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寝落ちの本ポッドキャスト。
こんばんは、Naotaroです。
このポッドキャストは、あなたの寝落ちのお手伝いをする番組です。
タイトルを聞いたことがあったり、実際に読んだこともあるような本、
それから興味深い本などを淡々と読んでいきます。
エッセイには面白すぎないツッコミを入れることもあるかもしれません。
作品はすべて青空文庫から選んでおります。
ご意見ご感想は、公式Xまでどうぞ。
さて今日は、伊丹万作さんの、
映画と民族性というのを読んでいきたいと思います。
以前も読みましたね、伊丹万作さん。
伊丹十三監督のお父様でらっしゃるということで。
絵本の親本が1944年発表となっているので、
がっつり戦時中ですかね、その頃の思想というか、
その頃が背景にあるというのを踏まえて、聞いていただければと思います。
それでは参りましょう。
映画と民族性。
既にある芸術を政治が利用して有効に役立てるということはいくらも礼のあることであるが、
政治の必要から新たにある種の芸術を生み出し、
しかも短期間にそれを完成するというようなことはほとんど不可能なことで、
未だかつてそのようなことが芸術の歴史に記されたためしはない。
太平洋戦争が開始されて以来、外地向け映画の問題がやかましく論議せられ、
各人各業の説が横行しているが、具体的には何の成果も上がらないのは、
芸術の生命が政治的要求だけで自由にならないことを証明しているようなものである。
ある種の芸術が昭和20年代の政治に役立つためには、
遅くともそれが昭和の初年には完成していなければならぬし、
そのためにはすでに明治大正の頃に十分なる基礎が与えられていなければならぬ。
明治大正の頃には我々は何をしていたか、そして君たちは、
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今となって外地へ持ち出す一本の映画もないと叫び、
その原因を挙げて映画芸術家の無能低劣のゆえに起し、
口を極めてこれを罵る人がある。
ああ、こらい、他の責任を解くほど安いことはない。
それで物事が解決するようなら、私もまたよくそれをすることができる。
すなわち、かくも無能低劣なる我々に映画を任せきりにして、
今まで帰りみようともしなかったのは誰の責任であるかと、
しかし隠して互いに泥の投げ合いをすれば、
お互いが泥まみれになるばかりでついに得るところはない。
日本映画の進出に関する法則については、今までにおびただしい議論が繰り返されたが、
私の見るところでは、代々においてそれを二つの傾向に分かつことができる。
すなわち一つは、特別に、いわゆる外地向きの映画を規格制作すべしという意見。
他の一つは、ことさらに外地向きなどということを顧慮せず、
優秀なる映画さえ制作すれば、進出は期して待つべしとなす議論である。
細かく拾っていけばなお、この他にも幾ばっかの意見があるであろうが、
方針の根幹はおよそ右の二頭に尽きるようである。
順に言ってまず最初に、外地向き映画特性論を検討してみるが、
ここでまず問題になるのは、いわゆる外地向きとはいかなる言われかということである。
論者は簡単に言う。
すなわち取材の範囲を拡張せよと。
また言う。
雄大なる構想をねれと。
もちろんいずれも結構なる議論である。
私にはこれらの意見に反対するいささかの理由もない。
それらは当然なさねばならぬことであるし、またできるときがあると思う。
しかしながらそれは、きょう言ってきょうできることではないのである。
私はここでもまた、いうことのあまりに安気を投げ飾るを得ない。
心身に思え、国民学校の一年生でも、
今日先生の教えを理解し得るのは、
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過去六年間の過程の訓導が基礎を成しているからである。
我々の過去に何の訓導があったか、
解く者はまた言う。
セリフの多い映画は不向きであるから、
極力セリフを少なくし、
動きを多くし、
あたうべくんば活劇風のものを作れと。
あるいはそれもよいだろう。
しかしそれをなすためには、複雑な内容を忌避しなければならず、
したがって我々は意識的に一応退化しなければならない。
一歩でも半歩でも、
絶えず前へ進むところに、
芸術に携わる者の喜びがある。
後ろへ進めと言われて、
熱情を沸かし得る者があるかどうか、
説をなす者はさらに言う。
畳の上に座がする日本の風習は、
彼らの笑いを買うから面白くない。
百姓の生活は見せない方がよい。
貧しい階級の生活は見せない方がよい。
あるいは違くなり、違くなり。
ここに至って私は、彼らに反問せずにはいられない。
そもそも君たちは映画を何と心得ているのかと。
国民の生活を反映しないような映画は、すでに映画ではないのだ。
芸術とは民族の生活の上に咲く花なのだ。
他国の人間の尻馬に乗って、
百姓の姿を醜く感じるようなものはないはずである。
百姓の姿は醜く、
背広を着た月球鳥は美しいというのか。
そして、貧しい勤労者の生活を描くことは恥辱で、
とみて暇多き人生を描くことは光栄なのか。
世界のどこに貧者のおらぬ国があろう。
世界の経済は、そして国家の生活力は、
ほとんど彼ら貧しい者の勤労によって維持されているではないか。
格の如き重要なる国家の公正分子の生活を除外してどこに芸術があろう。
日本には百姓もいない、貧者もいない。
いるのは軍人と金持ちだけであり、
それが立派な洋館に住み、
洋服を着て椅子に腰掛け、
動けば雄大なる構想を持って大活躍を演ずるというのが、
彼らの言う外地向きの映画なのだ。
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このような映画の作れる人は作るがいい。
私には不可能である。
ここで第二の意見の検討に移る。
すなわち、優秀なる映画さえ作れば、進出は期して待つべしという説である。
なるほど、この説はある程度まで正しい。
しかし、要するにある程度までである。
なぜか。
今、それを明らかにする。
芸術が民族の生活の上に咲く花だということを私はすでに言った。
ここに大きな問題がある。
もちろん芸術には国際性もある。
優れた芸術にして、しかも国際性を持つものは、
その属する民族の生活を潤した上、さらに流出し国境の外へ広がっていく。
しかし、いかに優れた芸術でも、あまりにも民族性が濃厚で国際性に乏しい場合は、
よそで理解されず、したがって国境を越えない場合がある。
例えば馬匠の俳句である。
万葉の歌である。
これらは民族の芸術としては世界に誇っていいものであるが、国際性はない。
しかるに浮世絵の場合になると、
あれほど民族性が濃厚でありながら造形芸術なる故に、
案外理解されて国境を越えていった。
あるいは浮世絵の持つエロチシズムが多分に働いているかもしれないが、
ここには無論、芸術の範疇の問題もある。
すなわち絵画は文学よりも国際性があり、
三文は詩よりも国際性に富むという類である。
例えば優豪といえば、我々はすぐにレ・ミゼラブルを想起するが、
彼の本国において三文作家としての優豪よりも、
詩人としての優豪の方がはるかに高く評価されているようである。
しかし我々は優豪に詩があることさえろくに知らない。
この一例は、芸術の範疇によって国際性に系定のある事実を端的に物語っているが、
同時にまた、価値の高いものでさえあれば、
国際性を持つという意見が必ずしも正しくないことを証拠立てているのである。
さらに次のような例もある。
すなわち我々は過去において外国の探偵小説を読み、
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それらの作家の名前まで覚えてしまった。
しかしそれらとは比較にもならないほど、
高い作家である森鴎外の名を知っている外国人が果たして何人あるだろう。
ここにもまた国際性が決して価値に比例しない実例を見る。
優れた作品を作りさえすれば、
それらはやすやすと国外に進出するという楽観論は、
芸術に国際性のみを認めて民族性のあることを見落としたずさんな議論であって、
まだ思考が浅いのである。
今日本の政治は何より映画の国際性を利用しようと焦っているのであるが、
ここで特に異性者に深く考えてもらいたいことは、
芸術においては国際性というものはむしろ第二義の問題だということである。
しからば芸術における第一義の問題は何か。
他なし、芸術の第一義は実に民族性ということである。
諸君らは浜物という言葉を知っているであろう。
言い換えれば横浜芸術である。
民族に根差し、民族に生まれた芸術が自己の民族に対する奉仕を忘れて、
国際性を第一義とし輸出を目的とした場合、
それはたちまち浜物に転落し、国籍不明の根結地が出来上がるのである。
新しき土はその悲惨なる一例である。
この種のものは芸術国日本の進化を傷つけこそすれ、
決して真の意味の政治に役立つはずはないと私は今にして確信する。
繰り返して言う、
芸術は何よりもまずその民族のものである。
したがって自己の所属する民族に奉仕する以外には何事も考える必要はない。
否、むしろ考えてはならぬのである。
自己の民族への奉仕を全うし、
民族芸術としての責務を果たした上、
さらに余力をもって国境を越えてゆくなら、
それは喜ばしいことであるが。
最初から他の民族への迎合を考えて、
うこさべんし始めたら、それはすでに芸術の自殺である。
およそ民族にはそれぞれ異なる事情がある。
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アメリカにはアメリカの事情があり、
我々には我々の事情がある。
他の民族の垣は低く、我が民族の垣は高いのである。
垣とはすなわち風俗、習慣、言語の隔てを意味する。
我が畳に座し、他が椅子に座るのは風俗習慣の差であって、
それが直ちに文化の肯定を意味するものではない。
かつて安財幸彦は、
規制川の陣に葬会する頼朝義経の像を描いて、
三大美術の精髄を謳われたが、
ことさらに図中、頼朝の座画の美しさは比類がない。
また、風呂町紀以降の多くの武将の座像、
あるいは後醍醐天皇の座像の安定した美しさなど、
所詮、椅子に腰掛けている人種の
うかがい知るべきものではないが、
私はこれらの美を介し得ない彼らに、むしろ同情を禁じ得ない。
我々の感じる美、我々の刺激する芸術的環境は、
常にあるがままなる民族の生活、
その風俗習慣の中にこそあるのである。
他民族がもしも、我々の映画の中に、
畳の上の生活を見て、見にくいと言うならば、
見てもらわぬまでである。
他民族の意を迎えるために、
我々の風俗習慣を歪曲した映画を作るが如きことは、
良心ある芸術家の堪えうべきことではない。
もちろん現在、我々の映画はその表現において、
技術において、
残念ながら世界一流の域には遠く及ばないものがある。
我々は一日たりとも、
その及ばざるところを追求する努力を怠ってはならないが、
しかしたとえ我々の映画が、
一流の域に達した暁においても、
我々の特殊な風俗、習慣、言語の垣根は、
決して低くはならないことを明記すべきである。
そしてその時にあたって、
我々映画の進出を阻む理由が一にかかって、
これらの垣根にあることが明らかにされたならば、
もはやそれは天意である。
我々はもって明すべきであろう。
明すべきであろう。
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私はここで、一時アメリカの映画が世界を風靡した事実を想起する。
我々はそれをこの目で見てきた。
アメリカの映画業者にとっては地球の全面積が市場であり、
彼らの住む西半球は市場の一部にしか過ぎなかった。
このような映画の歴史は、
人々の頭にあまりにも強烈な印象を焼き付けてしまった。
そのため、人々はともすれば、
映画に民族性のあることを忘れ、
国境を無視して流行することが、
映画の第一義であるかのごとく錯覚してしまったのである。
しかし私をして言わしむれば、
これらの事実は、世界がまだ芸術としての生育を遂げ得ない、
過渡期の変態的現象に過ぎなかったのである。
もしも映画が真に芸術であるならば、
それは何よりもまず民族固有のものとならなければならぬ。
そしてこのことは、徐々にではあるが、
現に世界の隅々において、
現実化の方向をたどりつつある課題である。
近くは、我々に最も同化しやすいと言われる朝鮮の人々さえ、
我々の提供する映画だけでは物足らず、
彼が自身の映画を作り出すために苦悩を続けているではないか。
かつて映画が言葉を得て、自由に喋り始めた時、
ある人が、映画は言葉を得たことによって、
かえって国際性を失い、退化したと嘆いた。
何ぞ知らん国際性を失った代わりに、
映画はその時初めて確実に、
民族の懐に還ったのである。
不老生を生産して、深く民族の土に根を下ろし始めたのである。
これを退化とみるか、進化とみるかは、各人の自由であるが、
少なくとも私は、映画が明日ともに、
芸術としての第一歩を踏み出したのは、
実にこの時からであると考えている。
今にして思えば、アメリカ映画が、
もっともその国際性を発揮したのは、
やはり無性映画の末期であり、
ちょびひげをつけ、山高帽をかぶり、
ダブダブのズボンを履いた同家男が、
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悲しい微笑を浮かべて、世界中を駆け回った時に、
とどめを刺すのである。
アメリカ映画の黄金時代を象徴するものは、
この悲しい同家であるが、
同時にそれは、芸術以前の映画の姿をも、
象徴しているのである。
私がこの小論で述べようと思ったことは、
以上でほぼ尽きたわけであるが、
この議論をさらに押し進めていくと、
結局映画工作は、それぞれの地理的関係のもとに、
映画を育成することに、
重点を置くべしということになりそうである。
しかし、現地の事情について、
何ら知るところのない私が、
そこまで筆を走らせることは不謹慎であるから、
ここではそのような具体策にまでは触れない。
ただ、私がここで何よりも問題としているところは、
むしろ思考の出発点についてであり、
要するに民族性を離れて、
いかに映画を論じたところで、
決して回答は出てこないということさえ警告すれば、
それでこの一文の役目は終わったのである。
1961年発行。筑波書房。
真相版。板見満作全集1。
より読み終わりです。
前もそうだったんですけど、
前は何だったかな。
映画と音楽だったかな。
やっぱり熱いですね、芸術家は。
文章の熱量がすごいですね。
これ手書きだったらものすごい筆圧で書いてるでしょうね。
今はね、アニメとかが世界に接近してますからね。
ということで、本日はこの辺りで終わりにしたいと思います。
それでは皆様、おやすみなさい。