私、日頃、NPO法人、ソーセルチェンジエージンシーというところの代表理事をしていまして、
もともと設立した2015年で、だいぶ時間経ってるんですけれども、
2022年までは福祉の仕事をしている方向けの研修事業をずっとやってたんですが、
2022年以降は、日本にいろいろと社会保障制度と呼ばれる、お金のこととか介護のこととか子育てのこととか、
何か生活のサポートが必要な時に利用できる公的な制度があるんですが、
いっぱいたくさん種類とかあるんですけど、知らなかったりとか、いろんな理由で利用できない人がいるっていう問題に対して、
事業をやっていきたいなということで、全然長くなっちゃったんですが、2022年からはメール相談とかLINE相談とか、
あとチャットボットとかってあると思うんですけども、そういう仕組みを使って社会保障制度自動案内するみたいなことを
やったりですと。あと、この春からは中学生とか高校生に社会保障制度、ゲームで学ぶ機会を作りたいということも、
ひと言でまとめると、いろいろな社会保障制度あるけれども、それを利用しづらい、そういう問題に対していろいろ取り組んでいるっていうのが日ごろの活動になります。
社会保障制度を広く皆さんに知っていただくみたいな活動なんですね。
そうですね。
奥山さんは2021年、2022年に本を出されたんですよね。
そうです。ありがとうございます。2022年ですね。
その本が、いわゆる福祉の制度を説明しているんだけど、ストーリーになっててね、すごく読みやすいんですよね。物語なんですよね。
ありがとうございます。ちょっと持ってくるの忘れてしまったんですが、15歳からの社会保障という、
義務教育時点に、こういう困ったらこんな制度があるんだっていうことを知ってもらう機会を、
架空の短編集で、その短編集の主人公に何か困ったことが起きて、後半部分で利用できる制度に誰かが教えてくれるとか、そういう起承転結で制度の内容を最後に説明するという、
そういったものを書かせていただいて、おばあさんにも買っていただいて、お住まいの近くの学校などにも寄贈していただいて、さんせいさん、本当にありがとうございました。
すごい小学校と中学校、地元の学校に寄付して、地元の小学校と中学校に寄付させてもらった理由は、
私は精神保険福祉士で、横山さんは社会福祉士の資格で仕事をしているんだけど、なかなかこう伝えようってするときに難しくなっちゃう。
言葉が難しく、制度の名前とか制度の仕組みとかってすごくわかりづらいんですよね。もちろん新生主義って、後ほど横山さんから出てくると思うんですけど、
そういうところがあるので、やっぱり、たとえばドラマを見たりとか、アニメを見たりとか、漫画を読んだりってしたら人って結構入るけど、
そういう意味で、その横山さんの本は、私は画期的だって思ったし、それを現役のソーシャルワーカーの人が書いたっていうのがすごい。
でも横山さんのイメージだと、すごくわかりやすい本を、普段の横山さんの言葉とか、書いてるものとかを見ると、バリエーションあるなって思いました。
ありがとうございます。
別にすごくわかりやすい物語になってるから、イメージのギャップはあったかなっていう。
褒めていただいてます。
いや、すごいです。
本当に2年ぐらいかかって、海の苦しみが大きかったもんですからね。
じゃあ、誰でもわかるような言葉に変えて、学校でも読めるような内容なんですね。
学校の図書室にあったら、手に取った人が救われるんじゃないかっていうような本。
はい。
なんか思い浮かぶんじゃないかなと思って。困ってる友達とか、あとは前読んでこういうことあったなみたいな、のきっかけになるんじゃないかなって。
そういういろんな啓蒙というか、情報を届けていくみたいなのって、具体的にどういうことを普段されてらっしゃるんですか。
そうですね。先ほどの書籍は、学校現場に最終的には、15歳っていうふうにつけたら、義務教育の時に家賃が払えなくなっちゃったら、こういう制度があるんだよとか。
子供を産むことになって、自分で育てられないっていうふうになったら、こういう方法があるんだよとか。
あんまりそういうサポート策ってあるんですけど、それをすべからくこの国に住んでる人が知るポイントがあるとしたならば、義務教育が一ついいのではないかと思って出したんですが、
それ以外ですと、市役所とか国とかも、生活保護制度ってこういう制度ですよとか、
就業手当ってこういうものですよとか、そういうのもいろいろ出してはいるんですが、
例えば利用するための要件が難しかったりですとか、
あとはお役所言葉って日頃あまり使わない言葉が多いと思うんですね。
例えばお金に関するものを手当てですとか、助成、助けるに成長のせいで助成ですとか、
そういった聞き慣れない言葉で、ある程度日本語に問題がない方とか、
あとはしっかり学習機会を得てきた方にとっては理解できるかもしれない言葉であっても、なかなかそういう方ばかりではありませんので、
言葉の難しさもそうですし、あとやっぱり教えられてきていませんので、
生活法という制度は言葉自体は聞いたことあると思うんですが、
自分がどういう状況になったらそれを利用できるかってことを、
ご存じない方の方は多いと思うんですよね。
そうですね。実際にそうなって申請した人以外は普段わからないですよね。
そうなんですよね。いろいろ調べればですね、そういう生活法の経営さんの指揮とか出てくるんですけれども、
そういうことを代々的にPRされたりとか、そういうことを何か学ぶ機会みたいなのもありませんので、
本当に生活法にとっていろんな制度一つ一つがそうなんですよね。
制度はあるんですけれども、それを利用するための障壁、ハードルというふうに呼ばれるものが様々ありますけど、
そもそもどういうものがあるか知らない。
特に制度の名前って、それを見ただけではメリットがわかりづらいので、
例えば、住居確保給付金という名称の家賃のサポート制度があるんですけれども、
住居確保給付金というふうに耳で聞いて、
お家賃の補助制度だというふうにバッとわかるかというと、そうじゃないでしょうし、
知ること一つとっても名称のわかりづらさですとか、
そもそもどこにアクセスしたりとか、どこに聞けばわかるのみたいなことを皆さんご存じですか。
とりあえず市役所に行くとかそんな考えしかないですね。
それも素晴らしいんですよね。市役所にとりあえず行くということ自体も思い浮かばない方もいるので。
あるけれども、知ることは難しいみたいなことですとか、
繰り返しになるんですけれども、言葉が難しかったりですとか、
自分がそれを利用できるかどうかっていう要件の判定を自分で行うことが難しかったりですとか、
あと必要な書類、自分の収入の状況の書類とか、
あと細かい自分の状況を申請書に書くとかですね。
それ書いて、それで役所に行って、自分の状況をある程度相手にわかりやすいように説明して、
これこれこういうことで困っているのでこれを申請しますって言って申請書を出すと。
その一連のプロセスに何かしらその困難を変えてしまう、覚えてしまうと、
たどり着くのは難しいっていうことがあるわけなんですね。
じゃあまず知るっていうところでまず第一障壁があって、
知った上でこれをどう申請していったらいいんだろうっていう第二障壁があってみたいな、
結構な障壁が重なるんですね。
はい、おっしゃる通りプロセスに小さいもしくは大きな障壁がいろいろあるので、
それで弾かれてしまう人がいるということをどうにかしたいなっていうふうに思っていると。
どうしてこれに取り組もうっていうふうに感じて、今これに取り組んでらっしゃるんですか?
一つは自分の前職、NPOの前が、さっき和田さんは社会福祉士っていうふうにおっしゃっていただきましたけれども、
病院で社会福祉士として働いていたんですね。
病院で働く社会福祉士ってどういう仕事をするかと言いますと、
病気や怪我で外来にかかっている、もしくは入院されている患者さんやご家族が、
病気とか怪我によって生じる困りごと、
例えば仕事している方が入院してしまって生活費どうしようとか、
あと生活費どうしようと思ったらイコール医療費も心配だとか、
あと最近多いのはもう高齢社会ですので、
入院をきっかけに足腰をぼつかなくなってしまって、もともとの生活に戻れるだろうかとか、
そういった色々な病気や怪我に起因する困りごとの相談に乗るという仕事をしていたんですけれども、
その仕事をしている中で、
自分が当時勤めていた病院がネットカフェなどがある繁華街のすぐ近くにある病院に勤めていまして、
よくネットカフェ難民、実質的にネットカフェで生活をして、
そこから派遣労働とワンコールワーカー、もうその先あまり言わないですけれども、
ここから仕事を見つけて仕事を行って、
非税にお稼がれてネットカフェに戻ってきてということを、
本当にもう繰り返して数ヶ月寝るような方が体調が悪くなって仕事先に倒れて救急車で自分が勤めているように運ばれてきまして、
そういう方と数多く出会う機会がある中で、
そういう方と病院の社会福祉士が出会うと、
じゃあ医療費とか生活費の問題どうしようか、
じゃあ生活法の申請をお手伝いするとか、
そういうことをサポートすることはとても多いんですが、それは未来の話ですね。
過去の話、なぜこういう状況に至られたのかっていうことをお話をやっぱり少なからずに聞きますので、
それと家賃が払えなくなって、どうしようもなくなっちゃって、
バッグ一つでパートを出てカプセルホテルに住んで、もっとお金がなくなってきたのでネットカフェに来たんだとか、
先ほど家賃の補助してくれる制度があるということをお伝えしたと思うんですけれども、
知っていればこうならなかったであろう人たちと病院に勤めた時に数多く出会いまして、
反面自分は大学で社会保障制度があるってものを学んでから社会人になりましたので、
あるのに何で利用できない人はいるんだろうかっていうことを疑問に思ったというのが、
今につながる一番大きなきっかけだったかもしれないです。
利用できる人、利用できない人みたいなところを目の当たりにする時期がすごくあった。
なるほど。
だからそのあたりをすごく葛藤しますよね、こっちとしてはね。
目の前にこれがあるんだから、当時私も若い時なんかは、なんで使わないんですか、みたいな。
喧嘩になっちゃうみたいな。
使ってくださいよって言っても、やっぱり。
いやいやいやってなる。
そうですね。
それこそ当時私が若かった時のお相手が、例えば50代60代の方だったりすると、
その時のジェネレーションによっては、お上の世話にはなりたくないっていう、
今はね、あんまり言わない聞かないけど、当時はそういう人が多かったんで、
こっちはもうカッカしちゃってね。
見てる側からちょっとヤキモキしちゃって。
そうですね。やっぱり人権とか、本来使える制度は、
使い倒すと言ったら語弊があるけれど、
使うべきなのではないかというべき論にこっちは立っちゃうので。
じゃあぜひ小山さんが、そもそも社会福祉士になろうと思ったとか、
大学は福祉の学科を目指したきっかけみたいなのを教えていただけたら。
はい、ありがとうございます。
私、14歳の時に子供がなる小児癌になりまして、
その翌年に小髄バンクを通して、小髄移植を受けたんですね。
血液の癌だったので、それを根治するために移植を受けたんですが、
それをきっかけにソーシャルワーカー、社会福祉とか精神保険福祉のことを
ソーシャルワーカーというふうにひとまとめにしたりするんですけれども、
自分でよくきっかけにソーシャルワーカーの仕事を知りまして、
それでこの仕事に就いてみたいなというふうに思って、この職に就いた。
その時に、中学生の時に支援とかを受けられたんですか。
中学の時は、特にソーシャルワーカーの支援は受けなかったんですけれども、
投票が終わって、大学生になって、大学1年生の時に患者会ってわかりますか。
同じ病気をしている人たちは集う会があるんですけれども、
同じ病気とか同じ障害とか同じ困りごとを持っている人たちは集う会を、
病気のことは患者会、あと事情グループとかスルーフヘルプグループと呼んだりするんですが、
今小児科の患者会に大学1位の時に参加しまして、
それは高校生の時に存在は新聞で知っていたんですけれども、
実家が群馬県で開催していたのは東京都だったので、行けなかったんですね。
関心もあるし知っていたので、大学進学をきっかけにこっちに出てきたので、一回行ってみようということで、
同じ病気をした人たちが、もう年齢とか違うんですけれども、
病気したことをきっかけに体力がずっと戻らなくて、なかなか仕事に着けないですとか、
あと家族関係が自分の病気のせいで悪くなっちゃったんですとか、
同じ病気をしたからこそポロポロと話しできるようなことを話しするような、
そういうグループにソーシャルワーカーの人がサポートメンバーみたいな形で入っていたんですね。
その方を通してその仕事を知ったというのと、
その当時小児がんという病気を啓発するために、当事者がいろいろ話すイベントというのをグループがいろいろ企画していまして、
私はそのソーシャルワーカーの方に声をかけていただいて、
例えば医学生ですとか、そういった人に糖尿の経験談を話してよというふうに言われて、
当時渋々やる人いないんだったらしょうがないなというふうに思って、糖尿経験を他の人の前で話すという、そういう経験をしたんですけれども、
一般的には啓蒙啓発の一環なんですが、患者であった自分にとっては、
自分の糖尿経験を語り直す。
過去あったことを今現在自分が持っている言葉を総動員して語り直すという、そういう機会を得ることにつながったんですね。
それはよく言われる、さっきナラティブという言葉。
いろいろ語ることでいろんなものが整理されるとか、そういった文脈でよく使われたりするんですけれども、
自分はなのでソーシャルワーカーの人に、患者の前で糖尿経験を語る機会を作ってもらうことによって、
自分の糖尿経験を語り直して、ある程度意味付けをすることができたという、
そういう支援、一般的に何か制度につなぐとか、そういうことではないんですけれども、
私という人間が今後よりよく生きていくために、経験をこのタイミングで語り直すということは意味があるんじゃないかというふうに思って、
ソーシャルワーカーの人が思われて、それでそういう機会を作ってくれたんだということが、
その数年後に話をして分かったという、そういう支援をソーシャルワーカーの人にしてもらった。
なんかその時の経験とかが今の授業とかにもつながってきてるんですか。
そうですね、言葉へのこだわりという意味では、それこそ書籍もストーリーを使っていますし、
やはりその制度の説明を一つとっても、どういった言葉であれば分かりやすかったりですとか、
あと相手の尊厳を傷つけないか。
よくあるんですね、いろんな制度の説明文章、役所を出すものの中には、例えば経済的に困窮している世帯に。
確かに。
なんか評価的ですね。
自然に書いてありますもんね。
そういう言葉一つ一つを反転させていったりですとか、
分かりやすさと、あとその人の尊厳を傷つけない言葉、どういう表現があり得るだろうかみたいなことを考えることもよくありますので、
やはりその当時の経験を語りなおせず、何か言葉にするということのきっかけになったのかなと思います。
伝えるっていうところの原点を聞いたような感じがしました。
そうですね、その機会はソーシャルワークの人が作ってくださったのかなと思います。
ソーシャルワークっていうのをした上で、どういう支援者になっていきたいというのをその時感じていらっしゃったんですか?
そうですね、そんなおこがましいことはあんまりその当時は思ってなかったんですが、
なんでしょうね、あと大学で学んでから思ったことなんですけれども、
人にはその平易な言葉なんですけれども、人には力があるんだと。
ソーシャルワークを出会う人たちはどうしても支援するとかサポートするという対象として語られがちなんですけれども、
やはり人には誰しも力があって、何かしらの病気とか怪我とか困ったことがあって、一時的にそれが弱まっているんだと。
ソーシャルワークはそういった人たちのそばからその人は一時的に弱まって、
自分の人生のハンドルを握ることがちょっと大変なときに一緒にそこを支えて、また元気にリカバリしたらさよならという。
本当にその人の力があるということを信じて、その人の人生のハンドルをそっといっとき、そばから舵取りをサポートする。
そういう仕事であるんだな、そういう人でありたいなというふうには思うところですかね。
その人の力を信じるみたいなお仕事なんですね。
そうですね。やっぱり誰しも自分が弱い対象だとか、自分が何か守ってあげなきゃいけない対象だというふうに思われたとしたならば、
人によっては尊厳が気づくと思うんですよね。自分はそういう状況にある人間なんだとか、自分は弱いんだとか、そういうことではなく、
プロセスとしては何かをサポートするんですけれども、そのプロセスの中でやっぱりその相手のことをきちんと信じていけるかということは、
自分ができているかどうかはまたさておきとても大事なことだなというふうには思っているところですね。
すごい尊厳とか信じるって言葉が結構すごく出てて大事な要素なんだろうなって感じたんですけど、その辺、和賀さんはどう感じてます?この関わり方とか。
今、横山さんのお話の中にたくさん出てきた言葉へのこだわりみたいなところって、
たぶん私は横山さんを知っている限りでは、そのイメージは確かにフィットするっていうか、ぴったりだなと思うんですけど、
結構その言葉を乱暴に扱おうとするのは多ったりとか、あとはよく横山さんって、あの面白い言葉で寝やかって。
ネットで明るいですね。
ネットで明るくて寝やか?
そう。だから今のXとかではすっごい発信されてるんですよ。
でも、会うとこの感覚のそのギャップが私は面白いなって思ってて、でも逆に言うと、でもじゃあだからってそのXで書いてあることが攻撃的な内容でもないんですよ。
そういう発信力伝えるってことの一つは、その文字にできる言葉の力もあるし、あと言葉にした時への言葉の丁寧さ、セレクトのたぶん慎重さももちろんあるんだろうけど、そういうところがすごく学者さんみたい。
そんなふうに思うんですよね。でも、上からでもないし、すごくそこはフラットにこだわり続けてる感じがする。
だから、私は年齢はたぶん10歳くらい離れてるのか、もうちょっと離れてるかもしれないけど、でもなんかそういう意味が年齢とかじゃなく、もうすごいなーって思っていつも聞いたり見たりしています。
そう、恥ずかしいですね。言われないのに先輩からありがとうございます。
和賀さんからも横浜さんにリスペクトを感じます。
そう、する、するし、あとどっちかっていうと、熱い思いをそのままに言葉にしちゃうことも、私もあるんですけど、そこは一旦自分の中に入れて出してる感じがするんですよね、横浜さんって。
もちろん熱い思いが絶対あるんだけど、あまりそのまま、日のまま表に出せないっていう感じがして、それがね、あの横浜さんらしさのすごく、私が羨ましいなって、私は結構ファッションがワッと出ちゃうときがあったりするんで。
なんかよく見てくださってるんだなっていうのに。
すごいなと思ってね、いつもこう、文章とかもね、結構長く書くときもあったりするけど、その圧がないんですよね。
でも伝えようというこの思いは伝わるみたいな、あたりはその人が持ってるものだろうな、それこそそれが横浜さんの力。
ありがとうございます。
なんかあり方で伝わるものがいろいろある気がしました。
そうそう、その人にしかないものは結構表に出てくるのかなって思うんですよね。
ウォーチングしていただいてる、本当にありがたい。
とんでもない、思ったままです。
実はですね、偉そうなふうに言ってるように聞こえるかと思うんですが、私、大学時代、社会保障論っていう必修の科目があったんですよ、社会福祉学科の中で。
なるほど。
まさに生活保護の制度とかね、いろんな医療制度の授業があって、それを3年間落としたんですよ。
3年間。
3年間、見事に。それで本当にこれは卒業できないっていうことになって、先生に頼み込んで、先生、私卒業できないし、仕事できないんでって泣きついて取ったっていう記憶があってですね。
でも一番できなかった、社会保障論が仕事をしたら、結局一番使う内容だったんですよね。
病院に就職して、22歳で大学出て、右も左も分かんないような、それこそ何ができるんだろうって自分で思いながら、人のお話を聞かせてもらって、自分よりだいぶ年上の人とかと話すわけで。