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2025-12-04 27:58

186坂口安吾「明日は天気になれ(立直り試合の話し、引越し性分、神薬の話、木炭の発明)」

186坂口安吾「明日は天気になれ(立直り試合の話し、引越し性分、神薬の話、木炭の発明)」

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サマリー

坂口安吾の作品「明日は天気になれ」では、将棋界の木村と増田の対局を中心に、敗北からの立ち直りについて語られています。作者は自身の観戦記を通じて、木村の自信喪失と再起の過程を描写し、人間の意志が試合の結果に与える影響を探求しています。 坂口安吾のエピソードでは、将棋の試合を通じた心情や引っ越しの癖、新薬の恩恵について語られています。また、木炭の発明にも触れ、日常生活における工夫や技術の重要性が浮き彫りになっています。 坂口安吾の『明日は天気になれ』では、冬の暖房や日本の発明についてのユーモラスな考察が展開され、伝統的な暖房方法から新しいアイデアの発明まで、話題は多岐にわたっています。

00:04
寝落ちの本ポッドキャスト、こんばんは、Naotaroです。
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さて今日は、坂口安吾さんの
明日は天気になれという
西日本新聞での連載だったシリーズの中からいくつかを読みします。
順番に読んでいるだけなんですけど。
坂口安吾さん、日本の小説家、評論家、随筆家。
戦後発表の堕落論、これ昔読みました。
そして白痴、これも読み上げています。
らが評価され、太宰治と並んで無礼派と呼ばれるということで。
坂口安吾さんね、好きなんですよ。
スケッチが上手で、描写というんですか、
目の前にある状況を彼なりにスケッチするのがすごく上手なのと、
それを文章で人に伝えようという時のその文章の作り、構成、リズムが
声で読み上げた時と同じような構成になっているというか、
読み上げやすいというか、
僕もこう描けたらいいなみたいなリズムで、
すごくね、ここで拍を取るのね、ここで息継ぎをするのね、みたいな。
なんだこの文章の構成みたいな人いるんですよ、時々。
どうしたらそういう言葉の並びになるの?みたいなストレスがないんですよ、坂口安吾さん。
それですね、すごく好きなんですけど。
小説だと桜の森の満開の下が確かだと思いますが、
あれはなんかちょっと、ちょっとイリュージョン、ファンタジーというか、
せっかくのスケッチ力がないっていうか、
スケッチってほら、あるものを書くじゃん。
目の前にあったものを文章にする。
それが多分僕は素敵な作家さんだと思うので、
発想を飛ばして脳の中に空想のものを書くとなると、
は?みたいな感じになっちゃうんですけど。
今日は明日は天気になれですね。
文芸春秋で暗語講談というコーナーを持ってたはずなんですよ。
多分1年間くらいの連載だったと思いますが、
その裏側を語っているような形ですね。
暗語講談で将棋の観戦とか、
荒んだ夜の新宿、それから上野公園一帯、
生に乱れている夜の街とか、
パトロールして回るみたいなのを書いてたりしましたけどね。
それの側面部というか、それよりもっと短い近いかな。
細かい部分は専門家の意見を待ちたいところですが、
身近なところをね。
自分の目に見える範囲をスケッチして、
それを新聞に書いたという感じですね。
ちょっと前置きが長くなりました。
これね、今日ね、紙の台本なんですよ。
いつもiPadで見てるんだけど。
2024年10月に印刷した紙の台本です。
この時は紙で全部読むつもりだったんだな。
そんなことも思い出しながらやっていきたいと思います。
どうかお付き合いください。
それでは参ります。
明日は天気になれ
木村と増田の対局
立ち直りの試合の話
1.私が観戦記者として見物したいろいろの試合の中で、
世間的にはさして重大な対局ではなかったけれども、
私にとってはどれよりも忘れがたいものが一つある。
昭和22年の暮れ近い頃であったと思う。
その年には、それまで腐敗を誇っていた将棋の木村が
塚田に敗れて名人位を失った。
それからというもの、木村は全く気持ちの上でダメになったらしく、
順位戦でも他の対局でも負け続けで、
哀れ惨憺たる有様であった。
その時、名古屋の坊主の主催で、
木村と増田の三番将棋の第一局が行われることになった。
この第三局目は、確か九州で行われたように記憶するが、
私のはその第一局目で名古屋市で行われた。
腐敗を誇った木村に最初に黒星をつけたのは増田で、
木村の自信の喪失はその時から始まったと言われているが、
名人位を失ってからの惨憺たる戦歴の中でも、
特に増田に対しては特別で、
終戦後、その時まで五局だか七局だか増田と対戦して一度も勝ったことがない。
蛇の前のカエルのようにだらしがないのである。
私がこの観戦記を引き受けたのは、
一つは木村に何とか罪滅ぼしをしたいような気持ちのせいがあった。
私は木村が塚田に敗れて名人位を失った一局を観戦して、
木村敗戦のありさもつぶさに描写したことがある。
それを読者は面白く読むかもしれないが、
負けた当人が負けた姿の描写を得られてはたまらないに沿いなく、
木村が気持ちの上でダメになった原因の一部には、
私の冷酷な文章が含まれているような気がして、
なんとなく気がとがめておったのである。
木村が自信を喪失したそもそもは増田に三番棒に負けたためで、
その後は名人位も失う、順位戦にも勝てない、
まして増田にはますます手も足も出ないというありさまであるが、
そのそもそもが増田に負けたことにあるなら、
増田に勝てば自信も蘇るだろう。
なんとかして木村を増田に勝たせ、
その勝利の姿を描写して罪滅ぼしをしてやりたい、
というのが私の密かな気持ちであった。
無論将棋に素人の私が技術上のことで木村に助力できるはずもないが、
木村が私の文章を根に含んでそれで気持ちを腐らせているとすれば、
その気持ちをほぐす力が私にあるはずだということを考えていたからである。
それで当時体の調子の悪いときで、
旅に出るのがはなはだ嫌であったけれども、
そうしなければ自分の気持ちの収まりがつかないような思いがあったので、
名古屋へ出かけることにした。
その頃はまだ廃戦都市の夜明け跡が一向に復興しておらぬときで、
寮庭は表向き閉鎖され、
酒を買うことも飲むこともできないような悲惨なときであった。
そこで私は自分の飲み代に日課ウイスキーを一本、
街頭のポケットに入れて出発したのを覚えている。
指定の列車に乗ると、
二等車の片隅に浮かない顔の木村がしょんぼり乗っていた。
この男が勝ってくれればよいが、
負ければまたそれを描写しなければならん。
筆はいつ割れないからどうも困ったなと、
肖然たる木村の姿に私の気持ちはめいってしようがなかった。
名古屋へ着いたら市の中央いたるところ丸坊主の原っぱばかりで、
復興の遅いのに飽きれ果てたのを忘れない。
観戦記と罪滅ぼし
増田はすでに前日から名古屋へ来ておって、
私たちが新聞社へ着くと国民服を着て現れた。
私はこれが増田との初対面であった。
その他に名古屋在住の騎士で、
明日の手会いに立ち会い人の板谷八段も来たが、
彼は当時まだ五段ぐらいの無名の騎士であった。
増田も板谷も出来損ないの剣術使いのような面玉を持っていた。
片先三寸切られた傷がまだ治らないような風景である。
そこへ持ってきて、
名古屋の新聞の折れ切り機というのが
どれが社長で、どれが編集局長で、
どれが平社員だかとても区別のつけようがなかったのであるが、
いずれもギリラ部隊の新聞隊員という
画期応一の機営主で、
名古屋にもちょっとしたコーヒーを飲ませる家があるからと
わっしょいわっしょいバラックのコーヒー店を占領する。
当時は、ちょっとしたコーヒーを飲ませる店が
確かに国宝的な時勢であったが、
国宝を干渉するにしては、どうも作法が荒っぽい。
ギリラ部隊が博物館へ座り込んだような勇ましい風景であった。
それより、儲けの主席へ繰り込む。
ところが当時は、両邸閉鎖の暗黒時代であるから、
劣気とした新聞社の宴会だというのに、
暗闇の裏気度からこそこそと泥棒のように一人ずつ忍び込む。
日本人全体が精神的にギリラ化していた
時勢でもあったのである。
一杯飲むまでの童貞が、このように
ギリラ以外の何者でもなかったから、
酒が回ると大変な騒ぎになってしまった。
もっとも、この責任の半分ぐらいは、あるいは、
私が負うべきであったかもしれない。
何分、私の街頭のポケットには、
私の飲み代に用意してきたウイスキーが一本ぶち込まれている。
新聞社の人々は、「名古屋においては名古屋の酒を。」と言って、
相当酒が回ってからウイスキーを飲み始めたから、なおいけなかった。
おまけに、新聞社のおれき力は、見かけのギリラ風にもこだわらず、
ギリが大事をおびただしく、
その貴重なるウイスキーは一滴たりとも我々のうくべきにあらず、
と誇示してついに誰にも受けるものがいないから、
ウイスキーは、増田と私がほぼ半分ずつ、
一滴も残さず飲み干してしまったのである。
宴会の混乱
そこで増田が酔っ払ってしまった。
私は木村をまかしたとき、あとで並べて研究してみたら、
読みの深さがちごをとるのを発見して、
なんや木村中野はこんなもんかと思った。
こんなへぼにはまけとってもまけられん。なんぼでもまかしたる。
次第に大きな声で叫び始めた。
もともと地声の大きい増田のことで、
ついに部屋いっぱいに響き渡る大音情となってしまった。
3
木村もはじめのうちは苦笑しながら、
まだお前なんかに負けねえよとつぶやく程度であったが、
増田は泥酔しているから非常にしつこい。
いつまでも絡むばかりでなく、その度が次第にひどくなるから木村も次第に無気になった。
彼は明日の対局を考えて酒を過ごさぬように用事にしていたが、
適度な酒が入っているし、もともと負け嫌いの男だから、
ついには満面酒を注いで、
将棋は実力の勝負だ。腕で来い。
なんぼでもまかしたる。よー勝てんやないか。おい、木村。
弱いもんや。
弱いのはお前だ。俺がいくらボケたって、まだお前より弱くはねえや。
勝てたら勝ってみ。
ああ、勝ってみせるよ。
だいたいこの宴会の始まる二戦だって、木村と増田の座を遠く離しておいた。
言うまでもなく二人の仲が悪いから、酔っぱらってことが起きては面倒だというので、
木村が南正面なら、増田は東正面にあたる道に、
間に数名の人を挟んで遠く離れているばかりでなく、
顔を見合うこともできないような位置に二人の席を定めておいた。
いかにもきめの細かい行き届いた神経のようであるが、
ここがまた案外ゲリラ神経というのかもしれない。
ゲリラや野節が一番心配するのは、主席や見会やそこから発した旗試合などかもしれず、
紳士のたしなみにしては、いささか神経の行き届きすぎた恨みがあって、
こういうところが今考えると愛嬌あふれ、おかしくてしようがない。
それでこともなく宴会が終われば、それはむしろはなはだ人をバカにし、
人を軽く見たようなものであるが、幸いにも誰もバカにされず、
守備一貫してゲリラの精神に沿うことができた。
めでたい話で、いかにも時代風俗であったと言えよ。
二人は正面を向いてもままでは相手の顔が見えないのだから、
各々首をねじ曲げて遠く人々の頭越しに睨み合って、
俺が強い、お前が弱いや。
と、姉妹には強い弱いと力いっぱいの声でわめき合うだけになってしまった。
しかしむろん、ゲリラの中には拙者の一人存在する限り、
必ず喧嘩が始まるかもしれないが、必ず丸く収まるのも不思議なもので。
頃合いを図って二羽の者物をわめきたつうちに、宴はめでたく終わりとなった。
さて、我々は明日の対局場でもある旅館へ赴いて寝ることになったが、
将棋の試合と心情
強い弱いでわめき合ってすぐ眠るわけにもいかないから、
三人で5を打つことになった。
木村も増田も5は腕自慢だし、私も分子のうちでは強い方だ。
みんな同じぐらいの腕前で強い弱いを5に持って行って争う分には平穏である。
5を打つうちに増田の弱いもいくらか覚めたし、5は打ち分けに終わったように思う。
そして脇あいあいのうちに5を終わり、12時頃各自の寝室へ引き取った。
4
前夜にあのようにさっきだったわりに、
翌朝の対局は別にこともなく開始されたが、増田は前夜の泥水がたたって体操顔色が悪く、
対局条件としては申し分ない悪さだったようである。
泥水に任せて眠ってしまえばまだしも良かったかもしれないが、5を打って眠れなくしたのかもしれない。
もっとも5を打とうと言い出したのは増田だった。
その前夜、この旅館に土蔵破りがあった。
そのためこの晩は徹夜の警戒員が勤めておって、ちょうど増田の寝室はその爪書の前の離れであった。
眠れない増田は徹夜の警戒員の話し声や足音に悩まされたと言っていた。
明け方になっていくらか眠りを取った程度のようであった。
しかし覇気満々の増田は従来の戦績もあって木村を飲んでいるから、軽くひとひねりと考えてほとんど悪条件を気にかけていなかった。
そして朝の10時頃始まった将棋は、夕食前からもう乱戦という非常に激しいチャンバラ将棋になってしまった。
増田は自分の守備をおるすにバタバタバタと敵を倒す攻め手を構想し、それに熱中し酔っていたようだ。
こういうところに当時の増田のまだ至らない思い上がりがあったのであるが、しかし当日の悪条件が彼に軽率な戦法を選ばせたとみてやる方が温等かもしれない。
ところが負がひとつ足りなかったためか何かで、二三十手先までのバタバタバタがどうしてもできない。
確か負がひとつと、一手か二手の余裕があると全然敗れるはずのない手つかずの木村の剣陣がバタバタバタと二三十手で側詰まりまでいく仕掛けになっていた。
そのバタバタバタの大構想は対局を終わるまで木村が全く見落としていたほどの凄みのある着想であったらしいが、あいにくなことに負がひとつと、一手か二手の余裕が足りなかった。
増田がそれに気がついたのは夜の九時頃であったろうか。
夕方の四時五時頃からその構想に熱中しだした増田は、すでにバタバタバタの成功を確信して勝ち誇っていたようだ。
しかるに、持ち駒に不足があって木村をバタバタバタに掛ける場合に自分の方が危ういことに気がついた。
その時の増田の驚愕といったらなかった。
額前顔色を失うとはまさにこのことで、朝から真っ青の顔がさらに額前という色を失った。
増田という騎士は、自分の将棋が良い時は鼻歌が出る、何は武士を唸る、方言する。
実に傍若無人であるが、自分の形勢が悪くなると打って代わって額前色を失い、もみくしゃになって心銀往々し野田打ちもある。
誠に壮観である。
だから彼が勝ち誇って傍若無人の時も憎めない。
そこには傘に掛かった悪意がなく、むしろ天真爛漫、悪道の弱点をさらけ出しているだけなのである。
自分が悪いとなったら、七天抜刀、話の外の騒ぎである。
5. 御将棋では番外作戦ということを言う。
番外の言動で相手をじらせて平成な思考力を失わせようという作戦のことだ。
この作戦にかけては、戦前派では木村が、戦後派では増田が対価のようなことを言われている。
しかし私の見たところでは木村は対価かもしれないが増田はあべこべだ。むしろ人の番外作戦に引っかかりやすい方である。
彼の対局中の言動は傍若無人であるが、実は無邪気である。
たまたまそれに悪意ありと邪説した人が、勝手に架空の番外作戦に引っかかるだけの話である。
一枚上手を言って増田を怒らせたりじらせたりするような悪いことをやれば、増田は多分誰よりも人の番外作戦に引っかかってしまうだろうと私は思う。
彼が案外人の番外作戦に引っかからないのは腕に差があるからであろう。
そして腕に差のない大山や塚田は番外作戦をやらない立ちの騎士だから破綻を見せずに済んでいるのだろうと私は思っている。
とにかく増田は一旦形勢不利と見ると一人で勝手に破綻して主戦抜刀をむちゃくちゃにのた打ち回るのだから、相手に負けずに自分に負けるような脆さがある。
彼のようなエイビーな妻子は自分のエイビーさに傷を負うからドンコンの人と連れ家が取れてしまうのである。
この番の主戦抜刀は言語道断で、
一負足りない。一負足りない。番長それらしき。番皿を聞くのば。
などと言っていることは冗談のようだが、目は血走り。
頬骨はにわかに角のように尖り、全く血の気を失って全身石のように硬直の趣である。
さてはそうか。任されたか。
任される三四時間前から任された任されたとがまか脂汗を仕立たらせるような悲痛極まるうめきをあげて身悶えているのだ。
相手を一気にバタバタバタの遠大な着想に熱中しすぎて、自分の方がバタバタバタになってしまったのである。簡単に勝負は決まってしまった。
この対局中、木村の態度は立派であった。
いささかも相手を見くびらず、むしろ相手の才能に敬意すらも払いつつ謙虚に己の全力を尽くすという着実な構えがみなぎっており、最後までそれが少しも崩れなかった。
彼がその春、塚田に敗れて明治院を失ったときは、敗れつつも傲慢であった。
その後の彼が順位戦闘で不成績であったときも、十年不敗の昔の殻を捨てきれぬ傲慢さが彼の実力を封じていたんだろうと思う。
私はこの対局における未尽も懸念のない彼の謙虚着実な対局態度に接し、よく苦難を越えて殻を捨てた彼の成長に乾杯したい喜びを感じたのである。
それにしても、前夜の乱水から舛添の七天抜刀に至るまで、賑やかなことこの上もない対局で、また番側には天夜万夜の芸術値あり、懸難無比の大試合であったといえよ。
引っ越しの性分
引っ越し勝負
私は若いときから引っ越しの勝負があった。
小学校の先生をしたり、大学生になったりして小さなカリアを一軒借りて、のん希望の兄と婆屋と三人暮らしをしてきた頃から、大概私の独壇で東京のあっちこっち引っ越して歩いた。
兄は三種類ぐらいの運動の選手であったからお金がかかる。家計費をちょろまかすので、それを私の小遣いで埋めるのが毎月の習いであるから天で私に頭が上がらない。
私が勝手にだんだん田舎の奥へ引っ込むのに不平も言わずについてきた。おしまいに練馬の奥へ到着した。
毎日毎日大根ばっかり食わせやがるなと思ったが、当時は別に詮索もしなかった。
ところが、兄があんまり家計費をちょろまかすのでおかずが買えなくなり、百姓が腐った大根を畑のあぜへ捨てておくのを拾ってきて食わせていたのだそうだ。
後年、この婆屋が息をひとる前に唯言みたいに白状して死んだのである。
この兄は張鶴に及んで、全然社の公金をちょろまかすことを知らない馬鹿正直の社長になって金で大苦労しているが、私の方は張鶴に従い悪事を覚え、箸にも棒にもかからない放浪人になってしまった。
奥妻も引っ越し癖があって、百回に近い引っ越しをやっている。
女房子供があってもこの性分はどうにもならない。奥妻の引っ越しには美人の娘が車の後押ししてたそうだ。
奥妻の引っ越しは江戸の処方に限られていたが、私のは旅先で土着してしまうような仕切りが十年も続いている。
終戦後、女房などという思いも言わなかったものがぶら下がってくるようになっても、やっぱりこの性分は直りっこない。
しかし引っ越しの性分というものにも大体周期というものがあって、中には夜逃げだとか環境が気に入らないことからという不足の事故もあるかもしれんが、奥妻のように百回近い引っ越しはひどすぎるようだ。大体半年に一度くらいの周期になるのであろう。
私のは一年前後の周期が普通で、奥妻以上に長生きしても彼のレコードは破れない。その代わり汽車もトラックもあるから日本中を自分の住居に選ぶことができる。
無論、私がお金持ちなら、日本中至る所に別荘を建てててんてんと移り歩くことができるから、あの野郎引っ越しきちがいだ、なぞと言われずに住むのであるが、これも貧乃いたすところ、よんどころない。
しかし持って生まれた祖国というものはどうにもならん。外国をてんてんと引っ越して歩くわけにもいかん。
さすがに画家には奥妻以上の引っ越し先生がいて、パリへ引っ越したりするけれども、パリへ住み続いてしまうというのは本当の引っ越し先生のやることではなかろう。どこにも住みきれないのが引っ越し屋なのである。
外国をてんてんと引っ越すわけにもいかないと思えば、私のような引っ越し屋にも祖国というものの大切さが身にしみるのである。
新薬と木炭の発明
新薬の話
終戦後、私が非常に恩恵に欲してありがたいと思っているのはDDTとペニシリン及びその一族の青カビ薬である。
終戦直後、歯の激痛に2ヶ月というもの苦しめられて氷で冷やしながら唸り続けたことがあった。
吐いたは私の持病で、これには毎年泣かされたものであるが、ペニシリンが留付してから、昨今はもう問題ではない。
終戦前後、東京に氾濫したシラミも、夏の大敵のノミも、DDTの登場にあうや問題ではなくなった。
コリーという毛の多い犬と同居生活していても、まれに一匹のノミを室内に発見して大騒ぎするような錯魂である。
これぞ文明の神器と私は体操を感激して、DDT、ペニシリン、オーレオマイシン、クロロマイセチン、テラマイシンという親族を我が家へ還税し、一旦換給に備えて数刑を払っている。
友人は面倒が省けるから体操を喜んで、各院に並びに各院の家族が病気になると我が家へやってくる。
ひどいやつは電話で、「どうで、君んとこに横断に効く薬はねえか。すまねえが、ちょっと功能書を読んでみてくれ。」
こういう結果になったことについては、私にはだだ愚かな悪癖があったせいだ。
私はある時、テラマイシンと一族のアオカオビ族の功能書を読んでいるうちに、ツツガムシも治るというくだりを発見して肝を潰し、
俺の生まれた新潟県中神原は、阿賀野川ってところはツツガムシの名産地だ。
今でも俺の村では、毎朝目が覚めると、お父さん、ツツガナキアと挨拶して嬉しい涙に暮れるほどツツガムシを怖がっていらあ。
俺の子供の頃、新潟の理科大学には、ツツガムシを20年も研究して、いまだに虫の正体を発見することができないといって悪戦苦闘している必要な学長がいたもんだ。
正体がわからんぐらいだから、ツツガムシの病人が助からないのは当たり前の話だ。
しかるにどうだ、この新薬現れるや、歯の痛みの傍らにちょいと臨病でも肺病でもツツガムシでも治してしまうじゃねか。
すごいもんだ。驚いたか?
と言って、客があるごとに紙棚を開いて御神体を拝ませて、ゴリ薬を溶きながら一杯飲んで酔っ払う。
いつの頃からこういう悪癖がついたのか忘れたが、犬の大敵ジステンパーというイノシトルの病気を軽くクロロマイセチンで治してみせて、また新しく威張り立てたりするもんだから。
どうで、うちの老病がちょいと正体不明の病気でよちよちしてるから、おめえんとこの新薬を一服やってみたいと思うが。
なんだい老病ってのは。
あ、額がねえな。老いてある猫だ。
いろいろな老責物が現れて、うちの紙棚を騒がせる。そのために口納書を一読して、
こっちの英語の口納書にこう書いてあるぜ。なお他の何病に聞くや見当がつかねえから、新病治した者は報告してくれとあら。
よし、うちのババアに飲ませて、四五十年来の元気を治してやろう、と持ち帰る奴もいる。しかしまあ、とにかく病気が治って結構な話である。
木炭の発明。
伊豆の伊東で八丈、六丈、四丈半というたった三間の家に住んでいて、それでも寒くてしようがなかった。
東京から遊びに来た人は伊東は暖かいと言うけれども、住んでる人間には比較がないから暖かさはわからない。肌に感じるのは冬の寒さだけだ。
むしろ伊東の冬は暖かいだろうとあてにしていただけに寒さが応えたのである。
ところが、上州赤城山陸。冬の唐風で有名な土地へ越してきて、今年は生まれて初めての寒さ知らずの冬を過ごした。
冬の暖房
寒いに決まった土地であるし、私の狩屋というのが土地第一の旧屋の主屋で、十八畳十五畳という部屋ばかりである。
戦闘準備なくしては混沌の無事越年を期しがたいというので、一番でっかいストーブを買ってきて十八畳の部屋へデンと備えてやった。
九州の炭鉱に三日一日潜り込んだおかげで石炭のメキキができるようになったが、我が家の石炭は石炭とボタのあいのこだ。
それでもせっせと炊くと二十度の室内温度を保つことができる。
私が大いに威張っていると、私の頼んだ元税務署長という経理士が現れて、
何もない家だなあ、この家は。
と言って私はストーブの方へ咳をしてみせたが、先生はちっとも気がつかない。この土地じゃ珍しくないらしいや。
しかしストーブの威力は大したものだ。赤木卸のカラッカザも平チャラじゃないか。なんとまあ冬というものは良きシーズンであるか、とビールを傾ける。
私の育った苺も寒かった。あそこにはコタツというものがあるが、背中が寒いからまんまるくなってコタツに当たっている。のみのみと健全なる暖房じゃない。
田舎では今でもソダを燃やしていぶされながら暖房をとる。蜂の木だ。
なあおい、もしても煙の出ないものがある程度、冬に目が痛むってことがねえなあ。
そうだとも、じっくり考えてみるべえ。
というので煙突の代わりに炭を発明した。これが運のつきで冬季の元病は免れたが冬は全然暖かくならなかったのである。
どうも日本人の発明にはこういう凝ったところがある。
冬をより暖かくするよりも目に適したように快覚するという風情に富んでいるのである。
リズムと制作
侍のちょんまげなんぞも非常に火出た発明であったかもしれない。
これこれ、どうも人間は年をとるとハゲるなあ。
無念ながら、そのようで。
人間のハゲには額からハゲるのと脳天からハゲるのと二種類あるなあ。
ああ、ご迷殺で。
この両方のハゲがわからぬようなマゲを発明たせ。
というのがちょんまげができたのかもしれないな。
とにかく日本人は工夫の好きな国民であるが、思いつきの根本がトンチンカンな国民である。
1999年発行。
筑波書房。
坂口安吾全集。
13。
より一部独了。
読み終わりです。
はい、やっぱいいねリズムが。
この坂口安吾さんの明日は天気に慣れシリーズ。
読み上げているのは音声コンテンツ界隈では多分僕だけだと思うので。
明日は天気に慣れで検索していただくと過去のやつもちょっと見ていただけると思います。
はい、興味ありましたらぜひ。
スケッチが上手でしょ。
これで今、今日読み終わったので、119ページ分の60を読み終わったので、まだあと半分あるんですよ。
これもなんか自分のコンテンツ制作。
僕は文章書いてるわけじゃないから制作っていうとここが面白いけど。
配信の取り組みに対して、これを読み切りたいなみたいな大きな目標の一つでもあるなという感じでございます。
ぜひ明日は天気に慣れで検索してみてください。
そして過去の僕のやつも聞いてみてください。
面白いですよ、この人やっぱスケッチが上手なんで。
さっき調べてみたら、明日は天気に慣れシリーズ最後読んだのは今年の1月でしたね。
去年は結構エッセイを中心に読んでたんで、その流れだと思いますけど。
たまにはこういうのも聞いてみていかがでしたでしょうかという感じです。
寝られてるかな。そこはわかんないけど。
はーい、猫は鳴いている。
それでは終わりにしましょうか。
無事に寝落ちできた方も最後までお付き合いいただけた方も大変にお疲れ様でした。
今日のところはこのへんで。また次回お会いしましょう。
おやすみなさい。
27:58

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