1. 寝落ちの本ポッドキャスト
  2. 179中勘助「銀の匙」前(朗読)
2025-11-06 2:41:23

179中勘助「銀の匙」前(朗読)

179中勘助「銀の匙」前(朗読)

お薬を飲む用

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サマリー

中勘助の小説「銀の匙」が朗読され、作品に込められた記憶や思い出が語られます。物語には、作者自身の幼少期の思い出や家族との関係が色濃く反映されており、感情的な描写が印象的です。「銀の匙」では、子供時代の思い出や日常の出来事が描かれ、特におばさんとの親密な関係が強調されています。物語には神田川やお稲荷さんが登場し、子供の純粋な視点からの成長過程が表現されています。 エピソードの中で中勘助の作品「銀の匙」が朗読され、主人公の成長や日常生活の描写が織り交ぜられています。また、主人公の母親や住んでいる地区の特色が強調され、家族や周囲との関係性も探求されています。「銀の匙」は独特な描写と豊かな想像力で、日常の中の小さな喜びや不安を表現しています。物語は日々の食事や遊び、周囲の自然の風景を通して、主人公の心の変化を描写します。 「銀の匙」の前半では、温かい家族の情景や夜の静けさの中での不安が描かれています。おばさんの優しさと子供の純真さの対比が特徴的で、さまざまな想像や出来事が織り交ぜられています。エピソードでは中勘助の作品『銀の匙』の朗読が行われ、心に残る自然の描写や人々の生活が織り交ぜられています。特に農作物や花々とのふれあい、そして人々の感情が深く描かれ、多くのリスナーに共感を呼び起こします。 『銀の匙』では、子供の心情と無垢な日常生活が描写されています。特に子供と大人の関係や遊びの中での微妙な感情が織り交ぜられています。エピソードでは中勘助の小説『銀の匙』の朗読を通じて、子供時代の思い出や友情が描かれています。特におくにさんとの関係や日常の遊びが中心テーマとなっています。 このエピソードでは、「銀の匙」の朗読が行われ、子供の日の思い出や雛祭りの様子が生き生きと描かれています。また、友達との遊びや学校への不安が語られ、成長の過程が示されています。エピソード179では、登場人物が様々な学校生活の出来事を通じて成長していく様子が描かれています。特に仲間との関係や日常の中での葛藤、家族との絆が重要なテーマとして取り上げられています。 エピソードでは中勘助の作品『銀の匙』における主人公の成長と心の葛藤が描かれています。彼の学び舎での出来事や友達との関係性、初恋の感情が展開され、彼は自分の弱さに向き合いながら成長していく様子が示されています。今回のエピソードでは、「銀の匙」の朗読を通じて友情や子供の社会における互助の重要性が描かれています。主人公とおけいちゃんの関係性を通じて、学校生活や遊びの中での出来事が心温まるストーリーとして語られます。 このエピソードでは、主人公おけいちゃんとさまざまな子供たちとの関係が描かれ、特に富子との競争心や嫉妬がテーマとなっています。おけいちゃんとの友情や自己の欲求が交錯する中での成長が語られます。「銀の匙」の朗読を通じて、子供たちの雛祭りの楽しさやお別れの切なさが描かれています。物語は幼少期の記憶や友情、別れの感情を掘り下げ、時の流れを感じさせる内容です。

ポッドキャストの紹介
寝落ちの本ポッドキャスト
こんばんは、Naotaroです。
このポッドキャストは、あなたの寝落ちのお手伝いをする番組です。
タイトルを聞いたことがあったり、実際に読んだこともあるような本、
それから興味深そうな本などを淡々と読んでいきます。
エッセイには、面白すぎないツッコミを入れることもあるかもしれません。
作品は全て青空文庫から選んでおります。
ご意見、ご感想、ご依頼は、公式Xまでどうぞ。
寝落ちの本で検索してください。
また、別途投稿フォームもご用意しました。
リクエストなどをお寄せください。
そして最後に、番組フォローもどうぞよろしくお願いします。
銀の匙の概要
さて、今日はリクエストをいただきました。
中勘助さんという方の、銀の匙です。
中勘助さん、日本の小説家、詩人、随筆家。
明治末期から大正初頭にかけて出筆した小説、銀の匙、これ今日読みますね。
が、学生時代の恩師である夏目漱石の推起を受け、
東京朝日新聞に連載されたことで文壇に認められる。
漱石文化の一人に位置づけられる一方で、文壇の潮流とは一線を隠した文学活動を維持し、
故郷の作家と評される。そうです。
初めて読みますね、中勘助さん。男前だな、この人。
イケメン?日本人?外国の地に入ってない?
てぐらいイケメンですね。
で、この銀の匙ですが文字数が10万字あるので、
今回は前後に分けようかなと思いますね。
多分5時間くらいかかっちゃうと思うので、
5時間いかずとも4時間半はかかりますね、絶対に。
2時間過ぎずつぐらいに分けるのが良いのではないかなと思っています。
そのつもりでお聞きください。
どこで切るかちょっと難しい。
あ、待てよ。
あ、すごい節が分かれてるな。節がたくさんある。
これ何個まであるんだろう。
22まで節があるんで、
半分。
11。1から11。
12から22みたいな感じで分けますかね。
物語の導入
それでやってる?そうしましょうか。
では、よろしければお付き合いください。
それでは参ります。
銀のサジ。
全編。
1。
私の書斎のいろいろなガラクタ物などを入れた本箱の引き出しに、
昔から一つの小箱がしまってある。
それはコルク質の木で、
板の合わせ目ごとにボタンの花の模様のついた絵紙を貼ってあるが、
元は博来の粉煙草でも入っていたものらしい。
何も取り立てて美しいものではないけれど、
木の色合いがくすんで手触りの柔らかいこと、
蓋をする時パンとふっくらした音のすることなどのために、
今でもお気に入りのものの一つになっている。
中には小安貝や椿の実や、
小さい時のモテ遊びであった細々したものがいっぱい詰めてあるが、
そのうちに一つ珍しい形の銀の小さじのあることをかつて忘れたことはない。
それは差し渡し5分くらいの皿型の頭に、
わずかにそれを打った短い絵がついているので、
分厚にできているために絵の端を指で持ってみるとちょいと重いという感じがする。
私は折々小箱の中からそれを取り出し、
丁寧に曇りを拭って開かず眺めていることがある。
私がふとこの小さいさじを見つけたのは、
今から見ればよほど古い日のことであった。
家に元から一つの茶段室がある。
私は妻だってやっと手の届く時分からその戸棚を開けたり、
引き出しを抜き出したりして、
それぞれの手応えやきしる音の違うのを面白がっていた。
そこに別行の引き手のついた小引き出しが2つ並んでいるうち、
片っぽは具合が悪くて子供の力ではなかなか開けられなかったが、
それがますます好奇心を動かして、
ある日のこと、さんざ骨を打ってとうとう無理やりに引き出してしまった。
そこで胸を躍らせながら畳の上へぶちまけてみたら、
風賃棚、陰楼の根付け棚と一緒にその銀のサジを見つけたので、
わけもなく欲しくなり、すぐさま母のところへ持って行って、
これをくださいと言った。
眼鏡をかけて茶の間に仕事をしていた母はちょいと思いがけない様子をしたが、
大事にとっては大きなさい。
と、いつになくじきに許しが出たので嬉しくもあり、
いささか張り合い抜けの気味でもあった。
その引き出しは家が神田からこの山の手へ越してくるときに
ほわれて開かなくなったままになり、
有所のある銀のサジもいつか母にさえ忘れられていたのである。
母は針を運びながらその由来を語ってくれた。
私の生まれるときには母はことのほか南山で、
そのころ直手の取り上げ婆さんにも見放されて
陶計さんという漢方の先生に来てもらったが、
私は陶計さんの専役ぐらいではいっかな生まれる景色がなかったのみか、
気の短い父が感触を起こして噛みつくように言うもので、
陶計さんはほとほと陶枠して漢方の本をあっちこっち読んで聞かせては
ちょうざいの間違いのないことを弁じながら、
ひたすらしおどきを待っていた。
そのようにさんざ母を悩まして挙句、やったのことで生まれたが、
そのときこもり果てた陶計さんが指に唾をつけて一枚一枚本を送っては
薬箱からくすぶぎをしゃくい出す様子は、
私を育ててくれたひょうけいのおばさんの死に迫ったみぶりに残って、
いつまでもあかれることのない笑いぐさとなった。
私は元来ひ弱かった上に生まれるとまもなく大変な出来物で、
母の敬意を言われば、
つかさのように頭から顔から一面吹き出物がしたので、
引き続き陶計さんの世話にならなければならなかった。
陶計さんは出来物を内向させないために、
毎日真っ黒な煉薬とウサイカコを飲ませた。
そのとき子供の小さな口へ薬をすくい入れるには、
普通のサジでは具合が悪いので、
おばさんがどこからかこんなサジを探してきて、
始終薬を含ませてくれたのだという話を聞き、
自分ではついぞ知らないことながら、
なんとなく懐かしくて、
人も亡くなってしまった。
私は体中の吹き出物をかゆがって、
夜も昼もおちょうち眠らないもので、
ぬか袋へ小豆を包んで、
母とおばとがはるばるかさぶたの上を叩いてくれると、
小鼻をひこつかせてさも気持ちよさそうにしたという。
その後、ずっと大きくなるまで虚弱のため神経過敏で、
その上、三日に明けず頭痛に悩まされるのを、
家の者はぬか袋で叩いたせいで脳を悪くしたのだ、
と言って来る一言に不一応した。
そのように母に苦労をかけて生まれた子は、
母の産後の日出しの良くないためや手の足りないために、
時々父を飲ませるときのほかは、
ちょうどその頃家の厄介になってた
おばの手ひとつで育てられることになった。
おばさんの連れ合いは壮衛門さんと言って、
国では精神ながら侍であったけれど、
夫婦揃って人のいい働きのない人たちだったので、
ご維新の際にはひどく冷落してしまい、
引き続き明治何年とかのコレラの流行ったときに、
壮衛門さんが死んでからは、
いよいよ家が持ちきれなくなって、
とうとう私のとこの厄介になることになったのだそうだ。
国では、おばさん夫婦の人のいいのにつけ込んで、
困った者はもとより、
困りもしない者まで困った困ったと言って金を借りに来ると、
自分たちの食べるものにこと書いてまでも貸してやるので、
さもなくてさえ貧乏な家は、
瞬くうちに信頼限り同然になってしまったが、
そうなれば借りた奴らは、
足踏みもしずに陰で、
あんまり人が弱すぎるで謎とあざけ笑っていた。
二人はよくよく困れば心当たりの者へ返金の催促もしないではなかったけれど、
先が少し哀れなことでも言い出せば、
ほろほろもらい泣きして帰ってきて、
気の毒な気の毒なと言っていた。
また、おばさん夫婦は大の名神家で、
いつぞや謎は、
白ネズミは大国様のお使いだと言って、
どこからか一つ買い買ってきたのを、
おふくさまおふくさまと御承大事に育てたが、
ネズミ山で増える奴が、
しまいにはぞろぞろ家中這い回るのをおめでたがって、
何かことのある日には赤飯を炊いたり、
一生末に入り豆を持ったりしてお供えした。
そんな風で、わずかばかりの金は人に借り倒され、
米びつの米はおふくさまに食い倒されて、
ほんの気の身気のままの姿で、
その自分、
殿様のお供でこちらに引っ越してきた私の家をお便りに、
はるばる国元から出てきたのだそうだが、
その後間もなく、
ソウエモンさんがこれらで亡くなったため、
おばさんは全く身一つの家父になってしまった。
おばさんはその時の話をして、
それは異国のキリシタンが日本人を殺してしまおうと思って、
悪い狐を流して起こしたからコロリが流行ったので、
一コロリ三コロリと二変もあった。
ソウエモンさんは一コロリにかかって、
病院へ連れて行かれたのだが、
そこではコロリの熱で真っ黒になっている病人に、
水も飲ませずに殺してしまう。
病人はみんな腹股が焼けて死ぬのだと言った。
おばさんは私を育てるのがこの世に生きている唯一の楽しみであった。
それは家はなし、子はなし、
歳はとってるし、何の楽しみもなかったせいもあるが、
その他にもう一つ、私を迷信的に可愛がる不思議な訳があった。
というのは、今もし生きていれば、
一つ違いであるはずの兄が生まれると、
まもなく恐怖で亡くなったのを、
おばさんは自分の子が死んでいくように嘆いて、
生まれ帰ってきてくれよ、生まれ帰ってきてくれよ、
と言っておいおいと泣いた。
そうしたらその翌年、私が生まれたもので、
仏様のおかげでさっきの子が生まれ帰ってきたと思い込んで、
無情に私を大事にしたのだそうである。
たとえこの汚い出来物だらけの子供が、
頼りないおばさんの頼みを忘れずに、
極楽の蓮の家を振り捨ててきたものと思えば、
どんなに嬉しく愛しかったであろう。
それゆえ、私が四つ五つになってから、
おばさんは毎朝仏様へお供え物をあげるときに、
それは信心深いおばさんの幸福な役目であった。
折々、お仏案の前へ連れて行って、
まだイロハの命も読めない子供に兄の皆名を、
おばさんの考えによれば、
すなわち私が極楽にいたときの名前であるところの
一貫即応同時というのを空に覚えさせた。
4.私は家の中はともかく、
一足でも外へ出るときには、
必ずおばさんの背中にかじりついていたが、
おばさんの方でも腰が痛いの、
腕がしびれるのとこぼしながら、
やっぱし離すのがいやだったのであろう。
五つぐらいまではほとんど、
土の上へ降りたことがないくらいで、
帯を結び直すときや、
何かどうかして背中から下ろされると、
なんだか地べたがぐらぐらするような気がして、
一生懸命、
ふもとの先にへばりついていなければならなかった。
そのころ私は、
あさぎのしごきをむだたかにしめ、
小さなすずとなりたさんのおももりを下げていた。
それはおばさんの工夫で、
おももりはもとよりけがのないため、
土部や川へ落ちないため、
すずはおばさんが目がかすんで遠くが見えないもので、
もしやはぐれたときにその根を切りつけて、
探しに来ようというのである。
しかし、年が年中背中から下りたことのない子には、
すずもおももりも実は全く無用のものであった。
私は虚弱のため、
知恵を尚つくのが遅れ、
かつ、はなはだしく憂鬱になって、
おばさん以外の者には笑顔を見せることはほとんどなく、
また、自分から口をきふくことはおろか、
家の者に何か言われてもろくに返事もせず、
よっぽど機嫌のいいときですら、
やっと黙ってうなずくぐらいのもので、
育児なしの人見知りばかりして、
知らない人の顔さえ見れば、
背中に顔をかくして泣き出すのが常であった。
私が痩せほうけて肋骨があらわれ、
頭ばかり大きくて目がひっこんでいたため、
家の者はみんなタコ坊主タコ坊主といったが、
自分では我が名の漢坊を名もって
カンポンと名乗っていた。
5
私の生まれたのはカンダの中のカンダともいうべく、
火事や喧嘩や酔っ払いや
泥棒の対魔のないところであった。
病弱な頭に影を残した近所の家といえば、
向こうの米屋、駄菓子屋をはじめ豆腐屋、
油屋、材木屋などいうたちの家ばかりで、
すじ向こうのお医者様の黒米と
殿様のところの私の家はその庭内にあった。
門構えとがひときわ目立っていた。
天気のいい日には、
子供時代の情景
おばさんはアラビアン内での化け物みたいに
背中にくっついている私を背負い出して、
年寄りの足の続く限り、
気に入りそうなところを連れて歩く。
じき、裏の路地の奥に
蓬莱豆をこしらえる家があって、
栗から門々の男たちが
少しひとつの向こうはちまきで
歌を歌いながら豆を言っていたが、
そこは鬼みたいな男たちは怖いのと、
ガラガラいう音が頭の芯へ響くのとで
嫌いであった。
私はもしそうしたいようなところへ
連れて行かれれば、
じきにベスをかいて体をねじくる。
そして行きたい方へは黙って指差しをする。
そうすると、おばさんはよく
化け物の気持ちを飲み込んで、
間違いなく思う方へ連れて行ってくれた。
一番好きなところは、
今も神田川の淵にある
小泉町のお稲荷さんであった。
朝早くなど人のいないときには、
川へ石を投げたり、
大きな木の実のような鈴を鳴らしたりして
よく遊んだ。
おばさんは私をチリのなさそうな石、
またはお宮の段々の上などに下ろして
お参りをする。
穴あき膳がカラカラと落ちていくのが面白い。
どこの神様畑様へ行っても
何より先にこの子の体が丈夫になりますように
と言ってお願いするのであった。
あの日のことが、
川から帯を捕まえられながら、
気さくに捕まって川の方を見てたら、
水の上を白い鳥が行きつ戻りつ魚を漁っていた。
その長い柔らかそうの翼を
たおたおと羽ばたいて静かに飛び回る姿は、
ともすれば苦痛を覚える病弱な子供にとって
誠に格好の見物であった。
それで私はいずいない上機嫌であったが、
おりやしくそこへ卵と麦菓子を背負った
女のあき膳が休みに来たもので、
例の通りすぐにおばさんの背中へくっついた。
女は荷をおろし、
かぶってた手ぬぐいをとって
襟などを拭きながら、
なんのかのと上手に愛憎いい
刺し物弱虫を手なづけてしまって、
そろそろ背中からおりかける自分にはもう
麦菓子の箱をあけて私を釣りにかかった。
女は小判なりの香りの高い麦菓子を取り出して
指の先にくるくると回しながら
「もっちゃん、もっちゃん。」と
手に持たせてくれたので、
おばさんは仕方なしにそれを買った。
今でさえ、
あの渋紙張りの箱を
たえぎ層に肩から外して、
中はもみがらに埋まっている白い薄赤い卵や、
ぷんと匂いの上がる麦菓子などを
見せつけられると、
ありったけ買ってやりたい気がしてならない。
お稲荷さんはその後立派になり、
賑やかにもなったが、
その時の屋根木ばかりは今も涼しくなびいている。
お稲荷さんへ行かない日には、
遊びと成長
汚い財布にお祭銭と木戸銭用の小銭を入れて、
牢屋の原へ連れて行く。
それは有名な天魔町の牢屋の跡で、
いろんな見せ物がしょっちゅうかかっていた。
また、コア金土が露天を並べて、
さざやのつぼ焼きや、
はじけ豆や、みかん水や、
季節になればとうもろこし、焼き栗、
しりの実なども売る。
紅白だらだらの幕を張った
見せ物小屋の木戸に、
標識と下足札を引っ掛けて
あぐらをかいている男は、
手を口へ当てて、
ほうばんほうばんと呼び立てる。
鎖に繋いだ山犬の鼻先へ、
手を引きつけて悲鳴をあげさせるのもある。
お皿のある怪しげなカッパが、
水溜りの中でぼちゃぼちゃやるのもある。
デロレン細分は、
貝をブーブー吹いて、
金の棒みたいなものをキンキン鳴らしては、
デロレン、デロレン、
というのでさっぱり面白くなかったけれど、
おばさんは、自分が好きなもので
たびたび連れて行った。
ある時、珍しく人形芝居がかかったことがあって、
桜が一面に咲いた草山に、
絵像紙で見るお姫様みたいな人が、
すずみを持って踊っているところの
絵看板が上がっていた。
私は大喜びでそこへ入ったが、
たちまち、チャンカチャンと
恐ろしい音がして、
顔も手足も真っ赤なやつが、
ねじくれたたすきをかけて飛び出したので、
びっくりしてわーっと泣き出してしまった。
あとで聞けばそれは、
千本桜のキツネタダノブだったのだそうだ。
気に入った見せ物の一つは、
ダチョウと人間の相撲であった。
ネジハチマキの男が、
鉄拳のお堂をつけて、
鳥が戦いを挑むときのように
ヒョンヒョン跳ねながらかかっていくと、
ダチョウが腹を立ててパッパと蹴飛ばすのである。
ある時はダチョウの方が、
首根っこを抑えられて負けになり、
ある時は男の方が蹴立てられて
参った参ったと言って逃げ出した。
その間に後退の男が片隅で弁当を使ってたのを、
相手を無くしてブラブラした
もう一羽のダチョウが、
こっそり寄ってっていきなり弁当を飲もうとしたもので、
男は慌てて飛び抜いた。
その様子がおかしかったので、
見物人はどって笑った。
おばさんは、
ダチョウがひもじがっとるに、
御膳ももらえんで気の毒な。
と言って涙をこぼした。
7
私のようなものが、
かんだの真ん中に生まれたのは、
カッパが砂漠で帰ったよりも不都合なことであった。
近所の子はいずれも、
かんだっこの卵のわんぱくで、
こんな育児なしを相手にしてくれないばかりか、
好きさえあれば辛い目を見せる。
中でも向こうの旅屋の息子なぞは、
おばさんがぼんやりしてると、
後ろから出し抜けに人の横ずつ、
面をはっつけては逃げて生き生きしたもので、
私はひどく怖じけて、
とにかく引っ込みがちになってしまった。
家にいる時には、
往来で向いた高窓に乗せ、
格子につかもらせて、
おばさんが後から押さえながら、
馬や車や目に触れる物の名などを教えて遊ばせてくれる。
すじ向こうの米屋に、
車に引かれたチンバの鳥がいて、
羽や尻尾がぼろけて、
塵にまみれながら、
いつ見ても片足をあげているのを、
おばさんは見るたびにかわいそがったので、
しまいには私までが、
その鳥を見るのが、
忌まわしくなってきた。
普段遊ぶのは、
お仏壇のあるごく陰気な山城で、
夜はそこが寝室になり、
時々は姉たちの自習室にもなった。
その頃十二三で小学校へ通っていた、
二人の姉が、
西洋の錠袋の形した包みから、
小物への上に広げて、
手習いをしたことを覚えている。
その机の一つは、
長さ三尺ぐらいの引き出しが二つ付いたので、
つまみが取れた後の穴へ、
筆の軸に紙を巻いたのが察してあり、
もう一つは、
わずかに子供の膝が入るくらいのもので、
浅い引き出しが付いていたが、
これらの机は兄から姉、
私から妹へと何十年かの間に、
じゅんじゅんに譲り渡されることになった。
それを踏み台にして、
庭に向かった窓の上へあげてもらうと、
黒部屋のそばにある、
オオカブのツツジが見える。
夏になれば真っ赤な花が山盛りに咲いて、
街中ながら、
時たま蝶々が飛んできては蜜を吸っていく。
その慌ただしく羽をはためかすのを
面白く眺めていると、
おばさんは後ろから肩腰に顔を出して、
黒い蝶々は山賀のおじいで、
白いのは黄色いのはみんなお姫様だ、
と言う。
お姫様はかわいいが、
山賀のおじいが真っ黒の羽を羽ばたいて
飛び回るのが恐ろしい。
おばさんはまた、
雑種で丹念に張った川籠から、
いろいろな玩具を出して遊ばせてくれる。
たくさんの玩具の中で、
一番大事だったのは、
表の溝から拾い上げた黒塗りの、
土製の小犬で、
その顔がなんとなく、
私に優しいもののように思われた。
おばさんはそれを、
お犬様だと言って、
空き箱や何かでこしられた
お宮の中に据えて拝んでみせたりした。
それが、
これらは、
世界にたった二人の
仲良しのお友達である。
8.
その他、
刀、薙刀、弓、鉄砲など、
あらゆる戦道具も揃っていた。
おばさんは私に、
えぼしを着せたり、
鎧同士を刺させたり、
すっかり戦人に仕立ててから、
自分も後ろ鉢巻きをし、
薙刀をかいこんで、
長い廊下の両端にじんどって、
そろそろと近づいていく。
廊下の真ん中で出会うや否や、
私が、
主天皇か、と声をかける。
敵は、
清政か、と言う。
そして同音に、
よいとこであったな、と言うと同時に、
やあ、
と口で拍子をとりながら、
しばらくは勝負も見えずに切り結ぶ。
これは山崎合戦の場で、
私は加藤清政、
おばさんは主天皇田島の神なのである。
そのうち二人は獲物を捨てて取り組み合う。
大立ち回りの末、
主天皇は清政がいい加減くたびれたところを見計らって、
しまった、
とすらも無念そうに言ってばったりと倒れる。
それを、
はなたかたかと馬なりになって押さえつけると、
おばさんは汗をだらだら流しながら、
下から、
縄は許せ、首切れ、とどこまでも主天皇でくる。
そこで清政が脇刺しを抜いて、
しわくしゃな顔をごしごし切る真似をするのを、
主天皇が顔をしかめて、
こらえながら目をつぶって、
ぐりやりと死んだふりをすれば、
ひとまず勝負がつくことが決めてあったが、
雨の日などには七八遍も同じことを繰り返して、
しまいに主天皇がひょろひょろになるまでやらせた。
おばさんは、
まあどうもならん、どうもならん、
と泣き声を出しながら、
飽きてやめようと言うまでは、
いつまでもやってくれる。
どうかするとおばさんは、
あんまり疲れて首を切られてしまっても、
なかなか起き上がらないことがある。
そうすると、
おばさんは思って、きみわるわる揺り起こしてみたりした。
祭りの楽しみ
明神様のお祭りのときは、
場所から恐ろしい景気で、
町内の若い者がのきなみに
紅白の花を打ち、
友へと火の丸のちょうちんを下げて歩く。
家の時にも花を打って
ちょうちんを下げるのが嬉しい。
その日には店に毛線を敷き詰めて
人権を飾る家があった。
でこで、この頭が二つ
うやしく壇の上に据えられ、
薪防署の杉竹のようなのが
かかった大きなおみきとっくりが備えられる。
金色の獅子は
銀の面玉を向いて
てっぺんに宝珠をいただき、
真っ赤な狛犬は金の目玉を光らせて、
たてがみを振り乱している。
おばさんは、お犬様や
牛べにの牛をお友達にした手際で、
獅子や狛犬までも仲良しにしてしまったので、
私はその恐ろしい顔を見ても
泣き出すようなことはなかった。
揃いの浴衣を着た
町内の若い者から
やっと足の運べる子どもまでが
向こうはちまきに
海外式ウコンの朝出す気をかけ、
私はあの鈴だの
起き上がりこぼしだのを見つけた
朝出す気が大好きである。
白旅の裸足に
むりむりしたスネを見せて、
できるだけ大きな饅頭を振って歩く。
軒並みの
蝶ちんの中にも、
町を飛び回る饅頭の中にも
ろうそくの炎がちらちらとまたたく。
紅白に染め分けた
頭でっかちの饅頭の先に
大人がきりきりと宙に振り回されるのは
気持ちのいいものである。
各町内の要所要所には、
大友子供の一団が
たるみ腰を取り巻いて
喧嘩の手筈を示し合わす。
そんなことの好きなおばさんは
私にもひと並みにたすきをかけ、
鉢巻きをさせて、
表へ連れ出した。
私は背負った着物の下から
赤いフランネルのまたびきを出し、
長いふもとをたすきに挟んで
おばさんの背中に小さな饅頭を持っていた。
電脳のまわりに固まっていた
ワンパクどものひとりが見つけて、
「エクシーよ、女におぶさって
饅頭振ってやがら。」と言いながら
主人公の成長
いきなりふたつみっつ石をたたきつけた。
おばさんははらはらして、
「弱い子だに金してくれよ。」と
急いで帰ろうとするのを
二三人のやつがばらばらと追っかけてきて、
足を引っ張って引きずり落とそうとしたので、
私はくびっ玉にしがみついて
火のにつくように泣き出した。
おばさんはのどをしめる手を
「金セルだ、金セルだ。」
と言って逃げて帰った。
そうしてほっと息をついたとき、
せっかくの饅頭と下駄をカタカタ落としているのに
気がついた。
あさげのひもで、いわゆる大事の下駄であったもの。
10
病人者の私は
しょっちゅうお医者様の手を離れる間がなかったが、
しあわせなことには
うさい角の統計さんがまもなく死んだので、
かわりに西洋医者の
高坂さんにみてもらうようになり、
統計さんがいっしょけんめい
ふき出させた晴れものは、
西洋のくすりできれいにあらわれて、
じきによくなってしまった。
この人は顔のこわいのににず、
子どものきげんをとることがじょうずだった。
で、それまで統計さんの
まずいれん薬にこりこりしていた私も、
よろこんであまみをつけた
みずぐすりをのむようになった。
そのうち、わたしと母のけんこんのために
どうでも山手のくうきのいいところへ
こさなければ、という高坂さんのせつによって、
さいわいそのとき、
殿様のほうのごようも
ひとりかたづいてひまになってた父は、
じぶんのやくめをひとにわたして、
小石川の高台へひっこすことにけっしんした。
よいよひきうつるという日には、
みんなしてわたしに、
もうこの家へは来られないのだということを
よくよく言ってきかせたが、
わたしはでえりのものがてつだいにきて、
おおさわぎするのがおもしろく、
またおばさんとあいのりにのせられて、
くるまをつらねていくのがうれしくて、
げんきよくしゃべっていた。
しばらくしてみちがだんだんさびしくなり、
あかつちのながいさかをのぼって、
それまでさかというものをしらなかった。
こんどのじゅうきょだという
すぎがきにかこまれた
ふるいえについた。
じゅういち
このへんのものはみなすぎがきをめぐらした
ふるいえにしずかにすんでいる。
おおかた、きゅうばくじゅだいからだいだい
すみつづけているしぞくたちで、
よがかわってれいらくはしたが、
まだそのひにおわれるほどみじめなありさまにはならず、
つつまやかにのどかなひをおくっている
ひとたちであった。
それにじんかもすくないかたいなかのことゆえ、
きんじょどうしはかおばかりか
いえのなかのようそまでしりあって、
おたがいにここれやすくしている。
くちたままてのいれないすぎがきのうちには、
どこにもたしょうのあきちがあって、
かじゅうなどうえられ、
やしきとやしきのあいだにははたけがなくば、
ちゃばたけがあって、
こどもやとりのあそびまになっている。
はたけ、いけがき、ちゃばたけ。
めにふれるものとしてめずらしく、
うれしくないものはない。
わたしのいえは、
となりのかなりひろいあくちへ
ふしんをするので、
そのできあがるまで、
かりにこのいえにすむのである。
くらいいんきなげんかんのわきには、
ひずりはのひがあったが、
そのはもあかいじくもおきにいった。
すべっこいはをとってくちびるにあてたり、
ほほをこすってみたりする。
こしてきたあかるひに、
だれかがせみをとって
ありあわせのとりかごにいれてくれた。
これまでみたこともきいたこともないものゆえ、
おもしろくはあったけれど、
そばよるとあばれてじゃんじゃんいうのがこわかった。
わたしは、まいあさはやくおこされて、
くさぼうぼうとしたあきちをはだしであるかされる。
ぺんぺんぐさや、
かやつりぐさや、
そこにはいてるくさのなをおぼえるだけでも
たいへんなしごとである。
家庭との関係
そのじぶん、
はちじゅうじかかったそぼも、
ぼうずあたまにけじゅすのずきんをかぶって
つえをつきつき、いっしょについをふんであるく。
そぼはしょうのいいみつぐりを
うらのかきねのくろへうめて、
これはまごたちがおおきくなるころには
とってたべられるようになるといっていった。
そぼがなくなってから
わたしどもはそれを
おばあさまのくりとなづけてたいせつにしていたが、
このふしではさんぼんながら
りっぱなきになって、
あきになればそのむかしのまごたちが
ざるにいくはいかのくりをおとして
じぶんのこどもにむいてやるようにさえなった。
そのうちにふしんがはじまった。
ざいもこをひいてきた
うまやうしがかきねにつながれているのを
おばさんにおぶさって
こわごわながらみにいく。
おおきなはなのあなから
ぼうみたいなえきをつきながら
うまはすぎのはをひきむしってくい。
うしはげぶっとなにかはきだして
むにゃむにゃとかむ。
おちつきのないながいかおのうまよりも
おっとりしてしたなめずりばかりする
まるがおのうしのほうがすきであった。
ふしんばにはのみや
てうなやまさかりや
てんてんのおとをたてて
さしもしずんだびょうしんもののむねをときめかせる。
しょくにんたちのなかに
さださんはきだてのやさしいひとで
けずりものをしているそばにたって
かんなのへこみからくるくるとまきあがって
ちにおちるかんなくずにみとれていると
いつもきれいそうなのをよって
ひろってくれた。
すぎやひのきの
ちのでそうなのをしゃぶれば
したやほほがひきしめられるようなあじがする。
おがくずをふっくらりょうてじすくって
こぼすとゆきのまたの
こそばゆいのもうれしい。
さださんはいつもひとよりか
があとにのこり
ぱんぱんといいおとのするはくしをうって
おつきさもおがんだ。
わたしはいつまでもしごとばにうろついていて
それをみるのがたのしみにしていたが
ほかのしょくにんたちはさださんに
へんじんというあだなをつけて
ああいうやろうはきっとわかちにする
なぞといっていた。
きれいにほうきめのたった
しごとばのあとをみまわると
いままでのにぎやかさにひきかえ
しんしんとしてゆうもやがかかってくる。
わたしはのこりおしくよびいでられて
またあしたのあさをまつ。
そのようにわきたつきがによって
なんとなくさわやかなきもちになりながら
ひにひにあたらしいじゅうきょうができてゆくのを
ふしぎらしくながめていた。
十二
すこしばかりのちゃばたけをあいだにして
みなみどなりにしょうりんじという
ぜんでらがあった。
そのてらないがひろいのと
しんじんぶかいおばさんには
おてらというものがなんとなく
なつかしかったのであろうために
わたしはときどきそこへつれてゆかれた。
日本から玄関までにじいけんばかりのあいだ
にぎょうにしかれた石のりょうがわが
あれたちゃばたけになって
ところどころすぎぬ木や何か立っている。
わたしはよくその
ちゃの花をとってもらったが
えだにもろいその花は
ひとつとるとばらばらといくつも
いっしょにちって地におちた。
またあめのあとなどには
ちゃの木ちゃの木にしずくがいっぱいたまって
きらきらとひかっている。
なんの木もないながら
かすかなさびのあるちゃの花は
おまえおりのおもいでにふさわしい花である。
まるみをもった
しろい花べんが
ふっくらときいろいしべをかこんで
くらみどりのちじれた葉のかげにさく。
それをすっぽりと花へおしつけて
かぐのがくせであった。
ひだりての
あかいのそばのもくせいは
はながさけばあまいかおりをただよわせ
そのいどぐるまのきしるおとは
しずかなちゃばたけをこえて
わたしのいえまでもひびく。
ほんどうのげんかんにある
おくさいしょくのくじゃくがかいてあった。
おんどりがみののようなおをさげて
なにかまとまっているそばに
へやちいさいめんどりが
みをかかめてついばむようなすせいをしている。
そのまわりにさきみられた
いろいろのぼたんの花には
ちょうちょがいくつかたあむれていた。
またおりおりは
きんじょのだいにちさまへつえていってあそばせた。
わたしがねじねじの
ふといつなをもってこんこんと
まにぐちをならすと
おばさんはおさいせんをなげておまえりをする。
そうしてのうびょうのなおるように
わたしのあたまと
おびんずるさまのあたまをかわるがるなでて
それからこんどはじぶんのめをさする。
おびんずるさまは
てかてかしたてあかだらけのきじをうだし
おおきなめをむいてだいのうえにあしをくんでいた。
だいにちさまには
ほうぼうのおてらにあるように
かきいろやはないろのほうのうの
てぬぐいのさがったほりぬきひどがあって
くさぞうしに
あわのなるとのおつるがもっている
まげもののひしゃくがういていた。
おばさんは
そのおみずをありがたそうにてにうけて
めをひやしてからちいさくなっためをみひらいてみて
おだいにちさまのおかげで
ちいとあいようなったような
という。
このおだいにちさまのおみくじは
地域の特色
たいそうよくあたるというひょうばんで
えんぽうからわざわざひきにくるひとさえあった。
それでおばさんはあるとき
わたしのびょうしんがよくなるかどうか
うかがってみたことがあった。
ほうどうのわきのしょうにたっているところへいって
おたのみ申します
ほうどうのわきのしょうにたっているところへいって
あたまをあおあおとそった
わかいぼうさんがかおをだした。
おばさんは
いちぶしじゅうをはなして
おみくじをたのんだ。
ぼうさんはほんぞんさまのまえへいって
しばらくおがんでから
がらりがらりがらがらがらとちょうしをつけて
いくどもはこをふったのち
いっぽんのおみくじをひいてきて
そのもんくをていねいにかみにかいてくれた。
おばさんは
しかくいじがよめないので
おばさんはひょうをするとだったもので
ほうほうくんよろこんでかえってきた。
じゅうさん
いっちょうほどさびしいほうへいくと
むくげんのいけがきをめぐらしたあきちに
ごろくわのにわとりをかって
だがしをうっているじいさんばあさんがあった。
わたしははじめてみる
わらやねややぶれたつしかべや
ぎりぎりおとのする
はねつるべなどがひのくきにいって
おばさんとそこへかしをかえにいくのが
おおきなたのしみのひとつとなった。
じいさんばあさんはみみがとおくて
よんでもなかなかでてこない。
さんざよんでるとそのうちやっとこさ
でてきてあっちこっちかしばこのふたを
あけてみせる。
きんかとう、きんぎよくとう、
てんもんとう、みじんぼう。
たけのようかんは
くちにくわえるとあおたけのにおいがして
つるりとしたのうえにすべりだす。
あめのなかのおおたさんは
ないたりわらったりしてよんなむきにかおをみせる。
あおやあかのしまになったのを
こっきりかみおってすってみると
すのなかからあまいかぜがでる。
いちばんすきなのは
にくけいぼうというのだった。
それはあるへいのぼうに
にくけいのこなをまぶしたもので
のうこうなあまみのなかに
こうふんせいなにくけいのにおいがする。
あるひどいあめのひに
わたしはどうしてかきゅうにじいさんばあさんが
かわいそうになり
それとどうじににくけいぼうがほしくなってきかないので
おばさんはわたしを
はんてんおんぶしてでかけたが
あいにくかんじんのにくけいぼうがなかったため
わたしはがっかりしてないてかえったことがあった。
日常の小さな喜び
うしのちちをおとなしくのんだり
むずがらずによくあそんだりしたひには
ごほうびにがらがらをかってくれる。
ももやはまぐりのかたちの
こうはくにそめわけたのを
すなかでふってたのしみながら
かえってわってみると
かみでこしらえたこずつみや
ぶりっきせいのふえなどがでる。
それをたからものみたいにだいじがる。
またどろいろのかわで
さんかくにつすんで
あわせめをやくしゃのにがおでふうじたのもあった。
じゅうよん
うまるすきのきょじゃくのうえに
うんどうぶそくのためしょうかふりょうであったわたしは
はちのおおさまみたいに
くいものをくちにおしつけられるまでは
くうことをわすれていて
おばさんにどれほどほねをおらせたかわからない。
ようかんのあけぼこに
にぎりめしをつめいせまえりというしゅこうで
おばさんがさきにだって
にわのつきやまをぐるぐるまわりあるいたあげく
いしどうろのまえで
かしわでをうちおまえりをして
まつのかげにあるいしにこしをかけて
おべんとうをたべたこともあった。
またあるときはいもうとやうまもいっしょに
まちよいのさえているはらへ
のりまきをもってたべにいったこともあった。
すぎやえぬきやひぬきなどのたいぼくが
たちのらんだがけのうえからみわたすと
ふじ、はこね、あしがらなどの
やまやまがこうこうとみえる。
わたしはいつになく
よろこんでひるめしをたべていたのに
おりやしくむこうからひとがきたもので
すぐさまはしをほおりだして
もうかえるといいでした。
いきもののうちでは
ひんげんがいちばんきらいだった。
そんなふうで
わたしがなにをたべてもうまがらないのを
おばさんはどくとくのべんぜつで
じょうずにあじをつけてたべさせる。
はまぐりのつくだには
あのかわいいはまぐりがいが
りゅうぐうのおとひめさまのまえを
したをだしてはってあるくということのために
またたけのこはもうそのおやこうこうの
はなしがおもしろいばっかりにすきであった。
むっくらしたたけのこをあらえば
もとのほうのふしにそうて
みじかいねとむらさきのいぼがならんでいる。
そのかわを
ひにすかしてみると
きんいろのぶげがはえて
うらはぞうげのようにしろくすじめがたっている。
おおきなのはあたまにかぶり
ちいさのはけばをおとして
うめぶしをつすんでもらう。
しばらくすっているうちに
かわがべにいろにそまって
すっぱいしるがにじみだしてくる。
はちくもすきであった。
どなべでぐつぐつにいながら
さまさまおいしそうなようそうして
にえくりかえるたけのこのあじをきくのをみれば
ほかのはちのおおさまも
おくばのへんにつばのまくのをおぼえた。
ときどきあまえてじぶんではしをとらないと
おばさんはさいしょくしたちいさなちゃばんを
くちへあてがって
すずめごだ、すずめごだといいながら
たべさせてくれる。
たいはみためがうつくしく
あたまにななつどうぐのあるのも
えびすたまがかかえているのもうれしい。
めだまがうまい。
うわっつろはぽくぽくしながら
しんはじゅうじんで
いくらかんでもかみきれない。
とめいのたまがかちりとさらにおちる。
はのしろいのもよい。
じゅうご
そのころ
まるまるさんというきちがいがいた。
ふるいひとのはなしによれば
わかいときたいへんがくもんにこって
ほんばかりよんでいるうちに
まんしんしてきがふれたのだという。
かみをぼうぼうとのばして
あかとすすとで
こけらのはえたからだにやけこげだらけのぼろをき
ふといたけのつえをついて
なにかがんがえこみながら
なちとなくふゆとなくはだしのまま
さもしずかにさまよいあるく。
むかしを
しているひとたちがきのどくがって
むすびやなどやると
てつばちをもつようなかたちにたいせつに
てにのせてかえっていくが
たまたまみにつけるものをほどこすひとがあっても
ふしょうぶしょうにいちにちふつかきるばかりで
じきにもとのぼろへときがえてしまう。
かれは
あたしのいえからにちょうほどはなれた
あるのうかのそばにあなをほって
そのなかでねんじゅうたきびをしていた。
そしてきのむいたときにはあなからでかけ
あしのむくほうへいきたいだけいって
いやになればくるりとむきなおって
もどってくる。
そんなにしてあめのひもかぜのひも
なんべんとなくそのへんをあるきまわるのが
つねであった。
それゆえどうかしていちにちそのすがたが
みえないことがあるとひとは
きょうはまるまるさんがきげんがわるいんだ
といい。またみっかよっかも
つづけてでないときはかげんがわるいの
じゃないかといってきのどくがったりした。
おかしなことに
かれはおおらいでおんなにいきあえば
にそくさんそくあとへさがって
さもけがらわしそうにぺっぺとつばをはく。
けっぺきなおばさんは
はじめてまるまるさんをみたときから
そのあかくさいのをきにして
かれがさんそくさからないうちに
不安の中の遊び
こちらからひっかえしてしまうくらいだったが
あるひわたしをうってれいのだがしあい
ゆくとちゅうでばったりでくわしたから
おばさんはこらえかねて
こうせんあげるでたのむにかをあらってくれんか
といっておびのあいだから
さいふをだしかけた。
かれはさすがのまるまるさんも
すこしおどろいたようにかちともったが
さもさもゆまゆましいようにくびをふり
つばをはくのさえおわせてあしばえにかえっていった。
このきょうじんはそののち
わたしがいちにんまいのわんぱくになるまでも
いきていたがあるひのこと
まるまるさんがさくやのうちにやけしんだ
というわさがたったので
こわこわそのあなをのぞきにいったらいつもの
たけずえがそだといっしょにやけのこっているばかりで
まるまるさんのすがたはみえなかった。
じゅうろく
おばさんはきのみどちをしてあそばせるといって
しらたまつばきのみをおとしてくれたが
めがわるいのとちからがないのとで
ねらいをはずしてえだはばかりたたきおとした。
きのみどちというのはくにのあそびで
つばきのしゅしのあるきめられたかたちのもののうちから
いくつかをえらんでめいめいが
おなじかずだけだしあい
それをいっしょにして
ひとりずつかわあるがおる
りょうてんのなかでふってから
たたみのうえにあけてみて
しろいめのあとがおおくうえにでたものをかちとして
しゅしのとりっこをするのである。
そのかっこうとじゅうしんのかんけいによって
しゅしにしょうぶのうえのきょうじゃくがある。
なかにはうるしをのってかざったり
つよくするために
こうかつになまりをつぎこんだりするものもあるという。
おとしたみをひろいあつめてから
おわると
ふねのようなのやかぶらのようなのや
つやつやしたのがかくへきのなかにしっくりと
くいやっている。
そのかたちにしたがって
もう、じゃあ、とこ、かい、などとよわれる。
そんなにして
ひろくじゅうのしゅしをあつめて
しずかなあめのひをきのびどちをしてくらしたこともあった。
なつになれば
いろんなかたちをしたくものかたまりが
にっこうにあふれてぎらぎらするそらをうごいていくのを
おばさんは
あれはもんじゅさまだの
あれはふげんぼうさつさまだのとまことしやかにおしえた。
あるひのこと
あそびつかれたわたしは
ひとりねころんで
じぶんをまもってくださるほとけさものすがたにいた
くものふるのをながめていた。
そうしたらちょうどそこへとおりかかったくもの
まおむけになったようなのが
ふいにくずれておそろしいかたちになったので
わたしはばけものがかんのんさまになって
とりにきたのかと思って
あわてておばさんのところへにげていった。
それからわたしはそういうかたちのくもを
しびとかんのんとなづけて
そのかげをみればすぐにかくれてしまった。
かわかごには
やまさきかっせんのいくさどうぐのほかに
おもちゃもはいっていたが
なかにもつずみとしょうのふえはひぞうのたからものであった。
しょうのふえのくろぬりのつぼには
からくさのまきえがしてある。
そのわがたにならんだ
ながいみじかいくだの
ひゅひーとやわらかいざっとなおとをだすのが
よわいしんけいにほどよいけいかんをあたえる。
つづみは
わたしのちいさなかたにあふさわしいほどのもので
ひのしらべのお。
おもしろいどうのかたちなどは
みんなきにっていた。
なんでもちょいちょいかじっているちょうほうなおばさんは
ひとにつづみをうたせながら
じぶんはたいこうをおおがおにして
いいあんばいにひょうしをあわせる。
そのほかおしろいばけにしたうさぎのてだの
ほねのたったときにのどをさする
つるのくちばしだの
めぬきをどうとかするしんちゅうのさいずちだの
こもかいものは
こひきだしのたくさんついたたんすのぽんのひきだし
というのにしまってあった。
わたしはそのなかで
どれがほしいというようなことはついといったことがなく
おばさんがあれかこれかとひとつひとつ
だしてみせてうまくあたるまで
くびをふってぐずぐず言っているが
たいてんのときはれいのおいぬさまと
うしをだされればきげんがなおってしまう。
なにかきにいらなくて
あたりしだいにほおりだすと
はらもたせずにいとこがわるいのではないかと
しんぱいしてじきにひたいをおさえてみる。
えつがあればすぐにおいしゃさまへつれてゆかれるのである。
それがいやさにひたいをおさえられると
へなへなとおとなしくなってしまう。
きくのさくころならば
おばさんはきくもうせんをつくってあげるに
おとなしゅうせるだよ
とうらばたけからきくをとってきて
きくもうせんをこしらえてくれる。
それはいろいろのきくのさまざまな花びらを
あらびやもようのように
かみにしいてしばらくおしをかけてからだしてみると
においのいいもうせんになっているのである。
わたしはきくもうせんがだいすきだった。
またほんばこにいっぱいある
くさぞうしをぶちまけて
きのながいおばさんに
あとからあとへとはなさせることもあった。
なにかしかられてないたあげく
さんざすねて
なんのかのとすかしにくるのさえはるだたしく
へやのすみにひとりひっこんで
くさぞうしをひろげたり
おもちゃをいじっくったりしてなぐさめてると
おえぬさまやうしやさやいづちや
くさぞうしのなかのおひめさまなどが
ものこそはいわないがしんせつにいたわってくれる。
そうされれば
なきあんだくやしなみだが
またとめどもなくわきだして
なきじゃくりしながら
こんなにみかたがあるからいいやい
といううきになってみんなをうらんでいる。
17
心の変化
よるは
ちゃのまにあつまっているみんなのそばで
おもちゃをぶちまけてあそんでいるうちに
ねむけがさしてくれば
あれもこれもしゃくにさわるので
おばさんは
まあねむなったかよ
といいながらしらばったおもちゃを
かたづけ半分ちからずくに
くびすじをおさえつけてみんなに
ごきげんようをいわせるのを
ねないねないといじばりながら
ねまへひっぱられていく。
そこにおばさんはわたしを
うばはいもとをだえてねることになっていた。
日がくれると
温かい家庭の描写
じきにあんどんをともし
とこをのべてきげんのわるくなりしだい
ねられるようにしてある。
よいならばいくまいもかさねたねまきが
あんかにかかってゆげのたすほど
あったまっているのをぎょうさんのようすをして
ふうふうふきながら
やさだからだにほっこりとまとってくれる。
かけぶとんのひとつはきくのもよう。
ひとつはさらさのえびいろがかった
ちにきくいただきや
きのえだなどついたはくらいらしいものだったが
そのひなたくさいのがよくて
ひょっくるしたところへうつぐせに顔をうずめて
においをかくのがすきであった。
わたしがあかりのくらいの
こわがるもので
おばさんはわたしをとこにいれたあとで
あんどんのひきだしから
しんきにとうしんをひとすじだして
つぎそえてくれる。
さけをちょいとあぶらにしまって
つっぷりとしずんでいるふるいののそばへならばせると
ぱりぱりとひばながちってひがうつる。
そしてひざらから
あまったところがふらふらとあとへでるのを
てをぶるぶるふるばせながら
やっとかきあげて
ゆすぼのくちばしからとくとくと
あんどんのたねゆをつげ。
ふかふかしたとうしん。
それにじいっとあぶらのしみるぐわい。
とうしんおさえのかっこう。
あぶらのにえるにおいなど。
わたしは
あぶらのなかにむしのしがいが
くろくしずんでいるのと
さらのふしにちょうじがへばりついているのが
なによりきらいだった。
で、おばさんはまいちあぶらをかえて
きりだしのはのつぶれたので
がりがりとちょうじをおとしてくれる。
このおくびょうものには
なくきみがわるい。
ねむたいめをみはって
とこのなかからなかめていると
ちょうじがしらをしんにぼうすいがたにたっているほのうが
きれのながいひとつめにみえ。
また、はなのさきをこがしそうに
かおをつっこんでとうしんをかきたてる
おばさんのかげほうしが
あんどんのかみにどほうもなく
おおきくうつるのをみれば
なにかがばけているんじゃないかというきがした。
おばさんはひきだしでりんすんをしまいながら
ひにさそわれてやけしんだ
むしたちのごしょうのために
おばさんのかみをとなえる。
わたしはまたあかりのとどかない
とこのまのてんじょうに
まがいるようなきがしてねられないことがあった。
そうするとおばさんは
やっとこさとあんどんをさげて
てんじょうをてらしてみて
なんにもおれせん
なんにもおれせん
といってわたしにあんしんさせる。
子供の不安と思い
まというものはかみをばっとさげた
どすぐろいもののようにおもっていた。
おばさんは
ゆうなかにこわかったらよばらんしよ
おばさんはきついで
みんなにげてしまうに
といっていろんなはなしをしながら
ねせつけてくれる。
しかくいじこそよめないが
おどろくほどはくぶんきょうきであった
おばさんはほとんどむじんぞうに
はなしのたねをもっていた。
おまけにどうかしてわすれたところは
かってなそうぞうでいいあんばんにつづけてゆくことに
みょうをえているのであった。
そしてさむらいであれおひめさまであれ
それぞれのひょうじょうと
こわいろをつかってしまいには
おもののかおまでしてみせるのが
あんどんのうすぐらいひかりにてらされて
しんにせまってみえた。
18
なかでもあわれなのは
さいのかおらに
いしをつむこどものはなしと
せんぼんざくらのはつねのつづみのはなしであった。
おばさんはかねしげなちょうしで
あのじゅんれいうたをひとくさりうたっては
せつめいをくわえてゆく。
そのじゅうぶんなことわけは
のみこめないのだが
たいないでははおやにくろうをかけながら
ためとうをたててつみのつぐないをしようと
さびしいさいのかおらに
とぼとぼといしをつんでいるのを
おにがきてはてつぼうでつきこわしては
ひどいめにあわせる。
それをやさしいじぞうさまがかばって
ほうへのそでのしたにかくしてくださる。
というのをきくたんびに
わたしはいきのとまりそうな
いんうつなきにおしつけられ
またかわいそうなこどものみのうえが
しみじみとおもいえられて
しゃくりあげしゃくりあげなくのを
おばさんはせなかをなでて
おじぞうさまがおいであそばすで
という。
おばさんの優しさ
じぞうさまといえば
ろばたにしゃくじょうをついてたっている
あのせきぶつのとおりのほとけさまだと思っていた。
ぶっしょうのおばさんのてひとつにそだてられて
けものとにんげんとのあいだに
なんのさべつもつけなかったわたしは
おやのなまがわをはがれた
ふびんなこぎつねのはなしをみにつまされてきいた。
おやのしろぎつねはかわをはがされながら
わがこかわいや
わがこかわいや
おばさんはおばさんをかんじていて
よこにはいってから
いちりゅうのものさびしいふちをつけて
ひとばんにいっしゅにっしゅとこんきよくおぼえさせた。
おばさんがたちわかれ
という。
わたしがたちわかれとあとをつく。
いなばのやまの
いなばのやまの
みねにおふる
みねにおふる
そんなにしているうちについにねいってしまう。
よくおぼえたときは
あしたごほうびをあげるに
まあねるだやといってたたきつけてね
してくれる。
わたしがうたをはやくおぼえるの
たいへんなえらいこででもあるかのように
おもっておばさんはあくるひ母などに
ゆんべはふたーつ
もじつきにおぼえた。
なぞとじまんらしくはなしたりした。
わたしはわからぬながらも
うたのなかにしっていることばだけをとりあつめて
おぼろげにいっしゅのいみをそうぞうし
それによみごえからくるかんじをそえて
ふかいかんきょうをおもようしていた。
そのじぶん
わたしはふるいうたがるたをおもっていたが
それにはいちまいのふだのなかに
うたとうたにあわせたえがかいてあって
けわだってきえかかってはいたけれど
それでもまつに
ゆきのふりつもっているところや
もみじのしたにしかのたっているところなど
ぼんやりとめやけられた。
またひゃくにんいっしゅのとじぼんもあった。
うたのすききらいは
かるたのえとよみびとのすがた
かおかたちによってもきめられる。
すきなうたはすえのまつやまのうた
あわじしまのうた
大山のうたなど。
すえのまつやまのうたは
わたしのみみにいいしらぬ
やわらかなものさびしいひびきをつたえて
かるたのえにはまつのはまに
うつくしくはまがよせていた。
あわじしまのうたはなみだをさそう。
うみのうえをふねがゆき
ちどりがとんでゆく。
大山のうたをきけば
おひめさまがおににとられて
そのやまおくへつれられてゆく
くさぞうしのはなしをおもいださずにはいられなかった。
そうじょうへんじょうや
さきのだいそうじょう、ぎょうそんなどという
しゅわくしゃのぼうさんはだいきらいだったが
せみまるだけはなまえからもかわいかった。
じゅうきゅう
ゆきのよるにはおばさんは
あんかのたどんをかけおこしながら
ゆきぼうずがしろいきものをきて
とのそとにたっている。
なぞといってひとをおどかす。
あついときにはねぐるしがるのを
あおいでくれるうちわのえにもこのみがあって
すきなうでなければなかなかねつかない。
いいにおいのするかやのなかで
そとをとぶかのこいをききながら
いたずらにほねをひとつおってみたりしていると
とないのてらのやぶえごろすけがきてなく。
おばさんは
ぽっぽどりはわるいとりで
ひとこいにかをせんべきつうはくげな。
あすはかがえらいぞよ。
なぞという。
すずかずがたつころになれば
こうろぎがなきはじめる。
あるときかおいがってやろうと思って
ほたるかごにいれておいたところ
ふたこえかみこえないたぎりだまっているので
そうとのぞいてみたら
おばさんにはったろうをくいやぶってみんなにげてしまっていた。
そのこえをきけば
こどもごころにも
なにがなしたつあきのさびしさをおぼえる。
おばさんは
さむなたにずずれさせとなくのだといい。
うばはいもうとに
ちちのめちちのめ
しちのむとくいつくぞとおないでいるのだという。
あさどうかしてはやくめをさますと
しょうれんじのまきのきにすをつくっている
かおりのこえがきこえるのをおばさんは
まんだいちばんがらすだに
まっとねるだよ
といってなかなかおこしてくれない。
にばんがらすがないて
さんばんがらすがなくとやっとおこしてくれる。
そんなことをいってちょうどいいじぶんまで
ねかせておくのであった。
ゆうがたになれば
ねまのまえのこんもりしたさんごじのしげみに
おおぜいのすずめが
ねぐらをもとめにきてくびをふって
くちばしをといだり
えだをあらそってつきあったりしてさわぐ。
おてんとさまがかくれて
やがてのこりのうすいひかりもきえていけば
ひとつふたつ
おばさんのままでがだまってしずかになってしまう。
そのすずめたちを
おともだちのようにおもって
さんばんがらすがないてもまだおきずにいると
ねぐらをたっていくかれらが
ちゅうちゅういいだすのを
じぶんのねぼをわらっているようなきがして
おおいすぎてとこをでる。
さんごじはそんなにそむかぬしんくのみをむすぶ。
やわらかなこけのうえにおちているのを
ひろうのもうれしい。
20
さんよんじゅつぼほどのうらのあきちは
なかばかだんに
なつのはじめのころになれば
かきねのそとをなえうりが
すずしいこいをしてとおる。
おばさんはそれをよんで
やさいもののなえをかう。
わらでこしらえたはこのなかに
しっとりとみずけをふくんだこまかいつちがはいって
いろいろななえが
いきいきとふたばをだしている。
すげがさをかぶったなえうりのおとこが
さもだいじそうにそれをすくいだす。
おばさんは
なすだのうりだのをすこしずつかかえて
はたけへうえる。
なすのむらさきがかったなえ
かぼちゃへじまのうすしろく
こなをふいたようななえが
だえんけいのふたばをそよがせているのを
あさばんふたりして
じょうろでみずをかけてやる。
なえはみるたんびに
せいちょうしてつるがでたりはがでたり
しまいにははたけじゅう
のたくりまわっておおきなみをぶらさげる。
それをたのしみにして
けんぶんしてゆく。
そんなせわのすきなおばさんは
ぐちをいいいい
とせいでてをとってやると
ひとまきふたまきとひにひにつるがまきついて
あらっぽいはのあいだに
きるやむらさきのはながさく。
そこへまるっこいあぶがきて
わかものがおにとびまわって
はなのなかへもぐってゆく。
むだばなが
ころころとおちるうちに
ほんとのはなのねもとにふくらみができて
ひらたくなりながぼそくなりして
よにゆうとおなすや
かぼちゃのかたちができあがる。
なすのきんちゃくなり
へちばのぬっとしたかっこう
つぶつぶして
自然とのふれあい
にくらしいきゅうりなど
はおのけてみておもいよらぬみのついたのを
みつけたときのうれしさはない。
なたまめ、ふじまめ、ちびふでににた
ねぎのはな。
あるときとうなすのなえを
かつてうえたら
そざつにしたがいようすがかわってきて
とうとうひょうたんになった。
わたしはいくつとなく
ぶらさがったひょうたんをみておおよろこびだったが
おばさんはなえうりに
まんまといっぱいこわされたのをくやしがって
ろくにせやをしてやらなかったもので
みんなおちてしまった。
それからはしたのまちのあおものややかいに
うくことにしたが、おばさんは
なにのなえをみつけてもひょうたんじゃないかと
うたがって、もしはいてから
ひょうたんがなったらひょうたんのきをかえしに
くるがいいかといってあおものやを
きめつけた。
はたけをめぐるすぎがきの
くろには、そぼのくりと
わたしがひろってきてまいたくるみが
めをだしている。
また、そぼがすきでうえておいた
ほうせんかのたねがちらばって
あちらこちらにさく。
とりたててみどころのない
くさながら、わたしもほうせんかが
すきである。
いたずらにはなをとってつめをそめたりする。
おしろいのみをつぶして
しろいこなをだすのがおもしろかった。
あんずのはな、
もものはな、
はたんきょうのふるいきがあって
くものようにあおじろいはなをさかせたが、
それはわたしたちきょうだいの
なによりのたのしみで、
からすのくるのをきにしては
おいにいった。
人々の感情
おおきなみがすずなりになるので、
えだがしなってじびたについてしまう。
せのとどくところは
てでちぎり、
たかいえだのはうちおとして
おもたいざるをかかえてかえる。
からんにはおによりや
しらよりがさく。
わたしはあまりあかるいいろ、
のうこうないろをみれば
むねぐるしいあっぱくをかんじるのが
つねであったが、はなでいえば
ゆりのおしべのあたまに
こっとりとついている
こげいろのかふんなぞがそうであった。
にじゅういち
じきちかくに
えんまさまのおてらがあった。
じごくのかまの
ふたのあくひがきて、
いんうつなかねのねが
ひとをうながすようになりはじめると、
おばさんはきのすすまないわたしに
はないろのかたびらをきせ、
とうちりめんのしごきをむなたかに
つれてゆく。
おぼんにはきまってそのかたびらをきせられたため、
はないろといういろまでがわたしを
いんきにするようになった。
せまくるしいけいたいから
もんぜんへかけて、いっぱいごりんの
こおりややおでん、
すしのやたいみせがぎっしりとならんで、
ピーピーいうふうせんのおと、
ものうりのよびごえなどが
すなほこりのなかにたえがたいさわぎをする。
そしてまえられかけの
でっちこぞうどもが、
じぶんたちのえんまさままででもあるようにはしゃぎまわる。
わたしはことにこのしの
にんげんがきらいであった。
にさんだんせきだんをあがって、
せんじゃふだのべたべたはりついた
あかもんをくぐれば、
みぎてにちいさなえんまどうがあって、
かたのごとくひやひなかおをした
えんまさまがひかえている。
せんこうのけむりがむんむとこもっているなかで、
まちのこがぎゃんぎゃんぎゃんぎゃん
ひっきりなしにかねをたたくので、
あたまがみじやけそうに
くるしいのを、
おばさんはいつでもしゅもくをかりて、
わたしにもふたつみっつたたかせずにはおかない。
そうして、
よくえんまさまのかおをみせてから、
ようやくそこをでる。
ほっといきをつくと、
こんどはほんどうにあるさんずのかわの
おばあさんのとこへつれていく。
かなつぼまなこのなまじろいばあさんが、
こうはくのめんをいくまえも
あたまにのせてすわっている。
わたしは、
ふゆかいとえんてんにさらされるために、
はげしいずつうになやまされるのがつねであったが、
それにもかかわらず、
おばあさんはなんのかのといって、
まいとしつれてゆかずにはおかなかった。
ねはんえのひには、
くすぼったねしゃかさんのじくをかけ、
そのまえにこずくえをすえて、
こうかをそなえる。
このむしばんだじくと、
おぶつだんのうえのまっくろなだいこくさまのぞうとは、
おばさんのとこのざいさんのたったふたつののこりものであった。
おばさんは、
こずくえのまえにそわっておねんぶつをとなえながら、
わたしにおせんこをあげさせ、
おしゃかさまのはなしをしてきかせる。
おしゃかさまのまわりにあつまっているものは、
ぞう、ししをはじめ、
あしゅら、きんなら、
りゅうぞく、てんじん。
それらは、
このたっといめいしんかのたくみなものがたりによって、
祭りの思い出
みるみるいきてなみだをながしはじめる。
さらそうじのこずえにたなびいたくものうえから、
うつくしいひとがみおろしているのは、
まやふじんといって、
おしゃかさまのおかあさまだという。
そのまやふじんがてんからなげたくすりのふくろが、
さらのえらにかかっているのを、
だれひとりきがつかないのだ、なぞと、
おしゃかさまのねはんを、
おやにでもわかれるようにいってきかせるので、
わたしは、
おしゃかさまがかわいそうになってないた。
22
つきさんさいのだいにちさまのえんにちには、
あめさえふらなければかかさずにすれていく。
わたしがたもとにつかまってあるくために、
おばさんのはおりがかたよってしまうので、
みちなかにたちとまってはなおしたが、
ひとどおりのおおいところなどでは、
ゆびをいっぽんいっぽんほどかねばならぬほど、
しがみついていた。
おばさんのはおりのひもは、
わたしがこまむすびにむすび、
わたしのおばさんがことむすびにむすんでくれる。
だいにちさまへゆくと、
おさいせんをなげさせて、
おろうどうぞという。
おどうのなかのぴかぴかするへんで、
はいとへんじをして、
わかいごうさんがろうそくをともして、
おまえにたてそえる。
おばさんはいっしんにおねんぶつをとないて、
さあ、これでええ。
といってたもとをつかませて、
おてらのもんをでる。
それは、
このこのびょうしんがなおりますように、
みちをあるいてもけがをしませんように、
などといろいろなことを、
はちのひはちのひまでにかんがえためておいて、
だいにちさまにおねがいするのであった。
えんにちにはおおぜこじきがでて、
おてらのへいきらにはずらりとならぶ。
それが、
わたしのいくじぶんにはまだでそろわずに、
ちんばやびっこなどのなかで、
あしのはやいやつがにさんに
あんぺらをしいたりしてしたくをしている。
わたしはいつとはなしに、
おばさんのかんかをうけ、
そういうものにほどこしをしたあとで、
あわりながら、
そこぶかいこどものじひごころのまんぞくを
おぼえるようになった。
こじきのうちに、
かおかたちのととのったひとりのおんなのめくらが、
ことをひいているのがあった。
まだいまのようにことというものの
ゆきわたらないじぶんのことで、
おばさんはうばとよくそのうわさをして、
むかしのおはたもとかさもなくば、
ごてんぼうこうでもしたものの
なれのはてにちがいないといっていた。
かのじょはききとれないほどつぶれたこいで
きんかをうたう。
きんそうがいとのうえを
さらさらころころとすべっていくのも、
くものようなもくめのあるどうのうえに、
かりのかたちのことじが
ちらばらにたっているのもみな
むずらしくうつくしくみえた。
すこしはやくゆけばみせものしが
くものようにこやがけをしている。
そばにはみせものにつかうどうぐや
いきもののはいったはこごがういてあるのを
こうきしんにみしてみてると、
やがてえかんばんがあげられる。
たいがいはきみのわるいのばかりで、
うみのなかをおおきなめだまのにんぎょが
およいでいるところだの。
だいじゃがふたまたのしたをだして
とりをのもうとしているのなどだったが、
なかのなかにときどきねずみのげいとうのがあって、
そらえろのかんばんに
いろんなきものをきたむすうのこまねずみが
ひのまるのおおぎをもったりして
げいとうをしているところがかいてあった。
わたしはそれがひどくきにいって、
それのかかるたんびにはいってみた。
なんきんねずみがいくひきもでてきて
にぐるまをひいたり、
くるまいどをくんだりする。
いちばんしまえには、
はりこのくらのなかから
ちいさなこめだわらをこわえだして
つみあげるのをやった。
ねずみはまっしろなのや、
いりみだれてはしりまわるのがかわいくてならない。
ねずみつかいはさんちゅうかっこうのおんなで、
そのころはまだごくめずらしかった
たばがみにぼうしょうかぶって
おんないじんのなりをしていた。
おんなはねずみが
たわらをはこびだすたんびに
よいとよいと
はこんでえっさっさと
ひょうしをとる。
そぞっかしいねずみのおとしたたわらが
げんぶつにんのほうへころげてくることがあると、
ほかのことちはすぐにひろって
なげかえしてやる。
おんなは
ありがとうよとあいそやくほほえんで
あたまをさげる。
たわらはわたしのまえへも
たびたびころがってきた。
わたしはひろってやりたかったのだけれど、
なずかきばかりはらはらしながら
どうしてもてをだすことができなかった。
ねずみのげいとうがすむと、
おんなはあおとあかにそめわけたかごから
いちわのおうむをだして
くちまねをさせる。
おうむはてのひらへおとなしくのって
さまざまなことをいうのだが、
きげんのわるいときはかんむりげをたてて
けやけやなくばかりでなんにもいわない。
そんなときには
おんなはすべなさそうに
くびをかしげて、
たろうさんはきょうはどうしてそうなんでしょうね
という。
おうむのえのようなすがた。
かぎなりのくちばし、
りこうそうなめなどをおもいながら
のこりをしくこやをうでた。
にじゅうよん
よみせのうちでは
こころをひくもののひとつであった。
はぐるまのついたたけずつを
ぶいぶいとまわしながら
ほうずきやーい、ほうずきとよぶ。
すのこに
しいたひばのはのうえに
あか、あお、しろ
いろいろなほうずきをならべて
しずくがほとほととしたたっている。
うちわのかたちした
うみほうずき。
ひとだまににた
ちょうせんほうずき。
てんぐほうずき、なぎなたおうずき。
それらみなうみのほうずきで、
かわしつの
ふくろのなかに
いそくさいあかがはいっている。
たんぼほうずき。
せんなりほうずき。
おやじはたけずつをまわして
ほうずきやーい、ほうずき
とよぶ。
ほかのほうずきはならせないので
いつもうみほうずきをかってもらって
たいせつにてににぎってかえる。
たんぼほうずきは
ひのほうへをきた
子供の遊びと感情
ぼうさんのすがたである。
むいてみてかかさしていると
あねはくやしがってたたみへたたきつける。
かというやつは
わるいやつである。
まだあおいうちに
こっそりあまいしゅるをすっておく。
そんなのは
ぼうずあたまにぽっちりとほしがあって
もんでるうちにかわがやぶれてしまう。
なつは
むしやのみせにきをそそられる。
おおぎ
ふね
みずとりなどのかたちをしたむしかごに
ひいろのふさをさげて
りんりんれんれん
まつむしやすずむしをなかせている。
ぎりぎりすは
とうひくように。
くつまむしはかさこそとなく。
わたしは
まつむしやすずむしがほしいのに
いつもぎりぎりすしかかってくれないので
あるときわざと
おばさんのきらいながちゃがちゃをかって
よどうしねむらせなかったことがあった。
それらは
おばさんのたけかごのよすみに
あおやあおのはしらのあるのに
いれてよこす。
うりのきれをこうしにはさんでやると
ひげをふりふりひっかいていく。
わけのわからないかおをして
ふつりあいにながいうしろあしが
うしろむきについているのもおかしい。
またはちうえのくさばなを
かってくることもあった。
ねるときになれば
よつゆにあててやるといって
のきさきにだしておく。
それらのはなをみるときのこどもごころを
やるか。
そののうちもはやふたたびすることのできない
せいじょうむくのよろこびであった。
はなにそそのかされて
あくるあさは
はやくおき。
ねまきのおままなぶしいめを
こすりこすりみると
はねやはにつゆがちろりとたまって
びろうどのような
せきちくのはな。
まげのかたちした
ぱんじ
きんせんかなど
えぞうしをかうと
くるくるとまいてまんなかに
おびをしてくれるのをそーっと
てにもってときどき
つつのなかをのぞきながらかえってくる。
とみんなが
どんなにきれいだかみせてくれ
というのでもったいらしく
そろそろほどいてみせる。
だれもかれもめをまるくして
ほしいほしいという。
わくのそとには
あかいんきで
しんぱんけだものづくし
はなをながくして
にこにこしたぞうも
大人との関係
つぼぐちのうさぎも
しかもひつじもみんなかわいい。
ほかのけものは
ひとりでおどなしくしているのに
くまばかりまっかな
きんたろうとすもうをとり
はなのさきがたけのこみたいにつきでた
いのししはにたんのしろうに
おさえられていた。
いじじゅんみせびらかせば
ごきげんようといってねまにはいり
おぼさんのぎょうさんのえときをききながら
さんざみかえしてから
まくらもとにおいてねる。
25
いくじなしのわたしは
ひとなかではくちがきけず
なにかほしいものがめにつけば
たもとをつかんだままだまって
たちどまってしまう。
するとおばさんはこころえて
あたりをみまわし
あれかこれかとたずねる。
うまくあたるまでは
いつまでもくびをふっているが
よくよくあたらないと
うまくあたりをして
そのゆびははずかしそうにひっこめて
くちにくばえる。
さんすくみのおもちゃがだいすきだったが
おばさんはへびがきらいだもので
しらないうちにじきにしまいこんでしまった。
たけのうさぎは
ぴょんとはねる。
あたたかいひには
にかわがゆるんでいせいよくぴょんとはねずに
そろそろしりをもちあげて
よこったおしになる。
そのほかかごのなかのとりが
かごについているえをふくと
ひさいずりながらまわるのや
ちりちりとおをふりながらすべりおりる
たいゆみのおもちゃなどがすきであった。
こがらしのよるなどには
ろてんのかんてらのひが
さびしいおとをたてて
とうしんがちばしっためだまみたいにみえる。
そんなときに
かわいそうでならなかったのは
ぶどうもちをうるばあさんであった。
ぶどうもちとはどんなものかしらない。
ななじゅうちかい
しなびかえったばあさんが
ぶどうもちとかいた
かみぶくろのあんどんをともして
ちいさのだいのうえにかみぶくろをかぞえるほどならべているが
ついぞひとのかうのを
みたことがない。
わたしはそれをきのどくがって
むじょうにせがんだけれど
あんまりきたないのでさすがのおばさんも
にのあしをふんでかってくれなかった。
なんねんかのち
わたしがひとりで
えんにちにいけるようになってからも
ばあさんはあいかわらずそばやのかどに
みせをだしていた。
わたしはいちのたんびに
ともなくそのまえをいきつもどりつして
なみだをためていたが
いつもかいおをせずに
ほういなくかえってきてしまった。
とはいえあるばん
とうとうおもいきってぶどうもちのあんどんのそばに
たちよった。
ばあさんはおきゃくだと思って
いらっしゃいといって
かみぶくろをとりあげた。
わたしはなんといってよいかわからず
むがむちゅうに
にせんどうかをふりだして
うしろをもみずにしょうりんじのやぶのかげまで
新しい友達との出会い
いってきた。
むねがどきどきして
かおがひのでるようにじょうきしていた。
はちまんさまのばかばやしへは
ちっともいこうとしなかった。
それはあのはなっぴしゃげのばかのかめん
めのとんちんかんなひょっとこのかお
またあんまりひつっこいやびなどうけが
むねをわるくさせたからである。
けれどもいえのものは
わたしのゆううつをなおそうとして
むちなしんせつから
おあさんまでがみんなのみかたになって
どうかしてつれだそうとする。
ここのつとうになってからは
そんなところへゆくことのくつうを
くれぐれもうったえたけれど
みんなはそれをにげこうじょうとばかり
おもってけんぱいずくで
おしだすのがつねであった。
そんなときにはわたしはきんじょのはらへ
いってたいぼくのたちならんだ
がけのうえにねころんで
やまをみながらいくときをすごした。
このへんのこはかんだのわんぱくどもに
くらべればさすがにおだやかだし
それにおおらいはしずかだし
わたしのようなものにとっては
まことにくっきょうなせかいであった。
で、おばさんは
いっしょけんめいわたしのあそびなかまに
よさそうなこどもをさがしてくれたが
そのうちみつかったのは
おむこうのおくにさんという
おんなのこであった。
おくにさんのおとうさまはあわのはんしで
そのじぶんゆうめいなししであったということは
ちかごろになってはじめてしった。
おばさんはいつのまにか
おくにさんがからだがよわくて
おとなしいことからずつうもちのことまでききだして
もってこいのおともだちだとおもったのである。
あるひ
おばさんは
わたしをおぶっておくにさんたちのあそんでいる
もんないのあきちへつうれてゆき
えええおこだに
あそんだってちょうだいも
といいながらいやがるわたしをそこへおろした。
みんなはちょっとしらけてみえたが
じきにまたげんきよくあそびはじめた。
わたしはそのひは
おめみえだけにし
おばさんのたもとにつかまって
しばらくそれをながめてかえった。
そのよくじつもつれてゆかれた。
そんなにして
みっかよくかたつうちに
おたがいにいくらかおなじみがついて
むこうでなにかおかしいことがあって
わらったりすれば
こちらもちょいとえがをみせるようになった。
おくにさんたちはいつも
れんげのはなひらいたをやっている。
おばさんはそれからいえで
こんきよくそのうたをおしえて
したげいこうやらせ
あるひまたわたしを
おむこうのかんないへつえていった。
そしていじけるのをむりやりに
おくにさんのとなりへわりこませたが
いくじのないふたりは
きまりわるがっててをだせないので
おばさんをなにかとじょうずにだましながら
ふたりのてをひきよせててのひらをかさね
ゆびをまげさせて
うえからきゅっとにぎってようやくてをつながした。
これまでついぞ
ひとにてなぞとられたことのないわたしは
なんだかこわいようなきがして
おばさんににぎられやしないかという
しんぱいもあるし
おばさんのほうばかりみていた。
あらたにこのちょうあしがたい
しんざんものがくわったために
こどもたちはすっかりきょうをさまされて
いつまでたってもまわりはじめない。
それをみてとったおばさんは
わのなかへはいり
げいきよくてをとだいて
あ、ひいらいたひいらいた
なんのはなひいらいた
とうたいながら
あしびょうしをふんで
まわってみせた。
こどもたちはいつかつりこもれて
こごえにうたいだしたので
わたしもおばさんにうながされて
みんなのかをみまわしながら
ないしょでうたのあとについた。
ひいらいたひいらいた
なんのはなひいらいた
れんげのはなひいらいた
ちいさなわがそろそろまわりはじめたのをみて
おばさんはすかさずはやしたてる。
うたのこえがだんだんたかくなって
わがだんだんはやくまわってくる。
へいぜいろくにあるいたことのない
わたしはどうきがしてめがまわりそうだ。
てがはなしたくてもみんなは
むちゅうになってぐんぐんひとをひきずりまわす。
そのうちに
ひいらいたと
おもったら
やっと
こうさと
つぼんだ。
といって
おもたちはおばさんのまわりで
いちどきにつぼんでいったもので
おばさんはあやまったあやまったといって
わからぬけだした。
つぼんだ
つぼんだ
なんのはなが
つぼんだ
れんげのはなが
つぼんだ
つないだままつきだしてるてをひょうしにつれて
ゆりながらうたう。
つぼんだ
と思ったら
やっと
こうさと
ひいらいた。
つぼんでたれんげのはなは
ぱっとひらいてわたしのうではぬけるほど
りょうほうへひっぱられる。
ほろっぺんそんなことをやるうちに
なれないうんどうときづかれて
へとへとにくたびれてしまい
おばさんにてをほどいてもらって
にじゅうなな
おくにさんは
おともだしというもののさいしょのひとであった。
はじめのうちは
わたしもおばさんがそばについていなければ
あそべなかったしおばさんも
いわばぽっとでのこどものみの
うえをきづかってそばをはなれなかったが
ここはかんだへんとは
ちがってまったくわたしみたいな
このためのせかいといってもいいくらい
しずかなあんぜんなところであることを
みとどけてくるまがきたら
もんのうちへはいれのみぞのはたえ
はよるなのと
こまかいちゅういをくどくどいいきかせたのち
ひとりでおいてかえるようになった。
ふたりがさしむかいになったときに
おくにさんはこどもどうしが
ちかづきになるときのれいしきにしたがって
ちちのな、ははのなから
友情の始まり
こちらのせいねんがっぴまでたずねた。
そしてなにのとしだのといったから
おとなしくとりのとしだとこたえたら
わたしもとりのとしだから
なかやくしましょうといって
いっしょにこけっこっこ
こけっこっこといいながら
はばたきをしてあるいた。
おないどしはなにがなしうれしく
なつかしいものである。
おくにさんはまた
いえのものがじぶんのことを
やせっぽっちだのかがんぼだの
というふうにいってこぼしたが
わたしもみんなにたこぼうずと
いわれるのがくやしかったので
こころからおともだちのみのうえにどうじょうした。
いろいろはなしあってみれば
いちいちいけんがいっちして
わたしたちはまもなくなかよしになってしまった。
おくにさんは
とろくとろくやせたはなのたかいこで
まえがみをさげて
あかいきれでおさげのねをゆえていた。
ふたりはむしくいだらけの
もんちゅうによりかかったり
しゃがんでどろいじりをしたりして
あたまがくっつきあうほどかおをよせながら
きのうなんぼんめんのはがぬけたとか
どのゆびへとげをたてたとか
らちもないことをしゃべりあって
おたがいにいきとうごうすれば
なんということもなく
ははははとわらう。
おくにさんはたしか
かわいそうでわらうたんびにそこが
ほらあなみたいにみえた。
いえでおばさんばかりをあいてにしていたわたしは
おくにさんとともだちになってから
いいことわるいこと
きゅうにちえがついてきたけれど
おないだしとはいえよっぽどおくれてたので
なんでもいうことをきいてあそんでいた。
日常の遊び
きんじょに
おみねちゃんといって
わたしたちよりひとつとしうえのこがいた。
おみねちゃんはいじわるなばかりか
ひどいやきもちやきで
みんなにきらわれていたが
おみねちゃんといって
こどもどうしのつきあいで
ときにはどうしてもいっしょにあそばなければならないことがあった。
あるひのこと
またおくにさんととしのはなしがでて
こけっこっこ
こけっこっこといってはわたきしてたら
おみねちゃんは
わたしはさるのとしだから
といってきゃっきゃとふたりをひっかいた。
にじゅうはち
おくにさんのくしは
あかくぬってきくのはなのまきえがしてあった。
ひとみずいろのちりめんで
おこしられたくすだまのかんざしももっていた。
おくにさんはなにかあたらしいのを
かってもらうとじまんしてみせておきながら
よくみようとすると
たもとへかくしたりしてひとをちらせる。
わたしはそんなものをみるたんびに
じぶんがおんなにうまれなかったことをくやみ
またおとこはなぜ
おんなみたいにきれいにしないのだろうとおもった。
おくにさんはかくれんぼをしようとするときはいつでも
きのううらのやぶから
みつめこぞうがでたの
やまかかしがとぐろをまいでたの
とおどかしておいてから
ひとをすもものきのかげにめをつぶらせて
どこかへかくれてしまう。
わたしはいえをぐるりとひとまわりして
うらのほうへさがしにゆく。
おにわへまがるところにたけあらいをして
がちょうがにはかってあるのが
こわくてしょうがない。
そうととおろうとするのを
えびすさものかんむりみたいなあたまをのしあげて
がわがわをおってくる。
やったのおもいでそこをとおりぬけて
ちゃばたけのほうへゆくと
となりのにゅうぎゅうがらちのうえから
ねえとゆう。
それがこわいのでちゃばたけのなかは
いいがげんにしておにわをさがす。
おおきなきがたくさんあるので
なかなかみつからない。
あたりをみまわしてもだれもいないし
かえりみちにはうしとがちょうがまちかまえているし
こころぼそくなって
もういいかいとよんでみる。
しんかんとしているところへ
じぶんのこえばかりひびいてなんにもきこえない。
おくにさんはひとをだもして
どこかへいってしまったのじゃないか。
なぜだと思えばなおなおさびしくなって
あたりをむかいにくればいいのに
と思いながらまた
もういいかいとよんでみる。
われながらなみだごえになっている。
そうするとたけやぶのへんで
もういいよとちいさなこえでいう。
いるなと思ってたけやぶのいりぐちまでいっても
かきひとへむこうには
おてらのぎんなんのきがまっくろにたっているし
たけのあいだにはつばきやあさいかちが
ごちゃごちゃにつながっていやにうすぐらい。
みずめこぞうがでたというのは
ほんとうかしら。
などと思ってたちすくんでいると
ほうほうでくすくすとわらいごえがする。
で、ようやくげんきついてはいっていくのだが
たけのきりかぶや
ねっこがいたるところにでているうえに
いたいいたいくさがいちめんにはいているのが
ふだんいしころひとつにも
おごわさんがやかましくしてばやいてくれるわたしには
はりのやまをゆくきもちで
あしのふみどころもない。
おまけになんだかそこらじゅう
やまかがしがところをまいているようなきがして
きみがわるくてならないのをやっとのおもいで
ひとあしずつふみこんでいって
どこまでいくとおくにさんは
すみのくらいところから
おばけへとしろめをだしてくる。
それをおくにさんだとはしりながらもそうけだって
いやだってば、やだってば
とにげだせば
おもしろがってどこまでもおいかけてくる。
そこでこんどはこっちがかくれるばんになる。
けれどもわたしは
やぶのなかへはかくれえないし
それにさきはあんないをよくしているので
じきにみつかってしまう。
でもどうかしてなかなかさがせないと
おくにさんはいえやがっておかしをたべているのを
それとはしらずいくらまっていても
こないので
お菓子と遊びの思い出
もうよしよがあけたといってでていくと
ほらみつけたとむにゃむにゃやりながら
でてきてあなたにもひとつあげましょう
といってきんかとうのかけらなど
くれる。
29
わたしたちはうつしえが
だいすきだった。
そのあぶらくさいにおいをかくときのきもちはない。
はやくついたほうが
かちだといってはったうえ
べとべとにつばをつけて
はやくくっつけといいながら
ゆびでこすっている。
いろんないろのとりやけものなどの
おされたてのこうをならべて
いたずらにかわをのばしたりしじめたりするのが
おもしろい。
すこしたつとかわいてかゆくなるのを
そうっとまわりをかいてこらえている。
ときにはおそろいのえをにのうでにはり
いつまでもとっときっこだといって
きものにするないようにだいじにしているが
あくらさみるときれぎれになって
わけのわからないものになっている。
あさめしをすませあいなや
おそろおそろおくにさんのとこへいって
こんなになったからかんにしてといえば
わざとつんとして
これみよがしにそでをまくってみせる。
とやっぱしめちゃくちゃになっているのを
めをまるくして
あたしのもこんなになっちゃったといって
さもおかしそうにわらう。
さくらのはなのちるころには
はなべらをいとにぬいてかずのおおいのをきそう。
あるひおくにさんのこの
げんかんのまえであかのままを
ちゃわんにもりかたばみそうのみを
きうりにみたててままごとをしてたら
あそびましょうといってやってきた。
おくにさんは
にくらしいからいじめてやりましょうと
みみっこすりをしかけににはいている
ほうれそうをこっそりとっていきなり
おまえにほうれたほうれそうといってぶつけた。
さきもまけないきになって
ぶつけかえした。
おくにさんがてにいっぱいもっているのを
はんぶんよこしたからわたしもへいぜいの
いしゅばらしにおもうさまぶつけてやった。
おまえにほうれたほうれそう。
おまえにほうれたほうれそう。
おまえにほうれたほうれそう。
不意打ちではあり、多勢二分勢に逃げ出したのを追っかけてめちゃめちゃにぶつけたら、みるみるうちに背中一面にくっついた。
オミルちゃんは怖い顔をして睨めておいてホーレスをぶら下げたまま帰っていくので、
いつ来らればしまいかと怖々見送ってたらひょいと振り返って肉体に顎を突き出して駆けていった。
ソラマメの葉を吸うとアマガエルの腹みたいに膨れるのが面白くて畑の落ち切っては叱られた。
サザンカの花びらを下に乗せて息をひけば、ヒチリキに似た音がする。
春になるとお住所のような玄関の前にあるスマモの木が雲のように花をつけ、
その青じろい花がまぶゆく火に照らされてスンとした香りが辺りに漂う。
近所の子供たちはみんなその影へ寄ってきていろんな遊びをする。
彼らの声が聞こえるとおばさんは私を連れて行ってみんなに耳打ちをして帰っていく。
彼らはみんな三つ四つ年上だったが小煩悩なおばさんになついて
〇〇ちゃんとこのおばさん、〇〇ちゃんとこのおばさんというようになり、自然私をかぼってよく遊んでくれ、子供らしい世話もやいてくれた。
おかしなことに彼らは私よりずっと大きいくせに何をやってもじきに任されてしまう。
鬼ごっこをすれば誰も私をつかまえないし、駒を回せば誰のも不思議に当たらない。
そして何が何だかわからずにこちらが勝ってしまう。
家へ帰って花を高くして話すとみんなはえらいえらいと言って褒めた。
このぼんやりが自分のみそっかすにされているのに気がつくのは容易なことではなかった。
30
やはりこの辺に住んで百姓と秋内を半々にしている水飴屋の親父があった。
彼は天気でさえあれば必ずチャルメラを吹き吹き車をひいてくる。
あのすべてのものの調和を打ちこわしてしまうような響きが妙に子供の胸をときめかせて、
家にいるものは家を飛び出し、遊んでいるものは遊びをやめて飛んできて棒ちぎれを刀に刺したやつや、
泥だらけの駒を懐へ押し込んだやつが車を取りまえてわいわいと騒ぐ。
水飴のほかに当て物や駄菓子なども持っているので、みんなはわれがちに赤や青の紙をめくって当て物をする。
親父は桶の中に琥珀色におどんでいる飴をキュッキュッと引っ張りあげて木箸の先にてらてらした坊主頭をこしらえる。
それを口いっぱいに頬張ってくるくる回していると濃厚な甘みが唾に溶けてだんだん小さくなっていく。
よかよか飴屋も来た。
真鍮の鷹をたくさんはめたたらえみたいな物のまわりに日の丸の小端がぐるりと立って、旗竿の先に押し鳥の形をした紅白の飴がついている。
鯉の滝のぼりの浴衣を着た飴屋の男がうどどんどんと太鼓をたたきながら肩と腰とでゆらりゆらりと調子をとってくると、
あとから姉さんかぶりをした女がじゃんじゃかじゃんじゃかシャミセンを引いてくる。
たんとかってやるとオカメの面をかぶって踊るのを子供たちはずらりととり囲んで見物する。
と首をひねったり袖を振ったりシャミセンに合わせていい加減に踊りながら変な足つきをして追っかけるものでキャッキャといって逃げまわる。
踊りが済めば飴屋は、
「へえ、おやかましゅう。」
とたらいを頭へのすながら、ご愛嬌にわざとたらいを置くことして泣き泣き帰ってゆく。
奥兄さんのお父様は骨格のたくましい怖い人で、お役のため留すがちだったが、たまに家のときは一日二階に閉じこもって何か書物をしていた。
そうして少しやかましくするとじきに叱られるので、こちらもお父様のいる日には遊びに行かなかったし、向うも家に小さくなっていた。
どうかしてそれを知らずに言って、
「奥兄さん、お遊びなさいな。」
雛祭りの記憶
と呼ぶと、奥兄さんは玄関の障子を細めに開け、親指を鼻の先へ出して、さも怖そうに手を振ってみせる。
桃のおせっくに奥兄さんのとこへ呼ばれたことがあった。
日当たりのいいお座敷の正面に高く雛壇をこしらえて立派なお雛様が飾ってあった。
うちのは目に入りそうな小さいのだのに、奥兄さんのはその五つ掛けもある。
お雛様は生きているものとばかり思っていた私は、体がすくむような気がして、いくつも雛様にお辞儀をしたら、みんながどっと笑った。
そこへ意外にも留守だと思っていたお父様が出てきたので、どうなることかとお雛様とお父様の顔を見比べながら、今にもべそをかきそうに縮こまっていた。
お父様はおじけている私を見て、いずいなく笑いながら入り豆を紙に包んでくれて、
年はいくつだの、名は何というのといろんなことを聞いた。
そして、ここにいる人の中で誰が一番怖い、と言ったから正直にお父様を指したら、みんながまたどっと笑った。
お父様も笑いながら、おとなしくさえすれば叱りはしない、と言って二階へ行ってしまったので、ようやくほっと息をついた。
三十一
あの静かな子供の日の遊びを心から懐かしく思う。
そのうちにも楽しいのは夕方の遊びであった。
ことに夏の始めなど、日が赤々と夕映の雲に名残をとどめて暮れていくのを見ながら、もうじき帰らなければと思えば、残り惜しくなって子供たちは一層遊びにふける。
ちょんがくれにもめかくしにも、おかおににもいしけりにも飽きたお国さんは、前髪をかき上げて汗ばんだ額に風を当てながら、
今度は何して遊びましょう、と言う。
私もたもとで顔をふきながら、かごめかごめをしましょう、と言う。
かごめかごめ、かごん中の鳥はいついつである。
雨のあとなど首を垂れた杉垣の杉の若芽に雫がたまってきらきら光っているのを、垣根をよすぶるといっときにばらばらと落ちるのがおもしろい。
しばらくすればまた咲きのようにたまっている。
遊び場の隅には大きなネムヌキがあって、薄赤いぼうぼうとした花が咲いたが、夕方、不思議なその葉がねむるころになると、
すばらしいイカが飛んできて、褐色の厚ぼったい羽をふるばせながら、花から花へときちがいのようにかけまわるのが気味が悪かった。
ネムヌキは、幹をさすればくすぐったがるといって、お国さんと手のひらの皮のむけるほどさすったこともあった。
夕映えの雲の色もあせてゆけば、こっそりと待ちかまえてた月がほのかにさしてくる。
二人はそのにおわな表を仰いで、お月さまいくつをうたう。
お月さまいくつ、じゅうさんななつ、まだとしゃわかいな。
お国さんは両手のめでめがねをこしらえて、こうしてみるとうさぎがおもちついているのがみえる。
というので、わたしもまねをしてのぞいてみる。
あのほのかなまんまるの国に、うさぎがひとりでもちょをついているとは、むくにしてこうきしんにみちたこどものこころになんといううれしいことであろう。
月のひかりがあかるくなれば、ふわふわとついてあるくかけほうしをおって、かげやとうろをする。
おばさんがごぜんだにおかえりよといってむかいにきてつれてかえろうとするのを、いっしょけんめいあしをふんばってかえるまえとすれば、わざとよろよろしながらかなわんかなわんといってだましだましつれてかえる。
お国さんはあすまたあそんでちょうだいえも、というおばさんにさようならをしてかえるみちみち。
かいろがないたからかいろ、という。
わたしもなごりおしくておなじようによぶ。そしてかわるがあるよびながらいえへはいるまでかわるがあるよんでいる。
そのようにしてあんのんなひをおくっているうちに、ふたりにとっていちだいじがおこった。
それはふたりともやついになってがっこうへあがらなければならないことになったのである。
いつぞや、おばさんにおぼさってあねのおべんとうをもっていったから、がっこうのよさはわかっている。
あのいじのわるそうなこのうようよいるところへどうしていかれよう。
まいばんちゃのまいおもちゃばこをだしてあそぶときになると、ちちや母がくどくいってきかせたが、わたしはごうじょうにくびをふっていた。
母はがっこうへいかなければえらいひとになれない、という。わたしはえらいひとになぞならんでもいい、といった。
ちちはがっこうへいかないこはいえにおかない、という。わたしはおばさんといっしょにおもちゃばこをもってでていく、といった。
ちいさなちえをしぼったこうべんもびょうしんしゃのたんがんもはじめのうちこそはわらってけきながされたが、
修行の日が迫るに従って拷問はますます厳しくなり 哀れな子は毎晩泣き出してはおばさんに連れられてとこに入るようになった
そのうちにもいさえ構わずカバンが買われて厚紙の筆入れや大きな手習いの筆や すっかり揃ってしまった
姉たちは良いものが買ってもらえて羨ましいというけれどそんなもの見たくもない お犬様と牛紅の牛のほか何もいらない
そして外では奥にさんと遊んで家ではおばさんと木の身土地をしていればいい こんなに嫌なのをどうして無理に生かせるのだろうと思った
学校への不安
ある日思い余って奥にさんにその話をしたら奥にさんは 私も毎日叱られているという
お友達もやっぱり学校が嫌いで同じ行き目を見ているらしい そこで2人は杏の木の根っこに腰かけて恥を打ち上げて慰めあった
そして別れる時に奥にさんが 私どうしても行かないからあなたも行くのを許しなさいねと言ったので私は
堅く約束して帰った 33
いよいよという日になったが私は朝から奥にさんが行かなければいかないを繰り返し てどうやら1日が暮れた
その晩私は寝間の隠れ家から無理矢理に茶の間の知らせへ引き立てられて 脅しつすかしつ進められたけど心を決めて頑張ってたら兄がいきなり襟首を
捕まえ妙なことをして散々畳みへ叩きつけた挙句 続け様にほうぺたを打った
おばさんはこの弱い子をどうせるだどうせるだと言って 私がよう言って聞かせるでと構いながら寝前杖で逃げた
兄は高等中学で柔術をやっていた あくる日は頬を腫らして食事もせずにじっと寝間に引っ込んでたらおばさんを心配して
仏様のお供え物をこっそり私に食べさせた そうしたらその日から急に熱が出てたださえ勘の強い私が夜通しろくに眠らない
のをおばさんはお念仏を繰り返しながら夜の目も寝ずに看病してくれた 4日そうして寝てる間は学校の話も出なかったがようやく頭痛も治り熱も引いて起きると
その晩からまたもや拷問が始まった 私はすっかり覚悟を決めて相変わらず奥にさんが行かなければと言い張ったがどうしてか
今度は辛い目にも合わずにただ奥にさんが行けばきっと行くかと言われたので きっと行きますと言い切った
翌日おばさんは青い顔をしている私を奪って学校の引ける自分門の前へ連れ出した 学校までは1丁半ぐらいしかない
チャランチャランと鈴の音が聞こえるとまもなくゾロゾロ生徒が帰ってくる そうしたら意外にも奥にさんが同じように包みを抱えて元気よく帰ってきて
おばさんにえらいえらいと言われたもので得意になって学校の話を聞かせた 私は背中にいて奥にさんは酷いと思った
そのまま私は仕方なしに学校へ行くことを承知した 翌朝私は羽織ばかまで父と一緒にも学校の門を入った
そして先生たちのいる部屋へ連れて行かれたが そこにはガラス上司のはまった戸棚の中に地球儀や鳥や魚の標本や珍しい
獣の駆け図や心を惹くものがたくさんあった これはみんな後に覚えたなである
父が私の脳が悪いこと体が弱くて臆病なことなど細々と話すのが恥ずかしくてならない それを聞いて人の顔をジロジロ見ながらうなずいてた先生はもの柔らかに
あなたの年はいくつあなたの名はお父様の女はお家はといろいろなことを訪ねた そんなことは前から家で教わってあるし先生の案が優しいのに安心してどうやら無事に
返事ができた 先生は脳が悪いと聞いてバカとでも思ったのか様々なことを聞き試した後
これなら結構ですと言って入学を許してくれた その日はそれなりに帰って姉たちに学校でのお行儀やお辞儀の仕方や
カバンの美女の掛け方などを教わって暮らした そして次の日には桜の花の希少のついた帽子をかぶり
餅つけのカバンを端にかけて何とも言えない混乱した気持ちをしながらおばさんに手を 引かれて学校へ行った
この不慣れな様子を人に見られるのが恥ずかしいのとまだ知らぬ学校生活の心配とに小さな 胸を痛めて自分のつま先ばかり見ながらそろそろとついていく
姉たちは私を教堂へ連れて行って一番前の机腰掛けさせた それは尋常1年の乙の級で同じ1年のうちでも年老なものや頭の悪いものを入れるところだった
34 先に上がった子供たちはもう学校に慣れているし
それに私みたいな弱虫は一人もいないので若者顔にワイワイ騒いでいる 走行するうちにいつも聞き慣れている鈴がチャランチャランとなった
そばで聞くとキンキン耳の底まで響いて嫌でならない 姉たちはまたこの次の遊びに時間に来るからと言っておばさんはお稽古の済むまでちゃんと
戸の外に番をしているという約束で出て行った で一人ぼっちになってコアゴア見回してみたら強そうな意地の悪そうなやつばかりが向こうでも
変な顔をしてじろじろ見ている 私は小さくなって机に空いている節穴ばかり覗いていた
そこへ入ってきたのは古沢先生という受け持ちの先生だった この人は顔一面のアバターのためにちょっと身は怖いけれど本当は評判の優しい先生で
学校中の生徒が古沢先生古沢先生と言ってなついていた 本はおばさんに教わったチンワンネコニャー中の映像しや犬
箸本机の絵本とは違ったが優しかったのでその方はろくに見ずに先生の白が混じりの 髪の毛がバラバラ風に吹かれるのばかり眺めていた
やがてお稽古が済んだ 周りの教堂からなだれ出たワンパクどもが運動場いっぱいの藤棚の下でカエル飛びをする
鬼ごっこをする対象ごっこをする 今まで奥に3とこの小さな世界にばかりいた世間水の私にはたまらないほど目まぐるしいので
キョトキョトして立ってたら姉のお友達はこれが話に聞いてた音とかというふうに バラバラと寄ってきてたちまし人を取り巻いてしまった
そうしてませくれた大合わせを浴びせかけてお決まりの年はいくつだの名は何というの と手法発泡から質問の矢を放つ
あおれな臆病者は未評の群れに襲われたロバのようにおどおどして顔も上げずに 縦横に首を振るばかりだった
そこへ運悪く一人の先生が来ていきなり私の帯を捕まえ やっとかけ顔をして注意に差し上げたもので朝から目の奥にいっぱいに溜まってた涙が一時に
溢れ出して両足をぶらぶらさせながらわっと泣き出した 先生は肝を潰してあーこれ大変これは誤ったと言いながら地べたへ下ろして
ハンカチで涙を拭いてくれた あとで姉に聞けばそれは姉の方の受け持ちの先生で私を可愛がってくれたのだという
そしてこれからあんなことをされても泣いちゃいけないと言われたのでようやく わけが分かって今度こそは泣くまいと思ってたけれど
先はゴリゴリしたと見えてその後ちっとも私を差し上げなかった その次の囚事の時の騒ぎはまた格別であった
墨壺をひっくら返して泣く奴がある 増子に団子ばかり書いて叱られる奴がある
そうなかお古澤先生は世間に面倒ということがあるのを忘れたかのように何から何まで 世話をして腰を叩きながら一人びとり手を取って習わせて歩く
筆を持つ手の上を白炭だらけの手で掴まれると体がすくんで筆先がブルブル震えるもので 先生は行くたびも色波を書き直さなければならなかった
あんまり激しい刺激や慣れない仕事などのために頭痛がして胸が悪くなりその日はそれで 家帰った
おばさんは水で頭を冷やしてくれて偉かった偉かったと木枕の引き出しから日経棒を出して くれたし
姉はご褒美に軟禁玉の盛り袋をこしらえてくれたゆえ頭痛も時期に良くなってしまった 私は家中のものにエラエラへと褒められた
学校の引けるところを見て奥兄さんのところへ遊びに行ったらやっぱりみんなして エラエラへと言ったので自分も偉くなったと思って得意だった
35 幾日か後には学校の門まで送り迎えしてもらえばあとは自分一人でいられるようになった
おばさんは私の好きな駄菓子をハマグリの貝殻へ入れ赤い紙で封じておいて学校から 帰ってカバンを放り出すとお仏壇の引き出しから出してくれる
それをあれかこれかと迷いながら寄り取るのが楽しみであった その後私は高の組へ移されることになった
みんなは大津の組から昇進してきた新山ものを取り巻いてひそひそ表し合ってたが やがて一人の奴が兄の書いてくれたカバンのドイツ寺を見て
いやー英語が書いてあると言って寄ってきた 他の奴らもやーやーと言って顔を突き出す
そして何と書いてあるのだというから家で教わった通り自分の名だと言ったら羨まし そうに見てたが一人が
学校での初めての悲劇
エクシオ日本人のくせにもう当時の機能なんか入ってやがらと言った また一人の奴が森袋と鈴を見つけて汚い手でいじくり始めた
私は嫌でしようがなかったけれど怖いのでするがままにさせておいた 森袋は水色と白の軟禁玉で弁慶にして鈴にはスズムシの模様があり
紫の尾の他の端には小さなガラスのひょうたんをつけていた そいつが鈴なんぞ下げてどうするのだと聞いたから私は迷子になった時音を聞いて
おばさんが探しに来るためだと言ったら彼らはさも軽蔑したらしく顔を見合わせた そのうち彼らがあんまり森袋をいじくったもので弱いカタン糸が切れて軟禁玉が
わらわらと落ちてしまった 私はぐすぐすベスをかき出した彼らはとんだことをしたという顔つきで天然に
素早く身を引いて オイラのせいじゃないと3年ガラスのせいだといい遠方から心配そうに様子を見ている
私はどうしようかと思ったが誰も来てくれないし泣くにも泣かれず散らばっている 軟禁玉を見つめてしくしくしているところへおりよく姉が来たので一時に悲しさが
込み上げてわっと手放しに泣き出した 彼らは姉にお叱られるのが怖いもので泣き虫け虫挟んで捨てろと足拍子に合わせて林立て
ながらどこかへ影を隠してしまった 姉はまた編んであげるからと言ってもう家帰るとダダをこねるのをやっと眺めて涙を
拭いたり鼻を噛んだりしてくれるうちに鈴が鳴ったので またこの次の時間遊びに来るからと言って出て行った
部屋の外からこっそり事の始末を見ていた悪者どもは姉がいなくなると同時にドヤドヤ と入ってきて今泣いたカラスがもう笑ったい
といい私の周りを踊り回った 今度の組の受け持ちは水口先生という髭のある人だった
古澤先生同様子供の世話をするために生まれてきたかと思うくらいの良い人でこと におとなしい私に目をかけてよくしてくれた
一つ机に並んでいるのは岩橋という河原屋の息子でいじめっこの通りものだった そいつは机の真ん中へ鉛筆で筋を引いてこちらの肘がちっとでも向こうの両分へはみ出せば
すぐに肘鉄砲をくれたり鼻くそをなすったりする そいつがを稽古の最初に何か話しかけてきたから嫌だったけれどいい加減にあしらってた
先生が見つけ黒板に2人の苗字を書き並べて頭へ大きな黒玉をつけた 岩橋はそれを見るや否や石板の上つっぷして泣き出したが私は
何のことがわからずにキョトンとして先生の顔を見ていた お稽古が済んだ時に姉が来て笑いながらお稽古中に話をしたろうという
誰が思い付けたのかしらと思ったがなんだか悪いことをしたような気がして話などし やしないと言ったら姉はそんなに隠したって黒板に黒玉をつけられているという
黒玉は悪いことをした時つけられるのだとわかって急に悲しくなった 36
岩橋の本は赤鉛筆でめちゃめちゃに塗ってある 梶場からおまわりさんが迷子の手を引いてくる差し柄の泣いているこの頭からむちゃくちゃに
ごこうがさしておまわりさんの目玉が8切れ総理大きくなっていた 彼は石板に一つ目小僧や三つ目小僧の顔を書いてやいやいと言ってみせる
こちらはこの間の黒玉に懲りているゆえ知らん顔をして言えば机の陰で原骨をビクビク やっては目を向いて横目ににらむ
そして大きい子が住んで先生がいなくなると母原子へ息を吹っかけてかかってくるので 私はロードカーへ出て見つからないようなところへこっそり立っていた
そうしたらやっぱり同じ級の子さんのもので赤面の汚い子が良いものやろうと何か 逃げてきて人に手を出せという
騙されるんだと思ったが怖いから素直に手を出したら赤い木の実を2つ3つ手のひらへ 乗せてくれた
そんなものは欲しくなかったけれど親切にしてくれるのが嬉しくてありがとう と言ってにっこりした
それは裏にある美南カズラ海だったということを知ったのはその5、6年経ってからのことである 彼は赤っ面のためにサルメン患者とあだ名され
また長兵という名によってチョッペイとも呼ばれている伝法院前の魚屋の息子だった それ以来チョッペイはただ一人の近づきになったがこちらではなるべくならチョッペイとも口を
聞きたくなかったんだけれど さっきではどこを見込んでかしきりに私に話しかけてきた
ある日のことチョッペイは今度のお稽古の時一緒にしょんべんに行こうと言った 先生に叱られるから嫌だと言ったら
嫌ならよしやがれよしべの子になれと言って怖い顔をしたので私は慌てて 行くよ行くよと言った
彼はすぐ機嫌を直して値の真似すりゃ大丈夫だという お稽古が始まると間もなく彼は手を挙げて先生
お雇用に行ってくださいと言った先生は本当にしたいのかい 嘘つくとちゃんとわかるよという少しもひるまず本当に出たいんですという
先生も漏らされてはという気があるのでそんな一人で済んだらすぐ帰ってくるんだよ 道草すると黒玉だよと言った
他の者も天然に先生先生と手を挙げてごろくに一緒に便所を行かしてもらった ちょっぺーはドヤドヤと出ていきながらちょっとこちらを見たのでハッと気がついて
恐る恐る 先生と身を身を真似に手を挙げて
お雇用に行かしてくださいと言った 先生は私がちょっぺーにレジェされているとは知らずすぐに許してくれた
便所は橋上から離れたところにあってちょうど隣の八幡様のささやぶの下になっている ちょっぺーあそこに待ち構えていて相撲取ろうという
見れば他の奴らは廊下を手すりを乗り越えて崖の天根を掘ったり へな土の団子をこしられてぶつけ合ったりしている
彼らは雇用にかこつけてちょっと息抜きに来るのだった ちょっぺーが取ろう取ろうと席立てるので今日が今日までおばさん相手に四天王清政の立ち回りの
他やったことのない私は肩と闘惑したがのっぴきならず 危ないからそーっとだよと弱いことを言いながらいい加減に取り組んだ
力のあるちょっぺーは8級8強位と景気よく掛け声しながらくるくる人を引き回したため 無残やさすがの清政もたちまち袴の裾を踏んで尻餅をついてしまった
彼は花高々と言えなまた今度取ろう と先に立って帰っていく私もねじくれた着物を直して後についていった
教授へ入る家稲屋彼は何食わぬ顔で先生ただいまとひょっこり頭を下げた 私も黙って頭を下げた
他の奴もぞぞ帰ってきたがあまねを掘ってた奴はあんまりいつまでもかじってたので 先生に立たされおまけに懐からはみ出している天音を見つかって多めでも送った
私はもう二度と便所やはいくまいと思った 37
家族との思い出
学科のうちで一番みんなの喜ぶのは終身だった それは綺麗なかけ図をかけて先生が面白い話を聞かせるからでその絵にはたまに
当たった親熊が蟹を漁っている子グマを必死がないように持ち上げた石を抱えたまま 死んでいるところ
大将が法勢をついて蜘蛛が巣をかけるのを見ているところなどあった 生徒らは美しい絵に見とれお話に聞き惚れてもう一つもう一つとねだる
先生はみんながお行儀よくさえすればいくらでも話してあげる と言って一枚一枚めくっては話していく
そんなにしていつも大抵一冊のかけ図をすっかり話してしまったが不思議なことに は一番初めにある
偉人の女が子供を抱いて雪の中に倒れ出る絵を決まって飛ばしてしまう 生徒らもそれを見ながらちょっともせびらない
私はまた中でもその絵が気になってもうかもうかと思ってだけれどついずを話して もらえなかった
鈴が鳴るとみんなはわいわい先生の椅子をおっとり巻いて膝に乗ったり肩へ捕ま ったりしてもう一遍もう一遍と同じ話を繰り返させる
私は彼らのように大胆にはしえずに少し離れてぼんやりと絵を眺めていた 先生はこちらを向いて丸々さんにも一つ話してあげようか
丸々さんはどれがいいと言ったが顔を悪くしているので行ってごらん 行ってごらんと促した
私は一生の思いでこれと口籠りながら例の絵を指差した みんな不平らしくつまんないやつまんないやという先生もこれは面白かないよ
いいかい当年をした私は黙ってうなずいた 先生は私がまだそれを知らないのに気がつきつまらながるみんなを説得して新山
もののためにその話をしてくれた それは雪の中で道に迷った母親が自分の着物を脱いでは脱いでは子供に着せてとうとう
凍え死にしたという話であった 絵も子供の目を喜ばすような彩色がしてなかったし話もただそれだけのことなので
彼らはちょっとも面白がらず先生も飛ばしてたのだが私にはそれで十分に面白かった 私はおばさんに時は午前の話を聞くときのように哀れに聞いた
話終わって先生が面白くないだろうと言ったので正直に首を振ったら先生は意外の顔し みんなを軽蔑してくすくす笑った
38 私はその自分から人目を離れて一人ぼっちになりたい気持ちになることがよくあって
机の下だの戸棚の中だのところ構わず隠れた そんなところに引っ込んでいろいろなことを考えている間
いい知らぬ暗論と満足を覚えるのであった それらの隠れ家のうちで一番気に入ったのは小引き出しのタンスの横てであった
それは蔵のそばにある北向きの窓から差し込む明かりにだけ照らされる最も陰気な 部屋であったがその窓とタンスの間にちょうど膝を立てたなりにスポンとはまり込むほどの
余地があった 私はそこにかがんで窓ガラスについた放射状の日々や時期そばにあるかやの木や
口着に絡んだ美南カズラ美南カズラの赤いツタツタの先に汁を吸うアブラムシなどを眺めていた そうして半日でも1日でも一人でボソボソ何か言いながら
一層はなしに鉛筆で一つ二つずつ タンスにひらがなのをの字を書く癖がついたのが
姉妹には大きいのや小さいのや無数の大の字の行列を作った そのうち私があんまりそこへばかり入るのを父が怪しんでその隅を覗いたため
たちまち区断の行列を見つかったが父はただ手持ちぶさたの落書きだと思って 手習いするならを増進しなければいけないといったばかりでひどくは叱らなかった
しかしそれは夢さらただの落書きではなかったのである ひらがなの大の字はどこか女の座った形に似ている
私は小さな胸に弱い体に何事がある時にはそれらの大の字の遺跡を求めたので彼ら はよくこちらの思いを指して親切に慰めてくれた
こちらへ越してからも私は3日に上げず怖い夢に襲われて夜夜中 家中逃げ回らなければならなかった
その一つは空中に計1尺ぐらいの黒い渦巻きがかかって時計のゼンマイみたいに脈を打つ それが君が悪くてならないの一生懸命こらえているとやがてどこからか化け鶴が一羽飛んできて
その渦巻きを加える というのでもう一つは暗闇の中で何か増幅のようにくちゃくちゃと揉み合っているとそれが女の顔
になってバカみたいに口を開け話し 目をパッと開いて長い長い顔をする
かと思えばその次には口をつぶって横尾ろくし目も鼻もくしゃくしゃに縮めて途方もない ピシャンコな顔になる
そんなにして人が泣き出すまではいつまでも伸び縮みするのであった そのように襲われてばかりいるのはおばさんのおとき話のせいだろうという疑いが起こった後
一つにはまた寝間を変えてみたらというので私は父のそばに寝ることになった が前晩父が話してくれる宮本武蔵や吉常弁慶などのブユータンも何のかいもなく
化け物は親父ぐらいはへとも思わずに相変わらずやってきた さっきの寝間には床の間の天井に間がいたが今度の部屋では柱にかかった八角時計が一つ目になり
標本の障子が大きな口になってみせた 39
お医者様のすすめに従ってとかく弱りがちであった母と私の健康のために父は2人を連れて ある海岸へ行くことになった
行く道すがらそのまで疑ったの絵や絵本などで見て子供心に憧れてた自然がそのまま 目の前に現れてくるのを見て私は無償に喜んだ
小さな想像の亀には組み尽くすことのできない不思議な海も見た それは藍色に住んでその上を掛け船の方が銀のように輝いていく
まっすぐに切ったった崖の間を通るときは耐えがたい寂しさを覚えて そこにカツカツに生えている草たちをかわいそうに思う
リュグみたいな南京人のお宮では南京のおばあさんが敷石の上石ころを落としては何か祈っ ていた
そして髪を油で塗り分けた人形のような子が可愛い足をフラフラさせて歩くのを綺麗だと思った 海財庫を売る店には海の底の宝物がいっぱいに飾ってある
父は姉たちへのお土産に行く本家のかんざしと私に一粒の菅井を買ってくれたが私は こんな綺麗なものを父はなぜみんな買わないのかしらと思った
海岸の松原を車に乗って行くといくら行っても松がある お正月かける高坂の掛物にも松があるし常々おばさんにも松は神木だと聞いていたゆえ
私は松の木が迷信的に好きであった しばらくして宿へ着いた
せっかく静かな松原を楽しんでたのにそこには人がガヤガヤしてたのでもう家へ帰る と言って泣き出したら番等や女中たちが飛んできて古いお馴染みか謎のようにおぼっちゃまぼっちゃまと言って
騙した で安心して直に泣きあんだ
そして1日潮風の香りをかぎながら小松の向こうにどんどんと砕ける波に何もかも忘れて見 取れていた
夜になって上がりがついた その傘は円筒状の竹籠に紙を貼ったもので黒塗りの風がな台に乗っていた
初めての恐怖と逃避
そこへ日陰をしたって横映えが飛んできてとは止まる 美しい緑色をして目の間の広い横映えが可愛くてならない
指で抑えようとするとひょいと横へいざって隣の籠の女に 鳩虫も来た
ある晩縁側へ出て庭で花火をあげるのを見てたら綺麗な女の人が箇所を包んできて あげましょうと言った
私はその人が芸者だということを小耳に挟んでたが芸者といえば何でも人を騙したり する怖いものらしい
その芸者がそばに寄ってきて可愛いお子さんだの年はいくつだのと言いながら肩へ手を かけてほうずりしないばかりに顔を覗く
私はいい匂いのする袖の中に包まれて返事もしえずに耳まで赤くなって手すりに くっついていたがふとこれは自分を騙しに来たのだと気がついたら急に恐ろしく
なりシャニムに袖の下をすり抜けて母のところへ逃げて帰った 私が胸をどきつかせてそのことを話した時に母は少し笑いながら私の武装を
たしなめた それからは花火を見るたんびに
今度は何か聞かれたら返上しを貸しをくれたらお礼も言おうと思ってたがその人は 怒ったのかその後はそばへも寄らなかった
私は自分の後悔していることを知らせる機会がないのを心から残念に思った ある日父と一緒に深い松橋の奥へ入っていったことがあった
松の匂いがして松ぼっくりがたくさん落ちていた 父はそろそろ歩いているのだがこちらは松ぼっくりを拾うので始終小走りに追いつかなければ
ならない 拾えためて田元にも懐にもいっぱいになった松ぼっくりと
心で仲良く話しながらちょこちょこと後についていくうちにあずまやがあって 眉毛の真っ白なじいさんが熊手で松葉を書いていた
それを私は高坂のおじいさんがいたと拉致もなく喜んで本当にそう思ったのだ いつにもにず自分からいろんなことをし話しかけた
父は宿へ帰ってから母に 今日はタコ坊主がエロー物を言ったぞよ
と言って笑った 40
旅行から帰ったルスのうちに奥にさんの家は親子の都合で遠方へこうしてたので私は なんだか拍子抜けのした寂しさを感じた
私はそれから恐ろしい夢に襲われることもなく体もメキメキと発育するようになったが 聖徳のぼんやりと学校を怠けることは相変わらずであった
それは虚弱のためばかりでなく産むな子供にとってあまり複雑で苦痛の多い学校生活が 私を嫌がらせたからである
ただ嬉しいことにはその時の受け持ちの中沢先生は大好きな良い人で おまけに私の席は先生の机のすぐ前に行った
中沢先生は私がいくら欠席してもなんとも言わずどんなにできなくてもクスクス笑っている ばかりだった
がいつか並んでる安藤茂太という奴と喧嘩した時にたったいっぺん叱られたことがあった どうしたことかそう奴とお互いに虫が好かないでしょ中仲が悪かったところある日
30時の時間に彼は石板にめっかちの顔を書きそれに人の名前をつけていやいやと言って 見せてきた
でこっちでは大きな下駄に目鼻をつけてその脇へすげた目と書いてやった そうした彼がいきなり人のすねを蹴ったので私も負けずに横っ腹をついてやった
そんなにして内緒で喧嘩をしているうちにとうとう先生に見つかって学校が引けて から2人だけ後で残された
先生はいつになく怖い顔をしてなぜ喧嘩したという 私は一部指示を話して自分の悪くないことを主張したが茂太は私が先にから買ったと
嘘をついたもので先生は喧嘩寮成敗だと言って2人とも返してくれない 他なものはみんな包みを抱えて急いぞと帰っていく
中には物好きにと口から覗いて笑っているやつもある 学校中の生徒がみんな帰ってしまって家に浸透してきた
学校生活の苦悩と試験
もしこうして夜になったどうしようかしらご飯も食べられないし寝ることもできないし 早くおばさんが迎えに来て謝ってくれないかしら
などと様々なことが頭の中に渦を巻いて事前に涙がこみ上げてくる 先生は半分別を書いている2人の顔をちょいちょい見比べてクスクス笑いながら本を読む
フリをしている 茂田のやつはさも帰りたそうに肩にかけた波満の紐をいじくってたがとうとう泣き
だしてごめんなさいと謝った先生は謝ったのが関心だから許してやる と言って茂田を返した
私も借りたいのは山々だけれども悪くないものを残されたのが豪華なのでいつまでも は泣きかかってはこらえ泣きかかってはこらえしていた
が当時のつまりは泣くより他はなかった 私は一旦泣き出したことになれば両方の原告数で目をこすりこすりずなしにぐすり
ぐすり泣いている癖でその間に利比局直をぼつぼつと考えて自分が悪いとわかれば 次元に泣き止むし
そうでなければ自分がただ小さくて弱いために理不尽に抑えつけられるのが悔しくて 今に見ろと思いながらしゃくり上げしゃくり上げ泣くのであった
思う存分泣いた後は胸が空いて悲観の辺にえぐいような一種の快感を覚える それはそうと先生は手こずって謝れば返してやる
謝れば返してやる と言ったがどうしても悪くないと言って一家な謝らない
しかしだんだんお説法を聞いてみれば喧嘩を打ったのは茂田の罪だけれど お稽古中にそれを買ったのが良くないということがどうやら飲み込めたのでごめんなさい
と頭を避けて返してもらった 家では育児主のタコ坊主が健康したのを奇跡のように言って笑った
41 不勉強の報いは敵面に来ていよいよ試験となった時にはほとんど何も知らなかった
他のものがさっさとできて帰っていくのに自分一人 腕だこみたいになって困っているのは夢更楽なことではない
中でもつらなかったのは読本だった私は最後に先生の机呼び出された 問題はウルさんの老状という章だった
ウルさんなんて地はいついぞ見たこともない 黙って立っているもので先生は仕方なしに1時2時ずつ教えて手を引くようにして読ませ
たけれど 私は加藤清政が民軍に取り囲まれている冊子に見とれるばかりで本の方は
皆目わからない 先生は根気が尽きてどこでも読めるところを読んでごらん
と言って読本を私の前投げ出した 私は悪ビレもせずどっこも読めませんと言った
試験が済んでからもやっぱり椅子割りだった 私は一番前にいるから一番だと思っていた
名札のビリッ子にかかっていることも転校の時 姉妹に呼ばれることも自分が事実できないことさえも少しの疑いすら起こさなかった
好きな先生のそばに置かれてちょっとも叱られずにいる これが一番でなくてどうしようか
それに私はついぞ面上都に出たことはなかったし 学校から帰って一番だと言って自慢するとみんなはえらいえらいと言って笑っているので
自分だけは至極天下大平であった そのガキも終わりに近づいたところお隣へ新たに人が越してきた
その家とは裏の畑を間にほんの杉垣一重を隔てているばかりで自由に行き着ができる 私が裏へ行ってこっそり様子を見てたら垣根のところへちょうど私ぐらいのお嬢さんが
出てきたがずいと向こうへ隠れて杉の隙間からそっとこちらを伺ってるらしかった しばらくしてお嬢さんはまた出てきてちらりと人を見たので私もちらりと見てそして両方
とも澄ましてよそう向いた そんなことを何年もやっているうちに私はお嬢さんがほっそりとしてどこか秒針のらしいのを
見てなんとなく気に入ってしまった その次に目と目が合った時に彼方は心持ち笑ってみせた
んで私もちょいと笑った あちらは顔を背けるようにしてくるりと片足でもあった
こちらもくるりと回る向こうがぴょんと飛んだこちらもぴょんと飛ぶ ぴょんと跳ねればぴょんと跳ねる
そんなにしてぴょんぴょん跳ね合っているうちにいつしかは破綻橋の影をお嬢さんを垣根の 側を離れてお互いに話もできるぐらい近寄った
がその時 お嬢様ご飯でございますよと呼ばれたのではいと返事をしてさっさとかけていってしまった
私も残り惜しく家帰り急いで食事を済ませてまた行ってみたらお嬢さんはもう先に 待ってたらしく遊びましょうと言って人懐っこく寄ってきた
私はお馴染みになるまではもう五六遍も跳ねるつもりでいたのが案に遭遇して顔が 赤くなったけれど
a と言ってそばへ行った さっきはもうはにかむ景色もなくハキハキした言葉つきであなたいくつと聞いた
9つと答えると私も9つと言ってちょっと笑って だけどお正月生まれだから年強なのよと増したことを言う
私あなたの名は 経緯とはっきり言った
方のごとく名乗り合って初対面の挨拶が済むとおけいちゃんは 私もうじき学校へ上がるから同じ学校へ行きましょう
と言ったので嬉しくて自分の学校のいいこと終身のお話の面白いこと 受け持ちの先生に優しいことなどを教えてあげ小さな知恵を絞っておけいちゃん同じ
学校へ引きつけようとした おけいちゃんは家畜の人慣れた子でパチした目と真っ黒な髪を持っていた
青白い滑らかな頬には美しい血の色がついて見えた そしてその気象と混ぜた頭を持って育児なしのぼんやりな年終わりに対して
とかく女王のように振る舞う気味があったが私は満足して新たに訓練したこの女王 の意思に身を任せようと思った
42 ある日のこと私はおけいちゃんがお婆様に連れられ学校へ入ってくるのを見て今更の
ように胸をときめかせた その翌日からおけいちゃんは包みを抱えて一つ教授へ入るようになったが新入りなので一番前
の私の隣に座らせられた 私はお稽古にも身がいらずそっと横目で見たらおけいちゃんは首相にジェットしたを向いて
いた 遊び時間にもまだお馴染みがないため一人ぼんやりしているので何とか言葉をかけてやり
たいのみんなにからかわれるのが辛さに痛まっていれば さっきでもちゃんと知ってるくせにそちらの顔で済ましている
私は例えようのない混乱した気持ちでやっと1日の家業を済ませて家帰る道々も 今日はあんなことも話そうこんなことも聞いてみよう
などと考えながら帰りや犬や裏へ行ったらもう一人でお手玉を投げていた おけいちゃん
そう言って私は飛びつかないばかりに駆け寄った そしたらおけいちゃんはさも軽蔑したらしく
ビリっこけなんぞと遊ばないと言ってさっさと言ってしまったので 案に沿いして過ごすを家帰りおばさんにそれを言いつけた
その晩例の通り家中が茶の間に集まった時に私は初めて自分が本当にビリっこけだ ということを言って聞かされた
私は初めのうちこそカタクナに一番だと言い張っていたものの 近い頃先生から脳の悪いお子さんにあまり無理な言葉はいけないがこれまでのよう
ではとても給料がさせられないから今度の試験にはもう少し気をつけてもらいたい という注意があったというのを聞いて私は終わった泣き出した
私は長い間ビリっこけだった面目なさを一時に感じた 先生は私を脳の悪い子だと思って休み放題に休ませいくらできなくても叱らなかった
のだ私はやっぱし馬鹿にされてたのだ 私だってビリっこけのはずべきことぐらい知っている
ただいくら怠けても一番だと思えばこそ勉強しなかったのだ 早くそう言ってくれさえすればおさらいもしたしずる休みもしなかったのに思えばみんなが
恨めし私は頭がは控えるほど上記して思い出しては泣き 思い出しては泣きするのをおばさんはもらい泣きしながら
泣かんでもええ泣かんでもええと言って寝前連れて行った それからは小さな机を一つ当てが割れてその日その日のおさらい
翌日のした調べこれまでのところの復習をきちんきちんとさせられることになって おばさんはソロバンダの手習いだの自分のできるものをその他は姉たち2人が引き受けてくれた
毎日教授でおけいちゃんと顔を合わせるのが辛くもあり腹立たしくもあったけれどそれ 以来学校は決して休まなかった
おけいちゃんは平気の平座でお友達と遊んでいる 私はもう同じ級のものにも気遅れがしてとかく引っ込みがちにしてたが
それよりか家帰って机の前へ座らせられるときの辛さはまた格別だった 面倒くないことだが私には今まで習ったことが解析わからない
で落胆して何投げ出そうとしたか知れないのをご褒美の歌詞や何かで騙され騙され して続けるうちに何か薄紙でも剥ぐように少しずつ分かり始めた
読本の文字を一時覚え二次覚え算術が一台時計2台時計するに従い 次から次へと知識は一句難求数的に進んでいくのでしまいには自信もでき興味も
加わって家帰れば言われぬうちに自分から机を持ち出すようになった もとより人に褒められたいのが主な動機で試験には間もなかったが勉強の甲斐あって次の学期
には2番になった おけいちゃんは女の方のご飯であった
友情と初恋の葛藤
43 私は急に知恵がついて何か一皮脱いだように世界が新しく明るくなると同時に
ひ弱かった体がメキメキと達者になり相撲旗取り 何をやっても一番強い23人の中に入るようになった
走行するうちに主席のそうだというこの去った後を襲って9丁になった時にはもう おけいちゃんに対する残機も粉々も消えてたので私はその日美しく恵んで今にも葉を
刺すまでになりながらも花も付けずに根を絶えかかった友情の若草が再び春の光に あって甘やかに蘇るであろうことを願ってたし
おけいちゃんとても同じ気持ちでいる様子は見えたけれど ただなんとなく次歩がなくてお互いに何か良い折りのあるのを待っていた
子供の社会は犬の社会と同様に一人の強いものが世のものを一度にを任してしまう そうだがいなくなってから一人天下になった私はみんなの従順なのをいいことにしてかなり
防衛を振るったもののその年頃のガキ大将としては最もわけのわかった方であったと 自ら許している
ある時ちょっぺーが何かのことで仲間外れにされてサルメン患者サルメン患者とからかわれ 真っ赤になってひっかき回ってたが多勢に部勢でとうとう泣き出して机に突っ
ぷしてしまった それを見た私はいきなりわいわい林立てている
群れの中へ入って今後決してちょっぺーのことをサルメン患者と言ってはならんという厳命を下した で地雷彼はサルメンのお目を間抜かれたこれは初めて学校へ上がった時の赤い実のことを
忘れないでいささか恩返しをしたのである 岩橋はこの自分も相変わらず弱いものいじめの長本で女の生徒に悪さばかりしていた
ある日いつもの通り先生に引率されてスカンポ山へ運動に行った時に彼は一人 矢部の中へ入って一生懸命犬じらみを取っているのでまた何かいたずらをするなと思って
たらやがて両手の手にいっぱいに犬じらみを握って 竹地光秀という見えで目玉を光らせながら出てきた
女の子たちは常々おじけを振るって誰一人彼のそばへ寄るものはなかったのに 折りやしくうっかりそこを通りかかったのはおけーちゃんだった
彼はいい鳥がとは言わぬばかりにたちまち通せん坊して2つ3つ犬じらみをぶつけだ おけーちゃんはいやーよいやーよとたもとで避けながら逃げようとするの終年部額を追っかけてぶつけ
たもので おけーちゃんは身をかわす弾みに膝をついて割と泣き出した
それを見た私は谷はに飛んでって勝ち誇ってる岩橋を突き倒し その吠え面を尻目にかけながら起き上がってチリも払わずに袖を顔に当てているおけーちゃんのそば
寄って髪にも着物にもいっぱいくっついている犬じらみを一つ一つとってやった おけーちゃんは誰が自分をいたわってくれるかさえ知らず悔しそうに泣きじゃくりして人のするままになってた
が 余裕を涙を止めて誰か知らというように袖の影から顔を見合わせた時にさも嬉しそうに
にっこり笑った 長いまつげが濡れて大きな目が美しく染まっていた
その後2人の友情は今咲くばかり香りを含んで膨らんでいる ボタンのつぼみがこそぐるほどの蝶の葉風にさえほころびるように2人の友情はやがて打ち
溶けて結び合うようになった 44
楽しい遊びの日々
私たちは学校から帰って予習復習をするまも気が切れなくそこそこに済ませて思い出の多い 裏畑へ出る
こちらが早い時は一人で石蹴りや縄跳びをしてもうかもうか止まっている 向こうが先だと聞こえよがしにポンポン周りをつく
そのマリは赤と青の系統を島にして綺麗に包んであった 顔を見れば何より先にジャンケンをする
おけいちゃんは負けるとじれるように肩を振る癖があった おねんじょさーまおよねじょとうよおねんじょさーまおよねじょはたよ
私はマリが上手なのでなかなか落とさない おけいちゃんは待ち遠しがって縄の千切れをぶつけたり
棒切れを突き出したりして落とさせてしまう おねんじょさーまおよねじょとうよおねんじょさーまおよねじょはたよ
おけいちゃんは上記した顔をマリと一緒にうなずかせながら一生懸命に回る そのたんびにフサフサしたおさげの髪が肩にまつわって2つの足先が追い合うコマネズミのように
くるめく 負けまいとしてマリを膝で抑えたり胸に抱えたりしてヨルヨルするまでも続ける
ほうほけきょやうぐいすやうぐいすや たまたま都へのぼるとてのぼるとてううめの小枝にひるねして赤坂やっこの夢を見た
枕の下からふみが出た落ちように小糸のふみが出た 着物の裾の引きずるのも知らずに無臭になってつく
うさぎの戯れるように左右の手がマリの上にぴょんぴょんと踊って丸く空いた唇の奥から ピヤピヤした声がまろび出る
その美しい声に歌われた無邪気な歌は今もなおこの耳に懐かしい余韻を残している 夕日が腹の向こうに沈んでその後にゆらゆらと月が昇り始めると花畑の葉に隠れてた小さな
灰白の羽をふるって散り散りと舞い上がる 松林樹の薪の木にはカラスが群がって枝を争い
庭のサンゴジュのスズメはちゅうちゅくちゅうちゅくという その時私たちはようやく君のあせてゆくお月様を仰いでうさぎの歌を歌う
うさぎうさぎ何を見てはねる 十五夜お月様見てはねる
ぴょんぴょんぴょん 二人はつぼめた膝に手を乗せ腰をかかめて跳ね歩く
さんざんくたびれている足は2つ3つ跳ねるうちに全く弾力を失って思わずコロコロと 尻文字をつくのをそれがおかしいと言ってまた笑いこける
そんなにして二人とも家から呼ばれるまでは何もかも忘れて遊びにふけっているが 聞き分けのいいおけいちゃんはどんな時でもお嬢様はもう帰り遊ばせと呼ばれるとはいと
素直にせんじをして帰りともない様子は知りながらさっさと帰っていく 別れる時には明日の遊びの誓いのために小指を絡めあって指の抜けるほど指切りをし
もしか嘘をつけばこの指が腐ってしまうというのをそんなことと思いながらもなんだか 恐ろしいような気がする
45 そのようにして日増しに隔てがなくなるに従って負けず嫌いの私と悔しがりのおけいちゃんとの間には
時々たわいもない誘いが起こった ある日私たちはいつもの通り裏で周りをついていたが
あいにくつけばつくほどおけいちゃんの方がかされるものでしまいにはずるいとかなんとか 口をつけて泣きながら両方の袖でポンポンと人をぶった
その表紙に板元に入ってたお手玉がバラバラと地べたへこぼれた おけいちゃんはそれを拾おうともしずにもうあなたなんぞと遊ばないといって顔を抑えている
そうして私が訳もなく謝るのを聞かずに行ってしまった 置いてけぼれにされた私は後先の考えもなくお手玉を拾い集めて持って帰ったが今度は
それが苦労の種になってもしおけいちゃんが悔し紛れに私がお手玉を取ったと言ったらどうしよう そーっと元のところへ置いてこようかしら
明日学校で机の中へ入れといてやろうかしらなどと突を打つ思案を巡らした がとにかく人のものを持ってきて引き出しに入れてあるのが気がかりでならない
そんなにして不安な一夜を明かした 桜さなんだか顔を合わすのが怖いような
お手玉と新たな絆
合わせないのも心配のような気持ちで誰より先に学校へ行き 自分の席にしょんぼり座って昨日のことこれまでのことなど思い出しているうちに一人二人と
やってきてだんだん今日場が賑やかになった しかしおけいちゃんの姿は見えないもしか怒って休むのじゃないかしら
だがまだ来る時刻じゃないからわからないなどともどかしかっているうちにかなり遅い 組のちょっぺーが来ていよいよその時刻になった
私はいたたまらずに門のところへ行って扉の陰からうかがってたらやがて坂の上 から住みを抱えてくるのが見えたのでやっとひとまず胸を撫で下した
さっきはそうとは知らずもう入りかけたのこちらも何気なく扉の陰から出てふと顔を 見合わせたところ
ちょいと決まりの悪そうな笑いを浮かべたなり何にも言わずに入ってしまった 大丈夫だそんなに怒ってもいないようだ
そのもどかしい1日をおけいちゃんは元気よくお友達と遊んでいた 帰ってから私が机に向かいながら今日は裏へ出てみようかしら
予想かしらなどと思っている時に玄関の格子が静かに開いてごめん遊ば せっと小さな声で言った
私はすぐさま飛び出して着いたての後ろからおけいちゃんと呼びながら式台に立った その時おけいちゃんは初めての訪問のせいか少しはにかみながらもいつもの幸幸しい笑顔を
見せたので今まで背負ってた重荷がさらりと一時に降りた 私はこの賃却を玄関の脇の自習室へ招き入れた
おけいちゃんはそわそわして部屋の中を見回したり 肘掛け窓に寄りかかって導弾の提灯を眺めたりしてたが少し落ち着いてから
昨日は私が悪いございましたとちゃんと両手を畳みについてさも後悔したらしく謝った あんまり大人びて貴重面に詫びられたためにこちらは帰ってドギマギしながらもこんなに
人に苦労をさせたかと思えばつらにくくもなってあんなに謝るのじゃなかったと思った おけいちゃんは昨日あれから家帰って叱られたという
そして五章だからお手玉ちょうだいというのでさんざじらしてあげくやっと引き出しから出してやった その悠然千里面の切れは元よそ駅の着物だったとかで霧の花だの方法の翼だのが
切れ切れになっていた 2人はその因縁のあるお手玉を取って遊んだ
長所のように飛び上がり飛び下るお手玉と一緒におけいちゃんの顔がうなずくたび 紅白だんだらに染めたかんざしのふさが米紙のあたりにハラハラと乱れる
大間の乗り替えおかごの乗り替え大間の乗り替えおかごの乗り替え 手の甲に乗っているのを落とす前としてずるいことばかりする
小さい端くぐれ小さい端くぐれ細い指で畳の上に端をかけてお手玉をスイスイとくぐら せる
おけいちゃんの耳たぶは美しくてほてっている そうしてじれればじれるほど硬くなって肝心のところでしくじってはお手玉を放りつけたり
たもとに食いついたりしたがそれからは毎日お手玉を持って遊びに来るようになった 46
読本が一冊上がったときに先生は復習のためだと言って取読みをさせた それは組を男と女とに分けて人の読み違いを素早く読み直し
読み続けてしまうまでに読んだ紙数の多い方を勝ちとするのである 男は普段何のかんのと言わるけれどさて読みつくらとなるとさっぱり育児がなくなって
いつも負け同士だった それにいざとなれば誰でもせっこむので時期に間違えて取られてしまう
最初の読み手であった私はそれを心得てそろそろと読み始めた みんなはいつになく私の渋滞するのを見て軽蔑して笑ってたが
あいにくいつまでたっても一字も読み損なわずにダラダラと続けていく 日本武尊が草を投げ払っているところ
馬が何匹もいて栗毛影レンゼン足毛などの話のあるところ クロンボがラクダに乗って砂漠を行くところなど
1枚2枚と呼んでもう終わりに近い現行の章まで来た シナの戦舟がめちゃめちゃに壊れているところへ日本の小舟が漕ぎ寄せて行く映画あって
うる7月30日の夜に神風が吹いて10万の軍勢がたった3人残ったばかりだと書いてある 女の組では今更油断したのを後悔して人がちょっと息を継ぐの
にさえ手を挙げて取ろうとする その老婆の様子がおかしくなおなお落ち着け払っていていよいよ陶器という章まで進んだ
が困ったことに私は焼き物の製法などにあまり興味を持たなかったため 平成そこだけは飛ばしておさらいをしていたのでようやくしどろもどろになってわけなく取られて
しまった そこで渋々女に株を譲らればならぬということになり
憎い敵は誰かと思ってみたら以外にもそれはおけーちゃんだった 私は嬉しいような忌々しいような変な気がした
悔し泣きに泣いたと見えて目の周りは赤くしている そして本を持って立ち上がりはしたものの泣きじゃくりして一時も読めない
その地鈴が鳴ってその日は珍しく男の組の前哨になった 学校が引けてからいつもの通り遊びに来たおけーちゃんはまだ少し晴れぼった雨をして
決まり悪そうに でも私本当に悔しかったわと言った
そしてた元から内紐を出して あやとりしましょうという
小さな膝と膝を付け合わせた上に綺麗な紐が青白い手首にまとわれ細くそらした 指に引き払われていろんな形になる
おけーちゃんは水と言って渡す 大事にとって必死
おけーちゃんは頭の指を順にかけてペンペンことかいな とことをつく私
お皿さん 水泳
あだかもお互いの友情が手から手折り渡されるかのようにむつしくそんなにして 遊び暮らした
47 ある日のこと就寝のお話の時に先生が今日は先生の代わりにみんなが一つずつ話をするんだ
と言って自分は火鉢のそばへ椅子を引き寄せて当たりながら中で気の強そうなものや 表敬なものを呼び出して話をさせたことがあった
平成立派に一方のガキ大将になり愛嬌者になっているものでも 教団に立って四方八方から顔を見られると頬がつれ
したがもつれて何も言えなくなってしまう ところという普段人の馬に馬鹿になっている
のっぽな男が真っ先に呼び出されて膝頭をガタガタ震わせながら 旅の話をします
といった先生は何旅の話 これは面白そうだと油をかけるところはどもりどもり
あっちから旅が流れてきて こっちから旅が流れていって真ん中でぶっつかって
たびたびご苦労ですと言ってそこそこに引っ込んだ その次は吉澤という下の歯が上の歯にかぶさった正直者で
えへへへへとむやみ笑いながら 槍の話をしますと言った
先生は今度はやりの話かこれも面白かろう という
あっちから槍が流れてきてこっちから槍が流れていって真ん中で勝ちあって やりやりご苦労ですと言って引っ込んだ
手軽な話はみんな人にされてしまって私もないない小さくなってたところ運悪く 最後に当てられた
話はおばさんに聞いていくらでも知ってるけれど短くて話いいのが一つもない で仕方なしにお皿を干されたカッパの話というのをやったが話してみれば案外
おけいちゃんの登場
度胸が座って気になるおけいちゃんの方をちょいちょい見ながら ボツボツと話終わった
そして先生にお辞儀をして帰ろうとしたら先生は お前なかなか頭の皮が熱いよと言って笑いながら頭を一つ叩いた
それから女の方の番になったが机にしがみついていて誰一人でないもので一番から 席順に呼び出されることになった
それでも出ないで泣き出すものさえある でお鉢はとうとう5番目まで回っていった
おけいちゃんは覚悟をしていたらしく素直にはいと言って教団に立った とはいえさすがに襟首まで赤くなってさしうつむいてたがややって夢心地に泳ぐような
手つきをしながら一言ずつ切れ切れに語り出した時には私は心配と同情とにハラハラ してまともに顔を見ることさえしえなかった
けれどもだんだん話が進むにつれパッチリした目がシャンと座って大人びたリリヒ 様子になり
その並びない住み通った声でハキハキと順々と話し続けたその話はいつも私が聞かせた 初音のつづみの話であった
生徒らは思いのほかな話での態度に見せられ珍しく面白い話に引き込まれていつと話 に成りを沈めていた
話が済んだ時に先生は 今日は男の方はみんなよく話したのに女は一人も出なかったから負けのはずだったが
今の丸々の話ひとつで女の方が勝ちになった先生は関心してしまった と言った女の子たちは思わずにこにこした
おけいちゃんもさっと顔をあかめて不死身勝ちに自分の席へ帰っていくのを私は嬉しい ようなネタマシーような不思議な気持ちで見送った
富子との競争
あの話はおけいちゃんにさせるのではなかったもの 48
冬の夜の遊びはしみじみと身に染みて楽しいものである おけいちゃんは手をかじかませてきて部屋へ入るや否や火鉢にかじりつく
それはおばさんがこの可愛いお客様のために毎晩山守に住み移りでおくことになっていた おけいちゃんが寒そうに肩をすぼめてしばらくは火鉢の上に乗りかかるようにしているのを私は
待ち遠しがってお酒の紙を引っ張ったり お用地の輪の中指を突っ込んだりする
とさっきも私に負けない感触持ちなのでムキになって泣き出したりすることもあった そうなるとこちらは一問にもなく降参してひた謝りに謝ってしまう
ずっぷしている耳元へ口を寄せて勘にして勘にしてと言っても首を振って言ってなかなか 聞いてくれない
が一泣き泣いてしまえばもういいのよとカラリと機嫌を直して恨むような寂しい笑顔を見せる そんな時私はそのほんのりしたまぶたから涙を拭いてやることもあった
おけいちゃんは泣き真似が上手だった つまらないことを二言見事言い合ううちに急にプリプリしたと思うといきなり人の膝に顔を隠して
おいおいと泣く 私はその重たいぬくみを感じながら
かんざしを抜いてみたりくすぐってみたり 手を替え品を変えて機嫌を直そうとすればするほどなおなお泣き立てるのでこちらに
とがはないと思いながらも一生懸命に詫びる とさんざ手こず出しておいてから不意に顔を上げてベロッと舌を出して
ああいい君だというように得意に笑いこける 滑っこい細いしただった
私はあまりたびたびその手を食ったため姉妹には本泣きか嘘泣きかを 下に入れる感触筋のあるなしで見分けることを覚えた
またにらめっこが得てでいつでも私を任した おけいちゃんの顔は自由自在に動いて勝手気ままな表情ができる
あんがりめさんがりめなんといって両手で目玉をゴムみたいに伸び縮みさせたりする 私はそのにらめっこが大嫌いだった
それは自分が負けるからではなくおけいちゃんの整った顔が白目を出したり 輪に口になったり見るも無残な片輪になるのが真実
情けなかったからである そんなにしているうちにいつか私はお犬様や
うし紅の牛と一緒におけいちゃんまでを自分のものみたいに思ってその身に降りかかる 器用方片の言葉やこう不幸な出来事はそのままひしひしとこちらの胸へ答えるようになった
私はおけいちゃんを綺麗な子だと思い始めたそれがどんなに得意だったろう しかしそれと同時に自分の要望はかつて思いもかけなかったつらい思いとなった
自分はもっともっと綺麗な子になっておけいちゃんの心を引きたい そして2人だけが仲良しになっていつまでも一緒に遊んでいたい
私はそんなことを考え始めた ある晩私たちはひじかけ窓のところに並んで
サルスベリーの葉越しに指す月の光を浴びながら歌を歌っていた その時何気なく窓から垂れている自分の腕を見たところ
割れながら見とれるほど美しく透き通るように青白く見えた それはお月様のほんの一時の悪戯だったがもしこれが本当ならばと頼もしいような気がして
ほらこんなに綺麗に見えると言っておけいちゃんの前腕を出した まあ
そう言って恋人は袖をまくって私だってと言って見せた しなやかな腕がロウセキみたいに見える
2人はそれを不思議があって犬上でから首首から胸と冷や冷やする容器に肌を晒しながら 時の経つのも忘れて教壇を続けた
49 その頃西隣へぬいはくを内職にする家が越してきてそこの息子の富子というのが
新たに同級になった これはさっぱりできない子だったが口前がいいのと年が2つも上で力が強いために
たちまち級のガキ大賞になった で自然私はこれまでのように権威を振るうことができないばかりか
対面上早々頭を下げていくこともならず一人仲間外れの形になってしまった 彼は近所に友達がないもので学校から帰ると私を誘いに来て裏で遊ぶ
私は彼をあんまり好かないのとおけいちゃんと遊びたいのが山々なのとでちっとも気が 進まなかったけれどその反感を買うのを恐れてそういうことなしに付き合っていた
のともとおてんばの好きなおけいちゃんは私たちの遊びを垣根越しに面白そうに見て たが姉妹には自分も出てきてみようみまねに縄跳びや
たが回しなどをやるようになった 女才ない富子はお嬢さんお嬢さんと機嫌を取って逆立ちをしたり
どんぼ帰りをしたりいろんな芸当をやってみせる そんなことの大好きなおけいちゃんは富ちゃん富ちゃんと彼の後ばかり追って歩く
おばさん一人の手に育てられて奥にさんとばかり遊んでた私は修行がつまないのでとても そんな離れ技はできず
綺麗を悪くも富子がこの少女王の調香を欲しいものにするのを指を加えて見てるより 他なかった
おけいちゃんは晩に家に来ても富子の話ばかりして私が危険を取るたびに持ち出す絵本 や草造紙など見向きもしない
3人で遊んでいる時にも富子がいい気になって人のことを下手くその育児なしのと言えば 一緒になって馬鹿にする
酒出しもとんぼ帰りもできない芸なしに自分をしつけたおばさんが今更恨めしい そんなで私は富子が嫌でならないのをじっと虫を殺して逆らいはしないでいたがその間にも
ついに尾が切れてある時あんまりなことを言うのをムッとして口返しをしたら彼は散々 口汚く罵った挙句
おけいちゃんに耳こすりをして意味ありげに人を尻目にかけながら あばよしばよと言ってさっさと帰りかけた
それをおけいちゃんまでが真似をしてあばよしばよといい後について行ってしまった 自分のとこへ連れて行ったのに違いない
それからおけいちゃんはバッタリ来なくなった たまに顔を合わせてもニコリともしずに隠れてしまう
富子が意地をつけたのだそう思えば私は小さな胸に逃げ返るほどの嫉妬と奮闘を起こさず にはいられなかった
学校でも彼はみんなを仕掛けて私一人をチクチクといじめる 私はそうした口迷いはもとより腕力においても確かに彼に一目を置かねばならん
で今はわずかに自分が主席であるということだけがせめて物慰めであった とはいえそれもおけいちゃんなくしては必強ただの空位にすぎないではないか
友情の復活
50 気も狂いそうな日が幾日か続いた
ある日のこと私がまた一人自習室に閉じこもって思い悩んでいるときに ふとポクポクチリチリいうぽっくりの音が聞こえた
あっとしたが胸を抑えて窓を開けることはしなかった すると忘れる間もない懐かしい声がごめん遊ばせっと格子のところで言った
どなた様でございますお坊さんが空とぼけて出て言って おおどこのお客様かと思ったらこんな可愛いお嬢様だった
といい抱え上げる様子でわけを知らないもので風邪を引いたかのお泊りに行ったか のと尋ねている
おけいちゃんはおばさんの開けた障子からおとなしく入ってきてご無沙汰いたしました としとやかに手をついた
こらえにこらえつた私はその一言に張り詰めた木のツルを切られて我知らず おけいちゃんと呼びかけると同時に悔しい涙がさっとこぼれた
それを様で気にするでもないらしくた元からお手玉を出し始めるの なぜ来なかったのといえば案外平気で
富ちゃんと声言ってたからという畳みかけてなぜ今日はいかないのとなじればことも なげに
富ちゃんとかなんか行っちゃいけないってお母様に叱られたからと答える 私は気を折られながらもいずやの恨みを少し言ったらおけいちゃんはごめんなさいねと
前置きをし 富ちゃんがあんなこと遊ばないでも家へ来ればいくらでも面白いことがあると言ったから
だと言い訳をして お母様に叱られて富ちゃんが大嫌いになったからまたあなたと仲良くしましょう
という私の心を何と言おうか おけいちゃんはやっぱし私のものだった
そうとは知らず富公は1日待ちくたびれていたのだろう 明るい学校でこちらが見張っているとも気づかずこっそりそば寄って何か言いかけたが
おけいちゃんはもうあなたなんぞ嫌いだとけんもほろろの挨拶をした おけいちゃんはお母様に叱られて以来真から彼を軽蔑するらしかった
51 感知に長けた富公は自分がうとんずられるのを見るや
しらじらしくも親しげに私のそばへ寄ってきていろいろと機嫌を取った挙句 おけいちゃんを抽象するようなことを言って自分もあの子と遊ばないことにしたから君も決して
一緒に遊ぶなと言ったので腹の中で笑いながらいい加減に挨拶をしておいた とはいえその後私とおけいちゃんが元の通り仲良くなったことを勘ずくや否や彼は
恐ろしい仕返しを企んだ 彼は毎日学校で遊び時間になるとみんなをけしかけて2人を生やし立てる
そしてみんながくたびれて火の手を緩めると勝手にこしらえた言語道段なことを身内して 一人びとりたきつけて歩く
私たちは仲間外れにされ意味ありげな目に取り巻かれて惨めな境界に落ちてしまった しかしそうなれば勢い一層むつしくなり
今はし1日の家業を済ませて家帰って遊ぶ時にはお互いの胸にいい知らぬ楽しさと慰めの 溢れるのを覚えた
富豪の異種外種は日に日に悪辣になりこちらの的にもそれにつれて高まっていく 私は他の雑標バラはものの数とも思わないし
それに安自身も案外強くないに沿いない その証拠には時々私がカットだって向かっていくと彼は一騎打ちをしずにうまく逃げて
遠まきに人を苦しめようとする 私はようやく相手を見くびると同時にいつか思う様この変報をしてやろうという気が
ムラムラと起こった そのうちある日のこと例のちょっぺーが学校の引け掛けにコソコソとやってきて
明日待ち伏せするって言ったよというなり見つかるのが怖いのかさっさとかけていった 私はちょっぺーの心音を嬉しく思った
翌朝私は200ばかりの補定地区のでこでこのやつを羽織の下へ忍ばせて さあ来いという気で学校へ行った最後の時間
爪や稲や富豪はみんな恋みんな恋と合図しながら真っ先に強情をかけ出した すると中でもおべっか使いの3、4人の奴らがバラバラと後についていった
私は覚悟を決めてわざと一番後から帰ったら相手は案の定人通りの少ない八幡様のささやぶ のところで待ち構えていておべっかがえへんえへんと馬鹿にした咳払いをする
こちらは今日こそと思う心を色にも見せず済まして通ろうとするのを富豪は それはやれやれとゲチをした
他のものは格別異種があるではなしそれに到底私の敵ではないのでただ周りから わいわい言うばかりだったが中に一人寺の息子のただれめの奴がどういう忠義立てか
いきなり後ろからくびったまえかじりついた 富豪は内心ビクビクしながらも頼もしい味方の来る前に力を得て
こら貴様怠きだぞと言って寄ってきたので私はいきなり補定式で真っ向を食らわしてやった そうした富豪は意外にもたちまちヘナヘナとして
やだ乱暴するんだものと言いながら額を押さえてめそめそ泣き出した この汚い大将の負けようを今さら飛んだものに加勢したという顔つきで眺めてた
象標原はそろそろ自分たちの身が賢能になってきたのを見て オラ知らねえとと天然に言いながらこそこそと帰っていった
ただ驚いたのはめくされの坊主で大将もろとも打ち陣の覚悟か 目をつぶって死に身にぐったりと吊るさかったなりどうしても離れない
さすがの号のものもそれにはほとんど弱ったがやったのことでへばりつくやつを 模擬話して帰った時には実はこちらも泣きかかっていた
52 つららおり
けんたんで雪をつるうちに桃のおせっくが来たうちには神田のおかしに不思議に 焼け残ったという古いお雛様があって
五人林は3人になり野生の矢があらか倒れているなど散々だったがそれでも毎年子供 たちの慰めに必ず飾ることになっていた
雛祭りの楽しみ
おばさんは家中のガラクタものを寄せ集めて海在区の屏風を立て回したり 塩紙のお三方に11に持ったりしてちょうどの足りないところを塞げ子供の目には
さも立派なお雛様に見えるようにうまく腰られてくれる 日の盲線を敷いた団の上に綺麗な人たちを並べ一番上は私の2弾目は妹の
3弾目は末の妹のと決めてひしもちやハゼを備える時の嬉しさだと言ったらない 寝てるうちにホラが逃げやしないかと心配して笑われたことも覚えて
いる オゼックにはわざわざおけいちゃんを呼んだ
おけいちゃんは応用素行きの着物に赤いふさのついた皮膚を着てやってきた 2人が雛団の前チョコなんと座って仲良く
入り豆なぞ食べているとおばさんは3組のお酒好きの小さいのお客様に 中ほどの私に取らせてトロトロの白酒をついでくれる
白酒が聴取の口から棒みたいに垂れてむっくりと盛り上がるのをコクコクと前歯で 噛みながら目高みたいに花を並べて飲む
小本能なおばさんはこんなにして小さなものを喜ばせるのが何よりの楽しみで自分も ホクホクしながら2人ながら可愛い可愛い
と両手で一緒に背中を撫でてくれる うわぁお決まりのお雛様のようなご夫婦だをも言って私たちを嫌がらせる
おけいちゃんはおよそ行きだもんで済ましていて 周りやお手玉もちゃんと持ってるくせにいじくってばかりいてしようとも言わない
スゴロクやスイチュウカや16武蔵や南京玉の抜きっ子なぞやって やっと少しはしゃいできたところその頃姉から譲り受けた
成田屋の肝心腸とお父親のスケロクの羽子板を持ってようやく裏へ誘い出した が2人とも金魚みたいにゾロゾロしている上に大きな羽子板が手に余って2つ3つ
つくと落としてしまう 油や納めひさまつじゅうよそれでも面白半分にポンポンとお尻の打ちっこをした
53 お節句が過ぎると間もなくお父様が亡くなったためにおけいちゃんはその当座しばらく来なかっ
たがある晩不意にまたポクポクチリチリとぽっくりの音をさせて遊びに来た しかし思いなしかひどく沈んでいるので私は気が気でなく家の者も気の毒があって色々
慰めたら私の家は明日を引っ越しをするのだと言った おばあ様とお母様とでお国へ帰るのだそうだ
おけいちゃんは 私お引っ越しは嬉しいけど遠くへ行けばもう遊びに来られないからつまらないわとやるせ
なさそうに言う で私もどうしようかと思うほど情けなくなって2人して塞いでいた
これがお別れだと言ってその晩はみんな一緒に遊んだが うばもさすがに本当にお不幸せなお子さんだといいしげしげと顔を見つめていた
次の日にはおばあ様に手を引かれて玄関まで糸間越えに来た 私はいつもの大人びた言葉つきでしとやかに挨拶をするおけいちゃんの声を聞いて
飛んでも出たいのを急にわけのわからない恥ずかしさが込み上げてうじうじと 襖の影に隠れていた
おけいちゃんは行ってしまった あとを見送ってた家の者は口々に綺麗なお嬢様だことと言った
おけいちゃんはお雛様の時の着物を着ていたという一人机の前に座ってなぜ合わなかったろう と
甲斐もない涙に暮れているのを馬は早くも見つけて ぼっちゃもうかわいそうだと言った
あくる日私は誰よりも先に学校へ行った そしてそっとおけいちゃんの席に腰掛けてみたら今更のように懐かしさが湧き起こって
じっと机を抱えていた おけいちゃんは悪戯者である
そこには鉛筆で山水天狗やマムシ入道がいっぱい書いてあった これはもう20年も昔の話である
私はなんだかおけいちゃんが死んでしまったような気がしてならない そうかと思えば時には今でもおけいちゃんが生きていて折り節その自分のことなど
思い出しているような気もする 対象元年書校
おけいちゃんとの別れ
1989年発行 岩波書店中完祐全集第1巻より前半部分独了読み終わりです
最初 20節22節で終わるなぁ一節ずつ読めばいいなぁと思ったんですけど
一番下まで見て22節まであることを確認してたんですが全然違いましたね その22節は後編の22節を見てたわけで
前編だけで53あったっていう この前編を読み終わるのにおよそ1ヶ月半かかっています
えっ あの旧金使いなんですよ全部
全くとんでもないリクエストをもらったもんだぜ 後編は
22節だからまあ1日1節読むとして3週間後 冬ですかね
冬になっていると思いますこの前編後編の公開はどうせなら連続で出したいと思っている ので
後編部分もまるっと収録終わったら両方出す感じになりますかね はい
今日10月4日土曜日なんですけど 自民党総裁選をやってるはずですやるのかなこれから今午前中なんで
未来の総理大臣を知らない状態での収録となりました
しんじろうさんが勝つんですかね そんな気もしてるけどねどうでしょうかねはい
答え合わせ皆さんできていると思いますが いやー長かったですね
寝れていると思います はい
一節一節パッチワークのように収録してそれでも合計前半だけで2時間40分ですもん ねなかなかの対策です
よくはこんなに幼少期のことを覚えているよね彼 すごいなと思いますねそこが
それでは早速終わりにしましょうか 無事寝落ちできた方も最後までお付き合いいただけた方も大変にお疲れ様でした
といったところで今日のところはこの辺でまた次回お会いしましょう おやすみなさい
02:41:23

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