小さい天と書いて、大浜温泉が小説草枕の舞台である名古居温泉のモデルになったと言われています。
冒頭の文章だけ読んだことがある気がするんだよな、この入り口。
みなさんもそうじゃないかなと思うんですけど、やっぱ前文はなかなか読めないもんね。
やっていきましょうか。難しいなー。
難しいな。え、めっちゃ難しいな。これ本物?
本物だな。さすが100年以上前の文豪。難い。
英語とかあるな、どうしよう。やめたくなってきたな。
長い上に難しいとなるとやめたくなってきたな。やるか、でも。
うん、頑張ろう。
どうか、寝落ちまでお付き合いください。
はい、それでは参ります。
草枕
1. 山道を登りながらこう考えた。地に働けば角が立つ。
城に差をさせば流される。維持を通せば窮屈だ。都各に人の世は住みにくい。
住みにくさが凍じると安いところへ引っ越したがなる。
どこへ越しても住みにくいと悟ったとき死が生まれて、絵ができる。
人の世を作った者は神でもなければ鬼でもない。
やはり無効三元領土なりにちらちらするただの人である。
ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。
あれば人出なしの国へ行くばかりだ。
人出なしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。
越すことのならぬ世が住みにくければ、住みにくいところをどれほどかくつろげて、
束の間の命を束の間でも住みよくせねばならん。
ここに詩人という転職ができて、ここに画家という使命が下る。
あらゆる芸術の詩は人の世をのどかにし、人の心を豊かにするがゆえにたっとい。
住みにくき世から住みにくき煩いを引き抜いて、
ありがたい世界を目の当たりに映すのが詩である、絵である。
あるは音楽と彫刻である。
細かに言えば映さないでもよい。
ただ目の当たりに見れば、そこに詩も行き、歌も沸く。
着装を紙に落とさぬとも旧装の恩は矜理に起こる。
男性は画家に向かって、
戸松泉でも御妻の県欄は自ら真顔に映る。
ただ、おのが済むよう、各感じ得て、
礼大法寸のカメラに、業気混濁の続回を、
記憶うららかに納め売ればたる。
このゆえに無性の詩人には一句なく、無職の画家には石鹸なきも、
各人生を感じ得るの点において、各煩悩を下脱するの点において、
各精情界に出入し得るの点において、
また、この不道不事の健康を混流し得るの点において、
我理志欲の規範を相当するの点において、
千金の子よりも万丈の君よりも、
あらゆる続回の長寿よりも幸福である。
世に住むこと二十年にして、
済むに甲斐ある世と知った。
二十五年にして、明暗は氷のごとく、
日の当たるところにはきっと影が射すと悟った。
三十の今日はこう思うている。
喜びの深き時、憂いいよいよ深く、
楽しみの多いなるほど苦しみも大きい。
これを気に晴らそうとすると身が持てぬ。
片付けようとすれば世が立たぬ。
金は大事だ。大事なものが増えれば寝る間も心配だろう。
恋は嬉しい。
嬉しい恋が積もれば恋をせぬ昔はかえって恋しかろ。
閣僚の方は数百万人の足を支えている。
背中には重い天下がおぶさっている。
うまいものも食わねば惜しい。
少し食えば飽きたらぬ。
存分食えば後が不愉快だ。
世の考えがここまで漂流してきた時に、
世の右足は突然すわりの悪い角石の端を踏み損なった。
平行を保つためにすわやと前に飛び出した左足が、
子孫児の産み合わせをするとともに、
世の腰は具合よく頬三尺ほどの岩の上に降りた。
肩にかけた絵の具箱が脇の下から踊り出しただけで幸い何のこともなかった。
立ち上がる時に向こうを見ると、
道から左の方にバケツを伏せたような峰がそびえている。
杉かヒノキか分からない根元から頂きまでことごとく青黒い中に、
山桜が薄赤くだんだらにたなびいて、杉芽がしかと見えぬくらいもやが濃い。
少し手前にハゲ山が一つ。群を抜きに出て真夜に迫る。
上げた側面は巨人の斧で削り去ったが、
鋭き平面をやけに谷の底にうずめている。
てっぺんに見えるのは一本の赤松だろう。
枝の間の空さえはっきりしている。
行く手は二丁ほどできれているが、
高いところから赤いケットが動いてくるのを見ると、
登ればあそこへ出るのだろう。道はすこぶる難儀だ。
土をならすだけならさほど手間もいるまいが、
土の中には大きな石がある。
土は平らにしても石は平らにならん。
石は切り砕いても岩は始末がつかん。
掘り崩した土の上に悠然と傍立って、
我らのために道を譲る景色はない。
向こうでヒカの上は乗り越すか回らなければならん。
岩のないところでさえ歩きよくはない。
左右が高くって中心がくぼんで、
まるで一軒幅を三角に食って、
その頂点が真ん中を貫いていると表してもよい。
道を行くと岩により川底を渡るという方が適当だ。
もとより急ぐ旅でないから、
ぶらぶらと七曲りへかかる。
たちまち足の下でヒバリの声がしだした。
谷を見下ろしたが、
どこで鳴いているか影も形も見えん。
ただ声だけが明らかに聞こえる。
せっせと忙しく絶え間なく鳴いている。
頬いくりの空気が一面にのみに刺されて
いたたまれないような気がする。
あの鳥の鳴く音には瞬時の余裕もない。
のどかな春の日を泣き尽くし、泣き明かし、
また泣き暮らさなければ気が済まぬと見える。
その上どこまでも昇っていく。
いつまでも昇っていく。
ヒバリはきっと雲の中で死ぬに相違ない。
のぼり詰めた挙句は流れて雲に行って、
漂っているうちに形は消えてなくなって、
ただ声だけが空の内に残るのかもしれない。
岩角を鋭く回って、
アンマなら真っ逆さまに落ちるところを
際どく右へ切れて、
横に見下ろすと名の花が一面に見える。
ヒバリはあそこへ落ちるのかと思った。
いや、あの黄金の花から
飛び上がってくるのかと思った。
次には落ちるヒバリと上がるヒバリが
十文字にすれ違うのかと思った。
最後に落ちる時も上がる時も
また十文字にすれ違う時にも
元気よく泣き続けるだろうと思った。
春は眠くなる。
猫はネズミを取ることを忘れ、
人間は借金のあることを忘れる。
時には自分の魂の居所さえ忘れて
正体なくなる。
ただ、名の花を遠く望んだ時に目が覚める。
ヒバリの声を聞いた時に
魂の在り処が反然する。
ヒバリの泣くのは口で泣くのではない。
魂全体が泣くのだ。
魂の活動が声に現れた者のうちで
あれほど元気のある者はない。
ああ、愉快だ。
こう思って、こう愉快になるのが死である。
たちまちシェレイのヒバリの死を思い出して
口の内で覚えたところだけ暗唱してみたが
覚えているところは2、3句しかなかった。
その2、3句の中にこんなのがある。
We look before and after and pine for what is not.
Our sincerest laughter with some pain is fraught.
Our sweetest songs are those that tell of saddest thoughts.
前を見ては、シレイを見ては物欲しと憧るるかなわれ。
腹からの笑いといえど苦しみの底にあるべし。
美しき極みの詩に悲しさの極みの思い
こもるとぞ死で。
なるほど、いくら詩人が幸福でも
あのヒバリのように思い切って
一心不乱に前後を忘却して
我が喜びを歌うわけには行くまい。
西洋の詩は無論のこと
シナの詩にもよく万国の憂いなどという字がある。
詩人だから万国で素人なら一号で済むかもしれん。
してみると、詩人は常の人よりも苦労症で
盆骨の倍以上に神経が鋭敏なのかもしれん。
徴族の喜びもあろうが無料の悲しみも多かろう。
そうならば詩人になるのも考えものだ。
しばらくは道が平らで
右は雑木山、左は菜の花の見続けである。
足の下に時々タンポポを踏みつける。
のこぎりのような葉が遠慮なく四方へのして
真ん中に黄色の玉を擁護している。
菜の花に気を取られて踏みつけた後で
気の毒なことをしたと振り向いてみると
黄色の玉は依然としてのこぎりの中に鎮座している。
のんきなものだ。また考えを続ける。
詩人に憂いはつきものかもしれないが
あのひばりを聞く心持ちになればみじんのくもない。
菜の花を見てもただ嬉しくて胸が躍るばかりだ。
タンポポもその通り。桜も。
桜はいつか見えなくなった。
この山の中へ来て自然の景物に接すれば
見るものも聞くものも面白い。
面白いだけで別段の苦しみも起こらん。
起こるとすれば足がくたぶれて
うまいものが食べられんくらいのことだろう。
しかし苦しみのないのはなぜだろう。
ただこの景色を一服の絵として見
一貫の詩として読むからである。
画であり詩である以上は地面をもらって開拓する木にもならねば
鉄道をかけて人儲けする良権も起こらん。
あそこに竜巻橋って橋がありましょ?
え?
ああ、そいつも知らねえかねえ。竜巻橋は名台な橋だがねえ。
おい、もう少しシャボンをつけてくれないか。痛くっていけない。
ああ、伊藤勝かい。わっちゃ干渉がでねえ。
どうもこうやって逆ずれをつけて一本一本ひげの穴を掘らなくっちゃ気が沈んでんだから。
なあに、今時の職人なあ。
そるんじゃねえ。撫でるんだ。もう少しだ。我慢をしなせえ。
我慢はさっきからもうだいぶしたよ。
お願いだからもう少し床、シャボンをつけてくれ。
我慢しきれねえかねえ。そんなに痛くはねえはずだが。
全体ひげがあんまり伸びすぎてるんだ。
やけに頬の肉をつまみ上げた手を残念そうに離した親方は、
棚の上から薄っぺらな赤い石鹸を取り下ろして水の中にちょっと浸したと思ったら、
それなり世の顔をもんべんなく塩を撫で回した。
裸石鹸を顔に塗りつけられたことはあまりない。
しかもそれを濡らした水は幾日前に汲んだため浮きかと考えるとあまりゾッとしない。
既に神寄り床である以上は、お客の権利として与は鏡に向かわなければならん。
しかし与はさっきからこの権利を放棄したく考えている。
鏡という道具は平らにできて、なだらかに人の顔を映さなくては義理が立たん。
もしこの性質が、備わらない鏡をかけてこれに向かえと強いるならば、
強いる者は下手な写真師と同じく、無効者の器量を故意に損害したと言わなければならん。
共栄心を挫くのは収容上一種の方便かもしれんが、何も己の進化以下の顔を見合わせて、
これがあなたですよとこちらを侮辱するには及ぶまい。
今与が辛抱して向かい合うべき余儀なくされている鏡は確かに最善から与を侮辱している。
右を向くと顔中はなになる。左を出すと口が耳元まで裂ける。
仰向くと引きがえるお前から見たように真っ平らに押しつぶされ、
少し凝むと福祿寺の申し子のように頭が競り出してくる。
いやしくもこの鏡に対する間は一人でいろいろな化け物を献金しなくてはならん。
映る我が顔の美術的ならぬ、まず我慢するとしても、
鏡の構造やら色合いや銀紙のハゲ落ちて光線が通り抜ける模様などを総合して考えると、
この道具そのものから集大を極めている。
精進からバリされる時、バリそれ自身は別に通用を感ぜぬが、
その精進の面前に気がしなければならぬとすれば、誰しも不愉快だろう。
その上、このお館がただのお館ではない。
外から覗いた時はあぐらをかいて、
長着セルでおもちゃの日英同盟国旗の上へしきりに煙草を吹きつけて、
さも退屈げに見えたが、入って我が首の処置を託する段になって驚いた。
髭をする間は首の所有権は全くお館の手にあるのか、
はた幾分かを世の上にも損するのか、一人で疑い出したくらい容赦なく取り扱われる。
世の首が肩の上に釘付けにされているにしても、これでは長く持たない。
彼は髪ソルをフルルルに当たって、拷問文明の法則を介しておらん。
頬に当たる時はガリリと音がした。
揉み上げのところではゾキリと動脈が鳴った。
顎のあたりにリジンがひらめく地面には、ゴリゴリゴリゴリと下柱を踏みつけるような怪しい声が出た。
しかも本人は日本一の手腕を有する親方をもって辞任している。
最後に彼は酔っぱらっている。
だんなあ、というたんび妙な臭いがする。
時々は稲荷草を世が花柱へ吹きかける。
これではいつ何時髪ソルがどう間違ってどこへ飛んでいくか分からない。
使う当人にさえ半全たる計画がない以上は、顔を化したように推察のできようはずがない。
徳信族で任せた顔だから、少しの怪我なら苦情は言わないつもりだが、急に気が変わって、のど笛でもかき切られてはことだ。
シャボンなんぞつけてソルな。腕が生なんだが。
だんなのはヒゲがひねだから仕方があるめえ。
と言いながら親方は裸石鹸を裸のまま棚の上で放り出すと、
シャボンは親方の命令に背いて地面の上へ転がりをした。
「だんな、あんまり見受けねえようだが、なんですかい?近頃きなすったんかい?」
「二、三日前に来たばかりさ。」
「はあ、どこにいるんですい?」
「塩田に泊まってるよ。」
「ああ、あそこのお客さんすか。お方そんなことだろうと思ってさ。
実は、あたしもあの陰居さんを頼ってきたんですよ。
なにね、あの陰居が東京にいた時分、わしが近所にいて。
それで知ってんのさ。いい人でさ。もののわかったね。
去年ご親族が死んじまって、今じゃ道具ばかり引きねくってんのが、
なんでも素晴らしいものがあると言いますよ。
売ったらよっぽど金目になるだろうって話さ。」
「きれいなお嬢さんがいるじゃないか。」
「あぶねえねえ。」
「ん?なにが?」
「なにがって旦那の命だが、あれで出戻りですで。」
「ああ、そうかい。」
「爽快どころの騒ぎじゃねえんだね。
全体なら出てこなくてもいいところをさ。
銀行が潰れて出たかができねえって出ちまったんだからギリが悪いやねえ。
陰居さんが愛しているうちはいいが、もしものことがあった日には、
報返しがつかねえわけになりまさ。」
「そうかなあ。」
「当たり前でさ。本家の兄貴たちは仲が悪いしさ。」
「おお、本家があるのかい。」
「うん。本家は丘の上にありまさ。遊びに行ってご覧なさい。景色のいいところですよ。」
「おい、もういっぺんシャボンをつけてくれないか。また痛くなってきた。」
「ふんふん。よく痛くなるひげだねえ。ひげが怖すぎるからだ。
旦那のひげじゃ三日に一度はぜひソリを当てなくちゃだめですぜ。
わしのソリで痛ければどこ行ったって我慢できん子ねえ。」
「うん。これからそうしよう。毎日来てもいい。」
「そんなに長く通る席なんですか?
あぶねえ。おやおやしなせ。
息もねえこった。
ろくでもねえものにひっかかってどんな目にあうかわかりませんぜ。」
「ああ、どうして。」
「旦那、あの娘は面はいいようだが、ほんとうは気じるしですぜ。」
「なぜ?」
「なぜって旦那。村のもんはみんなキチゲーだって言ってんねえさ。」
「そりゃあ何かの間違いだろう。」
「だってゲーに証拠があんだから。おやおやしなせ。けんのんだ。」
「俺は大丈夫だが、どんな証拠があるんだい?」
「おかしな話だね。まあゆっくりタバコでも飲んでおいでなせ。話すから。
頭洗いましょうか。」
「頭は良そう。ふけだけ落としておくかね。」
親方は赤のたまった十本の爪を遠慮なく、与賀頭蓋骨の上に並べて、
断りもなく前後に猛烈に運動を開始した。
この爪が黒髪の根を一本ごとに押し分けて、
不毛の狂、巨人の熊手が疾風の速度で通るが如くに往来す。
与賀頭に何十万本の髪の毛が生えているか知らんが、
ありとある毛がごとごとくに猫毛にされて、
残る地面がべたい地面に、めめずばれに膨れ上がった上、
余生が地盤を通して骨から脳みそまで浸透を感じたくらい激しく、
親方は与の頭を掻き回した。
「どうです。いい心持ちでしょう?」
「非常なる圧腕だ。」
「え?」
「ここやると誰でもサッパリするからね。」
「首が抜けそうだよ。」
「そんなに蹴った類が好かい?まったく陽気の加減だね。
どうもハルてやつはやに身体から怠けやがって。
まあ、一方わかんなさい。一人で正談に行っちゃ退屈でしょう。
「ちょ、話においでなぜ。どうも江戸っ子は江戸っ子同士でなくちゃ話が合わねえもんだが。」
「なんですかい?やっぱりあのお嬢さんがお相手さんに出てきますかい?」
「どうもサッパシー見栄えのない女だから困っちまうわ。」
お嬢さんがどうとかしたところで、
「ふけが飛んで首が抜けそうになったっけ?」
「ははは、ちげえね。ガンガラガンだから、
からっきし話に締まりがねえったわね。
そこでその坊主が乗せちまって。」
「その坊主とはどこの坊主だい?」
「関海一のなっしょ坊主がさ。」
「うーん、なっしょにも十二にも坊主はまだ一人も出てきてねえんだ。」
「ああ、そうか。せっかちだからいけねえ。
にがんばっちった。いろいろできそうな坊主だったが、そいつがお前さん、
れっこに参っちまってとうとう不味をつけたんだ。」
「あれ?おやー待てよ。くどいたんだっけかな?」
「いんや。不味だ。不味にちげえねえ。すると、こうと、
うーん、なんだか、言い方が少し変だぜ。」
「うーん、そうか。やっぱりそうか。するていとうやっこさん、
おどろいちまってかあに。」
「ん?だれがおどろいたんだい?」
「あ、女がさ。女が不味を受け取っておどろいたんだね。
ところが、おどろくような女ならしおらしいんだが、
おどろくどころじゃねえ。」
「じゃあ、だれがおどろいたんだい?」
「くどいたほうがさ。」
「ん?くどかないんじゃないのか?」
「ああ、ええ、じれって。まちがってら。不味をもらってさ。」
「それじゃ、やっぱり女だろう。」
「男がさ。」
「男ならその坊主だろう?」
「ええ、その坊主がさ。」
「坊主がどうしておどろいたんかい?」
「どうしたって。本堂で和尚さんとお経をあげてると、
いきなりあの女が飛び込んできて。」
「ふふふ、どうしても気じるしだね。」
「どうかしたのかい?」
「そんなにかわいいなら仏様の前で一緒に寝ようって出し抜けに
大安さんのくびっ玉かじりついたんでさ。」
「へえ。」
「めんくらったなあ、大安さん。
」
「死んだ?」
「ああ、死んだろうと思うのさ。
生きちゃえられねえ。」
「うーん、なんとも言えない。」
「そうさ、相手がきちがいじゃ死んだって冴えねえから
ことによると生きてるかもしれねえねえ。」
「なかなか面白い話だな。」
「面白いの面白くないのって。
村中大笑いでさ。
ところが当人だけは寝が気が違ってるんだから
シャーシャーして平気なもんで。
なあに、旦那のようにしっかりしてりゃ大丈夫ですがねえ。
相手が相手だから滅多にからかったりなんかすると
大変な目に遭いますよ。」
「ふん、じっとは気を付けるからねえ。」
「ははは。」
生ぬるい磯から塩気のある春風が
ふわりふわりと来て
お館ののれんを眠たそうにあおる。
身を端にしてその下をくぐり抜ける
ツバメの姿がひらりと鏡のうちに落ちてゆく。
向こうの家では
六十ばかりのおじいさんが
のぎしゃにうずくまりながら黙って貝をむいている。
かしゃりとさすがが当たるたびに
赤い身がざるの中にかくれる。
殻はきらりと光って
二尺あまりのかげろうを向こうへよこぎる。
丘のごとくにうず高く
つめあげられた貝がらは
かきかばかかまてがいか。
くずれた幾弁は砂川の底に落ちて
浮世の表から暗い国へほむられる。
ほむられるあとからすぐ
新しい貝が柳の下へたまる。
じいさんは貝の行方を考えうる
ひまさえなくただむなしき
殻をかげろうの上へほおりだす。
彼のざるにはささうべきそこなくして