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2024-04-11 16:17

019斎藤茂吉「遍路」

019斎藤茂吉「遍路」

俗世と離れて修行の道を選んだ人たちとの出会い。軽やかですが実際は大変そうな山道を行きます。今回も寝落ちしてくれたら幸いです。


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寝落ちの本ポッドキャスト こんばんは、Naotaroです。
このポッドキャストは、あなたの寝落ちのお手伝いをする番組です。 タイトルを聞いたことがあったり、
実際に読んだこともあるような本、 それから興味深そうな本などを淡々と読んでいきます。
エッセイには面白すぎないツッコミを入れることもあるかもしれません。 作品はすべて青空文庫から選んでおります。
ご意見ご感想は、公式Xマークまでどうぞ。 さて、今日は
斎藤茂吉さんの
「遍路」という テキストを読んでいこうと思います。斎藤茂吉さん、僕、小学校の頃
国語の教科書に出てきましたね。 阿良々木派を確立した佳人だそうです。
で、このタイトルの遍路は、 あの、お遍路さんの遍路ですよね。
えっと 四国88か所巡り
で有名な。 あれは修行なさっているんですかね。
なんかお遍路さんにみんなが差し入れをしたりする、 しているのだなぁというイメージはありますが、
お遍路さんに会ったという話をしてくれています。 しかもこれは四国じゃなくて和歌山っぽいですね。
熊野古道って言うんですか。 霊言荒高そうな。
それでは回りましょう。 遍路。
那智には勝浦から電車に乗って行った。 上り口のところに着いた時に豪雨が降ってきたので、
そこでしばらく休み、すっかり雨装束に準備して滝の方へ登って行った。 滝は華厳よりも規模は小さいが、思ったよりも良かった。
石畳の道を登って行くと、僕は息切れがした。 さてこれから船見峠、
大雲取りを越えて、小口の宿まで行こうとするのであるが、 僕に行けるかどうかという懸念があるくらいであった。
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那智御元に参拝し、今度の行程について祈願をした。 そこを出てきて、小さい手穴、栗口のようなところに、
魚商人門内通行金と書いてあり、 その側に
魚売る人通り抜けならんと注釈してあった。 滝見屋というところで腹をこしらえ、弁当を用意し、
船立を雇っていよいよ出発したが、 この山越えは僕には非常に難儀なものであった。
いにしえの熊の道であるから、石が敷いてあるが、 今は全く荒廃して雑草が道を埋めてしまっている。
T君は平家の盛んな時のことを話し、 清森が熊の堂からすぐ引き返したことなども話してくれた。
僕は一足ごとに汗を道に落とした。 それでも山を登りつめて、
下りになろうというところに腰を下ろして、弁当を食い始めた。 道にあふれて流れている水に口づけて飲んだり、
梅干しの種を向こうの笹やぶに投げたりして、 できるだけ長く休む方が楽であった。
そこに一人の辺路が通りかかる。 辺路は今日小口の宿を立って那智へ越えるのであるが、
今はこういう山道を越えるものなどはほとんど絶えて、 僕らのこの旅行などもむしろ推敬に思えるのに、
辺路は実際ただ一人してこういう道を歩くのであった。 辺路をそこに呼び止め、いろいろ話をしていると、
この年老いた辺路はシナノの国、スワ軍のものであった。 ティ君はあの辺の地理に詳しいので、すぐ辺路の村を知ることができた。
しかしこの辺路は一生こうして諸国を遍歴して、 どこの国で果てるかわからぬというのではなかった。
国には妻もあり子もあったが、 新人のためにこうして他国の山中をも歩き、
今日は那智を参拝して、おいおい帰国しようというのであるから、 善とはそう患難ではなかった。
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ティ君は朝鮮飴一切れを出して辺路にやった。 辺路はそれを教いただき、
それを食べるかと思うと、 胸にかけてある袋の中に丁寧にしまった。
僕などはこの辺路から大変勇気づけられたと言っていい。
そうしてついに大蜘蛛も越えて、小口の宿に着いたのであった。 実際日本は現代になっても、こういう種類の人間もいるのである。
辺路はむろん、罪を犯して逃げ回っているものなどではなかった。 辺路の這いているゴム底の旅を褒めると、
どうしましてこれは藁地よりか倍もくたびれる。 ただ藁地では金買いって叶えませんから、
というのであった。 これは大正十四年8月7日のことである。
一夜明けて僕らは小口の宿を立って、 コグモトリのお見寝越しをし、
熊野本宮に出ようというのである。 そこでまた仙達を新規に雇った。
川を渡ったりして、そろそろ上りになりかけると、 細かい雨が降ってきた。
僕らはしばし休んで、河童を見に来始めた。 その時、
遥か向うの峠を人が一人登っていくのが見える。 やはりこっちの道は今でも通るものがいるらしい。
などと話し合いながら、 息をきらしきらし登っていった。
30分もかかってようやく一つの坂を登りつめると、 そこで一段落がつく。
そこに一人の返路が休んでいた。 さっきの雨がすでに上がっているので、
返路は御座を敷いて、その上で 刻み煙草を吸っていた。
見晴らしが良く、 雲がしきりに動いている山々も眼下になり、
その間を川が流れて、 そこの河原に牛の犬なども見えている。
僕らもそこでしばらく休んだ。 今度の返路は昨日のと違って、まだ若い青年である。
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先ほど見た一人の旅人は、この返路であったのだから、 返路はかれこれ30分もここに休んでいるのであった。
返路は目が悪いということを言った。 なるほど、彼の目は片方まったくにごり、
もう片方の瞳にも雲がかかっていた。 返路の話を聞くに、もとは大阪の職人であった。
相当に腕が利いたので、 暮らしにことを書くということはなかったのだが、
ふと目を患って、ほとんど失明するまでになった。 そこであわてて大阪医科大学の治療を行ったけれども、
いかにも思わしくはない。 そのうち片方の目はつぶれてしまった。
それのみではなく、もう片方の目もそろそろ見えなくなってきた。 彼は切羽詰まって思い悩んであげく、
まったく浮世を捨てて神仏にすがり、 四国返路を思い立った。
しかるに、虚所不定の身となり、 霊場をめぐっているうちに、片方の目が少しずつ見えるようになってきた。
彼はますます神仏にすがって、とうとう四国の返路を終えた。 そのときには目がよほどよく見えるようになった。
そのとき彼はもうこれぐらいでたくさんである。 もうそろそろ新人の方も見切りをつけて、
浮世の仕事をしてみようと思ったそうである。 そして俊々しているうちに目は再びかすんできて、
もとのようになりかけたそうである。 彼は驚き、心をけして再び返路の身になってしまった。
そしてすでに数年を経た。 今日は小口の祝をたって、熊野の方へ越えようとしているのだと、こういうのであった。
彼はそういうことを、こと細かに大阪弁で話した。 ただし僕は大阪弁を写生することが得手ではないから、そのまま書くことができない。
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返路はけれども現在の状態に安住してはいなかった。 若い身空を働きもせず、
現世の欲望をも満たそうともせずにいることが残念でならなかった。 彼は、「いまいましい。」という言葉を使った。
T君は返路に五十銭くれたが、 遠慮しながら丁寧にそれをしまった。
それから返路は、M君のくれた紙巻煙草を一本その場で吸った。 僕らは返路をそこに残して、一足先に出発した。
一山めぐって、もう一つ山に差し掛かろうとする頃、 後ろの方で鈴の音がかすかに聞こえてきた。
奴も歩き出したね。 あの奴なかなか面白いね。
プリプリ言っているところなんか面白いじゃないですか。 「いまいましい。」なんて言いましたね。
いまいましくても、遁性の実行家だね。 あれだけの生活はカトリック教徒の労働者なんかではできないよ。
強いられた実行なんですね。 そうかもしれない。ただし観音力にすがるところに盲目的な強みがあると思いますね。
一時流行した冷めた人間には、ああいう苦行生活は到底できませんよ。 しかしみんながみんな遁性母代でも困りますからね。
そうかもしれない。僕らが疲れ切って、 熊野本宮に着いたのは午後二時ごろであった。
そこで熊野厳言に参拝した。 熊野川は藍色に澄んで、木前を流れている。
今日の途中に山橋からたまたま熊野川が見えだし、 発動機船の鋭い音が山にこだまさせながら聞こえていたが、
あれも山水に新しい気持ちを起こさせた。 この山越えは僕にとっても不思議な旅で、
これは全くT君の励ましに酔った。 しかも偶然二人の返路にあって随分と慰安を得た。
なぜかというに、僕は昨年の冬、火災にあって以来、 全くの善との光明を失っていたからである。
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すなわち当時の僕の鑑賞主義は、曇ったまなこ一つで、 とぼとぼと深山悠国を歩む一人の返路を忘却しがたかったのである。
しかもそれは近代主義的返路であったからであろうか。 僕自身にもよくわからない。
1981年発行 岩波書店 斉藤茂吉選手第8巻より読み終わりです。
賢能な地形に広がる、雄大な自然に神を見て、 修行の場に選ぶということですね。
一回行ってみたいですけど、和歌山県。 それから四国ね。
皆さんは何を感じたでしょうか。 それでは今日のところはこの辺で、また次回お会いしましょう。
おやすみなさい。
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