1. 寝落ちの本ポッドキャスト
  2. 177夏目漱石「草枕」前(朗読)
2025-10-30 2:06:43

177夏目漱石「草枕」前(朗読)

177夏目漱石「草枕」(朗読)

とかく人の世は住みにくい

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サマリー

夏目漱石の『草枕』は、日露戦争時代を背景に30歳の洋画家が熊本県の名古居温泉を訪れる物語です。主人公は非人情の境地を求めながら、人の世の住みにくさや詩や絵の力について考察しています。このエピソードでは、『草枕』の朗読を通じて、詩と人情の関係、自然との調和についての深い考察が行われています。また、登場人物の心情や風景描写を通じて、読者は作者の独特な視点を体験します。 『草枕』は、草野心平の生き様や風景を通して日本の自然や人生の美しさを描写しています。主人公は、祖母との交流を通じて心の通じ合いを感じ、豊かな自然の中で懐かしさや優しさを体験しています。 さらに、主人公の旅の中での不思議な体験や感情が描かれており、内面的な葛藤が強調されています。物語は、夜の宿での夢や幻想的な出来事を通じて、深い思索と芸術についての考察が展開されています。 『草枕』では、詩人の内面的な葛藤や創作への姿勢が描かれ、詩の構造や情感、日常の中での創作の瞬間が深く掘り下げられています。人物の複雑な感情や状況も描写され、主人公の視点を通じた日常生活での発見や気づきが表現されています。 人物の対話を通じて静謐さや人間関係の微妙な感情が描かれ、彼らの価値観や文化的背景が話に織り交ぜられています。これによって、彼らの生活や思考が豊かに表現されています。 主人公の内面的な葛藤や日常の人間関係も描かれ、特に鏡や職人とのやり取りを通じて自己認識や美の概念について深く掘り下げられています。また、静かな春の景色の中で内面的な矛盾や人間関係について考える主人公の感受性や思索が描写されており、物質と精神の関係や春の風景と人々の営みの調和が表現されています。 朗読では、芸術と人間の感覚との関係が探求され、作者が絵を描く過程における内面的な葛藤や自然界との対比が描かれています。心持ちを表現することの難しさも語られています。 さらに、『草枕』を通じて春の景色や人の心情が描かれ、春の訪れとその美しさ、人生や死についての深い考察が織り交ぜられています。特に、性的な美や裸体に対する考察を交えつつ近代芸術とその影響についても触れられています。

草枕の背景
寝落ちの本ポッドキャスト。
こんばんは、Naotaroです。
このポッドキャストは、あなたの寝落ちのお手伝いをする番組です。
タイトルを聞いたことがあったり、実際に読んだこともあるような本、
それから興味深そうな本などを淡々と読んでいきます。
エッセイには面白すぎねえツッコミを入れることもあるかもしれません。
作品は全て青空文庫から選んでおります。
ご意見・ご感想・ご依頼は、公式Xまでどうぞ。
寝落ちの本で検索してください。
また、ベッド投稿フォームもご用意しました。
リクエストなどをお寄せください。
それと、まだしてないよという方、どうぞ番組のフォローをよろしくお願いします。
それから最後に、お日に入りを投げてもいいよという、
粋な兄さん方、姉さん方、概要のリンクからぜひよろしくお願いします。
さて、今日は大物ですね。
夏目漱石さんの草枕です。
文字数は9万5千字だそうなので、前後に分かれると思います。
そうですね。2時間と、この前の写用も9万9千字で、
2時間と1時間半に分かれたので、同じような前後構成になろうかと思いますね。
あらすじです。
日露戦争時代を背景に、30歳の洋画家である主人公が非人情の境地を求めて、
熊本県の山中にある温泉宿、名古居を訪れる物語だそうです。
夏目漱石が九州で英語教授をしていた時期に訪れた大浜温泉。
小さいという字に天井の天と書いて、大浜ですね。
住みにくさの哲学
小さい天と書いて、大浜温泉が小説草枕の舞台である名古居温泉のモデルになったと言われています。
冒頭の文章だけ読んだことがある気がするんだよな、この入り口。
みなさんもそうじゃないかなと思うんですけど、やっぱ前文はなかなか読めないもんね。
やっていきましょうか。難しいなー。
難しいな。え、めっちゃ難しいな。これ本物?
本物だな。さすが100年以上前の文豪。難い。
英語とかあるな、どうしよう。やめたくなってきたな。
長い上に難しいとなるとやめたくなってきたな。やるか、でも。
うん、頑張ろう。
どうか、寝落ちまでお付き合いください。
はい、それでは参ります。
草枕
1. 山道を登りながらこう考えた。地に働けば角が立つ。
城に差をさせば流される。維持を通せば窮屈だ。都各に人の世は住みにくい。
住みにくさが凍じると安いところへ引っ越したがなる。
どこへ越しても住みにくいと悟ったとき死が生まれて、絵ができる。
人の世を作った者は神でもなければ鬼でもない。
やはり無効三元領土なりにちらちらするただの人である。
ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。
あれば人出なしの国へ行くばかりだ。
人出なしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。
越すことのならぬ世が住みにくければ、住みにくいところをどれほどかくつろげて、
束の間の命を束の間でも住みよくせねばならん。
ここに詩人という転職ができて、ここに画家という使命が下る。
あらゆる芸術の詩は人の世をのどかにし、人の心を豊かにするがゆえにたっとい。
住みにくき世から住みにくき煩いを引き抜いて、
ありがたい世界を目の当たりに映すのが詩である、絵である。
あるは音楽と彫刻である。
細かに言えば映さないでもよい。
ただ目の当たりに見れば、そこに詩も行き、歌も沸く。
着装を紙に落とさぬとも旧装の恩は矜理に起こる。
男性は画家に向かって、
戸松泉でも御妻の県欄は自ら真顔に映る。
ただ、おのが済むよう、各感じ得て、
礼大法寸のカメラに、業気混濁の続回を、
記憶うららかに納め売ればたる。
このゆえに無性の詩人には一句なく、無職の画家には石鹸なきも、
各人生を感じ得るの点において、各煩悩を下脱するの点において、
各精情界に出入し得るの点において、
また、この不道不事の健康を混流し得るの点において、
我理志欲の規範を相当するの点において、
千金の子よりも万丈の君よりも、
あらゆる続回の長寿よりも幸福である。
世に住むこと二十年にして、
済むに甲斐ある世と知った。
二十五年にして、明暗は氷のごとく、
日の当たるところにはきっと影が射すと悟った。
三十の今日はこう思うている。
喜びの深き時、憂いいよいよ深く、
楽しみの多いなるほど苦しみも大きい。
これを気に晴らそうとすると身が持てぬ。
片付けようとすれば世が立たぬ。
金は大事だ。大事なものが増えれば寝る間も心配だろう。
恋は嬉しい。
嬉しい恋が積もれば恋をせぬ昔はかえって恋しかろ。
閣僚の方は数百万人の足を支えている。
背中には重い天下がおぶさっている。
うまいものも食わねば惜しい。
少し食えば飽きたらぬ。
存分食えば後が不愉快だ。
世の考えがここまで漂流してきた時に、
世の右足は突然すわりの悪い角石の端を踏み損なった。
平行を保つためにすわやと前に飛び出した左足が、
子孫児の産み合わせをするとともに、
世の腰は具合よく頬三尺ほどの岩の上に降りた。
肩にかけた絵の具箱が脇の下から踊り出しただけで幸い何のこともなかった。
立ち上がる時に向こうを見ると、
道から左の方にバケツを伏せたような峰がそびえている。
杉かヒノキか分からない根元から頂きまでことごとく青黒い中に、
山桜が薄赤くだんだらにたなびいて、杉芽がしかと見えぬくらいもやが濃い。
少し手前にハゲ山が一つ。群を抜きに出て真夜に迫る。
上げた側面は巨人の斧で削り去ったが、
鋭き平面をやけに谷の底にうずめている。
てっぺんに見えるのは一本の赤松だろう。
枝の間の空さえはっきりしている。
行く手は二丁ほどできれているが、
高いところから赤いケットが動いてくるのを見ると、
登ればあそこへ出るのだろう。道はすこぶる難儀だ。
土をならすだけならさほど手間もいるまいが、
土の中には大きな石がある。
土は平らにしても石は平らにならん。
石は切り砕いても岩は始末がつかん。
掘り崩した土の上に悠然と傍立って、
我らのために道を譲る景色はない。
向こうでヒカの上は乗り越すか回らなければならん。
岩のないところでさえ歩きよくはない。
左右が高くって中心がくぼんで、
まるで一軒幅を三角に食って、
その頂点が真ん中を貫いていると表してもよい。
道を行くと岩により川底を渡るという方が適当だ。
もとより急ぐ旅でないから、
ぶらぶらと七曲りへかかる。
たちまち足の下でヒバリの声がしだした。
谷を見下ろしたが、
どこで鳴いているか影も形も見えん。
ただ声だけが明らかに聞こえる。
せっせと忙しく絶え間なく鳴いている。
頬いくりの空気が一面にのみに刺されて
いたたまれないような気がする。
あの鳥の鳴く音には瞬時の余裕もない。
のどかな春の日を泣き尽くし、泣き明かし、
また泣き暮らさなければ気が済まぬと見える。
その上どこまでも昇っていく。
いつまでも昇っていく。
ヒバリはきっと雲の中で死ぬに相違ない。
のぼり詰めた挙句は流れて雲に行って、
漂っているうちに形は消えてなくなって、
ただ声だけが空の内に残るのかもしれない。
岩角を鋭く回って、
アンマなら真っ逆さまに落ちるところを
際どく右へ切れて、
横に見下ろすと名の花が一面に見える。
ヒバリはあそこへ落ちるのかと思った。
いや、あの黄金の花から
飛び上がってくるのかと思った。
次には落ちるヒバリと上がるヒバリが
十文字にすれ違うのかと思った。
最後に落ちる時も上がる時も
また十文字にすれ違う時にも
元気よく泣き続けるだろうと思った。
春は眠くなる。
猫はネズミを取ることを忘れ、
人間は借金のあることを忘れる。
時には自分の魂の居所さえ忘れて
正体なくなる。
ただ、名の花を遠く望んだ時に目が覚める。
ヒバリの声を聞いた時に
魂の在り処が反然する。
ヒバリの泣くのは口で泣くのではない。
魂全体が泣くのだ。
魂の活動が声に現れた者のうちで
あれほど元気のある者はない。
ああ、愉快だ。
こう思って、こう愉快になるのが死である。
たちまちシェレイのヒバリの死を思い出して
口の内で覚えたところだけ暗唱してみたが
覚えているところは2、3句しかなかった。
その2、3句の中にこんなのがある。
We look before and after and pine for what is not.
Our sincerest laughter with some pain is fraught.
Our sweetest songs are those that tell of saddest thoughts.
前を見ては、シレイを見ては物欲しと憧るるかなわれ。
腹からの笑いといえど苦しみの底にあるべし。
美しき極みの詩に悲しさの極みの思い
こもるとぞ死で。
なるほど、いくら詩人が幸福でも
あのヒバリのように思い切って
一心不乱に前後を忘却して
我が喜びを歌うわけには行くまい。
西洋の詩は無論のこと
シナの詩にもよく万国の憂いなどという字がある。
詩人だから万国で素人なら一号で済むかもしれん。
してみると、詩人は常の人よりも苦労症で
盆骨の倍以上に神経が鋭敏なのかもしれん。
徴族の喜びもあろうが無料の悲しみも多かろう。
そうならば詩人になるのも考えものだ。
しばらくは道が平らで
右は雑木山、左は菜の花の見続けである。
足の下に時々タンポポを踏みつける。
のこぎりのような葉が遠慮なく四方へのして
真ん中に黄色の玉を擁護している。
菜の花に気を取られて踏みつけた後で
気の毒なことをしたと振り向いてみると
黄色の玉は依然としてのこぎりの中に鎮座している。
のんきなものだ。また考えを続ける。
詩人に憂いはつきものかもしれないが
あのひばりを聞く心持ちになればみじんのくもない。
菜の花を見てもただ嬉しくて胸が躍るばかりだ。
タンポポもその通り。桜も。
桜はいつか見えなくなった。
この山の中へ来て自然の景物に接すれば
見るものも聞くものも面白い。
面白いだけで別段の苦しみも起こらん。
起こるとすれば足がくたぶれて
うまいものが食べられんくらいのことだろう。
しかし苦しみのないのはなぜだろう。
ただこの景色を一服の絵として見
一貫の詩として読むからである。
画であり詩である以上は地面をもらって開拓する木にもならねば
鉄道をかけて人儲けする良権も起こらん。
自然の力と人間の感情
ただこの景色が腹の足しにもならぬ
月球の補いにもならぬこの景色が景色としてのみ
世が心を楽しませつつあるから
苦労も心配も伴わんのだろう。
自然の力はここにおいてたっとい。
誤人の性情を淳酷に投与して
純子として純なる至強にいらしめるのは自然である。
恋は美しかろ。
恋も美しかろ。
忠君愛国も結構だろう。
しかし自身がその極に当たれば
利害のつむじに巻き込まれて
美しきことにも結構なことにも迷惑らんでしまう。
したがってどこに詩があるか自身にはげしかねる。
これがわかるためには
わかるだけの余裕のある第三者の地に立たねばならん。
三者の地に立てばこそ芝居は見て面白い。
小説も見て面白い。
芝居を見て面白い人も小説を読んで面白い人も
自己の利害は棚へあげている。
見たり読んだりする間だけは詩人である。
それすら普通の芝居や小説では人情を免れぬ。
苦しんだり怒ったり騒いだり泣いたりする。
見る者もいつかその中に同化して
苦しんだり怒ったり騒いだり泣いたりする。
とりえは利欲から交わるという点に損するかもしれんが
交わるだけにその他の情緒は常より余計に活動するだろう。
それが嫌だ。
苦しんだり怒ったり騒いだり泣いたりは人のようにつきものだ。
詩と人情の関係
世も三十年の間それを主導して飽き飽きした。
飽き飽きした上に芝居や小説で同じ刺激を繰り返しては大変だ。
床ほっする詩はそんな世間的な人情を鼓舞するようなものではない。
俗年を放棄してしばらくでも人界を離れた心持ちになれる詩である。
いくら傑作でも人情を離れた芝居はない。
利否を絶死した小説は少なからお。
どこまでも世間を出ることができるのが彼らの特色である。
ことに西洋の詩になると人事が根本になるから
いわゆる詩家の純粋になる者もこの境を下脱することを知らん。
どこまでも同情だとか愛だとか正義だとか自由だとか
浮世の観光場にある者だけでいようを弁じている。
いくら詩的になっても地面の上を駆けて歩いて
銭の感情を忘れる暇がない。
チェレイがひばりを聞いて探索したのも無理はない。
嬉しいことに東洋の詩家はそこを下脱したのがある。
菊を取る通りの下、悠然として南山を見る。
ただそれぎりのうちに厚苦しい世の中をまるで忘れた光景が出てくる。
垣の向こうに隣の娘が覗いているわけでもなければ
南山に親友が放食している次第でもない。
徴然と出世間的に利害存続の汗を流し去った心持ちになれる。
一人有効の家に座し金を断じてまた長生す。
森林人知らず明月来たりて藍照らす。
ただ二十時のうちに夕に別健婚を婚留している。
この健婚の苦毒はホトトギスやコンジキア社の苦毒ではない。
寄せん、寄社、権利、義務、道徳、礼儀で疲れ果てた後に
全てを忘却してぐっすり寝込むような苦毒である。
二十世紀に睡眠が必要ならば
二十世紀にこの出世間的な趣味は大切である。
惜しいことに今の詩を作る人も詩を読む人も
みんな西洋人にかぶれているから
わざわざのんきな編集を浮かべて
この桃源に遡る者はないようだ。
両はもとより詩人を職業にしておらんから
王位や縁名の境界を今のように布教して広げようという心がけもない。
ただ自分にはこういう環境が
演芸会よりも舞踏会よりも薬になるように思われる。
ファーストよりもハムレットよりもありがたく考えられる。
こうやってただ一人、絵具箱と三脚木を担いで
春の山地をのそのす歩くのも全くこれがためである。
縁名、王位の詩教を直接に自然から吸収して
少しの間でも否認状の天地に従用したいからの願い
一つの推教だ。
もちろん人間の一分子だから
いくら好きでも否認状はそう長く続くわけにはいかん。
縁名だって年が年中何山を見つめていたのでもあるまいし
自然との調和
王位も転んで竹矢部の中にかやわずらずに寝た男でもなかろう。
やはり余った菊は花屋へ売り子化して
生えたタケノコは八百屋へ払い下げたものと思う。
こういう世もその通り。
いくらヒバリと菜の花が気に入ったって
山の中へ野宿するほど否認状が募ってはおらん。
こんなところでも人間に合う。
人陣場所裏のほうかむりや赤い腰巻きの姉さんや
時には人間より顔の長い馬にまで合う。
百万本のヒノキに取り囲まれて
海面を抜く何百尺かの空気を飲んだり吐いたりしても
人の匂いはなかなかとれない。
そういうところか山を越えて落ち着く先の
今宵の宿は名古居の温泉場だ。
ただ物は御用でどうでもなる。
レオナルド・ダ・ヴィンチが弟子に告げた言葉に
あの鐘の音を聞け。
鐘は一つだが音はどうとも聞かれる。とある。
一人の男一人の女も御用次第で
いかい音も見たてがつく。
どうせ否認状を信じかけた旅だから
そのつもりで人間を見たら
御用工事の何軒目に狭苦しく暮らしたときとは違うだろう。
よし、全く認状を離れることができんでも
せめて御能拝見のときぐらいは
淡い心持にはなれそうなものだ。
能にも認状はある。
七喜喜でも墨田川でもなかんとは保証ができん。
しかしあれは上三部下七部で見せる技だ。
我らが能から受ける有難みは
下界の認状をよくそのままに映す
敵輪から出てくるのではない。
そのままのうえ芸術という着物を何枚も着せて
世の中にやるまじき悠長な振舞いをするからである。
しばやくこの旅中に起こる出来事と
旅中に出会う人間を能の仕組みと
能役者の所作に見立てたらどうだろう。
まるで認状を捨てるわけにはいくまいが
根が私的にできた旅だから
非認状のやりついでになるべき石鹸して
そこまでは漕ぎつけたいものだ。
南山や幽光とは太刀の違ったものに相違ないし
またヒバリや菜の花と一緒にすることもできまいが
なるべくこれに近づけて
登場人物の心情描写
近づけ得る限りは
同じ観察点から人間を見てみたい。
馬匠という男は
枕元へ馬が威張りをするのさえ
いかなことと見立ててホックにした。
世もこれから会う人物を
百姓も長人も村役場の初期も
じいさんも婆さんも
ことごとく大自然の典型として
描き出されたものと仮定して取りこなしてみよう。
もっとも画中の人物と違って
彼らはおのがじし勝手な真似をするだろう。
しかし普通の小説家のように
その勝手な真似の根本を探って
心理作用に立ち入ったり
人事葛藤の善義立てをしては俗になる。
動いてもかまわない。
画中の人間が動くとみれば差し支えない。
画中の人物はどう動いても
平面以外に出られるものではない。
平面以外に飛び出して
立法的に働くと思えばこそ
こっちと衝突したり
利害の交渉が起こったりして面倒になる。
面倒になればなるほど
美的に見ているわけにいかなくなる。
これから会う人間には
朝前と冬季上から見物する気で
人情の電気がむやみに
双方で起こらないようにする。
そうすれば相手がいくら働いても
こちらの懐には容易に飛び込めないわけだから
つまりは絵の前に立って
画中の人物が画中のうちを
あちらこちらと騒ぎ回るのを見るのと
同じわけになる。
間三尺も隔てていれば
落ち着いて見られる。
危なげなしに見られる。
言葉を変えて言えば
利害に気を奪われないから
全力を挙げて彼らの動作を
芸術の方面から観察することができる。
余念もなく
美か美でないかと
観識することができる。
ここまで決心をしたとき
空が怪しくなってきた。
煮え切らない雲が
頭の上へもたれかかっていたと思ったが
いつの間にか崩れ出して
四方はただ雲の海かと
怪しまれる中から
しとしとと春の雨が降り出した。
七葉の跡区に通り越して
今は山と山の間を行くのだが
雨の糸が細やかで
ほとんど霧を欺くくらいだから
隔たりはどれほどかわからん。
時々風が来て
高い雲を吹き払うとき
薄黒い山の背が右手に見えることがある。
何でも谷一つ隔てて向こうが
脈の走っているところらしい。
左はすぐ山の裾と見える。
深くこめる雨の奥から
松らしいものがちょくちょく顔を出す。
出すかと思うと隠れる。
雨が動くのか
木が動くのか
夢が動くのか。
なんとなく不思議な心持ちだ。
道は存外広くなって
かつ平らだから
歩くに骨は折れんが
雨具の用意がないので急げ。
帽子から雨垂れがポタリポタリと落つる頃
五六軒先から鈴の音がして
黒い中から孫がふうと現れた。
ここらに休むところはないかね。
もう十五町行くと茶屋がありますよ。
だいぶ濡れたね。
まだ十五町かと振り向いているうちに
孫の姿は影絵のように雨に包まれて
またふうと消えた。
ぬかのように見えた粒は
次第に太く長くなって
今は一筋ごとに風に巻かれる様までが目にいる。
羽織は特に濡れ尽くして
畑に染み込んだ水が
体のぬくもりで生温かく感じられる。
気持ちが悪いから帽を傾けてスタスタ歩く。
ぼうぼうたる薄墨色の世界を
幾畳の銀線が斜めに走る中を
ひたばるに濡れていく我を
我ならぬ人の姿と思えば死にもなる。
苦にも読まれる。
ありていなる己を忘れ尽くして
純客観に目をつくるとき
初めて我は画中の人物として
自然の景物と美しき調和を保つ。
ただ降る雨の心苦しくて
踏む足の疲れたるを気にかける瞬間に
我はすでに支柱の人にもあらず
がりの人にもあらず
依然として姿勢の位置重視に過ぎぬ。
雲煙飛動の趣向も目にいらぬ。
落下低潮の情けも心に浮かばぬ。
少々として一人春山を行く我の
如何に美しきかは尚更に返せぬ。
はじめは帽を傾けて歩いた。
後にはただ足の甲のみを見つめて歩いた。
終わりには肩をすぼめておそろおそろ歩いた。
雨はまんもくの樹梢を動かして
四方より骨格に迫る。
否認状がちと強すぎたようだ。
二、
「おい!」と声をかけたが返事がない。
のけ下から奥を覗くと
すずけた障子がたてきってある。
向こう側は見えない。
五六足のわらじがさびしそうに
日差しからつづされて
くったくげにふらりふらりと揺れる。
下に駄菓子の箱が三つばかり狙んで
そばに五輪船と文宮船が散らばっている。
「おい!」とまた声をかける。
土間の隅に肩寄せてある鶯の上に
ふくれていた鶏が驚いて目をさます。
ククク、クククと騒ぎ出す。
敷居の外に土べっついが
いましわたの雨にぬれて
半分ほど色が変わっている上に
真っ黒の茶窯がかけてあるが
土の茶窯か銀の茶窯かわからない。
幸い下は焚きつけてある。
返事がないから無断でずっと入って
将棋の上へ腰を下ろした。
鶏は羽ばたきをして鶯から飛び降りる。
今度は畳の上へ上がった。
将棋が閉めてなければ
奥まで駆け抜ける木かもしれない。
鶯が太い声でコケコッコと言うと
メスガメ細い声でケケコッコと言う。
まるで要は狐か犬のように考えているらしい。
将棋の上には一生待つほどの
煙草盆が静寒にひかえて
中にはとぐろをまいた線香が
火のうつるのを知らぬ顔で
すこぶる悠長にいぶっている。
雨は次第におさまる。
しばらくすると奥の方から足音がして
すずけた将棋がさらりとあわく。
中から一人の婆さんが出る。
どうせ誰か出るだろうとは思っていた。
鉄椅には火は燃えている。
柏箱の上に銭が散らばっている。
線香はのんきにくすぶっている。
どうせ出るには決まっている。
しかし自分の店を開け放しても
苦意にならないと見えるところか
少し都とは違っている。
返事がないのに将棋に腰をかけて
いつまでも待っているのも
少し二次世紀とは受け取れない。
ここらが非人情で面白い。
その上、出てきた婆さんの顔が気に入った。
二、三年前、宝鐘の舞台で
高坂を見たことがある。
そのときこれは美しい活人画だと思った。
宝鏡を担いだじいさんが
橋がかりをごろっぽ着て
そろりと後ろ向きになって婆さんと向かい合う。
その向かいおうた姿勢が今でも目につく。
世の席からは婆さんの顔がほとんど真向きに見えたから
ああ、美しいと思ったときに
その表情はぴしゃりと心のカメラへ焼き付いてしまった。
チャミスの婆さんの顔は
この写真に血をかよわしたほど似ている。
お婆さん、ここをちょっと借りたよ。
ああ、これは一向存じませんで。
だいぶ降ったね。
ああ、いいにくなお天気で。
さぞおこもりでござんしょう。
おお、だいぶおぬれなさった。
今、火をたいてかわかしてあげましょう。
祖母との交流
いや、そこをもう少しもしつけてくれれば
あたりながらかわかすよ。
どうも、少し休んだら寒くなった。
へえへえ、ただいま炊いてあげます。
まあ、お茶をひたつ。
と、立ち上がりながら
しっしと二声でにわとりを追い下げる。
ここここ、と駆け出した夫婦は
こげ茶色の畳からだがし箱の中を踏みつけて
往来へ飛び出す。
オスのほうが逃げるとき
だがしの上へ糞を垂れた。
まあ、ひたつ。
と、婆さんはいつのまにか
くりぬきの盆の上に茶碗をのせて出す。
茶の色の黒くこげている底に
一筆書きの梅の花が三輪、無造作に焼き付けられている。
お菓子よ。
と、今度は鳥の踏みつけたごまねじとみじんぼを持ってくる。
糞はどこぞについておらんのかと眺めてみたが
それは箱の中に取り残されていた。
婆さんは袖なしの上からたすきをかけて
へっついの前へうずくまる。
与は懐から写生鳥を取り出して
婆さんの横顔を映しながら話をしかける。
完成でいいね。
ええ、ごらんのとおりの山雑で。
うぐいすは泣くかね。
ええ、毎日のように泣きます。
ここらは夏も泣きます。
聞きたいな。
知っても聞こえないとなお聞きたい。
あいにく今日はさっきの雨でどこぞへ逃げました。
織からへっついの内がパチパチとなって
赤い火がさっと風を起こして一尺あまり吹き出す。
さあ、おわたり。さぞおさむかろう。
のきわを見ると青い煙がつきあたってくずれながらに
かすかな跡をまだいたびさしにからんでいる。
ああ、いい心持ちだ。おかげで生きかえった。
いい具合に雨も晴れました。
そら天狗岩が見えだしました。
しゅんじゅんとして曇りがちなる春の空を
もどかしばかりに吹きはらう山嵐の
思い切りよく通り抜けた前山の一角は
みれんもなく晴れつくして
ろうおの指さす彼方に山岸と
荒削りの柱のごとくそびえるのが天狗岩だそうだ。
よはまず天狗岩をながめて
次にばあさんをながめて
三度目には半々に両方をみくらべた。
ががとして
よが頭の中に存在するばあさんの顔は
高坂のばばと露雪のかいた山うばのみである。
露雪の図を見たとき
理想のばあさんはものすごいものだと感じた。
もみじの中か寒い月の下に置くべきものと考えた。
宝鐘の別階納を見るに及んで
なるほど老女にもこんな優しい表情が
ありえるものかと驚いた。
あの面は定めて名人の刻んだものだろう。
惜しいことに作者の名は聞き落としたが
老人もこう表せば
豊かに穏やかに温かかに見える。
近病にも遥かずにもあるは
桜にもあしらって差し使えない道具である。
よは天狗岩よりは
腰をのして手をかざして
遠く向うを指さしている袖なし姿のばあさんを
春の山地の景物として格好なものだと考えた。
世が写生鳥を取り上げて
今しばらくという途端に
ばあさんの姿勢は崩れた。
手持ぶ沙汰に写生鳥を火にあてて乾かしながら
おばあさん丈夫そうだねと尋ねた。
はいはいありがたいことにたっしゃれ。
針も打ちます。
尾も産みます。
お団子の粉もひきます。
このおばあさんに石薄をひかしてみたくなった。
しかしそんな注文もできんから。
ここから名古居までは一理足らずだったね。
と別なことを聞いてみる。
はい。
二十八丁と申します。
旦那は当時にお越しで。
込み合わなければ少し投入しようかと思うが。
まあ気が向けばさ。
ああいえ。戦争が始まりましてから
とんとまえるものはございません。
まるで締め切り同様でございます。
妙なことだね。
それじゃあ止めてくれないかもしれんね。
ああいえ。
お頼みになればいつでも止めます。
宿屋はたった一軒だったね。
ええ。
塩田さんとお聞きになればすぐわかります。
村の物持ちで当時場だか隠居所だかわかりません。
じゃあお客がなくても平気なわけだ。
うん。
旦那は初めてで。
いや久しい前にちょっと言ったことがある。
自然への描写
会話はちょっと途切れる。
丁麺をあげてさっきのニワトリを静かに写生していると
落ち着いた耳の底へジャランジャランという馬の鈴が聞こえ出した。
この声がおのずと表紙をとって頭の中に一種の調子ができる。
眠りながら夢の隣の鶯の音に誘われるような心持ちである。
与はニワトリの写生をやめて同じページの端に
春風や伊年川耳に馬の鈴と書いてみた。
山を登ってから馬には五六匹あった。
あった五六匹はみな腹かけをかけて鈴を鳴らしている。
馬のような馬とは思われない。
やがてのどかな孫歌が春に吹けた空山一郎の夢を破る。
あおれの底にぎらくな響きがこもってどう考えても絵に変えた声だ。
孫歌の鈴鹿小百合や春の雨と今度は端に書きつけたが
書いてみてこれは自分の句でないと気がついた。
また誰ぞ来ましたとおばあさんが半ば一人ごとのように言う。
ただ一筋の春の道だから行くも帰るもみな近づきと見える。
最前太田五六匹のじゃらんじゃらんもことごとく
このおばあさんの腹の中でまた誰ぞ来たと思われては山を下り
思われては山を登ったのだろう。
道じゃけまくと古今の春を貫いて
花をいとえば足を作る日なき小村に
おばあさんはいく年の昔からじゃらんじゃらんを数え尽くして
今日の白桃に至ったのだろう。
孫歌や白鴨染めで狂る春
と次のページへしたためたが
これでは自分の漢字を言い覚せない
もう少し工夫のありそうなものだと
鉛筆の先を見つめながら考えた。
なんでも白鴨という字を入れて
幾代の節という句を入れて
孫歌という代も入れて
春の木も加えて
それを十七時にまとめたいと工夫しているうちに
はいこんにちは
と実物の孫が店先に止まって大きな声をかける。
おやげんさんかまたあじょうか行くかい
何か買い物があるならば頼まれてあげよう
そうさ家事帳とったら
娘に礼願寺のお札を一枚もらってきておくれなさい
うんはいもらってきよう
一枚か
大きさんはいいところへ片付いて幸せだ
なあおばさん
ありがたいことに今日には困りません
まあ幸せと言うんだろうか
幸せともお前
あの名古居の嬢様と比べてごらん
本当に気の毒なあんな気量を持って
近頃はちょっとは具合がいいかい
なあに相変わらずさ
ああ困るなあ
と婆さんが大きな息をつく
うん困るよ
と元さんが馬の鼻を撫でる
枝刺激山桜の葉も花も
深い空から落ちたままなる雨の塊をしっぽりと宿していたが
この時渡る風に足をすくわれていたたまれずに
狩りの住まいをさらさらと転げ落ちる
馬は驚いて長い縦紙を上下に振る
ゴーラーとしっかりつける元さんの声が
じゃらんじゃらんとともに世の迷走を破る
婆さんが言う
元さん私はお嫁入りの時の姿がまだ目先にちらついて
裾模様の振袖に高嶋田で馬に乗って
そうさ船ではなかった馬だった
やはりここに休んでいったな婆さん
あいその桜の下で嬢様の馬が止まった時
桜の花がほろほろと落ちて
せっかくの島田に布ができました
与はまた写生帳を開ける
この景色は絵にもなる詩にもなる
心のうちに花嫁の姿を浮かべて
当時の様を想像して見てしたり顔に
花の頃を越えて賢し馬に嫁と書きつける
不思議なことには衣装も髪も馬も桜もはっきりと目に映じたが
花嫁の顔だけはどうしても思いつけなかった
しばらくあの顔かこの顔かと思案しているうちに
ミレーの書いたオフェイリアの面影が
忽然と出てきて高嶋田の下へすっぽりとはまった
これはダメだとせっかくの図面をさっそく取り崩す
衣装も髪も馬も桜も
一瞬間に心の道具立てからきれいに立ちのいたが
オフェイリアの合唱して水の上を流れていく姿だけは
もうろうと胸の底に残って
白ぼうきで煙を払うようにさっぱりしなかった
空に尾を引く彗星のなんとなく妙な気になる
それじゃあまあごめんと玄さんが挨拶する
帰りにまたおより
あいにくの振りで七曲りは難儀だろ
はい少し骨が折れよと玄さんは歩き出す
玄さんの馬も歩き出す
じゃらんじゃらんあれは名古居の男かい
はい名古居の玄米でござんす
あの男はどこぞの嫁さんを馬へ乗せて峠を越したかい
塩田の嬢様が城下へお越し入れの時に
嬢様を青馬に乗せて玄米が手綱を引いて通りました
月日の手綱は早いもんでもう今年で五年になります
鏡に向がう時のみ
我が頭の白きを囲つ者は栽培の分に属する人である
指を追って初めて五年の流行に
天倫の時趣を下し得たる婆さんは
人間としてはむしろ仙に近づける方だろう
世はこう答えた
茶造美しかったろう見に来ればよかった
今でもご覧になれます
当時場へお越しになればきっと出てご挨拶をなされましょう
ああ今では外にいるのかい
やはり裾模様の振袖を着て高島田に行っていればいいが
頼んでご覧なされ着てみせましょ
世はまさかと思ったが婆さんの様子は存外真面目である
非人情の旅にはこんなのが出なくては面白くない
婆さんが言う
女王様と永良の乙女とはよく似ております
顔がかい
いいえ身のなりゆきがでございます
その永良の乙女というのは何者かい
昔この村に永良の乙女という美しい長女の娘がございましたそうな
ああ
ところがその娘に二人の男が一度にけそうしてあなた
ああなるほど
過去の思い出
笹田男になびこうか笹部男になびこうかと娘は明け暮れ思いわずだったが
どちらへもなびきかねてとうとう
飽きづけばお花が上に置くつゆの
けぬべくももははおもほゆるかも
という歌を読んで淵川へ身を投げて果てました
世はこんな山里へ来てこんな婆さんからこんな子がな言葉でこんな子がな話を聞こうとは思いがけなかった
これから五町東へ下ると道端に五輪の塔がございますついでに永良の乙女の墓を見ておいきなされ
世は心のうちにぜひ見ていこうと決心した婆さんはその後を語り続ける
名乞いの嬢様にも二人の男がたたりました
一人は嬢様が京都へ修行に出ておいでの頃お会いなさったので一人はここの城下で随一の物持ちでございます
はあお嬢さんはどっちへなびいたんかい
お嬢様はぜひ京都の方へとお望みなさったのそこにはいろいろなわけもありましたろうが親御様が無理にこちらへ取り決めて
ああめでたく淵川へ身を投げ込んでも済んだわけだね
ああところが先でも器量望みでおもらいなさったのだからずいぶん大事なさったのかもしれませんが
もともと強いられておいでなさったんだからどうも折り合いが悪くてご親類でもだいぶご心配の様子でございました
ところが今度の戦争で旦那様の務めておいでの銀行がつぶれました
それから嬢様はまた名乞いの方へお帰りになります
世間では嬢様のことを不仁状だとか白状だとかいろいろ申します
もとはごくごく打ち気の優しい方がこの頃ではだいぶ気が荒くなって
なんだが心配だと玄米が来るたびに申します
これから先を聞くとせっかくの思考が壊れる
ようやく戦争になりかけたところを誰か来て羽衣を返せ返せと催促するような気がする
七曲りの剣を犯してやっとの思いでここまで来たものを
そうおめやめに続回に引きずり下ろされては氷前と家を出た甲斐がない
世間話もある程度以上に立ち入ると浮世の匂いが毛穴から染み込んで赤で体が重くなる
おばさん中家は一筋道だね
と十千銀貨を一枚将棋の上へかちりと投げ出して立ち上がる
旅の出発と宿での不思議な体験
長良の五輪の塔から右へお下りなさると六丁ほどの近道になります
道は悪いがお若い方にはその方がよろしかろう
ああこれは多分にお茶だよ
気をつけてお越しなされ
夕べは妙な気持ちがした
宿へ着いたのは夜の八時頃であったから
家の具合庭の作り方はもろん東西の区別さえわからなかった
なんだか回廊のようなところをしきりに引き回されて
しまいに六丁ほどの小さな座敷へ入れられた
昔来たときとはまるで見当が違う
晩餐を済まして湯に行って部屋へ帰って茶を飲んでいると
小女が来て床を述べようかという
不思議に思ったのは宿へ着いたときの取り継ぎも晩飯の給仕も
宿への案内も渡航式面倒もことごとくこの高音な一人で弁じている
それで口は滅多に聞かん
というて田舎じみてもおらん
赤い帯をいろけなく結んで古風な四足をつけて
廊下のような梯子段のようなところをぐるぐる回されたとき
同じ帯の同じ四足で同じ廊下とも階段とも使うところを何度も降りて
宿へ連れて行かれたときは
常に自分ながら缶バスの中を往来しているような気がした
給仕のときには近頃は客がないので
他の座敷は掃除がしていないから
普段使っている部屋で我慢してくれと言った
床を述べるときにはゆるりとお休みと
人間らしい言葉を述べて出て行ったが
その足音が例の曲がりくねった廊下を
次第に下の方へ遠ざかったときに
跡がひっそりとして人の怪我しないのが気になった
生まれてからこんな経験はただ一度しかない
昔防衆を立山から向こうへ突き抜けて
数多から長島で浜伝いに歩いたことがある
あるときある晩あるところへ泊まった
あるところというより他に言いようがない
今では土地の名も宿の名もまるで忘れてしまった
第一宿屋で泊まったのかが問題である
胸の高い大きな家に女がたった二人いた
世が泊めるかと聞いたとき
年を取った方がはいと言って
若い方がこちらへと案内するからついていくと
荒れ果てた広い間をいくつも取り越して
一番奥の中二階へ案内をした
三段昇って廊下から部屋へ入ろうとすると
いたびさしの下に傾きかけていた
一村の習築がそよりと夕風を受けて
世の肩から頭を撫でたのですでにひやりとした
縁板はすでに朽ちかかっている
来年は竹の子が縁を突き抜いて
座敷の中は竹だらけになろうと言ったら
若い女が何も言わずにニヤニヤと笑って出ていった
その晩は例の竹が枕元でばさついて寝られない
扉を開けたら庭は一面の草原で
夏の夜の月明かなるに目を走らせると
柿も平もあらばこそまともに大きな草山に続いている
草山の向こうはすぐ大海原で
どどんどどんと大きな波が人の世を脅かしに来る
夜はとうとう夜の明けるまで一睡もせずに
怪しげな会話のうちに辛抱をしながら
まるで草造詩にでもありそうなことだと考えた
その後旅もいろいろしたが
こんな気持ちになったことは
今夜この名古屋へ泊まるまではかつてなかった
夢の中の幻影とその意味
仰向けに寝ながら偶然目を開けてみると
乱魔に朱糊の縁を取った額が掛かっている
文字は寝ながらも
築営貝を払って塵動かずと明らかに読まれる
大鉄という楽観も確かに見える
世は書においては皆無慣識のない男だが
平成から王幕の後戦後勝の筆中を愛している
因言も則比も黙案もそれぞれに面白みはあるが
後戦の字が一番想定でしかも画順である
今この指示を見ると筆のあたりから手の運び具合
どうしても後戦としか思われない
しかし現に大鉄とあるからには別人だろう
ことによると王幕に大鉄という坊主がいたのかもしれん
それにしては髪の色が非常に新しい
どうしても昨今のものとしか受け取れない
横を向く
床に掛かっている弱虫の鶴の図が目につく
これは商売柄だけに部屋に入った時すでに一品と認めた
弱虫の図は大抵聖地の色彩のものが多いが
この鶴は世間に気兼ねなしの一筆書きで
一本足ですらりと立った上に卵なりの銅が
ふわっと乗っかっている様子は肌肌和がいいを得て
標一の趣は長い端の先まで籠っている
床の隣は違い棚を略して普通の戸棚に続く
戸棚の中には何があるかわからない
すやすやと寝入る夢に
ながらの乙女が振袖を着て青に乗って峠を越すと
いきなり笹田男と笹部男が飛び出して両方から引っ張る
女が急にオフェリアになって柳の枝へ登って
川の中を流れながら美しい声で歌を歌う
救ってやろうと思って長い竿を持って向こう島を追っかけていく
女は苦しい様子もなく笑いながら歌いながら
行方も知らず流れを下る
夜は竿を担いでおいおいと呼ぶ
そこで目が覚めた
脇の下から汗が出ている
妙に家族根高な夢を見たものだと思った
昔、僧の大英禅師という人は
五道の後、何事も胃の如くにできんことはないが
ただ夢の中では俗念が出て困ると
長い間これを苦にされたそうだが
なるほどごもっともだ
文芸を生命にする者は
今少し美しい夢を見なければ幅がきかない
この夢では大部分絵にも詩にもならんと思いながら寝返りを打つと
いつの間にか障子に月が差して
木の枝が二三本斜めに影を浸している
冴えるほどの春の夜だ
気のせいか誰か小声で歌を歌っているような気がする
夢の中の歌がこの世へ抜け出したのか
あるいはこの世の声が遠き夢の国へ移すながらに紛れ込んだのかと
耳をそばたてる
確かに誰か歌っている
細くかつ低い声にはそういないが
眠らんとする春のように一縷の魅惑をかすかに歌せつつある
不思議なことにその調子はとにかく文句を聞くと
枕元でやっているのではないから文句の分かりようはない
その聞こえぬはずのものがよく聞こえる
秋づけばお花が上に置く梅雨の
けぬべくもははおもほゆるかも
とながらの乙女の歌を繰り返し繰り返すように思われる
はじめのうちは縁に近く聞こえた声が
次第次第に細く遠のいていく
突然と病むものには突然の感はあるが哀れは薄い
芸術と内面の探求
ふっつりと思いきったる声を聞く人の心には
やはりふっつりと思いきったる感じが起こる
これという区切りもなく次年に細りて
いつのまにか消えるべき現象には
我もまた病を縮め糞を裂いて
心細さの細さが細る
死難としては死難とする病夫のごとく
帰縁としては帰縁とする桃花のごとく
今病むか病むかとののみ心乱すこの歌の奥には
天下の春の恨みをことごとく集めたる調べがある
今までは床の中に我慢して聞いていたが
聞く声の遠ざかるにつれて
我が耳は釣り出されると知りつつも
その声を追いかけたくなる
細くなればなるほど耳だけになっても
跡をしたって飛んでいきたい気がする
もうどう焦っても鼓膜に答えはあるまいと思う
一時節なのお前
世はたまらなくなって我知らず布団をすり抜けるとともに
さらりと障子を開けた
途端に自分の膝から下が斜めに月の光を浴び
根巻きの上にも木の影が揺れながら落ちた
障子を開けたときにはそんなことには気がつかなかった
あの声はと耳の走る剣刀を見破ると
向こうにいた
花ならば楓かと思われる幹を背に
よさよさしくも月の光をしのんで
朦朧たる影法師がいた
あれかと思う意識さえ
しかとは心に映る間に
黒い者は花の影を踏み砕いて右へ切れた
我が得る部屋続きの胸の角がすらりと動く
性の高い女姿をすぐに遮ってしまう
仮着の浴衣一枚で障子へつらまったまま
しばらく呆然としていたが
やがて我に帰ると
山里の春はなかなか寒いものと悟った
ともかく元抜け出た布団の穴に
再び起散して考え出した
くぐり枕の下から
田元時計を出してみると
一時十分過ぎである
再び枕の下へ押し込んで考え出した
よもや化物ではあるまい
化物でなければ人間で
人間とすれば女だ
あるいはここのお嬢さんかもしれない
しかし出帰りのお嬢さんとしては
夜中に山続きの庭へ出るのが
ちと不穏当だ
何にしてもなかなか寝られない
枕の下にある時計までガチクチク口を聞く
今まで懐中時計の音の気になったことはないが
今夜に限って
さあ考えろ
さあ考えろと催促することく
寝るな寝るなと忠告することく口を聞く
けしからん
怖いものもただ怖いものも
そのまま姿と見れば死になる
凄いことも
己を離れてただ単独に凄いのだと言えば
絵になる
失恋が芸術の大目となるのも
全くその通りである
失恋の苦しみを忘れて
その優しいところやら
同情の宿るところやら
憂いのこもるところやら
一歩進めて言えば
失恋の苦しみそのものの
あふれるところやらを
単に客観的に眼前に思い浮かべるから
文学美術の材料になる
世にはありもせぬ失恋を製造して
自ら強いて反問して
愉快を貪るものがある
常人はこれを表して
愚だと言う
鬼畜だと言う
しかし自ら不幸の輪郭を描いて
好んでそのうちに気がするのは
自ら浮遊の山水を刻画して
古中の天地に歓喜すると
その芸術的の力学値を得たる点において
全く等しいと言わねばならん
この点において
世上幾多の芸術家は
日常の人としてはいざ知らず
芸術家として
常人よりも愚である
鬼畜である
我々は
我々は
わらじ旅をする間
朝から晩まで苦しい苦しいと
不平を鳴らし続けているが
人に向かって
そういうごとく自分には
不平らしい様子は少しも見せん
面白かったこと
愉快であったことは無論
昔の不平をさえ得意に徴徴して
洒落顔である
これはあえて自ら欺くの
人を偽るのという了見ではない
旅行をする間は常人の心持ちで
そういうを語るときは
すでに詩人の態度にあるから
こんな矛盾が起こる
してみると
四角な世界から常識と名のつく
一角を真滅して
三角の内に住むのを
芸術家と呼んでもよかろう
このゆえに天然にやれ
人事にやれ
種族の癖々して
近づきがたしを成すところにおいて
芸術家は
無数の隣路を見
無常の法路を知る
俗にこれを名付けて美家と言う
その実は美家でも何でもない
三乱たる最高は
兵庫として昔から
幻象世界に実在している
ただ一英目にあって
空下乱吹するがゆえに
俗類の季節労として
立ちがたきがゆえに
英塾特装の割に迫ること
刹那るがゆえに
ターナーが汽車を移すまでの
汽車の美を介せず
王家が幽霊を描くまでは
幽霊の美を知らずに
打ちすぎるのである
世が見た影法師も
ただそれきりの幻象とすれば
誰が見ても
誰に聞かしても
豊かに詩集を帯びている
古村の温泉
春宵の歌営
月前の定唱
おぼろよの姿
どれもこれも
芸術家の高台木である
この高台木が
眼前にありながら
世はいらざる千切り立てをして
余計な探りを投げ込んでいる
せっかくな楽謡に
理屈の筋が立って
願ってもない風流を
君の悪さが
踏みつけにしてしまった
こんなことなら
否認状も
凶暴する価値がない
もう少し修行をしなければ
詩人とも
画家とも
詩人の覚悟
人に向かって
扶植をする資格はつかん
昔イタリアの画家
サルバトル・ロザは
泥棒が研究してみたい一心から
己の危険を賭けにして
山賊の目に入り込んだと
聞いたことがある
氷山と画鳥を懐にして
家を出たからには
世にもそのくらいの覚悟がなくては
恥ずかしいことだ
こんな時にどうすれば
詩的な立脚詩に変えられるかといえば
己の漢字そのものを
己が前に据えつけて
その漢字から一歩退いて
ありていに落ち着いて
他人らしく
これを検査する予知さえ
作ればいいのである
詩人とは
自分の死骸を
自分で解剖して
その病状を
天下に発表する義務を
有している
その方弁はいろいろあるが
一番手近なのは
何でもかでも
手当たり次第
第十七次にまとめてみるのが
一番いい
十七次は
死刑として最も軽弁であるから
顔を洗うときにも
川屋に登ったときにも
電車に乗ったときにも
容易にできる
十七次が容易にできる
感情の表現
という意味は
安直に詩人になれる
という意味であって
詩人になるというのは
一種の悟りであるから
軽弁だといって
分別する必要はない
軽弁であればあるほど
苦毒になるから
かえって尊重すべきものと思う
まあちょっと腹が立つと仮定する
腹が立ったところを
すぐ十七次にする
十七次にするときは
自分の腹立ちが
すでに他人に変じている
腹を立ったり
俳句を作ったり
そう一人が同時に
働けるものではない
ちょっと涙をこぼす
この涙を
十七次にする
するやいねや
嬉しくなる
涙を十七次に
まとめたときには
苦しみの涙は
自分から有利して
俺は泣くことのできる
男だという
嬉しさだけの
自分になる
これが平成からの
世の主張である
今夜も一つ
この主張を
実行してみようと
欲の中で
例の事件を
いろいろと苦に
仕立てる
できたら書き付けないと
三万になっていかぬと
年入りの修行だから
例の者成長を明けて
枕元へ置く
街道の
露を振るふや
物狂い
と真っ先に書き付けて
読んでみると
別に面白くもないが
去りとて気味の悪いこともない
次に
花の影
女の影
女の影の
おぼろかな
とやったが
これは
キーが重なっている
しかし何でも構わない
気が落ち着いて
のんきになればいい
それから
章1位
女に化けて
おぼろ好き
と作ったが
恐怖めいて
自分ながら
おかしくなった
この調子なら
大丈夫と
乗り気になって
出るだけの
苦を
皆書き付ける
春の星を
落として
余波の
かざしかな
春の夜の
雲に濡らす
洗い紙
春や
今宵
歌つかまつる
内面的世界の探求
御姿
街道の
星が出てくる
月夜かな
歌おりより
月下の春を
おちこちす
思い切って
吹けゆく
春の
一人かな
などと
試みているうち
いつしか
うとうと
眠くなる
豪骨というのが
こんな場合に
用いるべき形容詞
かと思う
熟成に
なった
思う
熟成のうちには
何人も
我を
認めぬ
明確の際には
垂れあって
外界を
忘るものは
ながろう
ただ
領域の
間に
るのごとき
元凶が
横たわる
冷めたり
というには
余りおぼろにて
眠ると
表船には
少しく
正気を
余す
喜賀の
二階を
童平入りに
盛りて
詩歌の
最下音を
借りて
ありとあらゆる
実相の角度を
なめらかにするとともに
かく
柔らげられたる
献魂に
我からと
かすかに
鈍き脈を
通わせる
血を
這う
煙の
帳として
飛びえざるごとく
我が魂の
我が殻を
離れんとして
離るるに
忍びざるていである
抜け入れんとして
ためらい
ためらいては
抜け入れんとし
果ては
魂という個体を
模擬堂に
保ちかねて
私に
四肢五体に
てんめんして
言いたり
れんれんたる心持である
我が
五尾の境に
かく
招養していると
入口のからかみが
すうと開いた
開いたところへ
幻のごとく
女の影が
ふうと
現れた
我は
驚きもせぬ
恐れもせぬ
ただ
心地よく
眺めている
眺めるという手は
血と
言葉が強すぎる
我が
閉じている
瞼のうちに
幻の女が
千里の波を
渡るがごとく
畳の上には
人らしい音も
立てぬ
とずる
眼の中から
見る世の中だから
しかとは
わからぬが
色の白い
髪の濃い
襟足の長い
女である
近頃流行る
ぼかした写真を
面影に
透かすような
気がする
幻は
戸棚の前で
止まる
戸棚が
開く
白い腕が
袖を滑って
暗闇の中に
ほのめいた
戸棚が
自ら
幻影を
渡し返す
入口の
からかみが
一人で
に立たる
よが
眠りは
次第に
細やかになる
人が死して
まだ牛にも
馬にも
生まれ変わらない
途中は
こんなであろう
いつまで
人と馬の
あいなかに
寝ていたか
我は知らん
耳元に
ききっと
女の笑い声が
したと思ったら
目が覚めた
見れば
夜の幕は
一応黒く染め抜いた
様子を見ると
世の中に
不思議というものの
人も余地は
なさそうだ
神秘は
十万億度へ帰って
山津の川の
向こう側へ
渡ったのだろう
浴衣のまま
風呂場へ降りて
五分ばかり
偶然と
いつもの中で
顔を浮かしていた
荒浮きにも
出る気にも
ならない
第一
昨夜はどうして
あんな心持ち
になったのだろう
昼と夜を
境に
高天地が
でんぐり返るのは
妙だ
とまた
驚かされた
おはよう
昨夜は
よく寝られましたか
扉を開けるのと
この言葉とは
ほとんど同時に来た
人のいるさえ
予期しておらぬ
出会い頭の挨拶だから
早速の返事も出る
意図もさえないうちに
さあ
お召しなさい
後ろへ回って
ふわりと
夜の背中へ
柔らかい着物をかけた
ようやくのこと
これはありがとう
だけだして
向き直る
途端に女は
二三歩
昔から小説家は
必ず主人公の要望を
極力描写することに
相場が決まっている
古今東西の言語で
佳人の貧評に
使用せられたるものを
列挙したならば
大蔵経とその量を
争うかもしれん
この
挽き行きすべき多量の
形容詞中から
与と三歩の隔たりに立つ
胎を斜めにねじって
尻目に
与が驚愕と狼狽を
心地よげに眺めている女を
最も適当に
除すべき要望を
拾い切ったなら
どれほどの数になるか
しかし
生まれて34年の
今日に至るまで
未だかつて
かかる表情を
見たことがない
美術家の表によると
ギリシャの彫刻の理想は
短縮とは
人間の活力の
動かんとして
未だ動かざる姿と思う
動けばどう変化するか
風雲か雷停か
見分けのつかぬところに
余韻が漂々と存ずるから
元畜の趣を
百世の後に
伝うのであろう
世上いくたの尊厳と
異議とは
この単然たる
可能力の裏面に
附在している
動けば現れる
現れれば
1か2か3が
必ず始末が継ぐ
1も2も3も
必ず
特殊の能力に
相違はなかろうが
既に1となり
2となり
3となった暁には
多税大衰の老を
遺憾なく示して
本来円満の層に
戻るわけにはいかん
この上に
銅と名のつくものは
必ずいやしい
雲系の二王も
北斎の漫画も
全くこの銅の
一時で失敗している
銅化
聖化
古来美人の形容も
大抵この二大範疇の
いずれにか
打ち込むことが
できるべきはずだ
ところが
この女の表情を見ると
世はいずれとも
判断に迷った
口は
一文字を結んで
静かである
目は五分の隙さえ
見入らすべく
動いている
顔は
霜袋の織座寝方で
豊かに落ち着きを
見せているに
引き換えて
額は狭苦しくも
補せついて
いわゆる不二美体の
俗習を帯びている
伸びならず
眉は両方から迫って
中間に
数滴の発光を
転じたるごとく
ぴくぴくじれている
鼻ばかりは
軽薄に鋭くもない
地団に丸くもない
絵にしたら
美しかろう
かように
別れ別れの道具が
皆一癖あって
乱丁にどやどやと
世の双眼に
飛び込んだのだから
迷うのも無理はない
眼来は
正であるべき
第一の一角に
関結が起こって
全体が思わず動いたが
動くは本来の正に
女性の複雑な感情
背くと悟って
勤めて昔の姿に
戻ろうとしたのを
並行失った
規制に制されて
心ならずも
動き続けた今日は
やけたから
無理でも動いてみせる
と言わんばかりの
有様が
そんな有様が
もしあるとすれば
ちょうどこの女を
形容することができる
それだから
刑部の裏に
なんとなく人に
すがりたい景色が見える
人をバカにした
様子の底に
慎み深い分別が
ほのめいている
際に任せ
気を追えば
百人の男子を
物の数とも思わぬ
勢いの下から
大人しい情けが
我知らずわえて出る
どうしても表情に
一致がない
悟りと迷いが
一見のうちに
喧嘩をしながらも
同居している体だ
この女の顔に
統一の感じのないのは
心に統一のない証拠で
心に統一がないのは
この女の世界に
統一がなかったのだろう
不幸に押し付けられながら
その不幸に打ち勝とうと
している顔だ
不幸せな女に違いない
ありがとう
と繰り返しながら
ちょっと営釈した
お部屋は掃除がしてあります
行ってご覧なさい
いずれ夏肌
と言うや否や
左と腰をひねって
廊下を軽げにかけていった
頭は一応返しに行っている
白い襟が
タボの下から見える
帯の黒じゅすは
片側だけだろう
4
ポカンと部屋へ帰ると
なるほどきれいに
掃除がしてある
ちょっと気がかりだから
念のため戸棚を開けてみる
下には小さな洋段数が見える
上から悠然のしごきが
半分垂れかかっているのは
誰か衣類でも取り出して
急いで出ていったものと
解釈ができる
しごきの上部は
生めかしい衣装の間に
隠れて先は見えない
片側には書物が
少々詰めてある
一番上に白銀和尚の
オラ手紙と
伊勢物語のひと巻きが
並んでいる
夕べの写すは
事実かもしれないと思った
何気なく座布団の上に
座ると
空きの机の上に
例の写生帳が
鉛筆を挟んだまま
大事そうに開けてある
夢中に書き流した句を
朝見たらどんな具合だろうと
手に取る
街道の
つゆをふるうや
ものぐるい
の下に
誰だか
街道の
つゆをふるうや
朝ガラス
と書いたものがある
鉛筆だから
書体はしかとわからんが
女にしては
硬すぎる
男にしては
柔らかすぎる
親とまたびっくりする
次を見ると
花の影
女の影の
おぼろかな
の下に
花の影
女の影を
重ねけり
と付けてある
章1
女に化けて
おぼろ好き
の下には
温蔵紙
女に化けて
おぼろ好き
とある
真似をしたつもりか
添削した気か
風流の交わりか
馬鹿か
馬鹿にしたのか
世は思わず
首を傾けた
後ほどと言ったから
今に飯の時にでも
出てくるかもしれない
出てきたら
様子が少しは
わかるだろう
日常生活の発見
時に何時だなと
時計を見ると
もう十一時すぎである
よく寝たものだ
これでは
昼飯だけで
間に合わせるほうが
胃のためによかろう
右側の焼酎を開けて
夕べの名残は
どのへんかなと
思える
街道と鑑定したのは
果たして街道であるが
思ったよりも
庭は狭い
五六枚の飛び石を
一面の青ゴケが
埋めて素足で
踏みつけたら
さも心持ちが
良さそうだ
左は山続きの崖に
赤松が斜めに
岩の間から
庭の上へ
差し出している
街道の後ろには
ちょっとした茂みがあって
奥は大竹やぶが
十条の緑を
春の日に晒している
右手は矢の棟で
遮られて見えぬけれども
地勢から察すると
だらだら折りに
山が尽きて
丘となり
丘が尽きて
幅3丁ほどの
平地となり
その平地が尽きて
海の底へ潜り込んで
柔軟なり
向こうへ行って
また流然と起き上がって
周囲6里の
マヤ島となる
これが
名古居の地勢である
温泉場は
丘の麓を
できるだけ崖へ
差し掛けて
そばの景色を
半分庭へ
囲い込んだ
一構えであるから
前面は2階でも
後ろは平屋になる
円から足を
ぶら下げればすぐと
は苔につく
道理こそ
作友は
はしご壇を
むやみに
登ったり下ったり
いな仕掛けのうち
と思ったはずだ
今度は
左側の窓を開ける
自然と窪む
2畳ばかりの岩の中に
春の水が
いつともなく溜まって
静かに
山桜の影を
浸している
双株三株の
熊笹が
岩の角を彩る
向こうに
行くことも見える
池垣があって
外は浜から
丘へ登る側道か
時々
人声が聞こえる
往来の向こうは
谷の極まる所にまた
大きな竹藪が
白く光る
竹の葉が
遠くから見ると
白く光るとは
この時初めて知った
藪から上は
松の多い山で
赤い幹の間から
石頭が五六段
手に取るように見える
大方
お寺だろう
入口のふさまを
開けて
縁へ出ると
欄間が四角に
曲がって
方角から言えば
海の見るべきはずの
ところに
中庭を隔てて
表2階の一間がある
我が住む部屋も
欄間によれば
同じ高さの
2階なのには
経が催される
居坪は
地の下にあるのだから
入道という点から言えば
与は三層牢状に
気がするわけになる
家はずいぶん広いが
向こう2階の一間と
与が欄間に沿って
右へ追われた
一間の他は
今台所は知らず
客的なが付きそうなのは
大抵立て切ってある
客は与を除く他の
物語の展開
ほとんど皆無なのだろう
閉めた部屋は
昼も雨戸を開けず
開けた以上は
夜も立てぬなし
これでは
表の閉じまりさえ
するかしないか分からん
非人情の度には
持ってこいという
屈強な場所だ
時計は
12時近くなったが
飯を食わせる景色は
さらに無い
ようやく空腹を
覚えてきたが
空山人を見ずという
支柱にあると思うと
一片毛ぐらい
契約しても
遺憾は無い
絵を描くのも面倒だ
俳句は作らんでも
すでに排山前に
入っているから
作るだけ野暮だ
読もうと思って
三脚にくくりつけてきた
二三冊の書籍も
ほどく気にならん
こうやって
くくざる瞬時に
背中をあぶって
縁側に花の陰と
共に寝転んでいるのが
天下の支柱である
考えれば下道に落ちる
動くと危ない
出来るならば
花から息もしたくない
畳から根の生えた
植物のように
じっとして
二週間ばかり
暮らしてみたい
やがて廊下に
足音がして
だんだん下から
誰かが上がってくる
近づくのを聞いていると
二人らしい
それが部屋の前で
止まったなと思ったら
一人は何にも言わず
元の方へ引き返す
襖が開いたから
今朝の人と思ったら
やはり夕べの小女郎である
なんだか物足りん
遅くなりました
当然忘れる
朝飯の言い訳も
何にも言わぬ
焼き魚に青い物をあしらって
湾の蓋を取れば
サワラビの中に
紅白にさめぬかれた
エビを沈ませてある
ああいい色だ
と思って
湾の中を眺めていた
お嫌いかと下女が聞く
いやいまにく
と言ったが
実際食うのは惜しい気がした
ターナーがある晩餐の席で
皿に盛るサラダを見つめながら
涼しい色だ
これがわしの用いる色だと
傍らの人に話したという
一時をある書物に読んだことがあるが
このエビとワラビの色を
ちょっとターナーに見せてやりたい
一体西洋の食物で
色のいい物は一つもない
あればサラダと赤大根ぐらいの物だ
需要の点から言ったらどうか知らんが
画家から見ると
すこぶる発達せん料理である
そこへ行くと
この込んだ手は
吸い物でも口取りでも刺身でも
物綺麗にできる
会席前を前へ置いて
人端もつけずに眺めたまま帰っても
目の保養から言えば
おしゃれあがった甲斐は十分ある
うちに若い女の人がいるだろう
とワンを置きながら質問をかけた
へえ
あれはなんだい
若い奥様でございます
あの他にまだ
年寄りの奥様がいるのかい
去年お亡くなりました
旦那さんは
おります
旦那さんの娘さんでございます
ああ
あの若い人がかい
ええ
お客はいるかい
おりません
私一人かい
ええ
若い奥さんは毎日何をしてるかい
針仕事を
それから
シャミを引きます
これは意外であった
面白いからまた
それから
と聞いてみた
お寺へ行きます
と小女郎が言う
これはまた意外である
お寺とシャミセンとは妙だ
お寺まわりをするのかい
いいえ
和尚様のところへ行きます
和尚さんがシャミセンでも習うのかい
いいえ
じゃあ何をしに行くんだい
大鉄様のところへ行きます
なるほど
大鉄というのはこの額を書いた男にそういない
この句から察すると何でも全坊主らしい
戸棚におらて釜があったのは全くあの女の所持品だろう
この部屋は普段誰か入っているところかね
普段は奥様がおります
ああ
それじゃあ昨夜私が来るときまでここにいたんだね
ええ
ああそれはお気の毒なことをした
それで大鉄さんのところへ何をしに行くんだい
知りません
それから
人物間の対話
何でございます
それからまだ他に何かするんだろう
ああそれからいろいろ
いろいろってどんなことを
知りません
会話はこれで切れる
飯はようやく終わる
禅を引くとき小女郎が入口の襖を開けたら
中庭の植え込みを隔てて
向こう二階の欄下に異常外視が豊勢をついて
退化した養隆観音のように下を見つめていた
今朝に引き換えてはなはな静かな姿である
うつむいて
瞳の働きがこちらへ通わないから
総合に過程な変化を起きたしたものであろうか
昔の人は人に存するよりも
坊主より良きはなしと言ったそうだが
なるほど人いずくんぞ拡散や
人間のうちで目ほど生きている道具はない
若い女の子は
女の子は
女の子は
女の子は
女の子は
早く
早く
夕暮れの前から
夜遅く
夜遅く
夜遅く
夜遅く
夜遅く
夜の明け方
夜の明け方
彼氏の
彼氏の
井上監督
that kindling of dawn to travelers journeying on,
the shuddering of their fair face from my side
と、ユークであった。
もし、与があの異常外種に化装して、
身を砕いても合わんと思う矢先に、
今のような一別の別れを玉切るまでに嬉しとも、
口惜しとも感じたら、
与は必ずこんな意味を、こんな詩に作るだろう。
その上に、
Might I look on thee in death,
with bliss I would yet my breath
という肉さえ付け加えたかもしれん。
幸い、普通ありふれた恋とか愛とかいう境界は、
既に通り越して、
そんな苦しみは感じたくても感じられない。
しかし、今の刹那に起こった出来事の詩集は、
豊かにこの五、六行に現れている。
与と異常外種の間側にこんな切ない思いはないとしても、
二人の今の関係をこの詩の内に当てはめてみるのは面白い。
あるいは、この詩の意味を我らの身の上に引き付けて解釈しても愉快だ。
二人の間にはある因果の細い糸で、
この詩に現れた境遇の一部分が事実となってくくりつけられている。
因果もこのぐらい糸が細いと苦にはならん。
文化的価値観
その上、ただの糸ではない。
空を横切る虹の糸。
延べにたなびく霞の糸。
露に輝く雲の糸。
切ろうとすればすぐ切れて、見ているうちは優れて美しい。
毎日この糸が見る前に太くなって、
色縄のように硬くなったら、
そんな危険はない。
世は学王である。
突然、襖が開いた。
寝返りを打って入り口を見ると、
因果の相手のその胃腸返しが敷居の上に立って、
聖樹の鉢を盆に乗すとまま立たずんでいる。
また寝ていらっしゃるか。
夕べはご迷惑でございましたろう。
なんべんもお邪魔をして。
フフフフッと笑う。
起くした景色も隠す景色も、
外る景色はむろんない。
ただこちらが線を越されたのみである。
けさはありがとう。
とまた礼を言った。
考えると丹前の礼をこれで三べんに言った。
しかも三べんながらただありがとうという三字である。
女は世が置きかえろうとする枕元へ早くも座って、
まあ寝ていらっしゃい。寝ていても話はできましょう。
父さんも気さくに言う。
世は全くだと考えたから、
ひとまず腹ばいになって両手で顎を支え、
しばし畳の上へ肘壺の柱を立てる。
ご退屈だろうと思ってお茶を入れに来ました。
ああ、ありがとう。
またありがとうが出た。
橋皿の中を見ると立派な洋館が並んでいる。
世は全ての歌手のうちで最も洋館が好きだ。
別段食いたくはないが、
あの肌絵がなめらかに緻密に、
しかも半透明に光線を受ける具合は
どう見ても一個の美術品だ。
ことに青みを帯びた練り上げ方は、
玉と蝋石の雑誌のようで
はなはな見て心持ちがいい。
飲みならず、生地の皿に盛られた青い練り洋館は、
生地の中から今生まれたようにツヤツヤして、
思わず手を出して撫でてみたくなる。
西洋の歌手でこれほど快感を与えるものは一つもない。
クリームの色はちょっと柔らかだが、少し重苦しい。
ジェリーは一目宝石のように見えるが、
ブルブル震えて洋館ほどの重みはない。
白砂糖と牛乳で50の糖を作るに至っては、
言語道断の沙汰である。
うーん、なかなか見事だ。
いましがた玄米が買って帰りました。
これなあ、あなたに召し上がられるでしょう。
玄米は昨夕城下へとまったとみえる。
家は別段返事もせず洋館を見ていた。
どこで誰が買ってきても構うことはない。
ただ、美しく切れば美しいと思うだけで十分満足である。
この生地の形は大変いい。色も見事だ。
ほとんど洋館に対して遜色がない。
女はふふんと笑った。
口元に穴取りの波がかすかに揺れた。
世の言葉を洒落と返したのだろう。
なるほど、洒落とすれば軽蔑される値は確かにある。
知恵の足りない男が無理に洒落たときには、
よくこんなことを言うもんだ。
これは砂ですか?
何ですか?
と相手はまるで政治を眼中においていない。
どうも砂らしい。
と皿をあげて底をながいてみた。
そんなものが大好きなら見せましょうか。
ええ、見せてください。
父が骨董が大好きですからだいぶいろいろなものがあります。
父にそう言っていつかお茶でもあげましょう。
茶と聞いて少しヘキヘキした。
世間に茶人ほどもったいぶった風流人はない。
広い視界をわざとらしく窮屈に縄張りをして、
極めて自尊的に、極めてことさらに、
極めてせせこましく、必要もないのに、
風流女としてあぶこを飲んで血行があるものは、いわゆる茶人である。
あんな半山な貴族のうちに神があるなら、
あざまの連帯の中は神で花がつかえるだろう。
回れ右、前への連中はことごとく大茶人でなくてはならん。
あれは商人とか町人とかまるで趣味の教育のない連中が、
どうするのが風流か見当がつかぬところから、
機械的に離宮威護の貴族を鵜呑みにして、
これで大型風流なんだろうと、
かえって真の風流人を馬鹿にするための芸である。
お茶って流儀のある茶ですか?
いえ、流儀も何もありはしません。
親なら飲まなくてもいいお茶です。
そんならついでに飲んでもいいですよ。
父は動画を人に見ていただくのが大好きなんですから。
褒めなくちゃいけませんか?
年寄りだから褒めてやれば嬉しがりますよ。
少しなら褒めておきましょう。
負けてたくさんお褒めなさい。
時にあなたの言葉は田舎じゃない。
人間は田舎なんですか?
人間関係の探求
人間は田舎のほうがいいんです。
それじゃあ幅が聞きます。
しかし、東京にいたことがありましょう?
いました。京都にもいました。渡り者ですから方々にいました。
ここと都とどっちがいいですか?
同じことですわ。
こういう静かなところがかえって気楽でしょう。
気楽も気楽でないも、世の中は木の餅を一つでどうでもなります。
のみの国が嫌になったって、
かの国へ引っ越しちゃ何もなりません。
のみもかもいない国へ行ったらいいでしょう?
そんな国があるならここへ出してごらんなさい。
さあ、出してちょうだい。
女は爪寄せる。
お望みなら出してあげましょう。
女が馬に乗って山桜を見ている心持ち。
ただ、心持ちだけをさらさらと書いて、
さあ、この中へお入りなさい。のみもかもいません。
と、鼻の前へ突きつけた。
驚くか恥ずかしがるか、
この様子ではよもや苦しがることはなかろうと思って、
ちょっと景色をうかがうと、
まあ、窮屈な世界だこと。横幅ばかりじゃありませんが、
そんなところがお好きなの?まるで蟹ね。
と言ってのけた。
野木場に近く泣きかけたうぐいすが、
中途で声をくずして遠き方へ枝移りをやる。
二人はわざと対話をやめてしばらく耳をそば立てたが、
一旦泣き損ねたなどは容易にあげぬ。
きのうは山でげんべいにお会いでしたろう?
ええ。
ながらの乙女の五輪の塔を見ていらっしゃったか?
ええ。
飽きづけば、お花が上に置くつゆの
けぬべくもあは思うほうゆるかも。
と、説明もなく女はすらりと節もつけずに歌だけ述べた。
何のためか知らん。
ああ、その歌はね、茶店で聞きましたよ。
ばあさんが教えましたか。
あれはもと私の家へ放行したもんで、私がまだ嫁に。
と言いかけて、これは?と世の顔を見たから、
世は知らぬふうをしていた。
私がまだ若い自分でしたが、
あれが来るたびにながらの話をして聞かせてやりました。
歌だけはなかなか覚えなかったのですが、
何遍も聞き口にとうとう何もかも暗唱してしまいました。
どおりで、むずかしいことを知ってると思った。
しかし、あの歌はあわれな歌ですね。
あわれでしょうか。私ならあんな歌は読みませんね。
第一、淵川へ身を投げるなんてつまらないじゃありませんか。
なるほど、つまんないですね。あなたならどうしますか?
どうするって、わけないじゃありませんか。
笹田男も笹部男も、男めかけにするばかりですわ。
ふふふ、両方ともですか?
ええ。
ふん、えらいな。
えらかはない。当たり前ですわ。
なるほど、それじゃ、蚊の国へものみの国へも飛び込まずに済むわけだ。
蟹のような思いをしなくても生きていられるでしょう。
ほうほけきょうと忘れかけたうぐいすが、
いつ勢いをもり返してか、ときならぬ高音をふいに張った。
一度立て直すと、あとは自然に出ると見える。
身を逆島にして、膨らむ喉の底を震わして、小さきに口の張りさくるばかりに、
ほうほけきょう、ほうほけきょうと続けざまにさえずる。
あれが本当の歌です。と女が容易に教えた。
五。
失礼ですが、旦那はやっぱり東京ですか?
東京と見えるかい?
見えるかいって一目見りゃ。
第一言葉でわかりますわ。
東京はどこだか知れるかい?
うーん、そうさね。東京はばかに広いからね。
何でも下町じゃねえようだ。
山手だね。
山手は、高島町かね。
え?それじゃあ、小石川?
でなければ、牛込か四つ谷でしょ。
まあ、そんな見当だろう。
よく知ってるな。
高名でわっちも江戸っ子だからね。
ああ、道理でイナスだと思ったよ。
えへへへ。
唐木志ども、人間もこうなっちゃみじめですぜ。
なんでまたこんな田舎へ流れ込んできたんだい?
ちげえねえ。旦那のおっしゃる通りだ。
まったく流れ込んだんだからね。すっかり食い詰めちまって。
もとから上井どこの親方かね。
ああ、親方じゃねえ。職人さ。
え?
ところかね。ところは、神田松永町でさ。
なあに、猫の額見たような小さい汚い町でさ。
旦那なんか知らねえはずさ。
職人とのやり取り
あそこに竜巻橋って橋がありましょ?
え?
ああ、そいつも知らねえかねえ。竜巻橋は名台な橋だがねえ。
おい、もう少しシャボンをつけてくれないか。痛くっていけない。
ああ、伊藤勝かい。わっちゃ干渉がでねえ。
どうもこうやって逆ずれをつけて一本一本ひげの穴を掘らなくっちゃ気が沈んでんだから。
なあに、今時の職人なあ。
そるんじゃねえ。撫でるんだ。もう少しだ。我慢をしなせえ。
我慢はさっきからもうだいぶしたよ。
お願いだからもう少し床、シャボンをつけてくれ。
我慢しきれねえかねえ。そんなに痛くはねえはずだが。
全体ひげがあんまり伸びすぎてるんだ。
やけに頬の肉をつまみ上げた手を残念そうに離した親方は、
棚の上から薄っぺらな赤い石鹸を取り下ろして水の中にちょっと浸したと思ったら、
それなり世の顔をもんべんなく塩を撫で回した。
裸石鹸を顔に塗りつけられたことはあまりない。
しかもそれを濡らした水は幾日前に汲んだため浮きかと考えるとあまりゾッとしない。
既に神寄り床である以上は、お客の権利として与は鏡に向かわなければならん。
しかし与はさっきからこの権利を放棄したく考えている。
鏡という道具は平らにできて、なだらかに人の顔を映さなくては義理が立たん。
もしこの性質が、備わらない鏡をかけてこれに向かえと強いるならば、
強いる者は下手な写真師と同じく、無効者の器量を故意に損害したと言わなければならん。
共栄心を挫くのは収容上一種の方便かもしれんが、何も己の進化以下の顔を見合わせて、
これがあなたですよとこちらを侮辱するには及ぶまい。
今与が辛抱して向かい合うべき余儀なくされている鏡は確かに最善から与を侮辱している。
右を向くと顔中はなになる。左を出すと口が耳元まで裂ける。
仰向くと引きがえるお前から見たように真っ平らに押しつぶされ、
少し凝むと福祿寺の申し子のように頭が競り出してくる。
いやしくもこの鏡に対する間は一人でいろいろな化け物を献金しなくてはならん。
映る我が顔の美術的ならぬ、まず我慢するとしても、
鏡の構造やら色合いや銀紙のハゲ落ちて光線が通り抜ける模様などを総合して考えると、
この道具そのものから集大を極めている。
精進からバリされる時、バリそれ自身は別に通用を感ぜぬが、
その精進の面前に気がしなければならぬとすれば、誰しも不愉快だろう。
その上、このお館がただのお館ではない。
外から覗いた時はあぐらをかいて、
長着セルでおもちゃの日英同盟国旗の上へしきりに煙草を吹きつけて、
さも退屈げに見えたが、入って我が首の処置を託する段になって驚いた。
髭をする間は首の所有権は全くお館の手にあるのか、
はた幾分かを世の上にも損するのか、一人で疑い出したくらい容赦なく取り扱われる。
世の首が肩の上に釘付けにされているにしても、これでは長く持たない。
彼は髪ソルをフルルルに当たって、拷問文明の法則を介しておらん。
頬に当たる時はガリリと音がした。
揉み上げのところではゾキリと動脈が鳴った。
顎のあたりにリジンがひらめく地面には、ゴリゴリゴリゴリと下柱を踏みつけるような怪しい声が出た。
しかも本人は日本一の手腕を有する親方をもって辞任している。
最後に彼は酔っぱらっている。
だんなあ、というたんび妙な臭いがする。
時々は稲荷草を世が花柱へ吹きかける。
これではいつ何時髪ソルがどう間違ってどこへ飛んでいくか分からない。
使う当人にさえ半全たる計画がない以上は、顔を化したように推察のできようはずがない。
徳信族で任せた顔だから、少しの怪我なら苦情は言わないつもりだが、急に気が変わって、のど笛でもかき切られてはことだ。
シャボンなんぞつけてソルな。腕が生なんだが。
だんなのはヒゲがひねだから仕方があるめえ。
と言いながら親方は裸石鹸を裸のまま棚の上で放り出すと、
シャボンは親方の命令に背いて地面の上へ転がりをした。
「だんな、あんまり見受けねえようだが、なんですかい?近頃きなすったんかい?」
「二、三日前に来たばかりさ。」
「はあ、どこにいるんですい?」
「塩田に泊まってるよ。」
「ああ、あそこのお客さんすか。お方そんなことだろうと思ってさ。
実は、あたしもあの陰居さんを頼ってきたんですよ。
なにね、あの陰居が東京にいた時分、わしが近所にいて。
それで知ってんのさ。いい人でさ。もののわかったね。
去年ご親族が死んじまって、今じゃ道具ばかり引きねくってんのが、
なんでも素晴らしいものがあると言いますよ。
売ったらよっぽど金目になるだろうって話さ。」
「きれいなお嬢さんがいるじゃないか。」
「あぶねえねえ。」
「ん?なにが?」
「なにがって旦那の命だが、あれで出戻りですで。」
「ああ、そうかい。」
「爽快どころの騒ぎじゃねえんだね。
全体なら出てこなくてもいいところをさ。
銀行が潰れて出たかができねえって出ちまったんだからギリが悪いやねえ。
陰居さんが愛しているうちはいいが、もしものことがあった日には、
報返しがつかねえわけになりまさ。」
「そうかなあ。」
「当たり前でさ。本家の兄貴たちは仲が悪いしさ。」
「おお、本家があるのかい。」
「うん。本家は丘の上にありまさ。遊びに行ってご覧なさい。景色のいいところですよ。」
「おい、もういっぺんシャボンをつけてくれないか。また痛くなってきた。」
「ふんふん。よく痛くなるひげだねえ。ひげが怖すぎるからだ。
旦那のひげじゃ三日に一度はぜひソリを当てなくちゃだめですぜ。
わしのソリで痛ければどこ行ったって我慢できん子ねえ。」
「うん。これからそうしよう。毎日来てもいい。」
「そんなに長く通る席なんですか?
陰居と貝
あぶねえ。おやおやしなせ。
息もねえこった。
ろくでもねえものにひっかかってどんな目にあうかわかりませんぜ。」
「ああ、どうして。」
「旦那、あの娘は面はいいようだが、ほんとうは気じるしですぜ。」
「なぜ?」
「なぜって旦那。村のもんはみんなキチゲーだって言ってんねえさ。」
「そりゃあ何かの間違いだろう。」
「だってゲーに証拠があんだから。おやおやしなせ。けんのんだ。」
「俺は大丈夫だが、どんな証拠があるんだい?」
「おかしな話だね。まあゆっくりタバコでも飲んでおいでなせ。話すから。
頭洗いましょうか。」
「頭は良そう。ふけだけ落としておくかね。」
親方は赤のたまった十本の爪を遠慮なく、与賀頭蓋骨の上に並べて、
断りもなく前後に猛烈に運動を開始した。
この爪が黒髪の根を一本ごとに押し分けて、
不毛の狂、巨人の熊手が疾風の速度で通るが如くに往来す。
与賀頭に何十万本の髪の毛が生えているか知らんが、
ありとある毛がごとごとくに猫毛にされて、
残る地面がべたい地面に、めめずばれに膨れ上がった上、
余生が地盤を通して骨から脳みそまで浸透を感じたくらい激しく、
親方は与の頭を掻き回した。
「どうです。いい心持ちでしょう?」
「非常なる圧腕だ。」
「え?」
「ここやると誰でもサッパリするからね。」
「首が抜けそうだよ。」
「そんなに蹴った類が好かい?まったく陽気の加減だね。
どうもハルてやつはやに身体から怠けやがって。
まあ、一方わかんなさい。一人で正談に行っちゃ退屈でしょう。
「ちょ、話においでなぜ。どうも江戸っ子は江戸っ子同士でなくちゃ話が合わねえもんだが。」
「なんですかい?やっぱりあのお嬢さんがお相手さんに出てきますかい?」
「どうもサッパシー見栄えのない女だから困っちまうわ。」
お嬢さんがどうとかしたところで、
「ふけが飛んで首が抜けそうになったっけ?」
「ははは、ちげえね。ガンガラガンだから、
からっきし話に締まりがねえったわね。
そこでその坊主が乗せちまって。」
「その坊主とはどこの坊主だい?」
「関海一のなっしょ坊主がさ。」
「うーん、なっしょにも十二にも坊主はまだ一人も出てきてねえんだ。」
「ああ、そうか。せっかちだからいけねえ。
にがんばっちった。いろいろできそうな坊主だったが、そいつがお前さん、
れっこに参っちまってとうとう不味をつけたんだ。」
「あれ?おやー待てよ。くどいたんだっけかな?」
「いんや。不味だ。不味にちげえねえ。すると、こうと、
うーん、なんだか、言い方が少し変だぜ。」
「うーん、そうか。やっぱりそうか。するていとうやっこさん、
おどろいちまってかあに。」
「ん?だれがおどろいたんだい?」
「あ、女がさ。女が不味を受け取っておどろいたんだね。
ところが、おどろくような女ならしおらしいんだが、
おどろくどころじゃねえ。」
「じゃあ、だれがおどろいたんだい?」
「くどいたほうがさ。」
「ん?くどかないんじゃないのか?」
「ああ、ええ、じれって。まちがってら。不味をもらってさ。」
「それじゃ、やっぱり女だろう。」
「男がさ。」
「男ならその坊主だろう?」
「ええ、その坊主がさ。」
「坊主がどうしておどろいたんかい?」
「どうしたって。本堂で和尚さんとお経をあげてると、
いきなりあの女が飛び込んできて。」
「ふふふ、どうしても気じるしだね。」
「どうかしたのかい?」
「そんなにかわいいなら仏様の前で一緒に寝ようって出し抜けに
大安さんのくびっ玉かじりついたんでさ。」
「へえ。」
「めんくらったなあ、大安さん。
「死んだ?」
「ああ、死んだろうと思うのさ。
生きちゃえられねえ。」
「うーん、なんとも言えない。」
「そうさ、相手がきちがいじゃ死んだって冴えねえから
ことによると生きてるかもしれねえねえ。」
「なかなか面白い話だな。」
「面白いの面白くないのって。
村中大笑いでさ。
ところが当人だけは寝が気が違ってるんだから
シャーシャーして平気なもんで。
なあに、旦那のようにしっかりしてりゃ大丈夫ですがねえ。
相手が相手だから滅多にからかったりなんかすると
大変な目に遭いますよ。」
「ふん、じっとは気を付けるからねえ。」
「ははは。」
生ぬるい磯から塩気のある春風が
ふわりふわりと来て
お館ののれんを眠たそうにあおる。
身を端にしてその下をくぐり抜ける
ツバメの姿がひらりと鏡のうちに落ちてゆく。
向こうの家では
六十ばかりのおじいさんが
のぎしゃにうずくまりながら黙って貝をむいている。
かしゃりとさすがが当たるたびに
赤い身がざるの中にかくれる。
殻はきらりと光って
二尺あまりのかげろうを向こうへよこぎる。
丘のごとくにうず高く
つめあげられた貝がらは
かきかばかかまてがいか。
くずれた幾弁は砂川の底に落ちて
浮世の表から暗い国へほむられる。
ほむられるあとからすぐ
新しい貝が柳の下へたまる。
じいさんは貝の行方を考えうる
ひまさえなくただむなしき
殻をかげろうの上へほおりだす。
彼のざるにはささうべきそこなくして
春の日の流れ
彼の春の日はむじんぞうにのどかとみえる。
砂川は二軒にたらぬ小橋の下を流れて
浜のほうへ春の水をそそぐ。
春の水が春の海と出会うあたりには
紳士として幾広の星あみが
あみの芽をぬけて
村へふく南風に
なまぐさきぬくもりをあたいつつあるかと
わやしまれる。
そのあいだからどんとうをとかして
きながにのたくらせようとみえるのが
海の色だ。
この景色とこのお館とはとうてい調和しない。
もしこのお館の人格は強烈で
四辺の風光ときっこうするほどの
影響を世の頭脳にあたえたならば
世は領所のあいだにたって
すこぶる遠征豊作の館にうたれただろう。
幸いにしてお館は
さほどいだいな豪傑ではなかった。
いくら江戸っこでもどれほど炭火をきっても
この根前としてたいとうたる天地の
大気象にはかなわない。
満腹の饒舌をろうして
あくまでこの調子をやぶろうとするお館は
はやく一味陣となって
いいたる春光のうちに浮遊している。
矛盾とは力において量において
もしくは生き体育において
氷炭、愛、いるる与わずして
しかも童貞とに値するもの
もしくは人のあいだにあって初めて
見出しうべき現象である。
両者の感覚がはなはだしく献絶するときは
この矛盾はようやく
死人狼魔してかえって
大勢力の一部となって活動するに至るかもしれん。
大人の子息となって
妻子が活動し、妻子の
孤高となって毎娼が活動し、毎娼の
新婦となって牛馬が活動し
今はこれが為である。
今、我が親方は限りなき春の景色を背景として
一種の国境を演じている。
のどかな春の感じを壊すべき
はずの彼は、かえってのどかな春の感じを
国品に添えつつある。
与は、思わずやよよい仲間に
のんきな野児と近づきになったような
気持になった。
この極めて安価な喜宴歌は
太平絵の章を愚したる春の日に最も
調和せる一切式である。
こう考えるとこの親方もなかなか絵にも
詩にもなる男だから
帰るべきところをわざと尻を据えて
よもやまの話をしていた。
ところへ、のれんをすべって小さな坊主頭が
ごめん、一つ剃ってもらおうか
と、入ってくる。
白桃面の着物に
同じ丸茎の帯をしめて、上から
かやのように荒い衣を羽織って
すこぶる気楽に見える小坊主であった。
両年さん、どうだい。
こないだ道草やくって和尚さんに叱られたろう。
いにゃ、褒められた。
え?使いに出て途中で魚なんかとっていて
両年おかしいんだって褒められたんかい?
どうせ両年はよく遊んできて感心じゃあ
言うて、老子が褒められたのよ。
ふんふん。
どおりで頭にこぶができてら
そんなぶさほうな頭あそるな。
骨がおぼれていけねえ。
今日は勘弁するが、この次から骨直してきねえ。
骨直すくらいなら、もう少し上手なとこや行きます。
ははは。
頭はでこぼこだから口だけは私のもんだ。
腕は鈍いが酒だけ強いのはお前だろ。
べらばめ、腕が鈍いって?
あ、わしが言うたのじゃない。
老子が言われたんじゃ。
そう怒るまい。どうしがいもない。
ふん。おもしろくもねえ。
ねえ、旦那。
え?
前提坊主なんてもんは高い石段のように住んでやがって
くったくがねえから、自然に口達者になるわけですかねえ。
こんな小坊主までなかなか
口羽張っていることを言いますぜ。
あ、おっと。
もう少し土玉を寝かして。
ああ、寝かすんだってのに。
言うことを聞かなきゃ切るよ。いいか?
仕方いるぜ。
痛いかなあ、そう無茶をしては。
ぼーずにはもう納得るがな。
まだ一人前じゃねえ。
ときに、あの太陽さんはどうして死んだっけな、お小僧さん。
太陽さんは死にはせんがな。
死なねえ?
はてな、死んだはずだが。
太陽さんはそのうち
八分して陸前の大売地へ行って
修行三昧じゃ。
今に知識になられよ。結構なことよ。
ふん、何が結構だよ。
いくら坊主だって夜逃げをして結構なほうがあるめえ。
おめえなんざ、よく気をつけなくっちゃいけねえぜ。
とかく、しくじるなあ、女だから。
ああ、女って言えば、あの木印はやっぱり
お小僧さんのとこへ行くんかい。
木印という女は聞いたことがない。
ふんふん、通じねえ。
みそすりだ。
行くのか?行かねえのか?
木印は今後、塩田の娘さんなら来る。
ふん。
いくらお小僧さんの御祈祷でもあれば彼は直るめえ。
まったく千の旦那がたたってるんだ。
あの娘さんは偉い女だ。
老子が世を褒めておられる。
ふん。
一手段を上げると何でも逆さまだからかなわねえ。
お小僧さんが何て言ったってきちげえやきちげえだろ。
さあ、それだよ。
早く行って、お小僧さんに叱られてきめえ。
いや、もう少し遊んで行って褒められよ。
ふん。
勝手にしろ。
口の減らねえガギだ。
とっこぬかんしけつ
ああ、なんだぞ。
青い頭はすでにのれんをくぐって
旬風に吹かれている。
夕暮れの机に向かう。
障子も襖も開け放つ。
宿の人は多くもあらぬ上に、
家は割合に広い。
世が住む部屋は多くもあらぬ人の
人らしく振る舞う凶を
行き曲りの廊下に隔てれば
物の音さえしさくの患いにはならん。
今日はひとしお静かである。
主人も娘も下女も下男も
知らぬ間にわれを残して
立ちのいたかと思われ。
立ちのいたかとすれば
ただのところへ立ちのきはせん。
霞の国か雲の国かであろう。
あるいは雲と水が自然に近づいて
火事をとるさえ物浮き海の上を
いつ流れたとも心づかぬ間に
白い穂が雲とも水とも
見分けがたき境に漂い来て
果ては穂自らが
何処に己を雲と水より
差別すべきかを苦しむ辺りへ
そんな遥かなところへ立ちのいたと
思われる。
それでなければ
卒然と春の中に消えうせて
これまでの次第が今頃は
目に見えぬ霊笛となって
広い天地の間に顕微鏡の力を
かけたのであろう。
あるいは火張りに生かして
菜の花の木を
泣き尽くしたるのち
夕暮れ深き紫の
たなびくほとりへ
行ったのかも知れん。
また長き火をかつ長くする
阿部のお勤めを果たしたるのち
随に凍る甘き露を吸い損ねて
落ち椿の下に伏せられながら
ようがんばしく眠っているのかも知れん。
とにかく静かなもんだ。
むなしき家をむなしく抜ける春風の
おのずから来たりておのずから去る
公平なる宇宙の心である。
棚心に箱を支えたる世の心も
わが住む部屋のごとくむなしければ
春風は招かぬに
遠慮もなく生き抜けるであろう。
踏むは地と思えばこそ
酒はせぬかとの気遣いも起こる。
頂くは天と知る上に
稲妻の米紙に降る恐れもできる。
人と争わねば一部が立たぬと
浮世が催促するから
固くのくは免れぬ。
東西のある健康にすんで
争わねばならぬ身には
事実の恋は仇である。
目に見る富は土である。
握るなと奪える褒めとは
小賢しき恥が甘く醸すと見せて
針を捨て去る蜜のごときものであろう。
いわゆる楽しみは
物に着するより起こるがゆえに
あらゆる苦しみを含む。
ただ死人と化学なるものあって
あくまでこの大体世界の成果を噛んで
鉄骨鉄髄の凶器を知る。
霞を賛し露を飲み
死を貧し功を表して死に至って食いぬ。
彼らの我を受立すべき余地は
茫々たる大地を極めても見出し得ぬ。
時代に霊団を砲下して
針釣りに無限の生乱をおもる。
いたずらにこの境遇を念出するのは
あえて死生の同州人を比較して
好んで高く表示するがためではない。
ただ舎利の福音を述べて
縁ある奇状をさしまねくのみである。
あり程に言えば至強といい
我解というも
皆人々愚足の道である。
春春に指を織り尽くして
白銅に侵入するのとといえども
一生を開古して
越歴の波動を順次に転現し来る時
かつては美好の集外に漏れて我を忘れし
白首の境を呼び起こすことができよう。
できぬと言えば
生き甲斐のない男である。
されど一時に即死
一物に化するのみが死人の環境とは言わん。
ある時は一弁の花に化し
ある時は一層の蝶に化し
あるはウォーズウォースの如く一段の水仙に化して
心を匠風の裏に
慮覧せしむることもあろうが
何とも知れぬ四辺の風光に
心を奪われて我が心を奪われるは
何者ぞとも明瞭に意識せぬ場合がある。
ある人は天地の光輝に触れると言うだろう。
ある人は無限の金に礼題を聞くと言うだろう。
まだある人は
知りがたく下しがたきがゆえに
無限の域に旋回して標榜の土またに
咆哮すると敬仰するかもしれん。
何と言うもみなその人の自由である。
我が唐木の机に寄りて
ぽかんとした森林の状態はまさにこれである。
与は明らかに何事をも考えておらん。
まだ確かに何事をも見ておらん。
我が意識の舞台に
著しき色彩を持って動くものがないから
我はいかなる事物に
同化したとも言えぬ。
それでも我は動いている。
世の中に動いてもおらん。
世の外にも動いておらん。
ただ何となく動いている。
対話の重要性
花に動くにもあらず、鳥に動くにもあらず、
人間に対して動くにもあらず、ただ
咆哮と動いている。
しいて説明せよと言われるならば、
よが心はただ春とともに動いていると言いたい。
あらゆる春の色、春の風、春のもの。
春の恋を打って固めて
生誕に練り上げて
それを蓬莱の霊液に溶いて
桃源の火で蒸発せしめた精気が
知らぬ間に毛穴から染み込んで
心が近くせぬうちに
飽和されてしまったと言いたい。
普通の同化には刺激がある。
刺激があればこれこそ愉快であろう。
今日の同化には何と同化したか不文明であるから
拷問、刺激がない。
刺激がないから養全として名乗しがたい楽しみがある。
風に揉まれて
上の空なる波を起こす
軽薄で騒々しい趣とは違う。
目に見えぬ生き広の底を
大陸から大陸まで動いている
高揚たる爽快のありさまと形容することができる。
ただそれほどに活力がないばかりだ。
しかしそこにかえって幸福がある。
偉大なる活力の発現は
この活力がいつか尽き果てるだろうとの懸念がこもる。
常の姿には
そういう心配は伴わぬ。
常よりは
淡き我が心の今の状態には
我が激しき力の消滅はせぬかという
憂いの離れたるのみならず、
常の心のかもなく不可もなき
凡狂をも脱却している。
淡しとは単に捉えがたしという意味で
弱気に過ぎる恐れを含んではおらん。
忠友とか丹藤とかいう
詩人の語は
最もこの境を切実に
言い仰せたものだろう。
この境界を絵にしてみたらどうだろうと考えた。
絵画と心の葛藤
しかし普通の絵にはならないと決まっている。
我らが俗に絵と称するものは
ただ眼前の人事風光を
ありのままなる姿として、
我が神秘眼にろっかして
犬の上に移したものにすぎぬ。
花が花と見え、水が水と移り、
人物が人物として活動すれば、
絵の能力は終わったものと考えられている。
もしこの上に一刀地を抜けば、
我が感じたる仏性を、
我が感じたる魔物を趣きを添えて、
画布の上に倫理として生動させる。
ある特別の環境を
己が捉えたる神羅の内に偶遇するのが
この種の技術家の主意であるから、
彼らの見たる仏性観が明瞭に
ほとばしておらねば、
絵を製作したとは言わぬ。
己は近々のことを近々に見、
近々に感じたり、
その見方をも感じ方も
前人の理科に立ちて
古来の伝説に支配されてあるにあらず、
しかも最も正しくて、
最も美しきものなりと主張を示す作品に
あらざれば、
我が作というをあえてせぬ。
この二種の製作家に
主角神仙の区別はあるかもしれんが、
明瞭なる外界の刺激をもって
我が絵画館とする大目は
さほどに文明なものではない。
あらん限りの感覚を鼓舞して、
これを心外に物色したところで、
方円の形、光録の色はむろん、
濃淡の影、光線の筋を見出しかねる。
我が漢字は外から来たのではない。
たとえ来たとしても、
我が視界に怠る一定の景物ではないから、
これが原因だと指を挙げて
明らかに人に示すわけにはいかん。
あるものはただ心持ちである。
この心持ちをどう表したら絵になるだろう。
いや、この心持ちをいかなる具体を借りて、
人の画展するように彷彿せしめ得るかが
問題である。
普通の絵は漢字はなくても
物さえあればできる。
第二の絵は物と漢字と両立すればできる。
第三に至っては、
損するものはただ心持ちだけであるから、
絵にするにはぜひともこの心持ちに
恰好なる対象を選ばなければならん。
しかるにこの対象は容易に出てこない。
出てきても容易にまとまらない。
まとまっても、自然界に損するものとは
まるで趣をことにする場合がある。
したがって、
普通の人から見れば絵とは受け取れない。
描いた当人も、
自然界の極部が再現したものとは認めておらん。
ただ、環境の差した
国家の心持ちをいく分でも伝えて、
多少の生命を
消去しかたきムードに現れば
大成功と心得ている。
古来から、この南寺陵に
前々の勲者を収め得たる学校があるかないか知らん。
ある点まで、
この流派に指を染め得たるものをあぐれば、
文欲家の竹である。
雲国文家の山水である。
下って大賀堂の軽食である。
武尊の人物である。
大成の画家に立っては、
多く眼を愚小世界に馳せて、
親王の起因に傾倒せぬものが
大多数を占めているから、
この種の筆墨に
仏外の真因を伝え得るものは
果たして幾人やるか知らん。
惜しいことに摂取、
武尊らの務めて描出した一種の起因は、
あまりに単純でかつ、あまりに変化に乏しい。
筆力の点からは言えば、
到底これらの大化に及ぶわけはないが、
今、我が絵にしてみようと思う心持ちは
もう少し複雑である。
複雑であるだけに、
どうも一枚の中柳は漢字は収まりかねぬ。
法勢をやめて、
両腕を机の腕に組んで考えたが、
やはり出てこない。
色、形、調子ができて、
自分の心が、ああ、ここにいたなと、
たちまち事故を認識するように描かなければならない。
行き別れをした我が子を訪ね当てるため、
六十余集を開国して、
寝顔を覚めても、
忘れる間がなかったある日、
十字街頭にふと開講して、
稲妻の遮る暇も無きうちに、
ああ、ここにいたと思うように描かなければならない。
それが難しい。
この調子さえ出れば、
人が見て何とも言っても構わない。
絵でないと罵られても、
恨みはない。
いやしくも、色の配合が、
この心持ちの一部を代表して、
線の曲直がこの気合の幾分を表現して、
全体の配置がこの封印のどれほどかを支えるならば、
牛であれ馬であれ、
ないしは、牛でも馬でも何でもないものであれ、
糸はない。
糸はないが、どうもできない。
写生帳を机の上に置いて、
両目が錠の中へ落ち込むまで工夫したが、
とても物にならん。
鉛筆を置いて考えた。
こんな抽象的な趣向を演じようとするのが、
そもそもの間違いである。
人間にそう変わりはないから、
芸術における表現の難しさ
多くの人のうちにはきっと、
自分と同じ環境に触れたものがあって、
この環境を何らかの手段で永久化せんと
試みたに沿いない。
試みたとすれば、その手段は何だろう。
虹がピカリと目に映った。
なるほど、音楽家は書かるとき、書かれる必要に
迫られて生まれた自然の声だろう。
学は聞くべきもの、
習うべきものであると初めて気がついたが、
不幸にして、その辺の小作はまるで不安内である。
次に、死にはなるまいかと、
第三の両文に踏み込んでみる。
ネッシングという男は、
時間の経過を条件として起こる出来事を、
死の本領であるごとく論じて、
死がは不一にして良用なり、
との根本義を立てようと記憶するが、
そう死を見ると、
今、世の発表をしようと焦っている境外も
到底ものになりそうにない。
世が嬉しいと感じる真理の状況には、
時間はあるかもしれないが、
時間の流れに沿って定時に展開すべき
出来事の内容がない。
一が去り、二が来たり。
二が消えて、三が生まれるがために、
嬉しいのではない。
始めから要然として、
動書に波縦する趣で、
嬉しいのである。
既に動書に波縦する以上は、
時間的に材料を塩梅する必要はあるまい。
やはり絵画と同じく、
空間的に景物を配置したのみでできるだろう。
ただ、
いかなる形状を始終に持ち来たって、
この恒然として来たくなき有様を
映すかが問題で、既にこれを捉え得た以上は、
レッシンガーの説に従わんでも、
死として成功するわけだ。
ホーマーがどうでも、
バージルがどうでも構わない。
もし、死が一種のムードを表すに適しているとすれば、
このムードは、
時間の制限を受けて順次に進捗する
その助けを借らずとも、
単純に空間的なる絵画上の要件を満たしさえすれば、
原稿を持って描き得るものと思う。
理論はどうでもよい。
ラオコーンなどは、
大概忘れているのだからよく調べたら、
こっちが怪しくなるかもしれない。
とにかく、絵に一足なったから、
一つ死にしてみよう。と、
写生帳の上、鉛筆を押し付けて、
前後に身を薄ぶってみた。
しばらくは、筆の先の尖ったところを
どうにか運動させたいばかりで、
ゴーも運動させるわけにいかなかった。
逆に、保湯の縄を失念して、
喉まで出かかっているのに出てくれないような気がする。
そこで諦めると、出損なった縄は、
ついに腹の底へ収まってしまう。
屑湯を練るとき、
最初のうちはサラサラして、
箸に手応えがないものだ。
そこを辛抱すると、ようやく粘りが出てきて、
かき混ぜる手が少し重くなる。
それでも構わず、
箸を休ませずに回すと、今度は回しきれなくなる。
しまいには、
鍋の中の屑が、
求めるに先方から争って箸に付着してくる。
箸を作るのは、まさしくこれだ。
手がかりのない鉛筆が、
少しずつ動くようになるのに、
勢いを得て、
かれこれ二、三十分したら、
青春二、三月。
憂いは放送にして流し、
寒夏空庭に落ち、
素巾挙動に横たう。
少々掛かり手動かず、
田園畜寮を巡る。
というロックだけできた。
読み返してみると、
みんな、
絵になりそうな句ばかりである。
これならはじめから絵にすればよかったと思う。
なぜ、絵よりも詩の方が作りやすかったかと思う。
ここまで出たら、
あとはたいした句もなく出そうだ。
しかし、
絵にできない情を、次には歌ってみたい。
あれかこれかと思い煩った末、
とうとう、
独座して赤子なし。
放送に美好を認む。
人間、
いたずらにたじ。
この経、誰が忘るべけん。
かいとくす、
一日のせい。
まさにしる、百年のぼう。
かかい、
いずこによせん。
思う、白雲のきょう。
と、できた。
もういっぺんに最初から読み直してみると、
ちょっと面白く読まれるが、
どうも自分が今しかた入った心境を
移したものとすると、作前として物足りない。
ついでだから、
もう一首作ってみようかと、
鉛筆を握ったまま、何の気もなしに
一本の本を見ると、
襖を引いて開け放った幅三尺の空間をちらりと、
きれいな影が通った。
はてな。
与が眼を転じて入り口を見たときは、
きれいな物がすでに引き上げた
襖の影に半分隠れかけていた。
不思議な出会い
しかもその姿は与が見ぬ前から
動いていたものらしく、
はっと思う前に通り越した。
与は詩を捨てて入り口を見守る。
一分とたたんの間に、
影は反対の方から逆に現れてきた。
ふりそで姿のすらりとした女が、
音もせず向う二階の縁側を
若年として歩いて行く。
与は覚えず鉛筆を落として、
鼻から吸いかけた息をぴったりと止めた。
花曇りの空が刻一刻に天からずり落ちて、
今や古とまたれる夕暮れの乱寒に
しとやかに行き、
しとやかに帰るふりそでの影は、
与が座敷から六軒の中庭を隔てて、
重き空気の中に少量と見えつつ
隠れつする。
女はおもとより口も聞かん。
脇眼もふらん。
大きく裾の音さえ、
斧が耳に入らぬくらいの静かに歩いている。
腰から下にぱっと色づく裾模様は、
何を染め抜いたものか、
遠くてわからん。
ただ、無地と模様のつながる中が
斧頭からぼかされて、
夜と昼との境の如き心地である。
女はもとより夜と昼との境を歩いている。
この長いふりそで起きて、
長い廊下を何度行き、
何度戻るきか、世にはわからん。
いつ頃からこの不思議な様相を応援して、
この不思議な歩みを続けるつつあるかも、
世にはわからん。
その周囲に至ってはもとよりわからん。
もとよりわかるべきはずならぬことを、
書くまでも淡静に。
書くまでも静粛に書くまでも、
旅を重ねて繰り返す人の姿の
入口に現れては消え、
消えては現れるときの、
春の情景と心情
世の感じは一種異様である。
行く春の恨みを訴うる諸子ならば、
何がゆえに書くは無頓着なる。
無頓着なる諸子ならば、
何がゆえに書くは嫌を飾れる。
紅蓮とする春の色の宣言として、
しばらくは銘幕の小口を幻に彩る中に、
目も覚むほどの帯地は錦蘭花。
鮮やかなる織物は行きつ戻りつ、
壮然たる夕べの中に包まれて、
夕関のあなた、
涼苑の歌詞声一部ごとに消えて去る。
きらめき渡る春の星の
暁近くに、
紫深き空の底に
陥る趣である。
大弦の門、
自ら開けて、
この華やかなる姿を、
このままとする時、
与は、こう感じた。
勤病せに銀色を舞いに、
春の宵の一刻を千金と、
さざめき暮らしてこそしかるべき
この装いの、
厭う景色もなく、
争う様子も見えず、
色相世界から薄れてゆくのは、
ある点において、
超自然の情景である。
刻々と迫る黒き影を透かしてみると、
女は祝禅として席もせず、
うろたえもせず、
この様子を知らんとすれば、
無邪気の極みである。
知って、災いと思わぬならば、ものすごい。
黒いところが本来の住まいで、
しばらくの幻を、
もとのままなる迷幕の裏に収めればこそ、
可用に歓声の態度で、
宇と無の間に洶湧しているのだろう。
女の着けた振袖に、
ふんたる模様のつきて、
是非もなき駿すみに流れ込むあたりに、
御神の素情をほのめかしている。
また、こう感じた。
美しき人が美しき眠りについて、
その眠りから覚める暇もなく、
うつつのままで、
この世の息を引き取るときに、
枕元に病を守る我らの心は、
さぞつらいだろう。
四苦八苦を百苦に重ねて死ぬならば、
生き甲斐のない本人はもとより、
旗に見ている親しい人も、
殺すが慈悲と諦められるかもしれない。
しかし、すやすやと寝いる子供に、
死ぬべき何のとこがあろう。
眠りながら、
黄泉に連れて行かれるのは、
死ぬ覚悟をせぬうちに、
殺すと同様である。
湯屋の風景
どうせ殺すものなら、
とても逃れぬ情報と特信もさせ、
断念もして念仏を唱えたい。
死ぬべき条件が、
そんなわらぬ先に、
死ぬる事実のみがありありと確かめられるときに、
ナムアミタブスとエコーをする声が出るくらいなら、
その声で、
おいおいと半ばあの世へ足を踏み込んだ者を、
無理にも呼び返したくなる。
仮の眠りから、
いつのまとも心づかぬうちに、
長い眠りにうつる本人には、
呼び返される方が、
切れかかった煩悩の綱をむやみに引きかかるようで、
苦しいかもしれん。
慈悲だから呼んでくれるな。
穏やかに寝かしてくれと思うかもしれん。
それでも、我々は呼び返したくなる。
与は今度、女の姿が入口に現れたなら、
呼びかけて、
うつつのうちから救ってやろうかと思った。
しかし、夢のように三尺の幅を
すると抜ける影を見るや否や、
なんだか口が聞けなくなる。
今度はあと心を定めているうちに、
すると雲なく通ってしまう。
なぜ、なんとも言えぬかと考える途端に、
女はまた通る。
こちらに伺う人があって、
その人が自分のためにどれほどやきもき
思うているか、みじんも気にかからぬ
ありさまで通る。
面倒にも気の毒にも、
初手から世のごとき者に気をかねておらぬ
ありさまで通る。
今度は今度はと思うているうちに、
こらえかねた雲の層が、
持ちきれぬ雨の糸をしめやかに落とし出して、
女の影を少々と封じ終る。
7.
手ぬぐいを下げて湯壺へ下る。
3畳へ着物を脱いで、
段々を4つ降りると、
8畳ほどの風呂場へ出る。
石に不自由せぬ国と見えて、
下は三陰で敷き詰めた、
真ん中を4尺ばかりの深さに掘り抜いて、
豆腐屋ほどの湯船を据える。
船というものの、やはり石で畳んである。
黄泉と名の付く以上は、
いろいろな成分を含んでいるのだろうが、
色が純透明だから入り心地がよい。
お料理は口にさえ含んでみるが、
別段の味も匂いもない。
病気にも効くそうだが、
聞いてみぬから、
どんな病に効くのかも知らん。
もとより別段の治病もないから、
実用上の価値はかつて
頭の中に浮かんだことがない。
ただ、入るたびに考え出すのは、
博楽店の
温泉水なめらかにして業種を洗う
という句だけである。
温泉という名を聞けば、
必ずこの句に洗われたような
愉快な気持ちになる。
この理想以外に、
温泉についての注文はまるでない。
思い出と郷愁
スポリと浸かると、
土のあたりまで入る。
湯はどこから湧いて出るか知らんが、
常でも船の淵をきれいに越している。
春の石は乾く暇なく濡れて、
温かに踏む足の心は穏やかに嬉しい。
降る雨は夜の目をかすめて、
密かに春を潤すほどのしめやかさであるが、
軒の雫はようやく
刺激ぽたりぽたりと耳に聞こえる。
立て込められた湯気は、
床から天井をくまなくうずめて、
隙間さえあれば節穴の細きを厭わず
漏れ遺伝とする景色である。
秋の霧は冷ややかに、
たなびく靄はのどかに。
湯気たく、人の煙は青くたって、
大いなる空に、
我が儚き姿を託す。
様々な哀れはあるが、
春の夜ので湯の曇りばかりは、
湯浴びする者の肌を柔らかに包んで、
古き世の男かと我を疑わしむる。
目に映るものの見えぬほど、
深くまつわりはせぬが、
うつき布を人へ破れば、
何の苦もなく下界の人と
己を見出すように浅きものではない。
人へ破り、二へ破り、
幾重を破り尽くすとも、
この煙から出すことはならぬ顔に、
四方より我一人を
暖かき虹の中にうずめ去る。
酒に酔うという言葉はあるが、
煙に酔うという極を
耳にしたことがない。
あるとすれば霧にはむろん使えぬ。
霞には少し強すぎる。
さらに春暑の虹を監視たるとき、
初めて妥当なるを覚える。
与は湯船の淵に青向けの頭を支えて、
透き通る湯の中の
軽き身体を
できるだけ抵抗力の無き辺りへ
漂わしてみた。
ふわりふわりと魂が
クラゲのように浮いている。
世の中もこんな気になれば楽なもんだ。
分別の錠前をあけて
執着のしんばりを外す。
どうともせようと、
湯の中で湯と同化してしまう。
生きるに苦は要らん。
流れるものの中に
魂まで流していれば、
キリストのお弟子となったよりありがたい。
なるほど、この調子で考えると
ドザエモンは風流である。
スインバーの何とかいう詩に、
女が水の底で王女をして
嬉しがっている感じを書いてあったと思う。
世が平成から苦にしていた
未礼のオフェイリアも、
こう観察するとだいぶ美しくなる。
なんであんな不愉快なところを選んだものかと
思っていたが、あれはやはり絵になるのだ。
水に浮かんだまま、
あるいは水に沈んだまま、
あるいは沈んだり浮かんだりしたまま、
ただそのままの姿で
空なしに流れる有様は美的にそういない。
それで両岸にいろいろな草花をあしらって
水の色と流れてゆく人の顔の色と
衣服の色に
落ち着いた調和をとったなら、
きっと絵になるにそういない。
しかし流れてゆく人の表情が
まるで平和ではほとんど
とにわか比喩になってしまう。
経練的な苦悶はもとより、
全幅の精神を打ち壊すが、
全然色気のない平気な顔では
人情が映らない。
どんな顔を描いたら成功するだろう。
ミレイのフェイリアは成功かもしれないが、
彼の精神は世と同じところに損するか
疑わしい。
ミレイはミレイ、
世は世であるから、
世は世の興味を持って
一つ風流な土宰門を描いてみたい。
しかし思うような顔を
湯の中に浮いたまま、
今度は土宰門の山を作ってみる。
雨が降ったら濡れるだろう。
霜が降りたら冷たかろう。
土の下では暗かろう。
浮かば波の上、
沈まば波の底。
春の水なら
苦はなかろう。
と口の内で小声で
呻しつつ満然と浮いていると、
どこかでひくシャミセンの音が聞こえる。
美術家だのにと言われると恐縮するが、
実のところ、
世がこの楽器における知識はすこぶる怪しいもので、
2が上がろうが、
3が下がろうが、
耳にはあまり影響を受けたためしかない。
しかし静かな春のように、
雨さえ今日を添える
山里のうつぼの中で、
魂まで春の出湯に浮かしながら、
遠くのシャミを無責任に聞くのは
はなたは嬉しい。
遠いから何を歌って何を弾いているか、
むらんわからない。
そこに何だか趣がある。
音色の落ち着いているところから察すると、
神方の元凶さんの地歌にでも聞かれそうな
太顔かとも思う。
子供の時分。
門前によろぜ屋という酒屋があって、
そこにお倉さんという娘がいた。
このお倉さんが静かな春の昼過ぎになると、
必ず長歌のおさらいをする。
おさらいが始まると、
夜は庭へ出る。
茶畑の十つ葉あまりを前に控えて、
三本の松が客間の東側に並んでいる。
この松は周り一尺もある大きな木で、
面白いことに三本寄って、
初めて趣になった。
子供ごころにこの松を見ると、
いい心持ちになる。
松の下に黒く錆びた金銅籠が、
名の知れぬ赤い石の上に、
いつ見ても分からず、
あの固くな爺のように固く座っている。
与はこの銅籠を見つめるのが大好きであった。
銅籠の前後には、
苔深き地を抜いて、
名も知らぬ春の草が、
浮世の風を知らぬ顔に、
一人にようて、
一人楽しんでいる。
与はこの草の中で、
わずかに膝を、
いるるの積を見出して、
じっとしゃがむのが、
この自分の癖であった。
この三本の松の下に、
この銅籠を睨めて、
この草の顔を嗅いで、
そして、お倉さんの長太を遠くから聞くのが、
当時の日課であった。
お倉さんは、
もう赤い手柄の時代さえ通り越して、
大分と初体じみた顔を、
町婆へさらしているだろう。
向ことはおりややいいか知らん。
椿は年々帰ってきて、
泥を含んだくちばしを、
忙しげに働かしているか知らん。
椿と酒の葛は、
どうしても想像から切り離せない。
三本の松は、
いまだにいい格好で残っているか知らん。
金道路はもう壊れたにそういない。
春の草は、
草枕の朗読
昔しゃがんだ人を覚えているだろうか。
その時ですら、
口も聞かずに過ぎたものを、
今に見知ろうはずがない。
お倉さんの、
言葉との声も、
世も聞き覚えがあるとは言うまい。
椿の根が、
思わぬパノラマを、
世の眼前に展開するにつけ、
世は、
ゆかしい過去の目の当たりに立って、
二十年の昔に住む眼前なき小僧と成りすました時、
突然、
風呂場の音がさらりと空いた。
誰か来たなと、
見ようかしたまま、
視線だけを入口に注ぐ。
両船の淵の最も入口から、
椿は間二畳を隔てて、
斜めに世が目に入る。
しかし、見上げたる世の瞳には、
まだ何者も映らない。
しばらくは、
軒をめぐる雨垂れの音のみが聞こえる。
椿は、いつの間にか病んでいた。
やがて、
階段の上に何者か現れた。
広い風呂場を照らすものは、
ただ一つの小さき釣りランプのみであるから、
この隔たりでは、
澄みきった空気を控えてさえ、
鹿と物色は難しい。
逃げ場を失いたる今宵の風呂に立つを、
誰とはもとより定めにくい。
一段を下り、二段を踏んで、
まともに照らす穂影を浴びたるときではなくては、
男とも女とも声は掛けられぬ。
黒いものが一方、下へ移した。
踏む石は、
微老土のごとく柔らかと見えて、
足音をしょうに、
これを折りすれば、動かぬと表しても差し支えない。
が、輪郭は少しく浮き上がる。
世は、額をだけあって、
人体の骨格については、
何とも知れぬものの一段動いたとき、
世は、女と二人、
この風呂場の中にあることを悟った。
注意をしたものかせぬものかと浮きながら考える間に、
女の影はいかんなく、
世が前に早くも現れた。
みなぎり渡る湯煙の、
柔らかな光線を一分子ごとに含んで、
薄紅の温かに見える奥に、
漂わす黒髪を雲と流して、
荒ん限りの背丈をすらりと伸ばした女の姿を見たときは、
礼儀の、
作法の、
風紀のという漢字はことごとく、
我が能力を去って、
ただひたすらに、
美しい画題を見出し得たとのみ思った。
古代、
ギリシャの彫刻はいざ知らず、
近世復刻の画家が命と頼む、
裸体画を見るたびに、
あまりにあからさまな肉の美を、
極端まで描き尽くそうとする痕跡が、
ありありと見えるので、
どことなく、
金に乏しい心持ちが、
今まで我を苦しめてならなかった。
しかし、
何であるかがわからぬゆえ、
我知らず答えを得るに反問して、
今日に至ったのだろう。
肉を覆えば、
美しきものが隠れる。
隠さねば癒しくなる。
今の世の裸体画というは、
ただ隠さぬという癒しさに、
技巧をとどめておらん。
衣を奪いたる姿を、
そのまま映すだけにては物足らんと見えて、
あくまでも裸を遺憾の背に押し出そうとする。
服を着けたるが、
人間の状態になるを忘れて、
できらに全ての賢能を付与せんと試みる。
十分で事たるべきことを、
十二分にも十五分にもどこまでも進んで、
ひたすらに裸体であるぞという感じを、
強く描出しようとする。
技巧が、
この極端を達したる時、
人はその患者を、
仕得るをろうとする。
美しきものを厭がう上に、
美しくせんと焦る時、
美しきものはかえって、
その度を厳ずるが習いである。
本を招くとのことわざは、
これが為である。
方針と無邪気とは余裕を示す。
余裕は絵において、詩において、
もしくは文章において、
必須の条件である。
近代芸術の一大兵闘は、
いわゆる文明の潮流が、
いたずらに芸術の詩を買って、
曲として随所に悪則垂らしむるにある。
裸体画はその恒例であろう。
都会に芸技というものがある。
色を売りて、人に小ビルを商売にしている。
彼らは評価に対する時、
我が容姿のいかに
相手の瞳に映ずるかを
考慮するのほか、
何らの表情をも発揮しえぬ。
年々に見る他論の目録は、
この芸技に似たる裸体美人をもって
充満している。
彼らは一秒時も
我が裸体なるを忘るる
あたわざるのみならず、
全身の筋肉を無頭化して、
我が裸体なるを感情に示さんと
努めている。
いま、与賀、面前に評定と
一陣もこの俗愛の目に遮るものを
帯びておらん。
常の人の纏える衣装を脱ぎ捨てたる様といえば、
すでに人外に打在する。
はじめより
着るべき服も、振るべき袖もあるものと知らざる
神世の姿を
雲の中に呼び起こしたるが如く自然である。
部屋をうずむる湯煙は、
埋め尽くしたる後から
絶えず湧き上がる。
春の夜の日を半透明に崩し広げて、
部屋一面の
虹の世界が細やかに揺れる中に、
朦朧と黒きかとも思われるほどの
紙をぼかして真っ白な姿が
雲の底から次第に浮き上がってくる。
その輪郭を見よ。
首筋を軽く内輪に
双方から攻めて、
くもなく肩の方へ流れ落ちた線が
豊かに丸く折れて、
流れる末は五本の指と別れるのであろう。
ふっくらと浮く二つの
乳の下には、しばし引く波が
また滑らかに盛り返して
下腹の張りを安らかに見せる。
張る勢いを後ろへ抜いて、
勢いの作るあたりから、
分かれた肉が平行を保つために
少しく前に傾く。
逆に言うくる膝頭のこの度は、
立て直して長きうねりのかかとにつく頃、
平たき足がすべての葛藤を、
二枚の足の裏にやせやすと始末する。
世の中にこれほどの
煞雑した配合はない。
これほど統一のある配合もない。
これほど自然で、これほど柔らかで、
これほど抵抗の少ない、
これほど苦にならぬ輪郭は
決して見出せぬ。
輪郭は普通の裸体のごとく露骨に、
世が目の前に突きつけられてはおらん。
すべてのものを有限に化する
一種の霊粉の中に彷彿として、
十分の美を奥ゆかしく
ほのめかしているにすぎん。
辺輪を発墨輪輪の間に転じて、
恐竜の甲斐を
貯豪のほかに創造せしむるがごとく、
芸術的に感じて申し分のない
空気と温かみと
冥木なる調子と備えている。
6636輪を丁寧に描きたる
龍の滑稽におつるが事実ならば、
赤ひららの肉を乗車所に眺めぬうちに
神獣の余韻はある。
与はこの輪郭の眼に落ちたとき、
桂の都を逃れた月界の定画が
虹に追ってに取り囲まれて
しばらく躊躇する姿と眺めた。
輪郭は次第に白く浮き上がる。
今一歩を踏み出せば
せっかくの定画が哀れ
俗界に堕落するようと思う刹那に、
緑の髪は
波を切る霊気の斧ごとく風を起こして
棒となびいた。
一幕煙をつんざいて、
白い姿は階段を飛び上がる。
ほほほほと鋭く笑う女の声が
廊下に響いて、
静かなる風呂場を次第に向こうへ遠ぬく。
与はがぶりと湯を飲んだまま
船の中に突っ立つ。
驚いた波が胸へあたる。
淵をこす湯の音が
サーサーと鳴る。
1987年発行
裸体美の考察
筑波書房
筑波文庫
夏目漱石全集Ⅲ
一部読料読み終わり
2時間経ちましたので
前半ここで一旦切ろうと思います。
全体で13節あるうちの
7節まで読み終わったので
7と6で分けたら
ちょうどいい感じかなと思います。
後編もまた
2時間くらいかかるのかなという
気がしますが
難しいね漢字がね
すごく難しいね
そして詩的だね
へえへえ
最初の1文で十分でしたね
へへへ
地に働けば角が立つ
城に差をさせば流される
意地を通せば窮屈だ
都会に人の世は進みにくい
あれだけで十分でしたね
それで全てという感じもしますが
また合間を塗って後編を
収録したいと思います。
この前半の収録もね
そうですねどんぐらいかかったかな
半月くらいはかかってるかな
そんなかかってないかな
2週間くらいかかってるかも
全て完成した状態で
前後をポンポンと出すと思いますが
はいしばらくお待ちいただければと思います
寝落ちの
ホームポッドキャストではリクエストをお待ちしています
概要欄のフォームより
リクエストを送りください
住所が書いてあったらステッカーを送り付けようと思っています
あ、差し上げようと思っています
はい
エピソードの締めくくり
その辺抵抗がない方はぜひ
まだ制作してないんだけどね
ステッカー
はい
それでは終わりにしましょうか
無事に寝落ちできた方も
最後までお付き合いいただけた方も
大変にお疲れ様でした
といったところで
今日のところはこの辺で
また次回お会いしましょう
おやすみなさい
02:06:43

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