外部評価への依存
おはようございます。ほうりです。
今日は、外側に正解や癒しを求めるマインドを変えないで、
注意を求めたところで、結局新たな恐怖が付きまとうというお話をしていこうと思います。
今自分は下手だから、神作家や神絵描きになったら、自分で自信が持てる気がするとか、
神絵師や神絵描きになったら、周りからチヤホヤされて幸せな気分になれるっていう人が、
そういう考えの方が結構多いんじゃないかなってすごい思うんですよね。
でもそれって、結局、周りからの自分ではどうしようもできない評価を元にして、
幸せになれるんじゃないかとか、認められて自分を認められるんじゃないかとか、
マインドがそこに向いたまんまで、神絵師や神絵描きの知恵を手に入れたとしても、
新しい地獄が待ってるだけなんですよね。
私がこの話しようと思ったきっかけが、とある有名な脚本家さんのエピソードを見たんですけども、
名前にちょっと伏せさせてもらいますけど、その脚本家さんは幼い頃、とても貧しくて大変な苦労をされてきたそうなんですよね。
いろんなバイトをしてもお金が全然足りなくて、
結局、トイレットペーパーを駅の構内から拝借しなきゃならないほどにお金に困ったわけなんですけども、
その方は、やっぱり苦労してのしあがって憧れの脚本家さんを見つけて、
その人だったらどういう考え方をしてるだろうなってことを考えながら、
知恵も名誉も手に入れてお金にも困らなくなったっていう方なんですけども、
でもその方は自分に対して価値を認めていなかったから、
外側に評価を委ねるマインドの癖っていうのが抜けなかったんです。
なので、結局脚本家になった後でも、いつ声がかからなくなるのかわかんないとか、
ライバルがたくさんいるから強盗されるかもしれないとか、
お仕事がなくなったらどうしようかっていう不安につきまとわれてて、
結局あの時に、幼い頃の貧しかった自分が望んで、
お金も知恵も名誉も手に入れたけども、思ったより幸せじゃないし、
地獄を見たっていう話をしてたわけなんですよね。
自己認識の重要性
これって、まんまニードリ捜索だって当てはまりますよね。
結局、自分自身の作品を書くか作品に価値がないから、
周りから感想をもらえれば自分自身が認められるとか、
無意識でそう思ってて、紙絵師が紙仕掛けになったとしますよね。
同人活動1本でご飯食べてくって決めたとしますよね。
じゃあどうなるかって言ったら、今感想をくれてる人たちが
他のジャンルに去ってったらどうしようだとか、
自分のファンがいなくなったらお金に困って困窮するんじゃないかとか、
もっといい作品を書かなきゃったら、周りに見捨てられたりして怖いなって、
地獄を見るなって、やだなって。
確か同人女の感情にもこういう話ありましたよね。
ブックマッスルにこだわって、結局周りの評価に縛られて、
自分の書きたいものを見失ったって話なんですけども。
だから大事なのは、周りから認められることに中力して、
周りに合わせた作品を書くことじゃなくて、
まず自分自身の努力を認めましょうって話なんですよ。
自分自身の努力を認めないで、周りにだけ認めてもらうって、
それはなったら都合が良すぎますよねって話なんですよ。
現実っていうのは、写し鏡だっていう風に言われてますよね。
鏡の前で自分が立ちますよね。ありのままの姿を映し出す鏡ですよ。
鏡の中の自分を変えるっていうのは、
まず自分が何かしらの動きをしなかったら変わらないわけですよね。
仏頂面のまま鏡の前に立って、鏡の中に自分に向かって笑えていったって
笑うわけがないじゃないですか。
つまり、考え方によっては感想が誰からも来ないとか、
自分の作品だけスルーされてるとか、
そういう風な現実がある場合って、
自分自身が自分の頑張りをスルーしてるとか、
自分自身が自分に対しての素晴らしい、
自分に対してここが良かったよ、あれが良かったよって感想を送ってない。
だから他人が返して、写し鏡になって帰ってきてるだけなんですよ。
現実は、他人を返しての自分の行動なんですよ、そのまんまの。
なので、まず外側に正解や評価を委ねる考え方があるんだったら
少しずつそれをね、どんな自分でも100点満点だとか、
自分自身が世界基準だっていうセルフトーク、
あとは自分を卑下しそうになったり、自己否定したり、
責めそうになったら深呼吸して、
気持ちを使ってるところから始めましょうねっていう風なお話でした。
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ではー