起業とスポーツの関係
おはようございます、おはなし屋なおとです。今日も朝の放送を始めていきます。現在の時刻は8時16分、気温は27度ですね。
まあ暑いっちゃ暑いが、ここ最近の中では割と涼しい方かなというような気候の中で朝散歩しながらラジオを撮っていきます。
昨日のですね、収録はもう聞いていただけたでしょうか、昨日の朝散歩の時ね。
僕、かなりあの説明しっくりきてたんですけど、起業とは解像度を上げるだけのスポーツであるという表現をしました。
僕が何がしっくりきているかというとですね、解像度を上げるということももちろんそうなんですが、
起業ってスポーツなんだというところにかなり腑に落ちているんですね。
これは何か僕の経験ならではだなぁと思うのですが、
僕は15歳ぐらいから23歳ぐらいまでかなりスポーツ一色の人生を送ってきたんですね。
その後が起業なので、だから起業する前10年弱はスポーツ一色の人生を送ってきたというような経歴を持っています。
一応中学高校の体育の先生の免許も持っています。
現場は教育実習でしか行ったことがないんですが、体育の先生は一応資格的にはできますという感じで勉強もしてきたし、
高校は一般入試で行ったんですけど、大学はスポーツの特大で行ってますし、
何なら会社には実業団選手として完全にスポーツ就職ということでスポーツでキャリーを切り開いてきたという経験もあります。
なので僕の人生の半分近くというか物心ついて柄にはなりますが、スポーツなんですね。
自分の長く触れてきたもので自分が今触れているものを説明できたということがものすごくしっくりきていまして、
企業ってスポーツなんだよなみたいな。
だから企業がスポーツであるということを定義すると多くの人が抱えている企業に対する悩みというのが明確になってくるなと思っているわけで、
今日はそれを皆さんに共有して何か気づきを持って帰っていただこうという趣旨のもと僕が言語化をする会です。
コーチの重要性
例えば企業がスポーツだとするのであれば企業でコーチをつけるということもまた当たり前なんじゃないかなと思います。
スポーツをやっていく上では本当にコーチと言われる役割の人がいるじゃないですか。
そこでイメージ指導者とか先生とかそういうふうに思い浮かべる人も多いと思うんですが、
実はそれって日本特有の考え方で先生が、学校の先生が部活動の顧問を持つというような考え方って日本特有なんですよ。
今どんどんどんどん、それこそ中学生高校生のお子さんがいらっしゃる方とかは知っていると思うんですけど、そうじゃない人は知らないと思うんで言っておきます。
今学校現場っていうのは部活動というのが続々と廃止される流れになっています。
これはもう現実問題になっています。僕もやっぱりもともと体育の先生の免許を取ったので、友人に現場で働いている人が何人かいるんですが、
もう言ってました。中学校とかもうほとんど部活なくなるよみたいな。
たぶんね、あと1年ぐらいでうちの学校なくなるんじゃないかなみたいなことを言ってました。
地域スポーツの方に部活動を移行して、学校がサポートする地域スポーツのチームにそれぞれ入るみたいな形になるらしいですね。
だから管轄が変わると。なんでかというと、学校教員がめちゃめちゃ長い時間働いているということで問題になったりだとか、
どうしてもその学校教員のストレスがかりやすい。負荷がものすごくかかるので、結局その教員自体の教育もできていなかったり。
最近不少女とかも多いじゃないですか。子供たちに悪いことをしたみたいな話を聞くとね、
子供がいる親としては本当に勘弁してくれると思うが、
僕は一瞬だけでも教育現場のどれだけのストレスの中で、負荷の中で先生たちが自分の家庭を犠牲にしてやっているかというのを知っているので、
もちろん自分が犠牲になっているからといって犯罪行為をしていいわけではないし、
子供を持つ親が学校の先生に対して、先生も忙しいからしょうがないよねって思わなきゃいけない道理は一味にもないんですが、
ただ、そういう学校の先生も大変なんだよなぁということを考えるとやるせない気持ちにはなりますね。
物事にはいろんな側面があっていろんなストーリーがあるんですよ。
ということで話に戻りますが、スポーツといえば指導者、顧問の先生というイメージの人は、
それは今はだいぶ廃止されてきている考え方です。
スポーツにはコーチという存在がいますが、それは決して指導者ではないというのが純粋なスポーツ現場の感覚ですね。
だからスポーツ選手としてトップに行っている人も、優勝でコーチをつけていたりします。
それは企業のコーチングと全く一緒なんじゃないかな。
実績があったり、自分の相性が合うと感じた人に対して、プロジェクトとしてちゃんと依頼をするというのは、
日本人もやっぱり部活動の文化でそのままスポーツ選手になることが多いので、
あんまりないですね。中高、大の指導者の元に選手選手権が終わるまでずっといるみたいなケースも多いです。
ただ、本当にオリンピッククラスになると海外のコーチをつけたりだとかもしますね。
母校の先生はもう学校までで役割終わりみたいな感じではある。
何が言いたいかというと、日本のスポーツというその市場が、
学校より先生のボランティア精神によって成り立っているものという側面があるので、
ちょっと皆さんに企業はスポーツでありようと言われると、部活動を想像されちゃうのかなと思ったので前提を話しているという感じです。
前提は部活動ではないです。僕はクライアントさんの指導者になった気持ちになったことは一度もないので、
指導者ではなくてコーチなので、ただそのスポーツであるということを言えるのであれば、
それは正しいフォームとかやり方を習うのはもちろんですし、スポーツのコーチングというのは基本的に何かを教えるということはあんまりないんですね。
知らない人は知らないと思うんですが、実際現場はそうです。
選手の動きを見て、もっとこうした方がいいんじゃないかとか、もっとこういう風にしたらいいかなと動きがなるんじゃないかとか、
一緒に考えるに近い。何回も言うけど、日本のスポーツ現場がそうなっているとはちょっと言いにくいが、スポーツの理想としてはそうですね。
コーチと一緒に作っていく、自分との対話ではあるんですよ。これも企業と同じ、スポーツ企業と同じ。
自分との対話ではあるんだが、そこに自分ではない視点、特に他に自分には持っていない経験を持っていて、
一緒に協力することが望ましい人の視点を見ることで、借りることで自分をより客観的に捉えていくだったり、
自分では気づけないウィークポイントを見つける、発見するというようなものがスポーツのコーチの役割なんですね。
起業家の挑戦
そうなると企業のコーチもそうだと思うんです。企業は理論上一人でできると僕はいつも言っているじゃないですか。
スポーツも全く一緒で、もっといい表現の方法がないかなと思ったら、眉毛剃るので例えられるなと思って。
皆さん眉毛剃られるじゃないですか。完全に抜き終わって、私眉毛生えてこないんだよという人がやっとしているかもしれないけど。
眉毛を抜く時って鏡って要りますか?
必要ではありますけど、なくても眉毛は剃れますよね。
でも鏡なしに眉毛を剃るって自殺行為じゃないですか。
形がわからないじゃんっていう。形を整えなきゃいけない。なんで形を整えるのって言ったら、別に眉毛なんて生えても誰でも何でもいいわけですよ。
ただ相手から見た印象とか、自分が与えたい印象ですよね。
っていうところに合わせて眉毛の形を整形していくっていう文化なんです。
分かります?別に眉毛なんて生えてれば目に汗は入らないんだよ。役割はokなんだけど。
でも見出し並みとして整えるわけじゃないですか。
でなると見出し並みとして整える、つまり相手から見えた時に自分の眉毛の形がどうなっているのかということが大事だから、
相手から見たらどうなるかということを確認するために鏡があるわけですよね。
これがコーチの役割です。
あなたが、あなたのために自分と向き合うんだったら、別にコーチいらないんですよ。
ジャーナリングで大丈夫です。ノートに書きましょうで大丈夫です。
でもそれであなたはあなたのより深い知見を手に入れることができます。
問題はそれを使って誰かに何か貢献したいってなった時に眉毛と一緒ですね。
整えなきゃいけないんでしょってなると第三者の視点鏡が必要なんです。
だから眉毛めっちゃ生えたらだるいなぁみたいな。
いやでも別に人に眉毛とか人と会うことはないから眉毛なんかなくてもあってもいいんだよなみたいな。
だったら鏡いらないんですよ。触ってジョリジョリしてればいい。
だけどそうじゃないでしょって。これスポーツも企業も同じなんですね。
スポーツというのはもちろん最終的には自分のためとかいろいろあるんですが、
手段目的というかいろいろあるんですが、手段としてはですね、
誰かと何かを競うというのがスポーツの前提条件だと思うんです。
相手がいるんですよ。企業も同じですね。
自分一人でサービス作ってとっておきのサービスができました。
っていうの趣味ですね。
ただこれを人にもいいなって感じてもらわなきゃいけないし、
これを人にお金出してもそれ欲しいねって言われなきゃいけない。
だったら相手がいりますよね。だから企業はスポーツなんですよ。
相手がいるから。だから鏡が必要でしょ。眉毛するのに。
自分じゃ見えないから眉毛は。
っていうのと一緒だな。とか、もっと言うんだったら髪の毛。
鏡あっても切れないですよね。なんでだと思いますか。
そうです。鏡に映らない場所があるのと、
そこまで細かい動きを僕たちの両手はできないからですね。
だから鏡があったとて、髪は自分では切れないっていうね。
切れるけど、機能としては別に切れます。
髪の毛が鬱陶しいなら坊主にすればいいんです。
私は高校時代ずっと坊主でしたから。
坊主楽ですよ。坊主だけはセルフカットできるんですよ。
なぜなら手で触ったときにちょっとジョリジョリが残ったところに
バリカンを当てればいいだけのゲームなのでできるんですよ。
バリカンを。坊主は一人でもできる。
だから本当に人からどう見られるかとか気にしないんだったら絶対坊主がいいですよ。
絶対坊主がいい。楽だもん。バリカン一回買っちゃったらもう
生涯床屋代かかんないしね。坊主は楽なんですよ。
っていうことです。鏡が必要ですよね。
なんなら髪切るのには美容師が必要ですよね。
スポーツも別に一人でできます。
僕は実業団選手になってから
僕の面倒を見てくれてた監督とおり合いがつかなくなって
後半1年半くらい一人で練習してました。
全然うまくいかなかったです。
今まで鏡として見てくれる人がいたりだとか
もちろん話が合わないとか
僕が考えてる考えてないとかいろいろあったけど
やっぱり自分を外から見てどういう風に見えるのかっていう
フィードバックがない状態で走るというか
スポーツすると全然違うんですね。
何がずれてるか分かんない。
感覚的に自分の中でこれいい感覚だなとか悪い感覚だな
っていうのはやっぱり経験が長いので分かるんですよ。
ただ何がずれてるのか分かんないし
どうやったら戻せるのか分かんないんですよね。
だから分かんないから適当に思いついたところいろいろあるんですよ。
企業家ヘッドの皆さんそうじゃないですか。
皆さん今自分のビジネスがうまくいってるかうまくいってないかは分かりますよね。
大概の人がうまくいってないと思います。
なぜなら課題を乗り越えることの連続だから。
企業ってのはスポーツとこのまま一緒です。
うまくいく日なんて年に5日くらいしかないんだから。
スポーツなんかもう本当にそうだったもんな。
自己ベストなんか何年に1回かしか出ないんですよ。
大人のレベルになるとね。
もうそのレベルの日を待ちわべるみたいな生き方をするわけなんですけど
うまくいく日の方が少ないんですよ。
うまくいかない日なんですよほとんどは。
でもやっぱり自分の動きを客観的に見てくれる人だったり
自分の取り組み方を客観的に見てくれる人だったりがいないと
何が取れてるのかって答え出ないんですよね。
分かんない本当に。
だから感覚で直すんですよ。
一生懸命動画とか撮りますよ。
だから企業家ヘッドの皆さんは
うまくいってる人の真似をして
起業とスポーツの共通点
自分のブログとか
YouTubeとか
自分が喋ってるのを客観的に見たら
直せそうなところがあるじゃないですか。
だからそこを適当にいじりますよね。
僕スポーツ選手の後半2年間
そういうやり方でプロスポーツ選手やってたんですよ。
どうなったかぐっちゃぐちゃになった。
なぜかというと
直した方が良さそうなところって
いっぱいあるんですよ。
多分それは僕のスポーツでいう
室森浩二さんですら
自分の投的
ハンマーを投げる姿を見て
ここ直した方がいいな
っていうポイントあると思うんですよね。
絶対完成じゃないと思うんです。
追い求めようと思うとね。
そういう状態なわけですよ。
あのトップでさえ
それこそ野球でいう一郎とか
松井秀樹とか
その辺の
大谷翔平でもそうですよね。
多分自分の動作とか動きに対して
問題解決の重要性
ここを修正した方がいいなとか
ここはこうずれてるなとか
ここリニーカーになってないな
っていうポイントもあると思います。
どんなレベルでも。
ってなった時に
トッププロ一流とそうじゃない人間の違い
何かっていうと
トッププロはですね
その気になるポイントの中で
最も着手すべき問題は何か
っていうことを考えられるんですよ。
なぜかというと問題の前方が見えていて
自分が理想像が見えていて
それぐらいが見えているから
それが選べるんですね。
でもアマチュア、つまり
自分の動きは自分で見るが
自分で修正をかけようとするアマチュアってのは
優先順位がつかないんです。
うまくいってないポイントが
ABCDあった時に
Aから片っ端からやっちゃうんです。
本当は例えばですけど
問題Bが
根本の原因で
根本の原因がCを引き起こして
Cが派生して
Bになっていて
それが表面上Aという形で出ているんだったら
Aって着手しちゃいけない問題なんですよ。
これって表面上の問題なので
そこ着手しても
根本解決しないんです。ラミーなんですよ。
だけど
Aを深掘りしちゃうことっていうのが
一人でやっているプレイヤーにはあります。
本当はそこをいじらなくていいのに
そこをいじることに時間を使って
本当の問題Bにアプローチしない。
BにアプローチするためのCにアプローチしない。
Cから派生しているDに気づかない。
ということが起きると
ラミーの問題Aに一生
取り組み続けます。取り組み続けるだけならいいんですけど
本当に
企業ってバランスなので
Aにまた支柱が寄っていくと
今度は全体のバランスがもっと
崩れるんですね。
これ僕がスポーツ選手の時に経験した
不調の
不調のスパイラルという状況
なんですけれども
調子悪いじゃないですか。
調子悪いと
気持ち悪くてしょうがないんですね。
感覚的にも今調子悪いよ
ってことを教えてくれる。その感覚には素直だから
なるほどと今調子悪いんだな
って動画とか見るじゃないですか。
そうするといつもと違う
動きになってるわけですね。
その表面的な動きだけ見てここ直そうかな
って直すじゃないですか。そしたらそこが
本当に直すべきところじゃないんですよ。
そうなると他の動きがもっと崩れるんですね。
もっと崩れると
どうなるかっていうと体に負担が
かかるんですよ。歩き方が
悪かったり猫背になってたりしたら
負荷がかかって腰痛くなったりするじゃないですか。
あれと一緒で
理にかなってない動きっていうのは
変なところに負荷がかかるんですよ。
いい動きって理にかなってるから負荷が分散されるので
怪我しないんですよ。
ってなるとずれた動きを直そうとして
その直す場所がずれててもっとずれて
もっとずれることで痛みが出て
痛みが出るから痛みを避けたいのは
人間絶対そう。どんな大谷でも
痛みを気にせずに
同じ動きをすることはできないので
脳裏に焼き付くので痛みって。
ってなると今度はその痛みを避けようとして
本来とは違う動きをしてしまうんですね。
終わりですよ。こうなったら。
マジで終わり。こういう終わり方
皆さんしたことないですか。
夫婦関係。夫婦関係いきましょう急に。
夫婦関係
ここが問題なんじゃないかと思って
その問題を
一生懸命解決しました。
一番多いのは
夫婦関係で一番多いのは
企業夫婦関係という単語で一番多いのは
お金の問題ですかね。
稼げればいいんだろう。稼げればいいんだろう。
僕もそれで一回
妻を黙らせたことがありますけど
それをやるとですね
だいたい崩れるんですね。なぜなら
お金の問題じゃないんです。
対外夫婦の間で発生する企業という
ワードにひも付くお金の問題がね
お金の問題であったことが一度もないです。
私の経験上。
お金の問題じゃないですね。
だいたいお金の問題じゃないんですよ。
お金があれば
向き合わずに済むのにというような
結果があれば向き合わずに済むのにというような
ことが別にね
特定の誰かがどうとか言わないんですけど
だいたいそうですよ。
僕も9年やってるんでね。またそれ
って思いますよ。またそれかいって思うことばかり
なんだけどだいたいそうなんですよ。
お金の問題って基本ダミーなんですよ。
わかりやすいんでお金って。みんな
お金の問題お金の問題って言うけどお金の問題じゃないねん。
僕はいますよ。
友人に。本当にお金ないんだけど
お金がないって一回も言ったことないんです。
いますね。いますいます。
常に借金の残高が膨れ上がり続けてるんですけど
お金ないって言ったことないですね。
いますよそういう人が。
そういう感じなんですね。お金に
お金があるかないかとお金に困るか困らないかって
また別軸の問題というね。
これもだからさっき話戻しますけど
本質じゃないところに
着手しようとする。
大概お金は本質じゃないね。
本質のこともあるけど
お金が本質なのって働きだけなんで
悩まないですよ別に。お金で悩むことって
ないですね。だって
労働のスケジュール決めたら終わりじゃないですか。
それ以上でもいいかでもないので
お金で悩むということは
大概別の
ところに課題があると
考えた方が良いですね。
っていう考え方のもと
お金じゃないのに
お金に着手しようとすると
だんだんずれてくるんですね。
コーチの役割
だってそこじゃないもんっていうところで
こずれてこずれてそうすると
また別の問題が発生してくるんですね。
ストレスが増えるので
今度は心身一生を
乞たしたりするんですね。心身一生を
乞たすと飯が食えないじゃないですか。
そうすると今度は体が弱ってくるんですね。
体が弱ってくると
寝れないんですよ。
寝れないと病気になります。
という感じでいろいろ
悪いことがつながって連鎖的に
起きるということがあるんじゃないかなと
僕は思ってますね。
向き合った方が早いんですよ。
でも何に向き合えばいいのかわからないんだ。
だからスポーツでは
コーチが必要。
コーチつけずに
一人で練習してるっていう
プロのスポーツ選手って
あんまりいない。
特定のコーチをつけず
いろんな人に見てもらってるというケース
僕の知ってる限り
それもあんまりいないなぁ。
自分でちゃんと
コーチを見つけてってなると
陸上の世界でも
どこでつながったんみたいな
当的コーチとかに
依頼をしてるケースって結構多いですね。
それこそ北口さんとか
最近の有名なところで言うと
ああいうレベルの選手は
大概コーチは海外ですよ。
海外の選手。
こっちも先生って言っちゃうからね。
どれだけスポーツで
先生文化、指導者文化が染み付いてるんだって
話だけど。
海外でそのコーチを見つけてる
人が多いですね。
チェコとかスルバキアがすごく強いんで。
っていう感じかな。
なので
スポーツなんですよ。企業は。
同じなんですよ。全部同じ。
ってなると、じゃあ
もう一個昨日考えたこと喋ろうかな。
スポーツって何?
って言われて
どういう定義をしますか?
僕は昨日放送撮った後考えたんですけど
企業がスポーツなんだとしたら
スポーツって
僕は企業は解像度を上げるだけの
スポーツだって言いましたけど
スポーツって何だって言われたら
得点を競うというのが
スポーツの条件だなと
思うんですよね。
例えば野球っていうのは
ホームベースを踏んだら
得点が入ります。
で、2チームのうち
ホームベースを踏んだ回数が多い方が
勝ちですよね。
どんだけストライクを取ろうと
ホームベースを踏まなければ勝てないので
という意味ではホームベースを踏むということが
競うポイントになりますよね。
サッカーだったら
ゴールネットに
ラインの内側に
ボールを入れた回数を
チームで競うというのが
サッカーの定義。
フィギュアスケートとかなんだったら
一人で滑るじゃないかと
そのフィギュアスケートで
審査員がつけた得点を競う競技なので
スポーツというのは何らかを
競う競技なんですね。
でも
大体の場合競うことは
目的じゃないんですよ。
勝った負けたって何なんですけど
なんで競うかって言うと楽しいからとか
スポーツの語源って
確か遊びなんだよな。
だからそうやって勝ち負けをつける
という遊びをやっているというのが
スポーツなんです。
遊びなんですよ。つまり
企業って何?って言われたら
得点を競うわけじゃないけれど
売り上げという分かりやすい数字がありますね。
分かりやすい数字があって
みんな売り上げを目指すみたいな
表向きの目的があるんだけど
裏向きとしては
それぞれの人生に
必要なものを
掴み取るための
言ってしまえば
遊びと言っていいんじゃないかなと
僕は思うわけなんですね。
だからそれぞれ目的が
スポーツと違うところは直接的に競うものでは
ないってことですね。
でもスポーツも競わない
結局最後は楽しもうとか
自分に没頭するとか
そういうところに
行くんだよな。
勝った負けたでキャーキャー言うのって
高校生とかまでなんですよね。
結構トップレベルの選手とかだと
日本選手権に優勝しても
微妙な顔してたりしますよ。
いい投げができなかった、いい走りができなかった
反省してたりしますからね。
勝ったら両手挙げて喜ぶのって
大学生ぐらいじゃない?
そんなもんだと思います。
僕は勝って両手挙げるタイプの
選手だったので
そのレベルまでしか行きませんでした。
大反省ですね。
勝つことが大事だと思ってたんだけどな。
続かないんだよな。
勝つことが大事だと思ってたら。
なので
いろんな条件が
スポーツと定義するのは
いろんな条件が
あるんですが
僕はスポーツをやってた人間なので
ビジネスとスポーツの類似性
企業をスポーツと捉えたらすっげー分かりやすいんだよ
っていうお話でした。
皆さんも
スポーツ経験あって今の話で
確かに思う人がいれば
自分が悩んでることって
スポーツに置き換えたらどうなるんだろう
っていう風に考えてみたら
何か手助けになるかもしれないし
ひょっとしたらスポーツやってきてません
けど私はずっとピアノを弾いてきました
スポーツやってないが
私はずっと音楽をやってきました
とか
スポーツやっていないが
私は芸術やってきました
それぞれ専門分野があると思うんです
長くやってきたこと
それこそ
ずっと保育をしてきましたとか
子供と教育について考えてきました
前の仕事がこうでした
あると思うので
今取り組んでることを
自分が
今までやってきたことで
説明できないかっていう試みを
してみたらどうかな
今日の趣旨はそこなので
みなさんスポーツだよじゃなくて
野球みたいにルールがあって
ある程度ちゃんとルールがあって
相手がいる
僕らの場合相手というのはお客さんで
お客さんは競う相手ではないんですが
相手がいるので
相手の出方次第で
こっちの戦略も決まってくる
自分がやりたいようにやってても勝てない
相手に勝てるように
動いてても楽しくない
その間を打つのは何かとかね
プレースタイルも
人それぞれ違うし
共通しているのは
自分だけでやるの限界あるよね
っていう
だからスポーツにはコーチをつけるというのが当たり前ですし
何なら今でもねコーチやってますって
他人に言ったことあると思うんです
絶対言われませんでした
スポーツのですかって
そのぐらいスポーツではコーチをつけることは当たり前
なんですね
でも企業はそうじゃないので
僕は企業とスポーツ同じなんじゃないですか
スポーツでコーチが必要なように
企業でもコーチが必要なんじゃないですか
なぜかというと
一人で
鏡を見ずに眉毛が剃れますか
っていう話だし
僕は実体験として
自分の感覚を信じて
他者からのフィードバックを受けない
競技者成果と
1年半ぐらいやったらぐっちゃぐちゃになりました
分かんないんだよな
今の動きがいいか悪いかは
判断できるんだけど
ただ何が良くて何が悪いのかっていうのは
なかなか
トップ中のトップでは難しいし
自分のこと客観的に見るのは
自分の全体像とか
そういうものを含めて
最先の一歩を踏むためには
どうしたらいいかっていう思考は
フィールドにいて
現場でリアルに
感覚を感じてたら
分かんないんですよね
感覚に飲み込まれるというか
人間なんで調子良い日ってやっぱり
テンション上がっちゃうんですよ
調子が悪い日っていうのは
テンション下がっちゃうので
冷静にいられないんですね
感情というものを完全に排除すれば
調子が良い日も悪い日も
冷静に分析できるかもしれないけど
そうじゃないんだな
調子良い日全てが楽しくなりますからね
そのくらいやっぱり命かけてるので
皆さんもそうじゃないですか
ビジネスで売り上げが
思ったより出た時っていうのは
もう全てがバラ色に見えるんじゃないですか
でも
ビジネスずっと頑張ってんのに
結果出ないなっていう時は
全てが灰色に見えるんじゃないですか
そういうもんなんですよ
人間というのはね
客観的に見ることっていうのはできない
感情に飲み込まれるので
それはスポーツと一緒です
僕はスポーツの時それをすごく感じました
きつかった
一人でやるのわかんねえ
わかんねえわかんねえってもがいてると
そのもがいてる大変さって周りに伝わんないので
あーうるさい
うるさい
あーすごくうるさかった
選挙があるね
なので
やっぱ周りからの理解もすごい
なんか得にくかった
すごい言われましたよ頭おかしくなったとか
わけわからんことしてるとか
自分でも思いますわけわからんことしてたなと
思うけどやっぱり客観的だね
目を持つというのは
僕はスポーツ選手生命で
ものすごく感じたので
皆さんにはですね
ちゃんとその客観的に見てくれる
コーチをつけたほうが
本当にいいと思いますし
もちろんそのコーチもね
誰でもいいというわけじゃないです
僕がいつも言っている
あなたのことを
あなたの知りたい情報を知っていて
あなたのことを誰よりも
知ろうとしていて
そしてあなたがコストをかけてきて
これからもコストをかける
サービスだったり関わりしろがあって
その上で
あなたの理想を体現していて
あなたにもできると思わせてくれる人
これがいいコーチの条件
これスポーツと全く一緒ですね
理想の世界を体現している人
スポーツに限っては
オリンピック選手だからオリンピック育てられる
というわけではないんですが
ただやっぱり自分の
しっくりくる理論を提唱していたりだとか
コーチが選手に関わる姿を見て
理想だなこの関わり方と思う
ようなコーチを選ばないと
実績があれば誰でもいいかというわけでもないし
優しくしてくれるなら
誰でもいいかというわけでもないので
僕は
スポーツ選手の時代がなかったので
とても思います
コーチはやっぱり企業には必要だなと
なぜなら企業とスポーツは一緒だから
ということで
コーチの重要性
今日のお話は終わろうかなと思います
朝の30分歩くのこんなきついんだね
本当にきついなあ
毎日毎日ね
こんなに長い放送を聞いていただいて
本当にありがとうございます
いつまでこの朝ルーティンが続けられるか
わかりませんが
体力の持つ範囲は
頑張っていこうかなと思いますので
ぜひ最後まで聞いた人は
いいねを押して帰るように
お願いします
以上です