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こんにちは。助動詞を探求するシリーズ、今回が第2回です。こんにちは。助動詞を探求するシリーズ、今回が第2回です。
今回のテーマは推量意志のグループなんですけど、今回のテーマは推量意志のグループなんですけど、
正直、「無」とか、「らし」とか、「なり」とか、なんか全部、「だろう?」みたいに見えちゃって、混乱するなって感じません?
ああ、それすごくわかります。古文の助動詞って、実はただの文法項目じゃなくて、なんていうか、話し手の主観を映し出すすごく解像度の高いカメラのレンズみたいなものなんですよ。
へー、カメラのレンズ?
ええ。なので今日は、手元にある活用表を頼りに、そのレンズを一つずつ覗いていこうかなと。未来を映すレンズとか、過去を振り返るレンズ、さらには目とか耳から入った情報だけを切り取るレンズみたいな感じで。
なるほど、その見方すごく面白いですね。じゃあ早速、まずは一番基本のレンズ、ムからいきましょうか。これは未来を映すレンズであってます?
その通りです。まずムと、あとそれを強めたムズですね。これは両方とも未然形、つまりまだ起きていないことの形にくっつきます。
はいはいはい。
だから、未来へのぼんやりとした推量、だろうですね。あとは話し手の意思、しようっていう気持ち。これを映し出す、いわば標準レンズという感じです。
なるほど、未来を映す標準レンズ。じゃあ過去とか現在を推量したいってなったらレンズを交換すると?ケムとかラムみたいに?
まさに。そこが面白いポイントなんです。この2つの決定的な違いは、どの時点を推量しているかなんですよ。で、そのヒントがくっつく言葉の形、つまり接続に隠されてるんです。
接続ですか?
ええ。まず、ケムは連用形に接続します。連用形って指定とかしたみたいに動作が一度終わった感じがするじゃないですか。
ああ、確かにそうですね。
だから、すでに起きた過去の出来事について、どうしてあんなことをしたのだろうみたいに考える、いわば過去を振り返るレンズなんです。
ああ、なるほど。わかりやすい。じゃあラムの方は?
ラムは終止形、つまり普通の文の言い切りの形にくっつきます。これは、今ここにいない誰かとか、見えない場所での現在の状況を今頃どうしているのだろうと想像するレンズ。
ほう。
なので、遠くの景色を映す望遠レンズみたいなイメージですね。
へえ、接続の形にそんな直感的なヒントがあったとは。さて、レンズにはそのピントの合わせ方というか、話しての確信度みたいなのもありますよね。ちょっと厄介なべしとか、意味がいっぱいあるやつです。
べしはおっしゃる通り、確信度が非常に高いレンズです。格にあるのは当然っていう強い気持ち、知るはずだとか、知るべきだっていう。
はい。
そこから、きっと知るだろうっていう強い推量とか、絶対にしようっていう強い意思が生まれてくるんですね。
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すみません、ちょっと待ってください。当然とか推量とか意思とか、意味が多すぎると結局どれを選んだらいいかわからなくなっちゃうんですが、一番の判断基準って何なんでしょう?
いい質問ですね。もし迷ったら、まず知るはずだっていう当然の意味で訳してみてください。それが文脈に一番しっかりくることが多いですよ。
なるほど。当然から責める、と。
べしがその確信度レンズだとしたら、対照的なのがましなんです。これは、もしすればよかっただろうにっていう、現実ではない世界を映すもしも、what ifのレンズですね。
あー、それって現代語のすればよかったのになーっていう後悔の気持ちにそっくりですね。昔の人も同じような気持ちを的確に表現してたんだ。
そうなんですよ。ちなみに打ち消しのじとまじは、それぞれむとべしの気持ちをシンプルに裏返したものって考えるとすっきりします。知るまい、知るべきではないという風に。
なるほど、なるほど。では最後に、もっと客観的な証拠に基づく推量っていうのもありますよね。
ラッシ、メリ、ナリのグループです。このレンズたちの違いは何なんですか?
ここで重要な問いは、あなたの証拠はどこからということです。
証拠はどこからか。
はい。まずラッシは客観的な状況証拠から判断する論理のレンズですね。こういう状況だかららしいと考えるわけです。
ふむふむ。
次にメリはもっと直接的です。目で見たことから判断する視覚のレンズ。
あ、目だから目。
そうですそうです。と見たところのようだとなります。そしてナニは音で聞いたこと、つまり聴覚情報に基づく聴覚のレンズですね。
という音がするからのようだ、とかあとはと聞いているっていう伝聞の意味にもなります。
証拠が論理か目か耳か、すごいそこまで使い分けていたんですね。
だから古文の話し手がどの助動詞を使っているかを見れば、彼らが世界をどう認識して何を手がかりに判断していたのかがもう手に取るようにわかるんです。
いやー面白い。つまり今日の話は古文の推量表現っていうのは単なるだろうのバリエーションじゃなくて、
時間、つまり過去現在未来、それから確信度、そして証拠の種類、視覚聴覚論理ですね。
これらを細かく写し分ける高機能なレンズセットだった。
と、まさにその通りです。そしてどのレンズを使っているかを見抜く鍵はやっぱり何型に接続しているか、ぜひそこに着目してほしいですね。
はい、ありがとうございます。では最後にリスナーの皆さんにも少し考えてみてほしいことがあります。
現代の私たちが使うラッシーという一言、そこには今回見てきたような目で見た確知らさも、耳で聞いた不確かさも、なんかごちゃ混ぜになっていませんか?
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古文の助動詞が持っていた精密なニュアンスは、現代語の中でどのように受け継がれ、あるいはどのように失われていったんでしょうか?