ポッドキャストの概要
寝落ちの本ポッドキャスト、こんばんは、Naotaroです。このポッドキャストは、あなたの寝落ちのお手伝いをする番組です。
タイトルを聞いたことがあったり、実際に読んだこともあるような本、それから興味深そうな本などをトントンと読んでいきます。
作品は青空文庫から選んでおります。ご意見ご感想ご依頼は公式Xまでどうぞ。
寝落ちの本で検索してください。また投稿本もご用意しました。リクエストなどをお寄せください。
それから、まだしてないよというそこのあなた、ぜひ番組のフォローもよろしくお願いします。
そして最後に気に入っていただけた方、 概要欄のリンクよりおひねりを投げていただけるととても嬉しいです。
どうぞご検討のほどよろしくお願いいたします。 さて、今日は
芥川龍之介さんの或日の大石内蔵助です。 中心蔵の人ですよね。
僕、中心蔵の打ち、阿光四十七市の打ち入りの日って1月14日だと思ってたんですけど12月14日でしたね。
で、今日僕この収録日は12月12日なんですけど、 配信自体は23日とかになるのかな?ちょっと過ぎてますね。
爪が甘いですね。 まあまあ
ずっと残ると思えばいいか、このアーカイブが。 はい。
冬が、冬の雪がしんしんと降っているところで打ち入ってた映像がね、 あの高倉健さんと
あの人、あの人、宮、宮、宮沢えりさんか。
のやつ、子供の頃見たんですよ。それの記憶がずっと残ってますね。 はい。
文字数は9500文字。 なので20分
かなぁ。 はい、それぐらいですかね。
やや短めかもしれません。 エピソードが終わった後、次のエピソードが流れて冒頭のボインビヨーンで目が覚めちゃいました
っていうお便りをもらったんですけど、 目が覚めたってことは寝れてたってことだと思うので、連続再生を切ってみてはいかがでしょうか。
ご検討ください。 ではやっていきましょうかね。どうかお付き合いください。
それでは参ります。
ある日の大石倉之助。 立て切った障子には、うららかな日の光が射して、
さがたる老木の梅の影が何元かの明るみを右の端から左の端まで、 絵のごとく鮮やかに凝している。
元朝野匠の上家来、当時細川家にお預かり中の大石倉之助義勝は、 その障子を後ろにして単然と膝を重ねたまま、さっきから処刑に4年がない。
書物はおそらく細川家の家臣の一人が貸してくれた三国志の中の一冊であろう。
九人一つ座敷にいるうちで片岡玄吾衛門は今しがた川家へ立った。 早見東西門は下の前へ話しに行って未だにここへ帰らない。
あとには吉田中在門、原宗衛門、 麻瀬九大優、小野寺十内、堀部弥兵。
狭間喜兵の6人が精進させている日陰も忘れたように、 あるいは処刑にふけったり、あるいは消息をしたためたりしている。
その6人が6人とも50歳以上の老人ばかり揃っていたせいか、 まだ春の浅い座敷の中は肌寒いばかりにもの静かである。
時たましわ吹きの声をさせる者があっても、 それはかすかに漂っている炭の匂いを動かすほどの音さえ立てない。
倉之助はふと目を三国志から離して遠いところを見るような目をしながら、 静かに手を片わらの火鉢の上にかざした。
金網をかけた火鉢の中には池てある炭の底に美しい赤いものがかんがりと灰を照らしている。
その火気を感じると倉之助の心には安らかな満足の情が今さらのようにあふれてきた。
ちょうど去年の極月十五日に、 亡き君の仇を吹くして戦学寺へ引き上げた時、
彼自ら、「あらたのし、思いははるる身はふつつる、 浮世のつくにかかる雲なし。」と営辞した。
その時の満足が返ってきたのである。 赤尾の城を退去して以来、二年に近い月日をいかに彼は少量と拡作とのうちに過やしたことであろう。
ややもすればやりがちな一刀の画記を構成しておもむろに木の塾するのを待っただけでも並大抵な骨折りではない。
しかも宗家の放った斎作は絶えず彼の身辺をうかがっている。 彼は法辣を装ってこれらの斎作の目を欺くとともに、
あわせてまたその法辣に欺かれた同志の疑惑をも解かなければならなかった。 山品や丸山の暴戯の昔を思い返せば、当時の苦中が再び心の中に蘇ってくる。
しかしもうすべては行くところへ行き着いた。 もしまだ型のつかないものがあるとすれば、それは一刀四十七人に対する功義の御沙汰だけである。
が、その御沙汰があるのもいずれ遠いことではないのに違いない。 そうだ、すべては行くところへ行き着いた。
それも単に復讐の虚が成就したというばかりではない。 すべてが彼の道徳上の要求とほとんど完全に一致するような形式で成就した。
彼は事業を完成した満足を味わったばかりでなく、 道徳を体現した満足をも同時に味わうことができたのである。
しかもその満足は復讐の目的から考えても、手段から考えても、良心の山下に曇らされるところは少しもない。
彼としてこれ以上の満足があり得ようか。 こう思いながら倉之助は眉を述べて、これも初見に生んだのか書物を伏せた膝の上、指で手習いを教え切った吉田駐在門に火鉢のこちらから声をかけた。
今日はよほど暖かいようですな。 ああ、さようでございます。こうしておりましてもどうかするとあんまり暖かいので眠気がさしそうでなりません。
倉之助は微笑した。 この正月の元旦に富野森助衛門が三倍の塗装によって
今日も春。恥ずかしからぬ寝節かな。 と吟じたその句がふと念頭に浮かんだからである。
悔いも吉勝が今感じている満足と変わりはない。 やはり本意を遂げたという気の緩みがあるのでございましょう。
ああ、さようさ。それもありましょう。 駐在門は手元の着せるを取り上げてすすましく一服の煙を味わった。
煙は早春の午後を僅かにくゆらせながら明るい静けさの中に薄青く消えてしまう。 こういうのどかな日を送ることがあろうとは
お互いに思いがけなかったことですからな。 ああ、さようでございます。
手前も二度と春に会おうなどとは夢にも存じませんでした。 我々はよくよく運の良いものと見えますな。
二人は満足そうに目で笑い合った。 もしこの時、吉勝の後ろの少女に影法師が一つ映らなかったら、
そうしてその影法師が少女に引きて手をかけるとともに消えて、 その代わりに早見東西門のたくましい姿が座敷の中へ入ってこなかったなら、
吉勝はいつまでも心よい春の日の暖かさをその誇らかな満足の情とともに味わうことができたのであろう。
復讐の影響
が、現実は血色の良い東西門の両方に浮かんでいる豊かな美少とともに遠慮なく二人の間へ入ってきた。
が、彼らはもちろんそれには気がつかない。 だいぶ霜の間は賑やかのようですな。
駐在門はこう言いながらまた煙草を一服吸いつけた。 今日の当番は田園門殿ですから、それで余計話が弾むんでしょう。
片岡なども今しがたあちらへ参ってそのまま座り込んでしまいました。 どうりこぞ、遅いと思いましたよ。
駐在門は煙にむせて苦しそうに笑った。 すると、しきりに筆を走らせていた小野寺寿内が何かと思った景色でちょいと顔を上げたが、
すぐまた目を神へ落としてせっせと後を書き始める。 これはおそらく京都の西城へ送る消息でもしたためていたものであろう。
倉之助も眼尻の皺を深くして笑いながら、 何か面白い話でもありましたか。
ああ、いえ、相変わらずの胸話ばかりでございます。 もっとも先刻、近松が神座風呂の話をいたしたときには、田園門殿の謎も目に涙をためて聞いておられましたが、そのほかは。
ああ、いや、そういえば面白い話がございました。 われわれが木田殿を討ち取って以来、江戸中に何かと仇打ちじみたことが流行るそうでございます。
ほほう、それは思いもよりませんな。
駐在門は華厳な顔をして東西門を見た。 相手はこの話をして聞かせるのが、なぜか非常に得意らしい。
今も二寄りの話を二つ三つ聞いてきましたが、中でもおかしかったのは、 南八丁堀の港町編にあった話です。
何でも事の起こりは、あの界隈の米屋の店主が、風呂屋で隣同士の今夜の職人と喧嘩をしたんですな。
ああ、どうせ起こりは湯が跳ねかったとか何とかいうつまらないことからなんでしょう。
そしてその挙句に米屋の店主の方が今夜の職人に桶で散々殴られたんだそうです。
すると米屋の弟子が一人、それを異婚に思って、呉方、その職人の外へ出るところを待ち伏せて、いきなり鍵を向うの方へ打ち込んだというじゃありませんか。
それも主人の仇思いしれえと言いながらやったんだそうです。 駐在門は手真似をしながら笑い笑いこう言った。
はっはっ、それはまた乱暴至極ですな。 職人の方は大けがをしたようです。それでも近所の評判はその弟子の方が良いと言うんだから不思議でしょう。
その他まだその通り町3丁目にも一つ、新小島地の2丁目にも一つ、それからもう一つはどこでしたかな。
とにかく処方にあるそうです。それがみんな我々の真似だそうだからおかしいじゃありませんか。 駐在門と駐在門とは顔を見合わせて笑った。
復讐の凶が江戸の人心に与えた影響を耳にするのはどんな策にしても心よりにそういない。 ただ一人倉之助だけは僅かに額へ手を加えたままつまらなそうな顔をして黙っている。
駐在門の話は彼の心の満足に微かながら妙な曇りを落とさせた。 と言ってももちろん彼が彼のした行為のあらゆる結果に責任を持つ気でいたわけではない。
彼らが復讐の凶を果たして以来江戸中に仇討ちが流行したところで、それはもとより彼の両親と風馬牛なのが当然である。
しかしそれにも関わらず彼の心からは今までの春の温もりが幾分か減却したような感じがあった。
事実を言えばその時の彼は単に自分たちのしたことの影響が意外なところまで波動したのにいささか驚いただけなのである。
が普段の彼なら、東西門や駐在門と共に笑って済ませるはずのこの事実が、その時の満足しきった彼の心にはふと不快な種を蒔くことになった。
これはおそらく彼の満足が安々のうちに論理と配置して彼の行為とその結果のすべてとを肯定するほど虫の良い性質を帯びていたからであろう。
もちろん当時の彼の心にはこういう解剖的な考えは少しも入ってこなかった。彼はただ旬風の底に一脈の比例の気を感じて何となく愉快になっただけである。
しかし倉之助の笑わなかったのは、格別二人の注意を引かなかったらしい。
いや、人のいい東西門の御敵は彼自身にとってこの話が興味あるように、倉之助にとっても興味があるものと確信して疑わなかったのであろう。
それでなければ彼はさらに自身下の前を赴いて当日の当直だった細川家の家来堀内伝英門をわざわざこちらへ連れて来などはしなかったのに相違ない。
ところが晩時にまめな彼は仲在門を帰り見て、「伝英門殿を呼んできましょう。」とが何とか言うと、早速隔ての襖を上げて気軽く下の前で向いて行った。
そうしてほどなく見たところから武骨らしい伝英門を伴って相変わらずの微笑をたたえながらとくとくとして帰ってきた。
いやこれは、とんだご祖父郎を願って恐縮でございますな。 仲在門は伝英門の姿を見ると吉勝に代わって微笑しながらこう言った。
伝英門の素朴で親率な性格はお預けになっていない。すとに彼と彼らとの間を呼吸のような御常で繋いでいたからである。
早宮寺が是非こちらへ参れと言われるので、お邪魔とは思いながら曲がり出ました。
伝英門は座につくと太い眉毛を動かしながら日に焼けた頬の筋肉を今にも笑い出しそうに動かしてまんべんなく一座を見回した。
これにつれて書物を読んでいたのも筆を動かしていたのも皆それぞれ挨拶をする。 倉之助もやはり因言に営釈をした。
堀部弥兵の居眠り
ただその中でいささか滑稽の勘があったのは、読みかけた大兵器を前に置いて眼鏡をかけたまま居眠りをしていた堀部弥兵が、目を覚ますが早いか、慌ててその眼鏡を外して丁寧に頭を下げた様子である。
これにはさすがな狭巻兵もよくよくおかしかったものと見えて、肩裏の突いた手の方を向きながら苦しそうな顔をして笑いをこらえていた。
殿屋門殿も老人はお嫌いだと言えて、とかくこちらへはお出になりませんな。 倉之助はいずい似合わない滑らかな調子でこう言った。
幾分か乱されはしたものの、まだ彼の胸底にはさっきの満足の情が温かく流れていたからであろう。
いや、そういうわけではございませんが、何かとあちらの方々に引き止められて、ついそのまま話し込んでしまうのでございます。
今も受け玉あればだいぶ面白い話が出たようでございますな。 駐在門も傍らから口を挟んだ。
面白い話と申しますと。 江戸中で仇討ちの真似事が流行るというあの話でございます。
東西門はこう言って、殿屋門と倉之助とおにこにこしながら当分に見比べた。 ああ、いや、あの話でございますか。
人情というものは実に妙なものでございます。 後一堂の忠義に感じると、長任百姓までそういう真似がしてみたくなるのでございましょう。
これでどのくらい地堕落な上下の風俗が改まるかわかりません。 やれ上塗りの、やれ歌舞伎のと、見たくのもないものばかり流行っている時でございますから、ちょうどよろしいございます。
会話の進行はまた倉之助にとって面白くない方向へ進むらしい。 そこでは彼はわざと重々しい調子でヒゲの字を述べながら巧みにその方向を転換しようとした。
手前たちの忠義をお褒めくださるのはありがたいが、手前一人の両県ではお恥ずかしい方が先に立ちます。 こう言って一座を眺めながら、
なぜかと申しますと、あこう一藩に人も多い中で、ご覧の通りここにおりまする者は、 みな正真者ばかりでございます。
もっとも最初は奥野正弦の友須晩頭も何かと相談に乗ったものでございますが、 中頃から両県を変え、ついに同盟を出しましたのは新外友須より他はございません。
そのほか、新道玄師郎、河村伝表衛、小山玄吾財門などは原相衛門より上席でございますし、 笹小財門なども吉田中財門より身分は上でございますが、みな一旧が近づくにつれて返信いたしました。
その中には手前の親族の者もございます。してみればお恥ずかしい気のするのも無理はございません。 一藩の空気は倉之助のこの言葉とともに今までの勇気さをなくして急に真面目な調子を帯びた。
この意味で会話場、彼の意図通り方向を転換したと言っても差し支えない。 が、転換した方向が果たして倉之助にとって愉快なものだったかどうかは、おのずからまた別な問題である。
彼の実会を聞くと、まず早見藤財門は両手に擦られていた原骨を二三度膝の上に擦りながら、
奴らは皆、揃いも揃った忍畜生ばかりですが、一人として武士の風上にも置けるような奴はおりません。
さよはさ、それも高田軍兵などによると畜生より劣っていまして。 藤財門は眉をあげて賛同を求めるように堀部野兵を見た。
郊外科の野兵はもとより黙っていない。 引上げの朝家康に会った時には通話を吐きかけても飽きたらぬと思いました。
何しろのめのめと我々の前に面を晒した上に、御本望を遂げられ、大敬においたり、などと言うんですからな。
高田も高田じゃが、お山田商財門なども仕様のないたわけもんじゃ。 まぜ旧大優が誰に言うともなくこう言うと、原宗衛門や小野寺十内も、やはり口を等しくして廃命の党を罵り始めた。
寡黙な狭巻兵でさえ口こそ聞かないが、白川頭を頷かせて一堂の意見に賛同の意を表したことはどどである。
何いたせ郷一堂のような中心と一つ御飯に左様な輩がおろうとは考えられも致しませんな。
さればこそ、武士はもとより長任百姓まで犬侍の六盗人の悪行を申しておるようでございます。
岡林木之助殿なども昨年切腹こそ致されたが、やはり親類縁者が申し合わせて爪腹を切らせたのだ、などという風評がございました。
また、余進場そうでないにしても、かような場合に立ち立ってみれば、その御命も受けずにはおられますまい。 まして、余進は尚更のことでございます。
これは足立の真似事を致すほど義に潔みやすい営団のことと申し、かつは兼々郷一堂の御意気通りもあることと申し、さような輩を斬って捨てる者が出ないとも限りませんな。
伝恵門は一言とは思われないような様子で口善とこう言い放った。 この分では誰よりも彼自身がその斬り捨ての人に当たりかねないような勢いである。
これに煽動された吉田、原、早見、堀部などは皆一種の興奮を感じたように、いよいよ手酷く乱心賊士を罵殺しにかかった。
が、その中にただ一人、大石倉之助だけは両手を膝の上に乗せたまま、いよいよつまらなそうな顔をして、だんだん口数を減らしながらぼんやり火鉢の中を眺めている。
彼は彼の転換した方面へ会話が進行した結果、変身した亡き崩壊の代化で彼らの忠義がますます褒め添えされているという新しい事実を発見した。
そうしてそれと共に、彼の胸底に吹いていた春風が、再び幾分の温もりを厳却した。
もちろん彼が敗名のとのために惜しんだのは、単に会話の方向を転じたかったためばかりではない。
彼としては、実際彼らの変身を遺憾とも不快とも思っていた。
が、彼はそれらの不忠の侍をも憐れみこそすれ憎いとは思っていない。
仁城の後輩も、瀬戸の天辺も、つぶさに味わってきた彼の眼から見れば、彼らの変身の多くは自然すぎるほど自然であった。
もし新卒という言葉が許されるとすれば、気の毒なくらい新卒であった。
したがって、彼は彼らに対しても、終始寛容の態度を改めなかった。
まして復讐のことなった今になってみれば、彼らに与うべきものはただ便称が残っているだけである。
それを世間は殺してもなお飽きたらないように思っているらしい。
なぜ我々を忠義の人とするためには、彼らを忍畜将としなければならないのであろう。
我々と彼らとの差は存外大きなものではない。
江戸の長人に与えた妙な影響を、前に心良からず思った倉之助は、それとはやや違った意味で、今度は廃命の党が被った影響を、伝維門によって代表された天下の功労の中に監視した。
彼が苦い顔をしたのも決して偶然ではない。
しかし倉之助の不快は、まだこの上に最後の仕上げを受ける運命を持っていた。
彼の無言でいるのを見た伝維門は、多方それを彼らしい謙虚な心持ちの結果とでも推測したのであろう。
いよいよ彼の人柄に軽複した。その軽複さ加減を比例するために、この木直な彦侍は、無理に和党を一転すると、たちまち倉之助の忠言に対する盛んな短章の字を並べ始めた。
果実も去るものしいから受けたまりましたが、もろこしの何とやら申す侍は、酢みを飲んで大志になってしまってでも、主人の仇を付け狙ったそうでございますな。
しかしそれは、倉之助殿のように心にもない崩落を尽くされるよりは、まだまだ苦しくない方ではございますまいか。
殿苑門はこういう前置きをして、それから倉之助が乱行を尽くした一年前の逸文を長々と喋り出した。
鷹尾や旗子のもみじ狩りも、陽境の彼にはどのくらいつらかったことであろう。
島原や義温の花見の縁も、苦肉の剣にふけている彼には苦しかったのにそういない。
受け玉あれば、その頃京都では、大石軽くて張り抜き石、などと申す歌も流行りましたよしを聞き及びました。
それほどまでに天下を欺き要せるのは、欲々のことでなければできますまい。
先頃、天野八重門様が親友だと御賞美になったのも至極道理なことでございます。
いや、それほど何も大したことではございません。 倉之助は不勝不勝に答えた。
その人に高ぶらない態度が、殿苑門にとっては物足りないと同時に、一層の奥行かしさを感じさせたと見えて、
今まで倉之助の方を向いていた彼は、永年京都金番を務めていた小野寺従来の方へ向きを変えると、ますます熱心に
水服の衣を漏らし始めた。 その子供らしい熱心さが、一等の中でも通人の名の高い従来にはおかしいと同時に可愛かったのであろう。
彼は素直に殿苑門の衣を迎えて、当時倉之助が旧歌の再作を欺くために、衣をまとって真瀬谷の夕霧の下へ通い詰めた話を、こと明細に話して聞かせた。
あの通り真面目な顔をしている倉之助が、当時は佐渡儀式と申す歌を作ったこともございました。
それがまたなかなか評判で、蔵中どこでも歌わなかったところはなかったぐらいでございます。
そこへ当時の倉之助の風俗が、隅々の衣の姿で、あの儀音の桜が散る中を、浮浪浮浪と添やされながら寄って歩くというのでございましょう。
佐渡儀式の歌が流行ったり、倉之助の乱行も名高くなったりしたのは少しも無理はございません。何しろ湯切りといい浮浪といい、
島原や下久町の名高い俳優たちでも、倉之助といえば下に儲かぬように扱うという騒ぎでございましたから。
倉之助は、こういう渋内の話をほとんど無別されたような心持ちで苦々しく聞いていた。と同時にまた、昔の放脱の記憶を思い出すともなく思い出した。
それは彼にとっては不思議なほど色彩の鮮やかな記憶である。
彼はその思い出の中に、長ろうそくの光を見、キャラの油の匂いを嗅ぎ、かがぶしの三味線の音を聞いた。
いや、今渋内が言った里景色の、
さすがは涙のバラバラ袖に、こぼれて袖に霧の様子があの浮きつとめ、という文句さえ春秋の中から抜け出したような、
湯切りや浮橋の生めかしい姿と共に歴々と心中に浮かんできた。
いかに彼はこの記憶の中に出没するあらゆる放脱の生活を思い切って授与したことであろう。
そしてまた、いかに彼はその放脱の生活の中に復讐の凶を全然忘却した対等たる瞬間を味わったことであろう。
彼は己を欺いてこの事実を否定するにはあまりに正直な人間であった。
もちろんこの事実が不道徳なものだ、などということも人間性に明らかな彼にとって無双さえできないところである。
したがって彼の放脱のすべてを、彼の忠義を尽くす手段として激称されるのは不快であると共に後ろめたい。
こう考えている倉之助が、そのいわゆる妖狂苦肉の刑を褒められて苦い顔をしたのに不思議はない。
彼は再度の打撃を受けて、僅かに残っていた瞬間の旬風がみるみる中に吹き尽くしてしまったことを意識した。
後に残っているのは一切の誤解に対する反感と、その誤解を予想しなかった彼自身の愚かに対する反感とが、うずらさむく影を広げているばかりである。
大石倉之助の葛藤
彼の復讐の虚も、彼の動詞も、最後にまた彼自身も、たぶんこのまま勝手な称賛の声と共に後代まで伝えられることであろう。
こういう不快な事実と向き合いながら、彼は日の毛の薄くなった火鉢に手をかざすと、玄閻門の目を避けて情けなさそうにため息をした。
それから何分か後である。
河谷へ行くのに駆けつけて座を外してきた大石倉之介は一人縁側の柱に寄りかかって、甘梅の老木が古庭の苔と石との間に手切りきたる花をつけたのを眺めていた。
日の色はもう薄れ切って植え込みの竹の陰からは早くも黄昏が広がろうとするらしい。
が、少女の中では相変わらず面白そうな話し声が続いている。
彼はそれを聞いている中に自ら一味の愛情が重々に彼を包んでくるのを意識した。
このかすかな梅の匂いにつれて冴え返る心の底へ染み通ってくる寂しさは、この異様のない寂しさは一体どこから来るのであろう。
倉之介は青空に雑願をしたような固く冷たい花を仰ぎながらいつまでもじっと佇んでいた。
大正六年八月十五日。
1986年発行 竹間書房 竹間文庫 芥川龍之介全集2 より独了 読み終わりです。
うーん、なるほど。 朝の匠の神、自分のお殿様が切腹を命ずられてからお家取り潰しにあり、
あい、
えーと、 殿の仇を討つまで2年間、
仇を警戒されてはなるまい、つって遊びほうけるはずなんですよね。 遊びほうけてる間に200人ぐらいいた、
元の家臣たちは、
大石倉之介殿は本気で復讐するつもりがないかもしれない、つって離れ離れになっていって最後に残ったのが47人だったと
記憶してますけども。
だから見事復讐を遂げた47人を褒め添えされますが、離れていった残りの150何人ぐらいは全然出てこないっていうね。
それを落語にしたのが、あれ篠介師匠がやってたような気がするな。違ったっけ、わかんないな。
その辺は皆さんの方が詳しいと思いますけど。 まあでもさすが芥川君なんで、心の闇の部分にこう照らす感じがね。
いくらこう ミッションコンプリートして褒められても褒められても、まあ騙すためとはいえ散々遊んだんだよなーっていうところが
引っかかってるっていうね。 らしいなという感じがします。
なんか久しぶりに高倉健さんバージョンの 中心ぐらい見たくなってきたなぁ。
アマプラにあるかしら。 天中松の廊下で朝野巧の神が人情に及び。ってやつね。
宮沢えりさんの 立ち位置が多分子供の頃見てたからあんまり横勝ってないので、大人になって見返してみたいな。
昔のやつってあんまり配信されてないんですよね。 多分DVDまでが限界で、なかなかデジタル版になってないことが多くて。
ねえそうなんだよね。 あれ見たいあれがないなーって結構思うんだよな。
ちょっと探してみましょう。 それでは終わりにしていきましょう。
無事に寝落ちてきた方も、最後までお付き合い頂けた方も大変にお疲れ様でした。
といったところで今日のところはこの辺で。 また次回お会いしましょう。おやすみなさい。