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2025-11-20 2:15:05

182夏目漱石「こころ」上-先生と私(朗読)

182夏目漱石「こころ」上-先生と私(朗読)

思わせぶりな先生

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サマリー

このエピソードでは、夏目漱石の作品『こころ』が取り上げられ、主人公と先生の出会いや関係が描かれています。物語の舞台は鎌倉で、友人の誘いで訪れた主人公が運命的に先生と出会う様子が詳細に語られます。このエピソードでは、夏目漱石の小説『こころ』における先生と私の関係が探求され、若者の不安や愛情、先生の内面に迫る描写が展開されます。『こころ』上巻では、先生と私の関係を通じて孤独や人間関係の複雑さが描かれ、特に先生とその奥さんの葛藤が生々しく表現され、寂しさや期待が渦巻く瞬間が展開されます。『こころ』では、主人公と先生の関係が描かれ、先生の思想や孤独感について探られ、奥さんとの会話を通じて先生の過去や結婚、恋愛についての考え方も浮かび上がります。このエピソードでは、夏目漱石の小説『こころ』の登場人物である先生とその相手の関係が探求され、先生の内面的な苦悩や奥さんに対する態度が明らかになります。特に、彼の思想家としての側面や愛に対する複雑な感情が描かれます。朗読の中で、主人公は先生と奥さんの複雑な人間関係を通じて心の葛藤や不安を描いており、特に先生の過去の出来事が彼の心に与える影響に焦点が当てられています。また、エピソードの冒頭部分が朗読され、主人公と先生との関係や父の病気についての内面的な葛藤が描かれています。特に、父と先生を比較し、主人公の心の成長と変化が重要なテーマとなっています。特集では、主人公が先生との関係を通じて成長する様子が描かれ、彼は論文の締め切りに追われながら、先生との散歩を通じて人生や家族に関する深い洞察に触れます。このエピソードでは、『こころ』の中での「先生」とその弟子の関係が描かれ、二人の対話を通じて先生の内面の葛藤や人間の本性、過去の経験が明らかにされます。エピソードでは、先生とその奥さんとの日常的なやり取りが描かれ、主人公は卒業後の進路について考えながら、先生の家庭環境や父の病気について触れ、深い感情を抱きます。『こころ』上巻では、主人公と先生の関係や父の病気に対する思いが描かれています。

夏目漱石とその作品の紹介
寝落ちの本ポッドキャスト。こんばんは、Naotaroです。このポッドキャストは、あなたの寝落ちのお手伝いをする番組です。
タイトルを聞いたことがあったり、実際に読んだこともあるような本、それから興味深そうな本などを淡々と読んでいきます。
エッセイには面白すぎないツッコミを入れることもあるかもしれません。 ラグ品はすべて青空文庫から選んでおります。
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さて、今日は 夏目漱石さんの心です。
ついに、二大巨頭のうちの一つですね。
日本人が最も多く読んでいる文学作品のうちの一つが ザザヤオサムの人間失格、そしてもう一つがこの夏目漱石の心ということだそうです。
長いんですよ、すごく。 17万7千字。どれぐらいなんだろうか。
ちょっとすぐ計算できないけど。三部作、常駐系の三部作になっているそうなので その通りに分けて収録をしようかなと思ってますが、それぞれがどういう分
塩梅になるかわかんないです。 常駐系の、芸の先生の一章がものすごく長いと聞いてますけど
どうなることやら。 当然一撃で収録完了は無理なんで、何日も何日もかけて収録をしていこうと思っています。
それから できれば2025年
年内に公開ができたらなと思って取り組んでいる ところです。はい。
鎌倉での出会い
じゃあ長いんで やっていきましょうかね。
どうかお付き合いください。それでは参ります。
心 常
先生と私 一
私はその人を常に先生と呼んでいた。 だからここでもただ先生と書くだけで本名は打ち明けない。
これは世間をはばかる遠慮というよりもその方が私にとって自然だからである。 私はその人の記憶を呼び起こすごとにすぐ先生と言いたくなる。
筆を取っても心持ちは同じことである。 よさよさしい頭文字などはとても使う気にならない。
私が先生と知り合いになったのは鎌倉である。 その時私はまだ若おかしい書生であった。
初中休暇を利用して海水浴に行った友達から是非来いというはがきを受け取ったので私は多少の 金を苦面して出かけることにした。
私は金の苦面に2,3兆を費やした。 ところが私が鎌倉に着いて3日と経たないうちに私を呼び寄せた友達は急に国元から帰るという
電報を受け取った。 電報には母が病気だからと断ってあったけれども友達はそれを信じなかった。
友達はかねてから国元にいる親たちに進まない結婚を強いられていた。 彼は現代の習慣から言うと結婚するにはあまり年が若すぎた。
それに肝心の当人が気に入らなかった。 それで夏休みに当然帰るべきところをわざと避けて東京の近くで遊んでいたのである。
彼は電報を私に見せてどうしようと相談をした。 私にはどうしていいかわからなかった。
けれども実際彼の母が病気であるとすれば彼は元より帰るべきはずであった。 それで彼はとうとう帰ることになった。
せっかく来た私は一人取り残された。 学校の授業が始まるにはまだだいぶ日数があるので鎌倉におっても良し帰っても良いという境遇に
いた私は当分元の宿に泊まる覚悟をした。 友達は中国のある資産家の息子で金に不自由の
ない男であったけれども学校が学校なのと年が年なので生活の程度は私とそう変わりもしなかった。
したがって一人ぼっちになった私は別に学校の宿を探す面倒も持たなかったのである。 宿は鎌倉でも偏僻な方角にあった。
玉付きだのアイスクリームなどというハイカラなものには長い縄手を一つ越さなければ手が届かなかった。
車で行っても二次支線は取られた。 けれども個人の別荘はそこここにいくつでも建てられていた。
とにかく海はごく近いので海水浴をやるには至極便利な地位を占めていた。 私は毎日海へ入りに出かけた。
古いくすぶり返ったわらぶきの間を通り抜けて急い降りると この辺にこれほどの都会人種が住んでいるかと思うほど秘書に来た男や女で砂の上が動いていた。
ある時は海の中が銭湯のように黒い頭でごちゃごちゃしていることもあった。 その中に知った人を一人も持たない私もこういう賑やかな景色の中に包まれて砂の上に
寝そべってみたり膝頭を波に打たしてそこいらを跳ね回るのは愉快であった。 私は実に先生をこの雑踏の間に見つけ出したのである。
その時海岸には賭けじゃいが二軒あった。 私はふとした弾みからその一軒の方に行き慣れていた。
はせへんに大きな別荘を構えている人と違って、明々に専用の着替え場をこしらえていないここいらの秘書客には
ぜひともこうした共同着替え所といったふうなものが必要なのであった。 彼らはここで茶を飲み、ここで休息するほかに、ここで海水儀を洗濯させたり、ここで潮はゆい体を清めたり、ここへ帽子や傘を預けたりするのである。
海水儀を持たない私にも持ち物を盗まれる恐れはあったので、私は海へ入るたびにその茶屋へ一切を脱ぎ捨てることにしていた。
2 私がその掛茶屋で先生を見たときは先生がちょうど着物を脱いでこれから海へ入ろうとするところであった。
私はその時反射に濡れた体を風に吹かして水から上がってきた。 二人の間には目を遮るいくたの黒い頭が動いていた。
特別の事情のない限り私は遂に先生を見逃したかもしれなかった。 それほど浜辺が混雑し、それほど私の頭が飽満であったにもかかわらず、
私がすぐ先生を見つけ出したのは先生が一人の西洋人を連れていたからである。 その西洋人の優れて白い皮膚の色が掛茶屋へ入るや否やすぐ私の注意を引いた。
純粋の日本の浴衣を着ていた彼はそれを将棋の上にすぽりと放り出したまま腕組みをして海の方を向いて立っていた。
彼は我々の履く猿股の一つのほか何者も肌につけていなかった。 私にはそれが第一不思議だった。
私はその二日前に百合河浜まで行って、砂の上にしゃがみながら長い間西洋人の海へ入る様子を眺めていた。
私の尻を下ろしたところは少し小高い丘の上で、そのすぐ脇がホテルの裏口になっていたので、私のじゅっとしている間にだいぶ多くの男が潮を浴びに出てきたが、
いずれも胴と腕と桃は出していなかった。 女はことさら肉を隠しがちであった。
大抵は頭にゴム製の頭巾をかぶって、エビ茶やコンや藍の色を波間に浮かしていた。
そういう有様を目撃したばかりの私の目には、猿股一つで済ましてみんなの前に立っているこの西洋人がいかにも珍しく見えた。
彼はやがて自分の脇をかえり見て、そこにここんでいる日本人に一言二言何か言った。
その日本人は砂の上に落ちた手ぬぐいを拾い上げているところであったが、それを取り上げるや否やすぐ頭を包んで海の方へ歩き出した。
その人がすなわち先生であった。
私は単に好奇心のために並んで浜辺を降りていく二人の後ろ姿を見守っていた。
すると彼らはまっすぐに波の中に足を踏み込んだ。 そして桃はその磯近くにわいわい騒いでいる他人数の間を通り抜けて、比較的広々したところへ来ると二人とも泳ぎ出した。
彼らの頭が小さく見えるまで沖の方へ向いていった。 それから引き返してまた一直線に浜辺まで戻ってきた。
掛邪屋へ帰ると井戸の水も浴びずにすぐ体を拭いて着物を着てさっさとどこかへ行ってしまった。
彼らの出て行った後、私はやはり元の将棋に腰下ろして煙草を吹かしていた。
その時私はポカンとしながら先生のことを考えた。どうもどこかで見たことのある顔のように思われてならなかった。
しかしどうしてもいつどこで会った人か思い出せずにしまった。
その時の私は、くったくがないというよりむしろ無料に苦しんでいた。
それで、あくる日もまた先生に会った時刻を見計らって、わざわざ掛邪屋まで出かけてみた。
すると西洋人は来ないで先生一人麦わら帽をかぶってやってきた。
先生は眼鏡を取って台の上に置いて、すぐ手拭いで頭をくるんでスタスタ浜を降りていった。
先生が昨日のように騒がしい浴格の中を通り抜けて一人で泳ぎ出した時、私は急にその後が追いかけたくなった。
私は浅い水を頭の上まで跳ねかして相当の深さのところまで来て、そこから先生を目印に抜き出を切った。
すると先生は昨日と違って一種の弧線を描いて妙な方向から岸の方へ帰り始めた。
それで私の目的はついに達せられなかった。
私が丘へ上がって雫の垂れる手を振りながら掛邪屋に入ると先生はもうちゃんと着物を着て入れ違いに外へ出ていった。
私は次の日も同じ時刻に浜へ行って先生の顔を見た。
その次の日にもまた同じことを繰り返した。
けれども物を言いかける機会も挨拶をする機会も二人の間には起こらなかった。
とのえ先生の態度はむしろ非社交的であった。
一定の時刻に徴然としてきてまた徴然と帰っていった。
周囲がいくら賑やかでもそれにはほとんど注意を払う様子が見えなかった。
先生との関係の構築
最初一緒に来た西洋人はその後まるで姿を見せなかった。
先生はいつでも一人であった。
ある時先生が例の通りさっと海から上がってきて、
いつもの場所に脱ぎ捨てた浴衣を着ようとするとどうしたわけかその浴衣に砂がいっぱいついていた。
先生はそれを落とすために後ろ向きになって浴衣を二、三度振るった。
すると着物の下に置いてあった眼鏡が板の隙間から下へ落ちた。
先生は白がすいの上へへこう火をしめてから眼鏡のなくなったのに火がついたとみえて急に底板を探し始めた。
私はすぐ腰掛けの下へ首と手を突っ込んで眼鏡を拾い出した。
先生はありがとうと言ってそれを私の手から受け取った。
次の日、私は先生の後に続いて海へ飛び込んだ。
そうして先生と一緒の方向は国泳いで行った。
二丁ほど起き上げると先生は後ろを振り返って私に話しかけた。
広い青い海の表面に浮いているものはその近所に私ら二人より他なかった。
そうして強い太陽の光が目の届く限り水と山とを照らしていた。
私は自由と歓喜に満ちた筋肉を動かして海の中で踊り狂った。
先生はまたパタリと手足の運動をやめて仰向けになったまま波の上に寝た。
私もその真似をした。
青空の色がギラギラと目を射るように強烈な色を私の顔に投げつけた。
愉快ですねと私は大きな声を出した。
しばらくして海の中で起き上がるように姿勢を改めた先生は
もう帰りませんかと言って私を促した。
比較的強い体質を持った私はもっと海の中で遊んでいたかった。
しかし先生から誘われたとき私はすぐ
ええ帰りましょうと心よく答えた。
そうして二人でまた元の道を浜辺へ引き返した。
私はこれから先生と婚姻になった。
しかし先生がどこにいるかはまだ知らなかった。
それから中二日おいてちょうど三日目の午後だったと思う。
先生と掛邪屋で出会ったとき先生は突然私に向かって
君はまだだいぶ長くここにいるつもりですかと聞いた。
考えのない私はこういう問いに答えるだけの用意を頭の中に蓄えていなかった。
それでどうだかわかりませんと答えた。
しかしニヤニヤ笑っている先生の顔を見たとき私は急に決まりが悪くなった。
先生は
と聞き返さずにはいられなかった。
これが私の口を出た先生という言葉の始まりである。
私はその晩先生の宿を訪ねた。
宿といっても普通の旅館と違って広い寺の境内にある別荘のような建物であった。
そこに住んでいる人の先生の家族でないこともわかった。
私が先生先生と呼びかけるので先生は苦笑いをした。
私はそれが年長者に対する私の口癖だと言って弁解した。
私はこの間の西洋人のことを聞いてみた。
先生は彼の風代わりのところやもう鎌倉にいないことや色々な話をした末、
日本人にさえあまり付き合いを持たないのに
そういう外国人と近づきになったのは不思議だと言ったりした。
私は最後に先生に向かって
どこかで先生を見たように思うけれどもどうしても思い出せないと言った。
若い私はそのとき案に
相手も私と同じような感情を持っていいはしまいかと疑った。
そして腹の中で先生のことを予期してかかった。
ところが先生はしばらく陳言した後で
どうも君の顔には見覚えがありませんね。人違いじゃないですか。
と言ったので私は変に一種の失望を感じた。
私は月の末に東京へ帰った。
先生の人質を引き上げたのはそれよりずっと前であった。
私は先生と別れるときに
これから俺よりお宅へ伺ってもよござんすかと聞いた。
先生は単感にただ
ええいらっしゃいと言っただけであった。
その自分の私は先生とよほど恋になったつもりでいたので
先生からもう少し細やかな言葉を予期してかかったのである。
それでこの物足りない返事が少し私の自信を痛めた。
私はこういうことでよく先生から失望させられた。
先生はそれに気がついているようでもあり
また全く気がつかないようでもあった。
先生との初めての出会い
私はまた軽微な失望を繰り返しながら
それがために先生から離れていく気にはなれなかった。
むしろそれとは反対で
不安に動かされるたびにもっと前へ進みたくなった。
もっと前へ進めば私の予期するあるものが
いつか目の前に満足に現れてくるだろうと思った。
私は若かった。
けれども全ての人間に対して
若一がこう素直に働こうとは思わなかった。
私はなぜ先生に対してだけ
こんな心持ちが起こるのかわからなかった。
それが先生の亡くなった今日になって初めてわかってきた。
先生は初めから私を嫌っていたのではなかったのである。
先生が私に示した時々の素っ気ない挨拶や冷淡に見える動作は
私を遠ざけようとする不快な表現ではなかったのである。
痛ましい先生は
自分に近づこうとする人間に
近づくほどの価値がないものだから寄せという警告を与えたのである。
人の懐かしみに応じない先生は
人を軽蔑する前にまず自分を軽蔑していたものと見える。
私はもろん先生を訪ねるつもりで東京へ帰ってきた。
帰ってから授業が始まるまでにはまだ2週間の日数があるので
そのうちに一度行っておこうと思った。
しかし帰って2日3日と経つうちに
鎌倉にいた時の気分がだんだん薄くなってきた。
そうしてその上に彩られる大都会の空気が
記憶の復活に伴う強い刺激とともに濃く私の心を染め付けた。
私は往来で学生の顔を見るたびに
新しい学年に対する希望と緊張等を感じた。
私はしばらく先生のことを忘れた。
授業が始まって1ヶ月ばかりすると
私の心にまた一種のたるみができてきた。
私はなんだか不足な顔をして往来を歩き始めた。
物欲しそうに自分の部屋の中を見回した。
私の頭には再び先生の顔が浮いて出た。
私はまた先生に会いたくなった。
初めて先生の家を訪ねた時先生は留守であった。
2度目に行ったのは次の日曜だと覚えている。
晴れた空が身に染み込むように感じられるいい日和であった。
その日も先生は留守であった。
鎌倉にいた時私は先生自身の口から
いつでもたいてい宅にいるということを聞いた。
むしろ外出遣いだということも聞いた。
2度来て2度とも会えなかった私は
その言葉を思い出してわけもない不満をどこかに感じた。
私はすぐ玄関先を去らなかった。
下女の顔を見て少し躊躇してそこに立っていた。
この前名刺を取り付けた記憶のある下女は
私を待たせておいてまた家へ入った。
すると奥さんらしい人が変わって出てきた。
美しい奥さんであった。
私はその人から丁寧に先生の出先を教えられた。
先生は礼月その日になると
造詞街の墓地にある仏花を手向けに行く習慣なのだそうである。
たった今出たばかりで10分になるかならないかでございます。
墓地での再会と会話
と奥さんは気の毒そうに言ってくれた。
私は愛着して外へ出た。
賑やかな町の方へ一丁ほど歩くと
私も散歩がてら造詞街へ行ってみる気になった。
先生に会えるか会えないかという好奇心も動いた。
それですぐ木ビスをめぐらした。
5.私は墓地の手前にある苗畑の左から入って
両方に楓を植え付けた広い道を奥の方へ進んで行った。
するとその外れに見える茶店の中から先生らしい人がふいと出てきた。
私はその人の眼鏡の縁が火に光るまで近く寄って行った。
そして出し抜けに、「先生!」と大きな声をかけた。
先生は突然立ち止まって私の顔を見た。
「どうして?」
「どうして?」
先生は同じ言葉を二遍繰り返した。
その言葉は震撼とした昼のうちに異様な調子を持って繰り返された。
私は急に何とも答えられなくなった。
「私の後をつけてきたんですか?」
「どうして?」
先生の態度はむしろ落ち着いていた。
声はむしろ沈んでいた。
けれどもその表情のうちにははっきり言えないような一種の曇りがあった。
私は私がどうしてここへ来たかを先生に話した。
「誰の墓へ前に行ったか。
西がその人の名を言いましたか?」
「いいえ。そんなことは何もおっしゃいません。」
「そうですか。そう。
それは言うはずがありませんね。
初めて会ったあなたに言う必要がないんだから。」
先生はようやく得心したらしい様子であった。
しかし私にはその意味がまるでわからなかった。
先生と私は通りへ出ようとして墓の間を抜けた。
イサベラ何々の墓だの、神木露銀の墓だのという傍らに
一切衆生死痛物傷と書いた陶馬などが立ててあった。
禅剣行使何々というのもあった。
私は安い、得、劣と彫り付けた小さい墓の前で
これは何と読むんでしょうと先生に聞いた。
アンドレトでも読ませるつもりでしょうね。
と言って先生は苦笑した。
先生はこれらの墓標が表す人様々の様式に対して
私ほどに滑稽もアイロニーも認めていないらしかった。
私が丸い墓石だの細長い三陰の火だのを指して
しきりにかれこれ言いたがるのを
初めのうちは黙って聞いていたが
姉妹に
あなたは死という事実をまだ真面目に考えたことがありませんね。
と言った。
私は黙った。
先生もそれぎりに何とも言わなくなった。
墓地のくぎりめに大きなイチョウが一本空を隠すように立っていた。
その下へ来たとき先生は高い梢を見上げて
もう少しするときれいですよ。
この木がすっかり紅葉して
ここいらの地面は金色の落ち葉で渦まるようになります。
と言った。
先生は月に一度ずつは必ずこの木の下を通るのであった。
向うの方ででこぼこの地面を鳴らして新墓地を作っている男が
桑の手を休めて私たちを見ていた。
私たちはそこから左へ消えてすぐ街道へ出た。
これからどこへ行くというあてのない私は
ただ先生の歩く方へ歩いていった。
先生はいつもより口数を聞かなかった。
それでも私はさほどの窮屈を感じなかったので
ぶらぶら一緒に歩いていった。
すぐお宅へお帰りですか?
ええ、別に寄るところもありませんから。
二人はまた黙って南の方へ坂を降りた。
先生のお宅の墓地はあそこにあるんですか?
と私がまた口を聞き出した。
いいえ。
どなたのお墓があるんですか?
ご親類のお墓ですか?
いいえ。
先生はこれ以外何も答えなかった。
私もその話はそれぎりにして切り上げた。
すると一丁ほど歩いた後で先生が不意にそこへ戻ってきた。
あそこには私の友達の墓があるんです。
お友達のお墓へ毎月お参りをなさるんですか?
そうです。
先生はその日これ以外を語らなかった。
先生との深まる関係
六。
私はそれから時々先生を訪問するようになった。
行くたびに先生は在宅であった。
先生に会う度数が重なるにつれて
私はますます刺激先生の玄関へ足を運んだ。
けれども先生の私に対する態度は
初めて挨拶をしたときも
好意になったその後もあまり変わりはなかった。
先生はいつも静かであった。
あるときは静かすぎて寂しいくらいであった。
私は最初から先生には近づき難い不思議があるように思っていた。
それでいてどうしても近づかなければならないという感じが
どこかに強く働いた。
こういう感じを先生に対して持っていたものは
多くの人のうちであるいは私だけかもしれない。
しかしその私だけにはこの直感が後になって
事実の上に証拠を立てられたのだから
私は若々しいと言われても
馬鹿げていると言われても
それを見越した自分の直覚を
とにかく頼もしくまた嬉しく思っている。
人間を愛し得る人
愛せずにいられない人
それでいて自分の懐にいろうとするものを
手を広げて抱きしめることのできない人
これが先生であった。
今言った通り先生は始終静かであった。
落ち着いていた。
けれども時として変な曇りがその顔を横切ることがあった。
窓に黒い鳥かげがさすように。
さすかと思うとすぐ消えるには消えたが
私が初めてその曇りを先生の眉間に認めたのは
同種がやの墓地で不意に先生を呼びかけた時であった。
私はその異様の瞬間に
今まで心よく流れていた心臓の潮流をちょっと鈍らせた。
しかしそれは単に一時の欠帯に過ぎなかった。
私の心は五分と経たないうちに平素の弾力を回復した。
私はそれぎり暗そうなこの雲の影を忘れてしまった。
ゆっくりなくまたそれを思い出させられたのは
ご飯の尽きるに間のないある晩のことであった。
先生と話していた私は
ふと先生がわざわざ注意してくれた胃腸の退治を目の前に思い浮かべた。
感情をしてみると先生が毎月例として母さんに行く日が
それからちょうど三日目にあたっていた。
その三日目は私の家業を昼で終える楽な日であった。
私は先生に向かってこう言った。
先生、ゾウシガヤの胃腸はもう散ってしまったでしょうか?
うーん、まだ空坊主にはならないでしょう。
先生はそう答えながら私の顔を見守った。
そうしてそこからしばし目を離さなかった。
私はすぐ行った。
今度お墓参りにいらっしゃるときにお供をしてもようございますか?
私は先生と一緒にアスコイラが散歩してみたい。
私は墓参りに行くんで散歩に行くんじゃないですよ。
しかしついでに散歩になっていたらちょうどいいじゃありませんか?
先生はなんとも答えなかった。
しばらくしてから、
私のは本当の墓参りだけなんだから、
と言ってどこまでも母さんと散歩を切り離そうとするふうに見えた。
私と行きたくない後日だかなんだか、
私にはそのときの先生がいかにも子供らしくて変に思われた。
私は尚と先へ出る気になった。
じゃあ、お墓参りでもいいから一緒に連れて行ってください。
私もお墓参りをしますから。
実際、私には母さんと散歩との区別がほとんど無意味のように思われたのである。
ふと先生の眉がちょっと曇った。
目の内にも異様の光が出た。
それは迷惑とも嫌悪とも異布とも片付けられないかすかな不安らしいものであった。
私はたちまち造紙が屋で先生と呼びかけたときの記憶を強く思い起こした。
二つの表情は全く同じだったほうである。
私は…と先生が言った。
私はあなたに話すことのできないある理由があって、
人と一緒にあそこへ墓参りには行きたくないんです。
自分の妻さえまだ連れて行ったことがないんです。
七、私は不思議に思った。
しかし私は先生を研究する気でその家へ出入りをするのではなかった。
私はただそのままにして打ちすぎた。
考えるとその時の私の態度は私の生活のうちでむしろ立っ飛ぶべきものの一つであった。
私は全くそのために先生と人間らしい暖かい付き合いができたのだと思う。
もし私の好奇心が幾分でも先生の心に向かって研究的に働きかけたなら、
二人の間を繋ぐ同情の糸は何の容赦もなくその時ふつりと切れてしまったろう。
若い私は全く自分の態度を自覚していなかった。
それだから立っ飛ぶのかもしれないが、もし間違えて裏へ出たとしたら、どんな結果が二人の中に落ちてきたろう。
私は想像してもぞっとする。
先生はそれでなくても冷たいまなこで研究されるのを絶えず恐れていたのである。
私は月に二度、もしくは三度ずつ必ず先生の家へ行くようになった。
私の足がだんだん刺激になった時のある日、先生は突然私に向かって聞いた。
あなたは何でそう度々私のようなものの家へやってくるんですか。
何でと言ってそんな特別な意味はありません。
しかしお邪魔なんですか。
邪魔だとは言いません。
なるほど迷惑という様子は先生のどこにも見えなかった。
私は先生の付き合いの範囲の極めて狭いことを知っていた。
先生の元同級生などでその頃東京にいる者のほとんど二人三人しかいないことも知っていた。
先生と同級の学生などには時たま座敷で同座する場合もあったが、
彼らのいずれもはみんな私ほど先生に親しみを持っていないように見受けられた。
私は寂しい人間です。と先生が言った。
だからあなたの来てくださることを喜んでいます。
だから何故そう度々来るのかと言って聞いたんです。
それはまた何故です。
私がこう聞き返した時先生は何とも答えなかった。
ただ私の顔を見て、
先生との出会い
あなたはいくつですかと言った。
この問答は私にとってすこぶる不得容量のものであったが、私はその時そこまで押さずに帰ってしまった。
しかもそれから四日とたたないうちにまた先生を訪問した。
先生は座敷へ出るや否や笑い出した。
また来ましたねと言った。
ええ、来ましたと言って自分も笑った。
私は他の人からこう言われたらきっと尺に触ったろうと思う。
しかし先生にこう言われた時まるで反対だった。
尺に触らないばかりでかえって愉快だった。
私は寂しい人間ですと先生はその晩またこの間の言葉を繰り返した。
私は寂しい人間ですが、ことによるとあなたも寂しい人間じゃないですか。
私は寂しくっても歳をとっているから動かずにいられるが、
若いあなたはそうはいかないんでしょう。
動けるだけ動きたいんでしょう。
動いて何かにぶつかりたいんでしょう。
私はちっとも寂しくありません。
若いうちほど寂しいものはありません。
そんならなぜあなたはそう度々私の家へ来るんですか。
ここでもこの間の言葉がまた先生の口から繰り返された。
あなたは私に会ってもおそらくまだ寂しい気がどこかでしているでしょう。
私にはあなたのためにその寂しさを根元から引き抜いてあげるだけの力がないんだから。
あなたは他の方を向いて今に手を広げなければならなくなります。
今に私の家の方へは足が向かなくなります。
先生はこう言って寂しい笑い方をした。
奥さんとの関係
8
幸いにして先生の予言は実現されずに済んだ。
経験のない当時の私はこの予言のうちに含まれている明白な意義さえ了解しえなかった。
私は依然として先生に会いに行った。
そのうち、いつの間にか先生の食卓で飯を食うようになった。
自然の結果、奥さんとも口を聞かなければならないようになった。
普通の人間として私は女に対して冷淡ではなかった。
けれども、年の若い私の今まで経過してきた境遇から言って、私はほとんど交際らしい交際を女に結んだことがなかった。
それが原因かどうかは疑問だが、私の興味は往来で出会う知りもしない女に向かって多く働くだけであった。
先生の奥さんには、その前玄関で出会ったとき美しいという印象を受けた。
それから会うたんびに同じ印象を受けないことはなかった。
しかしそれ以外に私はこれといって特に奥さんについて語るべき何物も持たないような気がした。
これは奥さんに特色がないというよりも、特色を示す機会が来なかったのだと解釈する方が正当かもしれない。
しかし私はいつでも先生に付属した一部分のような心持ちで奥さんに対していた。
奥さんも自分の夫のところへ来る諸生だからという行為で私を愚於していたらしい。
それから中間に立つ先生を取り除けば、つまり二人はバラバラになっていた。
それで初めて知り合いになったときの奥さんについては、ただ美しいという他に何の感じも残っていない。
ある時私は先生の家で酒を飲まされた。
その時奥さんが出てきてそばで釈放してくれた。
先生はいつもより愉快そうに見えた。
奥さんに
お前も一つおあがり
と言って自分の飲み干した杯を指した。
奥さんは
私は…と辞退しかけた後、迷惑そうにそれを受け取った。
奥さんは綺麗な眉を寄せて私の半分ばかり継いであげた杯を唇の先へ持っていった。
奥さんと先生の間に霜のような会話が始まった。
珍しいこと
私に飲めておっしゃったことは滅多にないのにね。
お前は嫌いだからさ。しかしたまには飲むといいよ。いい心持ちになるよ。
じっともならないわ苦しい義理で。
でもあなたは大変ご愉快そうね。少しご塩を召し上がると。
時によると大変愉快になる。しかしいつでもというわけにはいかない。
今夜はいかがです?
今夜はいい心持ちだね。
これから毎晩少しずつ召し上がるとよございますよ。
そうはいかない。
召し上がってくださいよ。その方が寂しくなくっていいかな。
先生の家は夫婦と下女だけであった。
行くたびに大抵はひとりとしていた。高い笑い声などの聞こえる試しはまだでなかった。
ある時はうちの中にいるものは先生と私だけのような気がした。
子供でもあるといいんですがね。
と奥さんは私の方を向いて言った。
私は
そうですな。
と答えた。
しかし私の心には何の同情も起こらなかった。
子供を持ったことのないその時の私は子供をただうるさいもののように考えていた。
ひとりもらってやろうか。
と先生が言った。
もらいっこじゃねえあなた。
と奥さんはまた私の方を向いた。
子供はいつまでたったってできっこないよ。
と先生が言った。奥さんは黙っていた。
先生の心理
なぜです。
と私が代わりに聞いた時先生は
天罰だからさ。
と言って高く笑った。
9
私の知る限り先生と奥さんとは仲のいい夫婦の一対であった。
家庭の一員として暮らしたことのない私のことだから深い消息はむろんわからなかったけれども
座敷で私と退座している時先生は何かのついでに下嬢を呼ばないで奥さんを呼ぶことがあった。
奥さんの名はしずと言った。
先生は
おいしず。
といつでも襖の方を振り向いた。
その呼び方が私には優しく聞こえた。
返事をして出てくる奥さんの様子も花々素直であった。
時たま御馳走になって奥さんが席へ現れる場合などにはこの関係が一層明らかに二人の間に描き出されるようであった。
先生は時々奥さんを連れて音楽会での芝居などに行った。
それから夫婦連れで一週間以上の旅行をしたことも私の記憶によると二三度以上あった。
私は箱根からもらった絵描きをまだ持っている。
日光へ行った時はもみじの葉を一枚封じ込めた郵便ももらった。
当時の私の目に映った先生と奥さんの間柄はまずこんなものであった。
そのうちにたった一つの例外があった。
ある日私がいつもの通り先生の玄関から案内を頼もうとすると座敷の方で誰かとの話し声がした。
よく聞くとそれが尋常の談話でなくてどうも居酒屋らしかった。
先生の家は玄関の次がすぐ座敷になっているので講師の前に立っていた私の耳にその居酒屋の調子だけはほぼわかった。
そしてそのうちの一人が先生だということも時々高まってくる男の方の声でわかった。
相手は先生よりも低い女なので誰だかはっきりしなかったがどうも奥さんらしく感じられた。
泣いているようでもあった。
私はどうしたものだろうと思って玄関先で迷ったがすぐ決心をしてそのまま下宿へ帰った。
妙に不安な心持ちが私を襲ってきた。
私は書物を読んでも飲み込む能力を失ってしまった。
約一時間ばかりすると先生が窓の下へ来て私の名を呼んだ。
私は驚いて窓を開けた。
先生は散歩しようと言って下から私を誘った。
さっき帯の前くるんだままの時計を出してみるともう八時過ぎであった。
私は帰ったなりまだ袴を着けていた。
私はそれなりすぐ表へ出た。
その晩私は先生と一緒にビールを飲んだ。
先生は眼来知るように乏しい人であった。
ある程度まで飲んでそれで酔えなければ酔うまで飲んでみるという冒険のできない人であった。
今日はダメですと言って先生は苦笑した。
愉快になれませんかと私は気の毒そうに聞いた。
私の腹の中には始終さっきのことが引っかかっていた。
魚の骨が喉に刺さった時のように私は苦しんだ。
打ち明けてみようかと考えたり
酔った方が良かったと思い直したりする動揺が妙に私の様子を騒々させた。
君、今夜はどうかしていますねと先生の方から言い出した。
実は私も少し変なんですよ。君にわかりますか。
私は何の答えもしえなかった。
実はさっき鞘と少し喧嘩をしてね。
それでくだらない神経を興奮させてしまったんです。
と先生がまた言った。
どうして。
私には喧嘩という言葉が口へ出てこなかった。
鞘が私を誤解するんです。
それを誤解だと言って聞かせても承知しないんです。
つい腹を立てたんです。
どんなに先生を誤解いなさるんですか。
先生は私のこの問いに答えようとしなかった。
鞘が考えているような人間なら私だってこんなに苦しんでいけやしない。
先生がどんなに苦しんでいるかこれも私には想像の及ばない問題であった。
10.
二人が帰るとき歩きながらの沈黙が一丁も二丁も続いた。
その後で突然先生が口を聞き出した。
悪いことをした。
怒って出たから鞘はさぞ心配をしているだろう。
考えると女はかわいそうなもんですね。
私の鞘などは私より他にまるで頼りするものがないんだから。
先生の言葉はちょっとそこで途切れたが
別に私の返事を期待する要素もなくすぐその続きへ移っていった。
そういうと夫の方はいかにも心丈夫のようで少し滑稽だが。
君。
私は君の目にどう映りますかね。
強い人に見えますか。
弱い人に見えますか。
中ぐらいに見えます。
と私は答えた。
この答えは先生にとって少し案外らしかった。
先生はまた口を閉じて無言で歩き出した。
先生の家へ帰るには私の下宿のついそばを通るのが順路であった。
私はそこまで来て曲り角で別れるのが先生にすまないような気がした。
ついでにお宅の前までお供をしましょうか。
と言った。
先生はたちまち手で私を遮った。
もう遅いから早く帰りたまえ。
私も早く帰ってやるんだから。
サイ君のために。
先生が最後に付け加えたサイ君のためにという言葉は妙にその時の私の心を温かにした。
私はその言葉のために帰ってから安心して寝ることができた。
私はその後も長い間このサイ君のためにという言葉を忘れなかった。
先生と奥さんの間に起こった波乱が大したものでないことはこれでも分かった。
それがまた滅多に起こる現象でなかったこともその後絶えず出入りをしてきた私にはほぼ推察ができた。
それどころか先生はある時こんな感想すら私に漏らした。
私は世の中で女というものをたった一人しか知らない。
サイ以外の女はほとんど女として私に訴えないんです。
サイの方でも私は天下にたった一人しかない男と思ってくれています。
そういう意味から言って私たちは最も幸福に生まれた人間の一対であるべきはずです。
私は今前後の行き係を忘れてしまったから先生が何のためにこんな自白を私にして聞かせたのかはっきり言うことができない。
けれども先生の態度の真面目であったのと調子の沈んでいたのとは未だに記憶に残っている。
その時ただ私の耳に異様に響いたのは最も幸福に生まれた人間の一対であるべきはずですという最後の一句であった。
先生はなぜ幸福な人間と言い切らないであるべきはずであると断ったのか。
私にはそれだけが不審であった。
ことにそこへ一種の力を入れた先生の語気が不審であった。
先生は事実果たして幸福なのだろうか。
また幸福であるべきはずでありながらそれほど幸福ではないのだろうか。
私は心の内で疑わざるを得なかった。
けれどもその疑いは一時限りどこかへ葬られてしまった。
私はそのうち先生の留守に行って奥さんと二人差し向かいで話をする機会に出会った。
先生はその日横浜を出版する機船に乗って外国へ行くべき友人を新橋へ送りに行って留守であった。
横浜から船に乗る人が朝八時半の汽車で新橋を絶つのはその頃の習慣であった。
私はある書物について先生に話してもらう必要があったのであらかじめ先生の承諾を得たとおり約束の九時に訪問した。
先生の新橋行きは前日わざわざ国別に来た友人に対する礼儀としてその日突然起こった出来事であった。
先生はすぐ帰るから留守でも私に待っているようにと言い残して行った。
それで私は座敷へ上がって先生を待つ間奥さんと話をした。
11
その時の私はすでに大学生であった。
初めて先生の家へ来たことから見るとずっと成人した気でいた。奥さんともだいぶ婚姻になった後であった。
私は奥さんに対して何の窮屈も感じなかった。
差し迎えでいろいろな話をした。しかしそれは特色のないただの談話だから今ではまるで忘れてしまった。
そのうちでたった一つ私の耳に止まったものがある。しかしそれを話す前にちょっと断っておきたいことがある。
先生は大学出身であった。これは初めから私に知れていた。
しかし先生の何もしないで遊んでいるということは東京へ帰って少し経ってから初めてわかった。
私はその時どうして遊んでいられるのかと思った。
先生の孤独と思想
先生はまるで世間に名前を知られていない人であった。
だから先生の学問や思想については先生と密接の関係を持っている私より他に敬意を払うもののあるべきはずがなかった。
それを私は常に惜しいことだと言った。
先生はまた、
私のようなものが世の中に出て口を聞いていてはすまない。
と答える義理で取り合わなかった。
私にはその答えが謙遜すぎてかえって世間を礼評するようにも聞こえた。
実際先生は時々昔の同級生で今著名になっている誰彼を捉えてひどく無縁流な批評を加えることがあった。
それで私は露骨にその矛盾を挙げて云々してみた。
私の精神は反抗の意味というよりも世間が先生を知らないで平気でいるのが残念だったからである。
その時先生は沈んだ調子で、
どうしても私は世間に向かって働きかける資格のない男だから仕方がありません。
と言った。
先生の顔には深い一種の表情がありありと刻まれた。
私にはそれが失望だか不平だか悲哀だかわからなかったけれども、
何しろ二ノ句の告げないほどに強いものだったので、
私はそれぎり何も言う勇気が出なかった。
私が奥さんと話している間に問題が自然先生のことからそこへ落ちてきた。
先生はなぜあやって家で考えたり勉強したりなさるだけで、
世の中へ出て仕事をなさわないんでしょう。
あの人はダメですよ。そういうことが嫌いなんですから。
つまり、くだらないことだと悟っていらっしゃるのでしょうか。
悟るの悟らないのって、それは女だから私にはわかりませんけれど、
おそらくそんな意味じゃないでしょう。
やっぱり何かやりたいんでしょう。
それで遺体できないんです。だから気の毒だわ。
しかし先生は健康から言っていて別に毒も悪いところはないようじゃありませんか。
丈夫ですとも何も持病はありません。
それでなぜ活動ができないんでしょう。
どれがわからないのよあなた。
それがわかるくらいなら私だってこんなに心配しやしません。
わからないから気の毒でたまらないんです。
奥さんの動きには非常に同情があった。
それでも口元だけには微笑が見えた。
外側から言えば私の方がむしろ真面目だった。
私はむずかしい顔をして黙っていた。
すると奥さんが急に思い出したようにまた口を開いた。
若い時はあんな人じゃなかったんですよ。
若い時はまるで違っていました。
それが全く変わってしまったんです。
若い時っていつ頃ですか。
と私が聞いた。
初生時代よ。
初生時代から先生をしていらっしゃったんですか。
奥さんは急に薄赤い顔をした。
十二。
奥さんは東京の人であった。
それはかつて先生からも奥さん自身からも聞いて知っていた。
奥さんはほんと言うと藍の子なんですよ。
と言った。
奥さんの父親は確か鳥取かどこかの出であるのに、
お母さんの方はまだ江戸といった自分の市貝で生まれた女なので、
奥さんは冗談半分そう言ったのである。
ところが先生は全く方角違いの新潟県人であった。
だから奥さんがもし先生の初生時代を知っているとすれば
距離の関係でないことは明らかであった。
しかし薄赤い顔をした奥さんは
それより以上の話をしたくないようだったので
私の方でも深くは聞かずにおいた。
先生と知り合いになってから先生の亡くなるまでに
私はずいぶんいろいろな問題で先生の思想や情操に触れてみたが
結婚当時の状況についてはほとんど何者も聞き得なかった。
私は時によるとそれを善意に解釈してもみた。
年配の先生のことだから
生めかしい回想などを若い者に聞かせるのは
わざと謹んでいるのだろうと思った。
時によるとまたそれを悪くもとった。
先生に限らず奥さんに限らず
二人とも私に比べると一時代前の飲酒のうちに成人したために
そういう艶っぽい問題になると
正直に自分を解放するだけの勇気がないのだろうと考えた。
もっともどちらも推測に過ぎなかった。
そうしてどちらの推測の裏にも
二人の結婚の奥に横たわる華やかなロマンスの存在を仮定していた。
私の仮定は果たして誤らなかった。
けれども私はただ恋の反面だけを想像に描き得たりすぎなかった。
先生は美しき恋愛の裏に恐ろしい悲劇を持っていた。
そうしてその悲劇のどんなに先生にとってみじめなものであるかは
相手の奥さんにまるで知れていなかった。
奥さんは今でもそれを知らずにいる。
先生はそれを奥さんに隠して死んだ。
先生は奥さんの幸福を破壊する前にまず自分の生命を破壊してしまった。
私は今この悲劇について何事も語らない。
奥さんの視点
その悲劇のためにむしろ生まれ出たともいえる二人の恋愛については
さっき言った通りであった。
二人とも私にはほとんど何も話してくれなかった。
奥さんは慎みのために。
先生はまたそれ以上の深い理由のために。
ただ一つ私の記憶に残っていることがある。
そのとき花自分に私は先生と一緒に上野へ行った。
そしてそこで美しい一対の南女を見た。
彼らはむつまじそうに寄り添って花の下を歩いていた。
場所が場所なので花よりもそちらを向いて目をそば立てている人がたくさんあった。
新婚の夫婦のようだねと先生が言った。
仲が良さそうですねと私が答えた。
先生は苦笑さえしなかった。
二人の南女を視線の他に置くような方角へ足を向けた。
それから私にこう聞いた。
君は恋をしたことがありますか。
私はないと答えた。
恋をしたくありませんか。
私は答えなかった。
したくないことはないでしょう。
ええ。
君は今のあの男と女を見て冷やかしましたね。
その冷やかしのうちには君が恋を求めながら相手を得られないという不快の声が混じっていました。
そんなふうに聞こえましたか。
聞こえました。
恋の満足を味わっている人はもっと温かい声を出すもんです。
しかし、
しかし君、
恋は罪悪ですよ。
わかっていますか。
私は急に驚かされた。
何とも返事をしなかった。
十三
我々は群衆の中にいた。
群衆はいずれも嬉しそうな顔をしていた。
そこを通り抜けて花も人も見えない森の中へ来るまでは同じ問題を口にする機会がなかった。
恋は罪悪ですか。
と私がそのとき突然聞いた。
罪悪です。確かに。
と答えたときの先生の語気は前と同じように強かった。
なぜですか。
なぜだか今にわかります。
今じゃない。もうわかっているはずです。
あなたの心はとっくの昔からすでに恋で動いているじゃありませんか。
私は一応自分の森の中を調べてみた。
けれどもそこは案外に空虚であった。
思い当たるようなものは何もなかった。
私の森の中にこれという目的物は一つもありません。
私は先生に何も隠してはいないつもりです。
目的物がないから動くんです。
あれば落ち着けたろうと思って動きたくなるんです。
今それほど動いちゃいません。
あなたは物足りない結果私のところに動いてきたじゃありませんか。
それはそうかもしれません。しかしそれは恋とは違います。
恋に登る階段なんです。
異性と抱き合う順序としてまず同性の私のところへ動いてきたんです。
私には二つのものが全く性質をことにしているように思われます。
いや同じです。
私は男としてどうしてもあなたに満足を与えられない人間なんです。
それからある特別な事情があってなおさらあなたに満足を与えられないでいるんです。
私は実際お気の毒に思っています。
あなたが私からよそや動いていくのは仕方がない。
私はむしろそれを希望しているんです。
しかし私は変に悲しくなった。
私は先生から離れていくように大思いになれば仕方がありませんが
私にそんな昨日起こったことはまだありません。
先生は私の言葉に耳を貸さなかった。
しかし気を付けないといけない。
恋は罪悪なんだから。
私のところで満足が得られない代わりに危険もないが、
君、黒い長い髪で縛られた時の心持ちを知っていますか?
私は想像で知っていた。
しかし事実としては知らなかった。
いずれにしても先生の言う罪悪という意味は朦朧としてよくわからなかった。
その上、私は少し不愉快になった。
先生、罪悪という意味をもっとはっきり言って聞かせてください。
それでなければこの問題をここで切り上げてください。
私自身に罪悪という意味がはっきりわかるまで。
ああ、悪いことをした。
私はあなたに誠を話している気でいた。
ところが実際はあなたをじらしていたんだ。
私は悪いことをした。
先生と私とは博物館の裏からうぐいす谷の方角に静かな歩調で歩いて行った。
柿の隙間から広い庭の一部に茂るクマザサが幽静に見えた。
君は私がなぜ毎月ゾウシガヤの墓地に埋まっている友人の墓へ参るのか知っていますか。
先生のこの問いは全く突然であった。
しかも先生は私がこの問いに対して答えられないということもよく承知していた。
私はしばらく返事をしなかった。
すると先生は初めて気がついたようにこう言った。
ああ、また悪いことを言った。
じらせるのが悪いと思って説明しようとすると、
その説明がまたあなたをじらせるような結果になる。
どうも仕方がない。
この問題はこれでやめましょう。
とにかく恋は罪悪ですよ。
よこざんすか。
そして神聖なものですよ。
私には先生の話がますますわからなくなった。
しかし先生はそれぎり恋を口にしなかった。
14
年の若い私はややもすると一途になりやすかった。
少なくとも先生の目にはそう映っていたらしい。
私には学校の講義よりも先生の談話のほうが有益なのであった。
教授の意見よりも先生の思想のほうがありがたいのであった。
とどのつまりを言えば教団に立って私を指導してくれる偉い人々よりも、
ただ一人を守って多くを語らない先生のほうが偉く見えたのであった。
あまり伸ばしちゃいけません。
と先生が言った。
冷めた結果としてそう思うんです。
と答えたときの私には十分の自信があった。
その自信を先生は受けがってくれなかった。
あなたは熱に浮かされているんです。
熱が冷めると嫌になります。
私は今のあなたからそれほど思われるのを苦しく感じています。
しかしこれから先のあなたに起こるべき変化を予想してみると、なお苦しくなります。
私はそれほど軽薄に思われているんですか?
それほど不信用なんですか?
うーん、私はお気の毒に思うんです。
気の毒だか信用されないとおっしゃるんですか?
先生は迷惑そうに庭のほうを向いた。
その庭にこの間まで重そうな赤い強い色をポタポタ点じていた椿の花はもう一つも見えなかった。
先生は座敷からこの椿の花をよく眺める癖があった。
信用しないって特にあなたを信用しないんじゃない。
人間全体を信用しないんです。
そのとき池垣の向こうで金魚売りらしい声がした。
そのほかには何も聞こえるものもなかった。
大通りから2丁も深く折れ込んだ工事は存外静かであった。
家の中はいつもの通りひっそりしていた。
私は次の間に奥さんのいることを知っていた。
黙って張り仕事か何かしている奥さんの耳に私の話し声が聞こえるということも知っていた。
しかし私は全くそれを忘れてしまった。
じゃあ奥さんも信用なさらないんですか?
と先生に聞いた。
先生は少し不安な顔をした。
そして直接の答えを避けた。
私は私自身さえ信用していないんです。
つまり自分で自分が信用できないから人も信用できないようになっているんです。
自分を呪うより他に仕方がないんです。
そう難しく考えれば誰だって確かなものはないでしょう。
いや考えたんじゃない。
やったんです。やった後で驚いたんです。
そして非常に怖くなったんです。
私はもう少し先まで同じ道を辿って行きたかった。
すると襖の奥であなた、あなたという奥さんの声が二度聞こえた。
先生は二度目になんだいと言った。
奥さんはちょっとと先生を次の前へ呼んだ。
二人の間にどんな用事が起こったのか私には分からなかった。
先生の内面的な苦悩
それを想像する余裕を与えないほど早く先生はまた座敷へ帰ってきた。
とにかくあまり私を信用してはいけませんよ。
今に後悔するから。
そして自分が欺かれた偏方に残酷な復讐をするようになるもんだから。
それはどういう意味ですか。
かつてはその人の膝の前に跪いたという記憶が今度はその人の頭の上に足を乗せさせようとするんです。
私は未来の侮辱を受けないために今の尊敬を知りづけたいと思うんです。
私は今より一層寂しい未来の私を我慢する代わりに寂しい今の私を我慢したいんです。
自由と独立と己とに満ちた現代に生まれた我々は、その犠牲としてみんなこの寂しみを味わわなくてはならないでしょう。
私はこういう覚悟を持っている先生に対して言うべき言葉を知らなかった。
15。
その後、私は奥さんの顔を見るたびに気になった。
先生は奥さんに対しても始終こういう態度に出るのだろうか。
もしそうだとすれば奥さんはそれで満足なのだろうか。
奥さんの様子は満足とも不満足とも決めようがなかった。
私はそれほど近く奥さんに接触する機会がなかったから。
それから奥さんは私に会うたびに尋常であったから。
最後に先生のいる席でなければ私と奥さんとは滅多に顔を合わせなかったから。
私の疑惑はまだその上にもあった。
先生の人間に対するこの覚悟はどこから来るのだろうか。
ただ冷たい目で自分を内省したり、現代を観察したりした結果なのだろうか。
先生は座って考えるたちの人であった。
先生の頭さえあればこういう態度は座って世の中を考えていても自然と出てくるものだろうか。
私にはそうばかりとは思えなかった。
先生の覚悟は生きた覚悟らしかった。
火に焼けて冷却しきった石像家屋の輪郭とは違っていた。
私の目に永洲先生は確かに思想家であった。
けれどもその思想家のまとめ上げた主義の裏には強い事実が織り込まれているらしかった。
自分と切り離された他人の事実でなくて、自分自身が忠誠に味わった事実、
血が熱くなったり脈が止まったりするほどの事実が畳み込まれているらしかった。
奥さんとの対話
これは私の胸で推測するがものはない。
先生自身すでにそうだと告白していた。
ただその告白が蜘蛛の峰のようであった。
私の頭の上に正体の知れない恐ろしいものを覆いかぶせた。
そしてなぜそれが恐ろしいか私にもわからなかった。
告白はぼうとしていた。
それでいて明らかに私の神経を震わせた。
私は先生のこの人生観の起点にある強烈な恋愛事件を仮定してみた。
過去無論先生と奥さんとの間に起こった。
先生がかつて恋は罪悪だといったことから照らし合わせてみると多少それが手掛かりにもなった。
しかし先生は厳に奥さんを愛していると私に告げた。
すると二人の恋からこんな遠征に近い覚悟が出ようはずはなかった。
かつてはその人の前に跪いたという記憶が今度はその人の頭の上に足を乗せさせようとするといった先生の言葉は
現代一般のたれかれについて用いられるべきで先生と奥さんとの間には当てはまらないもののようでもあった。
造紙が屋にある誰だかわからない人の墓。
これも私の記憶に時々動いた。
私はそれが先生と深い縁起のある墓だということを知っていた。
先生の生活に近づきつつありながら近づくことのできない私は先生の頭の中にある命の断片としてその墓を私の頭の中にも受け入れた。
けれども私にとってその墓は全く死んだものであった。
二人の間にある命の扉を開ける限りにはならなかった。
むしろ二人の間に立って自由の往来を妨げる魔物のようであった。
そうこうしているうちに私はまた奥さんと差し向かいで話をしなければならない時期が来た。
その頃は日の詰まっていくせわしない秋に、誰も注意を引かれる肌寒の季節であった。
先生の付近で盗難にかかったのも三、四日続いて出た。
盗難はいずれも酔いの口であった。
たいしたものを持っていかれたうちはほとんどなかったけれども、入られたところでは必ず何か取られた。奥さんは気味を悪くした。
そこへ先生がある晩、家を開けなければならない事情が出てきた。
先生と同居の友人で地方の病院に放食している者が状況を知ったため、先生は他の二、三名とともにあるところでその友人に飯を食わせなければならなくなった。
先生は訳を話して、私に帰ってくる間までの留守番を頼んだ。私はすぐ引き受けた。
十六
私の行ったのはまだ火のつくかつかない暮れ方であったが、貴重面な先生はもううちにいなかった。
時間に遅れると悪いっていつい今しがた出かけました。と言った奥さんは私を先生の書斎へ案内した。
書斎にはテーブルと椅子のほかにたくさんの書物が美しい背側を並べてガラス越しに伝統の光で照らされていた。
奥さんは火鉢の前に敷いた座布団の上へ私を座らせて、
「ちっとそこらにある本でも読んでいてください。」と断って出て行った。
私はちょうど主人の帰りを待ち受ける客のような気がしてすまなかった。私は賢ったまま煙草を飲んでいた。
奥さんが茶の間で何か下女に話している声が聞こえた。書斎は茶の間の縁側を突き当たって折れ曲がった角にあるので、胸の位置から言うと座敷よりもかえってかけ離れた静かさを利用していた。
ひとしきりで奥さんの話し声が止むと後はしんとした。私は泥棒を待ち受けるような心持ちでじっとしながら木をどこかに配った。
三十分ほどすると奥さんがまた書斎の入り口へ顔を出した。
「おや?」と言って軽く驚いたときの目を私に向けた。
そうして客に来た人のようにしか爪らしくひかえている私をおかしそうに見た。
「それじゃあ窮屈でしょう?」
「いえ、窮屈じゃありません。」
「うーん、でも退屈でしょう?」
「いえ。泥棒が来るかと思って緊張しているから退屈でもありません。」
奥さんは手に紅茶茶碗を持ったまま笑いながらそこに立っていた。
「ここは隅っこだから晩をすんにはよくありませんね。」と私が言った。
「じゃあ失礼ですがもっと真ん中へ出てきてちょうだい。
ご退屈だろうと思ってお茶を入れて持ってきたんですが、
茶の間でよろしければあちらであげますから。」
私は奥さんの後について書斎を出た。
茶の間にはきれいな長火鉢に鉄瓶が載っていた。
私はそこで茶と菓子のご馳走になった。
奥さんは寝られないといけないと言って茶碗に手を振れなかった。
「先生はやっぱり時々こんな会議へお出かけになるんですか?」
「いいえ。滅多に寝たことはありません。近頃はだんだん人の顔を見るのが嫌いになるようです。」
こういった奥さんの様子に別段困ったものだというふうにも見えなかったので、私はつい大胆になった。
「それじゃあ奥さんだけが例外なんですか?」
「いいえ。私も嫌われている一人なんです。」
「それは嘘です。」と私が言った。
「奥さん自身嘘と知りながらそうおっしゃるんでしょう?」
「なぜ?」
「私に言わせると奥さんが好きになったから世間が嫌いになるんですもの。」
「あなたは学問をする方だけあってなかなかお上手ね。空っぽな理屈を使いこなすことが。」
「世の中が嫌いになったから私までも嫌いになったんだとも言われるじゃありませんか?それと同じ理屈で。」
「両方とも言われることは言われますが、この場合は私の方が正しいのです。」
「議論は嫌いよ。」
「よく男の方は議論だけなさるのね。面白そうに。」
「空の杯でよくああ飽きずに研修ができると思いますわ。」
奥さんの言葉は少しいてひどかった。しかしその言葉の耳障りから言うと決して猛烈なものではなかった。
自分に頭脳のあることを相手に認めさせて、そこに一種の誇りを見出すほどに奥さんは現代的ではなかった。奥さんはそれよりもっとそこの方に沈んだ心を大事にしているらしく見えた。
17
私はまだその後に言うべきことを持っていた。
けれども奥さんからいたずらに議論をしかける男のように捉えては困ると思って遠慮した。奥さんは飲み干した紅茶茶碗の底を覗いて黙っている私をそらそのように
「もう一杯あげましょうか。」と聞いた。私はすぐ茶碗を奥さんの手に渡した。
「いくつ?一つ?二つ?」
妙なもので角砂糖をつまみあげた奥さんは私の顔を見て茶碗の中へ入れる砂糖の数を聞いた。
奥さんの態度は私に媚びるというほどでもなかったけれども、さっきの強い言葉を務めて打ち消そうとする愛嬌に満ちていた。
私は黙って茶を飲んだ。飲んでしまっても黙っていた。
「あなた大変黙りこんじまったのね。」と奥さんが言った。
「何か言うとまた議論をしかけるなんてしっかりつけられそうですから。」と私は答えた。
「まさか。」と奥さんが再び言った。
二人はそれを井戸口にまた話を始めた。そうしてまた二人に共通な興味のある先生を問題にした。
「奥さん、さっきの続きをもう少し言わせてくださいませんか。奥さんには空々な理屈と聞こえるかもしれませんが、私はそんな上の空で言っていることじゃないんだから。」
「じゃあおっしゃい。」
「今奥さんが急にいなくなったとしたら先生は現在の通りで生きていられるでしょうか。」
「そりゃ分からないわあなた。そんなこと先生に聞いてみるより他に仕方がないじゃありませんか。私のところへ持ってくる問題じゃないわ。」
「奥さん、私は真面目ですよ。だから逃げちゃいけません。正直に答えなくっちゃ。」
「正直よ。正直に言って私には分からないのよ。」
「じゃあ奥さんは先生をどのくらい愛していらっしゃるんですか。これは先生に聞くよりむしろ奥さんに伺っていい質問ですからあなたに伺います。」
「何もそんなことを開き直って聞かなくってもいいじゃありませんか。」
「真面目くさって聞くが物はない。分かり切ってるとおっしゃるんですか。」
「まあそうよ。」
「そのくらい先生に忠実なあなたが急にいなくなったら先生はどうなるんでしょう。世の中のどっちを向いても面白そうでない先生はあなたが急にいなくなったら後でどうなるでしょう。先生から見てじゃない。あなたから見てですよ。あなたから見て先生は幸福になるでしょうか。不幸になるでしょうか。」
「それは私から見れば分かっています。先生はそう思っていないかもしれませんが、先生は私を離れれば不幸になるだけです。あるいは生きていられないかもしれませんよ。そういうとうぬぼれのようになるようですが、私は今先生を人間としてできるだけ幸福にしているんだと信じていますわ。どんな人があっても私ほど先生を幸福にできるものはないとまで思い込んでいますわ。それだからこうして落ち着いていられるんです。」
その信念が先生の心によくうつるはずだと私は思いますが、
「それは別問題ですわ。」
「やっぱり先生から嫌われているとおっしゃるんですか。」
「私は嫌われているとは思いません。嫌われるわけがないんですもの。しかし先生は世間が嫌いなんでしょう。世間というより近頃では人間が嫌いになっているんでしょう。だからその人間の一人として私も好かれるはずがないじゃありませんか。」
奥さんの嫌われているという意味がやっと私にのめ込めた。
変化する先生の姿
18
私は奥さんの理解力に感心した。奥さんの態度が旧式の日本の女らしくないところも私の注意に一種の刺激を与えた。それで奥さんはその頃流行り始めたいわゆる新しい言葉などはほとんど使わなかった。
私は女というものに深い付き合いをした経験のない迂闊な青年であった。男としての私は異性に対する本能から同型の目的物として常に女を夢見ていた。けれどもそれは懐かしい春の雲を眺めるような心持ちで、ただ漠然と夢見ていたに過ぎなかった。
だから実際の女の前へ出ると私の感情が突然変わることが時々あった。私は自分の前に現れた女のために惹きつけられる代わりに、その場に臨んで帰って変な反発力を感じた。奥さんに対した私にはそんな気がまるで出なかった。普通男女の間に横たわる思想の不平均という考えもほとんど起こらなかった。私は奥さんの女であるということを忘れた。私はただ誠実なる先生の批評家及び同情家として奥さんを眺めた。
奥さん、私はこの前なぜ先生が世間的にもっと活動をなさらないのだろうと言ってあなたに聞いたときに、あなたはおっしゃったことがありますね。元はああじゃなかったんだって。
ええ、言いました。実際あんなんじゃなかったんですもの。
どんなだったんですか?
あなたの希望なさるような、また私の希望するような頼もしい人だったんです。
それはどうして急に変化なさったんですか?
急にじゃありません。だんだんああなってきたのよ。
奥さんはその間始終先生と一緒にいらっしゃったんでしょう?
むろんいましたわ。夫婦ですもの。
じゃあ先生がそう変わっていかれる原因がちゃんとわかるべきはずですがね。
先生との会話
それだから困るのよ。あなたからそう言われると実につらいんですが、私にはどう考えても考えようがないんですもの。
私は今まで何遍あの人にどうぞ打ち明けてくださいって頼んでみたかわかりはしません。
先生は何とおっしゃるんですか?
何にも言うことはない。何にも心配することはない。俺はこういう立ちになったんだから、というだけで取り合ってくれないんです。
私は黙っていた。
奥さんも言葉を途切らした。ゲジュ部屋にいるゲジュは小鳥とも音をさせなかった。私はまるで泥棒のことを忘れてしまった。
あなたは私に責任があるんだと思ってやしませんか?と突然奥さんが聞いた。
いいえと私が答えた。
どうぞ隠さずに言ってください。そう思われるのは見送られるよりつらいんだからと奥さんがまた言った。
これでも私は先生のためにできるだけのことはしているつもりなんです。
それは先生もそう認められているんだから大丈夫です。ご安心なさい。私が保障します。
奥さんは火鉢の灰をかきならした。それから水差しの水を鉄瓶にさした。鉄瓶はたちまち鳴りを沈めた。
私はとうとう辛抱しきれなくなって先生に聞きました。私に悪いところがあるなら遠慮なく言ってください。
改められる欠点なら改めるからってすると先生はお前に欠点なんかありゃしない欠点は俺の方にあるだけだと言うんです。
そう言われると私悲しくなってしようがないんです。涙が出て尚のこと自分の悪いところが聞きたくなるんです。
奥さんは目の内に涙をいっぱいためた。
19
はじめ私は理解のある入所をとして奥さんに対していた。私はその気で話しているうちに奥さんの様子が次第に変わってきた。
奥さんは私の頭脳に訴える代わりに私のハートを動かし始めた。
自分と夫の間には何のわだかまりもない。また、ないはずであるのにやはり何かある。
それなのに目を開けて見極めようとするとやはり何にもない。奥さんの苦にする要点はここにあった。
奥さんは最初世の中を見る先生の目が遠征的だからその結果として自分も嫌われているのだと断言した。
そう断言しておきながら嫉妬もそこに落ち着いていられなかった。
そこを割るとかえってその逆を考えていた。先生は自分を嫌う結果とうとう世の中まで嫌になったのだろうと推測していた。
けれどもどう骨を折ってもその推測を突き止めて事実とすることができなかった。先生の態度はどこまでも夫らしかった。
奥さんの心の葛藤
親切で優しかった。疑いの塊をその日その日の情愛で包んでそっと胸の奥にしまっておいた奥さんはその晩その包みの中を私の前で開けてみせた。
あなたどう思って?と聞いた。
私からあなたのかそれともあなたのいう人生観とか何とかいうものからあなたのか隠さず言ってちょうだい。
私は何も隠す気はなかった。けれども私の知らないあるものがそこに存在しているとすれば私の答えが何であろうとそれが奥さんを満足させるはずがなかった。
そうして私はそこに私の知らないあるものがあると信じていた。
私にはわかりません。
奥さんは予期の外れたときに見る哀れな表情をその咄嗟に表した。私はすぐ私の言葉を継ぎ足した。
しかし先生が奥さんを嫌っていらっしゃらないことだけは保証します。
私は先生自身の口から聞いた通りを奥さんに伝えるだけです。
先生は嘘をつかない方でしょう?
奥さんは何とも答えなかった。しばらくしてからこう言った。
実は私少し思い当たることがあるんですけれども。
先生がああいう風になった原因についてですか?
ええ、もしそれが原因だとすれば私の責任だけはなくなるんだからそれだけでも私大変楽になれるんですが。
どんなことですか?
奥さんは言いしぶって膝の上に置いた自分の手を眺めていた。
あなた判断してくだすって言うから。
私にできる判断ならやります。
みんなは言えないのよ。みんな言うと叱られるから。叱られないところだけよ。
私は緊張して椿を飲み込んだ。
先生がまだ大学にいる時分大変仲のいいお友達が一人あったのよ。
その方がちょうど卒業する少し前に死んだんです。急に死んだんです。
奥さんは私の耳に囁くような小さな声で
実は変死したんです。と言った。
それはどうしてと聞き返さずにはいられないような言い方でやった。
それっきりしか言えないのよ。けれどもそのことがあってから後なんです。
先生の立ちがだんだん変わってきたのは。
なぜその方が死んだのか私にはわからないの。
先生にもおそらくわかっていないでしょう。
けれどもそれから先生が変わってきたと思えばそう思われないこともないのよ。
その人の墓ですか?増子が屋にあるのは。
それも言わないことになっているから言いません。
しかし人間は親友を一人亡くしただけでそんなに変化できるものでしょうか。
私はそれが知りたくってたまらないんです。
帰郷の決意
だからそこを一つあなたに判断していただきたいと思うの。
私の判断はむしろ否定の方に傾いていた。
二重
私は私の貫いた事実の許す限り奥さんを慰めようとした。
奥さんもまたできるだけ私によって慰められたそうに見えた。
それで二人は同じ問題をいつまでも話し合った。
けれども私はもともと事の大根をつかんでいなかった。
奥さんの不安も実はそこに漂う薄い雲にいた疑惑から出てきていた。
事件の真相になると奥さん自身にも多くは知れていなかった。
知れているところでもすっかりは私に話すことができなかった。
したがって慰める私も慰められる奥さんも共に波に浮いてゆらゆらしていた。
ゆらゆらしながら奥さんはどこまでも手を出しておぼつかない私の判断にすがりつこうとした。
十時ごろになって先生の靴の音が玄関に聞こえたとき奥さんは急に今までのすべてを忘れたように前に座っている私をそっちのけにして立ち上がった。
そして格子を開ける先生をほとんど出会い頭に迎えた。
私は取り残されながら後から奥さんについて行った。
下女だけはうたた寝でもしていたと見えてついに出てこなかった。
先生はむしろ機嫌が良かった。
しかし奥さんの調子はさらに良かった。
見ましがた奥さんの美しい目のうちに溜まった涙の光とそれから黒い眉毛の根に寄せられた蜂の字を記憶していた私はその変化を異常なものとして注意深く眺めた。
もしそれが偽りでなかったならば。
実際それは偽りとも思えなかったが。
今までの奥さんの訴えはセンチメントをもてあそぶために特に私を相手にこしらえたいたずらな女性の遊戯と取れないこともなかった。
もっともその時の私には奥さんをそれほど批評的に見る気は起こらなかった。
私は奥さんの態度の急に輝いてきたのを見てむしろ安心した。
これならばそう心配する必要もなかったんだと考え直した。
先生は笑いながら。
どうもご苦労様。ドル帽脇ませんでしたか?と私に聞いた。
それから来ないんで張り合いが抜けやしませんか?と言った。
帰る時奥さんは。
どうもお気の毒様。と営食した。
その調子は忙しいところを暇をつぶさせて気の毒だというよりも、せっかく来たのにドル帽が入らなくって気の毒だという冗談のように聞こえた。
奥さんはそう言いながらさっき出した西洋菓子の残りを紙に包んで私の手に持たせた。
私はそれを手元に入れて一通りの少ない良さもの工事を曲折して逃げやかな街の方へ急いだ。
私はその晩のことを記憶の内から引き抜いてここへ詳しく書いた。
これは書くだけの必要があるから書いたのだが、実を言うと奥さんに菓子をもらって帰る時の気分ではそれほど当夜の会話を重く見ていなかった。
私はその翌日、昼飯を食いに学校から帰ってきて、
昨夜机の上に載せておいた菓子の包みを見ると、すぐその中からチョコレートを塗った飛び色のカステラを出して頬張った。
そうしてそれを食う時に、ひっきょうこの菓子を私にくれた二人の男女は幸福な一対として世の中に存在しているのだと自覚しつつ味わった。
秋が暮れて冬が来るまで格別のこともなかった。
私は先生の家へ出入りをするついでに、衣服の洗い貼りや仕立て方などを奥さんに頼んだ。
それまで襦袢というものを着たことのない私が、シャツの上に黒い襟のかかったものを重ねるようになったのはこの時からであった。
子供のない奥さんはそういう世話を焼くのがかえって退屈しのぎになって、結局体のくすりだぐらいのことを言っていた。
これは手織りね。こんな地のいい着物は今まで縫ったことがないわ。
その代わり縫いにくいのよ、それや。まるで針が立たないんですもの。おかげで針を二本織りましたわ。
こんな苦情を言う時ですら、奥さんは別に面倒くさいという顔をしなかった。
21
冬が来た時私は偶然国へ帰らなければならないことになった。
私の母から受け取った手紙の中に父の病気の経過が面白くない様子を書いて、
今が今という心配もあるまいが、年が年だからできるなら都合して帰って来てくれと頼むように付け足してあった。
父はかねてから腎臓を病んでいた。
中年以後の人にしばしば見る通り、父のこの病は慢性であった。
その代わり用事にさえしていれば急変のないものと当人も家族の者も信じて疑わなかった。
現に父は養生のおかげ一つで、今日までどうかこうかしのいできたように客が来ると不意地をしていた。
その父が母の初心によると庭へ出て何かしているはずみに、突然めまいがしてひっくり返った。
家内の者は軽症の脳一血と思い違えてすぐその手当をした。
後で医者からはどうもそうではないらしい。
やはり治病の結果だろうという判断を得て、初めて疎通と腎臓病等を結びつけて考えるようになったのである。
冬休みが来るにはまだ少し間があった。
私は学期の終わりを待っていても差し支えあるまいと思って一日二日そのままにしておいた。
するとその一日二日の間に父の寝ている様子など母の心配している顔などが時々目に浮かんだ。
そのたびに一種の心苦しさをなめた私はとうとう帰る決心をした。
国から旅費を遅らせる手数と時間を省くため、私は一間越え方々先生のところへ行っているだけの金を一時立て替えてもらうことにした。
先生は少し風の気味で座敷へ出るのが億劫だと言って私をその書斎に通した。
書斎のガラス戸から冬に行ってまれに見るような懐かしい柔らかな日光が机掛けの上に差していた。
先生はこの日当たりのいい部屋の中へ大きな火鉢を置いてごとくの上にかけた金皿から立ち上がる湯気で息の苦しくなるのを防いでいた。
大病はいいがちょっとした風などはかえって嫌なものですねと言った先生は苦笑しながら私の顔を見た。
先生は病気という病気をしたことのない人であった。先生の言葉を聞いた私は笑いたくなった。
私は風ぐらいなら我慢しますがそれ以上の病気はまっぴらです。
先生だって同じことでしょう。試みにやってごらんになるとよくわかります。
そうかね。私は病気になるくらいなら死病にかかりたいと思ってる。
私は先生の言うことに格別注意を払わなかった。
すぐ母の手紙の話をして金の無心を申し出た。
ああそれは困るでしょう。そのくらいなら今手元にあるはずだから持ってきたまえ。
先生は奥さんを呼んで必要な金額を私の前に並べさせてくれた。
それを奥のチャダンスか何かの引き出しから出してきた奥さんは白いハンシュの上で丁寧にかさえて
それはご心配ですねと言った。
何遍も速答したんですかと先生が聞いた。
手紙には何とも書いてありませんがそんなに何度もひっくり返るものですか。
ええ先生の奥さんの母親という人も私の父と同じ病気で亡くなったのだということが初めて私にわかった。
どうせ難しいんでしょうと私が言った。
そうさね。私が代わられれば代わってあげてもいいが。
吐き気はあるんですか。
ああどうですか何とも書いてないから大方はないんでしょう。
吐き気さえこなければまだ大丈夫ですよと奥さんが言った。
私はその晩の汽車で東京をたった。
二十二
父の病気は思ったほど悪くはなかった。
それでも着いた時は床の上に油をかいて
みんなが心配するからまあ我慢してこうじっとしている。しかしもう起きてもいいのさと言った。
しかしその翌日から母が止めるのも聞かずにとうとう床を上げさせてしまった。
母は不省不省に太りの布団をたたみながら
お父さんはお前が帰ってきたんで急に気が強くおなりなんだよと言った。
私には父の挙動がさして虚勢を張っているようにも思えなかった。
私の兄はある職を帯びて遠い九州にいた。
父の病気と主人公の葛藤
これは毎日のことがある場合でなければ容易に父母の顔を見る自由のきかない男であった。
妹は他国へ突入だ。
これも急場の間に合うようにお急ると呼び寄せられる女ではなかった。
兄弟三人のうちで一番便利なのはやはり諸生をしている私だけであった。
その私が母の言いつけ通り学校の家業を放り出して休み前に帰ってきたということが父には大きな満足であった。
これしきの病気に学校を休ませては気の毒だ。
お母さんがあんまり行産の手紙を書くもんだからいけない。
父は口ではこう言った。
こう言ったばかりでなく今まで知っていた床を上げさせていつものように元気を示した。
あんまり軽はずみをしてまたぶり返すといけませんよ。
私のこの注意を父は愉快そうにしかし極めて軽く受けた。
なあに、大丈夫。これでもいつものように用心さえしていれば。
実際父は大丈夫らしかった。
家の中を自由に往来して息も切れなければ目眩も感じなかった。
ただ顔色だけは普通の人よりも大変悪かったがこれはまた今始まった症状でもないので私たちは確実それを気に留めなかった。
私は先生に手紙を書いて恩釈の礼を述べた。
正月上票するときに持参するからそれまで待ってくれるようにと断った。
そして父の病状の思ったほど軽薬でないこと、この分なら当分安心なこと、目眩も吐き気も悔むなことなどを書き連ねた。
最後に先生の風邪についても一言の見舞いを付け加えた。私は先生の風邪を実際軽く見ていたので。
私はその手紙を出すときに決して先生の返事を予期していなかった。
出した後で父や母と先生の噂などをしながら遥かに先生の所在を想像した。
今度東京へ行くときには椎茸でも持って行っておあげ?
ええ。しかし先生が干した椎茸などを食うかしら。
うまくはないが、別に嫌いな人もないだろう。
私には椎茸と先生を結びつけて考えるのが変であった。
先生の返事が来たとき私はちょっと驚かされた。ことにその内容が特別な要件を含んでいなかったとき驚かされた。
先生はただ親切づくで返事を書いてくれたんだと私は思った。
そう思うとその簡単な一本の手紙が私には大層な喜びになった。
もっともこれは私が先生から受け取った第一の手紙には相違なかったが。
第一というと私と先生の間に初心の往復が度々あったように思われるが、事実は決してそうでないことをちょっと断っておきたい。
私は先生の生前にたった二通の手紙しかもらっていない。
その一通は今言うこの簡単な返書で、後の一通は先生の死ぬ前、特に私宛てで書いた大変長いものである。
将棋を通じた父との関係
父は病気の立ちとして運動を進まなければならないので、扉を開けてからもほとんど外へは出なかった。
一度、天気のごく穏やかな日の午後、庭へ降りたことがあるが、そのときは万一を気遣って私が引き添うようにそばについていた。
私が心配して自分の方へ手をかくさせようとしても父は笑って応じなかった。
二十三
私は退屈な父の相手としてよく将棋盤に向かった。
二人とも武将の立ちなので、こたつに当たったまま盤を矢倉の上へ乗せて、駒を動かすたびにわざわざ手をかけ布団の下から出すようなことをした。
時々持ち駒をなくして、次の勝負の来るまで双方とも知らずにいたりした。
それを母が灰の中から見つけ出して火箸で挟み上げるという滑稽もあった。
五だと盤が高すぎる上に足がついているからこたつの上ではできないが、
そこへ来ると将棋盤はいいね。こうして楽にさせるから武将者には持って来いだ。もう一盤やろう。
父は勝った時は必ずもう一盤やろうと言った。そのくせ負けた時にももう一盤やろうと言った。
要するに勝っても負けてもこたつに当たって将棋をさしたがる男であった。
はじめのうちは珍しいのでこの陰虚じみた娯楽が私にも相当の興味を与えたが、
少し時々がたつにつれて若い私の気力はそのくらいな刺激で満足できなくなった。
私は金や強者を握った拳を頭の上へ伸ばして時々思い切ったあくびをした。
私は東京のことを考えた。
そうしてみなぎる心臓の血潮の奥に活動活動と打ち続ける鼓動を聞いた。
ある時にもその鼓動の音がある微妙な意識状態から先生の力で強められているように感じた。
私は心の内で父と先生とを比較してみた。
両方とも世間から見れば生きているか死んでいるか分からないほど大人しい男であった。
他に認められるという点から言えばどっちも例であった。
それでいてこの将棋をさしたがる父は単なる娯楽の相手としても私にはもう足りなかった。
かつて遊京のために行き来した覚えのない先生は、
歓楽の交際から出る親しみ以上にいつか私の頭に影響を与えていた。
ただ頭というのはあまりに冷ややかすぎるから私は胸と言い直したい。
肉の中に先生の力が吹き込んでいると言っても、血の中に先生の命が流れていると言っても、
その時の私には少しも誇張でないように思われた。
私は父が私の本当の父であり、
先生はまた言うまでもなく赤の他人であるという明白な事実をことさらに目の前に並べてみて、
初めて大きな真理でも発見したかのごとくに驚いた。
私がのつとつし出すと前後して、
父や母の目にも今まで珍しかった私がだんだん陳腐になってきた。
これは夏休みなどに国へ帰る誰でもが一様に経験する心持ちだろうと思うが、
遠ざの一週間ぐらいは霜にも置かないように千夜穂やもてなされるのに、
その峠を定期通り通り越すと、あとはそろそろ家族の熱が冷めてきて、
島屋にはあってもなくても構わないもののように粗末に取り扱われがちになるものである。
私も滞在中にその峠を通り越した。
その目、私は国へ帰るたびに父にも母にもわからない変なところを東京から持って帰った。
昔で言うと、住者の家へキリシタの匂いを持ち込むように、
私の持って帰るものは父とも母とも調和しなかった。
むろん私はそれを隠していた。
けれども、もともと身についているものだから出すまいと思っても、
いつかそれぞれ父や母の目に止まった。
私はつい面白くなくなった。
早く東京へ帰りたくなった。
父の病気は幸い現状維持のままで、少しも悪い方へ進む模様は見えなかった。
先生との関係の深化
念のためにわざわざ遠くから相当の医者を招いたりして慎重に診察してもらっても、
やはり私の知っている以外に異常は認められなかった。
私は冬休みの月で少し前に国を建つことにした。
立つと言い出すと、認状は妙なもので父も母も反対した。
「もう帰るのかい?まだ早いじゃないか。」と母が言った。
「まだ四、五日いても間に合うんだろう。」と父が言った。
私は自分の決めた出発の日を動かさなかった。
24
東京へ帰ってみると松飾りはいつか取り払われていた。
街は寒い風の服にまかせて、どこを見てもこれというほどの正月めいた景気はなかった。
私は早速先生の家へ金を返しに行った。
例の椎茸もついでに持って行った。
ただ出すのは少し変だから母がこれを差し上げてくれと言いましたと、
わざわざ断って奥さんの前へ置いた。
椎茸は新しい柏織に入れてあった。
丁寧に礼を述べた奥さんは、
次の前へ立つときその織を持ってみて軽いのに驚かされたのか。
これは何のお菓子?と聞いた。
奥さんは好意になるとこんなところに極めて淡白な子供らしい心を見せた。
二人とも父の病気についていろいろ懸念の問いを繰り返してくれた中に先生はこんなことを言った。
「なるほど。
要題を聞くと今が今どうということもないようですが、
病気が病気だからよほど気をつけないといけません。」
先生は腎臓の病について私の知らないことを多く知っていた。
自分で病気にかかっていながら気がつかないで平気でいるのがあの病の特色です。
私の知ったある歯科はとうとうそれでやられたが、
全く嘘のような死に方をしたんですよ。
何しろそばに寝ていた妻君が看病する暇も何にもないくらいなんですからね。
夜中にちょっと苦しいと言って妻君を起こしたぎり、
明る朝はもう死んでいたんです。
しかも妻君は夫が寝ているとばかり思っていたんだって言うんだから。
今まで楽天的に傾いていた私は急に不安になった。
私の親父もそんなになるでしょうか?
ならんとも言えないですね。
医者は何と言うんです?
医者はとても治らないと言うんです。
けれども当分のところ心配はあるまいとも言うんです。
それじゃいいでしょう。医者がそう言うなら。
私の今話したのは気がつかずにいた人のことで、
しかもそれが随分乱暴な軍人なんだから。
私はやや安心した。
私の変化をじっと見ていた先生はそれからこうつけ足した。
しかし人間は健康にしろ病気にしろどっちにしても脆いもんですね。
毎日どんなことでどんな修行をしないとも限らないから。
先生もそんなことを考えておいでですか?
いくら丈夫の私でもまんざら考えないこともありません。
先生の口元には微笑の影が見えた。
よくコロリと死ぬ人があるじゃありませんか?自然に。
それからあっという間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で。
不自然な暴力って何ですか?
それは私にもわからないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう。
すると、殺されるのもやはり不自然な暴力のおかげですね。
殺される方はちょっとも考えていなかった。
なるほど、そういえばそうだ。
その日はそれで帰った。
帰ってからも父の病気はそれほど苦にならなかった。
先生の言った自然に死ぬとか、不自然な暴力で死ぬとかいう言葉も、
その場限りの浅い印象を与えただけで、
その後は何らのこだわりを私の頭に残さなかった。
私は今までいくたびか手をつけようとしては、
手を引っ込めた卒業論文を、いよいよ本式に書き始めなければならないと思い出した。
25。
その年の6月に卒業するはずの私は、
ぜひともこの論文を正規通り4月いっぱいに書き上げてしまわなければならなかった。
234と指を折って余る時比を勘定してみたとき、
私は少し自分の度胸を疑った。
他の者はよほど前から材料を集めたり、
ノートを貯めたりしてよそ目にも忙しそうに見えるのに、
私だけはまだ何にも手をつけずにいた。
私にはただ年が改まったら大いにやろうという決心だけがあった。
私はその決心でやり出した。
そうしてたちまち動けなくなった。
今まで大きな問題を空に描いて、
骨組みだけはほぼ出来上がっているくらいに考えていた私は、
頭を押さえて悩み始めた。
私はそれから論文の問題を小さくした。
そうして練り上げた思想を系統的にまとめる手数を省くために、
ただ書物の中にある材料を並べて、
それに相当な結論をちょっと付け加えることにした。
私の選択した問題は先生の専門と遠古の近いものであった。
私がかつてその選択について先生の意見を尋ねたとき、
先生はいいでしょうと言った。
狼狽した気味の私は早速先生のところへ出かけて、
私の読まなければならない参考書を聞いた。
先生は自分の知っている限りの知識を心よく私に与えてくれた上に、
必要な書物を2、3貸そうと言った。
しかし先生はこの点についてごおも私を指導する人に当たろうとしなかった。
近頃はあんまり書物を読まないから新しいことは知りませんよ。
学校の先生に聞いた方がいいでしょう。
先生は一時非常の読書家であったが、
その後どういうわけか前ほどこの方面に興味が働かなくなったようだと、
かつて奥さんから聞いたことがあるのを私はその時ふと思い出した。
私は論文をよそにしてそぞろに口を開いた。
先生はなぜもとのように書物に興味を持ち得ないんですか?
なぜというわけもありませんが、
つまりいくら本を読んでもそれほど偉くならないと思うせいでしょう。
それから…
それからまだあるんですか?
まだあるというほどの理由でもないが、
以前はね、人の前でたり人に聞かれたりして知らないと恥のように決まりが悪かったもんだが、
近頃は知らないということがそれほどの恥でないように見えだしたもんだから、
論文に向かう孤独な日々
つい無理にも本を読んでみようという元気がなくなったんでしょう。
まあ早く言えば追い込んだのです。
先生の言葉はむしろ平成であった。
世間に背中を向けた人の苦味を帯びていなかっただけに、私にはそれほどの手応えもなかった。
私は先生を追い込んだとも思わない代わりに偉いとも感心せずに帰った。
それから私はほとんど論文にたたられた精神病者のように目を隠して苦しんだ。
私は一年前に卒業した友達について色々様子を聞いてみたりした。
そのうちの一人は締め切りの日に車で事務所へ駆けつけてようやく間に合わせたと言った。
他の一人は五時を十五分ほど遅らして持って行ったため、
危うく跳ねつけられようとしたところを主任教授の好意でやっと受理してもらったと言った。
私は不安を感じるとともに度胸を据えた。
毎日机の前で精魂の続く限り働いた。
でなければ薄暗い書庫に入って高い本棚のあちらこちらを見回した。
私の目は甲塚が骨董でも掘り出す時のように精病者の金文字を漁った。
梅が咲くにつけて寒い風はだんだん向きを南へ変えていった。
それが一時切り経つと桜の噂がちらほら私の耳に聞こえ出した。
それでも私は馬車馬のように正面ばかり見て論文に鞭打たれた。
私はついに四月の下旬が来てやっと予定通りのものを書き上げるまで先生の指揮をまたがなかった。
二十六。
私の自由になったのは八重桜の散った枝にいつしか青い葉が霞むように伸び始める初夏の季節であった。
自由を求めて散歩へ
私は籠を抜け出した小鳥の心を持って広い天地を一目に見渡しながら自由に羽ばたきをした。
私はすぐ先生の家へ行った。
殻立ちの柿が黒ずんの枝の上に燃えるような芽を吹いていたり、
桜の枯れた幹から艶々しい茶化色の葉が柔らかそうに日光を映していたりするのが一日私の目を惹きつけた。
私は生まれて初めてそんなものを見るような珍しさを覚えた。
先生は嬉しそうな私の顔を見て
もう論文は片付いたんですか。結構ですね。
と言った。
私は
おかげでようやく済みました。もう何にもすることはありません。
と言った。
実際その時の私は自分の成すべきすべての仕事が既に結了をして、
これから先は威張って遊んでいても構わないような晴れやかな心持ちでいた。
私は書き上げた自分の論文に対して十分の自信と満足を持っていた。
私は先生の前でしきりにその内容を長調した。
先生はいつもの調子で、
なるほど、とか、そうですか、とか言ってくれたがそれ以上の批評は少しも加えなかった。
私は物足りないというよりもいささか拍子抜けの気味であった。
それでもその日私の気力は隠人らしく見える先生の態度に逆襲を試みるほどに生き生きしていた。
私は青く蘇ろうとする大きな自然の中に先生を誘い出そうとした。
先生、どこかへ散歩しましょう。
外へ出ると大変いい心持ちです。
どこへ?
私はどこでも構わなかった。
ただ先生を連れて郊外へ出たかった。
一時間の後、先生と私は目的通り市を離れて村とも町とも区別のつかない静かなところを当てもなく歩いた。
私は金目の柿から若い柔らかい葉をもぎ取って芝笛を鳴らした。
ある鹿児島人の友達にもってその人の真似をしつつ自然に習い覚えた私はこの芝笛というものを鳴らすことが上手であった。
私が特にそれを吹き続けると先生は知らん顔をしてよそを向いて歩いた。
やがて若葉に閉ざされたようにこんもりした小高い人構えの下に細い道が開けた。
門の柱に打ち付けた標札に何々円とあるのでその個人の邸宅でないことがすぐ知れた。
先生はだらだら上りになっている入口を眺めて入ってみようかと言った。
私はすぐ植木屋ですねと答えた。
植え込みの中をひとうねりして奥へ上ると左側に家があった。
開け放った障子のうちはがらんとして人の影も見えなかった。
ただ軒先に据えた大きな鉢の中に飼っている金魚が動いていた。
静かだね。こだわらずに入ってもかまわないだろうか。
かまわないでしょう。
二人はまた奥の方へ進んだ。しかしそこにも人影は見えなかった。
筒地が燃えるように叫びられていた。
先生はそのうちでカバ色の竹の高いのを指してこれは霧島でしょうと言った。
灼薬もトツボあまり一面に植え付けられていたがまだ季節が来ないので花を付けているのは一本もなかった。
この灼薬畑のそばにある古びた円台のようなものの上に先生は台の字なりに寝た。
私はその余った端の方に腰を下ろして煙草を吹かした。
先生は青い透き通るような空を見ていた。
私は私を包む若葉の色に心を奪われていた。
その若葉の色をよくよく眺めるといちいち違っていた。
同じ楓の木でも同じ色を枝に付けているものは一つもなかった。
細い杉苗の頂に投げかぶせてあった先生の帽子が風に吹かれて落ちた。
27
私はすぐその帽子を取り上げた。
所々についている赤土を爪ではじきながら先生を呼んだ。
先生、帽子が落ちました。
ああ、ありがとう。
体を半分起こしてそれを受け取った先生は、起きるとも寝るとも片付かないその姿勢のままで変なことを私に聞いた。
突然だが、君の家には財産がよっぽどあるんですか?
あると言うほどありはしません。
まあ、どのくらいあるのかね。失礼のようだが。
どのくらいって山と田んじが少しあるぎりで、金なんかは割れないでしょう。
先生が私の家の経済について問いらしい問いをかけたのはこれが初めてであった。
私の方はまだ先生の暮らし向きに関して何も聞いたことがなかった。
先生と知り合いになった初め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。
その後もこの疑いは絶えず私の胸をさらなかった。
しかし私はそんなあらわの問題を先生の前に持ち出すのをブシつけとばかり思っていつでも控えていた。
若葉の色で疲れた目を休ませていた私の心は偶然またその疑いに触れた。
先生はどうなんです。どのくらいの財産を持っていらっしゃるんですか。
私は財産家に見えますか。
先生は平成からむしろ失踪ななりをしていた。
それに家内は小人数であった。
したがって住宅も決して広くはなかった。
けれどもその生活の物質的に豊かなことは内輪に入り込まない私の目にさえ明らかであった。
要するに先生の暮らしは贅沢と言えないまでもあだじけなく切り詰めた無断力性のものではなかった。
そうでしょと私が言った。
そりゃそのくらいの金はあるさけれども決して財産家じゃありません。
財産家ならもっと大きな家でも作るさ。
この時先生は起き上がって円台の上にあぐらを書いていたがこう言い終わると竹の杖の先で地面の上円のようなものを書き始めた。
それが済むと今度はステッキを突き刺すようにまっすぐに立てた。
これでももとは財産家なんだかな。
先生の言葉は半分独り言のようであった。
それですぐ後について行き損なった私はつい黙っていた。
これでももとは財産家なんですよ、君。
と言い直した先生は次に私の顔を見て微笑した。
私はそれでも何とも答えなかった。むしろ不調法で答えられなかったのである。
人間と財産の意味
すると先生がまた問題をよそへ移した。
あなたのお父さんの病気はその後どうなりました。
私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。
月々国から送ってくれる河瀬と共にくる簡単な手紙は、例の通り父の主席であったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当たらなかった。
その上書体も確かであった。
この種の病人に見る震えが少しも筆の運びを乱していなかった。
何とも言ってきませんが、もういいんでしょう。
良ければ結構だが、病床が病床なんだからね。
やっぱりダメですかね。でも当分は持ち合っているんでしょう。何とも言ってきませんよ。
そうですか。
私は先生が私のうちの財産を聞いたり、私の父の病気を尋ねたりするのを普通の談話、胸に浮かんだままをその通り口にする普通の談話だと思って聞いていた。
ところが先生の言葉の底には両方を結びつける大きな意味があった。
先生自身の経験を持たない私は無論そこに気がつく筈がなかった。
28
君のうちに財産があるなら今のうちによく始末をつけてもらっておかないといけないと思うがね。余計なお世話だけれども。
君のお父さんが達者のうちにもらうものはちゃんともらっておくようにしたらどうですか。毎日のことがあった後で一番面倒を残るのは財産の問題だから。
ええ。私は先生の言葉に大した注意を払わなかった。
私の家庭でそんな心配をしている者は私に限らず父にしろ母にしろ一人もないと私は信じていた。
その上先生の言うことの先生としてあまりに実際的なのに私は少し驚かされた。しかしそこは年長者に対する平静の経緯が私を無口にした。
あなたのお父さんが亡くなられるのを今から予想してかかるような言葉遣いをするのが気に触ったら許してくれたまえ。しかし人間は死ぬ者だからね。どんな達者の者でもいつ死ぬかわからない者だからね。
先生の後記は珍しく苦々しかった。
ああ、そんなことをちょっとも気にかけちゃいません。と私は弁解した。
君の兄弟は何人でしたかね?と先生が聞いた。
先生はその上に私の家族の人数を聞いたり、親類の有無を尋ねたり、おじやおばの様相を問いなどした。
そして最後にこう言った。
みんないい人ですか?
別に悪い人間というほどの者もいないようです。大抵田舎者ですから。
田舎者は何故悪くないんですか?
私はこの追求に苦しんだ。
しかし先生は私に返事を考えさせる余裕さえ与えなかった。
田舎者は都会の者よりかえって悪いくらいの者です。
それから君は今、君の親戚などの中にこれといって悪い人間はいないようだと言いましたね。
しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか?
そんな胃がたに出たような悪人は世の中にあるはずがありませんよ。平日はみんな善人なんです。
少なくともみんな普通の人間なんです。
それがいざという間際に急に悪人に変わるんだから恐ろしいんです。
だから油断ができないんです。
先生の言うことはここで切れる様子もなかった。
私はまたここで何か言おうとした。
すると後ろの方で犬が急に吠え出した。
先生も私も驚いて後ろを振り返った。
園内の横から甲部へかけて植え付けてある杉内のそばに
クマザサが三つ歩ほど地を隠すように茂って生えていた。
犬はその顔と背をクマザサの上に現して盛んに吠え立てた。
そこへ十ぐらいの子供がかけてきて犬を叱りつけた。
子供は希少のついた黒い帽子をかぶったまま先生の前へ回って礼をした。
おじさん、入ってくるときうちに誰もいなかったかい?
と聞いた。
誰もいなかったよ。
姉さんやおっかさんが勝手の方にいたのに。
そうか。いたのかい。
ああ、おじさん。こんちはって断って入ってくるとよかったのに。
先生は苦笑した。
懐からがま口を出して五線の白銅を子供の手に握らせた。
おっかさんにそう言っておいてくれ。少しここで休ませてくださいって。
子供は利行僧の目に笑いをみなぎらしてうなずいてみせた。
いま石膏腸になっているところなんだよ。
子供はこう断って筋の間を下の方へ駆け下りていった。
犬も尻尾を高く巻いて子供の後を追いかけた。
しばらくすると同じぐらいの年格好の子供が二三人、これも石膏腸の下りていった方へ駆けていった。
二十九
先生の談話はこの犬と子供のために結末まで進行することができなくなったので、私はついにその容量を得ないでしまった。
先生の気にする財産云々の懸念はその時の私には全くなかった。
私の性質として、また私の境遇から言って、
その時の私にはそんな利害の念に頭を悩ます余地がなかったのである。
考えるとこれは私がまだ世間に出ないためでもあり、また実際その場に臨まないためでもあったろうが、
とにかく若い私には何故か金の問題が遠くの方に見えた。
先生の話のうちでただ一つ、そこまで聞きたかったのは、人間がいざという間際に誰でも悪人になるという言葉の意味であった。
単なる言葉としてはこれだけでも私にわからないことはなかった。
しかし私はこの苦についてもっと知りたかった。
静かな若葉の園
犬と子供が去った後、広い若葉の園は再び元の静かさに帰った。
そうして我々は沈黙に閉ざされた人のようにしばらく動かずにいた。
麗しい空の色がその時次第に光を失ってきた。
目の前にある木はたいがい楓であったが、その枝に滴るように吹いた軽い緑の若葉がだんだん暗くなっていくように思われた。
遠い往来を荷車が引いていく響きがゴロゴロと聞こえた。
私はそれを村の男が植木か何かを乗せて縁日へでも出かけるものと想像した。
先生はその音を聞くと、急に迷走から駅を吹き返した人のように立ち上がった。
もうそろそろ帰りましょう。だいぶ日が長くなったようだが、やっぱりこう安寒としているうちはあいつのまにか暮れていくんだね。
先生の背中にはさっき園台の上に仰向きに寝た跡がいっぱいついていた。私は両手でそれを払いようとした。
ありがとう。やあにがあこびりついてはしませんか。
きれいに落ちました。
この羽織はついこの間こしらえたばかりなんだよ。だからむやむに汚して帰ると妻に叱られるからね。ありがとう。
二人はまただらだら坂の中途にある家の前へ来た。
入るときには誰もいる景色の見えなかった園に、おかみさんが十五六の娘を相手に糸巻きへ糸を巻きつけていた。
二人は大きな金魚鉢の横から、「どうもおじゃましました。」とあいさつした。
おかみさんは、「いいえ。お構い申しもいたしませんね。」と礼を返した後、さっき子供にあった白銅の礼を述べた。
文具長を出て二三丁来たとき、私はついに先生に向かって口を切った。
先ほど先生の言われた人間は誰でもいざという間際に悪人になるんだという意味ですね。あれはどういう意味ですか。
先生の興奮と人間の本性
意味といっても深い意味はありません。つまり事実なんですよ。理屈じゃないんだ。
事実で差し支えありませんが、私の伺いたいのはいざという間際という意味なんです。一体どんな場合を指すんですか。
先生は笑い出した。あたかも時期の過ぎた今、もう熱心に説明する張り合いがないといったふうに。
金さ、君。金を見るとどんな君子でもすぐ悪人になるのさ。私には先生の返事があまりに平凡すぎてつまらなかった。先生が調子に乗らないごとく私も表紙抜けの君であった。
私は済ませてさっさと歩き出した。勢い先生は少し遅れがちになった。先生は後から、「おいおい。」と声をかけた。
そら見たまえ。
何をですか。
君の気分だって私の返事一つですぐ変わるじゃないか。
待ち合わせるために振り向いて立ち止まった私の顔を見て先生はこう言った。
三十。
その時の私は腹の中で先生を憎らしく思った。肩を並べて歩き出してからも自分の聞きたいことをわざと聞かずにいた。
しかし先生の方ではそれに気がついていたのかいないのかまるで私の態度にこだわる様子を見せなかった。
いつもの通り沈黙がちに落ち着き払った包丁を済まして迫音でいくので私は少し豪腹になった。何とか言って一つ先生をやっつけてみたくなってきた。
先生。
何ですか。
先生はさっき少し興奮なさいましたね。あの植木屋の庭で休んでいる時に。
私は先生の興奮したのを滅多に見たことがないんですが、今日は珍しいところを拝見したような気がします。
先生はすぐ返事をしなかった。私はそれを手応えのあったようにも思った。また的が外れたようにも感じた。仕方がないから後は言わないことにした。
すると先生がいきなり道の端へ寄って行った。そしてきれいに刈り込んだ生垣の下で裾をまくって賞弁をした。
私は先生が用を託す間ぼんやりそこに立っていた。
やあ、失敬。
先生はこう言ってまた歩き出した。私はとうとう先生をやり込めることを断念した。
私たちの通る道はだんだん賑やかになった。今までちらほらと見えた広い畑の傾斜や平地が全く目に入らないように左右の家並みがそどってきた。
それでも所々宅地の隅なのに遠藤の鶴を竹に絡ませたり、金網で鶏を囲いがいしたりするのが歓声に眺められた。
支柱から帰る駄馬がしきりなくすれ違って行った。こんなものに始終気を取られがちな私は、さっきまで胸の中にあったもんだようどこかへ振り落としてしまった。
先生が突然そこへ後戻りをしたとき、私は実際それを忘れていた。
私はさっきそんなに興奮したように見えたんですか?
そんなに言うほどでもありませんが、少し。
いや、見えてもかまわない。実際興奮するんだから。
私は財産のことを言うときっと興奮するんです。君にはどう見えるか知らないが、私はこれで大変執念深い男なんだから。
人から受けた屈辱や損害は十年経っても二十年経っても忘れやしないんだから。
先生の言葉はもとよりもなお興奮していた。しかし私の驚いたのは決してその調子ではなかった。むしろ先生の言葉が私の耳に訴える意味そのものであった。
先生の口からこんな自白を聞くのは、いかな私にも全くの意外にそういなかった。
私は先生の性質の特色としてこんな執着力を未だかつて想像したことさえなかった。
私は先生をもっと弱い人と信じていた。そしてその弱くて高いところに私の懐かしみの根を置いていた。
いいときの気分で先生にちょっと盾をついてみようとした私はこの言葉の前に小さくなった。先生はこう言った。
私は人に欺かれたんです。しかも血の続いた親戚のものから欺かれたんです。私は決してそれを忘れないんです。
私の父の前には善人であったらしい彼らは。父の死ぬや否や許しがたい不徳義観に変わったんです。
私は彼らから受けた屈辱と損害を子供のときから今日まで消化されている。おそらく死ぬまで消化され通しでしょう。
私は死ぬまでそれを忘れることができないんだから。しかし私はまだ復讐をしずにいる。
考えると私は個人に対する復讐以上のことを厳にやっているんだ。私は彼らを憎むばかりじゃない、彼らが代表している人間というものを一般に憎むことを覚えたんだ。私はそれでたくさんだと思う。
卒業と新たな始まり
私は異者の言葉さえ口へ出せなかった。
三十一
その日の談話もついにこれぎりで発展せずにしまった。私はむしろ先生の態度に萎縮して先へ進む気が起こらなかったのである。
二人は市の外れから電車に乗ったが車内ではほとんど口を聞かなかった。
電車を降りると間もなく別れなければならなかった。別れるときの先生はまた変わっていた。常より晴れやかな調子で
これから六月までは一番気楽なときですね。ことによると生涯で一番気楽かもしれない。生出して遊びたまえ、と言った。
私は笑って帽子を取った。
そのとき私は先生の顔を見て、先生は果たして心のどこで一般の人間を憎んでいるのだろうかと疑った。その目、その口、どこにも遠征的な影はさしていなかった。
私は思想上の問題について大いなる利益を先生から受けたことを自白する。
しかし同じ問題について利益を受けようとしても受けられないことがまあまああったと言わなければならない。先生の談話は時として不得容量に終わった。
その日二人の間に起こった校外の談話もこの不得容量の一例として私の胸の内に残った。
無遠慮な私はあるときついにそれを先生の前に打ち明けた。先生は笑っていた。私はこう言った。
頭が鈍くて容量を得ないのはかまいませんが、ちゃんとわかっているくせにはっきり言ってくれないのは困ります。
私は何にも隠してやしません。
隠してらっしゃいます。
あなたは私の思想とか意見とかいうものと私の過去とをごちゃごちゃに考えているんじゃありませんか。
私は貧弱な思想家ですけれども、自分の頭でまとめ上げた考えをみなみに人に隠しやしません。隠す必要がないんだから。
けれども私の過去をことごとくあなたの前に物語らなくてはならないとなると、それはまた別問題になります。
別問題とは思われません。先生の過去が生み出した思想だから私は重きを組んです。
2つのものを切り離したら私にはほとんど価値のないものになります。私は魂の引き込まれていない人形を与えられただけで満足はできないんです。
先生は呆れたと言ったふうに私の顔を見た。巻き煙草を持っていたその手が少し震えた。
あなたは大胆だ。
ただ真面目なんです。真面目に人生から教訓を受けたいんです。
私の過去を暴いてでもですか。
暴くという言葉が突然恐ろしい響きを持って私の耳を打った。
私は今、私の前に座っているのが一人の罪人であって、普段から尊敬している先生でないような気がした。先生の顔は青かった。
あなたは本当に真面目なんですか。と先生が念をした。
私は過去の因果で人を疑り続けている。だから実はあなたも疑っている。しかしどうもあなただけは疑りたくない。
あなたは疑うにはあまりに単純に過ぎるようだ。
私は死ぬ前にたった一人でいいから人を信用して死にたいと思っている。
あなたはそのたった一人になれますか。なってくれますか。
あなたは腹の底から真面目ですか。
もし私の命が真面目なもんなら、私の今言ったことも真面目です。
私の声は震えた。
よろしい。と先生が言った。
話しましょう。私の過去を残らず、あなたに話してあげましょう。
その代わり…いや、それは構わない。
しかし私の過去はあなたにとってそれほど有益でないかもしれませんよ。聞かない方がマシかもしれませんよ。
それから、今は話さないんだからそのつもりでいてください。適当な時期が来なくっちゃ話さないんだから。
私は寄宿へ帰ってからも一種の圧迫を感じた。
三十二。私の論文は自分が評価していたほどに教授の目にはよく見えなかったらしい。
それでも私は予定通り休大した。
卒業式の日、私はカビ臭くなった古い冬服を氷の中から出してきた。
式場に並ぶとどれもこれもみな熱そうな顔ばかりであった。
私は風の通らない厚シャラの下に密封された自分の体を持て余した。
しばらく経っているうちに手に持ったハンケチがぐしょぐしょになった。
私は式が済むとすぐ帰って裸になった。
寄宿の二階の窓を開けて透明金のようにぐるぐる巻いた卒業証書の穴から見えるだけの世の中を見渡した。
それからその卒業証書を机の上に放り出した。
そして台の地なりになって部屋の真ん中に寝そべった。
私は寝ながら自分の過去を変えりみた。
また自分の未来を想像した。
するとその間に立って一区切りをつけているこの卒業証書のあるものが、
意味のあるようなまた意味のないような変な紙に思われた。
私はその晩先生の家へ御馳走に招かれて行った。
これはもし卒業したその日の晩餐はよそで食わずに先生の食卓で済ますという前からの約束でもあった。
食卓は約束通り座敷の園近く据えられてあった。
模様の折り出された厚い糊の怖いテーブルクロスが美しくかつ清らかに伝統の光を理解していた。
先生の家で飯を食うときっとこの西洋料理店に見るような白いリンデルの上に箸や茶碗が置かれた。
そしてそれが必ず洗濯したての真っ白なものにかけられていた。
カラやアカフスと同じことさ。
汚れたのを用いるくらいなら一層初めから色のついたものを使うがいい。
白ければ純白でなくっちゃ。
こう言われてみるとなるほど先生は潔癖であった。
書斎なども実にきっちりと片付いていた。
無頓着な私には先生のそういう特色が折々著しく目に留まった。
先生は寒症なんですね。
とかつて奥さんに告げたとき奥さんは
でも着物などはそれほど気にしないようですよと答えたことがあった。
それを傍に聞いていた先生は
本当を言うと私は精神的に寒症なんです。
それで始終苦しんです。考えると実に馬鹿馬鹿しい性分だ。
と言って笑った。
精神的に寒症という意味は底に言う神経質という意味か
または倫理的に潔癖だという意味か私にはわからなかった。
奥さんにもよく通じないらしかった。
その晩私は先生と向かい合わせに例の白い卓布の前に座った。
奥さんは二人を左右に置いて一人庭の方を正面にして席を閉めた。
おめでとうと言って先生が私のために杯をあげてくれた。
私はこの杯に対してそれほど嬉しい気を起こさなかった。
もろん私自身の心がこの言葉に反響するように飛び立つ嬉しさを持っていなかったのが一つの原因であった。
けれども先生の言い方も決して私の嬉しさをそそるウキウキした調子を帯びていなかった。
先生は笑って杯をあげた。
私はその笑いのうちにちっとも意地の悪いアイロニーを認めなかった。
同時にめでたいという心情も汲み取ることができなかった。
日常のやり取り
先生の笑いは、「世間はこんな場合によくおめでとうと言いたがるものですね。」と私に物語っていた。
奥さんは私に、「結構ね。さぞお父さんやお母さんはお喜びでしょう。」と言ってくれた。
私は突然病気の父のことを考えた。
早くあの卒業証書を持って行って見せてやろうと思った。
先生の卒業証書はどうしましたと私が聞いた。
「どうしたかね。まだどこかにしまってあったかね。」と先生が奥さんに聞いた。
「ええ、たしかしまってあるはずですが。」
卒業証書のありどころは二人ともよく知らなかった。
三十三
飯になったとき、奥さんはそばに座っている下所を次へ立たせて、自分で給食の役を務めた。
これが表立たない客に対する先生のうちの仕切りらしかった。
はじめの一、二回は私も窮屈を感じたが、度数の重なる日付、茶碗を奥さんの前へ出すのが何でもなくなった。
「お茶?ご飯?ずいぶんよく食べるのね。」
奥さんの方でも思い切って遠慮のないことを言うことがあった。
しかしその日は時効が時効なので、そんなにからかわれるほど食欲が進まなかった。
「もうおしまい?あなた近頃大変消食になったのね。」
「消食になったんじゃありません。暑いんで食われないんです。」
奥さんは下所を呼んで食卓を片付けさせた後へ、改めてアイスクリームと水菓子を運ばせた。
「これはうちでこしらえたのよ。」
用のない奥さんには手製のアイスクリームを客に振る舞うだけの余裕があると見えた。
私はそれを二杯買えてもらった。
「君もいよいよ卒業したが、これから何をする気ですか。」と先生が聞いた。
先生は半分縁側の方へ席をずらして四季技を手綱交渉時に持たせていた。
私にはただ卒業したという自覚があるだけで、これから何をしようという当てもなかった。
返事にためらっている私を見た時、奥さんは
「教師?」と聞いた。それも答えずにいると今度は
「じゃあ、お役人?」とまた聞かれた。私も先生も笑い出した。
本当言うとまだ何をするのも考えていないんです。
実は職業というものについて全く考えたことがないくらいなんですから。
第一、どれがいいか、どれが悪いか、自分でやってみた上でないとわからないんだから、選択に困るわけだと思います。
それもそうね。けれどもあなたは必強財産があるからそんなのんきなことを言っておられるのよ。
これが困る人でご覧なさい。なかなかあなたのように落ち着いちゃいられないから。
私の友達には卒業しない前から中学教師の口を探している人があった。
私は腹の中で奥さんの言う事実を認めた。しかし、こう言った。
「少し先生にかぶれたんでしょ?」
「ふん、ろくなかぶれ方をしてくださらないのね。」先生は苦笑した。
かぶれてもかまわないから、その代わりこの間言った通り
お父さんの生きているうちに相当の財産を分けてもらっておきなさい。
それでないと決して油断はならない。
私は先生と一緒に郊外の植木屋の広い庭の奥で話した
あのツツジが咲いている5月の初めを思い出した。
父の病気
あの時帰り道に先生が興奮した後期で私に物語った強い言葉を
再び耳の底で繰り返した。
それは強いばかりではなくむしろすごい言葉であった。
けれども事実を知らない私には同時に徹底しない言葉でもあった。
「奥さん、お宅のお財産はよっぽどあるんですか?」
「ふん、なんだってそんなことをお聞きになるの?」
「先生に聞いても教えてくださらないから。」
奥さんは笑いながら先生を見た。
「教えてあげるほどないからでしょう?」
「でもどのくらいあったら先生のようにしていられるか
家へ帰って一つ父に談判するときの参考にしますから聞かせてください。」
先生は庭の方を向いてすわして煙草を吹かしていた。
相手は自然奥さんでなければならなかった。
「どのくらいって方ではあれはしませんわ。
まあこうしてどうかこうか暮らしてゆかれるだけよあなた。
それはどうでもいいとして、あなたはこれから何かなさわなくちゃ本当にいけませんよ。
先生のようにゴロゴロばかりしてちゃ。」
「ゴロゴロばかりしていいやしないさ。」
先生はちょっと顔だけ向け直して奥さんの言葉を否定した。
三十四
私はその夜十時過ぎに先生の家を持した。
二、三日うちに帰国するはずになっていたので座を立つ前に私はちょっと戯言の言葉を述べた。
「また当分お目にかかれませんから。」
「九月には出ていらっしゃるんでしょうね。」
私はもう卒業したのだから必ず九月に出てくる必要もなかった。
しかし暑い盛りの八月を東京まで来て送ろうとも考えていなかった。
私には一問求めるための貴重な時間というものがなかった。
「まあ九月ごろになるでしょう。」
「じゃあずいぶんごきげんよ。私たちもこの夏はことによるとどこかへ行くかもしれないのよ。
ずいぶん暑そうだから。行ったらまた絵描きでも送ってあげましょう。」
「どちらの検討です?もしいらっしゃるとすれば。」
先生はこの問答をにやにや笑って聞いていた。
「なに。まだ行くとも行かないとも決めていいやしないんです。」
席を立とうとしたとき先生は急に私をつらまえて、
「時にお父さんの病気はどうなんです?」と聞いた。
私は父の健康についてほとんど知るところがなかった。
何とも言ってこない以上悪くはないのだろうぐらいに考えていた。
「そんなにたやすく考えられる病気じゃありませんよ。
尿毒症が出るともうだめなんだから。」
尿毒症という言葉も意味も私にはわからなかった。
この前の冬休みに国で医者と会見したときに私はそんな述語をまでで聞かなかった。
「本当に大事にしておあげなさいよ。」と奥さんも言った。
「毒が脳へまわるようになるともうそれっきりよあなた。笑いことじゃないわ。」
無経験な私は君を悪がりながらもにやにやしていた。
「どうせ助からない病気だそうですから、いくら心配したって仕方がありません。」
「そう思い切りよく考えればそれまでですけれども。」
奥さんは昔同じ病気で死んだという自分のお母さんのことでも思い出したのか、沈んだ調子でこういったなり下を向いた。
私も父の運命が本当に気の毒になった。
すると先生が突然奥さんの方を向いた。
「ジズ、お前は俺より先へ死ぬだろうかね?」
「なぜ?」
「なぜでもない。ただ聞いてみるのさ。それとも俺の方がお前より前に片付くかな。
大抵世間じゃ旦那が先でサヤ君が後へ残るのが当たり前のようになっているね。」
「そう決まったわけでもないわ。けれども男の方はどうしてもそりゃ年が上でしょ?」
「だから先へ死ぬという理屈なんかね。すると俺もお前より先にあの家へ行かなくっちゃならないことになるね。」
「あなたは特別よ。」
「そうかね。」
「だって丈夫なんですもの。ほとんど患った試しがないじゃありませんか。それはどうしたって私の方が先だわ。」
「先かな?」
「え、きっと先よ。」
先生は私の顔を見た。私は笑った。
「しかしもし俺の方が先へ行くとするね。そしたらお前どうする?」
「どうするって?」奥さんはそこで口こもった。先生の死に対する想像的な飛合がちょっと奥さんの胸を襲ったらしかった。けれども再び顔を上げたときはもう気分を変えていた。
「どうするって仕方がないわ。ねえあなた。老少不上って言うくらいだから。」
奥さんはことさらに私の方を見て冗談らしくこう言った。
三十五
私は立てかけた腰をまた下ろして、話の区切りのつくまで二人の相手になっていた。
「君はどう思います?」と先生が聞いた。
先生が先へ死ぬのか奥さんが早く亡くなるかもとより私に判断のつくべき問題ではなかった。私はただ笑っていた。
「寿命はわかりませんね。私にも。」
「こればかりは本当に寿命ですからね。生まれたときにちゃんと決まった年数をもらってくるんだから仕方がないわ。先生のお父さんやお母さんなんかほとんど同じよあなた。亡くなったのが。」
未来の不安
「亡くなられた日がですか。」
「あ、まさか。日まで同じじゃないけれども。でもまあ同じよ。だって続いていなくなっちまったんですもの。」
この知識は私にとって新しいものであった。私は不思議に思った。
「どうしてそう一度に死なれたんですか。」
奥さんは私の問いに答えようとした。先生はそれをさえぎった。
「そんな話はおいしいよ。つまらないから。」
先生は手に持った家をわざとバタバタ言わせた。そしてまた奥さんを帰りみた。
「静。俺が死んだらこの家をお前にやろう。」奥さんは笑い出した。
「ついでに地面もくださいよ。」
「地面は人のものだから仕方がない。その代わり俺の持っているものはみんなお前にやるよ。」
「どうもありがとう。けれど横文字の本なんかもらってもしようがないわね。」
「古本屋に売るさ。」
「売ればいくらぐらいになって?」
先生はいくらとも言わなかった。けれども先生のお話は容易に自分の死という遠い問題を離れなかった。
そうしてその死は必ず奥さんの前に起こるものと仮定されていた。奥さんも最初のうちはわざとたわいのない受け答えをしているらしく見えた。
それがいつの間にか感傷的な女の心を重苦しくした。
「俺が死んだら俺が死んだらってまあ何遍おっしゃるの?」
「五章だからもういい加減にして。俺が死んだらおよしてちょうだい。演技でもない。」
「あなたが死んだら何でもあなたの思い通りにしてあげるから。それでいいじゃありませんか。」
先生は庭の方を向いて笑った。しかしそれぎり奥さんの嫌がることを言わなくなった。私もあまり長くなるのですぐ席を立った。
先生と奥さんは玄関まで送って出た。
「ご病人をお大事に。」と奥さんが言った。
「また九月に。」と先生が言った。
私は挨拶をして格子の外へ足を踏み出した。玄関と門の間にあるこんもりした木製の一株が私の行く手をふさぐようにや院のうちに枝を張っていた。
私は二三歩を動き出しながら黒ずんだ葉に覆われているその梢を見て、気あるべき秋の花と香りを思い浮かべた。
私は先生の家とこの木製と以前から心のうちで話すことのできないもののように一緒に記憶していた。
私が偶然その木の前に立って再びこの家の玄関を跨ぐべき次の秋に思いをはずたとき、今まで格子の間からさしていた玄関の電灯がふっと消えた。
先生夫婦はそれぎり奥へ入ったらしかった。私は一人暗い表へ出た。
私は下宿屋へは戻らなかった。国へ帰る前に整える買い物もあったし、ごちそうを詰めた指袋にくつろぎを与える必要もあったので、ただにぎやかな町の方へ歩いて行った。
町はまだ酔いの口であった。用事もなさそうな男女がぞろぞろ動く中に、私は今日、私と一緒に卒業した何がしにあった。
彼は私を無理矢理にあるバーへ連れ込んだ。私はそこでビールの泡のような彼の機嫌を聞かされた。
私の下宿へ帰ったのは十二時過ぎであった。
私はその翌日も暑さを犯して頼まれものをかゆやつめて歩いた。手紙で注文を受けたときは何でもないように考えていたのだが、いざとなると大変億劫に感じられた。
私は電車の中で汗をふきながら、人の時間と手数に気の毒という概念をまるで持っていない田舎者を憎らしく思った。
私はこのひと夏を無意に過ごす気はなかった。国へ帰ってからの日程というものをあらかじめ作っておいたので、それを履行するに必要な書物も手に入れなければならなかった。
私は半日を丸全の二階で潰す覚悟でいた。私は自分に関係の深い部門の書籍などの前に立って、隅から隅まで一冊ずつ点検していった。
買い物のうちで一番私を困らせたのは女の半衿であった。
小僧に言うといくらでも出してくれるが、さてどれを選んでいいのか。買う断になったはただ迷うだけであった。
その上値が極めて不定であった。安からおと思って聞くと非常に高かったり、高からおと考えて聞かずにいるとかえって大変安かったりした。
あるいはいくら比べてみても、どこから価格の差異が出るのか見当のつかないものもあった。私は全く弱らせられた。
そして心の内で、なぜ先生の奥さんを煩わさなかったかを喰いた。
私はカバンを買った。
むろん和製の過等な品に過ぎなかったら、それでも金具屋などがピカピカしているので田舎物を脅かすには十分であった。
このカバンを買うという言葉、私の母の注文であった。
父の病気と心の葛藤
卒業したら新しいカバンを買って、その中に一切の土産物を入れて帰るようにとわざわざ手紙の中に書いてあった。
私はその文句を読んだときに笑い出した。
私には母の良犬がわからないというよりも、その言葉が一種の滑稽として訴えたのである。
私は、いとこ前をするとき先生夫婦に述べた通り、これから三日目の汽車で東京を立って国へ帰った。
この冬以来、父の病気について先生から色々な注意を受けた私は、一番心配しなければならない地位にありながら、どういうものかそれが大して苦にならなかった。
私はむしろ父がいなくなった後の母を想像して気の毒に思った。
そのくらいだから私は心のどこかで父はすでに亡くなるべきものと覚悟していたに違いなかった。
九州にいる兄へやった手紙の中にも、私は父のとても元のような健康体になる見込みのないことを述べた。
一度などは職務の都合もあろうが、できるなら繰り合わせてこの夏ぐらい一度顔だけでも見に帰ったらどうだとまで書いた。
その上、年寄りが二人きりで田舎にいるのは定めて心細いだろう。我々も子として遺憾の遺体であるというような感傷的な文句さえ使った。
私は実際心に浮かぶままを書いた。けれども書いた後の気分は書いた時とは違っていた。
私はそうした矛盾を記者の中で考えた。考えているうちに自分が自分に気の変わりやすい軽薄者のように思われてきた。私は不愉快になった。
私はまた先生夫婦のことを思い浮かべた。ことに二、三日前晩飯に呼ばれたときの会話を思い出した。
どっちが先へ死ぬだろう。
私はその晩先生と奥さんとの間に起こった疑問を一人口の中で繰り返してみた。
そしてこの疑問には誰も自信を持って答えることができないのだと思った。
しかしどっちが先へ死ぬとはっきりわかっていたならば先生はどうするだろう。奥さんはどうするだろう。
先生も奥さんも今のような態度でいるより他に仕方がないだろうと思った。
死に近づきつつある父を国元に控えながらこの私がどうすることもできないように。
私は人間を儚いものに感じた。人間のどうすることもできない持って生まれた軽薄を儚いものに感じた。
朗読の終了と今後の予定
1991年発行 周永写 周永写文庫 ココロより一部独了 読み終わりです。
上中下に分かれておりますので今のが上の部分に当たります。
ちょうど時間も2時間を超えていますのでここらで一回聞いていただいております。
上と中と下とそれぞれ3本セットにして3本のファイルにして公開しようかな。
今日収録は11月3日文化の日の午前中ですがこのペースなら年内にココロを読み終えられそうだなと思って望んでいます。
続編もどうかお聞きいただければと思っています。
それでは終わりにしましょうか。
無事に寝落ちできた方も最後までお付き合いいただけた方も大変にお疲れ様でした。
といったところで今日のところはこの辺で。また次回お会いしましょう。おやすみなさい。
02:15:05

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