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皆さん、こんにちは。今日も明日も授業道、黒瀬直美です。この番組では、中学校・高等学校の国語教育、働く女性の問題、デジタル教育についてゆるっと語っています。
今日は、授業をコンパクトに見せるのに便利な論語直躬の授業ということで、私が過去何度も何度もやってきた授業についてお話をしたいと思います。
そもそものきっかけは、国立大附属中高等学校に勤務していたときに、非常にお世話になった重鎮の先生、朝倉先生という方なんですけど、朝倉先生が公開研究授業で行っていた論語の授業について、その授業を見て、本当にコンパクトに1時間で完結する授業だったんですけど、
これぞ国語の授業というふうに思ったので、感動して何度も追視させていただいているんですけど、それがとても魅力的だったので、このことを順番に語っていきたいと思います。
まずこの直躬という論語の部分は、教科書にも載っているんですけど、こんなあらすじになります。将校という君子が出てくるんですけど、将校が後進に尋ねるんですね。
私の村に、とても正直者の直躬という者がいるんだけれど、その父親が羊を猫婆しまして、その子はこれを裁判か何かで明らかにしました。すごい正直者ですよね、というふうに尋ねるわけですよね。
そうしたら孔子はこう返します。私の村の正直者は違います。父は子供のために隠し、子は父のために隠します。正直さというのはその中にあるんですよ、というような内容なんですよね。
たったこれだけなんですけど、この授業、コンパクトにできるのでちょっと説明しますと、導入はいきなり朝倉先生もなんですけど、これは読まれるわけですね。読んで、わからないところをみんなで意見出し合いながら補ったり、先生が説明したりして。
漢文の授業なんで、当然のことながら書き下し文、それから現代語訳というものをやるんだけど、漢字漢字に注意させて、羊というものの漢字の成り立ちとか、それから中国においてどれぐらい羊というものは生活において大切なものだったのかというのをやります。
それから正直者の直球という直という字にも調べさせたりとか、あと猫ババするということはどういうことかというのをちゃんとやったりとか、それから明らかにするというのはどこで明らかにしたのかというようなことを漢字を中心にしながら抑えていき、その後構造図を書きながら内容を深めていくわけですね。
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構造図はどんな感じで書かれたかというと、右側に商工の言い分、左側に孔子の言い分ということで対立的に書いていきます。本当に対立構造になりやすいですね。
商工の言う正直者と孔子の言う正直者というのは違う。どこが違うかというのがメインの発問になります。
そしたら生徒はじっと考えて、商工の方の正直というのは事実をちゃんと明らかにして、証言するところ、つまりは法的なところでちゃんとそのあった出来事を正直に言う。
それがお父さんであってもちゃんと正直に言う。そういう正直さと、それから孔子の言う正直さというのは、たとえ父であってもたとえ孫であっても、事実を父や子のために事実を明らかにするんじゃなくて、
父や子のためを思って、その罪というのを隠すということが正直なんだというふうに言っているということが構造図を書いてちゃんと理解させるわけですよね。
それがわかった後で、じゃああなたは商工の言い分と孔子の言い分とどっちを支持しますかということを発表させるわけですけど、
研究授業では生徒に口頭発表させたり挙手させたりしてたんですけど、最近はICTがあるんで、これは私はロイロノートを使ってどっちかというのを、商工派の人はピンク、孔子型の人は青を使って、その理由も書きなさいということでやらせたりしますね。
最初にこれをやった時、自分自身はもうね、本当思うんだけど、心が醜いのかなって思うんだけど、当然私は孔子だろうと。
子は父のために隠し、父は子のために隠すっていうのはもうこれは人間として当たり前なんじゃないかって思ってたんですけど、最初に私が自分の学校でやった授業は3分の2の生徒が商工派だったんですね。
その理由が悪いことはちゃんと悪いから明らかにしないといけない。それがお父さんであっても正直にその事実を明らかにするっていうことによって、本当にそのお父さんのためになるっていう、そういう誠意とか誠実っていうのをそっちに求めてましたね。
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ネコババするっていうのは、貧しい生活の中でそういうことに対してやむにやまれる行為だったっていうのを抑えさせればもうちょっと変わったかもしれないなっていう反省はあるんだけれど、現代社会の生徒にとってそれは当然かなっていうのも思ったし、
あと私もいきなり嘘前提っていうようなそういう考え方をしてるっていうことに、その時初めて気づいて、なんで自分は心が汚れてるんだろう。生徒は心が非常に汚れてない。清らかなんだろう。なんで正直なんだろう。ピュアなんだろうって思ってしまった記憶がありますね。
そんなふうに3分の2が証拠派で、でも3分の1の人は公私派なんですよ。父や子のために罪を隠すっていうのは当然なんじゃないか。これが本当に優しいっていうことなんじゃないかっていうようなことを言ってるわけですよね。意見が割れるわけですよ。
そこで何人かにグループで話し合いをさせるわけですね。その話し合った結果をどういうことが話し合われたかっていうのを発表させるんです。ここはICTじゃないですね。
そうしたらいろんな意見が出るんですけど、どうしても体制が証拠派の方に流れてて、正しいことは正しい、あったことはあったことで、ちゃんと言わないといけないっていう若者らしい潔癖さが体制を占めてくるんだけど、
でもここで当てるときにちょっと注意して、この子はちょっとひねくれてるっていうか、ちょっとそういうところから一つ抜けた大人っぽい考え方をするんじゃないかとか、そういった子を狙って当てるようにすると面白い答えが出てて、いくら正直って言っても嘘も方便っていう言葉があるじゃないですか。
いくら正直に言ったとしても、やっぱりお父さんの罪を子供として暴くというのは、本当に自分の心に対して素直になってない。憎しみをかわいたいっていうのは、これは人間の情じゃないのかっていうようなことも出るわけですよ。
あるめちゃくちゃ面白い男の子なんかはね、グループで話し合ってるときに、お前実際こういうふうな目にあって言うか言わねえだろうとかって言いながら、友達を説得してるわけなんですよね。
ここで生徒はね、自分自身のそういう決まりっていうものから外れてはならないっていうそういう潔癖さと、それから自分自身の本当の心の中にある憎しみを守りたいっていう人間としての情の間でグラグラ揺れるのが、これが面白いんですけど。
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そのグラグラ揺れて、一応いろんな話をした後に、じゃあもう一回自分はどっちを支持するか意見を出してみようということで、ロイロノートで出させると、ちょっとね、公私派の方が増える形になってるんだけど、結局みんなはだいたい元の意見と変わらないっていうのが3分の2ぐらい変わらないですかね。
ゆえ動く子が3分の1っていう結果に終わります。でもこの話はどっちがいい、どっちが悪いっていうんじゃなくて、そういう話し合いを通じてものの考え方が深まるっていうのが一番の狙いなので、公私の言うところの正直者っていうのが自分自身の真心に対して正直だっていうところが抑えられたらOKという風にしています。
で、ここで終わると面白くないんで、朝倉先生はさらにこの講師の考え方が現代の私たちの生活の中でどういう風に現れているのかっていうところまでつかませておられたんですよね。
で、私もこれは面白いなと思って、この終わった後に生徒に、実はこの講師の考え方は私たちの生活の中に実は生きています。それを調べてみましょうということで、最近はやっぱりね、iPadなりそれからWindowsのSurfaceなりを持ってるから検索をどんどんさせていくわけですよね。
で、これを検索をする力っていうのが国語の力にもつながるかなと思ってて、もう私はノーヒントだから自分たちで探しなさいと、そういう風に言うと必死になってね、探すんですよね。で、3分から5分後にはね、答えを出すんです。
あったって言いながらね、そしたら誇らしきにその子はいろんな子に教えてもあり、教えられた子がまたよその子に教え、学びが勝手に広がっていきます。で、その結論は刑法の105条かな、そこにちゃんと書いてあるんですけど、
肉親のために自分の罪、その肉親の罪を隠した場合はそれは罪に当たらないということを書いてあるわけです。難しい法律用語で書いてあるんだけど、これ中学生でも読み解きますからね、本気になったら。なんて書いてあるのかわからないんだけど、本気になったらそれ読むんですよ。
で、それを読んで、ああそういうことかっていう風に納得していて、私はまとめとして、孔子の考え方っていうのは広く中国ではね、なかなか受け入れられなかったけど、人間の真心に訴えるこの孔子の考え方はずっと生き続けてきて、隣の国から私たちの国に儒教として入ってきて、私たちの法律にまで影響を与えているんですよ、
っていうようなことを言って終わるわけですね。
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ということで、この直球の授業について語りましたが、これはね、実際あの、研究授業とか、それからちょっとしたお客さんが来たときに見せる授業とか、そういったのに1時間で完結するのでとても便利です。
生徒の活動も入るし、話し合いも自然と促進されるし、お年どころも現実世界に設置しているので、もうぜひお勧めです。
ということで、今日は国立大附属中高等学校に勤務していたときに教えていただいたというか、啓発されてその先生の授業を追試した論語直球の授業について語りました。
それでは皆さん今日はこの辺で、聞いてくださりありがとうございました。またお会いいたしましょう。