Nozomiさんは読んでみてどうでしたか? まず感想として、『堕落論』ってこんなに短いんだっていうイメージがあった。
私も高校の時は読んだんですけど、思ったより短かった。
200〜300ページある普通の大長なのかと思ったら、どっかの雑誌か何かで発表した小さいエッセイで。
慎重に発表した。私は短編小説ぐらいだと思ってたんですけど、文字でエッセイでしたね。
実質20ページぐらいしかなくて、俗堕落論とか周りにあるいろんな論考とかあるんですけど、短いなっていう印象の一方で、
心に残る強い文章みたいなのがたくさんある。堕落論のコアの考え方は、ミキさんが言ってくれたみたいに、
いろんな人から押し付けられるものとかっていうのをそのまま、ルールとかも含めて従うのではなく、
自らの中に入っていくのであるっていうことなんですけど、いくつも心に残る部分思想というか、出てきているところが強いなっていうのが一番の感想かな。
確かに私もすごい、この一文いいなとかじゃなくて、ここのパート全部いいなみたいな感じで、コピペする部分がすごい太かったりする。
この説すごい、みたいなのが強かったですね。
特にどこが印象に残ってますか?
私一番そうですね、2つあるんですけど、1番と2つなんですが、1個は自然っていうものに対する考え方。
これ多分堕落論じゃなくて、日本文化史観っていう、堕落論を書く2,3年くらい前に、もうちょっとか5年くらい前に書いてた。
に出てきた、人間があれこれ工夫した観念とか文化など、所詮自然そのものの偉大さに比べれば地理に過ぎないっていう。
もう1個はセットなんですけど、けれども私は偉大な破壊を愛していたから始まる。
私もレイって思った。
かっこいい。
レイって思った。
レイって思った。
レイって思った。
レイって思った。
レイって思った。
けれども私は偉大な破壊を愛していたから始まる。
私もレイって思った。
かっこいいですよね。
けれども私は偉大な破壊を愛していた。
戦争のことを描くところに出てくるんですけど。
運命に従順な人間の姿は奇妙に美しいものである。
あの偉大な破壊の下では運命はあったが堕落はなかったっていうのがかっこいい。
何このかっこいい文章を読みながら読んでて噛み締めれば噛み締めるほど、
坂口杏子が言う堕落ってつまりそういうことだよなっていうのはこの文章に詰まっている感じがして良かったですね。
けれども私は偉大な破壊が好きであった。
私は爆弾や焼夷弾におののきながら凶暴な破壊に激しく興奮していたが、
それにもかかわらずこの時ほど人間を愛し懐かしんでいた時はないような思いがする。
私もそこをハイライトしてました。
そうなんですよ。
繰り返し出てきちゃいますけど、大鼓叩いて笛吹いてっていう舞台を見に行った時にも、
林文子さんが従軍記者みたいな感じで現地に行った時に、
亡くなっていく人の姿みたいなやつを美しく描くみたいなところが出てくるんですよね。
音声みたいなやつが劇場に流れるんですけど、
もし自分が戦争中にいる日本国民だとしたら、
その文章を美しく感じるだろうなっていうぐらい美しいんですよ。
戦争という異常な不条理というか、
暴力みたいなものの中に挑む人間みたいなやつって、
負けようと美しいって思いそうだなって気になって。
運命に翻弄されても諦めない我らみたいな感じに描かれてる?
諦めない我らというか、全体としては勝っていくんだけど、
勝っていくっていうことを書かなきゃいけないじゃないですか。従軍記者なんて。
だけど、砲弾が飛び交う中で全身を続ける兵士とか、
勝ち進む中でも少ないながら倒れてしまう兵士をかばう人とか、
っていうのは美しいよなみたいなことを文章で書いてくるんですよ。
なんなんだろうな。
っていうのを見ながら、この偉大な墓井を愛してたっていう。
運命に従順な人間の姿は奇妙に美しいっていうのは、
そうだなっていうのが実感を持って、胸に巨大する文章でしたね。
でも林文子さんが書く軍の文章はちょっとモッテるよね。
坂口安吾は運命に従順な人間っていうのは、
戦争があってもふてぶてしく生きたりとか、空襲だわーってなってるところが美しいって言ってるんじゃないのかな。
ありのままの。
そうだと思う。
だから見てるものは全然違うんだと思うのね。
盛られた何かも美しいし、実際の悲劇も美しいっていうことだと思うのよ。
だからどっちか片方が美しくて、どっちか片方が美しくないのだとすると、
すごいアホみたいなこと言うけど、戦争ってなくなりそうな気がするのよ。
勝ってる方は美しくて負けてる方は美しくないんだとすると、もう負けてる方って二度とやりたくないなと思う。
だからやめようってなるよね。
そうなんだけどさ、戦争で負けてる方も坂口安吾の視点によると、
なんかうっすらとした美しさがあるなーって思うわけじゃない。
って思うと、なくならないよなーみたいな、アホの感想を持つね。
っていうのが大きく言うと二つかな。
自然そのものの美しさってこうだよなっていうのと、運命みたいなやつが大きく残ってる。
何かかもねー。
えー。
にひさんもハイライトがたくさんあるじゃない。
ある。なんかやっぱ言葉面白いのって思って、結構しかも堕落論より俗堕落論の方がハイライト多いんですけど。
なんか多分俗堕落論の方が堕落ってこういうことになってわかりやすくなってたなって思って、なんかそれで多いんだと思うんですけど。
結構好きなのが、人間の一生は儚いものだが、またしかし人間というものはベラボーなオプティミストでトンチンカンなわけのわからないオチョコチョイの存在って。
ベラボーなオプティミストでトンチンカンなわけのわからないオチョコチョイの存在。
人間の一生は儚いものだが、しかし人間というものはベラボーなオプティミストでトンチンカンなわけのわからないオチョコチョイ。
まあ、グーノでも出ませんわな。そうですよな。自分のことを考えても。
しかも渡辺安吾なんてとっくにだよね、きっと。
まあねー。
戦争は生き抜いたが薬でなりながら、汚い部屋の中で文章を書いて、送付を繰り返しながら裸で走り回ってんだよね。
そうだねー。
すごい前だと思うんだけど、柳瀬隆の「私が正義について語るなら」っていう新章を読んでたんですよ。
確か柳瀬隆来年ドラマになるんだよね。
朝ドラやる。
柳瀬隆も戦争行って帰ってくるのよ、確かあの人。
そうそうそうそう。私アンバンマンミュージアム行ってきてるから、柳瀬隆。
さすが。
でさあ、「私が正義について語るなら」の最初の方に柳瀬隆なりの正義が出てくるんだけど、途中まで佐伯ちゃんごと気を逸にするのよ。
この戦争に行くときには、出兵するときにはもう日本という国はこうで、みたいな話をされて出兵して帰ってきたと思ったら、なんか全部真逆になってるやないかい、みたいな。
おかしなことになったなーっていうところまで一方になってて、佐伯ちゃんごだと、そのなんていうのかな、堕落やってなるわけじゃないですか。
で、柳瀬隆の方は一方で、じゃあ変わらないものってなんだろうって思うと、愛と献身だ、みたいなすごい真っすぐな風になるわけ。
あーなるほど。
ハートウォーミングみたいな。
だからアンパンマンも見るんだよ。
あーなるほどね。
そうそう、だからそう考えるとアンパンマンってもうね、愛と献身の塊みたいなものだから、もちろんいろいろ作品を作る中でそうだと思うんだけど、
なんかその、ベラボーなオプティミストでトンチンカンなわけのわからないオッチョコチョイイェーイっていう、佐伯ちゃんごのブライハっていうのと、愛と献身アンパンマンみたいなやつは、解釈の多様性っていう感じがして。
ほんと解釈の多様性。
だから確かに同じことが全然違う感じになってる。見てきた現実が全然違う、逆なことになってるっていうことを、どっちもショックを受けて、その上で佐伯ちゃんごは嘘をつけ、お前らって本当は戦争をやめたかった、やめたかったくせに嘘つきが、一旦堕落しろっていうのが、その、なんか超明確な佐伯ちゃんごで確かに。
だから世田谷は、その中でも変わらないものってなんだろうっていうのを、自分なりに見つめるっていう、確かにね。
茨城のりこの寄りかからずとか詩を見るとさ、多分、坂口あんご派じゃん。
いろんなものに寄りかからず、椅子の背もたれぐらいならいいですけど、それ以外は寄りかからずやっていきましょうよみたいなやつって、基本堕落論じゃん、言ってることは。
自分しかわかんないよっていう。
そうそうそう。
けどなんだろう、茨城のりこの寄りかからずの方が柔らかく読めるっていうのが詩だからなのか、なんでだろうっていう。
個性じゃない?人間の、自分の言葉で言った時にどうなるみたいなのが。
なるほどね。
自分にヒットする言い方が、茨城のりこの方がそういう優しい言い方なんじゃないかな。
椅子の背もたれぐらい母っていうのか、
嘘をつけっていうのか。
当時のおちょこちょいみたいな。
おちょこちょいが嘘をつけって。
そのおちょこちょいのところが、すぐ後ぐらいに、俺を覚えているみたいな、井戸バタでおばあさんが爆眼がないと暇ねとか雑談してたのを、俺は忘れてないみたいなのがその後に続いてた気がする。
あー、多分キャッキャしながら話してるんだよね。
そう、暇だね、爆眼来ないからみたいなオプティリストで、ポンチンカンだから慣れちゃって、戦争みたいな。
で、それでまた天皇が、日本負けました、天皇のために負けてくださいとか言って、はーって、しょうがない、天皇のために戦争やめてあげようとかっていうことになっちゃったりとか。
その場合合わせるのが上手いっていう、オプティリスト。
なるほどねー。そんなことしてる場合じゃない、堕落しろって言うわけだね、安吾先生は。
だから、堕落って言葉はキャッチでいいけど、本当はなんだろうね。で、しっくりくるワーディングはなんだろうね。
なんだろうねー。何しろって言ってるかってことでしょ?堕落しろっていうのじゃないとして、何をしろと言ってるかってこと?
衝動に蓋をするなとか、長い言葉だとそういう言葉だと思うけど、我慢って言うかな、蓋。
難しいねー。
従順になるなとか、否定形でだったらいいけど、否定形じゃない言い方をした時に何なんのかなーみたいな。
一瞬、平成ぐらいで言うと自分の頭で考えようとかなるんじゃないの?
でもそれもちょっといい工夫じゃない?枠の中でニュアンスがあるっていうかもね。
まあそうだね。むずー。枠から外れようみたいなことをさ、何しろって言うんだろうね。
むずいねー。なんだろうねー。もしかしたらあれじゃない?令和には失われてしまった考え方なんじゃない?
確かに。どうかも。
既存のフレームワークに則って、みんなが年収1000万人とか言ってる社会だからさ。
そりゃあ、あんまり流行らないのかもね。堕落しようっていうのは。
そうか。脱なんとかとかありそうだけどね。脱皮しろとか。ちょっと違うか。
なんと言ってんだろう。それこそなんだろう。ちょっとチャットGPT君に聞いてみようか。
うん、確かに。
坂口杏子の堕落しろっていうのは現代で言うとどういうことですかっていう。
仮想孤独死しろみたいな。シミュレーション孤独死みたいな。
シミュレーション孤独死?
一旦その限界まで、おのれの荒野を歩くっていうこと。
あー、なるほどね。
やっぱり堕落って言うと田舎から出てきて一人暮らしを始めた大学1年生の四畳半の部屋みたいなことじゃん。
うちらの中でその堕落っていうのは。
まあそうだね。
あんなに勉強頑張ってたのにみたいな。
そうだね。すねかじりとほぼ同意みたいな感じだね。
欲求をただダラダラと満たし続ける。酒とタバコとみたいな。
何をしろっていうことなのかな。
すなわち堕落は常に孤独なものであり、他の人々に見捨てられ、不母にまで見捨てられ、ただ自らに頼る以外に術のない宿命を帯びている。
そこまでいくと我々が考える堕落に若干イメージ近くなってくるね。
本当に近くなってくる?
のぞみさんの堕落のイメージは?
私が持っている堕落のイメージに。
でもそんな感じよ。家から感動され、両親から感動され、
さっき言ってた、宝刀息子みたいなやつじゃないけど、今想像してた堕落の形もあるなと思っていて。
両親から感動され、一人で生活保護をもらいながら、家でうつうつとネットに何か書き込んでるみたいな堕落の形もあるなと思って。
そういう意味では、今言ってるのは堕落っぽいなと思った。
家で保護を受けてたら福祉に守られてるからね。見捨てられてない。
セーフティーネットで働いてる。
そらな。
そうなると勘堕落するの難しいね。
完全実行するためには、あんまり大衆との繋がりも切らないといけない。
それかすごく仮面的に振る舞う。
必要最低限の日銭を稼ぐための役割は、仮面役割としてくしゅくしゅくとこなしながら、心の内にはものすごく深い孤独を抱えながら生きていくみたいな。
これだっていうのが見つかるべきだね。
お坊さんみたいな生活ってことでしょ?寺に所属しないというか、駅とかによく立ってるお坊さんいるじゃない?
あれに近い生活ってことだもんね。
なのかな?ただ一人荒野を歩いていく。
精神世界としては、その人の心の中に行けるとしたら、広い荒野をただ一人で歩いてるっていう状態になってるべきなんだろうね。
しんどそうだな。
坂口あんこも奥さんとかいたしね。
社会生活を送りながらの精神性の話なのかなと思うけどね。
まあね、そりゃそうか。
しかもその最後に言ってる、人間は無限に落ちきれるほど健闘な精神に恵まれていない。
何者かからくりに頼って落下を食い止めずにいられなくなるであろう。
そのからくりを作り、そのからくりを崩し、そして人間は進む。
堕落が生徒の母体であり、その切ない人間の実相を我々はまず最も厳しく見つめることが必要なだけだ。
だから堕落しきれって言ってないけど、堕落を利用してからくりを崩せ。
からくりに飲まれるなって。
からくりって言ったら政治制度とか。
寒堕落、なるほどね。
行けるとこまで離れてみろってことなんだろうね。
このよくある制度とかね。
繰り返し出てきちゃうけど、
太鼓叩いて笛吹いて舞台の中にもさ、
最初は林文子さんって、戦争と全然関係ない文章を書いてたのよ。
私は貧乏で大変ラッパーみたいなやつだったり、
フラット旅行に行ったパリはこんないい街でしたみたいなやつ。
って言ったら週刊誌記者みたいな、
なんていうんだろうね。
そういうので売れてたんだけど、
途中から売り合いが下がってきて、
舞台の中の演出としては、
大きい物語は儲かるって言われる。
NHKみたいなところの人に、
大きいストーリーは儲かると。
それに近いところにいればいるほど、
人を引きつけることができて、
今あなたが従うべきストーリーは、
戦争は儲かるというストーリーであると。
それに乗っかればうんうんみたいな話をするんですよ。
見ててさ、
大きい物語というか、
そういう大きい構造って、
すごい引力があるんだなと思ったわけ。
戦争しかり、
いろんな物語があると思うんだけど、
その自然に持っている引力みたいな、
魅力と暴力みたいなやつを痛感する、
3時間半くらい。
その引力からできる限り、
距離を取るのが堕落っていうことなんだろうね。
完全にその重力圏からバーンって出るって。
NHKさんが言うように、
あなたのお金はどこから来てるんですか?ってなると、
坂口杏子のエッセイが載ってるやつだって、
週刊連載とかの文芸誌のわけだとすると、
大衆から出てくるんですよ。
大衆から出てくるんですよ。
大衆から出てくるんですよ。
大衆から出てくるんですよ。
大衆から出てくるんですよ。
大衆から出てくるんですよ。
あなたのお金は本当に堕落しきっているんですか?
と言われたら、
さぜん!ってなるかもしれないけど、
一つの脱出の試みとしてやってますってのは、
そういうことなのかもね。
大きな物語から脱出論じゃん、
ダサく言うと。
忠実に言うと。
ダサく言うとね。
大きな物語からの脱出論。
今だったらそのAIで、AIは人間を超える、AIを賢く使える人間だけが生き残る、AIで結集100万に飲まれるのって言う
そうだね、嘘だからね
そんな感じ?
あとで話すかもしれないけど、今年読んだ本の中で心に残るなってものをまとめていったら、ミキサーが今最後に言ったみたいな話を書いている
つまり、そんなに簡単に幸せになれると思うなよっていうことを書いている本ばっかりが集まったなっていう気がしたっていう
いいね、じゃあこのままダラクロの間奏線はこのくらいにして、今年読んだ本の話、キースト本を振り返るっていうターンに移っていきますか