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こんにちは、ほうりです。今回は同人活動における承認欲求をどうやって満たしていき上手く付き合うかについてお話ししていきます。
多くの人にとって同人活動とは趣味の一つであり、その根底は推しキャラや推しカプエの愛と萌えが原動力になっています。
しかしいつしか、いいねの数に振り回されたり、フォロワー数の数に振り回されたり、作品のリポスト数や感想に振り回されたり、
と、常に評価にさらされて同人活動を楽しめなくなり、いつしかモチベーションもやる気も下がってしまう人も少なくないと思います。
かつて私もそうでした。いわゆる社用と呼ばれるジャンルに身を置くほどが多かったのですが、それでもコマフォムとジャンル内の人と仲良く二次創作をしていました。
時は個人サイトの流星機であり、新作をあげればこぞって相手のサイトに行き掲示板に感想を書き込み、逆に私のサイトに来てくれて同じように掲示板に感想を書いてくれるという楽しい毎日を送っていました。
ですが時が経つにつれて一人、また一人とパタリと仲が良かった人たちからの落とさたがなくなり気づけば私一人がぽつねんと取り残されていました。
そして追い打ちをかけるように、当時の私の推しカプだった逆ハプが勢いづいてキャッキャウフフしている様子を目の当たりにし、お恥ずかしながら嫉妬にとちくるい、お二度貸しました。
楽しかった時代を知っていたからこそ、不具体点の敵。
否、地雷ともいえる逆ハプが盛り上がっていることが深刻許せなかった私は、かつての映画を取り戻そうと、ご親知さんのサイトにあっしり行く通っては深削が上がれた。
微に長文の感想を残していました。それは純粋にその方たちの作品が素晴らしいという気持ちよりも、私のサイトにも通ってほしい、そして感想を残してほしいという打算と下心にまみれた承認欲求からなるものでした。
しかし私の浅はかな下心と打算はご親知さんに見抜かれていたのでしょう。
サイトには誰も来ず、感想など夢の又夢。
当時の個人サイトの監視カメラ的役目だった忍者のアクセス解析を毎分ごとに見ては、どうして誰も来ないのよとヒステリックになり、毎日のようにストレスとイライラを溜め込んでいました。
そして相変わらず逆ハプの人たちは盛り上がっているのもあって、全員くたばってしまえ。
と呪詛を毎日吐いていたと記憶しています。
そんなこんなな毎日を送っていましたがいつしか私もそのジャンルを去り、その後もいくつものジャンルを点々としましたが、常に承認欲求が突き戻っていました。
私が一番承認欲求に土地狂っていた時期は、個人サイトからピクシブへ、そしてツイッターが同人活動の場へと転換してきた2008年から2010年頃。
その頃に比べると今は余計に数字が可視化されやすい傾向にあるので、同人活動と承認欲求は裏表のように一体化し、うまく付き合っていかないとしんどい状態だと思います。
ツイッターの愚痴垢叱り。
超有名特命掲示板の同人いた叱り。
とある同人活動のための雑談を悩み掲示板叱り。
数字の多さや感想の多さ、リツイートの多さゆえの承認欲求に振り回されてきつい思いをしている人が昔に比べて増えたなぁと感じます。
今回は、承認欲求とうまく付き合いながら同人活動を楽しく行っていく方法について語っています。
承認欲求は消すことはできない。
結論から申し上げますと承認欲求は消すことはできません。
マズローの欲求5段階説にも示されているように、人間の欲求は5つの段階に分けられています。
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それらはピラミッド状になっていて、
生理的欲求、安全の欲求、社会的欲求、承認欲求、自己実現欲求、
になります。
各欲求の詳細は省きますが、この5つの欲求は上から順番に満たされていかないと自己実現欲求までたどり着きません。
ゲームで言えば、1つのクエストを達成しなければ他のクエストは受け付けられないしクリアできないといった感じですね。
なので裏を返せば承認欲求までたどり着けている人は、生理的・安全・社会的欲求は満たせてクリアしているということになります。
つまり承認欲求を感じられる人はある意味では恵まれているという捉え方もできるわけです。
しかしそんなことを言われても、あの人と比べて自分は
と落ち込む辛さを知っている身からすれば、こんな欲求知りたくなかったし消すことができないとかどんな罰ゲームだよと思ったこともありました。
ですが承認欲求にはさらに2つに分類されることをご存知でしょうか?
承認欲求は低いものと高いものに分けられます。
低レベルの承認欲求イコール他者からの尊敬・賃への渇望・名声・利権・注目
高レベルの承認欲求イコール自己尊重感・技術や能力の習得・自己信頼感・自立性
というもので、前者は他者からの評価を軸に、後者は自分自身の評価が軸となっています。
同人活動をはじめ、多くの人たちが悩んでいるものは、他者からの評価や他人軸から生じる低レベルの承認欲求だといえます。
例えばイラストや漫画を描いている人が、もっと上手くなりたいという気持ちを持ったとします。
そう思うこと自体は成長につながりますから全然OKです。
しかし、なぜ上手くなりたいのか、を掘り下げていったとき。
自分自身が納得のいく技術や技量を身につけて、もっとこの大四角やキャラクターの魅力を知ってもらいたい。
そして沼にはまって尊いお仕語りをしたい。
というものならまだ問題はありませんが、
もっともっと上手くなって周りに認められたい。
あの人に比べていいねをもらいたい。
感想をたくさんもらって満たされたい。
逆カプや地雷カプが人気だと思って調子に乗っているあいつら全員見返してぶっ潰してやる。
という動機が重だったものであれば、中長期的な目から見れば自分がしんどい思いをするのは目に見えているので見直す必要があると私は思います。
この欲求はいわゆる他者から認められたいという低レベルの承認欲求なので、仮に認められれば認められるほど。
他者から認められなければ自分には価値がない。
認めてくれる人が多ければ多いほど自分には価値があるのだ。
だからこれっぽっちしか認められていない自分は無価値だし、この界隈にとっていらない子なんだ。
という深みにはまっていってしまうので早々に対処する必要があります。
低次元の承認欲求から高次元の承認欲求へと書き換えていくためには、
では低レベルの承認欲求をどのようにして高レベルの承認欲求へと変えていくのか?
そのためには自尊心や主体性、自己肯定感を高めることが重要になってきます。
コーチングではセルフエスティームと言われており、
人から認められなくても自分は自分を認めるように心掛けるという考え方が手っ取り早い方法です。
人から認められるのって確かに心地がいいです。
ほうりさんの今回の新作、とても感動しました。
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こんな展開思いつくなんてすごいです。
さすがほうりさん。このカップリングの救世主ですね。
的なことを言われると、やはりとても嬉しいしモチベーションも上がるし、もっと頑張ろうっていう気持ちになります。
しかしやはりそう言ってくれる人の言葉に頼り切りになって依存してしまうと、ジャンルがカンコ取りになってしまったり、感想を言ってくれる人たちがこぞって温真不通になってしまった場合。
え?どうして?私、何かした?今回の話、気に入らなかったのかな?
好みじゃなかったのかな?あれだけ頑張ったのにどうして感想をくれないの?
ひどい。と、不安になったり絶望したり筋違いな怒りを覚えたりしてしまいます。
曲がりなりにも感想を今まで送ってくれていた人たちに、そういった感情は抱きたくないですよね?
そもそもの話、感想を送ってくれた人たちがジャンル替えしようが感想を送らなくなっても、それはその人たちの都合や自由であって、私がそれをどうこう言う権利は全くありません。
頭ではわかっていてもどうしてもやりきれない。
そうなってしまうと今まで楽しめていた同人活動も全く楽しくなくなり、SNSでネガキャンツイートをしてますますドツボにはまってしまい、作品を書く記憶がなくなっていく。
そんな気持ちになりたくないと思うのは当然です。
ならまずは、人から認められたい気持ちは消せないし、認められたいと思うのは当然だという気持ちを受け止めた上で、
自分自身の作品の価値や魅力は変わらない、という言葉を自分自身へかけてあげてください。
うっぱ。今回も素晴らしい紙作品を仕上げてしまった。
こんな風に推しカップをかける私ってすごいじゃん天才じゃん。
本当私さんの書くAB最高すぎて辛い。もっと書いてくれください。
的な言葉掛けをしていった方が精神衛生上かなり良いですし、次第にセルフエスティームは上がっていきます。
とはいってもこんなことを表だって言えば、
ナルシストーツ。ヘタレのくせに自画自賛とか痛すぎプギャー。
勘違いもハナハナしいよバーカ。
てなことを言われたらどうしようとビクつく気持ちもわかります。
しかし他者から得られる賞賛からなる承認欲求に頼っていては、自分自身しんどくなるだけなので、自分で自分を認めて褒めることはとても大事になってきます。
ではどうすればいいのか?
表だって言わなければいいだけのことです。
自分で自分を褒めるためのノートやルーズリーフを購入してそこに書けばいいですし、もっと本格的に自分を褒めるためにレターセットを買ってきて自分自身のファンレターを客観的に作品を読んでしたためてもいいかもし。
出ません。アナログ手法が面倒ならテキストメモ帳やドキュメントに記録しても良いですし、某匿名掲示板の同人いたに自分の作品が一番燃えるよな、というスレッドがあるのでそこに書き込んでもいいと思います。
ただ某匿名掲示板の同人いたにはそれと同じくらい、書く愚痴やアンチスレがあるのでそれに飲み込まれないように注意が必要です。
また、どうしても自分で自分を褒めることに罪悪感や抵抗感がある場合は、XTwitterで生きているだけで褒めてくれるBotを調べてフォローしてみてもいいかもしれません。
このBotはその名の通り、些細なことでも褒めてくれる仕様のBotです。
起きれただけで偉いとか、心臓を動かせているだけで偉いとか、一見すれば大げさな、と思うかもしれません。
ですが毎日毎日必死に仕事や育児や家事や勉強を頑張って、1日24時間内をやりくりして同人活動をするのって当たり前でも大げさでもなくすごいことだと思いますし、毎日必死に生きていることは決して当たり前として、
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流されるものではなく、もっともっと褒められても良いことだと私は思います。
それにそういう些細なことでも褒められ続けていれば、低かったセルフエスティームや根拠のない自信、エフカシーが少しずつ育っていき、最終的には自分軸の承認欲求を持てるようになっていきます。
いずれにせよ、こうした他人軸の低次元の承認欲求から高次元の承認欲求へ書き換えていくには、自分自身を自分で認めてあげるのが一番です。
それを踏まえた上で、私ならもっともっと成長できる。私ならもっとこの推しの魅力を引き出せる。私の理想のA・Bが読みたいからもっと絵が上手くなりたい。
と思えるようになったら占めたもの。他人から認められたいのではなく、自分が納得できる作品を生み出すための努力は〇〇したい、マインドなので、ぐんぐんやる気もモチベーションもあえていきます。
承認欲求と同人活動は切っても切れないもの。
だからこそ、他人軸ではなく自分軸で考える癖をつけるために、自分の作品を自分で褒めることや、普段の生活から自分を褒めることを心がけていけば、同人活動だけに限らず、生活や暮らし全般が良くなっていきます。
他者と比べられて競争を強いられて生きてきた私たちにとっては、自分で自分を褒めることは成長を止めることではないか?
という不安に襲われるのも無理はないです。
しかし実際、同人活動に限らず現代社会においては他者から認められたいという類の承認欲求が講じた結果、様々な社会問題にまで発展しています。
飲食店などで行われるいわゆるバカッターテロとかも他者から見て面白いとか刺激的とか勇者だとかいう称賛を浴びたいという承認欲求が根底にあるから起こり得るもので、自分で自分の価値を常に認めていればそんなことを
やろうだなんて気持ちは一切起こりません。
そういった意味でも自分で自分の価値は変わらないし、自分の作品は十分魅力的であるというセルフトークを心がけていれば、おのずと高次元の承認欲求を持てますので、自分で自分の作品や価値を認めることを恐れずにドン
ドンやっていきましょう。
それでもどうしても承認欲求に振り回されて辛いという方は、ここの間サービスを提供していますので、ぜひご利用を検討してみてください。
ではまた。