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はい、オーストラリアの秋です。
日本に住むひとみです。
ひとみともさん、こんにちは。
こんにちは、こんばんは、おはようございます。
おはようございます。
今日はですね、ちょっとひとみさんに、私の悩みを見てもらおうかなっていうか、
相談したいんですけど、
この、四十半ばにもなってですね、やっぱりすごいへこむんですよ。
ほうほうほう。
で、失敗したこと、失敗に対してすごいなんかへこむなーっていうのを、
昨日もなんか、あー、やっちゃったーみたいなことがあって、
ひとみさんに、もうまたへこんだよーとか言って、
うん。
言ったんですよね。
うん。
そしたら、なんだっけ、失敗することをOKする練習したらいいじゃない?
なんだっけ?
自分に期待するのをやめたらどうですか?みたいな。
あ、そうそうそうそうそう、って言われて、え?あ、そっかーと思ってさ。
うん。
結構完璧主義なところがあるんだよね。
うんうんうん。
ちゃんとしてるのがゼロで、それよりも頑張ったらプラスで、
何も悪いことがない、失敗しちゃったらマイナスって思ってるんだけど、
うんうん。
失敗することまでがゼロにするってことなんだよね。
あー。
その、自分に期待しない練習ってどうやってやればいいんだろう?と思って。
それをひとみさんに今日ちょっと聞きたいなと思った。
うん、でも、あきさんに言われてパッて思いついたのが、
自分に期待しなければいいんじゃない?みたいな、
本当に軽い気持ちで言っちゃったっていうのはあるんですけど。
ひとみさんって完璧主義?
私もどっちかっていうと完璧主義のタイプです。
今、あきさん言ってたみたいに、
時間、例えば会議の時間遅れちゃいけないよねとか、
会議でみんな沈黙があるみたいなのが嫌なタイプだったりとか、
そういう細かいことが起きないように、
事前に準備を8割9割固めておくみたいなタイプだったりします。
うん、なるほどね。でも失敗するじゃない?
うん、しますね。
その時にへこむ?
へこまなくなったっていうのが正しいのかな。
以前はすごいへこんだし、
すごい、え、なんで?みたいな感じで、
周りに怒りをぶちまけてたみたいな時があったんですけど、
多分、その時、一緒に働いてたとおきが、
そういう私の姿を見て、
もうそんなに期待するのやめたら?みたいな、
言ってたんですよ。
で、当時、2年前とかですけど、
当時、私すごいそれ意味がわかんなくて、
なんで?みたいな。
だって一生懸命やりたい仕事なんだから、やらなきゃじゃんみたいな話で、
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はいはいはい。
すごい、ちょっと口論になった記憶があるんですけど、
でも今考えてみると、
自分がどんだけ、自分こんなに頑張ったのにみたいな思っても、
意外と周り変わんないなって思ったりしたり、
っていうのが、シーンが何回かあったから、
え、じゃあもういいやみたいな。
それに失敗しても意外と周り変わんないよね。
うん、そうなんですよ。
それはわかるんだよ。
なんだけど、やっぱりへこむ気持ちっていうのは、抗えないみたいな。
それはそうだと思いますよ。
へこむときはでもへこむけど、
その幅っていうのを小さくはできるかなっていう。
で、それが自分に期待をしない。
その期待値とかって、
すごい、例えば期待してたのにできなかったっていうときの落ち込み度合いがすごいから、
すごい落ち込むのであって、
その差を小さくすることによって、
自分、そんなに期待してないなっていうぐらいだったら、
少し失敗しても、まあいっかとか、
ああ、やっちゃってね、みたいな感じで。
またやったってヘペロって感じ。
ああ、そうそうそうそう。
なんかそういうことですかね。
だから、そういう意味で自分に期待しなければいいんじゃないですかっていう。
なるほどね。
でもさ、またなんかやりそうなんだよね。
同じ失敗はしないでおこうって思うじゃない。
で、それはガツンと言われたからみたいなところがあって、
ああ、またやっちゃったよって思うと、
軽く終わらせると、また同じ失敗を繰り返すような気がするんだけど、
それは自分を信用してないからかな。
ああ、そうですね。
また失敗しないように気をつけるっていうところが前提としてあるかなと。
なるほどね。
で、なんか忘れないようにするための補助ツールとかっていっぱいあるじゃないですか。
例えば予定が忘れちゃうとかだったら、
もうカレンダーでひたすらリマインドつけるとかできるし、
メール送るの忘れそうってなったら、
暇なときに送信予約しちゃうとか、
対策は練られるから、もうそういうのやっちゃうっていう。
なるほどね。
今話しながら思い出したんだけどさ、
ああ、失敗しちゃったなーで終わってたんだけど、
私、今年のテーマは振り返りなのね。
だから、やったことがあるじゃん。
で、失敗したことでも、よくできたことでもいいんだけど、
例えばあるひとつのプロジェクトが終わりましたってなったときに、
どういうプロセスで何をやったかみたいなのを書き出して、
そこからなんか気づいたことみたいなのをまた書き出して、
みたいなのをやるといいよっていうふうに言われたんだよね、前に。
で、それをやろうって思ってたから、
それをへこんだときとかも、へこんだ瞬間はへこむけど、
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やればいいんだよね。
次はこうしようとか。
やっぱりそこに戻るわけですね。ありがとうございます。
解決。解決した。
でも、それとは別に、この振り幅っていうの、
例えばアドバイスがなんか言われるじゃん。
でも、それが自分がやったことに対する指摘だったりすると、
そこでガンって下に下がるんだよね。
しかもそれ指摘されたことが、自分の良かれとしてやったことってことですよね。
そうそうそうそう。
で、ガンって下がって、また浮上するまでにちょっと時間かかるわけじゃない。
それが、もうちょっと深海まで潜らずに浅瀬で戻ってきたいなって思うわけですよ。
じゃあ、別に最低限やってくださいって言われた仕事はやってるけど、
あきさんが、これもうちょっとやった方が効率的じゃないとかいう仕事に対して、
いや、やんなくていいよっていうか。
そう、なんかプロセスが違ったとかね。
あー、なるほど。
こっちのプロセスじゃないとダメなのに、知らずに違うプロセスやって、
余計な仕事増やしちゃったりとか、っていうところで、
それが社内のことだったらまだいいけど、
お客さんっていうのがあったりするとさ、公になるじゃない、行ってみれば。
っていうことで、そこはちゃんときっちりしないといけないとこじゃない。
っていうのがあったり、結構ね。
じゃあ、もうそれはそうなんだっていう感じで、その方法を受け入れて、
もうそれ以上は、特にその作業工程には口出ししないとか、
いうのが一番無難かなって思ったりします。
私があきさんの立場だったら、一回やって、
私はこれがいいんじゃないかと思ってやったけど、
それが違うって言うんだから、じゃあもういいや、みたいな。
何も関与しないわ、くらいな感じで。
そうなんだけど、なんかその、私が一番最初にやった時は、
なんで私はそっちの判断ができなかったのかなって思っちゃうわけよ。
言われてみたら、こっちの方がシンプルだし、余計な仕事も増やさないし、いいんだけど、
なんでこっちを私は選ばなかったんだろう?とか思っちゃうわけだよね。
それがちょっと自分責めみたいな感じ。
私は多分そこで良かれと思ってやったんだけど、
でも、冷静に考えてみたら、そっちの方が良かったなって思うわけじゃない?
思った時に、じゃあ私はどうするかっていう判断の時に、
なんでそっちを選ばなかったんだろう?
同じことが起きたら、その方法でやれるけど、
じゃあ、別のことが起きた時に、選択をしないといけないとかあるじゃない?
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なった時に、じゃあ私は同じような基準で判断できるのかなって。
分かる?
いや。
なんだろうな。うまく例えが出てこないけど。
指摘された方に、なんで自分が合わせられないのかっていうところを責めちゃうってことですか?
そうそう。指摘されたことに対して、なんで私はその判断をしなかったのか。
私そういう考え方しないな。だって知らなかったからしょうがないじゃんって思っちゃう。
ああ、そうか。
一番初めにやって、それで言われたらの場合ですよ。
2回目やってたら、それは自分のせいになるんですけど。
そうそう。だから1回目なんだけどね。
でも、この次も同じ状況だったらその判断はできるじゃん。
前はこうだったけど、こっちだなっていう。
でも、新しい、例えば別の事象が出てきたときに、
例えばだよ、クライアントさんが、すいません、締め切り伸ばしてくださいって言われたとするじゃない。
で、期日まで時間もうちょっとあるからいいかと思って伸ばしたと。
だけど、それ以外のいろんな、例えばその記事が上がってこないとデザイナーさんがデザインを作れなかったりとか、
印刷会社が印刷できなかったりとか、
印刷会社は自分たちのプロジェクトだけを印刷するんじゃなくて、他にも仕事を抱えてるから、
そのスケジュールが違っちゃうと、印刷機がいっぱいになって回らないとか、
そういうのを考えずに、いいですよって言っちゃう。
この例えでわかるのかな。
だから、その場所に立ったときに、私が判断しないところに立ったときに、
私は正しい判断ができるのかなって思っちゃう。
パチパチパチパチ。
パチパチパチパチ。
何が心配なんですか、今の例だと。
今の例だと、私が判断することによって、OKを出すことによって、
プロジェクト自体が成功しないかったら嫌だなみたいな。
そのスケジュールを遅らせたっていう判断を自分がした。
しちゃったときに、デザイナーさんとか印刷会社とか、
例えば営業さんとかに迷惑がかかるっていうか、
その人たちがスケジュール調整しないといけないみたいな。
なるほど。それは私だったら、仕事だからしょうがないって割り切ってます。
デザイナーさんの立場で。
スケジュール遅れちゃうことは。
スケジュールが遅れるってどうしても無理だからっていうことですよね。
なんで、それを理解してもらうのも仕事の1個かな。
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そのプロジェクトに関わってる人みんなの業務の1個だと思ってるので、
遅れちゃったら遅れちゃったで、しょうがないって割り切って、
とりあえず今できることで進めるしかないかなって思うんですよね。
もしその時点で、なんでスケジュールを遅らせるじゃなくて、
別の方法あるじゃないみたいな言われるんだったら、
すいません、じゃあ次回そうします。
もしスケジュール遅れそうになった時は、
ちょっとそれで軌道修正のサポートお願いしますみたいな。
そういう人も巻き込んじゃう。
遅れちゃう人?
指摘してくる人。
なるほどね。
今のあきさんの例だと、
指摘してくる人が、
なんであなたが暮らせるって判断してるの?
ちょっと第三者視点っていうか、
同じプロジェクトのメンバーじゃなくて、
外部の視点で関わってるような印象があったので、
なるほどね。
一員なんだから一緒に責任を負ってようじゃないけど。
一緒に自分事として考えてみたいな、
思っちゃいます私。
例が悪かったかな。
ちょっと違うんだ。
わかんないけど。
でもなんだろう、やっぱり振り返ってみることと、
あと自分責めをやめることだろうね多分ね。
コントロールできないことはできないって割り切ってますね。
なるほどね。
みんなね、周り見てるとみんな強いんだよね。
私思ったんだよ。
私ね、言っちゃなんだけどさ、
子供の頃から優等生だったんですよ。
失敗したことがないんだよね。
だから失敗に対してちょっと、
免疫がないのかもしれないって思った。
それはあるかもしれないですね。
受験とかもさ、
第一希望が通っちゃってきてるからさ。
うわ羨ましい。
私全部落ちてんのに第一希望。
ごめん。
あんまりリスク取らなかったの。
っていうのもあるかもしれない。
もうちょっといけるけど、
ここでいいやみたいなところもあったから、
失敗が怖かったのかもしれないね。
だからあえてチャレンジしなかったっていうのもあると思うんだけど。
なるほどね。
だからそう失敗せずに来たからかもしれない。
今ここでこんなに悩んでるってことは。
でも結構お子さん産むとかチャレンジなことだと思うんですけどね。
子供産んでからね、
自分にはコントロールできないものがあるんだっていうのが、
すごい実感したよ。
そうですよね。
だからお子さんと一緒ですよ仕事も。
コントロールできないことはできない。
できないね。
自分は失敗してこなかったから、
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こんな大人になってもすごいへこむんだなって思ったと同時に、
うちの子たちは失敗してるんだろうかってちょっと思った。
失敗できる環境を与えてあげれてるのかなっていうのを思ったりした。
失敗できる環境ね。
ヘリコプターペアレンツっているじゃない?
その言葉は知らなかったですよ。
ほんと?
うん。ヘリコプターペアレンツ。
ヘリコプターペアレント。
ヘリコプターに乗って見てるの、子供を。
あ、ちょっと過保護な親とかと似てるんですかね。
そうそうそうそう。過鑑賞。
そう、ウィキペディアによると、特に教育機関における子供自身のことや、
その経験問題に対し過剰なまでの注意を払う親を指す。
だから、今から走るとこけそうだなと思ったら、走っちゃダメだよっていう感じ。
子供が山登りしたいって言ったら、こっちの山は危ないからあっちの丘にしときなさいとか、
わかんないけどさ、適当に言ってますが。
冒険して怪我してとかっていうのを事前に防いじゃう感じ。
失敗するとつらいし、へこむしさ、だけど、へこんだときにいいよ、みたいな。
悲しかったね、痛かったね、みたいな感じでいられる親がいいとかって言うじゃない。
それで思い出した。話がどんどん変わってくるんだけどさ、
オーストラリアってさ、けっこうドラッグがまん延してるんだよね。
普通にマリファナとか吸ってんだって。匂いがするらしいの。
でもマリファナはあんまり中毒性がないからいいとか言って、
タバコみたいなもんだとか言って、タバコも中毒あるけどねって言われてるんだけど、
それが例えば高校行ったりとかすると、普通にあるらしいの。
マリファナとかドラッグが。
で、例えばスクールバスの中で取引があったりとか、子供同士であったりするらしいのね。
全然文化が違うじゃない。
えーとか思って、それ全然私意味がわからんとか言って、
バイトの子に話したら、そのバイトの子まだ高校生だから、
それダメって言っちゃダメだよって。マリファナやることを。
ダメって言っちゃダメだよって。
もし何かがあった時に困ったことがあったりとかしたら、
言っておいでって言える親になった方がいいよっていう。
18歳の子に言われてて。
すごいなその子。
すっごいね大人なの。何回目?とか思うんだけど人生。
何回目?とか思うんだけど。
しかも私は日本で育ってるし、高校生の時なんか受験受験受験だったから、
あんまり世の10代がやってきたことっていうのはやってこなかったわけじゃんね。
経験してこなかったわけじゃんね。
だから特に全然文化も違うし、流行ってることも違うから、
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高校16、17とかでも車運転したりするんだってよ。
車で学校通ったりするからさ。
そういうことも全然違うじゃん。
だからちょっとヘリコプターパレンツになりそうなんだよね。
なるほどな。
でもならないようにしなきゃとか思ってんの。
そうですね。なるほどな。
マリファナとかもし吸ったとしても、気持ち悪くなったりとかしたら、
お母さんどうしようっていう風に言ってきてくれる親でありたいなと思うんだよね。
隠すんじゃなくて。
なるほどな。深いな。
失敗した時に、自分の失敗もそうだけど、失敗した時に失敗してもいいよって言える親になりたいから、
自分の失敗もいいじゃんって言える自分になりたいなと思う。
練習あるのみだね。
そうですね。だから自分の失敗、私が親から失敗談とか話されると、
そりゃそうだよなって納得して、失敗した時に相談できるみたいなのがあったので、
だからあきさんもお子さんにこういう失敗してさ、みたいな。
私が思ったんだよね、みたいな。
マジへこんだ、みたいな。
ハグして、みたいな。
そういう話を今からでも、
ごっきろげにするといいんだろうね。
いいかもしれないですね。
そうだね、失敗をシェアするって大事ね。
またお子さんに話したら、お子さん目線で言ってくれるかもしれないし、
ママそういう考えじゃなくて、こういうのあるんじゃない?とか、
言ってくれるかもしれないし。
自分の話から子育ての話になったね。
それも日旅ということで、そんな感じかな。
そうですね、なので吐き出してください。
別に私でもいいし、旦那さんでもいいし、お子さんでもいいし。
ありがとうございます。
もしね、なんかへこんだ時とか、自分に期待しないってどういうことっていう、
期待しない練習ってこんなのがあるよとか、
へこんだ時にこうするといいよ、みたいなのがあったら、
ぜひお便り送ってきてください、みたいな。
そうですね、お待ちしてます。
はい、そんな感じだよね。
はい、そんな感じですね。
日常を旅するラジオ、略して日旅は、
オーストラリアに住むアキさんと私、ひとみが日々感じることをテーマに、
まるで日常の日々を旅するようにゆるりと話しています。
たまに遅れて配信のこともありますが、
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