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2024-09-08 14:34

021 国立大附属の生徒の望む国語の授業とは

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平均偏差値65ぐらいの国公立附属中高一貫校に勤めていたとき、相当鍛えられました。彼らの求める授業とは何だったのか、語ってみたいと思います。

サマリー

国立大学附属の生徒たちは、高度な知識と能力を持ちながらも、精神的には普通の高校生と同じ部分があります。彼らは従来の授業形式を好まず、新たな認識を得られるような授業を求めています。国立大学附属の学生たちは、学ぶ喜びを感じつつ、自身の成長に影響を与えた読書体験について語ります。特に『毛髪さんの女の一生』や『インドで暮らす』は、社会的な認識や価値観の変革に寄与し、今後の国語の授業に対する視点にも影響を与えています。

国立大附属の教育活動
皆さん、こんにちは。今日も明日も授業道、黒瀬直美です。
このチャンネルでは、中・高等学校の国語教育、働く女性の問題、デジタル教育について、ゆるっと配信しています。
皆さん、こんにちは。今日は、ちょっと変わったネタを配信したいと思っています。
タイトルは、国立大附属の生徒の望む国語の授業と。
私は、困難校のネタが多いんです。
自分自身が厳しいところで長年やってきたという教授から、どうしてもそういう発信に偏ってしまっていたのですが、
国立大附属での勤務経験がありまして、レベルの高い生徒を相手に授業してきたので、そういったことを配信してもいいかなと思うようになりました。
この学校は特殊な学校なので、授業が少ないかなと思うのですが、
この間、受験対策の授業を発表するのを配信して、いろんな経験が蘇ってきたので、
今回ちょっと変わった授業だと思うのですが、配信したいと思います。
まず、国立大附属ってどういう役割を担っているかというと、
まず、未来の教育者を育てるという大きなミッションがあります。
教育実習は年に3回ありまして、たくさんの教育実習生が来ますので、1人の教員が5、6人の実習生を担当します。
となると、その生徒にそれぞれ指導が入るわけで、
その実習生さんの書いた指導案を見ては、指導して何回か書き直ししたり、
困っている実習生さんにアイディアを出してあげたり、
もちろん授業を見てその後、反省会をやったりということで、年に3回あって結構忙しかったですね。
私自身も勉強になりましたけれど、実習生を教えるということが非常に難しいと言いますか、
本当に手間がかかると言いますか、大変だった記憶があります。
それから、教科教育の研究機関という、そういう大きな役割もあります。
研究大会は毎年大きな大会が必ず開かれますし、
それに向かって1年間を通して研究テーマを設けて、
競技会のための論文を作ったり、それから研究授業を2本出すので、
研究授業のためにいろんな検討会があったりしました。
ということで、論文もガチガチに書くわけで、
そういう教科教育の研究機関としての役割がありました。
そうして、先進的な教科教育の研究開発に取り組むという使命を帯びたのが、
国公立大附属の役割でした。
生徒の特性とニーズ
生徒はどんな生徒が入ってきているかというと、
偏差値70オーバーの子はザラにいます。
平均すると60から65ぐらいの偏差値帯の子がいるのではないかと思います。
進路先は、東大から京大の子が年によって違うんですけど、
10人ぐらいはいたかな。年によっては15人とかあったと思いますし、
私立は早稲田とか慶応とか20人とか30人とか、たくさん有名次第に入っていました。
もちろん有名国公立もたくさん入っていました。
それから医学部なんかは10人から20人ぐらい入ってたんじゃないかと思います。
そんなかなりハイレベルな学校だったわけですけど、
勉強できても高校生としては精神年齢的にはあまり普通の学校と変わらない部分もたくさんあったかなと思います。
特に異性のこと、男の子と女の子の関係とか、
そういうのは、よその学校と同じような感じで、みんないろいろ戸惑ったり悩んだりしていました。
あとはいたずらっ子も適度にいたし、おとなしい子もいればかなりマニアックな子もいて、
その辺は高校生らしいなと思いました。
この生徒たちは、ここが付属校だってことはよくわかっているので、
精神的な授業をやる学校っていうことは十分理解して、
受験対策は求めていないなっていうのが、生徒たちの様子を見てわかりました。
生徒たちはどんな授業を求めていたかというと、
求められる授業の形
まず私が着任してすぐに、普通に県立で先輩たちに教えられて、
自分なりにちゃんと授業を作ってきたものをやったわけですよ。
これは県立の授業だし、有名な先輩とかにも教えてもらったし、
これで行ってみようっていう感じでやったら、
生徒には先生の授業はレベルが低いねって言われました。
これはつまり、県立高校の授業はレベルが低いねって言われたに等しいなと思っていて、
私自身も勉強不足だったというのもあるけど、
県立高校で一生懸命教えてもらったことをやっても通用しないっていうことなんですよ。
そこで私は一念発起しまして、教材研究に没頭しました。
いわば生徒に鍛えられたなって思います。
彼らの求めている授業はどんな授業だったかというと、
彼らにいろんな話を聞いていくと、
僕たちはレールを敷かれたような授業は嫌だ。
先生たちがワークシートを作ってきて穴埋めするような授業は嫌だって言うんですね。
何か一つ目を開かれるようなことが授業であったら、
それが一番いい。
つまり、認識変革ですよね。
その授業で今までの自分たちの思っていた規制概念が大きく変わる瞬間、
これが彼らの望む授業だったわけです。
例えば、文法の解釈で終わって訳して終わりという授業はNGですし、
もちろん受験対策でこうやったら点が取れますというような授業も望んでいないわけです。
どんな授業かというと、書いてあることを読み取った後に、
分析や考察を加えるんですけど、
論理的に分析したり、それから構造化したり、
その分析を通してみんなで競技しながら新しいものの見方を発見し深掘っていくわけです。
そして理解したことをパフォーマンス高く表現するのが彼らの望んでいる授業だったんですね。
例えば、東大にゆるゆると塾にも行かずに入った男子生徒がいたんですけど、
評論文の授業なんか彼にとっては、読んだらすぐ分かるようなレベルだったと思うんですね。
教科書に書いてあるような評論文は。
その子にあることを当てたら、先生ちょっと語っていいですか、どうぞというので語ってくれたんですけど、
いわゆるマイクジャックして彼が授業してくれたようなもんですよね。
関係ない都合の話を話し始めてですね。
そこからの相撲取りの分析からどんどん始まって、結局はその授業の内容に着地していくというものすごいパフォーマンスを見せてくれた生徒がいました。
ということで彼らの求めている授業は、今まで見たこともない、聞いたこともない、考えたこともない価値を教材を手がかりに創出して、
それを質高く表現していくっていうそういう授業が彼らにとって最も欲している授業だったわけです。
彼らは受験対策とか受験勉強は本丸にしていない。
ハウツーとかそういう技術的なことは授業でやるんじゃなくて塾でやって、
彼らは学校に学びに来ているんですね。
学び、自分たちの学びを深めに来ているんです。
その証拠に卒業生が大学生活を送っているときに語ってくれたことには、
先生、言われたことしかやらない奴らがいっぱいいる。すごいですよね。
先生に言われたことをやって満足している奴がいっぱいいる。
それしかできない奴がいっぱいいる。面白くないっていうふうなことを言うわけで、どんだけ上から目線かと思うんですけれど、
そういうふうに自分も学びっていうことに対して貪欲の生徒がたくさんいたなと。
教養を身につけるっていうことを非常に自分たちの喜びにしている生徒だったように思います。
その証拠に木の先に行ってっていう授業をやったんですけど、
これは彼らに非常に刺さりまして、それは見たこともないものを学んで、
学びの喜びと影響
ものすごく目が開かれる教材なんで、大喜びだったんです。
それで面白かったから、卒業旅行に木の先温泉に行くことにしたっていうわけです。
そこで木の先に行ってごっこをやるよ先生って言って、木の先温泉に行った生徒がいました。
それぐらい学ぶということに喜びを感じたり面白みを感じたり、
そういうことを日常生活でやってみて楽しむっていう、そういうタイプの生徒たちが多かったと思います。
とはいえ、私もずっと喋ってなかったんですけど、
私自身も実は国公一大附属中高一貫校の出身者でありまして、
実は私自身が文法ガチガチの役だけの授業を受けてきてないですし、受験勉強の授業も受けてきてないです。
自分で受験勉強して塾にも行くようなお金なかったんで、
どうにかこうにか自分で勉強して、どうにかこうにか学校に入りましたけど、
そんな中高校時代で結局いろいろ考えると、
今まで一番自分にとって人生の根幹になるぐらい身に心が入ったのは大きく二つあって、
学校の先生に紹介された毛髪さんの女の一生、中学校の時に紹介されたんですけど、
毛髪さんの女の一生は女子は読んでおいた方がいい。
これを読んでちゃんと女性として生きるということを考えた方がいいって言われたんで、
クソ真面目だった私は毛髪さんの女の一生を中学生で読んだんですよね。
そうしたら、要するに女として生きるということのものすごい困難と、
それから社会的な重圧と苦しさと困難の状況におかれた、
非常に女性として定位におかれた厳しさというのが書かれたわけですよね。
中学生の時になんじゃこりゃと、気分が悪いような本でしたけれど、
結局そういうことで私は男の人を中心に置いちゃダメじゃなっていうのを、
その本で学んでいるわけですから、私の進路決定の一つにはなったと思います。
女性として一生涯働いて、男性に頼らない職業に就こうっていう、
知らず知らない間にそういう土台ができたんじゃないかと思うし、
それから中学校2年生の時に紹介された「インドで暮らす」っていう岩波新書があるんですけど、
価値観の変革
これを読んで最初は土器も抜かれましたけれど、
インドというところは当時は非常に高進国、発展途上国だったんですね。
そういう貧しい国にあって、その民族特有の風習、
その民族で一生懸命生きていて文化があって、
人間がそこにいるんだっていうようなことは書いてあるわけですよね。
そういった民族差別の問題であるとか、資本主義に対するアンチテーゼのようなものがそこに書かれてまして、
私自身の偏見というものについても考えさせられました。
なので知らずの知らずのうちに、ディズニーランドとかに対して、
アメリカの帝国資本主義の言下だとかって知らず知らずのうちに思ってしまう私自身がいたりして、
そういう意味では、その時に紛れもない本物の価値観っていうのを突きつけられたような気がします。
そういうわけで、私自身がどうしてもその影響を受けているので、
自分自身の国語の授業でも認識変革、今まで見たことのないものを考えて、
新しく自分を作り直していくような授業がしたいなと思っているということに気がつきました。
ということで、これからも自分自身の授業は何なんだと、
おそらく受験対策授業と戦いながら、どうやって両立させながら授業していくかということは、
ずっと自分のテーマになっていくと思うんですけれども、
やっぱり本当の学びとは何なのかだけは大事に大事に持って授業をしていきたいなと思いました。
ということで、今日は14分ぐらいになってしまいましたけど、
私の今まで語ったことのない高いレベルで授業した時のことをお話ししました。
それではまた皆さんお会いいたしましょう。
9月乗り切りましょう。ありがとうございました。
14:34

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