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Cra出しRADIOは、不可がなくなった大切なものを、様々な手法で生まれ変わらせるコレクティブ、ConCRAのメンバーが、工芸を軸に、物と人との関係、物を作ることについて、皆さんと一緒に考えていく番組です。
ConCRAの岩田です。
海です。
須藤です。
はい、よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
上手く言えましたね。
そうです。
やっぱり、今日はね。
対面で。
もう、めくばせで行きますからね。
久々の対面なんで。
ちょっと、音の感じで伝わるといいんですけどね。対面でやってるっていう感じがね。
多分伝わるんじゃないかなと思ってますけど。
このCra出しRADIO始めた頃って、コロナのまだ抜け切らない頃だったし、結構いろんな人がリモートでいろんなことをやるっていうことを音楽家とかいろんな人がチャレンジしてた。
だから、うちの自然の流れで僕ら最初からリモートで始めてたんですけど。
なんかやっぱりいいなっていう。
そうですね。
で、今までだから対面でやったのが、いずれも止まってるとこ。
海さんと須藤さんが京都来て止まってるとこで撮るっていうパターンでしたけど。
今日はちょっと周りにいろんな道具がある場所にいるんですけど。
初パターンですね。作り手の方の工房にお邪魔するという。
確かに。
そうです。
いろいろ話は聞いてきましたけど、実際にこの作ってる現場にお邪魔するっていう。
別に音で作ってる音を聞いていただくとかそういうことではないんですけど。
ちょっとここに集まってるという。
後ででも、音を金床で出してもらってもできます。
やってみてもいいかもしれない。
というわけで、どなたの工房にお邪魔しているかというと、この方です。お願いします。
金属工芸の須藤です。皆さん、ご無沙汰しております。
ご無沙汰しております。
ちょうど1年前に。
1年前ですね。
確かに本当に1年ぐらい。4月?
だってマルクローで収録したの4月。
4月か。本当に1年だ。
4月9日とかじゃなかったっけ?
そんなディティールはされてない。
1日ずれとっても大問題じゃないですよ。記憶がそんなにある。
マルクローのオープンしたての時に止まったっていう。
そうですね。だから倉田書らじを始めて、工芸ってそもそもみたいなところをゲストがいない中で、
よちよち歩きを始めて、記念すべき最初のゲストだったんですよね。
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そうですね。
あとはコンクラの初期メンバーって言ったらいいのかな?違うわ。どうやって言ったらいいんだ?
初期メンバーっていうかメンバー。
っていうところのフランクさんも僕らが正直言って一番聞きやすい作り手の方っていうところで。
そうですね。それもあって、須藤さんに1年前に出てもらった時は、僕らも最初のゲストだったし、
須藤さんが金属工芸家として今のお仕事をされるまでのストーリーみたいなことを割と駆け足で聞いた回になったんですけど、
思い返すと案外須藤さんの工芸家としての活動みたいなことってそんなに触れずに終わっちゃってたなっていう感じがしてて、
結構その後のゲストは割と時間も長めに取って深掘りしてみたいなことができたので、
2回目のゲスト会ということで、その辺を今回は聞いたり。
そうですね。前に出てもらってからの1年間の須藤さんの話とか、
そうじゃなくても、海さんは金属工芸をアカデミックな方向で学ばれて、
割とずっと現場の近くにいる方ですし、僕は須藤さんに出会うまで全く触れることがなかった。
ただ微妙に実家が鉄工廠みたいなところまで金属加工という意味で、
この工房に来ると実家にもこういう道具があるなみたいなものがあったりとかして、
そこの親近感というかみたいなこともちょっとあったりとかするので、
リスナーの方にも金属工芸っていう世界のことをもうちょっと知ってもらえるような話ができたらなと思うんですけど、
何から聞きましょうか?
ちなみに前回須藤さんが出られた回で、須藤くんあれ聞いたよみたいな話って何かありました?
後輩は何人かね。
すごいよく見つけたね。
後輩にとって重要な話をするつもりで喋ったのもあったんで。
どうしてこの道に来たの?
自分自身が何を考えながら生きてきたかっていうのって全部は伝えられないんで、
だからそういうことがあったんだっていうのを追って共有してくれたっていうのはすごい嬉しかったですね。
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須藤さんのそのきっかけって、普通に最初から工芸やるぞとか言って、工芸の学校に入るとかじゃないバックグラウンドの話聞いてて面白かった?
まだ別の後輩と話した時に、自分の人生がつまらんものになるんじゃないかという不安みたいな、
自分の人生経済的に破綻していくことよりつまらん人生になることの方が若いうちは怖いだろうっていう話をした時に全然共感がいられなかった。
確かに思い返せば自分の時代も氷河期も氷河期だったんで、何とか就職したいという連中ばっかりだったんですよね。
もう鼻から諦めてたり、働くのがなぜなのか分かるまで働かないと決めてるような連中だけがちょっとあぶれてるような状態だった。
たぶん僕らの世代でもよく話し合ってないだけでみんなそんなことは思ってなかったんだと思うんですけど、
自分自身はやっぱりつまらない人生になるんじゃないかっていうのは常に恐怖としてあったんですよね。若い時に。
そういう話を、もしかしたらこいつと何が違うんだろうなって思ってた後輩たちは気づいてくれるきっかけになったかもしれないですし。
だから自分自身はそこはすごく大事というか、そこが破綻してしまったらもうたぶん保てないだろうなと。
逼迫に生きていくだろうなという気持ちがどっかにあったんで。
だから自分の人生は充実してるんだっていうのを常に外にも堂々と言えるような生き方になるかどうかっていうのは意識してたんだよっていうのは話したかったんだよね。
だから前回はどういうことを考えたかって、どこが儲かるかとか、どこがかっこいいかとかっていうような話でもなくて、
自分しか当事者がいない状態で判断してたんで、そういう話ってあんまりしたことがなかったんで。
そういう話ができたのはすごい良かったかなと。
2000年代の前半ぐらいですよね。
前回高校の時の美術の先生と出会ってなかったらおそらく工芸とか。
ありましたね。
先生が連絡くるかなと思ったんですけどね。
まだ来てないですね。
一応須藤さんの名前で金属工芸とかで検索すると1年前のエピソードが。
検索でも上位に来る。
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それぐらいもしかしたらアンダーグラウンドの方であった可能性はありますよね。
前回お話しさせてもらった時ってまだただただ仕事をこなしている状態だったんですけど、
コロナもあってね、やっぱりすごい仕事に影響も出たんで、時間も余って、
どうにかしていかないといけないのもあったし、
ちょっと病気したりとかしたタイミングもあったんで、
なんというかね、人間ってやっぱり目の前のことって説得力があるんで、
いくら夢が膨らんでても目の前に仕事があって、それをこなせばお金がもらえてっていう、
現実の説得力にはすごい弱いわけじゃないですか。
それが病気をして、言うと目が見えなくなるかもしれない。
最短2ヶ月で失明に至るかもしれないっていう病気が見つかって、
急に自分がもう長く工芸が続けられないかもしれないっていうのが急に現実になったんですよね。
今までは仕事が現実で、自分が作品が作れなくなるとか物が作れなくなるっていうのは、
あまりちゃんとはイメージしなかったんですけど、急に現実になって、
やっぱり仕事とかお金とかよりも説得力を持って来るじゃないですか、病気って。
で、すごい自分が何を最後、2ヶ月では無理ですけど、
最悪2ヶ月っていう言い方だったんで、数年かもしれないなっていうのは。
それでやっぱり自分が残していきたいものが何かとか、
社会的にはどういうふうな立ち位置で何ができるのかなとかっていうのも、
すごい意識するようになってきたタイミングだったんで、
だからその前回出させていただいた後にすごい外向きの活動が増えて、
作品も増えてるわけじゃないですけどね、作品を見ていただける機会が増えてる。
で、外向きの活動もやっとできるようになってきて、
今まで職人だったのが、少し作家でもあるというような感じが少しずつ今出てきてるところなんですけど、
そういう1年間だったんで、そういう話をしながらも、
しながらもほぼ毎週ちゃんと聞いてる、忙しい時は追っかけたりもありますけど、
大体のエピソードは聞いてて、イスナーとしての立場でもね、やっぱりいろんなことを話したいんで、
そんなの楽しみにしてて。
その辺おいおいに。
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まず、前回須藤さんに話してもらった時って、
須藤さんのやってるお仕事のところでいうと、茶道具の修復とかのお話がどっちかっていうと中心的だったかなと思うんですけど、
今お話にあった作家としての須藤さんが作ってるものっていうのが、
多分結構、まったく工芸っていう分野に関心がなかったり遠かったりする人からすると、
何にもイメージできないっていうところからのスタートかなと思うんで、
まずわかりやすいところで、この1年の中で作って世に出したもので、
具体的に説明してもらうというか、紹介してもらうとすると、どんなものがありますか?
作ったのは、この1年ではないものが多いんですけど、作品は。
そうですね、制作期間が長いですよね。
そうですね、まず日本の伝統工芸の中で、金属とか薪絵だとかね、
そういう過食が多いものって明治時代にすごい盛んだったんですけど、
その中でも金属工芸っていうのは今ほとんど残ってない状態になってしまってて、
衰退?
そうなんですよね、衰退してしまってるんですよね。
本当は一般の人がイメージできないといけないんですけど、
イメージできなくなるくらいまで衰退してしまっている中で、
ここ数年の超絶技巧のブームだったりとか、超絶技巧の話をしようと思うと、
精密に加工しやすい素材って限られているので、
金属を使っている作家が結構多く注目されてきたので、
そういう意味では金属工芸っていうのが少しずつ見直されては来ていると思うんですけど、
偏ってはいるので、
僕自身は広くいろんな技術で作られたものを直してきたので、
どの技法の良さも知っているんですよね。
一般の人が見たら大作りに見えるものでも、
実はそういうものではないよっていうところも、
これは難しいだろうなとか、いい作品だなとかっていうのを、
パッと見すごいシンプルなものでも、やっぱり見させてもらってきたので、
いわゆる超絶技巧が単純に細かくてすごいよねっていう話だけに
とどまらないところに行ってほしいなという気持ちはあるんですよね。
当時日本の金属工芸が世界で話題を集めた頃っていうのは、
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技術は当然ですけど、それだけじゃなくて表現のことだったりとかっていうのも、
かなり評価を受けていたので、
その明治時代の。
そうですね。
だから、それはあれなんですね。
結局、その名工の経歴みたいなものを見ると、
書は誰に習ったかとか、日本が誰に習ったかとかちゃんと書いてるんですよね。
なるほど。
だからそれぐらいやっぱり表現をしっかり誰かについて習ってる人たちが、
いい作品を残してきてて。
日本が通過してんだ。
そうなんですよ。
書も。
そうなんですよ。
そこを自分がやってこなかったところで苦労しながら作ってる状態なんですよ。
なるほどね。
そうなんですよね。
それは基礎、体力的に書をやってたりとか、
日本がやってると字も美しいから、
彫る字も美しくなったりとか、
あとは構成とか形とかそういうのに役に立つ。
そうですね。
それって明治時代に開国して、
海外に日本にも美術っていうものがあって、
それがこういうもんだよっていうことを紹介するために、
わりとプログラムとして形作られたものって言いますね。
そうですね。
だから江戸時代からずっとそういう形だったというよりは、
明治時代に一回そういう。
江戸時代は芸術っていう概念があまり育ってなかったから。
ですよね。
作家っていう概念もあまりないことはないんですけど、やっぱりなくて、
だから名前がない名工とかもやっぱりいるのはいたんですよね。
それは結局幕府もしくは大名のお抱えの職人で、
言うとお給料もらえながらすごい上手いサラリーマン職人ですよね。
そこにもすごい弟子がバーっていて、
各班に剣術の指南役がいるみたいな、
同じように職方の指南役がいて、
そこの下にもいっぱい文化生がいるみたいな状態があったんでしょうけど、
それを何か美術的な価値を持って西洋にアピールしたりはしてなかったので、
そこに芸術っていう概念が入ってきて、
自分たちも芸術的なことをやってるんじゃないかっていうような動きが生まれていったみたいな。
ちなみに万博とかって、
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最初に日本が海外に対して日本の工芸とかを外に展示したきっかけって、
確かパリ万博だったか、ウインとかだった?
あれって何時代だったっけ?
明治時代ですね。
何か薩摩藩が単独で出したみたいな。
何かあったっけ?
イギリスの大使だったかな?
何かが個人のコレクションを日本ブースに展示したらしいんですけど。
一番最初は。
それを視察に行った。
これテレビで見たら受け売りですけどね。
それを見に行った人が、
琴絵の雑記が並んでるみたいな展示で、
漠然としたけど、向こうではすごい評価が高かったらしくて。
それならということで、
一応きっちり制作として奨励して作らせて。
なんか結構開講の時期を遅らせるための
何か目論みがあったとかなんとかっていうのは
テレビではそういうふうな紹介の仕方をしてましたけど。
だから本当に制作としてですね。
クールジャパンですよね、昔。
近代のことで言うと、
多分日本の産業革命って明治時代から起こってるから、
さっき須藤さんが言った、
金属の工芸としての概念が伝わりつつあるっていうのは、
産業革命にありとあらゆる金属の加工が置き換わってるっていうのがあると思うんですよね。
工芸的な価値付けを世界に向けてやっていこうとしてたのと、
産業革命が同時並行してたっていうのは、
ある種の象徴的な動きだったと思うんですよね。
工芸っていう概念も別に江戸時代なくはなかったようですけど、
結構工芸っていうふうに言い出したのが結局明治以降で、
そうやって言い出すことによって、
芸術っていう新概念、上位概念に対するカテゴライズみたいなのも
同時に明治に進んでいくみたいな。
金属の加工ってさっき海さんがおっしゃったように、産業革命で
完全に製造の手段っていう側面はなくなっていってるんですよね。
だから製造業じゃなくなっていってるんですよ、そこを境に。
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どんどんそれが発展してきてるんですよね。
今いわゆる例えばレーザーカットで貝を切ったりとかっていう、
薪江の人が作品。
ラデンのような貝を切ったりとかね。
貝を切る職人が仕事がなくなっていってる。
そういうような他の工芸にもいよいよ波及しだしたんですけど、
済んでるんですよ。繊維と紙と金属は100年以上前に終わってる話で
とっくに負けてるんですよ。
だから今仕事がなくなっていくんだっていう話は、
これははっきりなくなっていくんですよね。
なくなっていったんで、僕たちも。
僕たちの先輩たちは仕事がなくなっていったんで。
でもなくなっていかなかったんですね。
繊維の仕事だって紙の仕事だって金属の仕事だって工芸としても残ってきたんですよね。
どちらかというと器具してる人たちは是非先に苦境に立った僕たちの業界を見て
いかに生き残ったか。
だから前回のAIの回とかも聞きましたけど、
NCとか岩田さんのご実家とかってよく分かると思うんですよ。
NCで加工したりとかっていうのってすごい良くなってきてるんで最近。
だからどうですかって金属工芸家としてどれくらい脅威感じてますかって言われても
いやもうとっくに負けてるんで。
差が今まで例えばネジ1個作るのに機械だったら1秒だとして
僕たちだったら例えば10分だとして
それが機械が0.1秒でできるようになったことについてどう思いますかって言われても
いやもうそれは別に何も思わないですよ。
鼻から負けてるんで。
将棋がAIに負けていった時期とか
やっぱり頑張ってほしいという気持ちで見てましたけど
あっという間に置いていかれて
もう今AIと人間がどちらが強いか検証する必要もなくなっちゃったと思うんで
さらに差が開いてるんですね。当時人間が全敗した都市がありましたけど
今なんかもう圧倒的に負けると思うんですけど
でもそれは抜かれるまでの勝負であって
抜かれてしまってからっていうのは役割を分担していくだけのことなんで
製造を機械がやってくれるようになった以上は
もう僕たちは製造業ではありませんっていう風にしていかざるを得なくなったという
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そうなんですよね。
職人っていう意味が変わったっていうのは
その製造の職人というよりは
どういう職人像に変わっていったんですか?明治時代以降
これがね、今日はちょっと大事な話になると思うんですけど
今ツイッターとかね
ツイッターなのかインスタグラムか分かってないですけど
写真みたいな絵を描いて
いいねみたいなのあるじゃないですか
例えば前回の
前回の話じゃなくて
人がめちゃくちゃ写実的な
それって写真ができる前って
みんな驚いてたのかなと思ってるんですよ
写真ができる前って
写真みたいっていう驚きになっちゃってる
写真があるまでは
絵描きは絵が上手くて当たり前なんで
写真みたいにそこに描けるなんてのは
当たり前だったのが
それが写真が出て
今や写真みたいな制度で
空想のものをAIが作って描いてくれるようになって
アナログの価値って上がったと思うんですよ
一周して人間が手で描いてるんだっていうのに
感動できるようになったと思うんですよね
ツイッターでどれが本物のポテトチップスか
みたいなのありましたよね
写真なのか手描きで描いてるのか
本来は写真ができた時点で
写真みたいに描くことは必要でなくなったわけじゃないですか
今や空想のものでも写真みたいに
感じられる人間
みんなが感じられるものを作ってくれるようになったんで
写真の弱いところはあるものしか撮れない
それがないものですら撮ったかのように
用意できるようになってしまって
何が起こるのかなっていうと
手で描いてることに感動できるようになってきたんだと思います
金属工芸も機械加工が進んで
製造業としての役割が終わりましたよね
っていう話なんですけど
でも感動できるようになってきてるんですよ
その前はどっちかというと
感動するようなものとしてのものは逆に少なかった
と思ってます
感動させようと思うと美術性とか芸術性がないといけなかったのが
ごくシンプルなものが機械で作ってると思った
手で作ってるんだっていうのに
感動できるようになってきてると思ってるんです
27:00
なるほどね
それが最初におっしゃった超絶技巧っていうのが
工芸の分野で注目されるようになった今の
超絶技巧というよりは機械加工が
一体どういう影響を及ぼすかの話が
自分自身は超絶技巧に一体とか
芸術性を高める
賞とか日本画を勉強して
芸術性を高めていくしか生き残っていけなかったし
だから生き残ってこれたんだって信じてるんですけど
決してそうじゃない状況になってる
そうです
だからもはや別に
芸術性とか作家性みたいなのがそこになくても
手でやったっていうことだけで
感動できちゃうっていう
因因変わるか
めっちゃわかる
機械工芸とかいうやつ
多分もちろんだから
須藤さんとか
明治時代の人では手にできなかった
リューターとかグラインダーとか
電動工具とかもものすごい発達してるし
そういうことを含めてもっていう話もあると思うんですよね
全然作業科学が違うし
手作りとか書くじゃない
手作りで作っていますとか
なんでそれ書かないといけないんだろうかっていうのは
まあそうですよね
全く手がかかってないものも
だって機械だって100%オートメーションして
工場だったらあり得るけど
ロボットが車を作るときとかって
人間が入ってなくてロボットが作るみたいなね
それを手作りで車作りましたって
すごいなとかなるんだけど
そのレベルで手作りでって
お土産屋さんとかに置いてあるようなものが
これ手作りなんですよとか言われても
当たり前じゃないですかみたいな
なんでわざわざ言ってくるんだろうって
すごい不思議な気持ちになるときある
だからねこれはもう
なんというか
これ前はね僕
すごい良いホテルで収録させてもらったんで
アウェイだったわけじゃないですか
ホームなんで
ホームなんで
だから本書を出していったほうがいいと思う
だからね
江戸時代とか
いわゆる日本にも機械産業がまだ全然ないときね
生活の全てはやっぱり人が手で作ってたわけじゃないですか
だから生活工芸です今の言い方をするとね
生活工芸の正当な継承者は誰なのだという話だと思うんですけど
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僕は機械加工とデザイナーのタッグだと思ってるんですよね
なるほどね
庶民の生活がより幸せにより豊かにより美しくなった
それが生活工芸の役割だとしたら
それを今担保してくれてるのは
機械加工屋さんとデザイナーのタッグだと思ってるんですよね
だからあちらが正当な継承者だと思っていて
柳宗義の息子が柳総理っていうのは必然性がありますよね
父親の意思をちゃんと継いだのかもしくは
やっぱり民間運動っていうのが
いわゆる売り方のマーケティングの技術であって
本質的なところから目を背けさせたっていう
そういう部分も大きいんじゃないかっていう
民間界でその話はしてましたよね
ビームスラナーみたいな
リクリではないかも
多分民間の会だと思いますけど
大乗仏教の話を岩田さんがしてたんですけど
正乗仏教っていうんですかね前の状態の
僕たちはそっちなんだなっていうのはすごく強く理解したんです
今の工芸金属工芸っていうのが正乗仏教
今の金属工芸っていう大きい話じゃなくて
僕自身の話として
本質を理解しないといけないという
南無阿弥陀仏と言ってりゃオッケーっていうような
思考を止めさせるような方は
これはちょっとやや言い方としては間違ってると思いますけど
消費していったらいいよっていうのは機械加工と
デザイナーのタッグの方がちゃんと用意してくれてるんで
そちらはもうそちらでいいと思ってて
そこで何を
自分たちが何が足らないと思ってるのかというね
効率とか合理性では何が足らないと思ってるかのところに
自分たちの出番があるんですけど
それが手で作ってるんですよっていうだけで
本当にいいのかっていう話はしないと
手で作ってないものも多いんでね
これ言っていいんかな
手で最後仕上げてるだけのものってやっぱり多いんで
機械で作って
岩田さんの50回作ってもらって
最後僕がピピってやって
これ手作りですよっていうのって
言えちゃうわけじゃないですか
手作りっぽくできるわけじゃないですか
それでいいのかというのは
33:02
価値の見方が手作りに重点が大きすぎるから
それが絶対に手じゃない
手でやらない加工のプロセスもあるのに
それについて喋りづらくなっちゃってるっていうのが
めちゃめちゃ難しいんですよ
僕も学生の時に
例えば鉄で作品を作るってなった時に
角棒っていう断面が正方形の棒を加工する時に
棒材として使うのに
製材屋さんから買ったまんまのものとかに対して
多少熱して金槌で跡をつけてから使ってたんだよね
極論言うと今須藤さんの言ってる話と一緒なんですよ
なんで電動のあれこれで木工で作った後
最後の実の跡をつけるようなことをしんといかんのかな
っていうのを結構シンプルに疑問に思ってて
その時の発想としては
粘土のように無形のものから作るわけじゃないから
形に敏感であればあるほど
工業製品としての形っていうものの存在が強すぎるから
それで一回手を入れてフラットにせんと
ものが見えてこないっていう風に先輩なりに言われて
それ自体はそうだなという風に思ったんですよね
今思うのはまたちょっと一周だか100周ぐらいとかしてきて
それには必要はあるのかっていうのも
僕はこの年になってやりやと思ってはいますけども
工業製品で大量生産されたもの
VS手っていうもちろんそれもあるけど
そこのディスカッションですごく気になるのが
よくこの作品作ったのにどのくらい時間かかりましたかって聞かれますよね
アーティストとしては聞かれないんですよ
これすごい不公平だなとか
時給で作品作ってるわけでもないのに
時間かけたって言うと値段がつり上がって
っていうのをピカソの偶話を踏まえて言うかどうかですよね
ピピピって書いてこれを書けるようになるまで
僕は何年もかかったんだっていう言い方をする
言い方もあるかもしれないし普通に描かないと
だから僕たちがものを作る時ってさっき言ったように
やっぱり書が書けない日本が書けない
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書けたら短時間でできただろうけど
自分はそれができないから
例えばこぎれっていう古い布をモチーフにした作品とかも作ってるんですけど
こぎれの模様がまずわからない
お茶やってる人だったりとかするとすごい詳しいんですけど
自分は基本的な教養を身につけずに来たんで
そこに何時間どころか何週間もかかる
くよくよ悩むしね
そこの時間を入れるのか入れないのかっていうこととかも
仕事ならどうなのかっていう話はあると思うんですけど
作品で僕がすごい感じてるのは
作品を買ってもらうっていう感覚はなくて
やっぱり本当に時間がかかるんで
1つ作るのに2ヶ月も3ヶ月もかかるんでね
1ヶ月ちょっとでできたとしても
それだけあっても1年で10個ぐらいしかできないんで
そんなほとんど作れないんですよね数が
自分のその期間を
人生のその時間をその作品にかけたわけなんで
その時間を買ってもらってるイメージなんですよね
自分にかけた時間を買ってもらってるイメージなんで
だから複製ができないようなものを作って
自分はこれを1ヶ月かけて作ったんだから
自分のこの1ヶ月を作品として買ってくれという
時間を買ってもらってる感覚っていうのは
時給換算というよりは数が作れないんで
なんていうんですかね
機械費用というように使ってますかね
多分須藤さんがさっき言ったのは
多分今須藤さんが言ったのって
リサーチしたりあれこれ悩んでっていう
時間も含まってる意味での時間も含んでると思うんだけど
それこそアーティストは聞かれないっていうので
その文脈は手を動かしてた時間のことでよく言われるんじゃないですか
アーティストはまず基本的に
作品っていうのもギャラリーで売って
何パーセントかギャラリーに入って何パーセントか作家に入る
まず金額を払わなきゃいけないから売ってくれるギャラリーに
まずそこで普通に値段が上がりますと
あとそうじゃないタイプのやつもあって
コミッションワークって言って
ギャラリーだったりミュージシャン
ミュージアムだったり文化施設とか
いろんな会社さんから
こういう風にプログラムがあるので
何を作ってもいいから
こういうテーマでもいいし
あなたがやりたいテーマにどうぞって言って
いついつまでに出してくれると嬉しいな
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それはお金払うタイミングっていうのもあるから
そういう時は時間なんですよ
3ヶ月あるとか5ヶ月で
それで最終的に作品じゃなくても
アーカイブでもいいし最悪
やってる風の写真とかでもいいんですよ最悪
一番いいのはもちろん作品作って展示して
アーカイブ出してこれやりましたってなるのが
一番ベストなんだろうけど
3ヶ月で何も作れないんですよ
アーティストインレジデンスプログラムとか
大体3ヶ月6ヶ月とかだけど
基本3ヶ月でわーって作った人たちって
前倒ししてリサーチしてて
プランもはっきりしてて
わーって作ってるから
そこはカウントされないっていうのはある
今のコミッションワークじゃない場合の
純粋な作品の場合は
しほさんの場合はどうやって
自分の作品の値段っていうのは
どういう風につけるんですか
それはギャラリーの人と相談して
決めたりとかすることが大体普通なんだけど
自分の市場価値っていうのが
もちろん最初は
例えばよくやる手が
5個しか作品を作らない
もっともっと作れるのに
50個とかできるのに
わざと5個ってリミテッドにする
それさっき須藤さんが
自分はたくさん作れない
私たちを作れたとしても作らない
ここが違うんだけど
売り方として金額設定も
最初に買ってくれる人は
アーリーアダプターみたいな感じで
ちょっと値段が下がってて
最後の2コマとかになると
急に値段がバーンって上がる
購買意欲を掻き立てるようなのをやるんですよ
私が必ずやってるとかじゃないんだけど
ギャラリースト的な視点で
ギャラリーとどういう戦略でやるかとか
ギャラリーも最初は分かってて
だから値段はちょっと下気味で
だんだん上がっていくっていうのを演出したいから
一気に最初からすごい値段バーンっていうのは
よっぽど確信持って
こんな人はもう二度とYouTubeに行ったみたいな
あったらすごい値段だろうけど
基本は育てた感をやっぱり演出したいと思うんですよ
引退した感
それでたくさんの弊害が含まれて
ハッタさんの振り返り会が
しおさんがビジネスゲームだって捉えてるっていう話が
今の話にすみえたなって感じ
なるほどね
困ってるのが美大生とかは卒業展とか行って
ギャラリーとかがすごい低い金額で買うわけで
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学生としては初めて自分の作品を
誰かが買ってくれた認めてくれた
すごい嬉しい
値段なんかあんまり土返しで売っちゃうわけ
そうするとそれが彼らのスタート金額となっちゃうってこと
彼らまだ知らない
そこは一旦その金額はちょっとって断って
自分で売り出して
値段決めてからギャラリーストと交渉した方が絶対いいと思うんだけど
やっぱりそこは認められたいギャラリーが付いたっていう方に
負けてしまってっていうパターンが最近あるある
ちょっとそれは問題だと思う
前の回見て
自己承認のところで頑張って揺れ動きながら制作作ってる人に
承認っていう甘い言葉とかはなかなか難しいよね
でもちょっと須藤さんのゲストなんで
例えば今ちょうど今まであった修復だったりとか
依頼があってする仕事と
作品に値段を付け始めるっていうのも
もしやられ始めてるとしたら思うところってあるんですか?
今須藤さんの話を聞きながらやっぱりこういうことなんじゃないかというね
時間に換算したりとか時間の長さで価値を測ろうとする
何なんだって話とか共通するんかなと思うんですけど
やっぱり工芸品って基本的には所有物なんですよね
所有した人が幸せになって
所有できなかった人っていうのは言うと何も変わらないというような
個人の所有欲を満たすためのものなんですけど
料理道具とかと違って
なくても生活には困らないけれど豊かにしてくれる
美術は僕は違うと思ってる
アートは違うと思ってて
それが生まれたことが非常に人類にとって重要であって
それを所有しているかどうかっていうのは
あまり関係がないと思ってるんですよ
だからそのモナリザが欲しいっていう発想って
多分あまりないと思うんですよ
モナリザを所有したいという
所有できないんだったら
別にそんなに興味の対象にならないわけではなくて
やっぱりみんな見に行くわけじゃないですか
僕はモナリザじゃなくてモナリザの部屋に行くまでの
廊下にすごい大きい宗教画がいっぱい並んでるのを見て
圧倒されたことがあるんでね
ルールですかね
ルールで
だからどういう情熱で描いてたんだろうなとか
45:05
すごく感じたし
こういうのをやっぱり生み出した人たちがいるんだっていうのは
純粋に人類として誇るべきなんじゃないかっていうのは
すごい感じたんですよ
所有と作品の存在があまり密接につながってないのが
アートだなと思ってるんですよね
なんかその線引きというかでいくと
例えばモナリザが何のために
どういうふうな経緯で描かれたか全然知らないですけど
宗教画とかって教会みたいなある程度のパブリックなところで
そこに来た人が見るものとしてそこに描かれてるじゃないですか
日本でいうと例えば仏像とかってそうじゃないですか
モナリザはもともとの趣旨は誰かが所有するために描いたかもしれない
ですよね
それが今はいろんな経緯を経て
むしろパブリックなものとして見られているモナリザが
だから必ずしも工芸が所有するっていう
カテゴリーにいるかいないかっていうのは
結構歴史的にどっかに分岐があったような気がする
だから岩田さんがおっしゃってまさにそうで
僕が自分の仕事とは別で作品として心がけているのは
美術工芸をやりたいと思っているんです
美術工芸というのはもう廃れてしまって
特に金属工芸は廃れてきていて
自分の作品が生まれたことを喜んでくれたら
個人が所有できなかったとしても
こんなものをまだ作る人がいたんだと思ってくれて
それを一緒に喜んでくれれば
こんな幸せなことはないんですよね
だから工芸にその可能性がないとは思ってないんです
実際にそれが成し得てきて
自分たちがこれが日本の工芸かっていうのを
感動して誇ってきた時期がすごく長かったので
だからそれがなくなってしまって
個人にいかに所有してもらうかっていうのを
意識しすぎたものっていうのは
やっぱり商品的になっていくんで
買ってもらい
購買欲というか
欲しいと思わせる方に寄せてる
欲しいかどうかっていう話と
好きかどうかっていう話と
その作品が生まれてよかったなと感じるかどうかって
本来別の感覚のはずなんですけど
48:00
僕はルーブルで見た宗教絵画全然好きじゃないんですよ
全然好きじゃないんですけど
圧倒はされたんですよね
好みですよね
それっていうような話っていうのは
そのレベルから超えてないから出る話であって
一定レベルを超えたら
やっぱり圧倒されるっていうことってあるんだなっていうのを
その時体験したんですけど
ただそれぐらい自分の感性がその時は
やっぱり豊かだったんだなと思うんですよ
ウォーホールの回があったでしょ
あの時にポップはポピュラーの略なんだっていうのは
僕知らなかったんですけど
なるほどそういうことかっていうのはすごい思ったんですよね
だからやっぱりウォーホールは
なんというか
やっぱり革命的だったと思いますし
すごいこう
まさにポップにライトにアートに触れられるような
感覚はあったと思うんですね
当時の人たちからするとね
で功績もすごい大きいと思ってて
じゃあ功績だけなのかっていう話だと思うんですよ
財もあるんじゃないか
ポピュラーになることで
多くの人間がそれについてやっぱり身近になって
それを簡単に感想を持てる状態になったと思うんですよね
それはすごい良いことだと思うんですよ
それがSNSが発展してここまでに至って
ただの数字になってきた時に
ちゃんと言い方違うな
自分が好きかどうかとか欲しいかどうかだけで
ジャッジする人間が大多数で
その人間たちが
これ悪いとかいいとか言ってるんじゃなくて
そういうもんだと思うんですよ
自分がいつかこういう作品を作りたいなと思って
美術を見てる人と
僕は当時はそうだったんですね
それは単純に見に行った人と言えば
やっぱり考え方も違うし
やっぱり受ける衝撃も違うと思うんですけど
だからポピュラーになった財の部分も
アートには結構今出てきてるんじゃないかとも思ってるんですよね
それが工芸の方にも出てきた結果が
手作りだとか
何時間かかったかとか
51:01
そういう民主化ですかね
民主的工芸ですよね
民主化された
ワディとは言わないんですけど
一つの方向性でしかないとは思ってるんですよ
僕も金属の界隈に形突っ込んでいる人として
めちゃめちゃ言葉を選びながら言うんですけど
東京の三鷹にロボット兵っていうのがあるんですけど
ラピュタの
あれって今の話の文脈ですると
すごい語るネタがめちゃめちゃあるんですよね
ちなみに三鷹っていうかジブリ
ジブリ美術館ってあそこであったんですか
そうです
あれは何て言うんですかね
多分っていうか
自分が知ってる範囲の人が作ってるっていうのから
僕は
むせてますね
急に喋りたくなった
これが海君が本音を言う
いやいや
シャチマラさんって方が作ったんですけど
すごくその人のスタンスとか
作るものを作ることに対するマインドとか
僕学生の時にすごい憧れがあったし
シャチマラさんって方の学生の時の作品がすごい好きだったんですけど
ジブリのロボット兵が置かれた時に
その後の周りの反応が面白かったんですよね
今須藤さんが工芸の歴史とか
美術工芸とは何なのか
人間とは何なのか
ポップが何なのかっていうのが
全部ひっくるまった話なんですよ
多分まずロボット兵に関して言うと
銅板を叩いて
銅板だけで作った
非常に技巧的な作りなんですよね
銃像でもないし
単像でわざわざあれを作るっていう
銃の女神と同じ作り方ではあるんですけど
そもそも
おそらくジブリのロボット兵の存在を知っている人でも
その技法のことは
ほとんど99%以上の人はどうでもいい話なんですよ
ってことは
この技法だからこれがあってすごいよね
54:04
っていう話でもないんですよね
かといって須藤さんが言ったように
何百本も何本も譲んないんですけど
あれを一種のアート作品として考えた時に
あれ別に
ああいうのがあってすごいなとも思うけど
別に所有したいとも思わないんですけど
単純に大きすぎるっていうのもあるし
別にそれこそ好みの問題かもわからんから
圧倒的なそもそもがジブリっていうコンテンツパワーのもとに
多くの人が知っているキャラクターであるっていうところで
もはや作品
それのフィギュアという風にも言えるかもしれないし
作品とも言えるかもしれないし
両方とも何か違うかもしれないし
あれがあった時に
すごい言い方を選ばずに言うと
ああもういよいよ金属工芸死んだなと思ったんですよね
本当に
要するに金属工芸として誰も語らないから
僕らの界隈はもちろんその文脈で語るんですけど
アーティストとしてはアート作品になるんですか
巨人兵はジブリが考えたものじゃないですか
それを実寸大かわからないですけど
再現したように見えるんですけど
再現行為っていうのは芸術活動だと
完全にコミッションワークですねあれは
もしも彼が勝手に誰にも頼まれず
ジブリにも置かれず
あれをひたすら作ってて
なんでって言ったら
好きでしょうがなくて
どうしても見たかった実物大の
しかも同じような素材で
っていうようなコンテクトを喋ってて
プレゼンテーションしてたらアートワークとして
コレクションされるっていうのはあり得るんですけど
そういった話は一切今のところ私も
あの作品っていうか
コミッションワークに対しても聞いてないし
言ったら猫バスがあるんですけどジブリの
あれに近い存在に
みんな喜んで見てて
こんなサイズだったみたいな
確かにずっと昔からここに佇んでて
時が止まっちゃってる風にも見えるし
すごい感動
ある意味映像で見ていたものが
急にリアルに見えて
おおっていう感動はある
なるほど
銅で作ってるっていうのは鉄で作るより
野外設置なんで
57:00
具体的に錆びてこないっていう
あるいはなんなら6章で味が出てくるかもしれないっていう
素材的な利点というか
貢献はあると思うんですけど
それこそさっきの話ですよね
金属の加工技法も産業革命以降上がってきて
あれを別にわざわざ手で単金で作る必要がなかったかもしれない
っていう仮説を考えた時に
あれって実は手で作ったんですよ
すごくないですかっていう文脈に
立ち戻るかどうかなんですよ
時間もかかったんですよ
時間もかかったんですよ
すごくないですかっていう話オプショナルで
その物体の貸し付けのために
するかどうかなんですよね
それがなんかこう
あれで結構いろんなことが語れるんですよね
今言ってたAIの問題もそうだし
加工技法の発展もそうだし
まだちょっとリスペクトはあると思う
作品に対して
置いてある場所がまず入り口っていうのは
すごい重要な
象徴的な場所だし
今また名古屋の方でジブリのパークができて
それで問題になっているんですよ
ジブリのキャラクターに対して
私も実際見てないので
ただ記事で読んでる
勝手に妄想なんですけど
女性化なんかの銅像があって
それをパンチラーだとか
写真撮ったりとかしている人がいて
それって子供の前でまずやるなっていうのと
一応ジブリのパークって
家族で行くから子供を見てますよと
あとは作品とかキャラクターの人格っていうのは
あるなしに置いといて
それで冒涜ですよねって言って
やっぱりそれに対してお客さんだからとはいえ
注意をするべきかどうかとか
それ考えたら
そんなロボット兵に対して
そういうリスペクトなさなんて今は全くない
そこちょっとやっぱり
さっきコミッションワークって言ったけど
ちょっとやっぱり何かが違う気がする
例えば横浜に置いてあった
実物大のガンダムの見え方と
さして変わらないくらいだと思ってるんですよ
ぶっちゃけ言っちゃうと
それを例えば
名前が出てるアーティストじゃなくて
例えば岩田さんのご実家みたいに
鉄工のプロが
産業として作ったというのでも
意味が変わらないのか
変わるのかっていうのが
わからないですけど
ジブリの森とかだと
宮崎駿自身がどのくらい監修に関わってるかによって
ロボット兵の設定として
700年間ずっとラピュタで眠ってたみたいな
その当時の技術で考えると
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どうだなみたいなこととか
手で作ってるなみたいなところまで
深掘りして宮崎駿は
これはどうしても炭造で
手でどうでやってもらわないと
ロボット兵ではないっていう
こだわりがあるんやったら
コラボレーションだな
なんとも完全に
なるほどなるほど
コラボレーションなどっちかっていうと
思いとかも考えてっていう
僕に抜けてた視点は
宮崎駿監督の視点でした
わからないですけどね
自分の辺りに入ろうかなっていう
確かに確かに
いやー面白い
すいません
須藤さんゲスト帰ったの
ちょっとね
須藤さんの
まだ多分リスナーに
須藤さんが具体的に
何を作ってるのか
まだ伝わってないんですよ実は
なのでちょっと
次のエピソードで
なるほど
須藤さんの
この1年間の中で
中でだけじゃないけど
作ってるものっていうのを
具体的に知りたいなという
ところで
次のエピソードに行きたいと思います
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