堀川の大殿様のような方は、これまではもとより、後のようにはおそらく二人とはいらっしゃいますまい。
噂に聞きますと、あの方のご誕生になる前には、
大徳徳明王のお姿が御母気味の夢枕にお立ちになったかと思うことでございますが、
とにかくお生まれつきから並々の人間とはお違いになっていたようでございます。
でございますから、あの方のなさえましたことには、一つとして私どもの意表に出ていないものはございません。
早い話が堀川のお屋敷のご規模を拝見いたしましても、
壮大と申しましょうか、豪宝と申しましょうか、
到底私どもの凡慮には及ばない思い切ったところがあるようでございます。
中にはまた、そこをいろいろと挙げつらって、
大殿様の御成功を始皇帝や養大に比べるものがございますが、
それはことわざに言う群毛の象を撫でるようなものでございましょうか。
あの方のおぼし飯は、決してそのようにご自分ばかり栄養栄華をなさろうと申すのではございません。
それよりはもっと下々のことまでお考えになる、
いわば天下と共に楽しむとでも申しそうな大福中の御起霊がございました。
それでございますから、二条大宮の百鬼夜行にお会いになっても、
格別お障りがなかったのでございましょう。
また、道の区の塩川の景色を映したので名高い、あの東山城の川雷院に、
夜な夜な現れるという噂のあった東土の佐大臣の霊でさえ、
大殿様のお叱りを受けては姿を消したのに相違ございますまい。
かような御意向でございますから、その頃、楽中の老若男女が大殿様と申しますと、
まるで御者の祭礼のようにとうと見合いましたも、決して無理ではございません。
いつぞや、うちの媒家の宴からのお帰りに御者の牛が放たれて、
折から通りかかった老人に怪我をさしました時でさえ、
その老人は手を合わせて、大殿様の牛にかけられたことをありがたかったと申すことでございます。
さような次第でございますから、大殿様御一代の間には、
後々までも語り草になりますようなことがずいぶんたくさんにございました。
大宮家の引出物に青馬ばかりを三十頭賜ったこともございますし、
長良の橋の橋柱に御長愛のわらべを立てたこともございますし、
それからまた、桑田の術を加えた神壇の僧に御桃のもがさを置き出せになったこともございますし、
いちいち数え立てておりましてはとても再現がございません。
が、その数多い御一事の中でも、今では御家の重宝になっております地獄編の屏風の由来ほど恐ろしい話はございますまい。
日頃は物にお騒ぎにならない大殿様でさえ、あの時ばかりはさすがに驚きになったようでございました。
ましてお側に仕えていた私どもが、魂も消えるばかりに思ったのは申し上げるまでもございません。
中でもこの私なぞは、大殿様にも二十年来御奉公を申しておりましたが、
それでさえ、あのような凄まじい御物に出会ったことはついぞ、またとなかったくらいでございます。
しかしそのお話をいたしますには、あらかじめまず、あの地獄編の屏風を書きました、
ヨシヒデと申す画志のことを申し上げておく必要がございましょう。
2. ヨシヒデと申しましたら、あるいはただ今でもなお、あの男のことを覚えていらっしゃる方がございましょう。
その頃絵筆を取りましては、ヨシヒデの右に出るものは一人もあるまいと申されたくらい巧妙な絵師でございます。
あの時のことがございました時には、かれこれもう五十の坂に手が届いておりましたろうか。
見たところはただ背の低い、骨と皮ばかりに痩せた意地の悪そうな老人でございました。
それが大殿様のお屋敷へまわります時には、よく長寿染めのかりぎるにもみえぼしをかけておりましたが、
人柄はいたっていやしい方で、なぜか年寄りらしくもなく唇の目立って赤いのが、
その上にまた気味の悪い、いかにも獣めいた心持ちを起こさせたものでございます。
中にはあれは画質をなめるので便利がつくのだ、などと申した人もおりましたが、どういうものでございましょうか。
もっともそれより口の悪い誰かれは、ヨシヒデのたちい振る舞いが猿のようだとか申しまして、猿ヒデというあだ名までつけたことがございました。
いや猿ヒデと申せばかようなお話もございます。
その頃、大殿様のお屋敷には十五になるヨシヒデの一人娘が子女房にあがっておりましたが、
これはまた産の親にはにもつかない愛嬌のある子でございました。
その上早く女親に別れましたせいか、思いやりの深い年寄りませた利口な生まれつきで、
年の若いのにもにず何かとよく気がつくものでございますから、
未来様をはじめ他の女房たちにも可愛がられていたようでございます。
すると何かのおりに、丹波の国から人なれた猿を一匹献上したものがございまして、
それにちょうどいたずら盛りの若殿様がヨシヒデという名をお付けになりました。
ただでさえその猿の様子がおかしいところへかような名がついたのでございますから、
お屋敷中誰一人笑わないものはございません。
それも笑うばかりならよろしゅうございますが、
面白半分に皆の者がやれお庭の末にのぼったの、やれ造紙の畳をよごしたのと、
その度ごとにヨシヒデヨシヒデと呼び立てては、とにかくいじめたがるのでございます。
ところがある日のこと、前に申しましたヨシヒデの娘が、
お踏みを結んだカンコウバイの枝を持って長い御廊下を通りかかりますと、
遠くの槍戸の向こうから例の小猿のヨシヒデが大方足でもくじいたのでございましょう。
いつものように柱へ駆け上る元気もなく、びっこをひきひき一切に逃げて参るのでございます。
しかもその後からすばえを振り上げた若殿様が、
「工事ぬすびとめ、待て待て!」とおっしゃりながら追いかけていらっしゃるのではございませんか。
ヨシヒデの娘はこれを見ますと、ちょいとの間ためらったようでございますが、
ちょうどその時逃げてきた猿が墓場の裾にすがりながら哀れな声を出して泣き立てました。
と急にかわいそうだと思う心が抑えきれなくなったのでございましょう。
片手に梅の枝をかざしたまま、片手に紫によいのうらぎの袖を軽そうにはらりと開きますと、
優しくその猿を抱き上げて、若殿様の御膳にこごしをかがめながら、
「恐れながら畜生でございます。どうかご勘弁あそばします。」と涼しい声で申し上げました。
が若殿様の方は気負ってかけておいでになったところでございますから、
難しいお顔をなすて、二、三度御身足をお踏みならしになりながら、
「なんでかばう。その猿は孝人の住人だぞ。」
「畜生でございますから。」
娘はもう一度こう繰り返しましたが、やがて淋しそうに微笑みますと、
「それに、吉秀と申しますと、父が御石鑑を受けますようで、どうもただ見てはおられません。」
と思いきったように申すのでございます。
これにはさすがの若殿様も顔をおおりになったのでございましょう。
「そうか。父親の命声なら曲げて許してとらすとしよう。」
不祥不祥にこうおっしゃると、
素早はそこへお捨てになって、元へいらした槍戸の方へ、そのままお帰りになってしまいました。
吉秀の娘とこの小猿との仲が良くなったのは、それからのことでございます。
姫はお姫様から頂戴した黄金の鈴を美しい真紅の紐に裂けて、
それを猿の頭へかけてやりますし、猿はまたどんなことがございましても、
めったに娘の身のまわりを離れません。
あるとき娘の風の心地で床につきましたときなども、
小猿はちゃんとその枕元に座り込んで、
気のせいか心細そうな顔をしながらしきりに爪を噛んでおりました。
こうなるとまた妙なもので、誰も今までのようにこの小猿をいじめるものはございません。
いやかえってだんだん可愛がれ始めてしまいには、
若殿様でさえ時々柿や栗を投げておやりになったばかりか、
侍の誰やらがこの猿を足下にしたときなどは、
たいそう御立腹にもなったそうでございます。
その後、大殿様がわざわざ吉秀の娘に猿を抱いて御膳へ出るようと御沙汰になったのも、
この若殿様の御立腹になった話をお聞きになってからだと申しました。
そのついでに、自然と娘の猿を可愛がる言われもお耳に入ったのでございましょう。
高校な奴じゃ、褒めてとらすぞ。
かような行為で娘はそのとき紅のあこめを御褒美にいただきました。
ところがこのあこめをまた、見よう見まねに猿がうやうやしく押しいただきましたので、
大殿様の御機嫌はひとしおよろしかったそうでございます。
でございますから、大殿様が吉秀の娘を御肥給になったのは、
まったくこの猿を可愛がった高校恩愛の女王御賞美なすったので、
決して世間でとやかく申しますように、色をお好みになったわけではございません。
もっともかような噂のたしました怒りも無理のないところがございますが、
それはまた後になってゆっくりお話しいたしましょう。
ここでは、ただ大殿様がいかに美しいにしたところで、
餌不勢の娘なのに思いをおかけになる方ではないということを申し上げておけばよろしいございます。
さて、吉秀の娘は面目を施して御膳をおりましたが、もとより利口な女でございますから、
はしたない他の女房たちのネタビを受けるようなこともございません。
かえってそれ以来、猿と一緒に何かと愛しがられまして、
とりわけお姫様のお側からはお離れ申したことがないと言ってもよろしいくらい、
物見車のお供にも追像かけたことはございませんでした。
が、娘のことはひとまずおきまして、これからまた親の吉秀のことを申し上げましょう。
なるほど、猿の方はかように間もなくみんなのものに可愛がられるようになりましたが、
肝心の吉秀はやはり誰にでも嫌われて、
相変わらず影へまわっては猿秀呼ばわりをされておりました。
しかもそれがまたお屋敷の中ばかりではございません。
現に与川の曹都様も吉秀と申しますと、
魔性にでもお会いになったように顔の色を変えて鬼組み遊ばしました。
もっともこれは吉秀が曹都様の御行情を座礼に書いたからだなどと申しますが、
何分しもざまな噂でございますから、確に左様とは申されますまい。
とにかくあの男の不評判はどちらの方に伺いましても、そういう調子ばかりでございます。
もし悪く言わないものがあったといたしますと、それは二、三人の餌仲間か、
あるいはまたあの男の絵を知っているだけであの男の人間は知らないものばかりでございましょう。
しかし実際吉秀には、見たところがいやしかったばかりでなく、
もっと人に嫌がられる悪い癖があったのでございますから、
それも全く自業自得とでもなすより他に致し方はございません。
四、その癖と申しますのは隣職で、賢鈍で、恥知らずで、怠け者で、強欲で、
いやその中でもとりわけ華々しいのは、王兵で高慢で、
いつも本庁第一の絵師と思うことを鼻の先へぶら下げていることでございましょう。
それも我道の上ばかりならまだ下でございますが、
あの男の負け惜しみになりますと、世間の習わしとか式たりとか思うようなものまで、
全て馬鹿に致さずにはおかないのでございます。
これは長年吉秀の弟子になっていた男の話でございますが、
ある日猿方のお屋敷で、なだかい干垣の巫女に御霊がついて、
恐ろしい御託せんがあった時も、あの男は空耳を走らせながら、
ありあわせた筆と墨とで、その巫女のものすごい顔を丁寧に映しておったとかを申しました。
大方、見たまのおたたりも、
あの男の目から見ましたら子供だましぐらいにしか思われなかったのでございましょう。
さような男でございますから、吉秀典を描くときは、いやしい苦屈の顔を映しましたり、
不動明王を描くときは、無礼の方面の姿をかたどりましたり、
いろいろのもったいない真似をいたしましたが、それでも当人をなじりますと、
吉秀の書いた神物がその吉秀に明髪を当てられるとはいなことを聞くものじゃ、
と、そら嘘吹いているではございませんか。
これにはさすがの弟子たちも呆れ返って、中には未来の恐ろしさに、
いよいよ暇をとったのも少なくなかったように見受けました。
まず一口に申しましたなら、万豪長女王とでも名付けましょうか。
とにかく、当時雨が下で、自分ほどの偉い人間はないと思っていた男でございます。
したがって、吉秀がどのくらい我道でも高く留まっておりましたかは申し上げるまでもございますまい。
もっともその絵でさえ、あの男のは筆使いでも彩色でもまるで他の絵師とは違っておりましたから、
仲の悪い絵師仲間では山師だ、などと申す評判もだいぶあったようでございます。
その連中の申しますには川成とか金岡とか、そのほか昔の名称の筆になったものと申しますと、
やれ板田の梅の花が月の夜ごとに匂っただの、やれ屏風の大宮人が笛を吹く音さえ聞こえたなどという美な噂が立っているものでございますが、
吉秀の絵になりますと、いつでも必ず気味の悪い妙な評判だけしか伝わりません。
例えばあの男が竜迷子の門絵を描きました五十章寺の絵にいたしましても、
夜更けて門の下を通りますと、天神のため息をつく音やすすり泣きをする声が聞こえたと申すことでございます。
いや中には死人の腐っていく臭気を嗅いだと申すものさえございました。
それから大殿様のお言いつけで描いた女房たちの二世なども、その絵に写されただけの人間は、
三年と経たない中にみな魂の抜けたような病気になって死んだと申すことではございませんか。
悪く言うものに申させますと、それが吉秀の絵の邪道に落ちている何よりの証拠だそうでございます。
が何分前にも申し上げました通り横髪破りな男でございますから、それがかえって吉秀は大自慢で、
いつぞや大殿様が御冗談に、その方はとかく醜いものが好きと見えるとおっしゃった時も、
あの年ににず赤い唇でにやりと気味悪く笑いながら、
さようでござりまする。
飼い慣れの絵師にはそうじて見にくいものの美しさなどと申すことは分かろうはずがございません。
と王兵にお答え申し上げました。
いかに本庁第一の絵師に致せ、よくも大殿様の御前へ出てそのような口言が吐けたものでございます。
戦国引き合いに出しました弟子が、
内々師匠にチラエイジュというあだ名をつけて蔵長マンをそじっておりましたが、それも無理はございません。
御承知でもございましょうが、チラエイジュと申しますのは、昔、神壇から渡ってまいりました天狗の名でございます。
しかしこの吉秀にさえ、この何とも異様のない王道者の吉秀にさえ、たった一つ人間らしい情愛のあるところがございました。
御と申しますのは、吉秀が、あの一人娘の子女房をまるで菊谷のようにかわいがっていたことでございます。
戦国申し上げました通り、娘も至って気の優しい親思いの女でございましたが、あの男の子本能は決してそれにも劣りますまい。
何しろ娘の着るものとか、紙飾りとかのことを申しますと、どこのお寺の寛静にも汽車をしたことのないあの男が、
金銭にはさらにおしげもなく整えてやるというのでございますから、嘘のような気が致すではございませんか。
が、吉秀の娘をかわいがるのは、ただかわいがるだけで、やがて良い向こうを捕らうなどと思うことには、夢にも考えてはおりません。
それどころか、あの娘へ悪く言い寄るものでもございましたら、かえって辻患者薔薇でも借り集めて、闇打ちぐらいは喰らわせかねない良権にございます。
でございますから、あの娘が大殿様のお声がかりで子女房に上がりましたときも、親父の方は大不服で、
登山の間は御前へ出てもにがりきってばかりおりました。
大殿様が娘の美しいのにお心をひかされて、親の不祥事などもかまわずに召し上げたなどと申す噂は、
おおかたかような様子を見たもののあてずいりょうから出たのでございましょう。
もっともその噂は嘘でございましても、古本能の一心から義秀が始終娘の下るように祈っておりましたのは確かでございます。
あるとき大殿様のお言いつけで、千五文字を描きましたときも、御長輩の薔薇の顔を映しまして見事な出来でございましたから、
大殿様も至極御満足で、
褒美に望みのものをとらせるぞ。遠慮なく望め。というありがたい御言葉が下りました。
すると、義秀は賢まって何を思うかと思いますと、
何とぞ私の娘をばお下げ下さいませるようにとおくめんなく申し上げました。
他のお屋敷ならばともかくも堀川の大殿様のお側に仕えているのを、いかに可愛いからと申しまして、
かように仏付けに老人を願いますものがどこの国におりましょう。
これには大福中の大殿様もいささか御機嫌を損じたと見えまして、
しばらくはただ黙って義秀の顔を眺めておいでになりましたが、
やがてそれはならんと吐き出すようにおっしゃると、急にそのままお立ちになってしまいました。
かような事が、前後四五編もございましたろうか。
今になって考えてみますと、大殿様の義秀をご覧になる目は、
その都度にだんだんと冷ややかになっていらっしゃったようでございます。
するとまた、それにつけても娘の方は、父親のみが案じられるせいでもございますが、
雑誌へ下っているときなどは、よく裏着の袖をかんでしくしく泣いておりました。
そこで大殿様が義秀の娘に化粧をなすったなどと思う噂が、いよいよ広がるようになったのでございましょう。
中には地獄編の屏風の由来も、実は娘が大殿様の御意に従わなかったからだなどと思うものもおりますが、
もとよりさようなことがあるはずはございません。
私どもの目から見ますと、大殿様が義秀の娘をお酒にならなかったのは、
全く娘の身の上を哀れにおぼしめしたからで、
あのように堅くなな親のそばへやるよりは、お屋敷において何の不自由なく暮らさせてやろうというありがたいお考えだったようでございます。
それはもとより気立ての優しいあの娘を御意気になったのは間違いございません。
が、色をお好みになったと申しますのは、おそらく謙虚不快の説でございましょう。
いや、あたかたもない嘘と申した方がよろしいくらいでございます。
それはともかくもといたしまして、かように娘のことから義秀の大覚えがだいぶ悪くなってきたときでございます。
どうおぼしめしたか、大殿様は突然義秀をお召しになって、
地獄へんの屏風を書くようにと追いつけなさいました。
六
地獄へんの屏風と申しますと、私はもうあの恐ろしい画面の景色がありありと目の前へ浮かんでくるような気が致します。
同じ地獄へんと申しましても、義秀の描きましたのは、他の絵品のに比べますと第一図取りから似ておりません。
それは一畳の屏風の片隅へ小さく獣王をはじめ賢賊たちの姿を描いて、
あとは一面に紅蓮、大紅蓮の猛火が、賢賛当初もただれるかと思うほど渦をまいておりました。
でございますから、からめいた名官たちの衣装が、点々と木や藍をつづっております他は、どこを見ても烈烈とした火炎の色で、
その中をまるで万寿のように炭を飛ばした黒煙と金粉を煽った火のことが舞い狂っているのでございます。
こればかりでもずいぶん人の目を驚かす筆勢でございますが、その上にまた豪華に焼かれて点々と苦しんでおります罪人も、ほとんど一人として通例の地獄絵にあるものはございません。
なぜかと申しますと、吉秀は、この多くの罪人の中に、上は月景雲脚から下は古事記秘人まであらゆる身分の人間を移してきたからでございます。
側体のいかめしい天上人、五つぎ布の生めかしい青尿帽、十字をかけた念仏装、高足打を履いた侍学章、細長を着た目の藁は、御手倉をかざした御名字、一時数え立てておりましたら、とても再現はございますまい。
とにかく、そういういろいろの人間が、火と煙とが逆まく中を、御墨図の極卒に苛まれて、大風に吹き散らされる落ち葉のように、こなごなと四方八方へ逃げ迷っているのでございます。
さすまたに髪を絡まれて、雲よりも手足を縮めている女は、カンナギの類でもございましょうか。
手矛に胸を差し通されて、コウモリのように逆になった男は、生頭領か何かに相違ございますまい。
その他あるいは黒金の下に打たれる者、あるいは血引きの万尺に押される者、あるいは海鳥の口ばしにかけられる者、あるいはまた毒竜のアギトに噛まれる者、
下尺もまた罪人の数に応じていくとおりあるかわかりません。
がその中でも事さらに一つ目立って凄まじく見えるのは、まるで獣の牙のような桃樹の頂を半ばかすめて、その桃樹の梢にも多くの猛者が類々と五体を貫かれておりましたが、
中空から落ちてくる一両の義者でございましょう。
地獄の風に吹き上げられたその車の巣垂れの中には、女子、皿衣にも孫をばかり、きらびやかに装った女房が竹の黒髪を炎の中になびかせて、白いうなじをそらせながらもだい苦しんでおりますが、
その女房の姿と申し、また燃えしきっている義者と申し、何一つとして炎熱地獄の赤空を忍ばせないものはございません。
いわば、広い画面の恐ろしさが、この一人の人物に集まっているとでも申しましょうか。
これを見る者の耳の底には、自然と物凄い共感の声が伝わってくるかと疑うほど、入心の出来栄えでございました。
ああ、これでございます。これを描くために、あの恐ろしい出来事が起こったのでございます。
悠々と腰を下ろして、半ば腐れかかった顔や手足を、髪の毛一筋もたがえずに写して参ったことがございました。
では、その華々しい夢中になり方とは一体どういうことを申すのか。
さすがにお別れにはならない方もいらっしゃいましょう。
それはただいま、詳しいことは申し上げている暇もございませんが、主な話をお耳に入れますと、だいたいまず、かような次第なのでございます。
吉秀の弟子の一人が、これもやはり前に申した男でございますが、
ある日、絵の具を解いておりますと、急に師匠が参りまして、
己は少し昼寝をしようと思う。がどうもこの頃は夢見が悪い。
と、こう申すのでございます。
別にこれは珍しいことでも何でもございませんから、弟子は手を休めずにただ、
さようでございますか。と一通りの挨拶をいたしました。
ところが吉秀は、いつになく寂しそうな顔をして、
ついては己が昼寝をしている間中枕元に座っていてもらいたいのだが、
と遠慮がましく頼むではございませんか。
弟子はいつになく師匠が夢などを気にするのは不思議だと思いましたが、
それも別に造作のないことでございますから、
よろしくございます。と申しますと、師匠はまだ心配そうに、
では直に奥へ来てくれ。
もっとも後で他の弟子が来ても己の眠っているところへはいれないように。
と、ためらいながら言いつけました。
奥と申しますのはあの男が絵を描きます部屋で、
その日も夜のように灯を立て切った中にぼんやりと火を灯しながら、
まだ焼き筆で図取りだけしかできていない屏風がぐるりと立て回してあったそうでございます。
さてここへ参りますと、吉秀は肘を枕にして、
まるで疲れ切った人間のように、つやつや寝入ってしまいましたが、
ものの半時と立ちません中に、枕元におります弟子の耳には、
何ともかんとも申しようのない気味の悪い声が入り始めました。
8
それが始めはただ声でございましたが、
しばらくすると主題に切れ切れな言葉になって、
いわば溺れかかった人間が水の中で唸るようにかようなことを申すのでございます。
何?己に来いと言うのだ?
どこへ?
どこへ来いと?
奈落へ来い。遠日地獄へ来い。
誰だ、そういう貴様は。
貴様は誰だ。誰だと思ったら。
弟子は思わず絵の具を解く手を止めて、
恐る恐る師匠の顔を覗くようにして通してみますと、
しわだらけな顔が白くなった上に大粒な汗をにじませながら、
唇の乾いた歯のまばらな口をあえぐように大きく開けております。
そうしてその口の中で、
何か糸でもつけて引っ張っているかと疑うほどめまぐるしく動くものがあると思いますと、
それがあの男の舌だったと申すではございませんか。
切れ切れな語はもとよりその舌から出てくるのでございます。
誰だと思ったら。
貴様だな。おぞれも貴様だろうと思っていた。
何?迎え来たと?
だから来い。奈落へ来い。奈落には。
奈落には己の娘が待っている。
その時弟子の眼には朦朧とした異形の影が、
屏風の表をかすめてむらむらと降りてくるように見えたほど、
気味の悪い心持ちが致したそうでございます。
もちろん弟子はすぐに吉出に手をかけて、力のあらん限り揺り起こしましたが、
師匠はなお夢うつつに独り言を言い続けて容易に目の覚める気色はございません。
そこで弟子は思い切ってそばにあった筆洗いの水をザブリとあの男の顔へ浴びせかけました。
待っているからこの車へ乗って来い。この車へ乗って奈落へ来い。
という語がそれと同時に喉をしめられるような呻き声に変わったと思いますと、
やっと吉出は目を開いて、針で刺されたよりも慌ただしく、
矢庭にそこへ跳ね起きましたが、まだ夢の中の異類異行がまぶたの跡を去らないのでございましょう。
しばらくはただ恐ろしそうな目つきをして、やはり大きく口を開きながら空を見つめておりましたが、
やがて我に返った様子で、
もういいからあっちへ行ってくれと今度はいかにもそっけなく言いつけるのでございます。
弟子はこういう時に逆らうと、いつでもおうこごとは言われるので、
たちまち師匠の部屋から出て参りましたが、まだ明るい外の陽の光を見た時には、
まるで自分が悪夢から覚めたようなほっとした気が致したとかは申しておりました。
しかしこれなどはまだ良い方なので、その後一月ばかり経ってから今度はまた別の弟子が、
わざわざ奥へ呼ばれますと、吉秀はやはり薄暗い油火の光の中で絵筆を噛んでおりましたが、
いきなり弟子の方へ向き直って、
ご苦労だがまた裸になってもらおうかと申すのでございます。
これはその時までにも、どうかすると師匠が言いつけたことでございますから、
弟子は早速衣類を脱ぎ捨てて赤裸になりますと、
あの男は妙に顔をしかめながら、
わしは鎖で縛られた人間が見たいと思うのだが、
気の毒でもしばらくの間、わしのする通りになっていてはくれまいか。
と、そのくせ少しも気の毒らしい様子などは見せずに、冷然とこう申しました。
元来この弟子は、絵筆などを握るよりも太刀でも持った方が良さそうなたくましい若者でございましたが、
これにはさすがに驚いたと見えて、後々までもその時の話をいたしますと、
これは師匠が気が違って、わたしを殺すのではないかと思いました。
と繰り返して申したそうでございます。
が、よしひでの方では、
あえてどぐずぐずしているのがじれったくなって参ったのでございましょう。
どこから出したか細い鉄の鎖をざらざらとたぐりながら、
ほとんど飛びつくような勢いで弟子の背中へ乗りかかりますと、
矢をなしにそのまま両腕をねじ上げてぐるぐる巻きに致してしまいました。
そうしてまたその鎖の端を邪剣にぐいと引きましたからたまりません。
弟子の体は弾みをくって勢いよく床をならしながら、
ころりとそこへ横倒しに倒れてしまったのでございます。
その時の弟子の格好は、まるで酒亀をころがしたようだとでも申しましょうか。
何しろ手も足もむごたらしく折り曲げられておりますから、
動くのはただ首ばかりでございます。
そこへ太った体中の血が鎖にめぐりを止められたので、
顔と言わず胴と言わず、一面に皮膚の色が赤みばしってまいるではございませんか。
がよしひでにはそれも格別気にならないとみえまして、
その酒亀のような体のまわりをあちこちとまわって眺めながら、
同じような写真の図を何枚となく描いております。
その間、縛られている弟子の身がどのくらい苦しかったかということは、
何もわざわざ取り立てて申し上げることでもございますまい。
がもし何事も起こらなかったといたしましたら、
この苦しみはおそらくまだその上にも続けられたことでございましょう。
幸いと申しますより、あるいは不幸にと申したほうがよろしいかもしれません。
しばらくいたしますと、部屋の隅にある壺の影から、
まるで黒い油のようなものが一筋細くうねりながら流れ出してまいりました。
それが始まりの中は、よほど粘り気のあるもののようにゆっくり動いておりましたが、
だんだんなめらかに滑り始めて、やがてちらちら光りながら、
鼻の先まで流れ着いたのを眺めますと、弟子は思わず息をひいて、
ヘビが、ヘビが、と喚きました。
そのときは全く体中の血が一時に凍るかと思ったと思いますが、
それも無理はございません。
ヘビは実際もう少しで鎖の食い込んでいる首の肉へ、
その冷たい舌の先を触れようとしていたのでございます。
この思いもやらない出来事には、いくら王道な吉秀でもぎょっと致したのでございましょう。
あわてて絵筆を投げ捨てながら、とっさに身をかがめたと思うと、
素早くヘビの尾をつかまえて、ぶらりと逆さに吊り下げました。
ヘビは吊り下げられながらも、頭をあげてキリキリと自分の体へ巻きつきましたが、
どうしてもあの男の手のところまでは届きません。
おのれ、ゆえにあったら一筆をし損じたぞ。
吉秀はいまいましそうにこうつぶやくと、ヘビはそのまま部屋の隅の壺の中に放り込んで、
それからさも不祥不祥に弟子の体へかかっている鎖を解いてくれました。
それもただ解いてくれたというだけで、漢字の弟子の体へは優しい言葉一つかけてはやりません。
大型弟子がヘビに噛まれるよりも、写真の一筆を謝ったのがゴオハラだったのでございましょう。
あとで聞きますと、このヘビもやはり姿を映すためにわざわざあの男が飼っていたのだそうでございます。
これだけのことをお聞きになったのでも、吉秀のきちがいじみた薄気味の悪い夢中になり方がほぼおわかりになったことでございましょう。
ところが最後に一つ、今度はまだ十三死の弟子が、やはり地獄編の屏風のおかげで、いわば命にもかかわりかねない恐ろしい目に出会いました。
その弟子は生まれつき色の白い女のような男でございましたが、ある夜のこと、何気なく師匠の部屋へ呼ばれて参りますと、
吉秀は灯台の火の下で、手のひなに何やら生臭い肉をのせながら、見慣れない一羽の鳥を養っているのでございます。
大きさはまず世の常の猫ほどもございましょうか。
そういえば耳のように両方へ突き出した羽毛といい琥珀のような色をした大きな丸いマナコといい、見たところも何となく猫に似ておりました。
元来吉秀という男は、何でも自分のしていることにくちばしを入れられているのが大嫌いで、先告申し上げた蛇などもそうでございますが、
自分の部屋の中に何があるか、一切そういうことは弟子たちにも知らせたことがございません。
でございますから、あるときは机の上にサレ神戸が載っていたり、
あるときはまた白金のワインや薪絵のたかつきが並んでいたり、そのとき描いている絵次第でずいぶん思いもよらないものが出ておりました。
が、普段はかような品を一体どこにしまっておくのか、それはまた誰にもわからなかったそうでございます。
あの男が福徳の狼の命令を受けているなどと申す噂も、一つは確かにそういうことが起こりになっていたのでございましょう。
そこで弟子は机の上のその異様な鳥も、やはり地獄編の屏風を描くのに利用なのに違いないとこう一人考えながら、
師匠の前へかしこまって、「何か御用でございますか。」とうやうやしく申しますと、
吉秀はまるでそれが聞こえないように、あの赤い唇へ舌なめずりして、「どうだ、よく慣れているのではないか。」と鳥の方へ顎をやります。
これは何というものでございましょう。私はついでまだ見たことがございませんが。
弟子はこう申しながら、この耳のある猫のような鳥を、気味悪そうにじろじろ眺めますと、吉秀は、
いつもの嘲笑うような調子で、「何、見たことがない。都育ちの人間はそれだから困る。
これは二、三日前に蔵馬の漁師が和しにくれたミミズクという鳥だ。ただ、こんなに慣れているのはたくさんあるまい。」
こう言いながら、あの男はおもむろに手を挙げて、ちょうど餌を食べてしまったミミズクの背中の毛をそっと下から撫で上げました。
するとその途端でございます。鳥は急に鋭い声で、短く一声鳴いたと思うと、
たちまち机の上から飛び上がって、両足の爪を張りながらいきなり弟子の顔へ飛びかかりました。
もしそのとき弟子が袖をかざして慌てで顔を隠さなかったら、きっともう傷の一つや二つは負わされておりましたろう。
あっと言いながらその袖を振って追い払おうとするところをミミズクはかかって、くちばしをならしながらまたひとつき。
弟子は師匠の前も忘れて、立ってはふさぎ、座っては追い、思わず狭い部屋の中をあちらこちらと逃げまどいました。
会長ももとより袖について高く低くかけりながら、隙さえあればまっしぐらに目をめがけて飛んできます。
そのたびにバサバサとすさまじく翼を鳴らすのが、落ち葉の匂いだか滝のしぶきとも、あるいはまた猿崎の据えた生きれだか何やら怪しげなものの気配を誘って、気味の悪さといったらございません。
こういう類のことは、そのほかまだいくつとなくございました。
前には申し訳しましたが、地獄編の屏風をかけという御沙汰があったのは秋の初めでございますから、それ以来冬の末まで、義秀の弟子たちは絶えず師匠の怪しげな振る舞いに脅かされていたわけでございます。
が、その冬の末には、義秀は何か屏風の絵で自由にならないことができたのでございましょう。
それまでよりは一層様子も陰気になり、物言いも目に見えて荒々しくなってまいりました。
と同時にまた屏風の絵も、下絵が八分通り出来上がったまま、さらにはかどる様子はございません。
いや、どうかすると今までに描いたところさえ、塗り消してもしまいかねない気色なのでございます。
そのくせ屏風の何が自由にならないのだか、それは誰にも分かりません。
また、誰も分かろうとしたものもございますまい。
前のいろいろな出来事に懲りている弟子たちは、まるで懲ろうと一つ折にでもいるような心持ちで、その後師匠の身の回りへは、なるべく近づかない算段をしておりましたから。
十二
したがってその間のことについては、別に取り立てて申し上げるほどのお話もございません。
もし、強いて申し上げるといたしましたら、それはあの強情な親父が、何故か妙に涙もろくなって、人のいないところでは時々一人で泣いていたというお話くらいなものでございましょう。
都にある日、何かのようで弟子の一人が庭先へ参りました時なぞは、廊下に立ってぽんやり春の近い空を眺めている師匠の目が涙でいっぱいになっていたそうでございます。
弟子はそれを見ますと、かえってこちらが恥ずかしいような気がしたので、黙ってこそこそ引き返したと申すことでございますが、
子守少女の図を描くためには道端の死骸さえ写したという傲慢なあの男が、屏風の絵が思うように描けないくらいのことで、子供らしく泣き出すなどと申すのは、ずいぶん異なものでございませんか。
ところが一方、吉秀がこのように、まるで正気の人間とは思われないほど夢中になって屏風の絵を描いております中に、
また一方ではあの娘が、なぜかだんだん気鬱になって、私どもにさえ涙をこらえている様子が目に立ってまいりました。
それが元来、憂い顔の色の白い、つつましやかな女だけに、こうなるとなんだかまつ毛が重くなって、目の周りにクマがかかったような、余計寂しい気が致すのでございます。
はじめはやれ父思いのせいだの、やれ恋煩いをしているからだの、いろいろ憶測を致したものがございますが、長頃から、
何、あれは大殿様が行為に従わせようとしていらっしゃるのだという評判が立ち始めて、それからは誰も忘れたようにばったりあの娘の噂をしなくなってしまいました。
ちょうどその頃でございましょう。ある夜、香がたけてから、私が一人、御廊下を通りかかりますと、あの猿のよしひれがいきなりどこからか飛んでまいりまして、私の袴の裾をしきりに引っ張るのでございます。
確かもうめの匂いでも致しそうな、薄い月の光のさしている暖かい夜でございましたが、その明かりで透かしてみますと、猿は真っ白な歯をむき出しながら、腹の先へ皺を寄せて、気が違わないばかりにけたたましく泣き立てているではございませんか。
私は気味の悪いのが三分と、新しい袴を引っ張られる腹立たしさが七分とで、最初は春をけはなして、そのまま通り過ぎようかとも思いましたが、また思い返してみますと、前にこの猿を接管して若殿様のご不幸を受けた侍の例もございます。
それに猿の振る舞いがどうもただ事とは思われません。そこでとうとう私も思い切って、その引っ張る方へ五六軒歩くともなく歩いてまいりました。
すると五六軒がひと曲り曲がって、嫁にも薄白い老池の水の枝振りの優しい松の向こうに、ひろびろと見渡せるちょうどそこまで参った時のことでございます。
どこか近くの部屋の中で人の争っているらしい気配が慌ただしく、また妙にひっそりと私の耳を脅かしました。
辺りはどこもしんと静まり返って、月明かりとも靄ともつかないものの中で、魚の羽の音がするほかは話し声ひとつ聞こえません。
そこへこの物音でございますから、私は思わず立ち止まって、もし狼藉者でもあったなら目にもの見せてくれよとそっとその槍戸の外へ息をひそめながら身を寄せました。
十三
ところが猿は私のやり方がまだるかったのでございましょう。
吉秀はさもさももどかしそうに、二、三度私の足の周りを駆け回ったと思いますと、まるで喉をしめられたような声で泣きながら、いきなり私の肩のあたりへ一足飛びに飛び上がりました。
私は思わずうなじをそらせて、その爪にかけられまいとする。猿はまた、スイカンの袖にかじりついて、私の体からすべり落ちまいとする。
その拍子に私はわれ知らず二足三足よろめいて、その槍戸へ後ろざわにしたたか私の体を落ち着けました。
こうなってはもう一刻も躊躇している場合ではございません。
私はやにわに槍戸をあけはなして、月あかりの届かない奥のほうへはねりこもうといたしました。
がそのとき私の目にさえぎったものは、いやそれよりももっと私は同時にその部屋の中からはじかれたようにかけだそうとした女のほうにおどろかされました。
女は出会い頭に危うく私に突き当たろうとして、そのまま外へ飛び出しましたが、なぜかそこへ膝をついて息を切らしながら、私の顔を何か恐ろしいものでも見るようにおののきおののき見上げているのでございます。
それがよしひれの娘だったことは何もわざわざ申し上げるまでもございますまい。
がその晩のあの女はまるで人間が違ったようにいきいきと私の目にうつりました。
目は大きく輝いております。
頬も赤く燃えておりましたろう。
そこへしどけなく乱れた袴や打ち着が、いつもの幼さとはうって変わった生めかしささえ添えております。
これが実際あの弱々しい何事にも控えめなよしひれの娘でございましょうか。
私は槍戸に身を支えてこの月明かりの中にいる美しい娘の姿を眺めながら、
慌ただしく遠のいていくもう一人の足音を指させるもののように指さして、だれずっと静かに目で尋ねました。
すると娘は唇をかみながら黙って首を振りました。
その様子がいかにもまた悔しそうなのでございます。
そこで私は身をかがめながら娘の耳へ口をつけるようにして、今度はだれですと小声で尋ねました。
が娘はやはり首を振ったばかりで何とも返事をいたしません。
いやそれと同時に長いまつげの先へ涙をいっぱいためながら前よりも固く唇をかみしめているのでございます。
しょうとく愚かな私には、わかりすぎているほどわかっていることのほかはあいにく何一つ飲み込めません。
でございますから私の言葉はかけようにも知らないで、しばらくはただ娘の胸の動機に耳をすませるような心持ちでじっとそこに立ちつくんでおりました。
もっともこれは一つには何故かこの上、問いただすのが悪いような人がめが致したからでもございます。
それがどのぐらい続いたかわかりません。
が、やがて開け放したやり戸を閉じながら少しは浮気の冷めたらしい娘の方を見返って、
もうどうしてお帰りなさいとできるだけ優しく申しました。
そして私も自分ながら何か見てはならないものを見たような不安な心持ちに脅かされて、
誰にともなく恥ずかしい思いをしながらそっと元北方へ歩き出しました。
ところが十歩と歩かない中に誰かまた私の袴の裾を後ろから恐る恐る引き止めるではございませんか。
私は驚いて振り向きました。
あなた方はそれが何だったとお示します。
見るとそれは私の足元にあの猿の吉秀が人間のように両手をついて黄金の鈴を鳴らしながら何度となく丁寧に頭を下げているのでございました。
十四
大殿様はまるで義秀の申すことが御耳に入らなかったような御様子で頬をたたみかけてお尋ねになりました。
私は黒金の鎖に戒められたものを見たことがございまする。
懐中に悩まされている者の姿もつぶさに映しとりました。
されば罪人の過釈に苦しむ様も知らぬと申されません。
また国卒はといって義秀は気味の悪い苦笑を漏らしながら
また国卒は夢うつつに何度となく私の目に映りました。
あるいは五頭、あるいは目頭、あるいは三面六臂の大人の行が
御殿の背の手を叩き、声の出ぬ口を開いて私をさいなみに参りますのは
ほとんど毎日毎夜のことと申してもよろしうございましょう。
私の書こうとして書けるのはそのようなものではございません。
それには大殿様もさすがにお驚きになったでございましょう。
しばらくはただ苛立たしそうに義秀の顔を睨めておいでになりましたが、
やがて眉を険しくお動かしになりながら、
では何が書けぬと思うのじゃ、と討ち捨てるようにおっしゃいました。
十五
私は屏風の忠中に、
微漏げの車が一両空から落ちてくるところを書こうと思っておりまする。
義秀はこう言って初めて鋭く大殿様のお顔を眺めました。
あの男は絵のことというときちがい同様になるとは聞いておりましたが、
その時の目の配りには確かにさような恐ろしさがあったようでございます。
その車の中には一人のあでやかな上等が、
もうかの中に黒髪を乱しながらもだや苦しんでいるのでございます。
顔は煙にむせびながら眉をひそめて空ざまに館を仰いでおりましょう。
手は下すだれを引きちぎって降りかかる日のこの雨を防ごうとしているかもしれません。
そしてその周りにはあやしげな市町が十羽となく二十羽となく
くちばしを鳴らしてこなごなと飛び巡っているのでございます。
ああ、それがその義秀の上の上等がどうしても私には描けません。
そしてどうじゃ。
大殿様はどういうわけか妙に喜ばしそうなご気色で
こう義秀をお促しになりました。
が、義秀は例の赤い唇を熱でも出たときのように震わせながら
夢を見ているのかと思う調子で、
それが私には描けませんともう一度繰り返しましたが、
突然噛みつくような勢いになって、
どうか美老芸の車を一両私の見ている前で火をかけていただきとございまする。
そして、もしできまするならば。
大殿様はお顔を暗くなすったと思うと、
突然けたたましくお笑いになりました。
そしてそのお笑い声に息を詰まらせながらおっしゃいますには、
おお、万事その方がもうストリートして使わそう。
できるできぬの戦技は無益の沙汰じゃ。
私はそのお言いを伺いますと、
無視の知らせがなんとなく凄まじい気が致しました。
実際また大殿様の御様子も、
お口の端には白く泡が溜まっておりますし、
お眉のあたりにはびくびくと稲妻が走っておりますし、
まるで吉秀の物狂いにお馴染みなすったのかと思うほど、
ただならなかったのでございます。
それがちょいと弦をお切りになると、
すぐまた何かが弾けたような勢いで止めどなく喉を鳴らしてお笑いになりながら、
美老芸の車にも火をかけよう。
またその中には、
艶やかな女を一人、上等の様子を応用させて乗せて使わそう。
炎と極炎とに責められて、車の中の女がも大事にをする。
それを書こうと思いついたのは、
さすがに天下第一の絵師じゃ。
褒めてとらす。おお、褒めてとらすぞ。
大殿様のお言葉を聞きますと、
吉秀は急に色を失ってあえぐように、
ただ唇ばかり動かしておりましたが、
やがて体中の筋が緩んだように、
べたりと畳へ両手をつくと、
「ありがたい試合でございまする。」と、
聞こえるか聞こえないかわからないほど低い声で、
丁寧にお礼を申し上げました。
これはお方自分の考えていた目論みの恐ろしさが、