発信の重要性
おはようございます。おはなし屋なおとです。今日は、何を伝えれば売れるのか?発信10年やってきた人間の結論をお話ししていきたいなと思います。
僕のラジオを日々聞いてくださっている方は、起業したいなと漠然と思っていたり、既に起業していてどうやって自分のビジネスを伸ばしていこうかと、そういう情報が欲しくて、僕のラジオを聞いてくれている方が大半なんじゃないかなと思います。
そして、みなさんが僕に期待していることは、何かどうやったら売れるか教えてくれ、やっぱりそこなんじゃないかなと思います。
こうやったら売れるよっていう、そういう発信って僕じゃなくても多分言っている人がいっぱいいると思うんですよね。
それこそ、水を売るには砂漠の喉が渇いている人に水をあげたらいいよとか、他には何だろうな、順を追ってお客さんとの関係を育てていくんだよとか、信頼関係を作ることが大事だよとかね、無理に売り込むんじゃなくて、お客さんから買いたいと思ってもらえるような、そんな感情を引き出すんだよみたいなことはね、
分かってますよね。分かっている前提で話します。僕のリスナーさん、一番イメージしているのは僕のクライアントさんたちなんですが、みなさん勤勉な方なので、そういう知識としてどうすれば売れるのかということは分かっていると思うんですね。
そこで僕が提供できる、僕にしかない価値は何かって考えた時に、僕10年やってきてるんで、具体的に何したら売れるのっていうデータですよね。これは他のちょっと1,2年売れた人とかには語れないものなんじゃないかなと思って、今日ちょっとそれをお話ししようかなと考えてます。
実際問題ですね。売れる、どんな記事で売れてきたかっていうことを伝えられるようになるにはですね、相当な数の売れると思ったけど売れなかった記事っていうのが必要なんですね。
どっちから話そうかな。みなさん売れ、どうやったら売れるのっていうことが聞きたいと思うんですけど、そこでこうか。結論、どういう記事が売れるか。それは、これ僕の経験ですよ。僕が扱っているライフコーチという商材、つまり人生を変えるためには対話が必要だと、そういう前提のもとに提供する対話。
コーチングなり、まあ別にコンサルでも何でもいいですわ。対話サービス売れるために今まで一番僕が書いてきて、これ売れたなって思った記事が一つ答えとしてありまして、それが何かというと内面ドロドロに書いた記事ですね。
もちろんノートを一記事書いたからって言って、それでそこからお金が発生するわけじゃないので、具体的にこの記事を書いたらすぐ売れましたみたいな話ではないんですが、やっぱり僕が明らかにこの記事出してからお客さんのニーズ増えたな、問い合わせ爆増したなっていう記事が今までやってくる中で、ノート歴はもう5年くらいなんですけど、5年くらいの中でやっぱりあって、
それがさっき言った内面ドロドロの記事、つまり自分の感情とかそういうものを出し切った記事ですね。一回書いて1週間くらいで200万くらいコーチングセッション売れた記事がありましたね。
いやーあれすごかったなって思います。やっぱり書いてるんだけど売れてねえっていう時って、そういう内面ドロドロえぐるような記事がないんですよね。これちょっと皆さんと詳しく深掘りしていきたいなと思うんですが、内面ドロドロ記事って何かっていうと、自分が書いてて涙出ちゃうぐらい本当に悔しい思いをしたり、
感じたりする時のことを書いた記事ですね。具体的に言うと、僕は結構そのアスリートを、もともと実業団アスリートを新卒でやってまして、1年半くらいしてもうどうにもこうにもいかなくなって、そのタイミングでコーチング受けて、泣きながらグラウンドを去ったという経験があります。
僕の人生で一番痛い記憶ってやっぱそこなんですね。ってなった時に、その時のことをもうめちゃめちゃ書いた記事があったんですよ。昨日もちょっとその時のことに触れるような記事を書いたんですが、やっぱりその自分の痛かった時の話を書くと売れるんですね。
これなんで売れるかっていうことも、今だったら言語化できるんですけど、なんで内面ドロドロの記事を書くと売れるかっていうと、まずですね、書くという行為は痛みのままでは書けないっていうところがあります。
痛みを乗り越えたり浄化するプロセスに踏み込んでいないと、自分の痛みとかトラウマってそもそも言葉にできないんですよね。だから記事に書くっていうことは、痛みを乗り越えたまたは乗り越えようとしているという状況でないと、自分のネガティブな内面って書けないんですよ。
だからやっぱり乗り越えられていない時とか、自分の中で消化できていない時、完全に消化しちゃったらそれはそれで書けないんだけど、消化が始まった段階ってあまりネガティブなことを書けないんですね。
だからこれは僕のクライアントさんたちでもすごく見てて思うんですけど、本当に自分の痛みと向き合っている最中、向き合い始めた時とか、全然ちょっと向き合い方が痛みすぎて正面から向き合ってないんですよっていう時の人ほど発信にネガティブなことが出ないんですよ。
なぜか書けないんですね。書くっていうのはセラピー、癒す療法の一つとしてあるぐらい、アウトプットに出すっていうことは言語化をするっていうことなので、自分の中で自分に起きた出来事をちゃんと捉え直してないと痛みって言葉にならないんですよ。
今、痛みの話をしたけど、じゃあ何で痛みが売れるにつながるのかっていうと、そもそもその痛みというのを人に伝えるためには痛みのおもちゃできないんですね。
だから痛みをちゃんと向き合って捉え直して言語化して、それをちょっと人に伝えることで誰かの勇気を与えたいと思うと、結論はポジティブにしないといけないんですよ。
痛みをそのまま痛みとして書くと、ただのマガマガしい記事になっちゃうんですね。ぐちゃぐちゃで。読んだ人が暗くなっちゃうような記事になっちゃうし、そもそもそういう記事って書けないんですよ。
基本的に言語化できないから苦しいんですね、ずっとね。だからこういう記事を書くとどうなるかっていうと、まず書くという行為、自分が浄化されるんですね。浄化される過程って、これ僕の考えなんですけど、ライフコーチングそのものなんですよ。
自分がライフコーチングを受けることで、消化したい痛みをブログで読むということは、まさにそのブログで読んでいる人が自分と同じような痛みを消化している人、消化した人っていう風に見て、それが一つのロールモデルとして見えるんですね。
読者視点からすると、「うわぁ、この痛みわかるわ。」ってなった後に、「うわぁ、これ文章で書けるってすげぇな。」とか、「これ書いてて恨み、つまみ、愚痴にならないってすごいな。」っていうその尊敬の念が湧いてくるんですね。
痛みを書く側のメンタルとしては、「いや、こんなこと書いて誰のためになるんだ?」とか、「こんなん自分語りになっちゃうじゃん。」みたいな風に思っちゃうと思うんですけど、自分語りって結構レベル高いんですよ。
だって自分語りを面白く聞かせるためには、ちゃんと自分の状況を客観的に捉えていないと書けないので、これ何の価値があるの?もっとポジティブな、もっとお客さんに寄り添った発信しなきゃいけないんじゃないの?って思うんですけど、書く側からしたらね。
でも受け手側からしたら、こんなに個人的な情報をここまで書いてくれて、この人はそれを書くということはそれでも前に進んでいる。みんな痛み、トラウマあるんですよ。ただ痛み、トラウマをわざわざブログで晒そうと思うかっていうと、晒そうと思わないんですね。
だからその姿に読者、視聴者というのは強烈に希望を見出すわけなんですね。だから自分と同じ悩みを持っている、全く同じではないけど自分と似たような痛みを持っているって思ったときに、その読者とあなたって同じじゃないんですよ。なぜならその読者は悩みを抱えているだけです。
ただあなたというのはその悩みを向き合い言語化し、そしてノートに書くという、ブログに書くということをして、それを伝えて何かをしようとしているってなると、そこに差分があるわけなんですね。同じことできないんですよ。同じ痛みがあっても。
でなったらその人は、読者はあなたのことに強く惹かれるんですね。なぜならそれはそれを乗り越えた将来のあなただから。で読者の人たちは思うわけです。あなたみたいになりたいよって。痛みを共有しただけですよ。痛みを共有した物語として人に伝えるとあなたみたいになりたいって言われるんですよ。
これは僕10年間で確信してますね。売れるためにメールマガジンを組んでとか公式ラインのステップを配信してとかそういう考え方が主流だと思うんですけど、僕の経験上本当に自分の痛みを書き切れた記事ってそれだけで売れるんですよ。強いんですよ。めちゃくちゃ。
だから自分の痛みを書かなきゃいけないんだけどやっぱり痛みって書くまでに相当準備がいるんですよね。やっぱこう書こうと思って書けるものじゃないというか本当にこう自分と向き合うような生活を送っている人が自分と向き合った時に今しか書けないって思うタイミングがあった時にその自分を半分自分を癒すというそんな目的で自分の感情を書き切る。
ただ痛みを書いただけでもそれは愚痴、恨み、辛みになりますからそれを別に読者相手に恨んでいるわけじゃないので読者相手に自分はこんな経験からこんな学びを得て今こういうことをやってるんだっていうことを示すところまでできてないと書けないんですよね。
僕の経験上こういう記事が一番反応がいいというか別にめちゃくちゃ読まれるとかじゃないんだよな。こういう記事からめちゃくちゃ問い合わせが来る。問い合わせが来た時にもう相手は完全にロックされているのでもうあなたみたいになりたい。あなたの話聞きたいってなるんですね。
痛みを共有する力
でなった時にやっぱり自分がその本気で向き合っているサービスなんだったらこのサービスはそういう人たちのためのものですっていう話をするだけでちょっとそれを本気でちょっと検討させてもらいたいんですけど話聞かせてもらえませんかってなるんですね。
これ僕の結論です。これじゃあ売れる記事。じゃあ売れない記事いこうか。売れない記事。売れない記事これね僕は正直今でもなんかこれ売れないんだって思うことがあってそれ完全にノウハウ解決策。
これ人の悩みを解決する記事を書きましょうと僕は言ってますが実は悩みを解決するだけの解決策が並べられた記事は実は誰の胸も刺さないんですね。なぜか痛みがないからその強烈につながる理由にはならない。
ブログ読んでよかったとはなるんだけどこのブログの書き手とつながりたいという発想にはならないんですよねとか僕もずっとやってますけど自分の気づきとか自分の今考えていることを出すっていうのはこれは強烈につながった人とはめちゃめちゃ効果があります。
今まさに自分が考えていることをシェアするという考え方は今まさにあなたの考えていることを知りたい人からしたら一番必要な情報なのでこれは既存のファンというかクライアントというかそこに対してApple2にはめちゃくちゃいい記事です。
ただそればかりをしていてもつながる理由がないのでつながった後の人とはそれでいいんですけどつながる理由がないとそればっか書いててもダメなんですね。
僕は綺麗事抜きでずっとビジネスしてます。やっぱりうまくいくときうまくいかないときだから発信から問い合わせがめちゃくちゃ来るときとあれなんで最近来ないんだろうというとき結構繰り返してます。
でなったときにやっぱり自分の発信を見てて痛みが書き切れた時の記事とかこれ自分じゃないと書けないよなっていうような記事が書けているときってやっぱり売れてるんですよね。売り上げって上がるんですよ。
僕は最近自分のお話し会のメンバーだったりクライアントさんに対してめちゃくちゃコミットしてるのでクライアントさん達っていうのは別に自分の痛みを共有できてる人なのでそこでやっぱり僕がいいって言ってくださってる方なので別に改めて痛みを出す必要ってないんですね。
その人たちとやっぱり一緒に今乗り越えていく課題の解決策を考えることが大事だからっていう風にやっぱり続けていくと新規の問い合わせってのが減ってくるんですね。
そういう時期今まで何回もあったっすね。僕の感覚なんですけど売れてない時の方が刺さる記事を書けるんですよ。なぜかっていうと売れてないので向き合う相手が自分しかいないんですね。
だから本当に自分にしか書けない記事を書くと思うと自分の痛みを出すしかないんですよ。自分の痛みを出すとそれはそれで読者と深く繋がることができるので売れていくんですね。
でも僕が子育てとかで忙しくなってくると思考が深くまで下りていく時間がなかったりするので出せるものを出すんですね。
それこそ賄いみたいな感じです。自分の冷蔵庫の中にあるもので作っていく賄い。
これは素敵なことですし僕基本的な発信スタイルはこれなんですけど賄いって新規の人に食べさせるものではないですよね。
痛みと感情の重要性
身内だから賄いで形悪いけど味は美味しいからっていう風に言えるけどやっぱり初めての人とかこれから関係性を深めていく人とがっちり心と心でロックしあって生きていくためには賄いだけじゃダメなんだよなっていうのは発信10年やってきて僕が一番思うことなのかなと思います。
なので発信から新しい人と繋がりたい時に書く必要がある記事っていうのは痛みかな。
自分のドロドロしたものだったりこの誰が読むのって思う記事だったり自分が恨んでたりまた悔しかったりするような個人的な感情ですよね。
一つの基準としてブログを書きながら自分の気持ちが載ってるかっていうのはすごく大事。
自分を癒すという意味でもある。
自分が書き切った後に新しい発見があったりだとかこれ本気で伝え切れてよかったって思うような記事ってやっぱりそこに個人的な感情が載ってるので繋がりやすいんですよね。
新しい繋がりを生みやすい。
だからといってこれって技術で書けるものじゃなくて自分が本当に自分の人生と向き合ってないと書けない。
だからライフコーチング売りたいならライフコーチング受けないよって言ってるんですね。
ほとんどの人はコーチング受けたくないんですよ。
自分がお金稼ぎたいから。
なんで今から対話なのみたいな。
発信して人集めて自分のサービス売れたら別に自分の課題解決なんだけどって思う人って結構いると思うんですよね。
そこが難しいところで確かにその発信のノウハウとかマーケティングの考え方とかを取り入れてうまくいく人はいるんだけど
最終的に人の心を動かすのって技術じゃないので感情なので
感情を育てるという意味ではやっぱり自分の人生と向き合っていらんとどうにもならんのですね。
なんかそこをね頭入れておいてほしいなと思います。
特に僕の発信を受け取ってくれてる人はやっぱり等身大の自分で生きていくっていうことを大事にしていると思うので
僕は大事にしてきました10年間。
やっぱり結論。
儲かってる時儲かるタイミングの前はですね異常なまでの感情の吐き切りありますね。
どんだけネガティブでもいいんですよ。
そのネガティブなことを教訓に伝えたいことがある。
ここまでのアウトプットですね。
いかないといけないしやっぱり売れてない人の相談とか聞いてアカウント見に行くと
確かにすごいなって人います。
確かにすごいなってがむしゃらになってんだろうなって思う人いるけど
でもねあの表層までなのよ出てるのが。
発信で本当に出さなきゃいけないのってあなたの深い痛みの部分なんですよね。
それが一番売れるんですよ。
これは間違いない。
これは間違いない。俺10年やってるからね。
他に俺より長くやってる奴いたら連れてこいよっていう感じなんですけど。
マジでそう。
だから自分と向き合うことが必要なんですよ。
結局僕の生き方っていうのは自分のことを強く求めてくれてる人とだけ手を取り合って生きていくことができるんだよ。
ネガティブな感情の扱い
これが僕のコーチング企業のスタイルなんですけど
それを出し切るためにはですね。
つながる手段としてあなたの痛みがいるんですよ。
その痛み乗り越えていきたいですよね。
どうせ人生を良くするためには痛みを乗り越える必要があるんだから
ちゃんと真正面から向き合って痛みとちゃんと向き合っていこう。
ってなった時にそれを使うんですね。
それを使って人とつながる。
これが僕の提案しているライフコーチング企業ですね。
自分の人生を仕事にしたいのであれば
あなたが誰よりも人生と向き合ってなければいけない。
誰かが人生を向き合う時に隣にいてほしいと思われるのがあなた。
これがライフコーチとしてビジネスがうまくいっている状態で
売上を出したいのであればこの状態を目指さなければいけなくて
その状態を目指すために一番必要なことは
あなたがあなたの人生に向き合っていること。
あなたが苦しかったもうドロッドロの感情を
人に伝えられるぐらいまで向き合うということです。
だからね、自分の感情に見て見ぬふりをしちゃう癖がある人
僕のクライアントさんにも多分いると思うんですけど
見て見ぬふりをするときついんですよ。
ブログに書けなくなるんですね。
人に伝えられなくなるんですよ。
見て見ぬふりしている状態ってまだ痛みが痛みのままなので
言えないんですよ、人に。しゃべれないの。
だからコーチングの場とかで
自分が抱えていることとかをそのまま吐き出して
その出したものを使って人の気持ちを救っていく。
あなたも一人じゃないよと
ここに悩んで苦しんで向き合っている人間がいるぜと
私も俺も僕も自分も向き合っているぜと
何か感じてくれたら嬉しいぜということを出すと
あなたがその人にとってのロールモデルになります。
その人がまさに外に吐き出せなくて
悩んで苦しんでいることを
すでに向き合っていて前に進んでいて
そして外に吐き出してそれを希望として見せてくれるあなた。
読者とこういう関係が築けると
まあ売れるよねー
これは僕への忌ましめもありますね。
僕は10年企業10年目なの企業10年目の悩みがあって
やっぱりこの自分の痛い苦しいという感情からどんどんね
年齢を重ねている時を重ねるとですね
その感情から離れていくので思い出せなくなるんですね。
もう幸せやん。
いやそれ向き合うこといっぱいあるんやけど
いっぱいあるけど多分僕が向き合っていることって
みんなが共感できるような話じゃないんですよ。
もう本当になんかこうね特殊というか
まあそうなってくる。
まあだからそこも見せていかなきゃいけないんだけどね。
まあやっぱこう発信者として生きていくのであれば
そこの感情のトロですよね。
自分が持っているドロドロとしたもの
うつうつとしたもの
それを人に伝えられるぐらいまで向き合って
一つの希望として
ネガティブなことをポジティブに伝えるのって
相当向き合い方がいりますからね。
どうしても喋ったら愚人になっちゃうっていう人って
それ喋ってるだけで向き合ってないんですよ。
向き合ったら最後はね今の自分が
それでも前を向いているんだっていうオチになるので
絶対ポジティブな話になるんですね。
そこをなんか意識して
ブログのテーマ書くときは
考えてみたらいかがでしょうかというお話でした。
今日の話聞いて何か思った人個人的に連絡ください。
以上です。