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2025-04-29 26:22

125中島敦「山月記」(朗読)

125中島敦「山月記」(朗読)

一度猫好きになると虎もライオンも大きな猫にしか見えません。今回も寝落ちしてくれたら幸いです。


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サマリー

中島敦の「山月記」では、李徴が詩人としての道を求めて奮闘する姿が描かれています。彼は人間から虎に変わり果て、その運命に苦しむ中で、過去の自分を振り返る機会を得ます。この物語では、虎に変わった李徴の孤独や内面的な葛藤が表現されています。彼は人間としての生活を失い、過去への悔恨と悲しみを抱えながら、自らの運命を受け入れていきます。

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寝落ちの本ポッドキャスト
こんばんは、Naotaroです。
このポッドキャストは、あなたの寝落ちのお手伝いをする番組です。
タイトルを聞いたことがあったり、実際に読んだこともあるような本、
それから興味深そうな本などを淡々と読んでいきます。
エッセイには面白すぎないツッコミを入れることもあるかもしれません。
作品はすべて青空文庫から選んでおります。
ご意見・ご感想・ご依頼は、公式エックスまでどうぞ。
寝落ちの本で検索してください。
また、最近投稿フォームも別途ご用意しました。
あわせてご利用ください。
それと最後に、番組フォローもどうぞよろしくお願いします。
さて、今日は中島敦さんの山月記です。
久しぶりにリクエストをいただきました。
なんかね、読まなきゃいけないなというか、読むべきだよなのリストには入ってたんですけど、
漢詩が見えて、読み方を調べなきゃいけないのかと思ってずっと後回しにしてたやつですね。
中島敦さん、日本の小説家。代表作は山月記。
これ、今日読みます。
光と風と夢、停止、履霊などがある。
横浜高等女学校の教員勤務の傍ら小説執筆を続け、
パラオ南陽町の管理を経て専業作家になるも、
同1942年、持病の全速悪化のため、33歳で病没。
ということです。
だいぶ若くして亡くなったんだな。
そんな彼の書いた山月記を 今日読んでいこうと思います。
中国の地名とか、人の名前とか、役職とかが出てくるので、漢字がすぐには思い浮かばないと思います。
そういうものだと思って 受け取ってください。
僕もそのつもりで 読みます。
それでは 参ります。
李徴の苦しみ
山月記
老妻の李徴は博学最英。
天保の末年、若くしてなお古房に連ね、
ついで校内に干せられたが、
せい、見解、
自ら頼むところすこぶる厚く、
千里に天ずるを潔しとしなかった。
幾迫もなく漢を知りぞいた後は、
古山、革略に飢餓し、
人と交わりを絶ってひたすら試作にふけった。
狩りとなって長く膝を俗悪な大官の前に屈するよりは、
詩歌としての名を四五百年に残そうとしたのである。
しかし文明は容易に上がらず、
生活は日を負うて苦しくなる。
李徴はようやく焦燥に駆られてきた。
このころからその要望も小国となり、
肉を落ち、骨ひいで、眼光のみいたずらに敬敬として、
かつて紳士に登台したころの宝鏡の美少年の面影は、
どこに求めようもない。
数年の後、貧窮に絶えず、
妻子の遺職のために、ついに説を屈して、
再び東へ赴き、
一、地方管理の職を奉ずることになった。
一方これは、己の始業に半ば絶望したためでもある。
かつての道輩は、すでに遥か後位に進み、
彼が昔、動物として死がにも欠けなかった、
その連中の加盟を這いさねばならぬことが、
往年の春祭、李徴の自尊心をいかに傷つけたかは想像にかたくない。
彼は、王々として楽しまず、
兄輩の差がはいよいよ抑えがたくなった。
一年の後、紅葉で旅に出、
女髄のほとりに宿ったとき、ついに発狂した。
ある夜半、急に顔色を変えて寝床から起き上がると、
何か訳のわからぬことを叫びつつ、
そのまま下に飛び降りて、闇の中へ駆け出した。
彼は二度と戻って来なかった。
李徴の変貌
付近の山谷を捜索しても、何の手がかりもない。
その後、李徴がどうなったかを知る者は誰もなかった。
翌年、観察御史、陳軍の縁さんという者、
直面をほじて麗南に使いし、道に省の地に宿った。
次の朝、まだ暗いうちに出発しようとしたところ、
李徴が言うことに、これから先の道に人喰い虎が出るゆえ、
旅人は白昼でなければ通れない。
今はまだ朝が早いから、今少し待たれたがよろしいでしょうと。
縁さんはしかし、友回りの多勢などを頼み、
李徴の言葉をしりぞけて出発した。
残月の光を頼りに李徴の草地を通って行ったとき、
はたして一匹の猛虎が草むらの中から躍り出た。
虎は、あおや縁さんに躍りかかるかと見えたが、
たちまち身をひるがえして元の草むらに隠れた。
草むらの中から人間の声で、
「危ないところだった。」
と繰り返し呟くのが聞こえた。
その声に縁さんは聞き覚えがあった。
恐怖の中にも彼はとっさに思い当たって叫んだ。
その声は、
「わが友、李徴氏ではないか?」
縁さんは李徴と同年に紳士の台に上り、
友人の少なかった李徴にとっては、もっとも親しい友であった。
恩和な縁さんの性格が、
春暑な李徴の性情と衝突しなかったためであろう。
草むらの中からはしばらく返事がなかった。
忍び泣きかと思われるかすかな声が時々漏れるばかりである。
ややあって低い声が答えた。
「いかにも自分は老妻の李徴である。」と。
縁さんは恐怖を忘れ馬から降りて草むらに近づき、
懐かしげに急滑を除した。
そしてなぜ草むらから出て来ないのかと問うた。
李徴の声が答えて言う。
自分は今や異類の身となっている。
どうしておめおめと友の前に浅ましい姿をさらせようか。
かつまた自分が姿をあらわせば、
必ず君に異府献縁の状を起こさせるに決まっているからだ。
しかし今はからずも、
友に会うことを得て悲嘆の念をも忘れるほどに懐かしい。
どうかほんのしばらくでいいから、
我が醜悪な今の外形を厭わず、
かつて君の友李徴であったこの自分と話を交わしてくれないだろうか。
あとで考えれば不思議だったが、
その時縁さんはこの超自然の怪異を実に素直に受け入れて、
少しも怪しもうとしなかった。
彼は部下に命じて行列の進行を止め、
自分は草むらの傍らに立って見えざる声と対談した。
都の噂、旧友の消息。
縁さんが現在の地位、それに対する李徴の祝辞。
千年時代に親しかった者同士のあの隔てのない御長で、
それらが語られたあと、
縁さんは李徴がどうして今の身となるに至ったかを尋ねた。
草中の声は次のように語った。
今から一年ほど前、
自分が旅に出て女髄のほどりに泊まった夜のこと。
一睡してからふと目を覚ますと、
戸外で誰かが我が名を呼んでいる。
声に応じて外へ出てみると、
声は闇の中からしきりに自分を招く。
覚えず、自分は声を覆って走り出した。
無我夢中で駆けてゆく中に、
いつしか道は山林に入り、
しかも知らぬ間に自分は左右に立った。
しかも知らぬ間に自分は左右の手で地をつかんで走っていた。
何か体中に力が満ち満ちたような感じで、
軽々と岩石を飛び越えて行った。
気がつくと、手先や肘のあたりに毛を生じているらしい。
少し明るくなってから谷側に臨んで姿を映してみると、
すでに虎となっていた。
自分ははじめ目を信じなかった。
次に、これは夢に違いないと考えた。
夢の中で、これは夢だぞと知っているような夢を
自分はそれまでに見たことがあったから。
どうしても夢でないと悟らねばならなかった時、
自分は呆然とした。
そして恐れた。
全くどんなことでも起こり得るのだと思って深く恐れた。
しかし、なぜこんなことになったのだろう。
わからん。
わからん。
全く何事も我々にはわからん。
理由もわからずに押しつけられたものをおとなしく受け取って、
理由もわからずに生きていくのが我々生き物の定めだ。
自分はすぐ死を思った。
しかしその時、目の前を一匹の兎が駆けすぎるのを見た途端に、
自分の中の人間はたちまち姿を消した。
再び自分の中の人間が目を覚ました時、
自分の口はうさぎの血にまみれ、
あたりにはうさぎの毛が散らばっていた。
これが虎としての最初の経験であった。
それ以来、今までにどんな所業をし続けてきたか、
それは到底語るに忍びない。
ただ、一日の中に必ず数時間は人間の心が帰ってくる。
そういう時には、かつての人同じく人語も操れれば複雑な思考にも耐えうるし、
その証拠をそらんずることもできる。
その人間の心で、虎としての己の残虐な行いの跡を見、
己の運命を振り返る時が最も情けなく、恐ろしく、憤うろしい。
しかしその人間に帰る数時間も日を減るに従って次第に短くなっていく。
今まではどうして虎などになったかと怪しんでいたのに、
この間ひょいと気がついてみたら、
俺はどうして以前人間だったのかと考えていた。
これは恐ろしいことだ。
今少し経てば、俺の中の人間の心は、
獣としての習慣の中にすっかり埋もれて消えてしまうだろう。
ちょうど古い宮殿の礎が次第に土砂に埋没するように。
そうすれば、始まりに俺は自分の過去を忘れ果て、
一匹の虎として狂い回り、
今日のように道で君と出会っても友と認めることなく、
君を先狂おうて何の悔いも感じないだろう。
一体獣でも人間でも、もとは何か他のものだったんだろう。
はじめはそれを覚えているが、
次第に忘れてしまい、
はじめから今の形のものだったと思い込んでいるのではないか。
いや、そんなことはどうでもいい。
俺の中の人間の心がすっかり消えてしまえば、
おそらくその方が俺は幸せになれるだろう。
だのに、俺の中の人間は、そのことをこの上なく恐ろしく感じているのだ。
ああ、全くどんなに恐ろしく、悲しく、切なく思っているだろう。
俺が人間だった記憶のなくなることを。
この気持ちは誰にもわからない。誰にもわからない。
誰にもわからない。
俺と同じ身の上になったものでなければ。
ところでそうだ。
俺がすっかり人間でなくなってしまう前に、一つ頼んでおきたいことがある。
えんさんはじめ一行は息を呑んで、
早中の声の語る不思議に聞き入っていた。
声は続けて言う。
他でもない。自分は元来詩人として名を成すつもりでいた。
しかも、技未だならざるに、この運命に立ち至った。
かつて作るところの詩数百篇。
もとよりまだ世に行われておらん。
意向の書材ももはやわからなくなっていよう。
ところでその中、今もなお希少せるものが数十ある。
これを我がために殿録していただきたいのだ。
過去の回想
何もこれによって一人前の詩人面をしたいのではない。
作の口説は知らず、とにかく三を破り、
心を狂わせてまで自分が生涯それに執着したところのものを、
一部なりとも口題に伝えないでは、死んでも死にきれないのだ。
えんさんは部下に命じ、筆をとって早中の声に従って書き取らせた。
李徴の声は草むらの中からろうろうと響いた。
長短およそ三十篇。
各聴講が一種卓一。
一読して作者の才の碑本を思わせるものばかりである。
しかしえんさんは感嘆しながらも漠然と次のように感じていた。
なるほど、作者の素質が第一流に属するものであることは疑いない。
しかしこのままでは第一流の作品となるのには、
どこか非常に微妙な点において欠けるところがあるのではないか、と。
急使を吐き終わった李徴の声は、
突然調子を変え、自らをあざけるが如くに言った。
恥ずかしいことだが、今でもこんな浅ましい身と成り果てた今でも、
俺は、俺の師匠が長安風流人史の机の上に置かれている様を夢に見ることがあるのだ。
眼骨の中に横たわって見る夢にだよ。
眼骨の中に横たわって見る夢にだよ。
笑ってくれ、
詩人になり損なって虎になった哀れな男を。
えんさんは、昔の青年李徴の辞帳壁を思い出しながら悲しく聞いていた。
そうだ、お笑いぐさついでに、今の思いを即席の詩に述べてみようか。
この虎の中に、まだかつての李徴が生きている印に、
えんさんはまた、仮に命じてこれを書き取らせた。
その詩に言う、
たまたま教室に寄りて種類となる。
再観相寄りて逃るべからず。
今日は、そうが誰かあえて敵せんや。
当時声あと共に相高かりき。
我は異物となりて、方々のもとにあれども、
君はすでに陽に乗り、既成豪なり。
この夕べ、景山明月に対し、
朝霜をなさずして、ただ光をなすのみ。
時に、残月光ひややかに、白露は地にしげく。
樹間を渡る霊風は、すでに、暁の近きを告げていた。
人々はもはや、ことの既意を忘れ、
祝禅としてこの詩人の白光を感じた。
李徴の声は再び続ける。
なぜこんな運命になったかわからぬと千穀は言ったが、
しかし考えようによれば、思い当たることが全然ないでもない。
人間だった時、
我は努めて人との交わりを避けた。
人々は、我を虚構だ、存在だと言った。
実はそれがほとんど周知心に近いものであることを、
人々は知らなかった。
もちろん全ての教頭の記載と呼ばれた自分に、
自尊心がなかったとは言わない。
李徴の内なる葛藤
しかしそれは臆病な自尊心とでも言うべきものであった。
我は、死によって名を成そうと思いながら、
進んで死についたり、
求めて、死友と交わって、
切磋琢磨に努めたりすることをしなかった。
かといってまた、
我は俗物の間に御することも潔しとしなかった。
共に、我が臆病な自尊心と、
存在な周知心とのせいである。
己の賜にあらざることを恐れるがゆえに、
あえて刻苦して磨こうともせず、
また、己の賜なるべきを半ば信ずるがゆえに、
ろくろくとして瓦に御することもできなかった。
我は次第に世と離れ、人と遠ざかり、
憤問と懺悔によってますます己の内なる臆病な自尊心を、
買い太らせる結果になった。
人間は誰でも猛獣使いであり、
その猛獣に当たるのが各人の正常だという。
己の場合、この存在な周知心が猛獣だった。
虎だったんだ。
これが己を襲ない、妻子を苦しめ、
友人を傷つけ、
果ては、己の外形を角の如く内心に相応しいものに変えてしまったのだ。
今思えば全く、
今思えば全く、
我は己の持っていた僅かばかりの才能を空避してしまったわけだ。
人生は何事をもなさぬにはあまりに長いが、
何事かをなすにはあまりに短いなどと、
口先ばかりの傾向を漏しながら、事実は、
才能の不足を暴露するかもしれないとの卑怯な危惧と、
刻苦を挑ぐ怠惰とが己の全てだったのだ。
運命の受容
俺よりも遥かに乏しい才能でありながら、
それを繊維に磨いたがために、
象徴たる死化となった者がいくらでもいるのだ。
虎となり果てた今、
俺はようやくそれに気がついた。
それを思うと、
俺は今も胸を焼かれるような悔いを感じる。
俺にはもはや人間としての生活はできない。
たとえ今俺が、
頭の中でどんな優れた死を作ったにしたところで、
どういう手段で発表できよう。
まして俺の頭は日ごとに虎に近づいていく。
どうすればいいんだ。
俺の空飛された過去は。
俺はたまらなくなる。
そういうとき俺は、
向こうの山の頂の岩に登り、空谷に向かって吠える。
この胸を焼く悲しみを誰かに訴えたいのだ。
俺は昨夕もあそこで月に向かって吠えた。
誰かにこの苦しみがわかってもらえないかと。
しかし、獣どもは俺の声を聞いて、ただ恐れひれ伏すばかり。
山も木も、月も梅雨も、
一匹の虎が怒り狂ってけたっているとしか考えない。
天に踊り、地に伏して嘆いても、
誰一人、俺の気持ちをわかってくれる者はない。
ちょうど人間だった頃、
俺の傷つきやすい内心を誰も理解してくれなかったように。
俺の毛皮の濡れたのは魚つゆのためばかりではない。
ようやく辺りの暗さが薄らいできた。
木の間を伝って、
どこからか魚角が悲しげに響き始めた。
もはや、別れを告げねばならん。
弱ねばならん時が、
括弧、虎に帰らねばならん時が近づいたからと李徴の声が言った。
だが、お別れする前にもう一つ頼みがある。
それは我が妻子のことだ。
彼らはまだ隔略にいる。
もとより俺の運命については知る筈がない。
君が南から帰ったら、
俺はすでに死んだと彼らに言った。
俺はすでに死んだと彼らに告げてもらえないだろうか。
決して今日のことだけは明かさないでほしい。
厚かもしいお願いだが、
彼らの孤弱を憐れんで、
今後とも同都に帰頭することのないように計らっていただけるならば、
自分にとって恩恒、これに過ぎたるはない。
別れと再会
言い終わって早中から道国の声が聞こえた。
縁もまた涙を浮かべ、
喜んで李徴の意に沿いたい胸を応えた。
李徴の声はしかし、
たちまちまた戦国の自重的な調子に戻って行った。
本当はまずこの事の方を先にお願いすべきだったんだ。
俺が人間だったなら。
飢え凍えようとする妻子のことよりも、
己の乏しい修行の方を気にかけているような男だから、
こんな獣に見落とすんだ。
そうして付け加えて言うことに、
縁さんが例南からの帰都には決してこの道を通らないでほしい。
その時には自分が酔っていて、
友を認めずに襲いかかるかもしれないから。
また、今別れてから前方百歩のところにあるあの丘に登ったら、
こちらを振り返って見てもらいたい。
自分は今の姿をもう一度お目にかけよう。
優に誇ろうとしてではない。
我が醜悪な姿を示してもって、
再びここを過ぎて自分に会おうとの気持ちを君に起こさせないためであると。
縁さんは草むらに向かって年頃に別れの言葉を述べ、馬に登った。
草むらの中からはまた、たええざるが如き悲急の声が漏れた。
縁さんも幾度か草むらを振り返りながら涙の中に出発した。
一行が丘の上に着いた時、
彼らは言われた通りに振り返って先ほどの林間の草地を眺めた。
たちまち一匹の虎が草の茂みから道の上に踊り出たのを彼らは見た。
虎はすでに白く光を失った月を仰いで、
双子へ三子へ方向したかと思うと、
また元の草むらに踊り入って再びその姿を見なかった。
1969年発行 新庁舎 新庁文庫 李涼 三月記 より独涼 読み終わりです。
【コメント】最初思いながら読み始めたんで。
何で見たのかな。
なんか世の中の名作文学を漫画にしてギュッと短くしたのを集めました。
みたいなのを電車で移動中、
暇な時間あったら嫌だなと思って買った本に載ってたような気もするな。
漫画で見る名作文学みたいな。
それに載ってたのかも。
【コメント】ひとまずリクエストありがとうございました。
またどうぞリクエストいただければ、
できる限り答えていきたいと思います。
うちはの話ですが、
いつもね、向こう2回分ぐらいはストックがある状態、
要は配信の予約をしてある状態で、
向こう2回分ぐらいはもうアップ済みだよの状態で収録するっていうのが常なんですけど、
今回ね、キワキワでね、
ストックゼロだったんですよね。
で、うっかりね、すごい長編に取り組んでて、
間に合わないなと思って。
で、フォーム見たらリクエスト来たんで、
あ、ちょっとこちらをいただいとこうということで、
三月記を読みました。はい。
【コメント】本好きのTさん、リクエストありがとうございました。
また別の方もリクエストお待ちしてます。
世間はゴールデンウィークのようですが、
まあでもね、連休、ぶつけ連休じゃないからね。
カレンダー通りだと、
飛び石になっちゃうって人も多そうですけど。
メディアのインタビューだと、
今年はそんなに遠出をせずに、
家の近所で過ごすって人が多そうで、
出かけるとしてもね、
近所の公園ですって人が多そうですし、
多かったですっていうアンケート結果が出てましたね。
多分それはお子さんのいる所のお出かけ事情みたいな
アンケートだったと思うんですけど。
僕の周りもほぼ遠出する人はいないですね。
大阪万博に行ってきたって人が、
昨日あったけど、たまたま。
混んでたって言ってましたね。
うーん。
まあ今年は近場でゆっくり休まれるのが
よろしいんじゃないんでしょうか。
と勝手に思っておりますが、いかがでしょうか。
はい、ご視聴ありがとうございました。
無事に寝落ちできた方も、最後までお聞きいただいた方も
大変お疲れ様でございました。
といったところで、今日のところはこの辺で。
また次回お会いしましょう。
おやすみなさい。
26:22

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