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2024-02-28 50:45

006北王路魯山人「お茶漬けの話」

食の大家、北王路魯山人が説くお茶漬けの極意。うっかり2本分の長さを1本で収録してしまいました。結局、永谷園のお茶漬けの元は優秀ってことでしょうか。今回も寝落ちしてくれたら幸いです。


ご意見・ご感想は公式X(旧Twitter)まで。寝落ちの本で検索してください。


※2024/02/28 修正再アップしました

00:05
寝落ちの本ポッドキャスト、こんばんは、Naotaroです。
このポッドキャストは、あなたの寝落ちのお手伝いをする番組です。
タイトルを聞いたことがあったり、実際に読んだこともあるような本を淡々と読んでいきます。
エッセイには、面白すぎないツッコミを入れることもあるかもしれません。
作品はすべて青空文庫から選んでおります。
ご意見・ご感想は、公式Xまでどうぞ。
さて、今日はですね、北王路魯山人という美食家の方の、お茶漬けに対するコラムを読んでいきたいと思います。
おいしんぼに出てくる究極の人ですか?
究極と思考のどっち?
とりあえず美食家として出てくる、モデルになったおじさんですよね。美食家の方です。
日本人そんなに美食にうるさく入れるのかと、そんな風に思わないでいただきたいのはですね、
我らが日本人の首都、東京、僕たち日本人の首都である東京は、ミシュランガイドで7年連続、星月レストランの多い街として知られております。
その店の数、なんと183店。これは2023かな?
2位がパリ、130店。3位が京都、97店。4位が大阪、93店ということで、語彙中3つの都市が日本が占めているってことは、美食の街どころが美食の国といっても過言ではないと思いますけどね。
そんな国の生んだ美食家の、とある美食家のお茶漬けに対する話。まずは参ります。
納豆の茶漬け。納豆の茶漬けは意外にうまいものである。しかもほとんどの人の知らないところである。
食通の間といえども、これを知る人は意外に少ない。
03:00
といって、私の発明したものではないが、世間はこれを知らないのは不思議である。
納豆のこしらえ方。ここで言う納豆のこしらえ方とは、練り方のことである。
この練り方がまずいと、納豆の味が出ない。
納豆を器に出して、それに何も加えないで、そのまま2本の箸でよく練り混ぜる。
そうすると、納豆の糸が多くなる。
箸から出る糸のようなものが増えてきて、固くて練りにくくなってくる。
この糸を出せば出すほど、納豆はうまくなるのであるから、
武将をしないで、また手間を惜しまず、極力練り返すべきである。
固く練り上げたら、醤油を数滴落として、また練るのである。
また醤油を数滴落として練る。
要するに、ほんの少しずつ醤油をかけては練ることを繰り返して、
糸の姿がなくなってきて、どろどろになった納豆にからしを入れてよく攪拌する。
この時、好みによって薬味、ネギのみじん切りなどを少量緩和すると、
一段と味が強くなってうまい。
茶漬けであってもなくても、納豆はこうして食べるべきものである。
最初から醤油を入れて練るようなやり方は下手なやり方である。
納豆好きで痛がる人は、醤油の代わりに生塩を用いる。
納豆に塩を用いるのはさっぱりして確かに好ましいものである。
しかし一般には普通の醤油を入れる方が無難なものが出来上がるであろう。
お茶漬けのやり方。
そこで以上のように出来上がったものを、
マグロの茶漬けなどと同様に、茶碗に飯を少量盛った上で適当にのせる。
納豆の場合は、とりわけ熱い飯がよい。
煎茶をかけ、納豆に混和した醤油で塩加減が足りなければ、
飯の上に醤油を数滴垂らすのも良い。
最初から納豆の茶漬けのために練る時は、
初めから醤油を余計混ぜた方が良い。
06:05
元来良い味わいを持つ納豆に対して、
化学調味料を加えたりするのは好ましいやり方ではない。
そうして飯の中に入れる納豆の量は、
飯の4分の1程度が最も美味しい。
納豆は少なすぎにすぎては味が悪く、
大きにすぎては口の中でうるさくて食べにくい。
これは耐えやすいやり方で、簡単に出来るものである。
早速、秋の好ましい食べ物として、
口の中の幸福を満たされるべきではなかろうか。
納豆の良し悪し
納豆には美味いものと不味いものとある。
不味いのはネットも糸を引かないでザクザクとしている。
それは納豆として十分に発酵していない未熟な品である。
糸を引かずに豆がザクザクポクポクしている。
十分にかもされている納豆は豆の質が細かく、
豆がネチネチしていないものは、
手をいかに下すともすくいがたいものである。
だから、糸を引かない納豆は食べられない。
一番甘いのは仙台、水戸などの小粒の納豆である。
神奈川で有名な大粒納豆も美味い。
しかし、昔のようにうまくなくなったのは遺憾である。
豆が多くて、素人目には良い納豆にはなっているが。
塩昆布の茶漬け
私の語るのは、ことあるまでもなく趣味の茶漬けで、
安物の実用茶漬けではない。
そのつもりで考えていただきたい。
とは申しても、もともと昆布のことであるから、
さして高価なものではない。
ところで、塩昆布だが、そこいらに売っているものではまずダメだ。
所詮、昆布が良くて、これを煮る醤油が良くなくてはダメなので、
この点、売り物の仕入れ品などでは適当ではない。
この昆布は京都の松島や、東京ならば築地魚菓子の特産店、
日本橋室町の山代屋とかが取り扱っているものだ。
つまり出汁昆布の上等でなくてはダメなのである。
09:02
京都にはこういう店はいくらもある。
醤油は山差くらいで良かろう。
また、塩味の好きな人には醤油を塩に加えるのも良かろう。
塩を加えた昆布の佃煮は塩でジャキジャキする。
それまで煮詰めるのが美味しい煮方である。
しかし直火ではなく、湯煎で煮詰めるのである。
自断とうまく煮るのには醤油1升を使うとしたら、
その中に酒を3合ほど入れるが良い。
酒のおかげで美味しい塩昆布になる。
煮た塩昆布をそのまま茶漬けにするのも、もとより依存はないが。
山椒の好きな人は山椒の実の柔らかい時に昆布と一緒に煮ると良い。
あるいは唐辛子などを入れるのも良い。
または関西物のチリメン雑魚を一緒に煮るのも良い。
小魚のことを言う雑魚という原料の相違によって、
東京のはたとえ昆布が良くても問題にならない。
雑魚と昆布を一緒に煮たものは、魚の味と植物の味の関係でなかなか美味い。
ただし、この場合の雑魚は小さなものを選ぶべきである。
要するに、前日のどれでもいいが、飯のごとく例の上にのせて。
まず、納豆のこしらえ方。
ここで言う納豆のこしらえ方とは、練り方のことである。
この練り方がまずいと、納豆の味が出ない。
納豆を器に出して、それを何も加えないで、そのまま2本の箸でよく練り混ぜる。
そうすると、納豆の糸が多くなる。
はすから出る糸のようなものが増えてきて、固くて練りにくくなってくる。
この糸を出せば出すほど、納豆はうまくなるのである。
であるから、武将をしないで、また手間を惜しまず、極力練り返すべきである。
固く練り上げたら、醤油を数滴落として、また練るのである。
12:04
また醤油を数滴落として練る。
要するに、ほんの少しずつ醤油をかけては練ることを繰り返し、
糸の姿がなくなって、どろどろになった納豆にからしを入れてよく攪拌する。
このとき、好みよっては薬味、かっこ、ネギのみじん切りを少量混和すると、一段と味が強くなってうまい。
茶漬けでやってなくても、納豆はこうして食べるべきものである。
最初から醤油を入れて練るようなやり方は下手なやり方である。
納豆を食いで痛がる人は、醤油の代わりに生塩を用いる。
醤油に塩を用いるのは、さっぱりして確かに好ましいものである。
しかし、一般には普通の醤油を入れる方が無難なものが出来上がるであろう。
お茶漬けのやり方
そこで、以上のように出来上がったものを、マグロのお茶漬けなどと同様に、茶碗に飯を少量盛った上、適当に乗せる。
納豆の割合は、とりわけ熱い飯が良い。
煎茶をかけ、納豆に混和した醤油で塩加減が足りなければ、飯の上に醤油を数滴垂らすのもいい。
最初から納豆の茶漬けのために練るときは、始めから醤油を余計混ぜた方がいい。
断然良い味わいを持つ納豆に対して、化学調味料を加えたりするのは好ましいやり方ではない。
そうして、飯の中に入れる納豆の量は、飯の4分の1程度が最も美味しい。
納豆は、少なきにすぎては味が悪く、大きにすぎては口の中でうるさくて食べにくい。
これは食べやすいやり方で簡単にできるものである。
早速、秋の好ましい食べ物として、口の中の幸福を満たされるべきではなからおか。
納豆の良し悪し
納豆には、うまいものとまずいものとある。
まずいものは、練っても糸を引かないでザクザクとしている。
それは、納豆として十分に発酵していない未熟な品である。
15:02
糸を引かずに、豆がザクザクでポクポクしている。
十分に緩和されている納豆は、豆の質が細かく、豆がネチネチしていないものは、手をいかに下すともすくいがたいものである。
だから、糸を引かない納豆は食べられない。
一番うまいのは、仙台、水戸などの小粒の納豆である。
神田で有名な大粒の納豆もうまい。
しかし、昔のようにうまくなったのは遺憾である。
豆が多くて、素人めには良い納豆に言わなくていいのか。
塩昆布の茶漬け
私の語るのは、断るまでもなく、趣味の茶漬けで、安物の実用茶漬けではない。
そのつもりで考えていただきたい。
とは思うしても、もともと昆布のことであるから、さして高価なものではない。
ところで、塩昆布だが、そこいらに売っているものではまずダメだ。
所詮、昆布が良くて、これを煮る醤油が良くなくてはダメなので、
この点、売り物の仕入れ品などは適当でない。
この昆布は、京都の松島屋、東京ならば月15時の独産店、
日本橋室町の山代屋とかが取り扱っているものだ。
つまり、出汁昆布の上等でなくてはダメなのである。
京都には、こういうお店はみっくらもある。
醤油は山さくらいで良いだろう。
また、塩味の好きな人は、醤油に塩を加えるのも良かろう。
塩を加えた昆布のつくたには、塩でジャキジャキする。
それまで煮詰めるのが、美味しい煮方である。
しかし、直火ではなく、湯煎で煮詰めるのである。
一段と上手く煮るのには、醤油1升を使うとしたら、
その中に酒を3合ほど入れるが良い。
酒のおかげで、美味しい塩昆布になる。
煮た塩昆布をそのまま茶漬けにするのも、もとより依存はないが、
山椒の好きな人は、山椒の実の若く柔らかい時に、
18:00
昆布と一緒に煮ると良い。
あるいは、唐辛子などを入れるのも良い。
または、関西物のチリメンジャコを一緒に煮るのも良い。
小魚のことを指すザコと言う原料の相違によって、
東京のは、たとえ昆布が良くても問題にならない。
ザコと昆布と似たものは、魚の味と植物の味の関係でなかなか美味い。
ただし、この場合のザコは小さなものを選ぶべきである。
要するに、前日のどれでも良いが、例のごとく飯の上に乗せて、
煎茶の良いのをかけて茶漬けとする。
茶漬けは、何もかもが口に不味い時、
例えば夏の盛り、聖火のような時に食の進まぬ時、
最も適当な美食として働く。
塩昆布などで茶漬けをやる時は、たくあん漬けなどむしろ無い方が良い。
塩鮭、塩マスの茶漬け。
鮭とマスとは、素人目には一見似たものではあるが、
味から言えば、鮭よりマスの方が遥かに勝る。
鮭は淡塩があり、また柔らかいものがある。
東京では、これらの中から自由に選択することができる。
この中で鮭の一番美味いのは、荒巻きと称するものである。
荒巻きなどの場合は、焼いたものを茶漬けにして食べるべきである。
晩茶ではちょっとまずいが、
鮮茶をかけての塩鮭の美味さは、お茶漬けの中の一品で、
雑念を払って黙祷できるほどの味を持っている。
鮭の茶漬けは、マグロや天ぷらのように、
飯の上に乗せて茶をかける方が良いようである。
マスにもアワジオ、コイジオなど色々あるようであるが、
一見みそぼらしい板のようになった、うずっぺらの方が茶漬けには適する。
これらはいかなる寒村壁地にも行き渡っている品で、
一備百円か、大きくても二百円くらいのものであろう。
鉄錆を見るように真っ赤になった塩マス。
21:00
これがマスの中でも一番美味いようである。
さて、この濃い塩の板のようになっているマスの肉をむしり取って、
ご飯の上に乗せる。
この際忘れてならないことは、皮も一緒にご飯の上に乗せて、
その上から熱い熱いお茶をかけることである。
元来塩辛いマスのことであるから、
この茶漬けには塩をかける必要も、黄醤油をかける必要もない。
マス自身の塩加減で十分である。
鮭はご飯の上に乗せてお茶を注いでも、あまり美味しい汁は出ないが、
マスの方はとても美味しい汁が出る。
この汁の美味しさは、とても鮭の及ぶところではない。
ただ注意しなければならないことは、腹の薄身のところは取り除くことである。
鮭の荒巻きなどになると、この腹の薄身のところこそ、
かえって一番味の良いところであるが、
マスの場合は苦くて味が悪い。
鮭もマスも皮を食べぬ人があるが、
ヤバな話と言わねばならぬ。
だから食通は、鮭の切り身なら尻尾の方を選ぶ。
これは尻尾の方が美味しい皮がたくさん付いているだけでなく、
肉の繊維が強いからである。
したがって歯ごたえが強く、中間の肉に勝るものがある。
マスの茶漬けは美味くて、5杯食べたとしても、
その費用は50円もかからぬくらいのものである。
納豆の茶漬け同様に、食通を十分満足させる旨味を持っている。
マスの茶漬けなどとはじめから馬鹿にしてかかって、
まだこれを十分知らない人もあろう。
早速煎茶で試してみてほしい。
よく大工や左官などが昼食に弁当を食っているのを見ると、
すいもの代わりに弁当箱の蓋や湯飲み茶碗にマスの切り身を入れ、熱湯を注いでいる。
これがすなわち即製マスのスープで、なかなか結構な思いつきだと思う。
天ぷらの茶漬け
24:00
天ぷらの茶漬けは脂っこいもので、脂っこいものの好きな方に好かれるのは無論である。
揚げたての天ぷらを茶漬けにするのはもとより差し支えないが、
本来、天ぷらの茶漬けは古い天ぷらの利用にある。
昨日の残りの天ぷらだとか、一旦冷え切ったものを活かして食う食い方である。
それにはまず、火鉢に網をのせ、一旦天ぷらを火にかける。
幾分焦げができるくらいに火を当てる。
それを熱い飯の上にのせ、塩を適宜にかけるのである。
前にマグロの茶漬けで話したように、濃ゆめの熱いお茶をかける。
ご飯の量は自らの腹具合に相談して持ったらよい。
ただ、ここに注意すべきは、天ぷらの茶漬けは淡いものを嫌うがゆえに、天ぷらのつゆをかけてはならぬ。
必ず、黄醤油か塩をかけるべきである。
大根おろしを新鮮なものほどよく、辛い大根があればなおさら具合がよい。
要するに、天ぷらの茶漬けは残った天ぷらを活かして食べる方法である。
火るため油がこなれ、香ばしくて意外においしいものである。
材料になる天ぷらが良質なものでなければ、おいしくならないことは言うまでもない。
海苔の茶漬け
海苔の茶漬けは至極簡単だが、やっている人は少ない。
缶詰や瓶詰になっている海苔の佃煮には、いい香りのものは見られない。
1年も2年もたって、ひませになった海苔とか、青海苔の混じった生海苔のクズだとか、
いわば廃物をも持ってこされたのが、缶詰や瓶詰の海苔の佃煮である。
悪い海苔であると、大部分青海苔であるから、青海苔の臭みと味とともに満ちている。
本当においしい海苔の佃煮が食べたい人は、
売り物にろくなものはないから、自前で作るより他がしか方がない。
27:01
自分でこさえるのには、生海苔のとれる自分に、生海苔を器上でごとごととろ火で煮詰めることだ。
生海苔の手に入らぬ土地の人は、もらいもらの干し海苔などを醤油で煮ればよい。
煮詰まらなくて、醤油がダブダブしているような煮方をまずい。
そのネチネチと煮えたやつを、熱いご飯の上にのせて煎茶をかける。
それに少量のわさびを入れる。
それだけでいいので、海苔の茶漬けほど簡単なものはない。
酒の後などで食べるには至極的した茶漬けと推奨できる。
この茶漬けを贅沢に食べようと思う場合は、なるべくいい海苔を惜しげもなく使うべきである。
海苔が良ければ良いだけ旨さがあるから、味をやましく言うものは、できるだけ上等の海苔を煮るがいい。
こういう海苔の茶漬けは誰しもやっていることだが、これから私が話そうとするのは、もっと手軽な海苔の茶漬けである。
それは、いい海苔をうまく焼いたものか。
焼き海苔のうんと上等の厚いご飯の上に揉みかけ、その上に醤油をたらし、適当にわさびを入れて茶を注げばよろしい。
厚いご飯を海苔でまいて食べる人はたくさんいるが、焼いた海苔を茶漬けにする人はあまり見受けぬ。
一碗について海苔の分量は、せいぜい一枚か一枚半を使う。
これは朝によく、酒の後によく、くどいものを食った後にはことさらに良い。
多忙の時の美食としても効果がある。
こんな茶漬けを喜ぶものは、通人中の通人に属するだろう。
茶の代わりに鰹節と昆布のだしをかけて食べるのも良い。
これらは副菜の漬物を一切要しない。
贅沢な泊客でもあった際には、増食に出すことである。
もちろん、上等の煎茶を使用するにはしくはない。
30:08
海苔の話が出たついでに、海苔の焼き方について一言申し添えておこう。
海苔の焼き方は、なかなか難しい手際の一つである。
手際をよく上手に焼かなければ、
一旦3円の海苔も1円ほどの値打ちもしかないような馬鹿な結果が生じる。
手際一つで1円の海苔を3円の値打ちにあげることも、
いや、いくらでも支払うよと人が喜ぶまでに焼き上げることもできる。
それもこれも焼く人の腕であり、その人の料理に対する教養が物を言うわけである。
海苔を焼くのに両面を焼くな。
とよく言われるのは、貴重な海苔の香りが薄れるからである。
炭火も黒い中はガスが発生し、湿度が高いから香りを遠飛ぶ海苔が台無しになる。
ぜひ、ビンチョウ炭の真っ赤に起こったのを用いるべきだ。
電気コンロが一番いいが、これもスイッチを入れてすぐ海苔をかざすのはいけない。
コンロの熱板が含んでいる温度がなくなるまで待ってから焼く心得があってほしい。
そうすれば損害しろうとにもうまく焼けるものである。
焼き海苔の専門家は、昔はビンチョウ炭であったが、今では電熱器で焼いていることと思う。
話は別になるが、焼肉なども味をやかましく言うものは、肉の両面を焼かない。
よく起こった火の上で片面を焼き、肉汁が滲み出てきた時を見てタレの中に浸し、
さらに金網か鍋の上に乗せるが、今度は焼くのではなく、いぶるだけでいいのだ。
すべての料理のうまい秘訣はこんなちょっとした注意にある。
なるほどそうだろうとわかってみても、聞くだけではだめだ。
直ちに、「よしきた!」とばかり実行する人であってほしい。
33:02
少し長いですが、一本取りで続けます。
茶漬けの中でも最もうまいものにハムの茶漬けがある。
これでは刺身でやるタイ茶漬けと結構するうまさだ。
洋食の流行する以前の京都。大阪の子供にこんなご馳走が好きかと尋ねると、
タイとハモと必ず答えたものだ。
それほどタイとハモは京阪における代表的な美食だった。
ハモのいいのは産酢から切ない甲斐にかけてとれる。
したがって今も京阪地方の名物のようになっている。
ハモは煮ても焼いても、かまぼこにすりつぶしても間違いのない良い魚である。
とりわけ焼いて食うのが一番うまい。
焼きたてならばそれに越したことはないが、
焼きざましのものは改めて遠火で炙って食べるが良い。
要するに焼いたハモを厚飯の上に乗せ、箸で押しつぶすようにして飯に馴染ませる。
そして適宜に醤油をかけ、玉露か煎茶を十分にかけ、ちょっと蓋をする。
こうして一分間ばかり蒸らし、箸で肉を崩しつつ食べるのである。
ハモは香味の良い脂肪があるために味が濃くなく舌触りがすこぶる良い。
しかもやり方が簡単だから関西人でこのじゃ漬けを試みないものはなかろう。
しかし東京で試みようとするとちょっと容易ではない。
なぜなら今東京にあるハモは多く関西から運ばれるものでそうたくさんはない。
従来の東京料理にはこれを用いることがなかったために魚屋の手にすら入らないことになっている。
東京でハモを求めようとするには関西流の一流料理店によって求めるより他仕方があるまい。
それにしても東京に来ているハモは関西で食うようにうまいわけにはいかぬ。
また東京近海で獲れるハモは肉がべたべたしてロンにならぬ。
36:04
そこで代用品というのも当たらないがアナゴとかウナギとかが同じように立つ。
アナゴもいろいろ種類があって羽田大盛りに算する本場のものでなくてはうまくない。
これも茶漬けにするにはその焼き方を関西風に習うがいい。
東京のウナギのタレのように甘いタレでは苦毒でだめだ。
京阪でウナギに使うような醤油につけて焼くのがよい。
それを茶漬けにするには細かくザクザクに切り適宜に厚飯の上にのせ、
例のように醤油をかけて茶をかける。
これもややハモに似た風味があってうまい。
しかしハモと違ってアナゴでもウナギでも少々臭みがあるから、
すり生姜または粉山椒を茶をかける前に箸の先にちょっとつけるくらい入れたほうがよい。
アナゴのうまいのは堺近海が有名だ。
東京のはいいと言っても関西物に比べて調子が違う。
逆には堺近海のがよく、煮るとか天ぷらとかには東京のがよい。
ウナギ
次はウナギだがこの場合のウナギは酔い越し。
例えば翌日に残ったもののゆきざま酒を利用して酔い。
このときは醤油をつけていっぺん火にあぶる必要がある。
本来は江戸前風に蒸しにかけないで関西風に直に焼くがいい。
醤油のたれを甘くしないで直焼きにしたもののほうが茶漬けには適する。
直焼きのウナギはもとより肉や皮が多少は硬いけれど、
茶漬けのときは熱い茶をかけてしばし蓋をするために直焼きであってもすぐ皮がほとびて結構柔らかくなる。
ウナギも癖の激しいものだから茶漬けに用いるようなものはよほど材料を選択しないとうまくはならない。
第一、標色ウナギは何としてもいけない。
これは癖の有無にかかわらず柔らかいだけが特徴で、決してうまいものではない。
39:06
かといって天然のウナギが必ずしもいいとは言えない。
これはウナギノックページで述べた通りである。
要するに歯も鼻子、ウナギの茶漬けをうまく食べようというようなことは、もとより贅沢な欲望であり、
これを賞味する味覚の働きもデリケートなものであるから、
これを志すほどのものは材料の良し悪しを十分注意してかからなくてはならぬ。
なお、歯も穴子の材料を選択の際、
バカに大きいのは買わないように注意することである。
焼き上がりの幅がせいぜい1寸から1寸5分以下のものに限る。
大きいのは何にもちいても大味でだめなものだ。
ウナギの大串はまだしも、穴子の大串に立っては絶対に面白くない。
マグロの茶漬け
タイ茶漬けは世間にレフされ、その看板をかけている料理屋さえできてきた。
関西ではもちろんのこと、東京でも近来よく見かけるようになった。
また、家庭にも侵入して実際に心乱れるようになってさえいる。
それなのにタイより簡単で、うまいマグロの茶漬けが用いられていないのは不思議な気がする。
タイは関西が良く、マグロは東京が良い。
その右から言っても、東京はタイ茶漬けよりマグロの茶漬けを用いて叱るべきであろう。
東京に、もし京阪のような食い道楽が発達していたら、おそらく、
今日までマグロの茶漬けを見逃していなかったであろう。
そういう私も、マグロの茶漬けは京都で覚えたもので、東京人から教わったものではなかった。
今後の東京人は、タイ茶漬けなんて関西のもほをやらず、
堂々と江戸前のマグロを持ってタイ茶漬けに対すべきである。
東京には関西のような美味なタイがないからなおさらである。
42:02
茶漬けのご飯
ご飯の炊き方が柔らかく、ベタベタするようなのは一番いけない。
寿司の飯の程度が良い。
炊きたてのご飯ではいけない。
生温かに冷めた程度が良い。
茶漬けにもよりけりだが、魚の茶漬けには冷飯は絶対にいけない。
お茶の出し方
かける茶は晩茶ではうまくない。
煎茶に限る。
煎茶の香味と苦味が利用である。
少し濃いめの茶をかけると調和がとれる。
茶が薄くてはまずい。
だから粉茶の状態が良いというわけになる。
粉茶の出し方は人も知るように、粉茶専用の小さなざるがある。
これは寿司屋で使っているものである。
それで寿司屋の用いるように、多めざるにいっぱい程度入れて水をさす。
なぜなら粉茶は茶の残りを集めた、いわば茶のくずであるから、ほこりなどが混じっていよう。
これを洗浄する意味で、ざるの中に入れた茶に水をさすと、乳白色に水がほぼれてくる。
これを捨て、ざるの中の粉茶に熱湯を注ぐ。
この場合、熱湯を少しずつ注げば茶は濃くなり、ざーっと一気にお湯を注げば茶は薄くなる。
熱湯の注ぎ方によって濃淡自在にお茶は加減できる。
お茶漬けには熱湯を少しずつ注いだ濃いめのものを用いるのが良い。
しかし抹茶や煎茶にしても、最上のものを用いることが秘訣だ。
茶が悪いと茶漬けの中に何が入っていようがダメである。
要するに茶が良くなければ茶漬けの意味がない。
茶漬けのマグロ
さて茶漬けに用いるマグロだが、シビマグロが良い。
45:04
シビマグロは普通寿司屋で使っているマグロのことである。
マグロのトロと言って白っぽい、脂っこいところを喜ぶ。
脂っこいところは男の40歳以前の好みである。
40歳以後になると、だんだん脂っこいものから思考が遠ざかる。
茶漬けに用いるマグロの材料も、トロ、中トロ、赤身、好みによって選択すればいいわけである。
脂身の少ない赤身は赤身でうまいし、脂の多いところはまたトロでうまい。
マグロの質さえ吟味すれば、各人の好みに任せて材料を整えるべきである。
シビマグロのほかにカジキマグロだとか、木肌マグロだとかがある。
これを茶漬けに用いても決して悪いものではない。
しかし木肌だとかカジキは脂肪が少ないから脂っこいものを好む人たちにはちょっと軽い感じである。
老人向き、女人向きなどにはかえってこの方が適していいよ。
それも実験して各自の思考に任せれば良いと思う。
茶漬けの作り方
茶碗に飯を盛るとき、腹の空き加減にもよろうが、贅沢者は飯を少なく盛ることである。
飯を多く盛ると茶がたくさん入らぬ。
労働者の食べる茶漬けは飯がたくさんで茶の少ないのがうまい。
だから大きめの茶碗が良い。
逆に贅沢者の茶漬けは飯が少なくて茶が多い方がうまい。
飯の多い茶漬けは茶っぱん茶が良いが、飯の少ない方の茶漬けは煎茶を下とする。
飯は茶碗に半分目、もしくはそれ以下に盛ってマグロの刺身3切れを1枚ずつ平たく並べてのせる。
それに醤油を適当にかけて加減する。
大根おろしをひとつまみ。
マグロの脇に添えればなお良い。
並べたマグロの上に徐々にからすみから熱湯を粉茶のざるを通して注ぐ。
48:01
マグロの上の方からへん切りしてまんべんなくかけていくとマグロの上皮がいくらかしらんでくる。
そしてご飯が透明な煎茶に覆いかぶさり、えいのマグロが茶に浸る程度に茶を注ぐ。
次にマグロを箸で静かにご飯の中に押し込むようにすると裏の方のまだ赤い色をしたところまでが白くなってくる。
透明な茶は乳白色になり、醤油温は散って茶碗の中にこもってくる。
マグロを半熟以上に熱しては美味は失われてしまう。
もっと味を濃くしたい人はここで茶碗のふたをしてしばらく静かに放置し、
中に十分味がこもるのを待って濃淡好みの茶漬けとした上で口にかき込む段取りとなるのである。
どちらかといえば、ふたをしない茶漬けの方が香り気も高く、熱く、マグロも熱しすぎないので美味しいのであるが、
ふたをする方は飯がほとびていけない。その上、マグロが熱しすぎるというのは野望である。
マグロの生っ気を好まない人は余儀でないことはあるが、全社のやり方の茶漬けに越したことはない。
この茶漬けは他に何一つ総材を用いる必要がなく、最後に一切れの香のものを添えて贅沢な味を満足させれば足りる。
マグロ茶漬けのわさびはお茶を注ぐ前に飯じゃまの中に入れては辛さが消えてしまう。
お茶を注いでおいて最後に入れて混ぜる食べ方がわさびの効き目がある。
うっかり日本文を一本でとってしまいました。間違えました。
中央口論社、中古文庫、ロサンジンの味道、並びに門川春樹事務所、グルメ文庫、ロサンジンの食卓より読み終わりでございます。
皆様はどんなお茶漬けが好きでしょうか。
僕は長谷園のお茶漬けが好きです。
それでは皆様おやすみなさい。
50:45

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