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寝落ちの本ポッドキャスト。こんばんは、Naotaroです。
このポッドキャストは、あなたの寝落ちのお手伝いをする番組です。
タイトルを聞いたことがあったり、実際に読んだこともあるような本、
それから興味深そうな本などを淡々と読んでいきます。
エッセイには、面白すぎないツッコミを入れることもあるかもしれません。
作品はすべて青空文庫から選んでおります。
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さて、今日はですね、小泉八雲さんの、なんだっけ、なんだっけ、
葬られたる秘密です。
現代はデッドシークレットということで、
これを戸川明三さんという方が訳して、それを今日読もうと思います。
日本語にしてくれたやつを今日読みます。
小泉八雲さん、アイルランド系ギリシャ生まれの新聞記者、
気候文作家、追筆家、小説家、日本研究家。
明治期の日本を海外に紹介したことや、
耳なし法一、雪女、ろくろ首、のっぺら棒といった、
日本に古きから伝わる苦笑の説話を記録、翻訳し、
世に広めたことで評価されているということで、
今日はそんな小泉八雲さんの葬られたる秘密。
短いです。さくっと読んでまいりましょう。
それでは参ります。葬られたる秘密。
尾園の死と幽霊の帰還
昔、丹波の国に稲村屋玄介という金持ちの商人が住んでいた。
この人に尾園という一人の娘があった。
尾園は非常に礼儀で、また美人であったので、
玄介は田舎の先生の教育だけで育てることを遺憾に思い、
信用のある従者をつけて娘を京都にやり、
都の夫人たちの受ける上品な芸事を修行させるようにした。
こうして教育を受けてのち、尾園は父の一族の知人、
長良屋という商人に片付けられ、ほとんど4年の間その男と楽しく暮らした。
二人の中には一人の子、男の子があった。
しかるに尾園は結婚後4年目に病気になり死んでしまった。
その葬式のあった晩に尾園の小さい息子は、
お母さんが帰ってきて二階のお部屋にいたよと言った。
尾園は子供を見て微笑んだが口を聞きはしなかった。
それで子供は怖くなって逃げてきた、というのであった。
そこで一家のうちの誰かれが尾園のであった二階の部屋に行ってみると、
驚いたことにはその部屋にある碑の前に灯された小さい灯明の光で、
死んだ母なる人の姿が見えたのである。
尾園は、タンス、すなわち引き出しになっている箱の前に立っているらしく、
そのタンスにはまだ尾園の飾り道具や衣類が入っていたのである。
尾園の頭と肩とはごくはっきり見えたが、腰から下は姿がだんだん薄くなって見えなくなっている。
かたかもそれが本人のはっきりしない反映のように、また水面における影のごとく透き通っていた。
それで人々は恐れを抱き部屋を出てしまい、下で一度集まって相談をしたところ、
尾園の夫の母の言うには、
女というものは自分の駒物が好きなものだが、尾園も自分のものに執着していた。
たぶんそれを見に戻ったのであろう。
小人でそんなことをする者もずいぶんあります。
その種なものが断寺にやられずにいると。
尾園の着物や帯もお寺へ納めればたぶん魂も安心するであろう。
で、できる限り早くこのことを果たすということに決められ、
翌朝引き出しを空にし、尾園の飾り道具や衣装はみな寺に運ばれた。
しかし尾園は次の夜も帰ってきて、前の通り短室を見ていた。
それからその次の晩も、次の次の晩も毎晩帰ってきた。
ためにこの家は恐怖の家となった。
尾園の夫の母はそこで断寺に行き、
和尚の訪問と調査
住職に事の一期一従を話し、幽霊の件について相談を求めた。
その寺は禅寺であって、住職は学識のある老人で、
大元和尚として知られていた人であった。
和尚の言うに、
それはその短室の内か、またはその近くに何か女の気にかかるものがあるに相違ない。
老婦人は答えた。
それでも私どもは引き出しを空にいたしましたので、
短室にはもう何もございませんのです。
大元和尚は言った。
よろしい。では今夜私がお宅へ上がり、
その部屋で晩を致しどうしたらいいか考えてみるでござろう。
どうか私が呼ばれるときの他は、
誰も晩を致しておる部屋に入らぬよう命じておいていただきたい。
日没後、大元和尚はその家へ行くと、
部屋は自分のために用意ができていた。
和尚はお経を読みながら、そこにただ一人座っていた。
が、根の刻すぎまでは何も現れては来なかった。
しかしその刻厳が過ぎると、
大元和尚の姿がふいに、
短室の前にいつとなく輪郭をあらわした。
その顔は何か気になるといった様子で、
両目をじっと短室に据えていた。
和尚はかかる場合に称するように定められてある経文を口にして、
さてその姿に向かって、
大園の皆名を呼んで話しかけた。
私はあなたのお助けをするためにここに来たものでござる。
定めしその短室の中には、
あなたの心配になるのも無理のない何かがあるのであろう。
あなたのために私がそれを探し出して差し上げようか。
影は少し頭を動かして承諾したらしい様子をした。
そこで和尚は立ち上がり、
一番上の引き出しを開けてみた。
が、それは空であった。
続いて和尚は第二、第三、第四の引き出しを開けた。
引き出しの後ろや下を気をつけて探した。
箱の内部を気をつけて調べてみた。
が、何もない。
しかし大園の姿は前と同じ様に気にかかるといった様にじっと見つめていた。
どうしてもらいたいというのかしら、と和尚は考えた。
が、突然こういうことに気がついた。
引き出しの中を張ってある紙の下に何か隠してあるのかもしれない。
と、そこで一番目の引き出しの張り紙をはがしたが、何もない。
第二、第三の引き出しの張り紙をはがしたが、それでもまだ何もない。
しかるに一番下の引き出しの張り紙の下に何か見つかった。
一通の手紙である。
あなたの心を悩ましていたものはこれかな?と和尚は尋ねた。
女の影は和尚の方に向かった。
その力のない行紙は手紙の上に据えられていた。
私がそれを焼き捨てて死んぜようか?と和尚は尋ねた。
和尚の姿は和尚の前に頭を下げた。
今朝すぐに寺で焼き捨て、私のほか誰もそれを読ませまえ。
と和尚は約束した。姿は微笑して消えてしまった。
和尚が梯子段を降りて来た時、夜は明けかけており、一家の人々は心配して下で待っていた。
ご心配なさるな。もう二度と影は現れんから。
と和尚は一堂に向って行った。果たして和尚の姿はついに現れなかった。
秘められた手紙の焼却
手紙は焼き捨てられた。
それは和尚が京都で修行していた時にもらった縁書であった。
しかしそのうちに書いてあったことを知る者は和尚ばかりであって、秘密は和尚と共に葬られてしまった。
1937年発行。第一書房。小泉薬紋全集。第8巻。家庭版。より独了。読み終わりです。
はい、短いですね。
んー、あと、何の、何のためらいもなく幽霊が出てくるね。
当たり前の世界線になってますね。
階段好きの人だからしょうがないか。
最近一冊本を読み終わりまして、面白かったので共有したいと思います。概要欄にリンク貼っておきますね。
本のタイトルは未成理な人類。作者はインベ・カオリさんという方ですが、
一文目が良くて、「芸術と犯罪と症状は似ている。どれも表現であり言語だからだ。」と始まる。
路上の落書きから不幸の手紙まで、つい人間がやっている不思議な、経済合理性とはかけ離れた行動とかを一つ一つピックアップして、
まとめているというか、こういう事例もあるね、みたいなのをまとめているんですけど。
例えばですが、これ中に出てくる話の一つなんですけど、
女の子が男の子のことをすごく好きで、すごく好きですごく好きで、歌まで作っちゃったとするじゃないですか。
作ってるんですけど実際。
その歌だけを完成させて、歌だけ受け取った人たちは、あの歌はいい歌だ、あるいはそんなにピンとこないなとかいろいろあると思うんですけど、歌として評価するじゃないですか。
ところが、好きで好きでしょうがない女の子は、好きすぎる余りストーカー行為もしてるわけですよ。
社会のルールで、物差しで測るとストーカー行為をしているので、ダメですねという評価が下されるけど、他方で作った歌に関しては、歌として最初の一文に聞けつる、
アートと犯罪の関係
芸術と犯罪と症状は似ている、に表現されるなと思って、なるほど、と思ったんですよね。
実際その女の子は接近禁止命令も何度も食らってるみたいな。
みんなね、犯罪側から入るとそっちから見ちゃうけど、その一方で生んでるそのアートの部分。
例えばですね、この本の中だと、総武線沿線、東京を横に走っている千葉から東京の西、三鷹の方まで走っている黄色い電車の駅のホームとかの鉄柱にペンで書き殴られた死のようなものを追いかけてるんですけど、
それがね、なんか味わいがあるんだよな。
これは大久保駅の柱に書かれていたもので、すぐ消されちゃうんですよ、結局。
ですがそれが、成長する筋力で感じる鉄の重力。
なんだろうね、この要因はね、鉄の重力ってなんだ、電車のこと言ってんのか、とかね。
僕が好きなのはね、これはどこで、これ中野駅北口と南口をつなぐガード下にあったとされる、あったそうな詩なんですけど、
あざらしが打たれた痛みだけを集めているとされていた。
どうですかこれ。
打たれるあざらしがいて、そのあざらしに思いを致しているわけですよ。
痛みだけを集めている、どういうことだ。
要因がすごいあるんですよね。
こういうのを作者の方は観察して、それをまとめてアウトプットしてくれているわけです。
昼帰ってですね、実は僕も似たようなことをしていたことがあって、
僕が集めて観察していたのはステッカーなんですけど、
街の公共物、例えば中停車禁止の標識の下に白い鉄の棒が伸びてますね。
その鉄の棒に貼られているステッカー。
あるいは、今は少なくなりましたが公衆電話の扉、
それから街の掲示板の裏、それから縁、
公共物に対してステッカーが貼られているのに気づいてですね、
いろんな場所に、ラーメン食べ歩きが趣味でいろんなところに行くと、
いろんなところのラーメン屋さんの近くにステッカーが貼ってあるので、
特に繁華ですね。新宿、渋谷、池袋。
ここから枝端状に伸びていく各線路の駅々にステッカーが貼られているんですよ。
さっきの本の一文、最初の冒頭の。
これは前書きの一文ですが、
芸術と犯罪と症状は似ている。
この一言に全部詰まっているんですけど。
僕が感じたのは、ステッカーってそもそも衣装デザインを決めて、
公共表現の観察
ステッカー屋さんに発注して、この時点でお金がかかってますよ。
ステッカーが納品されてきますよね。
これを貼って歩くというとんでもない時間と労力をかけて表現しているんですよ。
彼らはステッカーを貼って。
それに誰も注目していないけど、僕は見てるよと思って、
iPhoneでそのステッカーの写真を撮り、印刷して切って、
ゴムのついたモレスキーの手帳に糊で貼り、
何月何日どこそこで見たっていう、
ステッカー体系みたいなものを作っていた時期があるんですよ。
日付遡った2017年だったので8年も前のことですけど。
それに似たことを今回の本の作者がされてて、
わかるわかると思ってね。
みんなはそんなに見てないんだけど、きっと。
いわゆるグラフィティと呼ばれるスプレーで絵を描いたバンクシーとか有名になりましたが、
それよりもっとフリーハンドで描いた、ある種のその人たちのロゴみたいなのがある。
高速道路の下のね、高架下みたいなところとかに結構あったりするんですけど。
そことまたちょっと一線を隠すんですよね、ステッカーを。
もうちょっと都心部にある公共物に貼るんですよ。
公共物に貼るから多分器物損壊なんですよね。
でも彼らはお金をかけてステッカーを作って、
この症状ね、僕も観察してましたという思いで読み終わりました。
なんかこの作家さんも僕も多分ね、作品に興味あるんだけど、
その人本人にはそんなに興味がないんですよ。
だから書いてる人を探し出してお話しさせてくださいみたいなことは別に、別になんだよな。
その作品を受け取ってるからもうそれで十分っていう。
この本読んでからその総武線乗るときは何か走り書きのような詩がないか少し探すようになりましたね。
なんかそれもまた楽しくて。
飲酒場生活に少しだけ色を注ぐような。
作者インベカオリさん、本のタイトルは未整理な人類。
面白かったですよ。概要欄にリンクを貼っておきます。
よろしければ手に取ってみてください。
写真付きでね、読みやすいんですけど、
僕はなんか移動の、電車でちょっと長めに移動するときしか読まないんで、
読み終わるのに5ヶ月ぐらいかかっちゃいましたけど。
読者好きの人はもう一瞬で読んじゃうんじゃないですか。
じゃあ終わりにしようか。
無事に寝落ちできた方も、最後までお付き合いいただいた方も大変にお疲れ様でした。
といったところで、今日のところはこの辺で。また次回お会いしましょう。
おやすみなさい。