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寝落ちの本ポッドキャスト。
こんばんは、Naotaroです。
このポッドキャストは、あなたの寝落ちのお手伝いをする番組です。
タイトルを聞いたことがあったり、実際に読んだこともあるような本、
それから興味深そうな本などを淡々と読んでいきます。
エッセイには面白すぎないツッコミを入れることもあるかもしれません。
作品はすべて青空文庫から選んでおります。
ご意見ご感想は、公式Xまでどうぞ。
さて、今日は江戸川乱歩さんの日記帳というテキストを読もうと思います。
江戸川乱歩さん、日本を代表する推理作家。
江戸川コナンくんの名前の由来に名前がなっていますよね。
デビュー作は二戦同化。
代表作の一つにD坂殺人事件、
それから明智小五郎と少年探偵団が活躍する怪人二重面相なども有名となっています。
それでは参ります。日記帳。
ちょうど初七日の夜のことでした。
私は死んだ弟の書斎に入って、
何かと彼の書き残したものなどを取り出しては、
一人物思いにふけていました。
まだすさして夜もふけていないのに、
家中は涙に湿ってしんと静まり返っています。
そこへ持ってきて、なんだかシンパのお芝居めいていますけれど、
遠くの方からは物売りの呼び声などが、
さも悲しげな調子で響いてくるのです。
私は長い間忘れていた幼いしみじみした気持ちになって、
ふとそこにあった弟の日記帳をくり広げてみました。
この日記帳を見るにつけても、
私はおそらく恋も知らないでこの世を去った二十歳の弟を
哀れに思わないではいられません。
内気者で、友達も少なかった弟は、
自然書斎に引きこもっている時間が多いのでした。
細かいペンで刻名に書かれた日記帳からだけでも、
そうした彼の性質は十分伺うことができます。
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そこには人生に対する疑いだとか、
信仰に関する反問だとか、
彼の年頃には誰でもが経験するところの、
いわゆる青春の悩みについて、
幼稚ではありますけれど、
いかにも紳士な文章が書き綴ってあるのです。
私は自分自身の過去の姿を眺めるような心持ちで、
一枚一枚とページをはぐってゆきました。
それらのページには至るところに、
そこに書かれた文章の奥から、
あの弟の鳩のような臆病らしい目が、
じっと私の方を見つめているのです。
そして3月9日のところまで読んでいったときに、
感慨に沈んでいた私が、
思わず軽い矯正を発したほども、
私の目を引いたものがありました。
それは純潔な日記の文章の中に、
初めてぽっつりと華やかな女の名前が現れたのです。
そして発信欄と印刷した場所に、
北川ゆきえ括弧はがきと書かれたそのゆきえさんは、
私もよく知っている、
私たちとは遠縁にあたる家の若い美しい娘だったのです。
それでは弟はゆきえさんを恋していたのかもしれない。
私はふとそんな気がしました。
そこで私は一種の淡い旋律を覚えながら、
なおもその先をひも解いてみましたけれど、
私の意気込んだ意気に反して、
日記の本文には少しもゆきえさんは現れてこないのでした。
ただその翌日の受信欄に、
北川ゆきえ括弧はがきとあるのをはじめに、
数日の間おいては、
受信欄と発信欄の双方に、
ゆきえさんの名前が記されているばかりなのです。
そしてそれも発信の方は3月9日から5月21日まで、
受信の方も同じ時分に始まって5月17日まで、
両方とも三月に足らぬ短い期間続いているだけで、
それ以後には弟の病状が進んで、
筆を取ることもできなくなった10月半ばに至るまで、
その彼の絶筆とも言うべき最後のページにすら、
一度もゆきえさんの名前は出ていないのでした。
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数えてみれば、彼の方からは8回、
ゆきえさんの方からは10回の文通があったに過ぎず、
しかも彼のにもゆきえさんのにも、
ことごとくはがきと記してあるのを見ると、
それは多文をはばかるような種類の文言が記してあったとも考えられません。
そして、また日記帳の全体の調子から察するのに、
実際はそれ以上の事実があったのを、
彼がわざと書かないでおいたものとも思われるのです。
私は安心とも失望ともつかぬ感じで日記帳を閉じました。
そして、弟はやっぱり恋を知らずに死んだのか、
と寂しい気持ちになったことでした。
やがてふと目をあげて、机の上を見た私は、
そこに弟の居合の小型の手文庫が置かれているのに気づきました。
彼が生前、一番大切な品々を収めておいたらしい、
その高巻への古風な手文庫の中には、
あるいはこの私の寂しい心持ちを癒してくれる何者かが隠されてはいはしないか、
そんな好奇心から、私は何気なくその手文庫を開いてみました。
すると、その中には、
このお話に関係のない様々な書類などが入れられてありましたが、
その一番底の方から、
ああ、やっぱりそうだったのか、
いかにも大事そうに白紙に包んだ十一枚の絵描きが、
ゆけえさんからの絵描きが出てきたのです。
恋人から贈られたものでなくて、
誰がこんな大事そうに手文庫の底へ秘めて謎を置きましょう、
私はにわかに胸騒ぎを覚えながら、
その十一枚の絵描きを次から次へと調べていきました。
ある感動のために葉書を持った私の手は、
不自然に震えてさえいました。
だがどうしたことでしょう。
それらの葉書には、どの文面からも、
あるいはまたその文面のどの行間からさえも、
恋文らしい漢字は、いささかも発見することができないのです。
それでは弟は、
彼の臆病な気質から、
心の中を打ち明けることさえしないようで、
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ただ恋しい人から贈られた、
何の意味もないこの数通の絵描きを、
お守りか何ぞのように大切に保存して、
かわいそうにそれを、
せめてもの心やりにしていたのでしょうか。
そしてとうとう、
報いられぬ思いを抱いたまま、
この世を去ってしまったのでしょうか。
私は、ゆきえさんからの絵描きを前にして、
それからそれへとさまざまな思いにふけるのでした。
しかしこれはどういうわけなのでしょう。
やがて私はそのことに気づきました。
弟の日記には、ゆきえさんからの受信は、
十回きりしか記されていないのに。
それはさっき数えてみて覚えました。
いまここには十一通の絵描きがあるではありませんか。
最後のは五月二十五日の日付になっています。
確かその日の日記には、
受信欄にゆきえさんの名前はなかったようです。
そこで私は再び日記帳を取り上げて、
その五月二十五日のところを開いてみないではいられませんでした。
すると、私は大変な見落としをしていたことに気づきました。
いかにもその日の受信欄は空白のまま残されていましたけれど。
本文の中に次のような文句が書いてあったではありませんか。
最後の通信に対して、Yより絵はがききたる。
失望。
俺はあんまり臆病すぎた。
いまになってはもう取り返しがつかぬ。
ああ、Yというのはゆきえさんのイニシャルに相違ありません。
他に同じ頭文字の知り人はないはずです。
しかしこの文句は一体何を意味するのでしょう。
日記によれば、彼はゆきえさんのところへ葉書を書いているばかりです。
まさか葉書に恋文をしたためるはずもありません。
では、この日記には記していない封書を。
それがいわゆる最後の通信かもしれません。
封書を送ったことでもあるのでしょうか。
そして、それに対する返事として、
この無意味な絵はがきが帰ってきたとでも言うのでしょうか。
なるほど、以来彼からもゆきえさんからも交通を絶っているのを見ると、
そうのようにも考えられます。
でもそれにしては、このゆきえさんからの最後の葉書の文面は、
たとえ拒絶の意味を含ませたものとしてもあまりに変です。
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なぜと言ってそこには、もう自分からは弟は病のとこについていたのですが、
病気の未満の文句が美しい主席で書かれているだけなのですから。
そしてまた、こんなに酷命に発信受信を記していた弟が、
発通の葉書の他に風書を送ったものとすれば、
それを記していないはずはありません。
ではこの失望云々の文句は、一体何を意味するものでしょうか。
そんなふうにいろいろ考えてみますと、
そこにはどうも辻褄の合わぬところが、
表面に現れている事実だけでは解釈のできない秘密があるように思われます。
これは亡き弟が残していった一つの謎として、
そっとそのままにしておくべき事柄だったかもしれません。
しかし何の因果か私には少しでも疑わしい事実にぶつかると、
まるで探偵が犯罪の後を調べ回るように、
あくまでその真相を突き止めないではいられない性質がありました。
しかもこの場合は、その謎が本人によっては
永久に解かれる機会がないという事情があったばかりでなく、
その事の実比は私自身の身の上にもある大きな関係を持っていたものですから、
持ち前の探偵癖が一層の力強さを持って私を捉えたのです。
私はもう弟の死を痛むことなどを忘れてしまったかのように、
その謎を解くのに夢中になりました。
日記も繰り返し読んでみました。
その他の弟の書物なども残らず探し出して調べました。
しかしそこには恋の記録らしいものは何一つ発見することができないのです。
考えてみれば弟は非常のはにかみ屋だった上に、
この上もなく用心深いたちでしたから、
いくら探したとて、そういうものが残っているはずもないのでした。
でも私は夜の更けるのも忘れて、
このどう考えても解けそうにない謎を解くことに没頭していました。
長い時間でした。
やがて種々様々な無駄な骨折りの末、
ふと私は弟の葉書を出した日付に不審を抱きました。
日記の記録によれば、それは次のような順序なのです。
3月9日、12日、15日、22日。
4月5日、25日。
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5月15日、21日。
この日付は恋する者の真理に反してはいないでしょうか。
たとえ恋組でなくても、恋する人への文通が
後になるほどうとましくなっているのは、どうやら変ではありますまいか。
これをゆきえさんからの葉書の日付と対照してみますと、
なおさらその変なことが目立ちます。
3月10日、13日、17日、23日。
4月6日、14日、18日、26日。
5月3日、17日、25日。
これを見るとゆきえさんは弟の葉書に対して、
かっこそれらはみな何の意味もない文面ではありましたけれど、
それぞれ返事を出しているほかに、
4月14日、18日、5月3日と少なくともこの3回だけは、
彼女の方から積極的に文通しているのですが、
もし弟が彼女を恋していたとすれば、
なぜこの3回の文通に対して答えることを怠っていたのでしょう。
それはあの日記帳の文句と考え合わせてあまりに不自然ではないでしょうか。
日記によれば、当時弟は旅行をしていたものでもなければ、
あるいはまた筆も取れぬほどの病気をやっていたわけでもないのです。
それからもう一つは、ゆきえさんの無意味な文面だとはいえ、
この頻繁な文通は、相手が若い男であるだけに、
おかしく考えれば考えられることもありません。
それが双方とも言い合わせたように、
5月25日以後は、
ふっつりと文通しなくなっているのは、
一体どうしたわけなのでしょう。
そう考えて弟の葉書を出した日付を見ますと、
そこに何か意味がありそうに思われます。
もしや彼は暗号の恋文を書いたのではないでしょうか。
そしてこの葉書の日付が、
その暗号文を形作っているのではありますまいか。
これは弟の秘密を好む性質だったことからおして、
まんざらありえないことではないのです。
そこで私は日付の数字が、
イロハかアユエオかABCか、
いずれかの文字の順序を示すものではないかと、
いちいち試みてみました。
幸か不幸か、私は暗号解読について、
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いくらか経験があったのです。
するとどうでしょう。
3月9日はアルファベットの第9番目のI、
同じく12日は第12番目のL、
そういうふうに当てはめていきますと、
この8つの日付は、
なんと、
アイラブユーと解くことができるではありませんか。
ああ、なんという子供らしい。
同時に世にも辛抱強い恋文だったのでしょう。
彼はこの、
私はあなたを愛するというたった一言を伝えるために、
たっぷり3ヶ月の日誌を費やしたのです。
本当に嘘のような話です。
でも、弟の異様な性癖を熟知していた私には、
これが偶然の不幸だなどとはどうにも考えられないのでした。
かように推察すれば一説が明白になります。
失望という意味もわかります。
彼が最後のUの字に当たる葉書を出したのに対して、
ゆけいさんは相変わらず無意味な葉書を報いたのです。
しかもそれはちょうど、
弟が医者からあの忌まわしい病を宣告せられた自分なのでした。
かわいそうな彼は、
この二重の板出にもはや再び恋文を書く気になれなかったのでしょう。
そして誰にも打ち明けなかった。
当の恋人にさえ打ち明けはしたけれど、
その意思の通じなかった切ない思いを抱いて死んでいったのです。
私は言い知れぬ暗い気持ちに襲われて、
じっとそこに座ったまま立ち上がろうともしませんでした。
そして前にあったゆけいさんからの絵葉書を、
弟が手文庫の底深く秘めていたそれらの絵葉書を、
何のゆえともなくぼんやり見つめていました。
するとおお、これはまあ何という意外な事実でしょう。
ろくでもない好奇心よ。呪われてあれ。
私は一層全てを知らないでいた方がどれほどよかったことか。
このゆけいさんからの絵葉書の表には、
きれいな文字で弟の宛名が書かれた脇に、
一つの例外もなく切手が斜めに張ってあるではありませんか。
わざとでなければできないようにきちんと行儀よく斜めに張ってあるではありませんか。
それは決して偶然の想像などではないのです。
私はずっと以前、たぶん小学時代だったと思います。
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ある文学雑誌に切手の張り方によって秘密通信をする方法が書いてあったのを、
もうその頃から好奇心の強い男だったと見えてよく覚えていました。
中にも恋を表すには切手を斜めに張ればよいというところは、
実は一度応用してみたことがあるほどで決して忘れません。
この方法は当時の青年男女の人気に当じてずいぶん流行したものです。
しかしそんな古い時代の流行を今の若い女が知っていようはずはありませんが、
ちょうどゆけいさんと弟との文通が行われた時分に、
宇野孝司の「二人の青き藍桜」という小説が出て、
その中にこの方法が詳しく書いてあったのです。
当時私たちの間に話題になったほどですから、
弟もゆけいさんもそれをよく知っていたはずです。
では弟はその方法を知っていながら、ゆけいさんがみつきも同じことを繰り返して、
ついには失望してしまうまでも彼女の心持ちを悟ることができなかったのはどういうわけなのでしょう。
その点は私にもわかりません。あるいは忘れてしまっていたのかもしれません。
それともまた切手の張り方などには気づかないほどのぼせ切っていたのかもしれません。
いずれにしても失望などと書いているからは、彼がそれに気づいていなかったことは確かです。
それにしても今の世にかくも古風な恋があるものでしょうか。
もし私の推察が誤らぬとすれば、彼らはお互いに恋しあっていながら、その恋を訴えあってさえいながら、
しかし双方とも少しも相手の心を知らずに、
一人は板で覆ったままこの世を去り、
一人は悲しい失恋の思いを抱いて長い生涯を暮らさねばならぬとは、
それはあまりにも臆病すぎた恋でした。
ゆきえさんは裏若い女のことですからまだ無理のない点もありますけれど、
弟の手段に至っては臆病というよりはむしろ卑怯に近いものでした。
さればといって私は亡き弟のやり方を少しだって責める気はありません。
それどころか、私は彼のこの一種異様な性癖を世にも愛しく思うのです。
生まれつき非常なはにかみ屋で、臆病者で、
それでいてかなり自尊心の強かった彼は、
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恋する場合にもまず拒絶された時の恥ずかしさを想像したに相違ありません。
それは弟のような気質な男にとっては、
長人には到底考えも及ばぬほどひどい苦痛なのです。
彼の兄である私にはそれがよくわかります。
彼はこの拒絶の恥を予防するためにどれほど苦心したことでしょう。
恋を打ち泣けないではいられない。
しかしもし打ち明けて拒まれたら、その恥ずかしさ、気まずさ、
それは相手がこのように生きながらえている間、いつまでもいつまでも続くのです。
なんとかして、もし拒まれた場合には、
あれは恋文ではなかったのだと言い抜けるような方法がないものだろうか。
彼はそう考えたに相違ありません。
その昔、大宮人はどちらにでも意味のとれるような恋の歌、
恋歌という巧みな方法によって、
あからさまな拒絶の苦痛を和らげようとしました。
彼の場合はちょうどそれなのです。
ただ彼のは日ごろ愛読する探偵小説から思いついた暗号通信によって、
その目的を果たそうとしたのですが、
それが不幸にも、彼のあまり深い用心のために、
あのような難解なものになってしまったのです。
それにしても、
彼は自分自身の暗号を考え出した綿密さにも似合わないで、
相手の暗号を解くのにどうしてこうも鈍感だったのでしょう。
うぬぼれすぎたためにとんだ失敗を演じる例は世にままあることですけれど、
これはまたうぬぼれのなさすぎたための悲劇です。
なんという本位ないことでしょう。
ああ、私は弟の日記帳をひも解いたばかりに取り返しのつかぬ事実に触れてしまったのです。
私はその時の心持ちをどんな言葉で形容しましょう。
それが、ただ若い二人の気の毒な失敗を痛むばかりであったなら、
まだしもよかったのです。
しかし私にはもう一つの、もっと利己的な感情がありました。
そしてその感情が私の心を狂うばかりにかき乱したのです。
私は熱した頭を冬の夜の凍った風に当てるために、
そこにあった庭下駄をつっかけてふらふらと庭へ降りました。
そして乱れた心そのままに子達の間をぐるぐると果てもなく回り歩くのでした。
弟の死ぬ二ヶ月ばかり前に取り決められた、
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私とユキエさんとの取り返しのつかぬ婚約のことを考えながら、
2004年発行、公文社、公文社文庫、
江戸川乱歩全集第1巻、屋根裏の散歩者より、
読み終わりです。
ユキエさんと婚約してただと?
気になって調べたんですけど、ご安心ください。
江戸川乱歩本人の話じゃなくて、これはたぶん作り物ですね。
I love youのあたりかららしいですもんね。
夢がないか。
本当は読み聞か世界で知り合った小学校の教師である村山孝子さんと結婚したと、
江戸川乱歩自身のwikipediaに載ってますので、
これはそもそも作り話だと思います。
弟の詩とか書いてあるから、真面目に受け取りたい気持ちになるんですけど、
作り話だと思います。
びっくりした。
ということで、今日のところはこの辺で。
また次回お会いしましょう。
おやすみなさい。