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だが、今になって、それが何になりましょう。
これ、ちょっと飛ばしてるんですよ、僕ね。
だが、今になって、それが何になりましょう。
正文は、既にこの世にいないのです。
これではいけないと思いつつも、
この、いないという厳粛な一点に包着するとき、
すべての回答が、ガラガラと音を立てて崩れてしまいます。
その時々、政文が後に残しましたこの詩の手帳は、
私どもにとって、日の手帳としか言いようのないものだったと言えるでしょう。
その限り、この詩の手帳は、
決して、人様にお見せできるものではなかったと言えます。
だが、今、私どもは、ようやくにして、
別な地点に歩み出ようとしています。
もし、いないという厳粛な事実が、
動かしがたいものであるならば、
それを生かす道は、
今生きている多くの少年たちを守る以外に、
他に道はないのではないでしょうか。
私どもにそれを教えてくれたのは、この詩の手帳でした。
この詩の手帳は、私どもにとって、
尽きることのない日の手帳でありながら、
同時に、愛する者がいないということを、
よくよく考えさせてくれる手帳でもあったのでした。
政文の詩が、自死でなかったとしても、
このいないという一点においては、変わりないのです。
この政文の詩が、自死でなかったとしてもってことはね、
やっぱり自死で亡くなるのと、何か事故で亡くなるとかでは、
また意味が全然違ってくるじゃないですか。
自死で亡くなるということに対して、
親としてのやっぱりやりきれなささ、申し訳なさだったとか、
この悔しさっていうものが、もうめちゃくちゃあるわけですよ。
でも、それにずいぶん苦しんだと思うんですよ、きっと。
だけども、自死でなかったとしても、やっぱり、
そもそも亡くなってしまったっていう一点については変わりない。
ここの部分に関してはね。
ちょっと続きを読みます。
政文の詩後、私どもはこの詩の手帳をめくり続けていて、
いつの頃からか、この世の出来事を見る目が変わっていることに気づかされました。
この世には、生きやすく見えながら、
嫌でも生きにくさを直視せざるを得なくする出来事があまりにも多くあります。
それらの出来事が目に触れるとき、
03:01
私どもの全身は、言葉が生まれ出るより先に、
その苦、その悲、その苦しみ、その悲しみのそばに寄り添おうとするようになっていきました。
直接そのそばに行けるものでもなく、また何かができるということでもありませんが、
悲そのもの、苦そのものに寄り添ってしまうのです。
それまでの私どもはそうではありませんでした。
寄り添おうとする思いがなかったのではありませんが、
そこにはまず解釈が先に立っておりました。
それがすーっとただ寄り添ってしまうのです。
しかも、今ははっきりと意識することができますが、
それが政文の死後、私どもを生き続けさせてくれた静かな力でした。
ちなみにその悲っていうのはどういう?
悲っていうのは悲しみの悲?
悲しみの悲っていうのは、
本当に嬉しくて本当に悲しい時って、
慰めの言葉で慰めれるような時期じゃないわけじゃないですか。
僕らが今言葉をもう奪われたのと同じ感じで、
だからもう寄り添うしかできないんですけどね。
寄り添って何ができるかって、何もできないかもしれないんですけど、
でも寄り添いたいし、寄り添うことでしか貢献できないし、
でも寄り添うということが何よりも大事なんだと思っているんですみたいなことが伝わってくるじゃないですか。
自分たちは最愛の息子が亡くなったから、
同じように苦しんでいる子供たちのために力になりたいっていうこの使命を、
息子から受け取ったっていうことが書かれてて、
それが私どもを生き続けさせてくれる静かな力でした。
そういうところまで行かれたっていう。
そうなってきた、それができるようになってきたみたいなことも書いてあるってことだね。
そうですね。
読んでいきましょうかね。
思えば、政文の死に際して、多くの方々から様々に温かい有形無形のお気持ちをいただいております。
それもそのような寄り添いであったのかと、私どもには今しみじみとその有難さをかみしめています。
06:08
政文の死は私どもにとって尽きることない悲しみでありながら、
その悲しみを通してこそ知ることのできた人の心を教えてくれることでもありました。
死の手帳は私どもにとって日の悲しみの証であるとともに、
そのような人の心を教える導きの手でもあったのです。
私どもはそこに思い立ったとき、ようやくこの死を人様にも読んでいただこうという気持ちになってきたのでした。
その死は拙く、幼く拙いものであるとしても、
すべてはそれを人様に読んでいただくことから始まるに違いないという思いが、
今、私どもの胸の中に強中にはあります。
幼い死はそれとして立派に自立していると思えるのです。
しかしまた、そこには儚くして終わった子が、
儚い命であったからこそ、生きていたら結んだであろう人々との出会いの道を、
今、新たに作ってやりたいと願う親の気持ちがないとは言えません。
この刺繍と皆様との出会い、皆様の出会いから何が生まれているでしょう。
悲しい死を遂げたこの息子のこの言葉が、
人々によって生かされ、また同じ年頃の少年少女たちにとって、
生への歩みへの一抜かの糧ともなれば、という祈りにも似た思いが、
今、私どもの胸の底にはあります。
少年よ、その足で大地を踏まえよ。
私にはそう叫ぶ政文の声が聞こえます。
少年少女の皆さん、どうかその心をしたやかに、
強く生き抜いて、この儚いこの言葉を生かしてやってください。
それこそが、この詩を読んでいただこうと思った、私どもの心からの祈りです。
09:14
刺繍は、祈りの刺繍なんですね。
本当に、じゅんさん、語る、こういう言葉にさ、出会った時に、
語ることを否むみたいな感じだったじゃないですか。
小林優香さんとかね、三島由紀夫がね。
あれはね、
美は人を沈黙させるみたいなこと言うんですけど。
僕も今、何十回読んでるんですけどね。
何回でも泣きますね。
それはね、
語り合いたくなる本の一節もあれば、
語り合いたくないのもあるね。
そうですね、そうなんです。
あれは傍者だね。
そうでしょうね。
僕らもね、一緒に働いてる人にもね、
幼くしてお子さん亡くなった人いますけれども、
そういう人ってやっぱり、
その方とかもね、とっても普段楽しんで生きてる感じですけど、
やっぱり悲しみをどっかで抱えながら生きてることに間違いなく痛いし、
そういう人ってたくさんいると思うんですよね。
普段笑顔で過ごしてる奥に、こういう悲しみとか祈りとかを抱えて生きていらっしゃるんだなぁと思って。
これなんかやっぱり、
こうしめさんと岡由里子さんの生き様がすごいですよね。
いざまっていうのは今、読んでくれたところにも表されてた。
この苦しみと悲しみと向き合っていったことがすごい伝わってくるじゃないですか。
12:01
それを生まれて、
刺繍としてこうやって世に出したことも含めて。
俺と岡由里子はここならじゃもういないっていうのは、本当にこういうことなんですよ。
最後の出会いのところのパートとか、ないもんね。
何かより、
刺繍を通じて和紗文君と出会いたいですよね。