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寝落ちの本ポッドキャスト、こんばんは、Naotaroです。
このポッドキャストは、あなたの寝落ちのお手伝いをする番組です。
タイトルを聞いたことがあったり、実際に読んだこともあるような本、それから興味深そうな本などを淡々と読んでいきます。
エッセイには面白すぎないツッコミを入れることもあるかもしれません。
作品はすべて青空文庫から選んでおります。
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坂口安吾の生活とエピソード
さて、今日は坂口安吾さんの
明日は天気になれという
西日本新聞での連載のシリーズ
それの中からまだ読んでないやつを読み上げていこうかと思います。
いくつか、何回かにわたって読んでるんですが、まだまだね、ストックがあるんでね。
最近、小説を、有名どころの小説を読んでたんですけど
文体が文豪すぎて疲れちゃって
こういう飾らないエッセイみたいなのがオアシスになるんだと思って今選びました。
坂口安吾さん、日本の小説家、評論家、随筆家。
戦後発表の堕落論、白痴、羅が評価され、太宰治と並んで無礼派と呼ばれるということですね。
前回読んだ芥川龍之介はなんか大変だったな。
で、なんか音声編集したらフワフワフワフワした感じになっちゃって、
出来栄え最悪みたいな。でもまあいいやと思ってアップロードしましたけど。
その、そんな自分を慰めるように読みやすい文章を読みたいと思います。
はい。それでは参ります。
明日は天気になれ
馬鹿の四方大
昨夕、ふらりと浅草へ遊びに行った
ちょうど一年目だ
自然、淀橋太郎とか森川信というような浅草生え抜きの旧友と飲み屋で顔が合う。
話は自然に、余人の旧悪に及ばず、そして拙者の旧悪のみが酒の魚となるのは不得の致すところであろう。
なるほど人に言われてみると、私は馬鹿の四方大をしてきたようである。
その一端をご披露に及び、諸賢の今日を添え、あるいは今日を覚ますのも馬鹿の務めの一つかもしれない。
それは九州に多少の縁がある話でもある。
それは選挙区不利に傾きつつある大晦日のことであったが、
私は鉄椒泥水に及んで某女優に数時間にわたって結婚の儀を申し入れて叱られるようなにぎやかな出来事があって、
その挙句に塚本のデブちゃんという非常に義強心に富み、働けど働けど女房に軽蔑され、
また常に失恋しつつある人物に委託同情を買い、彼の無人像の握手をじゃんじゃん提供されて元日を迎えたのである。
元日も朝から晩まで飲んだ挙句、この義強心に富むデブちゃんと連れ立ち、
彼の大根女優が主役を務めている国際劇場へ大いに彼女の美徳を称え、千円贈りに一生瓶をぶら下げ、デブちゃんの自転車に相乗りして出かけたのである。
このデブちゃんは、泥水すると人や大荷物を積み上げて自転車を運転してみせる悪癖があり、また奇妙に運転が確かであった。
淀橋太郎の説によると、私は上衣を脱ぎ、Yシャツ姿で舞台後方に現れ、うまいうまいと言って30分間ほど休みなく拍手を送って大根女優を声援し、
ますます彼女の軽蔑を買い、劇場を悩ませて疲れを見せなかったそうであるが、どういうわけだか私にもわからないが、
ダンシングチームの楽屋を訪れ、「少女の芸は未熟である。」と訓示をたれ、次に遥か舞台天井の鉄筋の上へ上がってしまった。
そこで私は気がついて、さてはここで落命致すかと泥水しながらも心細い思いをしたが、妙に楽々と元へ戻ることができた。
この時は無事であったが、すぐその後で十日間制の道を歩いて防空壕へ落ちて怪我をし、一丁らの洋服のズボンの膝を半分の余も裂いてしまった。
こうして人形に富むデブちゃんにだけはますます見放されることがなく、非常に彼を憎みまた軽蔑している女房のもとへ握手を盗みに忍ぶようなことをして三日日を共に祝った。
ところがこのデブちゃんは天下に稀な働き者で、二日の早朝にはもうちょっと座を立って裏安から小魚や貝を仕入れてきて半分は愛人に与え、半分は夕方ちょっと座を立って飽きないをして儲けてくる。
しかも両方と愛人に徹底的に軽蔑されていたのである。
炭鉱での経験
こうして新年の三日間、デブちゃんの悪種の振舞いを受けて半死半生となった私は、確か四日朝、九州の炭鉱へ石炭増産週間の一躍を買って、膝の裂けたズボンを履いて関門トンネルをくぐった。
炭鉱の異業
私のような無名の山門分子が、戦時中の石炭増産週間の一躍を買うとはおよそ柄にない話であるが、大井博介が北九州の某炭鉱にゆかりの人物で、
彼は石炭増産週間に就き、中央の分子を炭鉱府の異門激励に派遣するよう頼まれたが、叱るべき分子には頼まず、お酒や食べ物に不自由している友人の飲んだくれや食いしん坊を選んだのである。
そこで、丹和雄、半田義行、南川順二私という手合いが、吉熊炭鉱その他へ姿を現すこととなったのである。その日、北九州は積雪15センチ。
ところが新年の三月日、半死半生の悪酔いによってみそぎをした私は、北九州の炭鉱においては体操を履歴しく立場たらき、分子も一か所の侍であるというような成果を高めた。人は見かけによらないのである。
丹君らは小生を最年長のゆえによってことごとに代表者とあがめ、ために私は雪上に裸で演説もしなければならなかったし、校内1500尺の底において圧削空気のドリルを使い、またダイナマイトを爆発させなければならなかった。
ところが私は戦争で気が立っていたせいか、やせやすこれらを成し遂げ、全く動じる余裕がなかったので、最高課長が公式の席において、坂口君は当炭鉱が校譜として採用したい唯一の人材であるというような惨事を呈し、私はまたそれに答えて、落盤事故がなかったのは小生の遺憾と致すところであるというように述べておいた。
私にダイナマイトを点火してご覧のさいというので、当炭鉱において一人の校譜が一時にダイナマイトを点火した記録は何発であるか。
およそ20発であろう。
しからば用も一時に20発点火致そう。
強がってはいかん。すでに貴公の顔色は変わっている。特に貴公の名誉を考え4発を点火していただく。
導火線は本来2分ちょっきりで導火するものであるが、木下は芸者がそれを作っているから不揃いで、1分20秒から2分まで40秒も開きがある。
注意したまえ。
そこで4発のダイナマイトを詰め始めると、途端にダンカズを先頭にして最高課長を除く全員が100mも逃げてしまった。
その逃げ足の速さは驚くべきものがあった。
私はそれまでの生涯においても、その後の生涯においても、
彼の人物は最も脳なしのように立たない人間である。
と番人に折り紙をつけられてきたが、北九州の炭鉱においては連日裸で積雪を踏んで港内へくぐり、
彼のみが役に立つ唯一の人材であると言われた。
まさしく生涯に一度だけのことらしい。
あるいは、正月3日、デブちゃんの激怒の握手で半死半生のみそぎを終えて直行したのが効果があったのかもしれない。
芥川賞に関する考察
今期の芥川省選考委員会に2つの放送局から録音の申し込みがあったそうだ。
芥川省の審査内容を具体的に報告しろというような文芸批評家の意見が諸々に上がっていた折であるから、
これも世論の一つとみて一度録音してみるのも面白いかもしれない。
どうせ一度で終わりになるのはわかっている。
交換に演談に上がって演説するのと違って、命名が自分の席で喋る。
文章は演説席に喋るように心得がないところへ、芥川省の選考委員は、よりによって言葉のはっきりしないのが揃っている。
宇野幸治氏のように、一見離れても聞き取れないような独り言を呟くような人もいるし、
全然他人の発言と連絡なく電光石火の一言を叫んだと思うと、沈黙してしばし語らぬ人もいるし、
しかもそれらの議論が一名ずつ別行に行われるわけではなくて、
それもあると合図中打つ人、それはつまらんと吐き捨てるように呟く人、
同時にいろいろな雑音が重なり合って、しかもそれを単に雑音と思うと大間違いで、
それはつまらんという呟きがその人のかけねなしの全部の意見だったりするから、
それを録音で聞き取ることができる道理がないのである。
何が何やらわからないという見本までに一応録音してみるのもお慰みかと思うが、
主催者の日本文学振興会では、技術的に録音を不可能の理由で拒絶したとの話であった。
そのほうが解音を未然に防いでなお結構であったろう。
文師というものは筆の上で偽ることのできないのが持って生まれた少年なのだから、
各先者の戦後表というものを読めば、戦後事情はそれで一目瞭然なのである。
しかるにそれを読んでいながら、なお選考委員会の内容を具体的に報告しろなどという批評家は、
文章を読むことを知らない人間だと言わざるを得ない。
今期の芥川賞には森鴎外の《小倉滞在中の日記》をテーマにした九州在住の作家の作品が当選作の一つとなった。
ところがこの作品が選考委員会で論議されているうちというもの、
小倉日記は小倉日記と発音されていたのである。
私のような無学者は例外として、芥川賞の選考委員は言葉については花々深い造形のお持ち主が多いのである。
九州の人が聞けば小倉を小倉と読みながら造形もうんちくもあるまいと思うであろうが、
早い話が小倉百人一首というように実は小さな倉と書いて小倉と読むのが一般的なのである。
九州小倉という地名の読み方に歴史的な重要性というようなこともないようだから、
偉い先生方がその読み方を知らなかったと言って咎めるわけにゆかない。
むしろ日本の地名や人名の煩わしさ、またその煩わしさを生み出している漢字の罪の深さというものを痛感したのであった。
ある九州の魂。
ある時尾崎四郎のところから使いが見えて九州鹿児島から人が来て、
西郷丼大好物の鮭寿司というものを作ったから食いに来い、というので遺産で出かけた。
漁師や山男の刺身、焼き魚、焼肉の類でも料理で通用するのが日本料理であるが、
西郷丼の大好物はそれらに比べて手が込んでいるけれども、料理と言って良いのかどうか乱暴千万な食べ物だった。
私の食った鮭寿司は一生の飯に一生の鮭をぶち込み、
色々の息の良い魚をぶち込んだものであるが、
どうも飯が酒臭すぎるのがたまに傷で、そこが傷なら他に取り柄がない。
三つ一緒にしてこんな酒臭い食べ物を作るよりも、
一生の酒を息の良い魚で一杯飲んで、後で一生の飯を茶漬けでかっこむ方がうまかろう。
すると自然に腹の中で鮭寿司ができる。
三つ別々に食っては月並みだ。
もっと文明開化の料理らしく複雑に手の込んだものを作ろうじゃないか。
というので酒と魚と飯を一緒にして料理にしたつもりかもしれないが、
腹の中で自然にできるものを酒に慌てて作ったという気がして仕様がない。
もう一つ私の並行した料理がある。
カニ味噌というやつだ。
口の曲がるほど辛いのはまだ良いが、トゲが刺して痛くて噛めない。
私はあれを食った時に九州の豪傑どもは、
うまいというのと痛いというのと混同しているのじゃないかと怪しんだ。
九州では痛いというのも味覚のうちで、
ちょいとナイフで腕を切って血をすすって、うん、これはいけると楽しむ。
そういうような心境が発達、もしくは添加して、
カニ味噌に至って極まったところへ、
白州先生が誕生したりしていよいよ天下の大事になったのではないかという風に空想したのである。
ある料理をすすめて客人にもてなす。
いかがですか?うまいですか?
は、ちょっと痛いです。
というような会話の発生し得る場合は、
カニ味噌の他に滅多に考えられないばかりでなく、
カニ味噌においてはそういう会話の発生するのが当然なのだから凄みがある。
しかしこの二つの珍妙な食べ物は、
いかに愛嬌があって食べてみるとバカバカしかったり痛かったりするだけだけれども、
そのもたらす要因というものは楽しくまた懐かしい。
カニ味噌って辛いか?
一つはいかにも手が込んで文明開化のごとくだけれども、
腹の中で自然にまとまるものを先に慌てて作った趣であるし、
一つは野蛮そのもののごとくであるが、
実はむしろカニそのものに噛みつくよりも一歩料理に近づいているのかもしれない。
善良で素朴な魂が自然流に編み出した独特の痛みというより仕方がなく、
私は時々酒寿司とカニ味噌が吸収という善良な魂のような気がして仕方がない時があるのである。
最も健全な夢の国。
新州松台藩主に真田幸寛という殿様があった。
家来の一人に大層小鳥好きがいて、鳥籠に小鳥を飼って愛顔していたところ、
ある日殿様に呼び出され、ちょうど鳥籠と同じような籠の中へ入れられて鍵をかけられてしまった。
時間がかけると誰かが水とむすびを差し入れてくる。
文化とその影響
やがて殿様が現れて、「どうだ、外へ出たいか?」
「はい、出とうございます。」と家来はポロポロと涙をこぼして答えた。
「そうだろう、出たいであろう。お前は小鳥を鳥籠へ入れて愛顔しているそうだが、
小鳥の実になってみるがよい。今のお前と同じことだ。どうだ、わかるか?」
「はい、よくわかりました。早速小鳥を放しますから、ご勘弁くださいまし。」
「それならば今回は許して使わす。」と話してもらったそうだ。
この殿様は明君の誉れ高く、その明君の業績を進化がろくして世に残した本に「日暮すずり」というのがある。
この話はその本の中に明君の誉れ高い行いの一つとして述べられているものだ。
今のようにこれを明君と思う人はあるはずがない。天下の馬鹿殿様と思うに決まっている。
ところが日暮すずりという本はなかなか愛読された本で、戦争中には大衆向きの文庫本の中にまでこの本が印刷されていたものなのだ。
のどもとすぎれば我々はもう忘れているが、戦争というものはこのような天下の馬鹿殿様が明君になってしまうほど恐ろしいものなのである。
ところが徳川時代には事実においてこれが明君で問うたのだから、民の生活というものは殷算で救いがたい。
立派な大臣の死ですら小鳥を飼うこともできない。
百姓や女子供にのびのびと自由を楽しむことなど一瞬といえどもあり得ようとは思われない。
ところがこれがまた素人考えというもので、長仁百姓はずっといじめられ同士でいながら、実は侍の持たなかった自分の楽しみや文化というものをいつもちゃんと持っていた。
下は盆踊りから上は天下の芸術に至るまで、民は殿様の鳥籠の中に入れられながらも自分の文化を話したことはないのである。
むしろこのようにいじめられてひそかに身につけた自分だけの秘密の文化というものは、自由に許されたのよりも香りが高く独特な風格を持つに至るのかもしれん。
私はそのようなものの現代版として宝塚少女歌劇を思うのである。
女大学の風潮が現代まで残存して日本の少女を痛めつけ、歪にした産物として現れてきたキケージのごとくでもあるが、同時にそれゆえにひそかにまた目覚ましく生育した独特な芸術でもある。
日本の男子はこれを軽蔑してまだ見ることすらも知らないけれど、実は歌舞伎もこれに及ばず、ストリップもこれに及ばない。
なぜなら少女自身が少女の意中の男子を表現しているからである。
それは壮大で正しくて完全で、男が見ると泣きたくなるほど凛々しいものだ。
この上もなく健全な夢の世界である。そして美しい。髭の男子は一見すべし。
文化の序列
田舎の人は西洋の映画を見ると筋がわからないという。
映画による文化の序列
その理由は簡単なようだ。
例えば一人の男が失業して街を歩いている。
レストランのショーウィンドウに旧人の張り紙を見て扉を押して消える。
次の場面にはもうコックとかボーイとかの姿で現れている。これがわからないのだ。
日本の映画の場合はレストランの扉を押して消えると、
次に受付で支配人はいますかというやり取りから、
さらに支配人に会って雇われる筋道がみんな現れてくる。
こういう手続きを順々に踏まないと田舎の人にはわからないのであるが、
これは映画の本筋には無関係なことで、
これくどい手順を踏んで田舎のセンスに順応するというのは、芸術としては非常に大歩だ。
イタリア映画にも日本映画に似たような田舎臭い、ノロマなセンスがあり、
やたらにリリシズムに倒水したがるところなどもよく似ている。同格のレベルと言えよう。
フランスやアメリカにはこういう泥臭さがさすがにない。
全般的にレベルが相当違うようだ。
私は戦争中、日映というニュースと文化映画、宣伝映画などを作っている会社に勤めていた。
ここは海外の映画宣伝工作のもとじめだから海外の映画もここに集まる。
しょっちゅう司舎をやって関係者がそれを見ていたが、
私が見たのではマレー映画というのが実にはなはだしく退屈極まるものではあるが、
これくらい独特なものは二つとない。
なんともちんぶるいなものであった。
マレー映画は普通25、6巻から30巻ぐらいの長さで、
物語の筋は単純極まる恋愛物語だけれども、
飯を食ったり顔を洗ったり洗濯したり、日常の当たり前のことをするのに大部分のフィルムを使う。
アリババと40人の盗賊の映画も30巻ほどの長さで、
まずアリババが目を覚まし顔を洗い、朝食をとりながら兄と口喧嘩をするのに何巻もかかってしまう。
マレー人がこういう映画を作って自ら楽しんでいるから日本映画を持って行って見せても、
テンポが早すぎてわからないといっててんで受けなかった。
その代わり日本映画に食事の場面や顔を洗う場面、寝床などであくびをして目を覚ます場面などがあると、
ああやってるやってるとワーワーと拍手喝采だそうである。
もう一つ面白いのはマレー映画は大概恋愛が非恋に終わって、
めでたしめでたしのあべこべに終わるばかりなのではなく、例外ないほど一方が自殺してしまう。
長いことかかって散々涙の裾を絞らせて、会えなく自殺するのである。
つまりマレー人は絶対と言っていいほど自殺することのない人間なのだそうだ。
そこは映画もよくできていて、主人公が自殺すると暗転。
寝室の場面が現れ主人公がふっと目を覚ます。
今のは夢だった。めでたしめでたしと本当の終わりになるのである。
映画による文化の序列を見せられるようで変な悲しい気がしないでもなかった。
1999年発行 筑波書房 坂口安吾全集13より一部独了読み終わりです。
はい。坂口安吾の文章好きでね、読みやすくてって思ってたけど、
今日読みにくかったな。なんか僕の調子が悪いのかな。
まあいい日もあれば悪い日もありますわな。うんうん。それでいいや。
毎日毎日死ぬまで生きていこうじゃないか。
ということで、寝落ちできた方も最後まで聞き終わってしまった方もお付き合いいただきありがとうございました。
といったところで、今日のところはこの辺で。また次回お会いしましょう。おやすみなさい。