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2024-03-17 08:25

昭和の男性フルコンプな祖父と、野生で人懐っこい祖母#30

祖父母の法要を機に、祖父母の人柄や確執などを話してみました。
見栄の骨頂の祖父と、野生チンパンジーの祖母のお話です。
時間が経って、見えざる確執を許せていたことに気付いたのはとても大きい。

冒頭に言ってる、おもろすぎてぶったまげたうさぎ🐰さんの放送
https://stand.fm/episodes/65f273184c11d9e2e86b6991

#家族
#祖父
#祖母
#おばあちゃんっこ
#お金くれるからお金欲しいと思ったことあまり無かった
#今はお金欲しいです
#中村淳彦

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00:05
おはようございます、なっちゃのです。今日はですね、今ちょうどウサギさんの台風を聞いた直後なんですけど、面白すぎてぶったまげて、一気に喋る自信をなくしています。ちょっと頑張って喋っていこうと思います。
昨日ですね、祖父母の法要があって、祖父は7回期で、祖母は3回期でした。
1ヶ月違うんですけど、1ヶ月違うぐらいなら同時にやっちゃいましょうということで、2人一緒に法要をしてきました。
なので、この祖父母について喋ろうかなと思ってるんですけど、祖父母って面白いほど正反対の2人なんですよね。
2人3客でずっと農家でやってきて、仲がいいとかいうよりは、もう同志とか専用みたいな雰囲気だったんじゃないかなって思うんですけど、最後はお互いけなし合ってたんですけど、
ちょっと簡単に紹介すると、2人とも埼玉の農家に生まれて、祖父はですね、ゴリゴリのその時代の人っていうか、
定主間白の男尊女子の下婦長生の長男信仰の嫁に人権なしみたいな、タンプラリー正派みたいな人なんですね。
私の母、つまり父の嫁、つまり祖父にとって長男の嫁ですね。
そんな別に普段いじめとかレイグではないと私には見えてたんですけど、奴隷みたいに母のことを見てた側面は多分あったと思います。
で、祖母も祖母でね、祖父には相当お前はバカだとかちょんだとかって言われまくってましたね。
実際祖母は大胆というか雑だし、言葉もちゃんと書けないカタカナばっかり使ってるんですね。
カタカナってもちろんコミットとかプロセスとかっていうカタカナ語ってことじゃなくて、電報みたいな感じですね。
ティッシュ箱とかにきゅうり8時つけたとかって書いてあったりするんですね。
そして祖父は多分結構頭が良かったんですよ。
それでゴリゴリの長男信仰なので、やはり父に兄弟がいて父の妹がいるんですけど、私にとってはおばあですね。
父ほどやっぱり可愛がられなかったみたいな意識がやはり祖父に対してはあるみたいですね。
一方で祖母は勉強はできないんですけど、一生懸命仕事してあんまり弱音を吐かない人だったんですね。
具合悪いことを具合悪いって絶対言わないんですね。
というかちょっと気づいてないっていうくらい何も考えてないように見えるそういう野生な人だった。
祖母の武勇伝はすごいたくさんあるんですけど、
例えばちょっといくつか紹介すると、犬の散歩をして突然人気のない道端に入ったと思ったらそこで放尿してたりとか、
あとゴキブリを素足で潰そうとしたりとか、
あと我が家の天敵の哺乳類がいるんですね。
今の時代で言うとちょっと動物愛護的に完全NGなので動物の種類は伏せるんですけど、
首根っこを捕まえて川に投げ捨てるとかやってましたね。
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本当に野生の人で多分何も考えてないと思うんですけど、
一方で賢い祖父は慎重派なんですよ。
堅実に数字の計算をして存得を考えて土地を買ってこの業を広げていくみたいなことをやってる人。
手先も器用で犬小屋とか倉庫とかすぐ作っちゃうんですね。
組み立てとかも全部自分で設計を考えて、そういう意味では本当に頭いい人だったんだなというふうに思うんですけど、
土地を買うっていうのも土地の価値なんて今は全然違うので、むしろ持っててもお荷物みたいな中途半端な田舎とかだと思っててもお荷物みたいなのが今の時代だと思うんですけど、
当時土地を持つっていうことはものすごく利益があったことだと思うんです。
祖父は人情に厚くて、人にサービスをしすぎちゃうみたいなところもあって、地元からの人望みたいなのはすごく厚かったんだと思いますし、と同時にすごく見栄っ張りな人でした。
孫からしたらすごく祖父って優しい人だったんですね。
とにかくいつも褒めてくれるし、何かいいことをすればいつもお金をもらったりとか、何しても怒られたことがないんですね。
安易に褒められすぎてるぐらい、祖父の褒めてるのは何にも思ってなかったですね。
むしろ時折そういう印象よりも、時折祖母や母、私にとっての祖母や母に人権がないような当たり方をしているのがすごく辛かったですね。
例えば、母は専業主婦で農家の手伝いをがっつりやって、朝昼晩の2世帯分のご飯を作って、完璧に専業主婦をやってた。
専業主婦というか農家の嫁としてやってた人なんですけど、ある日、母が外に働きに出たいって祖父に申し出たことがあったんですよ。
それは母からしたらちょっと外でお友達を作りたいとか、社会とつながりたいとか、家から出たいとか、そういう気持ちだけだったんですね。
それを祖父は本当にお前ふざけんな、何を勘違いしてるんだ、そんなことするなら縁切りも覚悟しろみたいな感じで、体中の血が顔に集まったくらい顔を真っ赤にして口をふらわせながらめちゃくちゃ怒鳴ってたんですね。
本当に母は常に家とか畑とか、私たちの子供たちのお世話の毎日毎日で外に出たかったんだと思うんですよね。
で、怒鳴られるのをその場で聞いてた私は何も言えなかったのがとにかく悔やまれるような話なんですけど、母はもう10年前に死んじゃったので、家にお嫁に来たこととか、お嫁に来てからの母の人生とか本当に幸せだったのかなってちょっとたまに思ってしまう、今でも思ってしまうんですけど、
今でも母の母、私の祖母、母方の祖母とは泣きながらこの話をするくらいちょっと胸のつっかえが取れない感じなんですけど、
祖父からしたら、うちにいながら小遣い稼ぐなんてそんな恥ずかしいことはない、お前はうちに居とけみたいな感じだと思うんですけどね。
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話はそれたんですけど、そんなふうに普段は優しい感じなんですけど、ふとした時に奴隷がシャシャってんじゃねえみたいな感じになるんですよ。
一方ですね、祖母はもう野生で結構アホアホなので、頭の良し悪しとか男とか女とか全然関係ないんですよね。そこの軸で関心がない。
私たち孫が例えばいい成績を取ったとか試験に受かったとかどうでもいいんですね。
褒められた記憶は逆に、本当に祖父とは逆にあんまりないんですけど、祖母は人として温かい心を持っておしゃべりやカラオケとかを楽しみたいことを楽しんでた人。
だから私たちも単純に一緒にいる時間を楽しむみたいな過ごし方をしてたと思います。
人として立派に見られるのは祖父というか、もちろん実際に地元では人望はつくて、地元のほんのちょっとした名刺みたいな感じなのは立派だったと思うんですけど、
でもやっぱりこの話ぶりから伝わってしまうように私は祖母が大好きだったんですね。
で、見えるところで言ったら祖母が楽しくていいんですけど、例えば祖父がいなかったらというか、祖父も祖母みたいな人だったら、
なんかまあもっときっと貧乏だったんだろうなとか、今そういう恩恵を知らず知らず受けてるんだろうなとか、
見えっぱりの古い人だからこそ家の繁栄を考えて行動してくれてたみたいなことはすごくあると思います。
で、晩年は二人とも罵り合ってたんで、祖父はいつも通り祖父のことをバカだバカだって言い続けてましたし、
だんだんどうでもよくなってきた祖母も祖父のことをこのツンボーみたいな、
祖父耳がすごい悪かったからツンボーとか言ってすごいイライラしてましたけど、
お互い様というか、私個人的には祖父のことを少し許せない思いというかですね、
自分が祖父に母のことをまっすぐ意見できなかった自分の後悔みたいな気持ちは今も少しあるんですけど、
祖父についても自分についても、そろそろ自分で許してもいいかなと時間の経過とともに思えてきたことを、
この法事でちょっと確認できたかなっていうふうに思いました。
はい、ということでちょっと法事を機に祖父母についてお話ししてみました。
それではまた。
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