1. ボイスドラマで学ぶ「日本の歴史」
  2. 「赤穂事件 内蔵助の流儀」 全..
江戸5代将軍綱吉の時代に、江戸城松の廊下で起こった刃傷沙汰を起こした赤穂藩主”浅野内匠頭”に対する一方的な裁定に、赤穂藩国家老”大石内蔵助”他46人の浪士が奮起した事件。
藩主が江戸刃傷事件を起こしたことに動揺する、国家老大石内蔵助。刃傷事件の真相解明と、お家再興を誓い、大仕事に乗り出す。

●脚本:齋藤 智子
●演出:岡田 寧
●出演:
 大石内蔵助:田邉将輝
 大石りく:柏谷翔子
 竹田出雲:吉川秀輝
 大石松之丞改め主税:大内唯
 萱野三平:秋谷柊弥
 浅野長矩・武士:平塚蓮
 梶川与惣兵衛・間重次郎:望生
 堀部安兵衛:本山勇賢
 瑤泉院:小田ひかり
 大野九郎兵衛・高田郡兵衛・仙石久尚:濱嵜凌
 寺坂吉右衛門:大東英史
●選曲・効果:ショウ迫
●音楽協力:エィチ・ミックス・ギャラリー、甘茶
●スタジオ協力:スタッフ・アネックス
●プロデューサー:富山真明
●制作:株式会社Pitpa

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ボイスドラマで学ぶ日本の歴史。 ナビゲーターを務めます熊谷陽子です。
この番組は、日本の歴史の時々で、命を削りながらも懸命に生きてきた人物にスポットを当てて、ボイスドラマとして再現いたしました。
このプロローグでは、本編をより楽しんでいただくために、物語の時代背景、 登場人物、またその時に起きた事件などを簡単にご紹介するエピソードです。
歴史について詳しい方は、いきなり本編からお聞きいただいても楽しめる作品ではございますが、それも含めて簡単におさらいしたいなぁと思われましたら、ぜひこのプロローグから聞いてください。
それでは早速、シーズン4のエピソードをご紹介していきましょう。
今回取り上げたのは、あこう事件。そうです、あの誰もが一度は耳にしたことがあるであろう、中心蔵のもととなった実話の事件です。
このあこう事件を簡単に説明しますと、元禄14年、1701年3月14日に、あこうの国、そうですね、今の兵庫県の西の方あたりですね、
このあこうの国の藩主、朝野匠の神が江戸城松の大廊下と言われる将軍に越見する部屋に続いている大廊下で、皇家旗元の喜良光助之助に対して起こした忍状事件です。
忍状というのは刀に傷と書くのですが、刀を抜いて斬りかかって怪我をさせた事件でして、実はその当日江戸城では時の将軍徳川綱吉が朝廷からの使者を招いて接待をしている最中でしたので、
この忍状事件に綱吉が激怒したんですね。朝野匠の神を即日切腹。朝野家は老いへ断絶。これはかなり重い罪、この重い罪を受けることになってしまうのです。
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まあ江戸城内で忍状事件を起こしてしまったわけですから、この重い罰を受けるのも真っ当な判決ではあったんですが、朝野家の家臣たちは消せなかった。
それは斬られた斬ら光月之助は生きていて何にも罰を受けなかったからということだったんです。というのも当時の武士の習わしというのは、喧嘩両正敗というのが鉄則だったんですね。
まあ襲われた方も襲われる何かの理由があるから襲われたんだという、そういった考え方。ですので喧嘩両正敗だからどちらも罰を受けるというのが一般的だったようです。
この斬らに対する無罪処分に対して朝野家の家臣たちは奮起するんですね。朝野家の国賀老という、国賀老っていうのは参勤交代なんかで殿様が江戸に行っちゃってる時にですね、留守を預かる事実上のトップの家臣ということなんですが、
この国賀老、大石倉之介、この倉之介を中心に右洋曲折ありながら最後は残った47人のいわゆる四十七士ですよ。
この四十七士が1年半後の元禄十五年、1702年12月14日の深夜に平亭に侵入して見事平小助之介を打ち取って自身の老家の仇討ちをやり遂げるんです。
この仇討ちに江戸支柱はよくぞ仇討ちをしたと喝采を浴びるんですが、この実行犯47人のうち46人が討ち入りを幕府に報告して、その後幕府の指示に従って全員が切腹するという事件でした。
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まあ46人ですよね。
四十七士、一人足りないそうなんです。
一人だけ行方をくらました人がいるんです。
まあそれ以外の46人が切腹するという事件なんですが、この人情事件が起きた47年後、これは四十七士に賭けたとも言われているんですけれども、
47年後、1748年の8月に武田出雲らによって上方大阪で発表されたのが、奏本中心倶楽という人形浄瑠璃劇。
まあこれがですね、現代にも続いている中心倶楽の元になるものなんですね。
この作品、発表された当初から連日連夜大入りも大入り、前代未聞の観客数を厚めに集めたという、まさに江戸時代の鬼滅の刃みたいな感じですかね。
芝居小屋の運営に困ったら中心倶楽をやれば持ち直すと言われるぐらい江戸文化を代表する一大大エンターテイメントとして社会現象になっていくんですね。
浄瑠璃以外にもですね、歌舞伎、抗断、偽作など様々なエンタメに派生して、歌舞伎の中心倶楽はですね、令和の現代に至るまでもう一年たりとも途切れることなく上演し続けられているんですね。
この奏本中心倶楽、全編通すとですね、なんと約22時間、こういった超大作だったんです。
ですが、私どもがお送りするこの本作では、この元となっている実際にあった阿光事件に焦点を当てて、全5話でお話が展開されていきます。
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阿光事件。
時を越えて、人々がここまで熱狂するこの事件の本質というのは、一体どこにあったのでしょうか。
なぜ匠の神だけが罰せられたのでしょうか。
匠の神の説服から、斬らて打ち入りまで約1年半のうよ曲折ありましたけれども、これは一体何の時間だったのでしょうか。
事件に対する実際の江戸市中の反応は、果たしてどうだったのでしょうか。
また気になる47死のうちの姿をくらました1人。
そして46人は切腹となりましたが、幕府側からはこの打ち入りをどんな風に見ていたのでしょうか。
このようにたくさん盛りだくさんに、またもや本作ならではの解釈を加えながら、阿光事件を紐解いてご紹介できればと思っております。
そして最後に私が個人的に注目していただきたいのが、大石倉之介の息子、大石力。
両名を松野城と言いますけれども、この大石家の長男として生まれて、父親との確執がありながらも、まっすぐに武士の子として成長し、最後は47死の1人として15歳で打ち入りして、16歳で切腹という壮絶な人生。
これもまた涙なしでは聞いていられない内容となっております。
ボイスドラマで学ぶ日本の歴史、シーズン4、阿光事件、倉之介の流儀、どうぞ最後までお楽しみください。
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本編の各エピソードには台本書き起こしのノートのリンクを貼っておりますので、ぜひこちらも合わせてご覧ください。
人の一生とはわからないものでございます。
山深い豊岡から突入できて15年、この穏やかな海辺の地で生涯を終えるものだとばかり思っておりました。
それはもちろん旦那様も同じことでございましたろう。
その証拠に旦那様は、俺は昼間の星のようなものだ、よく笑っていらっしゃいました。
旦那様、大石倉之介は、国がろうという阿光藩を取りしきるお役目でありながら、周囲に埋もれて目立たない自分を冗談めかして昼間の星に例えていたのでございます。
そう、あの日が来るまでは…
時は元禄14年、1701年、弥生3月14日。江戸城、松野廊下では、京都からの来賓をもてなすために多くの大名が行きかっていた。
そんな中、五大将軍綱吉の肝入りで催された幕府と朝廷を結ぶ儀式。
その重要な接待役を任された阿光藩五万国藩主、朝野匠の神長乃が、結装を変えてやってくる。
平光助之助吉一太、この間の遺婚、覚えたるか?
朝野殿、絶中でござる。
もうひとたち。
誰か、医師を。
止めるの、武士の情けだ。せめて、もうひとたち。
仁、仁長でござる。
医者じゃ、医者を呼べ。
仁長でござる。朝野匠の神、仁長でござる。
江戸城内で朝野匠の神が突然幕府高官、平光助之へ斬りかかった。
脇刺しを抜いた匠の神は、平の額めがけて一気に振り下ろす。
脇刺しの切先が平のえぼしに当たる。平の眉間に血が滲む。
乖離地を浴びた匠の神はだが、えぼしが盾となり、わずかに急所を外したことに気がついた。
慌てて背中からもうひとたち浴びせたが、匠の神自身が抑えつけられた。
えっさ!ほいっさ!えっさ!ほいっさ!
15:02
早く、もっと早く!
えっさ!ほいっさ!えっさ!ほいっさ!えっさ!ほいっさ!えっさ!ほいっさ!
御家老様、大石倉之助様は御在宅か。
ただいま、呼んでまいります。
門の前で籠から間延び出て、肩で息をしていたのは、江戸のあこう屋敷で殿様のおそばに仕えていた、
故障の茅野三平でした。髪の乱れ、着物の乱れに、ただならぬ気配が漂います。
三平は返事を一刻も早く国元へ伝えるために、江戸からたった四日で、あこうへたどり着いたのです。
本来、ひと月はかかる道のりでした。
三平、久方ぶりだろう。
御家老様…
い、いかがした?殿は御軒傷か?
懐かしい国元で、おっとりした倉之助の顔を見て、緊張の糸が切れたのでしょうか。
三平はあられもなく泣き出しました。
泣いていてはわからぬ。落ち着くのだ。息を深く吸って、吐いて、吸って、吐いて…
そのが、江戸城松の廊下で、仁城に泳ぎました。
今度は倉之助が深呼吸をする番でした。
その頃、江戸城内では刀の濃い口を三寸抜いただけで、その身は切腹、御家は断絶というのが決まりだったのです。
喧嘩の相手は?
公家御旗元、喜良光助之助様。
この度のお役目で、御指導を賜った御方ではないか。
はい。
目上の御方と喧嘩したというのだな。
で、仕留めたのか。
わかりません。
殿は御無事か。
わかりません。
殿も、目上に立ち向かったとは立派な御心意気だ。
しかし喧嘩は両成敗であるもの。
もし殿が相手を仕留めたのであれば、殿の恩美も、もしや…
申し訳ございません。何もわかりません。
取り急ぎ、殿の弟気味、大学様より命を受け、国元に第一報をお知らせすべく、江戸より馳せ三日次第。
ご苦労であった。まず水でも飲んで。
ただ…
ただ?
聞いたところによると、殿は刀を抜き放ち、こう叫んだそうでございます。
18:00
うん。
この間の恨みを晴らすぞ!
恨みを晴らす?
はい。殿の叫び声は、松の廊下に轟いたそうでございます。
しかしながら、殿とキラ殿の間にどのような異婚があったのか、その理由は誰もわからないのでございます。
恨みを晴らす…
恨みを晴らす…
倉之助はもう一度、同じ言葉を繰り返しました。そして、それこそが、倉之助の仕事になってゆくのです。
悪王事件 倉之助の流儀
第一話 白身の神切腹 辻道を通す
倉之助は、その日のうちに、悪王藩士全員を召し出した。
そのうち江戸より、第二・第三の使者がつき、朝の匠の神の即日切腹を知らせた。
匠の神の死により、朝の家五万石の取り潰しは決定的となった。
にわかには信じがたい知らせに、城内は揺れる。
何にせよ、松の廊下での喧嘩とはいかにもまずい。
我が殿、足様にもすか。
頭を冷やされよ。我が殿は、朝廷の使者がいる城で刀を抜いたのだ。
対面をお問じる上様は、さぞご立腹されたであろう。
この上、上様の御命令に背けば、死死存存にまで類が及ぶ。
ここはおとなしく、悪王城を明け渡すしかあるまい。
生ぬれ、すでに悪王に隣接する城地の境には兵が詰めかけている。
こうなったら、城を枕に討ち死にしかあるまい。
牢状すべす。牢状だ。はい、牢状だ。戦う。
各々、本当に道はその二つしかないのでしょうか。
すなわち、城を明け渡すか、あるいは牢状して徹底行戦するかは。
大石殿、悪いことは言わぬ。
城は明け渡すがよろしかろう。
はい、上段。
否、牢状するしか道はありませんぞ。五角。
牢状だ。牢状。
そも、私には下せぬことがあるのです。
殿が切腹を仰せ使ったということは、
殿の仇である斬ら殿は、我が殿が討ち取ったのですか。
それは、わからない。
まだ、江戸表よりの知らせがない。
平殿の生死がわからぬうちに、
藩の方針を決めてもよいものだろうか。
五角、悠長に構えている時ではない。
既に他藩の兵が、寮内に攻め込んで来ようとしているのですぞ。
よいか、大石殿。
老爺が断絶したら、我ら阿光家臣団は、
家族を含めれば二千人余りが流浪の民となる。
21:03
一刻も早く、手を打ねばならない。
牢状だ。牢状だ。
牢状だ。
城を開け渡すのが筋でござろう。
阿光城は、さながら嵐に揺れる小舟のような騒ぎとなっていました。
けれども、この時倉之助の胸中にあったのは、
父上。
倉之助の心にあったのは、倉之助の大王子、田野物助でした。
実は、我が殿が朝廷からの使者をもてなす、
強王役を拝命したのは、小旅が初めてではありません。
一度目は、今から二十年近くも前のことでした。
まだ前髪が取れたばかりの幼い殿を補佐したのが、倉之助の大王子、田野物助でした。
倉之助にとって田野物助は、
家老として、そして、男として、
手本となる人物だったのです。
倉之助は、息子が生まれた頃を思い出していました。
よく聞けよ、松之助。
常の勝敗は今なり、だぞ。
生まれたばかりの赤子に、そのような難しいことを。
この子はやがて、千五百国の家老職を継ぐ大石家の男子だ。
心得を教えるのに早すぎるということはない。
さようでございますか。
俺の子供の頃、偉い併学の先生が阿皇に来てくださり、
殿様以下、藩を挙げて先生に御指導をいただいた。
大王子の田野物助など先生に浸水して、毎日野菜をお届けしていたぐらいだ。
田野物助様が?
それでは、偉い併学の先生というのは、山賀祖皇先生のことでしょうか。
そうだ。常の勝敗は今なりは山賀先生のお言葉だ。
もっとも俺は、この山賀先生のお言葉を王子から聞かされたのだがな。
山賀先生もお偉い方だったでしょうが、田野物助様も御立派な方でしたね。
そうよな。朝のけ三代の殿様にお仕えなされたのだからな。
中でも、今の殿様が若干十七歳で驚悟薬を拝命した時に、
陰ながらお支え申した時のことは、今も語り草だ。
殿様よりじきじきに賜ったお言葉が、
田野物助、そなたがいたからこそ、朝廷の使者をお招きするという大役を務めることができた。
なんだ。
なんだ。
旦那様から繰り返し聞かされているうちに、すっかり覚えてしまいました。
左様か。
左様でございます。
私が大石家に嫁いだのは、五代将軍徳川綱吉公が、生類哀れみの霊を出された年でした。
24:05
その翌年、元禄元年に生まれたのが、松野城でございます。
早いもので、元禄も今年で十四年、松野城も、そろそろ元復を迎える年頃となりました。
かつて倉之助の口癖であった、常の勝敗は今なりは、すっかり松野城に受け継がれています。
城は明け渡す。
牢状だ。
なんと。
廃城だ。
城は明け渡すとは良いに。
いや、落ち着いた方がいい。
押さないか。
牢状だ。
城は明け渡す。
常の勝敗は今なりは。
大石殿、何かおっしゃいましたか?
思い出しました。
今この時に何をするかが、全ての勝ち負けを決める、ということ。
何?
おのおの方、ここは、筋道を垂らしていこうではないか。
事実と噂話を切り分けるためにも、まずは斬多殿の生死を明らかにするのだ。
我が殿と同じように切腹召されたのか、あるいは殿に斬り倒されたのか、そこを正しく押し計る必要がある。
今更斬多殿の生死が分かったところで、おいえ断絶は変わるまい。
いや、変わるぞ。
我が殿は弟の大岳様を後取りとして養死に迎えていらっしゃるではないか。
だからこそ、大岳様を断てて、おいえを再行するのが主事であろう。
生ぬるいぞ、栗賀郎。
事態は差し迫っているのだ。今更筋道などという切れ言を言っても。
任状事件を起こした当日に、我が殿に切腹を仰せつけた上様に、主事などを通して何になる?
主事を通すのは決して偽状の論ではない。
至って現実的なものだ。また、上様のためでもない。
ただ、我らのためである。
我らのため?
そうだ。我らの願いを叶えるためだ。
おいえ再行を叶えるために、家臣一同あこう城の大手門に居並み、揃って切腹をするのだ。
我らの首をもって、決死の覚悟をお伝えしようではないか。
いつもは穏やかな倉之助の、想像を絶する激しい口調に、藩主たちは静まり返った。
おいえ再行のために切腹する。それしか我らの筋道を見せる手立てはない。
共に覚悟のある者は、この血パン城に署名なされ。
この時の倉之助には、悔やみきれない思いがあったように思います。
我が殿が初めて、教皇役を任された時、倉之助の大王子が補佐をしたにも関わらず、なぜ自分はお手伝いしなかったのか。
27:09
倉之助は、寝ても覚めてもその思いに囚われておりました。
自分が江戸まで出向いて殿様をお支えすれば、このような事件は起こらなかった。
その強烈な懺悔が、倉之助を突き動かしていたのです。
ただいま、江戸よりまかり越しました。恐れながら申し上げます。
待ちかねたぞ。
我が殿、浅野匠の神と切り結んだ倉之助は、眉間に傷を負ったのみで、命の滅条はなく生きております。
そればかりか。
そればかりか?
そればかりか。
倉家には、何らお咎めなし殿よし、我が殿だけが、一方的に即日、説服を仰せつかったのでございます。
賢家両成敗という原則に則れば、両者同じ啓発を与えるのが筋である。
にもかかわらず、浅野匠の神は即日説服、御家断絶を言い渡されたのに対して、倉の命に滅条はなく御家にも何ら影響がなかった。
この裁きの不当さを指摘された幕府は、松の廊下において、倉は一切手迎えをしなかったため、この事件を喧嘩とは捉えない、と応じた。
匠の神の声に一切耳を貸さず、全ての責任を匠の神一人にかぶせたのである。
我が殿は、任状の際、恨みを晴らすぞ、とおっしゃったそうだが、喧嘩の理由は明らかになったのか?
いえ、倉殿は、黙して語らず。
倉が語らずなら、もはやその理由は未来永劫を分かりますまい。
困った。
何故?
任状沙汰になった因果が分からなければ、我が殿と倉殿、本来はどちらが正義なのか分からぬ。
奇伝、やはり我が殿疑っておらぬか。
そうではない。理由が分からなければ、おいえ最高にせよ、何にせよ、戦い業がないと申しているまでだ。
恨みを晴らすぞ、殿はそうおっしゃったのであろう。
いかにも。
であれば、大切なのは喧嘩の理由ではなく、殿の思いかと存じる。
30:00
倉之助にとって、浅野匠の神長之様は、八歳年下の殿様でした。
倉之助と同じように、幼くしてお父上を亡くされましたが、山賀祖公先生に支持し、大名美化師としても活躍し、正義感あふれる、律々しい殿様に成長されました。
私は、倉之助が、まるで弟を見るかのような眼差しで、殿様を見つめていた日のことを覚えています。
倉之助は、この若き藩主を救えなかったという強い思いから、殿の無念を晴らすという、大仕事へ挑んでいくことになるのです。
この間の遺言、覚えたるか?
藩主、浅野匠の神の認定事件によって、御家断絶を余儀なくされた、赤尾藩主一堂は、筆頭がろう、大石倉之助の意見に従い、4月19日に赤尾城を明け渡した。
城を明け渡す寸前まで、斬らを討つべしと勇む旧神派が、倉之助に詰め寄った。
が、倉之助はあくまでも、御家断絶という筋道を主張した。
その上で、倉之助と生死を共にすると誓った藩主、おおよそ百名が、結盤状に名を連ねた。
匠の神説服から一月余り、赤尾五万国の侍は、あっという間に寝なし草の浪人になり果てた。
生まれ故郷に営い、三三五五に堕ちてゆく。
赤尾事件 倉之助の流儀
第2話 山品官卿 味方に敵あり
母上、この書物はどこにしまったらよろしいですか?
これは、旦那様の水筒帳ですね。
倉之助様ったら、このような大事なものを旦那様に聞いておくれ。
その父上の姿が見つかりません。
一体倉之助様はどこへ行かれたのか。
昨夜、大鷹玄吾様とお話があると出かけたきり。
まだお戻りではないのですか?
聞きたいのは私の方です。
昨日の昼間は、干柄庭へ出て、牡丹の花を嘆声していらした。
ええ、私も驚きました。
訪ねてもいないのに、牡丹の花の手入れについて丁寧に説明してくださいました。
花をめでるなど、まるで楽園居の大きなです。
本人な。
33:00
父上は、ここ山品に越してからというもの、別人になってしまわれたようです。
確かに、これまでも穏やかなお人柄ではありましたが、あのようにふぬけてはいらっしゃらなかった。
これ、松之助?
山品があまりに人里離れた田舎だから、父上は大盲をお忘れになってしまわれたのでしょうか。
大盲?
そうです。殿の御無念を晴らすという大盲です。
常の勝敗は今なり、という教えに照らし合わせれば、毎日の積み重ねこそが勝利につながるのではないのですか。
松之助。
はい。
お前ももう前髪を落として減腹する年頃ですね。
はい。これまで早く父上のような立派な大人になれるように、毎日を生きてきました。
自分で言うのもはばかられますが、私はもう十分大人だと思います。
昔から父上が大好きな子でした。腹を痛めた我が子。松之助は気がつけば、私の背を越えていました。
同じ頃、旦那様が京の不死身の朱木町で遊んでいるなど、知る余地もありませんでした。
巷では倉之助は、狂和で遊びほうけて、殿様の敵討ちなど忘れてしまったと噂になっていたようです。
その頃から、朝野の殿様と家来たちの受難は、あこう事件として町衆の目耳を集めていました。
倉之助をはじめとしたあこう老子たちは、いつ斬らを打つのかと、常に高貴の目を向けられていたのです。
今帰った。
もう、お帰りなさいませ。
足を洗いたい。
ただいま、桶を持って参ります。
ふらりと出かけた旦那様が、山品の詫び妻に戻ったのは、それから二日過ぎた朝のことでした。
父上、どこへお出かけになっていたのですか。
ああ、松野城か。
おみやしをお出しください。
ああ。
お疲れ様でございました。
大鷹玄吾と話が弾んでなあ、少し遅くなった。
さようでございますか。
とんだ茶番だ。
これ、松野城?
父上、どこへ行っていらしたのですか。
だから、大鷹玄吾と。
その大鷹様は、父上がご不在の間に、こちらへおいでになりました。
倉之助様をご在宅か、そのお尋ねでした。
不在だと申し上げると。
それでは、車遊びの噂は本当なのですね、と、肩を落とされていました。
36:02
はっはっは、なるほど、そうだったか。
笑い事ではありません。
母上もお気づきでしょう。
この酒臭さは何なのですか。
松野城、もうそのくらいで。
一体どうなされたのですか、父上は。
そうさな、今日の都は、いかにも誘惑が多い。
俺も一階の男児だったということだ。
父上は、あこう五万国の筆頭家老であらせられた。
あこう藩士、そしてその家族も含めれば、
二千人の暮らしを守る立派なお仕事をされていた。
それが、今や死がない浪人暮らしよ。
父上、だからこそ、殿の仇を討って。
母上、おけがありませんか。おけが顔に当たったのではないですか。
大丈夫です。
父上、何をなされる、なぜおけを蹴った。
湯がぬるい、これでは足が冷えてしまうわ。
松野城、いい加減になさい。
母上。
もう寝る。
はい。
父上。
常の勝敗は今なり。
父上、常の勝敗は今なり。
という教えはどこへ行ったのです。
今の父上の日常はあまりにも無様です。
松野城、大きくなったの。
からかうのはやめてください。私はもう大人です。
このような父には、失望したであろう。
はい。
もはや利縁しかあるまい。
旦那様。
とりあえず、寝る。
松野城、言いたいことをすべて吐き出して、気が済みましたか。
私は。
わかっていますよ。母をかばってくださったのですね。
ありがとう。
父上は、本気であのようなことをおおせになったのでしょうか。
利縁ですか。
あなたの父、大石倉之助殿は、すでに覚悟をおきめになっているのでしょう。
覚悟。
私には、倉之助の堕落が本心からとは思えませんでした。
利縁は、いざというときに、私や子供たちに累が及ばないための偽装ではないでしょうか。
町の衆が、赤尾郎氏に注目している今、大仕事を成し遂げるために。
敵ばかりでなく、身内さえも欺くおつもりだったのでしょう。
39:03
それこそ、これは身内引きの見方かもしれません。
でも、私には、覚悟を秘めているからこその本当に思えました。
少なくとも、これまでの倉之助は、山ヶ祖公先生の教えを一日たりとも忘れるような人物ではありませんでした。
母上、お願いがあります。
はい。
私を厳復させてください。
一刻も早く大人になって、父上を超えてみせます。
この年の暮れ、松之助はついに前髪を落としました。
名も力と改め、以後、明日ともに大人になったのです。
元禄十四年、十月。
倉之助は、風名の同士とともに江戸へ向かう。
阿公城会場後、江戸で暮らす阿公老子の中に旧神派がいた。
一刻も早くキラを討ち取るべし、と皆既縁を挙げる老子たちは、
匠の神の弟を立てて、老いへ最高を探願するという倉之助の、
まどろっこしい筋の立て方に腹を立てている。
倉之助は、この旧神派を説得し、匠の神未亡人、陽全尉に挨拶をするため、
江戸へ下った。
高田軍兵、阿公藩江戸屋敷において、殿の返事を知り、
江戸旧神派の西偶翼として、たびたび倉之助に文を送り続けている。
御過労、私の文はお手元に届いておりますか?
もう過労ではない。気軽に倉之助とでもお呼びくだされ。
文の内容についてはまだお返事をいただいてない。
もちろん配読しております。
御老人が本城へ移ったという知らせ、朗報ですな。
平光助之助はこの夏、屋敷の移転を命じられていた。
江戸城外堀の御副町から本城へ、江戸城から離れた本城なら、打ち入りがしやすくなる。
高田軍兵はこれを機に、一気に本城の平邸を襲撃すべし、という文を倉之助に送っていたのである。
して、結婚の日はいつ?
ああ、待たれよ高田殿。立ち話も何ながら、ひとまずお住まいへ御案内いただければと思う。
その前にまず返答を。
なぜ刀に手をかける?
返答によっては、ぬかざるを得まい。
42:01
なぜ笑う、倉之助。
ぬいたな。
ぬいたが、悪いか。今の話で笑うところなど一つもない。不謹慎だ。
やはり堕落したという噂は本当だったのだ。
このようなシチューで物騒なものを出すな。
ぬけ。侍らしく尋常に勝負しろ。
高田!何をしている?
堀部殿。
あ、御過労。
いいところに御座った。ただ、俺はもう過労ではないがな。
申し訳ありません。
あ、よいよい。この度は皆と腹を割って話をするために下校したのだ。
おかげで皆の熱き思いがよくわかった。
高田!なんてことを。刀をしまえ。
お主はどうして短両で短気で短細胞なんだ。
まあまあ。
ごめん。狭いところですが。
邪魔をする。
安倍はわびしい長屋で倉之助を精一杯もてなした。
あの者も根は悪いやつではないのです。どうぞお許しを。
わかっておりまする堀部殿。
率直に申し上げます。江戸の赤尾老子が敵討ちを急ぐ理由を。
受け賜る。
一刻も早く斬らを打ちたい。
暗殺でもいいから斬らを殺してしまいたいという老子たちの思いは、
残念ながら殿への忠義からではありません。
うん。お恥ずかしながら、生活のためです。
さようであろうの。
殿が切腹をされてから半年以上が過ぎました。
この間、運よく多計士官がかなった者はごくわずか。
多くの者たちは空や食わずの浪人生活を強いられておりまする。
さもありなん。
城を分け渡すとき、倉之助様が藩の金を分け与えてくださり、
当分はそれで生計を立てることができました。
しかし半年が過ぎ、その金もそろそろ底をつきます。
このまま暮らしに困窮して疲弊するのであれば、
ここは悪行武士らしく、敵の首を上げて死にたいというのが本心なのです。
堀部殿、よく打ち明けてくれた。
それでは、仇討ちを。
それでも、俺は朝野家の老いえ最高にこだわりたい。
それが亡き殿の面目を保つ道だと思うからだ。
面目とはすなわち、殿の恥を注ぐということだ。
はい。私も粥をすすっても、武士の意地は貫きます。
45:05
いずれにせよ、この話、預からせてほしい。
かたじけない。
数日後、倉之助は赤坂今井町で暮らす養禅院のもとを訪れた。
朝野巧の神に救済で届いた。
朝野巧の神に救済で届いてきたあぐりは、巧の神切腹の後、すぐさま神を下ろして、名前を養禅院と改めた。
倉之助は、仁城事件以来初めて養禅院にお目見えすることになった。
大変ご無沙汰しております、あぐり様。
いえ、養禅院様にはお変わりなく。
大いに変わりましたよ。
この半年で。
それはあなたも同じことでしょ、倉之助。
はい。
養禅院は、自分が突入できた時に持参した化粧料、およそ三百両を倉之助に託した。
お化粧料の儀、誠にかたじけなく。
これで旧赤尾藩士たちも、どうにか命を流らえることが叶います。
何よりじゃ。
ところで倉之助は、京の山支那というところで何をして暮らしている?
牡丹など育てておりまする。
夏に大輪の花を咲かせる牡丹でございます。
それは良き楽しみを見つけたものよ。
来年の夏は、牡丹の花を見られるでしょうか。
そして、その翌年の牡丹は、果たして見ることが叶いましょうや。
今は、弟気味、大学様の御家最高の文を、久保様にお送りしています。
それが叶わなかった時は。
その時は、倉之助は知っていたのか。
何をでございましょう。
亡き殿が、牡丹の花を大層お好きだったことを。
はい、よく存じておりまする。
やはりそうか。
殿は、よく旺盛になっていました。
牡丹の花が開いた様子は、まるであぐりが笑っているようだと。
倉之助、嬉しく思います。
殿を忘れずにいてくれて。
陽前院様、あれ以来、殿のことを思わぬ日は、一日たりとてありません。
倉之助は。
よい、皆まで言うな。
48:00
今日会ったら、渡そうと思っていた。
これは、一体。
ずきんじゃ。万が一の時に、倉之助を守ってくれることでしょう。
ありがたき、幸せ。
幸せ。
陽前院様が下されたのは、茶色の散り綿のずきんでした。
倉之助は牡丹の花で、陽前院様はずきんで、
それぞれの秘めたる思いを伝えました。
すなわち、いずれ敵討ちを、という決意です。
倉之助が陽前院様にお目にかかったのは、この日が生涯最後となりました。
けれども倉之助は、この日のことを決して忘れず、
翌年の討ち入りの際、そのずきんをかぶって出陣しました。
倉之助が京に戻った頃、堀部康兵衛から下級の不眠が届いた。
それは、平光介之助が陰境願いを出したという知らせだった。
この年の夏、光介之助の屋敷が本城へ繰り返したところまでは掴んでいたが、
陰境届けとは思いもしなかった。
家徳を譲り陰境してしまえば江戸を離れて、雪深い上杉寮へ逃げ込むかもしれない。
そうなったらもはや、敵討ちは果たせなくなる。
万事、急がねばなるまい。
朝の匠の神が切腹した元六十四年が、もうすぐ暮れようとしていた。
元六十五年が明けた。
朝の家が断絶し、藩士たちが流浪の民となって九カ月が過ぎた。
かつて、倉之助と生死を共にする証として、血パン状に名を連ねたあこうろうし、
それぞれにも変化が訪れる。
ある者は竹へ志願し、
殿への恩義を忘れたことはない。
しかし、裏切り者と素知りを受けても志願しか道はない。
それが生きるということだ。
ある者は恋に落ち、
また、曽根崎親知で真珠やて。
女は優女、男はおぶけらしいで。
ちゃうわい、男は浪人や。しかも、あこうの浪人やで。
そして、ある者は、
あこう事件、倉之助の流儀。
第三話、丸山会議
城には熱いが、流されはしない。
小かろう、倉之助様。
51:01
吉江門様ではないですか。
奥方様、先日はお取りなしありがとうございました。
倉之助様はご在宅でしょうか。
寺坂吉江門様は、もともとあこう藩、小売舞行の吉田忠在門様の家来でしたが、
先日、倉之助の元を訪れ、
血パン状のお仲間に加えてほしいと直訴されました。
しかし、倉之助は、
それはならぬ。
吉江門さんの申し出をきっぱり断ったのです。
理由は、吉江門さんが足軽だからということでした。
吉江門様。
はい。
倉之助は、口では厳しいことを申し上げたかもしれませんが、
それは吉江門様をおもってのことでございますよ。
わかっておりまする。
倉之助様は、
敵討ちという仕事は武士の役目だとおっしゃりたいのです。
足軽は、お仏様の手となり足となるのが本文で、
武士とは違う軽々しい身分だから、
仲間には加えたくないというのでございましょう。
そのように腐らずとも。
腐ってなどはおりません。
例えば、このようにお考えになってはいかがですか。
倉之助は言っていました。
吉江門様は、よく気がつく仕事のできる御人だと。
だからその気になればいくらでも、他の家でお役が勤まりましょう。
有能な男をわざわざあこう老子の手伝いで埋もれさせるには忍びない。
そのようなお考えなのだと思いますよ。
騒々しいと思ったら、またお主かもしれません。
倉之助様。
戦慄の義、何度参っても答えは同じだ。
差し出がましいようですが。
何?
もし旦那様が推薦書など書いて差し上げれば、
吉江門様の他系の士官もたやすくなるのではないでしょうか。
なるほど。
それがいい。では一筆捕まつろう。
違うのです。倉之助様、奥方様。
倉之助様、奥方様。
なんと。
本日は茅野参兵の文を持参しました。
参兵?
江戸から阿江まで四日で駆けつけて、
殿の返事を伝えてくださったあの若者ですね。
これは。
中都江の狭間で、いささか討悪しております。
茅野参兵様からの、それは遺言上でした。
倉之助は吉江門を伴って、
節の茅野参兵の聖火へと駆けつけました。
前夜の息子は、いつもの通り家族と断唱してから、
寺室に引き上げました。
54:01
父親である私の目には、いつもの参兵であったように思われます。
翌十四日。
日が高くなっても参兵が起きてこないものですから、
様子を見に行きますと、参兵は、
九寸五部の担当を腹に突き立てて、果てていました。
十四日。
今の月明日ではないですか。
いかにも、朝野の殿様のお側に仕えていた参兵にとって、
殿様の存在がそれほどまでに大きかったとは。
私は息子の一途な思いにも気づかず、息子の死感話を進めていたのです。
これ以上、ご自身をお責めになりませんよ。
コカロー。
うちの息子は、コカローとの間に何か密約があったのでしょうか。
町の噂では、アコーロー氏がキラを打つなどと言われていました。
私は、それを単なる噂話だと思っていました。
率直に申し上げれば、うちの息子をそんなことに巻き込みたくはなかった。
よくわかります。
息子は、たった二十七歳です。
新しい人生を生き直しても、罰は当たらないはずだ。
申し訳ありませんでした。
コカロー、お手をおあげください。
申し訳ありませんでした。
三平様のお父上の前で、倉之助は、ただただ神戸を下げることしかできませんでした。
倉之助様。倉之助様。
倉之助様。
茅野家からの帰り道。
吉江門さんが何度呼びかけても、倉之助は無言で歩き続けたそうでございます。
言ったところによると、殿は刀を抜き放ち、こう叫んだそうでございます。
うん。
この間の恨みを晴らすぞ。
57:03
恨みを晴らす?
はい。殿の叫び声は、松の廊下に轟いたそうでございます。
しかしながら、殿とキラ殿の間にどのような異婚があったのか、その理由は誰もわからないのでございます。
恨みを晴らす。
おいえ、最高のために切腹する。それしか我らの筋道を見せる手立てはない。
共に覚悟のある者は、この血パン城に署名なされ。
私を、この茅野三平を、お仲間に加えてください。
あった、そうであった。
倉之助様?
三平は、敵討ちの血パンに真っ先に加わってくれた男であった。
三平様は、本当に勇気のあるお方だったのですね。
吉江も。
これでも仲間に加わりたいか。
武士が命を預けるというのは、こういうことだぞ。
ちょうどよい。
目の前に二股に分かれている道があるではないか。ここで別れよう。
いいえ、まだ歯向かうか。
三平様は、託されたのでございます。
御過労様、そして不詳を渡し、寺坂吉江門に。
私はそのように受け賜ってございまする。
一体、何を託されたというのだ。
殿の無念を、そして三平様の無念を晴らすという仕事をです。
ゲロ、生意気を言うでない。
お言葉を返すようですが、私のように、三両二人目、
足軽不正も、倉之助様のように、千五百国の御大臣でも、
志に変わりはございません。
口の減らぬ奴め。
殿の無念を晴らす約束と、親の望みとの板挟み、
心が張り裂けた三平の死を目の当たりにして、
珍しく動揺した倉之助を励ましたのは、意外にも足軽の吉江門でした。
それ以降、吉江門は、尻尾を振り続ける小犬のように、
倉之助の後をどこまでもついてくるようになりました。
吉江門様、薪まで割っていただいて、本当に助かります。
なんのなんの。力仕事なら、慣れております。
力?力はどこにいるのですか。少しは吉江門様をお手伝いなさい。
1:00:04
今、ちょっと忙しいのです。
このところの力は、父の姿を見ると避けて通るようになっていました。
倉之助の相変わらずの色間違いに、不審感を募らせているのです。
坊ちゃん。
何か。
最近、お父上とお話なさっていますか。
このところ、力が目を合わせてくれないと、倉之助様が気にかけていらっしゃいました。
私はもう原服をした大人です。父は不要です。
坊ちゃんは、倉之助様のことを何もご存じないのです。
倉之助様ほど、優しい人はいないのですよ。
その、坊ちゃんという呼び方、どうにかなりませんか。
坊ちゃんは坊ちゃんだ。前髪を落としたぐらいで、簡単に大人などなれませんよ。
吉江門さんは、なぜ倉之助をそんなに好いていてくれるのですか。
それではお話しましょう。
お願いします。
藩のお取り潰しが決まり、お城を開け渡す直前のことです。
倉之助様をはじめ、御家老の方々は、藩の財政を整理して、藩士一人ひとりに手当が出るように取り計らってくださいました。
その分配方法について、意見が分かれました。
他の御家老が、治業高に応じて、つまり身分の高い部士から順番に分けるとおっしゃったのに対し、
倉之助様は、下の者から順番に厚く配分せよとおっしゃいました。
そのおかげで、私たち下々の者は、無一文で放り出されるようなことはなくなったのです。
実のところ、三両二人縁の足軽に、気軽に声をかけてくださる千五百国の御家老など、
これほど情に厚く、身分の区別もなく接してくださる御家老などありません。
力は、ただ黙って吉炎王様のお話を聞いておりました。
季節が変わった。匠の神の恥を注ぎ、朝の家の面目を立てるために、老家最高だけを願ってきた倉之助は、
元禄十五年七月に、ついに幕府からの最終回答を得た。
各々方、雲尾様より老家最高の正式な回答が届いた。
次は皆様の存念を伺いたい。
倉之助が京都丸山で京藩と江戸に散らばっていた同志、計十九人を一同に集めて会合を開いたのは、
1:03:03
七月二十八日のことだった。
して、御守備は?
朝の家の老家最高、不守備。
七月十八日に、幕府の御裁きを取り決める評定所において、
匠の神様弟、朝野大学様の処分が下された。
すなわち、大学様の閉門は許されるが、大学様の朝の家最高はならずとのことだった。
やはり。
これをもって、朝の家存続の未来は正式に立たれた。
朝の家の名誉を回復するための、これまでの働きかけは、すべてとろうに終わったということだ。
恐れながら。
いかがした、安倍?
この二月、綱吉公の御母堂、慶松院様が十一位を朝廷から賜ったのはご存知か?
風の噂で聞いておる。
十一位は、朝廷が与える女性最高位の簡易でござる。
我が殿様の認定事件から約一年、これですべての謎が解けたように思います。
将軍綱吉は、聖母、慶松院との絆が深かった。
そもそも、生類哀れみの例も、慶松院の一言がきっかけで始まったと言われるほど、慶松院は表向きに影響力を持っていたのである。
綱吉は身分の低い実母に、何としても朝廷からの簡易を授けたがっていた。
そのために、朝廷への見継ぎ者を欠かさず、良好な関係を築いてきたのだ。
その最中に起こったのが、朝の巧みの神の認定事件であった。
朝廷との関係が崩れることは、喉から手が出るほど簡易を欲していた綱吉にとって、許すまじき出来事だったのではないか。
つまり、綱吉が後先を考えず、官場に任せて巧みの神を処分したのではないか、と安倍は見た。
要するに、綱吉公の虚栄のために、殿は説服をなさり、我々は路頭に迷うことになったのです。
口が過ぎるぞ安倍殿。
いつも沈着冷静な倉之助殿には、この行き通りがお分かりにならぬか。
御過労は、きめ細やかな御心を持つ、情に通じた御語る。
控えよ!
安倍殿。
私が幕府の回答を得て、真っ先に何をしたかお分かりか。
何をなさられた?
腹の底から笑ったのよ。
1:06:02
これで、腫れて敵を撃てるとな!
御過労。
倉之助、初めてその心底を堀部康平に見せた。
大きく笑う倉之助に、すっかり飲まれている。
高田の馬場で叔父の助立をして、その名を天下に轟かせた熱血感、堀部康平は、やっと複雑な倉之助の心を垣間見たのだった。
この間の遺言、覚えたるか?
目指すは、高津家之助の首、ただ一つ!
匠の神折腹から一年以上が経ち、暦の上では秋も近いこの日。
ついに、倉之助はキラを打ち取ることを決意した。
朝の家最高が不守備となり、豪使たちは次々と倉之助の元から離れていく。
倉之助と生死を共にすると誓った同志は、最盛期には百名に迫ったが、その数は今や半数近くに減っている。
そんな中、倉之助だけが眠れる獅子が目覚めたかのように動き回る。
キラ家打ち入りに方針転換してからというもの、その瞳に力が宿る。
10月7日、ついに倉之助は山品の仮住まいをたたんで江戸へ向かう。
友は寺坂吉江門である。
途中、立ち寄りたいところがある。
かしこまりました。
北海道を下る途中、倉之助は箱根神社に立ち寄った。
仇討ちで有名な曽我兄弟がこの地で戦勝祈願をしたことで知られる神社で、倉之助は匠の神の恥を注ぐことを誓った。
縁起者だから、みくじでも引こう。
そういたしましょう。
大吉だ。
ようございました。
旅、急がぬが吉。願望、正しければ叶う。
正しければ叶う。子だから恵まれる。
子だから、奥方様はお元気であらせられますでしょうか。
そうさな。
江戸下江に先立つ半年前、倉之助は陸を離縁していた。
あこうじけん。倉之助の流儀。
1:09:02
第四話。江戸下江。最悪を考え、最高を手に入れる。
これが利縁状である。
はい。
これが、大石家とは何の関わりもないという証になる。大事に保管するように。
はい。
実家のお父上にも文を書いた。万事よろしくとしたためである。
堅毅で暮らせよう。
はい。旦那様は、そう言って私の腹にそっと手を添えました。
倉之助様、福後様、私は兄輩ですから、
お家老様のような立派なお家の敷き足りは存じ上げません。
けれども、長年連れ添ったご夫婦が、そのような紙切れ一枚でお別れだなんて、本当によろしいんですか。
良いのですよ。お気持ちありがとう。
偽りでございましょう。世を欺くための。
日の暮れるうちに出発いたそう。里まで送る。
はい。
吉江門も口ばかり動かしていないで、荷物を運んだらどうだ。
かしこまりました。
父上。
力か。母上の実家である豊岡までは長旅だ。体操山深い地だとも聞いている。
母上も普通の体ではない。頼むぞ。
普通の体ではないって。
旦那様からおっしゃって。
陸が言いなさい。母親ではないか。
え、ということは。
母上は五人目のお子を宿しておられるのです。
左様でございましたか。それはめでたい。おめでとうございます。
ありがとうございます。
父上。死からは豊岡には参りません。
いかがしたのだ。
私は昨年末に原覆いたしました。
もうどんなお役目も立派に勤めることができます。
父上と共に浅野家のために働き等ございます。
ならぬ。
何故でございますか。
母が悲しむ。
1:12:02
私は。
力が三平のように苦しまないとも限らない。
旦那様は卑怯です。何もかも私のせいにして。
本当に悲しいのは旦那様でございます。
力。
お父上はお前が心配でたまらないのですよ。
可愛がって育てたお前に辛い思いをさせたくないのですよ。
父上。母上。
お二人のおかげで力はこんなに大きくなりました。
だからどうか心配なさらないでください。
老い家のため父上のために母上が一人でお子を産むのであれば
大石家の長男である私も覚悟を決める時だと存じます。
もうこれからは大人として扱ってください。
敵討ちに参加させてください。
そう言って力は。
深々と頭を下げました。
倉之助は一人背を向けてしばらく無言でおりました。
きっと息子に涙を見せたくなかったのでしょう。
倉之助は息子に背中を向けたままで問いました。
同じ志を抱く同志として生きるからには
これよりは父でもなければ息子でもなければ
これよりは父でもなければ息子でもない。
よいか。
はい。
容赦はしないぞ。
はい。
こうして倉之助は息子の願いを聞き入れました。
私が豊家の実家に戻ってから間もなく
元気な男の子が生まれました。
倉之助との五人目の子、大三郎と名付けました。
倉之助が浅野の殿様の名誉を回復するために
何をするつもりなのかは見当もつきませんでした。
ただ何かあった時に
私たち家族に類が及ばないよう利縁した。
その心はずいぶん前からわかっていました。
その証に倉之助からは
赤子の誕生を喜ぶきめ細やかな文が届きました。
そして倉之助が文をしたためたのは
妻の私ばかりではありません。
十一月上旬、倉之助はついに江戸に入り
一足先に江戸入りしていた力とともに
日本橋の旗子に腰を下ろした。
つくなり倉之助はせっせと筆を走らせた。
1:15:02
文の内容は同志に向けて討ち入り時の腰雷や
武器について細かに定めた指図書から
これまでにかかった費用を記した会計帳簿、
今回の討ち入りの理由と目的を記した工場書まで
多岐に渡った。
なぜここまで細かくお決めになるのですか?
指示の細かさに駅役した老子が尋ねると
倉之助は筆を走らせながら答えた。
最悪の事態を想定して備えることが
望みを叶える早道だ。
堀辺様、御免くださります。
おお、力殿か。どうぞお入りください。
父、ではなく、倉之助より伝言がありまかり越しました。
本日クレムツより会合を催しますので、
是非堀辺殿においでいただきたいとのことでございました。
受けたまわった。まだ何か?
一つお伺いしたいことがありました。
私も一度力殿と話したいと思っていたところだ。
本来なら酒を組み交わしたいところだが、
対岸成就の逆立ちをしている。
茶でもしんぜよう。
高田の場場で真剣で果たし合いをしたというのは本当ですか?
そのことか。
ええ、十八人もの豪の者を倒し、
江戸中に堀辺康平様のお名前が轟いたと聞きました。
実際に戦ったのは二人だ。
時が経つにつれて尾ひれがついて話が大げさになっていく。
この度の打ち入りでは、実際に人を斬ったことのある者は堀辺康平様と
フワカズエモン様お二人のみと聞いております。
そうらしいの。
先日の会合によると、
平亭には百人ぐらいが常駐しているとのことでした。
敵が百人で、我らは五十人余り。
そのうち真剣を抜いたことがあるのはわずか二人。
弱音を吐くわけではないのですが、
これは本当に大変なことだなと。
覚悟を新たにしている次第にして。
怖いか?
怖くはありません。
俺は怖い。
え?
先のことに思いを巡らせても、
怖くなったり不安になったり、
ろくなことはない。
だから、俺は今できることをやる。
今だけに集中してやるだけのことはやる。
はい。
1:18:01
勝ち負けは時の運。
到底人に操れるようなものではない。
人間にできることは、
目の前のことに全力で取り組むことだけだ。
そうか。
常の勝敗は今なり、
とは、そういう意味だったのですね。
なんだね、それは。
山賀祖皇先生の教えで、
父の口癖なのです。
俺は武から志官して、
悪王に入ったから、
祖皇先生のことは存じ上げないのだが、
そう言われてみると、
倉之助殿も確かに今に生きていらっしゃるな。
私は父から訓導を受けてきたにもかかわらず、
全く身についておりませんでした。
力殿。
無事打ち入りを果たした後は、
パンと酒を組み交わそう。
はい。
老子たちは聴人になりすまして、
平屋敷の偵察を続け、
遂に、屋敷の絵図面を手に入れる。
絵図面を見ると、
平光助之助の親女は、
裏門近くにあることが判明した。
倉之助は老子たちを表門と裏門、
二つの部隊に配置したが、
裏門が激戦になることが予想された。
おのおのがた。
表門から打ち入る表門軍は、
裏門から突撃する裏門軍。
それぞれの配属をお伝え申す。
私も待ってござる。
まず、
表門隊の大将は、
私、倉之助が相に努める。
承知。
続いて裏門隊の大将は、
大石力。
お待ちください。
何か、
ご身分からして、
当然だと思うし、
口を出すのも幅変えるが、
重要なことなので、
あえてお尋ねする。
力殿は、
我ら老子の中で最も年が若いと聞いている。
いくら倉之助殿のご子息とはいえ、
裏門の長には、
身が重すぎるのではないか。
この度は、
親子で加わっている方も多くいる。
実際、
狭間殿、
貴殿もお父上、
五兄弟共に御参加とのこと、
誠に痛みる。
堺にあたっては、
表門と裏門で、
極力、
親子、兄弟が、
別々になるように配属した。
親子兄弟、
万が一、
どちらかが一方倒れても、
もう一方は、
残って仮面を残すことができるようにという標本か。
その通りだ。
その結果、
力を裏門に回すことになった。
これでも極力、
史上を挟まずに栽培したつもりだ。
1:21:02
わかっております。
倉之助殿の深いお考えには、
いつも恐れいるばかり。
また、
力殿の、
大将としての器を疑っているわけでもないのです。
力殿は、
背丈もあり、
若いのに落ち着いておられて、
まさに大器。
しかし、裏門は、
高助之助の居室に近く。
ということは、
守りも厚く、
激しい育成になることは明らか。
せめて、力殿だけでも、
倉之助殿をお近くに置かれた方が、
ご心配であろう。
そのために、
裏門には、
吉田忠左衛門殿に、
副長として立っていただく。
忠左衛門殿は、
これまでも私の右腕として、
影に日向に支えてもらった御人だ。
さらに実戦の経験がある、
不羽和衛門殿にも、
裏門隊として力の未熟を補っていただくつもりだ。
倉之助殿、
一つお願いがある。
安倍か。
私も、
裏門に配備していただけないか。
の、力殿。
はい。
この堀部康兵衛が、
責任をもって力殿をお支えする。
康兵衛殿がついておられるなら、
鬼にかなおう。
俺は鬼か。
お頼み、教えあげます。
お願いいたします。
よー!
脇が甘い!
以来、打ち入りの日まで、
力は堀部康兵衛様から毎日、
剣術の稽古をつけていただくようになりました。
よー!
腹に力を入れる!
よい、よい立ち筋だ。
立派な剣士だ。
本当ですか?
十五で母の手を離れた息子です。
しばらくは、
あの子のことを思うだけで、
涙がにじみました。
ただただ不憫に思っていたのでございます。
けれども、
あこう老子の方々に、
弟のように可愛がられていたと聞くと、
力には、
楽しいひとときもあったのかと思い、
少しは胸の疲れが収まるような気がいたします。
典録十五年も始発を迎えた。
すでに、
十一月の時点で、
藩の金も釈財も底をついた。
打ち入りが先か、
飢え死にが先かという極限状態。
日を追うごとに、
脱落者が増えていく。
ついに、
藩士の数は四十七人にまで減った。
四十七師の一流の望みは、
斬らの首を上げる、
その一点のみ。
倉之助は、
1:24:00
最後の仕事に精を出す。
すなわち、
四十七人が逆賊にならないための知恵を、
蜘蛛の糸のように、
張り巡らせていく。
凍てつく寒さの中、
打ち入りの日が、
刻一刻と迫る。
元六十五年、
十二月十四日。
粉雪が、
江戸市中に降り積もる。
冬の夕暮れ。
赤坂養全院の屋敷に、
一通の文が届い、
表書には、
金銀受払帳とある。
そこには、
養全院が、
渡した三百両の使い道が、
こと細かに記されてあった。
手紙の主は、
大石倉之助。
十二月十四日。
未明。
穏の城谷。
深夜四時。
雪は、
夜更け過ぎには上がったが、
道は凍り、
凍てつく風が頬を押す。
一方、
天を仰げば、
月が光光とさえ渡る。
松明代わりの月明かり。
きらめく星の数々が、
静かに、
四十七時の行く手を照らしている。
自らを、
昼間の星だと自称していた、
大石倉之助。
四十四歳。
今まさに、
夜空の星のように、
その命を、
光り輝かせている。
大石倉之助は、
光り輝かせている。
長い夜の、
始まりだ。
悪王事件。
倉之助の流儀。
第五話。
平手打入。
大義に生きる。
表門では、
大石倉之助以下、
二十三名が、
平屋敷を取り囲む。
狭間十二郎と大鷹玄吾が、
平屋敷の前にあった、
十字架梯子を平に立てかけて、
よじ登り、
屋敷の内側へ入り込む。
よし、一番乗りだ。
鐘の音を合図に、
裏門で待ち構えていた、
大石倉以下二十四名が、
大きな傷地で、
裏門を打ち破る。
屋敷に侵入した悪王老子が、
口々に、
火事だと叫ぶ。
夜半の火事騒ぎに、
目ぼけまなこで起きてきた、
1:27:00
きらけの家来は、
家事所属の男たちと鉢合わせ。
朝の巧みの神家来、
主の仇討ちに参った。
かくして、
平屋敷は大混乱に陥る。
火事だと思って飛び出した、
きらの家臣は、
待ち構えていた老子の槍や刀に倒される。
次に老子は、
屋敷で暮らす家来たちの長屋の塔を、
外側から金槌で打ちつける。
出口を塞がれた家臣たちは、
部屋に閉じ込め、
屋敷から出られる。
さらに、
豪使たちのおたけびが、
恐怖をあおる。
本来は半分の兵力であるにもかかわらず、
あたかも、
きらがたよりも大人数を
率いているかのように、
見せかけたのである。
オリビー・ヤスベイら切り込み隊は、
鬼の行走で、
屋敷の奥へ突き進む。
それでも果敢に立ち向かう、
きらけの家来は、
ヤスベイやカズエモンに、
一刀両断にされる。
その様子に、
自ら老子に道を開ける者、
布団をかぶってことなきを得る者など、
多くのきらがたが、
戦う前に戦意を失った。
きら屋敷の北側に位置する、
土や力の屋敷では、
火事だ!
という叫び声に目を覚ましたが、
そこへ踏みを手にした悪をろうし、
片岡玄護衛門が現れた。
お騒がせして申し訳ありません。
ただいま、
戦争の最中でござる。
武士は、
アイ・ミタガイと申します。
どうぞ、お構いなきよう。
土屋は、
片岡に手渡された工場所に目を通す。
そしてほどなく、
高張長鎮を掲げて、
兵越にきら屋敷を照らした。
武士は、
アイ・ミタガイ。
これで、
平光助之助が探しやすくなる。
片付けない!
しかし、
アイ・ミタガイ。
お坊ちゃん、
お無事で。
吉祐門か。
俺は一人倒したぞ。
偉人を見事に飾られましたな。
キラはいたか。
いいえ。
打ち入りから、
どのくらい時が経っただろう。
半時は過ぎましたろうか。
本に血がついてございまする。
拭いて差し上げましょう。
片付けない。
先ほど倉之助様がおっしゃっていました。
朝を迎えたら、
キラ方の援軍が来るかもしれん。
夜が明ける前に、
事を成し遂げ、
一刻も早く、
光月之助を見つけるのだ。
キラの布団は、
まだ暖かかったと聞いたが。
1:30:00
左様でございます。
だからまだ遠くへは行っていないはずです。
しかし、広間、
囲炉りの間、
小座敷など、
キラの姿が見つからないのです。
なんだ、腹が減ってるのか。
そのようです。
そういえば、
台所を探していなかった。
ちょっと台所を見てきます。
キラ屋敷の台所には、
奥まった場所に物置があった。
その物置から、気配がする。
人がいる?
うわー!
うわー!
吉江門か。
落ち着け、撃ち取ったのは敵だ。
申し訳ありません堀辺様。
人が斬られる瞬間を見たのは初めてなものですから。
お主の声の方が驚くわ。
堀辺様が、
死んのごとくここを守っていらっしゃるのであれば、
もうここには誰も来ませんね。
待て!
と、呑気な会話を制したのは、
狭間十二郎。
手にした槍を持ち直したのは、
竹林忠七である。
もう一人いるぞ。
忠七の槍は、
物陰に隠れていた白子袖をまとった
白賀の老人の急傷をついた。
さらに、
狭間十二郎の十文字槍が
とどめを刺す。
平、
光月之助殿か。
眉間を見よう。
殿の刀傷があるのか。
分かりません。
では背中を見よう。
もし光月之助であれば、
殿から受けた刀傷が背中に。
ありました。
至急、光月殿に知らせよう。
はあ。
かねて示し合わせてあった合図の笛が、
屋敷内に響き渡る。
内入りから一時間、
屋敷の隅々まで探索を続けていた老子たちの頬が
赤く染まる。
老子たちが続々と集まっていく。
木は光月之助良しっさ。
この間の遺婚、覚えたるか。
朝の匠の神、
家来公上。
光月之助殿を打ち止めることができなかった。
匠の神の無念を思うと、
私ども家来は、
我慢ができませんでした。
光月之助殿のような高い身分の方に対して、
行き通りを持つことは、
恐れ多いとは思いますが、
1:33:00
ひたすらに、
亡き殿の無念の思いを
晴らす志でございます。
すでに光月之助は絶命している。
一堂はその亡き柄をしばらく
無言で見下ろした。
殿の恨み、
ここに晴らす。
光月之助の首、
打ち取ったり。
平方の負傷者、
二十三名。
討ち死に、十六名。
対して、
阿光老子の負傷者は二名。
討ち死にはなし。
阿光老子は、
平方の半分の兵力でありながら、
微細に張り巡らせた戦略で、
圧倒的な勝利を収めた。
平方の負傷者、
二十三名。
討ち死に、十六名。
長い夜が明けた。
屋敷の火の後始末をしてから、
四十七師は、
嫌い屋敷にほど近い寺院へ向かった。
着物を整え、
しばしの休息を取るためである。
しかし、
幕府に疑いをかけられることを恐れた寺は、
門を開けない。
本来は、
見苦しい姿を整えてから、
殿の墓前に伺いたかったが、
いた仕方あるまい。
今、殿の墓まで参ろう。
かくして一堂は、
戦いの興奮も冷めやらぬまま、
朝の家の母大寺であり、
匠の神が眠る、
戦学寺を目指すことになった。
吉江門はいるか?
ここに。
これから、お役目を申し付ける。
措置にしかできない、大切な仕事だ。
はい。
赤尾老子四十七人が、
本会を遂げたことを、
匠の神様の弟大学様と、
御後室、
陽前院様にお伝えしてくれ。
措置なら、長人になりすまし、
戦儀の目をかいくぐることができる。
かしこまりました。
必ずお伝えいたします。
お伝え次第、
戦学寺に向かいます。
その儀は無用。
戦学寺には来るな。
何故でございますか?
申したはずだ。
これは、
措置にしかできない役目だ。
措置は、
生きよ。
生きて、我らのことを伝えて欲しい。
我らは、
狼に立てつくつもりはない。
だが、
これだけの騒ぎを起こしたのだ。
断止は免れまい。
我らはいい。
ただ、
残された演者が、
荒ぬ風評を立てられて苦しむことは避けた。
だから、
我らの様子を後世に伝えて欲しいのだ。
1:36:03
キチエモン、
私からもお願いする。
トヨーカの母上に伝えてくれないか。
父上の見事な栽培を、
裏門の大将となった、
力の戦いぶりを。
それができるのはキチエモン、
お前だけだ。
かしこまり。
キチエモンを除く、
悪王老子四十六人が、
本城から、
墨永を南へ下り、
英体橋を渡って、
かつて、
悪王判定があった、
築地鉄砲をズオン抜ける。
白い小袖で包んだ、
光月の助の首を、
槍の上にくくりつけ、
血のついた太刀を掲げ、
怪力を浴びた小賊で、
胸を張って進軍する老子の姿に、
江戸っ子は、
怒った。
すげえもんだ。
ほんとに敵討ちやっちまった。
おいら、あいつ知ってるぜ。
あの戦闘で白い布を掲げてるお侍。
一膳飯屋で息統合して、
おごってやったんだ。
ほう、あの時の。
お前さ、お偉いお侍さんだったんだな。
まあな。
おかげで敵討ちができたぜ。
一番のいの二番刀で、
大活躍さ。
恩に切るぜ。
江戸っ子の驚きと称賛を浴びながら、
一同は進む。
ふうやきわずで孤高をしのいでいた老人が、
一瞬で、
赤尾義士という英雄になったのである。
この騒ぎはやったな。
この熱狂に、
誰よりも驚いていたのは、
倉之助である。
ついに、
炎の無念を払うという大仕事を成し遂げた。
倉之助は、
初めて気を実感した。
歩き続けておよそ三時間、
倉之助一行は、
ついに戦学寺にたどり着く。
倉之助は、その門前を仰いだ。
ついにこの日が参りました。
高助之助の首を、
井戸で洗い、
匠の神の墓前に供える。
十二月十四日未明、
大石倉之助以下四十七名、
仇、
倉高助之助を、
討ち取りました。
老子たちは、
一人ずつ名乗りをあげて、
1:39:01
殿の墓前にぬかづいた。
そして、
人目もはばからず、
声をあげて泣いた。
幕府大滅経、
戦国宝起の神久直は、
戦学寺に墓産を、
自主してきた赤尾老子一同を、
取り調べることになった。
この恒常書によると、
穂度の主義は、
殿の御無念を晴らすための、
仇討ち、
だと申すのだな。
私どもの主、
浅野匠の神は、
倉高助之助殿と、
喧嘩をいたしました。
その証に、
我が殿は、
この間の遺婚、
覚えたるかと、
申したそうでございます。
主が、
喧嘩によって切腹した以上、
喧嘩のお相手も、
処罰を受けるのが、
正義だと存じます。
この旨、
かねてより嘆願して参りましたが、
お聞き届けいただけなかったので、
武士として、
喧嘩両成敗を、
行った次第です。
なるほど。
しかし、
徒党を組んで老人の首を取るとは、
穏やかではない。
起伝の行いは、
御神に対する反乱と取られても、
仕方のないことだと思うが、
いかがなりや。
その点こそ、
最も倉之助が、
心を砕いたところだった。
話は討ち入り前に、
遡る。
丸山会議でも申し上げた通り、
この度の不当なお裁きの根本には、
綱吉公が、
執事の怪しい母親に箔をつけるために、
朝廷にすり寄ったことが、
発端と思われます。
それでなくても、
母一匹殺すことさえままならぬ、
生類憐れみの霊など出されて、
町の衆は、
久保王様に対して、
不平不満を募らせています。
だから。
だから、
久保王様に対して、
我らは抗議をするのです。
だが、
我らは抗議をするのです。
光月之助の首を取った上で、
久保王様の鼻を明かすのです。
勝服しかねる。
なぜ?
我らは、唯小説ではない。
無本人となったら、
朝の家の面目は地に落ちぬ。
しかし、
このままでは、
悔しくありませんか?
悔しさは、
一時の感情。
しかし、無本人となったら、
最後、朝の家だけでなく、
我ら一度、
死死存存まで石もて追われる身になるぞ。
考えてほしい。
1:42:02
何のために、
二年近い月日が必要だったのか。
辻道を立て、
味方さえ欺き、
根気よく探願を続け、
そうして今、
最後の手段として、
討ち入りの計略を進めている。
それも一歩一歩、
暗闇で踏み外すことのない道を探っている。
全て、
殿の名誉を取り戻すために、
費やした時間である。
案じて、
殿を逆賊にしない。
そして、
我ら同志一同も、
逆賊にはしない。
倉之助のこの真意が、
戦国の前で明かされる。
では、紀蓮は、
御神に歯向かったのではないというのだな?
はい。
この討ち入りは、
あくまでも主君の敵討ちのため。
御神に逆らう気など、
さらさらありません。
赤尾麻之家は、
執述豪賢を旨とする武士の家柄。
優位小説のような無本人になったら、
武士としての一文が立ちません。
この度の討ち入りが戦でない証拠に、
我々は万が一のために、
鎖肩びらをつけてはいましたが、
鎧兜をつけてはおりません。
また、鉄砲のような
飛び道具も用いませんでした。
目指すは、
光月之助殿の首一つ。
殿の無念を晴らすことだけが、
私どもの願いだったのです。
我らは、
大義に生きておりまする。
その御覚悟。
受けたまわった。
倉之助の覚悟は、
幕府の養殖を務める戦国の心を動かした。
それで、陸様、
倉之助班たちのその後は、
何と言っても、
討ち入りの頃、
私は当かそこらの子供でございましたから、
細かいことは覚えておらんのです。
さようでございましたか。
あの頃、当やそこらということは、
力と力です。
その後は、
力と同じ年頃ですね。
力様は、私より三つ年上になるんちゃいますかね。
力が生きていたら、
あなたのような立派な大人になっているのですね。
討ち入りから二十年たちましたから。
ただ、
浄瑠璃の下作者が立派かどうかは分かりませんが、
わざわざこのような昔話を聞きに来てくださったんですから、
覚えている限りのことはお話しいたしましょう。
1:45:05
戦国屋敷で取調べを受けた後、
赤尾郎氏四十六人は、
四つの大名家にお預かりとなりました。
倉之助、
吉田忠左衛門様、
片岡元吾衛門様らは細川家に、
力や堀部康兵様らは松平家に、
その他の方々は水野様、
毛利様のお屋敷でお預かりとなりました。
それぞれのお屋敷では、
手厚いもてなしを受けたそうです。
もう一回の浪人ではなく、
赤尾義士だったのですな。
取調べをした戦国様のお口添えがあったのでしょうか。
それだけではないでしょう。
江戸っ子も、
あっぱれ侍の鏡、
江戸中の手柄にご座候、
と称えたようです。
そうでしたか。
白紙を送った者の中には、
御政道に対する反発もあったようです。
赤尾義士が、
上様に意見した武士に見えたんでしょう。
倉之助班は、
カタクナに否定していましたから、
皮肉なもんですわ。
そうだったんですか。
町の声に押されて、
赤尾義士の処分に時を費やしました。
匠の神班の時のような不当な裁きは、
もうできないんです。
悩んだ津名義子は学者を呼んだ。
そして、
赤尾老子の行いは、
主君に対する忠義としては褒められるが、
騒乱を起こしたことは、
武士の礼節を書く、
という辺理屈を作らせた。
上様は、
倉之助達に、
切腹というお裁きを下しました。
切腹は、
名誉を重んじた武士だけの作法です。
ありがたい幕引きだったと思います。
これ、
倉之助班が勝ちですぜ。
勝ち?
さよう、
人は死ぬ。
早いか遅いかの違いはあれど、
どうしたって一度は死ぬ。
だから、人間はどう死ぬかということに、
こだわらないとあかんのやないかと思います。
どう死ぬか、
とはすなわち、
どう生きるか、ですわ。
なるほど。
その点、
倉之助班ら、
あこう義士のみなさんは、
武士として生きた証に、
武士として最高の死を賜った。
倉之助班が心配したような、
無本人という扱いにはならなかった。
これは勝ちですぜ。
そう言われると、
救われたような気がいたします。
おかげさまで、
私ども演者も、
少しずつ名誉を回復していただきました。
1:48:01
討ち入りの年に生まれた大サブローも、
ここ広島で、
志願がかないました。
そーら良かった。
倉之助が、
討ち入り直後に作った和歌をご覧になりますか?
ぜひ、お願いします。
吉江門さん、
旦那様の和歌、
どこにありましたか?
こちらでございますか?
あ!
あなたが寺坂吉江門様ですか?
はい。
四十七番目のあこうにしだ。
いいえ、いいえ。
そんな大げさなものではありません。
こちらは、大阪の竹本座という小屋で、
浄瑠璃芝居を描いている、
竹田出雲様です。
今日は、倉之助のお話を聞きたいと言って、
はるばる大阪からおいでになったのです。
あら、楽しい。
思いははるる、
身は失る。
浮世の月に、
架かる雲なし。
あれだけの仕事をした後に、
このように、
あっけらかんとした歌を残すなんて、
倉之助は、
やっぱり夜空に輝く星ではなく、
見えるか見えないかわからない、
昼間の星かもしれないと、
思いませんか?
奥方様、
この話、書かせていただいてもよろしいか?
ええ、ぜひ、
のちのちまで語り継がれるような芝居に、
仕立ててください。
吉江門様もよろしいか?
そうですなあ、
でも、
自分が芝居になるなんて、
恥ずかしいことだから、
せめて私が死んだ後にしてくださいよ。
その後、
最後のあこう義士、
寺坂吉江門は、
83歳まで生きた、
武田出雲、
長楽、
並木泉流による、
奏本中心蔵が上演されたのは、
吉江門が亡くなった翌年のこと。
内入りから実に、
46年の月日が経っていた。
以来、
倉之助と四十七師は、
中心蔵という物語の中で、
今も生き続けている。
いかがでしたでしょうか。
本編の進行役、
1:51:00
奏本中心蔵の作者、
武田出雲という設定で、
四十七師の最後、
生き残った一人、
寺坂吉江門は、
この武田出雲に、
内入りについてを、
正しく伝えるために、
生き延びた。
その後、
寺坂吉江門は、
この武田出雲に、
正しく伝えるために、
生き延びたという。
ここは、
本作の創作の部分ではありますが、
面白い観点だったのではないかな、
と思います。
この阿光事件、
史実としては、
なぜ、
匠の神が、
喜良光助之助に、
斬りかかったのか、
という点については、
一切、
内入りまでの、
一年半という時間、
この期間は、
国賀郎の、
大石倉之助としては、
仇討ちというよりも、
まず、
第一に、
お家最高ということが、
念頭にあった。
そのために、
奔走した時間だった。
そういうことだったんですね。
最後、
仇討ちを実現させた、
阿光老子が、
それぞれの大名に、
熱くもてなされた、
という史実も、
あるんですね。
実は、
この時代、
仇討ちを実現できれば、
立派な武士として、
非公式では、
あるんですけれども、
功力で召し抱えられる可能性が、
あったんです。
そして、
それを望む、
阿光老子の旧心派と、
お家最高を第一と考えている、
倉之助の葛藤というところもですね、
ドラマとはまた別に、
リアリティのある、
実情が描かれていたのではないかと、
思います。
そして、
ウィルダネスの、
アメリカの、
アメリカの武士は、
アメリカの武士である、
アメリカの武士です。
そして、
討ち入りが成功して、
江戸市民からは、
喝采を浴びたということ。
これは、
当時の、
時代背景としては、
徳川綱吉の、
知性の時代ですよ。
生類憐れみの霊が出て、
イヌクボウと呼ばれるぐらい、
徳川家の権力が、
将軍家が決めたことは、
絶対という状況。
しかも、
戦国時代、
1:54:01
武士が刀を振るって、
戦う時代から、
もうすでに100年以上経った時代にですね、
一方的な、
最低で、
老いえ最高不可の処分という、
まあ理不尽極まりないものに対抗して、
またそれを、
刀の力で、
当時消えかけていた、
真の武士の精神をもって、
実現した。
まあこういうところに、
市民が震え上がった、
ということでは、
ないでしょうか。
これが、
後の中心倉の、
爆発的なヒットにもつながる、
まあそういう、
ことになったのではないかなと、
考えてしまいます。
そして、
その武士を、
見事に体現していたのが、
若干、
16歳で最後を迎えた、
大石力。
老いえ最高のために、
動きが見えない、
父との葛藤がある、
戦国時代、
戦国時代、
戦国時代、
戦国時代、
真っ直ぐすぎる少年が、
最年少の、
阿弥陀義士として、
最後打入を果たし、
寺坂吉江門に、
後のことを、
頼むと言った時、
この力の成長を、
見届けてきた、
吉江門の気持ちになって、
考えると、
胸に熱いものが込み上げずには、
いらない、
いらない、
いらない、
いられませんでした。
この様々な人間模様が、
絡み合って、
そして、
敵討ちという、
永遠に残る、
ドラマ性なんかもですね、
この辺り、
阿弥陀義士、
そして、
中心蔵について、
次回、
エピローグ回として、
私、ナビゲーターの熊谷陽子が、
シーズン4、
倉之助の流儀を書き起こしてくださった、
脚本家、
斉藤智子さんに、
より深い話を、
インタビューをしてきましたので、
そちらを公開いたします。
どうぞ、お楽しみに。
作 斉藤智子
演出 岡田康史
出演
大石倉之助
桜部茂
1:57:01
稲葉剣
竹田出雲
茅野参平
浅野永紀
大石松之助
大内唯
堀部康豈
養全院
高田軍兵衛 浜崎忍
狭間駐次郎 美代
寺坂吉江門 大東秀夫
選曲効果 松坂
音楽協力 H-NIXギャラリー 天茶
スタジオ協力 スタッフアネックス
プロデューサー 富山雅昭
制作 株式会社ピトパ
皆さんこんにちは ボイスドラマで学ぶ日本の歴史
ナビゲーターの熊谷 陽子です
あの有名な物語 中心蔵の元となった実話の事件
あこう事件ですね こちらを題材に書き上げたシーズン4
あこう事件 倉之助の流儀
いかがでしたでしょうか まだお聞きになっていないという方は
ぜひ本編もお聞きいただければと思います さて今回はそのシーズン4
あこう事件 倉之助の流儀 脚本を手掛けていただきました
斉藤智子さんにスタジオにお越しいただきました 斉藤さんよろしくお願い致します
斉藤です どうぞよろしくお願いいたします
よろしくお願いいたします さあまずはですね 斉藤さんのご自身のことをお聞きしたいんですが
斉藤さんは普段たくさんの文字文章を書かれているということですけれども
最近のお仕事のこととかですね 日本の歴史もかなりお好きとお聞きしておりますので
その日本の歴史についての関わりなどもですね お話ししていただければと思います
よろしいでしょうか
かしこまりました
私のですね 全ての始まりは映画なんですね
もし名刺の肩書きを書くとしたら映画ファンって書いてもいいぐらいのものなんですけれど
そのストライクゾーンが白黒の時代劇
白黒というのは戦前であると絵の剣とかですね
そういうのもからですね あと前世紀はやはり戦後の50年代
まだからが出る前の50年代の白黒の映画が時代劇が前世紀で
皆さんのよくご存知の黒沢とか水口とか面白いなと思って見てました
2:00:05
それがどんどんですね 見ていくうちに
時代劇の母親っていうのが発見しまして それが歌舞伎だったんですよ
で今は歌舞伎ファンも名乗るようになりまして
歌舞伎の解説をですね 同時解説っていうのが劇場に行くとあるんですが
その解説をしたりしてます
あとはそういう関連の書き物なんかもさせていただいているという感じです
あれですか 歌舞伎見に行った時にイヤホンで聞くのでしゃべっていらっしゃる
もしかしたらどこかで私 お世話になっているかもしれません
こちらこそ ありがとうございます
素晴らしいお仕事ですね
あれがあるのとないのとではやっぱり入り口としては全然違いますよね
なるほど すごい歴史にお仕事が食い込んでいる中で
今回このアコー事件を作品として取り組まれたということですけれども
このドラマの中でも語り尽くせなかったいろんなお話などもあるかと思うんですけれども
その辺お伺いしてよろしいでしょうか
かしこまりました
一応倉之助の流儀というふうに副題をつけたんですけれども
コンセプトはですね 倉之助のプロジェクトXだと
そういう考え方で作りました
その理由が大きく分けて2つあって
いわゆる本番本ちゃんのビジネスマンの知的好奇心をくすぐる要素が
アコー事件の中にあるんじゃないかということと
もう一つが今よく言われるアンガーコントロールということですけれども
怒りとか感情をコントロールした方がビジネスうまくいくよみたいな
ノウハウ本がよく出てますけれども
そのノウハウにも倉之助の人隣というのはすごく当てはまっているんじゃないかなと思ったので
そういうところを描ければなというふうに思ったのが理由です
なるほど 今リーダーシップというのがコロナな状況で
なかなか難しい語りとかする上司の皆さんぜひ聞いてもらいたいですね
そうですね 本当に
怒りが湧き上がった時に人間ってどうも2つパターンがあるらしいんですよ
その怒りを外に出して相手を攻撃するっていうやり方が一つ
2つ目はそうきたかって言って1回受けて
現実の問題に対応していきながら
その怒りを整理して戦うときは戦うっていうふうにする選択
倉之助っていうのはその2つ目の選択をしたんじゃないかなっていうのが
今感じていることです
なるほど これ1700年代のお話ですけれども
2:03:02
当時としてはですね
偉い人たちってすぐかっときてパシャーときて
っていうイメージが私の中にあるので
下の者たちは逆らえない思うことを言えないみたいな感じでイメージしてるんですけれども
ものすごい現代のリーダーシップ論に
倉之助は近づいているというふうに感じるんですけれども
そういった点でこの中心倉ですね
私もちょっと調べてみたんですけれども
江戸時代の発表当時すごい人気だった
今で言う今も鬼滅のどこを開けても鬼滅の刃みたいな感じですけれども
それぐらい当時ねみんな猫もシャクシーも中心倉みたいな感じだったと
調べてわかったんですけれども
なんでこんなに人気が出たのかなっていうところってお聞かせいただけますか
今ですね鬼滅の刃という話が出ましたけど
私は半蔵直樹だと思ってるんですよ
そうですね
あのすいません例えが浅はかでした
全然全然
でもまさにそのブーム的に言うともう鬼滅なんですよ
私鬼滅の刃見てないけど
だいたいもうあらすじわかっちゃったんですよ
みんな見てなくても知ってるっていうぐらいが
やっぱりおっしゃるように金手本中心倉で
半蔵直樹っていうふうに思った理由はですね
いくつかありまして
まず庶民の代表が理不尽な理由で苦境に立たされると
しかし勇気を持って権力者に立ち向かう
最後には権力者に土下座ならぬ打ち入りで打ちまかすと
一死報いるということですね
それで見てる人はスカッとするわけですけれども
その過程の中で個々の今回で言えば力であったりとか
地獄七死それぞれの人間模様が描かれていくっていう
このフォーマットまさに半蔵直樹だなと
でも面白い話ってそんなにある程度型があるものなので
それを現代の銀行に置き換えたということで
特にその最後のですね
個々の人間模様っていうところが
組織の中で苦労している日本人の好みに合うのかなと
あとヒーロー像というのも先ほどちょっとお話ししましたけど
大石倉之介ってアメリカンヒーローみたく強くて
俺についてこいっていう感じじゃなくて
なんかそうきたかって受けて出すっていう
そのリーダー像もとっても日本人に合うんじゃないかなと思ったり
しますけれど
そういうところがもしかしたらその力との
お父さんと息子の角質っていうか
あんまりいないですよね倉之介みたいな
見方によっては何だよ何も決められないで
どうすんだよみたいな感じのところがありますよね
2:06:05
私その歌舞伎がやっぱり好きなので
歌舞伎の方から入ったんですけれど
金手本中心蔵っていうのはもともと人形浄瑠璃で浄瑠璃の語りっていうのがありまして
そこで大石のことを語っている
語りがあるんですけれどそれをちょっとご紹介させていただきますね
例えば星の昼見えず夜は乱れて現る
これが大石倉之介ならぬ大星ゆらの助のことを描写した一節なんですけれども
ニュアンスとしては
昼の星っていうのは本当にそこにはあるんだけど見えないですよね
だけど夜になると乱れるように輝くっていう
それを大星ゆらの助っていう人物にたとえて話してるんですけれども
夕日になると画然きらめくっていう
この人物像っていうんですかね
これがすごくかっこいいなぁと私は思います
なるほど今お名前が大星ですよね
これって今私たち普通に朝の巧みの神大石倉之介って実名で話してるじゃないですか
これってその当時その人形浄瑠璃で最初に大ヒットした時にはそういう仮名っていうか
劇中名というかそういう形だったんですか
江戸時代はですねそもそも建立があったので
その女神に羽ばかってですね本名というのは中心ぐらいに限らず出せなかったんですよ
なのでそういうみんな誰だか分かるんだけど
とりあえず変名っていう約束事があって
カネデフン中心ぐらいで言えば
コウノモロナオとエンヤハンガンっていうのが大兵器の実在の人物の名前なんですが
それがコウノモロナオがキラコウズケノスケ
エンヤハンガンが朝の巧みの神っていう記号として使っていたっていうことなんです
これはお神にとっては非常にあこう事件っていうのはですね
お神の旗元に刃を向けた人情事件だから
結構幕府からしたらあんまり受け入れられる事件ではないので
そこを巧妙に隠すためにも変名を使ったり舞台を変えたりっていう
細工をしたっていうことだと思います
なるほどこれって実名で語られるようになったのっていつ頃からなんでしょう
明治時代にですね
今度は近代演劇の真山聖歌という人が
玄緑中心蔵というのを歌舞伎の方で作りまして
そこからは実名でやるようになりました
2:09:01
じゃあ明治より前はいわゆる江戸時代まではそういう仮名っていうかね
そうですね
あれでやられてたんですね
そうですね
やっぱ将軍家の力が絶大に強かったっていうことなんですかね
そうですね今みたいにストレートじゃなくて
モンタージュで分からせるとかそういう遊び方がすごく多かったみたいですよね
やっぱりその懸悦があるっていうことだと思うんですが
どんな懸悦があってもその間をくぐり抜ける庶民みたいな
そういういたちごっこというか
そういうところでみんな庶民も慣れていたので
一応これた兵器の世界ですよって歌ってて
本当は中心蔵の片桐内の話でしょってみんな分かりながら見てたっていう
ダブルスタンダードが当たり前の世界が江戸時代だったっていうふうに考えてます
なるほどそうなんですね
ではですねちょっとここからですね
本編の内容についてもうちょっと深く質問させていただきたいのですが
そもそも中心蔵自体は皆さんよく知っている内容かと思うんですけれども
まずですねそもそも倉之助が匠の神に思い入れる理由
それは何だったのだろうかと
そうですね朝野匠の神っていう藩主を支えていたのが
大石倉之助という国がろう人がろうということで
会社に例えると社長が朝野匠の神で
役員が倉之助っていう感じだと思うんですね
匠の神が明君だったのかどうかということについては
良い評判と悪い評判その2つがあります
その中でなぜ大石はここまでしたのか
社員を率いて一心報いたのかっていうと
親戚だったからっていうふうに私は一つ今回資料を読んで思い当たりました
そうなんです倉之助は朝野匠の神の家
藩主の家と親戚関係にあったんです
倉之助のおじさんそして後県にでもあるですね
大石忠物助は
あこう藩の初代藩主の娘鶴姫という方を奥様にもらっていたんです
なので直接の血のつながりはないけれども
やっぱり人がろうというのは
格のとても高いお家の
しかも桃園にあたるっていう感じで
すごく深い縁があるっていうことが一つあったんだと思います
あこう株式会社が潰れてしまったときは
感情的な匠の神がかわいいからとか好きだからとかっていう
2:12:01
まず責任感として匠の神が動いたのかなというふうに思えるんですけれども
匠の神はどう思ってたのかっていう感情を知る様子がとしては
一つエピソードとして紹介できるのは
匠の神が切腹を賜ったその直後
あこう藩のお城を開け渡すっていう場面が来るんですけれども
1ヶ月もしないうちにお城出てけと
あこう藩出てけと言われたときに
倉之助は家来一同で切腹しようと
そういうような劇を飛ばしています
これが何のために切腹をするかというと
朝野家のお家を再興するためにその覚悟を見せるために
家来一同で切腹しようじゃないかと
そうやってみんなは倉之助の覚悟を聞いて
倉之助についていく決意をするというようなところなんですけれども
そこまで言えるっていうのはやっぱり
匠の神や朝野家に対する並々ならぬ思いがあったというのは間違いないと思います
たくみの神いろんなドラマとか映画とか
そういう場面ですごくよく描かれるじゃないですか
結局先に切腹させられて
いなくなってしまっているので
みんながすごいリスペクトされているみたいな描かれ方していることが
すごい多いかと思うんですけれども
私ですねいろんな
そういう中心格好さまざまな中心グラ
あこう事件とかあこう老死とかいろんなドラマ見てきたんですけれども
最初の場面で松野廊下で認定事件を起こすところで
キラ小助之介が毒吐いて朝野匠の神を怒らせて
なんだぞみたいな感じでそれで切りつけて
なんかこのこのジジイみたいな感じで
キラ小助之介も決して良くないというか悪者
絶対的に画面に出てきた瞬間にこの人悪役だよねっていう出てき方をするじゃないですか
それがですね朝野匠の神だけ切腹で
その喧嘩両成敗と言われていた時代にもかかわらず
キラ小助之介は無罪方面だった
これはなんでなんでこうなっちゃったんでしょうかね
そうですよねやっぱり私も資料にあたって
今回いろいろわかったことが多いんですけれども
匠の神がいじめられてたっていう資料はないんですよね
そうなんですか
若干ご乱心だったんじゃないかっていう資料は若干あるみたいですね
ただ匠の神が切りつける時にこの恨みを覚えたかっていうことを言ったっていうのは
その場にいた人の記録にあるっていうことなので
匠の神が明君だったかどうかというのは本当に謎だし
2:15:02
小助之介が本当にいじめたかどうかというのも謎ですよね
思いのほかそんなに悪い人じゃなかったかもしれない
その可能性もあります
そういう見方もちょっと新しいですね
ここもだからやっぱりここで絡んでくるのはやっぱり倉之助の深い策略なんですけれども
今熊谷さんがおっしゃったように当時の喧嘩両成敗という考え方であれば
一方が説服ならこっちも説服っていうのが常識だったんですが
幕府は奇弁というかだってキラは切り返してないじゃないかっていうことを言って
切り返してないんだから歯向かってないんだからこれは喧嘩じゃないよって言って
この一方的な裁きを丸め収めようとしたわけですよ
でもそれじゃ腹が収まらないよっていうのがこの人たちで
じゃあどうやって倉之助は筋道を通したかっていうと
倉之助はあくまでもこれは喧嘩ですって言い続けたわけですね
それはですね打ち入りの時に掲げる家来向上書というところにはっきり書いてあるんですけれども
倉之助の理屈としては武士と武士の喧嘩であれば喧嘩両成敗であると
喧嘩両成敗は武士の筋道なのでそのためにキラを打ちますと
あくまでも恨んで恨みを晴らすとかそんなことじゃないんです
武士の筋道を果たすために打ち入りしますっていうことを何回も何回も書いていて
それがあこの人たちが正義の義士だって言われるような元になっているのかなと
なるほどねちょっと私的なうがった見方すると
敵討ちが達成されると功力で召し上げられるっていうところが目的で
腹の底であったのかなと思っちゃうんですけれどもどうなんでしょうか
おっしゃる通りで一般的にはですね
お家断絶になったら再就職の道を求めるっていうのが当然の成り行きですよね
会社倒産したんだからできれば同業他社に転職したいと
失業保険もない状態ですね
でももう侍は嫌だって言うんだったら脱サラしてラーメンをやるか
地方に戻って農業やるかっていう町人や農民になるっていう方もあります
で実際にその
祭司官っていうのは非常にこうみんなの夢というか
一番なりたいことだったんですけれど
そのあこう事件の数年前に集団で敵討ちをしたら
2:18:00
祭司官がかなったという実際の例があったらしいんですよ
だからあこう義士の中にはその祭司官できるんだったら
打ち入りしてもいいよみたいな人たちもいたとは思います
なるほど
ただですねあの実際に残った47人
初めも100人ぐらいいたわけですから
倉之助と行動を共にするって言ったのが100人いたのが47人最後になってるんですけれど
その残った47人の人たちは家族宛に手紙を書いたりとか
自生の句が残ってたりするんですけれど
そこを読むとですね
まあだから祭司官してやろうとか
そういう計算ずくの感じはほとんどしなくて
純粋な気持ちでむしゃらな思いで
物資の通しての筋道を通すんだみたいな
その純粋な思いで打ち入りしたんだなというところが
やっぱりそういう手紙から感じられるので
そこは信じたいなと思ってます
信じます
わかりました
今日から私信じます
その喧嘩両成敗っていうところで
倉小助之助は何にもされなかったかというと
何の罰もなかったかというと
その屋敷が本庄に蔵替えになるという
それってある意味罰なんじゃないかなって私思うんですけど
それはどうなんでしょうか
はいそうですね
倉小助が切腹した年の8月
もともとあったキラの屋敷は
日本橋の五福町という場所だったんですが
そこから本庄に屋敷替えをさせられました
本庄というのは江戸城からすごく遠く離れている場所で
当時は桜も終わってなかったですし
川向こうという印象の強いような場所で
キラは恐怖を覚えたというような話も伝わっています
今の近市町あたりですよね今の地名でいうと
そうですねスカイツリーのお膝元みたいな下のあたりですね
この打ち利を裏で操ってたのは幕府なんじゃないかという説なんかも
亡きにしもあらずですけれども
これの実際のところをちょっと調べてみるとですね
五福町にいた時のキラ屋敷の隣の家が幕府に自寄所したという話があるんです
それは後老子の打ち入りが噂されてて
物騒だし迷惑かかったら迷惑をこむりたくないということで
キラ屋敷を移転させてくれないかということを幕府に自寄所したということらしいです
本庄に移ってからですね
実はキラはあんまり本庄の屋敷には住んでなかったらしいんですよ
2:21:01
その息子が上杉家の藩主だったので上杉の屋敷に行ったりしてたようです
上杉屋敷というのはちなみにアザブとか白金にありました
この時期ですね大石は何をしてたかというと
表向きにはお家最高ということでいろいろ動いていたので
キラがどこにいようが表向きには関係ないという感じだったんでしょうけれども
実際はキラがいつどこで寝泊まりしているのかという情報をつかむのがちょっと大変だったんじゃないかなという
仮説ですけれどもそういう感じもします
なるほど
一方ですね倉之助が京都で色待ちが用意してたっていう話も聞いたりなんかしてですね
これを正当化するためにそれは敵の目を欺くためなんだみたいな言われ方とかいろいろしてるんですけど
これ実際どうだったんですかね
普通に女の人が好きだったみたいです
別に敵の目を欺くとかじゃなくて
あくお時代にも独身だった時代かな
でもおめかけさんがいらっしゃったりしてますから
おめかけさんの子供が生まれたら高校してくれみたいな手紙も今残ってますね
そういう時代ですからね
ある意味色は自分の強さを表す一つのステータスじゃないですけど
当時の価値観ではね
そういう感じですもんね
秀吉とかもそうだけど要は人たらしだったのかなと思ったりして
あとすごく筆豆だったみたいなんですよね
細かにいろんなことを書いてあちこちに出してるので
豆の男の人ってモテるって聞いたことがあるんですけど
そういう豆でコミュニケーション能力が高いっていうことなのかなと思ったりしてます
そうですよね
またそういうところがある側面から見ると
一体何を考えてるんだろうみたいなところにもつながっていくのかもしれないですよね
そんなお父さんを持った息子の力ですよね
必ず重要なポジションとして登場するこの力なんですけれども
これたった15歳なんですね
改めて考えると今で言ったら中学3年生じゃないですか
たった15歳で打ち入りしてそんな筆豆な女好きなお父さんの
何考えてるのかちょっといまいちつかみどころがないような感じのお父さんの下ですね
15歳で打ち入りして16歳で切腹
高校1年生ですよ
まだこれから未来が広がる
2:24:02
この壮絶な人生を歩んだ息子の力ですね
どんな人物で本当のところどうだったのかなっていうところをね
いろいろ聞きたいなと思いまして
おっしゃる通りですね
武士というのは子どもの頃から死を恐れてはいけないっていうふうに育てられるっていうふうに聞いてますけれども
それでもねこうやって外から見ると非常に悲しいというか胸が痛い話ですよね
始めはやっぱり力が自分で志願したということを伝わってますね
お父さんは連れて行くつもりは始まらなかったということなんですけれども
結果論ですけれども
実際は抗議士というのは家族や兄弟で参加したというのが非常に多かったんですね
打ち入りの直前に倉之助が頼りにしていた親戚筋が離脱してるわけなんですね
そういうこともあって本当に結果論だけど力がいてくれたおかげで
応石家としての面目が立ったんじゃないかなというそんな気はいたします
なるほどね
力はですねエピソードとしてはあんまり多くないんですけれども
打ち入りの時に裏門で長を任されて一人敵を倒したというふうに伝わってます
素晴らしい
随分と大柄だったということが伝わっていまして
倉之助の奥さんの陸さんから受け継いだ遺伝子のようでして
そうなんですね
陸さんと倉之助って並ぶとのみの夫婦だったらしいんです
そうなんですね
その話すごい好きなんですよ
可愛くないですかなんか
すごい費用なのに奥さんの方が性高いんですよ
あなたってか
あともう一個ちょっとだけ補足しますと
ドラマの中で力と堀部康平の交流をちょっと書いてますけれども
打ち入り後に4つの大名家に預けになった時に
実は康平と力っていうのは同じ家松平家に預けられてたんです
なのでここでどんな交流があったかっていうのは本当に想像の域は出ないんですけれども
15歳16歳ですから高田のババでどんなことしたんですかみたいな何人倒したんですかみたいな話を
安倍から聞いたっていうようなこともあったのかななんていうふうに想像
それこそ想像しています
なるほどね
やっぱりこの打ち入りもですね
倉之助の緻密な作戦が非常に効いてるなという感じがします
良い衆党な感じっていうのはやっぱり少ない人数で勝利を収めるためにはどうしたらいいかということを
とことん練り上げたんだろうなと思います
ゲリラ戦というのは日本史にもいくつかあると思うんですが
2:27:04
その中でも倉之助というのは最も相手の心理というのを研究してたような感じがします
例えばですね基本的には100人がいる屋敷に47人で切り込むっていうことなので
それでどうやって勝つかっていうことなので
じゃあ相手の戦意をなくしてしまえば何人いようと平気じゃないっていうのが
多分作戦の根幹にあるような気がするんですね
まずその戦意を失うためにはどうするかっていうと
深夜3時に打ち入るとこれは上等ですけれどもね
表門と裏門に人を配置して押し入ると
表門から入った人は24人
これがですねその屋敷の周りに寝泊まりしている
侍の長屋というのがあるんですが
その長屋の扉をトントントンと釘で打ち付けちゃうんですね
そうすると侍たちは出られないわけですよ
寝てる間にいきなり扉が閉まってしまうと
その上で今度ですね
表門の23人というのは3人一組で中を入っていくんですけど
実際3人なのに富野守対30人は右へ進めとか
片岡対30人は裏対回れとか叫びながら進むんです
そうすると長屋にいる侍たちはですね
音しか聞こえないから30人も来てんのか
こっちも30人か何人いるんだって言って
もう恐怖が増してくるわけです
耳でしか聞こえないし
っていうことをやってくるわけです
で裏門対力が率いる裏門対というのは23人なんですけれども
これ表門が入った後から入ってくるんですが
こちらはこちらで火事だって叫びながら来るわけです
夜中に火事って怖いですよね
完全に心理戦ですね
火事だから何もしないで木の前に飛び出してきたら
もう槍でやられちゃうわけです
そうすると怖いと思いますよね
笑っちゃいけないけど
寝ぼけてる中で恐怖のどん底に突き落とされるっていうことなので
すごいですね
すごい緻密に考えられてますね
面白いですね
私ちょっと気になる方が一人おりまして
47死実は一人雲隠れしていると
この寺坂吉江門
今回この吉江門を創作の中では
後にこの本当のことを伝えるためにみたいな形の位置付けになっておりますけれども
実際の死実っていうのはどうだったのかなっていうところをお聞きしたいんですけれども
2:30:02
こちらも諸説ありまして
そこが逆にやっぱり創作する人たちの想像力を掻き立てるっていうことで
かなりフィクションにはよく出てくる方ですよね
元々は匠の神の家来ではなくて
47死の中で一番年長の吉田忠財門という格の高いお侍がいるんですが
その方の足軽だったんですね
足軽っていうのはお侍ではないので
内入りに参加する必要はないというか参加できない
本来であればっていう立場の人なんですけれども
自分で志願したのか忠財門に言われたのかそれもわからないし
内入り後に自分の意思で逃亡したのか誰かの見つめ
一説には朝野匠の神の弟の大学に内入りの話を伝えてくれって言われて
逃げたっていうふうにも言われてるし
それも確証はないんです
ただ寺坂自身が残した記録には
引き上げの途中死債あって一行から離れたというふうにだけ書かれています
これどのあたりで離脱したんですかね
一応内入りの際は裏門隊の一人として配属されていたみたいです
これは本当推測ですけど裏門っていうのは激戦が予想されたので
堀部康兵衛とか淡路英文とか腕の立つ人が揃ってたんです
そこに配属されたということは
やっぱり寺坂吉英文という人も何らかの特技というか
使えるやつだったんじゃないかなっていう想像はありますよね
どこでっていうのはちょっとわからないです
そしてですね内入りして最終的には
この吉英文以外の46人すべて切腹
あれこれ吉英文って最終的に切腹してるんですか
吉英文はですね実は1年後に幕府に辞書してるんですよ
そうなんですね
それででもいいよって言ってもこれ以上騒ぎ起こしたくないからっていうのが幕府の本音だったので
無罪訪問になってます
その後何年かすると私分に取り立てられるんです
侍に
それで83歳という当時としては慰霊な長寿で人生を全うすると
すごいですね
最後にですねこの内入り切腹までのドラマチックなところっていうのはたくさん語り継がれてきてるんですけれども
それがですねこれだけお家最高に向けて倉之助すごい頑張っていったわけですが
残された人たちのこのその後のお家最高というかそういった部分で結局はどうなったんでしょうか
2:33:06
はい朝野匠の神の弟朝野大学この朝野大学のお家を最高するということが倉之助の一番やっていた運動していたことなんですけれども
最終的にはですね
倉之助が亡くなったのが1709年なんですけれども
この倉之助が亡くなった後に大学は退社が行われてその後にですね
阿波国に賞料を与えられて旗元になったということです
千葉県ですかね阿波国ってね
そうですね
最終的に名誉は回復したということで
この朝野大学もですね今は阿光老子や匠の神兄匠の神と同じ戦学寺で眠っているということです
なるほどよかったです
この打ち入りしてヒーローになったせっかくヒーローになったのに切腹してすぐ死んじゃうわけじゃないですか
それが本当に名誉ある死に方だったのかなというふうに思うんですけれどもどうなんでしょうね
これ切腹まで期間どれぐらいだったんですか
12月に打ち入りがあって切腹が決まったのは2月なので3ヶ月弱ぐらいですかね
たった3ヶ月
一時はそれこそ無罪方面という意見も出たぐらい分かれたらしいんですよ
その処罰についてどうするべきかということをけんけんがくがくとやったみたいなんですけれども
とりあえずセロンが非常に阿光老子たちの味方になってですね
笹本幕府もセロンに押されたというような印象は否めないですね
無罪方面はさすがにないだろう幕府への反逆なんだからみたいな意見もあるし
かといって残衆という罪人にすると今度セロンが黙ってないだろうという意見もあって
その中間地点が切腹という武士としての名誉ですから
それこそ倉之助たちが言っていた武士の筋を通すというところで
一番かなってるんじゃないかというような処罰だったんじゃないかなというふうに思います
そうすると敵討ちしてよくぞやったってわーっと盛り上がって
そして切腹したってもう完全ヒーローみたいなそういう筋書きですね
今の現代からするとこの切腹とか仇討ちとか
仇討ちは形が武力ではなくて違う形でいろいろ
2:36:05
それこそ最初おっしゃってた半沢直樹のような形で繰り広げられている場面はあるかと思うんですけれども
この切腹っていうのはもうどうにも想像しがたいというか何で死んじゃうのっていうようなね
そういうイメージとして切腹することがすごく名誉とか武士の筋が通ってるとか
素晴らしいって惨憺されるっていうのがなかなか理解しがたいのが現代人かなというふうにすごく思うんですけれども
そうですねその遺族子どもたち例えば大石倉之助も男の子が2人いたんですけれども
15歳以上の男の子は遠投といって島流しに会ってたんですけれども
それも何年かすると解けるんですね
倉之助の子ども大三郎という男の子が内入りの年に生まれるんですけれども
倉之助は顔を見てないんですけれども
その男の子が何年かして大きくなると広島の藩に1500国で取り入れて過労になるんですね
要するにお父さんと同じ国高で採用になるっていうことで
確かに倉之助たち47人は死を賜りましたけれども
心霊演者というのはむしろヒーローというかヒーローの家族
あの時どうだったんですかみたいな多分インタビュアーが殺到したようなそういう扱いで
一方で先ほど100人のうち47人だったっていう話をしましたけど
残りの53人特に途中で離脱した人たちっていうのは結構いじめられるというか厳しい目で見られる
ちょっと余談ですけれども歌舞伎で四ツ矢怪談っていうのがあるんですけど
四ツ矢怪談で大岩さんを殺しちゃうイエモンっていう男
あれは阿光老子っていう設定なんですよ
要するに内入りに参加しなかった阿光老子
その逃げちゃった人
そうですそうですそうです
そうなんですね
そういう逆転するんですよねそこの切腹を機にそれぞれの価値観がね
なるほどもうそうやってなんか嫌なものとして後に語られちゃうわけですね
切腹に参加しなかった人たちのほうはですね
それも辛いと思いますけどね
そうですよね
残された家族とかがねまたちょっと痛いですよね
そうですね
なるほどね面白いですね
なんかストレートですね江戸時代の人たちね
そうですね
分かりやすいっちゃ分かりやすい
そうですね
2:39:00
だからこそ倉之助はこの現代風だったが故に分かりづらくて
ミステリアスに移ったんでしょうかね
そうかもしれないですね確かに倉之助だけ現代人ですよね
ですよね
確かに確かに
未来から行ってたんじゃないですかね
平成ぐらいのね
確かに確かに
なんかタイムスリップして行ってたっていうドラマの書き方ありますよ斎藤さん
ありがとうございます
タイムスリップといえばね
私もちょっと別の意味でそのタイムスリップしてきたんじゃないかって思った理由があって
それは引き上げの時なんですけれども
内裏が終わった後本塾から尖閣寺まで歩いて行列して
それが江戸っ子の目に止まって騒ぎが広がっていくんですけれども
その時に要するに江戸っ子っていうのは
怪力を浴びて首を槍の先にむら下げて歩いてる侍たちを見て
やっぱり関ヶ原からタイムスリップしてきたのこの人たちみたいな
そういう驚きがあったんじゃないかなと思うんですよね
これが侍っていう生き物かみたいな
もちろんその時代元禄時代も侍はいたけれども
刀なんて高級時計みたいな感じで
そうですよね
おしゃれとしてつけてるだけで
本当に刀を使うとか怪力を浴びるとか
そういう風景というのは見たことがなかったはずだから
平和な感じですもんね
生類和れみの例とかな
動物にまで気を使うような時代ですもんね
綱吉はだからそれもお話ししたかったんですけれど
綱吉っていうのは文字政治っていうふうに言われてまして
おっしゃるように平和的で
動物愛護っていうのはそれこそ先駆的な発想だと思うんですが
学問が好きで究極の文系だと思うんですよ
で阿吽藩っていうのは山賀祖公っていう人が
非常に思想的に影響を与えている藩で
山賀祖公の教えって体育会見なんですよ
だから阿吽藩の人たちは究極の体育会見
で綱吉が奨励した儒教の朱子学っていうのがあるんですけど
山賀祖公っていうのは朱子学真っ向から批判してるんですよ
もう対立すべくして対立してるみたいな
水と油みたいな
まあそういう深いところからもいろんな考察していくと面白いです
すいませんお手紙
いやいやいやいやいや
歴史のねこのつながりってすごくこう
何でしょう歴史って私学生の頃大嫌いだったんですよ
2:42:03
年号を覚えて人の名前を覚えてっていうので
もうなんかとにかく記憶力を試されている授業だみたいに
思っていたんですけれども
ちゃんと一つの物語として
でこうねまたいろんな人が繋がってくるじゃないですか
ここ親戚なんだってさっきみたいに
その血のつながりだけじゃなくて
そういう昔って
養子縁組的な感じで
こう行ったり来たりするじゃないですか
そういうのとか
なるほどとか
あと奥さん一人じゃないじゃないですか
なのでこれも子供みたいな
なんかそういうのとか
すごいそういうふうに見れるようになってから
もう本当にハマりましたね
ズルズルズルズル
芋ずるのようにいろんなものが出てきて
これがこことつながるんだって
なっていった時に初めて歴史を楽しめるので
ぜひこの番組を通してですね
リスナーの皆様もですね
歴史を皆様なりに楽しんでいただければと
そのお手伝いが私たちできたら
非常に嬉しいなというところでございますが
今日長いお時間
いろんなお話聞かせていただきまして
斎藤さんありがとうございました
とんでもないですこちらこそ
はい最後にですね斎藤さんの方からも
皆様リスナーの皆様に向けて
一言お願いできますでしょうか
かしこまりました
歌舞伎はですね
まだちょっと女高運転みたいなような開幕ですけれども
歌舞伎座ではですね
年に1,2回中心グラモのやってますので
もし興味が湧いた方はですね
たまにはお芝居にお運びいただければと思います
私自身はですね
時々歌舞伎解説やってますので
もしどこかで名前を見つけたら
ぜひ聞いてください
あとウェブサービスのノートっていうのがありますけれど
そこでも歌舞伎のことをちょこちょこと書いてますので
もしよろしければそちらも
イヤホンガイドっていうふうに検索すると
出てくると思いますので見てください
はいありがとうございます
歌舞伎で斉藤智子さん見かけましたら
ぜひお楽しみいただければと思います
ありがとうございました
ありがとうございました
それではボイスドラマで学ぶ日本の歴史
次回シーズン5も配信準備しております
どうぞお楽しみに
本日は斉藤智子さんにお話を伺いました
ありがとうございました
ありがとうございました
02:45:00

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