素直さの重要性
はい、おはなし屋なおとです。おはようございます。今日も朝散歩しながら放送を撮っていくんですけど、昨日の放送でね、神様の祭拝を考えてますよ、みたいな話をね、占い師に提出するレポートとして収録したんですが、そしたら昨日ですね、占い師からフィードバックが返ってきて、そのフィードバックをもとにですね、昨日ずっと占い師と、これってどういうことなの?とか、これってこう思ってるんだけど、みたいな、これってなったらどう考えてるの?みたいなね、壁打ちをずっとしてたんですけど、
その壁打ちをずっとしてて、わかったことが一つありまして、それが僕が人形じゃないぐらいピュアだっていうと、何か企業とか、その何か、企業の世界というか、何かそういう企業の勉強をしたりだとか、まあ、あの、企業をする上で大切なことは?みたいな話をしたときに、必ず素直っていう言葉が出てくるじゃないですか、素直さが大事だよ、みたいな。
今回、僕はそれの、そういう文脈での素直さなのかな?っていう自分が持ってるのは、ピュアさというか、言うてね、僕もその、もともと短い時間ではありましたけど会社員をしていたわけですし、全職スポーツ選手なんでね、あの、この仕事に応用できるような、直接応用できるような技術ってないわけ。
そういう経験もなければ、マネジメントもないし、現場の数字を改革した経験もないし、部下を育成した経験すらない状態で、僕は企業独立してるので、で、コーチング資格を持ってないでしょ。
ってなった時に、じゃあお前何があったんだよって言われたら、結論がそのピュアさなのかなって思っていて。で、今この話をした時に、正直ついてこれない人がいるのも、分かってます。分かっててあえて言いますね。
企業ってめちゃくちゃ簡単なんですよ。めっちゃ簡単。やることほんとシンプル。でもこの簡単はシンプルであってイージーではないし、誰でもできると思っているが、今すぐできるとは思ってないです。めっちゃ簡単なんだけど、めっちゃ時間かかります。なぜなら普通の生き方じゃないからですね。
だからね、その生き方から変えないと企業ってできないんですよ。これ別に企業自体はそんなに難しいことじゃないの。自分のサービス作って、それを役立てそうな人とさらして、その人と関係して生き続いて売るだけなんだから、別に難しいことは何もないのよ。
ただ、この企業をして生きるという生き方に適応するためには、今までの人生で学んできた経験とか、学習してきたことを一回デリートしなきゃいけない。それが難しいの。
それがつまり、学習によって得た知識というか立ち回りを一回デリートしなきゃいけないんですね。それがめちゃくちゃ難しいのよ。
やっぱり人間ってさ、世界的に生きるためというか、適応する生き物だから日々いろんなことから学んでいくわけですよね。この世界のというか、今少なくとも僕が捉えているこの日本という社会においては、普通に生きてたら会社員としてどうするかみたいな。
働くってなった時に、どの企業に入ったらいいかなっていうことはみんな考えるけど、そもそも企業に入らなきゃいけないのかなとか、そもそも個人でやる方法ないかなって考える人って本当に一握りなんだよね。その上で、個人で生きていく立ち回りをしようと思ったら、
会社員としてはこれが正しいけど、個人としては逆にこれって間違ってるんだ、みたいな常識の書き換えみたいなのが必要なんですね。この常識の書き換えにどれだけ時間がかかるか、この常識の書き換えが早い方が絶対うまくいくよねっていうのが、よく企業塾とか企業のセミナーとか、コーチングスクールでも言われたかもしれないけど、素直さだと思うんですね。
あなたはできますよって言われると、お、なるほど、私はできますねって思えるかどうかみたいな。これが素直さですね。そう考えると、僕は占い師とやりとりで、素直さという通知はかなり振り切ってたんじゃないかなと自分では思いましたというね。そういう話なんですよ。
企業活動の本質
僕、めちゃくちゃ素直です。これも人間的な資質っていうのもあるけど、僕が特別優れてるとは自分で占い師と仮別してても思わなくて、この放送占い師も聞いてると思うんですけど、僕は自分が特別素直だったとは思わないんですよ。思わない。
昔から素直ではあるんだけど、ただこれ僕の考察として早かったんですよ、人より。何が早かったのって言われたら、その人生の二択を選ばされるとか、ここで結果出さなかったら終わりみたいな。
なんかこう、尋常じゃないプレッシャーとか、自分の立ち回り次第でこの先の運命が大きく変わるみたいなイベントに立ち会うことがものすごく多かったんですね。
高校2年生の頃には学校中の期待を背負って試合してましたし、それでダメになって潰れてということを何度も何度も繰り返しながら、セミうるせー、セミここめちゃくちゃうるさい九州の本気っていう感じでやってた。
16歳くらいから人前に立って、試合とかに行くと学校からお金、旅費が出ますんで、10万単位、20万単位のお金を親じゃなくて学校に使われて試合に行くというか、そういう感じのプレッシャーかな。
僕もともとプレッシャーにめちゃくちゃ弱いタイプだったので、自分の立ち振る舞い一つで運命が決まってしまうよみたいな、その他大勢の一人じゃなかったんですね、たまたま早い時期から。
それが僕の中ではすごい自分の素直さというか、立ち振る舞いを考えるみたいな感じかな。やっぱり高校生の時から僕強かったので、やっぱり他の人と同じことやってても僕だけ怒られるんですよ。
他の友達とかと同じことやっても、僕だけ職員室に連れ出されて、自覚持てや!って言われるんですよ。僕だけですよ。なんなら僕は怒られたような行動をしていた時に、僕は別に中心人物じゃないし、なんなら中心ではっちゃけてる奴がいて、その周りで笑ってただけなので、別に僕は主反覚でも何もないんだけど、お前自覚持てや!みたいな感じでめちゃくちゃ詰められるのが僕みたいな高校時代だったんですよ。
なんでかっていうと、お前はそうやって学校から金出してもらって応援してもらってる立場だと。お前が生徒の模範にならないといけないんだから、お前が止めろって言って。
なぜか先生側の立ち回りを求められたりとかね。人の見本になるような生徒じゃなきゃいけない。なぜなら学校はお前にめちゃくちゃ金を投入しているからみたいな風に言われたこととかを今は思ったら覚えてません。
なんで俺が詰められるのやねんとか、別に金出してくれって言ってねえしとか思ってましたよ、当時は。当時は思ってたけど、そういうことは結構多々あったなと。これが僕の当たり前の青春だったので、いつも全校集会とかに部活動報告みたいなのがあったら、大体全校生徒の前に舞台に乗って応援されたりするんですよ。
毎回俺やし。またなおってなってたし、友達とか。そうなんですよ、またなんすよっていう感じで、ほんとこういっつもステージの上に立ってるみたいな感じのスポットライトの浴び方をしてたからなのかな。
たまたま人生の前半でそういうのが多かったんですね。注目される機会とかが、自分の立ち振る舞いを見られることが多かったので、かなと思ってます。分かんないです。これは分析としてどうなのか分かんないけど、ただたまたま自分の立ち振る舞いを見られる側に立つというタイミングが早かったんですね。
これは欲しいなのか。でもなんかそれは高校生ぐらいになったらポジティブな意味で人に見られるようになったけど、昔から目立つっていう意味では人には注目されてたんですよね。
小学校の時は足が遅い、リアクションが大きい、太っているということで、ずっと鬼ごっこの鬼をひり休みさせられたりとかしてましたし、中学生の時は体がでかくて目立つっていうことで、それだけでヤンキーにボコボコにされたことが2回くらいあるんですよ。
お前ダメになるんだよな。意味分かんない。今思っても聞いてないんだけど。そういう学校だったんで、北斗の県みたいな学校だったんで、本当に、世紀末な感じだったので、僕はそういうその小中学校であんまりポジティブな思い出があんまりないんですよね。結構嫌な思い出ばっかりなんだよな。
っていう感じで、振り返ってみると注目されていたという意味で、目立ってしまう星の下に生まれていったのかもしれないですね。小学校、中学校ではこの目立った星というのが上手に使われなかった。占い師の分析の影響を受けていると思うけど、上手に使われていなくて、
で、高校くらいに入ったときに、それが星の方向、ポジティブな方向に転換したという考え方もできると思っていて、だから人に見られるということが日常茶飯でだったので、そこで獲得した気がします。自分が今求められている役割は何なのかっていう発想。前回役割っていう話をしたと思うんですけど、それは結構僕がスポットレートを浴びることが多かったので身についた。
つまりその素直さというのは自分の役割に対するインストールの速さだと思うので、インストールが速くなったっていうのはそういう影響なのか。だから別に僕のもともと持っている才能というか資質的にはスポットレートを浴びるまでなんですよね。浴びた後どうするかっていうのは、やっぱりその浴び続けた経験でやっぱり身につけてきたこと。
だから例えばですけど、僕が中学時代、そうやってヤンキーに見えつけられたりとか、弁当の唐揚げだけ盗まれたりするんですよ。もう勘弁してくれよっていう感じなんだけど、そういう受精神時代を過ごして目立つことは良くないことだというご学習をしたら、ひょっとしたら僕の高校時代のポジティブなスポットレートが当たるっていうことから逃げたかもしれないんですよね。
だから僕はそこで多分、目立つとヤンキーに顔面をぶん殴られるというところから、あ、なんか俺ポジティブに目立ってるなってなった時に、あ、ポジティブに目立つってことは今それが自分の役割か。じゃあ自分は頑張って協業しようみたいなふうに、スッと学習を切り替えられたところがファインプレーだったんじゃないかなと思いますね。
だからスポーツを辞めた後は辞めた後で、スッと次の企業という世界に移れた。企業で僕が先に企業簡単だって言ったけど、別にこれ僕が言い始めたことじゃなくて、僕の師匠がそれを言ってくれたんですね。企業ってめっちゃ簡単だよって。やること本当シンプルだから。
言われたのはね、自動車免許持ってるっていうか、持ってます。あれ取れるんだったら大丈夫?って言われたんですよ。言われたことできるんでしょって。本当にできない人言われたこともできないから免許取れないのよ。だけど免許取れるんでしょ?やったら大丈夫だよって言われて、そんなもんだの?って思ったんですけど。
で、同じ説明を受けてる人が周りに100人も200人もいたんですけど、結局一番上手くいったのは僕だったんですよ。なんでかって言ったら、みんな信じてないのよ。その目の前の講師が、企業は簡単だよって言ったとしても、へーって受け取るけど、みんな、いざ自分がブログを書くときは、いやでもこんなのさ、できるのって選ばれた人だけなんじゃないの?とか、自分にはブログは書けないよ?とかね。
なんかそういうこう、今までブログを書いてこなかった人生のことを参照して、難しいと思うんですよね。って言ったらそのとき、つまり僕の師匠がみんなの前に言ってくれることを忘れてるんですよ。僕は結構そこは覚えてるんですね。ピュアなので。
どの常識を信じれば自分に一番メリットがあるかなっていうことを考えてる。何を信じるかは自分のコントロール下にあると考えてますね。そういうふうに捉えるとね。
正義と選択の重要性
信じてしまうみたいなのがわかんないですね。何を信じるか。世の中には正解がいくらでもあって、答えがいくらでもあるわけだから、結局、それこそさ、極端な例で言うとさ、戦争してる国同士があるわけじゃん?だけどそれはお互い自分の正義があるから衝突してるわけなんですよ。
A国とB国が戦争してたら、A国に所属してたらB国がいかに悪くて激烈な悪で残虐でっていうような雰囲気だろうし、B国に行ったらB国は正当な主張をしてるに過ぎなくて、それをA国が犯してきてるだけなんだよっていうふうに思うかもしれなくて。
だから正義って本当その時々とか時代とか立場とかによって変わるわけですよ。僕らにできることっていうのは、どの正義を自分は取るべきかという選択だと思うんですね。
だから僕は起業するってなった時に、起業は簡単だよって言われたら、自分の今までの人生経験では、いや起業なんて難しいだろ。だって自分の周りにいなかったぞ。自分を育ててくれる親は会社員だった。お母さんは兼業主婦とパートだった。自分の周りには、僕社宅に住んでたから会社員をしてる人ばっかりだった。
学校の先生も学校の先生で、公務員が会社員。非常勤勧修とかもいるんだよね。全員が公務員ってわけではない。純公務員だ。公務員だ。
僕は起業なんて簡単だよって、今まで人生で一回も言われたことがなかったし、そうやって雇われている人たちに教育を受けてきたから、僕の教育っていうのは雇われることイコール正義。つまり個人で働くということは、悪党までは行かないが、普通だったらやらないことなんですよね。
ってなった時に、僕は起業したいわけです。わかります?どっちも正しいの。今まで起業とか全くしてない、全く勉強したことない人にとって、起業するってめっちゃハードル高いことだと思いますし、めっちゃ危ないことって感じてると思いますし、そんなに簡単なんだったら、俺別に今する仕事やめてよって思ってる人いっぱいいると思うんですよ。雇われてる人たちの中に。
だから、起業イコール難しいことなんです。ただ僕は起業したくて、起業している人にお金を払って教えてもらって、そこで起業ってね、実は簡単なんだよって言われたら、この相反する2つの正義をどっちを選ぶかっていうのは自分に選択権があると考えるんですね。
だから、師匠が言ったんだから、じゃあ今の俺の世界は、俺が生きたいのは師匠が言ってる世界なんだから、じゃあこっちに行こうって思って、そっちに行くだけだと思ってたんですけど、占い師と対話をすると、それが能力であるっていうふうに言われてる感じがして、そのピュアさみたいなものが、松田さんめちゃくちゃ強いですよねみたいな感じでフィードバックしてもらって、あ、そうなの?これって能力なの?
確かに僕はクライアントさんに、いやあなたならできるよ、絶対君ならできるよって言い続けてるし、僕はできる前提でクライアントさんたちと関わってるわけなんですけど、僕のクライアントさんたちって能力めちゃくちゃ高いし、人間的にもすごい素晴らしいというか、素晴らしくないと僕みたいな人間と付き合えないと思うんだよな。
本当にそこはリスペクトを持てる人としか僕は付き合ってないので。で、その人たちが、難しいって顔してるんですよ。何が?って感じなんですよ。いやいや、簡単だからって言うけど、でもその人たちの中では、ナオトが言ってる企業は簡単っていうことと、今までの人生ですごい難しかった、大変だった、辛かった、苦しかった。
で、今後もそれを同じことにならないために身につけた力みたいなものが衝突するんですよ。いや企業簡単だったら、今までこんなのやらなかったんだよなってなった時に、どの正義というか価値観を取るかで揺れるんですよ。
つまり、僕が企業コーチングでやってるのは語学習のアンインストールなんです。語学習なのみんな。これからの世界に行くのに必要ない武器をガッシャンガッシャン持ってるのよ。鎧をね、着てるのよ。だからみんな企業という世界に行こうと思ったら、とんでもない化け物と対峙しないといけないと思ってるわけですよね。
企業難しいって。これもいるのかな、あれもいるのかなって。もう今更で鎧重いんだけど、でももっといるんだよねってみんな考えてる。違うんですよ。企業というモンスターはですね、そんなに強くない。何なら素手で勝てるんだけど。ただ素晴らしさはあるので、その鎧を着て、どれだけ攻撃力と防御力を上げたとしても、そのスピードについてこれなかったら、もう無意味なんですよ。
そして企業モンスターの攻撃あんまり痛くないし、企業モンスター自体も結構柔らかいので、素手での攻撃通るから、だから正解は全部脱いで企業という現実とちゃんと相対するだけでいいんですね。
だけどみんな今まで着ていた鎧がひたすら重かったりとか、引きずってる剣がめちゃくちゃ重かったりとか、別にジャブ数回当てたら倒せるものを自分の鎧が重くて追いつかないんですよ。
そういう時に、うわー限界突破だ、ぶわーみたいなことをし始めるんだけど。そこで、今俺は限界突破を使った。これから60秒、俺は自分の潜在能力を300%示すことができる。ただし、60秒後、俺は死ぬみたいな技を使っちゃうのよ。
いやいや、ロックリーかって知らんか。ナルトのロックリーっていうキャラがいて、自分の命というか生命エネルギーを犠牲に限界突破するキャラクターがいるんですが、そういうことをみんなやってるんですね。意味不明なのよ、そこで使う技じゃないのよっていうか、服脱ぎなよっていう感じなんですよ。
その鎧と剣を置いて素手で戦おうよって感じなんですけど、それをやっぱりクライアントさんたちですらそこを脱ぐのをすごい苦しんでるケースが多い。だからつまり、企業とは序列なんですよ。今までやってきたこと、つまり今までのご学習を遂げていく。
いや、それいらないよって。その鎧いらないよって。あなたは自分を守ったつもりかもしれないけど、あなたの拳は相手に刺さってるよって。この世界ではそのままはいいなんだよって。だから別に相手はあなたに危害を加えないから、今まではそうじゃなかったかもしれないけど、自分を守らないと生きていけなかったかもしれないけど、別にもう今あなたに危害を加える人誰もいないから、だから怖くなったら相手を殴るのをやめなさいとかね。
本当はみんなそれぞれ学者してるんですよ。厳しい環境というか、学位のいる人たちに囲まれた環境で育ってる人っていうのはやっぱり常にガード姿勢を取る癖がついてるんですね。そのガード姿勢も別にガード姿勢だけだったらいいんだけど、もうやられる前にやらなきゃいけないとか、自分が自分の領域が侵されてると思ったら、もう一回相手にパンチ入れとか舐められるなとか、舐められてはいけないみたいな考え方を持ってる人結構多いんですよ。
企業の世界って全然そんなことないので、悪意のある人と別に近づかなければ出会うこともないので、納得いかない人と一緒にいなければいけないというルールもないから別に殴り返さなくていいんですよ。
その人の世界から消してしまえばいいわけ。前回僕も話しましたけど、YouTubeでこの世の終わりみたいなコメント結構来ますよ。本当に来るよ。だけど別に僕はその人たちに言い返さないし、その人たちに言われないような発信しようとも思わない。俺の世界から聞いてくれ。こっち終わり。
そういう世界なんですね。僕らがいる世界ってのはね。付き合いたくない人と付き合わなくていいから、一発パンチ入れなくていいのよ。大丈夫、別に俺は味方だからさって。パンチ入れなくてもかかっていいんだということを学んでいく。これが序令なんですね。
だから皆さんね、過去のね、こうしなきゃいけない、こうしないとお金はもらえない、こうしないとお客さんは喜んでくれない、こうしないと商品は買ってもらえないということに縛り付けられている。いや、いらんってそういうのって感じなんですよ。そういうの。いらんって。ギールもルールが違うんだって。
個人のお客さんっていうのは、あなたに何を求めているかってなったら、あなたじゃないとできないことをやってほしいんですよ。そんな、なんかこう、ガチガチに守ってさ、失敗しないように、失敗しないように、他の人と違わないように、違わないようにやってるあなたなんて求めてないのよ。
あなたがやってくれることを求めている、個人のお客さんっていうのはね、そこの引力が分かんないとダメだよ。違うんだって。会社員と求められていること、違うんだって。一般社会の大人が求められていること、俺らが求められていること、違うんだって。役割が違うから。そんなに難しい役割、求められてないんだけど、
俺たちは、教育だったり、今まで勤めてきた会社とか、労働環境ですよね、とか置かれた家族、異常な家族がいたっていう記憶もいっぱいありますから、そういう人たちから、無意識のうちに受けている影響を、新しい世界に行きたいんだって、生き方変えたいんだって、発せなきゃいけないんですよ。
だから今までの生き方は、辛かったかもしれないけど、ただ、今までの生き方に適応できたあなたもいるわけだから。別に今までの生き方してたって、あなたは生きていけるわけよ。だけどそうじゃないから、起業したいとか、僕のクライアントになったりだとか、してるわけじゃん。そしたらさ、もうそこの後は、いかに助齢できるかね。だから起業は助齢なのよ。本当に。思うな。
だからまぁ今回、ちょっと花さんと話してね、占い師と話して、自分に素直さがあるなって思ったところから、素直さってなんだって。なったら、その、語学習をアンインストールできること。今までの世界はこうだったけど、この世界はこうなんだっていうことの飲み込みがどれだけ早いか。これが、めっちゃ苦労します。みんな。めちゃくちゃ苦労してる。
個人の成長と挑戦
ていうか、俺ずっとそこやってる。もう5年間ぐらいは起業のコーチングやってるけど、全部そこ。難しいことなんもない。だから起業のコーチングしてるけど別に起業教えてないもん。だって起業教えるほどのことでもねえから。それよりも、その、いや、その行動が起業遠ざけてますよっていうところを、助齢していくだけなんだよ。だから、プラスオンじゃないのよ。
あなたに会社員に起業のノウハウを教えたら起業できました。じゃなくて、会社員に会社員の考え方をアンインストールしてもらって、そこに起業のノウハウがちょこっと入るから、個人でも稼げるようになるんですね。アンインストールがめちゃくちゃ大事で。
だから年齢を重ねると起業とか新しい人に難しくなるのは、学習を続けた期間が長いからアンインストールが難しくなるんですね。年齢を重ねるほど。だから1秒でも早くやったほうがいいのよ。アンインストールなんだって、結局ね。ということが占い師との関係でよくわかったので。
僕はそうだな、早かったんですよね。助齢をしなければいけないというイベントに出会うのも早かったし、実際に会社員という生き方。だから昔からも陸上競技の個人スポーツだったので、個人で生きるという常識の中で、学校とか学校組織とかそういうところに所属してはいたけど、個人で生きるという言い方にかなり近いとしてきたから常識が近かったし、会社員としてはそこってなかったんだよ。
1年半しか僕会社員してないからそれが良かったんだね。でも多くの人はそうじゃない。僕のクライアントさんによっては20年会社員やってた人とかもいますから。そこで学んだ立ち回りを剥がしていくっていうのは大変ですよ。地道な作業。地道な作業だけど、そう考えると僕って助齢師なんですよね。会社員で学んできて。
人それぞれに学んできたこと違います。そうやって保守的な大企業で言われたことをやることが大事っていう会社もあれば、どんどんどんどん新しいベンチャーみたいな感じで攻めていくところが大事っていうところもあれば、すごい優しい人に囲まれてのーんと輪を乱さないということを大事にやったところもあれば、おはようございますからお疲れ様でしたまで一言も喋んないみたいな職場もあれば、悪意がいっぱいあるから自分のことを舐められてはいけない。
自分のことを舐めてくれるような奴には一発入れないといけない。やられっぱなしは絶対いけないっていうようなピリピリした職場もあれば、優しいが故に働けてしまうが故に全員が自己犠牲しているみたいなそういう職場もあれば、ありとあらゆる数の職場の種類をクライアントさんたち含めて聞かせてもらってきてますが、言えるのはそこで学んだことは一旦アインストールしましょうと。それが大変。それが大変なんだよ。
それが大変なんだなと。だから、生き方を変えるためには何かプラスオンで何かを身につけるんじゃなくて、今までの自分の無意識にやっていることを除霊していくことが大事だし、除霊のためにはやっぱり自分の無意識に気づかなきゃいけない。
これが当たり前だと思ってた。別に何かをしてるつもりはないんですけど、そんなに傷つけてしまったんですか?そんな風に思われてしまったんですか?っていうことをどれだけ気づけるか。好きで仲良くなりたい相手の顔面ぶん殴ってるみたいなことがよく起きます。特に僕はコーチングで近い距離でクライアントさんと関わらせてもらってるんで、結構起きます。
それにどれだけ気づけるかですよ。ぶん殴ってしまって。そういうことしながら学んでいけばいいんですよ。だから僕は全然、コーチングやってるって言われるとすごい技術を提供してるのかって、未だに思われたりすることはあるんだけど、そんなことない。普通に人間関係をやってるだけに過ぎないし、人間関係やってるから僕も傷つけてしまうこととかってあると思うんだけど、
結局、除霊っていうのは自分の無意識を自覚する以外に方法がないので。だから皆さんもね、私には何もないって言ってる人いるけど、いや本当に何もなかったらめちゃくちゃやりやすいのよ。だって何もないってことは言いとる正体でしょ?違うのよ。何もないって言ってる人ほど、今までの価値観ガチガチに持ってるからめっちゃあるのよ。めっちゃあるから難しいのよ。
だから私には何もないって言うのはやめてください。やめてください。何もない人は起業できないし、何もない人はめちゃくちゃ起業うまくいくはずなんです。やること無しこと当たって、月収何百万何千万ってあるはずなんですよ。だってそっちの常識インストールするだけだから。
俺たちは何かありすぎるから困ってんだな。で、僕のコーチングっていうのは何があるんだっていうことを分析していくことなので、結局除霊なのかなということで、僕はそういうことを占い師のやり取りの中で感じましたよということでね、これもまた皆さんの朝の放送券提出レポートとさせていただきたいと思います。ご参照くださいませ。
日常の実践と気づき
はい、ということで今日は今9時7分でここからお家に帰ってバッとシャワー浴びてですね。今日も9時半からセッションがあるので、頑張って除霊していきたいと思います。以上です。