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寝落ちの本ポッドキャスト。こんばんは、Naotaroです。
このポッドキャストは、あなたの寝落ちのお手伝いをする番組です。
タイトルを聞いたことがあったり、実際に読んだこともあるような本、
それから興味深そうな本などを淡々と読んでいきます。
エッセイには面白すぎないツッコミを入れることもあるかもしれません。
作品はすべて青空文庫から選んでおります。 ご意見ご感想は、公式Xマでどうぞ。
さて今日はですね、 織田作之助さんの
大阪発見というテキストを読もうかと思います。
織田作之助さんは大阪出身の審議作派の作家。
独自の文体で大阪の庶民の生活を描き出した。 夫婦善哉をはじめとする彼の作品は、戦後文学に大きな足跡を残しています。
とのことです。 昔読んだ坂口安吾さんのテキストでも、この織田さんの名前は出てきてたんですよね。
大阪の芸術に対する木のてらい方とか、 その辺について触れているテキストを読んだ記憶がありますが。
とりあえず読んでいきましょうか。それではまいります。大阪発見。 年中夫婦喧嘩をしているのである。
それも仲が良すぎてのことならとにかく。 寝っから二人一緒に出歩いたことのない水臭い中で、お互いよくよくけぎらいして。
それでもたまに大将が御両人さんに肩を揉ませると、 御両人さんは大将の後ろで原骨を振り回し、
前で見ている女御子を存分に笑わせた挙句。 御丁師の頭をごつんと叩いたりして、それがきっかけでまた喧嘩だ。
十年もそれが続いたから、重屋の周頭面もさすがに。 こんなことでこの先どのようになるこっちゃら。
近所の体裁も悪いし、それに夫婦喧嘩する家は金はたまらんいう境と心配して、 ある日御両人さんを呼び寄せて、いろいろと言い聞かせた末、
黒焼きでも買いいいなと二十円くれてやった。 上等の奴やなかったら聞かへんと二十円もらった御両人さんは、
くすぐったいというよりアホらしく、その金を瞬く間に使ってしまった。 けれどもさすがに周頭面の手前気が咎めたのか、
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それともやはり一辺くらい夫婦仲のいい気持ちを味わいたかったのか。 多活の黒焼き屋へ出かけた。
油豆腐屋で名高い多活神社の付近には 薬屋が多く、
表門筋には昔も今も利き目で売れる七福冷え薬の本舗があり、 裏門筋には黒焼き屋が二軒ある。
元祖本家黒焼き屋の津田黒焼ほと、 一斎黒焼き屋の多活黒焼総本家
鳥屋市米本舗の二軒が隣り合わせに並んでいて、 どちらが元祖かちょっとわからぬが、とにかくどちらも芋利をはじめとして、
トラアシ、 シマヘビ、バイ、
サザエ、ヤマガニ、イノキモ、
セミヌケガワ、ドロガメ頭、
モグラ、牛糞、
ハスネ、 ナス、
モモ、 ナンテンなどの黒焼きを売っているのだ。
古料人さんはその一軒の低い軒先をはいるなり、 実は女子に子供がちょっとも懐かしまへんよって、と
うまい口実を設けて芋利のお住め数2匹を買った。 帰り道2つ移動した大和橋東詰で
3色ウイロと、 その向かいの釜ぼこ屋で万能祭の3倍酢にするハンスケと半ペンを買って、
下寺町の和が屋に戻ると、早速邸主の下帯へこっそり芋利の一匹を縫い込んでおき、 自分もまた他の一匹を身に帯びた。
近頃ビタミンCやBの媒薬をなんとなく愛用している私は、 芋利の黒焼きの効能などには自然疑いを持つのであるが、
けれども仲の悪い夫婦のような場合は、 効能が現れるという信念なり期待なりを持っていると、
つい相手の何でもない素振りが自分に惚れ出した証拠だと錯覚して、 そのため自分の方でそれに引き継がれてしまうのではあるまいかと、私はその効能に心理的根拠を与えたいのである。
ところがその大阪的な御料人さんの場合どうなったか、 私は知るよしもないが、
しかし彼女が時々ふんぜんたる顔をして、 恵比寿橋のツキガセという汁小屋に入っているのを私は見受けるのである。
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ツキガセへ彼女が現れるのは大抵夫婦喧嘩をした時に限るので、 あんまり腹が立ちましたよってツキガセで栗ぜんざい一杯と、
おすましとおはぎ食べてこましたりましたと、 彼女は安い合流を言いふらすのである。
ツキガセは恵比寿橋の停留所からナンバーへ行く道の交番所の隣にある汁小屋で、 元は大阪の御料人さんたちの息抜き場所であったが、
今は大阪の近代娘がまるで女学校の同窓会を開いたように派手に詰めかけている。 デパートのひけどきなどは疲れた体に砂糖分を求めてか、
デパート娘が呆れるほど殺到して、青いのれんの外へ何本もの足を裸のまま、 あるいはチョコレート色の靴下にむっちり包んではみ出している。
そういう若い娘たちに混じって、 例の御料人さんは浮かぬ顔をして突っ立ち、
相手ツキは思わへんやろかと目をキョロキョロさせているのである。 そして私もまたそこの蜜豆が好きで、
というといかにもだらしがないが、とにかくその蜜豆は一風変わっていて、 氷をかいたのをのせ、その上から車の振棒の油みたいな色をした、
しかしわりに甘さのしつこくない蜜をかぶせて、 なかなか味がいいのでしばしば出かけ、
なんやあの人男だてらに決対ねひとやわ、 という娘たちの視線をずいぶん狼狽して感受するのである。
5年前、つまり私が23歳の時、私はかなり堅い礼をしていた ケイという少女と二人でいそいそと月ヶ瀬へ行った。
入りなりケイという少女はあん蜜を注文したが、 私はおもむろにこんな手表を観察してぶぶ漬けという字が目に入ると、
いきなり空腹を感じてぶぶ漬けを注文した。 やらしひとやな、というケイの言葉を平然と聞き流しながら、
生唾を飲み込み飲み込み、 ぶぶ漬けの運ばれてくるのを待っていると、
やがてお待ちのおさんと前へ据えられた途端、 あっ、
思わず顔が赤くなって、 こともあろうにそれはお筆ではないか。
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おまけに文楽の人形芝居で使うようなかわいらしいお筆である。 見渡すと居並ぶ若い娘たちは、いずれも汁粉や膳剤など極めて普通の、
この場にふさわしいものを食べている。 私ひとりだけが若い娘たちの面前で、
ママごとのようにお筆を前にして赤くなっているのだ。 クスクスという笑い声も聞こえた。
ケイはさすがに笑いはしなかったが、 うちややわと顔をしかめている。
しかし私は大いに勇みを越して、 お筆からご飯をよそって食べた。
何たることか、悠然と構えて四杯も平げたのである。 しかもあとお茶をすすり、
爪楊枝を使うとは若気の至りか厚かもしいのか。 ともあれ、色気も何もあったものではなく、
ケイはプリプリ怒りだして、それが原因で、 かなり見るべきところのあったその恋も無惨に破れてしまったのである。
けれども今もなお私は月傘のブブ漬けに触手を感ずるのである。 そこの横丁にある木の実へ、牛肉の山椒焼きや焼きうどんや、
キモとセロリのバター焼きなどを食べに行くたびに、 三度のうち一度ぐらいはブブ漬けを食べてみようかとふと思うのは、
そのブブ漬けの味が良いというのではなく、 汁小屋でブブ漬けを売るということや、
文楽芝居のようなオフィスに何となく大阪を感じるからである。 私の失恋はブブ漬けが直接の原因になったけれど、
一つにはケイの女友達のカメさんが私を一目見て、 なんやあの人の顔、ろくろく陽眠とおぞおぞした春やないの。
作文作るの勉強した春言うけど、ちっとも生活能力 あれへんやないの、とケイに私のことをずいぶん腐したからである。
カメさんはあるデパートのネクタイ部で働いている女だったが、 カネガネ、
うちはカメさんみたいに首の短い人は嫌いや。 鶴みたいな人が好きやねん。
カメさんは借金で首回れへん境、など訳のわからぬことを口走っていたゆえ、 私は悔し紛れに彼女にカメさんというあだ名を呈したのである。
カメさんはデパートに勤めているが、父親が強欲でしばしば芸者にされようとしていた。 その目で見たせいか、彼女の痩せ方の、そして右肩下がりの、
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線の崩れたような体つきはなんか色っぽく思えたが、 しかしやや分厚い柔らかそうの下唇や、
その唇の真ん中にちょっぴり下手に紅をつける化粧の仕方や、 胸の膨らみのダランと下がったところなど、
結婚したらきっと子供をたくさん産んで、 浴衣の胸をはだけて両方の乳房を二人の赤ん坊にあてがうであろうなどと、私は密かに想像していた。
まもなくカメさんが結婚したという噂を聞いて、それきり顔も見なかったが、 最近私は千日前の慈安寺で、5年ぶりにカメさんと出会った。
千日前慈安寺の境内にある石地蔵のことを、 つい近頃まで知らなかったのは迂闊だった。
定行大菩薩といい、境内の奥の仙神殿に入っているのだが、霊言新たかで、 例えば目を病んでいるという人は、その地蔵の目に水をかけ、
たわしでごしごし洗うと顔病が治り、 足の悪い人なら足のところを洗うと治るとのことで、
アホらしいことだけれど、年中この石地蔵は濡れている。 水赤で赤く錆びついていて、
おまけに目鼻立ちははっきり判別できぬほど擦り切れていて、 胸のあたりなど痛いたし、
時には洋装の若い女が来て、しきりに洗っているとFさんに聞いて、 私はなんとなく心を惹かれ、用事のあるなしにつけ、千日前へ出るたびにこの寺に入って、
地蔵の前をぶらぶらうろうろした。 そしてある日、ついに地蔵の胸に水をかけ水をかけ、
たわしで洗い洗いしている洋装の女を見つけた。 ふと顔を見ると、それが亀さんだったのである。
父親の好みで、彼女は昔絶対に洋装をしなかったのであるが、 今は夏であるから彼女も洋装をしていた。
冊子のつく通りアッパッパで、それも黒紋市場などで行商人が道端に広げて売っている つるつるのポプリンの生地だった。
なお黒いセルロイドのバンドを締めていた。 いかにも町の女房めえて見えた。
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胸を洗っているところを見ると肺を病んでいるのだろうか。 痩せて骨が目立ち顔色も青ざめていた。
亀さんは私の顔を見ると、 偉いとこ見られたと大げさに言った。
そして今度の土曜牛には子供の虫封じのまじないをここでしてもらい万年というのであった。
私はただ亀さんの弟子が、まかり間違っても白いダブルの背広に赤いネクタイ、 胸に青いハンカチ、そしてリーゼント型に髪を分けたような男でないことをしきりに祈りながら、
赤いレンガづくりの慈安寺の裏門を出ると、 なんとそこはイロハ牛肉店の横丁であった。
一丸という小料理屋の向かって左隣には、 大天狗というあんま屋で天井の低い2階で5、6人のあんまがお互いにもみあいしていた。
右隣は司会員であった。 その司会員は古びた下田家で、
2階に治療機械を備えつけてあるのだが、いかにもすすぼけて、 天井がむやみに低く、機械の先が天井にすれすれになっていて、おそらく医者はこごみながら、
しばしば頭をうっつけながら治療するのではないかと思われる。 看板がかかっていなければ誰もそんな裏長屋の古ぼけた家のようなそこを司会員とは思わぬであろう。
屋根に6つか7つぐらいの植木の小鉢が置いてあったのを見て私は元次郎横丁を思い出した。
元次郎横丁は千日前歌舞伎座横の食い物路地であるが、 そこにもまた忘れられたような下たい家があって、
2階の天井が低く、格子が厚苦しくかかっているのである。 そしてまた二つ井戸の岩おこし屋の2階にも鉄の格子があって、
そこで年季暴行の弟子が前こごみになってしょんぼり着物を脱いでいたのである。 そうした風景に私はなぜ惹きつけられるのか。
はっきり説明できないのであるが、 ただそこに何かしら哀れな日々の営みを感じることは確かである。
儚く哀れであるがしかし、その営みには何か根強いものがある。 それを大阪の伝統だとはっきり断言することはあえてしないけれど。
例えば、日本橋筋4丁目の5階という古物露天廠の集団で、 旅の小羽瀬の片一方だけを打っているのを見ると、何かしら大阪の哀れな故郷を感じるのである。
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東京にいた頃、私はしきりに法善寺横丁の目音禅宰屋を思った。
道頓堀からの触承通路と、千日前からの落語籍通路の角に当たっているところに、 目音禅宰屋と書いた王上賃がぶら下がっていて、
その横のガラス箱の中に古びたおたふく人形がニコニコしながら、 住職公の裸の伝統の下でじっと座っているのである。
のれんをくぐって、5番の目の畳に腰掛け、目音禅宰を注文すると、 ひらべったいお椀に入れた禅宰を一人に二杯持ってくる。
それが目音になっているのだが、本当は大きな椀に持って一つだけ持ってくるよりも、
そうして二杯持ってくる方が文量が多く見えるというところを狙った 大阪人の商売上手かもしれないが、
明治初年に文楽の三味線引きが本職だけでは暮らしが立たず、 禅宰屋を経営して目音禅宰屋と名付けたのがその起源であると聞いてみると、
何かしら懐かしいものを感じるのである。 恵比寿橋祖豪横の汁市もまた大阪のふるさとだ。
汁市は白味噌のねっとりした汁を食べさす小さな店であるが、 汁の他に飯も酒も出さず、
ただ汁一点張りに飽きなっているややこしい食い物屋である。 けれどもこの汁は土壌、クジラ川、サワラ、アカエ、イカ、
タコ、その他のかやくを注文に応じて中に入れてくれ、 そうした魚のみの他に決まってごぼうのささがきが入っていて、
何とも言えずうまいのである。 私は味が落ちていないのを喜びながら、この暑さにふうふううだるのをものともせず3倍もお香りした。
狭い店の中には腰掛けから半分尻をはみ出させた人や、 立ち待ちしている人などを入れてざっと25人ほどの客がいるが、
驚いたことには解禁シャツなどを着込んだインテリ会社員風の人が多いのである。 彼らはそれぞれ
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おっさんクジラや、とか土壌にしてくれ、とか粋な声で注文して、 運ばれてくるのをすし詰めの中で小さくなりながら、
いかにも神妙な顔をして箸を構えて待っているのである。 何気なくふと、のれんの向こうを通る女の足を見たりしているが、汁が来ると顔を突っ込むようにして、
わき目もふらずに真剣にすするのである。 喫茶店やレストランの軽薄なはいからさと違う、このようなしみじみとした、
落ち着いた、ややこしい情緒を見ると、 私は現代の目まぐるしいわいざつさに魂のよりどころを失った、これらの若いインテリたちが、
たとえ一時的にしろ、ここを魂の安息所として何もかも忘れて、舌の焼けそうな、 熱い白味噌の汁にすすりついているのではないかと思った。
さらに考えるならば、そのような下手者に、 魂の安息所を求めなければならぬところに、現代のインテリの悲しさがあり、
かつ大阪の底墓となき楽しさがあるといえば言えるであろう。 土曜近い暑さのところへ、汁を三杯もすすったので、私は全身汗が走り、
寝ぼけたような回転音を続けている扇風機の風にあたって、 昔、千日前の時技の舞台で、
写真の合間に猛烈な響きを立てて回転した二十寸もある大扇風機や、 扇頭の天井に仕掛けたブルンブルンなる大内輪を思い出しながら、
汁市を出ると、 足は恵比寿橋を横切り、御堂筋を越えて四橋の文学座へ向いた。
伝々と、三味線が太く哀愁を装させ、 太陽が腹に入れた木の枕をしっかり抑えて、
かつて恋で、松茂氏が大阪人は上塗りを唸る時が一番利口に見えると言われたあの声を唸り出し、
文五郎が思いを込めた抱き方で人形を抱えて舞台に現れると、
ああここは大阪があると私は思うのである。 そうしてこれが一番大阪的であると私が思うのは、
これらの文楽の芸人たちがその血の出るような修行ぶりによっても、 また文学以外に何の関心も興味も持たずに、
アホと思えるほど一途の道をコツコツ歩いていくその生活態度によっても、 大阪に指より数えるほどしか見当たらぬ風変わりな人たちであるためにほかならず、
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かつ彼らのアホぶりがやがて神に近づくありがたい道だと何かしら教えられるためである。
大阪を知らない人から最も大阪的なところを案内してくれと言われると、 僕は法善寺へ連れて行く。
寺と聞いて荷の足を踏むと、 浅草寺だって寺ではないかという。
つまり浅草寺が東京の顔だとすると法善寺は大阪の顔なのである。 法善寺の性格を一口に説明するのは難しい。
つまりはややこしい大寺なのである。 そしてまたややこしいという大阪言葉を説明するのも非常にややこしい。
だから法善寺の性格ほど説明の困難なものはない。 例えば法善寺は千日前にあるのだが入り口が5つある。
千日前。 過去正確に言えば千日前から道頓堀筋へ行く道から入り口が2つある。
道頓堀からの入り口が1つある。 南馬新地からの入り口が2つある。
どの入り口から入ってどこへ抜け出ようとも勝手である。 入る目的によってまた地理的便利不便利によってどう潜り込もうと勝手である。
誰も文句は言わない。
しかし少なくとも寺と名のつく以上劣気とした表門はある。 千日前から道頓堀筋へ抜ける道のちょうど真ん中ぐらいの
蓄音機屋と洋品屋の間にその表門がある。 表門の石の敷居をまたいで一歩入ると何か地面がずり落ちたような気がする。
敷居のせいかもしれない。 あるいは我々が法善寺の魔法のマントに吸い込まれたその瞬間の錯覚であるかもしれない。
夜ならば千日前界隈の明るさからいきなり変わったそこの暗さのせいかもしれない。 ともあれややこしい錯覚である。境内の奥へ進むと一層ややこしい。
ここはまるで神仏のデパートである。 信仰の流行地帯である。
明神の御所である。 例えば観禅音がある。
喚起典がある。弁財典がある。 稲荷大明神がある。
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弘法大師もあれば不動明王もある。 何でも故意である。
ここへくれば大抵の信心語とはことたりる。 ないのはキリスト教と天理教だけである。
どこにどれがあるのか、何を拝んだら何に聞くのか、我々にはわからない。 しかし彼女たちは知っている。
彼女たち、すなわちこの界隈で働く女たち。 丸曲げの仲居。
パーマネントウェーブをした職業婦人。 もっさりした洋髪の将棋。
こっぽりを履いた半玉。 そして異帳返しや島田の芸者たち。
鷹下駄を履いてコートを着て何事かぶつぶつ願をかけている。 雨の日も欠かさないのだ。
彼女たちはただ腰掛けの文句を拝むだけでは満足できない。 信心には形式がいる。
そこで例えば不動明王の前には井戸がある。 この井戸の水を洗浄水という。
穢れた心を洗いまひょと彼女たちは不動明王の孫像に水をかける。 何十年来一日も欠かさず水を注がれた不動明王の体からは青い苔が吹き出している。
むろん渇いた試しはない。 十日の日が消えぬように。
水をかけ終わるとやがて彼女たちはおみくじを引く。 あ、今日だ。
しかし心配はいらぬ。 石作りの狐が一匹いる。
口に隙間がある。 今日のおみくじを引いたときはその隙間へおみくじを縛り付けておく。
するとまんまと今日を転じて吉とすることができる。 どうか吉にしたっとくなはれ。
祈る女の前に祭仙箱。 頭の上に炎の蒸鎮。
そして線香の匂いが愚かな女の心を女の顔を安らかにする。 そこでほっとひと安心して、さて目音禅剤でも食べまひょか。
大阪の人々の食い意地の汚さは何事にも必死がたい。 今はともかく以前は外出すれば必ず何か食べて帰ったものだ。
だから法善寺にも食い物屋はある。 いやあるどころではない。法善寺全体が食い物店である。
そこに法善寺横丁と呼ばれる路地はまさに食堂である。 3人も並んで歩けないほどの細い路地の両側はほとんど軒並みに飲食店だ。
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目音禅剤はそれらの飲食店の中で最も有名である。 道頓堀川の路地と千日前、
南橋新地の路地の角にあたる角店である。 店の入口にガラス張りの陳列窓があり、そこに古びたおたふく人形が座っている。
おそらく徳川時代からそこに座っているのであろう。 不気味にくすんでちょこんと窮屈そうに座っている。
そして休むいたまもなく愛嬌を振り巻いている。 その横に目音禅剤と書いた大きな提灯がぶら下がっている。
入って禅剤を注文すると、うずっぺらな茶碗に持って2杯ずつ運んでくる。 2杯で一組になっている。
それを目音と名付けたところに大阪の下町的な味がある。 そしてまた入口に大きなおたふく人形を据えたところに大阪のユーモアがある。
ややこしい顔をしたおたふく人形は単に目音禅剤の看板であるばかりでなく、 方善寺の主であり、そしてまた大阪のユーモアの象徴でもあろう。
大阪人はユーモアを愛す。 ユーモアを嗅いす。
ユーモアを作る。 例えば方善寺では目音禅剤の隣に寄せの佳月がある。
僕らが子供の頃、黒い顔の初代春男児が盛んにややこしい話をして船場の伊都藩たちを笑わせて困らせていた佳月は、
今は同じ黒い顔の煙突で年中客止めだ。 さて佳月もはねて帰りにどこぞでと考えると、
小弁単語亭がある。 千日前、南馬新地の路地の西の外にある店がそれだ。
小弁単語というややこしい名前は、当然小弁単語を連想させるが、 昔ここにその小弁の壺があった。
今もないわけではない。 よりによってこんな名前をつけるところは方善寺的、大阪的だが、
ここの関東煮がすこぶるうまいのもさすが大阪である。 いっぱいきげんへ西へ抜け出ると南馬新地である。
もうそこは方善寺ではない。 前方に見えるのは震災橋筋の光の洪水である。
そしてその都会的な光の洪水にあいた時、 大阪人が再び戻ってくるのは方善寺だ。
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1983年発行。作品社。 日本の名随筆旧。
町より読み終わりです。 大阪の地名がちょっと馴染みが、
土地感がないので、 読み違いとかあるかもしれませんね。
大阪好きすぎるね、この人。 いいですね。大阪に一軒行きたいラーメン屋さんがあるんです。
今年中に行きたいなと。 季節のいい頃に。
大阪の皆さん、いずれお邪魔します。 それでは今日はこの辺で、また次回お会いしましょう。おやすみなさい。