寝落ちの本ポッドキャスト、こんばんは、Naotaroです。
このポッドキャストは、あなたの寝落ちのお手伝いをする番組です。
タイトルを聞いたことがあったり、実際に読んだこともあるような本、
それから興味深そうな本などを淡々と読んでいきます。
エッセイには面白すぎないツッコミを入れることもあるかもしれません。
作品はすべて青空文庫から選んでおります。
ご意見、ご感想、ご依頼は、公式エックスまでどうぞ。
寝落ちの本で検索してください。
それから番組フォローもどうぞよろしくお願いします。
さて、今日は長らく手をつけるのを避けてきた、
谷崎潤一郎さんの陰翳礼賛というテキストを読もうと思います。
長そうなんですよ。
ボリュームがありそうだったので避けてきましたが、
いよいよ取り組もうかと思います。
谷崎潤一郎さん、代表作に優しさ欲のための起誘曲、
悲願先生、大敗姉妹などがあり、
性愛を通じて単美主義を追い求めたことで知られ、
スタリズム、マゾヒズム、フェテシズムなどを扱いながら、
本邦で魅惑的な女性像を描いた作品を多く残す。
ということでエロオヤジですね。
すごいむさ苦しい見た目を想像するかもしれませんが、
この前写真見たら意外とつるんとしててニューアな感じなんですけど、
ニューアな感じでした。
女王様にあてた手紙が残っているらしくて、
なんかすごいドMだったらしいんですけど、
そのお手紙の中にね、
私の心、体、財産、それから私の兄弟や親に至るまでの
その全てを捧げさせていただきたい所存、
それをもってあなた様のおそばに、みたいな厚い文章が残っていましたけど、
家族巻き込んでんじゃねえっていうね。
お前一人でやれっていう。
はい、そんな谷崎潤一郎さんの陰影来参です。
長いですよ。
90分くらいかかるのかな。
何とかお付き合いいただければ幸いです。
それでは参ります。
陰影来参。
今日不審増落の人が純日本風の家屋を建てて住まおうとすると、
電気やガスや水道等の取り付け方に苦心を払い、
何とかしてそれらの施設が日本座敷と調和するように工夫を凝らす風雨があるのは、
自分で家を建てた経験のない者でも、
待合料理や旅館等の座敷へ入ってみれば常に気が付くことであろう。
ひとりよがりの茶人などが科学文明の温宅を土返しして、
偏比な田舎にでも相安を営むなら格別。
いやしくも相当の家族を要して都会に住居する以上、
いくら日本風にするからといって、
近代生活に必要な暖房や照明や衛生の設備を知りづけるわけにはいかない。
で、孤立症の人は電話ひとつ取り付けるにも頭を悩まして、
はしご壇の裏とか廊下の隅とか、
できるだけ目障りにならない場所に持って行く。
その他、庭の電線は地下線にし、
部屋のスイッチは押入れや地袋の中に隠し、
コードは両部の影を這わすといろいろ考えてあげく。
中には神経質に作為をしすぎて、
かえってうるさく感じられるような場合もある。
実際、電灯などはもう我々の目の方が慣れっこになってしまっているから、
生地なことをするよりは、
あの在来の乳白ガラスの浅いシェードをつけて、
玉を剥き出しに見せておく方が自然で素朴な気持ちもする。
夕方、汽車の窓から田舎の景色を眺めているとき、
かやぶきの百姓家の障子の影に、
今では時代遅れの下、
あの浅いシェードをつけた電球がポツンと灯っているのを見ると、
風流にさえ思うのである。
しかし扇風機などというものになると、
あの音響といい、形態といい、
未だに日本座敷とは調和しにくい。
それも普通の家庭なら、
いやなら使わないでも済むが、
夏向き客商売の家などでは、
主人の趣味にばかりこびるわけにいかない。
私の友人の開楽園主人は、
ずいぶん不審に凝る方であるが、
扇風機を嫌って、
久しい間客間に取り付けずにいたところ、
毎年夏になると客から苦情が出るために、
結局画を追って使うようになってしまった。
各有私なども、
千年身分不相な大金を投じて家を建てた時、
それに似たような経験を持っているが、
ピカピカ光る金属製のハッシュなどがついている 全体私の注文を言えばあの器は男子用のも女子用のも木製のやつが一番いい
ロー塗りにしたのが最も結構だが 生地のままでも年月を経るうちには適当に黒ずんできて
木目が魅力を持つようになり不思議に神経を落ち着かせる 分けてもあの木製の朝顔に青々とした杉の葉を詰めたものは目に心良いばかりでなく
些細の音響も立てない点で理想的と言うべきである 私はああいう贅沢な真似はできないまでもせめて自分の好みにかなった器を作り
それ推薦式を応用するようにしてみたいと思ったのだが そういうものを特別にこしらえるとよほど手間と費用がかかるので諦めるより他はなかった
そしてその時に感じたのは照明にしろ暖房にしろ便器にしろ 文明の力を取り入れるのにもちろん意義はないけれどもそれならそれでなぜもう少し我々の
習慣や趣味生活を重んじ それに順応するように改良を加えないのであろうかという一時であった
すでに安頓式の伝統が流行りだしてきたのは我々が一時忘れていた 神というものの持つ柔らかみと温かみに再び目覚めた結果でありそれの方がガラスよりも
日本家屋に適することを認めてきた証拠であるが 電気やストーブは今もってしっくり調和するような形式のものが売り出されていない
暖房は私が試みたように炉の中へ電気炭を仕込むのが一番良いように思うけれども かかる簡単な工夫をすら施そうとするものがなく
貧弱な電気火鉢というものはあるがあれは暖房の用をなさないこと 普通の火鉢と同じである
出来合いの品といえば皆あの不格好な西洋風の暖炉である こういうさまつな衣食住の趣味についてあれこれと気を使うのは贅沢である
寒暑や飢餓をしのぐにさえ足りれば様式などは問うところでないという人もあろう 事実
いくら痩せ我慢をしてみても雪の降る日は寒くこそあれ で眼前に便利な器具があれば風流不風流を論じている暇はなく
とうとうとしてその音沢に欲する気になるのはやむを得ない 数勢であるけれども私はそれを見るにつけてももし東洋に西洋とは全然別湖の土口の
科学文明が発達していたならばどんなに我々の社会のありようが 今日とは違ったものになっていたであろうかということを常に考えさせられるのである
例えばもし我々が我々独自の物理学を有し 科学を有していたならば
それに基づく技術や工業もまた自ら別様の発展を遂げ 日曜100番の機械でも100品でも工芸品でももっと我々の国民性に合致するようなものが生まれて
はいなかったであろうか いやおそらくは物理学そのもの
科学そのものの原理さえも西洋人の見方とは違った見方をし 光線とか電気とか原子とかの本質や性能についても今我々が教えられているようなものと
は異なった姿を露呈していたかもしれないと思われる 私にはそういう学理的なことはわからないからただぼんやりとそんな想像を
たくましゅうするだけであるがしかし少なくとも 実用方面の発明が独創的な方向をたどっていたとしたならば
異色衆の様式はもちろんのことひいては我らの政治や宗教や芸術や実業等の形態にも それが後半な影響を及ぼさないはずはなく
東洋は東洋で別戸の健康を打開したであろうことは容易に推測し得られるのである
非禁な例をとってみると私はかつて文芸春秋に万年筆と毛筆との比較を書いたが 仮に万年筆というものを昔の日本人かシナ人が考案したとしたならば必ず
穂先をペンにしないで毛筆にしたであろう そして陰気もああいう青い色でなく
墨汁に近い液体にしてそれが軸から毛の方へにじみ出るように工夫したであろう さすれば紙も西洋紙のようなものでは不便であるから大量生産で製造するとしても
和紙に似た紙質のもの改良版紙のようなものが最も要求されたであろう 紙や墨汁や毛筆がそういうふうに発達していたら
ペンや陰気が今日のごとき流行を見ることはなかったであろうし したがってまたローマ字論などが幅を利かすこともできないし
漢字や金文字に対する一般の愛着も強かったであろう いやそればかりでない我々の思想や文学さえもあるいはこうまで西洋を模倣せず
もっと独創的な新天地へ突き進んでいたかもしれない かけ考えてみると些細な文房具であるがその影響の及ぶところは無偏在に大きいのである
そういうことを考えるのは小説家の空想であってもはや今日になってしまった以上 もう一度逆戻りをしてやり直すわけにはいかないことはわかりきっている
だから私の言うことは今更不可能ごとを願い 愚痴をこぼすのに過ぎないのであるが愚痴は愚痴としてとにかく我らが西洋人に比べて
どのくらい損をしているかということは考えてみても差し支えあるまい つまり一口に言うと西洋の方は順当な方向をたどって今日に到達したのであり
我らの方は優秀な文明に横着してそれを取り入れざるを得なかった代わりに 過去数千年来発展しきった進路とは違った方向へ歩み出すようになった
そこからいろいろな故障や不便が起こっていると思われる もっとも我々を放っておいたら500年前も今日も物質的には大した進展をしていなかったかもしれない
現にシナやインドの田舎へ行けば お釈迦様や孔子様の時代とあまり変わらない生活をしているでもあろう
だがそれにしても自分たちの佐賀にあった方向だけは取っていたであろう そして乾満にではあるが幾らかずつの進歩を続けていつかは今日の電車や飛行機や
ラジオに変わるもの それは他人の借り物でない本当に自分たちに都合のいい文明の力を発見する日が来
なかったとは限るまい 早い話が映画を見てもアメリカのものとフランスやドイツのものとは陰影や
色調の具合が違っている 演技とか脚色とかは別にして写真面だけでどこかに国民性の差異が出ている
同一の機械や薬品やフィルムを使ってもなおかつそうなのであるから 我々に固有の写真術があったらどんなに我々の皮膚や要望や気候風土に適した
ものであったかと思う 蓄音機やラジオにしてももし我々が発明したならもっと我々の声や音楽の特徴を
生かすようなものができたであろう 元来我々の音楽は控えめなものであり気分本位のものであるからレコードにしたり
覚醒器で大きくしたりしたのでは大半の魅力が失われる 話術にしても我々の方は声が小さく言葉数が少なく
そして何よりも間が大切なのであるが機械にかけたら間は完全に死んでしまう そこで我々は機械に迎合するようにかえって我々の芸術自体を歪めていく
西洋人の方はもともと自分たちの間で発達させた機械であるから彼らの芸術に 都合がいいようにできているのは当たり前である
そういう点で我々は実にいろいろの損をしていると考えられる 神というものはシナ人の発明であると聞くが我々は西洋紙に対すると単なる実用品
という以外に何の感じも起こらないけれども 陶紙や和紙のキメを見るとそこに一種の温かみを感じ
心が落ち着くようになる 同じ白いのでも西洋紙の白さと法書や白陶紙の白さとは違う
西洋紙の肌は光線を跳ね返すような趣があるが法書や陶紙の肌は 柔らかい初雪の面のようにふっくらと光線を中へ吸い取る
そして手触りがしなやかであり折っても畳んでも音を立てない それは木の葉に触れているのと同じようにもの静かでしっとりしている
全体我々はピカピカ光るものを見ると心が落ち着かないのである 西洋人は食器などにも銀や鋼鉄やニッケル製のものを用いてピカピカ光るように磨き立てるが
我々はああいうふうに光るものを嫌う 我々の方でも湯沸かしや
杯や調子等に銀製のものを用いることはあるけれども ああいうふうに磨き立てない
かえって表面の光が消えて時代がつき黒く焼けてくるのを喜ぶのであって 心得のない下手などがせっかく錆の乗ってきた銀の器をピカピカに磨いたりして主人に
叱られることがあるのはどこの家庭でも起こる事件である 近来品料理の食器は
一般に鈴製のものが使われているがおそらく品人はあれが古食を帯びてくるのを愛 するのであろう
新しいとこはアルミニウムに似たあまり感じの良いものではないが 品人が使うとああいうふうに時代をつけ
神のあるものにしてしまわなければ承知しない そしてあの表面に死の文句などが掘ってあるのも肌が黒ずんでくるのに従いしっくりと
似合うようになる つまり品人の手にかかると薄っぺらでピカピカする鈴という軽金属が主デーのように深みの
ある沈んだ重々しいものになるのである 品人はまた玉という石を愛するがあの妙に薄濁りのした
幾百年もの古い空気が一つに凝結したような 奥の奥の方までドロンとした鈍い光を含む石の塊に魅力を感じるのは
我々東洋人だけではないであろうか ルビーやエメラルドのような色彩があるのでもなければ
金剛石のような輝きがあるのでもないああいう石のどこに愛着を覚えるのか 私たちにもよくわからないがしかしあの鈍い下肌を見るといかにも品の石らしい気がし
長い過去に持つ品文明の檻があの厚みのある濁りの中に堆積しているように思われ 品人がああいう色沢や物質を嗜好するのに不思議はないということだけは
うなずける 水晶などにしても近頃はチリからたくさん輸入されるが日本の水晶に比べると
チリのはあまりに綺麗に透き通りすぎている 昔からある光州山の水晶というものは透明の中にも全体にほんのりとした曇りが
あってもっと重々しい感じがするし 草襟水晶などといって奥の方に不透明な固形物の混入しているのをむしろ我々は喜ぶのである
ガラスでさえもしなじの手になった寒流グラスというものは ガラスというよりも玉が目のに近いではないか
針を製造する術は早から東洋にも知られていながら それが西洋のように発達せずに終わり
陶器の方が進歩したのはよほど我々の国民性に関係するところがあるに違いない 我々は市街に光るものが嫌いというわけではないが浅く冴えたものよりも
自然だ限りのあるものを好む それは天然の石であろうと人工の器物であろうと必ず時代の艶を連想させるような
濁りを帯びた光なのである もっとも時代の艶などというとよく聞こえるが実を言えば手垢の光である
しなに主択という言葉があり日本に慣れという言葉があるのは長い年月の間に人の手が 触って一つところをつるつる撫でているうちに自然と油が染み込んでくるようになる
その艶を言うのだろうから言い換えれば手垢に違いない してみれば風流は寒き者であると同時に無責ものなりという稽古も成り立つ
とにかく我々の喜ぶガチというものの中に幾分の不潔 かつ非衛生的分子があることは否まれない
西洋人は赤を根こそぎ炊き立てて取り除こうとするのに反し 東洋人はそれを大切に保存してそのまま美化するとまあ負け惜しみを言えば言うところだが
因果なことに我々は人間の赤や油塩や風の汚れがついたもの ないしはそれを思い出させるような色合いや光沢を愛しそういう建物や器物の中に住んで
いると奇妙に心が名古屋居でき神経が休まる それで私はいつも思うのだが病院の壁の色や手術服や医療機械なんかも日本人を相手に
する以上ピカピカするものや真っ白なものばかり並べないでもう少し暗く 柔らかみをつけたらどうであろう
もしあの壁が砂壁か何かで 日本座敷の畳の上に寝ながら治療を受けるのであったら患者の興奮が静まることは確かで
ある 我々が歯医者へ行くのを嫌うのは一つにはガリガリという音響にもよるが一つには
ガラスや金属製のピカピカするものが多すぎるのでそれに怯えるせいもある 私は神経衰弱の激しかった自分
最新式の設備を誇るアメリカ帰りの歯医者と聞くとかえって凶猛を奮ったものだった そして田舎の小都会などにある
昔風の日本家屋に手術室を設けた 時代遅れのしたような歯医者のところへ好んで出かけた
そうかと言って 固職を帯びた医療機械なんかも困ることは困るが
もし近代の医術が日本で成長したのであったら病人を扱う設備や機械もなんとか 日本座敷に調和するように考案されていたであろう
これも我々が借り物のために損をしている一つの例である 京都にワランジアという有名な料理屋があってここの家では近頃まで客間に伝統を
灯さず古風な食材を使うのが名物になっていたが 今年の春久しぶりで行ってみるといつの間にか安藤式の伝統を使うようになっている
いつからこうしたのかと聞くと去年からこれに致しました ろうそくの日ではあまり暗すぎるとおっしゃるお客様が多いものでございますから
よんどころなくこういう風に致しましたがやはり昔のままの方が良いとおっしゃる方には 食材を持ってまいりますという
せっかくそれを楽しみにしてきたのであるから食材に変えてもらったが その時私が感じたのは日本の湿気の美しさは
そういうぼんやりした薄明かりの中においてこそ初めて本当に発揮されるということで あった
ワランジアの座敷というのは4畳半ぐらいのこじんまりした茶席であって 床柱や天井なども黒光りに光っているから安藤式の伝統でももちろん暗い感じがする
がそれを一層暗い食材に改めてその炎ゆらゆらと瞬く影にある善や 湾を見つめているとそれらの塗り物の泥のような深さと厚みを持ったや艶が
全く今までとは違った魅力を帯び出してくるのを発見する そして我々の祖先がウルスという塗料を見出しそれを塗った器物の色卓に愛着を覚えたことの
偶然でないのを知るのである 友人サバルワル君の話に
陶器は手に触れると重く冷たく しかも熱を伝えることが早いので熱いものを守るのに不便であり
その上カチカチという音がするが漆器は手触りが軽く 柔らかで耳につくほどの音を立てない
私は吸い物はを手に持った時の手のひらが受ける汁の重みの感覚と 生温かいぬくみ等何よりも好む
それは生まれたての赤ん坊のぷよぷよした肉体を支えたような感じでもある 吸い物はに今も塗り物が用いられているのは全く理由のあることであって
陶器の入れ物ではああはいかない 第一蓋を取った時に陶器では中にある汁の身や色合いがみんな見えてしまう
漆器の湾の良いことはまずその蓋を取って口に持っていくまでの間 暗い奥深い底の方に容器の色とほとんど違わない液体が音もなく淀んでいるのを
眺めた瞬間の気持ちである 人はその湾の中の闇に何があるかを見分けることができないが汁が
緩やかに動揺するのを手の上に感じ 湾の縁がほんのり汗をかいているのでそこから湯気が立ち上りつつあることを知り
その湯気が運ぶ匂いによって口に含む前にぼんやり味わいを昇格する その瞬間の心持ち
スープの浅い白茶けた皿に入れて出す清涼風に比べて何という相違か それは一種の神秘であり
善美であるとも言えなくはない 私はスイモの湾を前にして湾がかすかに耳の奥へ沁むようにジーとなっている
あの遠い虫の音のような音を聞きつつ これから食べるものの味わいに思いを潜めるとき
いつも自分がざんまい境に引き入られるのを覚える 茶人が湯の滾る音におのえの松風を連想しながら無我の境に入るというのも
おそらくそれに似た心持ちなのであろう 日本の料理は食うものでなくて見るものだと言われるがこういう場合
私は見るものである以上に瞑想するものであると言おう そうしてそれは闇に瞬くろうそくの火と
ルッシュの器とが合奏する無言の音楽の作用なのである かつて曹石先生は草枕の中で洋館の色を賛美しておられたことがあったが
そういえばあの色などはやはり瞑想的ではないか 曲のように半透明に曇った肌が奥の方まで日の光を吸い取って夢見るごときほの
明るさをはらんでいる感じ あの色合いの深さ複雑さは西洋の歌詞には絶対に見られない
クリームなどあれに比べると何という浅はかさ単純さであろう だがその洋館の色合いもあれを塗り物の化式に入れて肌の色が辛うじて見分けられる
暗がりへ沈めると人種を瞑想的になる 人はあの冷たく滑らかなものを口中に含むとき
あたかも室内の暗黒が1個の甘い塊になって舌の先で溶けるのを感じ 本当はそう甘くない洋館でも味に
異様な深みが添わるように思う けだし料理の色合いはどこの国でも食器の色や壁の色と調和するように工夫されて
いるのであろうが 日本料理は明るいところでしらっちゃけた器で食べてはにわかに食欲が半減する
例えば我々が毎朝食べる赤味噌の汁なども あの色を考えると
昔の薄暗い家の中で発達したものであるということがわかる 私はある茶会に呼ばれて味噌汁を出されたことがあったが
いつもは何でもなく食べていたあのドロドロの赤土色した汁が おぼつかないろうそくの明かりの下で黒漆の湾に淀んでいるのを見ると
実に深みのあるうまそうな色をしているのであった その他醤油などにしても髪型では刺身や漬物やおひたしには濃い口のたまりを使うが
あのねっとりとした艶のある汁がいかに陰影に富み 闇と調和することか
また白味噌や豆腐やかまぼこやとろろ汁や白身の刺身やああいう白い肌のものも 周囲を明るくしたのでは色が引き立たない
第一飯にしてからがピカピカ光る黒塗りの飯別に入れられて 暗いところに置かれている方が見ても美しく食欲をも刺激する
あの炊きたての真っ白な飯がパッと蓋を取ったしたから暖かそうな湯気を吐きながら 黒い器に盛り上がって
一粒一粒真珠のように輝いているのを見るとき 日本人なら誰しも米の飯のありがたさを感じるであろう
各考えてくると我々の料理が常に陰影を基調とし 闇というものと切っても切れない関係にあることを知るのである
私は建築のことについては全く文外観であるが西洋の寺院のゴシック建築というものは 屋根が高く高く尖ってその先が天に抽選としているところに美観が存在するのだという
これに反して我々の国のガランでは建物の上にまず大きなイラカを伏せてその日差し が作り出す深い広い影の中へ全体の構造を取り込んでしまう
寺院のみならず宮殿でも庶民の住宅でも外から見て最も目立つものはある場合には 河原吹ある場合にはかやぶきの大きな屋根とその日差しの下に漂う濃い闇である
時とすると白昼といえども軒から下にはホロ穴のような闇がみなぎっていて小口も 扉も壁も柱もほとんど見えないことすらある
これは地音員や本願寺のような高層な建築でも草深い田舎の百姓家でも同様であって 昔の大概な建物が軒から下と軒から上の屋根の部分等を比べると
少なくとも目で見たところでは屋根の方が重く 渦高く面積が大きく感じられる
最後に我々が住居を営むには何よりも屋根という傘を広げて大地に一角の日陰を落とし その薄暗い陰影の中に家作りをする
もちろん西洋の家屋にも屋根がないわけではないがそれは日光を遮蔽するよりも 雨露をしのぐための方が主であって影はなるべく作らないようにし少しでも多く
内部を明かりに晒すようにしていることは外見を見ても頷かれる 日本の屋根を傘とすれば西洋のそれは帽子でしかない
しかも取り打ち帽子のようにできるだけツバを小さくし日光の直射を近々と 軒橋に受ける
けだし日本家屋の屋根の日差しが長いのは気候風土や建築材料やその他いろいろの 関係があるのであろう
例えばレンガやガラスやセメントのようなものを使わないところから横殴りの風雨を 防ぐためには日差しを深くする必要があったであろうし
日本人とて暗い部屋よりは明るい部屋を便利としたに違いないがぜひなくああ なったのでもあろう
が美というものは常に生活の実際から発達するもので暗い部屋に住むことを余儀なく された我々の先祖はいつしか陰影のうちに日を発見し
やがては日の目的に沿うように陰影を利用するに至った 事実
日本座敷の美は全く陰影の濃淡によって生まれているのでそれ以外に何もない 西洋人が日本座敷を見てその簡素なのに驚き
ただ灰色の壁があるばかりで何の装飾もないというふうに感じるのは彼らとしては イカサマ最もでもあるけれどもそれは陰影の謎を返しないからである
我々はそれでなくても太陽の光線の入りにくい座敷の外側へ土井を出したり 縁側をつけたりして一層日光を遠抜ける
そして室内へは庭からの反射が照準を透かしてほの明るく忍び込むようにする 我々の座敷の美の要素はこの関節の鈍い光線に他ならない
我々はこの力のないわびしい儚い光線がしんみり落ち着いて座敷の壁染み込むように わざと調子の弱い色の砂壁を塗る
土蔵とかクルワとか廊下のようなところへ塗るには照りをつけるが座敷の壁はほとんど 砂壁で滅多に光らせない
もし光らせたらその乏しい光線の柔らかい弱い味が消える 我らはどこまでも見るからにおぼつかなげな外光が黄昏色の壁の面に取り付いて
辛くも余命を保っている あの繊細な明るさを楽しむ
我々にとってはこの壁の上の明るさあるいはほの暗さが何者の装飾にも勝るのであり しみじみと見えや気がしないのである
さらばそれらの砂壁がその明るさを乱さないようにと ただ一色の無地に言ってあるのも当然であって
座敷ごとに少しずつ地色は違うけれどもなんとその違いのわずかであることよ それは色の違いというよりもほんのわずかな濃淡の差異
見る人の気分の相違というほどのものでしかない しかもその壁の色のほのかな違いによってまたいくらかずつ各々の部屋の陰影が異なった色調を
帯びるのである もとも我らの座敷にも床の間というものがあって掛け軸を飾り花をいけるがしかしそれらの軸や
花もそれ自体が装飾の役をしているよりも 陰影に深みを添える方が主になっている
我らは一つの軸をかけるにもその軸物とその床の間の壁との調和 すなわち床移りを第一に尊ぶ
我らが掛け軸の内容を成す書や絵の考説と同様の重要さを標具に置くのも実にそのためで あって床移りが悪かったらいかなる名書がも掛け軸としての価値がなくなる
それと反対に一つの独立した作品としては大した傑作でもないような書画が 茶の間の床にかけてみると非常にその部屋との調和が良く軸も座敷も
にわかに引き立つ場合がある そしてそういう書が
それ自身としては格別のものでもない軸物のどこが調和するのかといえば それは常にその地紙や墨色や標具のキレが持っている
戸敷にあるのだ その戸敷がその床の間や座敷の暗さと適宜な釣り合いを保つのだ
我々はよく京都や奈良の名札を訪ねてその寺の宝物と言われる軸物が 奥深い大書院の床の間にかかっているのを見せられるがそういう床のまま
大概昼も薄暗いので図柄などは見分けられない ただ案内人の説明を聞きながら消えかかった墨色の跡をたどって多分立派な絵なのであろうと
想像するばかりであるがしかしそのぼやけた子がと 狂いとこの的の取り合わせがいかにもしっくりしていて
図柄の不鮮明などはあたかも問題でないばかりか かえってこのくらいな不鮮明さがちょうど適しているようにさえ感じる
つまりこの場合その絵はおぼつかない弱い光を受け止めるための一つの 奥ゆかしい面にすぎないのであって全く砂壁と同じ作用をしかしていないのである
我らが掛け軸を選ぶのに時代や錆を沈調する理由はここにあるので 進化は水彩や単彩のものでもよほど注意しないととこの間の陰影を打ち壊すのである
もし日本座敷を一つの墨絵に例えるなら 障子は墨色の最も淡い部分であり
床の間は最も濃い部分である 私は隙を凝らした日本座敷の床の間を見るたびに
以外日本人が陰影の秘密を理解し光と影との使い分けに巧妙であるかに簡単する なぜならそこにはこれという特別な失礼があるのではない
要するにただ清楚な木材と清楚な壁と思って一つの凹んだ空間を仕切り そこへ引き入れられた光線が凹みのここあそこへ
もろたる熊を生むようにするにもかかわらず 我らは落とし崖の後ろや花池の周囲や
違い棚の下などを埋めている闇を眺めてそれが何でもない影であることを知りながら そこの空気だけがシーンと沈みきっているような
永劫不変の間尺がその暗がりを漁しているような感銘を受ける 主に西洋人のいう東洋の神秘とは角のごとき暗がりが持つ
不気味な静かさを指すのであろう 我らといえども少年の頃は日の目の届かぬ茶の間や
書院の床の間の奥を見つめるといいしれの恐れと寒気を覚えたものである しかしその神秘の影はどこにあるのか
種明かしをすれば必強それは陰影の魔法であって もし隅々に作られている影を追いのけてしまったら
骨縁としてその床のままただの空白に帰するのである 我らの祖先の天才は虚無の空間を任意に遮蔽して
重々しいもののように気持ちがしたことはないであろうか あるいはまたその部屋にいると時間の経過がわからなくなってしまい
知らぬ間に年月が流れて出てきた時は白髪の老人になりはせぬかというような 悠久に対する一種の恐れを抱いたことはないであろうか
諸君はまたそういう大きな建物の奥の奥の部屋へ行くともう全く外の光が届か なくなった暗がりの中にある金ブスマや金屏風が
幾も隔てた遠い遠い庭の明かりの穂先を捉えてポッと夢のように照り返しているのを 見たことはないか
その照り返しは夕暮れの地平線のようにあたりの闇へ 実に弱々しい金色の明かりを投げているのであるが
私は黄金というものがあれほど鎮痛な美しさを見せるときはないと思う そしてその前を通り過ぎながらいくども振り返って見直すことがあるが正面から側面の方へ
方を移すによって 金字の紙の表面がゆっくりと大きくそこを光りする決してちらちらと忙しい瞬きをせず
巨人が顔色を変えるようにキラリと長い間を置いて光る 時とするとたった今まで眠ったような鈍い反射をしていた梨地の金が側面へ回ると
燃え上がるように輝いているのを発見してこんなに暗いところでどうしてこれだけの 光線を集めることができたのかと不思議に思う
それで私には昔の人が黄金を仏の像に塗ったり 貴人の寄居する部屋の四隅へ張ったりした意味が初めてうなずけるのである
現代の人は明るい家に住んでいるのでこういう黄金の美しさを知らない が暗い家に住んでいた昔の人はその美しい色に魅せられたばかりでなく
かねて実用的価値をも知っていたのであろう なぜなら光線の乏しい屋内ではあれがリフレクターの役目をしたに違いないから
つまり彼らはただ贅沢に黄金の箔や砂子を使ったのではなく あれの反射を利用して明かりを補ったのであろう
そうだとすると銀やその他の金属は直に光沢があせてしまうのに長く輝きを失わない で室内の闇を照らす黄金というものが異様に尊ばれたであろう理由を得得することができる
私は前に巻絵というものは暗いところで見てもらうように作られていることを言ったが こうしてみるとただに巻絵ばかりではない
織物などでも昔のものに金銀の糸がふんだんに使ってあるのは同じ理由に基づくことが知れる 僧侶が纏う玄蘭の毛皿などはその最も良い例ではないか
今日街中にある多くの寺院は対外本堂を大衆向きに明るくしてあるからああいう場所では いたずらにケバケバしいばかりでどんな人柄な高層が来ていてもありがたみを感じることは
滅多にないが 有意称あるお寺の古式にのっとった仏寺に列席してみると
シワだらけな老僧の皮膚と仏前の透明の明滅と あの玄蘭の実質とがいかによく調和しいかに総合みを増しているかがわかるのであって
それというのも巻絵の場合と同じように派手な折り模様の大部分を闇が隠してしまい ただ金銀の糸が時々少しずつ光るようになるからである
それからこれは私一人だけの感じであるかもしれないが およそ日本人の皮膚に脳衣装ほど移りの良いものはないと思う
いうまでもなくあの衣装にはずいぶん懸乱なものが多く金銀が豊富に使ってあり しかもそれを着ている農薬者は歌舞伎俳優のようにお白い子を塗ってはいないのであるが
日本人に特有の赤みがかかった褐色の肌 あるいは黄色みを含んだ造芸色の地顔があんなに魅力を発揮するときはないのであって
私はいつも農を見に行く旅ごとに関心する 金銀の織出しや刺繍のある打ち着の類もよく似合うが
濃い緑色や柿色のすぐすま水干し 仮衣の類白無地の小袖大口とも実によく似合う
たまたまそれが美少年の農薬者だとキメの細かい 若々しい照りを持った頬の色ツヤなどがそのために人種を引き立てられ
女の肌とは自ら違った小枠を含んでいるように見え なるほど昔の大名が
朝道の様式に溺れたというのはここのことだなとか転が行く 歌舞伎の方でも受頼者や書作ごとの衣装のカビなことは農学のそれに劣らないし
静的魅力の点にかけてはこの方が遥かに農学異常とされているけれども 両方を度々見慣れてくると実はそれの反対であることに気がつくであろう
ちょっと見た時は歌舞伎の方がエロティックでもあり綺麗でもあるのに論はないが 昔はともかく西洋流の照明を使うようになった
今日の舞台では あの派手な色彩がややともすると続白に陥り見飽きがする
衣装もそうなら化粧とてもそうであって仮に美しいとしてからがそれがどこまでも 作った顔であってみれば生地の美しさのような実感が伴わない
力に農学の俳優は顔も襟も手も生地のままで登場する されば眉目の生めかしさはその人本来のものであって
5をも我々の目を欺いているものではない 故に農薬所の場合は女方や2枚目の素顔に接してお座が覚めたというようなことはありえない
ただ我々の感じることは我々と同じ色の皮膚を持った彼らが一見似合いそうもない 武家時代の派手な衣装をつけた時にいかにその様式が水際だって見えるかという一時である
かつて私は皇帝の脳で陽気肥に奮した今後いさおしを見たことがあったが 袖口から覗いているその手の美しかったことを今も忘れない
私は彼の手を見ながらしわしわ膝の上に置いた自分の手を帰りみた そして彼の手がそんなにも美しく見えるのは手首から指先に至る微妙な手の
披露の動かし方 独特の技巧を込めた指のさばきによるのであろうがそれにしてもその皮膚の色の
内部からポーッと明かりが差しているような光沢はどこから来るのかといびかしみに 打たれた
なんとなればそれはどこまでも普通の日本人の手であって 現に私が膝の上についている手と肌の色つやに何の違ったところもない
私は再び見た日舞台の上の今後をしのう手と自分の手とを見比べたがいくら見比べ ても同じ手である
だが不思議にもその同じ手が舞台にあっては怪しいまでに美しく見え 自分の膝の上にあってはただの平凡な手に見える
角のごときことは一人今後を祝おうしの場合のみではない 脳においては衣装の外へ現れる肉体はほんのわずかな部分であって顔と
襟首と手首から指の先までに過ぎず 陽気皮のように面をつけているときは顔さえ隠れてしまうのであるがそれでいてそのわずかな
部分の色つやが異様に印象的になる 今後しは特にそうであったけれども大外の役者の手が何の気もない当たり前の日本人の手が
現代の服装をしていては気がつかれない魅惑を発揮して我々に脅威の目を見晴らせる 繰り返して言うがそれは決して美少年や美男子の役者に限るのではない
例えば日常は我々は普通の男子の唇に引きつけられることなどありえないが 脳の舞台ではあの黒ずんだ赤身と湿り系を持った肌が口紅を刺した婦人のそれ以上の
肉感的な粘っこさを帯びる これは役者が歌いを歌うために始終唇を唾液で濡らすゆえでもあろうが
しかしそのせいばかりとは思えない また小型の俳優の方法が好調を呈しているのがその赤さが実に鮮やかに引き立って
見える 私の経験では緑系統の地色の衣装をつけた時に最も多くそう見えるので色の白い
小型ならもちろんであるが実を言うと色の黒い小型の方がかえってその赤身の特色が 目立つ
それはなぜかというと色白な子では白と赤との対象があまり 国名である結果
脳衣装の暗く沈んだ色調には少し効果が強すぎるが 世の黒い子の暗化主食の方法であると赤がそれほど際立たないで衣装と顔とが
互いに照り映え 渋い緑と渋い茶と2つの感触が移りあって
黄色人種の肌がいかにもそのところを得 今沢のように一目を引く
私は色の調和が作り出す格のごとき美が他にあるのを知らないが もし能楽が歌舞伎のように近代の照明を用いたとしたらそれらの美感はことごとく土木
追考戦のために飛び散ってしまうであろう さればその舞台は昔ながらの暗さに任意してあるのは必然の約束に従っているわけであって
建物なども古ければ古いほどいい 床が自然のツヤを帯びて柱や鏡板などが黒光に光
針から軒先の闇が大きな釣り金を伏せたように役者の頭上へ覆いかぶさっている舞台 そういう場所が最も適しているのであってその点から言えば
近頃能楽が朝日海岸や航海道へ進出するのは結構なことに違いないけれども その本当の持ち味は半分以上を失われていると思われる
ところで能につきまとうそういう暗さとそこから生ずる美しさとは 今日でこそ舞台の上でしか見られない特殊な陰影の世界であるが
昔はあれがさほど実生活とかけ離れたものではなかったであろう なんとなれば能舞台における暗さはすなわち当時の住宅建築の辛さであり
また能衣装の柄や色合いは多少実際より華やかであったとしても大体において 当時の貴族や大名の着ていたものと同じであったろうから
私はひとたびそのことに考え及ぶと昔の日本人がことに戦国や桃山時代の豪華な 服装をした武士などが今日の我々に比べてどんなに美しく見えたであろうかと想像して
ただその思いに甲骨となるのである まことに能は我々同胞の男性の美を最高潮の形において示しているので
その昔戦場往来の拳が風雨にさらされた 断骨の飛び出た真っ黒なシャガンにああいう地色や光沢のすぐすまや
なるほどあの近世を書いた平べったい胴体は西洋婦人のそれに比べれば醜いであろう しかし我々は見えないものを考えるには及ばぬ見えないものはないものであるとする
敷いてその醜さを見ようとするものは茶室の床の前 100尺高の伝統をつけるのと同じくそこにある日を自ら追いやってしまうのである
だが一体こういうふうに暗がりの中に美を求める傾向が東洋人にのみ強いのはなぜ であろうか
西洋にも電気やガスや石油のなかった時代があったのであろうが 過分な私は彼らに影を喜ぶ性癖があることを知らない
昔から日本のお化けは足がないが西洋のお化けが足がある代わりに全身が透き通っている という
そんな些細な一時でもわかるように我々の空想には常に漆黒の闇があるが彼らは幽霊を 抑えガラスのように明るくする
その他日用のあらゆる工芸品において我々の好む色が闇の体積したものなら彼らの 好むのは太陽光線の重なり合った色である
銀器や銅器でも我らは錆びの生ずるものを愛するが彼らはそういうものを不潔であり 非衛生的であるとしてピカピカに磨き立てる
部屋の中もなるべく熊を作らないように天井や周囲の壁を白っぽくする 庭を作るにも我らが気深い植え込みを設ければ彼らは平らな芝生を広げる
格の如き思考の沿いは何によって生じたのであろうか 安ずに我々東洋人は己の置かれた境遇の中に満足を求め現状に甘んじようとする風が
あるので暗いということに不平を感じずそれは仕方のないものと諦めてしまい 光線が乏しいなら乏しいなりに帰ってその闇に沈船しその中に
おのずからなる美を発見する しかるに親主的な西洋人は
常により良き状態を願ってやまない ろうそくからランプにランプからガス灯にガス灯から電灯にと絶えず明るさを求めてゆき
わずかな影をも払い避けようと苦心をする おそらくそういう気質の相違もあるのであろうがしかし私は皮膚の色の違いということも
考えてみたい 我々とても昔から肌が黒いよりは白い方を尊いとし美しいともしたことだけれど
も それでも白色人種の白さと我々の白さとはどこか違う
一人一人に接近してみれば西洋人より白い日本人があり 日本人より黒い西洋人があるようだけれどもその白さや黒さの具合が違う
これは私の経験から言うのであるが以前横浜の山手に住んでいて 日赤キョウリュウジの外人等と交絡を共にし彼らの出入りする宴会場や舞踏場へ遊びに
行っていた自分 そばで見ると彼らの白さをそう白いと感じなかったが遠くから見ると彼らと日本人との差別が
実にはっきりわかるのであった 日本人でも彼らに劣らない赤い服を着け彼らより白い皮膚を持ったレディーが
いるがしかしそういう婦人が一人でも彼らの中に混じると遠くから見渡した時に すぐに見分けがつくというのは日本人のはどんなに白くとも白い中に
わずかな陰りがある そのくせそういう女たちは西洋人に負けないように背中から二の腕から脇の下まで
露出している肉体のあらゆる部分へ濃いお城を塗っているのだがそれでいてやっぱり その皮膚の底に淀んでいる暗色を消すことができない
ちょうど精烈な水の底にある汚物が高いところから見下ろすとよくわかるようにそれが わかることさらに指の股だとか小鼻の周囲だとか
襟首だとか背筋だとかにドス黒い埃の溜まったような熊ができる ところが西洋人の方は表面が濁っているようでもそこが明るく透き通っていて体中の
どこにもそういう薄汚い影が刺さない 頭の先から指の先まで混じり気なく冴え冴えと白い
だから彼らの集会の中へ我々の一人が入り込むと 白紙に一点薄積みのシミができたようで我々が見てもその一人が目障りのように
思われあまりいい気持ちがしないのである こうしてみるとかつて白色人種が有色人種を排斥した心理がうなずけるのであって
白人中でも神経質な人間には社交場内にできる一点の趣味 1人か2人の有色人さえが気にならずにはいなかったのであろう
そういえば今日ではどうか知らないが昔黒人に対する迫害が最も激しかった 南北戦争の時代には彼らの憎しみと詐欺すみは単に黒人のみならず
黒人と白人との婚結時 婚結時同士の婚結時婚結時と白人との婚結時等々にまで及んだという
彼らは2分の1の婚結時4分の1の婚結時 8分の1の16分の1の32分の1婚結時というふうに
わずかな黒人の血の痕跡をどこまでも追求して迫害しなければ止まなかった 一見純粋の白人と異なるところのない2代も3代も前の先祖に一人の黒人を有するに過ぎない
婚結時に対しても彼らの必要な目はほんの少しばかりの色素が真っ白な肌の中に潜んで いるのを見逃さなかった
で核の如きことを考えるにつけてもいかに我々黄色人種が陰影というものと深い関係に あるかが知れる
誰しも好んで自分たちの醜悪な状態に置きたがらないものである以上 我々が異色中の用品に曇った色のものを使い暗い雰囲気の中に自分たちを沈めようと
するのは当然であって 我々の祖先は彼らの皮膚に限りがあることを自覚していたわけでもなく
彼らより白い人種が存在することを知っていたのではないけれども 色に対する彼らの感覚が自然とああいう思考を生んだものと見るほかはない
我々の先祖は明るい大地の上下四方を仕切ってまず陰影の世界を作り その闇の奥に両輪を籠らせてそれをこの世で一番色の白い人間と思い込んでいたのであろう
肌の白さが最高の女性日に心よくべからざる条件であるなら我々としてはそうする より仕方がないのだしそれで差し支えないわけである
白人の髪が明色であるのに我々の髪が暗色であるのは自然が我々に闇の理法を教えている のだが
個人は無意識のうちにその理法に従って黄色い顔を白く浮き立たせた 私はさっきおはぐろのことを書いたが
昔の女が眉毛を剃り落としたのもやはり顔を際立たせる手段ではなかったのか そして私が何よりも関心するのはあの玉虫色に光る青い口紅である
もう今日では擬音の蛍光などでさえほとんどあれを使わなくなったが あの便宜こそは炎暗いロウソクのはためきを想像しなければその魅力を返し得ない
個人は女の赤い唇をわざと青黒く塗りつぶしてそれにラレンを散りばめたのだ 方園な顔から一切の血の気を奪ったのだ
私はランプの揺らめく影で若い女があの鬼火のような青い唇の間から時々 黒漆の色の歯を光らせては微笑んでいる様を思うとそれ以上の白い顔を考えることができ
少なくとも私が脳裏に描く幻影の世界ではどんな白人の女の白さよりも白い 白人の白さは透明な分かりきったありふれた白さだがそれは一種の人間離れのした白さだ
あるいはそういう白さは実際には存在しないかもしれない それはただ光と闇が醸し出すいたずらであってその場限りのものかもしれない
だが我々はそれでいいそれ以上を望むには及ばぬ ここで私はそういう顔の白さを思う反面にそれを取り囲む闇の色について話したいのだ
がもう数年前いつぞや東京の客を案内して 島原の門屋で遊んだ折に一度忘れられないある闇を見た覚えがある
何でもそれは後に火事で焼け伏せた松の間とかいう広い座敷であったが わずかな食材の日で照らされた広間の暗さは小座敷の黒さと濃さが違う
ちょうど私がその部屋へ入っていった時 迷うとしておはぐろをつけていると島の中井が大きなついたての前に食材を据えて
かしこまっていたが ただみ2畳ばかりの明るい世界を限っているそのついたての広報には
天井から落ちかかりそうな高い濃いただ一色の闇が立てていて おぼつかないロウソクの日がその厚みを穿つことができずに黒い壁に行け当たったように
跳ね返されているのであった 諸君はこういう日に照らされた闇の色を見たことがあるか
それは夜道の闇などとはどこが違った物質であって例えば 一粒一粒が虹色の輝きを持った細かい灰に似た微粒子が充満しているもののように見えた
私はそれが目の中へ入り込みはしないかと思って覚えず瞼を縛たたいた 今日では一般に座敷の面積を狭くすることが流行り
10畳8畳6畳というような駒を立てるので仮にロウソクを展示でもかかる闇の色は見 られないが昔の御殿や議論などには天井を高く廊下を広く取り
何十畳敷という大きな部屋を仕切るのが普通であったとするとその屋内にはいつも こういう闇が業務のごとく立ち込めていたのであろう
そしてやんごとない浄化つたちはその闇の悪にどっぷり使っていたのであろう そして私は
鬼松庵随筆の中でもそのことを書いたが現代の人は久しく伝統の明かりに慣れて こういう闇のあったことを忘れているのである
わけても屋内の目に見える闇は何かちらちらと陽炎のものがあるような気がして 幻覚を起こしやすいのである場合には屋外の闇よりも凄みがある
趣味とか妖怪変化とかの跳躍するのはけだしこういう闇であろうが その中に深い帳をたれ
屏風や襖を幾重にも囲って住んでいた女というのもやはりその 地味の建築ではなかったか
闇は定めしその女たちを問え畑に取り巻いてエリア袖口や裾の合わせ目や至るところ の空撃を沈めていたであろう
いやことによると逆に彼女たちの体からその歯を染めた口の中の黒髪の先から 土蜘蛛の吐く蜘蛛の胃のごとく吐き出されていたのかもしれない
千年 ブリン無双湾がパリから帰ってきての話に欧州の都市に比べると東京や大阪の夜は
格段に明るい パリなどではシャンゼリゼの真ん中でもランプを灯す日家があるのに
日本ではよほど偏僻な山奥へでも行かないければそんな家は一件もない おそらく世界中で伝統を贅沢に使っている国はアメリカと日本であろう
日本は何でもアメリカの真似をしたがる国だということであった 無双湾の話は今から4,5年も前
まだネオンサインなどの流行り出さない頃であったから今度彼が帰ってきたら いよいよ明るくなっているのにさぞかしびっくりするであろう
それからこれは改造の山本社長に聞いた話だが かつて社長がアインシュタイン博士を神方へ案内する途中
記者で石山のあたりを通ると窓外の景色を眺めていた博士が ああそこに大層不敬在なものがあるというのでわけを聞くとそこらの伝心柱か何か
に白昼伝統の灯っているのを指差したという アインシュタインはユダヤ人ですからそういうことが細かいんでしょうね
と山本氏は注釈を入れたが アメリカはともかく欧州に比べると日本の方が伝統を惜しげもなく使っていることは
事実であるらしい 石山といえばもう一つおかしなことがあるのだが今年の秋の月見にどこが良かろう
ここが良かろうと首をひねって挙ぐ 結局石山寺へ出かけることに決めていると
十五夜の前日の新聞に石山寺では明晩 寒月の客の卿を添えるため林間に覚醒器を取り付け
ムーンライトその他のレコードを聞かせるという記事が出ている 私はそれを読んで急に石山行きをやめてしまった
覚醒器も困りものだがそういう風ではきっとあの山の方々に伝統やイルミネーションを飾り にぎにぎしく景気をつけてはいないかと思ったからである
前にも私はそれで月見を不意にした覚えがあるのはある年の十五夜に スマデラの池へ船を浮かべてみようと思い
銅製を集め重爪を持ち寄って繰り出してみるとあの池のぐるりを5式の電飾が 華やかに取り巻いていて月はあれども亡きが如くなのであった
それやこれを考えるとどうも近頃の我々は伝統に麻痺して 照明の過剰から起こる不便ということに対しては案外無感覚になっているらしい
お月見の場合なんかはまあ修法でもいいけれども 待合料理屋旅館ホテルなどが一体に伝統を浪費しすぎる
それも客寄せのためにいくらか必要であろうけれども夏などまだ明るいうちから 転倒するのは無駄である以上に暑くもある
私は夏はどこへ行ってもこれで弱らせられる 外が涼しいのに座敷の中が馬鹿に暑いのはほとんど10が10まで電力が強すぎるか
電球が多すぎる可能性であって試しに一部分を消してみるとにやかにスーッとするのだが 客も主人も一向それに気がつかないのが不思議でならない
元来室内の灯火は冬はいくらか明るくし夏はいくらか暗くすべきである その方が冷凍の木を燃やすし第一虫が飛んでこない
力に余計に電灯をつけそれで暑いからと言って扇風機を回すのは考えただけでも煩わしい もっとも日本座敷だと熱がそばから散っていくのでまだ我慢ができるけれども
ホテルの洋室では風通しが悪い上に床壁天井等が熱を吸い取って四方から反射するので 実にたまらない
例を挙げるのは少し気の毒だが京都の都ホテルのロビーへ 夏の晩に行ったことのある人は私のこの説に同感してくれないであろうか
あそこは北向きの高台に寄っていて比叡山や如意がたけや黒谷の塔や 森や東山一帯の水欄を一望のうちに集め
見るから清々しい気持ちのする眺めであるがそれだけになお惜しい 夏の夕方せっかく至水明に対して爽快の気分に浸ろうと思い
楼に満つる涼風をしたって出かけてみると白い天井のここはそこに大きな乳白ガラスの 蓋がはめ込んであって
ドギツイ明かりが中でかっかと燃えている それが近頃の洋館は天井が低いのですぐ頭の上に火の玉がくるめいているようで
熱いことと言ったらない 体の内でも天井に近いところほど熱く頭から襟筋から背筋へかけて
あぶられるように感じる しかもその火の玉が一つあったらあれだけの酷さを照らすには十分なくらいである
のにそういう奴が3つも4つも天井に光っていて その外にも小さな奴が壁に沿い柱に沿っていくつとなく取り付けてあるのだが
そんなのはただただ隅々にできる隅を消している以外に何の役にも立っていない だから室内に影というものが一つもなく見渡したところ白い壁と赤い太い柱と
派手な色をモザイクのように組み合わせた床が 擦り立ての石ハンガーのように目に染み込んでこれがまた相当に厚苦しい
廊下からそこへ入ってくると温度の違いが際立ってわかる あれではたとえ涼しい夜季が流れ込んできてもすぐ暑い風に変わってしまうから何にも
なるまい あそこは以前たびたび泊まりに行ったことのあるホテルで懐かしく思うところから
親切げで忠告するのだが 実際ああいう軽小な眺望最適な夏の進み場所を伝統で打ち壊しているのは
もったいない 日本人にはもちろんのこといくら西洋人が明るみを好むからといってあの暑さには
並行するに違いなかろうが何より彼より一遍明かりを減らしてみたら的面に了解する であろう
これなどは一例を挙げたまでであってあのホテルに限ったことではない 間接照明を使っている帝国ホテルだけはまず無難だが
夏はあれをもう少し暗くしても良かりそうに思う 何しても今日の室内の照明は書を読むとか字を書くとか
針を運ぶとかいうことはもはや問題でなく もっぱら四隅の影を消すことに費やされるようになったがその考えは少なくとも
日本家屋の美の観念とは両立しない 個人の住宅では経済の上から電力を節約するので帰ってうまくいっているけれども
客商売の家になると廊下階段玄関庭園 表門等にどうしても明かりが多すぎる結果になり座敷や泉石の底を浅くしてしまっている
冬はその方が暖かで助かることもあるが夏の晩はどんな雄睡な秘書中へ逃れても 先が旅館である限り
大概都ホテルと同じような悲哀にぶつかる だから私は自分の家で四方の雨戸を開け放って真っ暗な中にかやを釣って転がっているのが
寮を入れる最上の方だと心得ている この間何かの雑誌か新聞でイギリスのおばあさんたちが愚痴をこぼしている記事を読んだら
自分たちが若い自分には年寄りを大切にしていたわってやったのに 今の娘たちは一向我々を構ってくれない
老人というと薄汚いもののように思ってそばへも寄り着かない 昔と今とは若い者の気風が大変違ったと嘆いているのでどこの国でも老人は
同じようなことを言うものだと感心したが 人間は年を取るに従い何事によらず今よりは昔の方が良かったと思い込むものである
らしい で100年前の老人は200年前の時代をしたい
200年前の老人は300年前の時代をしたい いつの時代にも現状に満足することはないわけだが別して最近は文化の歩みが急激である
ゆえに我が国はまた特殊な事情があるので 維新以来の変遷はそれ以前の300年500年にも当たるであろう
などという私がやはり老人の口真似をする年配になったのがおかしいが しかし現代の文化設備がもっぱら若いものに媚びてだんだん老人に不親切な時代を作り
つつあることは確かのように思われる 早い話が街頭の十字路を号令で横切るようになってはもう老人は安心して街へ
出ることができない 自動車で乗り回せる身分の者はいいけれども私などでもたまに大阪へ出ると
こちら側から向こう側へ渡るのに渾身の神経を緊張させる ゴーストップの信号にしてからが辻の真ん中にあるのは見よいが思いがけない横っちょの
空に青や赤の電灯が点滅するのはなかなかに見つけ出しにくいし 広い辻だと側面の信号を正面の信号と見違えたりする
京都に交通巡査が立つようになってはもうおしまいだとつくづくそう思ったことが あったが
今日純日本風の街の情緒は西宮堺 和歌山福山あの程度の都市へ行かなければ味はバレない
食べるものでも大都会では老人の口に合うようなものを探し出すのに骨が折れる 千田っても新聞記者が来て何か変わったうまい料理の話をしろというから
吉野の山間壁地の人が食べる柿の葉寿司というものの製法を語った ついでにここで披露しておくが米1章に月酒1号の終わりで飯を炊く
酒は釜が吹いてきた時に入れる さて飯が蒸れたら完全に冷えるまで冷ました後に手に塩をつけて固くに入れる
この際手に少しでも水気があってはいけない 塩ばかりで握るのが秘訣だ
それから別に鮭の荒巻きを薄く切りそれをメッシュの上に乗せてその上から柿の葉 の表を内側にして包む
柿の葉も鮭もあらかじめ乾いた付近で十分に水気を拭き取っておく それができたら寿司桶でも米別でも良い中をカラカラに乾かしておいて
小口から隙間のないように寿司を詰め 押し蓋を置いて漬物石ぐらいな重しを乗せる
今夜つけたら翌朝たりから食べることができその日1日が最も美味で2、3日は食べられる 食べるときにちょっと種の葉ですを振りかけるのである
吉野で遊びに行った友人があまりうまいので作り方を教わってきて伝授してくれたのだが 柿の木と荒巻きさえあればどこでもこしらえられる
水気を絶対なくすることと飯を完全に冷ますことさえ忘れなければいいので試しに 家で作ってみるとなるほどうまい
鮭の油と塩気とがいい塩梅に飯に滲み込んで鮭はかえって生身のように柔らかくなっている 具合が何とも言えない
東京の握り寿司とは格別な味で私などにはこの方が口に合うので今年の夏はこればかり 食べて暮らした
それにつけてもこんな塩鮭の食べ方もあったのかと物資に通し参加の人の発明が関心 したがそういういろいろの京都の料理を聞いてみると現代では都会の人より
田舎の人の方が味覚の方がよっぽど確かである意味で我々の想像も及ばぬ贅沢をしている そこで老人はお祝い都会に見切りをつけて田舎へ隠棲するのもあるが田舎の街も
スズラン島などが取り付けられて年々京都のようになるのでそう安心している わけにはいかない
今に文明が一段と進んだら交通機関は空中や地下に移って街の路面は一昔前の静か さに変えるという説もあるが
いずれその自分にはまた新しい老人いじめの設備が生まれることはわかりきっている 結局年寄りは引っ込んでいるということになるので自分の家に支持困ってて料理を魚に
晩酌を傾けながらラジオでも聞いているより他に所在がなくなる 老人ばかりがこんな小言を言うのかと思うとまんざらそうでもないと見えて
経来大阪朝日の転生神護士は府の役人が美濃公園にドライブウェイを作ろうとして 緑に森林を切り開き山を浅くしてしまうのを笑っているが
あれを読んで私はいささか意を強した 奥深い山中の木の下闇をさえ奪ってしまうのはあまりといえば心なき技である
この調子だと奈良でも京都大阪の郊外でも名所という名所は大衆的になる代わりに だんだんそういう風にして丸坊主にされるのであろう
要するにこれも愚痴の一種で私にしても今の時世のありがたいことはバンバン承知して いるし
今さらなんといったところですでに日本が西洋文化の線に沿って歩み出した以上 老人などは置き去りにして
融合を前進するより他に仕方がないがでも我々の皮膚の色が変わらない限り 我々にだけかすられた損は永久に背負っていくものと覚悟しなければならん
もっとも私がこういうことを書いた主意は何らかの方面 例えば文学芸術等にその損を補う道が残されてはしまいかと思うからである