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寝落ちの本ポッドキャスト、こんばんは、Naotaroです。
このポッドキャストは、あなたの寝落ちのお手伝いをする番組です。
タイトルを聞いたことがあったり、実際に読んだこともあるような本、
それから興味深そうな本などを淡々と読んでいきます。
エッセイには、面白すぎないツッコミを入れることもあるかもしれません。
作品はすべて青空文庫から選んでおります。
ご意見・ご感想は、公式Xまでどうぞ。
さて、今日は、窪田空穂さんの
「冬至の南瓜」というエッセイを読んでいこうと思います。
まず、この窪田空穂さんということですが、
万葉集以来の長歌、長歌の再生に尽力された方で、
亡き妻や子供を歌った歌が有名だそうです。
それからですね、今回のエッセイ「冬至のかぼちゃ」というものは、
食べ物の方言というものをフォーカスを当てたもので、
まず皆さん、普段使う言葉、
僕は今、標準語だと思うんですけど、標準語なのかな?標準語でしょうね。
これが大阪の方に行けば、関西弁が出てきたりしますよね。
それから、九州の方に行けば、九州の博多弁であるとか、
あとは、何ですか、薩摩弁、鹿児島弁、
本州北の方に行けば、青森の津軽弁とか、
いろいろ方言がありますよね。
言葉に方言があるように、食べ物もちょっと方言があるんじゃないかっていう風に
フォーカスを当てたエッセイです。
事実、天ぷら、串揚げの天ぷらで、紅生姜の天ぷら好きだなって思った方は、
関西の方らしいんですよ。
関西の方以外はほぼ食べれないらしいので、紅生姜天。
僕はたまたま行った店にあったので好きですけど。
それから、おあんの中にあずきのあんこともちが入ったやつを何と呼びますか?
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ぜんざいですか?おしるこですか?
これがですね、愛知県、岐阜県、富山県から西はぜんざいと呼び、
本州を今、縦断してますよ、南から。
静岡県、長野県、新潟県から東はおしることを呼ぶそうです。
僕は東京の人間なので、おしるこはなじみがあるかなという気がしますね。
ぜんざい、ぜんざい。
このようにかように、ほとほとさようにですね。
いろんな、同じ食べ物を指して他の呼び名がある。
いわゆる食べ物も方言があるんじゃないかみたいなことを言っている物語です。
物語なのかな?エッセイですかね。
僕もどういう着陸地になる話なのかわからないですが。
まあでも、たぶん軽い内容なので聞いてみてください。
くぼたうつぼ 当時のかぼちゃ
12月22日、冬日差しがまぶしくてってはいるが、
めっきりと寒くなった日の午後、A君という
青年と中年の中間先輩の人が用を足しに来た。
用が済んだ後、今日はいよいよかぼちゃを食べる日になったね、
と最末の挨拶気分で言った。
するとA君は急に笑い出して、少し以前のことですがね、
出入りをしていた百姓が当時前にかぼちゃを持ってきたんです。
私はそれを見て、
なんだこんな裏なりのかぼちゃなんかを、
うまくもないものって怒ったんです。
私の家では当時のかぼちゃってものを食べたことがないので、
それまで知らなかったんです、と言った。
ご両親、苺の方とか言いましたね。
A君はうなずくので、
当時のかぼちゃって地方的なものかしら、と私は胃ぶかった。
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それというのが、私は新州の生まれで、
新州ではどこでも食べているのに、
国続きの越後では食べないらしいからの胃ぶかりであった。
それかといって、東京の八百屋には、
当時かぼちゃの並ぶことを目に見ている。
その晩、私の家では、
例によって当時かぼちゃを食べた。
むろん、紙棚にも備えてあった。
私は家内に、
お前、子供の時から当時のかぼちゃを食べてきたかい?と尋ねた。
家内は東京生まれで、
父親は仙台市の人である。
食べてきましたがね、
どこでもってわけじゃないでしょう。
と曖昧な返事である。
お前は?と、
せがれの家内に尋ねた。
これも東京生まれで、
両親は伊勢の人である。
食べませんでした。
と言う。
ご不思議には、
前後不適にかぼちゃを食べるものだと、
漠然と決めつけていて、
これまで尋ねてみることもしなかった。
私は、そうかな?と、
ちょっとしたことだとはいえ、
反動的に、
意外な感がせざるを得なかったのである。
当時は、3月3日、
1月5日とともに、
時代に衰退してきた不思議の中でも、
命脈を保って、
大切にされている不思議である。
不思議のことは、
従前の歌や、
物語に限りなく出ている。
不思議は文字通り、
季節の移り目の日で、
その頃は、
身体の最も不健康に陥りやすい時である。
それを乗り切るために神を祀り、
神銭を供え、
その余りを自分たちも食べて、
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信条をもらおうとするのである。
3月の節句の白酒、
ひしもち、
あられ、
おめいりに至るまで、
やや古い時代にあっては、
それぞれ由緒のある貴重の品だったのである。
1月5日の柏餅は、
餅を柏の葉に盛るという、
最古の方を守ってのものである。
当時のかぼちゃは、
それらの品に準ずる扱いを受けてのもので、
これを用い始めた時代にあっては、
得やすい一般的なものであったろうが、
同時に賃金で、
微身で、
神も可能したものと
信じられたものでなくてはならなかったわけである。
辞書は簡単ながら、
かぼちゃの説明をしている。
かぼちゃという名称は、
インドシナの
カンボジアを誇ったものであり、
この地はポルトガル船の寄港地であったという。
我が国でかぼちゃを植え始めたのは
A6の頃で、
食い始めたのは
天章の頃だと言っている。
それだと当時、
我が国に通っていたポルトガルの貿易船が
インドシナから襲来したもので、
その頃は、
我が国は川中島の戦い、
桶狭間の戦いをしていた時代で、
起源で言うと、
1550年代の終わりから
60年代の初頭で、
16世紀の中央である。
当時のかぼちゃは、
その頃からやや下っての時代から始まった風習であろう。
そう思うと、
今、家族の前に並べられている一腕のかぼちゃも、
良縁な風習を伝えたものとなって、
勘のまつわるものとなってくる。
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A君の言ったように、
今ではさして上手くもないものであるが、
甘味というものを極めてえがたくしていた当時にあっては、
このもののもつ甘みは、
人気美味、
この上もないもので、
まさに神前に備えるにたるものであったろう。
当時のかぼちゃは、
東京ではかなり衰退してしまっていることを、
私は今日、偶然にも知ったのであるが、
そういえば、かぼちゃの煮方も変化していることを思わせられる。
私たちの前にあるかぼちゃは、
あずきが多量に入っていて、
そのほうが重になっているほどである。
これは私のきょうりの家の煮方に習ってのものであるが、
それにつき思い出すのは、
私の十代のはじめ、
松本藩司であった老人が、
父との雑談の中に、
あの煮方は手前の家で始めたものだというのを耳にした記憶がある。
私たちのわんの中には、
さらにだんごもまじっている。
当時のかぼちゃを食べる家でも、
すでに変化をくわえくわえしているのである。
新鮮としての当時のかぼちゃを、
家族一同、新鮮で食べることによって、
冬の時期を健康に過ごし得るという信頼を、
個人は持ち得たのであるが、
今は私自身、すでに持てなくなってしまっている。
これはまさしくマイナスであって、
プラスではない。
プラスを求めつつしている努力は、
ただマイナスにしただけで、
プラスはまだ確立していない。
新たなるプラスは将来のものである。
小豆に埋もれて、
だんごと共にあるかのようなかぼちゃよ。
これによって、生活の幸福感を満たした
個人に憐れまれつつ、
今年の当時のかぼちゃとして口にしよう。
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先刻、ラジオの転機予報は、
苗長は0か2のだと知らせた。
みちやすいふけた腹ではあるが、
いまいちわんわと思って口にしよう。
1984年代一冊発行。
作品社より日本の名水質20。
冬より読み終わりです。
冬の本でしたね。
かぼちゃ、お好きですか?
僕は全然好きじゃないですね。
何がいいのか。
甘いふかした芋。
昔の人は好きだったのかなと思うんですけど。
お好きですかね。
だいぶ、いにしえの子供の自分に、
母親が、母親なのか、もらってきたものなのか、
かぼちゃの煮物を出してもらった記憶がありますが、
オードル色のカニっぷの外側の黒っぽい緑色の皮は、
そんなに食えた味もしないし、
みなぶはちょっと甘ったるいし、
パンプキン、お隣だってちょっとパンプキンスープとか、
まあまあちょっとおいしいのかなと思うようにもなりましたが、
今の若い人はどうなんでしょうね。
そんなに触れる機会もないんじゃないかなと思いますよね、かぼちゃ。
どうですか?
僕は本当に、
賞味なところを言えば、大人、
一人暮らしをしてからかぼちゃにお金を使ったことは一度もないですね。
一回も課金したことがないです。
かぼちゃの何々を買ったことがないですね。
まあそうは言ってますけど、またいつか
ブームがやってくるのかもしれませんけど、
もうちょっと食の方言的なことに
終始する話だったら面白かったなと思ったんですけど、
ちょっと違いましたね。
その辺ちょっと見切り発車すぎたかもしれません。
今日のところはこの辺で終わりたいと思います。
それでは皆様おやすみなさい。