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2025-07-29 28:30

151坂口安吾「堕落論」

151坂口安吾「堕落論」

再録。ただ運命に従順な子供であった。

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サマリー

本エピソードでは、坂口安吾の「堕落論」を通じて、人間の本質や戦時中の心情について考察しています。また、天皇制や武士道の歴史的な意味合いについても触れています。「堕落論」では、人間の存在と堕落というテーマが探求され、戦争やその影響を受けた人々の心理や行動が描かれています。堕落が人間の本質であることが論じられ、戦争や演劇の影響を受けた作品や体験が語られています。

堕落論の導入
寝落ちの本ポッドキャスト。こんばんは、Naotaroです。 このポッドキャストは、あなたの寝落ちのお手伝いをする番組です。
タイトルを聞いたことがあったり、実際に読んだこともあるような本、 それから興味深そうな本などを淡々と読んでいきます。
エッセイには面白すぎないツッコミを入れることもあるかもしれません。 作品はすべて青空文庫から選んでおります。
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さて、今日は坂口安吾さんの堕落論を読みたいと思います。 実はこれは2度目になるんですが、
今年ちょうど戦後80年ということで、 戦争関連のテキストを少し多めに読もうかなと思って、
昔読んだのをリメイクというか再収録しようと思って読もうと思います。 坂口安吾さん、日本の小説家、評論家、随筆家、
戦後発表の堕落論、これを今日読みます。 白痴、名が評価され、太宰治と並んで、無礼派と呼ばれるということです。
白痴もかつて読んでますので、 機会があったらお聞きになってみてください。
面白いですよ。スケッチが上手なんですね、この人は。 分析上手というか。
それを文章にして伝えてくれるという感じですね。 今日読む堕落論は8センチ程度なので、
そうですね、20分ぐらいでしょうか。 サクッと終わると思いますので、
よろしければお付き合いいただければと思います。
それでは参ります。 堕落論
人間の本質と心情
半年のうちに世相は変わった。 至高の見立てと出立つ我は、大きみのへにこそしなめ、帰りみはせじ。
若者たちは花と散ったが、同じ彼らが生き残って闇矢となる。 桃戸瀬の命願わじ、いつの日か見立てとゆかん、君と千切りて。
けなげな心情で男を送った女たちも、半年の月日のうちに、 夫君の威拝にぬかずくことも事務的になるばかりであろうし、
やがて新たな面影を胸に宿すのも遠い日のことではない。 人間が変わったのではない。人間は元来そういうものであり、変わったのは世相の上比だけのことだ。
昔、四十七死の序命を拝して処刑を断行した理由の一つは、 彼らが生きながらえて生き恥をさらし、せっかくの名をけかす者が現れてはいけないという老婆心であったそうな。
現代の法律にこんな人情は存在しない。 けれども人の心情には多分にこの傾向が残っており、
美しいものを美しいままで終わらせたいということは一般的な心情の一つのようだ。 十数年前だかに、童貞処女のまま愛の一生を終わらすようと大磯のどこかで心中した学生と娘があったが、
世人の同情は大きかったし、私自身も数年前に私と極めて親しかった名医の一人が二十一の年に自殺したとき、
美しいうちに死んでくれてよかったような気がした。
一見清楚な娘であったが、壊れそうな危なさがあり、真っ逆さまに地獄へ落ちる不安を感じさせるところがあって、その一生を生死するに絶えないような気がしていたからであった。
この戦争中、文子は未亡人の恋愛を書くことを禁じられていた。 戦争未亡人を挑発堕落させてはいけないという軍人政治家の魂胆で、
彼女たちに使徒の余生を送らせようと欲していたのであろう。 軍人たちの悪徳に対する理解力は敏感であって、
彼らは女心の変わりやすさを知らなかったわけではなく、知りすぎていたので、こういう禁止項目を暗出に及んだまでであった。
一体が日本の武人は、古来不助手の心情を知らないと言われているが、これは悲壮な見解で。
彼らの暗出した武士道という武骨旋盤な法則は、人間の弱点に対する防壁がその最大の意味であった。
武士は仇討ちのために草の根を分け、小敷となっても足跡を追いまくらねばならないというのであるが、
誠に復讐の情熱を持って急遽の足跡を追い詰めた中心格子があったであろうか。 彼らの知っていたのは、仇討ちの法則と法則に規定された名誉だけで、
かんらい日本人は最も憎悪心の少ない、また永続しない国民であり、
昨日の敵は今日の友という楽天性が実際の逸らぬ心情であろう。 昨日の敵と妥協、否、簡単相照らすのは日常茶飯事であり、
急遽なるが故に一層簡単相照らし、 たちまち憎んに仕えたがるし、昨日の敵にも仕えたがる。
生きて捕虜の恥を受けるべからずというが、 こういう規定がないと日本人を戦闘に駆り立てるのは不可能で、我々は既悪に従順であるが、
我々の逸らぬ心情は既悪と逆なものである。 日本戦士は武士道の戦士よりも健忘術術の戦士であり、
歴史の証明に待つよりも自我の本心を見つめることによって歴史のからくりを知り得るであろう。 今日の軍人政治家が未亡人の恋愛について執筆を禁じたごとく、
歴史の洞察
いにしえの武人は武士道によって自らのまた部下たちの弱点を抑える必要があった。 小林秀夫は政治家のタイプを独創を持たずただ管理し支配する人種と称しているが、必ずしもそうではないようだ。
政治家の大多数は常にそうであるけれども、少数の天才は管理や支配の方法に独創を持ち、 それが凡庸な政治家の規範となって、ここの時代、ここの政治を貫く、
一つの歴史の形で巨大な生き物の意思を示している。 政治の場合において、歴史は子をつなぎ合わせたものでなく、子を没入せしめた別子の巨大な生物となって誕生し、
歴史の姿において政治もまた巨大な独創を行っているのである。 この戦争をやった者は誰であるか。
島上であり軍部であるか。 そうでもあるが、しかしまた日本を貫く巨大な生物、歴史の抜き差しならぬ意思であったに遭いない。
日本人は歴史の前ではただ運命に従順な子供であったに過ぎない。 政治家によし独創はなくとも、政治は歴史の姿において独創を持ち、意欲を持ち、
やむべからざる歩調を持って大海の波のごとくに歩いていく。 何人が武士道を暗出したか。
これもまた歴史の独創または嗅覚であったろう。 歴史は常に人間を嗅ぎ出している。
そして武士道は人生や本能に対する禁止条項であるために非人間的、反人性的なものであるが、
その人生や本能に対する洞察の結果である点においては全く人間的なものである。 私は天皇制についても極めて日本的な、
したがってあるいは独創的な政治的作品を見るのである。 天皇制は天皇によって生み出されたものではない。
天皇は時に自ら陰謀を起こしたこともあるけれども、害して何もしておらず、その陰謀は常に成功の試しがなく、
島流しとなったり山奥へ逃げたり、そして結局常に政治的理由によってその存立を認められてきた。 社会的に忘れた時にすら政治的に担ぎ出されてくるのであって、
その存立の政治的理由は、いわば政治家たちの嗅覚によるもので、彼らは日本人の聖壁を洞察し、その聖壁の中に天皇制を発見していた。
それは天皇家に限るものではない。 代わり得るものならば公私家でも、釈迦家でも、礼人家でも構わなかった。
ただ、代わり得なかっただけである。 少なくとも日本の政治家たち、貴族や武士は自己の永遠の流星、
それは永遠ではなかったが、彼らは永遠を夢見たであろう。 永遠の流星を約束する手段として絶対君主の必要をかぎつけていた。
平安時代の藤原氏は天皇の擁立を自分勝手にやりながら、自分が天皇の戒であるのを疑りもしなかったし、迷惑にも思っていなかった。
天皇の存在によって老い家騒動の処理をやり、弟は兄をやり込め、兄は父をやっつける。
彼らは本能的な実質主義者であり、自分の一生が楽しければよかったし、そのくせ懲戒を盛大にして天皇を這いがする奇妙な形式が大好きで満足していた。
天皇を拝むことが自分自身の威厳を示し、また自ら威厳を感じる手段でもあったのである。 我々にとっては実際馬鹿げたことだ。
我々は靖国神社の下を電車が曲がるたびに頭を下げさせられる馬鹿らしさには並行したが、ある種の人々にとってはそうすることによってしか自分を感じることができないので、我々は靖国神社についてはその馬鹿らしさを笑うけれども、他の事柄について同じような馬鹿げたことを自分自身でやっている。
そして自分の馬鹿らしさには気づかないだけのことだ。 宮本武蔵は市城寺下松の旗芝居へ急ぐ途中、八幡様の前を通りかかって思わず拝みかけて思い留まったというが、
我神仏を頼まずという彼の教訓はこの自らの性癖に発し、また向けられた快感深い言葉であり、我々は自発的にはずいぶん馬鹿げたものを拝み、ただそれを意識しないというだけのことだ。
道学先生は教壇でまず書物を教いただくが、彼はそのことに自分の威厳と自分自身の存在すらも感じているのであろう。
そして我々も何かにつけて似たことをやっている。 日本人のごとく健忘術数をこととする国民には健忘術数のためにも大義名分のためにも天皇が必要で、
個々の政治家は必ずしもその必要を感じていなくとも、歴史的な嗅覚において彼らはその必要を感じるよりも自らのいる現実を疑うことがなかったのだ。
秀吉は樹落に行光を仰いで自ら正義に泣いていたが、自分の威厳をそれによって感じると同時に宇宙の神をそこに見ていた。
これは秀吉の場合であって他の政治家の場合ではないが、健忘術数が例えば悪魔の手段にしても、
悪魔が幼児のごとくに神を拝むことも必ずしも不思議ではない。 どのような矛盾もあり得るのである。
要するに天皇制というものも武士道と同種のもので、女心は変わりやすいから切腐は二夫にまみえずという禁止自体は非人間的、反人性的であるけれども、
洞察の真理において人間的であることと同様に天皇制自体は真理ではなく、また自然でもないが、
そこに至る歴史的な発見や洞察において軽々しく否定し難い深刻な意味を含んでおり、 ただ表面的な真理や自然法則だけでは割り切れない。
全く美しいものを美しいままで終わらせたいなどと願うことは小さな人情で、 私のメインの場合にしたところで、自殺などせず生き抜き、
そして地獄に落ちて暗黒の荒野をさまようことを願うべきであるかもしれん。 現に私自身が自分に貸した文学の道とは架かる荒野の流浪であるが、それにもかかわらず、
美しいものを美しいままで終わらせたいという小さな願いを消し去るわけにもいかん。 未完の美は美ではない。
その当然落ちるべき地獄での遍歴に、 隣絡自体が美であり得るときに初めて美と呼びるのかもしれないが、
二十歳の少女をわざわざ六十の老朽の姿の上で常に見つめなければならんのか。 これは私にはわからない。私は二十歳の美女を好む。
戦争と破壊の中の人間
死んでしまえば身も蓋もないというが、果たしてどういうものであろうか。 敗戦して、結局気の毒なのは戦没した英霊たちだという考え方も、
私は素直に肯定することができない。 けれども六十過ぎた将軍たちが、なお、生に連々として皇帝に惹かれることを思うと、
何が人生の魅力であるか、私には開目わからず。 しかしおそらく私自身も、もしも私が六十の将軍であったなら、
やはり生に連々として皇帝に惹かれるであろうと想像せざるを得ないので、 私は生という機械な力にただ呆然たるばかりである。
私は二十歳の美女を好むが、老将軍もまた二十歳の美女を好んでいるのか、 そして戦没の英霊が気の毒なのも、二十歳の美女を好む意味においてであるか。
そのように姿の明確なものなら、私は安心することもできるし、 そこから一途に二十歳の美女を追っかける信念すらも用いるのだが、生きることはもっと訳のわからぬものだ。
私は死を見ることが非常に嫌いで、 いつか私の眼前で自動車が衝突したとき、私はくるりと振り向いて逃げ出していた。
けれども私は偉大な破壊が好きであった。 私は爆弾や焼夷弾に斧抜きながら、凶暴な破壊に激しく興奮していたが、
それにもかかわらずこの時ほど人間を愛し懐かしんでいたときはないような思いがする。
私は疎開を進め、また進んで田舎の住宅を提供しようと申し出てくれた数人の親切を退けて、東京に踏みとどまっていた。
大井博之の焼け跡の防空壕を最後の拠点にするつもりで、 そして九州へ疎開する大井博之と別れたときは、東京からあらゆる友達を失ったときでもあったが、
やがて米軍が上陸し、四辺に銃砲弾の炸裂する最中にその防空壕に息を潜めている私自身を想像して、私はその運命を感受し、待ち構える気持ちになっていたのである。
私は死ぬかもしれぬと思っていたが、より多く生きることを確信していたにそういない。 しかし廃墟に生き残り、何か抱負を持っていたかといえば、私はただ生き残ること以外何の目算もなかったのだ。
予想しへの新世界への不思議な再生、その好奇心は私の一生の最も新鮮なものであり、その機械な鮮度に対する代償としても東京に留まることをかける必要があるという奇妙な呪文につかれていたというだけであった。
そのくせ私は臆病で、昭和20年の4月4日という日、私は初めて刺繍に2時間にわたる爆撃を経験したのだが、頭上の照明弾で昼のように明るくなった。
その時ちょうど状況していた時景が、防空壕の中から焼夷弾かと聞いた。 いや、照明弾が落ちてくるのだと答えようとした私は、
一応腹に力を入れた上でないと声が全然出ないという状態を知った。 また当時日本映画社の食卓だった私は銀座が爆撃された直後、
変態の来襲を銀座の日絵の屋上で迎えたが、 5階の建物の上に塔があり、この上に3台のカメラが据えてある。
空襲警報になると、路上、窓、屋上、 銀座からあらゆる人の姿が消え、
屋上の後者法人地すらも円合に隠れて人影はなく、 ただ天地に露出する人の姿は日絵屋上の10名ほどの一段のみであった。
まず石川島に焼夷弾の雨が降り、次の変態が真上へ来る。 私は足の力が抜け去ることを意識した。
煙草をくわえてカメラを変態に向けている憎々しいほど落ち着いたカメラマンの姿に 驚嘆したのであった。
けれども私は偉大な破壊を愛していた。 運命に従順な人間の姿は奇妙に美しいものである。
工事町のあらゆる大邸宅が嘘のように消え失せて余人を立てており、 上品な父と娘がたった一つの赤革のトランクを挟んで円合の緑草の上に座っている。
片側に余人を挙げる茫々たる廃墟がなければ、平和なピクニックと全く変わるところがない。
ここも消え失せて、茫々ただ余人を立てている道元坂では、 坂の中途にどうやら爆撃のものではなく自動車に引き殺されたと思われる死体が倒れており、一枚のトタンがかぶせてある。
片側に十犬の兵隊が立っていた。 行くもの、帰るもの。
被災者たちの延々たる流れが、まことにただ無心の流れのごとくに死体をすり抜けている機械。 路上の鮮血にも気づくものすらおらず、たまさか気づくものがあっても、捨てられた紙くずを見るほどの関心しか示さない。
米人たちは、終戦直後の日本人は虚脱し、放心していると言ったが、 爆撃直後の被災者たちの行進は虚脱や放心と種類の違った驚くべき十万と十両を持つ無心であり、素直な運命の子供であった。
笑っているのは常に十五六、十六七の娘たちであった。 彼女たちの笑顔は爽やかだった。焼き跡をほじくり返して、焼けたバケツへ掘り出した瀬戸物を入れていたり、
わずかばかりの荷物の張り板をして路上に日向ぼっこをしていたり、 この年頃の娘たちは未来の夢でいっぱいで、
現実などは苦にならないのであろうか、それとも高い虚栄心のためであろうか。 私はやけの原に娘たちの笑顔を探すのが楽しみであった。
あの偉大な破壊の下では運命はあったが堕落はなかった。 無心であったが十万していた。
堕落の本質
猛火をくぐって逃げ延びてきた人たちは燃えかけている家のそばに群がって寒さの暖をとっており、 同じ日に必死に消火に努めている人々から一尺離れているだけで全然別の世界にいるのであった。
偉大な破壊、その驚くべき愛情。 偉大な運命、その驚くべき愛情。
それに比べれば敗戦の表情はただの堕落に過ぎない。 だが堕落ということの驚くべき平凡さや平凡な当然さに比べると、
あのすさまじい偉大な破壊の愛情や運命に従順な人間たちの美しさも大松のような虚しい幻影に過ぎないという気持ちがする。
徳川幕府の思想は四十七死を殺すことによって永遠の義士たらしめようとしたのだが、 47名の堕落のみは防ぎ得たにしたところで、
人間自体が常に義士から盆族へまた地獄へ転落し続けていることを防ぎうるよしもない。 切腐は二夫にまみえず、忠臣は二君に仕えず、と規約を制定してみても人間の転落は防ぎ得ず、
よしんば諸女を殺し殺してその純潔を保たしめることに成功しても、堕落の平凡な足音、ただ打ち寄せる波のようなその当然な足音に気づくとき、
仁義の悲傷さ、仁義によって保ち得た諸女の純潔な悲傷さなどは法末のごとき虚しい幻像に過ぎないことを見出さずにいられない。
特攻隊の勇士はただ幻影にあるに過ぎず、人間の歴史は闇夜となるところから始まるのではないのか。
未亡人が使徒たることも幻影に過ぎず、新たな面影を宿すところから人間の歴史が始まるのではないのか。
そしてあるいは天皇もただ幻影であるに過ぎず、ただの人間になるところから真実の天皇の歴史が始まるのかもしれない。
歴史という生き物の巨大さと同様に、人間自体も驚くほど巨大だ。
生きるということは実に唯一の不思議である。
六十七十の将軍たちが切腹もせず靴羽を並べて法廷に引かれるなどとは終戦によって発見された壮観な人間図であり、
日本は負け、そして武士道は滅びたが、デラクという真実の母体によって初めて人間が誕生したのだ。
生きよ、落ちよ。
その正当な手順のほかに真に人間を救い得る便利な近道があり得るだろうか。
私は腹切りを好まない。
昔、松永断正という老改憂鬱な陰謀家は信長に追い詰められて仕方なく城を枕に討ち死にしたが、
死ぬ直前に毎日の習慣通り延命の急を据え、それから鉄砲を顔に押し当て顔を打ち砕いて死んだ。
その時は70を過ぎていたが、人前で平気で女と戯れる悪毒い男であった。
この男の死に方には同感するが、私は腹切りは好きではない。
私はおののきながら、しかし惚れ惚れとその美しさに見とれていたのだ。
私は考える必要がなかった。
そこには美しいものがあるばかりで人間がなかったからだ。
実際、泥棒すらもいなかった。
近頃の東京は暗いというが、戦争中は真の闇で、
そのくせどんな深夜でも老いはぎなどの心配はなく、暗闇の深夜を歩き閉じまりなしで眠っていたのだ。
戦争中の日本は嘘のような理想郷で、ただ虚しい美しさが咲きあふれていた。
それは人間の真実の美しさではない。
そしてもし我々が考えることを忘れるなら、これほど気楽なそして爽快な見せ物はないだろう。
たとえ爆弾の絶えざる恐怖があるにしても、考えることがない限り、人は常に気楽であり、
ただ惚れ惚れと見とれておればよかったのだ。
私は一人の馬鹿であった。
最も無邪気に戦争と遊び戯れていた。
終戦後、我々はあらゆる自由を許されたが、
人はあらゆる自由を許されたとき、自らの不可解な限定とその不自由さに気づくであろう。
人間は永遠に自由ではありえない。
なぜなら人間は生きており、また死なねばならず、そして人間は考えるからだ。
政治上の改革は一日にして行われるが、人間の変化はそうはいかない。
遠くギリシャに発見され、確率の一歩を踏み出した人生が、
今日どれほどの変化を示しているであろうか。
人間。
戦争がどんな凄まじい破壊と運命をもって向かうにしても、人間自体をどう成し得るものでもない。
戦争は終わった。
特攻隊の勇士はすでに闇夜となり、未亡人はすでに新たな面影によって胸を膨らませているではないか。
人間は変わりはしない。ただ、人間は戻ってきたのだ。
人間は堕落する。義士も聖女も堕落する。
それを防ぐことはできないし、防ぐことによって人を救うことはできない。
人間は生き、人間は堕ちる。
そのこと以外の中に人間を救う便利な近道はない。
戦争に負けたから堕ちるのではないのだ。
人間だから堕ちるのであり、生きているから堕ちるだけだ。
だが、人間は延々に堕ちぬくことはできないだろう。
なぜなら人間の心は苦難に対して鋼鉄の如くではありえない。
人間は可憐であり脆弱であり、それゆえ愚かなものであるが、堕ちぬくためには弱すぎる。
人間は結局諸女を視察せずにはいられず、
武士道を編み出さずにはいられず、天皇を担ぎ出さずにはいられなくなるであろう。
だが他人の諸女でなしに自分自身の諸女を視察し、
自分自身の武士道、自分自身の天皇を編み出すためには、
人は正しく堕ちる道を堕ちきることが必要なのだ。
そして人の如くに日本もまた堕ちることが必要であろう。
堕ちる道を堕ちきることによって自分自身を発見し救わなければならない。
政治による救いなどは上比だけの具にもつかないものである。
堕落論の影響
1990年発行 筑波書房 筑波文庫 坂口安吾全集14より読了 読み終わりです。
はい、リズムがいいですね、この人の文章は。
銀座の日英の屋上で変態、飛行機の変態を見たっていうのがありましたが、
まさに白痴の主人公はその日英で働いているというので、
やっぱりちょっと自分の中にあるものをストーリーにしたという感じでしょうね。
より空襲に見舞われる感じがリアルに描かれているので、 よろしかったらそちらも聞いてみてください。
シャープいくつか忘れたな。 調べてこよう。
調べてきました。シャープ83ですね。
日付にして去年の 12月3日配信です。
1時間超えでした。1時間20分。 よろしければそちらも聞いてみてください。
今度、近所の居酒屋でアルバイトをしている演劇学校に通っている女の子の 卒業公演みたいな舞台を見に行くんですけど、それは戦争題材にしているらしく、
同じお店の常連仲間たちと 応援がてら、がんばれがんばれって言って見に行こうっていう話になっているんですけど、
ホールが初代のオペラシティだって言うから、ずいぶんいい劇場じゃないですか。 すごいいい学校だなと思って、
そう考えると。 その子がバイトしているって言うんで、田舎に住んでいるお父さんお母さんも時々飲みに来て、
少しだけお話しさせてもらうこともあるんですけど、 ずいぶん高い額費を払ってるんじゃないかと余計な邪推をしてしまいますが、
ちょっと見えてくるんでね。 漢字の広島がカタカナの広島になった日。広島が広島になった日という
演劇の話題
タイトルだったと思いますが、 今度見てまいります。
よしじゃあ終わりにしましょうか。 無事に寝落ちできた方も最後までお付き合いいただいた方も大変にお疲れ様でした。
今日のところはこの辺で、また次回お会いしましょう。 おやすみなさい。
28:30

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