主人公の背景
寝落ちの本ポッドキャスト。こんばんは、Naotaroです。 このポッドキャストは、あなたの寝落ちのお手伝いをする番組です。
タイトルを聞いたことがあったり、実際に読んだこともあるような本、 それから興味深そうな本などを淡々と読んでいきます。
エッセイには面白すぎないツッコミを入れることもあるかもしれません。 作品はすべて青空文庫から選んでおります。ご意見ご感想ご依頼は公式Xまでどうぞ。
寝落ちの本で検索してください。 また別途投稿フォームもご用意しました。リクエストなどをお寄せください。
それと最後に番組フォローもどうぞよろしくお願いします。 なんか今日声がかすれているの、風邪ひいたかな?
やめるか? 収録やめるか?
いや、やろう。 収録だけ2回に分けるかもしれないけど、やりましょう。
今日は太宰治さんのトカトントンという テキストを読もうと思います。
トンカチの音らしいんですけどね。 1万3千字。
そうさねぇ。 40分くらいかな。
30分は超えそう。 ぐらいのボリューム感です。
我が家はいつもサクラとカエデという猫2匹の騒音に耐えながら あの手この手で収録してるんですけど、今おわけあってもう一人
シシマルちゃんという若い女の子が大変やんちゃな女の子を預かってまして この子にうちのおばあちゃん猫のサクラがキレ散らかしてるんで
心狭いおばあちゃんってちょっと面白いよね。 いつもより余分な音が入るかもしれませんが、ご容赦ください。
サクッとやっていきましょうか。 どうか寝落ちまでお付き合いください。それでは参ります。
トカトントン 背景一つだけ教えてください。困っているんです。
私は今年26歳です。 生まれたところは青森市の寺町です。
たぶんご存じないでしょうが、寺町の清賀寺の隣に友屋という小さい花屋がありました。 私はその友屋の次男として生まれたのです。
青森の中学校を出て、それから横浜のある軍需工場の事務員になって3年勤め、 それから軍隊で4年間暮らし、無条件幸福と同時に生まれた土地へ帰ってきましたが、
既に家は焼かれ、父と兄と兄嫁と3人、 その焼け跡に哀れな小屋を建てて暮らしていました。
母は私の中学4年の時に死んだのです。 さすがに私はその焼け跡の小さい住宅に潜り込むのは父にも兄夫婦にも気の毒で、
父や兄とも相談の上、このAという青森市から2里ほど離れた海岸の部落の3頭郵便局に勤めることになったのです。
この郵便局は死んだ母の実家で、局長さんは母の兄に当たっているのです。 ここに勤めてからもうかれこれ1か年以上になりますが、
日ましに自分がくだらないものになっていくような気がして、実に困っているのです。 私があなたの小説を読み始めたのは横浜の軍需工場で事務員をしていた時でした。
戦後の葛藤
文体という雑誌に載っていたあなたの短い小説を読んでから、それからあなたの作品を探して読む癖がついて、いろいろ読んでいるうちにあなたが私の中学校の先輩であり、
またあなたは中学時代に青森の寺町の豊田さんのお宅にいらしたのだということを知り、胸のつぶれる思いをしました。
ご福屋の豊田さんなら私の家と同じ町内でしたから、私はよく知っているのです。 先代の太宰門さんは太っていらっしゃいましたから、
太宰門というお名前もよく似合っていましたが、 当代の太宰門さんは痩せてそうして粋でいらっしゃるから、羽宰門さんとでもお呼びしたいようでした。
でも皆さんがいいお方のようですね。今度の空襲で豊田さんも全傷し、それに土蔵まで焼け落ちたようでお気の毒です。
私はあなたがあの豊田さんのお家にいらしたことがあるのだということを知り、よっぽど当代の太宰門さんにお願いして紹介状を書いていただき、
あなたをお尋ねしようかと思いましたが、初心者ですから、ただそれを空想してみるばかりで実行の勇気はありませんでした。
そのうちに私は兵隊になって千葉県の海岸の防備に回され、終戦までただもう毎日毎日穴掘りばかりやらされていましたが、
それでもたまに半日でも休暇があると町へ出てあなたの作品を探して読みました。
そしてあなたに手紙を差し上げたくてペンを取ってみたことが何度あったか知れません。けれども背景と書いてそれから何と書いていいのやら、別な用事はないのだし、
それに私はあなたにとってはまるで赤の他人だし、ペンを持っても一人で当惑するばかりなのです。
やがて日本は無条件降伏ということになり、私も故郷に帰りAの郵便局に勤めましたが、こないだ青森へ行ったついでに青森の本屋を覗き、
あなたの作品を探して、そしてあなたも離催して、生まれた土地の金城町に来ているということをあなたの作品によって知り、再び胸のつぶれる思いがいたしました。
それでも私はあなたの御消化に突然訪ねていく勇気はなく、いろいろ考えた末、とにかく手紙を書きしたためることにしたのです。
今度は私も背景と書いただけで途方にくれるようなことはないのです。なぜならこれは用事の手紙ですから、しかも下級の用事です。
教えていただきたいことがあるのです。本当に困っているのです。しかもこれは私一人の問題でなく、他にもこれと似たような思いで悩んでいる人があるような気がしますから、私たちのために教えてください。
横浜の工場にいた時も、また軍隊にいた時も、あなたに手紙を出したい出したいと思い続け、今やっとあなたに手紙を差し上げる、その最初の手紙がこのような喜びの少ない内容なものになろうとは、まったく思いもよらないことでありました。
昭和20年8月15日正午に、私たちは弊社の前の広場に整列させられて、そして、陛下自らのご放送だというほとんど雑音に消されて何一つ聞き取れなかったラジオを聞かされ、
そして、それから、若い中尉がつかつかと壇上に駆け上がって、「聞いたか?わかったか?日本はポツダム宣言を受託し、降参をしたのだ。しかしそれは政治上のことだ。我々軍人はあくまでも好戦を続け、最後には皆一人残らず自決して、もって大きみにお詫びを申し上げる。
自分はもとよりそのつもりでいるのだから、皆もその覚悟をしておれ。いいか?よし、解散。」
そう言って、その若い中尉は壇から降りて眼鏡を外し、歩きながらぽたぽた涙を落としました。
原宿とは、あのような感じを言うのでしょうか。私は突っ立ったまま、あたりがもやもやと暗くなり、どこからともなく冷たい風が吹いてきて、そして私の体が自然に地の底へ沈んでいくように感じました。
死のうと思いました。死ぬのが本当だと思いました。
前方の森がいやにひっそりして漆黒に見えて、そのてっぺんから一群の小鳥が一つまみのごまつぶを空中に投げたように音もなく飛び立ちました。
ああ、その時です。背後の兵舎の方から、誰やら金槌で釘を打つ音が、かすかに、トカトントンと聞こえました。
それを聞いた途端に、目から鱗が落ちるとあんな時の感じを言うのでしょうか。悲壮も厳粛も一瞬のうちに消え、私は月ものから離れたようにきょろりとなり、
なんともどうにも白々しい気持ちで夏の真昼の砂原を眺め見渡し、私にはいかなる考えも何も一つもありませんでした。
そして私はリュックサックにたくさんのものを詰め込んで、ぼんやり故郷に帰還しました。
あの遠くから聞こえてきたかすかな金槌の音が、不思議なぐらいきれいに私からミリタリズムの原因をはぎ取ってくれて、もう再びあの悲壮らしい厳粛らしい悪夢に酔わされるなんてことは絶対になくなったようですが、
しかしその小さい音は私の脳髄の筋てきを射抜いてしまったものか、それ以後現在まで続いて私は実に異様な忌まわしい転換持ちみたいな男になりました。
新たな日常へ
といっても決して凶暴な発作などを起こすというわけではありません。その反対です。
何か物事に感激し奮い立とうとすると、どこからともなくかすかにトカトントンとあの金槌の音が聞こえてきて、
途端に私はキョロリとなり、眼前の風景がまるでもう一変してしまって、映写がふっと中絶して、あとにはただ純白のスクリーンだけが残り、それをまじまじと眺めているような、何とも儚い馬鹿らしい気持ちになるのです。
最初私はこの郵便局に来て、さあこれからは何でも自由に好きな勉強ができるのだ、まず一つ小説でも書いて、そしてあなたのところへ送って読んでいただこうと思い、
郵便局の仕事の暇暇に、軍隊生活の水浴を書いてみたのですが、大いに努力して100枚近く書き進めて、
いよいよ今日明日のうちに完成だという秋の夕暮れ、局の仕事も済んで戦闘へ行き、お湯に温まりながら、今夜これから最後の章を書くにあたり、
お姉銀の首相のような、あんな風の華やかな悲しみの結び方にしようか、それともゴーゴリの喧嘩話式の絶望の終局にしようか、などひどい興奮でワクワクしながら、戦闘の高い天井からぶら下がっている裸電球の光を見上げたとき、
トカトントン、と遠くからあの金槌の音が聞こえたのです。
途端にさっと波が引いて、私はただ薄暗い湯船の隅で、じゃばじゃばお湯をかき回して動いている一個の裸型の男に過ぎなくなりました。
誠につまらない思いで湯船から這い上がって、足の裏の垢など落として、戦闘の他の客たちの排球の話などに耳を傾けていました。
プーシキンもゴーゴリも、それはまるで外国製の歯ブラシの名前みたいな味気ないものに思われました。
戦闘を出て橋を渡り、家へ帰って黙々と飯を食い、それから自分の部屋へ引き上げて、机の上の百枚近くの原稿をパラパラとめくってみて、
あまりのバカバカしさに呆れうんざりして、破る気力もなく、それ以後の毎日の花紙に致しました。
それ以来私は今日も礼、小説らしいものは一行も書きません。
叔父のところに僅かながら蔵書がありますので、時たま明治大正の傑作小説集などを借りて読み、感心したり感心しなかったり、
はなはだ不真面目な態度で吹雪の夜は早寝ということになり、全く精神的でない生活をして、
そのうちに世界美術全集などを見て、以前あんなに好きだったフランスの印象派の絵にはさほど感心せず、
この度は日本の元禄時代の尾形幸林と尾形慶山と二人の仕事に一晩目を見張りました。
幸林の筒字などはセザンヌ、モネ、ゴーギャン、誰の絵よりも優れていると思われました。
こうしてまた、だんだん私のいわゆる精神生活が息を吹き返してきたようで、けれどもさすがに、
自分が幸林健山のような名家になろうなどという大それた野心を起こすことはなく、
まあ片田舎のディラッタレント、そして自分にできる精一杯の仕事は、
朝から晩まで郵便局の窓口に座って他人の紙幣を数えていること。
せいぜいそれくらいのところだが、私のような無能無学の人間には、そんな生活だってあながち堕落の生活ではあるまい。
賢状の王冠というものもあるかもしれん。
平凡な日々の業務に精霊するということこそ、最も高尚な精神生活かもしれない。
などと、少しずつ自分の日々の暮らしにプライドを持ち始めて、その頃ちょうど縁下の切り替えがあり、
こんな片田舎の三都郵便局でも、あ、いやいや、小さい郵便局ほど人手不足で、かえっててんてこまえの忙しさだったようで、
あの頃は私たちは毎日早朝から預金の申告受付だの、救援の消支張りだの、ヘトヘトになっても休むことができず、
都にも私は叔父の位相郎の身分ですから、御恩返しはこの時とばかりに両手がまるで鉄の手袋でもはめているように重くて、
少しも自分の手の感じがしなくなったほどに働きました。
日常の喧騒と苦悩
そんなに働いて死んだように眠って、そしてあくる朝は枕元の目覚まし時計の鳴ると同時に跳ね起き、すぐ局へ出て大掃除を始めます。
掃除などは女の局員がすることになっていたのですが、その縁下切り替えの大騒ぎが始まって以来、
私の働きぶりに異様な弾みがついて、何でもかんでもめちゃくちゃに働きたくなって、
昨日よりは今日、今日よりは明日と、ものすごい加速度を持って、ほとんど半狂乱みたいなしし粉塵を続け、
いよいよ切り替えの騒ぎも今日でおしまいという日に、私はやはり薄暗いうちから起きて、局の掃除を大車輪でやって、
全部きちんと済ましてから、私の受け持ちの窓口のところに腰掛けて、ちょうど朝日が私の顔にまっすぐさしてきて、
私は寝不足の目を細くして、それでもなんだかひどく、得意な満足の気持ちで、
労働は神聖なりという言葉などを思い出し、ほっとため息をついたときに、
トカトントンと、あの音が遠くからかすかに聞こえたような気がして、もうそれっきり。
何もかも一瞬のうちに馬鹿らしくなり、私は立って自分の部屋に行き、布団をかぶって寝てしまいました。
ご飯の知らせが来ても、私は体具合が悪いから今日は起きない、とブキラ坊に言い、
その日は局でも一番忙しかったようで、最も優秀な働き手の私に寝込まれて、実にみんな困った様子でしたが、
私は終日うつらうつら寝むっていました。
おじえの御恩返しも、この私のわがままのために、かえってマイナスになったようでしたが、
もはや私には精魂込めて働く気などは少しもなく、そのあくる日にはひどく朝寝坊をして、
そしてぼんやり私の受け持ちの窓口に座り、あくびばかりして、大抵の仕事は隣の女の局員に任せきりにしていました。
そしてその翌日も、翌翌日も、私は鼻肌気力のないノロノロしていて、不機嫌な、つまり普通のあの窓口局員になりました。
恋の始まり
まだお前はどっか体具合が悪いのか、とおじの局長に聞かれてもうす笑いして、
どこも悪くない、神経衰弱かもしれん、と答えます。
そうだそうだ、とおじは得意そうに、俺もそう睨んでいた。
お前は頭が悪いくせに難しい本を読むからそうなる。
俺はお前のように頭の悪い男は難しいことを考えないようにするのがいいんだ、と言って笑い、私も苦笑しました。
このおじは専門学校を出たはずの男ですが、さっぱりどこにもインテリらしい面影がないんです。
そしてそれから、
私の文章には随分、そうしてそれからが多いでしょう。
これもやはり頭の悪い男の文章の特色でしょうから、
自分でも大いに気になるのですが、でもつい自然に出てしまうので泣き寝入りです。
そうしてそれから、私は恋を始めたのです。
お笑いになってはいけません。いや、笑われたってどうしようもないんです。
金魚鉢の目高が鉢の底から二千くらいの箇所に浮かんでじっと静止して、そうして自ら身こもっているように、
私もぼんやり暮らしながら、一層なしにどうやら恥ずかしい恋を始めていたのでした。
恋を始めると、とても音楽が身に染みてきますね。
あれが恋の病の一番確かな兆候だと思います。
片恋なんです。
でも私はその女の人を好きで好きで仕方がないんです。
その人はこの海岸の部落にたった一軒しかない小さな旅館の女中さんなんです。
まだ二十歳前のようです。
叔父の局長は酒飲みですから、何か部落の宴会がその旅館の奥座敷で開かれたりする度ごとにきっと欠かさずに出かけますので、
叔父とその女中さんとはお互い心やすい様子で、
女中さんが貯金棚保険棚の用事で郵便局の窓口の向こう側に現れると、
叔父は必ずおかしくもないチンプな冗談を言ってその女中さんをからかうんです。
この頃はお前も景気がいいと見えて、なかなか貯金にも精が出るの。
関心関心。
いい旦那でもついたかな?
ああ、つまらない。
と言います。
そして実際つまらなそうな顔をしています。
バンダイクの絵の女の顔ではなく、飛行士の顔に似た顔をしています。
ときた花絵という名前です。
貯金帳にそう書いてあるんです。
以前は宮城県にいたようで。
貯金帳の住所欄には以前のその宮城県の住所も書かれていて、
そうして赤線で消されて、
そのおそばに個々の新しい住所が書き込まれています。
女の局員たちの噂では何でも宮城県の方で戦災にあって、
無条件降伏直前にこの部落へひょっこりやってきた女で、
あの旅館のお上さんの頭一筋のものだとか、
そして身持ちがよろしくないようで、
まだ子供のくせになかなかの凄腕だとかということでしたが、
疎開してきた人でその土地の者たちの評判のいい人なんて一人もありません。
私はそんな凄腕などということは少しも信じませんでしたが、
しかし花絵さんの貯金も決して乏しいものではありませんでした。
郵便局の局員がこんなことを公表してはいけないことになっているんですけど、
とにかく花絵さんは局長にからかわれながらも、
一週間に一度くらいは200円か300円の新円を貯金しに来て、
送付がぐんぐん増えているんです。
まさかいい旦那がついたからとも思いませんが、
私は花絵さんの通帳に200円とか300円とかの反抗を押すために、
なんだか胸がドキドキして顔があがらむのです。
そうして次第に私は苦しくなりました。
花絵さんは決して凄腕なんかじゃないんだけれども、
しかしこの村の人たちはみんな花絵さんを狙ってお金なんかをやって、
そうして花絵さんをダメにしてしまうのではなかろうか。
きっとそうだと思うとぎょっとして夜中にとこからむっくり起き上がったことさえありました。
けれども花絵さんはやっぱり一週間に一度くらいの割で平気でお金を持ってきます。
今はもう胸がドキドキして顔があがらむところか、
あんまり苦しくて顔が青くなり、
顔が青くなり額に油汗のにじみ出るような気持ちで、
花絵さんの取りすまして差し出す障子を張った汚い十円紙幣を、
一枚二枚と数えながら、
谷間に全部引き裂いてしまいたいホストに襲われたことが何度あったか知れません。
そうして私は花絵さんに一言言ってやりたかった。
あの例の教科の小説に出てくる有名なセリフ、
死んでも人のおもちゃになるなと、
きざもきざ、それに私のような野暮な田舎者にはとても言い出し得ないセリフですが、
でも私は大真面目にその一言を言ってやりたくて仕方がなかったんです。
死んでも人のおもちゃになるな、物質がなんだ、金銭がなんだと、
思えば思われるということはやっぱりあるものでしょうか。
秘密の告白
あれは五月の半ば過ぎの頃でした。
花絵さんは例のごとくすまして局の窓口の向こう側に現れ、
どうぞと言ってお金と通帳を私に差し出します。
私はため息をついてそれを受け取り、
悲しい気持で汚い紙幣を一枚二枚と数えます。
そして通帳に金額を記入して黙って花絵さんに返してやります。
五時ごろお暇ですか。
私は自分の耳を疑いました。
春の風にたぶらかされているのではないかと思いました。
それほど低く素早い言葉でした。
お暇でしたら橋にいらして。
そう言ってかすかに笑い、すぐにまたすまして花絵さんは立ち去りました。
私は時計を見ました。
二時少し過ぎでした。
それから五時までだらしない話ですが、私は何をしていたか、
今どうしても思い出すことができないのです。
きっと何やら深刻な顔をしてうろうろして、
突然隣の女の局員に、
今日はいいお天気だなんて曇っている日なのに大声で言って、
相手が驚くとぎょろりと睨んでやって立ち上がって便所へ行ったり、
まるでアホみたいになっていたのでしょう。
五時七八分前に私は家を出ました。
途中自分の両手の指の爪が伸びているのを発見して、
それが何故か実に泣きたいぐらいの気になったのを今でも覚えています。
橋のたもとに花絵さんが立っていました。
スカートが短すぎるように思われました。
長い裸の足をちらっと見て私は目を伏せました。
海の方へ行きましょう。
花絵さんは落ち着いてそう言いました。
花絵さんが先に、それから五六歩離れて私がゆっくり海の方へ歩いて行きました。
そしてそれくらい離れて歩いているのに、
二人の歩調がいつの間にかぴったり合ってしまって困りました。
どん天で風が少しあって、海岸には砂ぼこりが立っていました。
ここが言うわ。
岸に上がっている大きな漁船と漁船の間に花絵さんは入って行って、
そうして砂地に腰を下ろしました。
「いらっしゃい。座ると風が当たらなくて暖かいわ。」
私は花絵さんが両足を前に投げ出して座っている箇所から
二メートルくらい離れたところに腰を下ろしました。
呼び出したりしてごめんなさいね。
でも私、あなたに一言言わずにはいられないのよ。
私の貯金のこと。
ね、変に思っていらっしゃるんでしょう。
私もここだと思い、しゃがれた声で答えました。
変に思っています。
そう思うのが当然ね。
と言って花絵さんはうつむき、裸の足に砂をすくって振りかけながら、
あればね、私のお金じゃないのよ。
私のお金だったら貯金なんかしやしないわ。
いちいち貯金なんてめんどくさい。
なるほどと思い私は黙ってうなずきました。
そうでしょ。あの通帳はね、おかみさんのものなのよ。
でもそれは絶対に秘密よ。
あなた、誰にも言っちゃだめよ。
おかみさんがなぜそんなことをするのか、
私にはぼんやりわかっているんだけど、
でもそれはとても複雑していることなんですから言いたくないわ。
つらいのよ私は。
信じてくださる?
少し笑って花絵さんの目が妙に光ってきたと思ったら、それは涙でした。
私は花絵さんにキスしてやりたくてしようがありませんでした。
花絵さんとならどんな苦労をしてもいいと思いました。
この辺の人たちはみんなだめね。
私、あなたに誤解されてやしないかと思って、
あなたに一言言いたくて、それで今日ね、思い切って。
その時、実際近くの小屋から、
トカトントンという釘打つ音が聞こえたのです。
この時の音は私の原調ではなかったのです。
海岸の佐々木さんの名屋で、事実、音高く釘を打ち始めたのです。
トカトントン、トントントカトンと盛んに打ちます。
私は身震いして立ち上がりました。
わかりました。誰にも言いません。
花絵さんのすぐ後ろに、かなり多量の犬の糞があるのをその時見つけて、
よっぽろそれを花絵さんに注意してやろうかと思いました。
波はだるそうにうねって、
汚い頬をかけた船が岸のすぐ近くをよろよろと通っていきます。
それじゃ、湿気。空気バクバクたるものでした。
貯金がどうだって、俺の知ったことか。
もともと他人なんだ。
失恋と内面的葛藤
人におもちゃになったってどうなったって、
ちょっともそれは俺に関係したことじゃない。
バカバカしい。腹が減った。
それからも花絵さんは相変わらず、
一週間か十日目くらいにお金を持ってきて貯金して、
もう今では何千円かの額になっていますが、
私には少しも興味がありません。
花絵さんの言ったように、それはおかみさんのお金なのか、
またはやっぱり花絵さんのお金なのか、
どっちにしたって、それは全く私には関係のないことですもの。
そして、一体これはどちらが失恋したということになるのかといえば、
私にはどうしても失恋したのは私の方だというような気がしているのですけれども、
しかし、失恋して別段悲しい気も致しませんから、
これはよっぽど変わった失恋の仕方だと思っています。
そして私はまともやぼんやりした普通の局員になったのです。
6月に入ってから、私は用事があって青森へ行き、
偶然労働者のデモを見ました。
それまでは私は社会運動、または政治運動というようなものには、
あまり興味がないというよりは、
絶望に似たものを感じていたのです。
誰がやったって同じようなものなんだ。
また、自分がどのような運動に参加したって、
所詮はその指導者たちの名誉欲か建制欲の乗りかかった船の犠牲になるだけのことだ。
何の疑うところもなく堂々と所信を述べ、
我が言に従えば必ずや、
汝自身、並びに汝の家庭、汝の村、汝の国、
いや、全世界が救われるであろうと御見えを切って、
救われないのは汝らが我が言に従わないからだと嘘吹き、
そうして一人のおいらんに振られて振られて振られ通して、
夜明けになって公娼廃止を叫び、
風前として美男の同志を殴り、
暴れて、うるさがられて、
たまたま勲章をもらい、
中天の意気をもって我が家に駆け込み、
母ちゃんこれだと得意満面。
この勲章の小箱をそっと開けて女房に見せると、
女房は冷たく、
あら、君五等じゃないの。
せめて君二等くらいでなくちゃねえ、
と言い停守がっかり。
などという、
何が何やらまるで反吉偉のような男が、
その政治運動だの社会運動だのに没頭しているものとばかり、
思い込んでいたのです。
それですから、
今年の4月の総選挙も、
民主主義とか何とか言って騒ぎ立てても、
私には一向にその人たちを信用する気が起こらず、
自由党、進歩党は、
相変わらずの古臭い人たちばかりのようで、
まるで問題にならず、
また社会党、共産党は、
嫌に調子づいてはしゃいでいるけれども、
これはまた敗戦便乗とでも言うのでしょうか、
無条件幸福の屍に湧いたうじむじのような不潔な印象を受けすことができず、
4月10日の投票日にも、
私はおじの局長から自由党の加藤さんに入れるようにと言われていたのですが、
はいはいと言って家を出て海岸を散歩して、
それだけで帰宅しました。
社会問題や政治問題についてどれだけ言い立てても、
私たちの日々の暮らしの憂鬱は、
解決されるものではないと思っていたのですが、
しかし私はあの日、
青森で偶然、
労働者のデモを見て、
私の今までの考えは全部間違っていたことに気が付きました。
労働者デモの目撃
生成発達とでも言ったらいいのでしょうか、
なんとまあ楽しそうな行進なのでしょう。
憂鬱の影も卑屈のシワも、
私は一つも見出すことができませんでした。
伸びていく活力だけです。
若い女の人たちも手に旗を持って労働歌を歌い、
私は胸がいっぱいになり涙が出ました。
ああ、日本が戦争に負けてよかったのだと思いました。
生まれて初めて真の自由というものの姿を見たと思いました。
もしこれが政治運動や社会運動から生まれた子だとしたなら、
人間はまず政治思想、社会思想をこそ大事に学ぶべきだと思いました。
なおも行進を見ているうちに、
自分の行くべき一条の光の道が、
いよいよ間違いなしに触知せられたような大歓喜の気分になり、
涙が気持ちよく頬を流れて、
そして水に潜って目を開いてみた時のように、
辺りの風景がぼんやり緑色に煙って、
そしてその薄明かりの洋々と動いている中を、
真紅の旗が燃えている有様を、
ああ、その色を私はめそめそ泣きながら、
死んでも忘れないと思ったら、
トカトントンと遠くかすかに聞こえて、
もう恐れっ気になりました。
一体あの音は何でしょう。
ニヒルなどと簡単に片付けられそうもないんです。
あのトカトントンの幻聴はニヒルを抑え打ち壊してしまうのです。
夏になるとこの地方の青年たちの間で、
にわかにスポーツ熱が盛んになりました。
私には多少年寄り臭い実利主義的な傾向でもあるのでしょうか。
何の意味もなく真っ裸になって相撲を取り、
投げられて大怪我をしたり、
顔つけを変えて走って誰よりも誰が速いとか、
どうせ100m20秒の組でどんぐりの正並べなのに、
わがまかしいというような気がして、
青年たちのそんなスポーツに参加しようと思ったことは一度もなかったのです。
けれども今年の8月に、
この海岸線の各部落を縫って走破する駅伝競争というものがあって、
この軍の青年たちが大勢参加し、
このAの郵便局もその競争の中継所ということになり、
青森を出発した選手がここで次の選手と交代になるのだそうで。
午前10時少し過ぎ、
そろそろ青森を出発した選手たちがここへ到着する頃だというので、
局の者たちは皆外で見物に出て、
私と局長だけ局に残って会員保険の整理をしていましたが、
やがて来た来たというどよめきが聞こえ、
私は立って窓から見ていましたら、
それがすなわちラストヘビーというもののつもりなのでしょう。
両手の指の股をカエルの手のように広げ、
空気をかき分けて進むというような奇妙な腕の振り具合で、
そして真っ裸にパンツ一つ、もちろん裸足で、
大きい胸を高く突き上げ、
クモの表情をよろしく首を反らして左右に動かし、
よたよたよたと走って局の前まで来て、
うーんと一声唸って倒れ、
よし頑張ったぞと突き沿いの者が叫んで、
それを抱き上げ、私の見ている窓の下に連れてきて、
用意の手桶の水をざぶりとその選手にぶっかけ、
選手はほとんど半死半生の危険な状態のようにも見え、
顔は真っ青でぐたりとなって寝ているその姿を眺めて、
私は実に異様な感激に襲われたのです。
可憐、などと26歳の私が言うのも思い上がっているようですが、
いじらしさといえばいいか、
とにかく力の浪費もここまで来ると見事なものだと思いました。
この人たちが1等を取ったって2等を取ったって、
世間はそれにほとんど興味を感じないのに、
それでも命がけでラストヘビーなんかやっているのです。
別にこの駅伝競争によって、
いわゆる文化国家を建設しようという理想を持っているわけでもないでしょうし、
また理想も何もないのに、
それでもお亭祭からそんな理想を口にして走って、
もって世間の人たちに褒められようなどとも思っていないでしょう。
また将来大マラソン家になろうという野心もなく、
どうせ田舎のかけっからでタイムも何も問題にならんことはよく知っているでしょうし、
家へ帰ってもその家族の者たちに手柄話などする気もなく、
かえってお父さんに叱られはせぬかと心配して、
けれどもそれでも走りたいのです。
命がけでやってみたいのです。
誰にも褒められなくてもいいんです。
トカトントンの音
ただ走ってみたいのです。
無報酬の行為です。
幼児の危ない木登りには、
まだ柿の実を摂って食おうという欲がありましたが、
この命がけのマラソンにはそれさえありません。
ほとんど虚無の情熱だと思いました。
それがその時の私の空虚な気分にぴったり合ってしまったのです。
私は局員たちを相手にキャッチボールを始めました。
ヘトヘトになるまで続けると何か脱皮に似た爽やかさが感じられ、
これだと思った途端にやはりあのトカトントンが聞こえるのです。
あのトカトントンの音は虚無の情熱をさえ打ち倒します。
もうこの頃ではあのトカトントンがいよいよ頻繁に聞こえ、
新聞を広げて新憲法を一条一条熟読しようとするとトカトントン。
局の人事について叔父から相談をかけられ、
明暗がふっと胸に浮かんでもトカトントン。
あなたの小説を読もうとしてもトカトントン。
この間この部落に火事があって、
起きて火事場に駆けつけようとしてトカトントン。
叔父のお相手で晩御飯の時、
お酒を飲んでもう少し飲んでみようかと思ってトカトントン。
もう気が狂ってしまっているのではなかろうと思って、
これもトカトントン。
離殺を考えトカトントン。
人生というのは一口に言ったら何ですか。
と私は昨夜、
叔父の晩食の相手をしながらふざけた口調で尋ねてみました。
うーん、人生。それはわからん。
しかし世の中はいろとよくさ。
案外の冥頭だと思いました。
そうしてふっと私は闇夜になろうかしらと思いました。
しかし闇夜になって一万円儲けた時のことを考えたら、
すぐトカトントンが聞こえてきました。
教えてください。この音は何でしょう。
そしてこの音から逃れるにはどうしたらいいのでしょう。
私は今実際この音のために身動きができなくなっています。
どうかご返事をください。
なお最後にもう一言付け加えさせていただくなら、
私はこの手紙を半分も書かぬうちにもうトカトントンが盛んに聞こえてきたのです。
こんな手紙を書くつまらなさ。
それでも我慢してとにかくこれだけ書きました。
そしてあんまりつまらないからやけになって嘘ばっかり書いたような気がします。
花江さんなんて女もいないし、デモも見たのじゃないんです。
その他のことも大概嘘のようです。
しかしトカトントンだけは嘘でないようです。
読み返さずこのままお送りいたします。
敬愚。
この気になる手紙を受け取った某作家は無惨にも、
無学無思想の男であったが次のごとき返答を与えた。
背景。
気取った苦悩ですね。
僕はあまり同情してはいないんですよ。
術師の指差すところ、
銃目の見るところのいかなる弁明も成立しない集大を君はまだ避けているようですね。
真の思想は英知よりも勇気を必要とするものです。
又え十章二十八節。
身を殺して魂を殺し、得ぬ者どもを恐るな。
身と魂とを下閉なり滅し、得る者を恐れよ。
幻聴の理解
この場合の恐るは異形の意に近いようです。
このイエスの言に、
霹靂を感じることができたら君の幻聴は止むはずです。
夫人。
1950年発行。
新聴者。
新聴文庫。
リヨンの妻。
より独了読み終わりです。
幻聴なのね。
手紙の形式でしたね。
太宰君も青森の出身ですから、
本当にもらったのかな。
作り話だとは思うけど。
幻聴ね。
いいところで幻聴が聞こえるみたいだね。
そうですか。
冒頭でも申し上げました通り、
猫との日常
普段生活している2匹の猫に加え、
もう1匹新しい子を今一時的に預かっているんですが、
ワンパクでね、
キッチンの上にあった爪楊枝をひょいと落として、
地獄でしたね。
散乱して、
散らばっちゃって。
散らばった先がしかも猫のトイレっていうね。
猫のトイレから爪楊枝を拾う虚しさよ。
やってくれたぜあのクソガキ。
しばらく苦労しそうだな。
色々苦戦苦闘しそうな気がしています。
はい、じゃあ終わりにしよう。
無事寝落ちできた方も、最後までお付き合いいただいた方も、
大変にお疲れ様でした。
といったところで、今日のところはこの辺で。
また次回お会いしましょう。
おやすみなさい。