1. 二番経営 〜組織を支えるNo.2の悲喜こもごも〜
  2. #42 家が家を代々支える感覚。..
2024-12-18 28:03

#42 家が家を代々支える感覚。「元禄時代の二番経営」はかくも興味深い。大石内蔵助編②

▼今回のトーク内容: 

トップ・浅野内匠頭亡きあとのNo.2・大石内蔵助/赤穂藩は5万石/広島・浅野家から兵庫・赤穂に派生/塩田を持ち塩の生産が盛ん/先代が急逝し浅野内匠頭は幼少で藩主に/35歳で刃傷沙汰に及ぶ(松の廊下事件)/一方のNo.2・大石内蔵助/大石家は浅野家3代の家老/蔵助の父は35歳で死去/15歳で家督を継ぐ/大叔父から勉学・剣術の英才教育/21歳で赤穂藩の筆頭家老に/江戸に住んでいた浅野が地元に帰る/大石25歳、浅野17歳で初めて会う/果たしてどう信頼関係を築いたのか/本人同士というより「家が家を代々支える」感覚/No.2は家臣団(従業員)の代表/仇討ちというより家臣の思いを「遂げさせる」/お家再興が絶たれた時、武士の本懐を遂げる道/主君のためだけではない/自分たちの道を貫いた「討ち入り」という選択/「JAPAN PODCAST AWARDS」ぜひ「二番経営」に投票を! ⁠https://www.japanpodcastawards.com/⁠

▼番組概要:

COOや副社長などの「組織のNo.2」。その仕事をテーマに、トップのビジョンの実現の仕方や、仕事の面白さ・大変さなど「No.2の悲喜こもごも」を語っていく番組。製造業に特化したコンサルティング企業、オーツー・パートナーズ取締役の勝見靖英と、幻冬舎「あたらしい経済」編集長の設楽悠介がMCを務める。毎週水曜日配信。

▼番組ハッシュタグ:#二番経営

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▼MC:

勝見 靖英(株式会社オーツー・パートナーズ 取締役)

1971年生。慶應義塾大学文学部卒。ジャパンエナジー(現ENEOS株式会社)、PwC、デロイトトーマツコンサルティング、日本IBMなどを経て、2015年7月よりオーツー・パートナーズに参画、2018年4月より取締役。製造業を対象とした戦略策定、業務改革、ERP/PLM等大規模システム導入等のプロジェクトを多数経験。プロジェクトマネジメント、チェンジマネジメントを得意とし、現在は経営企画/会計/人事総務/組織開発/IT/マーケティング広報等を管掌。HCMIコンソーシアム RX 推進人材・高度ロボットSI エンジニア育成事業技術委員会RX 推進人材育成分科会技術委員。

設楽 悠介(幻冬舎「あたらしい経済」編集長) ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://twitter.com/ysksdr⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠

1979年生。明治学院大学法学部卒。マイナビを経て幻冬舎に。同社でコンテンツビジネス局を立ち上げ。電子書籍、コンテンツマーケティングなど新規事業担当。2018年にブロックチェーン/暗号資産専門メディア「あたらしい経済」を創刊。幻冬舎コミックスの取締役を兼務。「Fukuoka Blockchain Alliance」ボードメンバー。ポッドキャスターとして、Amazon Audible original番組「みんなのメンタールーム」や、SpotifyやAppleにてWeb3専門番組「EXODUS」など配信。著書に『畳み人という選択』(プレジデント社)。

▼ディレクター:

関岡 憲彦

▼プロデューサー:

野村 高文 ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://twitter.com/nmrtkfm⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠

▼制作:

Podcast Studio Chronicle ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://chronicle-inc.net/⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠

▼カバーデザイン:

松嶋 こよみ ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://twitter.com/

サマリー

このエピソードでは、元禄時代の大石倉之介と浅野匠の神の関係が中心に語られ、二番経営の視点からそれぞれの役割や立場が掘り下げられます。また、あこう事件に関連して、浅野家やあこう班の歴史が紹介されます。大石内蔵助が、殿の無念を晴らすために家臣団をまとめ、復讐や家の再興を目指す様子が描かれています。武士としてのプライドと教義が、家族や家の存在意義と深く結びついていることが強調されています。元禄時代における二番経営の重要性と、その背景にある武士道の精神について考察されます。また、大石内蔵助の治世や当時の法解釈に関連する議論の面白さも掘り下げられています。

二番経営の基本
スピーカー 2
二番経営 No.2の悲喜こもごも。
この番組では、なかなかおもてんでない会社の二番 No.2をテーマに
トップのビジョンの実現の仕方や、この仕事の面白さ、大変さなど
No.2の悲喜こもごもをリスナーの皆さんにお届けします。
スピーカー 1
こんにちは、株式会社オーツーパートナーズ 取締役の勝宮誠です。
スピーカー 2
現当社新しい経済編集長のしだるゆうすけです。
二番経営第42回、今回のテーマも前回に続きまして
原録時代のNo.2大石倉之介 中心倉編の第2回、最終回です。
スピーカー 1
はい、前回ですね、中心倉といわれる
あこう事件の一通りの流れを抑えました。
打ち入りの日、12月18日近いということで、前回お話申し上げたんですけども
今回はですね、朝野巧の神っていうその班の中でのNo.1と
大石倉之介という班の中でのNo.2、そして
トップが死んじゃった後のですね、No.2ってのはどういうふうに動いて
何で動いたのかっていうところを中心にですね、ご説明していこうと思います。
あとは、何で二次を起こしたのか、何で打ち入りをしたのかっていう理由のところは
分かんないですってお話を申し上げましたけども
ちょっとそこにも迫っていければというふうに思っています。
スピーカー 2
いいですね。
スピーカー 1
今回、あこう事件が起こったというところで
そこの主人公たちっていうのは、あこう班という組織に所属をしていたことになります。
あこう班っていうのはどんな組織だったのか、どんな班だったのかといいますと
前回もちょっと申し上げましたけども、五万国の班ですね。
このあこう朝の家という五万国の班には
本般と言われるような元々の朝の家がありました。
これは広島にあったんですけども、広島朝の家、これが38万国の国ですね。
そこから独立して五万国のあこう朝の家ができたというところです。
支配関係が別にあるわけではないんですけれども
親族関係がずっと続いているというのが広島。
このあこう班というのは瀬戸内海に面している場所ですね。
今の兵庫県の南西に位置しておりますので
そこの瀬戸内海に面してですね、塩の生産がすごく盛んでした。
品質が高くて、もう班の重要な収入源だったということになります。
この五万国という国高は全266大名中ちょうど100位ぐらいという感じになります。
大きいわけではないんですけども、小さすぎるわけでもないというサイズ感。
そこの当主である浅野匠の神長範という名前のお殿様が認証事件を起こしたわけですけれども
この浅野家というのはどういう家だったのかというところなんですけども
とざまだいようと言われる家ですね。
関原の時に徳川家についてないほうということになりますけれども
この浅野家が起きたのはですね、もともとあこう班にいたわけではなくてですね
1645年まではですね、匠の神のおじいちゃんの長直の時にはですね
今の茨城県の笠間藩ですね。笠間という地名今もありますけども
もともとそこにいたのが浅野家です。
そこからですね、領地替えをしてこのあこうというところに来ました。
1671年にですね、引っ越した時の班主が長直。
その息子の長友というのが後継ぎをしていました。
そこからすぐにですね、継いだんですけども
その長友というのが、もう4年経ったらすぐ死んじゃったんですね。
死んじゃったので、9歳でこのあこう班を継いだのが浅野長直、後の匠の神ということです。
今回の仁城座と起こした浅野巧の神というのは班主になったのが9歳の頃。
この浅野巧の神、浅野長直の性格ですけれども
昔から短期だとも言われる話もありました。審議のほどはわからないです。
ただまあそんなこと言われていたそうなんですね。
あとですね、この1600年代の終わりの頃に
いろんな大名のどんな班なのかっていうのをまとめた初代名名官みたいなものがあったんですね。
正しい署名は土海公衆記っていうすごく難しい漢字のものなんですけども
その中にこのあこう班、浅野巧の神についての記載が残っています。
それをちょっと引用しますと、巧の神は利発な人物で
良民も豊かだが昼夜問わず女色をむさぼり、女性に手を出してですね
その演者を出資させ、政治は過労に任せたままであると見える。
これも伝聞で書いてるって感じですね。
さらに過労の支配も心もとなく
若年の主君が色にふけるのをいましめないような
不忠の心による政治は覆つかないと。
お殿様は女の血ばっかり追っかけてですね
過労もそれを潜めるわけでもなく
適当にやっててもひどいもんだっていうことを言われていますと。
ただ審議の程は不明で伝聞みたいな書き方もしているので
何もわからないっていうのが実際ではありますけれども
この9歳で家族を継いだ浅野巧の神長典なんですけれども
彼が住んでいたのはその兵庫県の男性の阿公ではなくてですね
ずっと江戸で生活をしていました。
当時の266の藩主っていうのは基本的にトップはですね
みんな江戸に住んでいるんですね。
江戸に住んでいて幕府の中でいろんな役職仕事をしています。
お殿様なんですけど幕府の中では一家来として
いろんな職務を担っているっていう状況です。
自分の支配している藩はどうかというと
ナンバー2たる家老職というのがそこの支えをしているという感じ。
この浅野巧の神もですねずっと江戸で育ってきたというところですので
ほとんどこの阿公藩行ったこともないし知らないという状況でした。
当時の阿公藩には武士身分の人が300名いたそうなんですけれども
そのうちの70名がこの江戸藩邸に住んでいたということになります。
230名の武士が阿公藩で支援をしていたということになります。
9歳で継いだ巧の神ですけども江戸城での仕事をずっと重ねていて
この阿公事件があった時には35歳で任状沙汰を起こすということになります。
これがですね数少ない情報からあった当時の浅野家
阿公藩のトップ浅野巧の神と。
スピーカー 2
なるほど。
ちょっと伝聞ばっかりで本当はどういう人だったのかちょっとよくわからないという感じ。
大石倉之介の役割
スピーカー 1
今度はじゃあナンバー2はどうだったかということで大石倉之助側なんですけども
大石倉之助がいる大石家なんですけども
この大石家というのは先ほど浅野家はもともと茨城県の笠間藩でしたというふうに言ったんですけども
その笠間藩時代から過労食を務めていました。
一番ですねその浅野家とですねつなぎが強くなったのは
この大石倉之助のおじいちゃん大石義孝という代になってですね
そこから浅野永直っていう匠の神のおじいちゃんから
お父さんそれから匠の神まで3代仕える人がろうを務めていたということになります。
まあ代々過労食の家と人がろうの家というところですね。
大石倉之助のおじいちゃんも当然過労食をやったんですけども
じゃあですねそのおじいちゃんの弟に大石頼義重という人がいます。
まあちょっと名前はどうでもいいんですけども
このおじいちゃんの弟がとにかく浅野のお殿様にめちゃくちゃ可愛がられたそうなんです。
笠間藩から赤尾藩に移った時のお殿様浅野永直という人がいたんですけども
この長愛をめちゃくちゃ受けています。
長愛を受けてですね匠の神のおもり役をやったりですとか
あとは大石頼義重っていう過労食の家には子供が生まれます。
その子供をですねお殿様の養子のようにして
浅野藩の文家若狭野というところとまた他にもう一個あるんですけども
そこの文家の養子に迎え入れられて
つまり過労食なんですけども
殿様の家の養子に入ったということで
お殿様になっちゃったみたいなことですね。
なんでそれをやられるぐらいですね
当時の大殿様から長愛を受けていた
そういう一族っていうのが大石家というところだった。
大石倉之介が家徳を継ぐタイミングもですね
大石倉之介のお父さんは病弱で34歳で亡くなっちゃったんですけども
その後おじいさんとおじいさんの弟さんに育てられるような感じで
過労の教育も受けていくんですけれども
そこでですね分部領土を本当にしっかりと学んでいきます。
大石倉之介っていうのは15歳で家徳を継いでいくということになるんですけれども
お母さんも池田家っていうこれも名家の手なんですけども
唯一正しい部家、過労の家。
そこでですねおじいさんとおじいさんの弟の訓導を受けながら
いろんな併学を学んだりですとか
あとは剣術もですねかなり込ん詰めて習っていったみたいで
当時の兵庫県から高松の方まで四国の方まで行って
わざわざ剣術の修行をするぐらい一生懸命やられていたそうです。
この大石倉之介なんですけども19歳の時にですね
おじいちゃんも亡くなってですねこの大石家を継いで1500国の
最初は過労の見習いになって
21歳の時には国我労の定席
筆頭我労になりましたということで
22歳の時にですねこの後半の明治すともにナンバー2になりましたと
というのがこの大石倉之介で
今のところ情報としてあるのはですね分部領土を頑張ったっていうのと
大石家自体がおじいちゃんの代から浅野家ともうべったりくっついている
家同士その浅野家を支えていたというところがわかると思います
この大石倉之介と江戸住まいをしていた浅野匠の神っていうのは
いつごろどういうふうに初めて出会ったのかというところなんですけれども
これはですねもう筆頭我労になった後ですね大石倉之介が
大石倉之介25歳浅野匠の神17歳の時に初めてですね
あこうに戻ってきたそのお殿様と対面したと言われています
8歳年上の部下この時にどんな会話をされたのかとか
2人がどんな関係だったっていう記録は一切残っていないですけれども
どうなんですかね年齢差から考えてちょっと兄貴分のような部下というか
ちょっと頼りになるようなそういう部下っていうふうに思ったのかもしれないですし
ひょっとしたらもうあの殿様と家臣なのでまたちょっと違う見方をされていたのか
どうか分からない2人の心を温まるエピソードっていうのも一切ないという
なるほどなるほど浅野匠の神もそうなんですけども大石倉之介に対するですね
我労自体の記録っていうのは実はほとんど残っていないんですね
その中で唯一と言ってもいい残っているものっていうのが松山城の受け取りという話が
これどういうものかと言いますと四国の松山ですね松山藩というのがありました
このですね藩主がですね急に亡くなっちゃいました
で相続人もその2ヶ月後に亡くなっちゃったということで
継ぐ人がいないということで水谷池というところだったんですけども
そこが親断絶するということが起きたんですね松山藩で
親断絶するとそこに住んでいた家臣団はみんな引き払って幕に返さなきゃいけないことが起きます
城地没収というところですね
でその没収するのは誰かが受け取り人をしなきゃいけない幕の代わり
でその役割が浅野匠の神に来ました
あこうの浅野家が受け取ってきなさいというように幕の命令を受けました
で浅野匠の神は江戸にいますということで
その先行役前振りは家老である大石倉之介がやらなきゃいけないと
でこの松山藩では結構いい藩でですね
五万石だったんですけども独自に神殿開発をして結構潤いを持っていたそうです
めちゃくちゃ頑張ってきたので
大石内蔵助の決意
スピーカー 1
でこれいきなりちょっと殿死んじゃったからって明け渡すってちょっとありえないんだけどみたいな感じで持ってるわけですよ
ちょっと公認を起こすとかなんとかしてくれてもいいじゃんぐらいに持ってるわけですね
もう結構ですねこれ取られてなるもんかっていう感じでカッカカッカしてる雰囲気っていうのが
浅野家ともうちょっと一戦やってもいいんじゃないかって思うような
そんな発言も家臣から出ていたそうです
なんでこう潔気盛んなところにですね
まず受取役の先発隊として大石倉之介が行きます
その時にしっかりと装備をしてですね
戦自宅を行ってなんか武力で抑えるぞっていうんじゃなくてですね
大石倉之介がもう武具とかを一切持たずにですね
フラフラーっと現れてたった一人でそこに乗り込んでたそうなんですよ
単身ですっとこう現れていた大石倉之介っていうのを
この松山藩の家老塾この人も鶴見倉之介っていう名前だったらしいんですけども
それは見てなんか結構資料深いすごい男が来たかもしれないっていう風に思って
急になんか心を開いてですね
そこで2人でコンコンと話し合ってですね
無事無欠解除になったと
なんでそこの段取りを大石倉之介が話を聞いて理解をして
約束はできないけれどもとにかくこの水谷家の最高のために
自分は尽力を尽くすと
朝野家も頑張るから何とかここは飲んでくれないかっていう風に
納得をしてもらってですね
受取の役割は殿様朝野巧の神ですね
来た時には万事さえされていて
無事うまくですね
滞りなく進んだと
ここで大石倉之介の諸案っていうのが評判になった
そんな記録が残っています
結果自分たちもですね
阿公城を受け渡すっていうのがですね
たった1ヶ月で全部やらなきゃいけないっていうのが
わーっと起きたわけですけども
その時にも見事なお城の開け渡しをしたっていう記録は残っていますので
この時の経験が来たんじゃないかという風に説もあります
というのがですね
数少ない記録の朝野巧の神と大石倉之介の話でした
武士としての使命
スピーカー 1
ここまでで2人の信頼関係とか
そうだよなこの2人思い合ってるなとかっていうのは
一切なかったじゃないですか
スピーカー 2
見えないですよね
会ったことないことはないけど
残ってないですもんねエピソードが
スピーカー 1
ないんですね
なのでこの2人っていうのは
個人的な関係というよりも
藩主の家と家老職の大石家っていう
家と家それから役割で結ばれた責任関係
そういうものがあったと
たぶんそこは意思じゃなくて
ずっと存在していた家と家との役割関係っていう
そういう認識だったんだろうなっていう感じなんですね
そういう前提で今回の中心グラン
阿公事件っていうのを見ていくとですね
まず事件後この大石倉之介っていうのは
何よりも殿じゃなくてやっぱり家なので
お家の最高を考えるわけですね
なるほど
もうお家断絶になったとどうしようと
もうこの家をもう一回
麻生の家作んなきゃいけない
代々やってきたミッションあるという風に思いました
当然配下の家臣団の思惑っていうのも
同じくお家最高って思ってる人もいれば
それこそ復讐に当たらないみたいな話
前回ちょっとしましたけれども
復讐とした思いを持ってる激盛んな家臣もいたという
両方存在しているところです
結果ですね
このお家最高が叶わないということが確定したところで
じゃあということで今度は
配下の家臣団を見るわけですね
そうするとですねみんな胸に思いを一持ってました
今度はそのナンバー2の立ち振る舞いっていう感じで
一部ですね憶測も入っている話になってくるんですけども
お家最高っていうのが
筆頭がろうとしての自分のミッションでした
それが叶わない
つまりミッションアンコンプリートで
もう以上試合終了です
家臣っていうのは殿様ではないナンバー2
でナンバー2っていうのは
家臣団の代表でもあるわけですよね
そうすると次に思うことは
殿の思いうぬではなくて
家臣の思いを通していくのかっていうところに
思いたいんじゃないかなというふうに思います
実際に大石倉之介っていうのは
300人の家臣の次の再就職支援だったりとかっていうのを
かなり一生懸命されていたというのもあるんですけども
その中でも思いが収まらないっていう
人たちのこの思いっていうのを遂げる
そういうことを従業員代表というかですね
家臣団の代表として自分がやらなきゃいけない
っていうふうに思ったんじゃないかというふうに
その家臣が思っている思いっていうのは何なのか
お家の最高これは断たれました
主君が無念を持って死んだであろうということで
その無念を晴らすことなのか
嫌いの恨みなのか
仇討ちではないというふうになっている
復讐なのかとか
でもなんか腹切ったのは幕の命令だなと
幕府に対する抗議が必要なのかとか
いろいろあると思うんですけども
この思いっていうのは何なのかというと
当時のその家臣がですね
自分の家族に宛てた手紙っていうのが
実は結構残っているんですよ
その中で言われている言葉に出てきたのがですね
人としての勤めですとか
人前が回復できないという言葉がよく出てきます
人としての勤めっていうのは何か
この人っていうのは一般的な人を指してるんじゃなくて
イコール武士なんですね
武士としての勤めを果たす
人前が回復できないっていうのは
武士としての思い
武士としての面目が立たないということ
それが回復できないということを言っています
実はですね浅野大学っていう浅野匠の神の弟を
もう一回都能にして
御家再興を狙っていた時もですね
浅野大学が後を継いだとしても
それだけでは人前が回復できない
という記録も残っているんです
御家再興してもそこは果たされないと
じゃあこの武士としての勤めを果たさねば
武士としての思いが回復できないのは
何なのかっていうと
実はこの喜良光介之助
全然悪くないんですよいきなり切られた
けれども献花寮成敗っていう天下の大法
これはもう幕府の決まりとかじゃなくて
天下が決めたルールであると
それが片方がお高めないっていうのが
そもそもおかしい
献花寮成敗っていうのは武士を支配する
一個のルールみたいなものなので
お高めないのがおかしい
この歪な感じっていうのを抑えたまんま
武士として生きることはできないっていうのが
彼らの思いと言われています
私が言うと何か思いだけかもしれないんですけども
この近世の研究家の方ですね
今回参考文献をいっぱい拝見した
谷口慎子先生という方がいらっしゃるんですけども
武士道法に考えるという本があるんですけども
その中でこんな記載があります
江戸時代の武士は幕藩体制という
政治構造の中で初めて生きていける存在だった
彼らは子としてではなく
常に家や親類一族との関係で存在し
主君と主従関係を結び
奉公することによって
家が成り立つ社会に属していた
それを守り続けるために
常に必要だったものが
武士としての教示であった
つまり護法権主義の中で
主君と家臣という関係がありました
そこは家が大事です
家が支えるために
武士の教示が常に必要であって
立ち振る舞い考え方すべてなんですけども
その時にこのフレームであった
家がなくなった時に何が残るかというと
武士としての教示はそこにあるわけですね
家がなくなったとしても
この武士の教示を守るということは
自分の存在意義そのものなんですね
この武士としての教示
武士の一部とも言うことができると思うんですけど
この武士の一部を守ることが
武士の絶対の自分の存在意義で
これが大事なんですけど
主君のためとか忠義のためではない
っていうふうに考えられるんです
殿のため殿の復讐じゃなくて
武士として生きる自分の誇りプライドのために
これはやらなくてはいけない戦いなんだ
訴えの重要性
スピーカー 1
っていう考え
スピーカー 2
ある意味自分のためとか
自分の生き方のためなんですね
スピーカー 1
はい
殿の無念をとか復讐だじゃないんですね
これも一つの考え方という感じ
この譲れない思いっていうのを実現する行動っていうのが
実は討ち入りだった
私は今回ので今いろんな本を読ませていただくと
私はもっと忠義っていうのが高い価値観だと思ってたんですよ
殿に対する思いっていうのが
それこそ橘俊三は近藤勲に対して
ものすごい個人的なコミットメントを持って
彼の思いよっていうふうにやっていたのよりも
もっと激しいものを
その前の時代の武士は持っていたんじゃないかっていう風に
そういう仮説のもとにずっと調べてきたらですね
蓋を開けるとそれよりも優先する価値観があったと
忠義よりも優先する価値観
それが武士としての心持ちということ
武士道といったり武士の一文という感じ
スピーカー 2
なるほど
スピーカー 1
なのでその武士道とか
武士の一文を抱えた
家臣団の思いを遂げるためにですね
その一団を引き続けたのが
No.2大石倉之介の役割だったって感じですね
忠義というのは忠義の家臣の大石倉之介の話
っていうのが忠義蔵って言葉なんですけども
ひょっとしたら武士道蔵かもしれないし
これは武士の一文のストーリーっていう風なことなんじゃないかなと
これも何も家臣がそういう思いを持っていたから
それを実現させてあげようっていうNo.2の役割を果たし切ったのが
私が見た大石倉之介のNo.2という感じですね
スピーカー 2
いや面白いですね
なんかそれこそ平川からしたら何だかわからないけど
襲ってきてみたいな話ではあるし
主人公を無効にして仮に描けば
飛んだなんか怖いサスペンスなわけですよ
スピーカー 1
いやもう本当ですよ
スピーカー 2
なんかその捉え方としてはいろいろあるし
いろいろな脚色されたものが
当時の事件をおそらく知ってる人がいるかいないかぐらいの時ですかね
世に出ているんですけど
物語としてここまで残ってるってことがすごいなとまず思うんですよね
でその残ったのはやっぱりどこか共感をされたりとかしてきたからかなと
全然意味わかんないなっていう話というよりは
その時代時代のなんか人たちの心を何か掴むものがあったんだろうなと
意味どっちかでももしかしたら加害者なんだけど
それを英雄化したこの物語が残っているっていう
なんかエピソードとしてもあるじゃないですか
周りもやれやれみたいになってたみたいな話とか
そうだそうだみたいな
だからすごい難しいですけど
二番経営の意義
スピーカー 2
いずれにしてもそれが上司を
仇を討つってことがみんなの心を掴んだのか
それとも武士道にやっぱりベースにあるみたいなところが
なんか心を掴んだのかどっちなのかなみたいな
でももしかしたらそれって
分けるべきじゃないのかなとかいろいろ考えちゃいました
スピーカー 1
いやもうまさにね
多分わかりやすいのは仇討ち
完全懲悪的な
撃たれた方が実はすごく悪者で
それを正義の者たちが理不尽な悪の最低もものともせずですね
復讐を果たすっていう美談的なストーリーが
媒介したみたいな
っていうのがまず1個メインストーリーである
みんなが知ってる中心くらいのイメージですよね
もう1つはこういう事件なんですけども
当時の時代の中でも本当太平のよう
平和な世の中の中にですね
武士っていうちょっと一種特殊な階級というか
人たちの考え方っていうのは
発言している1つの事件
こういうなんかメンタリティって
どっかね道場で瞑想するところで
初めて感じられるみたいなものなのかもしれないんですけども
これがリアルな事件として起きたっていうところに
当時のストーリーではなくて
なんで撃ち入ったのかとか
なんで切り付けたのかっていうのは
謎のままでずっと議論されてきたって話があったと思うんですけども
当時の学者たちがずっと議論してるんですよ
スピーカー 2
なるほど
スピーカー 1
ストーリーの面白さとかではなくて
当時の考え方として
喧嘩両性はそうだし幕府の法もそうだし
当時の幕府のスタンスはどうだとか
今のなんか例えば百条委員会で
法律に照らすとどうなのかみたいな話であるじゃないですか
ああいう感じで論客がですね
いやいやこういう風に見るとこうだとか
この際はキラーが動向ではないんだとか
いろんなこう視点でですね
本当に論点を明らかにずっと綴り続けて
スピーカー 2
そういうことか
スピーカー 1
学級テーマみたいな感じなんですよね
スピーカー 2
今になったからわからないじゃなくて
おそらく当時からもすごく議論を呼んだってことですよね
スピーカー 1
はいもうまさにそうですね
それだけに答えがないというか
誰もわからないっていうミステリー的なものが
施政の人の心をくすぐるような面白さにもつながる一方で
学術的な視点、法解釈的な視点でもですね
いろんな小議論を呼ぶテーマであったという感じ
スピーカー 2
そしてそのある意味その中でのNo.2大石の形
それはもしかしたら
だからNo.1に対しての思いじゃなかったかもしれない
もっと大きなものだったかもしれないっていうのは
またこれ二番経営で
様々なバリエーションの起業家だったり
歴史の維新をやってきましたけど
またちょっと新しい切り口というか
一つのタイプが見れたなと思いますね
スピーカー 1
はいということで
二番経営中心蔵編終了と
スピーカー 2
いいですねこの年末にこういうちょっと
年末のお願い
スピーカー 2
考えさせられるものを受け取るというのも
また中心蔵のこの時期にやっている意味なのかなと思うので
スピーカー 1
ありがとうございます
また最後に先週に引き続き皆さんへのお願いを
一つだけさせていただいて終わりたいと思います
今年も毎年開催される
ジャパンポッドキャストアワードの季節がやってまいりました
選考期間が12月2日から始まっております
12月2日から1月10日までは
一時選考期間ということで
リスナー投票の期間となっております
ぜひ二番経営を聞いている皆さんには
ジャパンポッドキャストアワードに
この二番経営の推薦投票を
ぜひお願いしたいと思います
全然何とか対象を取ろうとかって思っておりません
一時選考だけ何とか
スピーカー 2
何とかいきたいですね
スピーカー 1
いただけませんかという思いでございますので
多票ですけれどもぜひ概要欄からリンクがありますので
そこ経由でですね
投票いただければぜひお願いいたします
スピーカー 2
1月10日金曜日まででございます
皆さんこの年末年始ですね
ご実家に帰られたり
旧友と会ったりとかするとかですね
そういう機会があると思うので
ぜひそういう場でもですね
二番経営進めていただいてですね
なんなら皆さんね
じゃあ面白いね投票しようかというですね
動きをですね作っていただければ
本当に嬉しいなと思っておりますので
ぜひとも皆さんよろしくお願いいたします
スピーカー 1
よろしくお願いします
スピーカー 2
二番経営No.2の引きこもごも
ここまでお聞きいただきましてありがとうございました
気に入っていただきましたら
番組のフォローをお願いします
Xやお便りサイトでも感想をお待ちしております
ここまでのお相手は
しだれゆうすけと
スピーカー 1
勝宮すいででした
スピーカー 2
ありがとうございました
ありがとうございました
28:03

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