猫の死を受け入れる
おはようございます。創作者のための心身最適化コーチほうりです。よろしくお願いいたします。
今日はですね、昨晩うちで飼ってた猫、16歳だったんですけども、この子が亡くなっちゃって、今一晩あけたんですけども、気持ちを整理するためにラジオを撮っているんですよね。
今日はね、脈絡もなく話させていただこうかなと思うんですよね。
やっぱり飼っている猫をなくすのは、私はこれで2回目なんですけども、最後ね、めちゃめちゃ苦しんでて、最後はもう病院に通って点滴打ってて、ご飯もちょっと食べられない状態で脱水も起こしてて、
腎臓がちょっとやられて糖尿病にもなってた感じの猫だったんですけども、それでもね、比較的最後は隣に住む親目に見送られながら旅立てたんで、その辺は良かったなというふうに人間側のほうから勝手に思うんですよね。
それで、そもそも1ヶ月ぐらい前から、もう16歳っていう高齢だから、本当に体力次第だよってことで、獣医さんに言われてたんですけども、私、弟夫婦が朝日川の方に住んでて、仕事が忙しいから来年になるまで帰れないって言ってたのが、
つい先月の3連休、11月21日から23日までの間に、急遽暇ができたから帰ってきたよって言って帰ってきて帰省してたんですよね。
私はこの時に一瞬思ったのが、これはうちのお猫が呼んだのかなって思ったんですよね。最後になるかもしれないから、来るように弟夫婦に来てくれみたいな信念を飛ばして呼んでくれたのかなって思ったんですよ。
それで弟夫婦が3連休の間実家にいて、帰った後、もしかしてもう心残りがなくなっちゃったのかなっていう、ちょっとした予感が見えたものもあって、昨日の夜亡くなって、それで私は悲しいことは悲しいんだけども、安心感の方がちょっと勝ったんですよ。
すごく高齢で、やっぱり苦しそうな姿も何回も見てるから、やっぱり苦しんだ分安らかに眠ってねっていう感覚の方が大きいんですよね。
昔の私なら、悲しむことをすごく周りに強要してたんですよね。猫の話じゃなくて、私の祖父の話になるんですけども、もう20年以上前の話かな。
祖父が1回目の既得になって、親族全員集まった時に、私3人兄弟で弟のほかに妹もいるんですけども、私はもう不安で不安で仕方がなかったのに、妹だけはすごい冷静で淡々としてたのが、私はすごく気に入らないで、
あんたなんでそんな冷静でいられるのさ、もっとじいちゃんに話しかけなさいよっていうように詰めたことあるんですよね。でも妹だって、この時感情が表に出るタイプじゃないんですよね、うちの妹は。
いわゆるツンデレキャラっていう感じの子なのかな。私も結構感情を表に出す分、その子はやっぱり感情をちょっと抑え込むタイプなんだけども、それ分からないで若かったこともあって詰め寄ってしまったっていうこともあるんですけども、今の私は、
もしかしたらあの頃の妹もなんかこんな感じだったのかなっていう感じで、割とその現実っていうのかな、亡くなったっていう現実を結構冷静に受け止められてる感じがするんですよ。
全く悲しくないかって言われたら、そういうわけじゃないんですよね。やっぱり死を痛む気持ちっていうのはあるし、先に旅立ったうちの仙台猫もいるわけだから、早く西の橋渡って元気でやって、また怪我をかいて戻ってきてねっていうふうに思ってるんですけどもね。
で、悲しむっていうのかな、悲しむ方法っていうのはやっぱりさ、人それぞれなんだなってことなんですよね。
やっぱりそのうちの猫が亡くなった時は、妹も老いもまだ未成年だし、老いと妹と2人ずついるんですけども、上2人はやっぱりもうそろそろ高校生だからさ、割と冷静なんだけども、下2人がすごくボロボロボロボロ泣いちゃってさ、すごいかわいがってくれた子だから、
すごくもう本当に悲しんで悲しんでって感じで、それでようやく私たちもあの涙流せた感じなんですよね。私も母親も最初膨然実質で、え?っていう感じだったし、私は今こうやって単体の話してるけども、なんか本当に亡くなったんだなっていうふうに、でもなんか涙までないやってことで、
私ちょっと悲しいんだけど安らぎの気持ちの方が大きいなって思ったけども、下2人が泣くのを見て初めてボロボロっていうふうに涙をこぼせたから、かなみじみの感情とかってやっぱり伝播してくるもんだなっていうふうに、今ならちょっと冷静になって思えるんですけども、
そういうふうに自然とね、やっぱり何とも思って、その時は何とも思ってなくても、自然となんだろう、悲しみとかっていうのは溢れてくるもんだなってことをね、昨日ちょっと改めて気づかされたんですけども、
ファンシーにとしても、ちょっとここでも創作界隈の話に持ってこうと思えば持ってくるから持ってくるんですけども、界隈でも、推しが不遇の死を遂げたりとか退場したりっていうことで、その死を惜しんだり痛んだりっていう気持ちはあっても、悲しみ方とか痛み方って人それぞれなんですよね。
悲しければ泣くっていうのは世間一般の常識かもしれないけども、自分の気持ちが追いついていかなかったら、それは単なる自己否定につながるから、私は好きなように悲しみを表現すればいいと思うんですよ。
涙はね、なかったけども、目酔いした2人の涙に触れて自然とボロッと涙が出てきて、やっぱり悲しかったなっていう気持ちも再確認できたし、すごくボロボロと泣いて、今結構クリアな状態でいるんですけどもね。
心の整理
一見悲しんでないように見えても、その人の内心なんてわかんないものだから、感情を決めつけちゃいけないなっていうことは、すごいここ数年で実感してるんですよね。
同調圧力っていうのかな。やっぱり学校とかそういうところで、クラスで飼ってた生き物が死んだら、みんな泣かなきゃならないみたいな、そういう教育を受けてきたから、悲しむのは泣かなきゃならないっていうような、そういうのは思い込みもあるけども、今は好きなように悲しんでもいいわけじゃないですか。
死を痛む気持ちっていうのは一緒なわけですからさ。
あとは、大切な推しがなくなって、前に進めないっていう方もいらっしゃると思うんですけども、この場合も無理に立ち直ろうとするんじゃなくて、これはある心理科ウンセラーの方のお言葉なんですけども、
大切な人を亡くしてしまったときには、もに服す期間が必要ですって、周囲の人は早く元気になってと言うかもしれません。それでもしばらくの間はただただ泣いたり落ち込んだりした方が良いのだと私は思います。
亡くなった人との思い出にしたり、思う存分悲しんだ人ほどきちんと立ち直り、また前に向かって歩き出すことができるのではないでしょうかっていうふうに書いてあるんですけども、まさにその通りなんですよね。
もう悲しんでしまう、本当に大切な人、私の場合は猫とかもそうですし、あとは自分のジャンルの推しキャラがなくなってしまって、それでその選択に納得できないっていう悲しみがあった場合、周りに合わせて立ち直るんじゃなくて、まずはSNSとか全部シャットアウトして、自分の心を揉むくままにそのキャラクターのことを傷んであげればいいと思うんですよね。
本当に、周りにみんな合わせすぎ、そうやって喜怒哀楽の感情も、大切なペットがなくなって悲しみにしても、これは昔の私も含めてそう言ってるんですけども、周りにちょっと流されすぎかなっていうふうに思うんですよ。
悲しむ期間っていうのは人それぞれなんだから、ある程度涙流して立ち直れる人もいれば、もう半年ぐらい落ち込んで猫に服す人だっている。それでいいんですよ。
もしも今、大切な人が亡くなったりでも含みますけども、大切なペットが亡くなったり、自分が好きで好きで大好きだった推しキャラが不遇の死を遂げて退場して、それがどうしても悲しんだって場合は、SNSでそうした悲しみを共有するのもある程度の手ですけども、
それにあんまり振り回されすぎないで、自分の感情を優先して、自分の心にしっくりくる悲しみ方をしてくださいということを、今日は結びとさせていただきます。
このチャンネルでは、こんな風に心理学や農科学を応用して、創作者のためのメンタルのために最適化するそうしたヒントや情報を発信しています。
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最後まで聞いていただきありがとうございました。
大切な人がいなくなった場合は、思う存分悲しんでください。ではでは。