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寝落ちの本ポッドキャスト 本番はNaotaroです。
このポッドキャストは、あなたの寝落ちのお手伝いをする番組です。
タイトルを聞いたことがあったり、実際に読んだこともあるような本、
それから興味深そうな本などを淡々と読んでいきます。
エッセイには面白すぎないツッコミを入れることもあるかもしれません。
作品はすべて青空文庫から選んでおります。 ご意見ご感想は、公式Xマでどうぞ。
さて今日は、寺田寅彦さんの「子猫」というテキストを読もうかと思います。
寺田寅彦さんは、物理学者にして文学者です。
物理学の方面では、X線に関する研究、それから震災に関する研究などを行い、
文学者としては、科学者の眼差しで日常を切り取った随筆を多く残すということだそうです。
シャープ08でですね、コーヒー文学助説、コーヒー哲学助説というのを読んでるんですけど、
シャープが浅いので、僕自身ポッドキャストとして手探りというか、多分酔っ払いながらやってるとかだと思うんで、聞けたもんじゃないかもしれませんが、
今日は酔ってないので大丈夫です。 タイトルは「子猫」。うちにも猫が2匹いますが、時々鳴き声が入ったり、
高いところから降りた時のドタッと音が入ったりしてますが、 どんなテキストでしょうか。それでは参ります。
「子猫」 これまでかつて猫というもののいたことのない私の家庭に、去年の夏初め、偶然の機会から、
急に2匹の猫が入ってきて、 それが私の家族の日常生活の上に、かなりに鮮明な存在の影を映し始めた。
それは単に小さな子供らの愛部、もしくは願望の目的物ができたというばかりでなく、 私自身の内部生活にも、何らかのかすかな光のようなものを投げ込んだように思われた。
このような小動物の性情に、すでに現れている個性の分化が、まず私を驚かせた。
物を言わない獣類と、人間との間に起こりうる情緒の反応の機微なのに、再び驚かされた。
そして、いつの間にかこの2匹の猫は、私の目の前に立派に人格化されて、 私の家族の一部としての存在を認められるようになってしまった。
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2匹というのは、メスのミケと、オスのタマとである。 ミケは去年の春生まれで、タマの方は2、3ヶ月遅く生まれた。
家へもらわれてきた頃は、まだ本当の子猫であったが、 わずかな月日の間に、もう立派な親猫になってしまった。
いつまでも子猫であってほしいという子供らの願望を追い越して、容赦もなく成長していった。 ミケは神経が鋭敏であるだけに、どこか気難しくて、そしてわがままで贅沢である。
そしてすべての挙動に、どことなく天賀の風がある。 おそらくあらゆる猫族の特性を最も顕著に備えた、
いわば最も猫らしい猫の中の、メス猫らしいメス猫であるかもしれない。 実際よくネズミをとってきた。
家の中には、塔からネズミの影は耐えているらしいのに、 どこからか大小いろいろのネズミを喰わえてきた。
しかし必ずしもそれを喰うのではなく、そのままに打ち捨ててあるのを、 タマが失敬して肩をつけることもあるようだし、
また人間の我々が糸で縛って交番へ届けることもあった。 生存に直接金融な本能の表現が、
猫の場合ですらもうすでに明白な文化を遂げて、 いわば一種の遊戯に変化しているのは注意すべきことだと思ったりした。
タマの方は、ミケとは反対に神経が痴鈍でお人よしであると同時に、 挙動がなんとなく武骨で素朴であった。
どうかするとむしろ犬の特性を思い出させるところがあった。 家へ来たトウザは化粧が悪くて食い意地が汚くて、
うやみにガツガツしていたので、女性の家族の間では特に評判が良くなかった。 それで自然にご馳走の良い部分はミケの方に与えられて、
残りの質の悪い分け前がいつでもタマに割り当てられるようになっていた。 しかし不思議なもので、このソヤの頭の食い物に対する趣味は一層なしに向上していって、
同時にあのあまりに見苦しいほどに強かった食欲もだんだん尋常になっていった。 挙動もいくらかは応用らしいところができてきたが、
それでも生まれついた武骨さはそう容易には消えそうもない。 例えば障子の切り穴を抜けるときにも、
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ミケだと体のどの部分も障子の骨に触ることなしに、 するりと音もなく踊り抜けて、向こう側へ降り立つ足音もほとんど聞こえぬぐらいに柔らかであるが、
それがタマだとまるで様子が違う。 腹高背高あるいは後足高、どこかしらきっと障子の骨にぶつかって激しい音を立て、
そして足音高く縁側に降りるというよりむしろ落ちるのである。 この区別はあるいは一般に私優の区別に相当する共通のものであるかどうか私にはわからない。
しかし考えてみると、人間の同じ性の者の中でもこれに似た区別がかなりいい著。 ちょっと一つの部屋から隣の部屋へ行くときにも、
必ず間のからかみにぶつかり、縁側を歩くときにも勇ましい足音を立てないでは歩かない人と、
また気味の悪いほどに物音を立てない人とがあることを考えてみると、 ミケとタマとの場合に主な差別はやはり性の相違ばかりではなくて個性の差に着せられるべきものかもしれない。
今年の春光の頃になってからミケの生活に著しい変化が起こってきた。 それまではほとんど家を開けることのなかったのが、毎日のように外出を始めた。
従来はよその猫を見るとおかしいほどに恐れて敵意を示していたのが、 どうしたことか見知らぬ猫と庭の隅を歩いているのを見かけることもあった。
一日あるいはどうかするとそれ以上も姿を隠すことがあった。 初めはもしや猫殺しの手にでもかかったのではないかと心配して、近所中を訪ねさせたりしたこともあったが、
そうしていると夜明け方などにふいと帰ってきた。 平成は艶々しい毛色が妙に薄汚く汚れて、顔もいつとなく目立って痩せて目つきが険しくなってきた。
そして食欲も著しく減退した。 うちの三家が変な泥棒猫と隣の屋根で喧嘩をしていたというような報告を子供の口から聞かされることもあった。
私はなんとなしに恐ろしいような気がした。 自分では何事も知らない間にこの可憐な小動物の肉体の内部に不可抗な自然の命令で
避け難い変化が起こりつつあった。 そういうこととは夢にも知らない彼女は、
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ただ体に襲いかかる不可思議な威力の圧迫に恐れおののきながら、 春光の霜の夜に知らぬ軒馬をさまよい歩いているのであった。
私は今更のように自然の法則の恐ろしさを感じると同時に、 その恐ろしさを抑え何のためとも自覚しえない猫を哀れに思うのであった。
そのうちにまたいつとなく三家の生活は以前のように平静になったが、 その時には今までの子猫ではなくて立派に一人前の母になっていた。
いつも出入りする障子の穴が彼女のためには日ごとに狭くなっていくのであった。
出入りの旅ごとにその重い腹部をかなり強く障子にぶっつけた。 どうかすると不作法な魂よりも激しい音を立ててやっとくぐり抜けることもあった。
人間でさえもほんの少しばかりいつもより唾の広い麦わら帽をかぶるともう見当が違って、 いろいろなものにぶっつかるぐらいであるからいかに神経の鋭敏な三家でも。
日々に進行する体の変化に適応して運動を調節することはできなかったに違いない。 それはとにかく私はそれがために胎児や母体に何か悪い影響がありはしないかという気がしたが、
しかし別にどうするでもなくそのままに売っちゃっておいた。 どんな子猫が生まれるだろうかということが私の子供らの間にしばしば問題になっていた。
いろいろな勝手な希望も持ち出された。 そしてめいめいの小さな頭にやがて来るべき奇跡の日を描いてそれを待ち遠しがっているのであった。
今度生まれたのは全部家で飼ってほしいという願いを両親に提出するのもあった。 ある日家族の大部分は博覧会見物に出かけた。
私は留守番をして 珍しく静かな開花の居室で仕事をしていたが、
いつもとは違って泣き立てる美家の声が耳についた。 食物をねだるときや外から帰ってくる主人を見かけて泣くのとは少し様子が違っていた。
そしてなんとなく不安で落ち着けないといったような風で私のそばへ来るかと思うと縁側に出たり、
また何度の中に何者か探すようにさまよっては哀れな泣き声を立てていた。 かつて経験のない私にもこのいつにない美家の挙動の意味は明らかに直感された。
そして困ったものだと思った。 妻はいないし、家にいる私の母も年のいかぬ下女もいずれも猫の出産に際して取るべき適当の処置については何ら予備知識も持ち合わせなかったのである。
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ともかくも古い穴氷の蓋に古い座布団を入れたのを茶の間のタンスの陰に用意して、その中に美家を座らせた。
しかし平成からその座り所や寝所に対してひどく気難しいこの猫は、そのような慣れない山室に一刻も落ち着いて寝てはいなかった。
そして物に疲れたようにそこら中をうろついていた。 昼過ぎに二階へ上っていたら、階段の下から下女が大きな声を立てて猫の異常を訴えてきた。
降りてきてみると美家は今の園の下で土ぼこりにまみれたネズミ色の団塊を一生懸命で舐めころがしていた。
それはほとんど生きているとは思われない生子のような団塊であったが、 時々見かけに似合わぬ感高い産声を上げて泣いていた。
美家は全く途方に暮れているように見えた。 赤子の首筋を加えて庭の方へ行こうとしているかと思うと、途中で地上に下ろしてまた舐めころがしている。
とうとうその土にまみれた気味悪く濡れ汚れたものを加えて私たちの居間に持ち込んできた。 そして私の座布団の上へ下ろして、その上で人間ならば三羽のすべき
処生児の捜査法を行おうとするのである。 私は急いで例の柳氷の蓋を持ってきて親子をその中に安置したが、
ちょっとの間もそこにはいてくれないので、すぐにまた座敷中を引きずり歩くのであった。 踏悪した私は裏の物置へその氷を持ち込んでいって、そこに親子を閉じ込めてしまった。
残酷のような気もしたが、家中の畳を汚されるのは私には絶えがたい不愉快であった。 物置の扉を激しく引っ掻く音がすると思っていると、突然高い無双窓に美家の姿が現れた。
子猫を食わえたままに突っ立ち上がって窓の隙間から出ようとして、狂気のようにもがいている様は本当にものすごいようであった。
その時の美家の姿勢と恐ろしい目つきとは、今でも忘れることのできないように私の頭に焼き付けられた。
急いで灯を焼けてやった。 よく見ると子猫の体が真っ黒になっているし、美家の四足もちょうど茄藩を生えたように黒くなっている。
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この間中、板塀の土台を塗るために使った防腐塗料をバケツに入れたのが物置の窓の下に置いてあった。
その中に子猫を取り落としたものと思われた。 頭から油を浴びた子猫はもう明らかに呼吸が止まっているように見えたが、それでもまだかすかに認められるほどの
うごめ気を示していた。 無骨らしい人間の私は、美家がこの防腐剤にまみれた足と子猫で家中の畳を汚し歩くことに何よりも
陶悪したので、すぐに美家を抱えて風呂場に入って、石鹸で洗浄を始めたが、
このネバネバした油が密静した毛の中に浸透したのは、なかなか容易には取れそうもなかった。
そのうちにもう生命の影も認められないようになった子猫は、 すぐに裏庭の桃の木の下に埋めた。
埋めてしまった後に、 もしやまだ生きていたのではなかったかという不安な心持ちがしてきて非常に嫌な気がした。
しかしそれをもう一度掘り返してみるだけの勇気はどうしてもなかった。
黒い油にまみれたあのおぞましい段階に、再び生命が帰ってこようとも思われなかった。
そのうちに一同が帰宅して、留守中に起こった非常な事件に関する私からの報告を聞いているうちに、
美家はまた第二、第三の文弁を始めた。 私はもうすべての始末を妻に託して二階に上がった。
机の前に座ってやっと落ち着いてみると、 ただでさえ病に弱っている自分の神経が、異常な興奮のためにひどく疲れているのに気がついた。
後から生まれた三匹の子猫はみんな間もなく死んでしまった。
物置に入れられてからの美家の激しい肉体と精神の激動が、 この死残の原因になったのではないかと疑ってみた。
この疑いはいつまでも私の心の奥の方に小さな傷跡のようになって残っている。
桃の木の下に三匹の同胞と共に眠っているあの子猫に関する一種の不安も、 おそらくいつまでも私の良心に軽い刺激となって残るだろう。
産後の経過が尋常でなかった。 美家は全く食欲を失って、
物受けに目をしょぼしょぼさせながら、一日背を丸くして座っていた。
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触ってみると体中の筋肉が細かくおののいているのが感じられた。 これは打ち捨てておいては危険だと思われたので、すぐに近所の家畜病院へ連れて行かせた。
胎児がまだ残っているらしいから、手術をして、 そしてしばらく入院させた方がいいということであった。
10日ばかりの入院中を毎日のように変わるがある子供らが見舞いに行った。 それが帰ってくると美家の様子がどういうふうであったかを聞いてみるが、いつも容量を得ることはできなかった。
あまり頻繁に見に来ると猫の神経を刺激して病気に触ると言って、医師から警告を受けて帰ったものもあった。
物老いは内家畜を預かって治療を施す医者の職業は、 考えてみるとよほど神聖なもののような気がした。
入院中に受けた待遇について何らの判断も記憶も持ち得ないし、 また帰宅しても人間に何事も話すことのできないような患者に、
忠実親切な治療を施すということが当たり前ではあるが何となく美しいことのように思われた。 退院後もしばらく薬をもらっていた。
その三薬の包袋が人間のと全く同じであるが、 名前のところには吉村氏愛病として、その下に活字で豪の字があった。
おそらく美家豪とするところを略したのだろう。 とにかくそれからしばらく愛病豪という美家のあだ名が子供らの間に流行していた。
ある日学校から帰った子供が見慣れぬ子猫を抱いてきた。
うちの門前に誰かが捨てていったものらしい。 白い黒縁のある、そして尻尾の長い種類のものであった。
縁側を歩かせるとまだ足が不確かで、歯舞台のように滑らかな足裏は力なく板の上をずるずる滑った。
美家を連れてきて突き合わせると、美家の方が非常に驚き、恐れて背筋の毛を逆立てた。 しかしそれから数時間の後に行ってみると、
誰かが押入れの中にオルガンの腰掛けを横にして作ってやった穴ぼこの中に、 美家が横に長く寝そべって、そのちぶさにこの子猫が食いついていた。
子猫はポロポロポロとかすかに喉を鳴らし、 美家はクルークルーと今までついぞ聞いたことのない声を出して、
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子猫の頭と言わず背と言わず舐め回していた。 一度目覚めんとして中止されていた母性が、この知らぬよその子猫によって、
一時に呼び覚まされたものと思われた。 私は子を失った親のために、また親を失った子のために、
何がなしに胸の柔らくような満足の感じを禁じることができなかった。 美家の頭にはこの親なし子のチビと自分の産んだことの区別など分かろうはずはなかった。
そしてただ本能の命ずるがままに、まったく自分の満足のためにのみ、 この幼児を育んでいたに相違ない。
しかし我々人間の目で見てはどうしてもそうは思いかねた。 熱い愛情にむせんででもいるような声で、クルークルーと泣きながら子猫を舐めているのを見ていると、
つい引き込まれるように柔らかな情緒の雰囲気に包まれる。 そして人間の場合とこの動物の場合との区別に関する学説などが、
すべて馬鹿らしい、どうでもいいことのように思われてならなかった。 どうかすると私はこのチビが死んだ美家の実施のうちの一つであるような幻覚に捉えられることがあった。
人間の科学に照らせばそれは明白に不可能なことであるが、 しかし猫の精神の世界では確かにこれは死時の再生といっても間違いではない。
人間の精神の世界がNディメンジョンのものとすれば、 記憶というものの欠けている猫の世界は、
Nの1ディメンジョンのものと見慣れないこともない。 チビは大きくなるにつれて可愛くなっていった。
彼は美家にも魂にもない長い尻尾を持っていると同時に、 また美家にも魂にもない正常のある一面を備えていた。
例えば美家は昔肩着の若い母親で、 たまが田舎での所生だとすれば、
チビには都会の山手の坊ちゃんのようなところがあった。 どこか鞘弾けたような、しかしそれがための嫌味のない愛苦しさがあった。
小さな背を立てて長い尻尾を辺の字に曲げて、 よく養母の美家に喧嘩を挑んだが、
美家の方では母親らしくいい加減にあやしていた。 あまりうるさくなると相手になって、かなり手荒く
子猫の首を締め付けて転がしておいて逃げ出すこともあった。 しかしそんな場合に口汚く罵らないだけでも、人間の母親のある階級のものよりは、
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はるかに感じが良かった。 また子猫の方でもどんなに酷くされても、いじけたり拗ねたりしない点が、我々の子供よりもずっと立派なように思われた。
もう独り立ちができるようになって、チビは親戚の家へもらわれていった。 向かいの爺が連れに来た時に、子供らは子猫を美家の側へ連れて行って、
別れでも惜しませるつもりで口々に何か言っていたが、 こればかりは何のこととも理解されようはずはなかった。
チビが永久に去った後に、美家はこの世界に何事も起こらなかったかのように、 縁側の柱の下にしゃがんで気持ちよさそうに目をしょぼしょぼさせていた。
それが在業の深い我々人間には妙に寂しいものに見えるのであった。 それから一両日の間は時々子猫を探すかと思われるような挙動を見せたこともあったが、
それもただそれきりで、やがて私の家の猫にはのどかな平和の日が帰ってきた。 それと同時にほとんど忘れかかっていたタマの存在が明らかになってきた。
子猫に対してタマはおじさんというあだ名をつけられていた。 そして、はなはだ冷淡で素っ気ないおじさんとして、いつもながら不利な批評の商店になっていたが、
もうそれも過去になって、彼もまた元の大きな子猫になってしまった。 子猫に対して見ると、いかにも分別のある母親らしく見えていた美家ですらもやはりそうであった。
一番小さい私の子供に引っかかえられて逃げようとしてもがきながら泣いているところを見たりすると、 なおさらそういうディスイリュージョンを感じるのであった。
夏の末頃になって美家は二度目の産をした。 今度も偶然なコインシデンスで、ちょうど妻が子供を連れて出かけるところであったが、
美家の様子がどうも変であったから少し外出を見合わせて看護させた。 何度の隅の薄暗いところへいつかの氷を置いてその中に寝かせ、
そしてそろそろ腹を撫でてやると、激しく喉をならして喜んだそうである。 そして間もなくやすやすと四匹の子猫を分別した。
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人間のこしらえてやった寝床ではどうしても安心ができないと見えて、 母猫はいつの間にか何度の高い棚の奥に四匹を食わえ込んだ。
子供らはいくら止めても聞かないで、高い踏み台を持ち出してそれを覗きに行くのであった。
私は何とはなしにチェイホフの商品にある子猫と子供の話を思い浮かべて、 あまり厳しくそれを咎める気にもなれなかった。
子猫の目の飽きかかる頃になってから、時々棚の上から下ろして畳の上を這い回らせた。 そういう時は家内中のものが寄り集まってこの大きな奇跡を監視した。
そのようなことを繰り返す日ごと日ごとに、 ほぼつかない足の運びが確かになっていくのが目に立って見えた。
単純な感覚の集合から経験と知識が構成されていく道筋は、 おそらく人間の赤子の場合と似たものではあるまいかと思われた。
そしてその進歩が人間に比べて驚くべく急速であることも拒みがたい。 このように知能のアシンプトートの近い動物の方が、
それの遠い人間に比べてそれに近づく速度の速いという事実は、 かなり注意すべきことだと思ったりした。
物質に関する科学の領域にはこれに似た例は稀であろう。
二匹の子猫はだいたい眉毛に似た毛色をしていた。 一つを太郎、もう一つを二郎と呼んでいた。
あとの二匹は玉のような赤黄色いのと、灰色と茶の島のような縁のあるのとで、 前の赤、あとのお猿と名付けていた。
お猿は顔にある島がいわゆるどこか猿群はに似ていたから誰かがそう名付けたのである。
そうして背中のまだらが虎のようだからヌエだというものもあった。 このヌエだけがメスで、他の三匹はいずれも男性であった。
成長するにつれて四匹の個性の相違が目についてきた。 太郎はおっとりして愛嬌があって、それでやっぱり男らしかった。
二郎もやはりぼっちゃんらしい点は太郎に似ていたが、 なんとなく少し武骨でどんなところがあった。
赤は顔つきからして神経的な狐のようなところがあったが、 実際臆病かあるいは用心深くて、子供らしいところが少なかった。
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お猿はメスだけにどこか珍しいところがあって、 つかまりでもするとけたたましい悲鳴をあげて人を驚かした。
タマを連れてきてお猫の群れへ入れると、 赤と二郎はひどく怯えて背を丸く立てて固くしゃちこばったが、
太郎とお猿はじきに慣れて平気でいた。 タマの方は相変わらず極めて冷淡なおじさんで、 面倒くさがってすぐにどこかへ逃げていってしまった。
四匹の骨子に対する四人の子供の感情にもやはりいろいろの差別があった。 これはどうすることもできない自然の理法であろう。
愛憎はよくないといって愛憎のない世界がもしあったら、 それはどんなに寂しいものかもわからない。
子猫はそれぞれもらわれていった。 太郎はあるデパートメントストアに出ているという夫婦暮らしの家へ、
二郎は少し遠方のあるお屋敷へ、 赤はひとり済みの御陰居さんのところへ、
最後にお猿は近い電車通りの氷屋へそれぞれ片付いていった。 私は記念にと思ってその前に四匹の寝ている姿を油絵の具でスケッチしておいたのが、
今も書斎の棚の上にかかっている。 まずい絵ではあるが、それを見るたびに私は何かしら心が和らぐように思う。
太郎の行った家には多少の縁庫があるので、 幼い子供らは時々様子を見に行った。
お猿の片付いた氷屋も便宜がいいので通りがかりに見に行くそうである。 秋になってからその氷屋は芋屋に変わった。
店先の框の日向に鉱箱を作って居眠りしている姿を私も時々見かける。
前を通るたびにはつい店の中を覗き込みたいような気がするのを自分でもおかしいと思う。
今でも時々家内で子猫の噂が出る。 そして猫にも免れ難い運命の巡客がいつでも問題になった。
この間近所の土部に死んでいた哀れな野良猫の子も引き合いに出て、 同じ運命から拾い上げられて三家に養われ、豊かな家にもらわれていったあのちびが一番の幸運だというものもあれば、
ご隠居さんばかりの家に行った赤が一番楽でいいだろうというものもあった。 妻が特に可愛がっていた太郎が割に幸運でなかったことを残念がっているらしかったが、
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私はどういうものか芋屋の店先に眠っているお猿の運命の行く末に心を惹かれた。 ある夜、夜更けての帰り道に芋屋の角まで来ると、
路地のゴミ箱のそばをそろそろ歩いているお猿の姿を見かけた。 近づいて頭を撫でてやると逃げようともしないでおとなしく撫でられていた。
背中がなんとなく骨立っていてあまり光沢のないらしい毛の手触りも哀れであった。 娘を片付けて後のある場合の父の心を思いながら、私は月の朧な路地を抜けてほど近い我が家へ急いで行った。
私は猫に対して感ずるような純粋な暖かい愛情を人間に対して抱くことのできないのを残念に思う。
そういうことが可能になるためには私は人間より一段高い存在になる必要があるかもしれない。
それはとてもできそうもないし、仮にそれができたとしたときに私はおそらく超人の孤独と悲哀を感じなければなるまい。
凡人の私はやはり子猫でも可愛がって、そして人間は人間として尊敬し、親しみ恐れはばかり、あるいは憎むより他はないかもしれない。
大正十二年一月。
1947年発行。
小宮放流編岩波文庫岩波書店。
寺田寅彦随筆集第2巻より読み終わりです。
うん。
猫ちゃんのお話でした。
うちにも2匹の猫がいると冒頭申し上げましたが、
桜と楓という猫ちゃんがね、2人とも女の子でいますので、
ツイッターX、インスタグラム、TikTokもやっておりますので、すべてひらがなで桜と楓で検索してみてください。
宣伝になってしまいましたが。
それでは今日のところはこの辺で、また次回お会いしましょう。
おやすみなさい。