
誰かに何かを指示されて働くとかじゃなくて、
自分でクリエイティブにできるかどうかっていうのもすごくやってみたいし、
あと自分がチアリーダーやってきたとか、
看護師の医療教育ができる経験、資格もあるっていうのも活かして、
やりたい仕事で生きていくっていうので、
自分のやりたいことだけに絞っていきたいなっていうのがあって、
今後、子ども、そういう障害のあるお子さんたちに
ダンスを教えていきたいというのがあって、
実はこれもうちょっと指導し始めていて、
すでに今レッスンが始まっている状況なんですけど、
これだけで生きていくのは今は難しいので、
徐々にシフトしているという感じですね。
なりたいというか、やりたいことに全力投下していく。
しかもそれはこれまでの経験というか、
それって知識もそうですけれども、体験というか、
その中で培われてきた自分の考えが全て結びついて、
今、障害児の子どもたち向けのダンス、
そういったところに結びついて、
そしてこれが今後大きく咲くようにというか、
できるようにしていきたいということなんですね。
ああ、ありがとうございます。
いや、本当にいい話、いい話っていう
淳朴な言葉でまとめていいのかも。
なんでしょうね。
いや、なんとも言えないところではあるんですけれども、
なんでしょう。
本当に聞いている、
言いたべ今回もぐですけれども、
なんでしょうね、力をもらってですね、
自分も頑張ろうという気になりました。
いや、ありがとうございました。
ありがとうございます。
いや、いい話だったなというわけでですね、
働く僕らとしては以上になるんですけれども、
最後に桃さんの方から何か告知したいこととか、
働くご自身でいろいろやられているので何かあるんじゃないかな
と思いお伺いしているんですけれども、
告知したいこと、もしくは聞いている方へのメッセージ、
何かあれば教えてもらってもよろしいでしょうか。
桃さんの活動と将来の展望
はい、今その障害児に対して、
障害児っていう呼び方にはちょっと賛否両論あると思うんですけれども、
もともと先天性疾患という病気を抱えて生まれたお子さんたちで、
自立歩行のできるお子さんにダンス教室を行うっていうので、
今ちょっとレッスンが始まっている状態なので、
ぜひそういうお子さんが近くにいるよとか、
こういうダンスやってみたいかもしれないとかがあれば、
今全然体験からで全然レッスンできますので、
よかったら、ちょっと東京でやっているので、
関東近辺のお子さんたちじゃないと難しいと思うんですけど、
いずれあと10年、20年したらもっと拡散できるようにしたいなと思っているんですが、
まずは関東に住んでいるお子さんとかお母さん、お父さんが聞いていて、
そんなの気になるっていうのがあったら、
桃さんの活動への参加方法
ぜひ連絡つないでいただけたらと思います。
ありがとうございます。
ぜひいらっしゃればですね、お声掛けいただきたいと思います。
お声掛けいただく際はですね、
この働く僕らのGoogleフォームもしくはXですね、
DMいただいても結構ですし、
もしMOMOさんのほうで何かフォーム等と思われていれば、
この番組の説明欄につけたいなと思いますので、
そちらからご連絡ください。
では、MOMOさん本当にありがとうございました。
ありがとうございました。
最後にですね、働く僕らを聞いている方向けに、
もしこの番組の感想等々あればですね、
TwitterXにハッシュタグをつけてですね、
ハッシュタグ働く僕らをつけて呟いていただけると、
この番組を運営しているMOGと、
あと新聞ですね、新聞が泣いて喜びますと。
あとはGoogleフォーム等々もありますので、
ぜひご連絡いただければと思います。
では、本日の働く僕らは以上となります。