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寝落ちの本ポッドキャスト。こんばんは、Naotaroです。
このポッドキャストは、あなたの寝落ちのお手伝いをする番組です。
タイトルを聞いたことがあったり、実際に読んだこともあるような本、
それから興味深そうな本などを淡々と読んでいきます。
エッセイには、面白すぎないツッコミを入れることもあるかもしれません。
作品はすべて青空文庫から選んでおります。ご意見、ご感想、ご依頼は公式Xまでどうぞ。
寝落ちの本で検索してください。
それから番組フォローもどうぞよろしくお願いします。
横光利一の紹介と作品の背景
さて、今日は横光利一さんの、「睡蓮」というテキストを読もうかと思います。
横光利一さんは初めて読みますね。
日本の小説家、俳人、評論家。
菊池寛に支持し、片岡鉄平、川端康成らと共に文芸時代を創刊し、新感覚派文学の運動を起こす。
代表作に、ハエ、機械、履修などがあるそうです。
菊池寛ね。今でいうあれですね。文春、文春ですよね。
文芸春秋作った人かな。
偉大な人がいたもんですね。その人のお弟子さんということで。
横光利一さんね。
今日こちら側の話で申し訳ないですけど、なんか印刷したときの縮尺がね、
ちっちゃくてね、文字が全部ちっちゃいんですよね。
なんか1枚にすごい文字数が印刷されてるけど、
これで6枚でしょ。多分、実際は10枚分ぐらいなんだろうな。
また今日も淡々と読んでいきたいと思います。
それでは参ります。
水蓮。もう14年も前のことである。
新しい隣人との出会い
家を建てるとき、大工が土地をどこにしようかと相談に来た。
特別どこが好きとも思い当たらなかったから、
格好なところを2、3探してみてほしいと私は答えた。
2、3日してから大工がまた来て、
下北沢というところに1つあったから、これからそこを見に行こうという。
北沢といえば、前に確か一度、友人から、
自分が家を建てるなら北沢編にしたいと漏らしたのを思い出し、
急にそこを見たくなって、私は大工と一緒にすぐ出かけた。
秋の日の夕暮れ近い頃で、電車をいくつも乗り換え北沢へ着いたときは、
野道の茶の花が薄闇の中に際立って白く見えていた。
ここですよ。どうですかね。
大工は別にいいところでもないがといった顔つきで、
ある高台の平坦な畑の中で立ち止まった。
見たところ芋の植わっている平凡な畑だったが、
周囲に欅や杉の森があり、近くに人間のないのが、
起こるとき大きな声を出す私には好都合だと思った。
腹立たしいときに周囲に気兼ねして声も出さずに済ましていては、
家に自由のなくなる危険がある。
それに一帯の土地の平凡なのが、
見たときすでに飽きている落ち着きを心に持たせ、
すぐにはそれが一番だと一人定めた。
どうしますか。
お気に入ったら帰りに地主の家へ行って交渉してみますが。
うーん、じゃあここにしよう。
こういう話でその土地は地主ともすぐ定められた。
そしてその年の暮れに、家もまず建って私たちの一家は移ってきた。
周囲の景色が平凡のため、
辺りの特殊性を観察する私の目も自然に細かく働くようになった。
森に包まれている道も人はあまり通らず、
時々魚屋が通るほどの寂しさだったが、
春先の目の吹き始めた頃から、
若い夫婦が二人連れで通るのをよく見かけるようになった。
この二人は散歩らしく、
夫の方は両腕を後ろの帯に差しはさみ、
樹木を仰ぎ仰ぎ、ゆっくりと楽しそうに歩き、
妻君の方はそのそばに寄り添うようにして笑顔をいつもたたえていた。
私は見ていてこの夫婦には一種特別な光が射していると思った。
二人とも富裕な生活の人とは見えなかったが、
劣らず堂々とした立派な風貌で、
背も高く、
互いに強く信じ合い、
愛し合っている満足した様子が一別して感じられた。
晴れた日など、若葉の間をまっすぐに前方を見ながら来る、
二人の満ち足りたような姿は、
遠くから見ていても稀に見る幸福そうな良い感じだった。
今までからも私は楽しげな夫婦をいくつも見てきているが、
この二人ほどよそ見をせず、
壊れぬ幸福をしっかり互いに守っているらしい夫婦はあまり見なかったので、
それ以来特に私は注意するようになった。
話す機会は一度もなかったが、
まもなく夫の方は陸軍刑務所の監守で、
朝ごとに自転車で役所へ通うということや、
妻君の方は付近の娘たちに縫い物を教えているということなどだんだんわかってくると、
またその特殊な二人の生活が一層私の興味を動かした。
主人の方の名を加藤浩二郎といい、
私の家から二町ほど離れたある伯爵の庭の中の小さな家にいる人だということも、
出入りの八百屋の小僧の口から私は知ることができた。
またその小僧の口から、
八百屋の老いた主婦が加藤浩二郎氏の立派な姿に、
朝ごとにぼんやり見とれているとまで付け加えて語ったことがある。
とにかくもう老年の八百屋の主婦が、
朝ごとにペダルを踏んで通る浩二郎氏の姿に見とれるというようなことは、
私も共に無理なく頷くことができるのである。
浩二郎氏の要望には、
好男子ということ以外に人格の美しさが、
疑いもなく現れていたからだった。
老年の婦人というものは、
ただの馬鹿な美男子にも見とれるものではない。
私はこんなに思うことがある。
人間は生活をしているとき、
特に観察などをしようとせず、
ぼんやりとしながらも、
自然に栄じてきた周囲の人の姿を、
そのまま信じて、
誰も死んでしまうものだということを。
そして、その方が特に目をそば立てて観察したり、
分析したりしたことなどよりも、
時には性格ではなかろうか、
ということをしばしば感じる。
浩二郎氏のことにしても、
私は目をそば立てて注意していたわけではなく、
いか自然に私の目に栄じてきたことのみで、
彼のことを描きたいと思う。
浩二郎氏は軍人の間では、
かなり高明な見客だということも、
私の耳にいつか努力することなく聞こえてきた。
見たところ、浩二郎氏は無口で声も低く、
性格も平凡なようだった。
私のいるこの辺り一帯の風景が、
極めて平凡に見えたがために、
私は即座にこの地を選んで移り住むのを決心したのであったから、
ちょうどその風景に適合したように現れてきた浩二郎氏の姿も、
自然な環境を呼び起こしたに違いないが、
いずれにせよ、その方が私には、
この地を選んだ甲斐もあったと喜ぶべきである。
私は時々仕事に疲れ、
夜中一人火鉢に手をあぶりながら、
みぞれの降る音などを聞いているとき、
ふと、浩二郎氏は今頃どうしているだろうと、
思ったりすることもあって、
人には言わず、
泡のように真鍮を巨大する人影の一人になっていた頃である。
ある日、私の家の二階から見下ろせるところに、
二十軒ほど離れた茶畑の一隅が取り払われ、
そこへ石突きが集って、
十坪にも足らぬ土台石を突き固めている声が聞こえてきた。
家が建つんだなあ、
近所に建つ最初の家だ、あれは。
こんなことを私は家内と話していると、
また八百屋の小僧が来て、
そこへは浩二郎氏の家が建つのだと告げていった。
自分の家のそばへ知らぬ人の家が建つときには、
来る者はどんな人物かと気がかりなものだが、
それが浩二郎氏の家だとわかると、
急に私は心に明るさを感じた。
しかしまた、小さな私の家より、
はるかに狭い彼の家の敷地を見下ろして、
堂々たる風貌に、およそ二もつかぬその小ささに、
絶えずこれから見下ろさねばならぬ私の二階屋が、
かとのそびえた感じに移り、
これは困ったことになったと私は苦笑した。
ゆえもなく、自分の好きな人物に、
永久に怒りを感じさせるということは、
この土地を選んだ最初の私の目的に反するのである。
ともかく浩二郎氏は、最初の私の家の隣人となって、
暮れの押し迫った頃、樹木の多い白石家の庭の中から、
幸福な生活の観察
明るい茶畑の中の自分の家へ移ってきた。
浩二郎氏が足を伸ばせば、
壁板から足のつき出そうな薄い小さな平屋だった。
私はそばを通るたびに、
中を注意したがる自分の視線を叱り返して歩くように気をつけたが、
まもなく周囲に立ち並んでくるに違いない大きな家に押し詰められ、
氏の家の平和も破れる日が来るのではないかと心配になることもあった。
朝家を出るとき、四季島を口にくわえ、
ひらりと自転車に乗るときのゆったりした浩二郎氏の姿を、
私の見たのは一度や二度ではなかった。
また、妻君の美徳夫人が、
背中の上の方に、
缶抜きのかかった薄ネズミ色の艦主服の夫を、
角口まで送って出て、
「行ってらっしゃい、行ってらっしゃい。」と、
高く続けざまに行って手を振り、
夫の見えなくなるまで電柱のそばに立ち尽くしている姿も、
これも雨が降っても雪が降っても、
毎朝変わらなかった。
私の家内も、この新しい隣家の主婦の愛情の細やかさが、
しばらくは乗り移ったこともあったが、
到底敵ではないと諦めたらしくすぐ前に戻った。
どうもお前を叱るとき大きな声を出したって、
ここなら大丈夫と思ってきたのに、これじゃだめだ。
と私は家内と顔を見合わせて笑ったこともある。
二階建てから平屋の向こうを圧迫する木金がこちらにあったのに、
実は絶えず下から揺り動かされている結果となってきた滑稽さは、
年中欠かさず繰り続けられるのであった。
私の家の女中も、
加藤家と私の家といつも比較しているとみえて、
私結婚するときにはあんな旦那様と結婚したいと思いますわ、
とふと家内に漏らしたことがあった。
八百屋の老夫婦ばかりではなく、
私の家の女中も朝ペダルを踏んで出ていく小二郎氏には、
丁寧にお辞儀をするのを忘れないふうだった。
そのためもあろうか、
女中は平屋の外の草引きだけは毎朝早く忘れずにする癖もできた。
この女中は二年ほどして変わったが、
次に来た女中も、
加藤夫妻の娘子さんには驚いたとみえ、
平屋の外の草引きだけはまめまめしく働いた。
顔自慢で村の若者たちから騒がれたこともあるとかで、
いくらか横着な性質だったから、ある日も家内に、
あの加藤さんのところの奥さんはやきもち焼きですわね。
さっきあそこの旦那さんのお出かけのとき、
ちょっと旦那さんに物を言いましたら、
奥さんがじろっとあたしをにらぶんですのよ。
とこの女中はさも面白そうな声で告げ口した。
しかしこの女中も間もなく嫁入りをした。
そのころになると、
私の家の付近一帯の森はすべて切り払われ、
焼き地には私の家より大きな家が次々に立ち出した。
そのため予想のように加藤家は、
あるか無きかのごとき感を呈して窪んでいったが、
夫妻の愛情の細やかさは前と少しも変わりなかった。
銭湯へ行くときでも二人は家の戸を閉め、
一緒に金だらいを持って出かけ、また並んで帰ってきた。
甲二郎氏の役所からの帰りには、
必ず遠くまで夫人は出迎えに行っていた。
小さな筒子や金銭館などの鉢植えが少しずつ増えた狭い庭で、
花を見下ろしている甲二郎氏のそばには、
いつもささやくような美徳夫人の姿がそって見られた。
この二人は結婚してから幾年になるかわからなかったが、
私の隣人となって三年目頃のあるときから、
なんとなく美徳夫人の体は一目を引くほど大きくなった。
家族と隣人の関係性
今頃になってお子さんができるのかしら。
加藤さんの旦那さん喜んでらっしゃるわ、きっと。
こういうことを家内と言っているとき、
奇妙なことにまた私の家にも出生の予感があり、
それが日ごとに事実となってきた。
これまでは私は年賀のご挨拶に一年に一度加藤家に行くきりで、
向こうもそれに応じてくるだけだったが、
通りで出会う私の家内と美徳夫人の密かないたわりの視線も、
私は謙遜な気持ちで想像することができた。
一体どっちが早いんかね、うちのか?
と私は美徳夫人の夫を送り出す声を聞いた朝など、
家内に尋ねたこともあったが、
加藤家の方が少し私の家より早かった。
次に私の家の次男が生まれた。
すると二年たらずにまた加藤家の次女が生まれた。
いつの間にか私の家の周囲には八方に家が立ち連なり、
庭の中へ見知らぬ子供たちの遊びに来る数が年ごとに増えてきた。
それらの中に額に縄脈の浮き出た加藤家の二人の女の子もいつも混じっていた。
どこから現れて来るものか、数々の子らの出て来る間にも、
私の家の敷地を貸してくれた地主が死んだ。
また隣家の主婦も、またその隣家の主婦も非ならずして亡くなった。
するとその亡くなった七目向かいの主婦も間もなく死んでしまった。
裏のこの辺り一帯の大地主に三夫妻揃った長寿の家もあったが、その真ん中の主人も倒れた。
こんな日のうちに加藤家ではまた第三番目の子供が生まれた。
それは初の男の子だった。
朝ペダルを踏み出す父の後から子供たちの高次郎氏を送り出す賑やかな声が、
夫人の声と一緒にいつものごとく変わらずに聞こえていた。
実際私はもう十数年間、「行ってらっしゃーい、行ってらっしゃーい。」と
こう呼ぶ加藤家の元気の良い声をどれほど聞かされたか知れん。
そのために私はこの愛情豊かな家を出ていく高次郎氏の満足そうな顔が
多くの囚人たちにも何か必ず伝わり流れていそうに思われた。
この家の不幸なことといえば、見たところおそらく私の家のわんぱくな次男のために
女の子の泣かされ続けることだけではなかろうかと私は思った。
加藤浩二郎氏の死
どこからか女の子の泣き声を聞きつけると、私は二階から
またやったなと乗り出すほど、この次男のいたずらには手こずった。
このようなことは子供のこととはいえ、
どことなく加藤家と私の家との不和の定流を成しているのを私は感じたが、
それも長い年月したからこの二階屋を絶えず寄り続けた加藤家に対して
自然に子供が復讐していてくれたのかもしれん。
「ほら、あの子を泣かしちゃいかんよ。」
私はこんなに自分の次男によく言ったが、次男は
「あの子泣きみそなんだよ。」と言って、さも面白そうにまた泣かした。
高次郎氏のところへ一年に一度念願の挨拶に私の方から出かけていくのも
今年もまた何をし出すかわかりませんからどうぞよろしく
と、こういう私の謝罪の意味も多文に含んでいた。
この家は門の戸を開けると一本も踏み込まないのに、
すぐさま玄関の戸を開けねばならぬというふうな奇妙な面倒さを私は感じ、
敷居も年ごとに高くなったが、
出てくる美徳夫人の笑顔だけは最初の時と少しも変わらなかった。
高次郎氏とも私は顔を合わすというような機会はなかった。
月の良い夜など民的の音が聞こえてくると、
「あれ加藤のおじさんだよ。」と子供の言うのを聞き、
私も一緒に明治時代の歌を一吹き吹きたくなったものである。
高次郎氏が官首長となった年の秋、官公が落ちた。
その日、夕暮れ食事をしていると長男が突然外から帰ってきて、
「加藤さんところのおじさん、炭火に乗せられて帰ってきたよ。顔にハンカチがかけてあった。」
と話した。
私と家内はとっさに高次郎氏の不良の死を直角した。
「どうなったのかしら。お前、聞かなかった?」
家内の質問に子供は何の興味もなさそうな顔で、「知らん。」と答えた。
外から見てどこといって面白みのない高次郎氏だったが、
特実な人のことだから歓楽の喜びのあまり、
どこかで主演を催し、
フラフラといい気持ちの気と自動車に跳ねられたのではなかろうかと私は想像した。
それならこれは確かに一種の名誉の選手だと思い、
すぐ私は二階へあがって加藤家の方を見下ろした。
しかし家中は葉を落とした高い青霧の下で、ひっそりと物音を静めているばかりだった。
その一晩は夜の闇が付近一面に密集して、
垂れ下がってきているような静けさで、
私は火鉢に継ぐ隅も一人艶のしたくをする寂しさを感じた。
すると次の朝になって次男が、
加藤のおじさん、お酒飲んで帰ってきたら電車に突き飛ばされて死んじゃったんだって、
とまた言った。
違うよ、まだ生きているんだよ、
と長男が今度はどういうものか強く否定した。
死んだんだよ、死んだと言ってたよ、
と次男は声を強めあくまで長男に言い張った。
どちらがどうだかよくわからなかったが、
とにかく不良の出来事のこととて、
こちらから訪ねに行くわけにもいかず、
そのままでいると、
その翌日になって甲二郎氏の家から弔いが出た。
私は家内を加藤家に御商工にやった後、
小道いっぱいに電柱のそばに群れ寄って沈んでいる、
艦首の服装をしたたくさんの人たちの姿を眺めていた。
その時ふと私は、その四五日前に見た、
加藤家の半白の猫が私の家の兎の首を食わえたと見る間に、
垣根をくぐり抜けて逃げたダットのような身の速さを何となく思い出した。
甲二郎氏の不良の死は、やはり子供たちの言い張ったようだった。
酔い後、終電車に離れてすぐ入院したが、
その時はもう内出血が多すぎて二日目に亡くなったということである。
睡蓮の詩とその意味
美徳夫人は裁縫の名手だから、
甲二郎氏の死後の生活の心配はまず無くとも。
見ていても出来事は少しこの家には早すぎて無惨だった。
加藤家はその後すぐ人手に渡った。
そして一家は甲二郎氏や美徳夫人の距離の定賀島へ、
水の引き上げてゆくような大人しさで移って行った。
三ヶ月は不良の死の匂いが辺りに潜んでいる寂しさで、私は二階に立った。
ある日、美徳夫人から
公伝返しにと一冊の貧しい歌集が届いた。
納められた中の和歌は数こそ少なかったが、どれも皆甲二郎氏の遺作ばかりだった。
私は死を献却とばかり思っていたのに、それが歌人だったと知ると、
にわかに身近な者の死に遺免したような緊張を感じ、
粗末な集をまず開いたところから読んでみた。
宵月は、今沈みゆき山の葉に、
おのずさえたる夕なごりみゆ。
夕闇に、白さめにつく山ゆりの、
匂い深きは朝、咲きならむ。
月夜に鳴笛を吹いた献却であるから、
相当に公二郎氏は優雅な人だと私は思っていたが、
しかしこれらの二種の歌を見ると、
私は今まで不吉な色で淀んで見えた葛藤家の一角が、
突然爽やかな光をあげて清風に満ちてくるのを覚え、
襟を正す気持ちだった。
冷えた血し、夜どこにさめて手探りに、
阿古の神具かけなおしけり。
井の端に、物洗いいる我が妻は、
短白音にかけて来たれる。
この歌など、
公二郎氏の短白音にも傍まで駆け寄ってくる
美徳夫人の日常の様子が目に浮かんでくるほどだが、
これらの歌とは限らず、
どの歌も人格の円満さが格調を強め高めているばかりではない。
生活に対して謙虚清澄な趣や、
本文を尽くして自他共々の幸福を祈ってやまぬ偽りのない心境など、
外から隣人として見ていた公二郎氏の恩公失実な態度以上に、
はるかに若に精神の狡猾なところが鳴り響いていた。
しばらくの間、私はこの辺りに無言でせっせと句話を入れてきた
自分の相棒のない生活を除く興味にあふれ、
なお公二郎氏の歌集を読んでいった。
妻を歌い、子を歌う歌はもちろん、
四季折々の気遣いや職務とか人事、
または囚人の身の上を忍ぶ愛情の美しさなど、
百三十二ほどのそれらの歌は、
読み進んでゆくに従い、
私には一句もおろそかに読み捨てることができないものばかりだった。
私ら二人は新年の挨拶以外に言葉を交えたことはなかったとはいえ、
どちらも十数年の月日を忍耐してきた一番の子さんである。
この歌集の序文にも、
加藤公二郎君は剣道よりも後から和歌に入り、
まだ十数年とは経たぬのに、
かくも精神の高さに至ったことは、
強誕に値すると歌の師匠が書いているが、
私には公二郎氏の歌は、
どの一種も思い当たることばかりだったのみならず、
すべてそれは、
死の亡くなってから私に生き生きと話しかけてくる声だった。
私は身を乗り出し、耳を傾ける構えだった。
一剣に、心こもり手をのずから、
身の泡立つをかそかにしれり、
正眼に、構えて敵に向かいつつ、
しばし相手の呼吸をはかる。
これは富山学校の剣道大会に優勝した時の緊張した剣脚の歌である。
次にこういうのがあった。
ことたれる日々のたつきに慣れにつつ、
苦行を求むる心をうすらぐ。
この歌はおそらく、
美徳夫人の情愛にいつとなく慣れ落ち着いてしまった公二郎氏の開婚に沿いあるまい。
このような歌を作った歌人は、
あまり私の知らないところだが、
また私にも同様の開婚が常に忍び寄ってきて、
私を苦しめることがある。
うつしみのもろきいのちの思いつつ、
常の涼しみかりそめならず。
これは囚人を絶えず見守っている人の家に帰った実会であろうが、
この実会がつもりつもって次のような歌となり、
人々の心を襲ってくるのが一種あった。
生きのみを砕きてためよう、
目衆殿。
心をのずと、
冷めてきたらむ。
官司長の情けはまだこの他にもいくつことなく続いていた。
折に触れてと題して、
口をもき、
我にもあらず今日はまた。
あらぬせじい心くもりぬ。
この人は心の騒ぐ日、
いつも嘆き悲しむ歌を読むのが習慣となっているが、
その一つに、
おのがみの、
ととのわざるか人の日に、
かくも心の内騒ぎつつ、
というのがある。
私は自分にもこんな日がしばしば来たばかりか、
他人の日に出会わぬ朝とて、
幾十年の間ほとんどないのを思い、
よくも長年この忍耐をし続けてきたものだと、
我が身を振り返って今さら考えにふけるのだった。
上官の厚き情けにおのがみを、
粉と砕きて、
我は答えむ。
この歌も、
こうじろう氏を思うと嘘ではなかった。
私はこのような心の人物の一人でも、
なくなる損失をこのごろつくづくと思うのだが、
上官に反抗する技術が、
個性の尊重という美名を育て始めた近代人には、
古代人のこの心はどんなに響くものか。
私は今の青年の心中に、
暗さを与えている得も言われぬ合理主義に、
むしろ不合理を感じることをしばしばあるのを思い、
私の子供に、
これではお前の時代は駄目になるぞと叱る思いで、
次の歌を読み続けた。
写されし、さまに見えず我が池の、
白き水蓮、けさ先にけり。
加藤浩二郎氏のこの歌集は題して、
水の蓮、水蓮という、
これは浩二郎氏の歌の詩章の付けた題であるが、
この詩は浩二郎氏の、
睡眠の蓮と書いて水蓮、
について水を水としたまま次のように書いている。
水蓮の美と自然
加藤くんがかつて水蓮によって、
人生を痛く教えられたことがあるといって、
しみじみと漏らされたことがあった。
先年、役所の庭に作った池に、
所長さんのところから一株の水蓮を値分けしていただいたことがある。
この水蓮は、刑務所のEKへ移されてきても、
少しも変わるところがない。
やはり水蓮としての性を十分発揮して、
その可憐な優しい美しい花を開いているではないか。
この水蓮の可憐な花の姿に、
加藤くんは魂を打たれた。
人間であればいかなる偉い人でも、
刑務所へ移されると態度が変わってしまう。
それなのに水蓮は、移されたことも知らぬ顔に咲き誇っている。
何たる自然の偉大さであろう。
てきうべくんば、自分もこの水蓮の花のように、
いかなる事件に遭おうとも、心を動かすことなくありたい。
これが、加藤くんの水蓮によって誤入した心境であった。
高次郎氏の衝撃
師匠というものは弟子の心をよく知っているものだが、
高次郎氏もまた、水蓮のような人として、
師の眼に栄じていたに違いない。
この異化種の最後の二種は、
また師の最後のものらしく、
園塾した透明な名残をとどめている。
師のの眼は、
明け染めにけりさよがらす。
天空高く西に飛びゆく。
大いなるものに打たれて目覚めたる。
身に仰ぎりの枯葉を浴びしき。
高次郎氏の師匠は、
さらにこの花集の間末に、
加藤くんはある夜、役所の帰りに突然私のところへ来て、
雑誌に出た自身の歌を全部清書したいからと言い、
端座したまま夜更けまでかかって清書をし終えた。
その後で酒を二人で飲んで帰都に着いたが、
翌日加藤くんの帰都区の方に接し、
次の日に亡くなった。
人生朝露の如しとはいえ、
余りのことに自分は自筆しそうだと書いてあった。
してみると、
高次郎氏が電車に飛ばされたのは、
自分の花集を清書し終えたその夜の帰都に違いないと私は思った。
私には高次郎氏の師はもう他人のことではなく。
身に火を放たれたような新しい衝撃を感じた。
一度は誰にも来る終末の世界に臨んだ一つの態度として。
端座して筆を握り、
自作を清書している高次郎氏の姿は、
もはや文人の最も本懐とするものに似てみえ、
はっと一犬を浴びた思いで、
私はこの喧嘩の去りゆく姿を今は眺めるばかりだった。
高次郎氏が亡くなってからやがて一周期が来る。
先日家内は私の家のウサギを食い殺した加藤家の猫が、
追いやつれた汚い手でうろうろ食を漁り歩いている姿を見たと話した。
私は折りあらば一度その猫も見たいと思っている。
1969年発行。新調写。新調文庫。
機械。春は馬車に乗って。
より独りを読み終わりです。
そうですか。水蓮ね。水の端と書く水蓮と、
睡眠の末に端と書く水蓮二つとも水蓮みたいですね。
変換の候補に両方とも出てくるからね。
あ、そうか。最後。
移されし様に見えず我が池の白き水蓮、
今朝先にけりの水蓮が、
睡眠の報道を書いてあるわけですね。
この高藤さんの詩章は、
この歌集に水の端というタイトルを付けたということで。
なんかいい文章でしたね。ちょっと読みづらかったですけど。
なんかね、お隣さんの死を観察しているっていう感じがね。
男の人っぽくて、いいですね。やっぱ近所の動向を気にするじゃないですか、男の人。
あそこの土地は何が立つんだろう。
あの家がなくなって、工事計画書とか道路に出てると、
おじさんってよく見てるでしょ。あの感じでね。
この町はどう変わっていくんだ。我が子と捉えて見てる感じがあるんですよね。
その感じがありますね。お隣さんのあの人は何をしてる人ぞ、みたいなね。
また折れあらば、横三里一さん読みたいと思います。
新年一発目お疲れ様でございました。
といったところで、今日のところはこの辺で。また次回お会いしましょう。おやすみなさい。