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こんにちは、ほうりです。今回は、同人活動をやっている人の〝当たり前〟の水準が高すぎるという内容についてお話ししていこうと思います。
同人活動をはじめて、私30年ほど経っているんですけども、様々なジャンルを渡り歩いてきて、ここらへのサービスを提供するために、
いろいろと同人活動をしている方の意見とかを、匿名掲示板とかでリサーチをしたり、そしてここらへのサービスで実際にお客さんからの悩みを聞いていくと、
とっても当たり前の水準が高いなというのを日々感じています。読んでもらえて当たり前、いいねがもらえて当たり前、感想がもらえて当たり前、出した本は完売して当たり前。
そういう人から与えられる当たり前というのを前提条件にして活動している人が多いなという印象を受けているんですよね。
私、同人活動を始めてもう30年以上経つのかな。読み線も含めて、読み線とか書いたりする本も含めたらもう30年ぐらい経つんですけども、やっぱり悩んでいる人の数ってこの30年間、やっぱり減ったという印象はないんですよね。
むしろSNSの発展によってそれはだんだん顕著になってきているなって私は思っています。これ、私も昔そうだったからすごいわかるんですけども、こういった当たり前っていうのを常に持ち続けて同人活動をするのって、モチベーションとかやる気っていうのは確かに湧くんですよね。
私も感想もらったから頑張ろうっていうふうに気持ちになって書いたりしたんですけども、でもね、それが長く続いてしまうとやっぱりそれ以上にやっぱりその他者軸になっちゃってるから、他者軸の当たり前になっちゃってるから、本当に心が削られて本当に感想こない燃料消えたみたいな感じになっちゃってて、しんどい気持ちになっちゃうのが圧倒的に多いなという感じですね。
私自身、こうした台風とかで配信したりとか、あと別の方のYouTubeチャンネルとかで情報発信とかしたりしてるんですけども、そういったことを知らない、同人活動を知った、それこそ14歳からマインドコーチング始める40歳になるまで、この当たり前っていうのが同人活動のいいねもらえてとか読んでもらえて当たり前とかそっちの方の当たり前っていうのは常識だと思ってたんですけども、
この当たり前っていうのがやっぱり同人活動をすごくしんどくなってて、そういった大きな要因なんだなっていうふうにしみじく感じるんですよね。
やっぱりこれ繰り返してますけど、読んでもらえた当たり前とか、いいねがもらえた当たり前とか、感想をくれたり、本が売れるのも当たり前っていうのは、やっぱり自分以外の他の方が、他の人があってこそ成り立つ当たり前なわけなんですよ。
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で、その当たり前っていうのを他者に委ねちゃいますとね、やっぱり自分自身の本音っていうのもちょっと他者軸になっちゃうわけで、結局自分自身をどんなに押し殺しても、他人や周囲に合わせて生活していてもね、やっぱり偽り続けるとやっぱりその心身ともにガタガタが来るんですよね。
私もやっぱりちょっと本当に頭というか、心身ともに本当におかしくなってて、某匿名掲示板に病院行ったほうがいいんじゃないかっていうふうに話されたりしたんですけども、他人が自分の心をコントロールできないように、人の心もやっぱり私が私以外の人の心をコントロールできなかったら難しいんですよね、本当に。
確かに心理学とか脳科学とかを応用したね、恋愛成長のさせ方とか、購買意欲を高めて買わせるっていうノウハウは、やっぱりネットとか調べればすっごいあるんですよ。ただそれをね、同人活動でやってるあの人っていうのは、同人活動とか二次創作、三次創作でやって、それを用いてやってるかって言われたら多分多くの人が難色を示すと思うんですよね。
そもそもね、こういったテクニックをね用いてね、そういった二次創作、三次創作を行っていれば、私が知る限りも30年以上の間、ダンスを踊らない、読んでもらえない、いいねがつかない、本が売れないっていった、そういった嘆きや悲しみのお悩みっていうのは、やっぱりどっか国家で解決してるはずなんですよね、本当。解決してるっていうか、少なくなってるんじゃないかなっていうふうに私はちょっと思ってるんですよ。
つまり何が言いたいかというと、自分ではどうにもコントロールできない他人の心を軸とした当たり前を前提にしてね、そういった物事っていうのが同人活動を続けていくっていうふうに考えると、すごいものすごくね、やっぱりハードが高いし厳しすぎよねっていう話なんですよね。
で、なんでこんなにね、他人軸の当たり前に依存した考え方っていうのがね、同人活動に限らずいろんなところで見られますよね。
そうですね、なんていうのかな、これぐらいできた当たり前でしょみたいな感じの、そういった自分で自分に葉っぱかけるような感じ。
これってなんでね、そんなふうに渡り通っているかっていったら、もう私たちが幼い頃から受けてきた教育ですよね。
思い返してみてほしいというか、私ちょっと思い返してみたんですけども、物心ついた時からはもう既にね、私は、私たちはね、私とか、私と同じ年代の方はピンとくると思うんですけども、これくらいできた当たり前だとか、別にね、自分のやりたくないことに対してね、そういったノルマをね、勝手にね、親とか教師とかね、周囲の大人たちにかせられてきたわけなんですよね。
宿泊学習っていう、なんていうのかな、研修行事があったんですけども、まあ修学旅行のちょっと一歩前みたいな感じのイベントっていうのかな、学校行事で、みんなすごい楽しみにしてたわけなんですけど、私本当にどうしてもそれ行きたくなかったんですよね。
親にも見せないで、宿泊学習の出欠票を黙って勝手にもう形跡のところに丸付けて出したんですよ。そしたらもう担任がいきなりね、親にちくり上がって、親と二人がかり、親と担任とで説得されたんですけども、これはもう本当に参加して当たり前だなっていう、そういった前提条件のあれで話し進められたんだなというふうに今なら思うんですけども、別に私行きたいとも思わなかったんですよ。
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別に仲良くした人もいなかったし、クラスで浮いてたから、結局行ったんですけど、何も楽しくなかったですね。
言った話はあれってことで。
本当は学校なんかも行きたくないのにね、弱った思いで行って帰ってきたって別に褒められるわけじゃないですよね。私は褒められたりはしませんでしたね。
それどころか学校は行けた当たり前のことなんだから行きたくないなんて、わがままで流されちゃうんですよ。流されてましたね。
今はこういったことで多分もう少ないと思うんですよね。
私の知る限り、学校とか、やっぱり行きたくないからって休ませてくれる人、休ませてくれるところっていうのは結構あるんですよね。少なくとも私が知る限りは。
休ませてるご家庭はね、結構増えてきたんじゃないかなと思うんですけども。
それこそ私が滋賀学生時代の頃の昭和後半期とか平成初期にかけては、そういった風潮がそれこそ当たり前だったわけですね。
それ以外にも、別にやりたくもない漢字や英単語や数学の小説とか、さっき言った学校行事ですね。体育祭とか学校祭とかの準備とか。
別に好きでもないし嫌いでもないし興味もない。でも興味はなかったんですよ。
それらをやっとのことでこなしても、やっぱり褒められるわけじゃないですよね。
むしろ褒められるのを期待していたら、本当に褒められるのを期待して話したところで、褒められるなんて発車ないみたいな感じでさ。
何言ってんの、そんなの褒められるまではないでしょ。できた当たり前だからっていう風に、ばっさりと切り捨てられちゃうわけなんですよ。
それとは逆に、そうした世間いっぱいの当たり前ができなかったら、なんでこんな当たり前のこともできないのって言って、やっぱり鬼のような行走でとなりつけられて、
当たり前ができないことに対してのトラウマっていうのが芽生えさせられちゃうわけなんですよね。
別にこれ誰が悪いって言ってるわけじゃないんですよ。そういった状況を私たちは施されてるから、無意識のうちにそういったことがどっしりと根付いてしまってるわけで、
本当は楽しいはずの、楽しんで燃えながらするはずの趣味の同人活動にも他人を基準としたこういった当たり前というのを面白化して、
しんどい思いをして消耗してるんじゃないかって話なんですよ。
人間の脳の顕在意識では、趣味は趣味、仕事は仕事、家庭は家庭だっていうふうに分けて考えることができてるんですけども、
顕在意識っていうのは脳が100%だとしたら、結局のところ3%から5%の割合しか使ってないわけなんですよ。
残りの95%から97%は何かって言ったら、自分が意識にできていない無意識、もしくは潜在意識で構成されてるわけで、
学校生活とか社会生活で植え付けられた様々な情報や知識や記憶っていうのは、
顕在意識のようにホールド化けできないで、そのまんまもうフィルター通りしてもうね、ジャバジャバジャバジャバ注ぎ込まれてる状態なんですよね。
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これもちょっと昔の私の経験からになるんですけども、結局私はもう仕事とかすっごいつまんないとか、仕事を楽しいっていうふうに思ったことは40歳直前までなくて、
本当に仕事がつらいものって言った浄土記憶、感情が異なった記憶、ブリーフシステムによって吸い込まれてて、でも仕事がつらいんだから、
スラフトはつらくても趣味があるから乗り切れるから頑張ってやるってお金のために働くっていうふうに思ってたんですけども、
結局そういうふうに思ったって、仕事がつらいってところにリアリティがあるんだったら、それはもう人生前輩がつらくなった当たり前だよねって考え方するんですよ、脳みそって。
だから自分はつらくてしんどい人生を送ってるのが当たり前なんだから、趣味だって別につらくてしんどい思いして当たり前なんだよねっていうふうに、そういうふうなところで脳内変化されちゃうわけなんですよ。
だってつらい仕事をしてお金のために働いてるっていうのが、すごいそういった臨場感が高かったら、脳みそはそっちのほうを採用して、それが現実だっていうふうに変化させちゃってるわけなんですから。
だから趣味がどんなにあることを楽しからおうと、仕事がつらいっていうところをどうにかしないと、趣味だってやっぱりつらいものになっていくわけなんですよ。
だからさっき言った他社軸の、読んでもらえて、いいねがもらえて、感想もらえて、本が完売して当たり前っていうふうな、そういった生き方のほうにどんどんどんどん引っ張られていくって感じなんですよね。
結局やっぱり社会的洗脳ですよね、こういうのって。
にすり込まれた他人から評価されたり、他人の目を気にする当たり前っていうのが、そういった潜在意識にこれでもかっていうふうにすり込まれてるっていうのを知らないままでいると、
どんなに同人活動をね、やっぱり自分が楽しんだらなんぼだっていうふうに気持ちを切り替えてやろうとしたって、
結局他人が軸になった当たり前を満たすことが自分らしいっていうふうに判断してしまってるんだったら、いつまでたってもそういった当たり前を他社軸に委ねるっていう、
同人活動のやり方っていうのはやっぱりちょっと抜け出せないってわけなんですよ。
ここまで聞いてきた中で、でもねって、でもあれができた当たり前って言う場面ってあるんじゃないですかって思う人もいるかと思います。
確かにこれできた当たり前だよねっていう言葉を使う場面っていうのはありますね。
だけどそれって、例えばダイエットだったり筋トレだったり、あとは情報配信とかそういったビジネス関係だったり、
あとは自分のスキルアップのための資格取得のためだったりと、自分自身の成長を促すための言葉であったりマインドであったりするのが、
マインドであったりするために当たり前っていうのは私も使ってますね。
本当の当たり前っていうのは、そういった自分自身の、今いる自分自身じゃなくて、ゴール側の自分自身になっていくために当たり前っていうのは、
そういう場面で私は使うべきかなって、使うとこかなって私は思いますね。
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これはちょっと何回もというか、ちょっと結構どっかここまで言ってるんですけど、私40歳から97キロあった体重をマイナス30キロ以上落としてダイエットに成功してるんですけども、
その際常に使ってた言葉っていうのは、痩せている自分なら食事のノエルとか食事の質を改善していて当たり前。
痩せている自分だったら運動を習慣化するのは当たり前。
痩せている自分だったら、そうしたままならない人間関係にやっぱり目くじは立てないで、
人は人、自分は自分って割り切って、それでもどうにもならなかったら手放しちゃって、自分らしく生きるのが当たり前っていうふうに、
とにかく自分に関することはやっていって当たり前だっていう言葉をセルフトークとして使ってるわけなんですよ。
そうやってね、当たり前当たり前って使ってるけど、じゃあ当たり前のことができても、
そんなのできたら当たり前でしょって自分にダメ出しするかって言ったら全然そういうわけじゃ全然なくて、
決しておざなりにはしませんでしたね。
やっぱり当たり前のことができるたびに、そういった当たり前をこなすのって本当に行動してるっていうふうになるわけじゃないですか。
できた自分っていうのは、やっぱり私すごいなって思うんですよ、行動できるっていうことは。
だからそういう行動できた自分に対しても、よく頑張ったね自分とか、すごいよ自分ってよく今日ここまでできたねっていうふうに、
とにかく自分で自分を今でも褒めまくってますね。
これは私の行きつけのジムのコーチがすごい毎回、私も1週間に6回ぐらい行ってるんですけど、毎回行ってるんですけども、
自分で自分を褒めるっていうことは、他人から褒められるのと同じくらい効果があることなんですよね。
ちょっとさっきもちょっとちょこっと言ったんですけども、潜在意識っていうのは自分の意識しない無意識のところの意識なわけなので、
例えば、人の悪口言ったら自分自身がダメージを受けることになるよってよく聞くと思うんですけども、
それって無意識が主語をちょっと理解していないからってことなんですよ。
だからあの人超ムカつくしね、キモいしねって言った場合、
あの人っていうところが抜け落ちちゃって、主語がないからそっくりそのまま、
自分は気持ち悪いしキモいんだっていうふうにちょっとそういうふうに脳みそが判断しちゃうわけなんですよ。
つまり自分で自分を褒めることは、他人から褒められるのと同じくらい効果があるっていうのは、
その脳の特性を逆手に取ったって言ってはいいのかな、
その脳の特性がそっくりそのまま逆に活かされてるなっていうふうに私は思うんですよ。
他人から褒められてもやっぱり嬉しいけども、
自分で自分を褒めるってことは、やっぱりその自分っていう、
まあそういった主語がないっていうのかな、主語を取っ払って考えて、
あ、これ自分っていう、自分っていう自分さんから褒められたんだみたいな感じで、
脳が判断してくれるのかなってちょっと私は勝手に思ってるんで、
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だったらやっぱりその他人から褒められても、自分から自分で自分を褒めても同じだったら、
やっぱりその自分で自分を褒めちゃっても全然いいよねって話なんですよね。
でもちょっと話はちょっとまあそれちゃうんですけども、
自分で自分を褒めるっていうのも全然、
そんなね調子に乗ったらどうするんだとか頭に乗ったらどうするんだっていうふうな心配はする人も結構多いかもしれませんけど、
全然まあそんなことないですよね。
だって他人に褒められて頭に乗ったらどうしようなんて思わないですよね。
他人から褒められて、謙遜も本当にあんまり良くないんですよね、脳みその特性からすると。
謙遜するのも良くないんですよ。
あなたすごいねって言われたら、はいどうもありがとうございますっていいんですよ。
そういうあれは受け取り方は。
なのでごめんなさい話戻しますけども、
まあそういった当たり前にできることを自分で褒めるっていうことは、
自己肯定感とか自己評価とかエフィカシーを高めることにもつながっていくので、
やっぱりそういった何事に対しても自分を褒めるっていうのはやらなきゃ損っていうことなんですよね。
成長するっていうことは成長したいと願う今の自分とは全く違う価値観や考え方を持って、
習慣化していくことっていうのはすごい必須なわけなんですよ。
それらを手っ取り早く身につけるためには、
まるまるな自分だったらこれできた当たり前だよねっていうふうな言葉をね、
使っていくのがやっぱりもう一番の近道なんだなっていうふうに私は思っています。
なのでそれはもう同人活動を行うにも同じことでね、
他人の思考が全体にある当たり前はやっぱりそういった自分の肯定感とかエフィカシーとかがね、
下げちゃうわけなので、できることならサフッと手放したほうがね、
心身の健康を保てると私は思っています。
とはいってもね、私自身も過去に読んでもらえた当たり前、
いいねがもらえた当たり前、感想がもらえた当たり前、
出した本は看板した当たり前だっていうふうに思ってましたし、
その当たり前が叶わなかったら一人で勝手にブチ切れたりして、
夜明け食いしたり、周囲にやつ当たったり、
ネガキャンじゃないですけどネガティブツイートとかグチツイートとかして、
某匿名掲示板のグチ連れに書き込んだりとかもね、
本当にいろいろやったんですけどね。
でもこれで結局何が晴れたかって言ったら何も晴れなかったですね。
いや本当に一時的にはなんかスッキリするけど、
まあやっぱり堂々巡りだったなって当時ちょっと思い出したら思います。
当時思い返したらそう思いますね。
でも現在はどうかって言ったら、
自分がコントロールできない自分以外の人の意思を前提とした当たり前っていうのは、
やっぱりちょっとそれはもうどうやってコントロールすればいいのかっていうのは、
私は本当にとんとん検討つかないんで、
それを前提にするのはよりも、
それを前提にするのって非生産的だなって思って手放したんで、
そんなことする必要は全くなくなったわけなんですよね。
その理由としていろいろあるんですけど、やっぱり一番大きいなって思うのは、
前の個人を知ってマインドセットを整えて、
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そのマインドセットを整えてからダイエットを開始して、
それから成功体験を得たわけなんですけども、
その動機にして同人とか二次創作にだけ依存する生き方をすっぱりやめたからなんですよ。
これが一番大きいなって思います。
私が何で同人活動に依存していたかって言ったら、
体重を四捨五入して100キログラム近くあった97キロだったんですけども、
仕事もお金のためにしか働かないし、どうせつまらないものだって思い込んでたわけなんですよ。
それも含めて、そんなふうに心身ともに出たわけだから、
人間関係とか家族間を含めても最悪だったんですよね。
なので、その中のそんな自分が唯一誇れるっていうのは、
30年間、本当に人間関係とかで悩んだ時も14歳からずっと続けてきた同人活動で、
それしか続けてきたことがなかったし、
それを私が奪われたら死ねって言ってるようなものなんだっていうふうに、
それくらい本当にべったり依存してたわけなんですよ。
それ以外にトレーがなかったというか、育れるものがなかったわけなんですよね。
同人活動とか二次投下策は今はそんなことないんですけども、
やっぱり14歳とかそういった、
そうですよね、ここ数年ですよね、日の目を見られるようになってきたのって。
やっぱり今でもアンダーグラウンドな趣味だなっていうふうにやっぱり思ってる人って結構いると思うんですよ。
結局は原作者さんのお目こぼしをもらってやってるっていう趣味なわけで、
後ろ目立つっていうのはどこかここで私は感じたんですよね。
結局明るい趣味っていうのかな、堂々と言える趣味ではなかったかな。
悪いとかそういうんじゃなくて堂々と言える趣味ではないなとは今でも思います。
こうした同人活動に関する悩みも周囲に相談しようと思ったって、
まず同人活動って何ってとこから説明しなきゃならないわけだから、
本当にそれすら面倒くさいし余計な手間かけたくないし、ただ話聞いてくれるだけでいいのに、
なんでこんなにハードル高いのよって感じで思ってて、
当時の私はやっぱりこの悩みは誰もわかってくれなくて当たり前だっていうふうに思い込んでて、
一人で抱え込んでる自分がかっこいいっていうふうに錯覚っていうのかな、
錯覚しなきゃ当てられなかったんでしょうね、多分っていうふうに思い込んでもいたんですよね。
なので今考えてみるとこの悩みは誰にもわかってくれなくて当たり前だっていうふうに、
やっぱり私の脳は当時リアリティー感じてたわけなんですよね、多分。
脳は私は誰にも悩みを理解されない自分でいることが心地がいいんだなっていうふうに判断しちゃって、
それを現状コンフォートゾーンとして定めちゃったわけなので、
私は常に誰にも理解できない悩みをやっぱり探し続けては抱え込んで、
それが向上性維持機能で維持されちゃってっていうふうな負のループに突入して支出していたんだなというふうに今だったら思うんですよね。
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でもね、前のコーチング知っててやっぱりちょっと考え方が一番変わったなっていうのは、
同人活動ってやっぱりその後ろ目立つっていうのはね、やっぱりその度過効果でやっぱりあったってさっき言ったんですけども、
でも根元を突き詰めて考えてみたらどこまで行ってもたくさんあるうちの趣味の一つなんですよ。
趣味、ホビー、趣味です。
その趣味っていうのは一言っていうかな、趣味って言ってもいろんなね、趣味ってありますよね、人の数だけそれこそ。
ゲームだったり、カフェ巡りだったり、筋トレだったり、募集員集めだったり、ガーデニングとか農作業だったり、
ドールとかぬいぐるみ作ったりとかね、あとドライブ、サイクリング、電動キックボード、ウォーキング、ジョギング、
登山とか、スキーやスノボとかのウインタースポーツね、あとスケートとか、あと今ソロキャンプとかありますけども、キャンプとかバーベキューとかね、
読書とか、着物の着付けをやる人だって趣味の一つですよね。
あとやっぱり自分に見合うメイクを探して、メイクをちょっと試したりとか、フルギア巡ってみたりとか、あとは料理とかね、
あとはやっぱりMMD作ったりとか、あとは、これもむっきり個人的な趣味なんですけども、パチンコ屋さんのトイレ借りて、その綺麗さを比較するっていうのがちょっと密かな趣味だったんですよね、私のね。
余談ですね、これも。コンビニのトイレよりもパチンコ屋さんのトイレがすっごい綺麗です。
とりあえず、そういった趣味もありますし、オードなものからニッチなものまで本当に様々なものなんですよね。
そしてそのほとんどっていうのは自己満足で楽しみながら行うものであって、他者からどう思われるようが、どう評価されようが、全く関係なく行えるものなんですよ、趣味っていうのは。
そう考えるとやっぱり同人活動っていうのは趣味の一つなんですけども、やっぱりそうやって評価を気にしたりとか、やっぱり承認、他者からの感想をもらいたいとか、
本当に他人からちょっと認めて認めて認めてとか、感想欲しい欲しい欲しいみたいな、そういった意味ではすごい特徴だなって私は思いますね。
結局やっぱり日の目を見るようになってきた、知名度が上がってきたっていったって、やっぱり趣味って本当に今挙げたんだったら絶対もう小指の爪までしかないと思うよ、これ。
って感じのね、やっぱり一つ趣味なわけで。
やっぱりその夜空に輝いていても、やっぱり誰も気づかない名前のない星のような、やっぱり知名度だなって私は思うんですよね。
実際に説明したって、やっぱりね、何をどう言えばいいのかっていうのはやっぱりあるもんなっていうのがありますね。
でもやっぱり実際にね、ちょっと人に説明してもね、理解示してもらえなくても、私はまあ30年以上同人活動っていう趣味は捨てることはなくて、本当にもうあの心身ともにこれが唯一の取り立てするがいい。
やっぱり依存するぐらい、まあ私はこの趣味は本当に結局のところ捨てることはできないし、これからも多分持ちつけるんだなと思います。
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そもそも趣味っていうのは本来、やりたくないこと、HAVE TOが一切なくて、やりたいこと、WANT TOしか存在しないものなんですよね。
他人から何それって言われても、ちょっと理解できないなって言われても、そんな価値基準で測れない幸せとか評価基準をね、やっぱり趣味っていうのは与えてくれますしね。
世の中に立つアイデアとか人生を変えるチャンスも、やっぱり全て趣味から生まれてくるわけなんですよね。
やっぱりそのなんだろうな、やっぱりそういったなんていうのかな、例えば既存のサービス行ったらやっぱりそのご飯屋さんとかカフェとかだって、
お菓子作りがやっぱり趣味だったから、ちょっとやってみたいなってことで、やっぱり趣味が講じてね、オープンする人って多いと思うんですよね。
結局のところそうですよね、趣味からやっぱり発展したね、サービスだっていっぱいありますし、やっぱりその趣味から、
趣味が講じて有名な研究家になったって人だってね、やっぱりこの後いるわけなんですよ。
私自身も同人活動を30年間続けてきたっていう、そういった趣味があったから、やっぱりその同人活動をやってる方の悩みとか、
やっぱりちょっとすごい抱えがちな、ため込みがちなそういった淀みとか、そういった何か心の奥底に秘めたり止めとか、
そういったものをやっぱり解消できるところっていうのがすごいなんかやっぱり少ないなっていうふうに思っているからこそ、
ここならでそういったサービス立ち上げて提供しようというふうに決意できたし、ありがたいことに購入してくださって利用してくださるお客様も本当にいるので、
本当に本当にこれはもう感謝しています。この場を借りてお礼を申し上げます。ありがとうございます。
というわけなんで、趣味である同人活動に対して、やっぱりね、それだけ可能性を持っているね、
趣味っていう、趣味に対してね、やっぱり他人事故に振り回されてね、やっぱりやる気寄せたり、やめるか否かを考えたりっていうのって、
すっごいもったいないから、すっごい私もったいないなって思うんですよね。
だからやっぱりその趣味は、自分自身が楽しくて、新職ともにも忘れてやってるみたいな感じで、本当にウォントゥーしかないものだと思うので、
やっぱりそういった少しでもハフトゥーが入るような、そういったね、他人事故にした当たり前っていうのはやっぱり手放してほしいなって心から思うんですよ。
なので、この配信を聞いてくださっている、同人活動をやっているあなたは、読んでもらえた当たり前とか、いいねがもらえた当たり前、感想がもらえた当たり前、出した本は完売した当たり前っていう、
まあ、ブラック企業も社群とあまり変わんねえなと思いますけどね、そういったマインドはもう手放していって、
あと自分自身の成長を促す当たり前をね、やっぱりそういった当たり前を身につけるために、そういった言葉を使っていって、
まあ楽しいオタライフを送ってほしいなって心から思うんですよ。
じゃあ、それはわかったよって。他人主をベースにした当たり前を手放して、自分の成長を促す当たり前を手に入れるのはいいのがわかったけど、
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じゃあ具体的にどうすればいいのかって言ったら、あの一番もう、たった今からでも使える魔法の言葉っていうのがあるんですよ。
それは、当たり前をありがとうに書いてみてください。
え、いきなり何?っていうふうに思われているんですけども、このね、ありがとうっていうセリフトークっていうのは、やっぱり感謝を表すセリフトークなわけなんですよね。
で、感謝を表すセリフ、ありがとうっていうセリフトークっていうのは、やっぱりその同人活動だけじゃなくて、これね、ダイエットの成功とかも、
金音とかのアップにも、すごい有効な手段として注目を集めているわけなんですよ。
そもそもね、ありがとうっていうのは感謝の気持ちから出てくる言葉なんですけども、
感謝するっていうことはそもそも、今あるものに目を向けて感謝をするわけなんですよ。
だから必然的に、自分が今手に入れて、ああ、当たり前すぎて見逃してるところにあえて視点を当てることで、
ああ、ありがたいっていうふうに思うのが感謝の気持ちなんですよ。
そこにボーカスするのが感謝するっていうことなんですよ。
それは、やっぱりお金とか、今自分が住んでるところとか、今やってる仕事とか、
あとは、コンビニとかスーパーで行ったら、いっぱい商品を売ってて、それをお金を出して買える自分の豊かさとか、
あと、頼んでた宅配便がきちんと届くっていう、そういった便利さとか、
そういったね、些細なことに感謝をするのが、これ固まってしまった、そういったね、他人の意志を軸にした、
他人の視線とか、そういった価値観を軸にした当たり前を手放すことにつながっていくわけなんですよね。
私自身、その感謝のありがとうのセルフトークを使ったことで、ダイエットでも同時にかつお金に対してなんですけども、
このマインドブロックを2日で外したっていう経験があるわけなんですよね。
どういうことかっていうと、例えばお金がないっていうセルフトークを意識的にしろ無意識的にしろ使っている場合、
ノアはお金がないっていうセルフトークを繰り返してくれたことに、それが現実なんだ、私の現実なんだっていうふうに判断しちゃって、
お金がない自分を現状として認定しちゃうわけなんですよ。
どうなるかって言ったら、お金がない自分をコンフォートゾーンとして定めちゃって、抜け出さないようにするには、
お金がない状態、お金がないっていう情報とか、そういった部分を常に目につくように情報を集めてきちゃって、
お金がないな、今月しんどいな、ピンチだなっていう状態を保ち続けるわけなんですよね。
冷静に考えたんですけども、私たちって本当にお金がない状態っていうのは落ちてないと思うんですよ。
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空気と一緒で、空気って吸えるじゃないですか。
当たり前すぎて、空気は本当に吸えなかったら本当に息苦しいし、新鮮な空気ほどおいしいものはないってくらい空気だって吸えますよねって話と一緒で、
お金だってじゃあありますよねっていう話なんですよ。
この日本におけるお金がない人って言ったら本当にスマホも持ってないしパソコンも持ってないし、
少なくともスタイフを聞いている方々は少なくともお金持ってる状態ですよね。
だってスマホやらパソコンやら持ってるってことなんですから。
それで同人活動の場合だったら液タブとか、本当にお金がないんだったら同人誌なんて買ってる余裕ないですよね。
あと同人誌出してる余裕もないわけなんですよ。
そういったお金があるにもかかわらず、やっぱりお金がないっていうセリフトーク一つで、
自分にはお金がないんだっていうふうな思い込みに脳がとらわれちゃって、
結果的に貯蓄も全くすることできないで、無駄遣いばかりしてお金を手放そうというふうな行動をしたり、
これからの日本不景気だ、税金もどんどんどんどん上がって、市民はどん底の生活を送るみたいなそういった情報ばっかり集めちゃって、
常にお金がなくて、お金がない状態で不安でっていうふうに、不安でっていう状態をキープして、
常にお金がない状態をね、私らしいっていう状態をキープするようにも働き続けてしまうわけなんですよ、脳って。
じゃあ逆に自分にはスマホやパソコンもあって、イラスト描くと液タブとか、
あと同人誌に費やせるお金があるし、じゃあお金に恵まれてんだっていうふうなことにあえてフォーカスをすると、
お金があるしありがとうっていうふうにセルフトークを繰り返していくとどうなるかって言ったら、脳はお金がある状態が当たり前だっていうふうにセッティングし直して、
今までね、お金がない自分を保つために惰性で買っていたものとかサブスクとかのサービスを解約したり、
買わなくなったりするんで、本当に欲しいものにしかお金を使わなくなったり、
同人活動で言ったら、今までギリで買っていた同人誌を一切買わなくなったりしましたね、私。
本当に欲しいもの、欲しい同人誌しかも買わなくなりましたね。
あとは、そういった意味で言えば、イベントの参加、サークル参加はもういいなって思いましたね。
あれも、やっぱりお金がない自分ではないですけど、別にいいかなっていうふうに手放せた感じかな。
だって今だったらピクチューブとかプライベーターとかポイピックとかいろいろと発表できる場所あるしねって。
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私読んでもらえるだけで、じゃあいいんだってなって、じゃあもうサークル参加いいやって感じで、それもなんかちょっと手放しちゃって、
今はオンラインの方ですごい楽しんでいる状態なんです。
ちょっと話戻しますけども、そういったね、やっぱりそういった些細なことにも感謝の気持ちを向けられるようになって、
ありがとうという言葉が口癖になったら、脳内のセロトニンとかエンドリフィンといった幸福ホルモンがね、すっごい分泌されやすくなるわけなんですよ。
だからやっぱりそういった、ありがとうをセルフトークにすると、やっぱりそのお金があるありがとうっていう状態で、
やっぱりその無駄遣いが減ったりっていうかお金が貯まりやすい環境を作れたりっていう以外にも、
その幸せになれるっていう気持ちがすごいやっぱり大きいですね。
それもすごい幸せだっていうふうに常にいられるようになったので、やっぱりその前に比べて簡単にはなったなと思います。
やっぱりその、今まで本当にぶち切れたっていうかちょっと頭に来てたことが、受け流せるようになったんですよね。
だからそういった意味で、自分自身はちょっと幸せでね、そういったね、なんかすごい恵まれ続けてる生活を送っているのが当たり前なんだから、
そんな他人に対してね、なんか頭に来てるのってなんか違くないっていうふうになっちゃって、なってるわけなんですよ。
だからこれは、いわゆる自分の機嫌はね、他人じゃなくて自分で取れるようになるわけなんですよ。
他人に取ってもらおうとしても、他人が思うように行動してくれなかったら、頭に来て当たり散らすっていうのは一切ないです。
自分の機嫌はね、やってありがとうって感謝したら幸せになれるんだもん。
自分で自分の機嫌はもうこれ取れて当たり前でしょって感じだし、やっぱりいい意味で楽観的になって、欲薄状態っていうのも防げるようになるわけなんですよね。
欲薄状態を防げるようになったら、別に私、他人に合わせてっていうか別に惰性で夜更かししなくてもいいんだっていうふうに思うようになって、
とっとと寝るようになりましたし、今はね、朝の3時半起き、早起きするのがすっごい楽しい。
時間もあるから、やっぱりちょっとちょくちょく、なんかもう自分の好きなように時間使ってて、めっちゃ炎上してるっていう状態なんですよ。
なので、つまりね、どういうことかというと、読んでもらえた当たり前、いいねがもらえた当たり前、感想がもらえた当たり前、出した本が看板した当たり前っていった、
凝り固まった、そういった情動記憶、ブリーフとか価値観とかを、価値観に凝り固まった当たり前を感謝を示すありがとうっていうふうな言葉に使ってね、
いかの通りに、セリフトークを使って、次のように書き換えていくわけなんですよ。
読んでもらえた当たり前から読んでくれてありがとう。いいねがもらえた当たり前からいいねを押してくれてありがとう。
感想がもらえた当たり前から感想をくれてありがとう。出した本が看板して当たり前から本を買ってくれてありがとうっていうくらいなんですよ。
実際に、私、30年以上同人活動やってるから言えることなんですけども、別にこれ、今いるジャンルに限って話じゃなくてもいいわけなんですよ。
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過去に、感想がもらえたな、ありがとうっていうふうに、やっぱりそうやって感想をもらえたな、ありがとうっていう記憶を思い出してみて、そういった記憶を思い出せば、脳は過去も未来も、いいも悪いも、本音も立て前も関係なくて、臨場感を覚えた方をリアリティにするわけだから、
過去にあったことをすごいリアリティたっぷりに思い出したら、そっちの方に臨場感を感じてくれるわけだから、
あ、もらえてるんだ、私感想もらえてたんだよっていうふうになるわけなので、もう全然問題ないわけですよね。
やっぱりいろんなジャンルを渡り歩いていれば、閲覧してくれたっていう、作品見てくれたっていうことも、感想も本もそれなりに売れたこともあるから、
過去の記憶を利用して、そして感謝して、ありがとうって言えば、脳はきちんと臨場感を感じてくれて、そういった幸せホルモンとか出してくれたり、
あ、恵まれてるんだなっていう本当に気持ちを、気持ちというか、恵まれてるんだなっていうふうに思い込んでくれて、これから先ずっと、やっぱり恵まれ続けてる人生が活躍されたのと一緒なんですよね。
これは同人活動に限ったことじゃなくて、今まで生きてきた中で培ってきた成功体験とか、今まで無事に生きてこれたことに対しての感謝をしても、全く問題なく採用しますってことですね。
同人活動が浅い方もいるかと思うんですけども、何も現状に限った話じゃなくてもいいって言ったんですけども、別に同人に限った話じゃなくてもいいわけなんですよ。
だって同人って趣味の一つじゃないですか。
結局単純にそういった他人軸をベースにした当たり前に縛られて、そういった感想が来ないから落ち込むとか、読んでもらえないからねっていうふうに、そういった当たり前のことができないんだっていうふうに落ち込むのって、
やっぱり同人以外の根底で何か彼があるからそういうふうに思うわけで、でも今まで生きてきた中でそうやってけなされ続けて生きてきたっていうのはすごい考えづらいなと思うので、
何か褒められた記憶とか成功体験って絶対にありますから、その成功体験をちょっと思い出して、それに対して感謝してみるってことをやってほしいなと思います。
思い出せないって言うんだったら、とにかくもう紙に書き出してください。
自分が小学校の時、幼稚園の時、中学校の時、高校の時に褒められたことは何かなっていうふうに思い出して、それでもう書き出していって、その時のやっぱり嬉しかった気持ちとか感謝とかそういった楽しかった感情とか思い出して、
ああ、なんだできてるじゃんみたいな感じで自分自身をちょっと褒めてあげてほしいんですよね。何なら歯磨きできて偉いとか、鳥居に行けてすごいとか、
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人昔、人昔じゃないな、ちょっと前まで流行った丸々できてすごい褒めてくれるボットみたいな感じで、日常の支えのことでもいいですから、とにかく自分を褒めること、そしてそれができてる前に自分自身に、
ああ、今日もなんか自分自身に感謝っていうのかな、今日もご飯食べられてありがとうとか、そんな感じでもいいので、どんどんそういって自分を褒めたり感謝したりっていうふうにことをちょっとやってみてほしいなと思います。これ、ただでもできますしね。騙されたと思ってやってみてほしいんですよね。
そうしたら他人の意思を軸にした当たり前がもたらす欠乏感から少しずつ抜け出せるので、自分が恵まれているのだというふうに無意識感も認識してくれるようになるので、恵まれ続けて幸せだという自分が自分らしいとやっぱり判断するので、その恵まれている自分をコンフォートゾーンとして定めてくれるおかげで自分軸にどんどんなれるし、いい意味で自分は自分、他人は他人というふうに言われ切ることができるわけなんですよ。
ちなみになんですけども、感謝することと満足することっていうのは似て非なるものなので、そこは混同しないようにしてほしいなと思います。感謝をしたからといって、じゃあその現状に満足しなさいよって言われたら全然違うんですよね、それって。
それは感謝してるけど、でも私だったらまだまだ先を目指せるから、ここの状況に満足してないからまだまだ先を目指していいんだって思うことは全然OKですし、今までのね、今日までの私はここで満足してたけども、ゴールが本当にやりたいことを見つけたから、もっと満足できる状況に常に行けるっていうふうに気持ちで思って、
もう全然現状に満足しないでどんどんゴールを更新していくって言うんですけども、どんどんゴールを更新していくのがやっぱり本来のゴール設定の仕方なんで、どんどんそれをやっていってOKなんですよね。
というわけで、同人においての当たり前っていうのは、他人があって成り立つものが非常に多いということと、他人の意思を軸とした当たり前っていうのは持っていてもしんどいだけっていうこと。
自分軸の当たり前っていうのは、自褒めもせいと自分で自分を褒めることもせいとで行うことと、同人活動っていうのは、数多ある趣味の一つで、ほとんどの趣味っていうのは他者からの評価の止めなんてもう気にしないで行えちゃうものなんだってこと。
本来趣味っていうのは、やりたくないことっていうのは一切なくて、やりたいことだけが存在するものなので、同人活動を楽しみたかったら、自分軸の当たり前と感謝とありがとうのセルフトークを身につけた方が、やっぱり楽しく同人活動を続けられるんだなっていうふうなお話になりまして。
はい、お話でした。
で、やっぱり同人活動以外にもやっぱりやりたいことや興味の持つことっていうのを持つことに対して、どんどん素直になってどんどんチャレンジしていく方がやっぱり楽しいです。
私もちょっとやってるんですけど。
同人活動以外に趣味を持つっていうのは、興味の対象が分散してそれぞれにゴールを設定してるわけなので、例えば同人活動行き詰まったとしても次こっち頑張ろうっていうふうに、こっちがダメなら次またあっち頑張ろう、あっちがダメならちょっと同人活動に戻ってみようっていうふうに、やっぱり余裕が持てるようになるんですよね。
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例えばの話なんですけど、チキンナゲット1個とチキンナゲット10個だったらどっちが余裕を持てるかって話なんですよ。
チキンナゲット1個が昼食だったら絶対余裕持てないじゃないですか。
でもチキンナゲットが10個で、10個のが昼食っていうかランチだったら、それなりに余裕は持てますよねっていうのと一緒なんですよね。
なので、そういった趣味とかも分散してそれぞれにゴールを設定すると、自分で決断できるようになったし、やっぱり半年前の自分と今の自分に比べてどうかって言ったら、確実に成長してるなというふうに胸張っています。
この配信を聞いてくださっている同人活動をやっている皆様も、やっぱり同人活動に対してそういったガチガチにお持ちを貸さないで、すごいフラットに楽しみながら行ってほしいですし、
そういった意味でも他人の意思を軸とした当たり前というのは、やっぱり早々に手放していってほしいなというふうに私は思います。
最後に感謝とありがとうのセルフトークを使うっていう以外にも、そういった他人の意思を軸とした当たり前という呪縛を解くね、やっぱりおまじないっていうわけじゃないんですけども、
おまじないとして、私が毎日眺めては唱えているそういった言葉っていうのをちょっと紹介していきます。
今以上に幸せになってもいい。今以上に変わってもいい。今以上に自分を褒めてもいい。今以上にお金を稼いでもいい。今以上に自分で決めてもいい。今以上に成長してもいい。
これは同人活動というよりも、ライフワーク、私たちの人生全般においてオールランダーというか応用がきくセルフトークなので、
これぜひね、紙に書くなり、スマホか何かでメモするなりにして、朝起きた時とか夜寝る前とかちょっと唱えてみて、その日の一日の始まりとか終わりとかに、終わりの締めとかに使ってみることをちょっとお勧めしたいなと思います。
これだけでもかなりやっぱり自分の精神というかマインドの持ち方が変わってきますので。
というわけで今回の配信は以上になります。
どうしても他人の意思を軸とした当たり前というのが脱げない場合は、私ココナラの方でサービス提供していますので、プロフィールの方にココナラのリンクが貼ってますので、そちらの方にぜひ足を伸ばしてみてください。
はい、それでは。