00:04
寝落ちの本ポッドキャスト、こんばんは、Naotaroです。
寝落ちの本ポッドキャスト、こんばんは、Naotaroです。
このポッドキャストは、あなたの寝落ちのお手伝いをする番組です。
タイトルを聞いたことがあったり、実際に読んだこともあるような本、それから興味深そうな本などを淡々と読んでいきます。
エッセイには、面白すぎないツッコミを入れることもあるかもしれません。
作品は全て青空文庫から選んでおります。
ご意見・ご感想・ご依頼は、公式Xまでどうぞ。
寝落ちの本で検索してください。
また、最近別途投稿フォームもご用意しました。
合わせてご利用ください。
それと最後に番組フォローもどうぞよろしくお願いします。
作品の紹介と背景
さて、今日は、国木田どっぽさんの「武蔵野」というテキストを読もうと思います。
初めて読みますね。国木田どっぽさんね。
国木田どっぽさん。日本の小説家、詩人、ジャーナリスト。
田山家体、柳田邦和と知り合い、どっぽ議員客を発表。
詩や小説を書き、次第に小説に専念した。
また雑誌、婦人画法の創刊者であり、編集者としての手腕も評価されている。
代表作には、武蔵野、これ今日読みます、などがあるそうです。
wikipediaを見てたらですね、説明のところに、
双葉亭氏名の訳、相引きに影響され、今の武蔵野や初恋などを発表し、ロマン派として作家活動を始めるとあるんですが、
ついこの1個前、双葉亭氏名訳の相引きを読んだんじゃないか?
1個前じゃないか?2個前か?
あ、夏目漱石が1個挟まるから、2個前か。
違った。坂口安吾、室沢大沢も挟まるから4個前だ。
ちょっと前ですけど、シャープ115で相引きを読み上げてますので、
ご興味おありでしたら、ぜひお聞きになってみてください。
秋の武蔵野の描写
で、今日は武蔵野ですね。
僕はあの学生の頃、埼玉県所沢市で生活していたので、
よく高科とかに武蔵野とかよく出てた気がしますね。
あ、小手指してとかに住んでたんですけど、小手指して地名出てくるな。嬉しいな。
そうですか。じゃあ読んでいきましょうか。
それでは参ります。武蔵野。
武蔵野の面影は今僅かに入馬郡に残れる。
と自分は文青年館にできた地図で見たことがある。
そしてその地図に入馬郡、小手指原、久米川は湖泉城なり。
太平紀元高三年五月十一日。
原兵小手指原にて戦うことを一日がうちに三十四度。
日暮は兵器三里引きて久米川に陣を取る。
あくれば、源氏久米川の陣へ押し寄せると乗せたるはこの辺りなるべし。
と書き込んであるのを読んだことがある。
自分は武蔵野の跡の僅かに残っているところとは定めてこの湖泉城辺りではあるまいかと思って一度行ってみるつもりでいてまだ行かないが、
実際は今もやはりその面影ばかりでも見たいものと自分ばかりの願いではあるまい。
それほど武蔵野が今は果たしていかがであるか、
自分は詳しくこの問いに答えて自分を満足させたいとの望みを起こしたことは実に一年前のことであって、
今はますますこの望みが大きくなってきた。
さてこの望みが果たして自分の力で達せられるであろうか。
自分はできないとは言わん。容易でないと信じている。
それだけ自分は今の武蔵野に趣味を感じている。
多分同感の人も少なからぬことと思う。
それで今少しく短調ここに開いて、秋から冬へかけての自分の見て感じたところを書いて、
自分の望みの一章部分を果たしたい。
まず自分がかの問いにくだすべき答えは、
武蔵野の美、今も昔に劣らずとの一語である。
昔の武蔵野は実地見てどんなに美であったことやら、
それは想像にも及ばんほどであったに相違あるまいが、
自分が今見る武蔵野の美しさは、かかる誇張的な談案をくださしむるほどに自分を動かしているのである。
自分は武蔵野の美と言った。
美と言わんよりむしろ趣、詩集と言いたい。その方が適切と思われる。
2.そこで自分は材料不足のところから自分の日記を種にしてみたい。
自分は二十九年の秋のはじめから春のはじめまで、渋谷村の小さな房屋に住んでいた。
自分がかの望みを起したのもそのときのこと。
また秋から冬のことのみを今書くというのもそのわけである。
9月7日。
きのうもきょうも南風強く吹き、
雲を送りつ、雲をはらいつ。
雨ふりみ、ふらずみ。
日光、雲間をもるるとき、林へいっとぎにきらめく。
これが今の武蔵野の秋のはじめである。
林はまだ夏のみどりのそのままでありながら、
空模様が夏とまったくかわってきて、
雨雲の南風につれて、
武蔵野の空ひくぐしきりに雨を送るその時間には、
日の光すいきをびてかなたの林に落ち、
こなたの森にかがやく。
自分はしばしば思った。
こんな日に武蔵野を体感することができたらいかに美しいことだろうかと。
二日おいて九日の日記にも、
風強く秋越え矢に満つ、
風雲変現たりとある。
ちょうどこのころはこんな天気がつづいて、
大空と野との景色が簡単なく変化して、
日の光は夏らしく、
雲の色風の音は秋らしくきわめて趣味深く自分は感じた。
まずこれを今の武蔵野の秋の発端として、
自分は冬の終わるところまでの日記を左に並べて、
変化の大略と光景の要素等をおしめしておかんと思う。
九月十九日。
朝、空曇り、風しす。
霊夢寒露。
虫声しげし。
天地の心なお、目覚めぬが如し。
童二十一日。
終点ぬぐうが如し。
この葉、日のごとく輝く。
十月十九日。
月、明らかに輪廻黒し。
童二十五日。
朝は霧深く、午後は晴るる。
夜に入れて、雲の絶え間の月左右。
朝まだき霧の晴れ沼に家をいで、野を歩み、林をおとなう。
童二十六日。
午後、林をおとなう。
林の奥に座して、四股し。
慶長し。
停止し。
黙想す。
十一月四日。
天高く木すむ。
夕暮れに一人、風吹く野に立てば、
天外の富士近く、国境をめぐる連山、地平線上に黒し。
星光一点。
暮れ色にようやく至り、林へようやく通し。
童十八日。
月を踏んで散歩す。
青煙、地を這い、月光、林に砕く。
童十九日。
天晴れ、風清く、露冷やかなり。
万博応揚の中、緑樹をまじゅう。
小鳥小杖にてんず。
一郎、人影なし。
一人歩み、目視黄銀し、足にまかせて均衡をめぐる。
童二十二日。
夜ふけぬ。
郊外は、林を渡る風越え物過ごし。
雫越えしきりなれども、雨はすでにやみたりとおぼし。
童二十三日。
昨夜の風雨にて、この葉ほとんど養楽せり。
稲田もほとんど借りとらる。
冬枯れの寂しき葉となりぬ。
童二十四日。
この葉、いまだまったく落ちず。
遠山を望めば、心も消えいらんばかり懐かし。
童二十六日。
夜十時しるす。
屋外は、風雨の声物過ごし。
雫越えあい大津。
今日は終日、霧立ち込めて。
野や林や、常しえの夢に入りたらん如く。
午後、犬を伴うて散歩す。
林に入り、木座す。
犬眠る。
水流林より出て、林に入る。
落葉を浮べて流る。
おりおり、しぐれしめやかに林を過ぎて、落葉の上を渡りゆく音静かなり。
童二十七日。
昨夜の風雨は、けさ名残なく晴れ。
日、うららかに上りぬ。
奥後の丘に立ちて望めば、富士山真白に連山の上にそびゆ。
風清く、木すめり。
げに初冬の朝なるかな。
青森水あふれ、林へ逆島に移れり。
十二月二日。
けさ、霜雪のごとく朝日にきらめきて見事なり。
しばらくして、薄雲かかり、日光をさむし。
童二十二日。
雪はじめてふる。
三十年、一月十三日。
夜ふけぬ。風しし、林もくす。
雪しきりにふる。
火をかかげて、湖外をうかがう。
こうせつ、穂影にきらめきて舞う。
ああ、武蔵野、沈黙す。
しかも耳をすませば、遠き彼方の林をわたる風の音す。
はたして、風声か。
童十四日。
けさ、大雪、ぶどう棚落ちぬ。
夜ふけぬ。
梢をわたる風の音を、遠く聞こゆ。
ああ、これ、武蔵野の、林より林をわたる冬のよさむの小がらしなるかな。
雪どけのしずく声の木をめぐる。
童二十日。
美しき朝。
空はへんうんなく、地は霜柱白銀のごとくきらめく。
小鳥、小杖にさえず。
正当、針のごとし。
二月八日。
梅咲きぬ。
月、ようやく美なり。
三月十三日。
夜十二時。
杉傾き、風急に、雲わき、林なる。
童二十一日。
夜十一時。
屋外の風声を聞く。
たちまち遠く、たちまち近し。
春や遅いし、冬や逃れし。
三。
武蔵野の美しさについて
昔の武蔵野は茅原の果てなき光景をもって絶類の美をならしていたように伝えてあるが、今の武蔵野は林である。
林は実に今の武蔵野の特色といってもよい。
すなわち、木は主に奈良の類で、冬はことごとく落葉し、春は滴るばかりの新緑、萌えいずるその変化が、秩父峰伊東、十数里野の一斉に行われて、春夏秋冬を通じ、霞に雨に、月に風に、霧にしぐれに雪に、緑陰に紅葉に。
さまざまの光景を呈するその妙は、ちょっと西国地方、また東北のものにはげしかねるのである。
元来日本人は、これまで奈良の類の落葉林の美をあまり知らなかったようである。
林といえば主に松林のみが日本の文学美術の上に認められていて、歌にも奈良林の奥でしぐれを聞くというようなことは見当らない。
自分も西国に人となって少年のとき学生として初めて東京に登ってから十年になるが、かかる落葉林の美をかえするに至ったのは近来のことで、それも左の文章が大いに自分を教えたのである。
秋九月中旬というころ、一日自分がカバの林の中に座していたことがあった。
けさから小雨がふりそそぎ、その晴れ間にはおりおり生温かな日陰もさして、まごとに気まぐれな空あい。
あわあわしい白雲が空一面にたなびくかと思うと、ふとまたあちこちまたたくま雲切れがして、むりに押し分けたような雲間からすみて逆しげに見える人の目のごとくに、ほからかに晴れた青空がのぞかれた。
自分をあざして、よんこして、そして耳を傾けていた。
この葉が頭上でかすかにそよいだが、その音を聞いたばかりでも季節は知られた。
それは春咲きする、おもしろそうな、わらうようなさざめきでもなく、夏のゆるやかなそよぎでもなく、ながたらしい話し声でもなく、また末の秋のおどうどした、うそさぶそうなおしゃべりでもなかったが、ただようやく聞きとれるか聞きとれぬほどのしめやかなささやきの声であった。
そよふく風はしのぶように梢を伝った。
てると曇るとで、雨にじめつく林の中の様子が簡単なくうつりかわった。
あるいはそこに、ありとあるものすべていっときに微笑したように、くまなく赤みわたって、さのみしげくもない、かばの細々とした幹は、思いがけずも白きぬめく、やさしい光沢を帯び、地上に散りしいた細かな落葉は、にわかにひにええじてまばやきまでに金色を放ち、
頭をかきむしったようなパーポロトニク、かっこわらびの類のみごとな茎、しかも、つえすぎたぶどうめく色を帯びたのが、さいげんもなくもつれからみつして、もくぜんにすかしてみられた。
あるいはまたあたり一面に、にわかにうすぐらくなりだして、またたく間にもののあいろも見えなくなり、かばの木たちも、ふりつもったままで、また日の目にあわぬ雪のように、白くおぼろにかすむ、とこさめがしのびやかにあやしげに、しごするようにばらばらとふって通った。
武蔵野の冬の情景
かばの木の葉は、いちじるしく光沢がさめても、さすがになお青かった。がただそちこちに立つ茎のみは、すべて赤くも黄色くも色づいて、おりおり日の光が、いま雨にぬれたばかりの細枝の茂みを、もりてすべりながらぬけてくるのをあびては、きらきらときらめいた。
すなわちこれは、ツルゲーネフの書きたるものをフタバテイが訳して、アイビキと題した短編の冒頭にある一節であって、自分が書かるラクヨウリンの趣をゲセルに至ったのは、この微妙な除茎の筆の力が多い。
これはロシアの茎で、しかも林はかばの木で、武蔵野の林は奈良の木。植物体から言うと、はらはら異なっているが、ラクヨウリンの趣は同じことである。
自分はしばしば思った。
もし、武蔵野の林が奈良の類でなく、松か何かであったら、ひわめて平凡な変化に乏しい色彩一様なものとなってさまで、珍聴するに至らないだろうと。
奈良の類だから応用する。応用するから楽用する。
しぐれがささやく、小枯らしが叫ぶ。
一陣の風、小高い丘を襲えば、幾千万の木の葉、高く大空に巻いて、小鳥の群れかの如く遠く飛び去る。
木の葉落ち尽くせば、数十里の方域にわたる林が一時に裸になって、青ずんだ冬の空が高くこの上に垂れ、武蔵野一面が一種の沈静に入る。
空気が一段すみわたる。遠い物音が鮮やかにひこえる。
自分は十二月二十六日のきに、林の奥に座してよんこし、けいちょうし、ていしし、牧草すと書いた。
相引きにも、自分は座して、よんこして、そして耳を傾けたとある。
この耳を傾けて聞くということが、どんなに秋の末から冬へかけての今の武蔵野の心にかなっているだろう。
秋ならば、林の内より起こる音。冬ならば、林の彼方遠く響く音。
鳥の葉音。さえずる声。風のそよぐ鳴る。うそ吹く。叫ぶ声。
草むらの影。林の奥にすだく虫の音。
空車、荷車の林をめぐり坂を降り、野樹を横切る響き。
蹄で落葉を蹴散らす音。これは騎兵演習の折行か。さなくば、夫婦連れで遠乗りに出かけた外国人である。
何事をか、こわだかに話しながらゆく村の者のだみ声。それもいつしか遠ざかりゆく。
ひとり寂しそうに道を急ぐ女の足音。遠く響くほうせい。隣の林で出し抜けに起こる筒音。
自分が一度犬を連れ、近所の林を大人い、霧株に腰をかけて本を読んでいると、突然、林の奥で物の落ちたような音がした。
足もとに寝ていた犬が耳を立ててきっとその方を見つめた。それぎりであった。
たぶん栗が落ちたのであろう。武蔵野にも栗抜きもずいぶん多いから。もし、それしぐれの音に至っては、これほど優弱なものはない。
産花のしぐれは我が国でも和歌の第二までなっているが、ひろいひろい野杖から野杖へと林を越え森を越え、他を横切り、また林を越えてしのびやかに通りゆくしぐれの音のいかにも静かで、また応揚な趣があって、優しく懐かしいのは、実に武蔵野のしぐれの特色であろう。
自分がかつて北海道の森林でしぐれにあったことがある。
これはまた人跡絶無の大森林であるからその趣はさらに深いが、そのかわり武蔵野のしぐれのさらにひと懐かしくささやくがごとき趣はない。
秋の中頃から冬のはじめ、試みに中野あたり、あるいは渋谷、世田谷、または黄金井の奥の林をとのうて、しばらく座って散歩の疲れを休めてみよう。
これらの物音、たちまち起こりたちまち止み、しだいに近づきしだいに遠ざかり、頭上の木の葉風なきに落ちてかすかな音をし、それも止んだとき自然に清少を感じ、得たるにてへの呼吸身にせまるを覚ゆるであろう。
武蔵野の冬の夜ふけて、生と乱寒たるとき、星をも吹き落としそうな野秋がすさまじく林をわたる音を自分はしばしば日記に書いた。風の音は人の思いを遠くにさそう。
武蔵野の自然と生活
自分はこのものすごい風の音のたちまち近くたちまち遠きを聞きては、遠い昔からの武蔵野の生活を思いつづけたこともある。
熊谷直吉の若に、よもすから木の葉偏る音を聞けば、しのいに風のかようをなりけり。
というがあれど、自分は山賀の生活を知っていながらこの歌の心をげにもと感じたのは、実に武蔵野の冬の村居のときであった。
林に座っていて日の光のもっとも美しさを感じるのは春の末より夏のはじめであるが、それは今ここに書くべきでない。
その次は応用の季節である。
半ば黄色く半ば緑な林の中に歩いていると、澄み渡った大空が梢梢の隙間から覗かれて、日の光は風に動くはずえはずえに砕け、その美しさ言いつくされず。
日光とか雨水とか、天下の名所はともかく武蔵野のような広い平原の林がくまなく染まって、
日の西に傾くとともに一面の火花を放すというも得意の美観ではあるまいか。
もし高きに登りて一目にこの体感を占めることができるならこの上もないこと。
よしそれが出来難いにせよ平原の景の単調なるだけに人をしてその一部を見て全部の広いほとんど限りない光景を想像さするものである。
その想像に動かされつつ夕日に向かって応用の中を歩けるだけ歩くことがどんなに面白かろう。
林が尽きると野に出る。
4.12月25日の木に、野を歩み林を大人うと書き、また11月4日の木には夕暮れに一人風吹く野に立てばと書いてある。
そこで自分は今一度鶴げえ音符を弾く。
自分は立ち止まった花束を拾い上げたそして林を去って野良へ出た。
日は青々として空に低く漂ってさす影も青ざめて冷ややかになり出るとはなくただ地味な水色のぼかしを見るように四方に道渡った。
日没にはまだ半時間もあろうにもう夕焼けがほの赤く天末を染め出した。
黄色く絡びた刈株を渡って激しく吹きつける野脇に模様されて反り返った細かな落ち葉が泡だらしく起き上がり、
林に沿った往来を横切って自分のそばへ駆け通った。
野良に向かって壁のように立つ林の一面はすべてざわざわざわつき、
西松の玉のくずを散らしたようにきらめきはしないが散らついていた。
また枯草、葉草、藁の嫌いなくそこら一面に絡みついた蜘蛛の巣は風に吹きなびかされて波立っていた。
自分は立ち止まった。心細くなってきた。
目に遮る物象はさっぱりとしていれど、面白げもおかしげもなく、
さびれ果てたうちにもどうやら間近になった冬の凄まじさが見透かされるように思われて、
正真なカラスが重そうに羽ばたきをして激しく風を切りながら頭上を高く飛びすぎたが、
ふと首をめぐらして横目で自分を睨めて、
急に飛び上がって声をちげるように泣き渡りながら林の向こうへ隠れてしまった。
鳩がいくはともなく群れをなして勢い込んで黒草の方から飛んできた。
がふと柱を立てたように舞い上って、さてぱっと一斉に野面に散った。
ああ、秋だ。
誰だか羽山の向こうを通ると見えて、カラクルマの音が虚空に響き渡った。
これはロシアの野であるが、
わが武蔵野の野の秋から冬にかけての光景もおよそこんなものである。
武蔵野には決して羽山はない。
しかし太陽のうねりのように皇帝へ起伏している。
それも外見には一面の平原のようで、むしろ高台のところどころが低くくぼんで、
小さな浅い谷をなしているといった方が適当であろう。
この谷の底は大概水田である。
畑は主に高台にある。
高台は林と畑とでさまざまな区画をなしている。
畑はすなわち野である。
されば林とても数里にわたるものなく、
否、おそらく一里にわたるものもあるまい。
畑とても一望数里に続くものはなく、
一座の林の周囲は畑、
一径の畑の三方は林というような具合で、
農家がその間に散在してさらにこれを分割している。
すなわち野やら林やら、
ただ乱雑に入り組んでいて、たちまち林に入るかと思えば、
たちまち野に出るというような風である。
それがまた実に武蔵野に一種の特色を与えていて、
ここに自然あり、ここに生活あり。
北海道のような自然そのままの大原や大森林とは異なっていて、
その趣も得意である。
稲の熟する頃となると、谷々の水田が黄ばんでくる。
稲が刈り取られて、林の影が逆さに、たずらに映る頃となると、
大根畑の森で大根がそろそろ抜かれて、
あちらこちらの水溜め、または小さな流れのほとりで現れるようになると、
野は麦の新芽で青々となってくる。
あるいは麦畑の一端、野原のままで残り、
小花、野菊が風に吹かれている。
茅原の一端が次第に高まって、その果てが天際を限っていて、
そこへつま先上がりに登ってみると、
林の田山を国境に連なる秩父の書類が黒く横たわっていて、
あたかも地平線上を走っては、また地平線下に坊しているようにも見える。
さて、これよりまた畑の方へ下がるべきか。
あるいは畑の彼方の茅原に身を横たえ、
強く吹く北風を積み重ねた枯草でよけながら、
南の空をめぐる日のぬるき光に顔をそらして、
畑の横の林が風にざわつき、きらめき輝くのを眺むべきか。
あるいはまた直ちに蚊の林へと行く道を進むべきか。
自分は書くためらったことがしばしばある。
自分は困ったか。
否、決して困らない。
自分は武蔵の縦横に通じている道はどれを選んでいっても、
自分を失望させないことを久しく経験して知っているから。
自分の方友がかつてその距離から寄せた手紙の中に、
この間も一人夕方に茅原を歩みて考え申し候。
この野の中に縦横に通じている十数の道の上を、
何百年の昔よりこの方、朝の梅雨さやけしといいてはいで、
夕の雲華やかなりといいては憧れ、何百人の哀れ知る人や、
荘養失乱愛憎む人は愛避けて異なる道を隔たりていき、
相愛する人は相互して同じ道を手に手取りつつ帰りつらん、
との一説があった。
野原の道を歩みてはかかる忌みじき思いも起こるならんが、
武蔵野の道はこれとは異なり、
相逢わんとて行くとても相損ね、
相避けんとて歩むも林の曲り角で突然出会うことがあろう。
されば道という道、右にめぐり左に転じ、
林を貫き野を横切り、
まっすぐなること鉄道線路の後時かと思えば東より進みて、
また東に帰るような迂回の道もあり、
林に隠れ、谷に隠れ、野に現れまた林に隠れ、
野原の道のようによく遠くの別路行く人影を見ることは容易でない。
しかし野原の道の思いにも増して武蔵野の道には忌みじき実がある。
武蔵野に散歩する人は道に迷うことを苦にしてはならない。
どの道でも足の向く方へ行けば必ずそこに見るべく聞くべく感じべき獲物がある。
武蔵野の日はただその中央に通ずる数千畳の道をあてもなく歩くことによって始めて得られる。
春、夏、秋、冬、朝、昼、夕、夜、
月にも雪にも風にも霧にも霜にも雨にもしぐれにも。
ただこの道をぶらぶら歩いて思いつき次第に右し左すれば随所に我らを満足さすものがある。
これが実にまた武蔵野第一の特色だろうと自分はしみじみ感じている。
武蔵野を除いて日本にこのようなところがどこにあるか。
北海道の原野には無論のことなすのにもない。
そのほかどこにあるか。
林と野とがかくもよく入り乱れて、
生活と自然とがこのように密接しているところがどこにあるか。
実に武蔵野にかかる特殊の道のあるのはこのゆえである。
さらば君もし一の小道を行きたちまち山上にわかるるところに出たなら困るに及ばない。
君の杖を立ててその倒れた方に行きたまえ。
あるいはその道が君を小さな林に導く。
林の中頃に至ってまた二つにわかれたらその小さなる道を選んでみたまえ。
あるいはその道が君を妙なところに導く。
これは林の奥の古い墓地でゴケムス墓が四つ五つ並んで、
その前に少しばかりの空き地があってその横の方におみなえしなど咲いていることもあろう。
頭の上の小杖で小鳥が鳴いていたら君の幸福である。
道の迷いと発見
すぐひき返して左の道を進んでみたまえ。
たちまち林が尽きて君の前に見渡しの広い野がひらける。
足元から少しだらだら下がりになり茅が一面に生えお花の末が火に光っている。
茅原の先が畑で畑の先に背の低い林がひとむらしげり、その林の上に遠い杉の子守が見え、地平線の上にあわあわしい雲が集まっていて雲の色にまがいそうな連山がその間に少しずつ見える。
十月、小春の日の光のどかにてり、こぎみよい風がそよそよと吹く。
もし茅原の方へ降りて行くと、今まで見えた広い景色がことごとく隠れてしまって小さな谷の底に出るだろう。
思いがけなく細長い池が茅原と林との間に隠れていたのを発見する。
水は清く澄んで、大空を過ぎる白雲の断片を鮮やかに映している。
水のほとりには枯れ足が少しばかり生えている。
この池のほとりの道をしばらく行くとまた二つに分かれる。
右に行けば林、左に行けば坂。
君は必ず坂を登るだろう。
とかく武蔵野を散歩するのは高いところ、高いところと選びたくなるのは何とかして広い眺望を求むるからで、それでその望みは容易に達せられない。
見下ろすような眺望は決してできない。
それははじめからあきらめたがいい。
もし君、何かの必要で道を尋ねたく思わば、畑の真ん中にいる農夫に聞きたまえ。
農夫が四十以上の人であったら、大声をあげて尋ねてみたまえ。
驚いてこちらを向き、大声で教えてくれるだろう。
もし乙女であったら近づいて小声で聞きたまえ。
もし若者であったら棒を取って因義に問いたまえ。
応用に教えてくれるだろう。
怒ってはならない。これが東京近在の若者の癖であるから。
教えられた道を行くと道がまた二つに分かれる。
教えてくれた方の道はあまりに小さくて少し変だと思っても、その通りに行きたまえ。
突然農家の庭先に出るだろう。
果たして変だと驚いてはいけん。
その時農家で尋ねてみたまえ。
門を出るとすぐ往来ですよと、すげなく答えるだろう。
農家の門を外に出てみると果たして見覚えある往来。
なるほどこれが近道だなと君は思わず微笑をもらす。
その時初めて教えてくれた道のありがたさがわかるだろう。
まっすぐな道で両側とも十分に応用した林が四五町も続くところに出ることがある。
この道を一人静かに歩むことのどんなに楽しかろう。
右側の林の頂きは雄てり鮮やかに輝いている。
おりおり落葉の音が聞えるばかり。
辺りは真としていかにも寂しい。
前にも後ろにも人影見えず誰にも会わず。
もしそれがこの葉落ち尽くした頃ならば、
道は落葉に埋もれて一足ごとにガサガサと音がする。
林は奥まで見透かされ梢の先は針のごとく細く青空を指している。
なおさら人に会わない。いよいよ寂しい。
落葉を踏む自分の足音ばかり高く、
時に一羽の山葉と慌たたしく飛び去る葉音に驚かされるばかり。
同じ道を引き返して帰るは愚である。
迷ったところが今の武蔵野に過ぎない。
まさかに行き暮れて困ることもあるまい。
帰りもやはりおよその方角を決めて別な道をあてもなく歩くが妙。
そうすると思わず落日の美観を売ることがある。
陽は富士の背に落ちんとしてまだ全く落ちず、
富士の中腹に群がる雲は黄金色に染まって見るがうちにさまざまな形に変ずる。
連山の頂は白銀の鎖のような雪が次第に遠く北へ走って、
冬はあんたんたる雲のうちにぼしてしまう。
日が落ちる。野は風が強く吹く。
林は鳴る。武蔵野は呉れんとする。
寒さが身にしむ。その時は道を急ぎたまえ。
散歩の楽しみ
帰り見て思わず新月が枯林の梢の横に寒い光を放っているのを見る。
風が今にも梢から月を吹き落そうとしそうである。
突然また野に出る。
君はその時、
山は呉れ、野は黄昏の鈴木かな、
のメイクを思い出すだろう。
六。
今より三年前の夏のことであった。
自分はある友と市中の宮境を出て
三崎町の停車場から境まで乗り、
そこで降りて北へまっすぐに四五町行くと桜橋という小さな橋がある。
それを渡ると一軒の掛茶屋がある。
この茶屋の婆さんが自分に向かって、
今自分何しに来ただ、と問うたことがあった。
自分は友と顔を見合わせて笑って、
散歩に来たのよ。ただ遊びに来たんだ。
と答えると婆さんも笑って、それも馬鹿にしたような笑い方で、
桜は春咲くこと知らねえだねえ、と言った。
そこで自分は夏の郊外の散歩のどんなに面白いか
婆さんの耳にも分かるように話してみたが無駄であった。
東京の人は呑気だ、という一語で消されてしまった。
自分らは汗をふきふき婆さんが剥いてくれる幕羽織を食い、
茶屋の横を流れる幅一尺ばかりの小さな溝で顔を洗いなどして、
そこを立ち入れた。
この溝の水はたぶん黄金井の水道から引いたものらしくよく澄んでいて、
青草の間をさも心地よさそうに流れて、
折々こぼこぼとなっては小鳥が来て翼をひたし、
のどを潤すのを待っているらしい。
しかし婆さんは何とも思わないでこの水を朝夕、鍋かまを洗うようであった。
茶屋を出て自分らはそろそろ黄金井の包みを港見の方へと上り始めた。
ああ、その日の散歩がどんなに楽しかったろう。
なるほど、黄金井は桜の名所。
それで夏の盛りにその包みをのこのこ歩くもよそ目には愚かに見えるだろう。
しかしそれは未だ今の武蔵野の夏の日の光を知らぬ人の話である。
空は蒸し暑い雲が湧き出て、雲の奥に雲が隠れ、
雲と雲との間の底に青空が現れ、
雲の青空に接するところは白銀の色とも雪の色とも絶えがたき、
純白な、透明な、それで何となく穏やかな淡々しい色を帯びている。
そこで青空が一段と奥深く青々と見える。
ただこれぎりなら夏らしくもないが、
さて一種の濁った色の霞のようなものが雲と雲との間をかき乱して、
すべての空の模様を同様、紳士、忍法、煞雑の有様となし、
雲をつんざく光線と雲より放つ陰影とが彼方こなだに交差して、
吹き本一の気がいずこともなく空中に微動している。
林という林、梢という梢、草葉の末に至るまでが光と熱とに溶けて、
まどろんで、だまけて、うつらうつらとして酔っている。
林の一角、植栓に立たれてその間から広い野が見える。
野良い地面。
意という状態をして長くは見つめていられない。
自分らは汗をふきながら、大空を仰いだり、林の奥を覗いだり、
天際の空、林に接する辺りを眺めたりして、
包みの上をあいぎあいぎたどっていく。
苦しいか?どうして?
身内には健康が満ちあふれている。
長包み三里の間、ほとんど人影を見ない。
農家の庭先、あるいは藪の間から突然犬が現れて、
自分らを怪しそうに見て、そしてあくびをして隠れてしまう。
林の彼方では、高く羽ばたきをして音鳥が時をつくる。
それが黒草の壁や杉の森や林や藪にこもって、ほがらかに聞こえる。
包みの上にも鶏の群れが幾組となく桜の陰などに遊んでいる。
水上を遠く眺めると、一直線に流れてくる水道の末は、
銀粉をまいたような一種の陰影のうちに消え、
間近くなるにつれてギラギラ輝いて矢のごとく走っている。
自分たちはある橋の上に立って、流れの上と流れの裾と見比べていた。
光線の具合で流れの趣が絶えず変化している。
水上が突然薄暗くなるかと見ると、雲の影が流れとともに、
瞬く間に走ってきて自分たちの上まで来て、ふと止まって急に横にそれてしまうことがある。
しばらくすると水上がまばやく輝いてきて、
両側の林、包み状の桜、あたかもウゴの春草のように鮮やかに緑の光を放ってくる。
橋の下では何とも言いようのない優しい水音がする。
これは水が両岸に激して発するものでなく、また浅瀬のような音でもない。
たっぷりと水が下がって、それで粘土質のほとんど壁を塗ったような深い溝を流れるので、
水と水とがもつれて絡まって、もみ合って水から音を発するのである。
何たるひと懐かしい音だろう。
Let us match this water's pleasant tune with some old boulder song or catch.
That's the summer's noon.
…の雲を思い出されて、72歳の沖縄と少年とが、
そこら桜の木陰にでも座っていないだろうかと見回したくなる。
自分はこの流れの両側に散転する農家の者を幸せの人々と思った。
むろん、この包みの上を麦わら帽子とステッキ一本で散歩する自分たちをも。
7
自分と一緒に小金井の包みを散歩した方有は、
今は半顔になって地方に行っているが、
自分の前後の文を読んで次のごとくに書いて送ってきた。
武蔵野の限界と存在
自分は便利のためにこれをここに引用する必要を感じる。
武蔵野は俗に言う菅八州の平野でもない。
また道館が笠の代わりに山吹きの花をもらったという歴史的の原でもない。
僕は自分で限界を定めた一種の武蔵野を有している。
その限界はあたかも国境、または村境が山や川やあるいは戸籍や
いろいろのもので定められるように自ら定められたもので、
その定めは次のいろいろの考えから来る。
僕の武蔵野の範囲の中には東京がある。
しかしこれは無論省かなくてはならぬ。
なぜならば我々は農商務省の勧賀が飢餓としてそびえていたり、
鉄管事件の裁判があったりする八百夜外によって昔の面影を想像することができない。
それに僕が近頃知り合いになったドイツ夫人の表に東京は新しい都ということがあって、
今日の光景ではたとえ徳川の江戸であったにしろこの標語を適当と考えられる筋もある。
このようなわけで東京は必ず武蔵野から抹殺せねばならぬ。
しかしその市の作るところ、すなわち町外れは必ず抹殺してはならぬ。
僕が考えには武蔵野の史書を描くには必ずこの町外れを一の材木とせねばならぬと思う。
たとえば君が住まわれた渋谷の道元坂の近傍、目黒の行人坂、
また君と僕と散歩したことの多い早稲田の岸文人あたりの町、新宿、白金。
また武蔵野の味を知るにはその野から富士山、秩父山脈、高野台、羅王を眺めた考えのみでなく、
またその中央に包まれている主婦東京を振り返った考えで眺めねばならぬ。
そこで三里五里の外にいれ平原を描くことの必要がある。
君の一辺にも生活と自然とが密接しているということがあり、
また時々いろいろなものに出会う面白みが描いてあるが、いかにもさようだ。僕はかつてこういうことがある。
家庭を連れて多摩川の方へ遠足したときに、一二里行き、また半里行きて柳があり、
また柳に離れ、また柳に出て人や動物に接し、また草木ばかりになる。
この変化のあるので、所々に生活を転徹している趣味の面白いことを感じて話したことがあった。
この趣味を描くために武蔵野に散在せる駅、駅といかぬまでも柳、すなわち清塚の熟語でいう連丹家屋を描写する必要がある。
また多摩川はどうしても武蔵野の範囲にいれなければならん。
宇都玉川など我々の先祖が名付けたことがあるが、武蔵野玉川のような川が他にどこにあるか。
その川が平方と低い林とに連接するところの趣味は、あたかも主婦が郊外と連接するところの趣味とともに無限の意義がある。
また東の方の平面を考えられよ。
これはあまりに開けて水田が多くて地平線が少し低い上、除外せられそうなれどやはり武蔵野にそういない。
亀戸の金絞りのあたりから金河辺へかけて、水田と立木と防獄とが趣をなしている具合は武蔵野の一良文である。
ことに富士でわかる。
富士を高く見せてあたかも我々が図紙のあぶずりで眺むるように見せるのはこの辺に限る。
武蔵野の地理と特徴
また筑波でわかる。筑波の影が低く遥かなるを見ると我々は、環八州の一隅に武蔵野が呼吸している意味を感じる。
しかし東京の南北にかけては武蔵野の領文がはなはだ狭い。ほとんどないと言ってもよい。
これは地勢の力占めるところでかつ鉄道が通じているので、すなわち東京がこの線路によって武蔵野を貫いて直接に他の範囲と連接しているからである。
僕はどうもそう感じる。
そこで僕は武蔵野はまず雑志ヶ谷から起こって線を引いてみると、それから板橋の中仙道の西側を通って川越近傍まで達し、
黄泉の一辺に記されたイルマ群を包んで丸く交付線の立川駅に来る。
この範囲の間に所沢、田梨などという駅がどんなに趣味が多いか。ことに夏の緑の深いところは。
さて立川からは玉川を限界として上丸部まで下がる。
八王子は決して武蔵野には入れられない。
そして丸子から下目黒に帰る。
この範囲の間に所沢、上り戸、双子などのどんなに趣味が多いか。
以上は西半面。
東の半面は亀戸編より小松川へかけ、桔川から堀切を包んで千住近傍へ至って止まる。
この範囲は異論があれば取り除いてもよい。
しかし一種の趣味があって、武蔵野にそういないことは前に申した通りである。
武蔵野の水流の観察
自分は以上の諸説に少しの依存もない。
ことに東京市の町外れを大目とせよとの注意はすこぶる同意であって、自分もかねて思いついていたことである。
町外れを武蔵野の一部に入れるといえば少しおかしく聞こえるが、
実は不思議はないので、海を描くに波打際を描くも同じことである。
しかし自分はこれを後回しにして、小金井・包上の散歩に引き続き、まず今の武蔵野の水流を解くことにした。
第一は玉川、第二は墨田川。
むろんこの二流のことは十分に描いてみたいが、さてこれも後回しにして、さらに武蔵野を殴る水流を求めてみたい。
小金井の流れのごときその一である。
この流れは東京近郊をよんでは、千田ヶ谷、代々木、角羽津などの諸村の間を流れて新宿に入り、四つ谷上水となる。
また猪ヶ白池、全福井池などより流れ入れて神田上水となるもの。
目黒編を流れて貧海に入るもの。
渋谷編を流れて金杉に出ずるもの。
その他名も知れぬ最流小居に至るまで、もしこれをよそで見るならば格別の妙も無けれど、これが今の武蔵野の平地高台の嫌いなく、
林をくぐり、野を横切り、角列荒割れつして、しかも曲りくねって、
括弧、小金井は取り除け。
流れる趣は春夏春冬に通じて我らの心を惹くに至るものがある。
自分は元山大き地方に成長したので、川といえばずいぶん大きな川でもその水は透明であるのを見慣れたせいか。
はじめは武蔵野の流れ、多摩川を覗いてみてはことごとく濁っているので、はなはだ不快な感を引いたものであるが、
だんだん慣れてみると、やはりこの少し濁った流れが平原の景色にかなって見えるように思われてきた。
町外れの光景
自分が一度、今より四五年前の夏の夜のことであった。
彼の友と相手ずさえて近郊を散歩したことを覚えている。
神田上水の上流の橋のひとつを夜の八時ごろ通りかかった。
この夜は月さえて風気よく、野も林も白車に包まれ潮にして、なんとも言いがたき漁屋であった。
彼の橋の上には村の者四五人集まっていて、乱によって何事をか語り、何事をか笑い、何事をか歌っていた。
その中に一人の老王が混ざっていて、しきりに若い者の話や歌を混ぜ返していた。
月はさやかに照り、これらの光景を朦朧たる楕円形のうちに描き出して、伝言詩の一節のように浮かべている。
自分たちもこの画中の人に加わって、乱によって月を眺めていると、月は緩やかに流るる水面に澄んで映っている。
羽虫が水を打つごとに採雲起きて、しばらく月の主に小じわが寄るばかり。
流れは林の間をくねって出てきたり、また、林の間に半円を描いて隠れてしまう。
林の梢に砕けた月の光が、薄暗い水に落ちてきらめいて見える。
水蒸気は流れの上、四五尺のところをかすめている。
大根の自節に金剛を散歩すると、これらの西流のほとり至るところで、農夫が大根の土を洗っているのを見る。
9.必ずしも道元坂といわず、また城金といわず、つまり東京市街の一端、あるいは甲州街道となり、あるいは青梅道となり、あるいは中原道となり、あるいは世田谷街道となりて、郊外の隣地田んぼに突入するところの市街ともつかず、宿駅ともつかず、
一種の生活と一種の自然とを配偶して、一種の光景を呈しておる場所を描写することが、すこぶる自分の思経を呼び起こすも妙ではないか。
なぜかような場所がわれらの勘をひくだろうか。
自分は一言にして答えることができる。
すなわち、このような街はずれの光景は、なんとなく人をして社会というものの宿図でも見るような思いを胸さしむるからであろう。
言葉をかえていえば、田舎の人にも都会の人にも環境をおこさしむるような物語、小さな物語、しかも哀れの深い物語、あるいは報復するような物語が二つ三つそこらの軒先に隠れていそうに思われるからであろう。
さらにその特点をいえば、大都会の生活の名残と田舎の生活の余波とがここで落ちあって、ゆるやかに渦をまいているようにも思われる。
見たまえ、そこに片目の犬がうずくまっている。
この犬の名の通っている限りが、すなわちこの街はずれの涼文である。
見たまえ、そこに小さな料理屋がある。
泣くのとも笑うのともわからぬ声をふりたてて喚く女の影法師が障子にうずっている。
外は夕闇が込めて、煙の匂いとも土の匂いとも分かちがたき香りがよどんでいる。
第八車が二台三台と続いて通る。
その空車の輪立ちの響きがやかましく怒りては絶え絶えては怒りしている。
見たまえ、鍛冶屋の前に二頭の駄馬が立っている。
その黒い影の横の方で二三人の男が何事をかひそひそと話し合っているのを。
徹底の真っ赤になったのが金敷の上に置かれ、火花が夕闇を破って往来の中ほどまで飛んだ。
話していた人々がどっと何事をか笑った。
月が柳の後ろの高い架手の梢まで上ると、向う片側の屋根が白んできた。
カンテラから黒い油煙が立っている。
その間を村の者、町の者十数人駆け回って喚いている。
いろいろの野菜が彼方この田に積んで並べてある。
これが小さな野菜市、小さな競り場である。
日が暮れるとすぐ寝てしまう家があるかと思うと、夜の二時ごろまで店の障子に木陰を写している家がある。
床屋の裏が百姓屋で、牛のうなる声が往来まで聞える。
酒屋の隣が納豆売りの牢屋の隅下で、毎朝早く納豆、納豆としわがれ声で呼んで、都の方へ向って出かける。
夏の短夜が間もなく明けると、もう荷車が通り始める。
ごろごろガタガタ絶え間がない。
九時十時となると、蝉が往来から見える高い小杖で鳴き出す。
だんだん暑くなる。
砂ぼこりが馬のひずめ、車の輪立ちに煽られて虚空に舞い上がる。
ハエの群れが往来を横切って家から家、馬から馬へ飛んで歩く。
それでも十二時の鈍がかすかに聞えて、どことなく都の空の彼方で汽笛の響きがする。
1967年発行。
周英社。
日本文学全集十二。
国木田独歩。
石川卓卜集。
より独領読み終わりです。
はい、長かったですね。
長かったし、読んでる僕としては全然面白くない文章だなっていう。
ドラマ性がないからね。
景色がーって言ってたからね。
味わいがーって言ってたから。
なんか例えとして合ってるかわかんないけど、具材ゼロのラーメン、かけラーメン食べてて、
その出汁を評論してるみたいなね。
この出汁がいいみたいな。
そんな感じの文章に感じましたね。
まあちょっとかなり単調な感じで読んだので、値落ちできてるんじゃないかと思いますがいかがでしょうか。
あとは、このポッドキャストは東京近郊の人が一番視聴者数としては多そうなんですけど、
なんかざっくりとね、人数というか分布が出るんですよ。東京の人、大阪の人、福岡の人、名古屋の人みたいな。
一番分布が大きいのは東京のその分布だったので、知ってるあるいはなじみのある地名が出てきたのかなとも思います。
あとは、風でよく泊まるJR武蔵野線ですが、立川からやっぱり埼玉のぐるりと回って千葉の方まで行きますけどね、
ちゃんと武蔵野してるなって感じですね。そういう意味ではね。
風で泊まるんですよ、あの電車。貨物列車と線路を共有してるんで、すぐ泊まるんだよなぁ。
通勤通学で使ってる人は結構大変だと思いますけど、武蔵野線。
武蔵野線ユーザーは分かる分かるって言ってると思いますけど。
去年、大好きなラーメン屋さんに新座にある禅屋っていう塩ラーメンのお店があるんですけど、そこに食べに行こうと思ったら、
武蔵野線が途中で止まりましてね、何もかも諦めて、飽きつ?飽きつでどうでもいいご飯を食べて、
動かないJR線に見切りをつけて西武線で都内に戻っていくっていうのをやりましたね。
定期的に新座までラーメンを食べに行っています。
はい、じゃあそろそろ終わりにしましょうか。
結構ね、淡々とした文章でしたが、文字の並びとか難しくて、意外と読むのに難儀しました。
はい、まあでもね、そのさっきも言いました通り、ドラマチックな感じではないのでね、
スヤーッと眠れてるんじゃないでしょうか。
はい、無事寝落ちできた方も、最後までお付き合いいただいた方も大変にお疲れ様でございました。
と言ったところで、今日のところはこの辺で。また次回お会いしましょう。
おやすみなさい。