カッパ、ジョ。
これはある精神病院の患者、
第23号が誰にでもしゃべる話である。
彼はもう30を越しているであろう。
が、一見したところはいかにも若々しい狂人である。
彼の繁盛の経験は、
いや、そんなことはどうでもよい。
彼はただじっと両膝を抱え、
時々窓の外で目をやりながら、
鉄格子をはめた窓の外には、
枯葉さえ見えない菓子の木が一本、
雪曇りの空に枝を張っていた。
院長のS博士は、
僕を相手に長々とこの話をしゃべり続けた。
もっとも、見ぶりはしなかったわけではない。
彼は例えば驚いたというときには、
急に顔をぬけずらせたりした。
僕はこういう彼の話をかなり正確に写したつもりである。
もしまた誰か僕の筆記に飽きたりない人があるとすれば、
東京市外バズバズ村のS精神病院を訪ねてみるがよい。
年よりも若い第23号はまず丁寧に頭を下げ、
布団のない椅子を指さすであろう。
それから憂鬱な微笑を浮かべ、
静かにこの話を繰り返すであろう。
最後に、
僕はこの話を終わったときの彼の顔色を覚えている。
彼は最後に身を起こすが早いか、
たちまち原骨を振り回しながら、
誰にでもこう怒鳴りつけるであろう。
出て行け、この悪党めが。
貴様も馬鹿な、嫉妬深い、猥褻な、ずずしい、
うぬぼれ切った、残酷な虫のいい動物なんだろう。
出て行け、この悪党めが。
1
3年前の夏のことです。
僕は人並みにリュックサックを背負い、
あの上甲子の温泉宿から帆高山へ登ろうとしました。
帆高山へ登るのには、
ご承知のとおりあずさ川を遡るほかはありません。
僕は前に帆高山はもちろん、
槍畑にも登っていましたから、
朝霧の降りたあずさ川の谷を、
案内者も連れずに登って行きました。
朝霧の降りたあずさ川の谷。
しかしその霧はいつまで経っても晴れる景色は見えません。
のみならずかえって深くなるのです。
僕は一時間ばかり歩いたのち、
一度は上甲地の温泉宿へ引き返すことにしようかと思いました。
けれども上甲地へ引き返すにしても、
とにかく霧の晴れるのを待った上にしなければなりません。
といって霧は一刻ごとにずんずん深くなるばかりなのです。
ええ、いっそ登ってしまえ。
僕はこう考えましたから、
あずさ川の谷を離れないように
熊笹の中を分けて行きました。
しかし僕の目を遮るものはやはり深い霧ばかりです。
もっとも時々霧の中から太いブナやモミの枝が
あおあおと葉を垂らしたのも見えなかったわけではありません。
それからまた放牧の馬や牛も突然僕の前へ顔を出しました。
けれどもそれらは見えたと思うと
たちまち茂々とした霧の中に隠れてしまうのです。
そのうちに足もくたびれてくれば腹もだんだん減り始める。
おまけに霧に濡れ通った登山服や毛布なども
並大抵の重さではありません。
僕はとうとう川を降りましたから、
岩にせがれている水の根を頼りに
あずさ川の谷へ降りることにしました。
僕は水際の岩に腰掛け、とりあえず食事に取り掛かりました。
コーンドビーフの缶を切ったり、枯れ枝を集めて火をつけたり、
そんなことをしているうちにかれこれ10分は経ったでしょう。
その間にどこまでも意地の悪い霧はいつかほのぼのと晴れかかりました。
僕はパンをかじりながらちょっと腕時計をのぞいてみました。
時刻はもう一時二十分すぎです。
が、それよりもおどろいたのは何かきみの悪い顔が一つ、
まるい腕時計のガラスの上へちらりと影を落したことです。
僕はおどろいてふりかえりました。
すると、僕が河童というものを見たのは実にこのときがはじめてだったのです。
僕のうしろにある岩の上には絵にある通りの河童が一匹。
片手は白樺の幹をかかえ、片手は目の上にかざしたなり、
めずらしそうに僕を見おろしていました。
僕はあっけんにとられたまましばらくは身動きもしずにいました。
河童もやはりおどろいたとみえ、目の上の手さえうごかしません。
そのうちに僕は飛び立つがはやいか岩の上の河童へおどりかかりました。
同時にまた河童も逃げ出しました。
いや、おそらくは逃げ出したのでしょう。
実はひらりと身をかわしたと思うとたちまちどこかへ消えてしまったのです。
僕はいよいよおどろきながらくまざさの中を見まわしました。
すると河童は逃げ腰をしたなり、
二三メートルへだたったむこうに僕をふりかえって見ているのです。
それはふしぎでもなんでもありません。
しかし、僕にいがいだったのは河童のからだのいろのことです。
岩の上に僕をむいていた河童は、いちめんに灰いろをおびていました。
けれどもいまはからだじゅうすっかりみどりいろにかわっているのです。
僕はちくしょうとおおごえをあげ、もう一度河童へとびかかりました。
河童が逃げ出したのはもちろんです。
それから僕は三十分ばかりくまざさをつきぬけ、
岩をとびこえ車にむに河童をおいつづけました。
河童もまた足のはやいことはけっして猿などにおとりません。
僕はむちゅうになっておいかけるあいだに何どもそのすがたをみうしなおうとしました。
のみならず足をすべらしてころがったこともたびたびです。
が、おおきいとちの木が一本、ふとぶととえだをはった下へくると、
さいわいにもほうぼくの牛が一匹、河童のゆくさきへたちふざがりました。
しかもそれはつののふとい、めをちばしらせたお牛なのです。
河童はこのお牛をみると何かひめえをあげながら、
ひときわ高いくまざさの中へもんどりをうつようにとびこみました。
僕は、
僕もしめたと思いましたからいきなりそのあとへおいすがりました。
するとそこには僕の知らないあなでもあいていたのでしょう。
僕はなめらかな河童のすなかにやっと指先がさわったと思うと、
とちまちふかいやみの中へまっさかさまにころげおちました。
ただ肝心の家をはじめ、テーブルや椅子の寸法もカッパの身長に合わせてありますから、子供の部屋に入れられたようにそれだけは不便に思いました。
僕はいつも日暮れ方になると、この部屋にチャックやバッグを迎え、カッパの言葉を習いました。
いや彼らばかりではありません。 特別保護住民だった僕に誰も皆好奇心を持っていましたから、毎日血圧を調べてもらいに、わざわざチャックを呼び寄せるゲールというガラス返しの社長などもやはりこの部屋へ顔を出したものです。
しかし最初の半月ほどの間に一番僕と親しくしたのはやはりあのバッグという漁師だったのです。
ある生暖かい日の暮れです。 僕はこの部屋のテーブルを中に漁師のバッグと向かい合っていました。
するとバッグはどう思ったか、急に黙ってしまった上、大きい目を一層大きくしてじゅっと僕を見つめました。
僕はもちろん妙に思いましたから、「こう、バッグ、こう食える、ご飯?」と言いました。
これは日本語に翻訳すれば、「おいバッグ、どうしたんだ?」ということです。
が、バッグは返事をしません。のみならずいきなり立ち上がるとベロリと舌を出したなり、ちょうどカエルの跳ねるように飛びかかる景色さえ示しました。
僕はいよいよ不気味になり、そっと椅子から立ち上がると一足飛びに戸口へ飛び出そうとしました。
ちょうどそこへ顔を出したのは幸いにも医者のチャックです。
「こら、バッグ、何をしているんだ?」 チャックは鼻眼鏡をかけたまま、こういうバッグを睨みつけました。
するとバッグは恐れ入ったとみえ、何度も頭へ手をやりながらこう言ってチャックに謝るのです。
どうも誠に相すみません。 実はこの旦那の気味悪があるのが面白かったもんですから、つい調子に乗っていたずらしたんです。
「ああ、どうか旦那も勘にしてください。」
3
僕はこの話を話す前にちょっとカッパというものを説明しておかなければなりません。
カッパは未だに実在するかどうかも疑問になっている動物です。
がそれは僕自身が彼らの間に住んでいた以上、少しも疑う余地はないはずです。
ではまたどういう動物かといえば、頭に短い毛のあるのはもちろん、手足に水かきのついていることも、
スイコー攻略などに出ているのと著しい違いはありません。
身長もざっと1メートルを超えるか超えぬくらいでしょう。
体重は医者のチャックによれば20ポンドから30ポンドまで、稀には50何ポンドぐらいの大ガッパもいると言っていました。
それから頭の真ん中には楕円形の皿があり、その皿には年齢によりだんだん硬さを加えるようです。
現に年取ったバッグの皿は若いチャックの皿などとは全然手触りも違うのです。
しかし一番不思議なのは、カッパの皮膚の色のことでしょう。
カッパは我々人間のように一定の皮膚の色を持っていません。
何でもその周囲の色と同じように変わってしまう。
例えば草の中にいる時には草のように緑色に変わり、岩の上にいる時には岩のように灰色に変わるのです。
これはもちろんカッパに限らずカメレオンにもあることです。
あるいはカッパは皮膚組織の上に何かカメレオンに近いところを持っているのかもしれません。
僕はこの事実を発見した時、西国のカッパは緑色であり、東北のカッパは赤いという民族学上の記録を思い出しました。
並ならずバッグを追いかける時、突然どこへ行ったのか見えなくなったことを思い出しました。
しかもカッパは皮膚の下によほど厚い脂肪を持っているとみえ、この地下の国の温度は比較的低いのにもかかわらず、
学校平均下地50度前後です。
着物というものを知らずにいるのです。 もちろんどのカッパもメガネをかけたり、薪タバコの箱を携えたり、金入れを持ったりはしているでしょう。
しかしカッパはカンガルーのように腹に袋を持っていますから、それらのものをしまう時にも格別不便はしないのです。
ただ僕におかしかったのは腰の周りさえ覆わないことです。 僕はある時この習慣をなぜかとバッグに尋ねてみました。
するとバッグはのけぞったまま、いつまでもゲラゲラ笑っていました。 おまけに、
私はお前さんの隠しているのがおかしいと返事をしました。 4
僕はだんだんカッパの使う日常の言葉を覚えていきました。 したがってカッパの風俗や習慣も飲み込めるようになってきました。
その中でも一番不思議だったのは、カッパは我々人間の真面目に思うことをおかしがる、 同時に我々人間のおかしがることを真面目に思う、
こういうトンチンカンな習慣です。 例えば我々人間は正義とか人道とかいうことを真面目に思う。
しかしカッパはそんなことを聞くと腹を抱えて笑い出すのです。 つまり彼らの滑稽という観念は我々の滑稽という観念と全然標準をことにしているのでしょう。
僕はある時医者のチャックと三次制限の話をしていました。 するとチャックは大口を開いて鼻メガネの落ちるほど笑い出しました。
僕はもちろん腹が立ちましたから何がおかしいかと質問しました。 何でもチャックの返答はだいたいこうだったように覚えています。
もっとも多少細かいところは間違っているかもしれません。 何しろまだその頃は僕もカッパの使う言葉をすっかり理解していなかったのですから。
しかし良心の都合ばかり考えているのはおかしいですからね。 どうもあまり手前勝手ですからね。
その代わり我々人間から見れば実際またカッパのお産ぐらいおかしいものはありません。 現に僕はしばらく経ってからバックのサイ君のお産をするところをバックの小屋へ見物に行きました。
カッパもお産をするときには我々人間と同じことです。 やはり医者や三馬などの助けを借りてお産をするのです。
けれどもお産をするとなると父親は電話でもかけるように母親の生殖器に口をつけ、
お前はこの世界へ生まれてくるかどうかよく考えた上で返事をしろと大きな声で尋ねるのです。
バックもやはり膝をつきながら何度も繰り返してこう言いました。 それからテーブルの上にあった消毒用の水薬でうがいをしました。
するとサイ君の腹の中の子は多少気兼ねでもしているとみえ、こう小声に返事をしました。
僕は生まれたくありません。第一、僕のお父さんの遺伝は精神病だけでも大変です。 とのえ僕はカッパ的存在を悪いと信じていますから。
バックはこの返事を聞いたとき照れたように頭をかいていました。 が、そこに居合わせた三馬はたちまちサイ君の生殖器へ太いガラスの缶を突き込み何か液体を注射しました。
するとサイ君はほっとしたように太い息を漏らしました。 同時にまた今まで大きかった腹は水素ガスを抜いた風船のようにヘタヘタと縮んでしまいました。
こういう返事をするくらいですから、カッパの子供は生まれるが早いか、 もちろん歩いたり喋ったりするのです。
なんでもチャックの話では、出産後26日目に神の有無について講演をした子供もあったとかいうことです。
もっともその子供は2月目には死んでしまったということですが。 お産の話をしたついでですから、僕がこの国へ来た3月目に偶然ある町の角で見かけた大きいポスターの話をしましょう。
その大きいポスターの下にはラッパーを吹いているカッパなど、剣を持っているカッパなどが12、3匹書いてありました。
それからまた上にはカッパの使うちょうど時計のゼンマイに似た螺旋文字が一面に並べてありました。
この螺旋文字を翻訳するとだいたいこういう意味になるのです。 これもあるいは細かいところは間違っているかもしれません。
が、とにかく僕としては僕と一緒に歩いていたラップというカッパの学生が大声に読み上げてくれる言葉をいちいちノートにとっておいたのです。
遺伝的義勇対応募る健全なる男女のカッパよ。 悪遺伝を撲滅するために不健全なる男女のカッパと結婚せよ。
僕はもちろんその時にもそんなことの行われないことをラップに話して聞かせました。 するとラップばかりではないポスターの近所にいたカッパはことごとくゲラゲラ笑い出しました。
行われない? だってあなたの話ではあなた方もやはり我々のように行っていると思いますがね。
あなたは霊息が女中に惚れたり、霊情が運転手に惚れたりするのは何のためだと思っているのです? あれは皆無意識的に悪遺伝を撲滅しているのですよ。
第一、この間あなたの話したあなた方人間の義勇対よりも一方の鉄道を奪うために互いに殺し合う義勇対ですね。
ああいう義勇対に比べればずっと僕たちの義勇対は交渉ではないかと思いますがね。
ラップは真面目にこう言いながら、しかも太い腹だけはおかしそうに絶えず涙たせていました。
が僕は笑うどころか慌ててあるカッパを捕まえようとしました。 それは僕の油断を見すまし、そのカッパが僕の万年筆を盗んだことに気がついたからです。
しかし皮膚の滑らかなカッパは容易に我々には捕まりません。 そのカッパもぬらりと滑り抜けるが早いか一切逃げ出してしまいました。
ちょうど蚊のように痩せた体を倒れるかと思うくらいのめらせながら。
5 僕はこのラップというカッパにバッグに戻らぬ世話になりました。
がその中でも忘れられないのはトックというカッパに紹介されたことです。 トックはカッパ仲間の詩人です。
詩人が髪を長くしていることは我々人間と変わりません。 僕は時々トックの家へ退屈しのぎに遊びに行きました。
トックはいつも狭い部屋に鉱山植物の鉢植えを並べ 詩を書いたりタバコを飲んだり床にも気楽そうに暮らしていました。
そのまた部屋の隅にはメスのカッパが一匹。 カッコトックは自由恋愛家ですから細菌というものは持たないのです。
編み物か何かしていました。 トックは僕の顔を見るといつも微笑してこういうのです。
もっともカッパの微笑するのはあまり良いものではありません。 少なくとも僕は最初のうちはむしろ不気味に感じたものです。
やあ、よく来たね。まあその椅子にかけたまえ。 トックはよくカッパの生活だのカッパの芸術だのの話をしました。
トックと親ずるところによれば当たり前のカッパの生活ぐらい馬鹿げているものはありません。
親子夫婦兄弟などというのはことごとく互いに苦しめ合うことを唯一の楽しみに暮らしているのです。
ことに家族制度というものは馬鹿げている以上にも馬鹿げているのです。 トックはあるときマラの外を指差し、見たまえあの馬鹿げさ加減をと吐き出すように言いました。
マラの外の往来にはまだ年の若いカッパが一匹、両親らしいカッパをはじめ7、8匹のメスオスのカッパを首の周りへぶら下げながら息も絶え絶えに歩いていました。
しかし僕は年の若いカッパの犠牲的精神に感心しましたから、かえってその気投げさを褒め立てました。
「はあ、君はこの国でも市民になる資格を持っている。ときに君は社会主義者かね?」
僕はもちろん、「かあ、これはカッパの使う言葉では、しっかりという意味を表すのです。」と答えました。
「では、百人の凡人のために、やまんじて一人の天才を犠牲にすることも、かえりみないはずだ。」
「では、君は何主義者だ?」 誰かトック君の心情は無政府主義だと言っていたが、
僕か?僕は超人だ。学校、直訳すれば超カッパです。
トックは口善と言い放ちました。 こういうトックは芸術の上にも独特な考えを持っています。
トックの信ずるところによれば、芸術は何者の支配をも受けない。 芸術のための芸術である。
したがって芸術家たるものは、何よりも先に全学を絶した超人でなければならぬというのです。
もともこれは必ずしもトック一匹の意見ではありません。 トックの仲間の詩人たちは大抵同意見を持っているようです。
現に僕はトックと一緒にたびたび超人クラブへ遊びに行きました。 超人クラブに集まってくるのは詩人、小説家、
戯曲家、批評家、画家、音楽家、彫刻家、芸術上の素人等です。 しかしいずれも超人です。
彼らは伝統の明るいサラウにいつも快活に話し合っていました。 のみなず時にはとくとくと彼らの超人ぶりを示し合っていました。
例えばある彫刻家などは大きいお西田の鉢植えの間に年の若いカッパを捕まえながらしきりに断食をもて遊んでいました。
またあるメスの小説家などはテーブルの上に立ち上がったなり、阿部さんと60本飲んで見せました。
もともこれは60本目にテーブルの下へ転げ落ちるが早いかたちまち往生してしまいましたが。
僕はある月のいい晩、詩人のトックと肘を組んだまま超人クラブから帰ってきました。
トックはいつになく沈み込んで一言も口を聞かずにいました。 そのうちに僕らはおかげの差した小さい窓の前を通りかかりました。
そのまた窓の向こうには夫婦らしいメスオスのカッパが2匹、3匹の子供のカッパと一緒に晩餐のテーブルに向かっているのです。
するとトックはため息をしながら突然こう僕に話しかけました。 僕は超人的恋愛家だと思っているがね、ああいう家庭の様子を見るとやはり
うらやましさを感じるんだよ。 しかしそれはどう考えても矛盾しているとは思わないかね。
けれどもトックは月明かりの下にじっと腕を組んだまま、あの小さい窓の向こうを、 平和な5匹のカッパたちの晩餐のテーブルを見守っていました。
それからしばらくしてこう答えました。 あそこにある卵焼きは何と言っても恋愛などよりも衛生的だからね。
6 実際またカッパの恋愛は我々人間の恋愛とはよほど重むきをことにしています。
メスのカッパはこれぞというオスのカッパを見つけるが早いか、 オスのカッパを捉えるのにいかなる手段もかえりみません。
一番正直なメスのカッパはシャニムにオスのカッパを追いかけるのです。 現に僕はキチガヤのようにオスのカッパを追いかけているメスのカッパを見かけました。
いやそればかりではありません。 若いメスのカッパはもちろんそのカッパの両親や兄弟まで一緒になって追いかけるのです。
オスのカッパこそ惨めです。何しろ散々逃げ回った挙句、 運よく捕まらずに済んだとしても2、3ヶ月は床についてしまうのですから。
僕はある時僕の家にトックの刺繍を読んでいました。 するとそこへ駆け込んできたのはあのラップという学生です。
ラップは僕の家へ転げ込むと床の上へ倒れたなり息もキレキレにこういうのです。 大変だ、とうとう僕は抱きつかれてしまった。
僕はとっさに刺繍を投げ出しトグチの女王を下ろしてしまいました。 しかし鍵穴から覗いてみると異様の粉末を顔に塗った
性の低いメスのカッパが一匹まだトグチにうろついているのです。 ラップはその日から何週間か僕の床の上に寝ていました。
のみならずいつかラップのくちばしはすっかり腐って落ちてしまいました。 もっとも待った時にはメスのカッパを一生懸命に追いかけるオスのカッパもないではありません。
しかしそれも本当のところは追いかけずにいられないようにメスのカッパが仕向けるのです。 僕はやはりキチガヤのようにメスのカッパを追いかけているオスのカッパも見かけました。
メスのカッパは逃げて行くうちにも時々わざと立ち止まってみたり、よずんばになったりしてみせるのです。
おまけにちょうどいい自分になると、さもがっかりしたようにラクラクとつかませてしまうのです。 僕の見かけたオスのカッパはメスのカッパを抱いたなりしばらくそこに転がっていました。
がやっと起き上がったのを見ると失望というか後悔というか、 とにかくなんとも形容できない気の毒な顔をしていました。
しかしそれはまだいいのです。 これも僕の見かけた中に小さいオスのカッパが一匹、メスのカッパを追いかけていました。
メスのカッパは例の通り誘惑的とんそうをしているのです。 するとそこへ向こうの町から大きいオスのカッパが一匹、鼻息を鳴らして歩いてきました。
メスのカッパは何かの表紙にふとこのオスのカッパを見ると、 大変です助けてくださいあのカッパは私を殺そうとするのです
と、かなきり声を出して叫びました。 もちろん大きいオスのカッパはたちまち小さいカッパを捕まえ、往来の真ん中へねじ伏せました。
小さいカッパは水かきのある手に2、3度空をつかんだなりとうとう死んでしまいました。 けれどももうその時にはメスのカッパはニヤニヤしながら、大きいカッパの首ったまえしっかりしがみついてしまっていたのです。
僕の知っていたオスのカッパは誰も皆言い合わせたようにメスのカッパに追いかけられました。 もちろん最初思っているバッグでもやはり追いかけられたのです。
のみならず2、3度は捕まったのです。 ただマッグという哲学者だけは、
これはあのトックという詩人の隣にいるカッパです。 一度も捕まったことはありません。これは一つにはマッグぐらい見にくいカッパも少ないためでしょう。
しかしまた一つにはマッグだけはあまりオーラへ顔を出さずに家にばかりいるためです。 僕はこのマッグの家へも時々話しに出かけました。
マッグはいつも薄暗い部屋に七色の色ガラスのランタンを灯し、足の高い机に向かいながら熱い本ばかり読んでいるのです。
僕はある時こういうマッグとカッパの恋愛を論じ合いました。 なぜ政府はメスのカッパがオスのカッパを追いかけるのをもっと厳重に取り締まらないのです?
それは一つには管理の中にメスのカッパの少ないためですよ。 メスのカッパはオスのカッパよりも一層嫉妬心は強いものですからね。
メスのカッパの管理さえ増えればきっと今よりもオスのカッパは追いかけられずに暮らせるでしょう。 しかしその効力も知れたものですね。
なぜと言ってご覧なさい。管理同士でもメスのカッパはオスのカッパを追いかけますからね。 じゃああなたのように暮らしているのは一番幸福なわけですね。
するとマックは椅子を離れ僕の両手を握ったままため息と一緒にこう言いました。
あなたは我々カッパではありませんからお別れにならないのも最もです。 しかし私もどうかするとあの恐ろしいメスのカッパに追いかけられたい気も起こるのですよ。
7 僕はまた詩人のトックとたびたび音楽会へも出かけました。が未だに忘れられないのは3度目に聞きに行った音楽会のことです。
もっとも会場の様子などはあまり日本と変わっていません。 やはりだんだん競り上がった席にメスオスのカッパが3,400匹。
いずれもプログラムを展示しながら一心に耳をすませているのです。 僕はこの3度目の音楽会の時にはトックやトックのメスのカッパの他にも哲学者のマックと一緒になり
一番前の席に座っていました。 するとセロの読奏が終わった後、庭に目の細いカッパが一匹無造作に不本を抱えたまま段の上へ上がってきました。
このカッパはプログラムの教える通り名高いクラバックという作曲家です。 プログラムの教える通り。
いやプログラムを見るまでもありません。 クラバックはトックが属している超人クラブの会員ですから僕もまた顔だけは知っているのです。
ライトクラバック、この国のプログラムも大抵はドイツ語を並べていました。
クラバックは盛んな拍手のうちにちょっと我々へ一礼した後静かにピアノの前へ歩み寄りました。 それからやはり無造作に自作のリードを弾き始めました。
クラバックはトックの言葉によればこの国の生んだ音楽家中前後に比類のない天才だそうです。
僕はクラバックの音楽はもちろん、そのまた余儀の女上司にも興味を持っていましたから、大きい弓鳴りのピアノの音に熱心に耳を傾けていました。
トックやマックも高骨としていたことはあるいは僕よりも勝っていたでしょう。 が、あの美しい少なくともカッパたちの話によれば、
メスのカッパだけはしっかりプログラムを握ったなり、時々さも苛立たそうに長い舌をベロベロ出していました。
これはマックの話によれば、何でもかれこれ10年前にクラバックを捕まえ損なったものですから、
未だにこの音楽家を目の敵にしているのだとかいうことです。 クラバックは全身に情熱を込め戦うようにピアノを弾き続けました。
すると突然会場の中に雷のように響き渡ったのは演奏禁止という声です。 僕はこの声にびっくりし思わず後ろを振り返りました。
声の主は紛れもない一番後ろの席にいる実竹抜群の巡査です。 巡査は僕が振り向いた時、悠然と腰を下ろしたまま、もう一度前よりも大声に演奏禁止と怒鳴りました。
それから、それから先は大混乱です。 警官応募!クラバック!引け!引け!
バカ!ちくしょう!引っ込め!負けるな! こういう声の湧き上がった中に椅子は倒れる、プログラムは飛ぶ、
おまけに誰が投げるのか、サイダーの空き瓶や石ころやかじりかけのきゅうりさえ振ってくるのです。 僕は悪権に取られましたから、特区にその理由を尋ねようとしました。
が、特区も興奮したと見え、椅子の上に突っ立ちながら、 クラバック!引け!引け!と喚き続けています。
のみならず特区のメスのカッパも、いつの間にか敵意を忘れたのか、 警官応募!と叫んでいることは少しも特区に変わりません。
僕はやむを得ずマッグに向かい、どうしたのですと尋ねてみました。 これですか?これはこの国ではよくあることですよ。
元来、枝野文芸だのは、 マッグは何か飛んでくるたびにちょっと首を縮めながら、相変わらず静かに説明しました。
元来、枝野文芸だのは、誰の目にも何を表しているかは、とにかくちゃんとわかるはずですから、 この国では決して発売禁止や展覧禁止は行われません。
その代わりにあるのが演奏禁止です。 なにしろ音楽というものだけは、どんなに風俗を回乱する曲でも、耳のないカッパにはわかれませんからね。
しかし、あの巡査は耳があるのですか? さあ、それは疑問ですね。
たぶん今の旋律を聴いているうちに、 サイ君と一緒に寝ている時の心臓の鼓動でも思い出したのでしょう。
こういう間にも、大騒ぎはいよいよ盛んになるばかりです。 クラバックはピアノに向かったまま、呆然と我々を振り返っていました。
が、いくら呆然としていても、いろいろのものの飛んでくるのは 避けないわけにはいけません。
したがってつまり2、3秒おきにせっかくの態度も変わったわけです。 しかし、とにかく大体としては大音楽家の威厳を保ちながら、細い目を凄まじく輝かせていました。
僕は。僕ももちろん危険を避けるためにトックを小盾にとっていたものです。 が、やはり好奇心に駆られ、熱心にマックと話し続けました。
そんな検閲は乱暴じゃありませんか。 何、どの国よ検閲よりもかえって進歩しているくらいですよ。
例えば××をご覧なさい。現につい一月ばかり前にも、ちょうどこう言いかけた途端です。
マックはあいにく農田に空瓶が落ちたものですから、 コワック、これはただ関東詩です。と一声叫んだげり、とうとう気を失ってしまいました。
8
僕はガラス会社の社長のゲールに不思議にも好意を持っていました。 ゲールは資本家中の資本家です。
おそらくはこの国のカッパの中でもゲールほど大きい腹をしたカッパは一匹もいなかったのに違いありません。
しかし霊師にいたサイ君やキュウリにいた子供を左右にしながら、安楽椅子に座っているところはほとんど幸福そのものです。
僕は時々裁判官のペップや医者のチャックに連れられてゲール家の晩餐へ出かけました。
またゲールの紹介状を持ってゲールやゲールの友人たちが多少の関係を持っているいろいろの工場も見て歩きました。
そのいろいろの工場の中でもことに僕に面白かったのは書籍製造会社の工場です。
僕は年の若いカッパの技師とこの工場の中へ入り、水力発電を動力にした大きい機械を眺めたとき、今さらのようにカッパの国の機械工業の進歩に驚嘆しました。
何でもそこでは1年間に700万部の本を製造するそうです。
が僕を驚かしたのは本の部数ではありません。それだけの本を製造するのに少しも手数のかからないことです。
何しろこの国では本を作るのにただ機械の定語型の口絵、紙とインクと灰色をした粉末等を入れるだけなのですから。
それらの原料は機械の中へ入るとほとんど5分と経たないうちに既句版、試録版、既句版裁版などの無数の本になって出てくるのです。
僕は滝のように流れ落ちるいろいろの本を眺めながら、それ身になったカッパの技師にその灰色の粉末は何というものかと尋ねてみました。
すると技師は黒光りに光った機械の前に佇んだままつまらなそうにこう返事をしました。
これですか。これはロバの脳髄ですよ。
ええ、一度乾燥させてからざっと粉末にしただけなものです。 時価は1トン2、3センですがね。
もちろんこういう工業上の奇跡は書籍製造会社にばかり起こっているわけではありません。 絵画製造会社にも音楽製造会社にも同じように起こっているのです。
実際またゲールの話によれば、この国では平均1ヶ月に7、800種の機械が信案され、何でも全然人手を待たずに大量生産が行われるそうです。
したがってまた食工の解雇されるのもしごまんびきをくだらないそうです。 そのくせまだこの国では毎朝新聞を読んでいても一度も非業という字に合いません。
僕はこれは妙に思いましたから、あの時またペップやチャックとゲール家の晩餐に招かれた機械にこのことをなぜかと尋ねてみました。
それはみんな食ってしまうのですよ。 食後の歯まきを加えたゲールはいかにも無雑さにこう言いました。
しかし食ってしまうというのは何のことだかわかりません。 すると鼻眼鏡をかけたチャックは僕の不信を察したとみえ横合から説明を加えてくれました。
その食工をみんな殺してしまって肉を食料に使うのです。 ここにある新聞をご覧なさい。
今月はちょうど6万4769匹の食工が解雇されましたから、それだけ肉の値段も下がったわけですよ。 食工は黙って殺されるのですか?
それは騒いでも仕方はありません。 食工と殺法があるのですから。
これは山桃の鉢植えを後ろに苦い顔をしていたペップの言葉です。 僕はもちろん不快を感じました。
しかし主人公のゲールはもちろんペップやチャックもそんなことは当然と思っているらしいのです。 現にチャックは笑いながらあざけるように僕に話しかけました。
つまり、餓死したり自殺したりする手数を国家的に省略してやるのですね。 ちょっと有毒ガスを嗅がせるだけですから大した苦痛はありませんよ。
ゲールども、その肉を食うというのは。 冗談を言ってはいけません。あのマッグに聞かせたらさぞ大笑いに笑うでしょう。
あなたの国でも第4階級の娘たちは賠償婦になっているではありませんか。 食工の肉を食うことなどに憤慨したりするのは干渉主義ですよ。
こういう問答を聞いていたゲールは手近いテーブルの上にあったサンドウィッチの皿を勧めながら、点然と僕にこう言いました。
どうです?一つ取りませんか?これも食工の肉ですがね。 僕はもちろん駆け引きしました。いや、そればかりではありません。
ペップやチャックの笑い声を後ろにゲール家の客毛を飛び出しました。 それはちょうど家々の空に星明かりも見えない荒れ模様の夜です。
僕はその闇の中を僕の住まいへ帰りながら、のべつ幕なしにヘドウを吐きました。 嫁にもしらじらと流れるヘドウ。
9. しかしガラス会社の社長のゲールは人懐こいカッパだったのに違いません。
僕はたびたびゲールと一緒にゲールの属しているクラブへ行き、愉快に一晩を暮らしました。 これは一つにはそのクラブはトックの属している超人クラブよりもはるかに居心の良かったためです。
のみならず、またゲールの話は哲学者のマッグの話のように深みを持っていなかったにせよ、僕には全然新しい世界を、広い世界を覗かせました。
ゲールはいつも純金のサージにカフェの茶碗をかき回しながら快活にいろいろな話をしたものです。 なんでもある霧の深い晩、僕は冬装備を持った花瓶を中にゲールの話を聞いていました。
それは確か部屋全体はもちろん、椅子やテーブルも白い上に細い金の縁を取ったセセッション風の部屋だったように覚えています。
ゲールは普段よりも得意そうに顔中に微笑をみなぎらせたまま、ちょうどその頃天下を取っていたクオラックス島内閣のことなどを話しました。
クオラックスという言葉はただ意味のない関東詩ですから、親とでも訳すほかはありません。
が、とにかく何よりも先に、河童全体の利益ということを標榜していた政党だったのです。 クオラックス島を支配しているものは名高い政治家のロッペです。
正直は最良の外交である、とはビスマルクの言った言葉でしょう。 しかしロッペは正直を内地の上にも及ぼしているのです。
ああけれどもロッペの演説は、まあ私の言うことをお聞きなさい。 あの演説はもちろんことごとく嘘です。
が、嘘ということは誰でも知っていますから、卑怯正直と変わらないでしょう。 それを一概に嘘というのはあなた方だけの偏見ですよ。
我々河童はあなた方のように。 うん、しかしそれはどうでもよろしい。私の話したいのはロッペのことです。
ロッペはクオラックス島を支配している。 そのまたロッペを支配しているものはプーフー新聞の
このプーフーという言葉もやはり意味のない関東詩です。 もし強いて訳すればアートでも言うほかはありません。
プーフー新聞の社長のクイクイです。 が、クイクイも彼自身の主人というわけには行きません。
クイクイを支配しているものはあなたの前にいるゲールです。 けれどもこれは失礼かもしれませんけれども、
プーフー新聞は労働者の味方をする新聞でしょう。 その社長のクイクイもあなたの支配を受けているというのは。
プーフー新聞の記者たちはもちろん労働者の味方です。 しかし記者たちを支配するものはクイクイのほかはありません。
しかもクイクイはこのゲールの講演を受けずにはいられないのです。 ゲールは相変わらず微笑しながら純金のサジをおもちゃにしています。
僕はこういうゲールを見るとゲール自身を憎むよりも、 プーフー新聞の記者たちに同情の起こるのを感じました。
するとゲールは僕の無言にたちまちこの同情を感じたとみえ、 大きい腹を膨らませてこういうのです。
何?プーフー新聞の記者たちも全部労働者の味方ではありませんよ。 少なくとも我々カッパというものは誰の味方をするよりも先に我々自身の味方をしますからね。
しかしさらに厄介なことには、このゲール自身さえやはり他人の支配を受けているのです。 あなたはそれを誰だと思いますか?
それは私の妻ですよ。美しいゲール夫人ですよ。 ゲールは大声に笑いました。
それはむしろ幸せでしょう。 とにかく私は満足しています。
しかしこれもあなたの前だけに、カッパでないあなたの前だけに手放しで吹いちゃうできるのです。
するとつまりクォラックス内閣はゲール夫人が支配しているのですね。 さあそうも言われますかね。
しかし7年前の戦争などは確かにあるメスのカッパのために始まったものに違いありません。 戦争?この国にも戦争はあったのですか?
ありましたとも。将来もいつあるかわかりません。 何しろ隣国のある限りは。
僕は実際この時初めてカッパの国も国家的に孤立していないことを知りました。 ゲールの説明するところによればカッパはいつもカワウソを仮説的にしているということです。
しかもカワウソはカッパに負けない軍備を備えているということです。 僕はこのカワウソを相手にカッパの戦争をした話に少なからず興味を感じました。
何しろカッパの強敵にカワウソのいるなどということは、水戸攻略の著者はもちろん三島民単衆の著者
柳田邦夫さんさえ知らずにいたらしい真事実ですから。 あの戦争の起こる前にはもちろん両国とも油断せずにじっと相手を伺っていました。
というのはどちらも同じように相手を恐怖していたからです。 そこへこの国にいたカワウソが一匹、あるカッパの夫婦を訪問しました。
そのまたメスのカッパというのは邸主を殺すつもりでいたのです。 何しろ邸主は堂楽者でしたからね。おまけに生命保険のついてたことも多少の誘惑になったのかもしれません。
あなたはその夫婦をご存知ですか? ええ、いやオスのカッパだけは知っています。
私の妻などはこのカッパを悪人のように言っていますがね。 しかし私に言わせれば、悪人よりもむしろメスのカッパに捕まることを恐れている被害妄想の多い狂人です。
そこでこのメスのカッパは邸主のココアの茶碗の中へ成果カーリーを入れておいたのです。 それはまたどう間違えたか、客のカワウソに飲ませてしまったのです。
カワウソはもちろん死んでしまいました。それから、 それから戦争になったのですか?
ええ、あいにくそのカワウソは勲章を持っていたものですからね。 戦争はどちらの勝ちになったのですか?
もちろんこの国の勝ちになったのです。 36万9500匹のカッパたちはそのためにケナゲにも戦死しました。
しかし敵国に比べればそのくらいの損害は何ともありません。 この国にあるケガワというケガワは大抵カワウソのケガワです。
私もあの戦争の時にはガラスを製造するほかにも石炭ガラを戦地へ送りました。 石炭ガラを何にするのですか?
もちろん食料にするんです。我々はカッパは腹さえ減れば何でも食うのに決まっていますからね。
ああそれはどうか怒らずにください。 それは戦地にいるカッパたちは我々の国では修文ですがね。
この国でも修文には違いありません。しかし私自身こう言っていれば誰も修文にはしないものです。
哲学者のマッグも言っているでしょう。 汝の悪は汝自ら言え、悪は自ら消滅すべし。
しかも私は李家のほかにも愛国心に燃え立っていたのですからね。
ちょうどそこへ入ってきたのはこのクラブのQGです。 QGはゲールにお辞儀をした後、朗読でもするようにこう言いました。
お宅のお隣に火事がございます。 火事?
ゲールは驚いて立ち上がりました。僕も立ち上がったのはもちろんです。 がQGは落ち着き払って次の言葉を付け加えました。
しかしもう消し止めました。 ゲールはQGを見送りながら泣き笑いに近い表情をしました。
僕はこういう顔を見るといつかこのガラス返しの社長を憎んでいたことに気づきました。
がゲールはもう今では大資本家でも何でもないただの河童になって立っているのです。
僕は花瓶の中の冬装備の花を抜きゲールの手を渡しました。 しかし火事は消えたと言っても奥さんはさぞ驚きでしょう。
さあこれを持ってお帰りなさい。 ありがとう。
ゲールは僕の手を握りました。それから急ににやりと笑い、ご褒美にこう僕に話しかけました。
隣は私の家作ですからね。 火災保険の金だけは取れるのですよ。
僕はこの時のゲールの微笑を軽蔑することもできなければ憎悪することもできないゲールの微笑を
いまだにありありと覚えています。
10 どうしたね。今日はまた妙に塞いでいるじゃないか。
その火事のあった翌日です。 僕は薪煙草をくばえながら僕の客間の椅子に腰を下ろした学生のラップにこう言いました。
実際またラップは右の足の上左の足を乗せたまま腐ったくちばしも見えないほどぼんやり床の上ばかり見ていたのです。
ラップ君どうしたねと言えば いや何つまんないことなんですよ
ラップはやっと頭を上げ悲しい鼻声を出しました 僕は今日窓の外を見ながら親虫取りすみれが咲いたと何気なしにつぶやいたのです
すると僕の妹は急に顔色を変えたと思うと どうせ私は虫取りすみれよと当たり散らかすじゃありませんか
おまけにまた僕のお袋も大の妹美意気ですからやはり僕に食ってかかるんです 虫取りすみれが咲いたということはどうして妹さんには不快なんだね
さあ多分オスのカップを捕まえるという意味でも取ったんでしょう そこへお袋と仲悪いお盆喧嘩の仲間入りをしたんですからいよいよ大騒動になってしまいました
しかも年中酔っ払ってる親父はこの喧嘩を聞きつけると誰彼の差別なしに殴り出したんです それだけでも始末のつかないところへ僕の弟はその間にお袋の財布を盗むが早いか
記念前から何かを見に行ってしまいました 僕は本当に僕はもう
ラップは両手に顔をうずめ何も言わずに泣いてしまいました 僕の同情したのはもちろんです同時にまた家族制度に対する詩人のトックの軽蔑を思い出したのも
もちろんです 僕はラップの肩を叩き一生懸命に慰めました
そんなことはどこにでもありがちだよまあ勇気を出したまえ しかししかしくちばしでも腐っていなければ
それは諦める他ないささあトック君の家でも行こう 特産は僕を軽蔑しています
僕は特産のように大胆に家族を捨てることができませんから じゃあクラバック君の家行こう
僕はあの音楽会以来クラバックにも友達になっていましたからとにかくこの大音楽家 の家ラップを連れ出すことにしました
クラバックはトックに比べればはるかに贅沢に暮らしていますというのは資本家のゲール のように暮らしているという意味ではありません
ただいろいろな骨董を 棚倉の人形やペルシャの陶器を部屋一杯に並べた中にドルコ風の長椅子を据え
クラバック自身の肖像画の下にいつも子供たちと遊んでいるのです が今日はどうしたのか両腕を胸を組んだまま苦い顔をして座っていました
のみならずそのまた足元には紙くずが一面に散らばっていました ラップも詩人トックと一緒にたびたびクラバックにはあっているはずです
しかしこの様子に恐れたとみえ今日は丁寧にお辞儀をしたなり黙って部屋の隅に腰を 下ろしました
どうしたねクラバックくん 僕はほとんど挨拶の代わりに高大音楽家へ問いかけました
どうするものか批評家のアホめ 僕の助長子はトックの助長子と比べ物にならないと言い上がるんだ
しかし君は音楽家だし それだけならば我慢もできる僕はロックに比べれば音楽このに値しないと言い上がる
じゃないか ロックというのはクラバックとたびたび比べられる音楽家ですがあいにく
超人クラブの会員になっていない関係上僕は一度も話したことはありません もともくちばしの剃り上がった人癖あるらしい顔だけはたびたび写真でも見かけていました
ロックも天才には違いないしかしロックの音楽は君の音楽にあふれている近代的情熱 を持っていない
君は本当にそう思うか そう思うとも
するとクラバックは立ち上がるが早いかタナグラの人形を引っつかみ いきなり床の上に叩きつけました
ラップはよほど驚いたと見え何か声を上げて逃げようとしました がクラバックはラップや僕にはちょっと驚くなという手真似をした上今度は冷ややかにこういう
のです それは君もまた俗人のように耳を持っていないからだ
僕はロックを恐れている 君は
謙遜かを気取るのはやめたまえ 誰が謙遜かを気取るものか第一君たちは気取って見せるくらいならば非評価たちの前に
気取って見せている僕はクラバックは天才だ その点ではロックを恐れていない
では何を恐れているんだ 何か正体の知れないものを
いわばロックを支配している星を どうも僕には腑に落ちないがねぇ
ではこう言えば分かるだろうロックは僕の影響を受けない が僕はいつの間にかロックの影響を受けてしまうんだ
それは君の感受性のまあ聞きたまえ 感じ性などの問題ではないロックはいつも休んじてあいつだけにできる仕事をしている
しかし僕はイライラするんだそれはロックの目から見ればあるいは一歩の差かもしれない けれども僕には10マイルも違うんだ
しかし先生の英雄曲は クラバックは細い目を一層細めいまいましそうにラップを睨みつけました
黙りたまえ君などに何が上がる僕はロックを知っているのだ ロックに平心抵抗する犬どもよりもロックを知っているのだ
まあ少し静かにしたまえ もし静かにしていられるならば僕はいつもこう思っている
僕らの知らない何者かは僕をクラバックを預けるためロックを僕の前に立たせたんだ 哲学者のマックはこういうことを何もかも承知している
いつもあの色ガラスのランタンの下に古ぼけた本ばかり読んでいるくせに どうして
この近頃マックの書いたアホーの言葉という本を見たまえ クラバックは僕に一冊の本を渡すというよりも投げつけました
それからまた腕を組んだままツッケンドにこう言い放ちました じゃあ今日は出刑しよう
僕は処刑帰ったラップと一緒にもう一度往来へ出ることにしました 一通りの多い往来は相変わらず村の並木の陰にいろいろの店を並べています
僕らは何ということもなしに黙って歩いて行きました するとそこへ通りかかったのは髪の長い詩人のトックです
トックは僕らの顔を見ると腹の袋からハンケチを出し何度も額を拭いました いやーしばらく会わなかったね僕は今日は久しぶりにクラバックを訪ねようと思うんだが
僕はこの芸術家たちを喧嘩させては悪いと思い クラバックのいかにも不機嫌だったことを遠距離トックに話しました
あーそうかじゃあやめにしよう 何しろクラバックは神経衰弱だからね僕もこの2,3週間は眠られないのに弱っているんだ
どうだね僕らと一緒に散歩しては いや今日はやめにしよう
おや トックはこう叫びが早いかしっかり僕の腕をつかみました
しかもいつか体中に冷や汗を流しているのです どうしたんだ
どうしたんです 何あの自動車の窓の中から緑色の猿が一匹首を出したように見えたんだよ
僕は多少心配になりとにかくあの医者のチャックに診察してもらうように進めました しかしトックは何と言っても承知する景色さえ見せません
のみならず何か疑わしそうに僕らの顔を見比べながらこんなことさえ言い出すのです 僕は決して無政府主義者ではないよ
それだけはきっと忘れずにいてくれたまえではさようなら チャックなど甘っぺらごめんな
僕らはぼんやり佇んだままトックの後ろ姿を見送っていました 僕らは
いや僕らではありません学生のラップはいつの間にか往来の真ん中に足を広げ しっきりない自動車や人通りをまた眼鏡に覗いているのです
僕はこのカッパも発狂したかと思い驚いてラップを引き起こしました 冗談じゃない何をしている
しかしラップは目を擦りながら意外にも落ち着いて返事をしました あまり憂鬱ですから逆さまに世の中を眺めてみたんです
けれどもやはり同じことですね 11
これは哲学者のマックの書いたアホの言葉の中の何章かです アホはいつも彼以外のものをアホであると信じている
我々の自然を愛するのは自然は我々を憎んだり嫉妬したりしないためもないことは ない
最も賢い生活は一時代の習慣を軽蔑しながら しかもそのまた習慣を少しも破らないように暮らすことである
我々の最も誇りたいものは我々の持っていないものだけである 何人も偶像を破壊することに依存を持っているものはない
同時にまた何人も偶像になることに依存を持っているものはない しかし偶像の台座の上に休んじて座っていられるものはもっとも神々に恵まれたもの
アホか悪人か英雄かである クラバックはこの章の上爪の跡をつけていました
我々の生活に必要な思想は3000年前に尽きたかもしれない 我々はただ古い焚き木に新しい炎を加えるだけであろう
我々の特色は我々自身の意識を超越するのを常としている 幸福は苦痛を伴い平和は健体を伴うとすれば
事故を弁護することは他人を弁護することよりも困難である 疑う者は弁護士をみよ
強化愛欲疑惑 あらゆる罪は3000年来この3者から発している同時にまたおそらくはあらゆる徳も
物質的欲望を厳ずることは必ずしも平和をもたらさない 我々は平和を得るために精神的欲望も厳じなければならぬ
クラバックはこの章の上にも爪の跡を残していました 我々は人間よりも不幸である
人間はカッパほど進化していない 僕はこの章を読んだ時思わず笑ってしまいました
成すことは成し得ることであり成し得ることは成すことである 必強我々の生活はこういう循環論法を出すすることはできない
すなわち不合理に終始している ボードレールは白痴になった後彼の人生観をたった1号に上院の1号に漂白した
しかし彼自身を語るものは必ずしもこういったことではない むしろ彼の天才に
彼の生活を維持するに足る指摘天才に信頼したために 胃袋の1号を忘れたことである
本章にもやはりクラバックの爪の跡は残っていました もし理性に終始するとすれば我々は当然我々自身の存在を否定しなければならん
理性を神にしたボルテールの幸福に一生を備ったのはすなわち人間のカッパよりも進化 していないことを示すものである
12 ある割合に寒い午後です
僕はアホーの言葉を読み飽きましたから哲学者のマックを訪ねに出かけました するとある寂しい街の角にかのように痩せたカッパが一匹
ぼんやり壁に寄りかかっていました しかもそれは紛れもないいつか僕の万年筆を盗んでいったカッパなのです
僕は閉めたと思いましたからちょうどそこへ通りかかったたくましい巡査を呼び止め ました
ちょっとあのカッパを取り調べてくださいあのカッパはちょうど1月ばかり前に私の万年筆を 盗んだんですから
巡査は右手の棒を上げ この国の巡査は県の代わりに1位の棒を持っているのです
おい君 とそのカッパへ声をかけました
僕はあるいはそのカッパは逃げ出しはしないかと思っていました が存外落ち着き払って巡査の前歩み寄りました
のみならず腕を組んだままいかにも呆然と僕の顔や巡査の顔をじろじろ見ているのです しかし巡査は怒りもせず腹の袋から手帳を出して早速尋問に取り掛かりました
お前の名は グルック
職業は つい2、3日前までは郵便配達夫をしていました
よし そこでこの人の申し立てによれば君はこの人の万年筆を盗んでいったということだがね
ええ1月ばかり前に盗みました 何のために
子供のおもちゃにしようと思ったんです その子供は
巡査は初めて相手のカッパへ鋭い目を注ぎました 1週間前に死んでしまいました
死亡証明書を持っているかね 痩せたカッパは腹の袋から1枚の紙を取り出しました
巡査はその紙へ目を通すと急にニヤニヤ笑いながら相手の肩を叩きました よろしいどうもご苦労だったね
僕はあっけに取られたまま巡査の顔を眺めていました しかもそのうちに痩せたカッパは何かブツブツつぶやきながら僕らを後ろにしていってしまうのです
僕はやっと気を取り直し後巡査に尋ねてみました どうしてあのカッパを捕まえないんです
あのカッパは無罪ですよ しかし僕の万年筆を盗んだのは
子供のおもちゃにするためだったのでしょう けれどその子供は死んでいるのですもし何かご不審だったら刑法1285条を調べなさい
巡査は好意捨てたなりさっさとどこかへ行ってしまいました 僕は仕方がありませんから刑法1285条を口の中に繰り返しマックの家へ急いで行きました
哲学者のマックは客好きです現に今日も薄暗い部屋には裁判官のペップや医者の チャックやガラス会社の社長のゲールなどが集まり
七色の色ガラスのランタンの下にタバコの煙を立ち上らせていました そこに裁判官のペップが来ていたのは何よりも僕には好都合です
僕はいずにかけるが早いか刑法第1285条を調べる代わりに早速ペップへ問いかけました
ペップくん鼻肌失礼ですがこの国では罪人を罰しないのですか ペップは金口のタバコの煙をまず悠々と吹き上げてからいかにもつまらなそうに返事を
しました 罰しますとも死刑さえ行われるくらいですからね
しかし僕は一月ばかり前に 僕は異罪を話した後例の刑法1285条のことを尋ねてみました
それはこういうのですいかなる犯罪を行えたりといえども 外犯罪を行わしめたる事情の消失したるのちは外犯罪者を処罰することを得ず
つまりあなたの場合で言えばそのカッパはかつて親だったのですが今はもう親では ありませんから犯罪も自然と消滅するのです
それはどうも不合理ですね 冗談は言ってはいけません親だったカッパも親であるカッパも同一に見るのこそ不合理です
そうそう日本の法律では同一に見ることになっているのですね それはどうも我々には滑稽です
ペップは薪タバコを放り出しながら気のない薄笑いを漏らしていました そこへ口を出したのは法律には縁の遠いチャックです
チャックはちょっと花眼鏡を直しこう僕に質問しました 日本にも死刑はありますか
ありますとも日本では公罪です 僕は冷然と抱え込んだペップに多少反感を感じていましたからこの機会に皮肉を浴びせて
やりました この国の死刑は日本よりも文明的にできているんでしょうね
それはもちろん文明的です ペップはやはり落ち着いていました
この国では公罪などは用いません稀には電気を用いることもあります しかし大抵は電気も用いませんただその犯罪の名を言って聞かせるだけです
それだけでカッパは死ぬんですか 死にますとも我々カッパの神経作用はあなた方のよりも微妙ですからねー
それは死刑ばかりではありません殺人にもその手を使うのがあります 社長のゲールは色ガラスの光に顔中紫に染まりながら人懐こい笑顔をして
みせました 私はこの間もある社会主義者に貴様は盗人だと言われたために心臓麻痺を起こしかかった
もんです それは案外多いようですね私の知っているある弁護士などはやはりそのために死んで
しまったのですからね 僕はこう口を入れたカッパ哲学者のマックを振り返りました
マックはやはりいつものように皮肉な微笑を浮かべたまま誰の顔も見ずに喋っているの です
そのカッパは誰かに帰るだと言われもちろんあなたもご承知でしょう この国で帰るだと言われるのは人品という意味になることぐらいは
俺は帰るかな帰るではないかなと毎日考えているうちにとうとう死んでしまったものです それはつまり自殺ですね
もっともそのカッパを帰るだと言った奴は殺すつもりで言ったのですがね あなた方の目から見ればやはりそれも自殺という
ちょうどマックがこう言った時です突然その部屋の壁の向こうに確かに死人のトックの 家に鋭いピストルの音が一発空気を跳ね返すように響き渡りました
13 僕らはトックの家へ駆けつけました
トックは右の手にピストルを握り頭の皿から血を出したまま鉱山植物の鉢植えの中に 仰向けになって倒れていました
そのまたそばにはメスのカッパが一匹トックの胸に顔をうずめ大声を上げて泣いていました 僕はメスのカッパを抱き起こしながら
かっこ一体僕はぬらぬらするカッパの皮膚に手を触れることをあまり好んではいないのですが どうしたんです
と尋ねました どうしたんだかわかりませんただ何か書いていたと思うといきなりピストルで頭を打ったんです
私はどうしましょう クルルルルルルルルルルルル
かっここれはカッパの泣き声です 何しろトック君はバカママだったからねー
ガラス会社の社長のゲールは悲しそうに頭を振りながら裁判官のペップにこう言いました しかしペップは何も言わずに金口の巻煙草に火をつけていました
すると、今までひざまずいてトックの傷口などを調べていたチャックは、いかにも医者らしい態度をしたまま、僕ら五人に宣言しました。
実は一人と四匹とです。
もうダメです。トック君はがんらい病でしたから、それだけでも憂鬱になりやすかったのです。
何か書いていたということですが。
哲学者のマックは弁解するようにこう一人ごとを漏らしながら、机の上の紙を取り上げました。
もうこれは皆、首を伸ばし、かっこ、もっとも僕だけは例外です。
幅の広いマックの肩越しに一枚の紙をのぞき込みました。
いざ立ちてゆかん、しゃばかいを、へだつる谷へ。
岩村はこごしく、山水は清く、薬草の花は匂える谷へ。
マックは僕らを振り返りながら、ビッグショーと一緒にこう言いました。
これはゲーテのミニオンの歌の表説ですよ。
すると、トック君の自殺したのは、詩人としても疲れていたのですね。
そこへ、偶然自動車を乗りつけたのは、あの音楽家のクラバックです。
クラバックはこういう光景を見ると、しばらく戸口に佇んでいました。
が、僕らの前へ歩み寄ると、どなりつけるようにマックに話しかけました。
それはトックの遺言上ですか?
いや、最後に書いていた詩です。
詩?
やはり少しも騒がないマックは、紙を逆立てたクラバックにトックの思考を渡しました。
クラバックはあたりには目もやらず、熱心にその思考を読み出しました。
しかもマックの言葉にはほとんど返事さえしないのです。
あなたはトック君の死をどう思いますか?
いざ立ちて。
僕もまたいつ死ぬかわかりません。
シャバ海を隔つる谷へ。
しかしあなたはトック君とはやはり親友の一人だったのでしょう?
親友?
トックはいつも孤独だったんです。
シャバ海を隔つる谷へ。
ただトックは不幸にも。
岩村は乞ごしく。
不幸にも?
山水は清く。
あなた方は幸福です。
岩村は乞ごしく。
僕は未だに泣き声を立たないメスの河童に同情しましたから、その方を抱えるようにし、部屋の隅の長い椅子へ連れて行きました。
そこには二歳か三歳かの河童が一匹、何も知らずに笑っているのです。
僕はメスの河童の代わりに子供の河童をあやしてやりました。
するといつか僕の目にも涙のたまるのを感じました。
僕が河童の国に住んでいるうちに涙というものをこぼしたのは前にも後にもこの時だけです。
しかしこういうわがままの河童と一緒になった家族は気の毒ですね。
何しろ後のことも考えないのですから。
裁判官のペップは相変わらず新しい薪煙草に火をつけながら資本家のゲールに返事をしていました。
すると僕らを驚かせたのは音楽家のクラバックの大声です。
クラバックは思考を握ったままだれともなしに呼びかけました。
「閉めた。素晴らしい早々曲ができるぞ。」
クラバックは細い目を輝かせたまま、ちょっとマックの手を握るといきなり戸口へ飛んでいきました。
もちろんもうこの時には隣近所の河童が大勢トックの家の戸口に集まり珍しそうに家の中を覗いているのです。
しかしクラバックはこの河童たちを車任務に左右へ押しのけるのが早いか左と自動車で飛び乗りました。
同時にまた自動車は爆音を立ててたちまちどこかへ行ってしまいました。
「こらこら、そう覗いてはいかん。」
裁判官のペップは巡査の代わりに大勢の河童を押し出した後、トックの家の扉を閉めてしまいました。
部屋の中はそのせいか急にひっそりなったものです。
僕らはこういう静かさの中に、鉱山植物の花の香りに混じったトックの血の匂いの中に後始末のことなどを相談しました。
しかしあの哲学者のマックだけはトックの死骸を眺めたままぼんやり何か考えています。
僕はマックの肩をたてき、「何を考えているのです?」と尋ねました。
カッパの生活というものをね。
カッパの生活がどうなるんです?
我々カッパは何と言ってもカッパの生活を全うするためには、マックは多少恥ずかしそうにこう小声で付け加えました。
とにかく我々カッパ以外の何者かの力を信ずることですね。
14。僕に宗教というものを思い出させたのはこういうマックの言葉です。
僕はもちろん物質主義者ですから真面目に宗教を考えたことは一度もなかったのに違いありません。
が、この時はトックの死にある感動を受けていたために、一体のカッパの宗教は何であるかと考え出したのです。
僕は早速学生のラップにこの問題を尋ねてみました。
それはキリスト教、仏教、モハメット教、ハイカ教なども行われています。
まず一番勢力のあるものは何と言っても近代教でしょう。生活教とも言いますがね。
生活教という訳語は当たっていないかもしれません。この言語はクエムーチャです。
チャはイギリスのイズムという意味に当たるでしょう。
ケムーヌ原型ケマルの訳は単に生きるというよりも、飯を食ったり酒を飲んだり講合を行ったりする意味です。
じゃあこの国にも教会だの寺院だのはあるわけなんだね。
冗談を言ってはいけません。近代教の大寺院などはこの国第一の大建築ですよ。
どうです?ちょっと見物に行っては。
ある生温かいどん天の午後、ラップはとくとくと僕と一緒にこの大寺院へ出かけました。
なるほど、それはニコライドの十倍もある大建築です。
のみならずあらゆる建築様式を一つに組み上げた大建築です。
僕はこの大寺院の前に立ち、高い塔や丸屋根を眺めた時、何か不気味にさえ感じました。
実際それらは天に向かって伸びた無数の触手のようにも見えたのです。
僕らは玄関の前に佇んだまま。
かっこ、そのまた玄関に比べてみてもどのくらい僕らは小さかったのでしょう。
しばらくこの建築よりもむしろ途方もない怪物に近い旗台の大寺院を見上げていました。
大寺院の内部もまた広大です。
そのコリント風の円柱の立った中には産経人が何人も歩いていました。
しかしそれらは僕らのように非常に小さく見えたものです。
そのうちに僕らは腰の曲がった一匹のカッパに出会いました。
するとラップはこのカッパにちょっと頭を下げた上、丁寧にこう話しかけました。
「ちょろう、ご達謝なのは何よりもです。」
相手のカッパもお辞儀をした後、やはり丁寧に返事をしました。
「これは、ラップさんですか。あなたも相変わらず。」
と言いかけながらちょっと言葉を継がなかったのは、ラップのくちばしの腐っているのにやっと気がついたためだったでしょう。
「ああ、とにかくご丈夫らしいようですね。が、今日はどうしてまた。」
今日はこの方のお供をしてきたのです。この方は多分ご承知の通り、それからラップはとうとうと僕のことを話しました。
どうもまたそれはこの大臣家、ラップが滅多に来ないことの弁解にものっていたらしいのです。
ついではどうかこの方のご案内を願いたいと思うのですが。
長老は応用に微笑しながら、まず僕に挨拶をし、静かに正面の祭壇を指差しました。
「ご案内ともしても、なんもお役に立つことはできません。われわれ神徒の来拝するのは正面の祭壇にある生命の木です。
この聖徒は事実上信じられないキリストを信じようと努力しました。いや、信じているようにさえ公言したこともあったのです。しかしとうとう晩年には悲壮な嘘つきだったことに耐えられないようになりました。
この聖徒も時々書斎の針に恐怖を感じたのは有名です。けれども聖徒の数に入っているくらいですから、もちろん自殺したのではありません。
第四の岩の中の阪神像は我々日本人の一人です。僕はこの日本人の顔を見たときさすがに懐かしさを感じました。
これは国旗だどっぽです。歴史する人足の心持ちをはっきり知っていた詩人です。しかしそれ以上の説明はあなたには不必要に違いありません。では五番目の岩の中をご覧ください。
これはワグネルではありませんか?
そうです。国王の友達だった革命家です。聖徒ワグネルは晩年には食前の祈祷祭していました。しかしもちろんキリスト教よりも生活教の神徒の一人だったのです。
ワグネルの残した手紙によれば、砂漠は何度この聖徒を死の前に借り合ったかはわかりません。僕らはもうそのときには第六の岩の前に立っていました。
これは聖徒ストリントベリーの友達です。
子供の大勢ある西君の代わりに十三子のクイティの女を芽取った商売人上がりのフランスの画家です。この聖徒は太い血管の中に水布の血を流していました。が唇をご覧なさい。ひそか何かの跡が残っています。
第七の岩の中にあるのは、ああ、もうあなたはお疲れでしょう。ではどうかこちらへおいでください。僕は実際疲れていましたから、ラップと一緒に長老に従い、香の匂いのする廊下図体にある部屋へ入りました。
そのまた小さい部屋の隅には黒いベネスの像の下に山ぶどうがひとふさけんじてあるのです。
僕は何の装飾もない僧帽を想像していただけにちょっと意外に感じました。すると長老は僕の様子にこういう気持ちを感じたとみえ、僕らに椅子を進める前に半ば気の毒そうに説明しました。
どうか我々の宗教の生活教であることを忘れずにください。我々の神、生命の機の教えは、王政に生きようというのですから。
ラップさん、あなたはこの方に我々の聖書をご覧に入れましたか。
いえ、実は私自身もほとんど読んだことはないのです。
ラップは頭の皿を書きながら正直にこう返事をしました。が長老は相変わらず静かに微笑して話し続けました。
それではお分かりになりますまえ。我々の神は一日のうちにこの世界を作りました。
かっこ、生命の機は機というもののなし当たわないことはないのです。
飲みならずメスの河童を作りました。するとメスの河童は退屈のあまりオスの河童を求めました。
我々の神はこの嘆きを憐れみメスの河童の脳髄をとりオスの河童を作りました。
我々の神は二匹の河童に食えよ、光合せよ、王政に生きよという祝福を与えました。
僕は長老の言葉のうちに詩人の徳を思い出しました。
詩人の徳は不幸にも僕のように無心論者です。僕は河童ではありませんから生活器を知らなかったのも無理はありません。
けれども河童の国に生まれた徳はもちろん生命の機を知っていたはずです。
僕はこの教えに従わなかった徳の最後を憐れみましたから長老の言葉を遮るように徳のことを話し出しました。
ああ、あの気の毒な詩人ですね。長老は僕の話を聞き深い息を漏らしました。
我々の運命を定めるものは信仰と虚偶と偶然とだけです。
かっこもっともあなた方はその他に遺伝をお数えになさるでしょう。徳さんは不幸にも信仰をお持ちにならなかったのです。
徳はあなたを羨んでいたでしょう。いや、僕も羨んでいます。アップ君などは年も若いし。
僕も唇さえちゃんとしていればあるいは楽天的だったかもしれません。
長老は僕らにこう言われるともう一度深い息を漏らしました。
しかもその目は涙ぐんだままずっと黒いベヌスを見つめているのです。
私も実はこれは私の秘密ですからどうか誰にもおっしゃらずにください。
私も実は我々の神を信ずるわけにいかないのです。しかしいつか私の祈祷は
ちょうど長老のこう言った時です。突然部屋の扉が開いたと思うと大きいメスのカッパが一匹いきなり長老へ飛びかかりました。
僕らがこのメスのカッパを抱きとめようとしたのはもちろんですがメスのカッパはとっさの間に床の上へ長老を投げ倒しました。
この親父め今日もまた私の財布から一杯ある金を盗んでいったな。
十分ばかりたった後僕らは実際逃げ出さないばかりに長老夫婦を後に残し大寺院の玄関を降りていきました。
あれではあの長老も生命の機を信じないはずですね。
しばらく黙って歩いた後ラッポは僕にこう言いました。が僕は返事をするよりも思わず大寺院を振り返りました。
大寺院はどんより曇った空にやはり高い塔や丸屋根を無数の植樹のように伸ばしています。
何か砂漠の空に見える神器廊の不気味さを漂わせたまま。
十五
それからかれこれ一週間の後僕はふと医者のチャックに珍しい話を聞きました。
というのはあのトックのうちに幽霊の出るという話なのです。
その頃にはもうメスのカッパはどこか他へ行ってしまい、僕らの友達の詩人の家も写真師のスタジオに変わっていました。
なんでもチャックの話によればこのスタジオでは写真を撮るとトックの姿もいつの間にか必ず朦朧と客の後ろに映っているとかいうことです。
もっともチャックは物質主義者ですから死後の生命などを信じていません。
現にその話をした時にも悪意のある微笑を浮かべながら、
やはり霊魂というものも物質的存在と見えますね、などと注釈めいたことを突き加えていました。
僕も幽霊を信じないことはチャックと変わりありません。
けれども詩人のトックには親しみを感じていましたから早速本屋の店へ駆けつけトックの幽霊に関する記事やトックの幽霊の写真の出ている新聞や雑誌を買ってきました。
なるほどそれらの写真を見ると、どこかトックらしいカッパが一匹、老若男女のカッパの後ろにぼんやりと姿を現していました。
しかし僕を驚かせたのはトックの幽霊の写真よりもトックの幽霊に関する記事、ことにトックの幽霊に関する心霊学教会の報告です。
僕はかなり畜語的にその報告を訳しておきましたから、下に大力を掲げることにしましょう。
ただしカッコの中にあるのは僕自身の加えた注釈なのです。
詩人トックくんの幽霊に関する報告
心霊学教会雑誌第8274号書斎
我が心霊学教会は先般自殺したる詩人トックくんの急遽にして現在は××写真師のスティディオなる××街第251号に臨時調査会を開催せり、列席する会員は下の如し。
我ら17名の会員は心霊教会会長ペック氏と共に9月17日午前10時30分、我らの最も信頼するメディアムホップ夫人を同伴し、街スティディオの一室に参集せり。
ホップ夫人は街スティディオに入るや、常に心霊的空気を感じ全身に敬礼を催しつつ応答することを数回に及べり。
夫人の語るところによれば、子は詩人トックくんの強烈なる煙草を愛してる結果、その心霊的空気もまたニコティンを含有するためなりという。
我ら会員はホップ夫人と共に円卓をめくりて木座したり、夫人は3分25秒の後、極めて急激なる夢遊状態に陥り、かつ詩人トックくんの心霊の憑依するところを慣れり、我ら会員は年齢順に従い夫人に憑依せるトックくんの心霊と左の如き問答を開始したり。
問い、君は何故に幽霊に譲るか。
死後の明星を知らんがためなり。
問い、君、あるいは心霊諸君は死後もなお明星を欲すするや。
少なくとも世は欲せざるあたわず、しかれども世の開講してる日本の一詩人の如きは死後の明星を軽蔑し至り。
問い、君はその詩人の生命を知れりや。
世は不幸にも忘れたり、ただ彼の好んで作れる十七字詩の一章を記憶するのみ。
問い、その詩はいかん。
古池や河津飛び込む水の音。
問い、君はその詩を家作なりとなすや。
世は必ずしも悪作なりとなさず、ただ河津を河童とせんか、さらに光彩りくりたるべし。
問い、しからばその理由はいかん。
我ら河童はいかなる芸術にも河童を求むこと通説なればなり。
会長ペック氏はこの時にあたり、我ら十七名の会員に古波心霊学教会の臨時調査会にて学評会にあらざるを注意したり。
問い、心霊諸君の生活はいかん。
諸君の生活と異なることなし。
問い、しからば君は君自身の自殺説詩を後悔するや。
必ずしも後悔せず、世は心霊的生活に生まば、さらにピストルを取りて自殺すべし。
問い、自殺するは容易なりや否や。
徳君の心霊はこの問いに答うるにさらに問いをもってしたり。
故は徳君を知れる者にはすこぶる自然なる応酬なるべし。
自殺するは容易なりや否や。
問い、諸君の生命は永遠なりや。
我らの生命に関しては諸説分々として信ずべからず。
在前に我らの間にもキリスト教、仏教、モハメット教、ハイカ教等の諸宗あることを忘るるなかれ。
問い、君自身の信ずるところは。
世は常に会議主義者なり。
問い、しかれども君は少なくとも心霊の存在を疑わざるべし。
諸君の如く確信するはたわず。
問い、君の固有の多少は遺憾。
世の固有は古今東西にわたり三百人を下らざるべし。
その著名なる者をあぐればクライストマインレンデルワイニンゲル。
問い、君の固有は自殺者のみなりや。
必ずしもしかりとせず、自殺を弁護せるモンテーニュの如きは世が異雄の一人なり。
ただ世は自殺せざりし遠征主義者、ショーペン・ハウエルの輩とは交際せず。
問い、ショーペン・ハウエルは健在なりや。
彼はもっか、心霊的遠征主義を樹立し、自活する加秘を論じつつあり。
しかれどもこれらも売金病なりしを知り、すこぶる安堵せる者の如し。
我ら会員は相次いでナポレオン、孔子、ドストエフスキー、
ダーウィン、クレオパトラ、シャカ、デモステネス、ダンテ、
センノリキュー等の心霊の消息を質問したり。
しかれどもトック君は不幸にも詳細にこたうることをなさず、
かえってトック君自身に関する衆生のゴシップを質問したり。
問い、世の死後の名声はいかん。
ある批評家は軍将主人の一人と言えり。
問い、
彼は世が始終を送らざりしに縁婚を含める一人なるべし。
世の前週は出版せられしや。
君の前週は出版せられたども、
売れ行きは花々振るわざるが如し。
問い、
世の前週は三百年の後、
すなわち著作権の失われた後、
万人のあがなうところとなるべし。
世の同棲せる女友達はいかん。
彼女は諸子ラック君の婦人となれり。
問い、
彼女は未だ不幸にもラックの義眼なるを知らざるなるべし。
世が子はいかん。
国立古人にありと聞けり。
トック君はしばらく沈黙せる後、
新たに質問を開始したり。
問い、
世が家はいかん。
某写真師のスティディオとなれり。
問い、
世の机はいかになれるか。
いかなれるかを知る者なし。
問い、
世は世の机の引き出しに世の秘蔵せる一束の手紙を。
しかれども子は幸いにも多忙なる諸君のかんするところにあらず。
今や我が心霊界はおもむろに薄暮に沈まんとす。
世は諸君と決別すべし。
さらば諸君。
さらば我が善良なる諸君。
ホップ夫人は最後の言葉とともに再び急激に覚醒したり、
我ら十七名の会員はこの問答の真なりし事を上天の神に誓って保証せんとす。
なおまた我らの信頼するホップ夫人に対する報酬はかつて夫人が女優たりし時の日当に従いて紙弁したり。
十六。
僕はこういう記事を読んだ後、だんだんこの国にいることも憂鬱になってきましたから、どうか我々人間の国へ帰ることにしたいと思いました。
しかしいくら探して歩いても僕の落ちた穴は見つかりません。
しかし、僕はふとした表紙にこの国へ転げ落ちてしまったんです。どうか僕にこの国から出て行かれる道を教えてください。
出て行かれる道は一つしかない。
というのは、
それはお前さんのここへ来た道だ。
僕はこの答えを聞いたときになぜか身の気がよたちました。
その道があいにく見つからないんです。
年を取った河童はみずみずしい目にじっと僕の顔を見つめました。
それからやっと体を起こし、部屋の隅へ歩み寄ると、天井からそこに下がっていた一本の綱を引きました。
すると今まで気のつかなかった天窓が一つ開きました。
そのまた丸い天窓の外には松やヒノキが枝を張った向こうに大空が青々と晴れ渡っています。
いや、大きい矢尻に似た槍形の峰もそびえています。
僕は飛行機を見た子供のように実際飛び上がって喜びました。
さあ、あすこから出て行くがいい。
年を取った河童はこう言いながらさっきの綱を指さしました。
今まで僕の綱と思っていたのは実は綱梯子にできていたのです。
では、あすこから出させてもらいます。
あら、私はお前もって言うがね、出て行って後悔しないように。
大丈夫です。僕は後悔などはしません。
僕はこう返事をするが早いか、もう綱梯子をよじ登っていました。
年を取った河童の頭の皿を遥か下に眺めながら。
17。僕は河童の国から帰ってきた後、しばらくは我々人間の皮膚の匂いに並行しました。
我々人間に比べれば河童は実に清潔なものです。
のみならず我々人間の頭は河童ばかり見ていた僕には、いかにも気味の悪いものに見えました。
これはあるいはあなたにはお分かりにならないかもしれません。
しかし目や口はともかくこの花というものは実に恐ろしい気を起こさせるものです。
僕はもちろんできるだけ誰にも合わない算段をしました。
が我々人間にもいつか次第に慣れ出したとみえ、半年ばかり経つうちにどこへでも出るようになりました。
ただそれでも困ったことは、何か話をしているうちにうっかり河童の国の言葉を口に出してしまうことです。
君は明日うちにいるかね?
こわ。
ん?なんだって?
いや、いるということで。
だいたいこういう調子だったものです。
しかし河童の国から帰ってきたあと、ちょうど一年ほどたったとき、僕はある事業の失敗したために、
かっこS博士は彼がこう言ったとき、その話はおよしなさいと注意をした。
なんでも博士の話によれば、彼はこの話をするたびに看護院の手にも追えないぐらい乱暴になるとかいうことである。
ではその話はやめましょう。
しかしある事業の失敗したために、僕はまた河童の国へ帰りたいと思い出しました。
そうです。行きたいのではありません。帰りたいと思い出したのです。
河童の国は当時の僕には故郷のように感じられましたから。
僕はそっと家を抜け出し、中央線の汽車へ乗ろうとしました。
そこはあいにく巡査に捕まり、とうとう病院へ入れられたのです。
僕はこの病院へ入った当座も河童の国のことを思い続けました。
医者のチャックはどうしているでしょう。
哲学者のマックも相変わらず七色の色ガラスのランタン案の下に何か考えているかもしれません。
ことに僕の親友だった、くちばしの腐った学生のラップは、
ある今日のように曇った午後です。こんな追憶にふけていた僕は思わず声を上げようとしました。
それはいつの間に入ってきたか、バックという漁師の河童が一匹、僕の前に佇みながら何度も頭を下げていたからです。
僕は心を取り直した後、泣いたか笑ったかも覚えていません。
が、とにかく久しぶりに河童の国の言葉を使うことに感動していたことは確かです。
「おい、バック、どうして来た?」
「へい、お見舞いにあがったんです。何でもご病気だということですから。」
「どうしてそんなことを知っている?」
「ラディオのニュースで知ったんです。」
バックは得意そうに笑っているのです。
「それにしてもよく来られたね。」
「なに、ぞうさはありません。東京の川や堀割は河童には往来も同様ですから。」
僕は河童もカエルのように推理来る養成の動物だったことを今更のように気がつきました。
「しかしこの辺には川はないがね。」
「あ、いいえ。こちらへ上がってきたのは水道の鉄管を抜けてきたんです。それからちょっと消火栓を開けて。」
「消火栓を開けて?」
「だんだん合わせになったんですか?河童にも機械屋のいるということ。」
それから僕は2、3日ごとにいろいろな河童の訪問を受けました。
僕の病はS博士によれば送発性地方症ということです。
しかしあの医者のチャックは
「これははなはなあなたにも失礼に当たるのに違いありません。」
僕は送発性地方患者ではない。送発性地方患者はS博士をはじめあなた方自身だと言っていました。
医者のチャックも来るくらいですから学生のラップや哲学者のバッグの見舞いに来たことはもちろんです。
が、あの漁師のバッグのほかに昼間は誰も訪ねてきません。
ことに2、3匹一緒に来るのは夜。それも月のある夜です。
僕は夕べも月明かりの中にガラス会社の社長のゲールや哲学者のマッグと話をしました。
のみならず音楽家のクラバックにもバイオリンを一曲弾いてもらいました。
そら、向こうの机の上に黒百合の花束が乗っているでしょう。
あれも夕べクラバックが土産に持ってきてくれたものです。
かっこ僕は後ろを振り返ってみた。が、もちろん机の上には花束も何も乗っていなかった。
それからこの本も哲学者のマッグがわざわざ持ってきてくれたものです。
ちょっと最初の詩を読んでごらんなさい。
いやあなたは河童の国の言葉をご存知になるはずありません。
では代わりに読んでみましょう。
これは近頃出版になったトックの全集の一冊です。
かっこ彼は古い電話帳を広げこういう詩を大声に読み始めた。
やしの花や竹の中に仏陀はとうに眠っている。
道端に枯れた一塾と一緒にキリストももう死んだらしい。
しかし我々は休まなければならぬ。たとえ芝居の背景の前にも。
そのまた背景の裏を見れば継ぎはぎだらけのカンバスばかりだ。
けれども僕はこの詩人のように遠征的ではありません。
河童たちの時々来てくれる限りは。
ああこのことは忘れていました。
あなたは僕の友達だった裁判官のペップを覚えているでしょう。
あの河童は職を失った後本当に発狂してしまいました。
なんでも今河童の国の精神病院にいるということです。
僕はS博士さえ承知してくれれば見舞いに行ってやりたいのですがね。
昭和2年2月11日
1966年発行
大文社大文社文庫
河童あるアホーの一生
より独了読み終わりです。
おお
最後の章で思い出しましたね。
そうだこれは
とある精神病患者は誰にでもする話だったって。
河童の話が長かったもんで。
河童の主人公多くてなんかちょっと混乱しましたけどね。
彼も今精神病院に入ってて裁判官のペップも
河童の国で精神病院に入っているということですね。
なるほど
宗教とかも出てきたね。
インテリですね。
彼はこの河童の国の話をした後
序章に書いてある通り
身を起こすが早いか原骨を振り回しながら
出て行け悪党めが貴様も馬鹿な残酷な虫の異動物なんだろうと
どうなるわけですね。
はあ
なんか読み方もっとあっただろうかという気がするな。
まあとりあえず有名どころを読んでみました。
2日に分けて読みました。
コア色が途中で変わっているところがあろうかと思いますが
どうかご容赦いただければと思います。
よし対策でしたね。
2時間ぐらい行くかなと思ったけど
もうちょっと巻きました。
メスの河童の描写が極端に少なかったのが
何かね意図的にやっているのかなどうなんだろうか
まあそれも含めてまた聞き込んでみようかな。
はい。
終わりにしましょう。
無事に最後までお付き合いいただいた方も
無事にじゃないや
無事に寝落ちできた方も最後までお付き合いいただいた方も
大変お疲れ様でした。
といったところで今日のところはこの辺で
また次回お会いしましょう。
おやすみなさい。