創作活動における自己否定
今晩は、創作者のためのメンタル伴奏ライフコーチのほうりです。よろしくお願いいたします。
今日はですね、創作する人ならきっと一度は感じたことのある、創作者あるあるにの気持ちについてお話ししていこうと思います。
どちらかといったら、今回絵描きさんに向けた内容になるんですけども、やっぱりその絵描きさんや自描きさんでも、周りの人と比べて、自分の作品はなんて反応もつかないしダメダメなんだって、
落ち込んでしまうとか、自分の絵柄がどうしても歪んでるように見えたり、なんかデッサン狂ってて、好きになれないんだよねっていうふうに、周りと落ち込んで、へこんでしまうとか、
今だとAIがすごく普及し始めてきて、AIのほうが上手いじゃないかっていうふうに不安になってしまったり、あとはデジタル機器を使いこなしたいけども、
なんか上手く使いこなせないんだって、周りはみんな使いこなせてるのに、なんで私だけ使いこなせないんだろうっていうふうに、自分にダメ出しをしてしまったり、要するに周りと比べて自分の作品に自信が持てなくて、
自己否定でしんどくなっている人に向けて、今回ちょっと思い出した、アウターゾーンっていう漫画のエピソードがあるので、それを交えながらちょっと聞いてほしい話があるんですけども、
アウターゾーンって思い出したエピソードで、あの漫画すごく面白くて、いまだに印象に残っている作品の一つなんですよ。
特にマジックドールっていうシリーズがめちゃくちゃ面白かったんですよね。日賀圭司と牧ちゃんの相棒、バディモノ、圭司のバディモノの先駆け、私の中ではね、圭司のバディモノの先駆けっていうのは、
この漫画が最初だったのかなっていうふうに今だったら思うんですけども、今回そっちの方じゃなくて、ゆがんだハートっていう前編後編の2部パターンに分かれたエピソードをね、ちょっと思い出したんですけども、
内容をざっくり説明すると、主人公の女性をモデルにしたアンドロイドを主人公のお父さんとその主人公の恋人が作成するっていう風な流れで、ちょっと話の前提であるんですけども、
最近なんか主人公とその恋人は、恋人っていうか旦那様が結婚してたから、旦那様はなんかうまくいかなくてギクシャクしてたんですけども、出来上がった主人公のアンドロイドの方は性格もすごく素直で、なんか結婚した前に戻ったよ、みたいな感じで旦那様はね、なんかそんな風に安らげを覚えるんですけども、
それでもアンドロイドの制作っていうのが完璧じゃなかったみたいで、そんなことをきっかけに主人公のアンドロイドって暴走しちゃうんですよね。
で、アンドロイドは賢いから施設内の人間を次々とちょっと残の殺をしちゃって、結局最終的にアンドロイドは何をするかっていう風にミザリーっていう、この漫画のストーリーテラーみたいな役割の女の人なんですけども、
ミザリーがゲスト出演してて、そのミザリーにちょっとアンドロイドの志向になって考えてみたら次何をすると思うって聞いた時に、本物と本物を殺して自分が慣れ変わるのかもしれないっていう風に、そういう風な結論に至って、主人公が休んでる仮眠室に行って、仮眠室にアンドロイドが突撃をかけるわけなんですよね。
そのアンドロイドっていうのは、本当に主人公と外見も売り二つだし、記憶もね、すごくもうバッチリ引き継いちゃってるわけだから、2人が揃っちゃったら、もう全然見分けがつかない状態なんですよ。
だから、結局アンドロイドの暴走を止めるためには、2分の1の確率で、アンドロイドの動きを制止する薬を打ち込まなきゃならないって状況に陥るんですけども、結局その薬っていうのは人間には猛毒で、本当に打ち込んだ相手が本物の主人公だったら、その主人公はもう死んでしまうっていうような、そんな状況だったんですよ。
そこで、主人公の夫がアンドロイドと人間を見分ける方法があるっていうふうに提案して、アンドロイドと主人公の見分け方について、研究所の前に掘った自分と主人公の名前をハードで書き込んで、やっていったマークを書いてくれって言うんですよね。
それで、お父さんの方は、そんなこと言ったってお互い記憶もあるんだし、それで区別するのかどうか分からないんだぞって言った時に、そんなことは分かってるんだっていうふうに旦那様が言うんですよ。
結局、2人とも結婚記念じゃないけど、恋人だけなら分かるハートに矢を打った名前のマークを書いて、その場から動かないで旦那様に手渡して、お父さんはこれどっちも同じだからっていうふうに絶望するんですけども、旦那様の方はどっちが偽物か分かったよって言って、見事にアンドロイドの動きを精出することに成功するんですよ。
それで、種明かしとして、なんでアンドロイドと人間の区別をこの旦那さんが見上げたかって言ったら、それはアンドロイドが精密すぎたっていうことなんですよね。
私はこのうちにすごく震えたんですよね、タイトルも含めて。タイトルが見事に伏線を回収しているわけなんですけども、結局人間が生きるか死ぬかの状況で、イラストとか文字を書くときって精密さとか二の次でガタガタガタガタ震えて、それでもどうにか書けるっていうような感じでね、結局人間としての不完全さが表に出てくることで。
それで旦那様は、この歪んだハートこそが人間の持ち恥だった、人間とアンドロイドの差だったって言ってるんですけども、アンドロイドは緊張とかそういった感情を知らないから、どんなに取り繕った、切迫した、緊張した演技をしても、精密機械のようにすごい整ったマークしか書けなかったわけなんですよね。
だから本当に私、この漫画を未だに読んだのが30年以上前なんですけども、詳細に思い出せるっていうことは、それだけすごく展開もタイトルの伏線回収も含めて、すごい完璧なエピソードだなっていうふうに思うし。
人間の独自性とAI
なんでこのエピソードを話したのかって言ったら、そのAIの時代がもうここまで来てて、創作界隈にもやっぱり波を影響を及ぼして、今だからこそ私は声をちょっと大にして言いたいことができたわけなんですよ。
それは綺麗さだけだったり精密さだけだったら、もうAIに任せていい時代に来たんですよね。
だから個性がなくて、個性がないって言ったら失礼だけども、結局流行りの絵柄とか、綺麗なだけデザイン構図が見事なだけの創作っていうのはAIの領域で、そうした正確さ、整った線、綺麗な構図や美しい色使いっていうのは、もうAIっていうのは一瞬で抜けちゃうんですよね。
文章の論文とかもお任せしちゃえば、一瞬で出してくれるわけなんですよ。
やっぱり過去の論文にしても、論文や小説にしても、小説にしても、過去の小説家や論文評論家のデータとかがもうぎっしり詰まっているから、そこを膨大な資料を一瞬で読み込んで、整っただけの論文とかならできるわけですし、イラストにしても過去の巨匠とか、名を馳せた漫画家さんとかのデータとかも入っているわけだから、それを組み合わせて書けばすごく整った、
もう整ったものを出してくれるわけなんですよね。
だけども、人間っていうのは、AIには出せない味っていうか、それがあるわけなんですよ。
それが今言ったアウターゾーンのエピソードの、歪んだハートの感情ですね。
由来が感情の感情をもたらす線のちょっとした歪みとか、ちょっとした抜け感とか雑味とか。
だからもう人間の創作するものっていうのは、その人の書いている人生とか、あとは癖ですよね。
そういうのがね、にじんでくると私はちょっと感じるんですけども、これからこういうふうにAIがどんどん普及し始めて、今創作とかそういう心理的な容器っていうのもAIにとって配れるよっていうふうに、やっぱりTwitterとかでも支えられてますし、私もね、それ最近すごく思うんですよ。
このサムネイルだって、私AIにお任せして書いてもらったものをずっと使ってますし。
ココナラとかのサービスも、昔はデザインしてくれる人に頼んだけども、今AIに任せたらサイズもぴったりにして出力してくれるから、これちょっと他人事だけども、絵画で味のあるイラストとか描けない人って淘汰されるんじゃないかなって余計なお世話ながら思うんですけども。
そういうふうにこれからの時代っていうのは、そうした人間の持つ歪みこそが価値になるんじゃないかなって思うんですよね。
実際のところ、私10年くらい前には、AIっていうかそうしたコンピューター社会の普及によって、誰でもできる肉体労働は淘汰されますよとか、コールセンターとかレジ打ちとか、そうした仕事っていうのは奪われていきますよって話聞いたんですけども。
実際にAIの普及を、私も実際にAIをいじってて、実際に触れてて思うのは、いやむしろそっちの方の仕事の方がこれから価値出るんじゃないのって思うんですよ。
例えばレジ打ち一つにしたって、機械の操作が分からないお年寄りの方に、お年寄りの方がどんなに分かりやすく機械の声で説明しても、人情のこもった声にはやっぱりAIって出せないじゃないですか。
これ前にも言ったのかもしれませんけども、先進国では今セルフレジを導入したことで、結局人と触れ合う機械がなくなって、お年寄りがそうした何ていうのかな、孤立化したりして結局友人のレジに戻してるって話どっかで聞いたことあるんですけども、人の声っていうか人と話すことで、やっぱり人間って社会的な生き物だから安心するわけなんですよね。
機械のありがとうございましたよりも、対面のレジで一つ一つ商品スキャンしてもらって、私も現金で渡したりあとキャッシュレスで使ったとしても、そうやって接客してくれて丁寧に会計してくれる店員さんにありがとうございますって言ったときに、やっぱり返してくれる反応っていうのはやっぱり機械じゃ出せないんですよね、どうしてもね。
あとはコールセンターですよね、私一時期勤めてたことあるから、私コールセンターは苦手だから、これこそ機械化を導入すればいいんじゃないかって思ってたんですけども、実際自分が使う側に立ってみたら、機械の音声ガイナスよりも人の声って安心するんですよ。
ああ、なるほど、こういうことだったんですね、助かりました、ありがとうございますっていう気持ちがすごく素直に出てくるんですよ。やっぱりコールセンターってそれなりに大変ですけども、だからこそ親身になって問題解決してくれる姿勢っていうのが声から伝わってくるし、これはやっぱり人間的なそういった感情とか、感情の乗せる喜びとか苛立ちとか悲しみとかっていうのはね、AIにはやっぱり出せないし、これから先、
そうした人間味のある部分が創作界隈でも評価されてくるんじゃないかなって私は思うんですよね。これは私が何回も放送で出してるメンターさんが先駆けて言ってたんですけども、確かになって、AIにもカウンセリングとかコーチングとかって全部取って変わられますね。
私もAI使ってコーチングとかカウンセリングしてもらってるけども、人間のカウンセリングとかコーチングを頼むメリットって、もうその人の人間らしい部分しか買う理由がないんですよ。購入っていうか、その人間らしい部分で惹かれて、それでこの人ならお金を出してもいいっていう風に。
それしかもう人間のコーチングやカウンセリングを買う理由もないし、創作だってこの人が持つ価値観とか絵柄だからこそ、私はここまで揺さぶられたんだっていうことが、本当に如実に現れてくると思うんですよね。
それでも評価されたいという気持ちは分かりますよ。私もそうだったんですけども、それでちょっと話が飛ぶんですけども、皆さんが知っている画家のゴウホーさんいますよね。
ゴウホーもそうですけども、画家の絵っていうのは、どう見ても独創的だし、あれこそやっぱりAIには出せない味ですけども、なんであんなパッと見訳のわからないって言ったりするんですけども、ちょっと独創的でシュールで、それでも訴えかけてくる何かがあるから、何百年も経ってもこうやって愛されて親しまれてるわけじゃないですか。
ゴウホーをはじめピカソとか、ダリとか、モネとか、マネとか、ちょっとその辺適当なんですけどもね。そのゴウホーについても、今でこそ評価されてるんですけども、この方が生きてたときって、全然評価されてなかったっていうのは有名な話ですよね。売れなかったし批判されまくったし、生活もしんどかったけども、それでもゴウホーは描くのをやめなかったんですよね。
個性の大切さ
ゴウホーの名言ですごく私がすごい響いたのがあって、美しい景色を探すんじゃなくて、いつも見ている景色の中で美しいものを見つけ出して描くんだみたいな感じで、これも特別な日常を探すんじゃなくて、普段の日常の中からすごい幸せだなって思えることを見つけ出せれば、自然と幸せっていうのは何なのかっていうのが分かってくるっていうふうに捉えてる人もいるし、私もそう捉えてるんですよね。
話を戻しますけども、ゴウホーが描くのをやめなかったっていうのは、その名声よりも描くことそのものが好きだったからって言われてるんですよね。これは実際に残っている手紙に何とか書かれてることで、兄弟のテオさんに描かずにはいられないとまで言ってるわけで、彼はうまいとか評価をされるかっていうよりも、好きかどうかをずっと大事にしてたわけなんですよね。
これこそ、彼の人間味がもう全面に押し出されて、海外にもにじみ出てて、それが後世の私たちに刺さるポイントなんじゃないかなって思うんですよね。
私自身も今自画期なんですけども、昔ちょっとほんの一瞬だけども、イラストを描いてた時期あるんですよね。色鉛筆とかクーピーとかコピックとか使って、下手くそながら描いて自分のサイトに載せてたんですけども、そういうふうに一生懸命描いてて、それで載せて、
そのイラストにちなんだ小話も載せてっていうふうに書いて載せてたりとかしてたら、当時サイトを訪れてくれた常連さんは優しくて常に反応をくださったりして、すごくそれは今でも思い出せるぐらいキラキラした思い出なんですけども、
でも、その常連さんが音信不通になったり、ジャンル移動したりして、私のサイトに観光取りがなき始めた時にめちゃくちゃ精神が荒んでた時に、おゆちょをかけるように2chの匿名ネットウォッチ、ネットウォッチだって知ってますかね、今もあるかわからないんですけども、
それのオチスレにね、勝手にURL貼られてさらされたんですけども、この幼稚園児みたいな落書きで、なんかプロキとってるこいつすっげー痛いし、頭も悪そうだし、メンタルやばいから病院行けみたいな感じの誹謗中傷もね、書かれてたわけなんですよね。
私やっぱりその時すんごいショックだったね。幼稚園児みたいな絵柄って言われたみたいな、当時20歳半ばで幼稚園児みたいな絵柄って言われたのは、もう本当に自尊心もプライドもね、すごく踏みにじられてたし、何が悔しいかって言ったら、通り間にぶっすり刺されたような気分だったんですよ。
匿名掲示板だから、誰が書いたのかももうわかんなかったし、だから私はもうその時、もうサイトを更新する記録も一気にないて、閉鎖しようかなっていうふうに今思ったんですけども。
ただ、今だからこそ言えるのは、評価されたい気持ちが前面に押し出されてて、そうやって躍起になってたから、そうした自分の感情が反映されて、それがオチスレに晒されたっていう、鏡の法則じゃないけども、自分の今の当時のコンフォートゾーンが結局周囲に反響しあって、
それが結局ネットウォッチスレに晒されたってことで帰ってきて、自分を鑑みろってことだったのかなというふうに思うんですけども。
実際にその経験も踏まえて、私が改めて感じているのは、好きだから、自分が自分で自分の作品が好きだからそれでいいじゃんっていうことなんですよね。
創作活動の姿勢
どんなに独創的だり幼稚園児並みだり、色使いがもう壊滅状態じゃないけども、ちょっとセンスが外れたりしても、それが私の持ち味なんだから、そこを無理に矯正して世間の絵柄に合わせようとしても、それは何のために描いてるんだってことになりますし。
結局カップリングに関しても、私はマイナーなカップリングにはまることがすごく多いんですけども、本当に目線や反応が欲しいんだったら、もう地雷としている逆カップを描けばいいだけの話なんですよね。
正直逆カップとか地雷カップっていうのは本当に数が多いから、サンプルなんてその辺に転がってるし、そういうふうな感じで描こうと思えばいくらでも描ける時代なんですけども、
それでもやっぱりマイナーなカップリングにはまるってことは、私はそのマイナーなカップリングが好きだっていう気持ちだし、それが私の持ち味だし個性だからっていうことなんですよね。
だから創作に周りと比べて凹んだり、そうやってAIの台頭によって自分のイラストがますますちっぽけに見えるっていうふうに思っているあなたは、綺麗なだけのイラストはAIに任せて、あなただけの持ち味を活かしたイラストをこれから描いていってほしいなって思うんですよね。
それで一回こういうふうに落ち込んでいる方は、私の今回話したアウターゾーンの歪んだハートのエピソードを一回読んでみてください。本当に今の時代だから響くメッセージ性があるし、タイトルも展開も最後の旦那さんのセリフも本当に最高のエピソードですから、特にもう創作に悩んだ方は本当に読んでほしいなと思うんですよね。
本当に今の時代だから、その人の持つ味こそがこれから先評価されていくものだなって、私は本当にこのエピソードを思い出して、本当にそれは心からそう思っています。
それにですもん、やっぱり他人と比べて落ち込んだり落ちたうっていうのは、それだけあなたが自分の絵柄とか小説に向き合っている証拠なんですけども、しんどくなっちゃったらもう無理しないでもいいです。
それで、自分の欠点だと思っている部分っていうのは裏を返せば長所になる化ける可能性っていうのはすごくあるわけだから、無理に綺麗めの今の世の中の流行りとかに合わせなくても全然大丈夫です。
これから先は、あなたの持つ人間らしさとか、人間臭さとか雑味とか、それがもう魅力になる時代っていうのはもうそこまで来てるし、もうすでにもう来ちゃってる。もう肩まで使ってる状態だと私は思うんですけども。
だからあなたの個性を潰して、結局寄せようとしててもどうにもならないっていう人は、逆にあなただけのそうした癖とか欠点だと思っている部分を生かすつもりで創作活動をしていってほしいなって思うんですよね。
はい。私も今回ちょっとこの話を思い出して、アウターゾーナー、来週の週末でもネットカフェって呼んでこようかなって思うんですよね。いや本当に今なら本当に刺さる話ばっかりだし、マジックドールももう一回読みたいんだよねってことで、今回お話ししました。
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