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2025-02-20 34:45

106魯迅「故郷」(朗読)

106魯迅「故郷」(朗読)

ヤンおばさんが憎たらしい仕上がりになりました。こういう図々しい人ってしぶとく居るよね。今回も寝落ちしてくれたら幸いです。


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サマリー

魯迅の短編小説『故郷』では、故郷への帰還を通じて、過ぎ去った日々や思い出の美しさが描かれています。物語では、主人公が故郷の変貌に直面し、かつての美しい景色との対比から感情的な反応を示します。『故郷』では、主に故郷との再会や、過去の人々との関係性が描かれています。登場人物たちは、子供時代の思い出や現在の生活状況を通して、変わりゆく時間と人間関係の複雑さを示しています。主人公が故郷の思い出や人々との関わりを振り返りながら、孤独や過去への名残惜しさを感じる様子が描かれています。物語は、主人公の内面的葛藤と新しい生活への希望が交じり合いながら進行します。

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寝落ちの本ポッドキャスト。
こんばんは、Naotaroです。
このポッドキャストは、あなたの寝落ちのお手伝いをする番組です。
タイトルを聞いたことがあったり、実際に読んだこともあるような本、
それから興味深そうな本などを淡々と読んでいきます。
エッセイには、面白すぎないツッコミを入れることもあるかもしれません。
作品は全て青空文庫から選んでおります。
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故郷への帰還
さて、今日は魯迅さんの故郷という小説なのを読んでいこうと思います。
魯迅さんね。
中国近代文学を切り開いた作家・思想家、本名は張修錬。
代表的な小説に、狂人日記、故郷、阿丘聖伝などがあり、
四夜三分、社会批評も数多い。
ゴーゴリなど海外の作家の翻訳でも知られたとのことです。
ウィキペディアによると、この故郷は全ての中学校国語教科書に載っているそうなんですよ。
覚えてないですよね。
僕の時はもうあったのかな。
みなさんどうですか?知っているような感じ?
とんと記憶がない。
読み出したら思い出すかな。
いやー全くわからん。
ちょっと話はずれますけど、魯迅の魯の字がちょっと魅力的だなっていつも思うんですよね。
漢字としては、上に魚で、下がお日様の日ね。
意味わかんないですもんね。どういう意味を表している漢字なのか。
北王子ロサンジンの魯。
あとは、三国志でいうと五の国の将軍?文官?に魯宿っていたんですけど。
それの魯。
それから、コンビニとか。
今吉野家でコラボやっているスパイシーカレー魯家の魯。
なんかね、なんかいいよねこの漢字ね。
青空文庫の中でですね、この魯迅の故郷は佐藤春夫役と井上勾配であっているのかな。
ベニューメと書きますが。
の役、二つの翻訳があってですね。
井上さんの方がむずそうなので、佐藤春夫さんの方を読もうかなと思っています。
はい。
調べてみたら、佐藤春夫役の方が教科書に載っているそうなので、こっちを読みましょうね。
それでは参ります。
故郷。
私は厳しい寒さをものともせず、二千里の遠方から二十四年ぶりで故郷へ帰ってきた。
冬も真っ最中となった頃、やっとのことで故郷へ近づいた折から天気は陰気に薄曇り、冷たい風は船室の中まで吹き込んできてピューピューと音を立てている。
船窓から外を覗いてみるとどんよりとした空の下にあちらこちらに横たわっているのはみじめなみすぼらしい村であった。
活気なんてものは天であったものではない。
自分の心には抑えきれない裏悲しさがこみ上げてきた。
ああ二十年この方は忘れる日とてもなかった故郷はこんなものであったろうか。
我が心に残っている故郷はまるでこんなところではなかった。
故郷にはいいところがどっさりあったはず。
その美しいところを思い出してみようとし、その好もしい点を言ってみようとすると私の空想は消えてしまい、
表す言葉もなくなってしまって、目の前に見ると檻のものになってしまう。
そこで私は自分に言って聞かすには、故郷はもともとこんなところだったのだ。
昔より進歩したというのではないが、それかといって必ずしも私が感じるような裏寂しいところでもない。
これはただ自分の心持ちが変わってしまっただけのことなのだ。
というのは、自分がこの度故郷へ帰ってきたのは決して常期限で来たのではないからだ。
私は今度は故郷に別れを告げるために来たのである。
私たちが何代かの間、一族が寄り合って住んでいた古い屋敷がもうみんなで他人に売り渡されてしまい、
明け渡し期限は今年いっぱいだけで、ぜひとも来年の元旦にならないうちに、
私たちはこの馴染み深い古い屋に別れ、また住み慣れた故郷の地を離れ、家を引き払って、
私が暮らしを立てている土地へ引っ越してしまわなければならなかった。
変わってしまった故郷
次の日の朝、私は自分の屋敷の角口に来た。
屋根瓦の合わせ目には多くの枯草の断茎が風に吹きさらされながら生えて、
さながらに、この古い屋が持ち主を変えなければならない原因を解き明かし顔であった。
あちらこちらの部屋にいた親戚たちでは、多分もう引っ越しが済んでしまったらしく、大変ひっそりとしていた。
私は自分の住まいの部屋へ近づいたが、母は早くも私を待ち受けて出てきた。
それに続いて飛び出してきたのは八津になる老いの本留であった。
母は大変機嫌がよかったが、それでも浮かぬげな景色はありありと見えた。
私に腰をおろさせ、休ませ、お茶をくれて、しばらく家を片付けることの話もしなかった。
本留はまだ私を見たことがなかったものだから、そばへは寄りつかず、まじまじと私の顔を見つめているのであった。
さて、私たちはとうとう家を片付ける話を始める段になった。
私はもう住居は借りておいてある。
それからいくらかの家具は買ってあるが、そのほかは家にある木の道具類を売ってしまって、その金で買い足すといいと言った。
母もそれがいいと言った。
そして、荷造りはだいたい済んでいるが、木の道具類で持ち運びに不便なものは大方売ってしまった。
だがまだお金をもらわないと言って。
お前、一日二日体を休めたら、近しい親戚たちを一度お尋ねしてきてね。その上で引き上げることにしようよ。と母が言った。
はい。
それからルンとオダがね。
あれは家へ来る度ごとにいつもお前のことを聞くよ。大変お前に会いたかってね。
私はお前が帰ってくる日取りを知らせておいてやっているから、あれも今にすぐ来るだろうよ。
この時、私の頭にはふと一匹の神秘的な書面が思い浮かんできたものである。
根性色の空に一輪の金色の丸い月が出て、その下は海岸の砂地で、一面に見渡す限り清々としたスイカが植わっている。
その中に一人、十一人の少年が、うなじには銀の首飾りをかけて、手に一本のサスマタをかまえて、一匹のチャー、スイカを食いに来るという獣、空想状の獣で、チャーの字は作者の造字をめがけて精一杯で刺そうとしているのだが、チャーは身をひるがえして彼の股の下からくぐり抜けて逃げてしまったのであった。
この少年というのがルントウであったが、私が初めて彼を知った頃にはまだ十日そこらであった。今からもう三十年も経っているであろう。その頃は私の父親もまだ在世で、家も豊かにやっていて、私もまあ坊ちゃんであった。
その年は、私の家では一族の祖先の大祭をする年にあたっていた。この祭りというのは三十年以上もたってやっと一度巡り合わすというもので、したがって大変定調にすべきもので、正月中に祖先の像を祀るのであった。
お供えのものもすこぶる多いし、祭祭もすこぶる吟味する。お祭りをする人もまたすこぶる多い。それで、祭祭も盗まれない用心がすこぶる必要であった。
私の家にはただ一人の満ゆえがいた。一体私の距離では人に雇われる者は三通りに分かれていて、丸一年一定の家で働く者をちゃんねんと称するし、その日その日で働く者はとあんくんといい、自分で工作をする傍ら年越し、節祝い及び小作前を集めるときにだけ一定の家へ雇われていく者を満ゆえというのである。
あまり忙しいというので、この使用人が私の父に向かって、自分の子の隆盗を呼んで祭祭の番をさせてはと申し出た。私の父も賛成をしたので、私も非常に喜んだ。私はかねがね隆盗の名は聞いていた。年も私とほとんど同じくらいだとも知っていた。
ウルーの月に生まれて五行のうち土が欠けていたというので、私のお父さんが隆盗と名付けたのであった。彼はお年をかけて小鳥を捕らえるのが上手であった。私はこの日から毎日毎日新年を待ち遠しがった。新年が来れば隆盗もすぐにやってくる。やったの思いで年の暮れになった。
ある日のこと、母が私に隆盗が来たと話した。私はすぐに飛んで行ってみた。彼は台所にいた。赤い色の丸い頬をして、頭には小さなフェルトの帽子をかぶって、首にはキラキラと光る銀の首輪をしている。
これを見ても彼のお父さんが彼を十分にかわいがっていることはわかるのだが、彼が死なないようにというので神や仏に願をかけてこの首輪をさせて、彼を未来の世界へ行かないようにと引き止めているのであった。
彼はひどく人見知りをした。だが私だけには怖がらないで、そばに人のいないときに私と口を聞いた。そして半日も経たないうちに私たちはすぐによく馴染んでしまった。私たちがそのときどんな話をしたものだったやら、ただ覚えているのは隆盗が町へ来て、今まで見たこともない様々なものを見たと言ってははしゃいでいたことだ。
次の日。私は彼に鳥をとってくれと言うと、彼が言うには、「それはだめだ。大雪の降ったときでないといけない。俺たちの方の砂地に雪が降ったら、俺は雪をかき分けて空き地を少しこしらえて、短い棒で持って大きな竹ざるを支えておいて、もみをまくのだ。
そして小鳥どもが食いに来るのを少し離れたところで見張っていて、地面に立てている棒に結びつけてある糸をちょいと引くと、小鳥どもは竹ざるの中へふさってつかまってしまう。何でも取れるぜ。うずらだの、むくどりだの、あおせだの。」
そこで私はまた雪が降ってくれればいいとしきりに思った。ルントンは私に向かって言う。
「今は寒いけれど、お前、夏、俺たちの方へ来るといいな。俺たちは昼間は海辺へ行って貝殻を探すのだぜ。赤いのやら、青いのやら、いろいろあるよ。鬼恐れもあるし、観音様の手もあるし。夜になると、お父さんについてスイカ畑へバンに行くんだ。お前も行こうや。」
「泥棒のバンをするの?」
「んや、通りがかりの人が水気が欲しくなってウリを一つ取ってくるなんてのは、俺がの方じゃ泥棒のうちで数えねえや。バンをしなければならんのはアナグマやハリネズミやチャーだ。月の明るいときにガリガリガリガリ言う音が耳に入ったら、そいつはチャーの奴がスイカをかじっているのさ。だからすぐにサスマタを構えて忍び足で進みよってさ。」
「私はこのとき、この話に言うチャーというのはどんなものだか知らなかった。」
「今日でも知ってはいない。ただなんとなく小さな犬みたいなもので大変凶猛なもののような気がしているけれども。」
「そいつ、人に噛みつかないの?」
「サスマタを持ってるじゃねえか。進んでいってチャーを見つけたらすぐやっつけるのさ。あんちくしょう、そりゃりこうな奴だから人間の方へ向かって駆け出し、そして股の下からすり抜けて逃げてってしまうのさ。」
あいつの毛はまるですべっこくて油みたいなもんだな。
その日まで私は天下にこうもたくさんな珍しい物事があろうとは、まるで思いも及ばなかった。
海辺にはそんなに五色の貝殻のあることやスイカにそんな危なっかしい経歴があろうなんてことは。
私はその前まではスイカはただ八百屋の店先に売り出されているだけのものとばかり思っていた。
俺たちの方の砂浜には塩がさしてくると羽魚がもうどっさり羽ねているぜ。みんなカエルみたいに足が二本あってね。
ああ、ルン島の心の中には、まあいくらでも無限に珍しいことがあるらしい。
そしてそれはみんな、私や私の友達の誰でも知らないことなのだ。
私らはみんなほんのつまらないものばかりしか知らないのだ。
ルン島は貝品に住んでいるのに、私の友達はみんな私同様にただ屋敷の中に住んでいて、高い塀の上の四角な空ばかり見ているだけだ。
惜しくも正月は過ぎ去ってしまって、ルン島は家へ帰ってしまわなければならなくなった。
私は悲しくなって大声を上げて泣き出した。
彼も台所の家へ姿を隠してしまって、泣いて私の家から出ようとはしなかった。
しかしおしまいに彼のお父さんに連れられて行ってしまった。
彼は帰ってからお父さんに事づけて、貝殻を一つ摘みと大変美しい鳥の羽を幾本かと私に送ってくれた。
私も一、二度彼に物を送ったことがあった。だがそれっきり二度と顔を合わせたことはなかった。
いま母が彼のことを言い出したものだから、私は子供の頃のこの記憶がふいにすっかり稲妻で照らし出されたように心の中に浮かび上がってきた。
そうして故郷も昔ながらの美しいものになってきた。
幼少期の友情
そうして母に答えるのであった。
「素敵だ。それで、あれはその後どうですか?」
「あれ?」
あれもケーキがどうも重しくないようで。
母はそう言ったが、外を見ながら、
「誰か人が来たようだな。道具を買おうというのだろうが、あわよくば持ち逃げするのさ。私は行って見てくるからね。」
母は立って出て行った。
外には幾人かの女の声がしていた。
私は本郷を招いて、自分の前に来させて暇つぶしの相手をした。
字は書けるかと問うてみた。
よそへ行くのは嬉しいかどうか問うた。
「汽車へ乗って行くの?」
「汽車へ乗って行くんだよ。」
「お船は?」
はじめは船に乗って。
「おや、こんなにおなりで。ひげなんかこんなに長く生やしてさ。」
妙に鋭いかなきり声で不意に叫んだものがあった。
私はびっくりして辺りを見回すと、
目に入ったのは頬骨の出っ張った唇の薄い50歳前後の女が私の前に来て立っているのであった。
両手を腰骨のところへ当てて裾は履いてなくて、
両足を突っ張ってまるで円を描こうとして広げているときのコンパスのような細い足をしている。
私は驚いてしまった。
「わしを見覚えていますかね。わしはよくおまえさんを抱いてあげたんですよ。」
私はますます驚いたものだ。
運よくも母が来てくれて側からあしらってくれた。
「これは長いことよそへ出てたんで何もかもみんな忘れてしまったんですよ。おまえは覚えてるはずだが。」
と私に言うのであった。
「そら、これがすじ向かいのヤンおばさんだよ。お豆腐屋のお店をしていた。」
や、私は思い出した。ほんの幼い頃、
表のすじ向かいの豆腐屋の店に一日中座っていたヤンおばさんという人が確かにあった。
人々はこの人のことを豆腐精子、豆腐屋小町と呼んでいたものであった。
だが白甲を塗って頬骨はこんなに高くはなく、唇もこんなに薄くはなかった。
そして一日中座ってばかりいたので、私はこれまでこんなコンパスみたいな格好を見かけたことはなかった。
その頃、世間の人の噂ではこの豆腐屋が大変商売繁盛するのは彼女のためだとのことであったが、
しかし年齢の関係で私は彼女から何の影響も受けてはいなかったものだからすっかり見事に忘れてしまっていたものと見える。
しかしコンパスの方では大変不平で軽蔑の表情を見せた。
いわばフランス人でありながらナポレオンを知らず、
アメリカ人でワシントンを知らないのを嘲笑うかのようなありさまをして冷やかして言うには
忘れたって全く、御身分の高いお方は目が超えていらっしゃるからね。
なにそんなわけじゃないよ私はと、私は恐れをなして立ち上がっていった。
それではお願いがありますがジンちゃん、お前さん大変偉くおなりだってね。
持ち運びだって不便ですぜ。お前さんこんなガラクタ道具なんかどうしよっての。
私にくれて言ってきなさいよ。私たち貧乏人には間に合うんだからさ。
私は偉くなんかないよ。私はこんなものでも売らなきゃならないんですよ。
そして、
おやおやお前さんは同代になっていながら偉くないだって。
お前さんは現に3人のおめかけさを持って外へ出るといえば8人担ぎのカゴで出るくせに偉くないだって。
ふーんそんなこと言って私を騙すつもりですかい。
私は言うべきこともないので口をつぐんで黙って立っていた。
おやおや本当に税になる人になればなるほどますます一文だって粗末にしないもんだね。
一文も粗末にしないからいよいよお金持ちになるってわけだ。
コンパスはプリプリしながらくるりと後ろ向きになってくどくどとしゃべり続けながら
のそのそと外へ出ていったが、そのついでに私の母の手袋をパンツの中へくすめ込んで出ていったのである。
人々との関係性
続いてまた近いところにいる近しい親戚が私を訪ねてきた。
私はその人たちに応対しながらもその暇暇には荷まとめをした。
そんなことで3、4日経った。
ある日大変寒い午後であったが私はお昼ご飯を済ませてそこに座ったままでお茶をすすっているとき、
誰やら表から家に入ってきたような気がしたので振り返ってみた。
そして思わず大変驚いて慌てて立って迎えに出た。
この時来たのがそれがルントウであった。
私は一目見てわかりはしたけれども自分の記憶に残っているルントウとは違っていた。
彼の身の丈は倍にもなり、以前の赤く丸々とした頬はもう灰だみた黄色に変わっておまけに体操深いシワがあった。
目つきは彼のお父さんによく似ていてそのぐるいは晴れぼったく赤くなっている。
これは海辺で工作する人は週日潮風に吹かれて大抵こんな風になるものだと自分も知っている。
彼は頭にはフェルトの汚い帽子をかぶり、身には一枚のごく薄い綿入れを着て体はすっかり縮こまっていた。
手には一つの紙包みと一本の長い着せる等を持っていた。
その手は私の覚えているところでは血色のいい丸々と超えたものであったが、今ではザラザラに荒れ日々破れて松の木の皮のようになってしまっている。
私はこの時大変興奮して何と言っていいのかわからなかったのでただ言った。
や、ルンさんか。よく来たな。
私には続いて語り出したいことがたくさんあった。
考えはじゅうつなぎに後から後から続いて出てくる。
うずらだの、はねうおだの、貝殻だの、チャーだの。
しかしなんだか打ち解けるのを妨げるものがあるような気がして、頭の中で動いていながらも口にして言い出すことはできなかった。
彼は立ったままでいた。顔には喜ばしさに混じって打ち解けない表情があった。
唇を動かしてはいたが声には出さなかった。
彼の態度は堅苦しいものになってはっきりと叫んで言うには、
旦那様、私は身震いが出た。私はすぐ悟ったが、
我々の間にはすでに悲しむべき熱い障壁ができてしまっているのであった。
私も何も話し出さなかった。
彼は振り返って言うには、
シューシュンや旦那様に頭を下げないかい。
そこで後ろに身を隠していた幼子を引き出した。
これはそっくり二十年前のルントウで、ただ少し顔色が悪く痩せて、
首には銀の輪飾りがないだけであった。
これは五番目の子供ですが、人前へ出たことがないものだから、
びくびくしておどおどしています。
母と本留等が二階から降りてきた。
たぶん私たちの声を聞きつけてきたんであろう。
大奥様、お便りはありがとうございました。
私はもううれしくてしようがないのでございますよ。
旦那様がおかわりだと受けたまわりましたものですから。
とルントウが言った。
これお前さん、なんでそんな他人行儀なことを。
お前たちは以前には兄弟として話し合ってたではないか。
じんちゃんと昔の通りに呼べばいいではないの。
母はあいそよくこう言った。
おや、大奥様、とんでもない。
どうしてそんなことができますものか。
あのころはほんのガキでしたので、
なんのわきまいもございませんでしたので。
ルントウはこう言って、
まともスイシュンを呼んで私にえしゃくをさせようとするのだけれど、
この子はただはにかむだけで、
しっかりとかじりついて彼のあとへくっついていた。
それがスイシュンかい。
五番目の子供だね。
みんな見知らぬ人たちだもの。
恥ずかしがるのは無理もないさ。
これ本留や、あれを連れて行って外で遊んでおいで。
と母が言った。
言われて本留はスイシュンを招くと、
スイシュンはいそいそと本留に連れられて出て行った。
母はルントウに座をすすめたが、
彼はただもじもじしていて、
おしまいにやっと腰をおろして、
長いキセルをテーブルのわきに持たせかけ、
紙包みを差し出して言うには、
冬はこんな物切りしかございません。
これは青豆をかおかしたものですが、
これはうちでこしられたものです。
どうぞ旦那様に。
私は彼に暮らしむきのことを問うた。
彼はただ頭を振るだけであった。
とてもひでえもんです。
六番目のガキまでが手助けをしてくれますが、
それでもうまく食ってはいけません。
それに世の中もよく収まっていないもんだから、
どの方面にも税には取られるし、
決まったおきてはないし、
収穫はまただめだし、
作物を売りに出れば何度も税金を取り立てられては、
時間と変化
元は切れてしまい、
といって占いでは腐らしてしまうだけだし。
彼はただ頭を振るだけであった。
顔には深いシワがいろいろに刻まれていたが、
まるで動かず石像か何かのようであった。
彼はたぶん苦しさをしみじみと感じてはいるであろうが、
しかしそれを言い表すこともできないのか、
しばらく黙っていた。
そしてキセルを取り上げ、
黙々と煙を吹かしていた。
母が彼に問うと、
うちには用事がたくさんあるとかで、
明日には帰るという。
また、ご飯を食べていないということなので、
彼に自分で台所へ行って、
飯をこしらえて食べるように言った。
彼が出て行ってから、
母と私とは彼の暮らし向きを嘆いた。
小沢さんで不作続き、
税金は占い、
軍人、物取り、
お役人方、旦那衆、
みんな寄り集まって、
デクノボーみたいな男一人を苦しませているのである。
母は、私に言うには、
持って行くにも当たらないようなものは、
何でも彼にやるがいいから、
欲しいものを彼に寄らせることにしよう。
午後、彼は気に入ったものをいくつか寄り出した。
長いテーブルが二つ、
椅子を四つ、
一揃いの航路と食材、
一竿の担ぎ金料。
彼はまた、あらゆるわらばえを欲しいというのであった。
私どもの距離では、
飯を炊くとき、わらをもすのだが、
その肺がすなちの肥料になるのである。
私たちの出発するときが来たら、
彼は船を回してきて、
積んで帰ると言った。
夜は、私どもはまた、
いろんな話をしたが、
これは別に用もないことばかりであった。
その翌日の朝早く、
彼はスイシュンを連れて帰って行った。
また、九日ほど経った。
この日が、私たちの出発の日取りであった。
ルントウは朝早くから来た。
スイシュンは連れて来ないで、
その代わりに、
五つくらいになる女の子を連れてきて、
船の番をさせていた。
私たちは一日中大変多忙で、
もう話をしている暇もなかった。
来客も少なくなかった。
見送りの人もあったし、
物を取りに来た人もあった。
見送りと物取りを兼ねている者もあった。
夕方になって、
私どもが船に乗る頃になったら、
この古屋の中にある、
ありとあらゆる種類のがらくた物は、
すでに一つ残らずきれいに片付いてしまった。
私どもの船は進んで行った。
両岸の山山は、
夕方の薄明かりの中にあって青黒く、
次々に現れ出てきては、
船の後ろの方へ消えて行ってしまうのであった。
本陸は、私と一緒に船の窓に寄りかかって、
外のぼんやりとした風景を眺めていたが、
不意に問うのであった。
おじさん、
私たちはいつになったら帰ってくるんでしょうね。
帰ってくるって?
お前まだ息もしないうちから、
何だって帰ってくることなど考えてんの。
だって、推奨に、
家へ来て遊んでくれと言われてるんですもの。
彼は大きな黒い瞳をぱっちりと見開いて、
がんぜなく考え込んでいるのであった。
故郷の思い出
母と私とはすっかり疲れてぼんやりとしていたが、
それを聞いてまた、
隣藤が思い出されてきた。
母が話すには、
あの豆腐屋小町のヤンおばさんは、
うちで荷物ごしらえを始めて以来、
毎日必ず来ぬ人てなかったもんだが、
一昨日、
あの灰を積んであったところから、
わんや小皿などを十余りも出してきたもんだ。
口論の末に、
これは隣藤が埋めておいたものに相違ない。
彼は灰を運ぶときに、
それも一緒に家へ持って行くつもりだったに違いないと言った。
ヤンおばさんは、
これを見つけ出したのは自分の大変な手柄だというので、
それにつけて犬じらしを取って行ってしまった。
かっここれは、
私の距離の養鶏の道具で、
台坂の上に桜が取り付けてあって、
その中に食料を持っておくと、
鳥は首を伸ばしてそれをすいばむが、
犬にはできないので、
それを見て犬はじれて死んでしまうというもの。
飛ぶように逃げて行ってしまったが、
何しろあの人は小さな足に高い底をつけた靴を履いているのもお構いなく、
むちゃくちゃに走って帰ったよ。
古い家は私からだんだん遠ざかって行ってしまう。
故郷の山水もみな少しずつ私から遠のいてしまう。
希望と葛藤
それなのに、
自分はそれを冴えさほどに名残惜しいとも思わない。
私はただ、
自分のぐるりを取り囲んでいる目に見えぬ高い柿。
それが自分を一人ぽっちにしていることに気づいて、
それが少なからず私を悶えさせるものであった。
あのスイカ畑の上に銀の首輪をしていた小さい英雄の面影は、
私には十分はっきりしたものであったのに、
今となっては急にぼんやりしたものになってしまった。
これがまた私を非常に悲しくさせるのであった。
母とホンルトはもう眠ってしまった。
私は身を横たえて、
船底にじゃぶじゃぶと当たる水音を聞きながら、
私は一人、自分の行く手を行きつつあることを感じた。
私は思った。
私とルントトは、
ついにこんなに駆け隔てられてしまったのだ。
だが私たちの後輩にしてもやはり同じようで、
現にホンルは今、水旬のことを思っているのだが、
私は再び彼らが私に似ないように、
またお互いに駆け隔てができないようにと希望する。
けれども私はまた、
彼らが同じようになるとしても、
決して私のような苦しみと功労の生活をするようになることを願わないし、
また決してルントトのような苦しみと
マヒトの生活をするようになることをも願わない。
またその他の人々のような苦しみと
わがままとの生活をすればいいとも願わない。
彼らは私たちがまだ身も知らないような
新しい生活をしなければならないと思うのである。
私は考えていて希望に至ったのであったが、
たちまち恐ろしくなってきた。
ルントウが香炉に食材を添えてほしいと言ったとき、
彼は偶像を崇拝して
どんな時にも忘れることができないものだと
私は腹の中で彼を嘲笑っていたものであったが、
今私が希望と言っているものも、
これも自分のお手製の偶像ではないだろうか。
ただ彼のものは非禁なものであり、
私のものは公園な取り留めのないものであるだけのことである。
うつらうつらとしているとき、
目の前に打ち開けてきたのは
海辺の青々とした砂地の一角であった。
上には根性の空に一輪の金色の丸い月がかかっていた。
思うに希望というものは、
いったいいわゆるあるとも言えないし、
いわゆるないとも言えないものだ。
それはちょうど地上の道のようなものである。
本当を言えば、地上にはもともと道はあるものではない。
雪買う人が多くなれば、道はそのときできてくるのだ。
1973年発行。
進学者共有館。進学者文庫。
故郷・孤独者。
より独了読み終わりです。
うーん、読んだことないな。
今の中学生は読んでいるそうです。
ヤンおばさん嫌いだわ。
ねえ。
毎日毎日お皿とか取りに来て、
ルン党のお皿持って行っちゃうし、嫌いだわ。
こういうおばさん。
うーん、いかがでしたでしょうか。
懐かしいって人もいるんだろうね。
長いな。ちょっと長いよね。
教科書に載るにはちょっと長いけど。
こんなもんでしたっけね。いや、わかんないな。
はい。
無事寝落ちできて、夢の中の方も、
最後までお付き合いいたかたも、
大変お疲れ様でございました。
はい。といったところで、
今日のところはこの辺で。
また次回お会いしましょう。
おやすみなさい。
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