8 お茶のご馳走になる。
愛客は僧一人。 関外寺の和尚で名は大鉄という僧だ。 俗一人。24後の若い男である。
老人の部屋は、与賀室の廊下を右へ突き当たって、左へ折れた駅の周りにある。 大きさは6畳もあろう。
大きな四短の机を真ん中に据えてあるから、思ったより狭苦しい。 それへという席を見ると、布団の皮に花壇が敷いてある。
むろん品せいだろう。 真ん中を六角に仕切って、妙な家と妙な柳が織り出してある。
周りは鉄色に近い藍で、 四隅に唐草の模様を飾った茶の和を染め抜いてある。
品ではこれを座敷に用いたものか疑わしいが、こうやって布団に代用してみると、スコブル面白い。
インドのサラサとかペルシャの壁掛けとか豪するものが、ちょっと間が抜けているところに価値があるごとく。
この花壇も、こせつかないところに趣がある。 花壇ばかりではない。すべて品の器具はみな抜けている。
どうしても馬鹿で、気の長い人種の発明したものと他取れない。 見ているうちに、ぼーっとするところが尊い。
日本は近着切りの態度で美術品を作る。 西洋は大きくて細かくて、そうしてどこまでもシャバっけが取れない。
まずこう考えながら席に着く。 若い男は与と並んで花壇の半ばを占領した。
和尚は虎の皮の上へ座った。 虎の皮の尻尾が与の膝のそばを通り越して、頭は老人の尻の下に敷かれている。
老人は頭の毛をコトコトと抜いて、頬と顎へ移植したように、白い髭をむしゃむしゃと生やして茶宅へ乗せた茶碗を丁寧に机の上に並べる。
今日は久しぶりで、家へお客が見えたからお茶をあげようと思って。 と坊さんの方を向くと、
いや、お使いをありがとう。私もだいぶご無沙汰をしたから、今日ぐらい来てみようかと思ったところじゃ。 と言う。
この層は、六十近い丸顔のだるまを蔵書に崩したような要望を有している。 老人とは、普段からのじっこんと見える。
この方がお客さんかな。 老人はうなずきながら、朱でえの急須から緑を含む琥珀色の玉液を、二三滴ずつ茶碗の底へ滴らす。
清い香りが、かすかに花を襲う気分がした。 こんな田舎に一人では、お寂しかろ。と和尚はすぐ世に話しかけた。
はあ、と何ともかんとも要領への返事をする。 寂しいと言えば、偽りである。寂しからずと言えば、長い説明が要る。
なんの、和尚さん。この方は、絵を描かれるために来られたんじゃから、お忙しいぐらいじゃ。
おお、さようか。それは結構だ。やはり、南宗派かな? いいえ、と今度は答えた。西洋画だ、などと言っても、この和尚にはわかるまい。
や、例の西洋画じゃ。と老人は主人役にまた半分引き受けてくれる。 ははあ、洋画か。
すると、あの九一さんのやられるようなもんかな。 あれはわし、この間初めて見たが、ずいぶんきれいに描けたのを。
いいえ、つまらんもんです。と、若い男はこの時ようやく口を開いた。 お前、なんぞ和尚さんに見ていただいたか。と老人が若い男に聞く。
言葉から言うても様子から言うても、どうも真類らしい。
なあに、見ていただいたんじゃないんですが、鏡が池で写生しているところを和尚さんに見つかったんです。
うーん、そうか。 あ、さあ、お茶がつけたから、いっぱい。
と、老人は茶碗を銘々の前に置く。茶の量は三四的に過ぎぬが、茶碗はすこびる大きい。
生壁色の知恵、焦げた担当、薄い木で絵だか模様だか鬼の面の模様になりかかったところか、ちょっと見当のつかないものが、べたに書いてある。
木笛です。と、老人が簡単に説明した。 これは面白い。と、世も簡単に褒めた。
木笛はどうも偽物が多くて、その糸底を見てごらんなさい。銘があるから。 と言う。取り上げて障子の方へ向けてみる。
障子には植木鉢の波乱の影が温かそうに映っている。 首を曲げて覗き込むと、木の地が小さく見える。
銘は鑑賞の上に置いて、さのみ大切のものとも思わないが、豪図者はよほどこれが火にかかるそうだ。
茶碗を下へ置かないで、そのまま口へつけた。 濃く甘く湯加減に出た重いつゆを舌の先へ一しずく落として、味わってみるのは肝心的の陰時である。
普通の人は茶を飲むものと心得ているが、あれは間違いだ。 雑踏へポタリと乗せて清いものが四方へ散れば、喉へ下るべき液はほとんどない。
ただ、腹育たる匂いが食堂から胃の中へ染み渡るのみである。 歯を用いるのは妖しい。水はあまりに軽い。
玉露に至っては細やかなること、炭水の凶を出して、顎を疲らすほどの硬さを知らず、結構な飲料である。
眠られぬと訴うる者あれば、眠らぬも茶を用いよと勧めたい。
老人はいつの間にやら清玉の菓子皿を出した。 大きな塊を角まで薄く、角まで規則正しくくり抜いた精進の手際は驚くべきものと思う。
透かしてみると春の日陰は一面に差し込んで、差し込んだまま、逃れいずる道を失ったような感じである。
中には何も漏らぬがいい。 お客さんが清酒を褒められたから、今日はちょっとばかり見せようと思って出しておきました。
どの清酒を? うん、あの菓子鉢かな。あれはわしも好きじゃ。
ときにあなた、西洋画では襖などは描けんもんかな。 描けるなら一つ頼みたいがな。
描いてくれなら価格のこともないが、この和尚の気に入るかいらぬかわからない。 せっかく骨を折って西洋画はダメだなと言われては骨の折り映えがない。
襖には向かないでしょう。 向かんかなぁ。
そもそもな、この間の913の絵のようじゃ、少し派手すぎるかもしれん。
私のはダメです。まるではまるでいたずらです。 と若い男はしきりに恥ずかしがって謙遜する。
そのなんとかいう池はどこにあるんですか? と、ようは若い男に念のため尋ねておく。
ちょっと寒海寺の裏の谷のところで、ゆうすいなところです。 何、学校にいる自分習ったから、退屈紛れにやってみただけです。
寒海寺というと。 寒海寺というと、わしのいるところじゃ。いいところじゃ。
海を一目に見下ろしての。 まぁ、途流中にちょっと来てごらん。
何、ここからはつい五六丁よ。 あの廊下から、そら、寺の一段が見えるじゃろうが。
いつかお嬢にあがってもいいですか? あぁ、いいとも。いつでもいる。
ここのお嬢さんもよく来られる。 お嬢さんといえば、今日はお並みさんが見えんようだが。
どうされたかな、いんけさん。 どこぞや出ましたかな、九一。お前の方へ行きはせんかな。
いいえ、見えません。 また一人散歩かな。
ふふふ。お並さんは、なかなか足が強い。 この間、法要で都並まで行ったら、姿見橋のところで、どうもよく似とると思ったら、お並さんよ。
資料をはしょって、造料をはいって、お嬢さん、何をぐずぐず、どこへ行きなさると、いきなり驚かされたて。
ふふふ。 お前はそんななりで、自体どこへ行ったのぞいと聞くと、今、せり積みに行った戻りじゃ、お嬢さん、少しやろうかと言うて、いきなりわしの手元へ泥だらけのせりを押し込んだで。
どうも、と老人は苦笑いをしたが、急に立って、 実はこれをご覧に入れるつもりで、と話をまた道具の方へそらした。
老人が、下端の書家から、うやうやしく取りおろした、もんどんすの古いふくらは、なんだか重そうなものである。
お嬢さん、あなたには、お目にかけたことがあったかな。 あんじゃ、一体。
すずりよ。 ええ、どんなすずりかい。
山羊の愛憎をしたという。 いいえ、そりゃまだ見ん。
春水のかやぶたがついて。 おお、そりゃまだのようだ。どれどれ。
老人は、大事そうにどんすのふくろの口をとくと、あずきいろの四角な石がしらりと角をみせる。
ああ、いい色合いじゃのう。単形かい。 単形で、九翼眼が九つある。
九つ。 と、お嬢、大いに感じた様子である。
これが春水のかやぶた。 と、老人は、輪図ではった薄いふたをみせる。 上に春水の字で四言絶句が書いてある。
ああほど、春水は陽覚。陽覚が。 しょは、強兵のほうが上手じゃて。
やはり強兵のほうがいいかな。 山羊が一番まずいようだ。どうもお妻子肌でぞっけがっていこ面白ない。
はははは、お嬢さんは山羊がきらいだから、きょうは山羊のふくをかけかけておいた。
ほんに。 お嬢さんはうしろをふりむく。
とこは平床を鏡のようにふきこんで、さびけをふいた小道兵には木欄を二尺の高さにいけてある。
軸はそこびかりのある古錦欄に。 想定の工夫を込めた仏祖来の大服である。
絹字ではないが、多少の時代がついているから、字の口節に論なく、紙の色が周囲の切れ字とよく調和して見える。
あの錦欄も折りたてはあるほどのゆかしさもなかったろうに、彩色があせて、金紙が沈んで、はてなところがめりこんで、渋いところがせり出して、あんないい調子になったんだと思う。
こけ茶の砂壁に、白い造毛の軸が際立って、両方に突っ張っている。
手前に、例の木欄がふわりと浮き出されているほかは、とこ全体の趣は、落ち着きすぎてむしろ陰気である。
「祖来かなあ?」と和尚が首を向けたまま言う。
「祖来もあまりお好きではないかもしれんが、三葉よりはよかろうと思うて。」
「ああ、それは祖来のほうがはるかにいい。
今日頬頃の学者の字はまずくてもどこぞに品がある。」
「光沢をして日本の能書ならしめば、我はすなわち漢字の説なるものを言う他のは祖来だったかな。和尚さん。」
「わしは知らん。そう威張るほどの字でもないて。」
「時に和尚さんは誰を習われたのかな?」
「もしか、禅坊主は本も読まず寺内もせんからのう。」
「しかし誰ぞ習われたろう?」
「若い時に後世の字を少し稽古したことがある。」
「それぎりじゃ。それでも人に頼まれればいつでも書きます。
時にその短形を一つお見せ。」
と和尚が猜測する。
とうとう鈍寸の袋を取り抜ける。
一座の支線はことごとくすずりの上に落ちる。
厚さはほとんど二寸に近いから通例のものの倍はあろう。
四寸に六寸の幅も長さもまず並といってよろしい。
蓋には鱗の型に磨きをかけた松の皮をそのまま用いて、
上には朱印でわからぬ書体が虹ばかり書いてある。
「ああ、この蓋が。」と老人が言う。
「この蓋がただの蓋ではないので、ごらんのとおり松の皮にはそういないが。」
老人の眼は世の方を見ている。
しかし松の皮の蓋にいかなる因縁があろうと学校として世はあまり感覚はできんから。
「松の蓋は少し俗ですな。」と言った。
老人はまあと言わぬばかりに手を挙げて、
「ああ、ただ松の蓋と言うばかりでは俗でもあるが、これはそのなんですよ。
山陽が広島におった時に庭に生えていた松の皮を剥いで、山陽が手塚らせしたんですよ。」
なるほど。山陽は俗な男だと思ったから。
「どうせ自分で作るなら、もっと不器用に作れそうなもんですな。
わざとこのウルコの型などをピカピカ研ぎ出さなくてもよさそうに思われますが。」と遠慮のないところを言ってのけた。
「はははは、そう思うよ。この蓋はあまり安っぽいようだな。」と和尚はたちまちいように賛成した。
若い男は気の毒そうに老人の顔を見る。
老人は少々不機嫌の体に蓋を払いのけた。
下からいよいよスズリが正体をあらわす。
もしこのスズリについて人の目をそば立つべき得意の点があるとすれば、その表面にあらわれてある精進の刻である。
真ん中に玉と時計ほどの丸い肉が縁とすれすれの高さに彫り残されて、これを蜘蛛の背にかたどる。
中央から四方に向かって八本の足が湾曲して走ると見れば、先には各々苦欲眼を抱えている。
残る一個は背の真ん中に木な汁を滴らしたごとくに滲んで見える。
背と足と縁を残して残る部分はほとんど一寸よの深さに彫り下げてある。
墨をたたえるところはよもやこの山岩の底ではあるまい。
たとえ一号の水を注ぐともこの深さを満たすには足らん。
思うに水雨のうちから一滴の水を銀石にて蜘蛛の背に落としたるを、尊き墨にすり去るのだろう。
そうでなければ名はスズリでもその実は純然たる文房用の装飾品にすぎん。
老人はよだれの出そうな口をして言う。
この肌へとこの眼を見て下さい。
なるほど見れば見るほどいい色だ。
寒く潤沢を帯びる肌の上には、はっと一息かけたなら直ちに凝って一打の蜘蛛を起こすだろうと思われる。
ことに驚くべきは目の色である。
目の色と言わんより目と地の相交わるところが次第に色を取り替えていつ取り替えたか、ほとんど我が目の欺かれたるを見出し得ぬことである。
形容してみると紫色の虫洋館の奥に人間豆をすいて見えるほどの深さにはめ込んだようなものである。
目といえば一個二個でも大変に沈調される。
九個と言ったらほとんど類はあるまい。
しかもその九個が整然と同距離に塩梅されてあたかも人造の練り物と見違えられるに至ってはもとより天下の一品をもって許さざるを得ない。
なるほど。
結構です。
見て心持ちがいいばかりじゃありません。
こうして触っても愉快です。
と言いながら世は都内の若い男にすずりを渡した。
九一にそんなものがわかるかい?
と老人が笑いながら聞いてみる。
九一君はやけの気味で。
わかりやしません。
と、うっちゃったように言い放ったが、
わからんすずりを自分の前に置いて眺めていてはもったいないと気がついたものか、
また取り上げて世に返した。
世はもう一ぺん丁寧に撫で回したのち、
とうとうこれをうやうやしく禅事に返却した。
禅事は、とくと手の上で見すました末、
それでは飽きたなと考えた後も入れて、
ねずみもめんの着物の袖を容赦なく雲のせいこすりつけて、
艶の出たところをしきりに障眼している。
やあインキョウさん、どうもこの色がじつによいな。
使おうたことがあるかの?
いや、めったに扱いとうないからまだこうとなりじゃ。
ああ、そうじゃろ。
こないなのは品でもめずらしかろうなインキョウさん。
うん、さあよ。
わしもひとつ欲しいもんじゃ。
なんなら九一さんに頼もうか。
どうかな、こうて着ておくれんかな。
ふふふ、すずりを見つけないうちに死んでしまいそうです。
うん、ほんとにすずりどころではないな。
ときにいつお立ちか。
二三十日に立ちます。
インキョウさん、吉田まで送っておやり。
ふだんなら年はとっとるし、
まあ見合わすところじゃことによるともう会えんかもしれんから、
送ってやろうと思っております。
おじさんは送ってくれんでもいいです。
若い男はこの老人の老いと見える。
なるほど、どこかにている。
なあに送ってもらうがいい。
川船で行けばわけはない。
なあ、インキョウさん。
はい、山越しではなんげだが、まわり道でも船なら。
若い男は今度は別に辞退もしない。ただ黙っている。
品のほうへおいでですか。
と、与はちょっと聞いてみた。
ええ。
Aの二次では少し物足らなかったが、その上ほって聞く必要もないから控えた。
少女を見ると乱の影が少し位置を変えている。
なあにあんた、やはり今度の戦争で。
これが元志願兵をやったもんだから、それで召集されたんで。
老人は当人に代わって満州の矢に非ならず出世すべきこの青年の運命を世に告げた。
この夢のような死のような春の里に、
鳴くは鳥、落つるは花、湧くは出湯のみと思いつめていたのは間違いである。
現実世界は山を越え海を越えて平家の光栄の見積み古したる子孫にまで迫る。
昨北の荒野を背む血潮の何万分の一かはこの青年の胴脈からほとばしる時が来るかもしれない。
この青年の腰に鶴長き鶴着の先から煙となって吹くかもしれない。
しかしてその青年は夢見ることより他に何らの価値を人生に認め得ざる一学校の隣に座っている。
耳をそばだすれば彼が胸に打つ心臓の鼓動さえ聞き得るほど近くに座っている。
その鼓動のうちには百里の平野をまく高き牛夜が今すでに響いているかもしれん。
運命は率然としてこの二人を一堂のうちに返したるのみにて、その他には何事をも語らぬ。
九。
お勉強ですか。
と女が言う。
部屋に帰った夜は三脚機に縛り付けた書物の一冊を抜いて読んでいた。
おはようなさい。
ちょっともかまいません。
女は遠慮する景色もなくつかつかと入る。
くすんだ半衿の中から格好のいい首の色が鮮やかに抜き出ている。
女が世の前に座ったとき、この首とこの半衿の対象が第一番に目についた。
西洋の本ですか。難しいことが書いてあるでしょうね。
なあに。
じゃあ何が書いてあるんです。
そうですね。実は私にもよくわからないです。
それでお勉強なの。
勉強じゃありません。ただ机の上をこう開けて開いたところをいい加減に読んでいるんです。
それで面白いんですか。
それが面白いんです。
なぜ。
なぜって小説なんかそうして読むほうが面白いです。
よっぽど変わっていらっしゃるのね。
ええ。ちょっと変わっています。
はじめから読んじゃどうして悪いでしょう。
はじめから読まなければならないとすると始まりまで読まなければならないわけになりましょう。
妙な理屈なこと。始まりまで読んだっていいじゃありませんか。
無論悪くはありませんよ。筋を読む気なら私だってそうします。
筋を読まなければ何を読むんです。筋のほかに何か読むものがありますか。
要はやはり女だなと思った。多少試験してやる気になる。
あなたは小説が好きですか。
私が。
と苦を切った女は後から
そうですね。
とはっきりしない返事をした。あまり好きでもなさそうだ。
好きだか嫌いだか自分にもわからないんじゃないですか。
うーん小説なんか読んだって読まなくったって。
と眼中にはまるで小説の存在を認めていない。
それじゃあはじめから読んだって始まりから読んだっていい加減なところをいい加減に読んだっていいわけじゃありませんか。
あなたのようにそうしげげがらないでもいいでしょう。
だってあなたと私とは違いますもの。
どこが。
と余は女の目の内を見つめた。試験をするのはここだと思ったが女の瞳は少しも動かない。
わかりませんか。
しかし若いうちは随分お読みなさったろう。
余は一本道で押し合うのをやめにしてちょっと裏へ回った。
あら今でも若いつもりですよかわいそうに。
話した鷹はまたそれかかる少しも油断がならん。
そんなことが男の前でいればもう年寄りのうちですよ。
とやっと引き戻した。
そういうあなたも随分の年じゃありませんか。
そんなに年をとってもやっぱり惚れたの腫れたのニキビができたのってことが面白いんですか。
ええ面白いんです。死ぬまで面白いんです。
おやそう。それだから絵描きなんぞになれるんですね。
まったくです。絵描きだから小説なんか始めから終わりまで読む必要はないんです。
けれどもどこを読んでも面白いんです。あなたと話をするのも面白い。
ここへ投入しているうちは毎日話をしたいくらいです。
なならあなたに惚れ込んでもいい。そうなるとなお面白い。
しかしいくら惚れてもあなたと夫婦になる必要はないんです。
惚れて夫婦になる必要があるうちは小説を始めから終わりまで読む必要があるんです。
それと不人情な惚れ方をするのが絵描きなんですね。
不人情じゃありません。非人情な惚れ方をするんです。
小説も非人情で読むから筋なんかどうでもいいんです。
こうしておみくじを引くようにパッと開けて開いたところを万全と読んでいるのが面白いんです。
なるほど。面白そうね。
じゃあ今あなたが読んでいらっしゃるところを少し話してちょうだい。
どんな面白いことが出てくるか伺いたいから。
話しちゃダメです。絵だって話しにしちゃ一文も値打ちもなくなるじゃありませんか。
それじゃあ読んでください。
英語でですか?
いいえ。日本語で。
英語を日本語で読むのはつらいな。
いいじゃありませんか。非人情で。
これも一興だろうと思ったから、
与は女の恋に応じて、
例の書物をポツリポツリと日本語で読み出した。
もし世界に非人情の読み方があるとすればまさにこれである。
聞く女ももとより非人情で聞いている。
情けの風が女から吹く。
声から目から肌へから吹く。
男に助けられて共に行く女は夕暮れのベニスを眺むるためか。
助くる男は我が脈に稲妻の血を走らすためか。
非人情だからいい加減ですよ。
ところどころ抜けるかもしれません。
よこざんすとも。
ご都合次第でおたしなすってもかまいません。
女は男と並んで船端に寄る。
二人の隔たりは風に吹かれるリボンの幅よりも狭い。
女は男と共にベニスにさらばという。
ベニスなる道寿の伝楼は今第二の日没のごとく薄赤く消えてゆく。
黒ずんだ毒気のある恐ろしみを帯びた調子である。
この調子をそこに持って椿はどこまでも派手に装っている。
しかも人にこぶる様もなければことさら人を招く様子も見えん。
ぱっと咲きぽたりと落ちぽたりと落ちぱっと咲いて、
幾百年の清掃を一目にかからぬ三陰に落ち着き払って暮らしている。
ただ一目見たが最後。
見た人は彼女の魔力から昆臨座へ逃れることができない。
あの色はただの赤ではない。
ほふられたる囚人の血が自ら人の目を引いて、
自ら人の心を不快にするごとく一種異様な赤である。
見ているとぽたり赤いやつが水の上に落ちた。
静かな春に動いたものはただこの一輪である。
しばらくするとまたぽたり落ちた。
あの花は決して散らない。
崩れるよりも固まったまま枝を離れる。
枝を離れる時は一度に離れるから未練のないように見えるが、
落ちても固まっているところは何となく毒々しい。
またぽたり落ちる。
ああやって落ちているうちに池の水が赤くなるだろうと考えた。
花が静かに浮いているあたりは今でも少々赤い様な気がする。
また落ちた。
池の上落ちたのか水の上落ちたのか区別がつかぬくらい静かに浮く。
また落ちる。
あれが沈むことがあるだろうかと思う。
年々落ち尽くす幾万輪の椿は水に見つかって色が溶け出して腐って泥になってようやくそこに沈むのかしら。
幾千年の後にはこの古い池が人の知らぬ間に落ちた椿のために渦漏れて元の平地に戻るかもしれぬ。
また一つ大きいのが血を塗った人玉のように落ちる。
また落ちる。
ぽたりぽたりと落ちる。
再現なく落ちる。
こんなところへ美しい女の浮いているところを描いたらどうだろうと思いながら元のところへ帰ってまた煙草を飲んでぼんやり考え込む。
夕場の御波さんが昨日冗談に言った言葉がうねりを打って記憶のうちに寄せてくる。
心は御波に乗る一枚の板子のように揺れる。
あの顔を種にしてあの椿の下に浮かせて上から椿を幾輪も落とす。
椿が常しないに落ちて女が常しないに水に浮いている感情を表したいがそれが絵で描けるだろうか。
かのラオコーンには。
ラオコーンなどはどうでも構わない。
現実に背いても背かなくってもそういう心持ちさえ出ればいい。
しかし人間を離れないで人間以上の永久という感情を出すのは容易なことではない。
第一顔に困る。
あの顔を枯れるにしてもあの表情ではダメだ。
苦痛が勝手は全て打ち壊してしまう。
と言ってむやみに気楽ではなお困る。
いっそ他の顔にしてはどうだろう。
あれかこれかと指を折ってみるがどうも思わしくない。
やはり御波さんの顔が一番似合うようだ。
しかしなんだか物足りない。
物足らないとまでは気が付くがどこが物足りないかが我ながら不明である。
したがって自己の創造でいい加減に作り変えるわけにはいかない。
あれに嫉妬をこらえたらどうだろう。
嫉妬では不安の感が多すぎる。
憎悪はどうだろう。
憎悪は激しすぎる。
怒り?
怒りでは全然調和を破る。
恨み?
恨みでも旬婚とかいう私的なものならば格別。
ただ恨みではあまり俗である。
いろいろに考えた末姉妹にようやくこれだと気が付いた。
多くある嬢女のうちであおれという字のあるのを忘れていた。
あおれは神の知らぬ嬢でしかも神に最も近き人間の嬢である。
小波さんの表情のうちにはこのあおれの念が少しも現れておらん。
そこがモノタワンのである。
ある咄嗟の衝動でこの嬢があの女の美雄にひらめいた瞬時に我が家は情緒するであろう。
しかし、いつそれが見られるかわからない。
あの女の顔に普段呪文しているものは、
人を馬鹿にする薄笑いとかとうかとうとあせる八時のみである。
あれだけではとても物にならない。
がさりがさりと足音がする。
距離の図案は三分二で崩れた。
見ると筒袖を着た男が末巻をのせて熊笹の中を関海地の方へ渡ってくる。
隣の山から降りてきたのだろう。
「よい御天気で。」と手ぬぐいをとってあいさつをする。
腰をかがめる途端に三尺帯に落した菜田の葉がぴかりと光った。
四重恰好のたくましい男である。
どこかで見たようだ。
男は窮地のようになれなれしい。
「旦那も絵をおかきなさるか。」
世の絵の具箱をあけてあった。
「ああ、この池でも描こうかと思ってきてみたが、さびしいところだね。
誰も通らない。」
「ええ、まことに山の中で。
旦那、峠でおふらされになって、さぞお困りでございましたろう。」
「え?」
「ああ、お前は。」
「ああ、あんときの孫さんだね。」
「ええ、こうやって滝木を切っては城下へもって出ます。」
と玄米は煮をおろしてその上腰をかける。
煙草入れを出す。
古いものだ。
紙だか皮だかわからない。
弱。
マッチを貸してやる。
「あんなところを毎日越すのは大変だね。」
「なあに、なれていますから。
それに、毎日は越しません。
三日に一遍、ことによると四日目くらいになります。」
「四日に一遍でもごめんだ。」
「はははは、馬が不憫ですから、四日目くらいにしておきます。」
「ああ、それはどうも。
自分より馬のほうが大事なんだね。」
「いや、そういうほどでもないんで。」
「ときにこの池はよほど古いもんだね。」
「全体いつごろからあるんだい?」
「ああ、昔からありますよ。」
「昔から?どのくらい昔から?」
「なんでもよっぽど古い昔から。」
「よっぽど古い昔からか。なるほど。」
「なんでも昔、塩田の嬢様が身を投げた時分からありますよ。」
「塩田って、あの夕刃のかい?」
「ええ。」
「お嬢様身を投げたって、元に達者でいるじゃないか。」
「ああ、いいね。あの嬢様じゃない。ずっと昔の嬢様か。」
「ずっと昔の嬢様。いつごろかね、それは。」
「うん、なんでもよほど昔の嬢様で。」
「その昔の嬢様がどうして身を投げたんだい?」
「その嬢様はやはり今の嬢様のように美しい嬢様であったそうだがな、旦那様。」
「うん。」
「すると、ある日一人のボロンジが来て。」
「ボロンジと言うと小武装のことかい?」
「ええ、あの尺八を吹くボロンジのことでございます。」
「そのボロンジが塩田の庄屋へ投入しているうちに、その美しいお嬢様がそのボロンジを見染めて。」
「インガと申しますか。どうしても一緒になりたいと言うて泣きました。」
「泣きました?」
「うん。」
「ところがその庄屋殿が聞き入れません。ボロンジは向こうにはならんと言うてとうとう追い出しました。」
「はあ、その小武装かい。」
「ええ、そこで嬢様がボロンジの跡を覆ってここまで来て、あの向こうに見える松のところから身を投げてとうとうえらい騒ぎになりました。」
「その時何でも一枚の鏡を持っていたとか申し伝えておりますよ。それでこの池を今でも鏡が池と申します。」
絵を描きに来てこんなことを考えたり、こんな話を聞くばかりでは幾日かかっても一枚もできっこない。
せっかくの絵の具箱まで持ち出した以上、今日は義理にも下絵を踊っていこう。幸い向こう側の景色はあれなりでほぼまとまっている。
あそこでも申し訳ちょっと描こう。
一錠余りの青黒い岩がまっすぐに池の底から突き出して小木水の折れ曲がる角にささと構える右側には、
例の熊笹が断崖の上から水際まで一寸の隙間なく創生している。
上には三日階ほどの大きな松が若ヅタに絡まれた幹を斜めにねじって半分以上水の表へ乗り出している。
鏡を懐にした女はあの岩の上からでも飛んだものだろう。
三脚木に尻を据えて画面に入るべき材料を見渡す。松と笹と岩と水であるが、さて水はどこで止めてよいかわからん。
岩の高さが一錠あれば、加減も一錠ある。
熊笹は水際で止まらずに水の中まで滲み込んでいるかと怪しまれるぐらい鮮やかに水底まで映っている。
松に至っては空にそびる高さが見上げられるだけ、加減もまたすくぶる細長い。
目に映っただけの寸法では到底収まりがつかない。
いっそのこと、実物をやめて影だけ描くのも一強だろう。
水を描いて、水の中の影を描いて、そうしてこれが絵だと人に見せたら驚くだろう。
しかし、ただ驚かせるだけではつまらない。
なるほど、絵になっていると驚かせなければつまらない。
どう工夫をしたものだろうと一心に池の斧を見つめる。
期待なもので影だけ眺めていては一向えにならん。
実物と見比べて工夫がしてみたくなる。
与は水面から瞳を転じてそろりそろりと上の方へ視線を移していく。
一錠の岩を影の先から水際の継ぎ目まで眺めて、継ぎ目から次第に水の上に出る。
潤沢の気合から春秋の模様を逐一吟味してだんだんと昇っていく。
ようやく昇りつめて与の双眼が今気眼の頂に達したるとき、
与は蛇に睨まれた匹のごとく旗と絵筆を取り落とした。
緑の枝を通す夕日を背に紅蓮とする晩春の青黒く顔頭を彩る中に、
素善として織り出されたる女の顔は、
かがによう驚かし、まぼろしによう驚かし、振り袖によう驚かし、
風呂場によう驚かしたる女の顔である。
与が視線は青白き女の顔の真ん中にぐさと釘付けにされたぎり動かない。
女もしなやかなる太鼓を伸ばせるだけ伸ばして高い岩をの上に一心も動かさずに立っている。
この一切な。
与は覚えず飛び上がった。
女はひらりと身をひねる。
帯の間に椿の花のごとく赤いものがちらついたと思ったら、すでに向こうへ飛び降りた。
夕日は樹梢をかすめてかすかに松の幹をそむる。
熊笠沢遊戯は青い。
また驚かされた。
十一
山里のおぼろにじょうじてそぞろ歩く。
寒海地の石段をのぼりながら、
青木、花蔵、春成、悲風、美という句を得た。
与は別に和尚に会う用事もない。
大抵憎悪をする気もない。
偶然と宿を出て、足の向くところにまかせてぶらぶらするうち、
ついにこの石塔の下に出た。
しばらく君主三門にいるを許さずという石を撫でて立っていたが、
急に嬉しくなって登り出したのである。
トリストラムシャンデーという書物の中に、
この書物ほど神のおぼし飯に可能た書き方はないとある。
最初の一句はともかく文字力で綴る。
あとはひたすらに神を念じて筆の動くにまかせる。
何を書くか自分にはもろん見当がつかん。
書くものは自己であるが、書くことは神のことである。
したがって責任は著者にはないそうだ。
与我三方もまたこの流儀を組んだ無責任の三方である。
ただ、神を頼まぬだけが一層の無責任である。
スターンは自分の責任を促れると同時にこれを在天の神に貸した。
引き受けてくれる神を持たぬ与は、ついにこれを土壇の中に捨てた。
しかし、絵描きにはなれない。
こうやって名も知らぬ山里へ来て紅蓮とする春色の中に、
後尺の倉庫をうずめ尽くして初めて真の芸術家たるべき態度に我が身を置きうるのである。
ひとたびこの境界にいれば美の天下は我が優に生きする。
積草を染めず寸剣を濡らざるも我は第一流の大絵描きである。
技において、ミケランゼロに及ばず、
巧みなることラファエルに譲ることありとも、
芸術家たる人格において古今の大化と法を一周して業も譲るところを見出し得ない。
我はこの温泉場へ来てからまだ一枚の絵も描かない。
絵の具箱は水鏡に担いできた貨の缶さえある。
人はあれでも画家かと笑うかもしれん。
いくら笑われても今の我は真の画家である。立派な画家である。
こういう鏡を得た者が名画を描くとは限らん。
しかし名画を描ける人は必ずこの鏡を知らねばならん。
朝飯を済まして一本の四季島を豊かに孵化したる時の我の感想は異常の如くである。
日は霞を離れて高く昇っている。
扉を開けて後ろの山を眺めたら青い木が非常に透き通って礼になく鮮やかに見えた。
我は常に空気と物象と彩色の関係を世の中で最も興味ある研究の一と考えている。
色を主にして空気を出すか、物を主にして空気を描くか、
または空気を主にしてそのうちに色と物とを織り出すか。
絵は少しの気合一つで色々な調子が出る。
この調子は画家自身の思考で異なってくる。
それは無論であるが、時と場所とで自ら制限されるものもまた当然である。
英国人の描いた山水に明るいものは一つもない。
明るい絵が嫌いなのかもしれんが、よし好きであってもあの空気ではどうすることもできない。
同じイギリス人でもグーダルなどは色の調子がまるで違う。
違うはずである。彼はイギリス人でありながらかつてイギリスの軽食を描いたことがない。
彼の画題は彼の強度にはない。
彼の本国に比すると空気の透明の度の非常に勝っているエジプトまたはペルシャ編の光景のみを選んでいる。
しちゃがって彼の描いた絵は初めて見ると誰もが驚く。
イギリス人にもこんな明るかな色を出すものがあるかと疑うくらいはっきり出来上がっている。
個人の思考はどうすることもできん。
しかし日本の山水を描くのが主意であるならば、我々もまた日本固有の空気と色を出さなければならん。
いくらフランスの絵が上手いといって、その色をそのままに映してこれが日本の景色だとは言われない。
やはり目の当たり自然に接して朝菜、夕凪、雲雄、煙台を研究したがく、あの色こそと思った時、すぐ三脚機を担いで飛び出さなければならん。色は刹那に映る。
ひとたび気を失すすれば、同じ色は容易に目には落ちん。
与賀今見上げた山の葉には、めったにこの辺で見ることのできないほどのいい色が満ちている。
せっかく着てあれを逃すのは惜しいものだ。ちょっと映して聞いよう。
襖を開けて縁側へ出ると、向こう二階の障子に身をもたして奈美さんが立っている。
顎を襟の中へうずめて横顔だけしか見えん。
与賀挨拶をしようと思う途端に、女はひれの手を落としたまま、右の手を風のごとく動かした。
ひらめくは稲妻か、二折、三折、胸のあたりをすると走る矢稲や、かちりと音がしてひらめきはすぐ消えた。
女の左手にはくすんごぶの白鞘がある。姿はたちまち障子の影に隠れた。
与は浅っ腹から歌舞伎座を覗いた木で宿を出る。
門を出て左へ切れると、すぐそば道続きの妻上がりになる。
鶯が所々で鳴く。
左手がなだらかな谷へ落ちて、みかんが一面に植えてある。
右には高からの丘が二つほど並んで、ここにもあるはみかんの実ともわれる。
何年前か一度この地に来た。指を折るのも面倒だ。何でも寒いシワスの頃であった。
その時、みかん山にみかんがべたなりになる景色を初めて見た。
みかん取りに一枝売ってくれと言ったら、いくつでもあげますよ。持っていらっしゃいと答えて、木の上で妙な節の歌を歌い出した。
東京ではみかんの皮でさえ薬酒屋へ買いに行かねばならぬのにと思った。
夜になるとしきりに鶯の音がする。
何だと聞いたら漁師が鴨を捕るんだと教えてくれた。
その時は奈美さんの名の字も知らずに済んだ。
あの女を役者にしたら立派な女方ができる。
普通の役者は舞台に出るとよそいきの芸をする。
あの女は家の中で常駐芝居をしている。しかも芝居をしているとは気がつかん。
自然天然に芝居をしている。あんなのを美的生活とでも言うんだろう。
あの女のおかげで絵の修行がだいぶできた。
あの女の書作を芝居と見なければ薄気味が悪くて一日もいたたまれん。
霧とか人情とかいう尋常の道具立てを背景にして、
普通の小説家のような観察点からあの女を研究したら、刺激が強すぎてすぐ嫌になる。
現実世界にあって、与とあの女との間に天面した一種の関係が成り立ったとするならば、
与の苦痛はおそらく言語に絶するだろう。
与のこの度の旅行は俗情を離れてあくまで絵描きになりきるのが主意であるから、
目にいるものはことごとく絵として見なければならん。
能、芝居、もしくは市中の人物としてのみ観察しなければならん。
この覚悟の眼鏡からあの女を覗いてみると、
あの女は今まで見た女のうちで最も美しい書作をする。
世は絵描きである。
絵描きであればこそ趣味専門の男として、たとえ人情世界に打在するも、
東西領土なりの墓地風流感よりも高尚である。
社会の一員として優位に他を教育すべき地に立っている。
死なき者、絵なき者、芸術のたしなみなき者よりは美しき一緒さができる。
人情世界にあって美しき一緒さは性である、義である、直である。
性と義と直を行為の上に置いて示すものは天下の公民の模範である。
しばらく人情界を離れたる世は、少なくともこの旅中に人情界に帰る必要はない。
あってはせっかくの旅が無駄になる。
人情世界からじゃりじゃりする砂をふるって、そこにある美しい金の実を眺めて暮らさなければならぬ。
世自らも社会の一員をもって認じてはおらん。
純粋なる専門画家として己され天面たる利害の累作を絶って、故にがふりに往来している。
岩屋、山屋、水屋、他人屋。
奈美さんの行為動作といえども、ただそのままの姿と見るより他に致し方がない。
山頂ほど登ると向うに白壁の一構えが見える。
みかんの中の住まいだな、と思う。
道は間もなく二筋に分かれる。
白壁を横に見て左へ折れるとき、振り返ったら下から赤い腰巻きをした娘が上がってくる。
腰巻きが次第につきて下から茶色の萩が出る。
萩ができたらわらぞおりになってそのわらぞおりがだんだん動いてくる。
頭の上に山桜が落ちかかる。
背中には光る海を背負っている。
蕎麦道を登り切ると山の出花の平らなところへ出た。
北側は緑を畳む春の峰で、今朝、縁から仰いだ辺りかもしれない。
南側にはやけのとも言うべき地勢が幅半丁ほど広がって杖は崩れた崖となる。
崖の下は今過ぎたみかん山で、村をまたいで向こうを見れば目にいるものは言わずも知れた青海である。
道はいく筋もあるが、大手は分かれ、分かれては合うからどれが本筋とも認められん。
どれも道である代わりにどれも道でない。
草の中に黒赤い血が見えたり隠れたりして、どの筋につながるか見分けのつかぬところに変化があって面白い。
どこへ腰を据えたものかと草の中をおちこちと徘徊する。
縁から見たときは縁になると思った景色もいざとなると存外まとまらない。
色も次第に変わってくれ。
草原をのぞつくうちにいつしか赤く火がなくなった。
かかんとすれば地位はかまわん。
どこへでも座ったところがわが住まいである。
染み込んだ春の日が深く草の根にこもって、どっかと汁をおろすと目に入らぬ陽炎を踏みつぶしたような心持ちがする。
海は足の下に光る。
さやげる雲のひとひらさえもたぬ春の日陰はあまねく水の上を照らして、いつのまにかホトボリは波の底まで染み渡ったと思われるほど温かに見える。
色はひとはけの根性を平らに流したるところどころに白金のサイリンをたたんでこまやかに動いている。
春の日は限りなき雨が下を照らして、
雨が下は限りなき水をたたえる間には白き頬が小指の爪ほどに見えるのみである。
しかもその頬はまったく動かない。
その紙入行の駒舟が遠くから渡ってくるときにはあんなに見えたであろう。
その墓は大戦世界を極めて照らす日の夜、照らさる海の夜のみである。
ゴロリと寝る。帽子が額を滑ってやけに網だとなる。
ところどころの草を一二尺抜いてボケの小株が茂っている。
横顔はちょうどそのひとつの前に落ちた。ボケは面白い花である。
枝は頑固でかつて曲がったことがない。
そんならまっすぐかというと決してまっすぐでもない。
ただまっすぐな短い枝にまっすぐな短い枝がある角度で衝突して車に構えつつ全体が出来上がっている。
そこへ紅だか白だか要領への花があんかんと咲く。
柔らかい端へチラチラつける。
表紙見るとボケは花の内で愚かにして悟ったものであろう。
世間には節を守るという人がある。
この人が来世に生まれ変わるときっとボケになる。
よもボケになりたい。
子供のうち、花の咲いた葉のついたボケを切って、
面白く枝彫りを作って筆家をほしらえたことがある。
それへ二千五輪の水筆を立てかけて、
白い穂が花と葉の間から引けんするのを机へのせて楽しんだ。
その日はボケの筆家ばかり気にしていた。
あくる日、目が覚めるや否や飛び起きて机の前へ行ってみると、
花は無い、葉は枯れて、白い穂だけが元のごとく光っている。
あんなに綺麗なものがどうしてこの一晩のうちに枯れるだろうと、
その時は不審の念に耐えなかった。
今思うとその自分の方がよほど出世間的である。
寝るや否や目についたボケは二十年来の旧知記である。
見つめていると次第に気が遠くなっていい心持ちになる。
また思経が浮かぶ。
寝ながら考える。
一個を得るごとに写生帳に記していく。
しばらくして出来上がったようだ。
はじめから読み直してみる。
門を譲れば思うところを押し。
春風、我が衣を拭く。
放送、射鉄に生じ。
灰土、霞に入れて微かなり。
杖を止めて目を注げば、
晩曜、正規を追ぶ。
校長の炎天たるを聞き、
楽への奮飛たるを見る。
行き尽くして兵部遠く。
塩台室、小路の扉。
古宗、雲際に高く。
大空、断光に帰る。
孫臣、南蔵英帝たる。
表表として是非を忘る。
三十、我を飲と欲し。
商工名を言いたり。
商用、物価に従い。
悠然として奮飛に対す。
ああ、出来た、出来た。これで出来た。
寝ながらボケを見て、世の中を忘れている感じがよく出来た。
ボケが出なくても、海が出なくても、感じさえ出ればそれで結構である。
と唸りながら喜んでいると、
えへんという人間の咳払いが聞こえた。
こいつは驚いた。
寝返りをして声の響いた方を見ると、
山の出花を回って臓器の間から一人の男が現れた。
茶の中折れをかぶっている。
中折れの形は崩れて、傾くヘリの下から目が見える。
目の格好は分からんが、確かにキョロキョロとキョロつくようだ。
藍の島物の尻をはしょって、
素足にゲタ掛けの入れ立ちはなんだか感情がつかない。
野生のヒゲだけで判断すると、まさに延伸の価値はある。
男は側道を下りるかと思いのほか、曲がりかとかがまた引き返した。
元来た道へ姿を隠すかと思うとそうでもない。
また歩き直してくる。
この草原を散歩する人のほかに、こんなに行きつ戻りつするものは無いはずだ。
しかし、あれが散歩の姿であろうか。
また、あんな男がこの近辺に住んでいるとも考えられない。
男は時々立ち止まる。
首を傾ける。
または四方を見回す。
第二、考え込むようにもある。
人を待ち合わせる風にも劣られる。
なんだか分からない。
与はこの物騒な男から、ついに我が目を放すことができなかった。
別に恐ろしいでもない。
また、絵にしようという気も出ない。
ただ、目を放すことができなかった。
右から左、左から右と、男に沿って目を働かせるうちに、男ははたと止まった。
止まるとともに、また一人の人物が与が視界に転出された。
二人は双方で互いを認識したように、次第に双方から近づいてくる。
与が視界はだんだん縮まって、腹の真ん中で一点の狭き間に畳まれてしまう。
二人は腹の山を背に、腹の海を前にぴたりと向き合った。
男は、無論例の野節である。
相手は?
相手は女である。
奈美さんである。
しかもそれが実際引いても惹かれてもおらん。
両者の縁は紫の財布の作るところでふつりと切れている。
二人の姿勢が格の如く微妙な調和を保っていると同時に、
両者の顔と衣服にあくまで対象が認められるから、絵として見ると一層の興味が深い。
背のずんぐりした色黒の髭面と、くっきり締まった細表に襟の長い撫で方の華奢姿。
ぶっきらぼうに身をひねった下駄掛けの伸縁と、
普段着の目線さえしなやかに着こなした上、腰から上をおとなしく反り身に控えたる優しさ姿。
剥けた茶の帽子に藍島のしりきり出立ちと、
陽炎さえ燃やすべきくしめの通った瓶の色に黒じゅつの光る奥からちらりと見せた帯揚げの生めかしさ、
すべてが高画題である。
男は手を出して財布を受け取る。
筆筆ひかれつたくみに平均を保ちつつあった二人の位置はたちまち崩れる。
女はもうひかぬ。男はひかりょうともせぬ。
親的状態が絵を構成する上に過程の影響を与えようとは書かながら今ので気がつかなかった。
二人は左右へ別れる。双方に気合がないからもう絵としては尻滅えつである。
雑木場所の入り口で男は一度振り返った。
女は後をも見ぬ。
すらすらとこちらへ歩いてくる。
やがて世の真正面まで来て、
「先生、先生。」
と二声かけた。
これはしたり、いつめっかったろう。
「何です?」
と世はぼけの上へ顔を出す。
帽子は草原へ落ちた。
「何をそんなところでしていらっしゃる?」
朱を作って寝ていました。
「うそおっしゃい。今のご覧でしょう?」
「ああ、今の?今のあれですか。ええ、少々拝見しました。」
「少々でなくてもたくさんご覧なさればいいのに。」
実のところはたくさん拝見しました。
「それご覧なさい。まあちょっとこっちへ出てらっしゃい。ぼけの中から出ていらっしゃい。」
世はいいとしてぼけの中から出て行く。
「まだぼけの中に御用があるんですか?」
「いや、もうないんです。帰ろうかとも思うんです。」
「さあ、じゃあ、ご一緒に参りましょうか。」
世は再びいいとしてぼけの中に退いて帽子をかぶり、絵の道具をまとめて奈美さんと一緒に歩き出す。
「絵をお描きになったの?」
「やめました。」
「ここへいらしてまだ一枚お描きなさらないじゃありませんか?」
「ええ。」
「でもせっかく絵をお描きにいらして、ちっともお描きにならなくちゃ詰まりませんわね。」
「何に詰まっているんです?」
「おや、そう?なぜ?」
「なぜでもちゃんと詰まるんです。絵なんぞ描いたって描かなくったって詰まるところは同じことでさ。」
「それはしゃれなの?ずいぶんのんきですね。」
「こんなところへ来るからには、のんきでもしなくっちゃ来たかゆいとかないじゃありませんか?」
「何、どこにいてものんきにしなくっちゃ生きている甲斐はありませんよ。私なんぞは今のようなところを人に見られても恥ずかしくもなんとも思えません。」
「思わんでもいいでしょ。」
「そうですかね。あなたは今の男を一体何だと思いです?」
「そうさな。どうもあまり金持ちじゃありませんね。」
「よく当たりました。あなたは占いの名人ですよ。あの男は貧乏して日本にいられないから私にお金をもらいに来たんです。」
「へえ、どこから来たんです?」
「城下から来ました。」
「ずいぶん遠方から来たもんですね。それでどこへ行くんですか?」
「なんでも満州へ行くそうです。」
「何しに行くんですか?」
「はあ、何しに行くんですか。お金を拾いに行くんだか死にに行くんだかわかりません。」
この時与は目をあげてちょっと女の顔を見た。今結んだ口元にはかすかなる笑みの影が消えかかりつつある。意味は下せぬ。
「あれは私の弟子です。」
仁来を覆うに意図もあらず、女は突然として人たち浴びせかけた。与は全く不意打ちを食った。
むろんそんなことを聞く際なし、女もよもやここまでさらけ出そうとは考えていなかった。
「どうです?驚いたでしょう?」と女は言う。
「ええ、少々驚いた。」
「今の弟子じゃありません。離縁された弟子です。」
「なるほど。それで?」
「それぎりです。」
「そうですか。」
「あのみかん山に立派な白壁の家がありますね。あれはいい地位にあるが誰の家なんですか?」
「ああ、あれが兄の家です。帰り道にちょっと寄って行きましょう。」
「用でもあるんですか?」
「ええ、ちょっと頼まれものがあります。」
「うん。一緒に行きましょう。」
蕎麦道の上り口へ出て、村へ降りずにすぐ右に降りてまた一丁ほどを登ると門がある。
門から玄関へかからずにすぐ庭口へ回る。女が無縁寮につかつか行くから、与も無縁寮につかつか行く。
南向きの庭に城路が三、四本あって土塀が下はすぐみかん畑である。
女はすぐ縁端へこしょうをかけて言う。
「いい景色だ。ごらんなさい。」
「なるほど。いいですな。」
庄司の家は静かに人の気合もせぬ。女は音の多景色もない。
ただ腰をかけてみかん畑を見下ろして平気でいる。
与は不思議に思った。
「元来何の用があるのかしら。」
姉妹には話もないから両方とも無言のままでみかん畑を見下ろしている。
午に迫る太陽はまともに温かい光線を山一面に浴びせて目に余るみかんの葉は葉浦まで蒸し返されて輝いている。
やがて裏の名屋の方で鳥が大きな声を出してコケコッコーと鳴く。
「おや、もうお昼ですね。用事を忘れていた。」
「九一三、九一三。」
女はお呼び越しになって立て切った障子をカラリと開ける。
家は虚しき十常辞儀に華濃派の装服が虚しく春のとこを飾っている。
「九一三。」
名屋の方でようやく返事がする。
足音が襖の向こうで止まってカラリと開くが早いか白鞘の担当が畳の上へ転がり出す。
「そら、おじさんの選別だよ。」
帯の間にいつ手が入ったか少しはよも知らなかった。
担当は二三度とんぼ返りを打って静かな畳の上を九一三の足元へ走る。
作りがゆるすぎたと見えてピカリと寒いものが一寸ばかり光った。
十三
川船で九一三を吉田のステーションまで見送る。
船の中に座った者は送られる九一三と送る老人と奈美さんと奈美さんの兄さんと荷物の世話をする玄米とそれから与である。
与は無論御庄番に過ぎん。
御庄番でも呼ばれれば行く。何の意味だかわからなくても行く。否認状の度に資料はいらん。
船は筏に縁を付けたように底が平たい。
老人の中に与と奈美さんが友。九一三と兄さんが身寄りに座を取った。玄米は荷物と共に一人離れている。
九一三、戦は好きか嫌いかい?と奈美さんが聞く。
出てみなければわからんさ。苦しいこともあるだろうが、愉快なことも出てくるんだろう。と戦争を知らぬ九一三が言う。
いくら苦しくっても国家のためだから。と老人が言う。
担当なんぞもらうと、ちょっと戦争に出てみたくなるしないか?と女がまた妙なことを聞く。
九一三は、そうさね。と軽く受け顔。老人はひげを掲げて笑う。兄さんは知らん顔をしている。
そんな平気なことで戦ができるかい?と女は、いさい構わず白い顔を九一三の前へ突き出す。
九一三と兄さんがまたちょっと目を見合わせた。
奈々美さんが軍人になったらさと強かろう。兄さんが妹に話しかけた第一の言葉はこれである。誤帳から察すると、ただ冗談とも思えない。
私が?私が軍人?
私が軍人になれりゃ党になっています。今頃は死んでいます。
九一三、お前も死ぬがいい。生きて帰っちゃ外分が悪い。
そんな乱暴なことを。まあまあ、めでたく凱旋をして帰ってきてくれ。
死ぬばかりが国家のためではない。私もまだ二、三年は生きるつもりじゃ。また会える。
老人の言葉の尾を長くたぐると尻が細くなって末は涙の糸になる。
ただ男だけにそこまでは玉を出さない。九一三は何も言わずに横を向いて岸の方を見た。
岸には大きな柳がある。下に小さな船をつないで一人の男がしきりに糸を見つめている。
一行の船がゆるく波足を引いてその前を通ったときこの男はふと顔を上げて九一三と目を合わせた。
目を見合わせた二人の間には何らの電気も通わぬ。男は魚のことばかり考えている。
九一三の頭の中には一日の船も宿る余地がない。一行の船は静かに太鼓棒の前を通り越す。
二本橋を通る人の数は一分に何百か知らん。
もし共犯に立って行く人の心にわだかまる葛藤を一時に聞け得たならば浮世は目まぐるしくて生きづらかろう。
ただ知らぬ人で会い知らぬ人で別れるから結局二本橋に立って電車の旗を振る志願者も出てくる。
太鼓棒が九一三の泣きそうな顔に何らの説明をも求めなかったのは幸いである。
帰り見ると安心して浮世を見つめている。お方日露戦争が済むまで見つめる気だろう。
川幅はあまり広くない。そこは浅い。流れは緩やかである。
船端によって水の上を滑ってどこまで行くか、春がつきて人が騒いで恥あわせしたがるところまで行かねばやまぬ。
生臭き一点の血を眉間に印したるこの青年は、よら一行を容赦なく引いて行く。